司会:小林先生ありがとうございました。それではフリッツ大使のお話に移りたいと思 います。聞き手は所長の小川です。よろしくお願いいたします。 第2部 「ミクロネシア連邦と日本:ジョン・フリッツ大使をお迎えして パラオ台風被害義援金の御礼 小川和美 PIC 所長(以下小川): 皆さんこんばんは。高いところから失礼します。太平洋諸島センターの小川でございま す。今日も大変大勢の方にお集まりいただきましてどうもありがとうございます。フリッ ツ大使をご紹介する前にご報告がございます。 最初は、先ほど小林先生のお話の中にもございましたけれども、パラオの台風 30 号被害 義援金の件です。前回の懇談会の際に受付に募金箱を置かせていただきまして、多くの義 援金を頂戴いたしました。翌日(11 月 20 日)さっそくパラオ大使館にお届けしたところ、 マツタロウ大使から皆さまへ感謝のお言葉を預かって参りましたので、ここにご報告致し ます。この義援金は、最終的には 4000 人以上の方々から 4000 万円を超えるお金が集まっ たとのことです。パラオ政府では、被災復興のための特別基金を設立して、この義援金は その基金に全額振込み、今後は被災地の復興に有効活用を図っていくということでござい ました。 さて、それでは失礼がないようにお話しを伺いたいと思います。駐日ミクロネシア連邦 大使のジョン・フリッツ大使です。拍手でお迎えください。(拍手) 日本留学から始まったフリッツ大使と日本 ジョン・フリッツ駐日ミクロネシア連邦大使(以下「フリッツ大使」): ありがとうございます。この第 14 回懇談会にお招きいただきましてありがとうございま す。 小川: フリッツ大使のことは今夜お集まりの多くの方々はよく御存知ではないかと思いますが、 まずは簡単にご経歴をまとめました。ミクロネシア連邦のチューク州ご出身で、トラック 高校からアメリカのサンディエゴ モンテビスタ高校を経て、東海大学に入学されました。 教育学部国際学科、そして政治経済学部経済学科の二つの学部を出られまして、ミクロネ シア連邦が設立した連絡事務所の勤務から、そのまま大使館の書記官、公使、そして大使 になっていらっしゃるというご経歴でございます。まず大使にお伺いしたいのですけれど も、このご経歴を拝見する限りでは、東海大学に来られるまでというのは、日本には来ら れたことなかったのですか。 1 フリッツ大使: なかったです。 小川: どういうきっかけで日本に来ようということになったのでしょうか。 フリッツ大使: 高校でアメリカに留学して、大学もアメリカで進学しようと思っていた時に、私の叔父、 相沢進注1という叔父がいるのですけれども、彼から電話がありまして「いっしょに日本に 行こう」と誘われたのがきっかけです。ただの旅行だと思っていたのですが、滞在中に日 本留学を強く進められて日本に留学することを決めました。後から考えると、きっと叔父 は最初から私を日本に留学させようと思って日本に連れてきたんだろうなと思います。 相沢進(あいざわ・すすむ) :日系2世としてトラック諸島(現チューク)に生ま れ、戦後はプロ野球選手を経てチューク州の指導者として活躍した。2006 年没。 小林泉著「南の島の日本人」(産経新聞出版)に詳しい。 小川: 最初は日本のことも知らず、日本語も全然わからないままに、日本にこられたというこ とですか。 フリッツ大使: 準備をして改めて日本に来たのですが、来日当初は全くわかりませんでした。飛行機に 乗った時に、 「こんにちは」と「お願いします」の二言だけ覚えて、あとは日本に行けば何 とかなると。 (笑) 小川: 日本語を二言しか御存知なかった中で、いきなり大学に入学されたということですが、 授業はどうやって受けられたのですか? フリッツ大使: 日本に来た時にはもう何にもわかりませんでした。学部に行く前に日本語課程というの があって、そこでまず 1 年間、基本的な日本語を勉強しました。しかしながら1年勉強し たレベルでは、大学の講義はほとんど理解できません。ほんとうに大変でした。苦労しま した。 小川: 2 私も太平洋の島々から来た留学生とよく話をするんですが、半年あるいは 1 年間の日本 語学習では、日常会話はなんとかなるにしても、専門用語や日本語での板書もある大学で の勉強を理解するのはとても難しいと言われます。漢字も含めて文字もその 1 年間で学ば れてマスターされたということですか。 フリッツ大使: 漢字は今でもたいへんですよ。今もまだ勉強している最中です。 1 年間の別科(日本語過程)を終えて、私は国際学科に進み、日本の一般の学生と一緒に 講義を受けることになったのですが、先生の手書きの文字は、みんなそれぞれ特徴があっ て、まるで絵みたいで何が書いてあるか全然わかりませんでした。 「これでは勉強について いかれない」ということで、同じ授業を受けている学生に話しかけて友だちになりました。 最初は私の顔を見て日本人と思っていた人も多かったのですが、とにかく積極的に自己紹 介をして、彼らが取っているノートを借りて毎日それを写しました。3 年間、毎日これをや って勉強しました。 小川: 太平洋から来る留学生は、日本語の授業についていけずドロップアウトしてしまうとい う例が結構多いと思うのですけれども、勉強や日本語学習への努力とともに、大使がそこ を乗り越えることができた秘訣、留学生たちへアドバイスすることはどんなところでしょ うか。 フリッツ大使: やはり積極的に日本人の友だちを作ること、そしてその友だちに助けてもらうことが一 番大きいと思います。 小川: 異文化社会に馴染んでいくためには、そこに溶け込んでいく積極性と社交性が大切だと。 フリッツ大使: まさにそうです。 ライフセービング日本代表、東京マラソン完走 小川: さて、フリッツ大使は 1983 年に国際学科を卒業なさったあと、今度は経済学部に入られ てもう一度学位を取ってらっしゃいます。その頃のものだと思うのですがこれはいつ頃の 写真でしょうか? 3 フリッツ大使: これはカナダで撮ったものですね。私は大学の時にはライフセービングをやっていたの ですが、これは学生の時にライフセービングの代表チームのメンバーとして初めて国際大 会に参加したときのものです。 小川: 東海大学のチームとしてですか? フリッツ大使: いや、これは日本代表、日本のナショナルチームです。 小川: フリッツ大使にはじつは「日本代表」で国際大会に参加された経験がおありだったんで すね。結果はいかがでしたか? フリッツ大使: 外国の代表選手は身体も大きいですし、中にはプロの選手もいます。一方私たちは学生 中心のチームで、団体戦では世界の壁を感じました。でも大会では個人種目もあって、私 はその中で「ビーチフラッグ」という浜で走って海に入り人を助けて帰ってくるという種 目に参加しました。私は足が速くてこれが得意種目だったのですが、じつはこれで私は優 勝したのです。ですので、ライフセービングの世界大会で日本にはじめて金メダルをもた らしたのは私なんですよ(会場拍手)。 小川: フリッツ大使はたいへんなスポーツマンでいらっしゃる。そういえば去年、今年と東京 マラソンを走ってらっしゃるそうですね。 フリッツ大使: はい。本当は私は長距離はあまり得意じゃないのですが、自分を試してみようというこ とで、フルマラソンにチャレンジしました。今年は去年よりちょっとタイムはよくなかっ たのですが、フルマラソンを完走しました。 小川: じつは今年は東京マラソンの前の週に、いわきでも走る予定だったとか。 4 フリッツ大使: はい。いわき市サンシャインマラソンですね。残念ながら今回は大雪でキャンセルにな ってしまいました。 小川: 東京マラソンでは、はるばる北海道から大使の応援に駆けつけて下さる方もいらっしゃ ると伺いました。スポーツをはじめとして、そして来日されたのが 1979 年ですから 35 年 の間、様々な活動を通じて、フリッツ大使は日本との輪を広げてこられたのだと思います。 国交樹立 25 周年:新しい「絆」のはじまり 2008 年に大使になられて以降でも、レインボーネシアの立ち上げ、一昨年、昨年と2年 続けてポンペイへのチャーターフライトの就航、それからまた FSM のみならず、各国の大 使館と連携を取ってパシフィック・フェスティバルという事業をなさったりと、こうした いろいろな活動を精力的になさってらっしゃいますが、去年は 11 月に大きなイベントがあ りましたね。 フリッツ大使: 11 月 1 日の国交樹立 25 周年のイベントですね。私も本当に今までいろんなイベントをや って参りましたけれども、 今回は 25 周年という大事な節目で、私たちと関わりのある方々、 700 人近くだったでしょうか、私自身びっくりするぐらい大勢の方々が集まって下さって大 きなレセプションを致しました。いま思い出してもとてもありがたく思っています。 小川: 各国大使や太平洋に関わっている方々が口々に「FSM はどうやってこんなに大勢集めた んだ」驚いてらっしゃったことを鮮明に記憶しています。 フリッツ大使が日本にいらっしゃる間に、いろいろな友好団体が立ち上がり、いろいろ な分野で活動なさっていますね。今ミクロネシア振興協会とか、関西を中心にポンペイの パッツ(PATS: Ponape Agriculture and Trade School)への支援からはじめて長年 FSM と の交流活動されているフレンズオブミクロネシアとか、様々な民間交流が続いています。 25 周年のキャッチフレーズが、 「ありがとう、そして始めよう」 。こうした皆さんへの 25 年間の感謝の気持ちと、そしてこれからまた新しい絆を築いていこうというメッセージが ここに込められていると思うのですが、さてこれから「始めよう」のところで、大使はど んな計画をお持ちなのですか。 フリッツ大使: 5 先ほど少し話に出ましたが、去年と一昨年、ミクロネシアに直行便が飛びました。その うちの一便は高知県からでした。高知県というのは、モリ大統領のひいおじいちゃんの出 身地で、その縁で直行便のプロジェクトが始まったのです。じつはこの直行便を飛ばす前 に、高知県に高知・ミクロネシア友好交流協会が発足しました。そして直行便で現地を訪 問したあと、 「これからミクロネシアとどんなことをして行ったらいいか」という話が活発 に話し合われていて、小規模でもいいから民間の知恵を出し合って、できるものから考え ていきましょうと計画を練っています。これは、歴史的な関係を踏まえて、そこから新し い一歩を踏み出したいい例だと思います。 小川: その流れで言うと、タロイモを持ち帰ってきて高知の方でいろいろと分析されていらっ しゃるということを聞きました。 フリッツ大使: タロイモをポンペイから 12 キロほど持ってきて、高知県の工業技術センターに持ち込ん だところ、とてもすばらしいタロ焼酎が出来ました。実際に私も高知行って飲んできたの ですが、予想以上に品質が高くおいしい焼酎になりました。これを今後どう展開するか、 いま民間レベルの活動がスタートし始めています。 小川: チャーターフライトを 1 回飛ばして満足して終わりということではなく、それを次につ なげていくということを大使はいつも考えてらっしゃるということは、私も常々感じてい ます。 フリッツ大使: そうですね。漁業では TAFCO(大洋エーアンドエフ株式会社)という会社が、2012 年 にミクロネシアの漁業公社と合弁で TMC(Taiyo Micronesia Corporation)という会社を 設立しました。TAFCO は魚価や輸送コストを考えるともっと安くできる国もある中で、長 期的な視点から将来性があり国が安定しているミクロネシアへの進出を決めました。業績 が良く、最近2隻目の漁船「タイヨー・チューク」を投入しています。 それから鹿児島の枕崎からはミクロネシア海域へ遠洋漁船が出ているのですが、漁獲か ら一歩進んで鰹節にできないか、ということでプロジェクトが進んでいます。そして同時 に、ミクロネシアを単なる漁場として見るのではなく、人と人との交流関係を作っていこ うと言うことで、地元で 8 月に行われる「2014 さつま黒潮きばらん海 枕崎みなと祭り」 の中で「日本・ミクロネシア交流 25 周年記念大会」と題してミクロネシアのことを盛大に アピールしようというアイディアもでています。 6 小川: 文化交流の点で言うと、去年は沖縄にカヌーが来ましたね。 フリッツ大使: そうです。去年は沖縄海洋博物館にチュークのポロワットからカヌーが来て、いまその カヌーが展示されています。ミクロネシアの遠洋カヌーはこのほか沖縄海洋博の時に来た チェチェメニ号が大阪の民族学博物館に、それからもう一隻が尼崎の園田学園に展示され ていて、これで三隻目になります。 小川: それから 2012 年にいわき市が始めた太平洋舞踊祭にもミクロネシアから2年続けてダン シングチームが参加していますね。東京に暮らしているとついつい東京で行われるイベン トや活動のことばかりに目が行ってしまうのですが、広い日本のあちこちでいろいろな形 で様々な繋がりが展開されている、そしてその輪をどんどん広げていく、そういう考え方 は恐らくこれから私たちが太平洋の国々と関わっていく中でとても大切なことですね。 フリッツ大使: 大使館のできることにはどうしても限界があります。その意味で、これからどういう風 に日本全国のみなさん、とくに民間との繋がりを強化していくかということは、大きな課 題のひとつです。これまでミクロネシアに貢献してくださった皆さん、そしてご指導下さ った皆さんと、今後もぜひいいパートナーシップを築いていけたらと思います。 それから、私たちが直接あちこちに行くことは予算や人手の問題からなかなか難しいの が現状ですが、ひとつの方法として、各地で名誉総領事をお願いするということを行って います。最初は近畿地方に名誉総領事を置きましたが、その結果はすばらしいです。非常 に力になって下さり、民間交流がいろいろと進みました。次に北海道。北海道も重要な地 域ですので、こちらでも名誉総領事をお願いしました。これからまた九州とか沖縄とか、 いろいろな地方でそういう形でネットワークを作っていきたいと思っています。皆さんひ とりひとりが、島嶼国またミクロネシア連邦の友人でいていただければ、大変ありがたく 思います。 小川: あっという間にお時間になってしまいました。来年5月にいわき市で第7回の島サミッ トが開催されることが決まっていますが、フリッツ大使は島嶼国の在京7大使のディーン をなさっているというお立場から、最後に、来年の島サミットについて「こういう風に進 めていったらいいんじゃないか」というアドバイスがあればぜひお伺いしたいんですが。 7 フリッツ大使: 私は島サミットがスタートしてからずっとこのプロセスに関わってきました。1997 年に 始まった島サミットがどんどん進化してきたことは、非常にすばらしいことだと思います。 3年に一度、島サミットで日本と島嶼国の首脳たちがいろいろな課題について意見交換 して、環境や経済など様々な分野で協力を深めていこうというメッセージを発信していま すが、そうした関係のすべての基本は、やはり人と人との絆ではないかと思います。です から、今まで作り上げたこの関係を、どうやって次の世代につなげていくかということ、 これが一番大きな課題だと考えています。 来年の島サミットで何がテーマになるのかはまだわかりませんが、人と人との繋がりが 何事においても基礎になるのだということはキチンと念頭に置いて、それを踏まえた行動 計画が必要です。いわき市では太平洋舞踊祭が2回ありましたが、そうした蓄積をふまえ て、よりよいプログラムができることを期待しています。 小川: ありがとうございます。「日本とミクロネシアは海で繋がる隣人」とよく言います。今日 お話しいただいた一つ一つの積み重ねが、太平洋の島々と日本の関係を深め、発展させて いくのだと思っています。センターは大変小さくて微力ですけれども、みなで色々アイデ アや知恵を出し合って、これからの人と人との関係を発展させていきたいと思います。こ れからもどうぞよろしくお願い致します。ちょっと時間をオーバーいたしましたけれども、 第 2 部はこの辺で終わりたいと思います。フリッツ大使今日は本当にどうもありがとうご ざいました。 フリッツ大使: ありがとうございました。 (拍手) (この講演録は、当日の講演内容に基づいて事務局が再構成したものです) 8
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