大阪薬科大学紀要 2012 Vol. 6 Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 旧<教養論叢> 通巻 Vol. 33 大阪薬科大学紀要 Vol. 6(2012) 第1部(総合科学系) Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) Part I (General Sciences) 「ぱいでぃあ」題字:石川九楊 Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 5 人権講演会 アカデミック・ハラスメントについて 御輿久美子 Academic Harassment Kumiko Ogoshi Nara Medical University, 840, shijo-cho, Kashihara, Nara 634-8521, Japan NPO Network for the Action against Academic Harassment (Received December 15, 2011) Harassment which is caused by the abuse of power consists of three kinds of harassment in academia; sexual harassment, academic and power harassment. These three types of harassment are defined and described their characteristics by using an educational DVD and by reading news items. A close relationship between a professor of mentor and the student can be categorized as sexual harassment. The perpetrators of academic harassment are classified as three types; unawareness and abusive perpetrators and the mob. Most frequent cases of academic harassment which occur in the mentoring are unawares committed by professors. Therefore, it is especially important to prevent the occurrence of academic harassment by upgrading communication skills of these professors. It also seems necessary to spread accurate knowledge and understanding about non-sexual harassment to all the faculty members in universities in Japan. key words ---------- harassment, academic harassment, power harassment, communication-skill ハラスメントとは は,上司から部下,あるいは上位の教員から下位 ハラスメントは「権力を利用して行われる理 まず,考えられる.また,水平方向の力関係での 不尽な行為」と定義できる.この場合の「権力」 優位性では,同僚間や一対多,先輩対後輩の関係 というのは「優位な力関係」という意味であり, でおこる. 地位の上下ではない.また,「いやがらせ」とい 学生間でも,クラブでの先輩・後輩であると うと意図的なものだけを指すように思えるため, か,上級生・下級生の関係といったところで力関 「理不尽な行為」の方がよいと思われる. 大学において「優位な力関係」が生じる場に の教員という,上から下への力関係が働く場が, 係が生じる.新入生にお酒を飲ませるというよう なアルコール・ハラスメント,これも学生間での 奈良県立医科大学(准教授),e-mail: [email protected] NPO アカデミック・ハラスメントをなくすネットワーク 本講演録は,大阪薬科大学で2011年10月 7 日に開催された「人権講演会」の講演をもとにまとめたものである. 6 パワー・ハラスメントとみなすことができる. 教員と学生との関係では,教員が単位の認定権 や,卒業認定など学位の授与権を持っているので, アカデミック・ハラスメントとパワー・ハラ スメント 学生に対して圧倒的に大きな力を持っている. アカデミック・ハラスメントとパワー・ハラス 反対に,学生から教員,下から上へ力が働く場 メントの相違は,研究・教育に係わる事項かそう 合がある.最近は学生から教員に対する授業評価 ではないかという点にある. を取るようになったが,「評価」を行う側,この パワー・ハラスメントの場合には,職場の上司 場合には学生が評価の公平性を認識していない場 から部下という形で職務上の権限を利用して行わ 合,嫌いな先生をはめてやろうというような,下 れるものなのでハラスメントか否かの判断はしや から上への嫌がらせというものも,あり得る. すいが,アカデミック・ハラスメントの場合は, さらに雇用形態にかかわる力関係もある.現在 研究・教育という個人の自由裁量権がかなり大き の大学では,さまざまな雇用形態の人が働いてお い事項を扱うので,パワー・ハラスメントより分 り,非正規雇用の場合には正規雇用の人に比べて かりにくい. ハラスメントを受けやすいし,受けたとしてもそ 例えば,誰を論文のファースト・オーサーに こからの救済が難しい. するかという場合,指導をしている教授を必ず このように,優位な力関係というものが,上か ファースト・オーサーにするかというと,そうで ら下,水平方向,そして下から上へというよう もない.だれがファイーストオーサーとなるのか に,いろいろな形で働いているのが現在の大学の ということに関しても,アカデミック・ハラスメ 実態である. ントは起こり得る. 大学の場合には,パワー・ハラスメントには該 セクシュアル・ハラスメント セクシュアル・ハラスメントとは, 「受け手が 嫌だと感じる性的な誘いかけ,行為,環境をつく ること」と定義されるが,大学において特に注意 当しないが,アカデミック・ハラスメントとなる 行為がかなりあると思われる. ニュースにみるハラスメントの実態 すべきことは,「指導・被指導の関係」における ニュース記事から,パワー・ハラスメントとア “ 合意 ” の問題である.つまり,指導・被指導の カデミック・ハラスメントの相違を考えてみる. 関係を前提にして,教員と学生の間に「親密」な また,これらの記事から大学におけるアカデミッ 関係が生じた場合,もし仮に「同意・合意」が ク・ハラスメントの実態,共通点を探る. あったとしても,本当の意味の自由な関係におけ る合意とは見なすことはできないので,あとで覆 された場合には,セクシャル・ハラスメントとな ・京大再生医科学研究所准教授「仕事せんやつ辞 めたらええ」発言 り得る.こういう力関係のある場合,その力関係 現在,大学では学内で株式会社をつくったりで の下での同意・合意は同意・合意とは見なされな きるようになり,そのひとつがこの京大の例であ い. る.社長の准教授が社員に対して「給料もろて, また,もしゼミの中で一人の学生と教員が親密 まともに仕事せんやつは,会社にとって失礼やな な関係になった場合には,他の学生がその教員の いか」とか「会社を辞めたらええやんけ」とか発 指導に対して不平等感を抱くことがある.そのこ 言していた.それがパワー・ハラスメントにあた とはすなわち,教員が学生に対して指導上の公平 ると裁判所で認定され,慰謝料の支払いが命じら を損なうアカデミック・ハラスメント環境を醸成 れたものである. していることとなる. Vol. 6 (2012) ・岐阜大教授の女性秘書に対するアカデミック・ 7 行ったら」と言われたという事件である. ハラスメント事件 この例は,もともと女性秘書に対するセクシュ ・大分大教授のハラスメント アル・ハラスメントがあったように思われる.そ 大分大学の教授が同じ学科の教員らに対して の後,その女性秘書に対するパワー・ハラスメン 「業務命令だ」「辞めろ」と言って無理な命令を繰 トに移ったのではないかと推察される.記事にあ り返し,「パワー・ハラスメント」と報道された るように,「学術書四冊すべてのページに影が出 が,講義中に性的発言をして学生に不快感を与え ないように女性秘書にコピーを命じた」というこ たり,侮辱的な言葉で学生を叱ったりもしていた とであるが,部厚い学術書の開いた中央部に影が ので,実際にはパワー・ハラスメント,アカデミッ 出ないように全ページをコピーするというのは不 ク・ハラスメントそしてセクシュアル・ハラスメ 可能に近い.こういうことは,学術書を良く扱う ントの全てをおこなっていた.この教授のように, 研究分野特有の嫌がらせなので,アカデミック・ アカデミック・ハラスメントやパワー・ハラスメ ハラスメントといえる. ントをする人はセクシュアル・ハラスメントもし ているケースが多い. ・三重大学でのパワー・ハラスメント事件 加害者は国際交流センターの准教授であるが, 教員は職員よりも優れており,職員はこの人にい ・京都工繊大教授の指導している学生に対するア カデミック・ハラスメント われたとおりにするべきであると思っていたよう 京都工繊大の教授が,指導している院生に「バ である.あるとき,この人が書いた文書に誤字脱 カ」とか「ボケ」とか言ったり,棒切れを投げつ 字があったのを職員の人が見つけて,気を利かし けたりしていた.学生は精神的に追い詰められ, て直したことがあったらしい.それに対して腹を 研究意欲を失ってしまったという事例である.教 立て,「事務が何をえらそうなことを言っている 授は,事実関係は否定しなかったものの,それは んだ」,「詫び状を出せ」とのメールを送りつけた 「励ましの意味だった」と弁明している.加害者は, りした.また複数の職員に「おまえなんか早く辞 こういう弁明をすることが多い. めてしまえ」という暴言を浴びせたり,誹謗中傷 メールを送っていた.センターの職員の人たちは ・熊本大学教授のアカデミック・ハラスメント 夜も眠れないとか,出勤するのが恐いという状況 熊本大学でも,ある教授が同様の言動で大学院 に陥った. 生や部下の准教授に精神的苦痛を与えていたが, 教授は「そういう受け止め方があったとしたら, ・神戸大学医学部での退職強要事件 非常に残念」とアカデミック・ハラスメントとは 神戸大学医学部の保健学科で看護学を研究して 認めなかった. いた若手の助教が,研究協力者についての苦情を 教授に言ったところ,意見を聞いてもらえなくな り,研究メンバーからも外されてしまった.その ・長崎大の指導におけるアカデミック・ハラスメ ント ことを別の教授に相談したところ,わかってくれ 長崎大の准教授は,学生を研究に専念させるた るどころか,他の教員と学生の前で「お前は実績 めにアルバイトを禁止し,一方,学会発表を強制 がない」「やめろ」などと怒鳴られてしまった. した.この指導に反発する学生たちに,「できな その結果,体調を崩して出勤できなくなり,診断 い場合は修了を延期されても異議は申し立てませ 書を出した.ところが,その診断書に「適応障害」 ん」という誓約書を書くように強要した.こうい と書かれていたために,上司から「適応障害なら, う場合,言葉だけで誓約書を取らなかった場合で この大学には適応しないということだから,他に も,無理に誓約書を書かせても,どちらもアカデ 8 ミック・ハラスメントである.結果的に学生は精 意があるとみなさざるを得ない行為=積極的 神的に追い詰められて鬱状態になり,学業に支障 加害 をきたしたので,「研究に専念させる」という意 図には全くそぐわないことをしていることに指導 者は気づくべきである.この准教授本人は「研究 を思ってのことだった」と,反省はしていない. 2)消極的に加担する行為=消極的加害 3)意図しなかった行為=無自覚的加害 このうち1)の積極的加害者は,2)の消極的加 害者を巻き込んでおこなう,つまり「集団いじめ」 の形を取る. ・山形大農学部におけるハラスメント 一方,教員から学生に対して行われるハラスメ 当該男性教員は,女子学生に性的な言葉をかけ ント行為は,これまでみてきたように,3)の無 る一方,指導下にある学生全員に「出来が悪い」 自覚的加害行為が多い.つまり,加害行為をおこ などの高圧的な発言を繰り返していた.この案件 なった教員の側にはハラスメントとの自覚がな もセクシュアル・ハラスメントとアカデミック・ い.こういう場合には,まず,ハラスメントに当 ハラスメントの両方が混在している例である.学 たるとの自覚が必要で,それなしにハラスメント 生全員が申し立てをおこなったため,訴えられた の認定をして処分を行ったときには,逆に「これ 教員も事実関係自体は否定できなかったようであ は組織ぐるみで自分をいじめようとしている」と, るが,他大学の例と同様,「ハラスメントのつも 自分がアカデミック・ハラスメントの被害者であ りはなかった」と弁解している. るかのように錯覚してしまう. ・佐賀大教授のアカハラ コミュニケーション・スキル・アップによる これは佐賀大の例もセクシュアル・ハラスメン トとアカデミック・ハラスメントの両方が混じっ ハラスメントの発生防止 ている例である.ある男性教授が学生たちに「卒 教員が学生に指導上無自覚的アカデミック・ハラ 業させないぞ」と叱ったり,机を叩いたりしてア スメントをおこなうことがなぜ多いかを考えてみ カデミック・ハラスメントを繰り返していた.ま ると,これまでの大学とくに大学院における指導が た飲み会などで性的な発言を繰り返していた.山 徒弟制的であり,教員は自分も指導教員から暴言と 形大の例にもあるように,複数の学生が証言した か厳しい叱責を受けて生き抜いてきたという歴史 場合,調査委員会における事実認定はされやす があり,それを大学の指導のあり方として当然であ い.この佐賀大の場合も加害者に反省は認められ ると認識しているのではないかと思われる. ない. それを改めるための方法として,指導される相 手に対して,相手の気持ちを尊重するコミュニ 以上のように,セクシュアル・ハラスメントと ケーションを取ることが効果的であると考えられ パワー・ハラスメント,アカデミック・ハラスメ る.相手の気持ちを推し測って否定的言動をしな ントは混在していることが多く,また,ハラスメ いためのコミュニケーション・スキルを磨く研修 ントを指摘されても加害者は認識せずに反省して が必要である. いないことが多い. 一例を挙げれば,実験で学生が失敗して高価な 機械を壊した場合など,怒りを爆発して[バカ, 加害行為の種類 アホ,死ね!]等怒鳴ってはいけない.どうすれ ハラスメントの加害行為は,次の 3 つに分類さ することやらなければいけない,そのために,コ れる. 1)意図的に行われる場合もしくは意図的で悪 ばプラスにもっていけるかを教育的に考えて行動 ミュニケーション・スキル・アップが必要とされる. Vol. 6 (2012) コミュニケーション・スキル・アップ 9 いにバンと投げ出す(疲れてうんざりとの意 思表示) まず,日常的に否定的言動をおこなわない努力 を行おう. たとえば, 「2R コミュニケーション」の推進 ×「これは命令だ」,「こうやれ!」 「リスペクトフル」(respectful)と「リーズナブ ⇒「これをお願いします.」「こうすれば?」 ル」 (reasonable)の 2 つの頭文字 R から2R コミュ ×「君は馬鹿だ」「バカか!」「アホか!」 ニケーションとなずけているが,この2R コミュ ⇒ こういう言葉は発しない ニケーションをこなうことによって相手から信頼 ×「この論文(レポート)はなっていない」 される指導者となることができる. ⇒ 全面否定せずに,具体的に改善点を指摘 する ×「こんな文章しか書けんのか」「小学生の方 respectful dialogue(相互を尊重した対話) reasonable manner(道理をわきまえた行動) がまだまし」 ⇒ こういう言い方はしない ×「(失敗など)皆が知っている) ⇒ 皆がという言い方は,孤立感を与えるの で,しない respectful dialogue ―― 相互を尊重した対話とは 水平方向の同じ目線での対話の実践である.加害 行為をおこなう人は,上から下か,下から上かの どちらかの目線に限られており,お互いを尊重し ×「おい,お前」,「 ……ちゃん」 た水平方向の対話というのが苦手な人が多い.こ ⇒ こういう呼びかけもしないこと.「……さ ういう人は,上から下をみて自分がいい気分にな ん」と呼ぶこと また,次の 3 つの例のような,周囲を不快にす る言動も改めることが必要である. りたいか,あるいは上の人に媚びるような形しか 取れない. 相互に尊重するというのは,相手を尊重すると ×(ゼミの場などで)足を投げ出していすに腰 いうことである.そのために水平目線を保った対 掛ける.上体をそらせて頭のうしろで腕組み 話をおこなう努力が必要なのである.そして,道 をする. 理をわきまえた行動をとれれば,ほとんどすべて × ペンや指,足などをコツコツいわせる(イ ライラした態度) × 机の上に,持っている本やノートをぞんざ のハラスメントは起こらなくなる.それゆえ,今 後は,この2R コミュニケーションを常に念頭に おいて教育研究を行っていただきたい. Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 11 − Articles − ロボットの思考と生きた人間身体 ―脳神経倫理学的アプローチ― 松島哲久 The Thinking of Robot and the Living Human Body: neuroethical Approach Akihisa Matsushima Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan (Received October 28, 2011; Accepted November 25, 2011) In this paper it is argued that the problematics of robotics should be developed in the relation with the fundamental way of being of human living body. First I discuss the fundamental equality between human body and the body of robot. The grounds of this equality are given by the new knowledges of neuroscience. Second I consider the interrelation among human brain, human body and human mind from the philosophical perspective of monism of mind-body and that of neuroscience. In this case human mind and body are mediated by the human brain. So human brain expresses simultaneously the materiality of the body and the spirituality or consciousness of the mind. In conclusion I propose that the thinking of robot should be comprehended in the interrelation with the human being. The being of robot could be considered as forming the being-in-common-with the human being as living one's own body. In this sense, the mind and body of robot as the being with that of the human could be comprehended in the same direction of the understanding of human brain experience as intermediary of mind and body. key words ---------- neuroscience; neuroethics; thinking of robot; being-in-common-with はじめに の患者の脳と直接に連結して,その患者の脳から 私は「ロボットの思考」というテーマを 2 つの て共働し,さらには人間身体の代替となりうるよ 意味で使用することにする.ひとつは「ロボット うな意味で,主体としての人間および人間身体の という思考」であり,もうひとつが「思考の主体 補助的存在者として考えるのであれ,対話者とし としてのロボット」である.前者において問題と て共に在ることのその共同存在性を形成するもの したいことは,ロボットという人間に近い人工的 として考えるのであれ,旧来のロボットの概念で 存在者が持つ人間との関係性であり,それは「な 問題を捉えることはできなくなってきているので ぜロボットなのか」という問いに対する答えとな ある.そして,ロボティクスの進展と共に,とり るものである.そこで問われるのが,ロボットの わけロボットをその思考性において捉えようとす 概念である.ロボティクスの飛躍的発展によっ るとき,脳神経科学の成果を準拠軸とすることに て,ロボットの概念が大きく変わりつつあると考 よって,ロボットについてのさまざまな先入見を えてよいであろう.ロボットを,たとえば ALS 超えて,問いの地平が一挙に広がって,人間身体 大阪薬科大学 環境医療学グループ,e-mail: [email protected] の直接の指令で作動して人間の身体と一体となっ 12 の根源的在り方への問いへと接続されて展開され 在性の問題が明るみに出されてくるのである.す るべきものとなるのである.すなわち,そのひと なわち身体性の問題は,思考・心・精神の問題と つは,人間身体と心ないし精神とをその一元性に の相互性において捉えられなければならなくなっ おいて捉えるという古くからの問いが,脳をその てくるのである.言い換えれば,心=精神の自己 媒介者と捉えることによって新しく具体性をもっ 了解の問題は,その根底において心身一体的にそ て展開されうる可能性が開かれてくるという点で の身体理解に基づきながら問われなければならな ある.さらにもう一点は,ロボットの身体と人間 いということである.これが「ロボットの思考」 の身体との等根源性の問題である.それは第一の の第二の意味における問いである.すなわちロ 問いの可能性である新たな心身一元論の展開に接 ボットの思考の自律性の問題であり,ロボットは 木されてはじめて問うことが可能となるような問 本当に主体的に思考可能となりうるのかという問 いの次元である.すなわちそれは,心身一元論的 いである.まさにこの点で,脳神経科学において に捉えられた人間身体のその物質性が,翻って, 脳の機能を脳と身体と心の関係性において解明し ロボットの身体の物質性と一体的に捉えられてく ようとする試みは,それをロボットの思考へと適 るということである.そこにはロボティクスの成 用することによって,その新たな在り方の展開に 果を踏まえた新たな物質性への理解が伴っていな 寄与しうるものと期待されるのである.それは, ければならない.すなわち旧来の物質性,人工性 おそらく,ロボットの存在を人間の生との相互関 への偏見を除去する必要があるということであ 係性において,人間と共に在る存在として共同存 る.したがって,ロボットはロボットであり,か 在性を持つものとして問うということである. つロボットではないというひとつの認識が問いの 出発点として必要不可欠となろう. このような認識に立てば,ロボットの身体性を 1.脳神経科学と心身一元論 形成するその素材は,その人工性ということで旧 心=精神と身体=物質を一体的に捉えようとす 来的にイメージングされるような無機物であって る心身一元論は,ベルクソン哲学においても,ま はならないのであって,当然それは有機物ないし たメルロー=ポンティの哲学においても展開され それに相当するものでなければならない.した てきたことである.前者は精神と物質の両者を共 がってロボットの身体の生成は,その有機性ない にイマージュとして一元的に捉えることを通し し有機的類縁性ということで,物質の同一性とし て,心身の一元性をイマージュの両義性において て考えられる限りでの脳と相等のものをも形成す 展開し,さらには持続としての生の哲学の展開に る可能性を持つものとして研究・開発される必要 おいて心身の一元性がさらに徹底化され,どちら があろう.すなわち,無機物によるロボットの身 かと言えば,直観において捉えられうる生きた精 体形成の時代はすでに終結してしまっていると考 神の実在性が強調されることになる.それに対 えなければならないのである.それは無機物から して,メルロー=ポンティは自己の身体(corps 有機物への連続性の問いの展開の歴史の中に位置 propre)の両義性を強調した.「即自と対自の総 付け直されるべき問いである. 合としての身体」ということで,身体の主観性と したがって,ロボットの身体は人間の身体と等 いうことが言われるのである.私の身体は,可視 根源的でなければならないということが確認され 的身体存在であると同時に,私によって生きられ るならば,両者の身体の差異は位相の違いとして た身体として不可視的・意識的存在でもある.し 捉えられるべきものとなり,人間身体が脳と根源 たがって,私の身体は意識と一体的に自己の身体 的に相互作用しているとするならば,ロボットの として生きられているという意味で,自己の身体 身体もそのように形成されて然るべきものとな は,その意識的側面と物質的側面とが一つとな る.ここに思考主体としてのロボットの自律的存 り,そのどちらにも解消されずに,その身体の両 Vol. 6 (2012) 13 ⎝1) 義性において成立しているというのが,メルロー ンシーの著作を参照のこと).まず身体と脳とが =ポンティの哲学的立場である.自己の身体を肉 共に−在るということを通して相互的に働きあっ として捉えて,心身の一体性が肉の存在論とし ているということを,哲学的および脳神経科学的 て,後期の哲学においてはより徹底されることに 観点から論じることにする. なる.この心身一元論の問題を,現在飛躍的に展 ここで問われるのは,一般的な意味で脳科学的 開されてきている脳神経科学を準拠軸として捉え に脳と身体との関係性を問うというのではなく 直してみることによって,20世紀フランス哲学に て,まず脳と身体との相互的関係性について「共 おいて展開された心身一元論の意味をよりいっそ に−在ること」を先行させて問うとすれば,その う明確にできるのではないかと考える.ベルクソ 場合に,脳神経科学的にはどのようなことが言え ンは脳を精神と身体を繋ぐ中継所と考えたのであ るであろうかということなのである.それは脳が るが,いずれにしても脳を身体から心へと媒介す 身体と一体的に働いているというその事実から出 る存在者として捉えることによって,心身の一体 発して,それを脳神経科学的観点から見て,どの 性の問題が浮き彫りにされることになる.生きた ようなことが言えるのかということである. 身体ということを問題とするとすれば,身体の物 脳がその主体性において,身体を通してその外 質性は,それが肉として生きられることによっ 界,環境世界に働きかけることができるとすれ て,不可視の精神性を持つことになろう.現代の ば,そのためには,脳は身体からその環境世界に 脳神経科学は,意識を脳神経の単なる随伴現象と 関する情報を受け取るのでなければならない.そ は見ていないように思われる.精神の不可視性へ の場合,ベンジャミン・リベットの有名な自由意 の問いかけの余地を開くものとして脳神経科学の 志に関する実験をこの方向で解釈すれば,どうい 成果を捉えることにしたい.それは,脳神経科学 うことが言えるであろうか. を媒介として精神の実在性への問いを開始するこ まず身体から脳へと環境世界からの情報が寄せ とであり,脳神経科学によって開かれた新たな世 られ,脳は一連のその内的活動を通して,あるひ 界についての意味への問いを哲学的立場から問い とつの方向性のもとに,環境世界へと働きかけよ 直すことであり,それは科学と哲学とを総合する うとするであろう.脳と身体とのその共に−在る ことを目指した試みでもある. ことの先行性ということについて言えば,その共 ⎝2) に−在るということのその「共に−」ということ 2.脳と身体の相互関係性:身体はどのよう に脳によって生きられているか において,脳と身体とは情報を共有しながら,そ の共に−在ることを実現しているのである.その 共に−在るというまさにそのことにおいて,脳と デカルトは脳内の松果腺において心身が合一す 身体とは相互的でありながらも,しかし差異的に ると考えた.それは人間身体全体を心へと媒介す 働いているのである.したがって,リベットが実 る脳の働きをそのように誤解を招く仕方で表現し 験的に指摘したこと,すなわち,自由意志的意識 たものである.身体と脳,脳と心を徹底して相互 の発動より前に,いわゆる「時間 t」において, 性において捉えるとすれば,存在論的には心身一 脳はすでに身体への指示を発動しているという事 元論とならざるをえないであろう.身体と脳と心 態は,脳と身体とのその共に−在ることの先行性 とが根源的に相互的に存在しているということを を実験的に明らかにしたという点に強調点が置か 認めるとすれば,それは,それら三者が相互的存 れなければならないのである.その実験をもって 在者として,共に−在る在り方によって先行され 自由意志の否定と結論づけるのは,飛躍であり, ているということを意味する(この「共に−在る 先取りして言えば,まさにデカルトが犯した誤り こと(être-avec) 」に関して言えば,ハイデガー の真逆の誤りを結果的には犯している.リベット の Mit-sein の概念を批判的に練り直した J.-L. ナ の実験では,脳と身体の共に−在るということに 14 おける相互性の働きが示されているのであって, かということに関わる.脳において意識が働いて これは,脳が一方的に身体を支配しているという いるということは否定しえないけれども,その意 一種の思い込みから形成されている一連のイデオ 識の働きを,脳と共に−在るものとしての心の働 ロギー体系を脱構築する有力な実験成果なのであ きとして考えてみたいのである.すなわち,脳は る.脳は一方で身体からの受動を蒙る.脳からの 心からある種の働きを,共に−在るというその在 身体への能動的働きかけは可視的世界において常 り方において,受けているのではないかというこ に明示的に経験されていることである.脳が身体 とである.一方で脳は,身体からその共に−在る からの強い働きかけを受けて,その自由性を失う ということにおいて多くの働きかけを受けて,さ 経験も私たちの日常生活で本当は珍しくはないに まざまな状況における選択を適切に行うことがで も関わらず,その事実を認めることは,脳の自律 きている.脳と身体とのそのような複雑な相互補 性というイデオロギー的観念によって難しくなっ 完的作用は脳神経科学によって明らかになりつつ ているだけである.問題は,そこで,リベットの ある.しかし,ここから脳一元論に短絡するので ように,拒否する時間は残されているので,「拒 はなくて,その脳の意識的働きを心との関係性に 否の自由意志」は認められると言ってよいかとい おいて問いたいのである.それが本論文でのもう うことであるが,それは脳と心=意志活動との共 一つの課題,ロボット論を人間身体の相互連関性 に−在ることにおけるその関係性に言及しなけれ において展開するということにつながりうると考 ば言えないことであるという意味で,リベットの えるからである.共に在ることの先行性のもとで, この言明もひとつの大きな論理の飛躍を犯してい 脳と身体と心の関係性を問えば,脳と身体とが切 ると言わなければならない.身体の働きは脳の働 り離せないように,脳と心も切り離しては考えら きと共に−在ることにおいて異なって働いている れないであろう.しかしそれらの働きは,まさに ということが確認されるだけである.脳の自発的 その「共に−」ということが成立しているという 働きに先だって,身体からの働きかけがあるとい ことにおいて,脳と心とは同じではなくて,分離 うことである.この働きかけを身体からの受動と して「共に−在る」を構成している.そのような いう点で言えば,情動(emotion)と名付けられ 心の在り方が,脳との関係性において問われるの るべきものであろう.アントニオ・R・ダマシオ である.脳が心に,この共にということの先行性 のソマティック・マーカー理論やマイケル・S・ において働きかけている事象は,鬱病,統合失調 ガザニガの進化論を踏まえた脳の捉え方は,身体 症など精神医学の病的現象において多く示されて の脳への働きかけを認めながら,しかも機械論的 いるところである.したがって,これら精神医学 決定論は取らないという立場であることを意味す 的事象に即して精神=心の脳への働きかけを問う る.脳は身体の働きに準拠してしか行動へと向か ことが適切であろう.しかし,ダマシオは次のよ いえない.身体は当然,脳の働きに準拠してい うに言っている,「確かに心は神経回路活動から る.この相互補完性が脳神経科学によって確認さ 生じている。」「自己とは繰り返し再構築される生 れるのである. 物学的状態である……これが生じるには,多数の ⎝3) ⎝4) ⎝5) 脳システムと,同じく多数の身体システムとが全 ⎝6) 3.脳と心の相互関係性 面的に機能していなければならない。」 「魂(soul) 次に問われるのは,脳と心の相互的関係性の問 な状態である。」これによって心が脳=有機体の 題である.自由意志の問題は,この関係性をどの 働きに還元されることをダマシオは言わない.心 ように捉えるかにかかっている.心身一元論の方 の働きと存在とを,有機体の状態,脳の複雑な働 向性でこれを考えたいというのが本論文の趣旨で きと無関係の独立した存在としてあるという考え ある.これは心=意識の働きをどのように考える を否定するだけである.心の働きとその在り方は, も精神(spirit)も一個の有機体の複雑かつ独特 ⎝7) Vol. 6 (2012) 15 いぜんとして脳と身体の共に−在る在り方へと開 と媒介するということも,その全体性として共に かれているのである.私の身体を通して世界へと −在ることにおいて成立していると考えなければ 能動的に働きかけているその在り方において心は ならない.すると,ここで私の心とあなたの心が 顕示されているのである.すなわち,心は世界へ 共に−在るということにおいて私の脳とあなたの と能動的に働きかけるとき,その自己の身体とし 脳は,「共に−」という関係性において,同様に てのその身体性において顕著に示されうるという 相互的関係性の内に在る心のその共に−在ること ことである.それは同時に,心の働きが,身体と へと参与している.すなわち,脳そのものが相互 共に−在る脳において,共に−在るというその在 的関係性において共に−在る存在,すなわち共同 り方において顕示されうることを意味する.この 存在としての在り方において在るという存在の在 後者のことがダマシオにおいてとりわけ強調され り方をしているのである.そのような共に在ると ていることでもある.ここで,心の働きとその存 いう,いわば脳の共同的在り方において,脳は身 在と脳との関係を直接問う前に,心の働きを同じ 体へと心を媒介すると考えられる.ここでの問い く心を持つ存在である他者との関係性において考 の展開は共に−在るという相互関係性において心 えてみることにする. を脳へと関係づけ,その脳へと関係づけられた心 を身体へと媒介する働きを相互主観的な脳の共同 4.他者関係における脳と心の相互的関係性 的働きにおいて見出そうとするものである.その 他者関係において脳と心の関係性を問うという の心の在り方において身体へと媒介され,身体と ことは,共に−在るというその相互的関係性にお 一体になって相互身体的主観性を形成するのであ ける「共に−」ということの在り方を,他者関係 る. というひとつの日常的関係性において考察するこ このような心と脳と身体を相互的関係性におい とを通して明確にしようとすることである.他者 て徹底して捉えようとする観点からすれば,それ 関係においては,その相互的関係性が先行して, ら心と脳と身体の相互的関係性はが成立している 私の主観性とあなたの主観性が相互主観性として のは,既につねに私とあなたとの相互的関係性に 成立している.「共に−」は相互主観性における おいであると言わなければならないであろう.す 私と他者としてのあなたの関係性を表現したもの なわち,私の身体とあなたの身体との間の相互身 である.他者関係において,私と他者とは相互に 体性は,脳において心と身体とが共に媒介される その生きた身体を通して関係している.その身体 ことを通して,心と身体の一体的相互性が生きら は先に見たように,脳との相互性において成立し れた自己の身体の相互性として成立するのである. ている.したがって,他者関係においては,その したがって,脳がその共に−在る在り方において ような主体として生きられた身体相互の関係性に 心と身体とを媒介するとすれば,脳はその共に− おいてひとつの相互主観性が身体的主観性として 在る在り方において,心と身体とをその「共−」 成立している.この主観性という統一的な意識現 にという共同的在り方において表出していなけれ 象を共に−在る在り方において捉えるとするなら ばならない. ば,心はそのような相互主観性という相互的関係 このように見てくれば,脳において心の働きと 性における意識現象として理解されるであろう. しての意識現象は,自我の統合性として表出され したがって,ここで言いたいことは,心は単に私 ているし,身体の働きはニューロンの発火など脳 の心とかあなたの心とか,単独で個的な在り方に の物質性として表現される.脳が意識現象として おいて捉えられるのではないということである. その主体の内面性を示しているとすれば,その外 心は共に−在るというその在り方において相互主 面性としては脳は徹底して物質性として表出され 観的に捉えられる.したがって,脳が心を身体へ る.そのようにして心と身体は脳において共に媒 媒介される心は,したがって,相互主観性として 16 介されてその表出の場を持つことになる. ベンジャ ミン・リベットの「意識を伴う心の場(CMF)」 すな わち,「統一された主観的経験が存在する場」と 5.ロボットの思考とその身体性:生きた人 間身体との相互的存在性において いうことによって示されていることは,脳と心の 脳を中間的媒介者として心と身体との相互的関 相互媒介的働きを示していると解釈しうる.これ 係性について考察してきたが,ひとつの個体にお ら脳を媒介とする心と身体との相互性を,自己と ける心と脳と身体の個的関係性を,他者との相互 他者との相互主観的関係性の中で捉え返すことに 的関係性において捉え直すことによって,心と脳 よって,それらの間の相互的関係性を,人間存在 と身体とは一体的に相互主観性においてその統一 のその共に在る在り方において先行的に了解する 性を示すことになった.その意味で,脳の存在論 ことが可能となるのである.人間のミラーニュー 的在り方は相互身体的主観性として示され,身体 ロンの存在も,人間の相互的存在性において捉え 的であると同時に心的でもあり,しかもそれは他 直すとすれば,脳における意識現象と身体性との 者との関係性において相互身体的主観性として顕 一体的な共同的在り方を示すものであり,同時に, 示されるのである.そこで,この相互身体的主観 自己と他者との相互主観性の表出の場でもあると 性の在り方を参照軸として,ロボットと人間との 考えることができるのではなかろうか. 関係性を考えるとすれば,どのようなことが考え このようにして私たちは,心身一元論的立場か られるのかということを次の問いとして問いたい ら脳神経科学の成果を参照しながら心と脳と身体 と思う. の相互的関係性について考察してきたが,そこで まず,ロボットをどのように想定するかという 示されたことは,脳神経科学的認識に準拠しなが ことに関わる問いであるが,始めに論じたように, らも,脳のその媒介的働きに注目することによっ ロボットの身体を単に無機物として想定しないで て,脳の先行的に共に在るその在り方が,人間存 おきたい.ロボットの身体を,人間身体を構成し 在の共に在る在り方そのものにおいて示されうる ている有機物と等根源的に考えることは,実際難 ということである.したがって,脳はその自らが しいかも知れない.それは結果として,新しい意 媒介する身体性において,それを他者との相互身 識を持った人間存在に類縁的な生命存在を創出す 体的主観性として示すことによって,その相互媒 ることに他ならないからである.しかし,新たな 介的働きを,人間の相互的存在の在り方を実現す ロボティクスにおいて,人間とロボットとの関係 る働きとして自らに顕示していると考えられるの 性を相互主観的関係性として,その親密性におい である.その意味で,脳は人類性としての共通性 て捉えようとするならば,やがてその共に在る在 において,全人類において同じ肉と構造において り方の進展において,両者の差異をどのように維 成立していると言うことができる.心が同時に相 持していくべきなのかという問いは残るが,その 互身体性として示されるとするならば,心の相互 身体性の等根源性は想定されてよいのではなかろ 主観性は,人間存在の共に在る在り方を人間存在 うか.それはロボットの身体の物質性に関わると のその主観性において表現したものに他ならない 同時に,その身体の主観性の問題にも関わるから のであって,何か超自然的なものを意味指示する である. のではない.人間と人間との相互的関係性を主観 ロボットという観念を,ただ人間身体の物質的 性において捉えたとき,それが心として表出され 側面においてのみ想定するとするならば,それは ると考えられるのである.その実在性を言うとす コンピューターを内蔵した単なる自動機械にすぎ れば,主観性において心として表出されたそのも ない.それを人間が自己の活動を補完したり代替 のと言う以外にないものである.統一性を持った したりするために利用するというだけならば,ロ 主観性として心は相互主観性として示されるので ボットは単なる人間の道具的存在に過ぎないし, ある. ただそれだけの存在に過ぎないというだけであ Vol. 6 (2012) 17 る.それは人間存在とは外的道具的存在としての スメントの問題と重なるということである.本論 ロボットの観念である.しかし,現在私たちに手 攷で明らかにしたのはこの点までである.すなわ 渡されているロボテッィクスの技術とその思想性 ち,ロボットの身体性と思考ないし心性を人間存 から言えば,人間とロボットの関係性はそのよう 在との共同体的な相互的関係性において考察し, なものとしては終わらないと考えられる.人間性 その共に在る在り方を,人間における脳の媒介的 の本質を変えるところまで来ているように思われ 働きを問いの手掛かりにして,その脳に媒介され るのである.それはなぜかと言えば,他者との関 た人間身体と心の相互存在的在り方を,生きた人 係性としてロボットの存在を捉えなければならな 間身体の相互的在り方における相互身体的主観性 いような事態が現出してきているということによ において捉えることによって,それをロボットの る.ロジャー・ペンローズの言うように,確かに 身体性と人間の身体性との相互主観的関係性へと 計算機能としてのコンピューターが人間精神と等 適用して,ロボティクスのひとつのあるべき方向 根源的な意識的存在になりうると考えることはで 性を示したに止まるということである.それは人 きないであろうが,しかし,ロボットの身体の物 間のその共に在る在り方の内でロボットの存在が 質性を人間身体の物質性と相互身体的に一体的に どのように関わるかという問題意識からの問いで 捉えるとするならば,すなわち,そのロボット− あった. 人間身体の物質性を人間身体の相互身体性の内に 取り込んで考えるとするならば,相互人間的関係 性における身体的主観性において,ロボットの身 体性を考えることは十分に可能である.それは, 私たちがさまざまな存在者の間で相互身体的主観 性において生きている在り方のひとつとして,ロ ボットとの共に在る在り方を示しているに他なら ない.現在のロボティクスは,そのように私たち の生の不可分の一部として存在しうるような仕方 で,ロボットの存在を想定しているように思われ る.ブレイン・マシン・インターフェース(BMI) の思想もまた,人間存在との一体性が目指されて いると考えてよい.このような方向性でのロボ ティクスの展開が,ALS の患者に適用される場 合のような,治療とか障害の補助としてなされる 場合には,躊躇なく肯定されうるであろう.しか し問題は,エンハンスメントとしての技術の適用 の可能性も含めて,この思想がどれだけ人間存在 の相互的関係性のなかで展開されてよいのかとい うことである.これはまさに脳神経倫理学的問い の一部をなす問いである. 私たちがロボットとの関係性を問う場合,それ は私たちが脳神経科学の成果をどのように私たち の身体あるいは脳それ自体,そして私たちの心へ と適用するのかという問いと同じ倫理学的問いの 枠組みの内にある.すなわち先に触れたエンハン 【参照文献】 (1)Jean-Luc Nancy,La Communauté désoeuvrée, 1986.(『無為の共同体』,西谷修,安原伸一 朗訳,以文社,2001年) ;J.-L. Nancy, Etre singulier pluriel, 1996.(『複数にして単数の存在』,加 藤恵介訳,松籟社,2005年) (2)Benjamin Libet, Mind Time, 2004.(『マインド ・ タイム』,下條信輔訳,岩波書店,2005年) (3)Antonio Damasio, Descartes'Error, 1994.(『デ カルトの誤り』,田中三彦訳,ちくま学芸文 庫,2010年,以下の引用は DE と略記し,最 初に原書の頁数、次に訳書のものを記す); A. Damasio, Looking for Spinoza,2003.(『 感 じ る 脳』,田中三彦訳,ダイヤモンド社,2005年) (4)Michael Gazzaniga, The Ethical Brain, 2005( . 『脳 のなかの倫理』,梶山まゆみ訳,紀伊國屋書 店,2006年) ;M. Gazzaniga, Human, 2008.(『人 間らしさとはなにか』,柴田裕之訳,インター シフト,2010年) (5)DE, p.226; 342頁。 (6)DE, p.227; 343-344頁。 (7)DE, p.252; 380頁。 Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 19 − Articles − 写真とは何か 桝矢桂一 How do photographic pictures exist ? Keiichi Masuya Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan (Received October 28, 2011; Accepted November 25, 2011) Kendall L. Walton said something to the effect that photographic pictures were transparent, while painting were not. He thought that when we looked at painted portraits of our ancestors, what we saw was nothing but a representation of them. If what was looked at were photographic portraits of our ancestors we saw the ancestors themselves. To Walton's mind, mediations by someone or something in the process of painting, e. g. by painters or their painting brushes made paintings opaque. Photographic pictures were taken without such mediations; hence, they were transparent. I don't agree with Walton. Photographic pictures are also mediated by a photographer's intention as paintings are. Photographic pictures are not copies of some piece of reality but some representations by photographer's I. As for Wolfgang Tillmans' abstract photographs, e. g. a series of Freischwimmer, he makes abstract pictures like wavering hair-like strands with color stains by means of luminography and viewers cannot know the subjects of his pictures because of their abstractness. Tillmans' photographs are mediated by his intention and his pictures do not have any direct access to the piece of reality. As for some pictures by Daido Moriyama, graininess is a significant feature. Because graininess itself is not any actual things photographed, Moriyama's pictures do not have any direct access to reality either. Photographs are not copies of actual things. Photographic pictures are caused not by the actual objects but by the photographer's I. Because of being a representation of photographer's I, photographs have a reason to exist and to exist as such. key words ---------- Kendall L. Walton; transparent picture; photography; William Klein; Wolfgang Tillmans; Daido Moriyama; Michihiro Shimabuku はじめに えない.だから,写真は絵画と異なっており,被 写真とは何か.この問いに対して,これまで数 が固有の意図に基づいて撮影するが故に,鑑賞者 多くの議論がなされてきた.しかしながら,未だ は,時には写真の被写体が何か分からず,抽象絵 その確たる答えは得られていないように思われ 画と区別することが難しい場合がある.我々は写 る. 真というものをどう捉えるべきなのか. 絵画は,描写対象なしに画家の想像だけに基づ ケンドール・L・ウォルトンは,写真は被写体 いて描かれ得るが,写真はそのようなことがあり によって原因付けられると主張する.彼によれ 大阪薬科大学(非常勤講師), e-mail: [email protected] 写体なしには成立しない.その一方で又,写真家 20 ば,写真を見るとは写真を通して被写体を見るこ ティルマンスの写真は決してウォルトンが述べ とである.そのようにして被写体に関係付けられ るような写真のあり方をしてはいない.本稿で た写真は,眼鏡をかけて物を見るときの眼鏡のよ は,写真とは「透明」ではないことを論じる.別 うに「透明なもの」だと言われる. の言葉で言えば,写真とは対象による規定(被写 本当に写真は,ウォルトンが述べるように,被 体による規定)なのではなく,写真制作者の自我 写体によって意味付けられるのだろうか.ウィ による規定として成立することを論じる.写真と リアム・クライン(William Klein, 1928−)の写真 は,写真制作者の自我が対象を措定することに 集『ニューヨーク』に収められた作品はその「反 よって成立するのであり,制作者の自我の表現で 写真性」故に存在意義を持つ.例えば,『ニュー ある. 1 2 3 ヨーク』における舞踏会の写真は,蝋燭の明かり だけの極端に少ない光量のために,ぶれて,ただ そのブレのためだけにあるようにすら思われる. 1.写真の透明性について この写真は「どう写るのか」が撮影者にも全く予 ウォルトンは写真を「透明なもの」と表現し 測できない偶然性を孕んで立ち現れる. た.彼は,アンドレ・バザンの「写真像は対象そ 又,ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang のものである」という主張を否定するものの,依 Tillmans, 1968−)の《ペーパー・ドロップ paper 然として被写体を写したものとして,被写体との 4 5 drop(Krishnamurti)》は,写真の 3 分の 1 を占め 関係において写真を考えている.彼によれば,写 る,曲げられ反り返った一枚の紙の質感とその 真は被写体との特有な関係故に絵画と異なるので 影による独特の表現であるが,それは,撮影行 ある.絵画を見るとき,鑑賞者は画家の手によっ 為なしに Adobe Photoshop などを駆使してコン て媒介された対象表現を見るのであって,決して ピューターグラフィックスにおいて作成できるも 描かれた対象そのものを見るのではない.だから のであるかもしれない.《ペーパー・ドロップ》 絵画は透明なものではないのに対して,写真を見 が写真であるための存在根拠が被写体に依拠して るとは,眼鏡や望遠鏡を通して対象を見るのと同 いると,どうして断言できるであろうか.更に, じだと,主張されている.写真を見るとは即ち写 写真だと言われなければそうと判別できないよう 真において写された対象を見ることである.ヘン な,殆ど絵画のような彼の抽象的写真《フライ リー 8 世の肖像画を見るとは,ヘンリー 8 世を見 ® ® 6 シュヴィマー 131 Freischwimmer 131》は,ルミノ るのではない.だが祖先の肖像写真を見ること グラム(luminogram)の技法によって制作された は,祖先を見ることなのだと述べられる. ものだが,作品において明確に被写体が何である 我々は「写真を通して世界を見る」という彼の かが示される訳ではないので,鑑賞者はそれを絵 主張に賛同することは出来ない.ウォルトンの 7 画から区別することが出来ないかもしれない. 8 「対象を見る」という主張は,一体,対象のどの 1 Kendall L. Walton, "Transparent Pictures: On the Nature of Photographic Realism", in Critical Inquiry 11, Chicago: Chicago Univ. Pr., 1984, pp. 246−277. 2 William Klein, New York: 1954.55—Life is good and good for you in New York! trance witness revels, Manchester 1995. 本文では『ニュー ヨーク』と略記する. 3 Ibid., p. 194−195. 4 クラインの反写真性の問題については,以下の拙稿を参照されたい.桝矢桂一,「ウィリアム・クライン試論―写真はいかにして 写真となり得るのか?」,『大阪薬科大学紀要』(大阪薬科大学紀要編集委員会),Vol.4,2010年,31−40頁. 5 163 paper drop (Krishnamurti), 2006, Wolfgang Tillmans, Abstract Pictures, Ostfildern: Hatje Cantz Verlag, 2011. 6 149 Freischwimmer 131, 2009, ibid. 7 ルミノグラムとは,印画紙の前に置かれた対象が光を遮光したり光の加減を弱めたりすることによって,写真機なしにその対象 の像を得る写真技法である. 8 Kendall L. Walton, op. cit., p. 251. Vol. 6 (2012) 21 ような有り様を見ることを意味するのか.それ 写真とは「写真家の認識(内部情報)の写し」 は,世界の有るがままを見ることなのか.そもそ を意味するのだろうか.それとも「被写体の有る も写真を通して,一体どのようにして世界の有る がまま(外部情報)の写し」を意味するのだろう がままを見ることが出来るのか.ウォルトンは, か.ウォルトンの「写真を見る」ことが意味する 9 「対象を見る」と言い,また「世界を見る」と言 のは,あくまで写真家によって撮影時に関与され う.「世界に対する知覚の接触」 という言い方も 認識された表象を見ることなのではないだろう. なされる.そのような「世界に対する知覚の接 彼にとって, 「絵」に対する鑑賞者の接触が媒介 触」は,写真を介して,いかにして可能となるの されたかどうかが問題である.絵画は画家の営み か. によって媒介されており,それ故透明ではない. 写真の写実性が問題になるとき,それは何を映 これに対して写真が透明であるのは,写真は写真 した写実性なのかが問われざるを得ない.重要な 家の営みによって媒介されず,写真機が直接機械 のは,人間の「認識の対象」が,「認識の元とな 的に対象の像を獲得すると考えられているからで る外界の対象」と,「認識の結果獲得された内界 ある.ウォルトンは,「我々が世界を知覚する仕 の対象表象」の二つの意味を持つ事である.対象 方」と「世界が実在的に存在する仕方」は一致す そのものの有るがままのあり方と,我々が認識す ると述べており,知覚という営為の構造は対象の る対象のあり方は異なっている.我々によって認 実在の仕方に類比すると言われる.写真が透明で 識されるのは,有るがままの対象ではない.認識 あるのは,写真が「写真家の認識」の「写し」な の結果,獲得される表象は,有るがままの対象と のではなくて,被写体によって根拠付けられてお は別のものである.グレゴリーが述べるように, り,鑑賞者が写真を通して被写体を見るが故にで 実在する対象のあり方と,人間が知覚した(知覚 ある.従って,ウォルトンの写実性は,写真機の 表象としての)対象の有り方は同一ではない.脳 機械的直接的描写性格とでも言うべきものに依拠 は「記憶システム」であり,外部情報と記憶から するのである. 新たな出力情報が生まれるが,外部情報によって 果たして,写真機は,ウォルトンが考えるよう 脳から引き出される新たな出力情報とは,「その に,「対象を有るがままに写す」のだろうか.例 ときまでに脳が得ていた内部世界の情報」であ えば赤外線フィルムを用いるとき,視覚的に捉え る.人は,外界の情報を頼りに対象を認識する ることのできないものを写すことができる.そう が,その認識は対象そのものの有るがままについ だとすると,写真機は人間よりも「高い能力」を てではない.だから,「写実性」とは何に基づく 有していて,対象の有るがままの姿により近づく のかが,問われねばならない.それは有るがまま と言えるのだろうか.そうではない.フィルムの の対象に基づくのか,それとも認識された対象に ラティテュードやデジタルカメラのダイナミクス 基づくのか,それが問題である. レンジを越えて撮影することは出来ない.写真 10 11 12 13 14 15 9 ウォルトンの「世界を見る」という表現は,「有るがままの世界を見る」ことではないと思われるかもしれない.しかしながら, 「対象」のあり方とは,「有るがままのあり方」か,そうでなければ「表象としてのあり方」かのどちらかであろう.そしても し,写真が有るがままの対象を「写す」のでなく,表象としての対象を「写す」のだとしたら,写真は最初から写真制作者に よって媒介されていることになるから,ウォルトンの議論は破綻するであろう.従って,ウォルトンの主張する透明性とは,有 るがままの対象の透明性だと考えられねばならない. 10 Ibid., p. 273. 11 Cf. Richard Langton Gregory, 1966, Eye and Brain: The Psychology of Seeing, Princeton, New Jersey: Princeton University Press, 1997 5th edition, p. 200 etc. 12 松本元,「脳とはどんなコンピュータか」,『脳・心・コンピュータ』,日本物理学会編(松本元責任編集),丸善株式会社,東京, 1996年,211頁. 13 ウォルトンは,写真に対しても絵画に対しても picture の語を使っている.写真と絵画の両方を表す言葉として,本稿では,「絵」 を用いる.本稿において「絵」とは,写真,絵画,コンピューターグラフィックスなどの様々なものを意味する. 14 Kendall L. Walton, op. cit., p. 271. 15 ウォルトンによれば,「写真は反実的に(counterfactually)撮影された光景に依存する」と言われる.この写真の「反実的依存 性」の問題と,写真機の機械的直接的描写性格は密接な関係にあると考えられる.Cf. ibid., p.264. 22 機が対象の有るがままを捉えることはあり得な の主観性による媒介が不可避である. い.むしろ明暗の把握について言えば,人間の方 ウォルトンは,「写真家は最終的な作品を暗室 が優れている.だからこそストレート写真を撮ろ 作業によって制作するので,作品は機械的に写さ うとする撮影者は,撮影する光景を前にして,ど れたものではない」という反論を想定して,仮に こをどの露出で撮影すべきかを考える.どの露出 プリント作成時にコントラストが変えられたとし であれば,写したいものが映り,写したくないも ても,被写体である人物を,鑑賞者が肖像写真を のは映らないのかを考える.一般にはストレート 通して見ることは変わらないと述べる.ウォルト 写真家として知られているアンセル・アダムス ンの主張に沿えば,土門拳が被写体に選んだ仏像 (Ansel Adams, 1902−1984)は,有るがままの対象 は,彼がどう撮ろうとも存在する.そしてどう撮 18 を写すのではなく,彼が見て感じたものと同じ られるかにかかわらず,写真を通してその仏像は 写真を撮ることを目標としている.彼によれば, 見られる.クラインの『ニューヨーク』における 撮影からプリントまでを一連の写真制作過程と 舞踏会の写真についても,作品の制作過程がどう して考えるとき,写真は肉眼に勝るとは言えず, あろうと,やはり「舞踏会の写真」であって,ク プリント作成時には,肉眼が捉えるより狭い範 ラインがどう撮るかは問題ではない.偶然が何か 囲の明暗差しか実現出来ない.又,土門拳(Ken をそこにもたらしたのだとしても,やはり我々は Domon, 1909−1990)のようなストレート写真とい その写真を通して実在した舞踏会の光景を見るの えども,対象の有るがままのあり方を「ストレー だということになる.しかし,我々はこのような ト」に写し取るのではない.彼の1964年の東寺講 ウォルトンの主張を受け入れることは出来ない. 堂の全景写真は,二十一体の仏像だけではなく講 写真の意味は撮影者が写すことにある.それは単 堂の殆どの部分に光が当たっている.この写真は に被写体が映ることにあるのではない. 異なる場所に順次フラッシュを当てながら撮影す ウォルトンの議論は,まさに写真とは何か,そ るという方法で撮影された.どの場所も均一の光 の根幹を問うものである.写真とは,写真家の自 量となるように腐心された結果,鑑賞者はそれを 己表現なのか,それとも,単なる「対象の写し」 照明に照らされた講堂の単なる全景写真として鑑 なのかが問われている.写真は,写真家によって 賞する.鑑賞者は,機械的に撮られた,何の媒介 措定されるものであり,そのことによって意味付 もされていない直接的な写真として,それを見る けられるのか.それとも,それは被写体によって かもしれない.しかし,その写真は,土門やその 根拠付けられるのか. 撮影に携わる人たちの意図や技術に依存し,それ 本当に写真を見ることは眼鏡をかけることと同 らによって媒介されたものである.厳密に言え 様なのであり,透明なのか.ウォルトンによって ば,ストレート写真を志す写真家たちは「スト 写真の透明性が問題にされるとき,終始一貫して レート」に対象の有るがままを写すのではない. 外界の対象である被写体が問題である.ウォルト むしろ,写真機によって有るがままを写すことが ンは,何かが被写体と鑑賞者の間に立ち入り写真 困難であるがゆえに,アダムスのゾーンシステム が「媒介される」のかどうかを問い,写真は「媒 のような方法論が生まれるのである.シャッター 介されない」と論じた.それは,人が網膜を見ず を押せば有るがままの被写体がプリントとして姿 網膜上の結像を見るのと同じように考えられる. を現すのならば,ゾーンシステムは不要であった 写真そのものはこの時「見られない」のでありそ かもしれない.ストレート写真であっても写真家 れ故透明である.我々は写真を見ずに被写体を見 16 17 16 Ansel Adams, The Negative, New York: Little, Brown and Co.,1981, p. 1. 17 Ibid., p. 2. 18 Kendall L. Walton, op. cit., p. 267. Vol. 6 (2012) 23 19 る.しかしそうだとすると,例えばクラインの営 賞」させられる.それは空虚な「柿とトマト」で みは無意味なことになってしまう.ストレート写 ある.《柿とトマト》はなぜ額の中の二次元平面 真を否定しようとする彼の営みは,「写真は写真 に「ピンボケ」して「飾られ」なければいけない によって写真となる」ことに基づくのであり,そ のか.《柿とトマト》の「白トビ」や「暈け」は, れは決して被写体によって意味付けられてはな 写真の写実性の表現ではなくて,むしろ島袋の作 らない.それが,「リアル」に被写体を写すスト 品《柿とトマト》の虚構性を表わすように思われ レート写真を否定する彼の手法であり,彼の写真 る.《柿とトマト》の鑑賞者は,その作品を通し はそのような「写真の否定」によって写真となっ て「柿そのもの」の有るがままのあり方を見るの たのである.換言すれば,クラインの写真の基盤 ではなく,「トマトそのもの」の有るがままの姿 は被写体にではなくクライン自身にある.写真は を見るのでもない.実在性を除去された空虚な虚 被写体との関係を断つことによって意味付けられ 構の「島袋道浩の作品」を見るのである. る. この《柿とトマト》の虚構性は何に基づくだろ 20 うか.それは,写真の「写し」の独特のあり方に 2.対象措定としての写し 起因するように思われる.この場合「写し」とは 「写実」なのではない.そうではなくて実在者か 例えば,「風穴 もうひとつのコンセプチュ ら切り離されて「写し」が新たに島袋によって措 アリズム、アジアから」というコンセプチュア 定されたのである.それは被写体から独立した一 ル・アート展がある.この展覧会における島袋 つの写真表現である.鑑賞者は写真を見るとき, 21 道浩(Michihiro Shmabuku, 1969−)の《柿とトマ 22 被写体ではなく,その写しとしての写真そのもの ト》は決して透明なものではない.出品作品リス を見るのである. トに「C プリント」の記載があるので,カラーネ ティルマンスの「フライシュヴィマー」と名づ ガのプリントだと分かる.しかしこの写真は,鑑 けられた一連の作品群は,単に作品を鑑賞するだ 賞者に「リアルな柿とトマト」を見ているという けでは,どれも被写体が何であるか判然としな 確信を与えない.それは絵画のようであり,コン い.写真だと言われなければ,どのような「絵」 ピュータグラフィックスのようでもある.ウォル なのか見分けがつかない.「抽象」ということ以 トンが論じたような「被写体に原因付けられた写 外に何も手掛かりのない作品である.「フライ 真」とはとても思われない.それどころか,被写 シュヴィマー」という言葉がキャプションにおい 体との関係を完全に剥ぎ取られてしまっているよ て与えられてはいるものの,写真からは何が「泳 うにすら感じられる.柿とトマトそれぞれの白ト ぐ」のかが分からない.それは,髪の毛のような ビが目立つように写真は撮られている.しかも 細長いものの揺れる様が色付けされてルミノグラ 二つの果実は両者とも殆ど暈けており,柿の一 ムの技法によって写されているが,そのことは写 部にしか焦点が合っていない.この《柿とトマ 真からはうかがい知れない.そのような写真は, ト》は《浮くもの/沈むもの》と並べて展示され まさに「写し」だが,その「写し」ということ ており,《浮くもの/沈むもの》を構成する水に は,「写し」ではないものとして,新たに措定し 浮かぶ(或いは水の中に沈む)実在する果実に比 直されている.鑑賞者は「フライシュヴィマー」 して,「実在性の無さ」を否応なく鑑賞者は「鑑 を揺れるものの「写し」としてではなく,二次元 23 19 何もウォルトンは,鑑賞者が写真そのものを見ることが出来ないなどと言っている訳ではない.彼によれば,写真そのものを見 ることと写真の対象を写真を通して見ることは別のことである. 20 この問題に関しては,前掲拙稿,「ウィリアム・クライン試論―写真はいかにして写真となり得るのか?」において論じた. 21 「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」(国立国際美術館,2011年3月8日−6月5日). 22 島袋道浩,《柿とトマト》,2008年,C プリント・アルポリックマウント,18.8×28.4cm. 23 島袋道浩,《浮くもの/沈むもの》,2011年,果物・タライ・水・木製台・水流装置,49.0×75.0×75.0cm. 24 平面に揺れの一瞬が切り取られたその作品を,被 他ならない.単なる被写体の写しとして被写体に 写体から独立した抽象表現と考える.作品はティ よって根拠付けられるものでは決してない.写真 ルマンスによって,被写体から切り離され新たに とは,作品の制作者の自我が,被写体から切り離 措定し直されている.《柿とトマト》においても された像を獲得することなのである.制作者の自 この点は変わらない.「柿とトマト」は「写し」 我にこそ写真の基盤は存在する.そしてそのこと ではない新たな「虚構の柿とトマト」として島袋 こそが写真作品が制作される理由であり根拠あ によって措定されている. る. 写真とはまさに作品の制作者によって措定され るものである.写真を写すことは,写真機の機械 的直接的描写性格に基づいて像を得ることではな 3.終わりに い.写真機とは写真のために不可欠なものなので 写真とは,芭蕉の俳句「鶏頭や鳫の来る時なを はなく,写真のための一手段に過ぎない.写真に あかし」のようなあり方をしている.芭蕉の自我 おいて重要なのは手段が何かではなくて,むしろ と,雁来紅の異名を持つ鶏頭が出合ってそこに感 写真家の自我によって媒介され,新たな像が措定 動があり,芭蕉の自我と鶏頭が一体になった結果 されることである.森山大道(Daido Moriyama, として,彼の句は成立している.しかし,この句 24 1938−)の『写真よさようなら』に見られるよう には,芭蕉の感動した自我は見出されない.見ら な,「ネガを再度撮影した写真」を見ることは, れた対象だけが切り取られ方を説明されないまま 被写体であるネガの更なる被写体を見ることでは に切り取られて表現され,鑑賞者に提示された結 なく,森山によって新たに措定された写真を見る 果,鶏頭に出合って感動した芭蕉の自我はもはや ことである.それは,「森山の自我における対象」 作品のどこにも姿を現さない.そこには,切り取 の「写し」である. られた対象がただあるのみである.彼のこの俳句 だからこそノイズであるべき粒子の荒れが,写 では,「見られた対象」の表現が即ち彼の自我の 真の表現手段になり得る.低感度フィルムを増感 表現である.自我と対象は対立せず,対象は即ち 現像して得られるような粒子の荒れは,被写体に 自我であり,対象と自我は俳句において一つに 由来するものではない.しかしそのような粒子の なっている. 荒れしかないような「絵」が『写真よさような 無論,芭蕉の俳句の心は,写真と直結するもの ら』にはある.ウォルトンのように考えるなら ではないだろう.だが,写真のあり方とは,芭蕉 ば,そのような「絵」は写真ではないことにな のこの句のあり方に似ているように思われる.鑑 る.ストレートな写真だけを念頭において,ウォ 賞者は,写真によって写真が表現するものと出合 ルトンは論じているかもしれないが,アンセル・ う.それは写真作品を制作した者の自我に関係付 アダムスや土門拳に見られるように,ストレート けられる.その一方で,その表現が極めて実在的 写真といえども,写真家の媒介なしには考えられ であるとき,写真は,制作者の自我によってでは ない. なく,写真の向こうにある被写体によって意味付 まさに作品の制作者による新たな対象措定こそ けられているように思われる.写真は実在的なス が,写真を写真として意味付ける.写真とは,徹 トレートな写真だと思われるのである.しかしそ 頭徹尾,措定者によって媒介されたものである. れでも,それは写真作品の制作者による表現に他 それは新たに,制作者によって措定されたもので ならない.制作者がストレート写真を志向しなけ あり,制作者の自己表現である.写真とは作品の ればストレート写真は生まれない.ストレート写 制作者の自我によって生まれる「表象の写し」に 真とは,制作者が「ストレート」に対象を措定し 24 森山大道,『写真よさようなら』,写真評論社,1972年.復刻版,森山大道,『写真よさようなら』,パワーショベル,2006年. Vol. 6 (2012) 25 表現した結果として姿を現わすものである.制作 して措定されているので,鑑賞者は,制作者の自 者の自我は,そのように,写真として自己を実現 我の媒介に気付かないのである. する.制作者が見た対象が,写真において切り取 写真とは透明ではない.単なる対象の写しでは られ方を説明されないままに切り取られて,ただ 決してない.それは写真制作者の自我による措定 写真として示される.しかも,ただ写真として示 である.措定とは,「写し」を「写し」でないも されるような写真の措定とは,単なる措定ではな のとして措定することである.写真とは,被写体 くて,写真の独立である.それは制作者の自己表 から切り取られた対象として,つまり「写し」で 現であるのだけれども,同時に,制作者の自己か ないものとして,被写体からも自我からも独立さ ら独立させられて,対象(写真)の独立の措定と せられた,新たな対象の有り様なのだ. なる.写真作品の実在性が独立させられて写真と Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 27 − Articles − レヴィナスにおける超越を起点とした倫理と宗教 鶴 真一 Éthique et Religion à partir de la transcendance chez Lévinas Shinichi Tsuru Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1 Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan (Recieved October 28, 2011; Accepted November 25, 2011) Cette étude a pour but de clarifier que la notion lévinasienne de la transcendance joue un rôle très important dans la relation entre la philosophie, l’éthique et la religion. Lévinas explique l’altérité de Autrui par le terme de la transcendance. Mais, en mettant l’accent sur la transcendance qui signifie la distance absolue à partir de moi, nous ne pouvons plus distinguer entre Atrui et Dieu. C’est ainsi qu’il surgit un doute que Lévinas pense à Dieu en disant Autrui. Toujours est-il que nous ne devons jamais oublier qu’il pense toujours Atrui à partir non pas de Dieu mais de la relation humaine. Il y a deux schèmes concernant la relation entre la philosophie et la religion ; le schème pascalien de distinguer les deux et celui kierkeggardien de donner à la religion la priorité sur la philosophie. Mais considérant que Lévinas propose de penser Dieu à partir de la relation humaine, nous peut pensons que Lévinas présente un autre schème où nous pouvons considérer le rapport de l’éthique à la religion. key words ---------- Lévinas; transcendance; éthique; religion; philosophie de la religion はじめに みを感じているらしいということがわかる,と フランスのユダヤ人哲学者 エマニュエル・レ 情を表現する振る舞いはどのような文化でもほぼ ヴィナス(Emmanuel Lévinas, 1906−1995.)は,そ 共通しており,こうした類推が成り立つようにも の独特の他者論によって,哲学上の懸案の一つで 思えるが,それ以上の抽象的な内容に対してまで あった他我問題に一石を投じたことで知られてい こうした類推をあてはめるのは困難であると言わ る. ざるをえない.また,何よりも,類推説は他人を いった具合である.喜怒哀楽のような原初的な感 他我問題とは,「他人の心を認識したり理解し 「もう一人の私」として捉えることをめざしてい たりするにはどうすればよいか」という問題をめ るという点にも批判が向けられる.類推は私の自 ぐる一連の議論のことで,そこで採られる典型的 己を原型とするため,他人も私と同じ自己の構造 な方法が「類推説」である.他人の心は直接に知 をもっているということを明らかにするものであ ることはできないから,認識可能な身体的な振舞 るが,こうした自他の架橋が果たされたとき,そ いによって相手の心的状態を類推しようとするも こにいるのは私に「似たもの」であって,他人が のである.例えば,身体のどこかに痛みを感じる もつその異質性が失われてしまうことになるから とき,私たちはその苦痛に顔を歪めるが,そうし である.そこから,「そもそも他人は認識や理解 た振舞いが他人に認められた場合にはその人が痛 の対象であるのか」という他我問題の枠組みその 大阪薬科大学(非常勤講師),e-mail: [email protected] 28 ものに対する疑問が提起されるようになる. レヴィナスは,他人を認識の対象として設定す 1.「神学的文脈」 る枠組みに代えて,他人とのかかわりを実践的 まず,レヴィナスが「神」に関してどのような な次元で問題とすべきことを主張し,私と他人 立場をとっているかをよく物語っている,次の発 との共通性ではなく,その異質性が私にもたら 言を挙げておこう. すものは何かという問いを導きとして独自の他 者論を構築した.レヴィナスによれば,他者は 「私は何ひとつ〈神〉によって定義しようと 「顔(visage)」という独特の仕方で現れる.他者 は思っていません.というのも,私が知ってい との「対面」においては,他者は認識の対象では るのは人間的なものだからです.私は人間どう なく,「応答しなければならない」という責務を しの諸関係によって〈神〉を定義するのであっ 私に負わせるものである.レヴィナスの言う「他 て,その逆ではありません.〈神〉という概念― 者(Autrui)」とは「他人」のことであるが,考 〈神〉が御存知の通り,私はそれに反対はしま 察の主眼は従来の他我問題とは異なり,私と他 せん!しかし,〈神〉について何か言わなけれ 人が同じ人間であるという共通性よりも,「他 ばならないとき,私はつねに人間どうしの諸関 性(altérité) 」と呼ばれるその異質性にある.こ 係を起点としているのです.」(LC, 94) うした異質性は,私に対して他者がもつ「超越 (transcendance) 」としてさらに一般化されて,そ レヴィナスの旧友であり,よき理解者であった の後のレヴィナスの思索を導く鍵概念となる. フランスの作家モーリス・ブランショ(Maurice レヴィナスの言う「超越」には他者の異質性 Blanchot, 1907−2003.) は,「 未 知 な る も の の 認 と,それに動機づけられて「私がみずからを超え 識」と題したレヴィナス論のなかで,レヴィナス 出る」という事態の二つの意味が含まれている. の言う「言語」が他者との超越的関係であること こうした二つの意味合いは,従来の西洋哲学にお に触れて,「思うに,これこそが私たちの理解す いて繰り返し登場してきたものであるが,従来の べき主張において決定的なことであり,この主張 西洋哲学史の文脈で言うならば,「超越」とはま は,これを提示している神学的文脈から切り離し ず何よりも「神」に対して述べられる事柄であっ て捉えられなければならないだろう」と述べてい た.神学的権威から解放された近代哲学が,超越 る.しかし,それを受けてデリダはこう反論す 概念を真剣に取り扱ってこなかった理由の一つも る. ⎝1) そこにあると考えられる.レヴィナスもまずもっ て考察の対象としたのは,「他人」としての他者 「だが,そんなことが可能であろうか.『神学 であって,「神」ではなかったことを改めて確認 的文脈』(レヴィナスが恐らく拒絶するに違い しておく必要がある.しかし,従来の西洋哲学に ない言葉だが)から切り離されたときに,この おいて「超越」という概念が担ってきたこうした 論全体は崩れ去りはしないだろうか.」 ⎝2) 問題系を鑑みれば,レヴィナスの他者論が,いわ ゆる「神学的文脈」を抜きに済ませるといったわ デリダが「暴力と形而上学」と題する論評で けにはいかないことは当然予想されることであ 行ったレヴィナス批判は,レヴィナスはみずから る.レヴィナスは,「神」の超越に関してのどの が考えているほどフッサールとハイデガーから隔 ような考えをもっていたのであろうか.それが, たってはいないことを指摘する点にその主眼があ 本論において私たちが考えてみようと思う問題で る.しかし,デリダのそうした議論に通底してい ある. る一つの主張(レヴィナスに対するもう一つの疑 惑)があることを見過ごすわけにはいかない.そ の主張とは,レヴィナス哲学における「神の問 Vol. 6 (2012) 29 題」に関するものである.「ギリシア系ユダヤ人」 性はすでに消失してしまっているのだが,それ なのか,それとも「ユダヤ系ギリシア人」なの でも,創造においては,存在するよう呼びかけ かというデリダの問いは,「哲学から宗教を考え られたものが,自分に届いたはずのない呼びか る」のか,それとも「宗教に基づいて哲学を構築 けに応答するのである.というのも,存在する する」のかと言い換えることができる.まさに, よう呼びかけられたものは,無から発したがゆ レヴィナスにおける「神学的文脈」について言わ えに,命令を聞くよりも前に命令に従っている れているのである.レヴィナスがみずからの議論 からだ.」(AE, 144−5) から切り離そうと努めているにもかかわらず,切 り離したら彼の議論そのものの存否にかかわるこ このように,レヴィナスが「神学的文脈」とい とになるとデリダが指摘した「神学的文脈」とは う言葉を受け入れないであろうということは明 いったいいかなるものなのか. らかであるにしても,ブランショの指摘は,レ レヴィナスの神概念がユダヤ教の神理解から何 ヴィナスの哲学が「神学的文脈」において読まれ らかの影響を受けているであろうということは言 るリスクが十分にあるということを物語ってい うまでもない.しかし,だからといって私たち る.「レヴィナスの言う他者とは結局のところ神 は,レヴィナスの神概念に対するユダヤ教的影響 のことではないのか」という疑問が相変わらず消 をことさら強調するつもりはない.それはレヴィ えないという事実が,皮肉にも,ブランショの指 ナス自身も望まなかったことであるという理由か 摘の正当性を証拠だてている.実際,レヴィナス らだけではなく,私たちとしては,レヴィナスの の議論には,少なくとも字面の上では,神学的と 神概念の哲学的意義を見出すことの方がいっそう は言わないまでも宗教的な措辞がいくつも登場す 重要であろうと思われるからである.レヴィナス るからである.例えば,第一主著である『全体性 の思想とユダヤ教との影響関係を強調すること と無限』では,無限の観念は全体性の外にある剰 は,前者を後者に還元し,レヴィナスの哲学をユ 余との関係であるとされるが,その関係が「終末 ダヤ的な特殊性に封じ込めてしまう危険がある. 論(eschatologie) 」であると言われているし,私 それは倫理を「臆見」と見なすのと同様の危険を のエゴイズムは「無神論(athéisme) 」であると 冒すことになるだろう.レヴィナスは,いわゆる 言われている.エゴイズムが倫理的な事柄を顧慮 非ギリシア的なものをナンセンスとして切り捨て しない態度であるということは素直に理解できる る西洋哲学の「知の枠組み」そのものを問題視し としても,なぜそれを「無神論」などという措辞 ているのであって,倫理が知そのものを動機づけ で言わなければならないのかは疑問である.恐ら ていることを示そうとしているからである.事 く,それはレヴィナスがみずからの方法としてい 実,レヴィナスは「存在論的思考」に「被造物を る「誇張法」による表現の一つに過ぎないのだと 任命する思考」を対立させながら,デリダの言う して片づけることもできようが,レヴィナスの議 「神学的文脈」を念頭に置いて,次のように述べ 論のうちには,「誇張」として片付けられない問 ている. 題があることもまた事実である.それが,レヴィ ナスの哲学における「他者」と「神」との理解に 「被造物を任命する思考の神学的文脈を正当 関する問題である. 化することがここでの問題なのではない.なぜ 従 来 の 哲 学 に お い て「 神 」 は,「 他 者(lʼ なら,被造物という語は,この名を中心として Autre)」 と か「 絶 対 者(lʼAbsolu)」, な い し は 織りなされた神学的文脈よりも古い意味作用の 「超越者(Transcendant) 」などと呼ばれてきた. ことを指しているからである.神学的文脈の中 レヴィナスの場合,他者とはあくまで「他なる人 では―この〈言われたこと〉の中では―,現在 間」のことであるとはいえ,「絶対的に他なるも および表象への集約に逆らう創造の絶対的通時 の」としてのその「他性」は,従来の哲学におい 30 て考えられてきた「神」の属性と見分けがつか は,その基準には何の正当性もないことでもあ ないような域にまで達している.実際,『全体性 る.史実を少し振り返れば分るように,時には, と無限』では,後で見るように,他者はしばし 不幸なことであるが,異教徒に対する暴力を正当 ば「神」との類比によって語られている.かくし 化するものにすらなりうる. て,「レヴィナスの言う他者とは神のことではな もう一つは,「神について思考し,語ることは いのか」という疑問が生じても無理はないわけで 可能か」といったかたちで提起されるような問題 あるが,しかしそうすると,レヴィナスの他者論 であるが,そもそも何ごとかを知るということ は「神学的文脈」において理解され,「他なる人 は,その知るべき対象を知る側に観念ないしイ 間」とのかかわりとしての倫理的性格を失ってし メージとして同化するものである以上,「神」の まうことになるだろう.そこで私たちとしては, 絶対性が相対化されてしまうのではないかという レヴィナスの哲学において「他者」と「神」がど 問題である.これは,「神」のみならず「他者」 のような関係にあるのかを明らかにしておかなけ を「絶対的に他なるもの」であると規定していた ればならないのである. 段階から,すでに問題とされるべき事柄であっ た. 2.神と他者 以上のような理由から,レヴィナス哲学におけ る宗教の問題は次のように定式化できる. まず確認しておかねばならないことがある.そ れは,レヴィナス哲学における「宗教」の問題を ① 倫理と宗教の問題:レヴィナスの言う「倫 考える際,二つの次元の問題があるということで 理」は,特定の宗教的権威に由来するもので ある.「宗教」という言葉は極めて漠然としたも はないのか のであるであるが,ここでは,二つの次元に応じ ② 神と哲学の問題:絶対的他者である「神」 て「宗教」という言葉が指す事柄も異なってく を哲学がその対象とすることができるか る. 一つは,レヴィナス哲学でその中核をなす「倫 ところで,レヴィナスは『全体性と無限』にお 理」についての議論において,それが聖書的伝統 「宗教」に関する独自の定義を行っている. いて, の影響を,とりわけレヴィナスの出自であるユダ ヤ教の影響を色濃く反映したものではないかとい 「〈同〉と〈他〉のあいだに確立されながらも う問題である.従来の倫理的規範は,その多くが 全体性を構成することのない絆を,私たちは宗 宗教的権威の内に根拠を有するものであり,そう 教と呼ぼうと思う.」(TI, 10)〔強調は引用者〕 である限りにおいて,実効性を持つものとされて 4 4 きた.宗教的権威の衰退はそのまま善悪の基準の この定義で言われている〈同〉と〈他〉との絆 根拠がなくなること(ある意味での「ニヒリズ とはレヴィナスの言う「欲望」としての「無限の ム」)を意味しており,倫理上の退廃を招きかね 観念」を意味しているわけだが,宗教に関してこ ない深刻な問題なのである.「私は無神論者であ れまで行われてきたさまざまな定義を勘案してみ る」という発言が極めて深刻に受け止められるの ても,レヴィナスのこの定義がとりたてて特別な も,その発言が,「信仰をもっていない」という ことを述べているというわけではない.しかし問 ことを単に意味しているだけではなく,「私は道 題なのは,レヴィナスのこの定義にある〈他〉が 徳の基準をもっていない」ということをも意味し 何を指しているのかということである.つまり, ているからである.もっとも,もし特定の宗教的 ここで言われている〈他〉とは,「他なる人間」 権威によって善悪の基準が作り出されているとす としての「他者」なのか,それとも「神」なのか れば,同じ宗教的共同体に属さない者に対して ということである. Vol. 6 (2012) 31 実際,レヴィナスは他者の現前を,カトリッ 『全体性と無限』ではしばしば未開宗教の神概 クで「神の現れ」を意味する「公現(épiphanie) 」 念 と し て「 顔 な き〈 神 〉(Dieu sans visage)」 と と呼んだり,「他者は,その意味作用ゆえに,つ いった言い方がなされるため,「顔」という概念 まり私のイニシアチヴに先立つがゆえに,〈神〉 は他者にのみ適用されるものだとは言いきれない に 似 て い る 」(TI, 269) と 述 べ る な ど, 他 者 と が,『倫理と無限』では,「対面」に関しては「人 のようにも述べている. 係に関しても「人間に対する人間の倫理的関係」 「神」とを類比的に語っている.その一方で,次 「人間どうしの関係から分離されたいかなる 間どうしの対面」(EI, 81)であり,また倫理的関 (EI, 85)であると言われていることから,これら の点に関しては,他者は「神」からはっきりと区 神の『認識』もありえない.〈他者〉は形而上 別されている.実際,分離された私のエゴイズム 学的真理の場そのものであり,私と神とのかか が「無神論」である以上,私が直接に「神」とか わりに不可欠なものである.」(TI, 51) かわるという道は最初から考慮に入れられていな このように,レヴィナスが第一義に考えている いのであって,それがレヴィナス自身の目論みで ⎝4) もあると言えよう. のは,人間どうしの関係としての倫理である.と すれば,「他者」と「神」はいかなる点において 似ており,いかなる点において異なっているの 3.観念に到来する神 か. これまでレヴィナスは,他者について語り,他 レヴィナスは,他者が現前する仕方を「顔」と 者の現出の仕方について語ってきたわけである いう概念で表し,「私のうちなる〈他なるもの〉 が,ここで私たちは,レヴィナスのこうした一連 の観念をはみ出しつつ,〈他なるもの〉が現前す の議論が「神」の問題にどのように関連づけられ る仕方」(TI, 21)であると定義した.私が抱く るのかについて考えてみたい. 〈他なるもの〉の観念をはみ出すということは, まず,冒頭において触れた根強い疑念,すな 「顔」が単なる認識対象ではないということを意 わち,「レヴィナスの言う他者とは結局のところ 味している.したがって「顔」は,対象を構成す 神のことではないのか」という疑念については, る超越論的意識の能動的なはたらきである「意味 私たちは次のレヴィナスの一文を挙げることで, 付与(Sinngebung)」を超えて,それ自体で意味 きっぱりと「否」と答えることができる. する「意味作用(signification) 」であるとされる. 意味付与によって対象は「何ものか」として構成 「とはいえ,ここで次のように問うことは時 されるが,この場合,認識対象は認識主体がそれ 宜に適ったことだろう.すなわち,問題なのは に付与した以上の意味をもつことはない.それに 〈神〉への超越なのか,それとも〈神〉といっ 対して意味作用としての「顔」は,認識主体が認 た言葉がその意味を明かすことになるような超 識対象に付与した意味を超えて意味するのであ 越なのか,と.この超越が他者との関係(水平 る.これが「私のうちなる〈他なるもの〉の観念 的な?)を起点として生起したということが意 をはみ出す」という事態であるが,このとき,私 味しているのは,他なる人間が〈神〉であると は当然のことながら「戸惑い」を感じる.この戸 いうことでもなければ, 〈神〉とは大文字の〈他 惑いは,「よくわけのわからないもの」との出会 者〉であるということでもないのである.」 (DD, いによって引き起こされるわけだが,この出会い 170) によって,認識とは異なる〈他〉との関係,つま り,みずからの自由に対する異議提起としての倫 レヴィナスの言う他者が「神」のことだとする 理的関係がすでに生起しているのである. 判断は,あまりにも性急であるか,深読みのし ⎝3) 32 すぎであると言わざるをえない.では,他者と レヴィナスにとって重要なのは,「神は現前し 「神」はどう違うのであろうか.レヴィナスによ ない」という点を強調することにある.哲学の対 れば,「神」とは「他者とは異なるもの,他なる 象であるにしろ,信仰の対象であるにしろ,いず 仕方で他なるもの,他者の他性に先立つ他性の他 れの場合も,私たちは「神」なるものを目の前 なるもの」(DD, 115)である.しかも,私たちが に「現前」させていることに変わりはない.これ 直接にかかわるのは「他者」であって「神」では とは違った仕方で「神」を考えるために,レヴィ ない.エゴイストとしての私は無神論者であり, ナスが用いるのが,この場にいない者を指す三人 自分を超える超越的な価値を知らない.したがっ 称である「彼(I1)」という概念である.「彼」は て,レヴィナスが考えているのは,他者へのかか この場に「不在」であるがゆえに,私の相関者と わりをつうじてのみ「神」を考えることができる はなりえない.私は自己内発的な「欲求」によっ のではないかという可能性なのである. てすべてのものを意味づけるが,そうした自己を とするなら,「神」についても,それを知の対 中心とした「意味連関」がいわゆる「世界」であ 象としてふさわしいかどうかが問題ではなく,そ るとすれば,「世界」は私を中心に織りなされる れが私たちの「観念に到来する」のはなぜかとい 一つの「内在性」であり,レヴィナスの言い方を うことが問題となるはずである.レヴィナスに すれば,一つの「全体性」であると言うことがで とって問題なのは,「神が観念に到来する」とい きる.他人もまたそうした「世界」の一部をなす う事態そのものである.言い換えるなら,「神」 ものとして,組み込まれることは言うまでもな が哲学と何らかの関係があるということである い.しかし,その一方で,みずからの欲求に根ざ が,しかし,何らかの関係をもちつつも「現前 すことのない他人へのかかわりがあることもまた (présence)」 と し て で は な く「 不 在(absence)」 事実である.自己内発的な欲求ですべてが片付く として哲学にかかわるという事態のことである. のであれば,私たちが日常的に行っている他人へ レヴィナスは早くから,神学における神理解 のかかわりは,そのほとんどが,何の得にもなら に関して批判的な見解を抱いていた.レヴィナ ないもの,ナンセンスなものである.とするな スによれば,「哲学は〈神〉に存在という範疇を ら,他者へのかかわりには,自己内発的な欲求と 適用したり,〈神〉を〈創造者〉として思い描い は異なる動力が,つまり,他者へと赴くよう私を たりした」ため,「〈神〉の問題は,〈神〉の実在 強いているものがあると考えることができる.他 の問題でしかなかった」(DE, 97).また,『全体 者へとかかわるとき,私はこの強いているものの 性と無限』においてもすでに,「神学は不遜に ことを意識することはできないが,にもかかわら も,〈神〉と〈被造物〉とのかかわりを存在論の ず,私は確実にそうした動力によって動かされて 用語で扱っている」(TI, 269)と述べられていた. いる.他者へのかかわりそのものが,そうした動 4 4 4 4 4 こうした問題意識がその後,「存在に感染せざる 力の「痕跡(trace) 」である.「痕跡」とは「そも 〈神〉(Dieu non contaminé par lʼêtre) 」(AE, x)とい そも現前しえないもの」が私たちに何ごとかを告 う観念や,ハイデガーの「存在‐神‐学(onto− げるということであり,意味するものがそこで意 théo−logie)」との対決にまで及ぶものであること 味されているものを明示する記号とは異なる.痕 は言うまでもない.しかし,『全体性と無限』で 跡が何を意味するかは,まさしく「謎(énigme) 」 は,他者はあくまで「存在者」として扱われてい である.「謎」とは,「〈他なるもの〉がみずから る.とすれば,「他者」と「神」との違いは,前 の秘匿性(incognito)を保持しつつ私の承認を呼 者が存在者であるのに対して,後者は存在者では び求める仕方」ないし「現れることなく現れる仕 ないという点にあるということになるだろうが, 方」(EDE, 209)であり,「現象」ないし「現前」 4 4 4 では,どのような理由で,「神」は存在者ではな と対置される概念である.万人に等しく認められ いと言われるのであろうか. るものではないがゆえに,真偽という二項対立を Vol. 6 (2012) 33 超えた「謎」であるが,それはちょうど他者の顕 要なことは,通常の順序である「存在から意味 現様態である「顔」についても同様である.「顔」 へ」ではなく,「意味から存在へ」という方向性 を認めようとしない者に,「顔」が語りかけるこ であったということである. とはない. ここで,二つ目の問いを明確にしておこう.そ れは,「神は実在するか」という問題である.周 4.倫理と宗教 知の通り,キリスト教神学を基調とする中世哲学 私たちが本論で取り組んだのは,レヴィナス において,「神」が実在するか否かは主要テーマ は「神」をどのように考えているのかという問題 の一つであり,いわゆる「神の存在証明」なるも であった.この問題は,レヴィナスの思想につい のがいくつも提示された.一般的な哲学史的理解 ての全般的理解を目指す上で避けて通ることので では,このような証明の試みは信仰への疑念が増 きない一つの大きな障壁をなしていると言っても してきたことの反映であるとされる.信仰が疑わ 過言ではないだろう.この問題をどう捉えるかに しいものとなったからこそ,哲学者たちはこぞっ よって,レヴィナスの思想に対する私たちの態度 て「神」の存在を証明しなければならなくなった もまったく正反対のものとなってしまう.つまり, というわけである.当然のことながら,「神」を 「神」というものをレヴィナスの思想の「前提」と 存在の次元で考えることを拒否するレヴィナスに 考えるのか,それともレヴィナスの思想そのもの とっては,「神」が実在するか否かという問いに が「神」についての新たな思考を提示しているの は何の意味もないものである. か,ということである.言うまでもないが,これ ら二つの疑問は完全に切り離して考えることはで 「実在するか否かという問いは究極的な問い きない.というのも,神概念に関する先行理解が であろうか.意味作用の意味生成および隣人の なければ,それを哲学的に思考することに積極的 近さの背後に神が実在するのではないかという な意味は見出せないだろうし,かといって, 「神」 問題を提起すること,それは,事態をはっきり についての先行理解が思考をすべて指揮している させ,『取るに足らぬもの(néant)』や口先に というのも極論であると言わざるをえない. 惑わされたくないという欲望の仕業であると一 ここで,従来の哲学が宗教に対してとってきた 般には言われている.しかし,このことは,全 スタンスには大まかに否定的なものと肯定的なも 体性ならびに実効性の威信を証示してもいる. のとに分けられるが,それを要約して言えば,① 存在の哲学は必ずや全体性と実効性に舞い戻る 「哲学的知の堅持」と②「哲学的知の有限性」と のだが,そこから通俗的な諸々の確信が生まれ いうことになる. る.世界に住まう人間の内存在性の目的性に背 4 4 4 4 くものである意味作用に抗して,他なるものの 4 4 ①「哲学的知の堅持」:哲学的知に対し,宗教 ための一者に抗して,神の実在の問題を立てる 的知は不合理なものであるとし,宗教を否定 こと,それは存在の統一性ないし存在の存在 的に捉える 性の一義性だけで満足することなのである.」 (AE, 120) ②「哲学的知の有限性」:哲学的知に対し,宗 教的知は人知を超えたものであるとし,宗教 を肯定的に捉える レヴィナスにとってなぜ「神」の実在が問題と はなりえないのかは,結局のところ,「神」が実 ギリシア時代における哲学の開始より,哲学は 在したとしても,「それが私にとって何の意味が 森羅万象の説明に関して神話的説明法を用いない あるのか」という問題が次に提起されるだけだか ということを旨としてきたわけで,その意味で らだと言える.つまり,レヴィナスにとって重 は,哲学の歩みはそのまま「脱神話化」の歩みで 34 あったと言うことができる.中世におけるキリス 関係は決して直線的でも単純なものでもないが, ト教神学の時代においてさえ,哲学はつねに合理 ごく簡単に言えば,享楽的な生き方を追及するの 的理解と信仰の狭間でその活動を続けてきた.哲 が「美的段階」 ,倫理という普遍的なものを追究す 学は「現実」の説明である限りで,現実との直面 るのが「倫理的段階」 ,信仰という内面的なものを を余儀なくされているが,それと同じ程度で,宗 追究するのが「宗教的段階」だということになる. 教との直面をも余儀なくされている.というの キェルケゴールは「神の前の単独者」になるとい も,人間の現実は一枚岩ではなく,精神や身体と うことを最終目標に据えていたわけだが,この宗 いう層,価値的な層や宗教的な層といった,原理 教的色彩を脱色して成立したのが,主体性を説く 的には異なるが相互に密接に連関しあって一つの 実存思想であったと言うことができる.通俗的な 現実を形成しているという「多層構造」になって 理解では, 「他人や社会の言いなりにならず,自分 いるからにほかならない.現実の何か一つの側面 らしく生きる」といったことが主体性であるとい を取り出せば,それに付随する様々な現実が連鎖 うことになるが,こうした考え方が時として破壊 的に問題となっていく.哲学が「科学」と異なる 的な行動を正当化するために使われるという悲劇 のは,これこそ哲学そのものの長所でもあり短所 を生むことになる.伝達不可能とされる内面性の でもあるのだが,「対象や範囲を限定しない」と 最たるものは,宗教的な表現では「信仰」 ,非宗教 いう点にあるのである. 的な表現では「信条・信念」と呼ばれる. 「神」は誰にでも分かるような仕方で現れたこ 宗教のまとう形態は実に様々であるが,何かそ とは一度もないわけだから,「神は実在しない」 こに共通する特徴のようなものを見出せないかと と言える.あるいは,「神」が実在すると考えた 考えてみると,まず思いつくのが,「宗教」と呼 方がものごとをいっそうよく説明することがで ばれるものに最低限共通する点は,それが「信じ きる,とか,「神」が実在しなければ私たちの一 る」という行為であるということである.つま 切の行いが支えを失うとか,そういった理由か り,何か超自然的な存在(「神」)であれ,宇宙を ら「神」が要請される場合もある.しかし,この 支配する法則(「法」)であれ,そういったものが 「要請された神」は,パスカルが「哲学者たちの 存在すると「信じる」ことが,宗教を「宗教」た 神」として批判したものであった. らしめる最低限の条件であると言える. ここで,「神」に関するパスカルの有名な区別 そもそも,「信じる」とはどういうことだろう を思い出しておこう.パスカルは,哲学的な証明 か.その答えの一端を,私たちはどのようなとき や演繹の過程で理解されるような最高存在者とし に「信じる」という言葉を使うかを思い出してみ ての「神」を「哲学者たちの神」と呼び,信仰に ることで得ることができる.「今日は晴れている」 おいて人々がかかわる「神」である「アブラハ といった誰の目にも明らかな「事実」については ム,イサク,ヤコブの神」から区別した.そうす 「信じる」とは言わないのに,「私が述べているこ ることで,パスカルは「哲学」と「宗教」とを明 とは本当のことだ」という主張に対しては,「君 確に対立させたのである.この区別が出されたこ の言うことを信じよう」と言う.この例からも分 とで,「神」について哲学的に語ることがますま かるように, 「信じる」と私たちが言う場合,そ す困難になったと言える. こには,「信じる対象の真偽が定かではない」と もう一つ,倫理と宗教とを対立させて考える いうことが前提にある.誰が見ても明らかに正し キェルケゴールの図式がある.キェルケゴール いことや誤りであることについては,「信じる」 のいわゆる「三段階説」は,実存を「美的段階」 , とは言わない.どのような手段を講じても真偽を 「倫理的段階」 , 「宗教的段階」の三段階において捉 確かめることはできないが,それでも真であると え,実存はこの三つの段階を順番に経て,真理へ 考え,決して疑わないということが「信じる」と と到達するという考えである.それぞれの段階の いうことであると言えよう.「知ること」と「信 Vol. 6 (2012) 35 じること」とのこうした交差を言い表した有名な 考え方そのものが正しいと認められても,それ 言葉として,テルトゥリアヌスの「不合理なるが は「神」について考える途が完全に閉ざされたと ゆえに我信ず」や,アンセルムスの「知るために いうことを意味しているわけではない.ここで 我信ず」いうのがある.アンセルムスの言葉は, レヴィナスの言う「倫理」とは言うまでもなく, 権威に依拠して信じるだけで理性的探求を軽んじ 「他者に対する責任」である.他者に対する責任 る立場と,理性的探求に立脚して信仰に異議を唱 は,他者の「顔」による命令「汝,殺すなかれ」 える立場の双方に対する戒めとして,まず「信じ によって引き起こされるものであった.言うまで る」ということから出発して,自分の信仰の根拠 もなく,他者が本当にそうした命令を発している を探求すべきであるという意味であると言われる かが問題なのではなく,他者へとかかわっている が,いずれせよ,知りえないから,あるいは,い という私の振舞い自体によって,その命令を聞く まだ知りえてないから,「信じる」と言わざるを 前にすでにその命令に従っていることが明らかと えないのである. なるような,アナクロニックな命令なのである. こうしたことを踏まえて言えば,パスカルは レヴィナスが新たに提示した「倫理を起点とし 「知」と「信」を分離・並置するという図式を提 て神を考える」という手法は,すべての宗教に対 示し,キェルケゴールは「知」よりも「信」を上 して適用しうるものではもちろんないだろう.し 位に置き,前者から後者へ移行するという図式を かし,この手法は決して絵空事として片付けられ 提示したのだと言える.これは,知と信の関係に るものではなく,宗教哲学の議論に新たな可能性 対する二つのモデルであると同時に,ある哲学者 を提示しうるものであると言える. の思想についての研究においてもよく見受けられ るモデルである.つまり,純粋に理論的な問題の みを扱おうとする研究はパスカル図式に従ってお 凡例 1.本文中で二字下げて「 」で括ってある箇 り,思想背景に宗教的な影響を見ようとする研究 所はすべて引用文であり,訳文は原則として はキェルケゴール図式に従っていると言える.同 筆者自身の手によるものである. じユダヤ系であるフッサールに関する研究に,そ 2.大文字で始まる用語は,〈 〉で括ってあ の背景として宗教の影響を探ろうとするものはま る.原書でイタリック体になっている箇所は ず見ないのに,レヴィナスに関する研究となる 傍点を付してある. と,キェルケゴール図式が適用されることはよく 3.レヴィナスの著作からの引用は,該当箇所に あることである.こうした図式の適用は恣意的な 以下のような略記号(著作名)と数字(ペー ものであり,私たちはこの適用には注意しておく ジ)を( )で括って付記する. 必要がある. 本論でこれまで述べてきたことを総合して考え て,私たちは,レヴィナスは「神」について考え る新たな図式を提示したのだと言うことができ る.それは,パスカルやキェルケゴールが考えた ように,「哲学か,それとも信仰か」といった二 者択一的な枠組みで「神」を考えるよう迫るのと は違った,第三の図式である.レヴィナスがその 独自の思想の歩みを開始して以来,常に,基本と してきた姿勢が「倫理を起点として考える」と いうものであった.本来信仰の対象である「神」 を合理的に理解しうるはずがないという従来の DE; De l’évasion, 1935, Montpellier, Fata Morgana, 1982. EDE; En découvrant l’existence avec Husserl et Heidegger, 1949 , Réimpression conforme à la première édition suivie dʼessais nouveaux, Paris, J. Vrin, 1994(édition citée). TI; Totalité et Infini, Essai sur l’extériorité, La Haye, M. Nijhoff, 1961. AE; Autrement qu’être ou au-delà de l’essence, La Haye, M. Nijhoff, 1974. EI; Ethique et Infini, Paris, Fayard, 1982. DD; De Dieu qui vient à l’idée, Paris, J. Vrin, 1982, 2e 36 vers., 1986. に感じることができる.言葉が通じない以 Morgana, 1994. が,それが何なのかが分らない.にもかかわ LC; Liberté et commandement, Montpellier, Fata 注 上,何かを尋ねられているということは分る らず,「何かを言わなければならない」とい う責務のようなものが切迫感とともに私に突 (1)Maurice Blanchot, “Connaissance de lʼinconnu” (1961), in L’entretien infini, Paris, Gallimard, 1969, 460p. ( 2 )Jacques Derrida, “Violence et métaphysique” ( 1964), in L’Écriture et la Différence, Paris, Éditions du Seuil,1967, p.152. (3)卑近な例ではあるが,言葉の通じない外国人 との対面の場面では,こうした事態を具体的 きつけられているのを感じる.これは,柄谷 行人が『探究Ⅰ・Ⅱ』(東京,講談社学術文 庫,1992 / 94年)で提示した,「他者とは言 語ゲームを共有しない者のことである」とい う定義が言わんとしていることでもある. (4)もちろん,こうしたレヴィナスの発想の裏 に,「神」との直接的な交渉に禁欲的なユダ ヤ教の影響を見ることもできる. Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 37 − Review −− Articles − On a certain symmetric property in the geometry of numbers Makoto Nagata Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1 Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan (Received September 20, 2011; Accepted November 17, 2011) We present a symmetric property on S3 in connection with the so-called Minkowski’s first theorem in the geometry of numbers. 1 Motivation and Results our interest is a symmetry in the statement. This There is a theorem that is called the “Theorem requires an explanation. of Blichfeldt” [1, p.42, Theorem 2] related to Minkowski’s first theorem in the geometry of numbers. We regard Theorem 1 below as (a subset version of) the Theorem of Blichfeldt. For two subsets A and B of an abelian group, we write A-B={a-b|a!A, b!B}. Here we use the symbols +, - and 0 in the usual sense. By taking account of the adelic geometry of numbers, we consider the following: Let G be Note that K=K-K, i.e., K is also a “set of difference” as well as A-A. If one puts these 2 sets of difference as P1=K-K, P2=A-A, then Theorem 1 says that P1+P2!{0}. Needless to say, of course, it also says that P2+P1!{0}. Thus there is a (trivial!) symmetry on S2 for these 2 sets of difference, P1 and P2, in Theorem 1; i.e., for any T!S2, PT(1)+PT(2)!{0}. Here S2 is the symmetric group on 2 elements. a locally compact abelian group, and let K be a discrete (at most countable) subgroup of G such that G/K is compact. Let n be the Haar measure on G, and let F be a measurable fundamental Question. What about a (nontrivial, if possible) symmetry on S3? Here S3 is the symmetric group on 3 elements. domain for G/K such that F is contained in a compact subset. Put d(K)=n(F). Suppose that Our answer to this question is the following: d(K)>0. Let A be a measurable set contained in Let X be a subset of G. We introduce X-X a compact subset of G. as the third set of difference. Let P 1=K-K, P2=A-A and P3=X-X. Theorem 1. If n(A)>d(K), then K+(A-A) !{0}. Theorem 2. If #X · n(A)>d(K), then (PT(1)+ PT(2)),((PT(1)-PT(2))+PT(3))!{0} for all A century has passed since the geometry of T!S3. Here #X denotes the cardinality of X. numbers came into being. In this paper, we are hardly interested in what Theorem 1 means. If #X=1, then X-X={0}, so it is obvious that That is, our interest is not the existence of Theorem 2 implies Theorem 1. Conversely we lattice points in a measurable set itself. Rather, show that Theorem 1 implies Theorem 2. 大阪薬科大学 e-mail: [email protected] 38 2 Proofs We recall a proof of Theorem 1. The following intuitive proof is well-known as “the average method.” Note that it shows that (K-K)+(A-A)!{0}. Proof of Theorem 1. (cf. [1, p.48, Theorem 2]) Let f : G → R be the characteristic function of A: f(x)=1 if x!A, f(x)=0 otherwise. Then aj!Ai-Aj. Conversely, if xi-xj!Ai-Aj, then there exists ai!Ai; and there also exists aj!Aj such that xi-xj=ai-aj. Put x:=ai-xi=aj-xj, then x!(Ai-xi)+(Aj-xj ). Now, on the assumptions of Lemma 1, we have (Ai-xi)+(Aj-xj)=Q for i!j. Let A be a disjoint union .Ni=1 (Ai-xi). Then n(A)=RNi=1 n(A i-x i) =R Ni=1 n(A i)>d(K). By Theorem 1, there exists z!K\{0} such that z!A-A. That is, there exist x, y!A such that z=x-y. Thus, there exist i, j (it is not necessary that i!j) such Thus that x!A i -x i , y!A j -x j ; and so there exist ai!Ai and also aj!Aj such that x=ai-xi, y=ajxj. Therefore z+(xi-xj)!Ai-Aj. Since n(F)=d(K) and since n(A)>d(K), we have supx!F Ra!K f(a+x)>1. That is, there exists x!F and there exist a, b!K with a!b such that a+x, b+x!A. Therefore, a-b!A-A. We use Lemma 1 below in our proof of Theorem 2. It is deduced from Theorem 1, which is the case of N=1. Proof of Theorem 2. If #X=1, then P3={0} and then Theorem 2 follows from Theorem 1. Now we assume that #X$2. Note that Pi=-Pi for i =1, 2, 3. Since #X · n(A)>d(K), one can take {x1, . . . , xN} 1X with N · n(A)>d(K). Let each A1, . . . , AN (in Lemma 1) be A. Then RNi=1 n(Ai)>d(K). (Case 1) 1. Let N$2 be a natural number, fixed. (P1\{0})+P2!Q, then we have nothing to do. Consider different N points x1, . . . , xN!G and Assume that (P1\{0})+P2=Q. consider measurable sets A 1, . . . ,A N which If xi-xj"A-A=P2 for all i, j (i!j), then, by are contained in a compact subset of G. Here Lemma 1, there exist z!P1\{0}, p, q (it is not it is not necessary that Ai!Aj for i!j, but it is necessary that p!q) and b!P 2 such that necessary that xi!xj for i!j. -z=b-(xp-xq)!P1\{0}. That is, xp-xq=b+z. If If x i -x j "A i -A j for all i, j (i!j) and if RNi=1 n(Ai)>d(K), then there exist i, j (it is not T is the identity, that is, T=e 1 2 3 o: If 123 Lemma 1. Let G, K, n, d(K) be as in Theorem p=q, then b+z=0 and then P1\{0}"-z=b!P2, which contradicts to the assumption (P 1 \ necessary that i!j) and there exists z!K\{0} {0})+P2=Q. Thus, we have p!q. Therefore, such that z+(xi-xj)!Ai-Aj. P 1 -P 2 "z+b=x p -x q !P 3 and, by x p -x q !0, (P1-P2)+P3!{0}. Proof. We show first the equivalence between If there exist i, j (i!j) such that xi-xj!P2, (A i -x i )+(A j -x j )!Q and x i -x j !A i -A j for then P3"x i-x j!P 21P 1-P 2 and, by x i-x j!0, i!j. Here Ai-xi means Ai-{xi}. (P1-P2)+P3!{0}. If there exists x!(Ai-xi)+(Aj-xj), then there also exists ai!Ai; and there exists aj!Aj such that a i -x i =x=a j -x j . Therefore x i -x j =a i - (Case 2) T =e12 23 31o: Assume that P2+P3={0}. Vol. 6 (2012) 39 Note that P2+P32{0}. Then x i-xj"A-A for i, j (i!j). By Lemma 1, there exist i, j (it is not necessary that i!j) such that (K\{0})+(A-A){xi-xj}!Q. Therefore (P2-P3)+P1!{0}. =e 11 23 32 o: If P 3+P 2!{0}, then, by 0!P1, {0}!P3+P21(P1-P3)+P2. Thus, we can (Case 3) T assume that P2+P3={0}. By Case 2, we have (P2-P3)+P1!{0}. That is, there exist z!P1\{0}, b!P2, y!P3 such that z=b+y. If b=0, then 0!z=y, meaning that P1+P3!{0}. If b!0, then, by P2"b=z-y!P1-P3, (P1P3)+P2!{0}. In either case, we have (P1+P3) ,((P1-P3)+P2)!{0}. 1 2 3 o(e1 2 3 o,e1 2 3 o) 213 321 312 follows from Case 1 (resp. Cases 2, 3). (Case 4) The case of T=e References [1] P. M. Gruber, C. G. Lekkerkerker Geometry of Numbers North-Holland Mathematical Library, Vol. 37 1987 (2nd ed.) Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 41 − Articles − 薬学系大学生の英語学習に対する意識: 学部生を対象とするアンケート調査から スミス山下朋子 Japanese Pharmaceutical Students’ Attitudes toward English Learning: Survey Results from One University Tomoko Yamashita Smith Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan (Received October 14, 2011; Accepted December 1, 2011) A survey on English was conducted at Osaka University of Pharmaceutical Sciences in order to learn about the students' attitudes toward English and their needs in English education. The results show that 1)many students are not confident with their English ability, 2)Almost all the students feel they need to study English, 3)Many of the students would like to study English for purposes related to their profession. Key words −−Survey, English learning, ESP (English for Specific Purposes) 72名,2 年次生68名,計140名の学生から回答と 1.はじめに データ利用の承諾を得た. 一般的に,理系の学生は英語を苦手と感じてい 1 調査時期は2011年 4 月初旬で,各クラスの初回 る者が多いと考えられている.「第 1 回 中学校英 授業の時間に質問紙を配布し,各受講生に回答し 語に関する基本調査」によると,小学校で英語を てもらった.アンケートの質問項目は以下のよう 経験していても,6 割の中学生が「英語を苦手と な内容である. 2 感じている」としており,日本人の多くが英語を 苦手だと感じているのかもしれない.では本学の 学生はどのように感じているのだろうか.学生の 実態を測る第一歩として 1 ,2 年次生対象とし, 英語学習に関するアンケート調査を実施した.回 答結果に基づき,学生の英語学習に対する意識や ニーズを分析した. 2.調査方法 アンケート調査は大阪薬科大学薬学部に所属す る 1 ,2 年次生を対象とした.2011年度前期に筆 者が担当した「英語 1 」及び「英語 3 」の 4 クラ スの受講生にアンケート回答を依頼し,1 年次生 大阪薬科大学 e-mail: [email protected] 1)海外滞在・在住経験について 2)英語の好き嫌いについて 3)英語が得意か不得意かについて 4)英語学習の必要性について 5)伸ばしたい英語のスキルについて 6)英語の学習の動機について 3.結果と考察 以下にアンケートの回答の集計結果と考察を述 べる.結果は全体の傾向を示す他に,学年別 2 グループに分け,カイ二乗検定を用いて比較し (Excel 使用)考察を行った. 42 1)海外滞在・在住経験について ては,全体的に見ると,「ふつう」が44%で最も まず,海外での滞在期間であるが,1 年次生と 多かった.「大好き」,「好き」とポジティヴな回 に見ると,約半数が「滞在なし」で,「旅行程度」 「好きではない」,「嫌い」とネガティヴな回答を が36 %であり,両者で計84 %となった(表 1 参 した協力者の合計は30%と同じような割合であっ 2 年次生でほとんど差が見られなかった.全体的 照). 答をした協力者の合計は26%であったのに対し, た(表 2 参照). また,図 1 に示したように,1 年次生と比べ 2)英語の好き嫌いについて 次に,英語が好きか嫌いかという質問に対し て,2 年次生の方が「嫌い」と回答した者が多 かったが,統計的には有意差は出なかった. 表 1 海外での滞在期間 Q:海外に行ったこと,住んだことがありますか. 1 年次生 2 年次生 全体 度数 パーセント 度数 パーセント 度数 パーセント 1)海外滞在なし 35 49% 32 47% 67 48% 2)旅行程度 23 32% 28 41% 51 36% 3)1 か月未満 9 13% 6 9% 15 11% 4)1 か月~ 2 か月未満 2 3% 2 3% 4 3% 5)2 か月~ 6 か月未満 0 0% 0 0% 0 0% 6)6 か月~ 1 年未満 0 0% 0 0% 0 0% 7)1 年以上 2 年未満 1 1% 0 0% 1 1% 8)2 年以上 2 3% 0 0% 2 1% 合計 72 68 140 表 2 英語が好きか Q:英語が好きですか. 1 年次生 2 年次生 全体 度数 パーセント 度数 パーセント 度数 パーセント 1)大好き 0 0% 3 4% 3 2% 2)好き 19 26% 15 22% 34 24% 3)ふつう 31 43% 30 44% 61 44% 4)好きではない 15 21% 8 12% 23 16% 5)嫌い 7 10% 12 18% 19 14% 合計 72 68 140 図1 英語は好きか Vol. 6 (2012) 43 3)英語が得意か不得意かに関して 程度で, 「ふつう」 , 「あまり得意でない」 , 「苦手」 英語の能力に自信があるかどうかの質問に対し と答えた協力者がそれぞれ約30 %程度であった. 「かな ては, 1 ,2 年次生で差は見られなかった. 「あまり得意でない」 , 「苦手」と答えた協力者の合 た, 「まあまあ得意」と答えた協力者は全体の10% もっていないことが分かる(表 3 ,図 2 参照) . り得意」と答える協力者が一人もいなかった.ま 計は60%となり,半数以上が英語の能力に自信を 表 3 英語の能力に自信があるか Q:英語の能力に自信がありますか. 1 年次生 2 年次生 全体 度数 パーセント 度数 パーセント 度数 パーセント 1)かなり得意 0 0% 0 0% 0 0% 2)まあまあ得意 6 8% 8 12% 14 10% 3)ふつう 21 29% 21 31% 42 30% 4)あまり得意ではない 25 35% 20 29% 45 32% 5)苦手 20 28% 19 28% 39 28% 合計 72 68 140 図2 英語の能力に自信があるか 4)英語学習の必要性について 英 語 が 必 要 か と い う 問 い に は, ほ ぼ 全 員 (99%)が必要だと回答した.調査協力者は,英 語の好き嫌いや苦手意識には関係なく,必要性が あると考えていることが分かる(表 4 ,図 3 参 照).1 年次生と 2 年次生では差が見られ,1 年次 生の方が「とても必要」と考えている者が46%に 対し,2 年次生は28 %である.逆に,「必要」と 回答した者は 1 年次生では53 %であったのに対 し,2 年次生では71%となった.必要性を強く感 じているのは 1 年次生だということが分かった (有意差有り.P<.05). 表 4 英語学習の必要性 Q:あなたにとって英語の学習が必要だと思いますか. 1 年次生 2 年次生 全体 度数 パーセント 度数 パーセント 度数 パーセント 1)とても必要 33 46% 19 28% 52 37% 2)必要 38 53% 48 71% 86 61% 3)あまり必要ではない 1 1% 1 1% 2 1% 4)必要とは思わない 0 0% 0 0% 0 0% 合計 72 68 140 44 図3 英語学習が必要か 英語の学習が必要だと考える場合は,自由記述 いる」と回答する者が多かったのに対し,TOEIC でその理由を回答してもらった.結果は以下の通 などの具体的な理由を記述した者は少なかった. りである.「社会的に必要だから」,「グローバル これは,興味深い結果である.今回の調査では, 化された現在社会には必要だから」,「英語は世界 調査協力者がまだ学部 1 ,2 年次生で,英語学習 共通言語だから」などという外的要因から必要性 に関する知識を多く持っていないため,具体的な を感じている者が最も多かった(全体の36 %). 理由の記述が少なかったのかもしれない.また, そ の 次 に 多 か っ た の は,「 仕 事・ 就 職 の た め 」 (18 %),「外国への興味」(17 %),「学業のため」 図 4 に示したように,1 年次生と 2 年次生を比べ ると,「社会的必要性」と回答した者が 1 年次生 (16%)であった(表 5 参照).これら 3 つは内的 では47%であったのに対し,2 年次生では25%と ものと考えていることが分かる.ごくわずかに いる割合が高いことは明らかである.表 6 のよう なっており,2 年次生の方が内的要因を記述して 要因であり,英語学習が自分自身にプラスになる 「TOEIC などの資格取得のため」という回答も含 まれた.全体的に漠然と「社会で必要とされて に外的要因と内的要因の 2 項目に分類し,学年別 に比較すると有意差がでた(P<.01) 表 5 英語学習が必要な理由 Q:英語学習が必要な理由(自由記述) 1 年次生 2 年次生 全体 度数 パーセント 度数 パーセント 度数 パーセント 社会的必要性,グローバル化のため 34 47% 17 25% 51 36% 仕事,就職のため 10 14% 15 22% 25 18% 外国への興味(旅行・交流・情報収集) 6 8% 18 26% 24 17% 学業のため 9 13% 13 19% 22 16% 資格取得のため(TOEIC など) 2 3% 2 3% 4 3% 苦手だから克服したい 4 6% 0 0% 4 3% 回答なし 7 10% 3 4% 10 7% 合計 72 68 140 苦手の 克服 資格 取得 学業 外国への 興味 仕事、 就職 社会的 必要性 図4 英語学習が必要な理由(自由記述) Vol. 6 (2012) 45 表 6 外的・内的要因別 外的要因(社会的必要性,グローバル化のため) 内的要因(仕事,就職のため,外国への興味,学業のため, 資格取得のため,苦手だから克服したい) 合計 1 年次生 2 年次生 度数 パーセント 度数 パーセント 34 52% 17 26% 31 65 48% 48 74% 65 「リーディング」,「薬学英語」と続いた.「ライ 5) 伸ばしたい英語のスキルについて 英語のスキルの中で伸ばしたい項目を複数回答 ティング」と「文法」はあまり求められていない で選択してもらった.特にない場合の選択肢も含 ようである(表 7 参照).図 5 に示したように, まれていたが,それを選んだ協力者は 2 %以下 1 ,2 年次生を比べると,2 年次生は 1 年次生よ にとどまった.全体的に見ると,最も伸ばした りも「リーディング」と「薬学英語」を学習した いスキルは「リスニング」で,「スピーキング」, いと望んでいる者が若干多いことが分かる. 表 7 伸ばしたいスキル Q:自分で伸ばしたいと思っているスキル等はありますか.(複数回答可) 1 年次生 2 年次生 全体 度数 パーセント 度数 パーセント 度数 パーセント 1)リスニング 44 31% 45 26% 89 28% 2)スピーキング 32 22% 34 19% 66 21% 3)リーディング 19 13% 35 20% 54 17% 4)専門の薬学英語 16 11% 26 15% 42 13% 5)ライティング 15 10% 19 11% 34 11% 6)文法 15 10% 15 9% 30 9% 7)特にない 3 2% 2 1% 5 2% 合計 144 176 320 図5 伸ばしたいスキル 46 6)英語学習の動機について 3 あった.「仕事」,「学業」,「資格・検定試験」は 語学学習の動機は様々な区分に分けられるが, 「職業・専門性志向」の学習動機であり,本学の 今回は先行研究の結果をもとに日本人大学生が多 学生の動機としては最も高いことが分かった.反 く選びそうなものを選択肢とした.英語学習の動 対に「外国のことを学んだり,知識を得たりする 機についての問いに対し「特にない」と回答した ため」や「英語学習によって達成感や満足感を得 協力者は 1 ~ 3 %程度で,ほとんどの協力者が ることができるから」という「自己向上志向」の 年次生で差が見られなかった.全体的に見ると, 参照).先行研究によると,一般大学学生と医科 4,5,6 具体的な選択肢を選んだ.動機に関しては 1 ,2 動機の項目を選択する学習者は少なかった(表 8 「将来仕事に役立てるため」という回答が最も多 大学学生と比較して,前者の方が「自己向上志 く,24 %を占めた.次に多かったのは 3 項目で, 向」が高く,後者では「職業・専門性志向」の学 試験のため」,「海外旅行」がそれぞれ16~17%で 況となっていることが分かった. 「専門の勉強のため」,「TOEIC などの資格や検定 7 習動機が高くなっている.本学でも後者と同じ状 表 8 英語学習の動機 Q:どうして英語を勉強したいですか.○をつけてください.(複数回答可) 1 年次生 2 年次生 全体 度数 パーセント 度数 パーセント 度数 パーセント 将来仕事に役立てるため 59 26% 42 22% 101 24% 専門(薬学)の勉強に役立てるため 44 19% 30 15% 74 17% TOEIC などの資格や検定試験のため 34 15% 35 18% 69 16% 海外に旅行したいため 32 14% 34 17% 66 16% 海外の映画や音楽が好きだから 18 8% 17 9% 35 8% 外国のことを学んだり,知識を得たりするため 22 10% 13 7% 35 8% 英語学習によって達成感や満足感を得ることができるから 7 3% 7 4% 14 3% 外国人の友人がほしいため 4 2% 8 4% 12 3% 留学したいため 6 3% 4 2% 10 2% 特にない 2 1% 5 3% 7 2% その他(自由記述) 0 0% 0 0% 0 0% 合計 228 195 423 4.まとめ 本学の 1 ,2 年次生対象に英語に関する意識調 3)英語学習の動機として「職業・専門性志向」 の動機が高いことが分かった.英語を学業,資 格,将来の仕事に生かしたいということである. 査を実施した.結果として明らかになった全体的 な傾向は以下の 3 点である. 以上の結果から示唆できることは,教室活動に 1)嫌いと答える協力者はそれほど多くなかった り入れることと,より専門性の高い英語教育を提 のに対し,苦手と答える学生の割合が高かった. 供するということである.近年,理系学生対象の 全体的に見て,英語を不得意と考えている学生 英語クラスでは,そのような試みが実践されつ が多いことが分かった. つある.また,学部等で大規模に専門英語教育 2)ほとんどの協力者は,英語学習を必要だと考 えている. 苦手意識をできるだけ取り除けるような工夫を取 8,9,10 (ESP)を試みている大学もある.例えば,東京 11 大学教養英語学部による理系英語プログラムや立 Vol. 6 (2012) 47 12 命館大学のプロジェクト発信型英語プログラムが 挙げられる. 調査」『山形県立米沢女子短期大学紀要』44, pp.25-33 今回の調査では, 1 ,2 年次生の一部の学生を 6 鈴 木 渉・Adrian Leis・ 安 藤 明 伸・ 板 垣 信 哉 あったプログラムを検討するため,今後は, 1 , け調査−Dörnyei の L2 motivational self system 対象に横断的な分析も試みたが,本学の学生に 2 年次生だけではなく, 1 ~ 6 年次生までの横断 的調査も望まれる.また,同じ学生が学年が上が るにつれ,どのように意識を変化させていくかを 探る縦断的調査も必要であろう. (2011)「大学生の英語学習に対する動機づ に基づいて−」『宮城教育大学国際理解教育 研究センター年報』6, pp.34-43 7 浅野志津子(2002)「学習動機が生涯学習に 及ぼす影響とその過程−放送大学学生と一般 薬学教育が 6 年制になって,英語教育の目的や 大学学生と対象とした調査から−」『教育心 はなく,さまざまな視点で薬学系大学生のための 8 土屋麻衣子(2010)「英語が苦手な理系学生 13 到達目標値が再考されてきたが,今後学生だけで 英語教育について考えていきたい. 理学研究』50, pp.141-151 を対象としたワークショップ型英語授業の効 果」『工学教育』58-3, pp.44-50 9 西澤一,吉岡貴芳,伊藤和晃(2010)「工学 系学生の苦手意識を克服し自律学習へ導く英 参考文献 1 ALC(2008)特集「理系的英語学習のススメ」 語多読授業」『工学教育』58-3, pp.12-17 10 野口ジュディー(2010) 「ESP でなにができ る?」『工学教育』58-3, pp.9-11 http://www.alc.co.jp/eng/feature/080725/index. 11 トム・ガリー「東京大学教養英語学部による 2 ベネッセ教育開発研究センター( 2009 ) 語教育学会(JACET)関西支部 第 3 回講演 html http://benesse.jp/berd/center/open/report/chu_ eigo/seito_soku/index.html 3 堀野緑,市川伸一(1997)「高校生の英語学 習 に お け る 学 習 動 機 と 学 習 方 略 」Japanese Journal of Educational Psychology 45, pp.140- 147 4 久 保 信 子(1997)「 大 学 生 の 英 語 学 習 動 機 理系英語プログラムの試み」2010年度大学英 会(2011年 3 月12日) 12 鈴木佑治「立命館大学生命科学部・薬学部 (2010) 「プロジェクト発信型英語プログラム− Project-based English Program」の理論的基盤 と実践」『立命館高等教育研究』10, pp.43-61 13 末広美樹(2005)「 6 年制導入後の薬学英語 教育の目的・必要性・到達目標値の明確化へ 尺度の作成とその検討」Japanese Journal of 向けて:その第 1 歩:薬剤師に必要な英語力 5 佐藤博晴 , 佐藤夏子(2008)「本学学生の英 めて−)」大学英語教育学会(JACET)全国 Educational Psychology 45, pp.449-455 語学習に対する動機付けと学習行動に関する の認識(英語教育の到達目標−その基準を求 大会要綱 44, pp.150-151 大阪薬科大学紀要 Vol. 6(2012) 第2部(薬学系) Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) Part II (Pharmaceutical Sciences) Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 51 − Article − 抗リウマチ薬の関節内投与のための最適製剤設計に関する基本的検討 * 釘 山 直 子 ,岩 永 一 範 ,宮 崎 誠 ,掛 見 正 郎 Design of Optimal Formulations for Intraarticular Administration of Anti-rheumatic Drugs Naoko Kugiyama, Kazunori Iwanaga*, Makoto Miyazaki, and Masawo Kakemi Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1 Nasahara, Takatsuki-city, Osaka 569-1094, Japan (Received October 14, 2011; Accepted November 21, 2011) Rheumatoid arthritis shows the highest disease rate in autoimmune diseases. Therapeutic drugs for rheumatoid arthritis are classified into two categories, disease modifying anti-rheumatic drugs and anti- inflammatory drugs. Both drugs cause systemic side effects; therefore, the establishment of local administration of these drugs is desired for safe therapy. In this study, we investigated the intraarticular disposition of anti- rheumatic drugs (bucillamine and celecoxib) after local administration. When both drugs were administered to rat’s ankle joint cavity as a control formulation (solution), both drugs quickly eliminated from the ankle joint cavity regardless of their physicochemical property and dosing amount. T1/2 of bucillamine and celecoxib in the joint cavity was approximately 4 min and 9 min, respectively. Liposome and microemulsion were chosen and evaluated as the formulations to retain drugs in the joint cavity. T1/2 of both drugs was prolonged more than 30 min by liposome. It is speculated that the entrapment of drugs in liposome increased apparent molecular weight of the drugs and decreased permeability of drugs through synovial membrane. Microemulsion also extended T1/2 of both drugs. Interestingly, the enhancing effect of drug retention in the joint cavity by microemulsion was significantly higher than that by liposome although the particle size of microemulsion was approximately 1/500 of liposome. The viscosity of microemulsion was much higher than that of liposome; therefore, this may relate to the higher retention of microemulsion in the joint cavity. In conclusion, the formulation with higher viscous property is promising for longer retention of anti−rheumatic drugs after intraarticular administration. key words ------- Rheumatoid arthritis; intraarticular administration; liposome; microemulsion 2) 緒 言 び骨細胞の破壊が起こることにより悪化する.し 重症筋無力症,バセドウ病,関節リウマチ,全 かに正常な関節機能を維持するかが関節リウマチ 身性エリテマトーデスに代表される自己免疫疾患 治療において重要となる.しかし関節リウマチな のうち,関節リウマチは最も患者数が多く,世 どの自己免疫疾患は,鑑別が難しく,確定診断ま 界人口の約 1 %が罹患していると考えられてい でに時間がかかることが多いのが問題とされてい る.関節リウマチの特徴として,可動関節の周辺 る. を覆う滑膜細胞の異常増殖(パンヌス形成)があ 疾 患 修 飾 性 抗 リ ウ マ チ 薬(Disease Modifying 1) げられる.滑膜細胞が炎症を起こすことで種々の サイトカインが分泌され,炎症の増悪,軟骨およ たがって,発症初期の関節リウマチを抑制し,い 3) 2) 4) Anti-Rheumatic Drugs:DMARDs) と し て 臨 床 で 使用されている薬物は,早期・増悪期に著効を * 大阪薬科大学 薬剤学研究室 〒 569-1094 大阪府高槻市奈佐原 4-20-1 岩永 一範 Corresponding author: Kazunori Iwanaga, Ph. D.([email protected]) 52 示すが,経口投与製剤として用いられるため全 本研究では,水溶性のリウマチ治療薬のモデル 身性の副作用が強く,診断が確定するまで投与 として DMARDs の bucillamine を,また,脂溶性 5,6) が見送られる傾向にある.このため,関節リウ マチと診断された頃には既に病状が進行してし まい,DMARDs が無効なことが多い.今日,早 のリウマチ治療薬のモデルとして非ステロイド性 抗 炎 症 薬(Non-Steroidal Anti-Inflammatory Drug: NSAIDs)の一つである celecoxib を用い,代表的 期慢性関節リウマチ診断基準(Table 1)に基づ な微粒子製剤としてリポソーム製剤およびマイク き,DMARDs やステロイド剤を早期から積極的 ロエマルション製剤を用いて,これらを関節内に に投与する Step-down bridge 療法が推奨されてい 投与した際の関節内動態とそれに及ぼす各製剤の るが,重篤な副作用発現によるコンプライアン 影響について検討した. スの低下や,関節腔内の薬物濃度が治療域に達 7) 実 験 方 法 し,効果を発現するまでに数ヶ月を要するため, 6) DMARDs の効果が十分発揮できていない. 全身性の副作用や低い治療効果の改善を行う方 法の一つに,薬物の局所投与があげられる.薬物 1.試薬 を関節腔内に直接投与することで局所の薬物濃度 Bucillamine は 大 原 薬 品 工 業 株 式 会 社(Shiga, を維持し,全身性の副作用や遅効性などの改善を Japan)から供与された.Celecoxib は Apin Chemi- 期待した関節内投与製剤がすでに実用化されてい る.しかし,局所への頻回の直接的薬物投与は患 者の負担が大きく,治療効果はまだ十分とは言え 8) ず,製剤学的工夫による効果の持続性の改善が不 可欠である. cals Ltd.(Abingdon, UK) から購入した. これらの薬 物の化学構造式をFig. 1に示した. L-α-phosphatidy- lcholine hydrogenated(HEPC),および cholesterol は Sigma-Aldrich Chemicals Co. Ltd.(St. Louis, MO)から購入した.Gelucire 44/14® は CBC 株 Table 1.Diagnostic Criterion for Early Rheumatoid Arhritis Figure 1 Chemical structures of(A)hydrophilic and(B)lipophilic anti-rheumatic drugs used in this study;(A)bucillamine(logP: 1.28, Mw: 223.31),(B)celecoxib (logP: 4.21, Mw: 380.31). Vol. 6 (2012) 式会社(Tokyo, Japan)より供与された.Dicetyl 53 薬物を含まない PBS で薄膜を完全に剥離するこ phosphate(DCP),propylene glycol(PG) お よ び とにより celecoxib 封入リポソームとした. スク株式会社(Kyoto, Japan)から購入した.そ 3-2.薬物封入マイクロエマルション製剤の た. 3-2-1.Bucillamine 封入マイクロエマルション製 polyethylene glycol 400(PEG 400) は ナ カ ラ イ テ の他の試薬および溶媒は市販特級のものを用い 調製 剤の調製 2. 実験動物 Bucillamine 封 入 マ イ ク ロ エ マ ル シ ョ ン 製 剤 実験動物として Wistar 系雄性ラット(体重 300 ち,oil として使用する Gelucire 44/14® を 60℃に 10) の調製は Itoh らの方法に準じて行った.すなわ ~350g)(日本エスエルシー株式会社 , Shizuoka, 加 温 し 融 解 後,Surfactant/Co-surfactant(S/CoS) せ,12 時 間 の 明 暗 サ イ ク ル(Light 6:00~18: bucillamine をそれぞれ秤取し全てを混合した.そ Japan)を用いた.水および飼料を自由に摂取さ として使用する PG/PEG 400 = 1 / 1 混液および 00,Dark 18:00 ~ 6:00),恒温(24 ± 1 ℃)で の 後, 超 音 波 粉 砕 機 Ultrasonic Disruptor UD-201 一週間以上予備飼育を行った. (株式会社トミー精工,Tokyo, Japan)を用いて 出 力 50W に て 2 分 間 超 音 波 処 理 す る こ と に よ 3.薬物封入微粒子製剤の調製 り bucillamine を完全に溶解させた.この溶液を 3-1.薬物封入リポソーム製剤の調製 株式会社,Saitama, Japan)で 60℃に加熱した後, 3-1-1.Bucillamine 封入リポソーム製剤の調製 ホットプレートスターラー PC-220(タイテック water を添加し,6 時間持続的に攪拌することに リポソームの調製は Bangham 法に準じて行っ よ り マ イ ク ロ エ マ ル シ ョ ン 製 剤(oil:S/CoS : cholesterol お よ び DCP の chloroform 溶 液 を 秤 取 は 10 mg/ml とした. 9) た. す な わ ち, ナ ス フ ラ ス コ に 各 リ ン 脂 質 と し,chloroform で 適 宜 希 釈 し て 混 合 し た. そ の 後,ロータリーエバポレーターを用いて減圧乾 固し,内壁に薄膜を形成させた.Bucillamine 封 water=4:1:1)を得た.製剤中 bucillamine 濃度 3-2-2.Celecoxib 封入マイクロエマルション製剤 の調製 入リポソームの場合,得られた薄膜に bucillamine Celecoxib 封入マイクロエマルション製剤は, mixer を用いて薄膜を完全に剥離した.得られ の方法により調製したが,製剤中の celecoxib 濃 を溶解した PBS 溶液(10 mg/ml)を加え,vortex bucillamine 封入マイクロエマルション製剤と同様 たリポソーム懸濁液を 25,400×g ,15 分間遠心 度は 0.5 mg/ml とした. 返すことにより未封入の bucillamine を除去し, 4.薬物投与後の関節内動態の評価 分離し,上清を PBS で置換する操作を 3 回繰り bucillamine 封入リポソーム製剤とした. 3-1-2.Celecoxib 封入リポソーム製剤の調製 Celecoxib 封入リポソームの場合,リポソーム の調製は上記 bucillamine 封入リポソームと同様 の方法により調製したが,celecoxib は脂溶性が 高くリポソーム脂質二重膜内に保持されるため, chloroform 溶液(0.5 mg/ml)としてリン脂質およ び cholesterol,DCP の chloroform 溶 液 に 添 加 し, Sodium pentobarbital( 大 日 本 住 友 製 薬 株 式 会 社,Osaka, Japan)麻酔下,ラット左足首関節を 切開により露出させた後,関節内に各製剤 20 µl を シ リ ン ジ 702N(Hamilton Company, Reno, NV) を用いることにより 30 秒間かけて投与した.投 与直後および 5,10,20,30,60 分後に別のシリ ンジを用いて滑液をそれぞれ 2 µl 採取した.サ ンプル中の bucillamine および celecoxib の濃度は 54 tiopronin, Column temperature: 40 ℃,Source 以下の方法により測定した. temperature: 120℃,Desolvation temperature: 360℃, Desolvation gas flow: 600 l/hr,Cone gas flow: 50 l/hr, 5.Bucillamine 濃度の測定 サンプル中 bucillamine 濃度は Beaudry らの方 11) 法に準じて行った.すなわち,得られたサンプル 2 µl に,pH 9.2 トリス塩酸緩衝液 900 µl および Cone voltage: 35 V for bucillamine,22V for tiopronin, Detection: 478.40 m/z for bucillamine,290.26 m/z for tiopronin isobutyl acrylate(和光純薬工業株式会社 , Osaka, 6.Celecoxib 濃度の測定 反応させ誘導体化した(Fig. 2).反応後のサンプ サンプル中 celecoxib 濃度は Barrientos-Astigarraga 有トリス塩酸緩衝液:acetonitrile(95:5)混液 ンプル 2 µl に,50 µl/ml 内標準物質(Nimesulide) acetonitrile 800 µl を加えて混合後,5,300× g ,5 混合した後,窒素気流下で乾固させ,mobile phase た.この上清 800 µl を窒素気流下で乾固させた. した.LC/MS による測定条件は以下の通りであ Japan)98 µl を加えて混合した後,90 分間室温で ル 400 µl に 50 µl/ml 内 標 準 物 質(Tiopronin) 含 100 µl を加えて混合した.得られた溶液 200 µl に 分間遠心分離することにより除タンパクを行っ 12) らの方法に準じて行った.すなわち,得られたサ 含有 water:ethanol(50:50)混液 100 µl を加えて 100 µl で再溶解させたもの 5 µl を LC/MS に注入 water:acetonitrile(1:1)の混液 150 µl で再溶解 る. よる測定条件は以下の通りである. Detector: ACQUITYTM UPLC TQ detector させたもの 5 µl を LC/MS に注入した.LC/MS に System: ACQUITY TM Ultra Performance LC, System: ACQUITYTM Ultra Performance LC(Waters Column: ACQUITYTM UPLC BEH C18(1.7 µm) Co. Ltd., Milford, NE) ,Detector: ACQUITY TM UPLC TQ detector(Waters Co. Ltd., Milford, NE) ,Column: ACQUITY TM UPLC BEH C18(1.7 µm)(2.1 i.d.× 50 mm, Waters Co. Ltd., Milford, NE),Mobile phase: (A)10 mM ammonium acetate (B) : acetonitrile Time(min) 0.00 0.10 0.80 0.90 A% 50 90 90 50 B% 50 10 10 50 flow(mL/min) 0.30 0.30 0.30 0.30 (2.1 i.d.×50 mm, Waters Co. Ltd., Milford, NE), Mobile phase: 10 mM ammonium acetate: acetonitrile = 10 : 90 , Ionization: ESI(negative),Internal standard: nimesulide, Column temperature: 40 ℃, Source temperature: 120℃,Desolvation temperature: 360℃,Desolvation gas flow: 600 l/hr,Cone gas flow: 50 l/hr,Cone voltage: 58 V for celecoxib,34 V for nimesulide, Detection: 380.09 m/z for celecoxib, 307.04 m/z for nimesulide Ionization: ESI(negative),Internal standard: Figure 2 Derivatization of bucillamine with isobutyl acrylate for LC/MS assay. Vol. 6 (2012) 55 7.各投与製剤の粒子径測定 関節内投与実験に用いたリポソーム製剤およ びマイクロエマルション製剤の 37 ℃における 粒 子 径 を Zetasizer nano-S(Malvern Instruments Ltd., Worcestershire, UK)を用いて動的光散乱法 (Dynamic Light Scattering)により測定した. 結 果 と 考 察 1.関節内からの薬物消失速度の評価 リウマチ患者に対する薬物の関節内投与は,患 部に対する薬物暴露量を大きくすることが可能で ある反面,患者に対する負担が大きい薬物投与方 法である.したがって,可能な限り薬物投与回 8.各投与製剤の粘度測定 数を減少させることが可能な投与製剤が望まれ 関節内投与実験に用いた PBS 溶液,PEG 400 ついてはほとんど明らかにされておらず,合理 ルション製剤の 37 ℃における粘度を,回転粘度 明らかにする必要がある.そこでまず,水溶性 る.しかし,関節内に投与された薬物の動態に 50 %溶液,リポソーム製剤およびマイクロエマ 的な製剤設計を行うためには,この点について 計 BIORHEOLIZER E 型( 株 式 会 社 東 京 計 器, 薬物の例として bucillamine を緩衝液に溶解させ ® Tokyo, Japan)を用いて測定した. て関節内に投与した(control 製剤).投与後の関 節内 bucillamine 濃度の時間的変化を Fig. 3A に示 9.統計学的解析 した.Bucillamine は投与後 20 分以内の極めて速 得られたデータは平均値および標準偏差で表記 の消失を示した.投与濃度を 1~25 mg/ml の範 やかな消失と,それに続く緩やかな消失の二相性 した.Control 製剤投与群と各製剤投与群の比較 囲で変化させたところ,二相性の消失に変化は には Dunnettʼs 検定を行った.なお,有意水準は 認められなかった.このデータを 2-compartment 危険率 1 %とし,*で示した. model にあてはめることにより,初期の速やかな 消失相における半減期及び 20 分後以降に見られ る緩やかな消失相の半減期を算出し,Table 2 に 示した.その結果,bucillamine は半減期 4 分程度 Figure 3 Time course of remaining concentration of drugs in ankle joint cavity after intraarticular administration as control formulations;(A)bucillamine(admninistered as solution)and(B)celecoxib(administered as 50% PEG solution). Keys;(A)○ : 1 mg/ml, ◊ : 10 mg/ml, □ : 25 mg/ml,(B)● : 0.1 mg/ml, ▲ : 0.5 mg/ml, ■ : 1 mg/ml Each point represents the mean ± S.D. of 3-4 experiments. 56 Table 2.Elimination of Drugs from Ankle Joint Cavity after Intraartcular Administration as Control formulations で消失し,投与 20 分後には初期濃度のわずか 3% れた薬物は極めて速やかに消失することが明らか 程度に低下することが明らかとなった.次に脂 となった.そこで,以降の関節内投与実験におい 溶性薬物の例として celecoxib を 50% PEG 水溶液 て は,bucillamine の 場 合 10 mg/ml に,celecoxib (control 製剤)として関節内に投与した.投与後 の関節内 celecoxib 濃度の時間推移を Fig. 3B に示 した.Celecoxib は投与濃度が 0.1~1 mg/ml の範 囲において bucillamine 同様,二相性の消失を示 の場合 0.5 mg/ml に投与濃度を固定し,いずれの 薬物においても,投与 20 分後までの関節内濃度 データにもとづき解析を行うこととした.正常状 態の滑膜細胞は通常 1 ~ 2 層で,基底膜や細胞間 し,速やかに関節内から消失することが分かった. の接合を欠き,滑膜血管より滲出した血漿成分は 半減期を算出したところ(Table 2),約 9 ~11 分 細胞間を自由に通過できるため,関節腔内への血 程度であり,薬物の物性(脂溶性)を問わず,ま 漿成分の流入および排出は容易な構造となってい た,投与量に依存することなく,関節内に投与さ る(Fig. 4).そのため,関節腔内に投与された薬 13) Figure 4 Schematic diagram of plasma disposition between joint cavity and blood vessels. Vol. 6 (2012) 物は血漿成分の流出とともに消失するため,半減 期が極めて短くなると考えられる.従って,製剤 57 び celecoxib の半減期はそれぞれ 34 分,31 分と なり control 製剤投与時と比較して有意に延長し 学的な工夫を施すことにより,投与直後の速やか た.このようにリポソーム製剤使用時において, な関節内からの薬物の消失を回避することが極め 封入薬物の種類が異なっているにも関わらず,ほ て重要であると考えられる. ぼ同程度の半減期を示すことが明らかとなった. また両薬物のリポソームからの放出性は,いずれ 2.薬物の関節内動態に及ぼすリポソームの 影響 も 1 時間で 10 %程度とほぼ同程度に安定である (data not shown)ことから,算出された半減期は リポソーム自体の関節内からの消失に由来するも 関節内に投与された薬物は極めて速やかに消 のと考えられる.一般に水溶性薬物はリポソーム 失したことから,薬物は容易に滑膜層を通過で の内水相に保持され,薬物の特性に応じた速度で きると考えられる.そこで,薬物の消失速度を 放出され,脂溶性薬物は脂質二重膜部分に強固に 低下させる方法として微粒子製剤の応用を試み 保持されることを考え合わせると,リポソーム製 た.まず,微粒子製剤の例としてリポソームを投 剤は celecoxib のような脂溶性薬物に対して,関 与製剤として両薬物を関節内投与した.HEPC を 節内においてより高い薬物濃度を維持し得るもの 主構成脂質とするリポソームに bucillamine ある と考えられる.本研究において bucillamine およ 関節内薬物濃度変化を Fig. 5A に示した.また, は, そ れ ぞ れ,1187±281 nm,1943±376 nm と いは celecoxib を封入して関節内に投与した後の control 製剤投与時同様,関節内からの消失半減 期を算出し,Table 3 に示した.Bucillamine およ び celecoxib の投与に用いたリポソームの粒子径 大きな粒子径を有するため,リポソーム化に伴う 薬物分子の見かけのサイズの増大により滑膜の Figure 5 Time course of remaining concentration of drugs in ankle joint cavity after intraarticular administration as particular formulations;(A)liposome and(B)microemulsion. Keys; ◊ : bucillamine, ▲ : celecoxib Each point represents the mean±S.D. of 3-4 experiments. Table 3.Effects of Formulations on Drug Elimination from Ankle Joint Cavity 58 透過性が低くなったものと推察される.滑液中 に投与した salicylate や paracetamol のタンパク結 合率は小さいため速やかに消失するのに対して, diclofenac はタンパク結合率が大きいため,見か けの分子量増大にともなって滑膜透過速度が低下 た.しかしながら,本研究で使用した bucillamine および celecoxib の投与に用いたマイクロエマル ションの粒子径は,それぞれ 3.6±0.4 nm,3.1±0.3 nm と極めて小さく,リポソームと比較しても粒 子径は約 500 分の 1 程度である.したがって,マ し,関節腔からの消失が遅延することが報告され イクロエマルションの場合には,薬物分子自体の ており,薬物分子の見かけのサイズは薬物の関節 大きさと比較するとはるかに大きいものの,リポ 腔からの消失速度を決定する重要な因子であると ソーム使用時の消失速度との差については粒子径 考えられる. の違いのみでは説明できないことが明らかとなっ 14) た.抗がん剤の静脈内投与製剤としてリポソーム 3.薬物の関節内動態に及ぼすマイクロエマ ルションの影響 17) を使用する場合に認められる EPR 効果 について も,その粒子径が約 100~200 nm 程度の場合に癌 細胞により作られた新生血管の血管壁からの流出 次にリポソーム以外の微粒子製剤として,種々 が大きくなることを利用したものであり,本実験 の薬物に対するドラッグキャリアーとして期 で使用した数 nm 程度のマイクロエマルションが 15,16) 待されているマイクロエマルションを用いて 滑膜透過時において,粒子サイズが原因で透過性 bucillamine お よ び celecoxib を 関 節 内 投 与 し た. がリポソーム製剤以上に低下することは考えにく 推移より算出された半減期を Table 3 に示した. る因子として,製剤が有する粘度に着目し以下の 関節内の各薬物濃度推移を Fig. 5B に,薬物濃度 い.そこで生体に投与された製剤の動態を決定す Bucillamine をマイクロエマルションに封入する 検討を行った. 低下し,投与 20 分後においても関節からの消失 4.薬物の関節内動態に及ぼす製剤粘度の影 ことにより関節内からの薬物の消失速度は顕著に はほとんど認められなかった.算出された半減期 は約 107 分と control 製剤及びリポソーム製剤と 響 比較して顕著に延長した.一方,celecoxib をマ 上記の検討から,マイクロエマルション使用時 イクロエマルションを用いて投与した場合も同様 においては,粒子径以外の因子が関節内からの薬 に,関節内からの消失は極めて遅く,半減期は約 物の消失速度低下に寄与していることが示唆され 120 分であった.それぞれの薬物の control 製剤 た.そこで本研究で使用した全ての製剤の粘度を とが示された.いずれの薬物についても,有効な ロエマルションの粘度は極めて高く,リポソー 投与時と比較して半減期は顕著に延長しているこ 測定し,Table 4 にまとめた.その結果,マイク 関節内濃度は明らかにされていないため,本研究 ムと比較しても顕著に高いことが明らかとなっ で設定した各薬物投与量が最適か否かについては た.また,celecoxib 使用時における control 製剤 薬理効果を含めた総合的な研究が必要となるが, マイクロエマルション製剤および前述のリポソー ム製剤ともに調製時の含有薬物濃度は任意に変更 できることから,使用薬物に応じて最適投与量を 含有する製剤を調製することが可能であると思わ (50 % PEG 水溶液)と bucillamine 使用時におけ る control 製剤(水溶液)の粘度の比較により, 製剤への PEG の添加によって粘度が増大してい ることが明らかとなった.そこで,bucillamine に ついて水溶液,20% PEG 溶液,50% PEG 溶液を れる.一方,薬物の消失速度遅延効果のメカニズ あらたに調製し,関節内投与実験を行った.結果 ムについては,マイクロエマルション製剤の場合 を Fig. 6 に示した.また,各溶液の粘度および関 もリポソーム製剤と同様に微粒子化による見かけ のサイズの増大効果が影響したものと推察され 節内からの消失速度定数を算出し,Table 5 にま とめた.20% PEG 溶液,50% PEG 溶液いずれに Vol. 6 (2012) 59 Table 4.Viscocity of Each Formulations Figure 6 Time course of remaining concentration of bucillamine in ankle joint cavity after intraarticular administration as solutions containing various concentrations of PEG. Keys; ◊ : 0% PEG in PBS, ▲ : 20% PEG in PBS, ■ : 50% PEG in PBS Each point represents the mean±S.D. of 3-4 experiments. Table 5.Relationship between Viscocity of PEG Solution and Bucillamine Elimination おいても PBS 使用時と比較すると有意に消失速 結 論 ることが示された.以上のことから,微粒子製剤 以上の検討より,薬物を関節内に投与した後の, を用いて薬物を関節内に投与した際,薬物の関節 関節内からの消失速度は薬物の物性にかかわらず 内からの消失には製剤の粒子径および粘度の両因 極めて速いことが明らかとなった.また,薬物の 子が影響を及ぼすものの,粘度の寄与が大きいこ 関節内滞留性の増大を目的として微粒子製剤を使 とが明らかとなった. 用した場合,製剤の粒子径および粘度の両方が寄 度は低下し,低下の度合は投与液の粘度に依存す 60 与して薬物の消失が遅延するが,粘度の寄与の方 が大きいことが示唆された.現在の製剤技術を駆 使すれば,微粒子製剤の粒子径制御および製剤粘 度の制御はいずれも容易であることから,薬物の 特徴に応じて最適な粘度および粒子径を有するリ ウマチ治療薬の関節内投与製剤の開発が可能であ ると期待される.このような製剤を利用すること により薬物の投与回数を減らすことが可能とな り,患者の QOL 改善に貢献できると考えられる. REFERENCES 1 )Ochi T., “Diagnostic manual of rheumatic arthritis” ed. by Japan Rheumatism Foundation Information Center for Arthritis and other Rheumatic Conditions, 2004, pp. 58-70. 2 )Kashiwazaki S., “Zusetsu Byoutai Naika Kohza, Vol. 16, Alergy-Connective tissue disease,” ed. by Takaku H., Medical View Co. 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Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 61 − Reviews − てんかんの治療薬研究 * 笹 征史 Antiepileptic Drug Research Masashi Sasa Nagisa Clinic, 24-31 Nagisa-minami, Hirakata, Osaka 553-1183, Japan (Received October 19, 2011; Accepted November 21, 2011) Epilepsy is categorized as a neuronal disease characterized by repeated, convulsive or non-convulsive seizures. Approximately 1% of the worldwide population is estimated to be suffering from epilepsy. Of these affected patients, epilepsies in 20-30% are not well controlled by known antiepileptic drugs per se or their combinations. Epileptic seizures are provoked by abnormalities in the ion-channels and/or neurotransmissions on epileptogenesis. For drug combination therapies, the Japan Epilepsy Society recommends that drugs with different antiepileptic mechanisms should be used in drug combination therapies. Therefore, it is extremely important to understand the mechanism(s) underlying the antiepileptic action(s) of each drug. Recently novel antiepileptics approved for the improvement of epileptic seizures include ion channel-acting and neurotransmission-modifying drugs: The former including conventional antiepileptics are phenytoin, carbamazepine and lamotrigine (which act on Na + channel to prolong the inactivation), ethosuximide and lamotrigine (which inhibit T- and P/Q-type Ca2+channel, respectively), while the latter includes topiramate (which inhibits AMPA/KA receptors to control the glutamatergic transmission) and many GABAergic enhancers such as benzodiazepins, phenobarbital, valproate, and gabapentin. Levetiracetam (approved as a drug for combination therapies) acts on synaptic vesicle 2A(SV2A). It should be noted that these are anti-seizure drugs, and are not anti-epileptogenesis drugs. These are anti-seizure drugs, but not ani-epileptogenesis drugs. So the drugs are awaited to prevent epileptogenesis formation and/or cure the epileptogenesis established. Levetiracetam may be a candidate of such an anti-epileptogenesis drug from the favorable findings on the animal studies. Key words −−epilepsy, antiepileptic drugs, epileptogenesis, ion-channels, neurotransmission 1.はじめに 抑制の有効性が高いと同時に副作用が少なく,忍 てんかんとは繰り返し起こる,突然のけいれん は単剤治療が望ましいが,単剤によって発作が抑 性発作,あるいは非けいれん性の多様な発作症候 制されるケースはてんかん患者の 47%にすぎず, 容性が高いことが望まれる.てんかんの薬物治療 を呈する慢性の神経疾患と定義されている.てん かん患者は日本においても諸外国においても人口 2 剤以上の併用でもなお 36%の患者では発作を抑 2,3) 制できないと報告されている.しかしながら,て の約 1%と推計されており,てんかんは決してま んかん治療にあたっては,各てんかんに対して特 であるが,てんかん患者の 20-30%はいずれの抗 剤以上の併用も多いことから,各抗てんかん薬の れな疾患ではない.てんかんには薬物療法が有効 1,2) 定の抗てんかん薬を選択する必要があり,また 2 てんかん薬も無効である.てんかんの薬物療法は 作用メカニズムを十分に理解することが重要であ 長期にわたるため,抗てんかん薬には,その発作 り,「 2 剤以上の併用にあたっては互いに作用メ * 渚クリニック,e-mail: [email protected] 本論考は,第57回大阪薬科大学公開教育講座(平成23年 5 月28日)で講演した内容を中心に記述したものである. 62 カニズムの異なる薬物を組み合わせて使用するこ れる長時間持続性の脱分極が起こり,続いて活動 と」が日本てんかん学会により示されている. 電位の群発が起こる.このような状態となった 現状の抗てんかん薬は確かに発作を抑制し,患 ニューロン集団が同期して活動電位の群発を起こ 者の QOL を高めることに役立っているが,服薬 した時(過同期化),部分的あるいは広範に伝播 を中止すると発作が再発する場合が大部分である し,発作が発現する. ため,服用を続ける必要がある.現在の抗てんか ん薬は発作を起こすバックグラウンドとなって いる「てんかん原性」(epileptogenesis)を根治す 3.てんかん発作の発現 る作用はない.いわば「抗発作薬」(anti-seizure 1)てんかん原性の形成(Fig. 1) drug)であり,「てんかん原性」の形成を抑制し, てんかん原性はまず頭部外傷,脳腫瘍,遺伝子 あるいは完成したてんかん原性を修正,完治する 異常などの初期要因があって発作を起こした後修 作用はないのが大部分である.それ故発作抑制と 復が出来ない場合,発作が繰り返されることに 共に抗てんかん原性作用を有する,てんかんを根 より,てんかん原性が形成されていく.この過 治する抗てんかん薬が待たれるところである. 程は年余に及び,ニューロンの死と再生が繰り 本稿ではてんかん原性の形成,てんかん発作の 返され,神経細胞膜マトリックスの再構成,グ 発現,そして抗てんかん薬の作用メカニズムにつ リオーシスとニューロンの軸索/樹状突起の発 いて,さらに抗てんかん原性薬の可能性について 芽(sprouting)が起こり,新たなニューロンネッ 述べてみたい. トワークが形成される.てんかんモデル動物(キ 4,5) 6) ンドリング動物)における研究において,海馬 2.てんかんとは 顆粒細胞から CA3 野に向かう苔状線維(mossy fiber)と CA3 細胞に発芽が起こることが明らか 6) てんかん発作は脳内にてんかん原性が完成した にされている.この間多くの遺伝子の発現が起 後,焦点となるニューロンに脱分極シフトとよば こることが知られている.例えば神経成長因子 Fig.1.Development of epileptogenesis formation. Quoted from Sasa M., J. Jpn. Epil. Soc. 26, 419-439(2009) Vol. 6 (2012) 63 (nerve growth factor NGF),脳由来神経因子(brainderived nerve factor BDNF)の発現が増大する.頭 こすニューロン集団が同期して群発発火を起こす こと(hypersynchronization:過同期化)によりて 7) 部外傷などの初期要因によって生じた C-fos など んかん発作が惹起されると考えられる. き,NGF の生成を亢進し,シナプス伝達の亢進 4.てんかん治療薬 の早期遺伝子が遺伝子のプロモーター AP-1 に働 とニューロンの分化を起こす.また GABA 系な ど抑制性 GABA ニューロンの減少(ニューロン 死)と発芽による興奮性グルタミン酸ニューロン 6) の増加がてんかん原性形成の基本と考えられる. 7) てんかんの薬物療法として初めて使用された の は 臭 素 bromide で あ る.1860 年 Radcliffe, そ して 1861 年 Witks によりてんかんに有効な唯一 の抗てんかん薬として使用され,以後 60 年間 7) 2)てんかん発作の神経機構(Fig. 2) てんかん原性が形成された部位において,不安 定な静止膜電位を有するニューロンが存在する. にわたり使用された.その後 1912 年になって Hauptmann が,当時開発されていたフェノバルビ タールが抗てんかん作用を有することを報告して このニューロンにおいて動揺する静止膜電位が減 以来,現在においてもなお有効な抗てんかん薬と 少した状態では小さな刺激でも容易に Na チャネ して使用されている.一方,フェニトインが使用 き脱分極シフト depolarization shift を起こすと活 と Pitman が動物実験において抗けいれん作用を + ルの開放閾値に達し,活動電位を発生し,引き続 動電位の群発が起こる.このような群発発火を起 されるようになったのは 1938 年である.Merrit 見出して以来,抗てんかん薬として広く使用さ Fig.2.Paroxysmal depolarization shift(PDS)caused by ion channel abnormalities. Quoted from Sasa M., J. Jpn. Epil. Soc. 26, 419-439(2009) 64 れ,現在もなお使用され続けている.その後は 酸神経系を抑制するもの,あるいはニューロン 1960 年代になり,カルバマゼピン,エトスクシ 活動を抑制する GABA 神経の作用を増強するこ ミド,ベンゾジアゼピン類のクロナゼパムやジア とにより抗てんかん作用を示すものが多い.唯 ゼパム,バルブロ酸などが次々と登場した.しか 一,イオンチャネルや各種レセプターに作用せ し日本においてはその後に新規の抗てんかん薬の ず,神経末端内に存在するシナプス小胞蛋白 2A 登場はなく,1989 年になってゾニサミド,2000 年にクロバザムの使用が可能となった.さらには 最近になって,新世代薬としてガバペンチン,ラ (SV2A)に作用する,という全く新しい作用メカ ニズムを有する薬物としてレベチラセタムが最近 臨床使用されるようになった. モトリギン,トピラマート,そしてレベチラセタ ムが登場し,抗てんかん薬の選択肢が広くなって きている. 5.抗てんかん薬の作用メカニズム(Fig. 3) 多くの抗てんかん薬は発作抑制薬として働くた め,ニューロンの Na+ や Ca2+ チャネル等のイオ ンチャネルに作用するもの,興奮系のグルタミン (1)電位依存性イオンチャネル作用薬(Table 1) てんかん患者において電位依存性チャネル の遺伝子異常は Na+ チャネルのサブユニットの α1( 遺 伝 子:SCN1A),α2(SCN2A), お よ び β1(SCN1B),K+ チ ャ ネ ル の サ ブ ユ ニ ッ ト (KCNQ1-3)および Ca2+チャネルのβ2 ユニット 8) (CACNB4)変異が見出されている.これらの変 異がてんかんにどのように関与しているかについ Fig. 3.Sites of actions for antiepileptic drugs. Quoted from Sasa M., J. Jpn. Epil. Soc. 26, 419-439(2009) Vol. 6 (2012) 65 Table 1 Antiepileptic effects of conventional and novel antiepileptic drugs Quoted from Sasa M., J. Jpn. J. Psychopharmacol. 13, 1671-1683(2010) て,その詳細は不明であるが,フェニトインなど は心毒性として働く可能性がある.これらの薬物 Na チャネルに作用する薬物が抗けいれん作用を は全身強直−間代けいれんに有効である. + 示すことはよく知られている. またゾニサミドもフェニトインと同様,Na+ チャネルの非活性化過程を抑制すると同時に,T + 9) a)Na チャネル作用薬 実験的に小水槽内に脳スライス標本(海馬な 型 Ca2+ チャネルを抑制することにより,前シナ プス神経末端からのグルタミン酸の放出を抑制す ど)を置き,神経細胞より微小電極を用いて細胞 る.このため,ゾニサミドは全身強直−間代けい 記録を行いつつ,同電極を通じて 100msec 程度 れん,欠神発作,ミオクローヌスに有効である. 持続する矩形波電流を与えると活動電位群発が得 最近使用可能となったラモトリギンも,フェニ られるが,フェニトインやカルバマゼピンをこの トインと同様に Na+チャネルの非活性化過程を抑 小水槽内に投与すると,最初の活動電位は影響を 受けず,第 2 の活動電位以降の群発が抑制され る.すなわちこれらの薬物は Na チャネルの開口 + を抑制するのではなく,活動電位の非活性化過程 制する.また同時に P/Q 型 Ca2+ チャネルも抑制 する.このため全身強直−間代けいれんおよび欠 神発作にも有効である.また,最近気分安定薬と して双極性障害にも使用されている. (inactivation)を延長する.これはニューロンの 異常興奮のみを抑制し,正常な活動電位は抑制せ b)K+チャネル作用薬 ず,正常な神経伝達は保持されることを意味して K+ チャネルは 4 種に大別され,さらにそれぞ いる.しかしこれらの薬物が大量に摂取されると 非活性化過程を延長しすぎる結果,小脳の機能低 下をきたして平衡機能障害を起こしたり,心臓で れにサブタイプがあり,合計 40 種に分類される. K+ チャネルはニューロンの興奮性をコントロー ルしており,静止膜電位の維持,シナプス電位の 66 閾値決定,活動電位の非活性化,過興奮後の持続 神経の興奮を伝達するものは,前シナプスの神経 性過分極の形成などの重要な役割を持つ.トピラ 末端からグルタミン酸などの興奮性伝達物質が放 マートはグルタミン酸受容体の抑制作用のほか, 出し,後シナプス膜にあるグルタミン酸受容体に K チャネルに対して弱いが増強する方向に作用 結合することにより興奮性後シナプス電位 EPSP + する.しかし K チャネルを標的にした抗てんか + ん薬はなお研究過程にある. (脱分極)と活動電位を発生し,前シナプスから の情報が後シナプスニューロンへと伝達される. 一方,抑制性伝達では前シナプスから GABA な どの抑制性神経伝達物質が放出され,これが後 2+ c)Ca チャネル作用薬 神経細胞の静止膜電位が減少し閾値電位(通常 シナプス膜にある GABA 受容体に結合すると, は−50mV 以下)に達すると,Ca チャネルが開 後シナプスニューロンに抑制性後シナプス電位 こす.この場合,高閾値で開口する Ca チャネ 伝達物質が同じ後シナプス膜受容体に結合しても 2+ 口し細胞内へ Ca が流入し,細胞は脱分極を起 2+ 2+ ルと低閾値で開口する Ca チャネルがある.高 2+ IPSP(過分極)が発生する.この結果,興奮性 興奮を引き起こす閾値電位まで達しないことによ 閾値 Ca チャネルには L,N および P/Q 型のサ り,興奮性伝達は抑制される.以上は後シナプス ブタイプがあり,いずれも神経細胞体,樹状突起, ニューロンに存在する受容体のうち,イオンチャ 神経末端に存在している.低閾値 Ca チャネル ネルにリンクした受容体についてのシステムであ に存在する Ca チャネルは,神経伝達(活動電位) パクとセカンドメッセンジャーを介する受容体 2+ 2+ は T 型であり,神経末端に存在する.神経末端 2+ が末端に到達すると開口し,Ca が細胞内に流入 2+ るが,イオンチャネルに直接リンクせず G タン 基本的にはニュー (ドパミン受容体など)もあり, する.その結果,Ca の作用によりシナプス小胞 ロンに興奮か抑制を引き起こす. は神経末端に移動し,前シナプス膜と融合し,次 このように脳内のニューロンネットワークは前 いで開口放出(exocytosis)によりシナプス小胞 シナプスから後シナプスへの興奮と抑制の伝達機 から神経伝達物質が放出される.ラモトリギンと 構である.この場合,前シナプスに存在する受容 ガバペンチンは P/Q 型 Ca チャネルに働き,こ 体(自己受容体,GABAB 受容体,代謝型グルタ の過程を抑制することにより興奮性神経伝達物質 ミン酸受容体など)を介して前シナプスからの神 の過剰放出を抑制し,抗てんかん作用を示す.ま 経伝達物質の放出を増強/抑制し,コントロール た,最近発売されたレベチラセタムは SV2A に作 している(シナプス前抑制).抗てんかん薬のあ 2+ 2+ 用するが,N 型 Ca チャネルにも作用すること るものはこれらの受容体に作用することにより, から,上述のメカニズムで興奮性神経伝達物質の ニューロン集団の過同期化を抑制し,発作を抑制 過剰な放出を抑制する. する. 2+ 一方,低閾値の T 型 Ca チャネルは,神経末 2+ 12,14) 端の他に視床中継核ニューロンにも存在し,失 a)興奮性グルタミン酸神経系への作用薬 神発作( 3 Hz 棘徐波複合)の発現に関与してい グルタミン酸神経系は脳内に広く分布し,興奮 る.欠神発作に使用されているエトスクシミドは 性神経伝達を行う主要な系であり,グルタミン酸 T 型 Ca チャネルを抑制する.なお遺伝性欠神 はその神経伝達物質である.グルタミン酸受容体 WAG/Rj および Groggy ラットではいずれも Ca があり,前者は NMDA(N−メチル−D−アスパラ 10) 2+ 発作モデルの遺伝性欠神発作モデル(GAERS), 2+ 8,11) チャネル遺伝子に点変異がみられている. にはイオン型と代謝型グルタミン酸受容体の 2 種 ギン酸)受容体,AMPA(α−アミノ−3−ヒドロキ シ−5−メソオキサゾール−4−プロピオン酸)受容体 (2)神経伝達系作用薬(Fig. 3, Table 1) 脳内の神経伝達はシナプスを介して行われる. および KA(カイニン酸)受容体の 3 種がある. これらの受容体にはサブタイプがあり,合計 16 Vol. 6 (2012) 67 12) 種が知られている.NMDA 受容体にリンクする ε)から構成されている.GABAA 受容体のβサ チャネルは Na と Ca の両者を透過する.この ブユニットに GABA,αサブユニットにはベン + 2+ 受容体にはグリシン,ポリアミンおよび Mg の ゾジアゼピン類,γサブユニットにはフェノバル 結合部位があり,チャネルの開閉をコントロール ビタールが結合する. している.AMPA と KA 受容体にリンクするチャ GABA が GABAA 受容体に結合すると内包する 2+ ネルは Na のみを透過するが,病的変化を受ける + Cl− チャネルが開口され,細胞外から Cl− が細胞 と Ca2+ も透過するようになる.AMPA/KA 受容 内へ流入し,細胞は過分極を起こすことにより 体はグルタミン酸などの結合により急速な脱分極 ニューロン活動は抑制される.ベンゾジアゼピン を起こし,速い神経伝達を行うのに対し,NMDA 類やフェノバルビタールは GABAA 受容体に直接 受容体はアゴニストが結合する(刺激される)と 結合して Cl−チャネルを開く作用はなく,それ自 緩徐で持続的な脱分極を起こす.NMDA 受容体 体では何の変化も起こらない.しかし,ベンゾジ を介する Ca の神経細胞内への流入は,てんか アゼピンがαサブユニットに,フェノバルビター 関与している. βサブユニットに結合すると,GABA 単独によ 2+ ん焦点における突発性,持続性の脱分極シフトに ルがγサブユニットに結合した状態で GABA が 一方,代謝型グルタミン酸受容体には 3 種類 る過分極よりもさらに増大した過分極が起こり, 合,過剰なグルタミン酸の放出があると,一個の 用を示す抗てんかん薬としては上述のベンゾジア ニューロンが過剰発火を起こし,このニューロン ゼピン類とバルビツレート類が主要なものである 集団が過同期を起こすことによりてんかん発作が が,トピラマートも弱いながらこのような作用を 惹起される.このため,この伝達を抑制する薬物 有する.その他の GABA 作用を増強する薬物と 12) のサブタイプ(group I, II, III)がある.多くの場 が,抗てんかん薬として有効であると考えられる. しかし NMDA 受容体は記憶,認知機能に関与し ているため,この受容体に作用すると認知障害を GABA の抑制作用が増強される.このような作 しては,GABA の生成を増大させるガバペンチン, GABA の前シナプス内への再取り込みを抑制し, 同時に GABA 代謝酵素を阻害しシナプス領域に 起こす可能性がある.このため AMPA/KA 受容 GABA を増加させるガバベトリンなどがある. る.トピラマートは AMPA/KA 受容体チャネル 様に過分極を起こしニューロン活動は抑制される 体に作用するトピラマートのみが使用されてい また GABA が GABAB 受容体に働いた場合,同 複合体の細胞内ループに存在するリン酸化部位に ので,抗てんかん作用が期待されるが,なお臨床 結合し,これを脱リン酸化することによりチャネ では使用可能なものはない. ル活性を抑制する.この結果としてグルタミン酸 13) の興奮伝達を抑制し,抗てんかん作用を示す.な (3)シナプス小胞(SV2A)作用薬 お代謝型グルタミン酸受容体は現在のところ抗て シナプス小胞は前シナプスの神経末端内に んかん薬の標的とはなっていない. 存在する神経伝達物質を含有する小胞(顆粒: 14) b)GABA 神経系への作用薬 GABA 神経系において GABA の作用を増強す synapse vesicle)である.SV2 はこの小胞膜を 12 回貫通する糖タンパクであり,2A,2B,2C の 3 種のサブタイプがある.SV2A の生理的役割の詳 ることにより,ニューロンの過剰興奮,過同期化 細はなお明らかではないが,神経伝達物質の放出 を抑制することによって抗てんかん作用を示す抗 に関与しているのではないかと考えられている. てんかん薬は多い.GABA 受容体には Cl−チャネ これは SV2A をノックアウトしたマウスではけい リンクした GABAB 受容体の 2 種がある.GABAA レベチラセタムはキンドリングによるけいれん ルにリンクした GABAA 受容体と,G タンパクに 受容体は 5 個のサブユニット(α,β,γ,δ, 15,16) れんを起こして死亡するからである. や自然発症てんかんラット SER などの遺伝性て 68 んかんモデル動物のけいれんおよび欠神発作を抑 の抑制なども見られることから,抗てんかん原性 制するが,電撃けいれんやペンチレンテトラゾー 作用を有するのではないかと期待される. ルなどによって引き起こされるけいれんには無効 17) である.さらに,イオンチャネル,グルタミン酸 神経系および GABA 神経系には作用しないとい 7.おわりに う特徴がある.一方,この薬物は SV2A に特異的 現状の抗てんかん薬ではてんかん患者の 20− ロに発現させたマウスにレベチラセタムを投与し にある.しかし,これまでの抗てんかん薬の作用 18) に結合することが見出されている.SV2A をヘテ た場合,その抗けいれん作用は SV2A をホモにも 30%においてなお発作が抑制されないという現状 メカニズムが明らかにされ,かつ,最近の新しい つ動物に対する抗けいれん作用の約 1/2 であるこ 作用メカニズムを持つ抗てんかん薬の登場により とが示されている.このようなことからレベチラ 合理的な併用療法が可能となり,今後,難治てん セタムは SV2A に結合することにより抗てんかん かんのコントロールが進むものと期待される.さ 外の現状の抗てんかん薬では SV2A に結合するも などを標的にした新規の抗てんかん薬の開発も待 19) 作用を示すと結論されている.レベチラセタム以 らに抗発作薬として K+チャネル,GABAB 受容体 のはなく,作用メカニズムが異なるため,他のい たれる.同時に真のてんかん治療薬としててんか ずれの抗てんかん薬との併用も可能である. ん原性形成抑制薬,てんかん原性治療薬の開発が 期待される.この場合てんかん原性形成のメカニ 6.てんかん原性治療薬 ズムの詳細を明らかにすることが待たれ,レベチ 前述したようにてんかん原性は年余の長期間を 共に,てんかん原性治療薬開発のためのツールと かけて形成されるニューロンネットワークの再構 しても有用ではないかと考えられる. ラセタムは抗てんかん原性薬として期待されると 築であり,組織学的および生理学的変容である. したがって,この過程に働く薬物は抗てんかん原 REFERENCES 性薬あるいはてんかん原性抑制薬となりうる.こ の過程を抑制するか否かは,動物実験でキンドリ ンング形成を抑制するかにより検討される.これ までの研究では,バルプロ酸,フェノバルビター ル,ジアゼパムはキンドリンング形成を抑制する が,フェニトインとカルバマゼピンは抑制しな 20) い.しかし,ヒトにおいて外傷,脳手術後,炎症 などの後で発症したてんかんについてレトロスペ クティブに検討した研究では,上述のいずれの薬 物もてんかん発症を抑制しなかったとの報告があ 21) り,抗てんかん原性作用は認められていない.一 方,レベチラセタムは電撃およびペンチレンテト ラゾールによる両者のキンドリング形成を抑制し 20,22) た こと,また,モデル動物の SER において発作 発現前の成長期(生後 4 週令)から発作発現期(生 後 8 週令)までレベチラセタムの投与を続けると, 23) その後の発作発現が抑制されること,さらにてん かん原性形成に伴う神経線維(苔状線維)の発芽 1 )CzapinskiP., Blaszcyk B., Czuczwar S.J., Curr. 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Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 71 − Reviews − 天然ピラゾールアルカロイド withasomnine 類の合成研究‡ 宇 佐 美 吉 英*,市 川 隼 人 Synthetic Studies on Natural Pyrazole Alkaloid Withasomnies Yoshihide Usami,a* Hayato Ichikawaa,b Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1 Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan College of Industrial Technology, Nihon University, 1-2-1 Izumi-cho, Narashino, Chiba 275-8575, Japan a b (Recieved October 11, 2011; Accepted November 9, 2011) There have been a few example of pyrazole alkaloids isolated from nature. Withasomnine (1a) was originally isolated by Schröter and co-workers in 1966 from the root bark of Withania somnifera Dun. (Solanaceae), which is distributed in South Europe, India and Africa. The product derived from the root of the plant is called as Achwagandha in Ayurveda, which is a system of Indian traditional medicine and form of alternative medicine, or Indian Ginseng. And it has been used for drug purposes in India. Later in 1990’s isolation of two more withasomnines 1b, 1c along with 1a from the root bark of Newbouldia laevis Seem. (Bignoniaceae) had reported. Withasomnine 1a exhibited CNS and circulatory system depress, mild analgesic, inhibition of TBL4, COX-1, COX-2. So far several total syntheses of 1a have been reported. In the course of our recent studies focused on direct functionalization of pyrazoles at C-4, we have developed a synthesis 4-hydroxy-1H-pyrazoles and applied this method in a new divergent total synthesis of 1a-c. In this review, the total syntheses of 1 published to date including our recent work were summarized. Key words −−withasomnine; alkaloid; total synthesis; natural product; pyrazole 1.はじめに ら が withasomnine と 名 付 け た ア ル カ ロ イ ド は, 1966 年,Katritzky らによってピラゾールを含む 天然アルカロイド withasomnine(1a)が Withania somnifera Dun.(Solanaceae ナス科)の根皮より 1) 融点 117-118℃を示し , Schwarting らの化合物と同 一のものと考えられる.本化合物の化学構造は, IR, UV, NMR スペクトルの解析により Fig.1 に示 した 1a のように推定された.Withania somnifera 単離,構造決定された(Fig.1). これに先立つこと は,主に地中海,南アフリカ,インドに分布して 約半世紀,1911 年 Power と Salway によって同植 おり,特にインドにおいては薬用に栽培されてお 物のアルカロイド成分の研究において粗塩基をア り,古のインドより伝統的なアーユルヴェーダ ルカリ分解した際 , 融点 116℃の塩基性化合物を 医学(Ayurveda: Sanskrit 語)においてその植物根 らによって同植物の根部のアルカロイド成分の研 るいはインド人参(Indian Ginseng)とも呼ばれ, 2) 得たと報告されていた.1963 年には Schwarting 究で 9 種の塩基性化合物を単離し,そのうち 8 種 の物は同定されたが,融点 117-118 ℃の化合物の 3) 構造は明らかにされないままであった.Katritzky 部よりなる生薬は Achwagandha(Sanskrit 語)あ 主に強精強壮作用やストレス軽減作用のある薬と 4) してバザーにおいて市販されてきたが最近ではイ ンターネットで通信販売されるようになってい * Corresoponding author; E-mail: usami@gly. oups. ac. jp 1) a .大阪薬科大学・有機薬化学研究室,b.日本大学生産工学部 2) ǂ 本総説は,2011 年 7 月 24 日に御逝去された恩師,藤田榮一先生(京都大学名誉教授,元大阪薬科大学学長)に捧げられるもの です. 3) 4) 72 9) る.本植物の有効成分は主含有物であるアルカロ の単離が報告された. イド成分および withanolide と呼ばれるステロイ 私たちは,これまでピラゾールの 4 位の直 の活性についての研究例はこれまでのところ少な り, そ の 過 程 で 4-hydroxy-1H-pyrazole 類 の 合 成 ド性のラクトン成分と考えられており,1a 単独 く,1970 年に Huller らにより中枢神経抑制作用, 5) 循環器系抑制作用および弱い鎮痛作用,2009 年 接官能基化反応の開発について研究を行ってお 10) 法 を 開 発 し, そ の 応 用 例 と し て 1a-c の 分 岐 的 11) 12) な全合成を達成し,最近その成果を報告し た. に Baucer らによる TBL4,COX-1,COX-2 酵素阻 Withasomnine(1a)の化学合成はこれまで数多く また,1a の生合成経路については,14C 放射性 た 1a の全合成研究についてまとめた. ルニチンおよびフェニルアラニンが前駆物質であ 2.森本らによる withasomnine(1a)の 6) 害活性の報告にとどまっている . 同位体を用いた実験から Fig. 2 に示したようにオ 7) ることが明らかになっている. 1990 年代に入ってから西アフリカに分布する 報告されてきたが , 本稿では我々の全合成を含め 13) 全合成 植 物 Newbouldia laevis Seem.(Bignoniaceae ノ ウ 1968 年の Tetrahedron Letters 誌に続けて 2 報の (1b, c),newbouldine 類(2a-c)の単離が報告さ よく見ると日本での投稿受付は本節で紹介する藤 キツネノゴマ科)および Discopodium penninervium る乙卯(いつう)研究所の尾中らのものがその翌 ゼンカズラ科)の根皮より 1a およびその同族体 8) れ,さらにその後,Elytraria acaulis(Acanthaceae (Solanaceae ナス科)といった高等植物からの 1a withasomnine(1a)の全合成研究が掲載された. 沢薬品の森本らが同年 9 月 11 日,次節で紹介す 14a) 日である.よって厳密に言えば森本らが最初の Fig.1 Structures of withasomnines 1a-c and newbouldines 2a-c 9) 5) 10) 6) 11) 7) 8) Fig.2 Biosynthesis of withasomnine 1a 12) 13) Vol. 6 (2012) 73 全合成を成し遂げたということになる.ただし, 次々節で紹介する東北大学の亀谷 , 小笠原らの位 15) 元しアルコール 9 としたのち SOCl2 を用いて塩化 物 10,最後に NaOEt,KOH,Et3N のような塩基 置異性体合成の薬学雑誌受付日が同年 7 月 29 日 を作用させ目的の 1a を合成した(Scheme 1 ). 付けは亀谷らの業績ということになろうか.いず 化リンと N,N- ジエチル 4- エトキシブチルアミド (発行は 1969 年)であるから構造の合成化学的裏 れにしても 1a の合成はこの年 , 日本において有 機合成化学者の間で苛烈な競争の只中にあったこ とは間違いない. また,B 法としてインドール(11)をオキシ塩 でアシル体 12 とした後,ヒドラジンを作用させ ピラゾール環を構築し中間体 13 へと導いた.こ の環化の反応機構は,Scheme 2 に示すように推 森本らは, 2 通りの合成経路を経てそれぞれ 定される.中間体 13 の芳香族第一級アミンをジ ドロキシメチルピラゾール(3)の水酸基を塩素 14 とした後,HBr 還流下で臭素化,これに塩基 あるいは SOCl2 を用いたと考えられる),生成し HBr 還流下で臭素化後,塩基を作用させ先に環化 テル合成を行いジエステル 5 ,ラクタムエステル ても 1a へと導くことに成功している.ただ,本 1a を合成した.方法 A として 4-フェニル -3- ヒ 化し(具体的な方法は述べられていないが PCl5 た塩化物 4 に対し NaOEt を用いるマロン酸エス 6,対称ジエステル 7 の混合物とし,5 および 6 はそれぞれ塩酸で還流することにより脱炭酸を起 こしカルボン酸 8 を与えた.これを LiAlH4 で還 Scheme 1. Synthesis of withasomnine by Morimoto-Method A Scheme 2. Synthesis of withasomnine by Morimoto-Method B アゾ化後還元することで窒素官能基を脱離させ を作用させ 1a へと導いた.また,中間体 13 から した後,芳香族第一級アミンをジアゾ化後還元し 報告には化学収率の記載の無いという点が残念で ある. 74 14) 16) 3.尾中らによる合成 4.小笠原らによる合成 乙卯研究所の尾中らは独自に Scheme 3(a)に - 先にも述べたように 1969 年発行の薬学雑誌に ユニークな biomimetic な合成経路を採った.彼 を薬学雑誌に報告した.アセトフェノン(22)と 放射性同位体を用いた実験で証明された生合成経 ゼン縮合させ,ジオン 24 とし,これにヒドラジ 示すような生合成仮説を推測し,これに沿った らが独自に推定した生合成仮説は,先に紹介した 亀谷 , 小笠原らは 1a に対する位置異性体の合成 15) γ-ブチロラクトン(23)を NaOEt 存在下クライ 路によく合致している点は特筆される . フェニル ンを作用させてピラゾール環を構築した.オキシ 2 位との間で C-C 結合形成をさせるために合成 素化すると塩化物 26 と閉環体 27 の約 1:1 の混 アラニン由来の部分構造のβ位とピロリジン環の synthon としてベンジルシアニド(18)と O- メ 塩化リンを用いて中間体 25 の側鎖の水酸基を塩 合物となり,アルミナゲルを用いるカラムクロマ チルピロリジン(19)を用いた.実際の合成は , トグラフィーで分離し目的の位置異性体 27 を得 19 は,NaH 存在下ベンゼン中で縮合物 20 を与え ペクトルデータが天然のものと異なっていたため 18 と Scheme 3(b)に従って実施された.化合物 - た.これに対して触媒として PtO2 を用い,エタ ノール−塩化水素中,Parr の還元装置を用いて接 触水素添加反応させ,ジアミン 21 へと導いた. 最後段階である 2 つのアミン部の酸化的カップ リング反応は少量のメタノールを加えた氷冷下, 次亜塩素酸ナトリウム(NaClO)水溶液中で行わ ることに成功した.得られた化合物 27 の各種ス 天然物の構造は 1a であると結論付けた(Scheme 4). 小笠原らは,1982 年に 1a の潜在的な対称性を 有する 4-フェニルピラゾール(28)を鍵中間体 16) とする新しい合成を報告した.4-フェニルピラ ゾール 28 においてピラゾールの互変異性により れた.酸化的カップリングが起こった直後はピラ 生じる異性体は同一化合物であるので,側鎖を導 ゾリンを与えるが 4 位の水素は活性であるため 入する際の位置選択性については頓着する必要は 芳香化し 1a へと至ると考えらえている. ないという考え方である. フェニルアセトアルデヒド(29)と N,N-ジメ チルホルムアルデヒド ジメチルアセタールを加 熱化反応させ,続いてヒドラジンを作用させピラ ゾール環を構築することで 28 を合成した.窒素 Scheme 3. (a) Biosynthetic hypothesis and (b) the bimimetic synthesis of withasomnine by Onaka Vol. 6 (2012) 75 27 Scheme 4. Synthesis of regioisomer of withasomnine by Kametani Me 2S・BH 3 Scheme 5. Synthesis of withasomnine by Ogasawara 原子を保護して単一の 4-フェニル -1- スルホンア ミド(31)をここまでの総収率 29.6%で得た.こ somnifera の母国ともいうべきインドから Ranganathan グループが新たに 1 工程の合成法を発表した. のものに強塩基である t-BuLi を作用させること 本合成で用いられた出発物質は L-プロリン(35) リル化すると位置異性体の混合物 32 を与える. ド 37 で あ る. イ リ ド 37( 原 文 で は meso-ionic 逆マルコフ二コフ型水和物 33 とした後,水酸基 レン中,還流させることで 1,3- 双極子付加反応 でアニオンを発生させ,アリルブロミドを加えア この混合物にヒドロホウ素化−酸化反応を用いて をトシル化,続いて NaOMe を作用させ保護基を 外すと分子の幾何学的な要因から側鎖に近いほう の窒素からのみ分子内環化を起こし 70.8%の収率 で 1a を与えた(Scheme 5). 17) から中間体 36 を経て 2 工程で合成できるイリ 1 8 )1 9 ) system と表現)に対しフェニルアセチレンをキシ を起こさせた際,2 種の付加体を経てこれらが直 ちに脱炭酸を起こし,1a と 27 を与えた(Scheme 6).残念なことに 37 とフェニルアセチレンのモ ル比を変えて検討したが最良の結果として所望 の 1a の収率が 18%,異性体 27 が 51%であった. 5.Ranganathan グループの合成 ただ,比較的安価な原料 35 から 37 への合成を 大変興味深いことにここまでの合成は全て日 筆される.また,本研究は後に述べる Harrity グ kg スケールで実施することが可能である点は特 本のグループの研究によるものであった.小笠 ループの研究に大きな影響を与えていることでも 原グループの報告の 2 年後の 1985 年,Withania 注目されるべきである. 76 Scheme 6. Synthesis of withasomnine by Ranganathan 20) 6.Maldonaldo グループの合成 段階の環化反応は 33-44%と低収率であった.こ の研究について本稿ではうまくいったところだけ Maldonaldo らが 1991 年に発表した合成法は, を記しているが原著を読むとたくさんの失敗例が ジンとの環化反応によって構築し,同時に分子 伺える. ピラゾール環を 1,3-ジカルボニル化合物とヒドラ 内 N-アルキル化によってピロリジン環を構築す るというものである.フェニルアセトニトリル (38)に触媒量のエタノール存在下,ギ酸エチル と NaH を用いてホルミル化し既知化合物である 記述されており,研究者たちが大変苦労した跡が 21) 7.Kulinkovich グループによる合成 Kulinkovich グループの合成法は,1( - 3-クロロ エノール 39 を合成し,これにチオブタノールに プロピル)シクロプロパノール(46)のピロロ テル 40 へと導いた.DIBAL を用いてアルデヒド 換が鍵反応である.化合物 46 は,クロロ酪酸エ よるマイケル付加,続く脱水によってチオエー [1,2-b] ピラゾール(50)への転位反応による環変 41 へと還元した後 , 官能基化されたグリニアル チル(45)からチタニウム(IV)触媒存在下,グ 定量的に酸に敏感なアリルアルコール 42 とした. 率で得ることができる.これに臭素分子を作用 試薬 ClMgOCH2CH2CH2MgCl(4eq.)を作用させ アリルアルコール 42 は MnO2 を用いて酸化しエ リニアル試薬を作用させることにより 85 %の収 させると容易に 6-クロロ-1-ヘキセン-3-オン(47) ノン 43 へと酸化された.末端の水酸基は四塩化 へと変換することができ(収率 80 %),これに により塩素原子に置換され,この最終中間体 44 してビニルケトン 48 を与える.粗生成物のまま 縮合反応により 1a を合成した(Scheme 7).最終 perbromide) と 反 応 さ せ , さ ら に 5 等 量 の ヒ ド 炭素とトリフェニルホスフィンを作用させること にヒドラジンを作用させることによりダブル環化 Scheme 7. Synthesis of withasomnine by Maldonaldo トリエチルアミンを作用させると E2 脱離を起こ 48 を 2-プロパノール中,室温で KBr3(potassium Vol. 6 (2012) 77 Scheme 8. Synthesis of withasomnine by Kulinkovich - 3-クロロプロピル)ピラ ラジンで処理すると 3( として用いる各種アゾール類へのラジカル環化反 合物を水性の 2-プロパノール中,KOH 存在下で を報告している.まず 4-ブロモピラゾール(52) ゾール(49)を主生成物として与え,この反応混 応について研究しているが,その中で 1a の合成 還流すると環化して 50 を与えた.中間体 50 を の一位の窒素原子をトシル基で保護した後,フェ 合成した(Scheme 8).本合成経路におけるピラ 先に 4-フェニル基を導入し化合物 53 とした後, ブロモ化後,熊田カップリング反応により 1a を ニルボロン酸との鈴木カップリング反応を行い ゾール環の構築は従来知られていたものであり, トシル基を脱保護,続いて N-1 位にフェニルセ ピラゾールの直接官能基化を研究していた我々に とっては興味という点では魅かれるものはなかっ レニルプロピル基を導入しセレン化合物 55 とし た.化合物 55 に Bu3SnH を作用させ C-Se 結合を たが,後述のように我々の合成ルート開発におい ホモリシスさせ,その際発生する新たなラジカル て最終段階にカップリング反応を持ってくるとい が図に示すようなラジカル環化反応を起こすこと う様に変更するのに大変参考にさせていただいた によって 1a の合成を達成した(Scheme 9).本経 路では前半で鈴木カップリングによりピラゾー 研究である. 22) 8.Bowman グループによる合成 英国の Bowman らは Bu3SnH をラジカル開始剤 ルの 4 位に芳香環を導入されており,後で述べ る我々の withasomnine 類合成の初期に立案した 合成戦略に影響を与えた研究である.さらに最 近,Bowman らはセレン化合物を樹脂に固定させ Scheme 9. (a) Synthesis of withasomnine by Bowman and (b) challenge for solid-phase radical cyclization 78 た Quadralgel® N-プロピル-4-フェニルピラゾール を基質とする固相(solid-phase)合成に挑戦した が 1a への環化は見られなかった.興味深いこと に Quadralgel N-ブチル-4-フェニルピラゾールを ® 基質に用いると期待された環化反応が起こり 3- フェニル-4,5,6,7-テトラヒドロピラゾロ [1,5-a] ピ 22b) リジンを得ることに成功している. 23) 9.Odom グループによる合成 させ D とする.これがアルキンと [2+2] の環化 付加を起こし 4 員環状のメタラサイクル(E)が 生成し,さらに E に対してイソニトリルが反応 して 5 員環状のメタラサイクル(F)となり,さ らにもう 1 分子のアミンが反応して,この触媒 サイクルから A が放出される.A に対してヒド ラジン類を作用させると付加-脱離反応を経て B となる(Scheme 10(a)). Odom グループは本反応の応用例として 1a の 合成を行った.即ち,アルキン 55 に対して薗頭 ミシガン州立大学の Odom グループはチタニ カップリングを用いてフェニル基を導入し,さ 用いることにより,アルキン,イソニトリル, れに対してチタン触媒 56 を用いて上記の反応を ウム触媒による multi-component coupling 反応を らに水酸基を TBDMS 基で保護して 57 とし,こ アミンの 3 成分から単工程で 1,3-ジイミン類の 行ったところピラゾール 58 を生成した.BBr3 を ン類を作用させることにより One-pot でピラゾー ム化し,これをアルカリ処理することにより環化 tautomer(A)を合成し,さらにこれにヒドラジ ル類(B)を創製することに成功した.Ti 触媒 (C)にアミン類を作用させ金属の配位子を交換 用いて脱 TBDMS と同時に発生した水酸基をブロ を起こさせ 1a の合成に成功したと報告している (Scheme 10(b)). Scheme 10. (a) Proposed mechanism for titanium-catalyzed iminoamination of alkynes (b) Synthesis of withasomnine by Odom Vol. 6 (2012) 79 10.Harrity グループによる 1a-c の分岐的 24) 全合成 Harrity ら は,35 か ら 合 成 し た syndon 37’( 前 述の Ranganathan らの研究における出発物質 37 と同じもの)を出発物質として分岐的に 3 種の 生成したカップリング体 58a-c に TBAF を作用さ せて TMS 基を外すことによって 1a-c の分岐的な 全合成に成功した.この研究は,1b, 1c の最初の 全合成である点も特筆される.また,鈴木カップ リングにおいて通常加熱では 18 時間かかるのに 対し,マイクロ・ウェーヴ(MW)法を用いて反 withasomnine 類 1a-c を合成した(Scheme 11).前 応時間を 1 時間に短縮することに成功している. 付加反応の位置選択性に問題があったが,Harrity 11.我々の分岐的全合成 た場合,1,3-双極子環化付加反応において非常に 既に述べたように我々は,ピラゾールの 4 位の こでアルキンにおいてホウ素置換基と反対側の り,熊田−玉尾カップリング,鈴木−宮浦カップ 置換基が H の場合 1a の合成に適さない付加物 リング,薗頭カップリング,ヘック反応といった ホウ素置換基の反対側に嵩高いトリメチルシリ ピラゾール,4-アルキニル-1H-ピラゾール,およ 述の Ranganathan らの研究では,1,3-双極子環化 らのそれはアルキニルボロン酸エステルを用い 25) 高い置選択性が発現するすことを見出した.こ を主生成物として与えるのに対し,アルキンの ル基を導入した化合物 56 を用いて 1,3-双極子付 加を行ったところ位置選択性が逆転し(>98: 2),1a の合成に適した付加体 57 を与えた.実際 11,12) 直接官能基化反応の開発について研究を行ってお 10a) 10b) 10c) 10d) 一連のカップリング反応を用いて 4-アリール-1H- び 4-アルケニル-1H-ピゾール類の合成について報 告した.また,我々は低分子天然有機化合物の全 26) 合成研究も行っているので,その研究の一環とし の withasomnine 類の合成研究では完全に位置選 てピラゾールを分子中に有する天然物を検索した Ranganathan らの研究と同様に 1,3-双極子付加物 でピラゾールを出発物質として逆合成戦略を立 のである . このホウ素化物 57 に対し各種ヨウ化 C3 ユニットを導入することを基本戦略にするこ 択性を制御している.この付加物の生成機構は ところ withasomnine 類 1a-c がヒットした.そこ が直ちに脱炭酸してすることによって 57 となる て,側鎖の導入にクライゼン転位を用い C-5 位に アリールとの鈴木カップリング反応を行った後, ととなった.その際,転位の前駆物質は C-4 位に Scheme 11. Divergent synthesis of withasomnines by Harrity 80 アリルオキシ基を有している必要があり,C-4 位 に水酸基を導入することが要求された.我々は, この工程をバイヤー・ビリガー酸化(電子豊富な 芳香族における同様の反応をデーキン酸化とも言 27) う)によって達成することとし,その場合原料は で 40 %程度の収率で 4-アセチル体を得るにとど 28) まった.そこで今度は 4-ヨード-1-トリチル-1H- ピラゾール(61)に対するホルミル化を検討し た.化合物 61 にグリニアル反応剤を作用させ 4- 金属置換ピラゾールとした後 N,N-ジメチルホル 4-アシル-1H-ピラゾール類である.本研究の最終 ムアミド(DMF)を作用させ高収率で目的物 62 そのためには 4-ヒドロキシ-1H-ピラゾール類の合 媒 63と30 %過酸化水素水を用いてバイヤー・ビ の目的は 1a-c の分岐的な全合成の達成であるが, 成法を開発する必要があった.我々がこれまで 行ってきた全合成は常に生合成経路を意識してデ ザインされたものがほとんどであるが本合成経路 は前に触れたように実証された生合成経路とは全 く別の戦略をとっており我々としても大きなチャ レンジであった.また,この合成戦略の最終工程 における鈴木カップリング反応は我々が当時導入 を得た.これに対し我々が開発したセレニン酸触 29) リガー酸化を行いギ酸エステル 64 とした後,単 離することなくアルカリ加水分解に付すことに よって 4-ヒドロキシ-1-トリチル-1H-ピラゾール (65)へと導いた.このアルカリ反応液にアリル ブロミドを加えて O-アリル化を行い良好な収率 で目的物 66 を得た.次に N1 に様々な保護基を 持 つ 基 質( 保 護 基;Tr,Bn,n-Bu,Ts,Ms) を したマイクロ波発生装置による合成の有用性を証 合成し,これらに対しするクライゼン転位の位置 明こととなった. 選択性について検討した.我々の当初の予想に反 .まず市販の 実際について述べる(Scheme 12) して全ての基質においてすべて C5-転位物 68 が ピラゾール(59)より既知の方法で合成した 1-ト 主生成物となった.N1 の保護基による立体障害 ラフツ アシル化反応について種々の条件を検討 することは非常に興味深い. リチル-1H-ピラゾールに対するフリーデル・ク したが,SnCl2 を触媒とする無水酢酸との反応 がより大きいと考えられる 5 位への転位が優先 我々の研究が 2 年目に入り,クライゼン転位 Scheme 12. Divergent synthesis of withasomnines by lchikawa and Usami Vol. 6 (2012) 81 の位置選択性について詳細に検討していた 2009 様々な市販のアリールボロン酸を作用させ種々の が Org.Biomol.Chem. 誌 に 発 表 さ れ, 我 々 の た. 年の夏頃,前述の Harrity グループの研究成果 1b, 1c の最初の全合成は夢と消えた.何よりも同 withasomnine 類似化合物を合成することに成功し 28) 30) 一中間体から 3 種の withasomnine 類全てを合成 12.Namboothiri グループによる合成 鍵反応の 1 つが MW 照射下での鈴木カップリン 我々の論文が Tetrahedron Lett. 誌の web 上で出 するというコンセプトが同じであることしかも グであるという点が我々のものと酷似しており, 版された直後にインド工科大学(ボンベイ)の 我々が受けたショックは大きかった.気を取り直 Namboothiri グループがα-ジアゾ-β-ケトスルホ して,兎も角この全合成を完成させることを最優 先させるような方向に研究の舵を切った.N1 の 保護基は後の変換の関係からトリチル基とするこ ととした.当初の合成戦略ではこの後,化合物 68 の水酸基を変換してトリフラート 69 とし,続 いて鈴木カップリングにより 4 位に芳香族置換 基を導入することを検討したが様々な条件下,目 的の反応は進行しなかった.そこで,先に側鎖の 変換と閉環を行うこととした.心ならずも合成経 路を変更することで分岐点である鈴木カップリ ングを最終工程に持ってくることとなり,Harrity らの合成と比べた際の我々側の明確なメリット が出現した.C5-位のアリル基に対し 9-BBN を 用いるヒドロホウ素化-続く過酸化水素による酸 ンとニトロアルケンとの環化によるピラゾール 環構築を鍵反応とする新たな 1a の合成法を Org. Lett.誌に報告した(Scheme 13).出発物質であ るニトロエステル 73 は,β-ニトロスチレンとア 31) クリル酸エチルとの付加反応 あるいは 4-ニトロ 32) 酪酸エチルとベンズアルデヒドとの縮合反応 に よって合成される.合成したニトロエステル 73 はスルホン 74 とアルカリ条件下で 1,3-双極子付 加環化反応を起こし,収率 77 %でピラゾールエ ステル 75 を与えた. 化合物 75 に対して LiAlH4 を作用させて還元 し,収率 91 %で得られたアルコール 76 の水酸 基を臭素化し,アルカリで処理すると One-pot で 1a の前駆体 77 が得られた(収率 83%).最後 化反応を経て逆マルコフニコフ型の水和物 70 と に 77 のスルホニル基を Na-Hg を用いて還元的に 化合物 71 とした.化合物 71 は,N1 の保護基で することに成功している(Scheme 13).さらに し,続いて水酸基を脱離能の高い -OTs に変換し あるトリチル基を塩酸で外すと同時に一気に分 子内 SN2 反応を起こして目的の環化体 72 を与え た.しかし,この工程の収率は 40 %と低く,そ の原因としておそらく塩酸で脱保護する際,かな りの部分のトシラート部分あるいはトリフラート 部分が加水分解してしまったためと推測され,今 後この工程の改良が望まれる.最終合成中間体の 鈴木カップリングも困難を極めたが,種々検討の 結果,反応系中に少量の水が存在すると MW 照 脱離させることによって 1a を収率 78 %で合成 Namboothiri らは,中間体 77 の合成の別法として 以下の方法を併せて報告している.即ち,ベンズ アルデヒドと 4-ニトロブタノールを収率 71 %で 縮合させ得られたニトロアルコール 78 に CBr4 を 作用させて収率 91%で臭化物 79 とし,これを 74 と反応させ収率 85%で中間体 77 へと導いた. 13.おわりに 射下で反応がスムーズに進行することが分かっ 本学・千熊グループの行っていたシスプラチン た.Harrity らの合成経路での鈴木カップリング 耐性癌に有効な白金二核錯体の研究に端を発し, の反応時間が 1 時間であるのに対し,我々の合 市川がより有効な白金に対する配位子の創製を目 33) 成では 30 分と半分に短縮することができた.目 的として市販のピラゾールを原料とする 4 位に しかも分岐点が最終中間体であるためにこれに が今から 8 年前のことである.その当時,基本 11) 的の天然アルカロイド 1a-c の合成は達成され, 置換基を持つピラゾール類の合成研究を始めたの 82 Scheme 13. Synthesis of withasomines by Namboothiri 的な複素環としてあまりにも良く知られている置 と言わざるを得ない. 換ピラゾール類の合成法のほとんどが最終段階 での環化反応によるピラゾール環の構築である ことを知った.その後,研究グループに宇佐美 が加わり,紆余曲折して withasonmine 類に出会 い,逆合成を考える中で鍵中間体となる 4-ヒド 謝辞 本総説に示された研究の一部は,大阪薬 科大学・有機分子機能化学研究室(2008−2009) において行われたものであり,御指導いただい た有本正生 元准教授,実験を担当された渡邊龍 ロキシピラゾール類の合成法がその重要な生理 修士,藤野由衣子 修士,御助言いただいた薬品 活性機能にも関わらずほとんど報告されていな 製造学研究室(当時,現・有機薬化学研究室), いことを知った.2009 年に報告された Harrity グ 春沢信哉 教授に心より感謝いたしますとともに Ranganathan らの研究がベースになっているし, センターの箕浦克彦 博士,藤嶽美穂代 先生に ループのエレガントな合成にしても 1980 年代の NMR,MS の測定の労を取られた本学,共同機器 我々の合成の後半部分はやはり 1980 年代の小笠 深謝致します.また当該研究は本学ハイテクリ るが,新しいテーマにチャレンジする時,何もか よび有機合成協会・ロンザ・ジャパン研究企画賞 もが勉強することばかりであった.このことを研 (2008,市川)の援助によって行われたことをこ 原らの研究を参考にしている.当たり前の話であ 究計画の立案と実験遂行の経過を思い出しながら サーチセンタープロジェクト(2006−2009),お こに記し,感謝の意を表します. 本稿を書くにあたって改めて思い知った次第で ある.はじめに記述した通り Power と Salway に よって Withania somnifera から withasomnine と思 われるアルカロイド成分の存在が示唆されてから 今年(2011 年執筆)で丁度 100 年である.奇妙 な偶然ではあるが自然科学の研究は実に奥が深い REFERRENCES 1 )Schröter H.-B., Neumann D., Katrizky A. R., Swinbourne F. J., Tetrahedron, 22, 2895-2897 (1966). 2 )Power F. B., Salway A. H., J. Chem. Soc., Trans., Vol. 6 (2012) 99, 490-507(1911). 3 )Schwarting A. E., Bobbitt J. M., Rother A., Atal C. K., Khanna K. L., Leary J. D., Walter W. G., Lloydia, 26, 258(1963). 4) (a)Scartezzini P., Speroni E., J. Ethnopharmacol. 83 U s a m i Y. , H e t e ro c c y l e s , 8 1 , 1 5 0 9 - 1 5 1 6 (2010).(c)Ichikawa H., Ohfune H., Usami Y., Heteroccyles, 81 , 1651 - 1659( 2010 ). (d)Usami Y., Ichikawa H., Harusawa S., Heteroccyles, 83, 827-835(2011). 71, 23-43(2000).(b)Takano-Maruyama M., 11)Ichikawa H., Watanabe R., Fujino Y., Usami Y., (2010).(c)Singh G., Sharma P. K., Dudhe R., 12)渡邊 龍,大阪薬科大学修士論文,大阪薬科 Mirjalili M. H., Moyano E., Bonfill M., Cusido R. 13)Morimoto A., Noda K., Watanabe T., Takasugi H., 128,1159-1167(2008). (e)東田千尋, 薬学雑誌, 14)(a)Onaka T., Tetrahedron Lett., 9, 5711-5714 Wadawa R., Sasaki T., Fragrance J., 38, 54-59 Singh S., Annals Biol.Res., 1, 56-63(2010). (d) M., Palazon J., Molecules, 14, 2373-2393(2009) . (f)Gupta G. L., Rana A. C., Pharmacognosy Reviews, 1, 129-136(2007).(g)Khanna P. K., Tetrahedron Lett., 52, 4448-4451(2011). 大学(2010). Tetrahedron Lett., 9, 5707-5710(1968). (1968).(b)尾中忠正,第 12 回天然有機化 合物討論会講演要旨集,pp. 213-220(1968). Kumar A., Kaul M. K., J. Plant Biol., 33, 185-192 15)亀谷哲治,八巻一弥,小笠原国郎,薬学雑誌, J. Chem., 18 , 1401- 1404( 2006).(i)Tohda 16)Takano S., Imamura Y., Ogasawara K., Heterocycles, Medicines, 22(Suppl. 1), 176-182(2005).(j) 17)(a)Ranganathan D., Bamezai S., Synth. Commun., (2006).(h)Kumar P., Kushwaha R. A., Asian C., Komatsu K., Kuboyama T., J. Traditional Sharma K., Dandiya P. C., Indian Drugs, 29, 247- 53(1992). 5 )(a)Hüller H., Peters R., Scheler W., Schmidt D., Stremmel D., Pharmazie, 26, 361-364(1971). (b)Zubek A., Pharmazie, 24, 382-384(1969). 6 )Wube A. A., Wenzig, E.-M. Gibbsons S. A. K., 89, 583-585(1969). 19, 1223-1225(1982). 15, 259-265(1985) .(b)Ranganathan D., Bamezai S., Saini S., Indian J. Chem., Section B: Organic Chemistry Including Medicinal Chemistry, 30B, 169- 175(1991) . 18)(a)Ranganathan D., Bamezai S., Tetrahedron Lett., 24, 1067-1070(1983).(b)Ranganathan D., Bauer R., Bucar F., Phytochem., 69 , 982 - 987 Bamezai S., He C.-H., Clardy J., Tetrahedron Lett., 7 )O'Donovan D. G., Forde T. J., Tetrahedron Lett., 19 )Nikitenko A. A.,Winkley M. W., Zeldis J., 8 )(a)Adesanya S. A., Nia R., Frontaine C., Jirkovsky J., Blum D., Khafizova G., Grousu G.T., (2008). 11, 3637-3638(1970). PaÏs M., Phytochem., 35, 1053-1055(1994). (b)Houghton P. J., Pandey R., Hawkes J. 26, 5739-5742(1985). Kremer K., Chan A. W.-Y., Strong H., Jennings M., Venkatesan A.M., Org. Proc. Res. Dev., 10, 712- 716(2006). E., Phytochem., 35 , 1602 - 1603 ( 1994 ).(c) 20 )Guzmán-Pérez A., Maldonado L.A., Synth. Med., 64, 90-91(1998). 21)Kulinkovich O., Masalov N., Tyvorskii V., De Aladesamni A. J., Nia R., Nahrstedt A., Planta 9 ) R a v i k a n t h V. , R a m e s h P. , D i w a n P. V. , Venkatewarlu Y., Biochem. Syst. Ecol., 29, 753- 754(2001). 10)(a)Ichikawa H., Ohno Y., Usami Y., Arimoto M., Heteroccyles, 68 , 2247 - 2252 ( 2006 ). (b)Ichikawa H., Nishioka M., Arimoto M., Commun., 21, 1667-1674(1991). Kimpe N., Keppens M., Tetrahedron Lett. 37, 1095-1096(1996). 22)(a)Allin S. M., Barton W. R. S., Bowman W. R., McInally T., Tetrahedron Lett., 43 , 4191 - 4193(2002).(b)Allin S. M., Barton W. R. S., Bowman W. R., Bridge E., Elsegood M. R. J., 84 McInally T., McKee V., Tetrahedron, 64, 7745- 7758(2008). 23)Mujumder S., Gipson K. R., Staples R. J., Odom R. L., Adv. Synth. Catal., 351, 2013-2023 (2009) . 24)Foster R.S., Huang J., Vivat J. F., Browne D. L., Harrity J. P. A., Org. Biomol. Chem., 7, 4052- 4056(2009). 25)(a)Browne D. L., Helm M. D., Plant A., Harrity J. P. A., Angew. Chem. Int. Ed., 46, 8656-8658 (2007).(b)Browne D. L., Vivat J. F., Plant A., Gomez-Bengoa E., Harrity J. P. A., J. Am. Chem. Soc., 131, 7762-7769(2009). 26)(a)Usami Y., Ikura T., Amagata T., Numata A., Tetrahedron: Asymmetry, 11, 3711-3725(2000). (b)Usami Y., Takaoka I., Ichikawa H., Horibe Y., Tomiyama S., Ohtsuka M., Imanishi Y., Arimoto M., J. Org. Chem., 72, 6127-6134(2007).(c) Usami Y., Mizuki K., Ichikawa H., Arimoto M., Tetrahedron: Asymmetry, 18, 4380-4384(2008). (d)Usami Y., Suzuki K., Mizuki K., Ichikawa H., Arimoto M., Org. Biomol. Chem., 7, 315-318 (2009).(e)Usami Y., Ohsugi M., Mizuki K., Ichikawa H., Arimoto M., Org. Lett., 11, 2699- 2701(2009). 27)Dakin H. D., Amer. Chem. J., 42, 477-498(1909). (b)Dakin H. D., Org. Synth., 3, 28(1923). 28)未発表 29)Ichikawa H., Usami Y., Arimoto M., Tetrahedron Lett., 46, 8665-8668(2005). 30)Kumar R., Namboothiri I. N. N., Org. Lett., 13, 4016-4019(2011). 31)Dadwal M., Mhan R., Panda D., Mobin S. M., Namboothiri I. N. N., Chem. Commun., 338-340 (2006). 32 )Bhagwatheeswaran H., Gaur S. P., Jain P. C., Indian J. Chem., Section B: Org. Chem. Include. Med. Chem., 14B, 699-700(1976). 33)Komeda S., Lutz M., Spek A. L., Yamanaka Y., Sato T., Chikuma M., Reedijk J., J. Am. Chem. Soc., 124, 4738-4746(2002). Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 85 − Note − 有機化学実験のための易しいマススペクトロメトリー 藤嶽美穂代 Concise Mass Spectrometry for Experiments of Organic Chemistry Mihoyo Fujitake Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1 Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan Mass spectrometry (MS) is a powerful and indispensable tool for identification and structural analysis of organic compounds like NMR or X-ray crystal structure analysis. analysis. This guidebook of MS is described for undergraduate students and beginners of organic experiments, in which the following items are covered. 1) Overview of MS. 2) Construction of apparatus for MS. 3) Principles of ionization methods and mass analysers. 4) Spectral interpretation. key words ---------- mass spectrometry; MS; isotopes; fragmentation 1.はじめに 述べた後,近年混乱がみられる MS 関連用語につ いて付記した. 筆者はここ数年,講義担当者あるいは研究室の 先生方からマススペクトロメトリー(MS)の講 義及びセミナーの依頼を受けてきた.それらの機 2.マススペクトロメトリーとは何か 会を通して,本学における MS の講義時間が極め MS とは端的に述べると,イオン化した原子や て少ないことや,学生のほとんどがマススペクト 分子を高真空中で飛行させ,電界や磁界の働きに ルの解析については全く経験していない現状を よって,その質量を物理的に求める方法である. 知った.また,特別実習に進む 5 年次生あるいは 現在,原理が異なる様々な質量分析計が活用され 有機化学の初学者のために MS の要点を簡潔にま ているが,どのような装置であってもマススペク とめた教材を見つけることはできなかった.そこ トルを測定するためには必ず分析対象物を「イオ で MS の専門技術者であり,また MS の新しい測 ン化」しなければならない.次に,生成したイオ 「学生と研究者のための新しくかつ分かり易いマ 妨害され,検出器まで到達できなくなるので,そ ススペクトルガイド」を自ら作成する必要性を強 の分析部は常に「高真空」(10−4~10−6 Pa)に保 定法を開発する研究者としての長年の経験から, く感じた.本稿では,質量分析計の構成と原理, ンは大気中の窒素や酸素分子と衝突すると軌道を たれていなければならない.試料をイオン化する 最新の多様な測定法,マススペクトルの解析につ ため,NMR や赤外分光法などのように測定後に いて順を追って解説した.また自ら開発した測定 試料を回収することができない破壊測定である. 法は,筆者が日々の測定の中で使用しているもの また質量分析は正確には質量ではなく,イオンの であるため,本稿に取り入れた.最後に,薬剤師 質量 (m) と電荷数 (z) の比 (m/z) を測定すること 国家試験の傾向,本学における MS の利用状況を 大阪薬科大学 MS 室,e-mail: [email protected] によって質量を求める分析法である.以上のこと 86 が MS の特徴であるといえる. 合物を測定する場合は,GC や LC によって分離 川や湖沼など環境中からの採取物,食品や薬品中の とで成分ごとのマススペクトルを得ることができ 成分,生物由来のタンパク質や代謝産物など幅広い. る.つまり,混合物の場合でも装置に導入される 試料の形状は固体,液体,気体を問わない. のは単一成分ずつである. MS は,純品の定性能力に優れるが,混合物そ マススペクトルを測定することにより得られる のままでの定性,同定は困難であり,極少量の不 情報は,分子量,分子構造,組成式,さらに GC 対象とする試料は合成品,植物からの抽出物,河 純物が目的化合物のイオン化を阻害し,スペクト ルに大きく影響することがある.そのため,試料 した各単一成分を,順次質量分析計に導入するこ や LC と接続することにより,定量分析も可能で ある. は純品であることが前提となる.一方,多成分混 Fig. 1.MS の概略 3.質量分析計の構成 質量分析計は,試料を入れる 1)試料導入部, 試料をイオン化する 2)イオン化部,生成したイ オンをそれぞれの質量に分離する 3)イオン分離 部,分離したイオンを検出する 4)イオン検出部, そして検出されたイオンをバーグラフやクロマト Fig. 2.質量分析計の構成 グラムに変換する 5)データ処理部から構成され ている. 大気圧下でイオン化する場合のイオン化部を除 き,イオン化部から検出部に至るまで,分子間の 相互作用を避けるため,高真空(10−4~10−6 Pa) に保たれている.この構成はすべての質量分析計 において共通である. Vol. 6 (2012) 87 本学 MS 室に設置されている JEOL JMS-700(2)を例に装置の構成部分を以下に示す. Fig. 3.二重収束磁場型質量分析計 4.質量分析計の原理 4 −1.試料導入部 質量分析計を構成する 5 つの各部には,それぞ Fig. 3 のようにプローブによって直接試料をイ が必要である.各部の主な種類と原理について述 GC や LC の出口とイオン源を結合させる方法, れいくつかの種類があり,試料に応じて使い分け べる. オン源に導入する方法(Direct Insertion : DI 法), リザーバーに試料を入れておき,微小な穴(オリ フィス)を通じ約10~500µL/sec で徐々にイオン 源に導入する方法などがある. 88 4−2.イオン化部 撃(fast atom bombardment : FAB)法,マトリッ すでに述べたように,MS では試料をイオン化 laser desorption ionization : MALDI)法などが開発 する必要がある.最初に開発された電子イオン化 (electron ionization : EI)法は実用性が高く,ラ * イブラリー(既存物質の EI マススペクトルデー ター集)も充実しているため,現在においても 第一選択される普遍的なイオン化法である.し かし,開裂を起こしやすく揮発し難い物質など, EI 法ではイオン化が困難である化合物は分子量 クス支援レーザー脱離イオン化(matrix-assisted され,その分子量情報を得ることができるように なった. ま た,LC と MS を 結 合 さ せ る た め に 開 発 さ れ た 大 気 圧 化 学 イ オ ン 化(atmospheric pressure chemical ionization : APCI)法,エレクトロスプ レーイオン化(electrospray ionization : ESI)法は, 生体高分子や錯体にも応用できるイオン化法であ 情報が得られない.そこでこれらの化合物をイオ る. ン化する方法が様々開発されてきた.まず試料 ここに述べた以外にも多数のイオン化法が開発 を間接的にイオン化する化学イオン化(chemical されているが,本稿では EI 法を中心に上記のイ ionization : CI)法が考案され,分子内開裂を抑え ることができるようになった.しかし EI および CI 法は試料を揮発させる必要があるために,分 子量が大きく難揮発性の化合物の測定は困難で オン化法の原理について簡単に述べる. *第82回薬剤師国家試験(平成 9 年実施)問題 では「EI 法を electron impact 法という」を正 解としているが,現在では electron ionization ある.そのため,これらの試料をイオン化する が推奨されている.(IUPAC,マススペクト 方法として二次イオン質量分析(liquid secondary ロメトリー関係用語集) ion mass spectrometry : LSIMS) 法, 高 速 原 子 衝 4-2-1.EI 法の原理と特徴 Fig. 4. 1.EI 法のイオン源 Fig. 4. 2.EI 及び CI 法に用いる毛細管: 上は試料の揮発を緩和するために quartz wool を詰めている. 【原理】イオン化室に設置したフィラメントに電 む結合のように,結合に関与していない非共有電 流を流し熱電子を放出させる.この熱電子に電子 子対も電子は2個である.そのため, 1 分子の電 加速電圧をかけて加速し,電子ビームを作ってお く.気化させた試料分子にこの熱電子を衝突させ 子の総数は必ず偶数個であり,電子 1 個がはじき 出されると正に帯電する.従って,分子イオン ると,試料ガス分子から電子 1 個が弾き出され を表すには molecular ion の頭文字に不対電子1 個の存在と正電荷を持っていることを表し,M+. 普通の安定な有機分子では,電子を 1 個ずつ出 と書く. (あるいは付加され)イオンが生成する. し合って共有結合している.また,酸素原子を含 現在知られているほとんどの有機化合物のイオ Vol. 6 (2012) 89 ン化エネルギーは 70eV 以下であるため,熱電子 グメントイオンという.このフラグメントイオン の際に受けたエネルギーが過剰であると結合の開 解析に利用できる. ビームは通常 70eV を用いる.ここで,イオン化 もイオンであるので質量分析計で検出され,構造 裂が起こり,いくつかの小さな断片ができる.こ 【特徴】イオン化するためには試料分子をガス状 のような過程をフラグメンテーションといい,生 にする必要があるため熱不安定物質や極性が高く じた断片をフラグメント,電荷を持つ場合はフラ 気化し難い化合物には適さない. 4-2-2.CI 法の原理と特徴 Fig. 5.CI 法のイオン源 【原理】EI 法と同じイオン源を用い,試料と共 + M+(CH3)3C+→[M+H] +(CH3)2C=CH2 に試料分子の100~1000倍の分子の数の反応ガス (reactant gas)をイオン化室に導入し,フィラメ ……プロトンの付加 + M+(CH3)3C →[M+C(CH3)3]+ ントからの熱電子と衝突させ,まず量の多い反応 ……反応イオンの付加 ガスを EI 法でイオン化する(一次イオン).反応 M+(CH3)3C →[M−H] +(CH3)3CH ガス相互のイオン分子反応により反応イオン(二 ……水素の引き抜き 次イオン)が生じ,この反応イオンが試料分子と 多くの場合これら反応のうち,プロトン付加が イオン分子反応を起こし,試料がイオン化する. 主反応になるため,イソブタンを利用した CI マ 反応ガスにはメタン,イソブタン,アンモニアな どが用いられる.例えば反応ガスにイソブタン (i-C4H10)を用いた場合,二次イオンは(CH3) 3C + であり,下記の 3 通りの反応が起こる. + + ススペクトルでは主に[M+H]+が検出される. 【特徴】EI 法と同じように試料分子をガス状にす るため,熱不安定物質や難揮発性物質には適さな い. 生成した[M+H]+のピークは強く,フラグメ ンテーションも少ないソフトイオン化法である. 4-2-3.LSIMS と FABMS の原理と特徴 Fig. 6. 1.LSIMS と FABMS のイオン源(JEOL Ltd. 資料より抜粋) 90 Fig. 6. 2.上:LSIMS 用ターゲット 下:FABMS 用ターゲット 【 原 理 】LSIMS,FAB と も に マ ト リ ッ ク ス と 呼 ばれる支持母体と試料を混合させ,ターゲット (Fig. 6. 2. の窪んだ部分)に置く.その混液に高 であるため,分子の開裂が少なく分子イオン(付 加イオン分子)強度が高い場合が多い. 速イオンビーム(Cs+,Xe+,Ar+など)を照射す 最近筆者が見出した新しいマトリックスシステ る場合を LSIMS,高速中性原子(Cs,Xe,Ar な ムを用いて,マトリックスの選択の重要性を以下 ど)を照射する場合を FAB といい,どちらも混 に示す. 液表面の分子を弾き出すと同時にマトリックスか ヌクレオシド及び非ヌクレオシドホスホロア ら試料分子へプロトンや電子の授受が行われ,試 ミダイト(PAs)はオリゴヌクレオチド固相合成 料分子がイオン化する.このマトリックスは試料 のビルディングブロックとして重要な化合物で をイオン源内で長時間安定にイオン化するために ある.しかし PAs は酸や塩基に対して不安定な も重要な役割を果たしており,その選択によって は分子イオンの確認が全くできない場合がある. マトリックスは粘稠性があり揮発性の低い,グ リ セ ロ ー ル(G) や meta− ニ ト ロ ベ ン ジ ル ア ル 結合を多く含むため MS による構造確認ができ ない場合が多い.そこで,イミダゾール C−ヌクレ オシド PA 1(Fig. 7)について種々検討の結果, LSIMS および FABMS におけるマトリックスとし コール(NBA)が用いられることが多く,試料 てトリエタノールアミン(TEOA)−NaCl を用い と均一に混合できるものを随時選択する. ることで,初めて精密質量が得られることを見い 【特徴】熱不安定物質や難揮発性物質,極性物質 などの測定に有効である. 主にプロトン付加分子[M+H] が生成する. + ごく微量の Na や K の存在により,[M+Na] + + + 及び[M+K] が検出される.ソフトイオン化法 + Fig. 7.Structure of PA 1 だした(Fig. 8).この手法は,様々なヌクレオシ ド及び非ヌクレオシド PAs にも適用可能である ことも実証し,実際に日々の測定において積極的 に使用している. Vol. 6 (2012) 91 Table 1.PA 1 のマススペクトル測定結果 Fig. 8.マトリックスとして TEOA−NaCl を用いた PA 1 の LSIMS スペクトル 1)M. Fujitake et al., Tetrahedron, 61, 4689−4699. 2005. 2)Current Protocols in Nucleic Acid Chemistry, 10. 11. 1−10. 11. 16. 2006. 92 4-2-4.MALDI 法の原理と特徴 Fig. 9. 1.MALDI 法のイオン源 (JEOL Ltd. 資料より抜粋) 【原理】マトリックスと試料を混合溶解し,溶媒 を蒸発させて乾固(混晶)する. これにパルス状 のレーザー光を照射することによりマトリックス Fig. 9. 2.MALDI 用ターゲット:一枚のプレートに 約 100 検体の試料を塗布することができる . 4-2-5.APCI 法と ESI 法の原理と特徴 タンパク質などの生体高分子は LC によって精 と試料を脱離させる.同時に,マトリックスから 製分離されることが多く,LC と質量分析計を結 試料分子へプロトンや電子の授受が行われ,試料 合できれば生化学分野での MS の応用範囲はます 分子がイオン化する. ます広がる.しかし,LC と質量分析計の結合に マトリックスは使用するレーザー光波長(通常 は特殊なインターフェイスが必要である.なぜ 337nm)に吸収帯を持ち,試料の分子量,極性な なら,LC から流出する試料量は1分間に数 µL~ 【特徴】試料の化学的性質に左右されにくいソフ 1000倍にもなるので装置の真空状態を維持できな どにより随時適切に選択する必要がある. 1mL の液体であり,これが気化すると体積は約 トイオン化法であり,現在使用されているイオン くなり,測定不可能になるからである. 化法の中で最も高質量領域まで測定が可能であ そこで脱溶媒するインターフェイスとして様々 る.従って,生体に存在するタンパク質など分子 なイオン化法が開発されてきた.その中で現在最 量のきわめて大きな化合物の測定に適する. も汎用されている APCI と ESI について述べる. 【APCI の原理】 Fig. 10.APCI 法のイオン源(JEOL Ltd. 資料より抜粋) LC の出口の送液管を数百℃に加熱し,同方向 に窒素ガスを流して試料溶液を噴霧する.噴霧口 近くで,針電極に電圧を印加してコロナ放電を起 こし,まわりに大量に存在する窒素ガスや大気中 の水分子及び溶媒分子をイオン化し,そのイオン と試料分子とを反応させてイオン化する方法(大 Vol. 6 (2012) 93 気圧下での CI 法)である. ある.難揮発性,熱不安定な化合物はイオン化さ 【APCI の特徴】CI と同様にソフトイオン化法で れないことがある. 【ESI の原理】 Fig. 11.ESI 法のイオン源(JEOL Ltd. 資料より抜粋) 大気圧下で高電圧を印加することによりイオン 【ESI の特徴】プロトン付加あるいは多価イオン 化する方法である. を生成しやすい. LC の出口の送液管(キャピラリー)と対向電 多価イオンとは,複数の電荷を持つイオンの 極の間に数 kV の高電位を印加することにより送 ことで,Mn+,[M+nH]n+,[M+nNa]n+,Mn−, 液管先端の液体中で正と負のイオン分離が起こ [M−nH]n−などのように記す.マススペクトルの る.たとえば先端に正の高電圧を掛けた場合は液 横軸は m/z(質量/電荷数)であるので,電荷数 z 体表面に正イオンが集まり,これらは対極に向 (n)が大きくなると検出される m/z 値は小さくな かって引きつけられ液体が円すい状になる(テイ る.例えば10価イオンが生成すればそのピークは ラーコーン).そしてその先端から液滴が切り離 され,帯電した微細な液滴として噴霧し,それら の液滴から溶媒を蒸発させると液滴の体積が減少 して液滴内の電荷密度が増大する.その過剰電荷 によるクーロン斥力が液の表面張力を越えた時 分子量の10分の 1 の値のところに,20価イオンで あれば分子量の20分の 1 の値のところに観測され る.すなわち,分子量が1000や2000までしか測る ことのできない分析計でも,タンパク質などの高 分子量物質が測定できるということになる. (レイリーリミット),液滴は爆発的に細分化し また,非常にソフトなイオン化であるので,非 (クーロン崩壊)試料分子がイオン化する. 共有結合性複合体に由来するイオンを検出するこ とが可能である. 4-2-6.イオン化法を選ぶ目安 分離部の種類やメーカーなどにより多少異なるが,以下にイオン化法を選ぶ際の目安を示す. Table 2. イオン化法を選ぶ目安 イオン化法 対象試料 EI, CI 約 400℃で 10−2 ~ 10−4 Pa の蒸気圧を有する有機化合物(揮発性の高い固体,液体, 常圧で気体) SIMS, FAB 熱不安定物質,難揮発性物質,生体内物質 MALD 熱不安定物質,難揮発性物質,生体高分子,合成ポリマー APCI 熱に安定な中性 ~ 中極性有機化合物 ESI 熱不安定物質,難揮発性物質,生体高分子,複合糖質,極性有機化合物 分子量(約) 試料量(約) 1,000u 以下 1ng 以上 10,000u 以下 数百 pmol 以上 1,000,000u 以下 数 fmol 以上 200,000u 以下 数 pmol 以上 1,000u 以下 数十 pmol 以上 94 sector mass spectrometer : sector MS), 四 重 極 型 4-3.イオン分離部 何らかの方法でイオン化されたイオンを質量電 荷数比ごとに分けるところであり,様々なイオン 化法が存在するように,分離部にもさまざまな分 離方法が存在する.イオン化法との組み合わせ は,技術の進歩とともに変化し続けている.イオ ン加速電圧や電場電圧の正負,磁場の N-S 極な (Quadrupole mass spectrometer : QMS), イ オ ン ト ラ ッ プ 型(Ion trap mass spectrometer : ITMS), 飛 行 時 間 型(Time-of-flight mass spectrometer : TOFMS),フーリエ変換型(Fourier transform-ion cyclotron resonance mass spectrometer : FTICRMS) , タンデム質量分析法(tandem mass spectrometry : MS/MS)がある.このように分離部の名称が質 どをそれぞれ逆に切り替えることにより,負イオ 量分析計の種類を示す言葉として用いられること ンを検出することもできる. が多い. 代 表 的 な 分 離 部 と し て, 磁 場 型(Magnetic それぞれの原理と特徴を簡単に述べる. 4-3-1.磁場と電場型(sector MS) Fig. 12.磁場型質量分析計 イオンの質量(統一原子質量単位)を m,電 子の電荷(1.60×10 を消去すると③式が導き出される. クーロン)を e,磁場半径 ③式から,磁場半径 r と加速電圧 V を一定に 化室における加速電圧(V)を V,イオンの速度 ことをスキャンするというが),スキャンするご −19 (cm)を r,磁場の強さ(ガウス)を H,イオン を v とすると, mv /r = Hzev −−−−−① 2 定めておき,磁場強度 H を変えていけば(この とにこの式を満足する m/z だけが順次この磁場を 通過することがでる.③式から外れた質量を持つ mv /2= zeV −−−−−−② イオンは曲がりすぎたり曲がりきれなかったりし m/z = er H /2V −−−−③ 検出された時の磁場強度を読み取っていくことで 2 ①②から 2 2 【原理】電圧 V で加速されたイオンを磁場 H の中 て壁に当たり,消滅していく.そこで,イオンが 質量を分離していく.磁場ではイオンを方向収束 に入れる.するとフレミングの左手の法則で,イ (質量数に差のあるイオンを収束)するだけなの オンの運動方向と,この紙面に垂直の磁場の向 で,電場を組み合わせて速度収束(イオン線の運 き,の両方に対して直角な方向から力を受けるた 動エネルギーの広がりを収束)させて分解能を上 め,ローレンツ力が向心力となってイオンは円軌 げたものが二重収束質量分析計である. 道を描くように曲げられる.この時のイオンの向 また磁場と電場を逆に配置した質量分析計もあ 心力と磁界の強さは釣り合うことから,①式が成 る. 立し,イオンは電界 V で加速していることから ②式が成立する.これらの式よりイオンの速度 v 【特徴】高分解能が得られ,現在汎用されている. 装置が大型である. Vol. 6 (2012) 95 4-3-2.四重極型(QMS) m/z = k(Vac/r02f2) Vac:高周波交流電圧(V) r0:z 軸と電極の距離(mm) f:高周波数(MHz) Fig. 13.QMS(JEOL Ltd. 資料より抜粋) 【原理】4本の柱状電極(ロッド)を互いに平行で z 軸上を安定な振動をしながら進み,検出器に到 をかける.磁場型同様に,ある一定の周波数で特 【特徴】小型で扱いやすいが,測定範囲が狭く高 対称の位置に配し,数 MHz の周波数の交流電圧 定の質量のイオン(上式を満足する m)だけが, 達できる. 分解能が得られない. 4-3-3.イオントラップ型(ITMS) m/z = kaVac Vac : 高周波交流電圧(V) Fig. 14.ITMS(JEOL Ltd. 資料より抜粋) 【原理】四重極型と同じ原理で,四重極ロッドの トラップ外へ出ていき検出器に到達する. 入り口と出口をつないでリング上にしたもの.あ 【特徴】与える高周波電圧を操作することで,イ る m/z より重いイオンを全て安定に振動させてト オンを選択的にトラップできる.トラップされた ラップしておいてから,高周波の電圧を徐々に変 イオンにレーザー照射を行うことで開裂を起こす 化させ,振動が不安定になったイオンだけが順次 ことができるので,構造解析に有効である. 4-3-4.飛行時間型(TOFMS) m/z = 2eVt2/I2 V : イオンの加速電圧(V) t : イオンの飛行時間(µs) l : イオンの飛行距離(m) Fig. 15.TOFMS(JEOL Ltd. 資料より抜粋) 96 【原理】質量の小さいイオンは飛行管内を速く, 定している時に他のイオンを捨てているのに対 質量の大きいイオンは遅く飛行するため,飛行時 し,TOF は全てのイオンを同時にスタートさせ 間を測定すれば質量が計算できる. 【特徴】多くの分離装置がある質量のイオンを測 るので,イオン化はパルス的に行う MALDI との 組み合わせが多い. 4-3-5.フーリエ変換型(FTICRMS) m/z = 15.4B/f B : 磁束密度(T) f : 周波数(1 /sec) Fig. 16.FTICRMS(JEOL Ltd. 資料より抜粋) 【原理】磁場型質量分析計のところで述べたよう に,フレミングの左手の法則により,磁場を十分 に強くすると(超伝導磁石),磁場の中でイオン は円弧を描くだけでなく,磁場方向を中心軸とし た回転運動をするようになる.一塊となって回転 づいたりすることにより周期的に発生する誘導電 流をフーリエ変換し,m/z 比に換算する. 【特徴】周波数を測定する精度は電圧 , 電流に比 べ非常に高いので,高質量領域においても高分解 能が得られる.装置が大型であり,高額である. する同じ m/z のイオンが,検出電極に離れたり近 4-3-6.タンデム型(MS/MS) 【原理】 Fig. 17.MS/MS タンデム型とは, 2 台の質量分析計を結合させ させることで(衝突活性化 , collisional activation: 2 台以上の質量分離部を連動させて1台目の分 の m/z を 2 台目で測定することによって構造を推 た装置を意味する. 離部で,ある特定のイオンを選択し,中性の分子 (ヘリウムや窒素,アルゴンなどのガス)と衝突 CA)強制的に開裂させ,新たに生成したイオン 定する.逆に生成したイオンから,その元となっ たイオンを検出することも出来る.このような測 Vol. 6 (2012) 97 定法を,MS/MS または MS2と表す. 3 台目を結 合すれば MS/MS/MS または MS , さらに CA を 3 繰り返すとき MS と表す. n 一 方,IT 型 や FTICR 型 の よ う に 特 定 の イ オ いい,CA によるフラグメンテーションを,衝 突誘起解離(collision-induced dissociation : CID), ま た は 衝 突 活 性 化 解 離(collisionally activated dissociation : CAD)という. ンをトラップできる装置では 1 台で MS が可能 【特徴】FAB,ESI などのソフトなイオン化で生成 である.開裂する前のイオンをプリカーサイオ したフラグメントイオンからもプロダクトイオン ン(precursor ion : 前駆イオン),開裂して生成し が得られるので,構造解析に非常に有効である. 4-4.イオン検出部 分離部から飛んできたイオンの信号を二次電子 イオンが金属表面に衝突すると複数の二次電子 レートなどにより増幅させる. n た イ オ ン を プ ロ ダ ク ト イ オ ン(product ion) と 増倍管やチャンネルトロン,マルチチャンネルプ が放出される性質を利用. Fig. 18.ion multiplier 4-5.データ処理部 グラム,テキストなどへ変換し,定量計算など 検出部からの信号をバーグラフやマスクロマト 析条件の制御も行う. 5. マススペクトルの見方と基本用語 Fig. 19.EI spectrum of ethyl-n-butyl ketone 様々な処理を行うコンピュータ部である.また分 98 エチル−n−ブチルケトンの EI マススペクトルを 開裂し,図のように m/z 29や57などのフラグメン m をそのイオンの電荷数 z で割った値で質量電荷 ろに検出される.縦軸はイオンの量を表し,全イ ので質量に等しい値になる. といい,これを100%としてその他の各イオンは トイオンを生じ,それぞれが対応する m/z のとこ 例に基本用語を説明する.横軸はイオンの質量 比 m/z を表す.EI では1価のイオンが検出される オンのうち一番多く存在するものをベースピーク m/z は無次元量なので単位を持たない「記号」 その存在割合を,相対強度(相対存在量)%で表 であり,m と/と z 間にスペースを入れずに小文 示する. 字のイタリック体で表す. フラグメントイオンは,結合の開裂だけでな 分子量を表す分子イオンピーク114が同位体 く,Fig. 19の m/z 72のように,McLafferty 転位な ピークを除いて,一番高質量部に検出され,分子 どによっても生成される.これらについてはフラ イオンはイオン源内で分子構造に依存して次々に グメンテーションの項で述べる. 5-1.分子イオンピークの判定 メチル基,m/z 29であればエチル基やアルデヒド と,有機化学的に妥当に推定できるが,その差が m/z 5や,m/z 11などはありえない質量数なので, 一番高質量部に現れたピークが本当に分子イオ ンピークであるかを判断する基準として, 分子イオンであると考えたピークは不純物のピー ①窒素ルールの利用 クであるか,もっと大きな分子量のフラグメント 1 分子に含まれる窒素原子の数が偶数( 0 個の イオンであるなどが考えられる. 場合を含む)の時,その化合物の分子量(整数質 ③分子の構造が推定できている時,分子イオン 量)は偶数になり,窒素原子の数が奇数の時,分 ピークの強度を見る 子量は奇数になるというルールにあてはまるか. 一般に分子イオンの安定性は,芳香族,共役 当てはまらない場合は H や Na ,K などの付加, 不飽和化合物,脂環式化合物,飽和炭化水素,チ + + + フラグメントイオン,不純物の可能性がある. オール,ケトン,アミン,エステル,エーテル, ②分子イオンだと考えたピークから一番近いピー カルボン酸,アルコールの順なので,予想構造通 りのピーク強度であるか. クとの質量差が有機化学的に妥当か すぐ左横のピークとの質量差が m/z 15であれば ①~③などを考え合わせて判断する. 5-2.同位体ピークについて り,マススペクトル解析において重要な意味を持 つピークである. 同位体ピークは,フラグメントイオンピークや 下表のように各元素には天然に多くの同位体が 分子イオンピークに隣接して現れる.同位体ピー 存在する. クに関する問題は薬剤師国家試験にも頻出してお Table 3.主な元素の同位体天然存在比 元素 H C N O F Si P S Cl Br I 同位体 1 H 12 C 14 N 16 O 19 F 28 Si 31 P 32 S 35 Cl 79 Br 127 I [A] 存在比 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 同位体 2 H 13 C 15 N 17 O − 29 Si − 33 S − − − [A+1] 存在比 0.016 1.08 0.36 0.04 − 5.10 − 0.80 − − − 同位体 − − − 18 O − 30 Si − 34 S 37 Cl 81 Br − [A+2] 存在比 − − − 0.20 − 3.40 − 4.40 32.50 98.00 − Vol. 6 (2012) 99 分子を構成する各原子において一番多く存在す る同位体のみから成る分子の精密質量をモノアイ ソトピック質量といい,化合物の分子量に相当す 強度から C や O の数を推定することができる. 特に,塩素原子(35Cl,37Cl)と臭素原子(79Br, Br)の同位体については,存在の有無や個数を 81 る.その分子イオンから m/z 1 及び 2 高質量部に 一目で確認することができる特徴的なピークを示 現れるピークのことを同位体ピークといい,これ すので,薬剤師国家試験に頻繁に出題されてい は化合物を構成する原子が,より存在率の低い同 る.一方,注意しなければならないことは,特に 位体に置き替わった分子のイオンピークである. 炭素原子数が90を越えるような高分子量の化合物 マススペクトルでは 1 質量ごとの区別が出来るの では,同位体ピークの方がモノアイソトピック質 で,これら同位体も分離して,その存在率に応じ 量のピークよりも高く検出される(例えば炭素原 た強度で検出される.例えば炭素原子だけに注目 子100個含む化合物では,1.08×100=108 %の強 した場合,炭素原子を20個含む化合物があったと 度で同位体ピークが現れる)ことである. する.この C 原子の 1 つが C 原子に置き換わっ 以下に塩素原子,臭素原子を含む実際のマスス た分子の相対イオン(同位体ピーク)強度は,す ペクトルを示す. べての炭素原子が C で構成される分子イオンの 35Cl,37Cl の天然存在比は上の表から約3対1, 12 13 12 1.08×20(13C の 天 然 存 在 比×20個 ) す な わ ち, 21.6%になる.このように15N や17O などの同位体 Br,81Br の比は約 1 対 1 であることとよく一致 79 している. についても考え合わせることで同位体ピークの Fig. 20.EI spectrum of compound A containing one Cl atom 100 Fig. 21.FAB spectrum of compound B containing tow Cl atoms Fig. 22.EI spectrum of compound C containing one Br atom Vol. 6 (2012) 101 Fig. 23.EI spectrum of compound D containing tow Br atoms(第 94 回 薬剤師国家試験問題より) 塩素 1 個を含む化合物はモノアイソトピック Cl のイオン強度 3 に対し,同位体 Cl に置き替 35 37 わったイオンは強度 1 で現れる.塩素が2個存在 する場合は二項条理の展開で求められるように, 《 Cl 2個: Cl+ Cl: Cl 2個》のイオンピーク 35 35 37 37 は《 9:6:1 》の強度割合で出現する. 二項条理の展開 n (a+b) a:一方の同位体の存在度 b:もう一方の同位体の存在度 n:元素の数 (例) 臭 素1個 を 含 む 化 合 物 で は《 Br: Br》 が Cl を 1 個含む化合物(3:1)1=3:1 個:79Br+81Br:81Br 2個》が《 1:2:1 》の強度 Cl を 3 個含む化合物(3:1)3=27:27:9:1 79 81 《 1:1 》に,臭素が2個存在する場合は《79Br 2 で検出される. Cl を 2 個含む化合物(3:1)2=9:6:1 Br を 1 個含む化合物(1:1)1=1:1 Br を 2 個含む化合物(1:1)2=1:2:1 Br を 3 個含む化合物(1:1)3=1:3:3:1 6.フラグメンテーション 一般に,A−B という 1 つの結合が切れるとき共有結合の電子の移動の仕方によって 2 つの開裂様式が ある. 102 一方マススペクトルにおけるフラグメンテーションでは, Vol. 6 (2012) 103 ここで示した benzoyl(m/z 105),benzene(m/z また,benzene(m/z 77)と benzyl(m/z 91)か 強度の強いピークとなることが多く,解析に大い m/z 65,のピークもセットで覚えておくと解析に 77),benzyl(m/z 91)などは,マススペクトルで に役立つ.またこれらの骨格を含む化合物のマス ら ethylene(m/z 26)がそれぞれ脱離した m/z 51, 役立つ. スペクトルは国家試験に頻出している. 7.高分解能測定(精密質量測定) 7-1.分解能について このような分解能の表し方を10%谷定義の分解能 という. この式から,m/z 100.0と m/z 100.1を区別する この図のように強度の等しい隣接した 2 本の に は, 分 解 能1000を,m/z 1000.0と m/z 1000.1を 高さの10%の位置にある時,分解能をピークの質 要であることがわかる. ピークの重なりの谷がベースラインからピークの 識別するには分解能10000の能力を持つ装置が必 量と 2 つのピークの質量差の比 m1/m2−m1で表す. Fig. 24.10%谷定義による分解能 104 一方,一本のピークの高さの50%の位置におけ 離度でも FWHM で表した分解能は10%谷のそれ より 2 倍ほど高い値になる. るピーク幅により分解能を表す定義(FWHM, full width at half maximum)もよく使われる.同じ分 Fig. 25.FWHM による分解能 7-2.高分解能測定(精密質量測定)につい な原子の組み合わせが考えられるが,その精密質 量はそれぞれ31.9898,32.0262,32.0375のように て 高分解能とは 1u 以下の識別ができる分解能を いうが,ここでの高分解能測定は,分子の質量を 異なるため,小数点以下 4 桁くらいまで精密に測 定できればその原子組成が決定できる. 〔例〕 1×10 u 以下まで精密に測定する(精密質量測 C29H34N4O6(精密質量 534.2479u)と C28H38O10(精 炭 素 C の 質 量 を12.00000と す る と, H は 解 能(10 % 谷 定 義 ) は,534.2465/(534.2479− に,必ず端数を持つ.従って分子量が同じ化合物 いる二重収束磁場型質量分析計の分解能は数万く −3 密 質 量 534.2465u) を 分 離 す る た め に 必 要 な 分 定)ことによって組成式を決定する方法をいう. 12 1 1.00782, N は14.00307, O は15.99491の よ う 14 534.2465)≒380000である.ただし,汎用されて 16 でも構成元素の種類や数が異なれば,その端数は らいなので,二重収束磁場型質量分析計では,こ 組成に従って固有の値をもつ.たとえば,分子量 れら 2 つの化合物は識別困難ということになる. が32の化合物として O2,C1H4O1,N2H4など様々 7-3.高分解能測定結果の見方 JEOL JMS−700(2)で測定した結果は,以下のように出力される. Observed m/z 534.2468 Int% 100.0 Err[ppm/mmu] U.S. Composition +0.5/+0.3 10.0 C28H38O10 −2.0/−1.1 +3.0/+1.6 Observed m/z は 測 定 値,Int % は イ オ ン 強 度, Err[ppm/mmu] は 測 定 値 と 理 論 値( 計 算 精 密 質 量 ) の 差 を ppm と10 倍 で 表 わ し た Error 値, 3 15.0 10.5 C29H34N4O6 C26H36N3O9 U.S. は不飽和度(環の数,二重結合,三重結合の 数の和)を組成式から算出した値,Composition は組成式を示す. Vol. 6 (2012) 105 一般に,Error 値は m/z 500までの化合物で±3 であればその組成式である可能性が高い. 8.MS に関する薬剤師国家試験問題 ためには,高度な MS の原理,解析能力が必要で ( ±0.003u) ,m/z 500か ら1000な ら±5(±0.005u) ここ10数年間の薬剤師国家試験をみると,マス あると思われる.しかし,本稿で述べた原理や窒 素ルール,MaLaffery 転位,芳香環を持つ化合物 スペクトルの問題が毎年必ず 1 問出題されてい の特徴的なフラグメント,特徴的な同位体ピーク る. などの基礎を十分理解しておけば,自信を持って 各設問の正誤を消去法で選ばずに明確に答える 正誤判断できる設問がほとんどである. 9.本学の利用状況 から2011年 9 月現在までの学内測定件数は,EI JMS−700(2)が本学で稼働し始めた2006年度 (CI):1636件,FAB:2201件,ESI:392件であっ た.その他学外からの依頼は43件であった. Fig. 26.過去5年間における本学でのマススペクトル測定件数 10.おわりに 質量分析装置の発展とともに,質量分析を取り 巻く環境も刻々と変化してきている.ここ20年く らいで変わってきたことをいくつか述べてみる. まず,質量の単位としてよく用いられる,amu (atomic mass unit, 原 子 質 量 単 位 ) や mu(mass ダルトン)だけが認められている(1 u =1 Da). もちろん u,Da に10の整数乗倍を表す接頭語 m (milli,ミリ) ,k(kiro,キロ)などを用いた単位 は認められている. また,慣用的によく使われていた「親イオン」 「娘イオン」は科学的でなく,現代にそぐわない 呼び方であることから推奨されなくなった. unit,原子質量単位),mmu(milli−mass unit,原 「MS(マス)」という略語が,マススペクトロ 子質量単位の千分の一)などは,単位として公 メトリーという分析法,質量分析計という装置, 認されていないため,現在は推奨されておらず, チャートの一マス,質量,マススペクトルなど 質量の公式単位としては,u(unified atomic mass 様々な意味を持ち,何を表わしているのかが不明 unit,統一原子質量単位)もしくは Da(Dalton, 瞭であるため,複数の略語として MS を使わない 106 こと.従って MS をマスとは読まず,エムエスと お礼申し上げます.本稿にマススペクトル掲載を 読むことが推奨されるようになった. 許可して頂きました大阪薬科大学,宇佐美吉英准 FAB や ESI,APCI などのイオン化が実用化し, 教授に感謝致します.最後に,常に暖かく励まし 分子イオンにプロトンやナトリウムイオンが付加 て頂きました大阪薬科大学,栗原拓史名誉教授に したイオンが分子量を表すピークとして検出され 深く感謝致します. ることが多く見られるようになった.そこでこれ らイオンの付加した分子イオンのことを「疑似分 参考文献 子イオン」と呼んだり,「分子量関連イオン」と 1)中田尚男,有機マススペクトロメトリー入門, 言われたりしたが,現在では M は分子イオン, + 講談社(1986). H が付加すればプロトン化分子,Na が付加す 2)立松晃,宮崎浩,鈴木真言,医学と薬学のた 呼ぶことが推奨されている. 3)上野民夫,平山和雄,原田健一,バイオロジ + + ればナトリウムイオン付加分子のように具体的に 最後に,本稿では本学において測定可能である 手法に重点をおいて述べたが,本学の学生及び研 究者のマススペクトルガイドとして,質量分析を 理解する一助となれば本稿の目的の大方は達成さ れ,幸いに思う. めのマススペクトロメトリー,講談社(1984). カルマススペクトロメトリー(現代化学増刊 31), (1997). 4)松田久,マススペクトロメトリー,朝倉書店 (1983). 5)山口健太郎,有機質量分析(分析化学実技 シリーズ,機器分析編16),日本分析化学会 謝 辞 本学で質量分析に携わるにあたり,初歩から MS についてご教示,ご指導頂きました神戸薬科 大学 , 齋木加代子元准教授に深く感謝致します. また,終始ご指導ご鞭撻頂きました大阪薬科大 学,春沢信哉教授に心より感謝申し上げます.さ らに,技術,知識両面において有益なご教示を頂 きました武庫川女子大学薬学部,堀山志朱代博士 に厚くお礼申し上げます.また,適切な助言を頂 きました大阪薬科学,箕浦理佐博士元助教に深く (2009). 6)マススペクトロメトリー関係用語集,日本質 量分析学会(2009). 7)吉野健一,目から鱗のマススペクトロメト リー,J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 54-58(2006- 2010). 8)Michael Berglund, Michael E. Wieser, Pure Appl. Chem., 83, pp.397-410(2011). 9 )Alison E. Ashcroft, Ionization Methods in Organic Mass Spevtrometry, The Royal Society of Chemistry(1997). Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 6 (2012) 107 − Report − -実施報告- 「平成22年度 大阪薬科大学実務実習伝達・報告会」 長 舩 芳 和*, a ,佐 藤 健 太 郎 a ,鈴 木 芳 郎 a ,新 田 剛 a , 花 山 加 代 子 a ,長 谷 川 健 次 a ,田 中 有 香 b ,恩 田 光 子 b -Executive ReportThe Annual Meeting for the Intercommunication and Report on “Clinical Practice in Hospital and Pharmacy” of Osaka University of Pharmaceutical Sciences for the 22nd Academic Year of Heisei Yoshikazu Osafune* , Kentarou Satoh, Yoshio Suzuki, Tsuyoshi Nitta, a a b b Kayoko Hanayama, Kenji Hasegawa, Yuka Tanaka, Mitsuko Onda ,a a a a a Clinical Laboratory of Practical Pharmacy for Education, and bClinical Laboratory of Practical Pharmacy, Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan (Received October 29, 2011; Accepted November 30, 2011) In this article, we report on the Annual Meeting for the Intercommunication and Report on “Clinical Practice in Hospital and Pharmacy” of Osaka University of Pharmaceutical Sciences, with its background and executive outline of the clinical practice. This meeting, held in our main university hall on May 15th in 2011, included the oral reports by students, panel discussion and confabulatory luncheon meeting. key words ---------- clinical practice; annual meeting; practice report; intercommunication はじめに いては,病院・薬局近畿地区調整機構主催の担当 平成18年度に薬学教育に新たに 6 年制が導入さ 薬学部との合議を経て調整が行われ決定された. の長期実務実習が実施された.初年度の実習を終 の実習期間別と実習施設所在地別の分布を表 1 に れ,平成22年度には新教育制度の根幹を成す最初 え,我々は,実務実習実施部会において実習内容 の伝達と報告を目的とする伝達・報告会を提案・ 企画し,これを開催した.以下,本報では本会開 催の背景とその内容の概要を報告する. 1.伝達・報告会の背景 者会議において,近畿地区内の全薬系大学および 平成22年度における本学学生( 5 年次生,225名) 示す.なお,本学学生は,3 期ある実習時期のう ち,Ⅱ期およびⅢ期のみを用いて実習を行った. これは,本学 5 年次生の現行カリキュラムではⅠ 期の期間中に複数の必修科目の学内履修が設定さ れている都合によるものであるが,平成25年度実 習からはカリキュラムを改訂し,Ⅰ~Ⅲ期の全期 -実務実習実施の概要 を通して実習を行う予定である.また,本学学生 5 年次学生は病院実習および薬局実習を各々 る “ ふるさと実習 ”)を行わなかった.この理由 11週間にわたり行った.実習施設と実習時期につ は,近畿地区以外の出身地区での実習(いわゆ として,実務実習は,本来,学生の所属大学の近 * 大阪薬科大学 臨床実践薬学教育研究室, e-mail: [email protected] 108 ③実務実習は,学生にとって人的・地理的にも 辺にて大学と十分な相互連携の可能な施設で行う ことが望ましいとの所轄官庁の当初の見解に従っ 不案内な学外施設で長 期間にわたり行われ, たものである.なお,この点については,今後, これは学生にとって少なからぬ心身ストレスと 近畿外地域の薬剤師会および病院薬剤師会との連 なると考えられる.よって,実習学生の体験 携を検討し,学生とその父兄の要望をも考慮し, を事前に後 進の学生に伝えておくことはこれ “ふるさと実習” の可能性を探りたいと考えてい への対応として有用である.さらに,後 進の る. 学生に,実習への心構えを促し,また効率的 学習のための準備を喚起する良い機会となる. 2.伝達・報告会開催の経緯 ④学内教員,特に臨床特任の指導教員は,実習 期間中に実習学生および実習先より少なから 我々は,主に以下の 4 項目の理由により,実務 ぬ相談を受け,これらに即応して実習の遂行 実習の成果や問題点を学内外に報告する場,およ に努力してきた.すなわち,長期の実務実習 び実習の実際内容や感想を後進の学生に伝える場 にあっては実習遂行に支障となる種々の問題 の必要性を感じた. が生じる可能性があることを痛感した.よっ ①実務実習は長期間にわたる大きな実習(20単 て,実際に相談を受けた以外にも,潜在的な 位)であり,その内容の報告や成果の総括は 問題点を明らかにし,次期実習への対応に役 学生および学内外の指導教員にとって,(単 立てる機会を持ちたい. 位認定のための評価とは別に,)必要かつ有 よって,学内の実務実習実施のための委員会で 意義なことである. ある「実務実習実施部会」に,このような会の開 ②実務実習の実際の指導は学外施設の薬剤師が 催を提案して了承を得た.その後,本部会が中心 行う.よって,これら指導者に学生の感想・ となってその内容を企画し準備を進めた.なお, 意見を伝え,今後の指導の参考に供するとと 今回は一回の開催にて上記の目的を果たすことを もにこれを大学との指導連携の一助とした 期して「伝達・報告会」とした. い. 表 1.所在地別および実習期間別の施設数と学生数 所在地別・実習期間別ののべ施設数(実習学生数) 所在地別の施設実数 大 阪 府 京 都 府 病 院 兵 庫 県 奈 良 県 滋 賀 県 和歌山県 計 大 阪 府 京 都 府 薬 局 兵 庫 県 奈 良 県 滋 賀 県 和歌山県 計 72 10 9 12 8 3 Ⅰ期 Ⅱ期 5/17~7/30 9/6~11/19 Ⅲ期 1) 0(0) 28+1(51+4)2) 0(0) 3(5) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 4+1(5+4) 2) 1/11~3/25 60(105) 8(11) 6(7) 2(2) 10(14) 2(4) 3(4) 3(3) 5(6) 計 88+1(156+4)2) 12+1(16+4)2) 9(12) 12(16) 8(9) 5(8) 114 0(0) 42+2(70+8)2) 92(147) 134+2(217+8)2) 14 0(0) 6(6) 8(8) 14(14) 127 29 21 14 9 214 0(0) 87(90) 0(0) 21(21) 0(0) 10(10) 0(0) 0(0) 0(0) 17(17) 3(3) 144(147) 1)一部病院のⅡ期実習期間は10月11日~12月24日. 2)“ +数 ” は10月11日~12月24日の実習期間についての数. 44(46) 9(9) 4(4) 5(5) 6(6) 76(78) 131(136) 30(30) 21(21) 15(15) 9(9) 220(225) Vol. 6 (2012) 109 3.伝達・報告会の内容 3−2.パネルディスカッション 本会は,2011年 5 月15日(日)に,本学教員, 5 名の口頭発表学生と病院および薬局からの実 実習施設の指導者(15病院18名,41薬局61名)の たいこと(①事前に準備・勉強しておくと良いも 本学学生( 6 年次および 5 年次学生)および学外 習指導者をパネリストとして,「 5 年次生に伝え 参加を得て,以下に示す三部構成にて行われた. の ②私はこうして問題を解決した ③実習はこ 図 1 に本会の次第を示す. うあってほしい)」をテーマとして討論を行った. さらに,実習指導者からは,実習後に感じた施設 3−1.実務実習体験報告 側の反省をも踏まえ,これからの実務実習をいか 5 名の 6 年次学生が,体験した実習の内容とそ くことができた.これら内容は,次年度の実習実 の成果,または実習自体について考察したことを 施に関して,実習を控えた学生にとって,また大 口頭発表し,留意すべき点や反省点,モチベー 学教員にとっても大いに参考になるものであっ ションが上がった点,事前に学習すべき項目など た. により良いものにするかなどの有意義な意見も聞 についても述べた.【発表 1 】から【発表 5 】に 発表内容のパワーポイント原稿を示す(掲載につ いては当該実習施設ならびに発表者の同意を取得 済み).また,聴衆との間に質疑応答も行われた. 平成22年度 大阪薬科大学「実務実習伝達・報告会」 日時:平成23年 5 月15日(日)13時~ 17時 場所:大阪薬科大学 D 棟講堂(第一部・二部),食堂(第三部) 13:00 開会の辞 千熊 正彦(学長) 13:10 第一部 実務実習体験報告 座長 恩田 光子(臨床実践薬学研究室) 6 年次生 森川 祥彦(臨床実践薬学研究室) 五十嵐圭史(医薬品化学研究室) 川端 秀明(生体機能診断学研究室) 井上 味波(臨床薬剤学研究室) 沼田 浩貴(薬剤学研究室) 14:10 第二部 パネルディスカッション~ 5 年次生に伝えたいこと 座長 長舩 芳和,鈴木 芳郎(臨床実践薬学教育研究室) コメンテーター 谷澤 靖博 先生(大阪府薬剤師会 常務理事) 山本 克己 先生(大阪府病院薬剤師会 副会長) (大阪警察病院 薬剤部長) 15:00 閉会の辞 荒川 行生(実務実習等専門委員会委員長)(臨床実践薬学研究室) 15:30 第三部 意見交換会 司会 佐藤 健太郎(臨床実践薬学教育研究室) 挨拶 辻坊 裕(教務部長) 図1.「実務実習伝達・報告会」次第 110 3−3.意見交換会 学生自らが涵養するよい経験となったであろう. 食堂にて,立食形式で軽食を摂りながら,学 において新しい薬学教育の中核を成す実務実習を 生,本学教員と実習施設の指導者の間で自由な意 総括し,さらに今後の実務実習を真に有意義なも 見交換を行った.なお,今回の意見交換会に参加 のとするために企画され実施されたものである. いただいた施設にて実習を行った学生は積極的に 前項「 3.」に示したように,伝達・報告会はつ このたびの伝達・報告会は,このように,本学 参加し,実習指導を謝すとともに,実習に対する つがなく行われ,所期の目的を一定程度に果たし 感想を述べ,実習指導者と懇談した. たものと思われる.よって,今後においても,そ の形式や内容を改良して伝達・報告会を開催し, おわりに ますます実務実習に資するよう充実したものにす 多くの学生は,実務実習において,大学で学ん 報告会とは別に,実習学生に対して実習終了後に だ内容をどの程度活用できたか,逆に大学で学べ 実習に関するアンケート(実習で得たもの・良 なかったことがどれ程あったかを実感し,そし かった点,実習で期待したが得られなかったも て,薬剤師となるにあたり,そのための知識・技 の・不満だった点,自己反省点,実習の前後で変 能・態度の修得に医療現場での実習が如何に重要 わった点,モチベーションが上がった点・下がっ かを体得したと思われる.さらに,患者,指導者 た点などの項目)を行った.これらの集計結果に および医療スタッフを含めての実習環境が一般社 ついては,今後,実習指導に生かすとともに,学 会であったことより,実務実習は,社会人,医療 生にも公表して学生自身の実習準備の一助にした 人としての常識や通念,コミュニケーション力を いと考えている. ることを期したい.なお,我々は,今回の伝達・ Vol. 6 (2012) 111 発表1 これで明日からでも実習に出られる 森川 祥彦(臨床実践薬学研究室) 私はⅢ期にて加古川市にありますイダ調剤薬局にて実務実習をさせていただき ました.不安と期待を胸に抱き,実習に臨みましたが,毎日が充実しており,2.5 ヶ 月という期間もあっという間に過ぎ去っていきました. このスライドでは,私が実習を通して体験したこと感じたことを紹介していま す.これから実習を体験される方々に少しでも参考になればと思っています. スライド1 まず実務実習をさせていただいた薬局の紹介を 行い,その後実習の流れや実習を通して感じたこ と,これから実習をされる方へのアドバイスなど を載せていきたいと思います. スライド 2 薬局内の様子です. 薬剤が適応ごとに配列されていました. ポイント 最近ではジェネリックなども数多くでており,患者 様のなかには特定の医薬品を指定される方もいらっ しゃるので,需要に応えるべく,多くの医薬品が取り 揃えてありました. 初めはどこに何の医薬品があるのか困りました が,日にちを重ねるごとにだんだんと慣れてきま した. 112 スライド 3 イダ調剤薬局では OTC 医薬品も数多く取り揃 えていました.風邪薬や頭痛薬などからマスクな どの衛生に関するもの,お灸のもぐさまでありま した.また,スライド右側にあるような珍しい漢 方薬も置いてありました. 何の薬か,ぜひ調べ てみてください(下参照). ポイント OTC 医薬品は,ドラッグストアの拡大もあり,な かなか個人経営での調剤薬局では難しいようです.し かし,処方せん医薬品と同時に OTC 医薬品を買われ る方,また,時には OTC 医薬品のみを求めて来られ る方もいらっしゃいます.地域の医療機関として,い かなるニーズにも対応できるようにしておくことの大 切さを教えていただきました. (漢方薬説明) ワグラス D 錠:腫物(できもの・おでき)やリンパ腺炎といった化膿・炎症 疾患を改善する生薬製剤 フラーリン A 錠:水瀉性の下痢,嘔吐があり,口渇,尿量減少を伴う場合の 食あたり,暑気あたり,冷え腹,急性胃腸炎,腹痛などの改善 スライド 4 これからはセルフメディケーションへの取り組 みも重要になってきます. 左にあげたプリントを使うことで,患者様の病 態を把握できるとともに,患者様自身にチェック していただくことで,患者様の意識を高めること にも役立ちます. ポイント 薬局薬剤師は,患者様が「その日に出会う最後の医 療者」として,患者様の訴えや病態などをチェックす ることが大切だと思います. ただ,時間をとると患者様の負担にも繋がるので, 効率よく,左に挙げたツールなどを使って応対するこ とが効果的かもしれません. スライド 5 実務実習の全体の流れです. 初めの 1,2 週間は分包機の使い方や調剤の流 れを薬剤師の方から教えていただき,その後, ピッキングや散剤など,慣れてくるに従い多くの 作業に取り組んでいきました. 実際の患者様に 対する服薬指導は緊張しましたが,とても勉強に なりました. ポイント 薬局でも,MR の方を招いての勉強会や,地方の薬 剤師会の開く勉強会などが頻繁にあり,学ぶ機会が充 実していることがわかりました. Vol. 6 (2012) スライド 6 113 ■ 実際の医療現場が感じられる 病院実習でも共通して言えることですが,医療の現 場としての緊張感が感じられます. 人々の健康に関わる職業として「全力で」医療に取 り組まれている,そんな薬剤師の姿を見ることができ ました. ■ 患者様との距離が近い 病院とは違い,待合室から調剤の風景も見えるため, 緊張しました. 物理的にも精神的にも患者様により近い立場にある と思います. また,患者様に体調を訊ねたり,コンプライアンス の確認を行ったりと,より患者様に寄り添った対応が 必要だとわかりました. ■ 地域との結びつきが強い医療 地域の薬局として,学校薬剤師としての活動や,地 域の方々の相談に応じたりなど,薬局薬剤師は より「生活に密着した」医療に携われるように感じま した. スライド 7 ■ 過度に落ち込まない 失敗したり,落ち込んだりすることも多々あります が,いつまでも落ち込んでいてはいけません.気持ち の切り替えも大切だと思いました. また,時には自分で自分自身を励まし,自身を追い 込まないことも大切です. ■ 積極性 自分から進んで学んでいく姿勢が大切だと思いまし た. わからないことは薬剤師の方にすぐ聞くなどして, わからないことをそのままにしておかないことも重要 です. ■ 誠実であること 患者様への対応などを通して医療者としての誠実な 態度について学びました. スライド 8 実務実習を効果的に行うためには準備が欠かせ ません. 実習テキストはもちろん,学校の教材なども知 識の確認などの役に立ちます. こまめに自分で調べることが大切だと思います. ポイント 気がついたことや感じたことなどをすぐにメモして おくことが大切です. 後で見直すことで自分の成長が感じられるととも に,知識の確認にも役立ちます.また,失敗したこと のチェックにも使えます. ポケットサイズのメモ帳を用意しておく といいと思います. 114 スライド 9 薬剤師過剰の時代がくるといわれていますが, それは「いままでの」薬剤師の場合だと思います. いま,医療現場での薬剤師の必要性が増している とともに,職域も拡大しています.それらに応え ていくためにも,進んで知識・技術を学んでいく 「意欲」と,薬の専門家としての「責任感」が大 切ではないかと感じました. スライド 10 最後に,平成23年 2 月に東京にて行われました 薬学教育協議会フォーラムについて書かせていた だきます. フォーラムでは各大学の学生が数グループごと に分かれて実習についてディベートを行う機会が ありました.最後にグループごとに話し合った内 容を発表しました. 学校ごとの実習についてのポスター発表なども あり,他の学校の取り組みを学べるとともに,学 生同士で体験を共有できたり,別の考え方を感じ られたりと,とても有意義にすごすことができま した. これから実習にいかれる方々が有意義な実習を経験できることを願っています. 最後まで見ていただき,ありがとうございました. Keep your fingers crossed ! Vol. 6 (2012) 115 発表2 薬局実務実習での経験で学んだ事 五十嵐 圭史(医薬品化学研究室) 私は,Ⅲ期実習で大阪市港区にある,なぎさ薬局で実習を行いました.今回の実習を通して学んだ事に ついてお話させていただきます. 発表内容は,地域で活躍する薬剤師,印象に 残った体験としまして訪問看護同行・イレッサ裁 判傍聴・府庁への麻薬破棄,そしてまとめです. 今回の実習を通して,地域における薬剤師の存 在が大きい事を実感しました.どのような点から 薬剤師の重要性を感じたかをスライドに載せまし た.週に数回,患者宅を訪れて,体調確認や薬の 配置をしている場面を見る事ができました.患者 さんだけでなく,介護者にも分かりやすいように 薬箱を作っている事や,コンプライアンスの悪い 患者さんに対しては,コンプライアンス改善のた めに何が必要かを患者さんと話し,医師に提案す る場面も見る事ができました.薬物治療におい て,薬剤師の重要性を感じた瞬間でした. また, 薬局に隣接する診療所やデイケアスタッフと月 に 1 回の会議がありました.私が出席した会議で は,徘徊が多い認知症患者さんに対して,徘徊を なくすためにどのような対策をするべきか,薬の 管理方法をどうするか等,細かい部分まで話し合 いが行われていました. また,定期的に行われている地域の方々をまね いての勉強会では,薬に関する話だけでなく,リ ウマチなどの病気に関する話を分かりやすい言葉 で詳しく説明していました.専用の器具を使って の血圧測定や血管年齢測定も行い,病気に関して の意識付けや,病気の早期発見につなげ地域医療 に貢献する薬剤師の姿を見る事ができました.与 薬時の服薬指導では,服薬説明はもちろんの事, 血圧・血糖値・睡眠の度合いなど体調に変化がな いか,一人一人の患者さんに細かな確認を行って いました.薬局に来局される患者さんのほとんど が自ら話をしている点にも気付きました.日々の 細かな服薬指導,患者目線に立っての服薬指導を 116 する事で,患者さんとの信頼関係を構築 しているように感じました.これらの経 験から,地域医療における薬剤師の重要 性や,患者さん一人一人に合わせた地域 医療を実践している事に気付きました. 訪問看護同行では,看護師さんと共に 患者宅を訪問し,看護記録の作成や各種 ケアを行う現場を見学させていただき ました. 血糖コントロール,じょくそ うケアを行っている103歳の女性や,肝 炎治療,排尿障害の患者さん,寝たきり の患者さんなど様々な患者宅を訪れま した.じょくそうケアでは,患者さんに よってかぶれる軟膏がある事や,軟膏が 塗りにくいなどの問題が発生する場合 があります.このような問題は患者宅を 訪問する看護師にしか分からない情報 なので,患者さんがよりよい治療を受け るためにも,地域における看護師と薬剤 師の連携が大切になってくると実感し ました.また,同行中に患者さんを介護 しているご家族や患者さん本人から,薬 剤師の卵である私に薬についての質問 がたくさんありました.分かる範囲で答 えましたが,しっかりと返答できない自 分に悔しさを覚えたと同時に,地域の 方々が薬に関する疑問を多く抱えてい る事に気付きました. 印象に残った実習の一つとして, 2 月 26日に大阪地裁で行われたイレッサ裁 判の傍聴がありました. 裁判傍聴や遺 族の方々の話から,人の命を救う製薬企 業の在り方や,薬剤師としてどのように 患者さんに接していくべきか深く考え ることができました. 製薬企業は,利益を得てよりよい医薬 品を創り出していますが,利益追求だけ を第一に考えずに患者貢献を最優先す る必要があると再確認しました.「患者 貢献の先に企業の利益がある」これが最 善の考えだと感じました.今回の裁判 Vol. 6 (2012) 117 では企業と国に責任があるとの判決が下されまし と思いました. たが,重篤な副作用を防ぐために医師,薬剤師の 麻薬破棄見学では,期限切れの麻薬を破棄するた 責任も極めて重いと感じました.リスクなく薬物 め大阪府庁に行き,実際の麻薬破棄を見学する事 治療を行うことは,不可能に近い事だと思います ができました.破棄方法はもちろん条文通りに行 が,リスクを軽減することは可能だと考えます. われていましたが,想像以上にあっさり終わった 少しでも副作用のリスクを減らすために,製薬企 と言うのが正直な感想です.しかし,医薬品ひと 業を含め,すべての医療従事者は問題点があがっ つを破棄するために,わざわざ府庁に行ったこと たら,包み隠さずに迅速な情報提供を行うべきだ や,麻薬管理簿に様々な記載事項があったことか ら,麻薬乱用を防ぐために,取り扱い が厳格に行われている事を再認識しま した.これまでに学校の授業で麻薬破 棄方法は学んでいましたが,実際に破 棄現場を見る事で,その方法を確実に 習得することができました. 今回の実習を通して,地域に根差し た薬局の重要性に気づきました.そし て,地域医療を支えていく中で薬剤師 の存在は大きく,他の医療従事者と密 に連携をとっていく事が大切だと感じ ました. 11週の長期実習だからこそできる様々 な経験をした結果,薬剤師として必要 な知識や技術だけでなく,医療従事者 としての心得を習得できました.実習 で体験することは,実習先で異なると 思いますが,積極的に実習を行うこと でよりよい実習になると考えています. また,実習で学んだことを就職活動中 に製薬企業の面接で話す事もできまし た.進路先が病院や薬局の薬剤師でな いと言う方も自分自身の成長につなが りますので,日々新しい発見をすると 言う気持ちを大切に実習に取り組んで いただきたいと思います. 118 発表3 川端 秀明(生体機能診断学研究室) 第 3 期に近江八幡総合医療センターで実務実習 を受けた. 近江八幡市立総合医療センターは滋賀県近江八 幡市にあり,病床数407,診療科31,薬剤師数14 名の急性期病院である. 当院は初診・再来受診ともに全て予約制になっ ており,緊急を要さない場合は診療所を受診し, 必要に応じて診療所からの紹介状をもって病院を 受診するという形をとっている.これにより病院 と診療所が機能分担をし,病院は高度医療・急性 期病院へ特化していくことが可能になる. さて,本題に入るが,ここでは実習での体験に ついて特に印象に残った内容として「サテライト ファーマシーにおける輸液の混合業務」,「模擬当 直の体験」,「沖島診療への参加」の 3 つを紹介し たいと思う. まずサテライトファーマシーにおける輸液の混 合業務であるが,当院では 3 階と 4 階に輸液の混 合業務を行うサテライトファーマシーを有してい る.ここでは末梢輸液の混合業務を薬剤師が中心 となり,看護師の協力を得て,3 人 1 組で行って いる.輸液の混合業務に薬剤師が関わることによ り無菌的な調製,及び薬学的な相互作用のチェッ クが可能になる. Vol. 6 (2012) 119 つぎに模擬当直の体験であるが,薬剤部では毎 このためか私が当直していた時間帯に限ってい 日 1 名が日勤終了後,翌日の午前まで続けて勤務 えば緊急を要する症状の患者は 1 人もおらず,明 頂いた.業務内容は主に夜間診療で発行された処 いう印象をうけた. 方箋の調剤や,医師や看護師からの問い合わせへ あくまで私個人の予想であり一概にはいえない の対応である.夜間の受診は予約制ではなく,紹 が,このような患者が多くなれば病院と診療所で 介状も不要である. 役割分担する意味が失われ,本当に緊急を要する する.私は普段の実習終了後22時まで体験させて 日以降の受診で十分間に合う程度のものが多いと 患者を助けることが困難になる恐れがあると思う. 最後に沖島診療について述べる.沖島とは琵琶 湖に浮かぶ人口約450人の島で,淡水湖に浮かぶ 有人島は世界でも珍しいとされる. 沖島診療は病院から薬剤師,看護師,事務員各 1 名,及び市内の開業医 1 名の計 4 名で構成され ており,週 1 回,沖島の公民館の一室を診療ス ペースとして借りて診療を行っている.主に慢性 疾患の患者が対象で,病院で前回と同じ処方を 1 ヶ月分予製しておき,当日の診療で変更があれ ば沖島の診療スペースに備蓄してある医薬品で対 応する.対応できない場合は病院に持ち帰って調 剤し直し,後日患者宅へ郵送するという形をとっ ている. 沖島における医療の問題点として私が感じたこ とはまず島に常在の医師がいないことである.こ のため島民は島を出て病院まで行く必要がある が,その交通が不便で,島から港まで連絡船で約 30分,さらにバスで約30分かかる上に本数が少な いのでさらに時間がかかることが予想できる. 次に沖島の診療スペースは狭く,設置できる医 療機器や備蓄薬に限りがある.例えば薬袋は手書 き,備蓄薬は100種類程度というように通常の診 120 考えられる.また,診療スペースは診療所や薬局と いった区切りがなく,全職員が 1 つの部屋で業務を 行うので医師と同じ場所で業務ができ,互いのコ ミュニケーションをとりやすい状況であるので薬 剤師としてもやりがいのある業務であると思う. 最後に約 3 ヶ月の病院実習を終えて,今回述 べたこと以外にも多くのことを体験することがで き,病院薬剤師の業務は非常に多岐にわたり,責 任のある仕事であると気づくことができた.ま た,病院内の医師や看護師など様々なスタッフと 療所や薬局としての機能は十分に果たせない状態 の連携,さらには病院と診療所や薬局との連携が である. 重要であり,これがより良い地域医療に繋がって しかしそれでも島民にとっては島をでることな いくということがわかった. く受診することができるので大きな意味を持つと 発表4 薬局実務実習での集合型実習について 井上 味波(臨床薬剤学研究室) 私は第Ⅱ期に大阪市中央区にあるワカノウラ薬局にて集合型実習を行わせて いただいたので,その報告をさせていただきます. ていただき,その後に MR さんを交えたディス カッションを行いました. 薬害や疑義照会などのテーマについて,学生主 体での演習形式の実習も行いました. 少人数で和気藹々とした雰囲気の中で行われ, 6 人の様々な視点からの意見がたくさんでたこと でとても活発な実習を行うことができました. 集合型実習は毎週金曜日の午後 1 時から指導薬 剤師の先生 1 名と,同じ地域で実習を行っている 学生 6 名で行いました. 毎週様々な製薬メーカーの MR さんに来てい ただき,色々な疾患・治療薬についてのお話をし Vol. 6 (2012) 121 毎週の実習以外にも 6 人で様々な場所の見学や その後学生 6 人で疑問点やさらに調べたいこと, 6 人で参加することで見学後に意見交換ができ ションしました. たり,それぞれの場所で活躍する薬剤師の先生方 市民の皆様に配布する啓発ツールの作成では,た にもたくさんお話を聞くことができ,薬剤師の活 だ情報をのせるだけではなく,キャッチフレーズ 躍の場を学ぶことができました. やイメージキャラクターを考え,誰でも分かりや 今回はこの中で健康展での啓発活動について紹 すく読みやすいようなレイアウトの工夫なども話 介させていただきます. し合いました. 勉強会にも参加させていだきました. どのような情報を提供するかについてディスカッ 当日の啓発活動では薬剤師ブースに学生用の ブースも設けていただき,市民の方々に啓発ツー ルを配布したり,質問や健康への質問などを聞い てお話させていただきました. 啓発活動は昨年の10月に中央区で行われた健康 展において, 6 つのテーマについて学生それぞれ が一題ずつ担当し,啓発ツールを作成して啓発活 動を行いました. 啓発ツールの例 啓発活動当日,白衣を着た学生たちが市民の皆 一ヶ月間で各自のテーマについて情報収集を行 さんとお話をしているところです. い資料作成をして報告を行いました. 啓発活動は薬学生としては初めての試みでした 122 が,市民の皆さんや周りの薬剤師の先生方にもと 実習へのモチベーションがさらに上がり,集合型 ても高評価をいただきました. 実習に参加できてよかったと思いました. 参加した学生自身も,自分たちだけの力で責任 実習中にしかできない経験には積極的に何事に ある実習を終えることができ,自信につな も興味をもって取り組むことで,実習がより充実 がるいい経験ができたと思っています. した楽しいものになると感じました. 集合型実習ではとても自主的な実習を行うこと それらの経験を通し,自分の将来について,よ ができました. り具体的に思い描くことができるようになりまし 実習で関わった先生方は実習に対して熱心に取 た. り組んでくださり,温かく学生の活動を見守って 何よりも,実習中にお世話になった実習先の先 くださったおかげで有意義な実習ができました. 生方や実習生との出会いとつながりをこれからも 他大学の学生も含めた複数の学生と共に実習が 大切にしたいです. できたことで,実習中の不安や,大学生活,就職 これから実習に行かれる 5 回生の皆さんも,実 活動についての情報共有が定期的にできたので, 習先での出会いは大切にしてほしいと思います. Vol. 6 (2012) 123 発表5 これが先輩たちの生の声 !! 沼田 浩貴(薬剤学研究室) それでは発表させて頂きます. 先の 6 回生からの発表にもありましたように,実 習中は大変貴重な経験を積むことができます.し かし,その一方で多くの困難に出会った学生もい ました. その原因はなんだったのでしょうか.学生が悪 いのか,それとも受け入れ施設側に問題があった のか.その原因を探り,実習をより有意義に過ご して頂きたいと考え,私は次のアンケートをとり ました. アンケートの内容です. 1.実習がカリキュラムに加わったことが良かっ たかどうか. 2.病院実習と薬局実習のそれぞれ良かった点, 悪かった点について. 3.自分の将来像を決める上で実習がどのように 影響したか. 4.実習を通して自分自身の反省点と成長した点 について. アンケートは私の友人,102名に配布し,63名 から回答を頂きました. まず,実習が薬学部のカリキュラムに加わって よかったと思いますかという質問についてです. 今回の結果ではおよそ 9 割の学生からポジティブ な回答を得ることができました.長期実務実習が 導入された 1 年目としては大変よい結果だと考え ます.しかし,ネガティブな回答をしている学生 がいることを忘れてはいけません.このような結 果になった理由を次の回答から考えていきたいと 思います. 124 病院実習の良かった点と悪かった点についてです. 良かった点では,「カルテや検査値から患者さ んについて考えることができた」,「他部署やオペ を見学することで患者さんが受ける治療を学べ た」,悪かった点では,「受け入れ先によって学べ ることや感じることが違うので学生間で不満がた まった」という回答がありました. 薬局実習の良かった点と悪かった点についてです. 良かった点では,「薬局が地域医療に貢献してい ることを感じとれた」,「在宅医療を経験させても らえた」,悪かった点では,「仕事内容が限られて いるため後半は作業のようになっていた」,「病態 がわからないので服薬指導の際に何を言えば良い かわからなかった」という回答がありました. これらの回答からもわかるように,病院,薬局 それぞれの特色を学生が感じることができたよう です.これはこれまで以上に長い実習を経験でき たことに起因すると考えます. しかしながら,施設間での実習内容の違い等, 問題点が浮き彫りになったことも確かです. 自分の目指す将来像に実習はどのように影響し たかという質問です. 臨床現場で薬剤師として働きたいと考えてい る学生からは,「目指したい薬剤師像が見えた」, 「どんな病院(診療科,病床数)で働きたいか明 確になった」という回答が,また他の職種を希望 する学生からは,「実習がなかったら倫理観のな い単なる科学者になっていた」という回答があり ました. 目指している職種に関係なく,すべての学生に とって実習は将来を考える上で貴重な時間になっ たと考えます. 実習中の反省点についてです. 態度に関しては,「受け身な態度をとっていた. 例えば質問をしない,先生からの指示を待ってい た」,「毎日目標をもって取り組めばよかった」と いう回答が,知識に関する部分では「相互作用, 配合変化の知識が乏しいため,処方鑑査ができな かった」,「授業で習った知識を整理できていな かった」という回答がありました. 知識については,実習前に復習しておくことに Vol. 6 (2012) 125 越したことはありませんが,それよりも大切なこ とは実習中の態度ではないでしょうか. 先輩が感じた反省を繰り返すのではなく,「私 はこれだけはがんばる」といった目標を毎日もっ て 5 ヶ月間を過ごしてほしいと思います. 最後は実習中に成長できた点についてです. 社会人になる前に成長できてよかったと思う 点については,「様々なことを両立する力がつい た」,「物事を考える際に,他の事と関連付けて深 く幅広く考える習慣がついた」という回答が,医 療人になる前に成長できてよかったと思う点につ いては「命の大切さを考えることができ,将来自 分が就こうとしている職業の責任の重さを理解で きた」という回答がありました. 大学を離れ,医療の現場という厳しい環境だか らこそ人間性を高めることができたと振り返る学 生は多かったようです. 以上のアンケート結果から,今後も続いていく 薬学部の長期実務実習をより良くしていくために必 要なこととして私は次のことを提案させて頂きます. まず学生に関しては,日頃から医療に関心を持 ち,実習は尊い経験であることを理解し,実習中 も向上し続ける姿勢をもつべきだと考えます. また大学では,より臨床に近い授業を行い,学 生がスムーズに実習に取り組めるカリキュラム作 りが必要ではないでしょうか.また,今回第Ⅲ期 の実習で浮き彫りになった就職活動の問題に関し ては,大学内,各大学間,製薬企業で意思統一を はかってほしいと思います. そして,臨床現場の先生方には,医療人とし て,また教育者として実習生に厳しくも温かいご 指導をして頂ければ幸いです.そして,地域間で 先生方が情報交換を行って頂くことでより良い実 習が生まれるのではないでしょうか. 最後になりましたが,私が病院実習の初日に指 導薬剤師の先生から頂いたコトバを皆さんにお伝 えして終わりたいと思います. 「泣いても笑ってもたったの 5 ヶ月.それなら お互いにとって有意義な時間を送って下さい. 1 つの出会いを大切に.」 ご清聴,ありがとうございました. 大阪薬科大学紀要発行・投稿規定 大阪薬科大学紀要編集委員会 第1条 本紀要は「大阪薬科大学紀要」と称する. 第2条 本紀要は第 1 部,第 2 部の二部構成とする.第 1 部(旧「ぱいでぃあ」 )は総合科学系の分野の 論文等を収める.第 2 部は医療・薬学関連の分野の論文等を収める. 第3条 本紀要は前条に定める分野の研究発表を通じて,学的水準の維持向上を図る. 第4条 本紀要は,原則として毎年 1 回発行する. 第5条 本紀要の投稿資格は,本学教員(非常勤を含む)および本学関係者であることを原則とする. 第6条 投稿内容は,原則として,第 1 部は論文,書評,資料,および翻訳とする. 第 2 部は総説,論文,および資料などとする. 第7条 投稿される論文等は,独創的な知見あるいは大学教育に資する内容を含むものであって,印刷物 として未発表であるものとする. 第8条 投稿希望者は,紀要編集委員会(以下,委員会という)が公示する期限までに所定の用紙に必要 事項を記入し,委員会が定める締切日までに提出しなければならない. 第9条 原稿作成のための執筆要領は別に定める. 第10条 校正は原則として著者校正は第 1 校までとし,本文については執筆者が,表紙,奥付け,その他 については委員会がその責任を負う. 第11条 抜き刷りは 1 論文等につき50部とする.それを超える部数の抜き刷りの費用は執筆者の実費負担 とする.またカラー印刷など,特殊な場合に発生した費用も執筆者の実費負担とする. 第12条 本紀要は大学その他各種学術団体に寄贈し,学問研究の交流を期するものである. 第13条 本紀要の編集・発行の責任は,本学専任教員によって構成された委員会が負う. 第14条 委員会の編集委員は,総合科学系の分野より 3 名,医療・薬学関連の分野より 4 名を選び,必要 に応じて若干名を加えることができるものとする. 第15条 委員会は論文等の査読委員として,編集委員のうちから 1 名,編集委員以外から 2 名を選ぶもの とし,場合により学外に委嘱することがある. 第16条 投稿原稿の採否は委員会が決定する.修正を求められた原稿は速やかに再提出しなければならな い. 第17条 この規程の変更等は,拡大教授会の承認を得るものとする. 附則 この規程は,平成18年 9 月11日から施行する. 「紀要編集委員会」委員(紀要編集委員) 荒 川 行 生 , 井 上 晴 嗣 , 大 野 行 弘 , 加 藤 義 春 , 楠 瀬 健 昭 , 土 井 光 暢 , ○ 春 沢 信 哉 , ◎ 松 島 哲 久 ◎ :委 員 長 ○ :副 委 員 長 (五十音順) 編 集 後 記 今年も「大阪薬科大学紀要 Vol. 6 」が無事刊行される運びとなりました.これも快く論文・総説など を投稿していただいた先生方とその査読・編集に関わられた紀要編集委員および委員以外の先生方のご 協力のおかげと感謝いたします. 今号では,「人権講演会」の記録をもとにした論考を第 1 部巻頭に掲載しました.紀要への収載を快 くお認めいただき,まとめの論考をお寄せいただきました御輿久美子先生に心より御礼申し上げます. 今回は御輿先生という稀有の演者に恵まれて,アカデミック・ハラスメントをテーマとすることがで きました.これによって本学の人権啓発の運動も,ようやく,大学人として自己自身の人権意識を反 省的・自覚的に捉え直しながら進めていくことができる段階へと至ったと考えています.先生への感 謝と共に,この人権啓発という重い重要な課題に応えていくことが,われわれ大学人の究極の使命の ひとつと考えています.本紀要がその一端を担うことができますことを強く願っております. 本号の第 1 部(総合科学系分野)は,御輿先生の講演録以外に,論文 5 編で私が最終的に取りまとめ ました.第 2 部(医療・薬学関連分野)は 5 編の論文(論文 1 ,総説 2 ,資料 1 ,報告 1 )で,春沢信 哉先生に取りまとめていただきました.第 1 部は人文科学系の論文と,英語・数学分野からの論文によ り構成され,多様性に富んだものとなっています.第 2 部も,一般論文は 1 点と少なかったのですが, それを補うものとして,長期実習の成果を発表した学生諸君の報告会の内容をまとめたものが,実務実 習の先生方のご尽力によって報告論文として掲載の運びとなりました.これは,今後の臨床教育と研究 とを学生と一体になって進めていく大きな第 1 歩となる画期的出来事と考えます.今後,紀要編集にあ たっても,引き続き多面的な角度からの企画が要請されているものと考えています. 最後に,本紀要が今後とも多くの本学関係者の方々からの不断のご協力をいただき,本学の教育・研 究のいっそうの発展に寄与し,ますますその内容を充実させていくことができますことを心より祈念い たしております. (松島 哲久) 大阪薬科大学紀要 Vol. 6(2012) 2012年 2 月25日発行 (非売品) 編 集 大阪薬科大学紀要編集委員会 編集責任者 松 島 哲 久 発 行 大 阪 薬 科 大 学 〒569−1094 大阪府高槻市奈佐原 4 丁目 20 番 1 号 電話 072−690−1000(代)URL: http://www.oups.ac.jp/ 制作・印刷 (株)盛進堂
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