■ 日本看護倫理学会第6回年次大会 教育講演 患者とともに生きる Live and forward together with patients 髙本 眞一 ◉社会福祉法人三井記念病院 看護倫理学会での講演ということで、この学会名に 入っている「倫理」について考えてみた。今日の社会 では倫理という言葉がルールと置き換えて捉えられて いることが少なくない。私は倫理の本来の意味は生き 方だと考えている。どのようにこれから生きるのか、 生きようとするのか、看護師であれば、どのようにし て、どのような看護師になりたいかを突き詰めること ではなかろうか。 2001年、アメリカの医学協会が医療の質をよくする ための6つの目的、Safety, Clinical Effective, Patient Centered, Timeliness, Efficiency, Equitableがあるこ とをレポートで公表した。ここでPatient Centered と掲げられたことで、公に初めて患者中心主義の概念 が 言 わ れ た こ と と な っ た。 そ れ ま で は Doctor Centeredの状況であり、医師の言うことがあたかも 全てであると考えられてきた。しかし実際のところ、 医師の力はたかが知れている。私は医療においては患 者が最も大切な存在であると考えている。患者を治療 することで、医療者はどのように生きるかを考える機 会が与えられるのである。患者の前に医療者があるわ けではない。患者の存在があってこその医療であり、 看護なのである。しかしながら、時にこれとは逆転の 発想が生じてしまうことがある。 2 年前の東日本大震災では、未だかつて見たことの ない悲惨な風景が広がり、約3 万人もの命が失われ た。だが一方で、お互いに助け合おうという日本人の 精神を確認する機会でもあった。震災後 5日目の新聞 には「みんなで生きる」という大きな見出しとともに、 助け合う人々の姿が紹介され、当時、ドイツで活躍し ていた内田選手は、ユニフォームに「ともに生きよ う」と大きく書き、全世界にメッセージを発信した。 当時の報道を通し、私は日本人の心は「ともに生き る」という言葉で連なっていくように感じた。 私の座右の銘は「私は生きようとする生命に取り囲 まれて生きる生命である」というシュバイツアーの言 96 日本看護倫理学会誌 VOL.6 NO.1 2014 葉だが、これは医療そのものだと考えている。私が 40 歳になったころ、大きな挫折を経験し、一時は ディプレッションに陥ったが、この折に私を救ってく れたのが私を頼って治療を受けてくれる患者であっ た。この時、患者が医師を救うこともあることを強く 実感した。以来、私は「患者とともに生きる医療」を モットーとして、患者のための研究、患者のための医 療を追究しようとしてきた。 医療の中で、医師が出来ることはわずかであり、医 学で解明されていることはほんの僅かである。治療の 根源にあるのは、患者の命の力なのである。心臓血管 外科の領域はこの 30∼40 年に急激な進歩を遂げたが、 最近の人工心臓をもっても限界があり、耐用年数はせ いぜい 5 年である。しかし生命の力は計り知れない。 今日の女性の平均寿命は 85歳を超えており、心臓は その間休むことなく動いているのである。人間の力で は、とうてい不可能なことである。また、再生医療や 遺伝子治療も世間で騒がれるほどは進んでいない。 1969 年、アームストロング船長がアポロ11号で月 面着陸した際は、まるで人類が宇宙を征服したかのご とく、大騒ぎとなった。しかし少し考えてみると、月 から地球までは、光の速さで1.3 秒であるが、宇宙は 137 億光年の向こうから届く光もあるわけで、これも 現在解明されている範囲でのことであり、宇宙は今で も無限に広がっている。この宇宙に対し、人間の体は 小宇宙といわれているが、大宇宙の中で人間が到達し た微かの点のように我々はこの人間の体を果たしてど こまでわかっているのか。2010 年正月の読売新聞に 毛利衛さんが、「人間は『特別』じゃない。宇宙で生か される存在だ」とコメントしていたが、これは人間の 力では到底及ばないものが宇宙にはあり、その中で人 間は生かされているということであろう。 我々はいったい何ができるのか。前述した通り、人 間の体のメカニズムについては知らないことの方がは るかに多いわけで、最先端の医療にしてもそう大した ことはできない。その中で、医療者として出来ること は患者をガイドすることだろう。ガイドと言っても、 導き方を誤れば、事故となるため、よきガイドでなけ ればいけない。そのために我々は研究を行うべきなの である。研究者のための研究ではなく、患者のための 研究でなければならない。我々医療者は命を持つ患者 とともに病気と闘わなくてはならない。 私は三井記念病院を本拠地として患者とともに生き る医療のために取り組んでいるが、私の言う「ともに 生きる」ということは、皆が真剣に生きて成り立つも のである。時にはぶつかることもあるかもしれない が、両者とも諦めず、一つの目標に向かって乗り越え ることが重要だ。ともに目標に達する過程では特別な 出会いもあるだろう。医療者にはこうした出会いを経 験出来る機会、言いかえれば、ともに生きる機会が比 較的多く与えられているのではないだろうか。 看護師は医師のいうことを聞いて動けばいいという 意識ではなく、何よりも患者のために自分の頭で考え て仕事をしてほしい。これは医師の仕事だからと躊躇 するのでなく、その時に可能な最善の対処をしてほし い。医学が進んだ分、看護師が行わなければならない 業務は増え、看護も確実な進歩を遂げている。今、挙 がっている議論の一つに看護師特定行為・業務試行事 業対象看護師(以下、特定看護師とする)があるが、 特定看護師の制度はぜひ設けるべきであるし、これを 目指す看護師が確実な成長を遂げる道筋も整えるべき だと考えている。医師だけでは力不足であり、現場は 特定看護師の力を必要としているのである。 患者を守るためには、時にはルールを踏み外すこと があるかもしれない。しかし、それが患者を守るため の行為であるならば、たとえ牢屋に入ることになろう とも、私はそれを喜んで行うだろう。行うべきことを 遂行するために献身的に皆に尽くすリーダーのことを サーバントリーダーシップと言うが、私はこのサーバ ントリーダーシップがともに生きるために大切である と認識している。ルールだけに縛られていては先に進 めない。しかし一方で、行うべきことを実現させるた めには利口でなければならない。確としたストラテ ジーをもち、感覚的にも皆を巻き込み、正しい生き 方、言いかえれば倫理が通るように努力しなければな らない。 重要なことは倫理とルールを取り違えないことであ る。目先のことにとらわれず、将来の方向性を見失っ てはいけない。医療者にとっては命をもつ患者を大切 にすることが仕事の大きな方向性であり、そこには職 種間の垣根はない。患者の命を大切にし、患者ととも に生きる医療を行い、よりよい社会のために貢献する ことが我々医療者が本来行うべきことではないだろう か。「ともに生きる」精神をもって、看護師の仕事に 取り組んでくれる人が増えていくことを私は期待して やまない。 日本看護倫理学会誌 VOL.6 NO.1 2014 97
© Copyright 2024 Paperzz