助成番号 11-017 松下幸之助記念財団 研究助成 研究報告 【氏名】頼 順子 【所属】(助成決定時)パリ・ウエスト・ナンテール・ラ=デファンス大学大学院 【研究題目】15-16 世紀初頭フランスの貴族的狩猟文化の指標としての狩猟書 ―抄本・古版本から見る受容の形態― 【研究の目的】 中世後期のフランスでは、13 世紀中葉から王権による身分統制が進行し、衣服・食事などが身分を表すものとし て統制の対象になった。こうした時代状況のもとで、狩猟は貴族のものであると法によって規定され、貴族身分の徴 証として機能しはじめる。王侯の宮廷では、鹿狩りや鷹狩りなど特定の狩猟法が高貴であると定義されて流行し、先 端的な関連知識が独占されていた。狩猟書は、同じく宮廷を発信源とする書物文化と結びついて 14 世紀中葉から 発展し、15-16 世紀に地方の末端の貴族にまで広がってゆく。こうした宮廷による文化的ヘゲモニーと、地方貴族の 対応を知る手掛かりになるのが狩猟書の形態(王侯所蔵の豪華彩色写本・小領主が筆写した抄本・後年の古版本 など)である。以上の動向は西欧の他の地域でも見られることから、中近世のフランスの狩猟書研究によって、西欧 の前近代における貴族文化のあり方だけでなく、現代にまでつながる西欧社会の文化的・社会的基層の理解も目 指す。 【研究の内容・方法】 大阪大学に提出した博士論文では、14-15 世紀にフランス語で書かれた狩猟書が、フランスにおける貴族身分の 形成や王侯の宮廷発の書物文化などと結びついて誕生し、貴族文化として発展したことを指摘した。この研究をさら に発展させ、王侯の宮廷から発信された狩猟書(宮廷文化のヘゲモニーを表すもの)が、15-16 世紀に貴族的狩猟 文化の徴証として、どのような形で宮廷から離れた末端の貴族にまで拡散し、受容されていったかを、下記の 2 点の 調査により明らかにしようとした。 1. 14-15 世紀に表された狩猟書のどの部分が、15-16 世紀にとくに受容されたのかを、中世のフランス語の狩猟書 の代表作とされる、アンリ・ド・フェリエール『モデュス王の狩猟の書』およびガストン・フェビュス『狩猟の書』の古版本 を調査することによって明らかにした。まず、2011 年 11 月 27 日から 2 週間、以下の史料調査を行った。①アンリ・ド・ フェリエール『モデュス王の狩猟の書』の古版本のうち、フランス国立図書館所蔵のジャノ版(1524)、トレプレル版 (刊年不詳)、コロゼ版(1560)、ルノワール版(1560)②ガストン・フェビュス『狩猟の書』の抄本であるプティ・パレ美 術館所蔵のルイ・ド・グーヴィ『ヌーヴェラン・ド・ヴェヌリ』(Dutuit 217)の写真資料の一部(展覧会に出展中だったた め現物閲覧不可)③ガストン・フェビュス『狩猟の書』の古版本のうちトレプレル版(1507-1510)、ルノワール版 (c1525)。 2. 中世の狩猟書と、中世の宮廷文化の一部である写本との結びつきの強さを示す一例を、アルトゥルシュ・ド・アラ ゴーナ『鷹狩り』の写本のうち、活版印刷が導入後の 16 世紀初頭に制作された、アヴィニョンのヴァンサン・フィリポ ン工房制作の 2 点(イェール大学所蔵 MS.162 および BNF fr.2005)の写本の形態・内容の比較および、アンジュリエ 版(1618)との内容比較。 フランスで調査した史料を含め、複写が許可された関連史料の PDF 等の画像データを購入・ダウンロードして入 手し、現代の校訂本とも比較しつつさらに検討を行った。 【結論・考察】 『モデュス王の狩猟の書』および『狩猟の書』の版本は、時代に合わない献辞や教訓的な内容が削除されること はあっても実用的な狩猟の知識に関する内容は比較的忠実に再生産されている。アラゴーナ『鷹狩り』1618 年版も フィリポン工房の写本と総体的にほぼ同じ内容が踏襲されていたことから、狩猟書においては、狩猟道の理念よりも、 まずは実用的な狩猟知そのものがおもな受容対象だったと考えられる。ただ、版本の内容や形態から、宮廷から離 れた小貴族の受容状況を知ることは困難であり、個人が筆写した写本を中心にさらに検討する必要がある。 実用的な狩猟知重視の傾向は、『狩猟の書』の抄本においても顕著である。ただ、今回調査した抄本 2 点はいず れも挿画入り彩色写本であり、またフィリポン工房制作の『鷹狩り』の写本 2 点もそれぞれ一点物の彩色写本だった ことから、近世初頭に至るまで、狩猟書が中世後期の貴族的な書物文化と分かちがたく結びついた貴族の徴証で あり続けたことは確かである。
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