84 競走馬のスポーツサイエンス 29 青木 修 vol. ウマのバイオメカニクス・4:ウマを操る術・パート4 青木 修(あおき おさむ) 獣医学博士・獣医師 所属:㈳日本装削蹄協会 1950年生まれ。1974年、 麻布獣医科大学(現: 麻布大学)獣医学科を卒業し、日本装蹄師会 入会。1979年麻布大学大学院博士課程終了。日本装蹄師会 で装蹄師教育にかかわるかたわら、装蹄理論を確立するた めに、バイオメカニクスの視点から馬の歩行運動の研究に 従事。著書に「装蹄学」 、 「日本装蹄発達史」など。現在、 日本各地で活発な講演活動も行っている。2004年、アジア から初めて国際馬獣医師殿堂入り。 しい。ウマやアヒルなどの動物をかたどっ た木の本体に、自由に振り子運動をする2 競馬の騎乗スタイルは独特だ。アブミを 力が発揮されるタイミングだ。 本のアシが付いた単純な玩具だ。これを坂 極端に短くし、アブミに踏ん張って中腰に 左後ろアシの推進力に注目すると、ステ 道に置くと、 コトコトと坂道を歩き出す。こ なり、騎手のお尻が鞍に着くことはほとん ップの前半、つまりアシが直立するよりも れは本体の重さを利用した歩行モデルの一 どない。このスタイル、Two Points Seating 前から推進力が生じている。言い換えれば 種である。アシの着地点よりも前方に本体 (俗に〝モンキー乗り〟 )は、どんなメリッ この時期、アシは地面を引っ張るように働 の重心が出れば、 重力によってアシには前方 く。本来、アシの着地から直立するまでは、 に倒れようとするモーメントが働くのである。 物理的に制動力が働く。この時期に制動力 この玩具は、その重さを利用するために、 を抑えて、推進力を発揮するためには、ア 坂道でなければ歩けない。が、動物は、い シを強く後方へ引き戻す力が必要である。 っぽうのアシで対側のアシの上に身体を押 騎手は、ウマの負担を可能な限り少なく そこで後ろアシの筋電図を調べてみた。後 し上げることで、平坦地や上り坂でさえ、こ して、その能力を最大限発揮させなければ ろアシを後方へ引き戻す筋群は、まさに蹄 の玩具と同じ重力エネルギーを使えるのだ。 ならない。ウマの背中にまたがってみよう。 の着地前からアシが直立する直前まで働い この事実を踏まえて、再度、グラフを見 ウマが走り出すと、乗った人の身体は上下 ている。つまり、左後ろアシの推進力がス てみよう。左前アシの推進力はステップの 左右に突き動かされる。これを反撞(はん テップの前半から生じるのは、アシを後ろ 後半、アシの直立後に生じている。この時 どう)という。この反撞をうまく軽減して、 に引く筋群の働きである。 期にアシを後ろに引く筋群には活動が見ら ウマや騎手の負担を軽くする必要がある。 左前アシの推進力を見てみよう。それは れない。とすれば、左前アシの推進力は、ウ アブミに踏ん張ることで、くるぶし、膝、股 アシが地面に直立した後、つまりステップ マの体重が生み出したものとみてよい。こ 関節の3つの関節で効率的に反撞を抜くこ の後半に限って推進力が生まれている。そ れと同じ理屈で、左後ろアシのステップ後 とができる。これが Two Points Seating の こで前肢の筋電図を調べてみた。が、この 半の推進力も、やはり体重を利用した推進 メリットだと説明されてきた。が、このス 推進力が生じるタイミングでは、前アシを 力とみることができる。つまりウマの推進 タイルには、速く走るためにさらに重要な 後ろに引く筋群に活動は見られない。前ア 方法は、筋力と重力によるハイブリッドと 効用が存在している。 シを後ろに引く筋群は、蹄の着地の前後で いうことだ。それなら体重が重いウマの方 図を見て欲しい。右手前のギャロップで もっぱら活動するのだ。つまり前アシの推 が強いかというと、そう単純ではない。重 直進するウマの蹄と地面の間でやり取りさ 進力は、筋力によるものではない。それで ければ、加速に余計な力がいるし、持久力 れた前後方向の力の実測データだ。ウマの は、どんな仕組みが前アシの推進力を生み にも影響するからだ。 身体を前方に押し出す力(推進力)は、左 出しているのだろうか。 トを生むのだろうか。 推進力を生み出す ハイブリッドな仕組み 後ろアシが最大。次いで左前アシの推進力 体重がウマを動かす が大きい。この2本のアシの推進力を比較 してみよう。最も注目すべき違いは、推進 昔懐かしい木のおもちゃを思い出して欲 騎手の重さも推進力増強に貢献 たとえば右手前ならば… 左側の前・後のアシが 推進の主役だ! 後ろにシフト! Two Points Seating の効用 体重を推進力に利用するには、そのステ ップの後半、アシの着地点(蹄)よりも、馬 体と騎手の合体重心が前方に位置しなけれ ばならない。この騎乗スタイルでは、アブ ミに踏ん張って立ち上がる分、騎手の重心 が前方にセットされる。騎乗者がいる場合、 推進力に貢献する荷重は、ウマの体重と騎 手の体重の合計値である。後ろアシでは、そ の着地点に対して、騎手もウマの重心も常 重心 に前方にあるので、騎手のポジショニング に多少の違いがあっても、常に重力を推進 力に使える。が、前アシではステップの後 前にシフト! 半を除き、騎手やウマの重心が着地点より 推進力 制動力 着地時間 も後方にあるので、重力を味方にするには、 前アシは重力を利 用して推進。だか らステップ後半に 推進する。 後ろアシは筋力を 効かせて、早い時 期から推進力に切 り替わる。 騎手がやや前方に乗るスタイルは効率的な のである。 ただし、後ろアシが着地した瞬間、騎手 推進力 制動力 は後ろアシへの荷重を増すように身体をや や後ろに下げる動作をとる。それは、後ろ アシの荷重を増して、強大な推進力を発揮 する後ろアシの滑りを抑える効果を発揮し 着地時間 ている。 (次回は6月17日発売号、運動生理学編)
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