タチヤナ ヤルモレンコ 連載記事。10 月 30 日号、11 月6日号の続き

ウラジオストク新聞 2013 年 11 月 13 日号
首都ではない日本への訪問
遠い過去、庭園、お茶と遊戯 − 風変わりな観光の組み合わせ
タチヤナ ヤルモレンコ
連載記事。10 月 30 日号、11 月6日号の続き。
高岡から、石川県の県庁所在地である金沢市へ移
動した。およそ 400 年前、日本海沿岸の前田家の世
襲領地に金沢城が築かれた。今日に至るまで金沢城
は前田武家時代の面目を保っているが、城は観光ル
ートのためだけに使われている訳ではない。ここで
は公的なイベント、コンサート、市の祝賀行事が行
われている。
吉兆の虎
高い丘の上に築かれた金沢城の向かい側に、日本
で最も有名で美しい庭園の一つである兼六園がある。
この庭園は 300 年前に整備された。前田家の藩主の
うちの一人のために作られた小さな庭から始まった。
現在庭園入口の門付近のお土産店になっている場所
で、かつて侍とその指揮官たちが騎馬や弓の稽古を
していた。侍は水音を好んだので園内には滝や一日
中動いている噴水があり、小川が流れている。庭園
に良いオーラを与えるため、当時のデザイナーたち
は庭園内と周囲の細部まで考え抜いた。池の中にあ
る亀の形をした島は長寿のシンボルで、松は幸福の
象徴である鶴の形に剪定された。鬼門の方角には虎、
獅子、龍の形をした岩が特別に配置された。ネガテ
ィブなものや邪悪な視線から庭園を護るためである。
園内には秘密の橋がある。その橋を渡った者は百歳
まで生きるという。長寿を願う人々は、穴が開くか
と思われるほどしっかりとその石橋を踏みしめて渡
った。40 年前にその橋は通行禁止になった。それ以
来、長寿にはその橋を眺めるだけで良いとされるよ
うになった。
この庭園は、一日中散策しても疲れない。たくさ
んの見事で珍しい景色があるのだ。年間通じてすば
らしい。ここには 400 本の桜が植えられていて、春、
桜が満開になる週にはその美しさを堪能したい人々
が桜詣でをする。
本物の芸者の謎
金沢にはとても昔から茶屋街があり、そこでは日
本で芸者または芸子と呼ばれる、唄と踊りで楽しい
席の客を喜ばせる女性が活動している。
「軽率な行い
をする女性と彼らを決して取り違えないでくださ
い。」と通訳ガイドが注意した。それは蛇足というも
のだった。一体誰が本物の芸子を見たというのだ。
本物の芸者は魅力的で品位があり、軽率な行いをす
るその種の女性と比べようという考えすら起こらな
い。
我々はひがし茶屋街を訪れ、築 200 年以上という
一軒の茶屋へ入った。我々は表玄関から入ったが、
裏門もある。これは何らかの理由で芸者を訪ねたこ
とを知られたくない人のための入り口だ。
一階には女性たちの部屋で、メーキャップする部
屋、小さな土産店、貴重な品々を収納する倉庫があ
る。倉庫の厚い土壁は火事からしっかり守ってくれ
る。昔、この建物は冷蔵庫として使われていた。さ
らに、金色の畳を敷き詰めた茶室もある。特別な編
み紐が金箔でコーティングされ、それで畳を紡いで
いる。今日ここへお茶会に集まることは少なく、大
体は美しさを愛でるために来る。
二階は客間で、ここには赤の間と青の間の2部屋
がある。青の間は最も大事な客のための部屋で、警
備の人が同行することもある。この部屋でこの茶屋
の女将さんが我々の質問に答えてくれた。我々が場
所を占めて落ち着くと同時に芸者が現れ、高価な掛
け軸のある床の間を背にする上座に座った。その途
端に分かった。掛け軸ではなく、茶屋の女将さんが
室内の主要な装飾なのだ。女将さんは古い日本の着
物を着て洗練された美しさで歩いていた。その着物
に何ら煌びやかで挑戦的なものがまったくないのは、
驚くべきことであった。地味な藤色の着物、複雑な
巻き毛や豪華な髪飾りのない滑らかな髪形、最小限
の顔の化粧(ごてごてしたマニキュアと束ねた後ろ
髪は、夜の席のためだけのものだ)
。あらゆる心の動
きは仕草にしか現れない。動作は洗練されていて丁
重で、声は静かで小さい。いかなる感情も籠ってお
らず、まして決して気忙しくない。
…全員が注視していることを確認して、女将さん
は茶屋の伝統について語り始めた。芸者をいきなり
訪ねることはできないという。芸者の才能を評価す
る人たちには、紹介者がいなければならない。茶屋
の訪問に対して毎回の支払いは行われない。年に2
度、茶屋の女将が決算して顧客に請求書を送る。何
らかの事情で顧客が支払えない場合は、紹介者が代
わりに払わなければならない。芸者の客になるのは、
安くない歓びだ。2時間お付き合いすると1万5千
円だ(およそ5万ルーブル)
。
芸者を訪ねるのは、通常レストランで食事を済ま
せた後だ。芸者が自分で料理をしてテーブルの準備
をすることは稀だ。男性たちは特別な高座に座り、
部屋のもう一方はステージのように幕で仕切られて
いる。ここへ女性たちが登場する。芸を披露するの
は若い女性ばかりではない。20 代もいれば 80 歳の
人もいる。芸子は年齢に関係ない芸術だ。
「芸者が踊っている時に話しかけてはいけません。
注意深く鑑賞するだけにしてください。
」女将さんが
歓迎セレモニーについて説明する。
「金沢には、ステ
ータスが書類で証明されている本物の芸者は 48 人
しか残っていません。来訪者は偶然来る人ではなく、
教養があって踊りや動作の象徴を理解し、日本の歴
史、民族の伝統と礼儀を知っている人でなければな
りません。
」
この茶屋の女将は、さまざまな楽器の演奏、唄、
踊り、絵を心得て、会話を取り仕切ることのできる
方だ。幼少時からこういった修行を積む人もいれば、
成長してから師匠について訓練する人もいる。
「初心者の女性は経験豊かな芸者から最低2年は
学ばなければなりません。
」女将さんは話した。
これで芸者の閉ざされた世界の見学は終わる。女
将さんはこれ見よがしに時計を見て、茶屋には来客
が多いので観光客に多くの時間を割くことはできな
いと宣言した。彼女はお辞儀して、比類なく小刻み
な足取りで遠ざかって行った。
フルーツゼリーの中に金を見つけてください
金沢では、美術工芸に対して地元住民が絶えるこ
とのない興味を示していることを現す伝説が、喜ん
で語られている。この地方の大名である前田家は、
日本では徳川家に次ぐ影響力を持っていた。大きく
なり続ける権勢によって主要な武将を刺激しないよ
うに、前田家は文化や手工業の発展に投資した。
金沢では現在も布を染める技術、刺繍、金箔の製
造、和紙、陶器などの伝統的な美術工芸を大切にし
ている。
例えば、日本国内の 99%の金箔は金沢の工房で製
造されている。ここではまったく思いがけない場所、
予期せぬ品物の中に貴金属を見ることができる。化
粧クリームに入っていたり畳が金めっきしてあった
り、地元のレストランで我々が食べたフルーツゼリ
ーに金の屑が入っていた。
ところが、日本の伝統的な衣装である着物には金
箔は使用されない。そのような習わしなのだ。この
ことについては「加賀友禅」の着物工房で聞いた。
例えば京都では、着物の装飾に金箔や金の刺繍がふ
んだんに用いられる。歴史的に京都へは生活に不自
由のない武士階級が移住したのだった。高価な衣服
で彼らは自分たちの財力と高貴な身元を強調した。
金沢に住んでいたのも同じくらい豊かな人々だった
が、衣服に金は使われなかった。染物や絵の題材は、
主に花や鳥などのより身近なものだった。植物を素
材とした模様は、驚くほど写実的だ。例えば、絵の
中にはしばしば芋虫のついた葉や少ししぼんだ蕾が
見られる…
「加賀友禅」の工房では、着物が作られる工程をす
べて見せてくれた。工程は 10 の段階からなっており、
職人は2か月がかりで一着の着物を制作する。しか
し、今日中世の技術の詳細をすべて順守するのは不
可能である。例えば、布を染める絵を固定した糊は、
以前は川で洗い流した。生地を川に降ろして先の尖
った杭で速度を落とし、流れで糊だけを落として染
料を残したのだ。現在ではもちろんそのような方法
は用いられていないが、いくつかの工房では観光客
用にそのようなショーを行っているので見ることが
できる。
金沢では現代美術館である 21 世紀美術館を訪問
した。街の真ん中にある透明なガラス張りの丸い建
物で、すぐには正面が分からない。館内は有料ゾー
ンと無料ゾーンの2つに分かれており、無料ゾーン
には児童スタジオ、図書館、レストランと店が入っ
ている。有料ゾーンでは各種展示や企画展が行われ
ている。例えば、屋根のない部屋に入って空を流れ
る雲を眺めることができる。地元住民はなぜかここ
を待ち合わせ場所にしている。ここで落ち合ってか
らインスタレーションが展示されているギャラリー
を見始めるのだ。我々が気に入ったのは、天井がプ
ールの底になっている部屋だ。ここの壁は植物から
できていて、空を行き来する滑稽な人間を見ること
ができる。疲れたら、伝統的な模様を施した壁を見
つけてください。その壁をよく見ると、隣に揺り椅
子があるはずだ。この揺り椅子には壁と同じ模様が
繰り返されているので、すぐには気付かない。この
美術館にはたくさんの興味深い展示があり、来館者
が数百万人に上るのも頷ける。我々も時が経つのに
気が付かず、ホテル日航金沢へ戻る時間となった。
金沢を去り難い。ここには興味深いものがもっとた
くさんあるが、見学して理解することはできなかっ
た。しかし、首都ではない日本への訪問は続く。明
日は別の街へ訪問することになっている。
次号朝刊に続く
写真左:女将さんは本物の芸者だ
写真中:かつてここで侍たちが武芸の修行をしてい
た
写真右:世界に知られた加賀友禅の着物