論文 - 政策研究大学院大学

大学等における発明者の所属機関と権利帰属機関の相違が
特許権の利用に与える影響
2013 年 2 月
政策研究大学院大学 知財プログラム
MJI12505 深萱 恵一
【要旨】
1990 年代後半に「産学連携」が推進され、
「任期制」が導入され、大学等に大きな変革を
もたらした。しかし、研究者の流動性向上と特許権の利用はトレード・オフの関係にある
ため、この 2 つの変革を同時に達成することは非常に難しい。なぜなら大学等では、発明
者自身が発明に関わるノウハウや専門知識を把握しており、発明者が権利帰属機関外に転
出した場合、特許権は利用されにくいためである。
本研究では、実証分析を行い、代表発明者の在籍がライセンス契約締結の確率を約 40%
高めることを明らかにした。
キーワード
産学連携、任期制、特許権の利用
1
目次(案)
1. はじめに
…3
2. 産学連携
…4
2-1 産学連携の経緯
…4
2-2 産学連携の現在
…5
3. 大学等における研究者の流動性
…6
3-1 任期制導入の経緯
…6
3-2 任期制の現在
…6
4. 分析の考え方と仮説
…7
5. 分析に用いるデータ
…8
6. 計量分析
…10
6-1 ライセンス契約の有無と代表発明者の在籍の有無の関係
…10
6-2 実施料の入金時期と代表発明者の在籍の有無の関係
…11
6-3 特許権の放棄と代表発明者の在籍の有無の関係
…11
7. 結果と考察
…12
7-1 ライセンス契約の有無と代表発明者の在籍の有無の関係
…12
7-2 実施料の入金時期と代表発明者の在籍の有無の関係
…14
7-3 特許権の放棄と代表発明者の在籍の有無の関係
…15
8. 政策提言
…17
謝辞
…20
参考文献
…21
2
1. はじめに
現在、大学や公的研究機関(以下、大学等という。)は数多くの特許権を保有している。
特許行政年次報告書 2012 年版1によれば、2010 年度の教育・TLO・公的研究機関・公務の
国内権利保有件数は 30,537 件、利用件数は 9,246 件、利用率は 30.3%である。全体利用率
は 54.2%であり、利用率は業種によって異なってはいるものの、企業に比して大学等の特
許権の利用率は低いといえる。なお、同報告書における未利用とは、自社実施も他社への
実施許諾も行っていない権利のことである。大学等は通常であれば自己実施しないので、
企業への実施許諾、つまりライセンス契約を締結していない特許権が未利用といえる。
先行研究として、Nishimura(2006)2は未利用特許権についての実証研究を行なってお
り、(1)企業規模が大きい企業ほど、未利用開放特許権が発生する傾向が高い、(2)事業化に
必要な補完的資産が企業の現有資産と技術的に適合しない特許権ほど、未利用開放特許権
となる傾向が高い、(3)技術的汎用性が乏しいが、技術的に重要な特許権ほど、未利用開放
特許権となる傾向が高い、(4)R&D 競争の高まりが未利用特許権となる可能性を高める、な
どを示している。しかしながら、当該研究は企業を対象としており、自己実施をしない大
学等の保有する特許権の利用状況に関する分析ではない。
ベルギーの主要な 6 大学の 334 の特許権を対象とした Sapsalis(2007)3による実証研究
では、(1)初期段階からの共同研究が特許の価値を高めライセンス契約が締結されやすくな
る、(2)既存の企業はライセンスを受ける技術がベンチャー企業に比べ初期である、などが
示されている。これは、特許権の価値を被引用件数で評価しており、Trajtenberg(1990)
4による被引用回数と実施による社会的価値が相関しているとする研究結果を踏襲している。
しかし、当該研究は大学等が保有する特許権の価値についての研究であり、特許権の利用
率の低さを説明する原因についての示唆は乏しく、また海外の研究であるため、日本の実
態にどれだけ反映できるかは不明である。
以上を踏まえると、未利用特許権に関する実証研究は、主として企業が保有する特許権
を対象としており、自己実施しない大学等が保有する特許権を対象とした実証研究は国内
では全く行われていない。
そこで、本稿は、日本の大学等の保有する特許権について計量分析する。本稿の特徴は、
発明者の所属機関と特許権の帰属機関の相違と利用の関係に着目し、実証的に分析してい
る点である。大学等における「任期制の導入」と「産学連携」という近年の大きな 2 つの
特許庁, 特許行政年次報告書 2012 年版, p.53,
http://www.jpo.go.jp/shiryou/toushin/nenji/nenpou2012/honpen/1-2.pdf
2 米国未利用開放特許の実証分析 -特許レベルの分析-, 西村 陽一郎, イノベーション・
マネジメント No.3
3 Sapsalis, E., van Pottelsberghe de la Potterie, B. (2006). ‘From science to license: an
exploratory analysis of the value of academic patents’. Working Paper, Centre Emile
Bernheim, SBS, ULB, forthcoming.
4 Trajtenberg, Manuel, 1990, “A penny for your quotes: patent citations and the value of
innovations,” Rand Journal of Economics, vol.21 no.1 pp.173-187.
1
3
変化について焦点を当て、それらが無関係でなく、むしろトレード・オフの関係にあるの
ではないかという考えに基づき、今後の大学等における特許権の管理の在り方について政
策提言を示すものである。
本稿の構成は以下のとおりである。第 2 章において産学連携を概説する。第 3 章におい
て研究者の流動性、主として任期制の導入について概説する。第 4 章において分析の考え
方と仮説を提示する。第 5 章において分析に用いるデータを示し、第 6 章において計量分
析の方法を説明し、第 7 章においてその結果を示すとともに考察を述べる。そして第 8 章
において政策提言を行うものとする。
2. 産学連携
産学連携という用語は、2003 年 4 月に設立された産学連携学会5の設立趣意書において
「産業セクターと大学セクターを本格的に架橋し、それによって『学術研究に基礎付けら
れた産業』を活発化することを目指す諸活動の総称」と定義されている。本章では、4 章に
おいて分析の考え方と仮説を提示するに先立ち、産学連携の経緯と現状について概説する。
2-1 産学連携の経緯
1980 年に成立したアメリカのバイ・ドール法は、連邦研究費による大学での研究成果の
民間技術移転を規定6し、具体的には連邦政府の資金で研究開発された発明であっても、そ
の成果に対して大学や研究者が特許権を取得することが認められた。特許権のライセンス
によって得られた収入の一部は発明者に与えなければならないが、残りは大学が自由に使
ってよいこととなり、大学に教員の発明の中から特許になりそうなものを探し、特許化し
ライセンス先を探すという技術移転努力へのインセンティブが生じた。各大学が特許・ラ
イセンシング業務を担当する技術移転室(Technology Licensing Office, TLO)を設立する
ようになり、雇用契約において特許になりそうな研究成果は TLO に届け出ることが教員に
義務付けられるようになった7。その結果、企業等による技術開発が加速され、新たなベン
チャー企業が生まれるなど、米国産業が競争力を取り戻すきっかけとなったと言われてい
る。
日本においても同法を参考として 1999 年に制定された産業活力再生特別措置法は、
「日
本版バイ・ドール法」と言われる条項を有している。これにより政府資金による研究開発
から生じた特許等の権利を受託者に帰属させることが可能となった。2007 年 8 月から産業
技術力強化法へ移管され、この日本版バイ・ドール制度は恒久化が措置されている。
5
NPO 法人 産学連携学会, http://j-sip.org/index.htm
日本の産学連携, 玉井 克哉, 宮田 由紀夫, 玉川大学出版部, 2007 年 5 月
アメリカのイノベーション政策―科学技術への公共投資から知的財産化へ, 宮田 由紀夫,
昭和堂, 2011 年 6 月
6
7
4
かつて日本では大学等で生まれた特許権は原則個人帰属とする運用がなされてきた。こ
れは、
1978 年 3 月文部省通知「国立大学等の教官等の発明に係る特許権等の取扱について」
において示された方針に基づいている。しかし、2004 年 4 月の国立大学法人化を契機とし
て、これまでの個人帰属から原則機関帰属へと大きく方針転換した。日本では発明者主義
が採用されているため、各大学等における職務規定等において、職務発明から生まれた特
許権を大学等が承継することが定められている。そして、大学等が継承した特許権が実用
化され、結果として実施料を得た際には、その一部が発明者個人に還元される仕組みにな
っている。
また、知的財産基本法第 7 条において、
「大学等は、その活動が社会全体における知的財
産の創造に資するものである」とし、今日の大学等には、研究成果の社会還元という新た
な使命が課せられ、大学で創造される革新的な研究成果を知的財産権として産業界へ技術
移転し、経済社会で広く普及・活用することが求められるようになった8と言われている。
なお、本稿では、前述した知的財産基本法第 7 条に示された研究成果の社会還元という
考え方を鑑み、大学教員の発明は職務発明として取り扱うべきという立場9を採用し、論を
進めることとする。
以上のようにアメリカのバイ・ドール法といったプロパテント政策で産業低迷を克服し
たという見方や大学法人化を背景として、日本においても大学等あるいは TLO が主体とな
って特許権の維持管理、ライセンス交渉が進められている。
2-2 産学連携の現在
2011 年度の大学等における産学連携等の実施状況調査10によれば、特許出願件数は国
内・外国出願合わせて 9,124 件、特許権保有状況は国内・外国合わせて 14,016 件であり、
特許権実施等件数は 5,645 件、特許権の実施料収入額は約 10.9 億円である。機関別には京
都大学の約 2.2 億と東京大学の 1.3 億円のみが 1 億円を超えている。一概に比較できるもの
ではないが、アメリカの大学等の実施料収入の 3,136 億円(2007 年)11に比してはるかに
少なく、大学等の特許権が有効に利用されているとは言い難いのが現状である。
2011 年 8 月に閣議決定された第 4 期科学技術基本計画12は、2011 年度からの 5 年間を対
象とし、科学技術イノベーション政策の振興を示している。産学連携(基本計画では近縁
語である産学官連携が用いられている)に関連する記述として、基本計画では、
「科学技術
仲村 靖(2004)
「大学における知的財産を巡る現状と諸課題」特技懇 232 号,
http://www.tokugikon.jp/gikonshi/232tokusyu8.pdf
9 玉井 克哉(2003)
「大学における職務発明制度」知財管理 53 巻 3 号,
http://www.ip.rcast.u-tokyo.ac.jp/tamai/files/b17.htm
10 文部科学省, 平成 23 年度 大学等における産学連携等実施状況について,
http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/sangaku/1327174.htm
11 我が国の研究開発の状況について, 経済産業省, 産業技術環境局, 2011 年 5 月,
http://www.meti.go.jp/committee/summary/0001620/030_04_00.pdf
12 第 4 期科学技術基本計画, http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/kihon/main5_a4.htm
8
5
によるイノベーションを促進するための「知」のネットワークの強化に向けて、産学官の
連携を一層拡大するための取組を進める」とし、その推進方策の一つとして、「国は、産学
官連携の成果を総合的に検証するため、特許実施件数や関連収入などの量的評価を推進す
るとともに、市場への貢献、研究成果の普及状況、雇用の確保など質的評価を充実する。
また、これらの評価に必要な体制を整備する」ことを掲げている。
以上のように、各大学等の特許実施件数や実施料収入は年度ごとに把捉されており、今
後は量的評価の対象となると考えられる。
3. 大学等における研究者の流動性
本章では、本稿のもう一つのキーワードである大学等における研究者の流動性について、
4 章において分析の考え方と仮説を提示するに先立ち、その流動性を高める措置として導入
された任期制の経緯と現状を主として概説する。
3-1 任期制導入の経緯
1996 年 10 月の大学審議会答申「大学教員の任期制について」において、任期制を実施
することは教員自身の能力を高め、大学における教育研究の活性化を図る上で極めて大き
な意義を持つものであるとの考え方が示され、任期制導入する所要の措置を講ずる必要が
あるとの指摘がなされた。これは、1987 年 10 月の文部大臣諮問理由説明において選択的
任期制の審議を付託されてから組織運営部会において 25 回、総会において 11 回審議を経
た結果である。
これを受けて 1997 年に「大学の教員等の任期に関する法律」が成立し、大学の教員等の
任用に当たり任期を付すことができる制度が設けられた。同法の Q&A では、任期制は教員
の流動性を高めるための有効な方策の一つとして位置付けられるものであり、多様な知
識・経験を有する人材の確保が図られ、教育研究の活性化にとって大きな意義を持つこと
になると示されている。
また、1996 年 7 月に閣議決定された第 1 期科学技術基本計画では、柔軟で競争的な研究
開発環境の実現に不可欠な研究者の流動化を促進させるため、任期制が我が国の研究社会
の中で実効的に機能し得るよう配慮しつつ、研究者の任期制の導入を図ると明記されてい
る。
以上のように大学等の教員や研究者の任期制は、研究の活性化や競争力の強化を目的と
して、1990 年代の後半から導入されてきた。
3-2 任期制の現在
2007 年の調査では、日本の教授職の生涯異動回数期待値は、国立大学法人で 1.513 回、
公立大学で 1.751 回、私立大学で 1.845 回であった13。また、2009 年に実施されたアンケ
13治部
眞里, 近藤 隆(2007)「JST ReaD における科学技術人材の流動性に関する考察」
6
ート調査によると、異動を経験した者は 66.1%で、異動回数の平均は 1.32 回であった14。
それぞれの調査は、大学での教員や研究者の流動性が増加傾向にあることを示している。
また、第 4 期科学技術基本計画では、
「流動性向上の取組が、若手研究者の意欲を失わせ
ている面もあると指摘されており、研究者にとって、安定的でありながら、一定の流動性
が確保されるようなキャリアパスの整備を進める」とし、その推進方策として「国は、テ
ニュアトラック制の普及、定着を進める大学への支援を充実する」や「国は、大学や企業
等が協働して、優れた研究者が大学や企業等の間でステップアップできるような人事交流
を促進することにより、人材の流動化を図ることを期待する」などを掲げている。
このように、不安定な雇用が特に若手研究者の意欲を失わせていることに配慮しつつ、
流動性向上が研究の質を高める上で重要な施策であると認識されている。
4. 分析の考え方と仮説
第 2 章及び第 3 章において既に示したように、1990 年代の後半のほぼ同時期に「産学連
携」が推進され、
「任期制」が導入され、大学等に大きな変革をもたらした。第 1 期科学技
術基本計画で示された考え方から若干の軌道修正はあるものの、基本的な考え方は第 4 期
においても踏襲されている。
本稿の問題意識は、
この 2 つの変革は同時に達成することは非常に難しいのではないか、
という点にある。より具体的に換言すると、特許権の利用と研究者の流動性向上はトレー
ド・オフの関係にあるのではないか、ということである。
大学等は、企業とは異なり、自らが発明の実施をしないため、発明に関わるノウハウや
専門知識は発明者自身が把握しており、必ずしも権利を承継する機関はそれらを認識して
いるというわけではない。大学等は技術移転を専門に行う組織を有し、特定の分野につい
て詳しいスタッフを雇用している場合も多いが、最先端的の研究成果から生じた全ての発
明を正確に把握するのは困難である。
そのため、企業とのライセンス契約の締結には、発明をなした研究者との密な連携が必
要であると考えられる。よって、発明をなした研究者が権利帰属機関外に転出した場合、
連絡、調整、交渉にコストがかかるため、例え同水準の発明であったとしても未利用(ラ
イセンス契約が締結されない)
、実施料を得る時期の遅延、権利放棄が起きやすいと考えら
れる。
また、研究者の視点からは、転出元の大学等が保有する特許権のライセンス交渉に関与
することは、結果的に実施料収入の一部を得る活動とみなされうる。現在、所属している
大学等にとってはメリットがなく、このことは「経済的な利益関係」15があり、個人的な利
情報管理
14 我が国の科学技術人材の流動性調査, 文部科学省科学技術政策研究所及び科学技術・学
術政策局調査調整課, 2009 年 1 月,
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat163j/pdf/mat163j.pdf
15 厚生労働科学研究における利益相反(Conflict of Interest:COI)の管理に関する指針,
7
益相反として管理される対象となりうる。自身の発明が実用化されるように活動すること
自体が問題視されるわけではないが、権利の帰属機関が所属機関と異なる場合には、利益
相反として利益相反委員会への報告などが必要になることも考えられる。このように、研
究者にとっても、転出によって特許権の実用化を手助けすることに消極的になる場合もあ
ると考えられる。
そこで本稿では、
【仮説 1】発明者の
発明者の現在の
現在の所属機関と
所属機関と権利帰属機関が
権利帰属機関が異なる場合
なる場合、
場合、特許権の
特許権の利用が
利用が相対的
に少ない。
ない。
という仮説を設定し、計量的に検証する。大学等における特許権の「利用」とは、「企業で
実施していること」と整理し、その利用の指標として、ライセンス契約の有無、実施料の
有無、放棄について調べることとする。
筆者の派遣元である独立行政法人理化学研究所(以下、理研という。
)のデータを用いて
計量分析を行うこととする。理研は、1986 年に国内の公的研究機関として初めて任期制を
採用16し、2012 年 3 月 31 日時点で、研究者 2,840 名のうち 2,508 名が任期制研究者である。
また、1921 年に 3 代目所長の大河内正敏の就任にあたって示された「科学技術の基礎研究
を進め、その成果によって産業の発展を図る」という方針を「理研精神」として掲げ、産
業界等との連携活動をその使命としている17。このように任期制及び産業界との連携につい
て早期から取り組んでいる理研から、ライセンス及び発明者の雇用に関するデータの提供
を受けることができた。本研究は、あくまで理研のデータを用いた実証分析ではあるが、
任期制を導入し、産業界との連携が活発化している昨今の大学等の状況と共通点や類似点
が多いことから、結果を広く適用することが可能であると考える。
5. 分析に用いるデータ
本章では、仮説を検証するために、発明者の在籍と特許権の利用に関する計量分析を行
う。2009 年 4 月以降、理研では特許権の管理の在り方が変更された。具体的には、出願す
る発明の厳選、不要な特許権の放棄である。そのため 2009 年 3 月 31 日時点で有効に登録
されている理研の国内且つ単独で保有する特許権を対象として、ライセンス契約の有無、
実施料収入の有無及び入金時期、特許権の放棄という 3 つの利用の指標それぞれについて
仮説を提示し、発明者の在籍との関係について分析を行う。
2008 年 3 月 31 日科発第 0331001 号厚生科学課長決定によると、経済的な利益関係とは、
研究者が、自分が所属し研究を実施する機関以外の機関との間で給与等を受け取るなどの
関係を持つことをいう。
16 理研八十八年史, http://www.riken.jp/r-world/info/release/riken88/book/index.html
17 知的財産に関する基本方針 -社会にとって「かけがえのない存在」となるために-, 理
化学研究所, 2011 年 4 月 1 日, http://www.riken.go.jp/r-world/utility/pdf/pamphlet.pdf
8
理研の知的財産管理、技術移転の業務を円滑に行うため、理研作成の機能仕様に基づき
作成された独自の知的財産統合管理システムである RIPS(RIKEN Intellectual Property
management System)を利用し、2009 年 3 月 31 日の時点で有効に登録されている国内、
単独で保有する特許権(以下、対象特許権という。
)236 件について知財創出・活用課から
提供を受けた。具体的な対象特許権のデータは以下のとおり。
① 発明の名称
② 代表発明者の氏名
③ 出願年月日
④ 権利放棄の有無
※権利満了日から 1 年未満に放棄した特許権は、満了したものとみなす。
⑤ 権利放棄の年月日
⑥ ライセンス契約の有無
⑦ ライセンス契約締結年月日
⑧ 実施料の有無
⑨ 実施料の最初の入金年月日
⑩ 技術分野(物理・工学系/バイオ・化学系)
⑪ 発明者数
次に、理研の人事データベースを利用し、対象特許権 236 件の代表発明者 127 名を対象
として、②対象特許権の代表発明者の氏名に基づき、以下のデータについて人事課から提
供を受けた。
※個人情報保護の観点から、②の氏名データは、ランダムな番号を付与することにより匿名化し、その対
応表を削除することによって連結不可能としている。
⑫ 2012 年 12 月 1 日時点での在籍の有無
※在籍の有無とは、理研との雇用関係の有無を意味し、客員研究員などは在籍が無いと整理する。
⑬ 退職年月日
⑭ 生年
最後に、富士通 特許検索サービス「ATMS/PATENTAN」を利用し、対象特許権 236 件
について、以下のデータを抽出した。
⑮ 被引用数(他者の特許出願における引用数+審査官による引用数)
9
6. 計量分析
以上のデータを利用し、ライセンス契約の有無、実施料の入金時期、特許権の放棄と代
表発明者の在籍の有無との関係について分析を行った。それぞれについての説明変数、被
説明変数、推定式について説明する。
6-1 ライセンス契約の有無と発明者の在籍の有無の関係
まずは特許権の利用として、ライセンス契約の有無とライセンス契約を締結した時点で
の代表発明者の在籍の有無の関係を分析する。具体的には、本稿の仮説を以下のように換
言することができる。
【仮説 1-1】代表発明者
代表発明者が
発明者が在籍していれば
在籍していれば、
していれば、ライセンス契約
ライセンス契約が
契約が締結されやすい
締結されやすい。
されやすい。
計量分析にあたり、以下の推計式を設定する。
(推計式 1)licensei = β0 + β1×l_employi +β2×fieldi + β3×generationi +β4×citationi
+ β5×researcheri + ui
上式の被説明変数(licensei)は、データ⑥対象特許権のライセンス契約の有無を表すダ
ミー変数であり、対象特許権 i がライセンス契約を締結している場合は 1、締結していない
場合は 0 をとる。
説明変数は、以下のとおりである。
l_employi は、ライセンス契約がある場合には、その時点での代表発明者の在籍の有無、
ライセンス契約がない場合には、2012 年 12 月 1 日時点での在籍の有無であり、データ⑦
ライセンス契約締結年月日、⑫2012 年 12 月 1 日時点での在籍の有無及び⑬退職年月日か
ら算出し、在籍がある場合 1、ない場合 0 のダミー変数である。仮説 1-1 を検証する説明変
数であり、代表発明者が在籍していればライセンス契約に正の影響があることが期待され
る。
fieldi は、データ⑩技術分野であり、物理・工学系は 1、化学・バイオ系は 0 のダミー変
数である。理研では、全ての発明をこの 2 つの技術分野に分類している。
generationi は、対象特許権の出願時の代表発明者の世代であり、データ③出願年月日及
び⑬生年から算出している。若手(40 歳以下)は 1、中堅(41 歳~50 歳)は 2、ベテラン
(51 歳以上)は 3 とする変数である。
citationi は、データ⑮被引用数(他者の特許出願における引用数+審査官による引用数)
である。特許権の被引用数は特許の質と相関していると考えられることから、ライセンス
契約に正の影響を与えることが期待される。
10
researcheri は、データ⑪発明者数である。発明者が多いほど、代表発明者が転出したと
しても、発明の技術について詳しい者が大学等に残っている可能性が高いと考えられるこ
とから、ライセンス契約に正の影響を与えることが期待される。
なお、β0 は定数項、ui は誤差項である。
6-2 実施料の入金時期と発明者の在籍の有無の関係
次に、実施料の入金時期と代表発明者の在籍の有無の関係を分析する。具体的には、本
稿の仮説を以下のように換言することができる。なお、本研究では、企業との契約上、実
際の実施料についてのデータを利用することは困難であったため、実施料の多寡について
の代理変数として、実施料の入金時期を利用する。
【仮説 1-2】代表発明者
代表発明者が
発明者が在籍していれ
在籍していれば
していれば、実施料の
実施料の入金時期が
入金時期が早まる。
まる。
計量分析にあたり、以下の推計式を設定する。
(推計式 2) r_timingi = β0 + β1×r_employi +β2×fieldi + β3×generationi +β4×citationi
+β5×researcheri + ui
上式の被説明変数(r_timingi)は、実施料の入金時期とし、データ③出願年月日及び⑨
実施料の最初の入金年月日から算出し、4 段階に区分した。具体的には、対象特許権 i にお
いて、実施料が出願から 5 年以内に入金した場合は 3、10 年以内に入金した場合は 2、10
年以降に入金した場合は 1、入金なしの場合は 0 をとる変数である。なお、ここでいう実施
料は売上高等に対して実施料率を設定したランニング・ロイヤリティのみを指し、ライセ
ンス契約締結時に支払われる一時金等は除外している。
説明変数は、以下のとおりである。
r_employi は、実施料収入がある場合には、その時点での代表発明者の在籍の有無、実施
料がない場合には、2012 年 12 月 1 日時点での在籍の有無であり、データ⑨実施料の最初
の入金日、⑫2012 年 12 月 1 日時点での在籍の有無及び⑬退職年月日から算出し、在籍が
ある場合は 1、ない場合は 0 をとるダミー変数である。代表発明者が在籍しているほど、技
術移転活動が容易となり、実用化に要する期間が短縮されると考えられることから、実施
料の入金時期が早くなることが期待される。
fieldi、generationi、citationi、researcheri、β0 及び ui は、6-1 と同義である。
6-3 特許権の放棄と発明者の在籍の有無の関係
最後に、特許権の放棄と代表発明者の在籍の有無の関係を分析する。具体的には、本稿
の仮説を以下のように換言することができる。
11
【仮説 1-3】代表発明者
代表発明者が
発明者が在籍し
在籍していなければ、
ていなければ、特許権が
特許権が放棄されやすい
放棄されやすい。
されやすい。
計量分析にあたり、以下の推計式を設定する。
(推計式 3)patenti = β0 + β1×p_employi +β2×license i + β3×fieldi +β4×generationi
+ β5×citationi + β6×researcheri + ui
上式の被説明変数(patenti)は、データ④権利放棄の有無を表すダミー変数であり、対
象特許権が放棄されている場合は 1、放棄されていない場合は 0 をとる。
説明変数は、以下のとおりである。
p_employi は、放棄されている場合には、その時点での代表発明者の在籍の有無、放棄さ
れていない場合には、2012 年 12 月 1 日時点での在籍の有無であり、データ⑤権利放棄の
年月日、⑫2012 年 12 月 1 日時点での在籍の有無及び⑬退職年月日から算出し、在籍があ
る場合は 1、ない場合は 0 をとるダミー変数である。代表発明者が在籍していると、発明相
談を受ける機会があるなど、日頃から担当者は発明者との交流があり、特許権を放棄する
判断を下しにくくなると考えられることから、特許権放棄には負の影響があることが期待
される。
licensei は、データ⑥ライセンス契約の有無を表すダミー変数である。企業とライセンス
契約を締結している特許権は維持するよう判断され、特許権放棄には負の影響があること
が期待される。
generation
fieldi、gene
rationi、citationi、researcheri、β0 及び ui は、6-1-と同義である。
7. 結果と考察
上述したように 3 つの仮説に対して、3 とおりの計量分析を行った。それぞれの結果と考
察をまとめ、以下に説明する。
7-1 ライセンス契約の有無と代表発明者の在籍の有無の関係
ライセンス契約の有無と代表発明者の在籍の有無の関係を整理すると表 1-1 のとおり。対
象特許権の約半数である約 47.9%(113/236)についてライセンス契約を締結しているが、
そのうち代表発明者が在籍している場合が約 86.7%(98/113)であることが分かった。
表 1-1:ライセンス契約の有無と代表発明者の在籍の有無の関係
在籍有
在籍無
計
ライセンス契約有
98(86.7%/41.5%) 15(13.3%/6.4%) 113(100%/47.9%)
ライセンス契約無
59(48.0%/25.0%) 64(52.0%/27.1%) 123(100%/52.1%)
計
157(100%/66.5%) 79(100%/33.5%) 236(100%/100%)
12
ここで、推計式 1 に従い、プロビット・モデル、線形確率モデルによって分析を行う。
さらに、同一の代表発明者が複数の発明をなし、特許権を生み出す場合があるため、企業
との共同研究の経験の有無や企業での勤務経験の有無などの本研究では収集することので
きなかった代表発明者個人の属性を排除するために、固定効果プロビット・モデル及びパ
ネル・データをもとに固定効果モデルによって推計した。代表発明者の固定効果を推計す
る場合、代表発明者の属性である技術分野及び出願時の世代は、説明変数から除外してい
る。推計結果は、表 1-2 のとおり。
表 1-2:推計結果
プロビット
線形確率
固定効果
在籍
l_employ
技術分野
field
世代
generation
被引用数
citation
発明者数
researcher
log likelihood/
R2
固定効果
0.424***
(0.062)
0.432***
(0.061)
0.421***
(0.066)
0.827***
(0.220)
-0.017
(0.079)
-
-0.017
(0.069)
-
-0.034
(0.046)
-
-0.029
(0.040)
-
0.010
(0.004)
0.001
(0.004)
0.001
(0.004)
0.018
(0.011)
-0.016
(0.025)
-0.016
(0.026)
-0.015
(0.022)
-0.025
(0.039)
-141.783
-141.732
0.172
0.143
※括弧内は標準偏差を示す。また、***、**、*はそれぞれ有意水準 1、5、10%に対応する。
プロビット・モデルの結果は限界効果を表す。
なお、線形確率モデルにおいては固定効果、変量効果モデルを比較したハウスマン検定
を行い、その結果、変量効果モデルが有意水準 10%で棄却され、固定効果モデルが支持さ
れた。
推計結果のとおり、いずれのモデルにおいても、代表発明者の在籍がライセンス契約締
結の確率を高めるという結果が有意に示された。特に代表発明者個人の属性を排除した線
形確率モデルの場合には、80%とさらに確率が高くなっているが、その要因として代表発
明者個人の属性である企業との共同研究の経験の有無や企業での勤務経験の有無などが関
わっている可能性が考えられる。代表発明者が権利帰属機関に在籍していると、企業との
接触、交渉などがスムーズとなり、ライセンス契約の締結に至りやすくなると考えられる。
他方、被引用数は特許の質と相関していると考えられることから、ライセンス契約に正
の影響を与えることが期待されたが、いずれのモデルにおいても有意な結果は得られなか
13
った。被引用数は、特許の注目度の指標となると考えられるが、大学等においては実際に
価値を生み出すかどうかについての有用な指標とまでは言えないことが明らかになった。
また、発明者が多いほど、発明の技術について詳しい者が大学等に残っている可能性が
高いため、ライセンス契約に正の影響を与えることが期待されたが、いずれのモデルにお
いても有意な結果は得られなかった。技術の詳細やノウハウはあくまで代表発明者が把握
しており、その他の発明者がライセンス契約の締結に重要な役割を果たしているわけでは
ないと考えられる。
7-2 実施料の入金時期と代表発明者の在籍の有無の関係
実施料の入金時期と代表発明者の在籍の有無の関係を整理すると表 2-1 のとおり。ライセ
ンス契約の有無と代表発明者の在籍の有無の関係と同様に、実施料が入金された特許権の
うち代表発明者が在籍している場合がほとんどであり、約 87.4%(76/87)であった。また、
実施料が入金された特許権の多くが 10 年以内に支払われており、約 90.8%(79/87)であ
った。
表 2-1:実施料の入金時期と代表発明者の在籍の有無の関係
在籍有
在籍無
計
39(88.6%/16.5%) 5(11.4%/2.1%)
44(100%/18.6%)
入金有(10 年以内) 30(85.7%/12.7%) 5(14.3%/2.1%)
35(100%/14.8%)
入金有(10 年以降)
7(87.5%/3.0%)
8(100%/3.4%)
入金無
69(46.3%/29.2%) 80(53.7%/33.9)
入金有(5 年以内)
計
1(12.5%/0.4%)
149(100%/63.1%)
145(100%/61.4%) 91(100%/38.6%) 236(100%/100%)
ここで、推計式 2 に従い、プロビット・モデルによって分析を行う。推計結果は、表 2-2
のとおり。
表 2-2:推計結果
プロビット
在籍 r_employ
1.120***(0.207)
分野 field
-0.164(0.184)
世代 generation
0.090(0.119)
被引用数 citation
-0.009(0.011)
発明者数 researcher
-0.102(0.062)
log likelihood
-212.894
※括弧内は標準偏差を示す。また、***、**、*はそれぞれ有意水準 1、5、10%に対応する。
14
推計結果のとおり、代表発明者の在籍が実施料の入金時期を早めることが有意に示され
た。ライセンス契約の締結だけでなく、実用化するためには代表発明者の関与が必要であ
り、代表発明者が権利帰属機関に在籍していると技術移転がよりスムーズに進むためと考
えられる。
また、実施料の入金時期が早いということは、それだけ特許権が「利用」すなわち実用
化されるまでの期間が短いということであり、より多くの実施料が見込めることを意味し
ている。例えライセンス契約が締結されても、実用化に結びつかず、真の意味で特許権が
利用されない場合もある。特許権の実用化のためには、代表発明者が権利帰属機関に在籍
していることが正の影響があることが明らかとなり、このことは実施料の増大にも正の影
響があることが推察される。
なお、ライセンス契約の有無と同様に、被引用数及び発明者数は、入金時期とは有意な
相関関係は認められなかった。
7-3 特許権の放棄と代表発明者の在籍の有無の関係
特許権の放棄と代表発明者の在籍の有無の関係を整理すると表 3-1 のとおり。対象特許権
のうち約 47.5%(112/236)が放棄されており、代表発明者の在籍有の約 49.1%(55/112)
と在籍無の約 50.9%(57/112)とほぼ同数であった。他方、継続又は満了した特許権では、
代表発明者が在籍有の約 68.5%(85/124)と在籍無の約 31.5%(39/124)であり、在籍有
の場合が多いことが分かった。
表 3-1:特許権の放棄と代表発明者の在籍の有無の関係
在籍有
在籍無
計
放棄
55(49.1%/23.3%) 57(50.9%/24.2%) 112(100%/47.5%)
継続/満了
85(68.5%/36.0%) 39(31.5%/16.5%) 124(100%/52.5%)
計
140(100%/59.3%) 96(100%/40.7%) 236(100%/100%)
ここで、推計式 3 に従い、プロビット・モデル、線形確率モデルによって分析を行う。
さらに、同一の代表発明者が複数の発明をなし、特許権を生み出す場合があるため、企業
との共同研究の経験の有無や企業での勤務経験の有無などの本研究では収集することので
きなかった代表発明者個人の属性を排除するために、固定効果プロビット・モデル及びパ
ネル・データをもとに固定効果モデルによって推計した。代表発明者の固定効果を推計す
る場合、代表発明者の属性である技術分野及び出願時の世代は、説明変数から除外してい
る。推計結果は、表 3-2 のとおり。
15
表 3-2:推計結果
プロビット
線形確率
固定効果
在籍
p_employ
ライセンス
license
技術分野
field
世代
generation
被引用数
citation
発明者数
researcher
log likelihood/
R2
-0.201**
(0.081)
固定効果
-0.192**
-0.126**
(.051)
0.701
(0.469)
-0.650***
(0.050)
-0.387***
(0.078)
(0.093)
-0.675***
(0.050)
-0.692***
(0.056)
-0.194**
(0.093)
-
-0.114**
(0.055)
-
-0.042
(0.051)
-
-0.027
(0.032)
-
0.006
(0.005)
0.006
(0.006)
0.003
(0.003)
0.018
(0.009)
0.021
(0.028)
0.015
(0.031)
0.011
(0.018)
0.020
(0.033)
-102.599
-102.983
0.454
0.233
※括弧内は標準偏差を示す。また、***、**、*はそれぞれ有意水準 1、5、10%に対応する。
プロビット・モデルの結果は限界効果を表す。
なお、線形確率モデルにおいては固定効果、変量効果モデルを比較したハウスマン検定
を行い、その結果、変量効果モデルが有意水準 5%で棄却され、固定効果モデルが支持され
た。
線形確率・固定効果モデルを除き、代表発明者の在籍の有無が特許権放棄に負の影響が
あることが示された。線形確率・固定効果モデルでは、係数が正であり、他のモデルとの
結果は異なっているが、有意な相関関係は認められなかった。有意水準が 5%以下であるた
め、ライセンス契約の有無及び実施料の入金時期ほど、代表発明者の在籍の有無との相関
関係を示すことはできず、限定効果にばらつきがあるものの、代表発明者が在籍している
と、10~20%の確率で特許権は放棄されにくいと言える。
全てのモデルにおいて、ライセンス契約の有無が特許権放棄に負の影響があることが示
され、ライセンス契約が締結されていると特許権は放棄されにくいことが明らかとなった。
技術分野が物理・工学系であることが、特許権放棄に負の影響があることが示されたが、
これは理研では物理・工学系と化学・バイオ系という 2 つの技術分野でそれぞれ特許権放
棄について判断しており、判断基準の差異が影響しているものと考えられる。
なお、被引用数及び発明者数は、特許権の放棄とは有意な相関関係は認められなかった。
以上の結果をまとめると、代表発明者の在籍は、ライセンス契約締結に正の影響があり、
16
実施料入金時期を早めることに正の影響があり、特許権の放棄に負の影響があることが有
意に示された。
自己実施しない大学等では、企業と異なり、発明の詳細や周辺技術を把握しているのは
あくまで代表発明者であり、当該代表発明者が在籍しなくなると、その利用確率は低くな
るばかりか、大学等が保有している特許権が利用されないまま放棄される確率が相対的に
高いことが示された。
8. 政策提言
以上のように、発明者が在籍しなくなると当該発明者が生み出した特許権が利用されに
くいことが実証的に示された。企業とは異なり、大学等で生み出される発明は、使用者た
る大学等がその発明の先端性、分野の多様さから発明の詳細を把握しきれない。実用化の
ための技術移転活動に発明者が関わることは不可欠であるが、発明者が転出することは利
用可能性を大きく下げてしまう。そのため発明の質が高く、将来的に価値を生み出すこと
が期待されていたにも関わらず、発明者が権利帰属機関から転出してしまったがために利
用されないのであるならば、機関にとっても、発明者にとっても、発明を利用したかもし
れない企業にとっても、そして多くの研究において税収の一部を投入した国や自治体にと
っても損失である。
この結果から、任期制の導入などにより、研究の質を高めるために研究者の流動化が進
められると、大学等の未利用特許がさらに増大すると予想される。よって、特許権が利用
されるようにするために、発明者の所属機関と権利帰属機関を同一にする以下の政策が考
えられる。
【政策提言】
① 発明者が権利帰属機関に残りやすい環境を整備する。
② 発明者の転出に伴い、特許権を転出先の大学等に譲渡する。
③ 職務発明における権利の移転について例外を設け、特許権は発明者の個人帰属とし、
所属機関に信託譲渡する仕組みにする。
以下、これらについて説明する。
① 発明者が権利帰属機関に残りやすい環境を整備する。
具体的には、既に大学等が単独で特許出願しており、企業とのライセンス契約がある
ことを条件として、当該企業との共同研究に対して助成(企業と同額負担)し、大学等
の発明者が助成金により在籍できるようにすることが考えられる。これにより、企業は
共同研究を通じて実用化を進め、発明者は大学等に在籍して研究を継続することができ
る。
17
また、テニュアトラック制度の導入が考えられる。科学技術基本計画によるとテニュ
アトラック制度とは、「公正で透明性の高い選抜により採用された若手研究者が、審査
を経てより安定的な職を得る前に任期付の雇用形態で自立した研究者として経験を積
むことができる仕組み」とされている。同制度の評価項目の一つとして、発明相談の有
無や大学等の知財本部等が主催する知財セミナーの参加の有無を加え、研究成果を実用
化する意識付けを行うことも有用ではないだろうか。発明者が大学等に安定的に雇用さ
れれば、発明が利用される可能性が高まると考えられる。
ただし、2013 年 4 月施行予定の改正労働契約法により、有期労働契約が 5 年を超え
て反復更新された場合は、労働者の申込みにより、無期労働契約に転換させる仕組みが
導入されるため、発明者が残れる仕組み自体を創設することは極めて困難になる蓋然性
が高い。改正労働契約法は、大学等から生まれた特許権の利用の観点から問題があると
考えられる。
また、人的資源の固定化に懸念のある雇用側が 5 年を超えるような契約更新を手控え
るといった行動を助長する可能性があるため、労働者保護規制はかえって長期雇用需要
を下げ、失業率を高めると考えられ、既に指摘されている若手研究者(37 歳以下)の
人数や比率の減少傾向18にさらに拍車がかかることも考えられる。
② 発明者の転出に伴い、特許権を転出先の大学等に譲渡する。
具体的には、転出先の機関において譲渡した発明から実施料が得られた場合、その一
部を元の機関に譲渡する契約を締結することが考えられる。第 4 期科学技術基本計画で
は、「特許実施件数や関連収入などの量的評価を推進する」とあるが、各機関が利用さ
れにくい特許権であっても保有しつづけるインセンティブが働く可能性があり、特権許
の流通が促進しない。機関ごとに実施料の量的評価を行うことは適切でなく、むしろ発
明者の転出に伴う特許権の譲渡率、譲受率について評価対象とする方が適切である。特
許権を発明者の所属機関に譲渡することにより、結果的に大学等によって実施料の格差
が生じてしまうことになったとしても、全体として実施料の最大化を目指すことが望ま
しい。企業が大学等の特許権利用による収益を最大化することと等しく、結果的に経済
発展に資することになり、大学等の研究費の増大につながると考えられ、所管する文部
科学省が主体となって、この考え方に基づいた共通のライセンスポリシーを規定するこ
とが望ましい。
しかしながら、特許権は大学等が「所有」しているのであり、例え可能性は低くとも
経済的価値を生み出しうる財産を他の大学等に譲渡するように制度設計することは現
実的ではないだろう。
Numbers of young scientists declining in Japan, Ichiko Fuyuno, Nature News, 20
Mar 2012,
http://www.nature.com/news/numbers-of-young-scientists-declining-in-japan-1.10254
18
18
③ 職務発明における権利の移転について例外を設け、特許権は発明者の個人帰属とし、
所属機関に信託譲渡する仕組みにする。
特許の価値を事前に評価することは極めて困難であり、特許権を有償譲渡する際に
はその交渉に多大な労力を要することとなる。研究者の流動化が進んでいる中で、発
明者の特許権を大学等が所有すること自体が、特許権の利用を阻害していると考えら
れる。
そこで、大学等の発明者に対して、職務発明における権利の移転について例外を設
け、あくまで権利は原則として発明者個人に帰属し、所属機関に「信託譲渡」する仕
組みを導入することを提言する。具体的には、発明者が他大学等へ転出した際に、一
旦発明者に権利を返還し、転出先の大学等に改めて信託譲渡する。転出先の大学等で
ライセンス交渉が成功し、実施料を得た場合には、発明者、転出元の大学等、転出先
の大学等の 3 者で、それぞれの役割と貢献を尊重した上で、分配する。さらに発明者
が転出し、3 機関以上の大学等が信託譲渡された場合であっても、あくまで発明に貢献
した大学等とライセンス交渉に成功した大学等のみが恩恵を受け、途中の大学等は実
施料の一部を得ることはないとする。
しかし、この方法は、転出先の大学等は実施料が減じてしまうことから、企業とラ
イセンス交渉するインセンティブが低下する恐れがあるのではないか、発明者が企業
や私立大学に転出した場合にも発明者個人に返還するべきなのか、といった課題は残
る。
大学等で生じる発明は、先端的かつ分野が多岐にわたるものであり、大学等の知財
の専門スタッフや TLO はその発明の詳細やノウハウまでをも完全に把握することは困
難である。最も詳しいのは発明者自身であるが、発明者が転出すると利用可能性が低
下する。発明の詳細を把握しきれない大学等が特許権を保有することは、合理的では
ないといえる。しかし、発明者もあくまで教育や研究が基本業務であり、特許権の出
願、維持管理やライセンス交渉に労力を割くことはできない。
かつてドイツ等で採用されていた職務発明の例外(教授特権19)を認め、発明者個人
に権利の帰属を認めても良いのではないだろうか。これによって、相対的に未利用割
合が高い大学等の特許権の利用が促進されることが期待されると考える。
本稿では、前述のとおり大学教員の発明は職務発明として取り扱うべきという立場
を採用している。機関帰属から個人帰属への回帰という政策提言は、大学教員の発明
は職務発明に該当しないという見解から導出されるものではなく、あくまで現在の大
学等が置かれている状況を鑑みるに、機関帰属が特許権の利用を阻害している可能性
があるという観点によるものであることを強調したい。
19
教授特権とは、大学教授、講師、研究助手による発明は「自由発明」とし、研究者個人
に権利が帰属する仕組みであり、ドイツ従業者発明法第 42 条で規定されていたが、2002
年に廃止された。
19
教授特権は、欧州ではドイツ語圏及びスカンジナビア諸国等で採用されていたが、
アメリカのバイ・ドール法制定を契機にして、多くの国では機関帰属へと移行し、廃
止となっている。現在では、大学等の特許権が個人帰属であるのはイタリア及びスウ
ェーデンのみである20。しかし、実際には、大学が関与した特許権のうち 82%を大学
が所有していないとする調査結果21がある。また、アメリカでもバイ・ドール法を見直
すべきとする意見があり、発明の詳細、その利用方法や利用可能性に最も正確に把握
している大学等の発明者自身に特許権の所有を認めることを提案している22。
本稿で示した政策提言は、国際的な潮流と決して逆行するものでなく、むしろ時流
に沿うものである。本研究の分析結果及び大学等の特殊性やその状況を踏まえると、
原則機関帰属とする現在の方針は適切ではない。特許権が機関帰属であるがゆえに、
機関ごとを対象として実施料や実施率が評価され、そのために各機関で特許権を確保
するインセンティブが発生し、流通が阻害され、利用可能性が下がる。
あくまで大学等で生まれた発明は、発明者に帰属することとし、その上で所属機関
に信託譲渡する仕組みを導入する。この方式は、現在の職務発明として大学等が承継
する仕組みとさほど実務的には大きな変わりはない。職務発明における権利の移転に
ついて例外を設け、発明者個人に権利を帰属させ、大学等が信託譲渡を受けて、実際
の出願手続きや維持費用負担を行う。この提言を実行に移すためにも、大学等に対し
て共通の職務規定を定めるよう文部科学省が通知を発出することが考えられる。
以上のように、大学等から発明者へと主体を移すことによって、特許権の利用と研
究者の流動性向上のトレード・オフを回避し、研究の質向上と特許権の利用促進によ
る経済成長の両者を達成することが可能になると考える。
謝
辞
本研究を進めるにあたっては、北野泰樹助教授(主査)、石丸昌平准教授(副査)、玉井
克哉客員教授(副査)、豊福建太客員准教授(副査)、知財プログラムディレクター福井秀
夫教授から丁寧なご指導を賜りました。そのほか、理研の連携推進部、人事部を始めとす
る職員の方々から研究に対して有意義なご助言を賜りました。記して心より感謝申し上げ
ます。
なお、本研究は個人的な見解を示すものであり、筆者の所属機関の見解を示すものでは
ありません。また、本研究における見解及び内容に関する誤りは、すべて筆者の責任であ
ることを申し添えます。
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20
20
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