記事 - The Society of Jesus - Japan Province イエズス会日本管区

新司祭の横顔
佑一くん、おめでとう
角
田
たか子
私は新司祭角田佑一の母の角田たか子と申し
ます。このたび佑一が司祭叙階のお恵みをいた
だきましたことを家族ともども感謝していま
了後、イエズス会に入会を許され、主人と私は
の素晴らしい出会いがありました。修士課程修
した。佑一は十八歳で大学に入学し、先生方と
ク金沢教会にて一家で洗礼の恵みをいただきま
んでいます。佑一が小学五年生の時にカトリッ
し て 二 年 前 か ら は、 カ ル フ ォ ル ニ ア 州 バ ー ク
つという良い経験をさせていただきました。そ
があり、中間期には六甲学院で二年間教壇に立
くなったと感じました。それからも勉学の期間
初誓願の時には、佑一が人としてひと回り大き
その後は神父様のご指導により修練に励み、
また佑一は芯がしっかりしているので、必ず乗
席することができました。荘厳なカテドラルの
の十月二四日の助祭叙階式には、娘とともに出
変厳しいと聞いていましたが、本人が強く望み、 レーの神学校で博士課程の勉強が始まり、昨年
とてもよろこびました。司祭職への道のりは大
佑一が一歳になったころから横浜市金沢区に住 に見送りに行ったことを覚えています。
す。うちは主人と私、佑一と娘の四人家族です。 に長塚修練院に出発する佑一を、娘と新横浜駅
助祭叙階式にて 左から母たか子さん、
角田新司祭、Barber 司教、妹さん
り越えられると私たちは思いました。十一年前
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新司祭の横顔
式にて、私と娘で佑一に祭服を着せる手伝いを
させていただき深い感動を覚えました。さらに
このたび司祭叙階式を迎え、多くの皆さまのお
祈りとお支えに心より感謝いたします。またお
祝いのお言葉もたくさんいただき感激しており
ます。思えば、佑一が生まれて一週間後に退院
した時、佑一を初めて抱いて外に出ると、まだ
若かった私は心が不安で一杯になりました。た
だただ柔らかく温かいわが子をずっと守ってい
きましたが、至らないところもありました。
しかし今、司祭叙階の日を迎えることができ
て、こんなに嬉しいことはありません。私はこ
の喜びの中で、佑一が永遠に神さまにお仕えで
きますようにと日々お祈りいたします。
︵角田佑一新司祭の御母堂︶
笑顔のかわいい佑一くん
妹さんを抱きかかえる佑一くん
けるのだろうかと。それでも私なりに頑張って
新司祭の横顔
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笑う門には福来る
︱角田神父様、ようこそ主の祭壇へ︱
アルン
プラカシュ
デソーザ
角田さんに初めて会ったのは、私が来日して
間もなくの時でした。全く日本語を話せなかっ
た 私 に 角 田 さ ん は﹁ I am Yuichi Tsunoda,
﹂と優しく声をかけてくれま
welcome to Japan
した。当時まだ修練者だった角田さんとの初対 遣された角田さんが教職員と生徒に愛され、大
面以来、一一年が経過しましたが、あの時、聖 人気の先生だったという話を聞くたびに真面目
動かすことがそもそも苦手だったにもかかわら
書の言葉と共に﹁この人は偽りのない真の日本 な角田先生の姿が思い浮かんできます。身体を
人だ﹂と思った事を未だに覚えています。
にしても、勉強や掃除にしても角田さんは寛大
になってふり返ってみると、毎日の祈りやミサ
す機会に恵まれました。短い期間でしたが、今
生と二〇〇七年春から本郷共同体で一緒に暮ら
歴史に刻まれています。
を向けて﹁オープン ユアー ハート﹂と囁い
た時、生徒たちが爆笑したというエピソードが
が部室のドアを開ける際、一緒にいた生徒に鍵
いたのは確かです。ある日、真面目な角田先生
そして、二年間の修練を喜びのうちに終え、 ず角田先生は卓球部の顧問をし、宗教や倫理の
イエズス会における初誓願を宣立した角田神学 先生としてもわんぱくな生徒と親しく関わって
な心で主の呼びかけに応答していたことが納得
角田新司祭が中間期に出発する折に
右からアルン神父、角田新司祭
角田さんと再び一緒に生活するようになった
できます。哲学の勉強後、マニラで英語や文学
のは、角田さんが神学の勉強を始めてからです。
の勉強を無事に終了し、中間期に六甲学院へ派
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新司祭の横顔
日本管区における﹁昭和五四年生まれのクラブ﹂ る時に、この恵みに参与する一人として喜びの
の末の弟として兄たちの勉強や修道生活を励ま
していつくしみの年に私たちの世界に主の恵み
う門には福来る﹂と同様に笑顔の角田神父を通
︵越智・大西・アルン・角田という四名の仲間︶ うちに角田新司祭の誕生を迎えたいのです。﹁笑
してくれました。また、神学の勉強と共に角田
の訪れがありますように願いたいと思います。
︵イエズス会司祭︶
さんは上智大学のカトリック学生の会を支えて
きました。さらに、トイレを含む神学院の掃除
を有名な六甲スタイルで行った時、驚きを感じ
たこともありました。祈るたびに、謙虚な姿勢
昭和五四年クラブの四人―右から角田新司祭、
アルン神父、大西神学生、越智神学生
を取り、人と会うたびに親密に交わり、勉強に
関して一生懸命という角田さんの鮮やかな性格
に疑いなく憧れを感じています。
教会の一員として、主の祭壇に近づくこの聖な
チオの息子として、イエズス会の仲間として、
このように、神と人への奉仕に真の喜びを感
じる角田さんが、角田家の誇りとして、イグナ
することができるのだと思います。
祭壇を通してその喜びをたくさんの人々と共有
をたっぷり注がれたからこそ、司祭として主の
が、優しいご両親と尊敬する妹さんに愛と信頼
せん。日本の一般家庭で生まれ育った角田さん
角田さんにお世話になったことは少なくありま
してくれるなど、実際的な日常の現場において
まだヨチヨチ歩きの私の説教や論文のチェッ
ク、また人生相談などを真夜中でも丁寧に対応
新司祭の横顔
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金神父叙階式の様子
こんな私でも良かったら
住
田
省
悟
二〇一五年七月一日、日本で神学を勉強され
た金さんは、ソウル、明洞のカテドラルで、九
人のイエズス会員と共に司祭に叙階されまし
を思い起こさせました。金さんの助祭叙階式は、
た。聖堂は立錐の余地もないほど参列者で一杯 二〇一五年三月一四日、聖イグナチオ教会のマ
となり、雰囲気は最初から喜びと感謝に満ちて リア聖堂で行われたのですが、式終了後、金新
いました。幸運にも、私のすぐそばには、かつ 助祭は、日本語を学んでいる時の一つの出来事
て日本で神学を勉強され、修練長、管区長を歴 を取り上げながら、参列者に次のような感謝の
の申し込みをします。﹃私と結婚をして下さい
︶神父がおられました。 辞を述べました。
任された申︵
Sin,Won-sik
ミサの最初から最後まで泣き続けておられた申
﹁丁寧な日本語の表現を学んでいる時に一つ
神父は、
そばにいる私のことを意識されたのか、 のヒントをいただきました。男性が女性に結婚
﹁この人たちは、すべて私の修練者でした。﹂と
丁寧な表現で、﹃こんな私でも良かったらどう
心の思いを吐露されました。このことを帰国後、 ま せ ん か。﹄ す る と、 女 性 は、 日 本 語 の 美 し い
共同体で分かち合った時、修練長の経験のある
一 人 の 会 員 が、﹁ 私 で あ れ ば、 心 配 の あ ま り、 ぞ。﹄と答えます。私の召命の思いはここにあ
しょう。﹂
も良かったらどうぞ。﹄と神様に答え続けるで
泣くどころではなかったでしょう。﹂と冗談交 ります。私もその女性と同様に、﹃こんな私で
申神父の感慨無量の思いは、私に一つのこと
じりに話されたのが印象的でした。
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金新司祭と住田神父
長い養成の時を経て、﹁こんな私でも良かっ
たらどうぞ。
﹂と、主の招きに応えて司祭に叙
階される金さんの前では、申神父でなくても感
慨無量の思いで涙したに違いありません。
勉学の課程を終えて新たな使徒職に派遣される
プロセスにあって、やはり金神父には、﹁こん
な私でも良かったらどうぞ。﹂という言葉が一
番ふさわしいのだと思います。
どんな使徒職に派遣されるとしても、そして
どんな場合においても、金神父は、﹁こんな私
でも良かったらどうぞ。﹂と主に応え続けるで
しょう。
︵修練長︶
日本管区の会員たちと
共に叙階された新司祭たちと
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イエズス会の養成
イエスの仲間 compania de Jesus への道 ――イエズス会の養成――
一人の若者が司祭として叙階され、人々への奉仕のために働き出すまでには長い
年月を要します。創立者イグナチオとその同志たちは、自分たちのささやかな会を
「イエズスの伴侶」と呼んでいました。この「イエズスの伴侶」としてのイエズス
会の特質は、修練期に始まり第 3 修練に終わる長い養成の日々の中で少しずつ受肉
されていきます。以下、イエズス会の養成の諸段階を説明いたします。
入会前
イエズス会への入会を考える方は、イエズス会召命促進チームが行うプログラムに
参加する中で、修道生活を知り、イエズス会を知り、神様が自分をどこに招いてお
られるのか識別する時間を過ごします。この識別の中で自分の召し出しを祈り求め、
主イエスへの自分の本当の望みを確認していきます。
修練期 2 年
修練期は、世間から一時離れ、修練院の中で自分を見つめ、深く知るための時間
を過ごします。祈りを中心とした生活の中で、イエズス会の歴史やイグナチオの霊
性を学び、30 日間の霊操を通して主イエスとの親しさを培っていきます。こうし
て神の呼びかけを深く確認し、初誓願を立てます。ブラザーの道を歩む会員は、初
誓願後には司祭を目指す神学生と違う特別な養成プログラムに入ります。
哲学期 2 ∼ 3 年
修練期でイエズス会士としての人格の基盤がつくられた後は、それを相応しく
人々への奉仕に役立てる術を学びます。この期間は「知恵への愛」と呼ばれる哲学、
同時に語学等に集中し、考察力、体験を深める能力、他者へ伝える能力等を養います。
中間期 1 ∼ 2 年
イエズス会の学校など、実際に使徒職に生きる現場の会員と共に生活する中で、
イエズス会の活動を実体験します。修練期、哲学期に培ったものが試される期間で
あると同時に、現場で人々に関わり、仕えていくという豊かな体験です。
神学期 4 年
司祭への準備の最終段階。自分自身にとって確固たる信念となったイエスとその
福音が神学の知識によって裏打ちされる期間です。
第 3 修練 司祭叙階後
養成の締めくくりとして、叙階後、約 8 ヶ月間の第 3 修練を行います。改めてイ
エズス会について学び、30 日間の霊操を行い、現場で人々に奉仕する中で、養成
中に得た学識、体験が十全に統合されていきます。
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特集 現場で神と出会う
霊性使徒職
信徒の霊的同伴者の活躍
︱オーストラリアでの体験から︱
小
暮
康
久
そしてコースが修了するまでのプロセスは、履
現在、私は上石神井にある無原罪聖母修道院
に居住し、
イエズス会霊性センター﹁せせらぎ﹂ 修者にとって﹁私は本当に神様から霊的同伴者
の専属スタッフとして働いています。二〇一四 として呼ばれているか﹂という問いの識別のプ
年 か ら オ ー ス ト ラ リ ア の メ ル ボ ル ン に あ る ロセスでもあります。そして遂にコースを修了
の 中 の イ エ ズ ス 会 の カ した者は、イエズス会霊性センターが公に認め
University of Divinity
レッジで霊性、特にイグナチオの霊性や霊操に た 霊 的 同 伴 者 と し て、 オ ー ス ト ラ リ ア 各 地 で
人々の霊的な歩みに奉仕していくことになりま
ついて学び、昨年末に帰国しました。
す。あちらで本当に驚いたのは、実際に、イエ
私が在籍していた修士課程は、イグナチオの
霊操の霊的指導者︵霊的同伴者︶の養成を主眼 ズ ス 会 員 以 外 の 信 徒 が 中 心 に な っ て 霊 操 が 広
にしたものなのですが、驚いたのは、履修者の がっていっているということです。例えば、カ
ほぼ全員が信徒だということです。しかもカト レッジで出会った教員、スタッフのみなさんは、
リックだけでなく、プロテスタントの牧師や信 数名の修道者を除いて、多くは一般の信徒の方
徒もいました。私はフルタイムの学生としてこ たちでした。彼らの多くは、三〇週間の﹁日々
の課程を二年間で修了しましたが、他の履修者 の霊操﹂という形で霊操を体験していましたが、
は、一般信徒として仕事や家庭を持ちながらで 私の貧しい経験に照らしても、彼らが非常に深
すので、通常は四∼五年をかけて修了します。 い霊操のダイナミズムを体験していることには
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アの現実は目の当たりにさせてくれました。
疑いの余地がありませんでした。
信徒の一人一人が神との深い個人的な交わり
もちろん、オーストラリアでも、二〇年くら い前までは、霊的同伴者はすべてイエズス会員 を体験する中で、自らの召命、自らの﹁恵みの
だったそうです。しかし、この二〇年で、上記 名前﹂に出会い、喜びのうちにそれを生きる時、
のカレッジのプログラムなどを通じて、少しず 教会は力強く、﹁生きておられる神﹂を証して
つこのような信徒の霊的同伴者の養成が進んで いく場になっていくのだと思います。神様はそ
きたそうです。あちらでいろいろな人たちの話 れを望んでおられると感じています。信徒の一
を聞いていて、彼らに共通しているのは、実際 人一人が、生き生きと自らの召命を表現し、活
に三〇日や三〇週の霊操を通して神との深い個 躍できる場が教会の中に広がっていくために、
人的な交わりを体験する中で、彼らが、﹁霊的 日本でもそのようなプログラムを作っていきた
同伴者﹂という神からの呼びかけ︵召命︶に出 いという望みを強く感じています。
︵イエズス会司祭︶
会い、喜んでそれに応え、神の恵みによって霊
的同伴者として少しずつ成長しながら、喜びの
うちにその召命を生きているということです。
このような信徒の人々の姿に触れることは、私
にとって言いようのない深い喜びでした。自分
自身の固有の召命と出会いそれを生きる彼らの
喜びの姿は、
何にも勝る福音の証となって、オー
ストラリアで広がっていったのだと思います。
今や、﹁霊操をする側﹂から﹁霊操に同伴する側﹂
へ信徒の人たちの活躍の場が広がっていったの
です。
霊操の霊的同伴という﹁現場﹂で働かれるの
は、何よりもまず神御自身です。霊的同伴は人
間的な身分や肩書や能力でなされうるものでは
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ありません。霊的同伴は神の恵みに基づくもの
であり、信徒の中にも、その恵みの場に招かれ
ている人々がいるという事実を、オーストラリ
オーストラリアのカレッジでスタッフやクラスメートと
中学・高校の使徒職
イエスの福音が学校で生きる
萱
場
基
に伝える教育使徒職に、司祭叙階から二〇年目
りました。掲示物によっても、学級の雰囲気は
味わうことがないように、学級の運営に心を配
﹁だいじょうぶ。あなたは生まれてきただけ
で、すでに祝福された存在です﹂と子どもたち
の私は派遣されています。
大きく変わります。生徒たちの写真が貼られた
Happy birthday to YOU !
授業︵倫理や宗教︶の始めに、これからの一 教室は子どもたちが和める空間になります。そ
週間に誕生日を迎える生徒たちを紹介していま して、写真を通して、生徒たちは学園生活の中
す。一人ひとりが、神によって祝福されてこの での自分と仲間を、共に生きる主体として意識
世に生を受けた誕生日。この日を教室の仲間と していきます。
ともに確認します。授業の日がちょうど誕生日
子どもたちが互いをケアする共同体
に あ た る 生 徒 が い る 時 は み ん な で〝 Happy 福音書には、イエスが弟子の共同体を大切に
birthday to YOU〟! を 歌 い ま す。 他 者 へ の 関 育てたことが記されています。学校でも共同体
心が薄れがちな現代、誕生日を共に祝うことを づくりは大切です。子どもたちが互いにケアし
ます。子どもたちは学校生活の中で様々な困難
通して、互いの存在を確認することは大切なこ あう共同体を育むことが求められている気がし
とだと思います。
に直面します。挫折も味わいます。コミュニケー
子どもたちが安心できる教室
派遣された泰星学園︵上智福岡︶と栄光学園 ションが難しい、いわゆる発達障がいと診断さ
で学級担任をしました。子どもが居心地のよい れた子どもはいっそう大変です。そんな子をサ
学級、教室という空間で誰も惨めさや寂しさを ポートするのは教師よりも実は同じ学級の子ど
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な営みの一つがここにあります。
級と学校を作っていくこと、教育使徒職の大切
会にあって、互いに支え合う共同体としての学
られ、失敗は﹁自己責任﹂に帰せられるこの社
もたちです。一人ひとりがバラバラに孤立させ
ようです。すべての子どもが学校で大切にされ、
るとは、神という概念を教えこむことではない
る生き方です。キリスト教学校が福音宣教をす
と受け入れたすべてのキリスト者が招かれてい
喜びの現れでありたい﹂。イエスをキリストだ
食卓も囲む共同体
﹁だいじょうぶ﹂と感じられる学校。﹁あなたは
共同体づくりには一緒の食事も大切な要素で 神に大切にされている、かけがえのない存在で
す。担任をした学級では学期の終わりに、ドー す ﹂ と 福 音 を 証 し す る 教 育 使 徒 職 の 営 み を、
ナッツ・パーティーやカレーライス・パーティー 神さまが祝福し、いつくしみをもって導いてく
︵栄光学園中学高等学校
教員︶
のお食事会をしました。カレーライスは子ども ださいますように。
たちのお母様方が作ります。このお食事会は母
親たちの共同体へと発展しました。思春期=反
抗期で家では何も話さなくなった子どもたちの
学校での様子を知り、母親どうしも親しくなっ
て、協同して子どもを育てていく母親の共同体
が生まれました。
イエスの福音を証しする
自社の機器備品で構成される教室を紹介する
企業のパンフレットに、次の一文がありました。
﹁ 市 場 価 値 の 高 い 人 材 を︹ こ の 教 室 で ︺ 育 成 し
ます﹂
と。人間を材料とみなし、市場価値によっ
て評価しようとする人間観に対し、キリスト教
学校が﹁あなたはかけがえのない存在﹂という
人間観を示し、それに基づく教育をした時、そ
れは社会に対してイエスの福音の真の証しとな
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ることでしょう。
﹁わたしそのものがイエス・キリストの福音、
栄光学園のスポーツ大会にて
大学使徒職
﹁若者﹂の恵みを生かす
大学教育の現場
フィルマンシャー・アントニウス
ます。確かに、自分の青年期を振り返ってみる
と、最も避けようとしたことは深く考察するこ
とでした。青年期にある若者は、誰でも人生の
教えたいことは﹁象徴﹂の神学のみならず、ど
れほど私自身の人生が象徴的な見方を抱いたこ
とによって変わってきたかということも含まれ
散らばっている情報に巻き込まれて多方向に左
上智大学での使徒職の現場は若者の教育現場
です。若者の教育現場での振り返りを述べる前 右されている若者に魅力のある教育課程になり
に、まず、現代教育からの挑戦を指摘したいと 得るでしょう。
思います。グローバル社会の技術革新に影響さ 私は二〇一四年度秋学期から上智大学で勤め
れて、教育の場は単に知識を教える場ではなく 始めました。自分の専門分野は典礼神学であっ
なり、教師がどのように教えられる知識を適用 て、その中で主に興味を持つ分野は典礼を通し
しているかという場にもなっています。ただ知 ての司牧神学です。統合教育のことを心に留め
識を得るためであれば、誰でもバーチャルな世 ながら、自分の専門分野に合わせて、私は上智
界にアクセスをして、いくらでも知識を集めら 大学生との間で使徒職を行ってきました。典礼
れます。だからこそ、フォーマルな教育を通し による司牧神学は、特に、﹁象徴﹂の哲学的神
て学生が学びたいことは、まさに、世界に散ら 学に基づいて論じられる分野のことで、﹁象徴﹂
的な見方を学生に培ってもらうことをこの使徒
職の目標としています。すなわち、授業の中で
ばっている知識をどのように自分の人生と結び
つけられるかという技術です。それゆえ、教育
現場で教師が行うべき仕事は知識の〝生きてい
る姿〟を示すことです。言うまでもなく、純粋
な知識を教えるのは教師の基本的な使命ではあ
りますが、それに加えて、知識を身につける時
の試行錯誤の経験に基づく教育も教師が行うべ
き教育だと思います。このような統合的教育は、
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楽しみと出会いたいものです。それは若者の自 くる素直な問いかけという人間の芸術性を育成
然な姿でしょう。しかし、その自然な姿に深い するのは教育の現場で果たされるべき教師の役
考察時期が伴わなければ、青年期はあっという 割です。大人に成長すればするほど、この人間
間に過ぎ去ってしまいます。だからこそ、象徴 の問いかける芸術が消えつつあるからこそ、﹁象
的な見方の訓練が大切なのです。実際に私は象 徴﹂の役割が必要とされています。バーチャル
徴的な見方のおかげで、青年期において人生の な世界で様々な問題の解決を探求するのではな
真の楽しみはどこにあるかと徐々に考えるよう く、バーチャルの世界で見つける様々な情報を
になりました。その自分の経験を分かち合いな フィルターしながら意義のある問いかけを見出
がら、象徴的な見方を若者に培ってもらうのが すことは教育における不可欠な訓練であり、不
可避な挑戦であると思います。そこで、意義の
私の使徒職です。
あることへ憧れを育成するための手段として、
そもそも、象徴的な見方とは何でしょうか。
簡単に言えば、それは全てのものごとや出来事 ﹁象徴﹂的な見方の訓練が位置づけられていま
の裏に意義があると確信し、その意義を探求す す。
︵上智大学講師︶
る見方です。
﹁ 象 徴 ﹂ と 出 会 う 人 間 は、 自 然 に
その象徴の意味を問いかけることに招かれてい
ます。すなわち、この見方は、人生の中に起こ
り得る全てのことに問いかけを持つことに特徴
付けられる見方です。私たちは子供の頃、様々
なことに興味を持って問いかけますが、成長す
るにつれて問いかけられなくなります。私は人
間のこの自然な成長を留めるつもりはありませ
ん。ふさわしい時にふさわしい疑問を持ち、ふ
さわしく問いかけるのも大人としての知恵のし
るしであるということも認めます。しかし、そ
れで子供の頃から始まった、問いかけるという
習慣が大人になれば取り消されるわけではあり
ません。子供の質問が親を困らせるのはよくあ
る出来事です。子供の問いかけは素直で、誠実
な心から来る問いかけです。この誠実な心から
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社会使徒職
なぜ神をさがし求めるのか
沖
下
昌
寛
もう三〇年前のことですが、二十歳の時にひ
きこもり四年近く過ごしました。その時の経験 入会前に会社の残業でクリスマスのミサに参
は忘れられないし、今の自分にとっても大切な 加できなかった時、仕事をしながら﹁ここに幼
ことです、と自己紹介をしながら、ひきこもり 子イエスが生まれるのだろうか﹂と思い始めて、
支援﹁七十二人の集い﹂を始めて足かけ六年に ﹁いや、ここには生まれないのではないだろう
なります。私は、ひきこもり経験者として、ま か?﹂と感じる自分が居ることに気付きました。
た発達障害学習障害の当事者として、当事者研 それから受洗後三年を過ぎて、離職し修練院に
究︵精神疾患当事者の自己主導型研究のこと。 入ったのです。入会してからもこの思いを保っ
と 英 訳 す る。︶ を す る か ていました。毎年降誕節の間、幼子イエスはど
self-directed research
たわら、教会においても﹁ひきこもりの家族﹂ こにお生まれになるのだろうか、と思いを新た
ち会うというイメージを持っていて、何かの時
のために相談支援などの活動をしています。家 にしていました。私は救い主が生まれる時に立
族の前に本人のための何かができればいいので
すが、
本人はひきこもっていて外に出てこない、 に自分を支えるために役立ちました。困った時
の訪れがあり、広い意味で精神保健的な活動に
なることが多く、また様々な精神疾患の当事者
り支援とは言うものの家族、特に母親が対象に
ではないと思いました。
たちの町に救い主がお生まれになるほどのこと
成から少し逸脱した時がありましたが、今日私
どころなのです。ある時、私はイエズス会の養
人とは関わらない場合が多いのです。ひきこも にも、まだ大したことではないと思い直すより
なっています。
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です。疲れているのなら疲れたままで、痛みが
ルカ福音書には、イエス誕生の直後に羊飼い 活動のスタイルはとても簡単です。一人一人
たちが訪れたくだりが記されています。羊飼い が自分自身を見つめ、互いに励みを与え合うの
は天使から教えられたしるし﹁布にくるまって
も思っていません。むしろ真理との出会いに導
も神が人間の姿をまとって今私の前に現れると
がしかし私には天使のお告げもないし、自分で
も、神の目にはふさわしいのだと思います。こ
己イメージは人に見せる自分とは違っていて
とにしたりせずに、認めて行くのです。この自
たりせずに、ないことにしたりせずに、他のこ
飼い葉桶に寝ている﹂赤子を探し当てたのです。 あるのなら痛いままで。素の自分の姿形を伏せ
かれているとでも言うようなものであって、自
の信仰の事実が人の励みになるのです。
あらためて﹁どこで﹂と問うのなら、真理と
出会うために、私はどこで語り、どこで人と関
分の足で歩みゆく道のりなのです。私が真理に
出会う時、
﹁布にくるまって飼い葉桶に寝てい
る﹂ような、見ればわかるような形を保ってい
は あ り ま せ ん。﹁ い つ ﹂ も﹁ ど こ ﹂ も、 実 は い
るのでしょう。それは、どこになのでしょうか。 わるのでしょうか。もちろん活動拠点の問題で
どこで真理と出会えるのかと問い続けていま
︵イエズス会ブラザー︶
す。
どこに救い主が生まれるのかと問うことは、 つでもどこであって、常に今ここになのです。
私にとっては信仰における事実確認のようなも
のです。
定期的な活動として﹁ひきこもり支援の意向
のミサ﹂と﹁分かち合いの会﹂を月一で開き、
相談室の一つを担当しています。そこでは、ま
さに様々な出会いに恵まれています。出会う方
たちは、ある人は布にくるまれて飼い葉桶に寝
かされている、または裸で荒れ野に置かれてい
る、あるいは産着を着せられて揺り籠に寝かさ
れている、などなどです。私は一人一人の具体
的な姿形を最初のしるしとして関わるのです。
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教会使徒職
出会いは宝
恩
地
誠
人は一生のあいだに様々な出会いと出来事を
経験します。それは人に内面的にも外面的にも 働 者 の 仲 間 と し て 働 い て い た ブ ラ ザ ー シ ケ さ
影響を与えます。私も様々な出会いと出来事を ん、ブラジル派遣直前で今もアマゾン川流域で
経験しました。まず、神奈川県三浦半島からの 司牧している堀江節郎神父、彼らと出会わせて
赤い富士山を思い出します。葛飾北斎の﹁富嶽 くれ常に現場に向かう林尚志神父です。林神父
三十六景﹂で名高い赤富士を見たのは横須賀市 は﹁イエズス会員とはフロントに派遣され奉仕
の武山頂上に建つ NTT
横須賀電気通信研究所 する者だ﹂と言っていました。私はそれを、聖
からです。私は自動車電話と携帯電話システム イグナチオの﹃自叙伝﹄で、﹁キリストのよう
の 実 用 化 研 究 を し て い ま し た。 一 九 七 九 年 の に人々を助けたい﹂という創立者の持続する情
一二月三日聖サビエルの祝日、日本初の自動車 熱、総長代理ナダル神父の﹁イエズス会は誰も
電話公共サービスが東京で開始後、私は自動車 世話せず無視されている人々のことを心にかけ
電話を全国導入するため NTT
中国通信局に移 る。これがイエズス会創立の根本理由である﹂
り、全国テレビ回線デジタル化の企画設計や予 証言で確認しました。青年仲間と﹁島根山口青
算国会への提出資料作りなど徹夜作業もしまし 年連合﹂を立ち上げ小教区を超えた連帯活動も
た。仕事は厳しいが創造的で楽しく、上司や同 しました。当時の仲間は今も各小教区信徒とし
僚や部下ともよい関係で﹁どうすれば出世し、 て奉仕しており、後に同じイエズス会員となっ
どうすれば経済的に安定した生活を送れるか﹂ た柳田敏洋神父も﹁青年連合﹂の仲間、わが青
春の出会いと出来事です。
も知っていました。
今年は日本の敗戦七〇周年。戦中に無実で投
そんな中、主と出会う霊操体験で生路選定の ﹁人生の方向転換﹂をしたのは、現場で働くイ 獄された外国人司祭たちがいました。イエズス
エズス会員との﹁出会い﹂からでした。建設労 会総長となったアルペ神父も山口で牢に入れら
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れました。故アルペ総長が自らの体験から、小 職から本堂下に秘密の地下空間とトンネルがあ
教区で働く司祭の資質について次のように指摘 り、歴代住職の﹁キリシタンを匿った﹂と言い
しています。
﹁小教区で働く司祭に求められる 伝えもあると明かされて確認し、﹁萩巡礼ウォー
資質は、使徒的熱意・真の創造性・人に対する ク﹂コースに加え、誰も世話せず無視されてい
温かさ・組織運営の才能﹂。これらの資質は簡 た潜伏キリシタンを住職が匿った﹁慈悲心﹂に
単ではありませんが、他の使徒職から小教区へ 感謝しつつ萩城下町を歩き、長崎浦上信徒が明
異動する会員には、人間的・文化的・霊的な﹁変 治維新後六年間も拷問下で信仰を証した地﹁萩
容﹂が求められます。また、地方で働くには﹁謙 キリシタン殉教者記念公園﹂まで毎年巡礼をし
遜﹂が重要だと思います。組織と職員に助けら ています。
れていたことに気づかずに、地方の文化や田舎
イエズス会創立以来、﹁仕える者﹂に出会う
の人々との間合いも計らず竹刀を振りまわす言 人々が神から愛され赦されていると感じられる
動で信徒から抜き胴一本を取られる会員もいま ように、教会が﹁隠れ場所﹂や﹁居場所﹂にな
した。逆に、見事な変容の会員との出会いもあ れるように、各地のフロントで働くイエズス会
りました。木村信行神父です。元米兵の彼は終 員との﹁出会い﹂が待たれています。
戦後、イエス様の﹁汝の敵を愛せよ﹂の言葉に
︵広島教区萩教会主任司祭︶
応え、敵だった日本人に奉仕したいと日本派遣
を希望、原爆投下された広島の学院で若者教育
に貢献し、定年後は山口地区で信徒にも市民に
も謙遜で親切な神父だと有名でした。彼は癌を
発症していましたが、従順に津和野教会派遣を
受けとり、夏暑く冬寒い津和野に独り住み、全
国の巡礼者や修学旅行生を乙女峠に案内し、﹁乙
女峠殉教者祭﹂を続けてくれました。私も彼の
教会司牧に倣い、フィリピン人母子やベトナム
人研修生の相談、病人とりわけ癌ホスピス病棟
の人の﹁病者の塗油﹂や最期の﹁赦しの秘跡﹂
に昼も夜も出かけます。
派遣された地での出会いも大切です。萩市内
には仏教会・神社・キリスト教会が諸宗教対話
をする﹁萩宗教者懇話会﹂があります。ある住
萩教会の洗礼式にて
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神学期
﹁効率﹂と﹁実り﹂
大
西
崇
生
神戸の六甲学院での中間期の後、二〇一四年
からフランス・パリのサントル・セーヴル︵パ ているのは三五∼六五歳の九人からなるグルー
リ・イエズス会大学神学部︶に派遣され神学を プで、定期的に集まり、あらかじめ用意された
勉強しています。私の所属するヴァンヴの神学 テーマに従い、各人が日々の振り返りに基づい
生共同体︵パリ市のすぐ南に位置︶は現在二七 て、分かち合いをします。私の役割は、分かち
人を擁し、国籍もフランス、ベルギー、ポルト 合いとやり取りを傾聴し、そこに見られた特徴
ガル、エジプト、ルワンダ、ブルンディ、コン 的な﹁心の動き﹂を取り上げて、聖書や聖イグ
ゴ・ブラザヴィル、インド、インドネシア、日 ナチオの﹁霊操﹂と絡めつつ助言を行うことで
本、アメリカ、ハイチ、メキシコ、コロンビア、 す。しかしグループの同伴は、一対一の同伴と
ブラジルの一五ヶ国と多彩な構成です。さまざ 異なり、グループに流れるダイナミズムをくみ
しなければならず、また当然そこには言葉の壁
まな管区から来た、異なる文化・背景・性格を 取り、個人への指摘に集中することなく助言を
持った同世代の神学生との共同体生活は私に
にある霊性の一体感を感じられる恵みの体験と
ことは、やはり簡単ではありません。
ンスを感じ取り、適切な言葉を選んで発言する
とって、イエズス会の国際的な多様性とその中 もあり、心の深みから発せられる言葉のニュア
なっています。
題で私は、真の預言者と偽預言者の識別基準を
ちょうどミニステリアの現場での自分の不如
私はミニステリア︵神学生の使徒的奉仕の機 意を痛感していた頃、サントル・セーヴルの課
︵クリスチャン・ライフ・コ
会︶として、 CLC
ミュニティ︶の同伴をしています。私が同伴し
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エレミヤ書二八章一一節と一二節の間に、つま
いての黙想へと導かれていきました。私たちは
並行して、私は﹁効率﹂と﹁実り﹂の違いにつ
の生きざまが私の心に留まり、小論文の考察と
いまま一人その場を立ち去ってしまうエレミヤ
ンヤの露骨に挑発的な行為に対し、何もできな
いて、エレミヤの首の軛を打ち砕くというハナ
きました。その過程で、エレミヤ書二八章にお
させているかを考察するささやかな小論文を書
一八章二〇∼二二節をどのように再解釈し深化
歩みをもって今学ばせていただいていることで
め、新たな歩みへと生かすこと、これが蝸牛の
びと使徒的奉仕の営みを祈りの中でまとめ深
たす。﹂︵イザヤ五五章一〇∼一一節︶神学の学
ことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果
わたしのもとに戻らない。それはわたしの望む
たしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、
え、食べる人には糧を与える。そのように、わ
芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与
しく天に戻ることはない。それは大地を潤し、
い。﹁ 雨 も 雪 も、 ひ と た び 天 か ら 降 れ ば、 む な
め ぐ っ て エ レ ミ ヤ 書 二 八 章 八 ∼ 九 節 が 申 命 記 ﹁実り﹂へと導かれることを深く信頼すればよ
りエレミヤが屈辱的なかたちで公衆の面前を立
す。
︵イエズス会神学生︶
ち去ってから、主の言葉が彼に臨むまで、どれ
ほどの時が流れたのかを知りません。神の働き
は、私たちの思惑を超えて、時にそれなりの時
間を必要とするようです︵エレミヤ書四二章七
節参照︶
。エレミヤという人は、自分の人間的
な力に頼むのではなく、時に長い時間をかけて
実現する神のみ旨に純粋に身を委ねきっていた
人なのでしょう。適切な助言ができただろうか、
ふさわしい奉仕ができただろうかと、人間的な
﹁効率﹂性の視点から使徒的奉仕を考えるので
はなく、拙い私を通して聖霊が私の同伴するグ
ループの各人の心のうちに働かれ、時に︵非効
率なまでの︶長い時間をかけて、本当の豊かな
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中間期
神よ、あなたはいずこに
︱︱東ティモールでのイエズス会中間期
村
山
兵
衛
沖縄県宮古島から赤道をまたいでまっすぐ南 んでいます。
に三七二〇km ︱ 二一世紀最初の独立国、東
二〇歳以下が人口の半数を占めるこの国で、
教育は大きな課題です。高い出生率により大勢
ティモールがそこにあります。独立後の混乱を
へて約一〇年となる現在も、ポルトガル、日本、 の生徒が学校に押し寄せるなか、インドネシア
るには多くの月日を要します。特に地方では中
インドネシアによる長い植民地時代の傷跡が、 占領時代に失われた学校施設や教師の穴を埋め
街 や 道 路 の い た る と こ ろ に、 人 々 の 心 と 体 に
る成人の約半数が字を読めないという現状にも
高教育まで受けられる子どもは限られていま
二〇一五年三月に第一勉学期︵哲学・教職課
程等︶を何とか終えて、現在私は東ティモール
かかわらず、生徒たちは公用語のテトゥン語と
残っています。
の首都ディリから少し離れた漁民の村にある聖
ポルトガル語、そして英語を学び、さらに僅か
す。言語も教育現場の課題です。親世代にあた
イグナチオ・デ・ロヨラ学院にて、中等教育に
奉仕する﹁イエズス会中間期﹂を行っています。 に配布されたポルトガル語表記の教科書を使っ
二〇一六年現在、創立四年目となる同学院で、 て他の教科を学ばなければなりません。
私は音楽・美術と宗教・倫理の教員また中一の
家庭や地域における貧困、教育の重要性に対
する親の理解不足が、子どもを家事手伝いや賃
成中の未熟な神学生でもあり、さまざまな経験
整備の道路を経ての通学にかかる時間やお金、
金労働に従事させる場合があります。しかも未
クラス担任兼学年主任として働いています。養
や出会いを通して生徒や教師たちから多くを学
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く、中途で挫折する子どももかなりいます。
政府の力不足のために、生徒の学習達成度は低
者文化、学校設備や教員養成を計画・管理する
質素すぎる食事による栄養失調、荒廃が進む若
で﹁ か す か な さ さ や き の 声 ﹂︵ 王 上 十 九 参 照 ︶
三二参照︶、嵐や地震や火事のような日々の中
ブ の よ う に 夜 通 し 格 闘 す る こ と も あ れ ば︵ 創
と湧いてくるのです。明日のことに悩んでヤコ
聖イグナチオ学院では、地元の村から歩いて をただひたすら待ち続けるしかないようなとき
くる生徒と、ディリや他県からからバスに乗っ もあります。不安や自尊心、疲労や緊張に押さ
てくる生徒がともに学んでいます。奨学金制度 れて、現場で他者を、自分を、神を見失うとき、
通して、神さまは思わぬところから呼びかけ、
や地方出身の子どもの入学支援︵学習サポート︶ きっと誰かを通して、出来事を通して、祈りを
にも力を注いで、恵まれない境涯にある子ども
たちに質の高い教育を提供しようとしています。 通 り 過 ぎ て 行 か れ る の だ と 思 い ま す ︱﹁ い つ
﹁中間期﹂
ですが、毎日が試練の連続です。テトゥ くしみ深い、父のように。﹂
︵イエズス会神学生︶
ン語の勉強不足ゆえ、言われた仕事がいつまで
神のみ旨はいずこに。それを探し求めること
たってもうまくできず、生徒の名前は呼び間違 こそ、神よ、あなたのみ旨。
えるわ、生徒に優しくしすぎては馬鹿にされる
わ、叱りすぎては泣かれるわ、同僚や先輩から
の﹁優しい﹂忠告や指摘に肩をがっくり落とす
わ、の日々。生徒の相談相手や訓育指導、加え
て授業準備、宿題チェック、試験問題作成、成
績提出⋮
自分の識別や決断が多くの生徒の成
長と経験に影響する生活。小さな責任が積もり
に積もって、ついひと言﹁神はいずこに﹂とつ
ぶやいてしまうこともしばしばです。
果てしない反省の日々、でも大きな目を輝か
せて元気な笑顔で走りよってくる生徒たちを迎
えると、また今日一日をささげる勇気が不思議
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