都市発展と都市の暮ら し

日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要
Vol.29(1994〉pp.1−5
都市発展と都市の暮らし
一目本におけるヨーロッパ都市の認識一
佐野
Urban
Development
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場合,旧都市壁は撤去され,環状道路や公園,公共住
「都市」研究におけるヨーロッパ都市の認識
宅などになったが,大聖堂や市庁舎は,常に中心に存
今日,我々が,ヨーロッパの都市を訪れるとき,ま
ず,都心の中央広場とそれを取り巻く大聖堂,市庁舎,
在し,近くに市場や墓地を立地させていた.この都市
の拡大とともに新造されてきた都市壁は,ヨーロッパ
商館などの街並みに,ヨーロッパの歴史と文化を感じ
る。これらは,かつて中世の封建社会のまっただ中で,
終え,最終的には,18・19世紀に消滅するのである。
世界に「秩序ある社会の到来」とともに,その役割を
都市が自由と自治を誇っていたころ,それぞれの都市
しかし,大聖堂と市庁舎は,そのまま都市の中心に存
が自らのカを堅持するために,都市壁を造り,大聖堂
在し,今日のような都市の象徴になったのである。1)
の塔の高さを競い,市庁舎や商館にさまざまな意匠を
都市の象徴となった中世の建造物は,破壊や荒廃に
こらして,都市を築き上げて来た歴史所産である。
都市の成長は,新都市壁を外周に建設し,同心円状
より無残な姿になったこともあったが,そのつど復興
(再開発)され,元の景観を維持してきた。見方によっ
に市域の拡張を図ることによって行われてきた。この
ては,コンパクトで窮屈とも思えるいにしえの狭い街
日本大学文理学部地理学科
〒156東京都世田谷区桜上水3−25−40
Depa血nent
of
Sciences,Nihon
Geography,Conege
of
Humanities
and
University,25−40,Sakurajousui3−Chome,
Setagaya_ku,Tokyo艶156Japan
1
(1)
佐
充
野
並みが,近代化の中にあっても,「元の味をこわさず」
だヨむ
に,「景観ができる限り近代化しない」ように,繰り返
し再建されてきたといえる.しかし,再建された建造
物は,外見上はいにしえであるが,内部の造作や設備
は,そのつど,都市における共同生活で許容される範
囲内の最新の技術を取り入れたものとなっている.
ここに,ヨーロッパの合理性と近代化(人工化)へ
の取り組み姿勢が感じられる。
目本の古都である京都や奈良には,多くの名所旧跡
があるが,ヨーロッパの都市のように,中央広場を中
心とする都心および都心周辺部に,凝縮された形でま
藷1難
とまって存在してはいない.むしろ,外縁部を含めた
中世初期(900年頃まで)の居住区
一一一一ライン外市の形成による最初
の市壁拡大(の世紀)
都市域に分散立地しているといえる.また,都市と農
・一・一−
1006年の市壁拡大
幽』一1080年の市壁拡大
(画定された中世の囲壁)
o
教会と礼拝堂
村との境界は,都市壁で区切られていたヨーロッパの
都市のように明瞭ではなく,その景観は,鳥鰍的に,
図1
都心を頂上とするなだらかな丘のようである.
都市は防衛のための壁(構造物)が必要とされるか
②大聖マルティン教会
③聖アポシュテルン教会
④市庁舎
⑤旧市場広場
⑤新市場広場
⑦ホー工通
⑧ブライト通
⑨シュテルネン通
北欧型都市・ケルンの都市プラン
「都市の語る世界の歴史」p.117による
族が存在する広大な大地に立地したヨーロッパの都市
都市のへそ(シンボル)とでもいうべき,古い中央の
広場(Hauptpiatz,Marktpiatz)を中心とした高密空間
では,平和で安全に生活するためには,防備を固める
の街並みが一般的である.それを形造る建造物群から
ことが都市造りの根源であった.一方,ほぼ同質的な
は,中世から今日までの,ゴシック・ルネサンス・バ
否かで,その構造や景観を大きく異にする.多くの民
社会に立地した日本の都市では,基本的に防備の必要
ロックなどの建築様式の変化とその連続性を一堂に見
が無く,一面ではのんびりした都市造りであったとい
ることができる。そして,この中央の広場には,中世
の生活を色濃く残した,噴水があることが多い.
える。
また,広場の周りには,主要な都市施設である市庁
2.都市起源からヨーロッパ都市を考える
舎(Rathaus)・大聖堂(Dom)・商館・ホテルなどが立
ヨーロッパの都市の起源は古い.地中海沿岸地帯の
ち並んでいる。その歴史的な美しさは,今日でも目を
都市は,その起源をはるかギリシャ・フェニキアの時
見張るに値するものである.さらに,都市構造の特徴
代までさかのぼることができる。かつての古代ローマ
として,中央の広場を中心とした年輪(リング〉状の
帝国の領域にある都市では,その多くが古代ローマ帝
都市の発展過程を明瞭に確認できる.(図2)
国の植民都市や要塞に,起源を求めることができる。
この年輪状の発展過程は,ヨーロッパの都市が,防
御上の理由から市街地全体を守る囲郭あるいは市壁
ただし,すぺてのヨーロッパ都市が,ローマの影響
(Stadtmauer)を,都市の成立当時からもっていたこと
を受けていたのではない。中世までの都市発達には,
3タイプあり2),それは,(1)地中海文明の影響を直
に由来する.(図3)都市に人々や物資が集まると,囲
接には受けなかったライン右岸と北ゲルマン地域,(2)
郭内だけでは収まりきれなくなり,囲郭の外にまで市
ローマの都市的伝統が土地の占有形態や生活様式につ
街地を拡大していった.都市は,囲郭の外にできた新
いて今日まで維持されて来ているM.ウェーバーによる
しい郊外住宅とそれを取り囲む緑地をできるだけ包含
ところの「南欧型」(南ヨーロッパ)中世都市の地域,
する形で,次々と,囲郭を外側に築いた。この緑地は,
(3)今日ではローマの痕跡を若干しか残していない,
農業生産のための用地の確保ではなく,将来の増加す
るであろう人口の収容場所としてであった。また,そ
いわゆる「北欧型」(北フランスとライン・ドナウ地域)
の際,防御機能を失った古い囲郭は取り壊し,その跡
中世都市の地域である.
ヨーロッパの都市の全てが,南(地中海)の石造り
地を環状道路や公園,公営住宅などの公共施設用地と
文化を受けついたと言う訳ではないが,ドイツの都市
の多くは,「北欧型」の中世都市から発展したものであ
して利用した。これらのことから,結果として,年輪
状の都市成長の図式ができ上がったのである。
この囲郭の存在は,限られた居住域での人口の高密
ると言える。(図1)
度化と建造物の高密・中高層化を早くから押し進める
つまり,ここで取り上げているヨーロッパの都市は,
(2)
2
都市発展と都市の暮らし
分に保持され,さまざまな都市生活における取り決め
1841−45
が円滑に機能しているのは,まさしく,限られた市街
ブ
地での生活から生まれた都市共同体の理念を市民一人
をり
一人が理解し,責任をもって生活環境を維持していこ
うとする姿勢が日常化していることによる.
しかし,今日では,宗教や生活習慣の異なる海外か
らの移民労働者や政治的難民の流入で,市民社会が変
容している.
3.比較対象としてのヨーロッパ都市の内部構造
日本の都市の基本的な性格は支配者によって計画的
に建設され,運営された宮殿都市,ないしは城郭を中
心とした政治都市である。……城下町に代表される町
1341−45
図2
パリ都市域の拡大
人地は,ヨーロッパ都市の都市壁に相当するのではな
「西洋の都市」p.296による
いか。そこで,主として戦国時代末期以降の城下町を
都市起源とする日本との比較のために,ヨーロッパ都
市の内部構造を同心円構造理論の咀しゃくによって理
解する.
R.E.Dickinsonは,1949年の著作において,西ヨー
ロッパの都市の内部構造を考察し,歴史的な発展と地
帯構造の組み合わせにより,同心円的な3地帯の存在
を明らかにした。
その地帯構造は,都市の中心から外側に向かって,
中央地帯(CentralZone)・中間地帯(Middle
外部地帯(Outer
Zone)・
Zone)に区分された4)。
まず,中央地帯は,市街化の進んだ都市の中心を成
す場所であり,主に中世以来の歴史的な市街地と,そ
れを取り巻く近代以前の拡張された市街地から成って
いる。そこには,市場(広場)・市役所・教会・商館・
図3
ホテルなどの都市施設,富裕層から貧困層までの人々
ゲッチンゲンの都市絵図
Stadtp von G6ttingen(1748)
の住居など,さまざまな都市形成の要素が集中してい
るが,混沌としているために,明確な地域分化はみら
のに重要な役割を果たし,景観上での都市と農村との
区別を明瞭にさせることになった.
れない。また,サービス産業の多くが,中心部への立
地を求めて,進出を競い合っているところである.
また,主要な都市では,鉄道のターミナル駅が当時
景観的には,中世以来の歴史的な建造物と近現代的
の中心市街地の外縁部(つまり,囲郭の外側)に設け
な建造物とが,デザイン的に調和した形で密集してい
られることが多かった.この囲郭の外側に位置するター
る。一方,建ぺい率が高いために,道路や空地の占め
ミナル駅と,中央広場に通じる放射状の道路と古い囲
郭の跡に造られた環状道路とが,相互に作用しあって,
的には,カオス状態にあるといえる。
る割合は低く,道路網も不規則かつ複雑であり,全体
都市内の交通が円滑に行われていた.これは,ヨーロッ
この中央地帯の周辺部には,近代化の象徴である鉄
パ人に潜在的にある防御本能が形になって現れた好例
道のターミナル駅が建設され,副次的な業務中心地を
であり,囲郭を傷つける事なく都市造りを進めようと
形成している。また,今日まで,歴史的景観の保全が
した成果物である3)。
重視されて来たために,初期の街並みのイメージを重
要視した形での再開発が盛んに行われている。しかし,
このようなコンパクトな都市空問における生活では,
自ずから生活上のルールができあがる。ヨーロッパの
市民社会において,自治意識が強く,公共的精神が十
一部には高層化や修復型再開発と並行した形でのスク
ラップ・アンド・ビルド型の再開発による新都心建設
3
(3)
佐
充
野
ン(190万人/西ベルリン,341万人/東西ベルリン1
が中央地帯の外側の場所で進められている。
1989年)やハンブルク・ミュンヘン(160万人・120
万人11988年)などを中心とする州(Land)及びベッィ
ルク(Regiemngsbezirk)ほどの大きさを単位とした都
市システムが形成されている。新生ドイツ(1990年統
一)においては,ベルリンを中心に発展してきた旧東
ドイツ地域の統合により,今までの都市システムが変
中央地帯の外側に位置する中間地帯は,そのほとん
どが,19世紀後半から20世紀初頭にかけて発達した路
面電車の路線網の増加に伴って,市街化された地域で
ある。産業革命以後の工業化の波に乗って,当時の郊
外地域が民間ディベロッパーにより開発されたところ
である。
化しつつある.
都市計画上の特徴はといえば,街路の配置やその幅
員などに計画性がみられるほかは,各開発事業主体が,
4.
各自の目的によって,自由に建設が進められたため,
日本の都市の暮らしに及ぼす影響
4千年前の四大古代大河文明時代に築かれた都市文
中央地帯に比較して,統一性にかけた地帯である.
景観的には,おおむね住宅地といえるが,細かく見
明を起源として,2千年前には西にギリシャ・ローマ,
ると多くの小工場が住宅地のなかに立地している状態
東に漢の巨大帝国が誕生した。地球上での人間の生活
は安定し,それぞれ独自の都市様式を形成してきた・
である。また,河川や運河,鉄道沿いなどには古い工
場群の集積も見られる.総括すれば,商工住の各機能
時は下り,産業革命が人間生活を大幅に変革した19
が混在した,極めて住居密度の高い地域であるといえ
世紀にな、り,西ではロンドンやパリで,東では北京や
る.近年では,移民労働者や低所得者層の居住が多く
東京で都市文化が一斉に開花した。
日本は,西と東に分かれた文明が,4千年かけて最
見られる荒廃地域となっており,再開発の必要性に迫
後に到達した国である5)。
られている地域でもある。
東の文明は1千5百年かけて,徐々に押し寄せてき
いくつかの大都市においては,ポストモダン的,実
験的再開発計画が実施されている地区もある.
た底力のある文明の波であった。西の文明は,この150
年間に怒涛のごとく押し寄せた隔絶感と憧れを覚えさ
都市の最も外側に位置するとされる外部地帯は,第
1次世界大戦後の郊外電車の発達により拡大された住
せた文明のタイフーンであった。
宅地域を中心とする郊外地帯である。
東の文明の根付いた国土に西の文明の洗礼を受けた
日本の近代は,近世において,城下町を中心に,都市
この地帯は,2つのゾーンに分けられ,内側のゾー
ンは,良好な住宅地域で,整然と並ぶ庭付きの一戸建
と公園・遊歩道などのオープンスペースからなる景観
域の限界の無い拡大を繰り広げてきた都市成長の中で,
を呈している。
た。
外側のゾーンは,行政的な市域の範囲を越えた都市
の縁辺部にあたり,郊外電車の発達に加えて,自動車
の普及による農村地域の都市化現象の進展地域である.
(城)」の防御施設として位置付けられ,支配者の意向
随所に工夫されたコンパクトな街づくりが行われてき
ヨーロッパ都市における「都市壁」にかわる「宮殿
のもとに,できる限り「厚く」拡張してきた「町人地」
(都心及び都心周辺部)を中心に,都市(市街地)の至
住宅や工場などは,都市の中心部と農村地域を結ぶ交
通路沿いに建設されるために,この外側のゾーンには,
る処で独特な都市空間の活用が実践されてきた6).
ヨーロッパから発した近代都市が競って苦心の末に
既存の集落を核とした小規模な業務中心地が形成され
ることがしばしばある。今日では,郊外電車の高速化
と道路網の整備などにより,外部地帯の都市化はニュー
考案してきた都心部のアメニティ空間は,都市の起源
タウン開発の進展もあって一層進んでいる。
ない.それは,都市規模(空問密度)や都市人口規模
を異にする目本の都市においては,充分に機能してい
このようにヨーロッパの都市は,中世の都市を基盤
に比べて,アメニティ空間が狭すぎ,都市の暮らしに
に,工業化社会の中で発展を続け,今日のような都市
おける,雑踏の中の憩いとやすらぎを都市生活者に与
システムを形成したのである。一般的には,イギリス
える空間とはなってはいないためといえる7)。
近世以来,無秩序ともいえる都市域の拡大をほしい
やフランスのように,ロンドン(674万人;1988年)
ままにしてきた日本の都市が,名実ともに都市の暮ら
やパリ(219万人;1982年)をプライメイトシティとす
る巨大なピラミッド型の都市システムを築いている.
しに適した生活空間となるためには,都市壁と中央広
しかし,第2次世界大戦後,連邦(BRD)制をとり入
れたドイツ(旧西ドイツ)では,ロンドンやパリのよ
場から始まった「区切り」のヨーロッパ都市の街づく
りの発想から決別し,水平的な都市域の拡大が都市発
展の根源であることに根ざした「広がり」の街づくり
うなプライメイトシティの出現はみられずに,ベルリ
(4)
4
都市発展と都市の暮らし
を推進することが必要である。
平成2〜4年度目本大学総長指定研究「世界の都市化の現
状と将来動向」代表小嶋勝衛の分担研究成果の一部である。
都市が,新しい変化を起こさせるエントロピー空間
であり続けるためには,いにしえの日本の「都市の暮
らし」を現代に活かすことが重要である。
引用・参考文献
1)鯖田豊之(1988)=r都市はいかにつくられたか」,朝
5)尾島俊雄(!984):「絵になる都市づくり」,NHKブッ
目選書357263頁
クス462 136−226
6)光多長温(1991)=都市形成の歴史と都市計画,宇沢・
2)井上泰男(1978):「都市の語る世界の歴史」,そしえ
堀内編「最適都市を考える」東京大学出版会所収
て111−120
3)西川
治(1988):都市のプランと機能システム,西川
189−
218
治編著「人文地理学の基礎」日本放送出版協会所収
7)佐野
充(1987):都市生活と環境,菊池万雄編「近世
都市の社会史」名著出版所収 176−210
125−139
4)山口岳志(1988):大都市地域の構造と動態,西川治編
著「人文地理学の基礎」目本放送出版協会所収 140−
151
5
(5)