皆さんの歴史は 〝神の愛の物語〟 です

◦一般
苦しんでいる隣人への奉仕
に励みますように
◦宣教 イ エ ス を 証 し す る 心 を 抱 く
よう導かれますように
◦日本 平 和 憲 法 の 価 値 を 理 解 し 共
有できますように
ノドス提言書
『父の家に帰ろう、 ら、
それは最終的には、
皆さんに
る宗教的な叙事詩です。なぜな
いかに生きるべきか」を思い起
なく実際にキリスト信者として
(3面)を読み上げた後、
教区シ
に』を司祭・修道者・信徒の代
く し み を 共 に 生 き、伝 え る た め
そして出かけよう
仰 を 学 び、生 き、分 か ち 合 う こ
への信心」
「教皇への忠誠」
「信
シ タ ン た ち の「 祈 り 」
「マリア
だ か ら で す。
」そして潜伏キリ
対する三位一体の神の愛の物語
心 で 結 ば れ、共 通 の 善 の た め に
なら、
互いに思いが通じ、
一つの
つまり私たちの心が誠実である
官 が 日 本 語 で「 私 た ち の ム ネ、
徒 一 同 が 協 力 し、教 区 刷 新 の た
す。これこそ長崎が発するメッ
共に働いていくことができま
そ の 後、シ ュ ク ル レ ッ ツ 参 事
こさせると述べた。
表に手渡した。司教総代理の小
と」は、
「私たちに、
名前だけで
神のいつ
島 栄 師 は「 い た だ い た 提 言 書
─
に 基 づ き、司 祭 団・ 修 道 者・ 信
めに尽力いたします」と決意を
セージではないでしょうか」と
鐘」は、
私たちに「平和・希望・
語 り、今 も 鳴 り 続 け る「 長 崎 の
表明した。
メッセージとあいさつ
愛」を伝えようとしていると結
ます。
感謝の祭儀を司式し、
ご出席の大司教、
司
般謁見の場で、
彼らキリスト信者のことを
教、
司祭、
男女の修道者、
長崎県知事ならびに
思い起こし、
日本の教会に対する迫害につい
長崎市長、
そしてすべてのキリスト信者の皆
て、
そして殉教者の証しが今のこの時代にお
様に、
わたしの名によってごあいさつをして
いても重要な意味を持つことについて話し
ください。ご参列の皆様に、
あなたの言葉を
ました。あの当時、
日本には一人の司祭もい
もって、
キリストの生涯に倣うよう励まして
ませんでしたが、
信徒たちは洗礼の秘跡を執
ください。わたしは、
すべての人が、
感動を
り行って共同体の精神を表し、
祈りと聖書の
おぼえずにはおかない日本の教会の歴史を
黙想によって霊的いのちを養いました。そ
思い起こし、
またかくも多くのキリスト者の
して、
宣教師たちが戻ってきたとき、
潜伏し
証しを心に留めて、
新しい力、
新しい熱意を
ていた多くのキリスト信者がその素晴らし
もって教会に対するキリストの愛とその福
い信仰と希望と愛を表明してキリスト信者
音を表明し、
ペトロ・カスイ岐部と 187 人の
であると名乗り出たのでした。
同志殉教者の執り成しによって、
日々の生活
の使節としての使命をお果たしになるにあ
たたえ、
そしてキリストの光に照らされて生
たり、
わたしは祈りによってあなたと心を一
活を刷新し続けようとの促しを感じ取るこ
つにしています。あなたに対するわたしの
とでしょう。
そのために、
敬愛する東京大司教であり、 使徒的祝福をあなたに委ねます。祭儀に参
厚情のしるしであり、
神の賜物の保証である
日本カトリック司教協議会会長であられる
列されるすべての人に、
この使徒的祝福を伝
ペトロ岡田武夫大司教様と、
敬愛する長崎大
えてください。
て、
記念ミサを終えた。
敬愛する兄弟である枢機卿様、
今回わたし
を思い起こして、
救い主の鷹揚さを高らかに
教皇特使ケヴェド枢機卿と共に記念ミサ
皆さんの歴史は〝神の愛の物語〟です
続いてケヴェド枢機卿が英語
ん だ。 最 後 に、日 本 カ ト リ ッ ク
教が教皇とケヴェド枢機卿への
司教協議会会長の岡田武夫大司
で あ い さ つ( 2 面 に 邦 訳 ) し、
感 謝 を 表 す と と も に、こ の 日 が
感しています」
と喜びを語った。 教皇フランシスコが昨年1月
日の一般謁見で説教したよう
日本の福音宣教の新しい始まり
た。日本語で司式を引き継いだ
に、全 世 界 の キ リ ス ト 信 者 は 日
となるようにと期待を語った。
教区シノドスの閉会
本の教会の歴史から多くのこと
髙 見 大 司 教 は 説 教( 3 面 ) で、
を 学 ぶ こ と が で き る と 語 っ た。
日本におけるキリスト教の歴史
を 振 り 返 り な が ら、迫 害 の 中 に
拝 領 祈 願 後、教 区 シ ノ ド ス の
あ っ て「 密 か に 組 織 を つ く り、 閉会式が行われた。髙見大司教
15
す。昨年の1月、
わたしは(ローマでの)一
ケヴェド枢機卿のラテン語に
にあたる記念の時を荘厳にお祝いしていま
よる派遣の使徒的祝福をもっ
もって、
あなたを「わたしの特使」に任命し
とその子どもたちが他の人たち
厳に挙行される祝祭を執り行うよう、
本状を
いったキリスト信者が発見されて 150 年目
は、2月 日の大浦天主堂献堂 「
(皆さんの歴史は)子どもたち
次の世代、
さらに次の世代へと忠実に伝えて
150周年記念ミサの中で署名
において、
来月3月 14 日から同 17 日まで荘
子 ど も た ち に 洗 礼 を 授 け、オ ラ
あなたのことが心に浮かびました。長崎市
ばを熱心に学んで心におさめ、
信仰の宝を
ショを唱え、教えを学び、
教会の
不屈の精神で霊的な歩みを続け、
主のみこと
した
『教区シノドス提言の公布』 に 伝 え、ま た 伝 え る こ と の で き
おられる、
敬愛する兄弟、
ケヴェド枢機卿様、
暦 を 守 り、慈 悲 の 所 作 を 実 践 し
さんは、250 年にわたり、
ひそかに、
しかし
ながら信仰を生き、
守り、
子
孫 に 伝 え た 」 人 々 と、彼 ら
た」と述べた。そして信仰
司教区のヨセフ髙見三明大司教様は、
わたし
を絶えず守り導いた神に感
謝をささげた。棄教か殉教
か を 迫 ら れ た 時、信 仰 を 心
の内に秘めてまでもそれを
伝えることを決断した彼ら
を伝えることに関してさま
教皇登位2年目
の お か げ で、日 本 の 教 会 は
3月 日(火)、杉本ゆりをはじめとする浦上のキリシタンたちが、ベルナール・タデー・プティ
ざまな問題を抱えている私
説 教 の 後、洗 礼 式 が 執 り
くださいました。お招きいただき、
大変うれ
再出発できたと指摘し、「日
本の教会の復活のための踏
ジ ャ ン 神 父 に 信 仰 を 告 白 し て 1 5 0 年 を 迎 え た。 今 年 か ら こ の 日 を「 日 本 の 信 徒 発 見 の 聖 母 の
た ち も、彼 ら の 模 範 に 倣 う
み台のような役割を果たし
祝日」として祝う日本の教会は、教皇フランシスコによって特使に任命されたフィリピン・コタ
「すべての人に」信仰を伝
えようと呼び掛けた。
行われた。受洗者は中田弘
洗礼式
総長ジョルジュ・コロンブ師と
美さん(稲佐教会)
、
橋口亜
バチカンにて
2015 年2月 15 日
に温かい手紙をしたためて、
お祝いにお招き
フランシスコ
しく思い心に留めております。そしてわた
と 同 時 に、子 孫 だ け で な く
シ ュ ク ル レ ッ ツ 師、国 内 外 の 司
日本管区長オリビエ・シェガレ
中で、
すべての人々が、
あの信者たちの模範
おうよう
バト教区大司教オルランド・ベルトラン・ケヴェド枢機卿(右写真)と共に、司祭と信徒との出
るこの記念碑に灌水と献香を行
師らが入堂。来賓紹介の後、シュ
い、英語で祝福の祈りを唱えた。 教 団・ 司 祭 団、パ リ 外 国 宣 教 会
記念ミサ
の中で、
信仰を生き生きと輝かせるものとな
この記念の日を迎え、
日本においてはさま
会いの舞台となった大浦天主堂で記念ミサを行い、先祖への感謝と「すべての人に」信仰を伝え
る決意を新たにした 。
記念碑の祝福
日 午 前 9 時 頃、大 浦 天 主 堂
時 か ら の 記 念 ミ サ を 前 に、信
に 到 着 し た ケ ヴ ェ ド 枢 機 卿 は、
時 か ら の 記 念 ミ サ に は、各
に勉強し私もカトリックに
希さん(木鉢教会)
、
奥村紀
教区代表者・長崎教区の小教区
なりたいと思いました。今
昭さん(大浦教会)の3人。
徒 発 見 1 0 0 周 年 記 念 碑( レ
代表者・教区シノドス議員・修
杉本ゆりらによる信仰告白
クルレッツ参事官が教皇フラン
リーフ)がある天主堂 左 手 の 庭
道会代表者・キリスト教各派と
の 場 面 を 再 現 し た 劇 に 続 き、ケ
シスコによるケヴェド枢機卿の
園で『日本の信徒発見 百 五 十 周
諸宗教の代表者ら約200人が
ミ サ 後、橋 口 さ ん は「 主 人
年記念』の碑(石柱) を 祝 福 し
招待された。聖歌と共にケヴェ
日この日に洗礼を受けられ
が カ ト リ ッ ク で、結 婚 を 機
た。 9 時 半、多 く の 参 列 者 が 見
て、素 晴 ら し い こ と だ と 実
特使任命書をラテン語で朗読し
守 る 中、枢 機 卿 は 髙 見 三 明 大 司
ヴェド枢機卿のラテン語による
方を探しました。
教皇さまの意向
開祭のあいさつでミサが始まっ
しの親愛の情をお伝えするのにふさわしい
印刷所
株式会社 藤木博英社
ド枢機卿、髙見大司教、駐日ロー
オルランド・ベルトラン・ケヴェド枢機卿様
発行人
大 水 文 隆
マ 教 皇 庁 参 事 官 ヘ ル ヴ ォ イ エ・
ているキリストの弟子である方々へのわた
〒 852‐8113
長崎市上野町 10‐34
カトリックセンター内
TEL 095‐843‐3869
FAX 095‐843‐3417
振替口座 01880‐5‐2699
教の招きの言葉に続い て 「 信 仰
しは、
長崎においてわたしに代わり、
参列し
19
敬愛する兄弟
コタバト大司教区大司教
1028 号
昭和27年1月12日
第三種郵便物認可
5 月1日(毎月1日発行)
カトリック長崎大司教区
広報委員会
た(下囲みに邦訳)。
るよう望みます。
ざまな行事が行われることでしょう。その
17
と敬けんな心とのしる し 」 で あ
10
そして、
コタバト大司教区を賢明に導いて
このたび、
愛する日本の地に住む信者の皆
日本の信徒発見 150 周年を祝う
17
10
(昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
)第
1カ月140
円 年間1,500円(
カトリック教報
(1)2015年(平成27年)
日(日)
時
分、長崎空港に到着した。
首され、火あぶりの刑に処され、十字架につ
けられました。わたしたちフィリピン人の
最初の聖人、信徒であったマニラのロレン
司 教 様 に、長 崎 に 招 い て く だ
崎大司教 区 ヨ セ フ 髙 見 三 明 大
本 カ ト リ ッ ク 司 教 協 議 会、長
ないためにミサを行うことができませんで
者のいない状態に置かれました。司祭がい
す。 最 後 の 司 祭 が 殉 教 し た と き、彼 ら は 牧
は、主を否むよりも隠れる方を選んだので
同じ信仰でつながっている皆さんの先祖
ソ・ルイスは、ここ長崎で殉教しました。
さったことを深く感謝 申 し 上 げ ま す 。 ま た
した。彼らのキリスト信者としての生活の
伏キリシタンの銅像は、日本のキリスト教
殉教者の銅像を祝福し ま し た 。 殉 教 し た 潜
た。 彼 ら は 子 ど も た ち に 祈 り を 教 え、信 者
教えて、密かに自分たちの信仰を伝えまし
礼を授け、要理書について記憶したことを
親たちは隠れた場所で、子どもたちに洗
信心によって、キリストへの信仰を維持し
ました。御父の慈しみ、キリストの愛、聖霊
の支える恵み、これら神のすべての祝福に
よって、彼らは想像を絶する苦難の中で、信
キリスト信者としての 皆 さ ん の 歴 史 は 、 2
史からたくさんのことを学ぶことができま
す。 全 世 界 の キ リ ス ト 信 者 は、皆 さ ん の 歴
わたしたちの教皇様のおっしゃる通りで
日
おとめ聖マリア
2. 信 者 た ち は 樫 山 で ロ ー マ を
わたしは日本人の潜伏キリシタ
ているときに、静かに自分たちの
見える。
」彼らは自分の家に隠れ
にとって、教訓となるからです。
まざまな地域で苦しんでいるキリスト信者
ト信者、特に中東やアフリカやアジアのさ
イエスの母、おとめマリアの心に
の生き生きとした希望と祈りは、
り ま し た。 日 本 人 の キ リ シ タ ン
よ り 頼 ん で い ま す。 彼 ら に と っ
て、マリア信心はキリスト教信仰
ため、彼らはプティジャン神父様
の 明 ら か な し る し で し た。 そ の
わたしたちは、日本のキリシタンが樫山
に、マリア様を崇敬しているかど
学ぶべき教訓
に密かに巡礼したことの中に、これらの基
2月
日 木
時
時
時
時
時
大浦天主堂献堂150周年記念ミサ
秘密教会跡から浦上教会へ聖母行列
/大浦天主堂
/大浦天主堂
/ホテルニュー長崎
/中町教会
/大司教館
/浦上教会
/大浦天主堂
/チトセピアホール
/センター
教区シノドス提言への大司教署名 公開講座「キリスト教について」
(髙見三明大司教)/
大浦天主堂
公開講座「キリスト教伝来」
(デ・ルカ・レンゾ師)/
大浦天主堂
公開講座「キリスト教禁止令」
(片岡千鶴子修道女)/
大浦天主堂
レリーフと4体の聖人像の祝福
シンポジウム『津和野殉教者の列聖をめざして』
分
日本の信徒発見150周年記念ミサ
公開講座「信徒発見の意義」
(古巣 馨師)
分
教皇特使ケヴェド枢機卿大司教館着・歓迎
講演「信仰の証し人たち」
(片岡千鶴子修道女)
「聖トマス西と十五殉教者記念庭園」の祝福 祝賀会
分 「日本の信徒発見百五十周年記念」の碑祝福
日本の信徒発見150周年記念ミサ・洗礼式
教区シノドスの閉会
分
分
時 分 記念劇『そして サンタ・マリアがいた』 時
時
時
時
時
時
時
時
9時
時
な り ま し た。 彼 ら の 信 仰 を 強 め た の は、マ
て表明したことが、大きな深い喜びの時と
しい形の福音化、他者との信仰の分かち合
紀前の日本で、
最も難しい苦難の時代に、
新
割を可能な限り最大限果たしました。数世
方たちがキリスト教要理を彼らに伝える役
主と結ばれている兄弟姉妹の皆さん、以
を教えています。
にと招いておられる今日こそ、一つの教訓
/大司教館
連続ミサとコンサート(大浦教会でゆるしの秘跡) /大浦天主堂
分たちの家で密かに、聖母マリアと諸聖人
リア様の母としての執り成しだったので
に祈ろうとしました。彼らが密かに守り伝
す。殉教者になるまで神に対する彼らの信
上のことは、教皇様が皆さんと分かち合う
ケヴェド枢機卿帰国の途へ
えたご像は、彼らに、天の英雄たちが地上の
ようにとわたしに望まれていることです。
分
英雄たちと共にいるということを思い起こ
いが行われていたことは、本当にどれほど
かん なん
素晴らしいことでしょうか。信徒が他者に
する弟子になるように、つまりキリストに
た の で す!
スの母がおられ、主が聖体を通して彼らの
し、
彼らのただ中に、
実の母親のようにイエ
徒たちの教えに忠実で、祈りの時間を過ご
それらは、エルサレムの初期キリスト教共
従ってキリスト教的生活の証しをすること
間におられ、
互いのために、
また他者のため
同体のことを思い起こさせます。彼らは使
3.「沖に見えるはパーパの船よ!」この歌
で、救いと慈しみと憐みの物語を告げるよ
教 皇 様 が わ た し た ち に、宣 教
は、地上におけるキリストの代理に対する
う招かれ派遣されている共同体となるよう
教え、親が子どもたちと信仰を分かち合っ
仰と愛を支えたのは、イエスの十字架のも
心な祈りでした。祈ることによって彼らは
た。 祈 り は、彼 ら の 信 仰 を 生 き た も の と し
ゆるぎない忠実さを意味深く言い表してい
神と結びつき、諸聖人とつながったのでし
て保ちました。祈りをしないキリスト信者
ま す。 そ れ は 彼 ら の 心 か ら の 叫 び、つ ま り
(オブレート会員)
オルランド・B・ケヴェド枢機卿
フィリピンのコタバト大司教
フランシスコ教皇の特使
ありません。
ざいます」と言う以外に、何も言うことは
わ た し に は、心 の 底 か ら「 あ り が と う ご
際には、
良い知らせ(福音)です。
また告げ知らせなければならないのは、実
がお互いにだけでなく、
他者に告げ知らせ、
の心遣いの体験をしているのです。皆さん
に対するおとめ聖マリアの愛と母親として
愛の体験、
神の慈しみと憐みの体験、
皆さん
皆さんは、このような素晴らしい信仰と
かに生きるべきかを思い起こさせます。
前だけでなく実際にキリスト信者としてい
キリシタンの信仰生活は、
わたしたちに、
名
の祭儀を除いて、皆さんの先祖である潜伏
に愛の業を実践していました。実際の感謝
は、自分の信仰の支えを投げ捨てているの
わりの歌でもあります。
分かち合うこと
キリスト教信仰を学び、
生き、
う。 彼 ら に 教 え る 司 祭 な し に、信 徒 の 教 え
的なものを保つことはできなかったでしょ
カテキズムなしに、神への信仰と愛の中心
4. 潜 伏 キ リ シ タ ン は 教 え な し に、つ ま り
しているフランシスコ教皇様との連帯と交
んを愛しているように、皆さんをとても愛
わりだけでなく、よい羊飼いイエスが皆さ
0年に及ぶ迫害の間の教皇様との連帯と交
連 帯 と 交 わ り の 歌 で す。 そ れ も、単 に 2 0
そしてこのとても短い歌は、教皇様との
ます。
た、教皇様に対する彼らの忠誠を表してい
に学んだカテキズムのおかげで知ってい
望 す る こ と で も あ り ま し た。 そ れ は、密 か
り、教皇様が派遣してくださる宣教師を切
教皇様と一致していたいという願いであ
です。
教皇様への忠誠
とにたたずむマリア様でした。
日 水 8時
日 火
日 月
日 日
日 土
日 水
3月 8日 日
日 土
日 土
日 土
19
さ せ ま し た。 長 い、大 き な 艱 難 の 時 代 に 神
マリア様を愛している者とし
とが裏付けられたのです。
き、同じ心を持っているというこ
ン 神 父 様 が「 は い 」 と 答 え た と
うかを尋ねたのです。プティジャ
り
本的な要素を見ることができます。
祈
1. 潜 伏 キ リ シ タ ン は、神 に 祈 る た め に 樫
18 17 16 20 14 13 12 19 18 16 19 19 19
き る 宗 教 的 な 叙 事 詩 で す。 な ぜ な
ら、そ れ は 最 終 的 に は、皆 さ ん に 対
ンの多くの物語を読んだとき、彼ら
た め に 歌 っ た こ と で し ょ う。 神
思い、歌いました。「沖に見えるは
の物語、つまり皆さんの物語のいくつかの
に対する祈りと共に、おとめ聖マ
する三位一体の神の愛の物語だか
基本的な要素に、個人的に強く心を打たれ
リアに対する並外れた信心があ
パーパの船よ、丸にヤの字の帆が
ました。それらは世界中のすべてのキリス
らです。
聖トマス西と十五殉教者記念庭園の祝福(3月16日・中町)
への信仰と愛を保ち育んだのは、彼らの熱
山 に 行 こ う と し ま し た。 彼 ら の 家 族 は、自
日本の信徒発見 150 周年の典礼と行事
教皇特使ケヴェド枢機卿は、
羽田空港で出迎えた司教総代理の小島 栄師と通訳のパサラ・
ジョゼフ師(神言修道会)と共に、3月
は中町教会に新設された聖トマス西と十五殉教者記念庭園の祝福式とホテルニュー長崎で
感 謝
教 皇 特 使 と し て、わ た し た
教皇様ご自身は、こちらに来ることができ
源泉と頂点は無くなったのです。しかしす
ち の フ ラ ン シ ス コ 教 皇 様、日
ないことをとても残念 に 思 っ て お ら れ る と
べ て 無 く な っ た の で は あ り ま せ ん で し た。
皆さんの先祖は、他の象徴やしるしを使う
いうことも申し上げた い と 思 い ま す 。 し か
出迎えを受けるケヴェド枢機卿(3月15日・大司教館)
ことで、ミサ聖祭の記憶をとどめたのです。
共同体のすばらしい英 雄 的 な 歴 史 を 思 い 起
同志
こ さ せ ま す。 教 皇 様 も 感 動 さ れ て、「 わ た
の家族は互いに助け合い、互いのために祈
わたしたちは昨日、聖トマス西と
ます。
したちはこの歴史から 多 く の こ と を 学 ぶ こ
とができます」とおっしゃっておられます。 り合い、愛徳の実践やさまざまに工夫した
潜伏キリシタン
最期までの勇敢 な 信 仰 と 愛 の 叙 事 詩
00年以上(1614 年 か ら 1 8 7 3 年 ま
キ リ ス ト と 結 ば れ た 兄 弟 姉 妹 の 皆 さ ん、 仰を堅持したのです。
―
16
の記念祝賀会に出席、 日は大浦天主堂の記念ミサで共同司式し、 日帰国の途に就いた。
18
で)耐えた、聖金曜日の大きな苦悩の体験
大浦天主堂へ(3月17日・大浦)
15
が他の人たちに伝え、また伝えることので
30
10 40 30
30 30
30
19
です。何千人もの日本人のキリスト信者が、 す。 そ れ は、子 ど も た ち と そ の 子 ど も た ち
19
10
15
本メッセージは、 日のミサの終わりにケヴェド枢機卿が英語で語ったものの邦訳である。
17
し実際に皆様と思いと 心 を 共 に し て お ら れ
教皇特使ケヴェド枢機卿のメッセージ
キリストへの愛と信仰のために、殺され、斬
7 28 21
14 11
15
16
17
18
17
15
2015年(平成27年)
5 月1日(毎月1日発行)(2)
カトリック教報
1028 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
ならないという
でいかなければ
仰を伝え、つない
彼らは、何とか信
をささげたいと思います。
ました。神様と彼ら信徒に感謝
は、神の恵みであり、
摂理であり
きて保ち伝えることができたの
彼らが曲がりなりにも信仰を生
日間徒歩巡礼を実行し
ら国宝大浦天主堂への3
2 月 中 旬 に、今 村 教 会 か
いと考えました。 想 像 し ま す。 そ の よ う な 中 で、
強い望みに突き
れたお寺の檀家
徒として、指定さ
きだけでも仏教
こ と、潜 伏 時 代 の 信 仰 生 活 の こ
つ な ぎ ま し た。 そ し て、殉 教 の
か げ で、日 本 の 教 会 は い の ち を
く、信仰を守り、
伝えてくれたお
3. し か し、彼 ら が 実 に 粘 り 強
堂 で し ば ら く 祈 り、五 島
巡礼のゴール・大浦天主
像しながら歩いた▲徒歩
に報告に行ったことを想
長 崎 に 帰 り、大 浦 の 司 祭
を 探 し 当 て、喜 び 勇 ん で
シタンが今村キリシタン
た。1867年浦上キリ
になりすました
と な ど を、生 き た 証 し と し て 伝
動かされて、表向
のでした。
えてくれました。
し か し、彼 ら
日本に導入されて
を 取 り 除 く た め に は、キ リ シ タ
能性やそこから来る不安や恐れ
1. キ リ ス ト 教 は 、 だ い た よ う で す 。 そ の よ う な 可
の 暦 を 守 り、慈 悲 の 所 作 を 実 践
り祈りを唱え、教えを学び、教会
ちに洗礼を授け、オラショ、つま
つくり、子どもた
教 師 を 迎 え た 時、再 出 発 す る こ
かげで、日本の教会は、
新たに宣
信者として生き残ってくれたお
彼 ら が 信 仰 を 伝 え、キ リ ス ト
事実をありのまま「たっ
行中ですか」
と聞くから、
しのリュックを見て「旅
り込んだ。運転手がわた
に帰るためタクシーに乗
は、密かに組織を
以来、多くの日本人
た 今、諫 早 か ら 大 浦 ま で
冗談でしょう」と言わん
とができました。
日本の教会の、
ばかりに笑われた▲わた
し な が ら、信 仰 を 生 き、守 り、子
よ う、知 恵 と 勇 気 の 賜 物 を 祈 り 求
しはムッとして「今日だ
ンを完全に排除することが得策
め、最 大 限 の 努 力 を し な け れ ば な
け じ ゃ な く て、福 岡 の 大
で あ る と 考 え ま し た。 そ こ で、 孫に伝えました。教えの中でも、 いわゆる復活のための踏み台の
信 仰 者 と し て、あ ら ゆ る 逆 境 の 中
り ま せ ん。 長 崎 教 区 と し て は、日
刀洗というところから3
に受け入れられま
にありながら自分たちの信仰を貫
本の信徒発見150周年を機に教
日間歩いて大浦に来た」
した。しかし、発展
き、守 り 伝 え た 姿 に 示 さ れ て い る
区 シ ノ ド ス を 開 催 し、そ の 提 言 を
と答えると運転手は黙っ
歩いてきたところだ」と
人間の尊厳と気高さにあると思い
今 日、こ の ミ サ の 最 後 に 公 布 し ま
てしまった。徒歩巡礼を
答えたら、
「お客さん、
ご
ま す。 こ れ は、わ た し た ち 日 本 の
す。わたしたちがキリストの愛の
ような役割を果たしたことにな
キ リ ス ト 信 者 に と っ て、キ リ ス ト
力と聖霊の照らしを受けて刷新の
り ま す。 も し、キ リ シ タ ン が 一
普遍的な価値が認められると判断
教 を よ り 正 し く、よ り 広 く 知 っ て
① ロ ー マ の お 頭 様、つ ま り パ ー
し、
「長崎の教会群とキリスト教
いただくチャンスになると思いま
パ、教皇様、②その教皇様が派遣
を実践することによって
関連遺産」の世界文化遺産登録に
成 し 遂 げ た そ の 事 実 が、
月に宗門改
えなければなりません。キリスト
信仰は伝えられていくと
向けて正式にユネスコに推薦しま
道を歩み始めることができるよ
徳 川 幕 府 は、徹 底 し た 禁 教 政 策
人 も 生 き 残 ら ず、そ の 状 態 が 1
えるためにはこれまで以
一 つ に、次 の 世 代 を 担 う
信 者 は 皆 そ の 使 命 を 与 え ら れ、そ
思 い ま す。 も ち ろ ん、信
う、
お祈りいただければ幸いです。 相 手 を 圧 倒 し、黙 ら せ た
を 推 し 進 め、毎 年
す る 独 身 の 聴 罪 司 祭、つ ま り 罪
る と 呼 ば れ て、ほ と ん ど の 日 本
上に努力をしなければな
子どもや若い人たちと一
これには次のような意
原を旅する教会のイメー
仰は子孫に伝えるだけで
し た。 普 遍 的 な 価 値 の 一 つ は、潜
す。キリスト教を信奉することを
するに伴って、政治
を 聞 い て ゆ る し を 与 え る 神 父、 00年や200年続いていたと
す れ ば、日 本 の 再 宣 教 は 不 可 能
めを実施し、宣教師や修道士、キ
に近かったかもしれません。な
リ シ タ ン 信 徒 を、賞 金 を か け て
③ サ ン タ・ マ リ ア 様 の 執 り 成
人にとって、人間は
し や 保 護 の こ と を、基 本 的 な 要
皆神の前で平等で
てなければ捨てるまで拷問にか
あるという思想や、 訴 え さ せ、キ リ シ タ ン 信 仰 を 捨
苦しむ人や貧しい
ぜなら、キリシタンは、
邪宗門で
人に忌み嫌われていたからで
あ り、邪 宗 徒 あ る い は 邪 徒 で あ
そ れ に し て も、お 上 に は キ リ
め な が ら 子 孫 に 伝 え、七 代、 2
されて以来、キリシタンたちは、 を 装 い、信 仰 を こ こ ろ の 内 に 秘
わ た し た ち は 今、信 仰 を 伝 え
シタンであることを隠して檀家
た。
素として確実に伝えていきまし
です。
人を助ける行為も、 け、さ ら に は 処 刑 し て い っ た の
権力者に対して反
逆や一揆を起こす温床 を つ く る
信 仰 は 決 し て 捨 て た く な い、し
る こ と に 関 し て、さ ま ざ ま な 問
こ と に な る と 見 な さ れ ま し た。 2.1614年に禁教令が布達
ま た 特 に、当 時 の ヨ ー ロ ッ パ の
5 0 年 間、生 き 延 び た こ と は ど
架、す な わ ち キ リ ス ト が
これを長崎大司教
④奥の小麦色の丸いボカ
緒に祈り、
一緒に学び、
一
区の公式シンボル
シはパンをかたどってお
マークとして決定したい
り、無 限 に 膨 ら む パ ン 種
れを果たすよう常に招かれていま
と思います。
す。
に か く「 一 緒 に 」 祈 り、
緒に隣人愛の実践を行う
学 び、神 の こ と ば を 分 か
ことが考えられます。と
いる。⑤地平線と地球を
4. 最 後 に、実 に 皮 肉 な こ と と い
表 す 三 日 月 型 の 青 は、十
ち 合 い、考 え、話 し 合 い、 えるのですが、
今年の1月、
日本政
一体となった姿を現して
①長崎の頭文字Nをかた
ど っ た、赤 い 色 の 7 筋 の
炎 の 形 は、殉 教 者 の 血 と
② 7 つ の 筋 は、長 崎 大 司
2015年2月 日
教 区 内 の 7 地 区 を 表 す。 ジでもある。
同時に7は充満や全体性
を 表 す の で、長 崎 の 教 会
十分ということではあり
伏キリシタンが、
人間として、
また
「 御 大 切 」 府 は、日 本 の キ リ ス ト 教 の 歴 史 に
大 司 教 区 を 表 し て い る。 し し な が ら、世 界 の 大 海 「 慈 悲 の 所 作 」
信仰の炎に育まれた長崎
字架による救いと愛を証
味 が 込 め ら れ て い ま す。 を 宿 し て、宣 教 と 聖 体 が
現存し、働いておられる。 らないと思います。その
め る こ の 機 会 に、 ③その炎の中心には十字
目 指 す 姿 を 表 し て い る。 ら こ そ、信 仰 を 生 き て 伝
す。
列強が宣教師を送って キ リ ス ト
れほど辛いことだったろうかと
に 増 え ま し た の で、今 回
題を抱えています。だか
かし、殉教すれば、信仰が伝達さ
その数だけを変更しまし
刷新の道を歩み始
れ ず、滅 び て し ま う か も し れ な
「大聖年から次の聖年ま
た。日本の信徒発見15
大司教 髙見三明
ません。すべての人に伝
人の殉教者も生まれました。キリ
けで、
弾圧と差別を受け続け、
数千
キリスト信者であるということだ
及 び、そ の 間、キ リ シ タ ン は、た だ
たいと思います。
聖母マリアの執り成しをお願いし
に祈ってくださった殉教者たちと
日 本 の 教 会 の 歩 み を 見 守 り、共
ちを黙らせるには十分す
行 く 人、連 行 し た 役 人 た
都から長崎を歩いた。道
わけだ。二十六聖人は京
ば、
檀家制度や鎖国は、
キリスト教
らず影響を与えています。たとえ
の 来 日 以 来、日 本 の 歴 史 に 少 な か
が、フ ラ ン シ ス コ・ ザ ビ エ ル 神 父
おいては極めて小さな少数派です
ス ト 信 者 は 今 に 至 る ま で、日 本 に
黙らせるものを持ってお
倒 す る も の、良 い 意 味 で
な い 人 に 対 し て、何 か 圧
ストを知らない人や信じ
ない▲キリスト者はキリ
ぎる迫力があったに違い
いだろうか。 (
K・N)
伝承されてきたのではな
流されたりしても信仰が
大勢が命を落としたり配
5 0 年 奪 わ れ て も、ま た
に あ っ た か ら、司 祭 が 2
証しがかつてはそこここ
る証しである。そうした
証 し、人 を 黙 ら せ る 力 あ
だ っ て、十 分 に 圧 倒 的 な
と続けてきた朝夕の祈り
くべきだと思う。何十年
の人々と分かち合うことができる
正しく理解し、
よりよく生き、
周囲
キリスト信者がまず自分の信仰を
ま す。 そ の た め に は、わ た し た ち
していかなければならないと思い
にこの動きをチャンスとして生か
い い 影 響 を 与 え て、発 展 す る た め
知され、
正しく理解され、
少しでも
は、キ リ ス ト 教 が 日 本 社 会 で も 認
と も あ れ、少 な く と も こ れ か ら
です。
禁令なしには説明がつかないもの
記念ミサの閉祭
信 者 を 増 や し た 後、日 本 を 占 領
での長崎大司教区の行 く
が全世界の教会と一つに
徹底して禁じた時代が259年に
権力を握っている
記念ミサ(3月17日・大浦天主堂)
に来るにちがいないと 恐 れ を い
信徒発見150周年と教区シノドスを機に
区の公式シ
ンボルマー
クを決定さ
当時の長
れました。
崎教区には
5つの地区
があったた
め に、炎 の 数 が 5 つ で し
手を示すシンボルとな る
0 周 年 を 記 念 し、特 に 教
つながって理想の教会を
司祭・修道者・信徒の代表に教区シノドス提言書を授与
1
教区のシンボルマークを変更
紀元2千年の大聖年
ようにとの思いを込め
区シノドスに基づいて
に、島 本 要 大 司 教 様 は、 た が、そ の 後 地 区 が 7 つ
て」、 世紀の長崎大司教
19
1028 号
5 月1日(毎月1日発行)
記念ミサにおける髙見大司教の説教
21
(昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
カトリック教報
(3)2015年(平成27年)
テレジアヌス
末吉矢作神父
朗らかな性格で聖母信
年
よ り、本 河 内 教 会 で 行 わ
ため東京・ロヨラハウス
歳。
1922年8月2日米
で逝去。
年 6月
年 来 日、
日カンザスで
、 ~20
助任、
長崎・立山黙想の家
~
年 3 月 号 で は、
年からロヨラハウス。
本紙
「私にとっては、
長崎の黙
想の家が最も喜びをもっ
て働いたところです。
代の日々を有意義に送
り、で き れ ば 人 々 を よ り
葬儀ミサ・告別式は4
語っていた。
国・セントルイス生まれ。 い っ そ う 導 き た い 」 と
司 祭 叙 階。
東 京キャンパス)で教 義
日、
聖フィリッポ教会で
月7日、
東京・麹町教会で
ローマ聖マルチェルロ教
年東京カトリック神学院
日、同 修 道 会 日 本 管
葬儀ミサ・告別式は3
月
実であろうとした。絵踏
神学・基礎神学を教える。 追悼ミサがささげられた。
大浦天主堂
た 時、彼 ら は 勇 気 を も っ
様がない。司祭と出会っ
れは神の恵みとしか言い
すよう招いた。「信徒発見
福音を伝える使命を果た
さ ら に、こ の 出 来 事 へ
た。キリスト教でない方
うれしい』と言ってくれ
と 同 時 に、す べ て の 人 に 『 こ の 喜 び を 共 有 で き て
の感謝と喜びを共有する
にも、
歴史を知り、
教えを
て く だ さ っ て い る 方 も、
国からこのミサに参加し
8 時、 時 半、 時 半、
なった 時の記念ミサの 『原点』
。その原点の地に
この日大浦天主堂で
み だ と 思 い ま す し、め ぐ
他 に、計 6 回( 6 時 半、 こうして居ることはお恵
は、招 待 者 の み の 参 加 と
り合わせで全国から私た
本の信者にとっていわば
激ですね。信徒発見は日
500人が参列した。み
ついての講演会「信仰の
修道女による十六聖人に
学園理事長・片岡千鶴子
カ ト リ ッ ク 協 会、教 区 内
行 わ れ、東 京 フ ラ ン ス 語
す」と喜びを語った。
で き、と て も 良 か っ た で
ち が 集 ま り、ミ サ に 参 加
時 のミ サ 後、小 口 浩
外の巡礼者らが祈りの時
を 過 ご し た。 ま た、大 浦
教 会 で は 終 日、ゆ る し の
司氏指揮、
アンサンブル・
クワイヤー・スペラ 合 唱
あり、
最後はこの日の行事
による記念祝賀演奏会も
秘跡も行われた。
朝6時。夜明け前から
に協力した奉仕者のため
天主堂下の門に並んでい
た多くの人々が堂内へと
た――が後に赴任された
ち望みながら叶わなかっ
庭園祝福式が行われた。
マス西と十五殉教者記念
備が進められてきた、
聖ト
よるテープカットと工事
行 い、祝 福。 関 係 者 ら に
ド枢機卿が灌水と献香を
徒発見150周年記念祝
ニュー長崎で「日本の信
時 分からはホテル
を取り聴き入っていた。
開 催 さ れ、参 加 者 は メ モ
ちた殉教の旅を経て」が
証し人たち
教 区 紹 介 の D V D 上 映、 て、
宣言して、
宣教してい
女子高校音楽部の合唱や
加のもと行われた。純心
らを招き約260人の参
た 信 仰 を 持 っ て、告 白 し
と 触 れ、
「しっかりとし
前の出来事が神の導きだ
案 内 さ れ た。〝 一 番 ミ サ 〟 のミサで締めくくられた。
から浦上教会入り口に
グアドループ教区の司
ペス駐日フィリピン大使
スペイン人4、イタリア・ に 続 い て、マ ヌ エ ル・ ロ
賀会」があり、
教皇特使、 150周年を機に結成さ
長崎を訪れたという広
光 師( レ デ ン プ ト ー ル
会)は説教で、150年
くのが私たち一人一人の
3月
~ 日にかけて
使命」だと話した。
み ささ
どもたちにイエスさまのまなざしを伝える
「こじか」
。カトリック長崎大司教区 信仰教
育委員会作成の初聖体準備のテキストをも
とにした「神さま、
こんにちは! ―初聖体
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山 口 教 会 主 任、宇 部 教 会
所 長(
リ ピンのアルペ国 際 学 院
02)
など歴任。 年フィ
で 霊 的 指 導・ 英 語 指 導、
心があつく、
神学生、
シス
出 身。
みに良心の呵責を感じて
行われた。また長崎では
大司教は「浦上にとど
月 8 日 イ タ リ ア・ 区長の﨑濵宏美師司式に (現日本カトリック神学院
ま ら ず、日 本 の 信 者 た ち
れた。
―
3月 日(火)
て寺と縁を切った。その
は小さな出来事かもしれ
時、 時 ) の 連 続 ミ サ が
べ き 事 だ っ た。 今 日、外
た め 捕 ら え ら れ、彼 ら が
知っていただく機会とな
連続ミサとゆるしの秘跡
『旅』と呼ぶ配流の苦し
ない。しかし日本の教会
人像制作者の池田宗弘氏
し た 野 下 千 年 師、十 六 聖
の 方 々、企 画 推 進 を 担 当
に と っ て 大 き な 出 来 事、 ることを願っている」
中町教会
みを得た。しかし187
台となった」
ん ち り さ ん 』 の 祈 り が、 時、彼 ら は 再 び 教 会 の 土
も、このような痛悔と『こ
14
3年に禁教令が解かれた
信仰をつないできた。こ
世界の教会にとって驚く
皇殉教者聖堂で司祭叙
―
日(月)
いたことだろう。それで
3月
片岡千鶴子修道女の講演と
こ と ば の 祭 儀、聖 人 像 除
祝福式に先立ち 時か
へ感謝の言葉を述べた。
幕 の 後、教 皇 特 使 ケ ヴ ェ
十六聖人殉教者記念庭園祝別式
ン・イーヴ・リオクリュー
本の信徒発見150周年
設置されたレリーフが
教」「ベノワ・リヴィエー
フランス・フィリピン人
のメッセージがアンジェ
「感
島・三篠教会の方は、
主日の福音解説を中心に、
多彩な記事で子
階。東京・聖ボナベンツ
ラ神学院で哲学・ラテン
ジョン・
クラークスン神父
(イエズス会)
理 事 長、園 長、修 道 院 長、
修練長、
小教区主任、
聖母
日本の信徒発見150周年を記念する3日間の祈り
語・音楽を教える。また、
の騎士社代表などを歴任
管 区 長、各 学 校 の 校 長 や
長崎の教会は、恵みの節目に行われる3日間の祈り(トゥリドゥウム)を大切にしてきた。1962
した。2009年からけ
タ ー、信 徒 に 多 く の 講 話
誓 願、 年 終 生 誓 願。
髙見大司教主司式によ
レ 師 と 会 員、教 区・ 修 道
年 二 十 六 聖 人 修 道 院。
年の日本二十六聖人列聖100年祭、 年の日本キリスト信者発見100年祭、今回の日本の信徒発見
の代表ともいえる」浦上
1925年6月 日佐
を行った。
あった人々は仏教徒を
る ミ サ に は、ロ ー マ 教 皇
向かい
会司祭ら 人余の他、3
3月
150周年。いずれも典礼が行われたのは、牧者を探し求めた人々が感謝と償いをささげた地に建つ「浦
のキリシタンの決断とそ
世保市黒島町生まれ。黒
装 っ た が、心 で は 神 に 忠
ル ー プ に 分 か れ、秘 密 教
庁大使館のヘルヴォイ
橋方面からは 時にサ ン
長崎教会助任を務めた。
祭になることを決意され
の 後 の 歩 み が、日 本 の 教
島教会で受洗。田平教会
サをささげることの感謝
会跡から浦上教会まで 聖
エ・シュクルレッツ参事
タ・クララ教会跡で出 発
人のフランス人司教も参
90
聖堂付司祭。 年から東
がれなき聖母の騎士聖フ
(コン
ベンツアル 聖フランシスコ修道会)
02 95
ランシスコ修道女会本部
日、心 筋 梗 塞 の
80
上教会」、潜伏キリシタンたちを抱き続けた殉教者の聖母に献堂された「中町教会」(現在は聖トマス西
浦上教会
た 方 」 と 紹 介 し、信 徒 発
会の再出発につながった
のため逝去。 歳。
見と日本の教会にゆかり
と 説 教 し た。「 迫 害 下 に
日、急 性 心 臓 死
71
と十五殉教者)、そして司祭と信徒の出会いの舞台となった「大浦天主堂」である。
―
3月 日(日)
聖母行列と信徒発見記念ミサ
日に先立って記念のミ
のある司教と共に、3月
と喜びを述べた。
ヨセフ、クララ、フランシ
スコ・ザビエル)も祝福
母行列を行った。本原 方
官、パ リ 外 国 宣 教 会 日 本
式 を 行 い、被 爆 マ リ ア 像
司 教 は、フ ォ ル カ ー ド 司
記 念 事 業の一環 として整
ら は 聖 堂 内 で、純 心 女 子
ザ ベ リ オ 堂 跡 を 経 て、ロ
教――日本使徒座代理区
除 幕、髙 見 三 明 大 司 教 に
ル 司 教 は、プ テ ィ ジ ャ ン
リカ・エスカローナ公使
外の司教・司祭団、
信徒、 の 演 奏、神 ノ 島 教 会 有 志
駐 日 教 皇 庁 参 事 官、国 内
による朗読劇などが披露
時、日
ザリオの祈りを唱えな が
長 に 任 命 さ れ、入 国 を 待
よって祝福された。こ れ
司教の出身地であるオー
の代読で紹介された。最
され盛大に祝われた。
中 町 教 会では
分
は中田秀和氏の絵画『 旅
各1人)は1633~
後に髙見大司教はあいさ
中 村 法 道 長 崎 県 知 事、田
の主司式を務めた頭島
への門出』をレリーフ に
者たち。 体の銅像と記
ボ ジ ア 王 国 カ ト リ ッ ク・ 年に西坂で殉教した殉教
タ ン 教 区 の 司 教 」「 カ ン
念碑が設置された庭園の
上 富 久 長 崎 市 長、関 係 者
苦難に満
し た も の で、浦 上 四 番 崩
プノンペン教区のオリビ
つ の 中 で、献 金 や 霊 的 な
―
れで全国に配流された 信
エ・ シ ュ ミ ッ ト ホ イ ス
支えを寄せてくれた多く
十 六 聖 人( 日 本 人 9、 関係者らへの感謝状贈呈
者たちの姿が描かれて い
祝福式は髙見三明大司教
れたサンタ・マリア楽団
る。続いて、4つの秘 密
が 司 式 を 務 め、信 者 ら 約
行 列 到 着 後、 時
ら浦上教会へ向かった 。
と共に聖フランシスコ・ 列。髙見大司教は、「ジャ
年 入 会、 年 初
され、翌日、聖堂内に安置
午 後 2 時、信 徒 発 見 の
された。
様子を伝えるプティジャ
ンの書簡が朗読された
後、長 崎 中 地 区 6 小 教 区
の小中学生が中心となっ
て編成された聖歌隊の歌
声 の 中、日 本 の 信 徒 発 見
150周年記念ミサが始
面 か ら は、 時 半 に 聖 マ
管区長オリビエ・シェガ
まった。
分 に 出 発 式、大
リア堂から聖ヨゼフ堂 に
信者たちは2つのグ
3月
30
レ ー ル 司 教 は、ド・ ロ 神
週刊『こじか』新連載 の ご案内
2015 年度
14
Fax 03 - 3325 - 5322
Tel 03 - 3322 - 7601
佐世保市柚木元町 2401-10
〒 156 - 0043 東京都世田谷区松原 2 - 28 - 5
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14 05
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オリエンス宗教研究所
夏子
中村
マリア
61
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17
30
代表
12
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お肉のご用命は
54
19
51 46
92
10
13
19
15
37
中村手造り
54
16
17
22
89
65
教会がその名をいただ い
17
ミートセンター
40
た4体の聖人像(マリア、 父の生き方に感動して司
40
ボロニアソーセージ
13
19
16
16
13
47
16
12
17
15
45
2015年(平成27年)
5 月1日(毎月1日発行)(4)
カトリック教報
1028 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
信徒発見150周年と高山右近列福に向けて
これだけのことは知ってほしい ⑮
世界遺産登録を目前にして
と 観 光 部 局、物 産、地 域 協 働、農 林 水 産、建
す。特に、
行政内部にあっても、
文化財部局
ちと我々行政との連携が重要となってきま
ていくか、信徒や構成資産に関係する人た
ことから、いかに戦略的に仕組みを構築し
大きな期待とは裏腹にそのリスクも大きい
先に述べたように、地域活性化などへの
考えたか、ということを常に気に留めてお
しかも各施策間で整合を図りつつ創造的に
いう〝うわべの街づくり〟に興味を示さな
きた知恵と力を持つわけですから、行政が
織を維持するとともに、生活生業を営んで
化が深刻だといわれてきたその地で集落組
ると認識されていることです。住民は過疎
ブることが多く、いわば同じ類のものであ
域が〟また〝組織が〟今の文化的景観を継
外観の保存から
〝地
課題解決のために、
果たして新しい視点で、 ら今の生活そのものへ、
い の も 当 然 だ と 思 う の で す。 従 っ て、そ の
承していける仕組みの構築が必要です。そ
て も ら う こ と で す。 つ ま り、資 産 の 保 存 か
の計画とは違う創造性を持っていると感じ
2点目は、これまで策定されてきた多く
げていくことが大切です。
れ、理由も含め正当性をもった計画に仕上
核とした街づくり計画が住民に受け入れら
り、
登録するしないに関わらず、
構成資産を
まで夢は広がっていくと思われ
ます。
そこで、我々のこれまでの経験上感じた
要 性 で す。 一 般 的 に 3 ~ 4 年 で 異 動 す る
思ってもらえるコミュニケーション力の重
3 点 目 は、住 民 に 我 々 を 信 頼 で き る と
まり熱意と論理を併せ持ち、その思いを伝
3 点 目 は、我 々 担 当 者 の 人 間 性 で す。 つ
人を惹きつけることにつながるからです。
行政としての課題
地域人としての課題
長崎の教会群が世界遺産に登
設、都市計画などの各種施策の調整が必要
れは、結果的に独自の魅力があるからこそ
や生業とのバランスに配慮しな
録 さ れ る と、来 訪 者 が 一 挙 に 急
く必要があるということです。
がらの持続可能な地域活性化策
増 す る の は 必 至 で あ り、構 成 資
しなければなりません。
で、つまり全体を俯瞰した共通目標を共有
こ と を 以 下 に 述 べ て み ま す。 ま ず、何 を や
ふ かん
産 の 活 用 と い う 裏 側 で は、日 常
られ、その所有者や集落などは、
新たな課題
松田隆也
― 長崎の教会群とキリスト教関連遺産 ―
宝亀教会信徒
的な管理と永続的な保全が求め
に 直 面 し よ う と し て い ま す。 す な わ ち、来
受 付・ 教 会 守・ 警 備 ) に 伴 う 費 用 や、文 化
ち、ポジティブな状態の人々が互いに関係
は冷めていくばかりであり、町に興味を持
誇りを持てない人が多ければ集落での活動
れてきた仕組みをも壊してしまうことのな
どころかそれまで集落でかろうじて維持さ
頼され、目標とする地域の活性化が図られ
対象区域の住民や行政の関係部局からも信
平戸市の構成資産の特徴
財そのものの老朽化に伴う補修や修復費用
はじめに
平戸市は、 資産のうち、「田平天主堂」「平
なども相当額に上り、小教区はもとより大
える能力を持ち続けることが必要なので
戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)」「平
す。 そ う す る こ と で、構 成 資 産 を も つ 計 画
録に向けて、これまで長崎大司教区をはじ
戸 の 聖 地 と 集 落( 中 江 ノ 島 )」 の 3 資 産 を
く住民がいるのは当たり前で、地域を救う
め行政や地元住民との連携のもと、構成資
若干、私の地元の構成資産を紹介します。 訪者に対する受付や管理体制の整備
わが町に対して無関心であり、 我々の何を信頼したらよいのかと疑問を抱
(予約・ るにしても、
産の保存管理や機運の 醸 成 に 努 め て き ま し
有します。
いよいよ現実味を帯 び て き た 世 界 遺 産 登
たが、いよいよこれからが正念場となる今
でなく、地元自治体の担当者として、これか
文化財に指定されました。鉄川与助の煉瓦
竣工し、2003(平成
)年に国の重要
田平天主堂は、1918(大正7)年に
える課題も少なくありません。
かといって、 うだろうし、瞬間的にやる気にさせても持
踏化することへの一部信者の反発など、抱
あるがゆえに、各種宗教行事との調整や雑
家〟として大切に守られるべき現役施設で
あ り ま せ ん。 加 え て、教 会 と い う〝 祈 り の
司教区としても単純に解決できるものでは
づくり活動をしなければならないのかと思
は、なぜ自らの利益として還元されない街
そのため1点目には、商売人でない住民
性化している状態だといえるのです。
し合う状態が継続されることこそ、町が活
ないからです。
いと、せっかくの計画も地域で動くはずが
を構築していく必要があります。そうしな
ミュニケーション力を基礎とした信頼関係
る行政組織をつくり、高い人間性をもつコ
いように、誰が担当者になっても継続でき
を向けながら、
今信者として何をすべきか、
連帯感の希薄化など、現代特有の現実に目
で、
私自身、
小規模小教区の維持や信者間の
これからますます慌しくなっていく一方
す。
るように誘導していきたいと考えていま
日、私は教会運営に関わる信者としてだけ
ら私自身何ができるか を 含 め て 考 察 し て み
造教会堂の中では最後のもので、
外観、
内観
史的環境がよく保存されている教会です。
祭館をはじめ、
門柱石段、
石垣など、
周辺の歴
者を温かく迎え入れるのが望ましく、髙見
基本的に教会は開かれた存在であり、来訪
話をして給料をもらえる公務員との立場の
続性に課題が残る場合も多く、街づくりの
です。
いろいろ書いてみましたが、私としては
次の3点にまとめてみます。
1 点 目 は、構 成 資 産 関 係 者 と の〝 目 標 意
の希望に沿って事前に日
訪 問 に つ い て は、各 司 教
日(火)髙見三
は、
叙階
様による叙階でした。司
た。紙﨑師は「松永司教
ミサの
祭 に な っ て、時 に は 有 頂
周年・ 周年・ 天になっていたかもしれ
終わりに
した。
局長に異動されました。(広
報委員会)
文 化 観 光 部 部 長 か ら 監 査・ 選 管 事 務 局
* 松 田 隆 也 さ ん は 4 月 1 日 付 で、平 戸 市
前向きに向き合っていきたいと思っていま
す。
聖香油ミサと司祭の日
識 〟 や〝 情 報 〟 の 共 有 は 極 め て 重 要 で あ
5年に一度行われる
2点目は、さまざまな街づくりの話とダ
が、今回は事情により
3月
で個別と全員でも行われ
群の世界遺産登録に向け
ね、前 者 で は 長 崎 の 教 会
化評議会と教育省を訪
こ の ミ サ は 本 来、聖 木 曜
が、新 司 祭 を 代 表 し て 稲
信徒、
修道者が参列した。 年を代表して紙﨑新一師
れ、司 祭
田伸也師が感謝を表し
て「司祭の日」の祝賀会
会場を信徒会館に移し
髙見大司教は単独で文
程が組まれた。
た が、今 回 は 教 皇 を 中 心
ての支援に対する謝辞を
日 の 典 礼 で あ る が、現 在
ません。本当の仕える司
に全司教が輪になって自
述 べ、後 者 で は 日 本 に お
は司牧的な理由から受難
祭になれるようこれから
由に意見交換するという
けるカトリック学校の現
の火曜日にささげられて
周年の司祭と新司祭が
形で1時間余り行われ
状などを報告した。また
紹 介 さ れ、大 司 教 の お 祝
と して一部 の 組 織 に 引 き 継 が れていま す。 目前に迫る諸課
た。最初に教皇と個別の
数名の司教たちと一緒
明大司教司式による聖香
題 に つ い て、県
記 念 撮 影 を 行 っ た 後、髙
に、教 理 省、奉 献 生 活 省、 いる。
油ミサが浦上教会で行わ
内各地の構成資
見三明大司教は日本の信
家庭評議会、
最高裁判所、
教皇謁見はこれま
7年ぶりであった。
行政として何ができるかを、常に真剣かつ
とも 全 体 的に 均 整のとれた 構 成であ り、司
長崎の教会群がなぜ 世 界 遺 産 に な る の か
また、集落にあっては、次第に高齢化する
違 い を 認 識 す る こ と が 重 要 で す。 従 っ て、
「長崎の教会群」は、長崎県および熊本県
0(平成
景観の保持や田畑の荒廃対策、さらに脈々
住民側の疑問に明確に説明し、納得しても
の半島部や離島部に点在し、その特徴的な
定 さ れ た ところで す。 潜 伏 時 代 に は、教 会
と続く生業やコ
大司教様も福音化に貢献する立場から、入
成 立 の 過 程 か ら、 世 紀 の 東 西 文 化 交 流 と
堂の代わりにご神体や殉教聖地などを信仰
ミュニティーの
場制限や入場料を取ることへの懸念を表明
キリスト教の繁栄を示す城跡、信仰が密か
の 対 象 と し、
〝 オ ラ ショ〟 と 呼 ば れ る 祈 り
維持については
一方、平 戸 の 聖 地 と 集 落 は、安 満 岳 や 中
に集落の中で継承され、実に450年以上
やさまざまな儀式を行ってきました。そし
喫緊の課題でも
江ノ島を含む春日集落一帯を指し、201
にも及ぶ、日本におけるキリスト教の伝来
て、
生月、
平戸の潜伏キリシタンの子孫の多
あります。
らえない限り解決しない課題と認識すべき
と地域において受け入 れ ら れ て き た 状 況 を
くは、
禁教政策が撤廃されてからも、
先 祖か
しています。
示す歴史的遺産です。 そ の 歴 史 は 決 し て 平
ら 伝 わる 独 自の信 仰 形 態 を 継 承 し、その文
)年に国の重要文化的景観に選
たんなものではなく、「伝来と繁栄」「弾圧
日本司教団の
使徒座定期訪問
と潜伏」「復活」という、世界でも類を見な
化的伝統は、
今も「かくれキリシタン信仰」
産を抱える所有
徒発見150周年記念行
諸宗教対話評議会などを 「 司 祭 で あ る キ リ ス ト 」
を物語る遺産となり、その交流が、禁教時代
キリスト教の伝播と浸透のプロセスの中
で、日本的な生活環境、自然環境および民俗
世界遺産登録に期待すること
が ら、緊 密 で 実
関係を構築しな
続 き、教 皇 か ら メ ダ ル と
福・全員での記念撮影と
大司教は「日本の教会の
話し合いを行った。髙見
やスタッフと情報交換や
のちを与える王として
の 言 葉 を 語 る 預 言 者、い
解 さ せ た 祭 司、力 あ る 神
にえとなって神と民を和
に 触 れ、十 字 架 上 で い け
大司教は説教の中で
化が進む農山漁村集落の再生を図る有効な
状況について有意義に分
(行政として・信者として)
従 っ て、今 回 世 界 遺 産 登 録 を 目 指 す「 長 崎
策として、まさに起死回生の切り札と考え
国務省、
典礼秘跡省、
福
ロザリオをいただいた。
的習慣に独自の形態で 順 応 し た 宗 教 的 ・ 文
の 教 会 群 」 は、城 跡・ 集 落・ 教 会 建 築 と い
れた。この聖ペトロと聖
行力のある連携 ( ア ド・ リ ミ ナ ) が 行 わ
が不可欠である
見・ 教 皇 庁 訪 問 は、本 来
パウロの墓参り・教皇謁
た が、他 の 省 や 評 議 会 の
音宣教省は全員で訪問し
と語った。
か ち 合 う こ と が で き た 」 の 姿 を 常 に 心 に 留 め て、
日々努力するようにと諭
といえます。
司教団の使徒座定期訪問
う3つのグループに分 け ら れ る の 構 成 資
られ、具体的には、交流人口の増大による新
れ ま す。 ま た、豊 か な 自 然 環 境 や 歴 史 遺 産
を活かしながら、受け継がれてきた暮らし
25
いの言葉を受けた。
25
これにより、日本と西洋の価値観の交流
中で も、 世 紀 に 造 られ たキリシタン墓 地
悩は延々と続く
事への特使派遣を感謝
訪 問 し、責 任 者 の 枢 機 卿
こ の よ う に、
い独自の歴史が長崎で 展 開 さ れ た の で す 。
の面影をとどめる集落景観や文化的伝統、 が 禁 教 時 代 も 引 き 継 がれ、聖なる 森 として
と思われます
景観をつくり出すことにつながったのです。 者や自治体の苦
現 在でも 大 事 に 祀 られるな ど、平 戸 独 自の
が、絶 え ず 中 長
し、記 念 メ ダ ル な ど を 献
90
産から成り立っており、世界遺産としての
を証明しています。
れた。 周年の平本義和
た司祭に記念品が手渡さ
らそれぞれの節目を迎え
が 開 か れ、髙 見 大 司 教 か
あいさつした。
および日本と西洋の建 築 文 化 が 融 合 し た 教
期的な観点か
呈した。最後に教皇の祝
16
「顕著な普遍的価値」や「真実性」
「完全性」 たな産業の創出や経済活動への効果が生ま
14
と感謝を述べた。
からもお祈りください」
に、
ご列席の皆さん、
これ
物の司祭となれるよう
に感謝しております。本
けてくださった大司教様
たにもかかわらず使い続
師は「使い勝手が悪かっ
25
人余と大勢の
会建築に影響したこと や 、 4 5 0 年 に 及 ぶ
ら、あ ら ゆ る 分
化的伝統が形成された こ と を 物 語 る 希 有 な
野の方々の協力
も努力していきたい」と
50
周
31
15
長崎県においても人口減少が叫ばれる
日、日 本
60
まとめ
たいと思います。
14
22
中、今回の世界遺産登録が実現すれば、過疎
日~
26
1028 号
5 月1日(毎月1日発行)
16
物証として、高い評価を受けているのです。
3月
20
(昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
カトリック教報
(5)2015年(平成27年)
サにあずかり
め、感 謝 の ミ
へと歩みを進
ルの高槻教会
方が避難生活をされてい
れ、今なお、 万人以上の
起 こ り、尊 い 人 命 が 奪 わ
年間には東日本大震災が
さ る 」 神 を 感 じ な が ら、
「いつも共にいてくだ
てまいりました。
災者の皆さんと寄り添っ
こ の 巡 礼 を 終 え た こ と、
参加延べ人数8
たどり着くことができま
が3月をもって閉鎖する
聖母訪問会時津修道院
は、独立の前年、 年6月
時津教会・ 年の奉仕に感謝 な 修 道 院 と し
て誕生したの
アットホーム
堂のすぐ脇に
カトリック研究部
大阪明星学園
同志に感謝。神に感謝。
お 祈 り を 捧 げ、カ ト リ ッ
ま し た。 あ れ か ら 8 年、 ま す。 巡 礼 中、毎 回 皆 で
東 京 暁 星 関 係 者 )・ 大 阪
教 区 信 徒 の 皆 さ ん は、総
歩行距離約900kmを
歩き通し、3月 日(土)
ついに長崎・西坂の丘に
した
翌
は、日 本 の 信 徒 発
ty Campと
One Fif
タッフも、
皆さんのよき理解者、
よ
な く、年 の 近 い わ た し た ち 青 年 ス
計画しました。また同年代だけで
と が で き る よ う、こ の キ ャ ン プ を
教会に「自分の居場所」を持つこ
締 切 6月
定
77 長崎市小瀬戸町 )
申込先 木鉢教会(〒850‐00
日 は、聖 母 訪 問 会
◆日本カトリック神学院
た者は左記の通り。
こ と も あ り、こ れ か ら の
哲学科1年
創立100周年を迎えた
聖母訪問会のご発展とご
健勝をお祈り申し上げま
現代の信徒発見
日㈮~8月2日㈰
西田祐尚 (飽ノ浦)
◆福岡コレジオ
す。私たちを神様への信
仰と祝福に導いてくださ
大学1年
日㈰
人(*定員で締切)
申込用紙は各教会にて
信
援 教区青少年委員会
委員会
企画中高生キャンプ実行
催 信徒発見150周年記念
nagasaki.youth.mail
@gmail.com
問合先 代表・宮川広樹
主
後
短
〈名古屋教区〉
日、野 村 純 一 司 教 の
教皇フランシスコは3
定年による教区長辞任に
月
伴 い、名 古 屋 教 区 の 新 し
(城 山)
◆長崎カトリック神学院
窄口 歩
中学1年
した。着座式は6月 日
岩永魁世 (神ノ島) い 司 教 と し て、松 浦 悟 郎
武本寧央 (小ヶ倉) 司教(大阪大司教区補佐
(黒 島) 司教)を任命したと発表
鶴崎大鳳
◆お告げのマリア修道会
中学1年
時から布池教会で行わ
れる。松浦司教は195
久家優菜 (相 浦) 2年9月 日名古屋市生
窄口 泉 (城 山) まれ。 歳。 年3月
来年度から
カテキスタを
務める田川正
日 司 祭 叙 階、 年 7 月
日司教叙階。
ぶどう園
▼雲仙殉教祭
5月 日
し て 感 謝 を 述 べ、
「子ど
㈰、雲 仙 メ モ リ ア ル ホ ー
里子さんが修了者を代表
信仰養成講座修了式
池田裕輝 (植 松)
り、信徒一同、
心より感謝
申し上げます。
時津教会広報 諸口洋太
は 歳以下)
見150周年を記
き 相 談 相 手、よ き 友 と な る こ と が
7月
今 春、進 学 し た 長 崎 教
さかのぼること 年前
より独立しました。聖母
対 象 中学生~高校生(もしく
念して今年の夏に
間
すくするために冷暖房を
区神学生および教区内の
を 記 念 し て、日 本 二 十 六
の1979(昭和 )年
訪 問 会 時 津 修 道 院 が、聖
しかしそのときイエスの姿は見えなく
員
長崎教区の青年有
できたらと願っています。
―
しています。
期
テーマ CROSSING
★ ★ ★
中 高 生 の 皆 さ ん、参 加 を お 待 ち
志が主催する中高
生キャンプです。
わたしたち青年
は、信者として、ま
た生徒としていろ
ん な 思 い を 抱 い て い る 皆 さ ん が、
その思いを「なかま」と分かち合
い、見、聞き、
感じることによって、 場 所 聖母の騎士修道院・志願院
のことでした。 年の間、 ま る 公 教 要 理 の ご 指 導、
入 れ て、ミ サ の 準 備 を し
神学生・志願生のためにお祈りを
回、訪問教会 、日 (日)時津教会において、 の シ ス タ ー 方 は、私 た ち
てくださったことを思い
信徒がミサにあずかりや
信 徒 と 交 わ り、支 え て く
本部から派遣された 人
ださいました。特に心温
日
こ と を 受 け、 3 月
われました。米田ミチル
日、皆勤者(完歩者) 聖母訪問会感謝ミサが行
にも
2 1 人、巡 礼 回 数 は 偶 然
―
聖母訪問会感謝ミサ
家族・姉妹校(長崎海星、 度となく被災地を訪れ被
役生・OB・学校関係者・ ク 研 究 部 員 も こ の 間、何
明星カトリック研究部現
団長(学校長)をはじめ、 犠牲者・被災者のために
日本二十六聖人
巡礼の歩みを終えて
私たち大阪明星学園 カ
総長様(写真左)をお招
トリック研究部は創部
人(最高齢 歳)、最年
きしてシスター方へ感謝
周 年( 1 9 5 5 年 創 部 ) 数
。奇し
り も 喜 ば し い こ と は、ま
月に献堂された時津教
の受洗者が誕生したこと
神学校・志願院に入学し
く も 長 崎 で は、信 徒 発 見
少参加者4歳
をささげ、信徒一同、年の
ず全員が事故も病気もな
会 は、 年 に 滑 石 小 教 区
後、中 学 1 年 生 か ら
で し ょ う。 た だ、こ の 8
出します。
聖人が歩んだ道をでき る
黙 想 会 の 実 り に 合 わ せ、
―
だけ忠実に歩いてたど ろ
た記念すべき日の直後の
ることができました。
恩恵と祝福に一層あずか
う と 計 画 を 立 て ま し た。 150周年をお祝いされ
年 間 約 1 0 0 k m、約
ことでありました。
第1回は2007年 1
く今日まで歩んできたこ
巡 礼 を 終 え た 今、何 よ
年間での達成を目指し ま
月 6 日、京 都 の フ ラ ン シ
と、参 加 者 の 中 か ら 数 名
した。
歳
スコの家での派遣のミ サ
までの総勢 人は冷た い
な り、パ ン だ け が 残 り ま し た。 共 に 食 し
ル。
分
もたちにどのように向き
時 開 会、 時
合 え ば い い の か、と て も
ルラ キア氏(スタイルイノベーター)
雨 の 降 り そ そ ぐ 中、ゴ ー
しました。「みことば」であるイエスから
た パ ン は、最 後 の 晩 餐 の と き に 制 定 さ れ
カトリックセンター ホール
師
き、驚いたのです。
直接聖書のみことばの解説をうけたので
た御聖体を暗示しています。イエスは私
所
◦講
表しています。ヨハネはロゴスと言い表
「この二人も旅の途中で起こったことや、パ
夕刻になって旅人の家で共に食卓に着
すから、二人の心は燃えていたのです。
ミサ、 時巡礼。
◦場
18
30
不 安 で す が、中 濱 敬 司 神
父様がおっしゃられた
6月 28 日(日)13 時~ 14 時 30 分
失望から希望と喜 び へ
)
(ルカ ・
されたのです。パンをいただいた二人の
たちに食されるパンとなられたことを示
ンを手で分けたとき、イエスだと気づいた
次第を物語った。」 命のパンをめぐって、イエスの弟子たち
れます』という言葉に希
『子どもたちが育ててく
長崎中地区評議会 女性部
心は明るく、喜びに満たされて、
エルサレ
ム の 仲 間 た ち の 所 に、こ の こ と を 知 ら せ
望を持って謙虚に学びな
が ら、チ ャ レ ン ジ し て い
きたいと思います」と決
要理教師は次の通り。
意を語った。
グェン・ティ・ガー(け
無料
◦主
が短時間のうちに心 の 変 化 を 遂 げ て ゆ く 姿
議論しながら、二人の弟子がエマオとい
に行ったのです。復活されたイエスと出
会 い、心 が 一 つ に な っ た 二 人 の 弟 子 の 心
は、わ ず か 数 時 間 の う ち に 大 き な 変 化 を
3月 日
(日)
カトリッ
がれなき聖母の騎士聖
遂 げ た の で す。 二 人 の 心 は、失 望 か ら 希
クセンターにおいて、2
フランシスコ修道女会)
、
御 聖 体の秘 跡 を 思 う と き、神の 計 らい
014年度信仰養成講座
望と喜びへと変化していました。
修 了 式 が 行 わ れ、髙 見 三
定価 3,000 円
(税抜)
日本語字幕版 DVD
◦参加費
が聖書に描かれてい ま す 。
う村に向かって歩い て い ま し た 。 エ ル サ レ
ムでの出来事のことで二人の心は暗く、恐
れと失望の気持ちに包まれていた時に、復
活したイエスが近づいてきて、聖書のみこ
とばを説明してくだ さ っ た の で す 。 と こ ろ
がその方がイエスであると気がつきませ
ら れ た「 み こ と ば 」 は 人 と な り、さ ら に
に、二 人 の 弟 子 は イ エ ス で あ る と 気 が つ
ん。 彼 ら の 目 は さ え ぎ ら れ て い た の で す。 き、イ エ ス が パ ン を 裂 い て 与 え ら れ た 時
の不思議を感ぜずにおれません。神であ
ヨハネが福音書の冒 頭 で 「 み こ と ば は 人 と
永遠の命の糧である「パン」にまでなっ
清水恵子、
田川正里子、
泊
きました。旅の道中ずっと一緒に対話し
京子、
橋本昭美(以上、
八
て い た の に、初 め て 復 活 さ れ た イ エ ス
明大司教から6人の修了
なった」と述べてい ま す 。 勿 論 こ の 「 み こ
者に要理教師2級資格証
とば」は私たちが話 す 「 言 葉 」 と い う 意 味
幡町教会)
、
松﨑由美(愛
・ て、私たちと一つになろうとされたことは
宕教会)
。
時
に参加しませんか
書が授与された(教区生
涯養成委員会主催)
。
◦日
One Fifty Camp
神のへりくだりであり、
神の愛の業です。
さを外見に美しく映し出しましょう。
20
キリストであることを認識することがで
分野に転職しました。私たちの信仰の素晴らし
31
中高生の皆さん
23
86
13
17 21
17
30
FAX 095 - 842 - 4460
TEL 095 - 842 - 4450
26
ではなく、イエスが人間になる前の存在を
(本原教会)
99 81
13
申し込みは所属小教区へ。問い合わせは
教区本部事務局(松尾)まで。
81
江夏国彦神父
28
⃝ 8 月 20 日㈭~ 26 日㈬ ( 7 /29 締切)
10
みことばにふれて 117
62
34
35
22
54 36
46
10
21
⃝ 6 月 11 日㈭~ 17 日㈬ ( 5 /27 締切) 15 13
⃝ 7 月 9 日㈭~ 15 日㈬ ( 6 /17 締切)
26
35 80
21
81
35
29
50
10
73
13
カリタス大槌ベースボランティア募集
24
石
碑
文字彫刻
墓地工事
リフォーム
墓地分譲
催
15
34
2015年(平成27年)
5 月1日(毎月1日発行)(6)
カトリック教報
1028 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
講演会「信仰生活とおしゃれ」
するものだといわれています。大切なのはその
「人は見た目が9割」
。人は外見で他人を判断
人自身の中身のはずですが、
人の考え方や心の状
態は外見に表れます。
ことが大切であることに気づき、
ファッションの
銀行員だったルラさんは、
信仰を外見にも表す