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日本カトリック界に“恵みの風”188殉教者の列福式に3万人集う

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22
も交わされた。
日
日は朝早くホテルを出発、原爆落
下中心地に向かい献花した後、列福式会場へ。
髙見大司教らが同行した。
が除幕式に出席、祝別し
日教皇代理
称﹁拷問石﹂が浦上教会
朝、長崎空港から帰京された。教皇代理の巡礼には
25
ら聖歌で迎えられ花束が贈呈された。会場の茶席で
は茶道家のお点前で一服いただかれた。
ササライバ枢機卿
雲仙殉教地など巡る
24
月 日夕、来崎の教皇代理サライバ枢機卿は、
聖人記念館では殉教画の鑑賞。記念聖堂では前
大司教館での歓迎レセプションに臨み、小神学生か
夜祭の祈りの集いに出席していた青年たちとの会話
喜びに満ち溢れ、感動的な素晴らしい式でした。私たちが長い間祈
り求め続けてきたこの日を、このように多くの方々とともに迎えるこ
とができ、大変感激です。この恵みを与えてくださった神さまと、ご
(大分・坂ノ市 荻本久美)
準備頂いた皆さまに感謝。
雲仙殉教地で
この列福式を通して、いのちはささげるためにあるとの力強いメッ
セージが教会と社会に与えられたように思います。困難の中に生きる
多くの人に、この希望の知らせが届いてほしいと願いつつ祈りをささ
(福岡サン・スルピス大神学院 神学生 中野健一郎)
げました。
午前6時∼
激しい弾圧と拷問の壮絶
な歴史を伝える。また迫
害の中、信仰と人間とし
て大切なものを守るた
め、家族が寄り添いなが
ら強い絆で結ばれた生き
ざまや心を現代の人々に
訴 え て い く。︵ 月 号 掲
載の放送日程変更︶
の結果は15 87 年∼
人の遺骨と分か
の天主堂﹂
﹁九州の古城と
者として知られていた。
遭った徳島県 出身・結城
殉教者を慕う人の多いのと、荘厳な儀式に感動しました。殉教者に
は子供の列福者もおり、現代の私たちは今日の学びからどのような歩
みをと考えさせられた1日でした。父(未受洗)母と3人で参列でき
(横浜・大学生 花田香織)
たのも喜びです。
語、イタリア語、ラテン語、 ︱、神父は 年当時の白
フランス語、ポルト ガル
は信徒だけでなく県民に
とめている。神父の帰天
教地を巡り1冊の本にま
が選んだ4人の正使らを教
殉教者が証しし伝えてくれた信仰を受け継ぎ伝えるために、召命を
受けた私が彼らに倣い、弱さに負けず最後まで召命を全うして、証し
人として成長できるよう、福者に助けを願いながら過ごしたい。
(お告げのマリア修道会志願者 向井春菜)
に 派 遣 さ れ、 現 地 調 査
63
わりを持つ。体調を崩し
帰国、高齢会員たちの介
護に携わっていた。
葬儀ミサ・告別式は4
日、
本部修道院で行った。
賀をこよなく愛し、明る
命をかけて「いのち」に生きた、188 殉教者の荘厳、盛大な列福式
に参列できたお恵みを神に感謝し、殉教者たちの堅固な信仰に励まさ
れて、残された余生を一歩一歩確実に歩んでいけるよう願っています。
(大明寺 石橋勇治)
ささげ、後輩たちに生き
た信仰を伝えた。
葬儀・告別式は5日福
江教会で行われた。
神学生養成のために香
典返しに代えてご芳志を
らお祈り申し上げます。
に故人のごめい福を心か
告を申し上げますととも
条︶ 賜りました。お礼とご報
故エリザベト山本ナミ様
江口克彦様︵出津︶
故洗礼者ヨハネ西田金悟様
西田百合子様
︵飽の浦︶
長崎カトリック神学院
香典返し
お礼とご報告
長崎カトリック神学院
告を申し上げます。
右の方々からご寄付を
賜りました。お礼とご報
匿名様
齊藤玲子様︵札幌北
寄
付
晩年は病苦を、先祖の
創立期の久賀修道院に
入会。農作業、保育所調 殉教者の奉献に合わせて
く誠実な働きで周囲に喜
どを久賀で過ごした。久
スタとして生涯のほとん
理、司祭館奉仕、カテキ
マリア
中村スミ修道女
︵お告げのマリア
修道会︶
ばれた。
67
月3日、五島市聖マ
リア病院で帰天。 歳。
数。
﹁ 長 崎への 道 ﹂
﹁長崎
ペトロ岐部と 187 殉教者の列福式に参加して、殉教者の偉大さ、素
晴らしさをあらためて感じました。殉教者が命をかけて守り通した信
仰を胸に抱き、その信念を目指し、恐れずに歩んでいきたいです。
(長崎カトリック神学院 神学生 窄口聖吾)
日系ブラジル人とのかか
皇庁に案 内、教皇ヨハネ・ 帰天、 歳、平戸市出身。 日本語学校・診療所など、
25
11
パウロ2世との謁見にも一
年 初 誓 願、 年 終
役買う。
前年の 年2月は、 生 誓 願。 学 校、 福 祉 施
教皇の案内役も務めた。
西坂の殉教地を訪ねられた
81
聖人記念館館長に就
年日本国籍を取得し、パ
チェコ・ディエゴから結
城了悟へ改名した。
78
年、天正少年使節派
が参列、別れを惜しんだ。
︵
長
崎純心聖母会︶ の要請を受け海外宣教開
遣事業の一環として長崎県
月1日脳内出血のた 始に当たり最初の派遣メ
め、長崎大学付属病院で ンバー。 年間、託児所・
1980年ブラジルから
設 で 栄 養 士 と し て 奉 仕。
も惜しまれている。
日本語の7カ国語を操る。 柳大司教の依頼でマカオ
たっては、資料発掘に殉
188人の列福申請にあ
骨 の 里 帰 り が 実 現 し た。
への寄稿、テレビ出演など、 り、 3 8 1 年 ぶ り に 遺
本人
1614年に殉教した日
を選んだという。母国語
れていたことから﹁結城﹂ キリシタン史研究の第一人
の霊名がディオゴと呼ば
キリシタン﹂
﹁新資料 天
了雪神父︵イエズス会員︶ 正少年使 節﹂など。新聞
ディエゴ結城了悟神父帰天
︵日本 聖人記念館前館長︶
月 日 午 後8 時
分、入院先の聖フランシス
日
歳。通
コ病院で、悪性リンパ腫の
夜は
時から同教
59
26
月の列福式で公開さ
時 中 町 教 会、 ス ペ イ ン 語 の ほ か 英 語、
れた殉教者の遺骨の一部
ため帰天した。
日
86
会で髙見三明大司教主司
葬儀は
13
式で行 われ、約600人
91
マリア・カルロ
松永リツ子修道女
在りし日の
結城師
19
37
63
11
17
19
略歴 1948年来
日。 年司祭叙階。 年
82
11
18
54
任、2004年退く。
26
執筆活動︱、単行本は
神 父 は、 禁 教 令 の 中、
信徒を育て穴吊りの刑に 日本語、スペイン語など多
︿BSフジ﹀ 月 日
︵日︶
午後7時∼
︿KTN﹀ 月 日︵金︶
遠い日の家族たち
︵ 分︶
タイトル﹁絆﹂
KTN列福関連特別番組
26 聖人記念館
列福式と殉教地の紹介
︱、列福された殉教者の
若者との交流:26 聖人記念聖堂
77
93
11
つめたい雨がふってしんぱいしましたが、とてもすばらしいれっぷ
く式でした。ほうのうも参加できてうれしかったです。たくさんの人
に、じゅんきょうしゃも祝ふくされて、神さまもえがおになったと思
いました。今日のことはわすれません。 (島原・小学生 畑田萌絵)
浦上四番崩れの拷問石
教皇代理、除幕・祝別
原爆落下中心地
23
11
感動の中で、かつて巡礼した福者の各殉教地を思い巡らし、魂の永
遠の救いを信じて喜んで殉教した 188 福者は、その価値観を列福を通
して現代に示したと確信しました。同じ価値観を私も次世代に伝えた
(福岡・高宮 青木喜代子)
い。
に贈られ、
54
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが死
ねば、多くの実を結ぶ」
。信仰を貫き死を賭して証しし、イエスの福
音を結実させた新福者に倣って、福音宣教の使命を果たしていきたい。
(新潟 齋藤 清)
た。
12
14
11
私は京都の大殉教に当初よりかかわる1人としてこの喜び・感激を
列福運動半ばにして天国に召された、高巣島吉さんら先輩に報告申し
上げます。そして殉教者の模範を私たちは力強く証しし次世代に引き
(京都・山科 天田 茂)
継がねばならないと実感しました。
浦上信徒の流刑地と
なった山口県荻市から通
12
殉教者が命をかけて証しした福音が、列福式で時空を超えて荘厳に
顕彰されました。今を生きる私たちも殉教者の信仰・希望・愛の模範
と祈りに支えられ、神の救いの業に協力する恵みに与(あずか)るこ
(城山 鹿山清人)
とができますように!
23
12
11
翌 日は浦上教会でのミサ後、殉教地・雲仙地獄
を巡り、殉教記念碑に献花、祈りをささげられた。
957 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
26
12 月1日(毎月1日発行) (4) 2008年(平成20 年)
よ き お と ず れ
第
ペトロ岐部と 187 殉教者について学び、祈り、巡礼をして列福式に
参加することができた。今後は、殉教者の精神を自分のものとして、
神への信頼のうちに、キリストを証ししていく生活が求められている
(熊本・健軍 久野 薫)
と思った。
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