PDFをダウンロード(520 KB)

麻酔危機管理
じやすくなると考えられる.さらに長時間作用型局所麻
酔薬は脂溶性が高いため,体内の組織との親和性が高い
ことにも注意すべきである.
● 局所麻酔薬中毒の予防 第20回
局所麻酔薬中毒の
予防と治療
Prevention and Treatment
of Local Anesthetics-induced
Toxicity
大阪市立総合医療センター麻酔科 副部長
小田 裕
Yutaka Oda
● はじめに
麻酔科領域で用いられる局所麻酔薬のほとんどはアミ
ド型で,リドカインを代表とする短時間作用型と,ブピ
バカイン,レボブピバカイン,ロピバカイン等の長時間
作用型に大別される.また局所麻酔薬についての研究の
多くは,これら 4 つの薬物に関するものである.今回は
局所麻酔薬の中枢神経系毒性を中心に,その発生機序,
予防,治療について述べる.
● 局所麻酔薬中毒の発生機序
−とくに中枢神経系毒性について
局所麻酔薬は血中濃度の上昇に応じて,中枢神経系と
心臓に影響を及ぼす.中枢神経系作用は,興奮・鎮静の
2 相からなるのが特徴で,低い濃度では脳内のGABA作
動性抑制性ニューロンの遮断によって,多弁やけいれん
等の興奮症状を生じ,さらに血中濃度が上昇すると興奮
性ニューロンの遮断によって鎮静や意識消失を生ずる.
けいれん等の発現には海馬や扁桃体などの大脳辺縁系が
関与しているが,血中濃度の上昇に伴う広範囲な神経遮
断を要する.なお,局所麻酔薬は血液から脳細胞外液,
脳細胞へ容易に移行して中毒症状を生ずる一方 1),脳脊
髄液から血液中へは移行しにくいため,脊髄くも膜下麻
酔の際に血中濃度の上昇が生ずることはない.
局所麻酔薬はその種類に応じて一定の割合が血液中の
タンパク質(α1 - 糖タンパクやアルブミン)と結合して
いるが,薬理学的活性を有するのは細胞膜を通過するタ
ンパク非結合分画のみである.一般的にリドカインのタ
ンパク結合率は約 60%,ブピバカインやロピバカイン
は 80 〜 90%とされるが,これらの値は測定条件によっ
て大きく変化する.局所に投与された多量のブピバカイ
ンやロピバカインが短時間で血液中に吸収された場合,
血液中のタンパク非結合分画が急激に増加し,毒性が生
1)アドレナリンの添加について
リドカインは局所浸潤麻酔や神経ブロック目的で汎用
されるが,作用時間が短いのが欠点である.アドレナリン
の添加により投与局所の血管が収縮した結果,組織から
血管内へのリドカインの吸収が遅延し,組織内の濃度が高
く保たれることによって麻酔作用が延長する.一方,血
中濃度の上昇は緩徐になるため,より安全で治療に有効
であるとされてきた.しかしアドレナリンはリドカインの
血管内から脳細胞外液中への移行を促進し,局所麻酔薬
中毒を誘発しやすい点には注意を要する 2).なお長時間
作用型のブピバカインやロピバカインは血管収縮作用が
強いため,アドレナリンを添加しても作用時間の延長は
期待できず,むしろ毒性のみを増悪させる可能性がある.
2)血中濃度について−知っておくと便利
同量の局所麻酔薬を投与した場合,投与経路に関わら
ず,最高血中濃度は静脈内へのボーラス投与時を超える
ことはない.したがって「投与した局所麻酔薬が全て血
管内に吸収された場合,どの程度の血中濃度になるか?」
をある程度知っておくことが局所麻酔薬中毒を防ぐ上で
重要である.また通常は興奮,多弁,頻脈,高血圧等の
興奮症状が徐脈や心停止に先行するため,興奮症状の有
無を注意深く観察することが重篤な心血管系合併症の予
防につながる.以下に投与量と血中濃度の関係を示す.
リドカイン 1 回静注時の分布容量は,およそ体重× 0.5
(L)で,体重が 50kg の場合は 25L である.ここで体重
50kgの患者にリドカインを 1 mg/kg,総量50mgを投与す
ると,その直後の血中濃度は 50(mg)/25(L)
= 2 mg/L =
2μg/mL となる.本投与量で「舌の先が痺れる」「耳鳴
がする」等の訴えが生ずる場合があることから,2μg/mL
程度が中枢神経系症状を生ずる血中濃度の閾値であると
推定される.また心臓の期外収縮の治療目的での投与量
は 1 〜 2 mg/kg で,2mg/kg 投与後の血中濃度は 4μg/
mL 程度であることから,この程度の量までは比較的安
全に使用できる.したがってこれを超える量を投与する
場合には,2mg/kg を投与した時点で一旦投与を停め,
異常知覚の訴えや興奮症状が生じていないかを確認する
のが,局所麻酔薬中毒を防ぐのに有効であると考えられ
る.リドカイン以外のアミド型局所麻酔薬の薬物動態に
関する報告は比較的少ないが,ブピバカイン,レボブピ
バカイン,ロピバカインの薬物動態は類似しているとさ
れる.これらの毒性はリドカインの約 4 倍であるから,
リドカインの 1/4 の量,すなわち体重 50kg なら 25mg
(0.25%ブピバカイン 10mL)を投与した時点で一旦投与
を停め十分に観察を行なうことにより,徐脈・心停止と
いった危険な心毒性の発生を防ぎうる.
連載企画
3)投与時の注意
局所麻酔薬による重篤な心血管系合併症の多くは,上
肢や下肢での神経ブロック目的で,多量の局所麻酔薬を
用いた際に報告されている.硬膜外カテーテル等が留置
されている場合,局所麻酔薬の投与に先立ち,血液の逆
流がないことを確認するのは当然であるが,逆流のない
ことは血管内注入が生じないことを意味しない.多くの
症例報告では血液の逆流が認められないにも関わらず心
停止を含む重篤な症状を生じている 3, 4).また局所麻酔薬
の血中濃度は,投与量や局所における吸収速度によって
大きく変化することに留意すべきである.通常中毒症状
は 15 分以内に発現するが,ロピバカイン投与 60 分後に
中枢神経系症状を生じたとする報告もあるため,常に観
察を怠ってはならない.追加投与の際には初回投与時よ
りも量を減らし,かつ緩徐に投与するなど,十分な注意
が必要である.
● 局所麻酔薬中毒の治療
1)一般的な治療法
局所麻酔薬中毒に対する有効な治療法は,後述の脂肪
乳剤を除いてはほとんど存在せず,けいれんに対しては
ミダゾラムやチオペンタール,低血圧や心停止に対して
はアドレナリン等を用いるのが一般的である.比較的少
量のリドカインが短時間で血管内に吸収された場合,血
中濃度は一旦中毒域に達してもすぐに低下するため,諸
症状は一過性で治療を必要としない場合も多い.一方,
ブピバカインによって誘発された心室性期外収縮や心停
止は,従来の治療に抵抗性であることが知られている.
2)Lipid rescue(脂肪乳剤による治療法)
本治療法は,1998年にWeinbergら 5)が,ラットに対
して脂肪乳剤を投与すると,用量依存的にブピバカイン
による心停止が生じにくくなること,またブピバカイン
による心停止誘発後に脂肪乳剤を投与すると,蘇生率が
上昇することを発表したのが嚆矢とされる.一連の実験
結果を臨床研究で実証することは困難であるが,脂肪乳
剤の有効性は多くの症例報告で示され,また局所麻酔薬
こう し
中毒に対する治療法として推奨されている(表 1 )6).な
お局所麻酔薬中毒により心血管系の異常を生じた場合に
は,プロポフォールの使用は避けるべきである.
“ lipid rescue”のメカニズムとして,脂肪乳剤の中に
ブピバカイン,ロピバカイン等の長時間作用型局所麻酔
薬が取り込まれ,循環血液中から消失する,
“ lipid sink”
が提唱されている.神経ブロック目的でロピバカインを
投与した後に興奮症状を生じた症例に対して脂肪乳剤を
投与したところ,タンパク非結合分画の濃度が急速に低
下するとともに症状が直ちに消失したことが報告されて
いることからも 7),脂肪乳剤は“ lipid sink”の役割を果た
していると考えられる.
3)蘇生時のアドレナリンの投与について
Hiller ら 8)は,局所麻酔薬中毒の治療に脂肪乳剤を投
与する際に 10μg/kg 以上のアドレナリンを併用すると,
脂肪乳剤単独の場合に比べて蘇生率が低下することを示
した.臨床の現場で重篤な局所麻酔薬中毒に遭遇した場
合には,できる限り早期の脂肪乳剤の投与とともに,適
切な用量のアドレナリンの使用を含めた従来の方法にし
たがって蘇生を行なうべきであると考えられる.
表 1 局所麻酔薬中毒に対する推奨治療法
アメリカ局所麻酔学会(American Society of Regional
Anesthesia:ASRA)発表(文献 6より引用改変)
1. 助けを呼ぶ
2. 気道確保,100%酸素での換気
けいれんの治療−ベンゾジアゼピン系薬物が適当
BLS(Basic Life Support:一次救命処置)/ ACLS
(Advanced Cardiovascular Life Support:二次心
肺蘇生法)の施行
3. 脂肪乳剤による治療
20%脂肪乳剤 100mL(1.5mL/kg)をボーラス静注
0.25mL/kg/min(400mL/20min)で持続静注
5 分毎にボーラス静注を繰り返す( 2 回まで)
持続投与速度を 2 倍(400mL/10min)に
4. 循環回復後も,10分間は脂肪乳剤の投与を持続
5. 投与量上限の目安は,最初の30 分間で10mL/kg
■ 参考文献
1)Ikeda Y, Oda Y, Nakamura T, et al.:Pharmacokinetics of
lidocaine, bupivacaine, and levobupivacaine in plasma and
brain in awake rats. Anesthesiology 112:1396 - 1403, 2010
2)Takahashi R, Oda Y, Tanaka K, et al.:Epinephrine increases
the extracellular lidocaine concentration in the brain:a
possible mechanism for increased central nervous system
toxicity. Anesthesiology 105:984 - 989, 2006
3)Rosenblatt MA, Abel M, Fischer GW, et al.:Successful use
of a 20% lipid emulsion to resuscitate a patient after a presumed bupivacaine-related cardiac arrest. Anesthesiology
105:217- 218, 2006
4)Spence AG:Lipid reversal of central nervous system symptoms of bupivacaine toxicity. Anesthesiology 107:516 - 517,
2007
5)Weinberg GL, VadeBoncouer T, Ramaraju GA, et al.:Pretreatment or resuscitation with a lipid infusion shifts the doseresponse to bupivacaine-induced asystole in rats. Anesthesiology 88:1071-1075, 1998
6)Neal JM, Bernards CM, Butterworth JF 4th, et al.:ASRA
practice advisory on local anesthetic systemic toxicity. Reg
Anesth Pain Med 35:152 - 161, 2010
7)Mizutani K, Oda Y, Sato H:Successful treatment of
ropivacaine-induced central nervous system toxicity by use of
lipid emulsion:effect on total and unbound plasma fractions.
J Anesth 25:442 - 445, 2011
8)Hiller DB, Gregorio GD, Ripper R, et al.:Epinephrine impairs
lipid resuscitation from bupivacaine overdose:a threshold
effect. Anesthesiology 111:498 - 505, 2009