ダウンロード - 浄土宗西山深草派総本山誓願寺

2016
お盆号
147
VOL.
浄土宗西山深草派宗務所
総本山 誓 願 寺
◆ 総本山誓願寺 平成28年 御忌 お練り行道式 ◆
タ
バ
タ
ド
◆目
次
◆
●布教師会HPの紹介
●賢問子行状記 17
●迷子みちしるべ 五
●お釈迦さまの十大弟子 7
●インド
夫婦道中記 41
●総本山誓願寺だより
●何でも“お寺探偵団”Vol.45
岩戸山 正蔵寺
○誓願寺ホームページリニューアルのお知らせ
この度、誓願寺公式ホームページをリニューアル致しました。
スマートフォンでの閲覧にも対応しておりますので、是非ご覧下さい。
誓願寺公式ホームページ URL http://www.fukakusa.or.jp/
(2)
第147号
毎月新しいお説教(法話/説法)を、
ご本人の声で聞くことが出来ます
今すぐ!ご検索下さい!
!
季節の法話 9月
深草派 布教師会
季節の法話 7月
りゅうしんじ
こうみょうじ
愛知県豊川市 立信寺住職
愛知県蒲郡市 光明寺住職
杉田道秋師
佐伯良雄師
すぎ た どう しゅう
御題「九月」
が い
さ えき りょう ゆう
御題「七月」
皆さんには生き甲斐があり
ますか?誰かの為に…。仏
教の説く「愛」を知って頂き
たいと思います。
衣・食・住・豊かな現代こ
そ、餓鬼かもしれません。
施し合うことが、喜びの日
暮らしをしましょう。
平成28年5月の法話(1)
平成28年4月の法話(1)
が き
えんぷくじ
愛知県岡崎市 圓福寺住職
こ
じま
が
どう
小島雅道師
みょうしょうじ
愛知県西尾市 明正寺住職
い よ
だ
ぎょう
し
伊與田暁史師
御題「無題」
御題「人間という奇跡を生きる」
農家の苦労があってのお米。
食事は大切なものです。生
き物、先祖、家族に感謝し
お念仏を致しましょう。
偶然が積み重なって生命は
進化しました。私たちは今
ここに生かされていること
を知りましょう。
浄
土
宗
西
山
ホ深
ー草
ム派
ペ布
ー教
ジ師
の会
紹の
介
で
す
誓願寺
私どもの総本山誓願寺は、古くから女性の参拝が多く、「女人往生」の寺として
名が知れ渡っております。また、毎月決められた「洛陽六阿弥陀」の功徳日には、
午後2時より「お説教」を行っております。是非ご参拝下さい。
いっ
ぺん
しょう
にん
第
十
二
話
くま
こう の みち ひ ろ
しゅっけ ていはつ
ずいえん
いぎょうた りき
もう
こ
くま の ごん げん
へだ
な
む
あ
み
だ ぶつろくじゅう
﹁今お札を見ると﹃南無阿弥陀仏六十
人に尋ねました。
ると、一人の女性が進み出て、一遍上
多くの参拝者に念仏の札を配ってい
南無阿弥だぶの
声ばかりして
称ふれば
仏も我もなかりけり
で心が洗われ一首を詠みました。
よ
誓願寺に詣で、人々の称える念仏の声
もう
一遍上人は、建治二年︵一二七六︶
けん じ
と告げられ夢から覚めました。
仏を広め人々を救済するように﹂
きゅうさい
行き念仏の札を分け隔てなく与え、念
ふだ
生する。偈文を授ける。京都誓願寺に
げ
もん
迷える人々は我が名を称えれば必ず往
とな
﹁私は極楽浄土の阿弥陀如来である。
伏が前に進み、
す。熊野権現が現れました。白髪の山
らいはい
小島英裕
17
三百人程の山伏が並んで礼拝していま
総本山誓願寺執事
しょうじゅまる
ひ えい ざん
なんぎょうじ りき
せん じゅねん ぶつ
ほんぐうしょうじょうでん
まんぎょう
やまぶし
開き、白髪の山伏が現れ高台に座り、
はくはつ
人は夢を見ました。神殿の扉が自然と
りました。満行の日の明け方、一遍上
野を参詣し、本宮証誠殿に一週間籠も
さんけい
した。ある時一遍上人は、和歌山県熊
人の門下に入り浄土宗の教えを学びま
にん
覚め、十八歳の時、西山善恵房證空上
せい ざん ぜん ね ぼうしょうくうしょう
えより易行他力の専修念仏の教えに目
り名前を随縁と呼ばれ、難行自力の教
出家剃髪しました。初めは比叡山に登
と呼ばれ、一念発起し、十五歳の時に
河野通広の二男です。幼い頃は松寿丸
ち しん
の
さん
﹁
熊 一
野 遍
山 上
に 人
詣 、
で
る
﹂
一遍上人は知真と呼ばれ、愛媛県の
第147号
(3)
まんにんけつじょうおうじょう
万人決定往生﹄とありますが、六十万
人は往生して六十万人以外の人々は往
生できないのですか?﹂
かみ
﹁これは熊野権現より授けられた偈文
の、上の一字を取って札に記したもの。
人数に限りはなく、名号を称えるすべ
ての人々が必ず救われます﹂
﹁女性も救ってくださるとは有り難い。
一つお願いがあります。あの誓願寺と
ある額を、南無阿弥陀仏の六字の名号
ほうじょうじ
かんぱく
に打ち替えてください。これは阿弥陀
さまのお告げです﹂
﹁あなたは?﹂
こんりゅう
こ
み どう
﹁あそこに見えるお堂は法成寺の関白
いずみ しき ぶ
が建立され、小御堂と呼ばれる私が往
ごくらくじょうど
ぼ さつ
生を遂げたお堂です。私は和泉式部の
霊、今は極楽浄土の菩薩となりここに
来ました﹂
のき ば
と去りました。後ろ姿を追うと、石塔
じ ひつ
辺りの軒端の梅の木に隠れ消えました。
こ しき ぶのない し
一遍上人は額をおろし自筆で六字名号
を書きました。和泉式部と小式部内侍
親子は生前より梅を愛し、今でもお墓
の目印になっています。︵つづく︶
第147号
(4)
第147号
(5)
ず
だ
外伝
ま
か
か しょう
頭陀一の摩訶迦葉
その3
ちょうだい
﹁ああ、なんとありがたい。お釈迦さ
はげ
まがお召しになっていた衣を私が頂戴
するとは。これを着て修行に励みま
す﹂
いただ
摩訶迦葉はお釈迦さまがお召しに
をしている時でした。お釈迦さまは道
摩訶迦葉が、お釈迦さまと共に遊行
を仏教教団の後継者と考えていらっ
んだそうです。お釈迦さまは摩訶迦葉
だけ汚れても生涯これを着て修行に励
しょうがい
なっていた糞掃衣を戴きました。どれ
の脇にある木の下でお休みになろうと
しゃったので、自らの衣をお渡しした
たた
されました。摩訶迦葉は、自分の来て
け
さ
のでしょう。
だい え
ととの
迦さまの座る場所を整えました。
し
﹁お釈迦さま、どうぞこちらでお休み
下さい﹂
の上にお座りになられました。その時
です。
やわ
﹁迦葉よ、お前が敷いてくれた大衣の
お袈裟は大変柔らかくて座りやすい。
誠にありがたい﹂
﹁そんなにお気に召して頂いたのなら、
どうかお受け取り下さい﹂
もら
﹁ありがとう、迦葉よ。でもこれを私
き ふる
ふん
が貰ったらそなたが着る大衣がないで
ぞう え
はないか。では、私が着古したこの糞
掃衣を着るか?﹂
なされる弥勒仏に伝わります。
︵続く︶
み ろく ぶつ
は、五十六億七千万年後に娑婆に出現
しゃ ば
お釈迦さまから戴いた摩訶迦葉の衣
いた大衣のお袈裟を脱ぎ、畳んでお釈
ゆぎょう
絵・豆田織奈
文・釈尊法話会
7
お釈迦さまは、摩訶迦葉が敷いた布
お釈迦さまより糞掃衣を戴く摩訶迦葉
お釈迦さまの
ご生涯
(6)
第147号
あ じゃ せ
ゆう
シャトル︵阿闍世王子︶に幽
へい
ろう ごく あと
まわ
閉された牢獄跡がある。この
ぶっ
じょうど さん ぶ きょう
同じお巡りさんでも・
・
・
話は浄土三部経のひとつ﹃仏
せつかん
む りょうじゅきょう
説観無量寿経﹄の中に出てく
いん ねんばなし
おう
しゃ じょう
る﹁因縁話﹃王舎城の悲
僕たちはグリッダクータ
ぎ しゃ
くっ せん
劇﹄﹂として有名である。ま
︵耆闍崛山︶を下りて付き
た温泉精舎の北約一キロメー
添ってくれたお巡りさんたち
トルの所には、ビンビサーラ
に礼を言い、登り口の売店で
ちく りん
のど
うるお
王が仏教教団に寄進した竹林
喉を潤した。客待ちしている
しょうじゃ
おんせん
精舎があり、釈尊は何度もラ
馬車に、来る時に通った温泉
しょうじゃ
ジギールを訪れ、そこを布教
精舎までの値段交渉をして四
きょ てん
の拠点とし、また雨季には虫
人で三〇ルピー︵約七五円︶
たく
めつ ご
しゃくそん
などが活動を始め、大勢で托
で乗り、今度は釈尊の滅後に
はつ
ふ
きょうてん
じき で
鉢に出歩くと虫たちを踏んで
経典の編集会議のために直弟
し
だい
殺してしまう為、その時期に
子たちが最初に集合した︵第
とど
どう
くつ
いち けつじゅう
は托鉢をせずそこに留まって
一結集︶洞窟のある山に向
げ
ご
あん ご
いる夏安居︵雨安居︶の場所
かった。ここも延々と続く石
としていた。
の階段の坂道で、やはり今度
はもう少し若いお巡りさんが あん長い石う段を登り、第一結集
たど
どきょう
しち よう くつ
の七葉窟に辿り着き、読経を
四人も付いてきてくれた。た
けい
ご
した後、写真を撮ったり、日
だ彼らは警護だけの目的では
陰に腰を下ろして北に広がる
ないのが帰り道で解った。
大地を眺めながら小休止をし
話は戻るのだが、ヒン
た。この七葉窟には亡き釈尊
ドゥー教の聖地で寺院内に温
せい
こう せい
泉が湧き出ている温泉精舎と、 の教えを後世に残すための成
ぶん
か
文化が必要とされ、五〇〇人
グリッダクータの登り口との
の直弟子が集まったといわれ
ほぼ中間地点の道沿いから東
ている。
に少し入った所には、マガダ
げ
ざん
びん ば しゃ
国の王ビンビサーラ︵頻婆娑 僕たちは下山すべく長い石
ら
段を下り始め、小島君と田中
羅王︶が息子のアジャータ
君はいつしか歩くスピードが
速くなり、僕たちとの距離は
離れていき、残された僕たち
はお巡りさんたちと同じペー
スで、と言うよりお巡りさん
たちが僕たちのペースに合わ
せて歩いたと言った方が正し
い。途中まで下りると、彼ら
の一人が僕にボソボソと話し
かけてきた。お金の要求だっ
たのだ。とっさに僕は、みん
なのお金を持っているのは先
に行く彼らだと告げ、とにか
く逃げられないので、あとは
どうよう
ひたすら動揺を見せずに歩く
だけであった。
七葉窟の前にて
岩瀬 賢良
写真提供:プレイスイメージズ
東龍寺 住職
41
インド
夫婦道中記
しょうれいおく
ぼんせ が き
八月十六日︵火︶、総本山誓願寺で
は、精霊送り・盆施餓鬼法要をお勤め
たご先祖様をお浄土へお送りする行事
致します。お盆の間、里帰りされてい
ご ざん
おく
び
です。この日京都では、大文字で有名
な五山の送り火が行われます。誓願寺
へのお参りに合わせて、五山の送り火
平成二十八年十月二十八日︵金︶から
平成二十八年十一月七日︵月︶
全日午前九時から午後四時まで
八百円
八月
●十五日
︵月︶
六阿弥陀功徳日
●十六日
︵火︶
精霊送り・盆施餓鬼
●二十二日
︵月︶
∼二十三日︵火︶
少年少女参拝団
九月
●十八日
︵日︶
開山歴代忌・六阿弥陀功徳日
●十九日
︵月︶
∼二十五日︵日︶
秋彼岸
十月
●八日
︵土︶
六阿弥陀功徳日
●十日
︵月︶
策伝忌・数珠供養会
●二十八日
︵金︶
︵∼十一月七日︵月︶まで︶
第五十二回京都非公開
文化財特別公開
十一月
●二十日
︵日︶
西山忌
●二十四日
︵木 ︶
六阿弥陀功徳日
十二月
●
一日︵木︶
仏名会
●八日
︵木︶
成道会
●二十四日
︵土︶
お身拭い式・六阿弥陀功徳日
お
も
な
行
事
予
定
除夜の鐘
●三十一日
︵土︶
︻問題︼
インドドタバタ夫婦道中記で、釈尊の直弟子たち
が第一結集を行った洞窟を漢字でお答え下さい。
○ ○ ○
官製はがきに、答え、郵便番号、住所、氏名、電話番号、菩
提寺︵だんな寺︶、感想や質問を必ず書いてご応募下さい。そ
の中より紙面に採用させて頂くことがあります。掲載時には、
はがきにてご本人にご連絡差し上げます。名前の掲載が困る方
は、その時にご返事下さい。今回は、正蔵寺さまより蝋燭火消
用 の 小 団 扇 を5 名 さ ま 、 本 山 謹 製 線 香 を5 名 さ ま 、 合 計 名 さ
まに抽選して差し上げます。ご応募お待ちしております。
︻宛先︼ 〒四四四 〇三一四
答 え ○ ○ ○
郵便番号
住所
ちかい
第 号
平成二十八年七月五日
浄土宗西山深草派
総本山誓願寺
京都市中京区新京極桜之町四五三番地
電 話︵〇七五
︶ 二二一 〇九五八
氏名
電話番号
菩提寺︵だんな寺︶
問 感想 ・質
等
発行日
発行
所
︻ 締 切 ︼ 九 月 三十 日
︵消印有効︶
愛知県西尾市下矢田町郷二
養寿寺
内 ちかい編集係
10
観光へお出掛けなさってはいかがで
しょうか。
みずとうば
平成二十八年八月十六日︵火︶
法要は御一霊様三千円。十一時・十五時・十八時の時間
にて承っております。
また、施餓鬼棚へ水塔婆をお供えする、水塔婆供養︵御一霊
様三百円︶も承っております。
期
間
拝観時間
拝観料
この期間誓願寺では、
稀代の大発見となりました
﹃ 誓願寺縁起絵 ﹄
模本を初公開致します。
熊本地震の発生を受け、この度誓願寺では御忌大会︵四月二十
三日∼二十五日︶に於いて、災害義援金箱を設置し、ご参拝の皆
様からたくさんのご協力を頂きました。三日に渡る大会の間で、
皆様からお寄せ頂いた義援金の総額は、十五万九千九百七十二円
となりました。お預かりしました義援金は、誓願寺からの義援金
とあわせて、全額を熊本県健康福祉政策課に送金させて頂く事を
ご報告するとともに、温かいご協力を賜りましたこと、厚く御礼
申し上げます。
147
総
本
山
誓
願
寺
だ
よ
り
○
精
霊
送
り
・
盆
施
餓
鬼
の
ご
案
内
施
餓
鬼
法
要
○
第
五
十
二
回
京
都
非
公
特開
別文
公化
開財
の
お
知
ら
せ
○
熊
本
地
震
災
害
義
援
金
に
つ
い
て
の
ご
報
告
Ǖ
NJ
Ǡ
Ǚ
ḩ
ǰ
ḩ
URL
http://www.fukakusa.or.jp/
FAX︵〇七五
︶ 二二一 二〇一九
E-mail [email protected]
− −
第147号
(7)
いわ と
さ ん しょう ぞ う じ
今 回 は愛 知 県 岡 崎 市にある
歳︶
﹁岩戸山 正蔵寺﹂を訪ねました。
りゅうみょう
師
日生まれ︵
た。
お寺の由来を
教えてください。
とりで
えいろく
ぼ
だい
じ
い
ず
お寺の宝物は何ですか?
なが おか
寺と命 名し浄 土 宗となりまし
台 宗 宝 福 寺 を 建て替え 、正 蔵
だいしゅうほうふく
じ
岩 戸 城 主の菩 提 寺であった天
てん
け
ぶつ
う
す
ふ じょう
さ
ま みょう
神さまとして知られる、不浄を
おう
りつ ぞう
ひ
ぶつ
浄 化 す る 化 仏﹁ 烏 枢 沙 魔 明
王 ﹂の立 像は当 寺 秘 仏であり 、
ぜん こう
じ にょ らい
市の指 定 文 化 財に指 定されて
しょうでん
います 。当 寺の善 光 寺 如 来は、
上 下三層の昇 殿に千 体の阿 弥
陀 如 来を安 置する﹁ 千 体 善 光
六
い はい
寺 如 来 ﹂です。そして、正 蔵 寺
あか
開 山を証すものとして位
基があり、
これも岡崎市指定文
めい
化財に指定されています。
ざゆう
座右の銘は?
とく じょ かい
うちわ
の方に差し上げます。
蝋燭火消用の小団扇を5名
ろうそく
﹁ちかい﹂の読者に
何か頂けますか?
う努めてまいります。
無 限の徳 を 身につけられるよ
く
美しい岩 戸に砦 を 築いて 定 住
私の座右の銘は
﹁ 徳如海 ﹂
で
しました。永禄8年
︵1565︶
、
す 。海の如 く めど も 尽 きぬ
いわ と
来ました。そして、大 岩と松の
の一族が新領地を求めて三河に
の天野 庄をもととする武 士 団
あま の しょう
が台 頭してきた頃 、伊 豆 長 岡
たい とう
武田、今川、徳川などの強国
Vol.45
当寺所在の地名﹁岩戸町﹂
の
本堂
▼
千体善光寺如来
▼
烏枢沙魔明王立像
▼
地名︵岩戸︶の
▼
もととなった岩の戸
正蔵寺
〒444−3344
愛知県岡崎市岩戸町字大久後3番地
TEL 0564−47−2276
なか
むら
年1月
へんさん
じんりょく
そび
【主な行事】
正蔵寺
もととなった大 岩が本 堂の横
【お問い合わせ】
中 村 龍 明
昭和
平成9年3月晋山。
ぬかた
趣味は俳句と小品盆栽。
しょうひんぼんさい
会長として高齢者福祉に尽力している。
経て、現在は岡崎市老人クラブ連合会
崎市史額田資料編編纂事務局長などを
して勤務。退職後、社会教育主事、岡
愛知教育大学卒業後、小中学校教師と
72
しょうぞう じ
に聳えています。また、
トイレの
法然上人御忌会 2月21日
春季彼岸会 3月20日
盆施餓鬼会 7月15日
岩戸城主祭 8月15日
秋季彼岸会 9月22日
月並総廻向 11月27日
で
も
12
Q3
Q4
何
19
Q1
Q2
(8)
第147号
【交通】
名鉄東岡崎駅より名鉄バス桜形行乗車、
岩戸停留所下車、北へ徒歩3分