九州工業大学学術機関リポジトリ Title Author(s) Issue Date URL ハンス ヘンニー ヤーンの悲劇「メデア」について : Die Götter sind nicht milde. 福田, 行之 1968-03-10T00:00:00Z http://hdl.handle.net/10228/3350 Rights Kyushu Institute of Technology Academic Repository 43 ハンスヘンニーヤーンの悲劇「メデア」について 福 田 行 之 Die G6tter sind nicht milde. 1 ハンス ヘンニー ヤーンは,1894年ハンブルク近郊のシュテリンゲンに造船技師の末子として生 れ,1959年ハンブルクで死んだ。作品は実科学校在学中の16才の頃から書きはじめたが,1920年クラ イスト賞を受けた「牧師エフライム マグヌス」以前の作晶は,すべて草稿のままにとどまった。そ れらの初期作品の多くは,キリストを主人公とするか,キリスト教のテーマを取り扱ったものであっ たが,この「牧師エフライム マグヌス」はキリスト教的世界観キリスト教的人間観との決定的な 離反を意味した。 1914年の第一次世界大戦の勃発に際して,19才の彼は兵役を拒否する決心をし,1915年夏友人で音楽 家のゴットリープ ハルムスと共にノルウエーに亡命する。「何度も何度もくり返していう:ただ財 産と血を犠牲にしてのみ,ただ財産と血を…」といったような戦時演説が彼の背筋を凍らせた。①19 18年に彼はドイツへ帰るが,このノルウェーの三年間は北方的人間としての彼の人間形成に重大な影 響を与えた。この三年間オルガンと建築に大きな関心を払う一方ドラマをいくっか書く。その一・っが 前述の「牧師エフライム マグヌス」である。この作品はS・Fischer書店の主幹であったオスカール レルケによって,当時ドイツ最高の文学賞であったクライスト賞を与えられたが,烈しい非難の嵐を まきおこし,以後ヤーンの生涯に大きな重圧となって彼を苫しめる。例えば文芸批評家Edgar Gross はこの作品をErotomanendramaと呼び②,文学史家Paul FechterはEine Preisfrageと題す る書評の中でクライスト賞をこのドラマに与えるのはクライストの名に対する冒濱だとして次のよう に云う。「これらのシーンの内容を描出するのは困難だ。それもそれらのシーンが奇怪であるからと いうのではなくて,それらが……非常に病的なので本来ただ精神病理学の用語を使ってしか述べるこ との出来ないような情緒的雰囲気を持っているからなのだ。」③S・Fischerはこれを私家限定版と するように彼に頼んだのであるが,彼はレルケやハイマンやカイザーの強いあと押しのためにこれを けり,公刊する。のち彼は次のように書く。「出版者のこの忠告に従っておればよかった1そうすれ ば私の生涯の仕事は,これほどの悪評と疑惑のために妨げられずに済んだであろう。」④このドラマ は1923年ベルリンでブレヒトとA.ブロンネンによって7時間の上演時間を2時間につづめて初演され たが一週間にもならないうちに警察によって禁止された。⑤次のクラィスト賞授賞者を決める際,ヤ ーンはクライスト財団の委託を受けてアンナゼーガースの「聖バルバラの漁師の暴動」を選ぷ。 ノルウェーから帰ったヤーンは,1920年親友のハルムスと共にGlaubensgemeinde Ugrinoを設立 する。この信仰会の会則は次のように云う。「信仰会ウグリノは宗教共同体であり・各人の生活態 度,生活形成,生涯の仕事に対する各人の最後の結果に至るまでの誠実さを呼び起すことと・感情の 明晰さと力を獲得するためにそのような誠実さへの意志が指向し得るような芸術作晶を創造すること を目的とする。」⑥この信仰共同体ウグリノは1925年消滅するが,事業の一環として設立された出版 部はUgrino Verlagとして続き楽譜出版を主に行い, V・斑beckやD・Buxtehude等のバッハ以 前の作品を刊行した。 1922年に続く数年,ヤーンはオルガン制作者として活躍する。すでにノルウェー時代に「巨大なパ ンの笛」としてのオルガンに彼は精通していた。彼の最大の功績はハンブルクのJakobi−Kircheの 44 一福 田 行 之一 Arp−Schnitger−Orgelσ)修復である。かってバッハが演奏し,そのオルガニストの地位を得ようと して失敗したこの由緒ある]7世紀のオルガンは,ヤーンの努力の結果消滅から免れた。1925年ヤーン はハルムスと共にオルガニスト大会を開いて成功し,それがドイツオルガン運動の発端をなしたので ある。 この年ヤーンの余りにもユートピァ的なGlaubensgemeinde Ugrino は,ヤーンの懸命の努力に も拘らず崩壊する。彼の夢は破れたが彼はそ0)敗北の中で,彼の本来の夢の故郷である古代の神々を 呼び起し「メデァ」を,ヴァルター ムシュクの言を借りれば「以後もはや何かを書くことはあるま いと確信して,彼のもっとも素晴しい青年時代のドラマ」⑦を書く。 1933年その創作活動を禁【hされ,ムシュクの招きでチューリッヒへ逃れ,ここに一年滞在し,1934 年3月家族を連れてデンマークのBornholm島に亡命する。ここで彼は農場Bondegaardを手に入 れ主として農業で生計を立てることになる。一・方馬を飼いホルモン研究に従事し,その成果を論文に して発表する。 1950年ヤーンはハンブルクへ拓fるが,Bornholm滞イ亡中に書かれたX大な日紀をもととして彼の畢 生の大作「岸なき河」が成立する。この作品は三部作で第一部は「木造船」と題され1949年に刊行さ れ,第二部「49才になったグスタフ ァニァス ホルンの手記」二巻は1949年から50年にかけて出版 された。第三部「エピローク」は完成せず未定稿として残ったが,ヤーンの死後ムシュクによって編 集され1961年刊行された。この作品は第三部も入れて全部で200ページ余もある大作で,文字通りヤ ーンのすべてを抱括する作品である。主人公グスタフ アニァス ホルンが音楽家であるところから トーマスマンの「ファウスト博士」に比べられたり,あるいはその構成,内容からジョイスの「ユリ シーズ」やムジールの「特性のない男」に比較する批評家もいる作品である。 ハンブルクに帰ってからのヤーンは,創作よりもむしろ政治的活動一平和運動や核軍備反対運動一 にエネルギーを奪われ・いい作品としては「鉛の夜」「トーマス チャッタートン」を書いたに過ぎな い。然しそれまでごく一一部のJah皿一Kennerを除いて殆んど無視されてきたヤーンの文学上の功績 は,戦後の文学の不毛の中でようやく見直されはじめ,1954年ニーダーザクセン文学賞を,1956年に はハンブルクのレッシング賞を受けた。ヴァルター ムシュクがその「トラークルからブレヒトへ」の 中で,又KDeschnerがその「Kitsch・Konvention und Kunst」の中で(このDeschnerの評論 は余りにもpolemischであるため一般の文芸批評家は余り高く評価していないが)ヤーンに多くの ページを割いて最大級の讃辞を呈したことが,最近の表現主義再評価の機運とあいまって,ヤーンを 改めて見なおす動きに大きな契機となった。特にムシュクの,それまで絶版となっていたヤーンの作 品の再刊行の功績は大きい。然しいまだにその評価は定まらずこれほど賛否両論の差のはげしい作家 は,ドイツ文学史上まれである。 2 岐初散文で書かれたヤーンの「メデァ」は(これは今日散侯して存在しない),1925年自由な短長 格の韻文に書き直され26年に刊行された。同年5月ベルリンの国立劇場で初演された。エウリピデス の「メデァ」は,ヤーンの他にグリルパルツァーとジャン ァヌイが酬案している。ヤーンのドラマに ついては,「リチャード三世の戴冠」を除いた彼の全ドラマを編集刊行したムシュクがその後書きの 中で次のように云っている。「これらのドラマを新しく刊行するのは,それらを再び舞台の上にのせ るためではない。これらのドラマは表現主義劇場の本質的な構成要素ではあるが,しかしいっもただ 問題とスキャンダルをしか呼び起さなかった。それ故それらは本質的に,ドィッ文学において非常に 高い伝統を有するあのvisionarなPhantasiedramaのジャンルに属する。」実際「メデァ」はベ ルリンでの初演の際,二三の批評家の好意ある批評にも拘らず憤激した観衆のために中止を余儀なく され,又二度目の1964年のヴィースバーデンでのh演の際にも,最後のシーンになって一部の観客は抗 一ハンス ヘンニー ヤーンの悲劇「メデァ」について一 45 議の叫びや口笛とともに席を立った。⑧ヤーンの他の戯曲についても事情は同じであり (否なお悪 く)その限りではPhantasiedramaだとする上記のムシュクの言は正しい。然したとえそうだとし ても散文におけるヤーンの傑作が「岸なき河」であり,ドラマにおけるそれが「メデァ」であること は明らかである。その最初の作晶から最後の作品に至るまで,マーンはモノマニアックに一貫して一一 つの主要テーマを追い続けた。それは肉的存在としての人間,「自然の一部」としての人間である。 それから死,腐敗,死体保存,動物愛,異性愛,同情,同性愛,Inzestといったテーマが派生,展 開する。これらのテーマは,表現主義という時代環境を無視しては語れないであろうが,それでもこ れらのテーマはヤーン独白の相貌を帯びて彼の作品に登場する。 有名な子殺しをテーマとするエウリピデスの「メデア」とヤーンの「メデア」は基本的には同じで あるが,エウリピデスの「メデア」においてはメデアー人が異常性を帯びているに過ぎないのに対し て,ヤーンの「メデア」では一人一人が異様に深淵的な肉の呪いを負って登場する。コルヒスはヤー ンにあっては黒海沿岸にはなく,アフリカにあるのであり,メデアはニグロである。即ちヤーゾンと いう,文化によって根源的な白然と切り離されたギリシャ人に対して,残忍非情な自然そのものを対置 する。その結果メデァとヤーゾンの二人の息子は混血児という宿命をになうのである。 次にエウリピデスと異なる点はヤーゾンとメデアの年令の相違である。コルヒスの巫女であったメ デアはその魔法で愛人に永遠の青春を与えるが,自分は神に仕える身で人間の男を愛したために老い るという人間の運命を免れない。青春の美に輝きとどまる所を知らない肉欲をもつヤーゾンと老醜の 黒人女メデァ。ヤーゾンがメデアを裏切るのは当然である。 (エウリピデスにはこの必然性がない。) 第三の主な相違点は,ヤーゾンがそのためにメデアを裏切った王女クロイザが長男の恋人であった点 である。それ故ヤーゾンはメデアのみならず,息子の信頼も裏切ることになる。エウリピデスでは息 子二人は何の関係もなしに罪なくして死ぬが,ヤーンにおいては息子も無罪ではない。こういったよ うな点でヤーンの「メデア」は,エウリピデスのそれと原型は同じ伝説を辿りながらも,ヤーン独自 の相貌をもちヤーン独白のテーマが随所に展開されるのである。以下ヤーンの「メデァ」の筋をたど りながらこの作品を分析する。 この作品は一幕物で舞台はコリントのヤーゾン館の広間ただ…っである。 ・ 最初に二人の息子が登場し,父が長子に贈った白い牝馬を話題にする。動物はヤーンの主要なテー マの一っである。動物は人間よりもはるかに自然に近く,むしろ自然の一部であり,肉的存在そのも のであるが故に,ヤーンは動物を一特に「もっとも高貴な動物」である馬を熱情的に愛する。 (この 点で彼は表現主義の画家,「青い騎士」のフランツ マルクを想い出させる。)この牝馬の次のような 描写に注意したい。それは兄ののったこの牝馬と王女クロイザののる牡馬との荒々しい構合の伏線で もある。それは「雪のように,肥った牝牛の乳のように,子牛がくわえる乳房のように優しく,牝牛 たちの鼻孔の蒸気のように暖い」白い馬なのである。このシーンで示されるのは,ヤーゾンが一人前 の男になりつつある兄を愛し,この牝馬を弟が欲しがって頼んだのにも拘らず兄の方に与えたこと, そのために弟が兄を嫉妬し兄の愛を求めて兄に迫ること,兄は弟に「眠らずに曝きをかわす上一一夜を 約束することである。兄は自分のためにも一頭の馬を与えてくれるように父に頼もうとして,父を探 して退場する。弟は父にも兄にも愛されない苦しみに「血が僕の[から流れるけれども僕はそれを見 せない」と云って退場。 次はヤーゾーンとメデアの場面である。メデアは「15日の間あなたは私を求めない」といってヤー ゾンをなじる。ヤーゾンは口実をもうけてその非難を逃れようとするが,メデアはなお烈しく迫り子 供達の死を暗示して云う。「もしあなたが私を愛さず,子供達だけを愛するのなら,もし了・供達の早 過ぎる死を望まないなら,私のことを考えてほしい。」ヤーゾンの愛を受けない苦しみにとり乱したメ デアの言葉にヤーゾンは憐みから(Du dauerst mich)云う。「今夜私を待つがいい。」メデアは狂 46 一福田行之一 喜して退場。ここで兄の愛を得られない弟の苦しみと,ヤーゾンの愛を得られないメデアの苦悩が二 重写しになる。そのどちらも「一夜の約束」によって一まず解決し,ヤーゾンの館の中に黒くわだか まっていた不吉な影はすべて吹き払われたかのように見える。 次はヤーゾンと長子のシーンである。興奮して長子が登場する。父の問いに答えて彼は云う。「僕 はエロスの矢に傷ついた。」父を探すために彼は例の白い牝馬にのって出かけるが,途中同じように 白い牡馬にのった若い女「笑いで一杯のアマゾン族の女」に出会う。彼女の牡馬は彼の牝馬に向って 突進する。彼は彼女に制止するよう合図するが,彼女はかえってけしかけるように鞭をあてる。両者 をのせたまま,この二頭の馬は「Das Unausweichliche」をなしとげる。彼は「牡馬からの微笑を見, 女は馬の首に顔を寄せ接吻する。」彼はこの一連の出来事に完全に圧倒されて,「口を固く結んでた だ泣くばかり」であったが「突然誰かが僕に触れるのを感じた。彼女が僕の前に立っていた。女と馬 と青春の匂い。熱情が燃え上り僕は彼女の牡馬の例にならいたいとさえ思った。一父上,僕は人間が 変ってあなたの前に立っています。僕はあの素晴しい女を熱望する。」それに対してヤーゾンは一応 反対するが,その当の娘がクレオン王の最愛の娘であることを知って意見を酬えす。「そのような結 婚にはいろいろな利益があることだろう。」そして息子の代理として結婚申し込みをするために王宮 へ赴く。兄はこの出来事が弟への決定的な背信を意味することを痛いほど知っている。「もし弟が僕 の運命を知ったら何というだろう?」それに対して師傳は答える。「ただ泣くだけです。」 次は母と長子の場面である。メデアにとってこの結婚は「最大の幸福」である。メデアは云う。「 お前は七才の時から私の保護の手を離れ……父と男達の方へ魅かれていった。私がのちに苦しい出産 の果実をお前の美しさからつみとろうとした試みは失敗し,お前の中に私に対する反感を生み出し た。」彼女の熱い願望の最後の逃場所として残ったのは,「定めの通り,私がお前とお前の花嫁のた めに蟻燭を捧げもつであろう一一夜だけ」なのである。ここにおいて母と長子の間の疎遠な関係は氷解 し,母は息子を祝福し息子は母に感謝する。 次にクレオン王の使者が登場し,このドラマのHandlun9に決定的な破局への転機を与える出来 事を報告する。即ち息子の代理として王宮に赴いたヤーゾンは,自身クロィザに対する情熱のとりこ になり息子のことは忘れてクロィザに求婚するのである。王女と王はそれを喜び承諾する。何故なら ヤーゾンのメデアとの結婚は,メデァが野蛮な黒人女であってギリシャ人ではない故に,彼等にとって は何の障害にもならないし,ヤーゾンはアルゴー号の英雄であるからである。吉報を期待していたメデ アと長子に,使者は同情の念から,事実をそのまま伝えず暗示的に報告する。メデアと長子がそれでも なかなか事態を理解しないので ついにありのままを知らせると,メデアは驚愕するがそれでも使者 のいうことを信ずることが出来ず,使者が自分を侮辱しているものと考え証明を求める。それに対して 使者は答える。彼の口は王の命じたことを伝えるだけだから 彼自身のものではない。それ故その1」 を切り刻んだところで,代用品なのであるから何にもならない。「然し私のものであるこの私の眼は, クレオン王が混迷した命令を与えたのではないことを証明します。私はヤーゾンの烈しいふるまい, 有頂天になって胱惚としたまなざしを,いやそれどころか王女が彼に口づけし彼を抱くのを見たので す。」予感はしつつもメデアはまだそれでも信じ得ず,その眼を嘘をついたものとして,それ故有罪 のものとしてえぐり取らせる。そしてもし万…その知らせが本当なら,そのえぐり取った眼を夫の裏 切りの証拠として高くかかげようというのである。使者は叫ぶ。「神々は残酷だ。あ、1」メデアも 叫ぶ。「神々は残酷だ。あS1」長子も同じ叫びを叫ぶ。次に王クレオンが登場する。クレオンが来 たことによって,ヤーゾンがメデアと長子を裏切ったことが動かし難い事実として最後的に明らかと なる。クレオンは,メデアが彼の使者の眼をえぐらせたことを責め,メデァは彼がヤーゾンの求婚を承 諾したことを詰問する。クレオンは答える。「わしは決して,わしの最愛の娘を半黒人に与えること に同意はしなかったろう。」長子はクレオンに飛びかかろうとするが,師博にとめられ気を失って倒 一ハンス ヘンニー ヤーンの悲劇「メデア」について一 47 れる。クレオンは次のように云って退場する。「今ようやくわしは,ヤーゾンのやったことを完全に 理解する。彼は人間に憧れたのだ。けもの達の前から逃げたのだ。何といっても彼はギリシャ人で, アフリカ人ではないのだからな。」 次に使者が再び現れ,メデァと二人の子供に対するクレオン王の追放の命令を伝える。この命令に ヤーゾンの意志が含まれていることを知ったメデアは,召使達に王宮の前に行って拍子をとって「ヤ ーゾン来い」と叫ぱせ,ヤーゾンにメデァの所まで来ることを余儀なくさせる。 次は兄と弟の場面である。兄は王女のことで弟を裏切ったことは云わず,ただ白分の内心の苫しみ を訴える。もし苦しみの余り,自分がお前を殺したらお前はどうするのという問いに弟は答える。「 もし兄さんが僕を愛してさえくれるのなら,兄さんは僕を殺してもいい。」(後の兄の弟に対する Lustmordの場面で最高潮に達するこの兄と弟との間0)関係は,ヤーンの主要なテーマであるZwi11・ ingsbmderschaft の関係である。ヤーンはこの Zwillingsbmderschaftの根元を,バビロンの Gilgamesch−Erosに求める。ヤーンにとってこの神話が意味するものは,肉的存在としての人間の 死に対する恐怖,死に対する抵抗,その抵抗にも拘らず恐るべき絶対者として人間の上に君臨する死 である。ヤーンは云う。「ギルガメッシュ叙事詩の中では,たとえその人間が3分の2神でありただ 3分の1だけしか人間ではないとしても,死ぬというあらゆる生物の運命が彼において成就せざるを 得ないという呪いが語られている。」⑨英雄ギルガメッシュはその死んだ親友Engiduのために,大 洋の底におりて不死の草を摘むが,然しそのあと水浴するために池の中へ入った時,その草を蛇に食 われてしまう。結局残ったのはnacktes Leben,無抵抗に死に委ねられた肉体なのである。自然はヤ ーンにとって食いつ食われつの世界,何の容赦もない残酷な弱肉強食の世界である。そのような酷薄 な自然から逃れる唯一の道は,腐敗に予定された肉体が他の同じような肉体に対しく抱く1司情だけで ある。同情だけは弱肉強食とは無縁であり自然の範晴に属さない。異性に対する恋愛はヤーンにとっ ていまだなお自然に属するのある。それ故ヤーンにおいては同情は男の間に,あるいは男と動物の間 にのみ成立するものとして描かれる。ヤーンの主要なテーマであるZwillingsbrUderschaft はこの ような点でHOmOSeXUalitatとつなが1),その背景には上記のようなヤーンの世界観がある。) 次にヤーゾンが登場する。彼は息子から王女を奪って破局を招き寄せたのであるが,それも彼自身 の恣意によるものではない。彼をしてそうさせたのは,彼の内部にくすぶる本能的性衝動なのであ る。ヤーゾンは金羊毛皮によってではなく(「羊毛皮の伝説は嘘偽であった。」),メデァの魔力に よって永遠に若い「ギリシャでもっとも美しい青年」であり続ける。ヤーゾンは云う。「私の裏切り の原因は,お前が軽率にも私に与えた若さだ。お前が若い肉体の中で余りにも高めすぎた情熱だ。」 彼はメデァに訴える。「私の齢を返してくれ!私から官能の欲望の過度をとり除いてくれ。」然しメ デァにはすでにその魔力は失なわれている。この絶望的な状況の中でメデアはヤーゾンに,自分を取 るか王女を取るかの二者択一を迫る。「地獄の灰色の夜の幽霊」のようなメデアと,「匂う女」であ るクロイザのどちらかを選べというメデアのこの要求は,客観的に見た場合ただ倫理的な面で説得的 であるに過ぎないのに,メデアの行動は昔も今も道徳とは全く別の次元一本能の次元でしか行われた ことはないのである。それ故ヤーゾンは次のように云い,破婚を宣言する。「女よ,私より道徳的 ではお前はない。われわれは別れよう。」然しメデアはなおも,彼女のヤーゾンへの愛がどのような ものであったかを述べたてる。コルヒスの神殿の巫女であったメデアは永遠の若さを持ち,愛するこ とは許されないが自分を浪費することは出来て楽しい生活を送っていた。ただ彼女はひそかに,「ヘ リォスの子孫,神々のもっとも美しい後嗣」である弟を愛していた。然しアルゴー号に乗った異国 人ヤーゾンを見た時,彼女は彼に,人間の男に恋する。そして金羊毛皮を奪ったヤーゾンと共に,彼 女はギリシャの船隊にのって祖国を去るが,その際ヤーゾンの逃走を助けるために彼女は弟を一緒に 連れ出す。彼女の父であるコルヒスの王が彼等を追跡した時,彼女は最愛の弟の肉体を切り刻んで海 48 一福田行之一 へ捨てる。父王が何日もかかってそれらを船に捨いあげる間をぬって,メデアとヤーゾンは父の追跡 を逃れたのである。メデアは云う。「このコルヒスの女の愛を,ギリシャ人の愛とくらべてみるがい い!」それに対するヤーゾンの「私は人殺しではない。お前こそが人殺しだ」という答えに対して, メデアは云い返す。「彼は彼の行為がなまぬるいものであった(彼はメデァのこの無残な行為をただ 傍観していた)というだけのことで正しいことをしたと思っている。そして私は愛し,殺し,裏切った が故に罪人なのだ。」(ヤーゾンは成程一面では尽きない性衝動をもったデーモンであるが,さきのク レオン王の言葉にもあるように,一面では文化の中の人間であり,メデアに対する裏切りは野蛮な本能 の世界から逃れようとする企てでもある。いわば彼は文化と深淵的な自然との間に引き裂かれた存在 であると云えよう。)メデアの弟は「神々のもっとも美しい後嗣」であったが故にメデアは叫ぶ。「ヘリオ スの孫娘がヤーゾンのためにしたことを知ってもらうためには,一体どこから私の弟の姿をかりれば いいのか?」その時登場した長子を見て,メデァはヤーゾンに向っては,むしろ云わない方がよかった こと(何故なら文明人ヤーゾンにとって社会的道徳は,もっとも重要なものの一つであるから)を云う。 「彼(長子)をごらん。弟にわが子は似ている。もう分らない,この初子を私はヤーゾンから受け取 ったのだろうか?」このメデァの言葉によって,ヤーゾンはあらゆる程桔から解放される。そして彼 はクロィザのもとへ去る。(ここで述べられるメデアとその弟のInzestは,ヤーンの主要テーマの一 つである。ヤーンは云う。「人は何ものにもまして,自己の消滅に対して反抗してきた。」この自己の 消滅を妨げ,自己を再びその子において再生させるのがヤーンのInzestである。 Inzestによる自己 の再生は「最高の,それ故神的に考えられた同種交配のシンボル」⑩である。エヂプトのIsis−Osiris の神話の意味する秘密はここにあると彼は考える。) メデァは例の盲いた使者を呼び,見せかけの屈服を装って追放の一日だけの延長と追放後の落ち行 く先の保証を懇願させ,そのために指輪と黄金の花嫁衣裳を贈りものとして差し出すよう命令する。 次にメデアは乳母に子供達がどこにいるか尋ねる。彼等がメデアの祈薦室に入りこんで閂をかけて いることを知ったメデァは,卜書きによれば「人が変って」その扉に外側からも閂をかけるように命 ずる。 盲目の使者が再び登場し,クレオンとクロイザが贈物を受けとったことを報告する。メデアは不気 味に言葉少く退場する。ヤーゾンが駆けこんで来てメデアを呼ぶ。メデアが現れる。彼女はすでに何 が起ったかを知っている。 ヤーゾンは云う。「これはしたり,お前はこの出来事の詳細を知っているのだな。それではその最 後を聞くがいい。」黄金の花嫁衣裳を着たクロイザは,ヤーゾンの目前で突然ロ申き苦しみ,様子が変 り,灰色に色あせ,くさいにおいを発し,肥った蛆で一ぱいになり,濡れ又乾き,骨は身体を離れ, かさぶたでおおわれた両眼は落ち,腹と胸はふくれあがり裂けて膿となり,この若い女は汚物と化し たのである。 (エウリピデスの場合のように華麗な炎はここにはない。ここにあるのはボッシュある いはクービンの絵を髪髭とさせるような情景である。もっとも美しい肉のもっともグロテスクな末路 である。ヤーゾンは腐肉と化したクロイザから目を背けるのであるが,文化人としてのその繊細な感覚 をメデァは非難する。「この変り果てた女に接吻することが出来たなら,この女はヤーゾンの若い両 腕の中で再び若返ったことだろう。」)クレオンの方は例の指輪が手からはね飛び,大きくなり床か ら飛び上って王の頭をしめつけ,首と胸と腹をしめて王の身体を二つにする。ヤーゾンはこのメデア のもたらした苦しみを耐えることが,出来ず殺せと叫ぶが,メデアは更に大きな苦悩を彼に用意して いるのである。 乳母がとり乱して登場し二人の息子の死を知らせる。ヤーゾンは泣きながら床にくずれおれる。メ デアは二つのすき通った真珠のような涙を流しながら微笑む。そして祈薦室へ急こうとするヤーゾン を微笑を浮べながら悪意をもってさえぎる。そして恐ろしい予感におののく乳母に向って云う。「さ 一一 nンス ヘンニー ヤーンの悲劇「メデア」について一 49 あ,私を責めて叫ぶがいい。:子殺しの女と1その通りなのだから。」ヤーゾンに復讐するためにご 人の子供を殺す計画を抱いてメデアが祈薦室へ入った時,メデアが見たのは次のような光景であっ た。「孤独な捨てられた若者は弟を見出し,彼を抱き,半ばは欲情をもって,それ以上に死のうとし て,愛慕しつつ,永遠に悪意をもつまいと決心しているこの唯一の生きものを抱きしめていた。二人 が何も分らず床の上を泣きながら喘ぎながら,重なってころげまわっているのを私は見た。それは結 婚のようであり,ずっと前から予定されていた破滅のようでもあった。そして強い者の両手に殺意が あった。その手は,絶望して弱い者の首に爪を立てた。快楽なのか死の陣きなのか,もはや分らなかっ た。」(長子の結婚式の夜に蟻燭をかかげて見まもりたいといったメデアの願いが,ここに代用的に充 される。)その時メデァは「わが子の背に尖った剣を突き刺した。それは柔かい腹につき入り更に進 んだ。第二の背にそれは移りそこでとまろうとした。然しメデアの拳は無理にそれを更に押しこの素 晴しい二人を釘づけにした。殆んど伸きもせずに二人は横にくずおれた。そして私を見て微笑んだ。 私の血は3胱惚とあれ狂ってどくどくと音を立てた。私の眼は私の肉体の生んだ果実を見たのだ。私 の眼から涙がほとばしり出なかったら,私は踊りまわったことだろう。」 (ここに見られるのは,こ れもヤーンに特徴的なテーマ,Lustmordのテーマである。この場合それは二重になっている。即ち 兄の弟に対するものと,メデァの二人の子に対するものである。殺人者が殺人を犯す瞬間にはっねに 快楽があると云ったのはニーチエであるが,ヤーンにおけるLustmordの特徴は,殺される側につ ねに殺すものへの愛と信頼があるということである。「メデア」において弟は兄に愛してさえくれる のなら殺してもいいと云う。ヤーンのLustmordにおいて殺されるものは,つねに殺すものの内部 で生きようと,殺すものの内部で再生しようと願う。この再生という点でこのテーマは,前に述べた Inzestのテーマと共通するのである。ヤーゾンに対する単なる憎しみや単なる復讐のために,どうし て最愛の子を殺さねばならないのかというエウリピデス以来の難問は,ヤーンがここに彼独自の世界 観にいうどられたLustmordの契機を導入したことによってようやくその解明を得たと云えるかも 知れない。) ヤーゾンの苦しみは,メデアが復讐の的を正しく射たことを示す。ただ一目だけでも子供達の死体を 見たいというヤーゾンの願いを拒否してメデアは云う。「それではとうとう情欲ではなくて愛が勝っ たのだ。これより大きな勝利があり得るだろうか?」メデアは二人の息子のじゅうたんでおおわれた 死体を引きつってくる。メデァは,そのじゅうたんをとるようにというヤーゾンの最後の頼みも拒否 し,死者の墓をどこにするかも教えない。メデァは館も,その中の召使いたちをも深い海底に沈める 魔法の言葉を発して,例の白馬にひかせた馬車に乗って子供達のなきがらともども舞台を去る。舞台 は溶暗し,召使いたちの悲嘆の声が雷鳴の中でどよめき,そして全く静かになって幕がおりる。 1929年に発表された,「メデァ」に対する言及の中でヤーンは云う。「私はあえて普遍的なひそか な願いを解き放ち,内心の思いを行動として表現した。私は私の全生涯において〃正常な人間やには かって出会ったことはない。」⑪「メデァ」においては主要登場人物のすべてが,暗い本能的欲情的 衝動にとりつかれている。ヤーンはこのドラマにおいて誰が責めらるべきかという道徳的判決は下さ ない。すべての登場人物が一一面においてみな有罪であり,まさにそれ故にみな無罪なのである。責め らるべきなのは,すべての登場人物を支配している肉的衝動一Libido一なのである。 このドラマにおいて破局に至る決定的動因をなすのは,ヤーゾンのメデアに対する裏切りであるが, ヤーゾンを永遠に年を取らない動物的なFaunにしたのは当のメデァであり,彼にメデァを捨てさせ クロイザを選ばせたのは彼の内部のこの動機なのである。ヤーンは,戦後新聞記者とのインタヴュー で,サルトルとの違いを聞かれて,サルトルには意志の自由があるが自分にはないと答えている。ヤ ーンにとって,人間は徹頭徹尾,肉にとらわれた存在であり,キリスト教的意思の自由は絵空事に過ぎ ない。自由のないところに責任は生じ得ないのである。このドラマにおいて,メデアのリビドーはヤ 50 . 一福 田 行 之一 一ゾンへ,ヤーゾンのそれは王女へと向うのと平行して弟のそれは兄へ,そして兄のそれは王女へと 向う。弟と兄の間のZwillingsbrUderschaftの関係は,メデアとその弟とのInzestと平行し,兄 の弟に対するLustmordは,メデアのLustmordと重なっている。この肉のOrgieをヤーンは無 条件に肯定する。彼は「存在をそれ自体として肯定」する。彼は「犯罪のローマ的キリスト教的定義 には何の理解も持たない。」⑫すべての殺人の瞬間には快楽があると云ったのはニーチエであるが⑬ ヤーンにとってキリスト教的ヒューマニズムは無縁である。LustmordもInzestもHomosexualitat も彼にとっては断罪さるべきものではない。「自然の一部」であること,存在それ自体の弁護が彼に とって重要なのであり,肉体と魂と精神の間に深刻な乖離をもたらす西欧文明こそが断罪されなけれ ばならない。ヤーンの自然はなるほど恐るべきものであり,どんな意味においても救いのなのものであ る。救われることは妄想に過ぎない。然しヤーンはこの残酷な自然を決して糊塗しようとはしない。 キリスト教文明はこの「白然」を糊塗する試みであったが,それは反って破局をもたらすものと彼は ’考える。彼にとって二度の大戦と核戦争の脅威はこのような文明の当然の帰結であり,彼の晩年の積 極的な平和運動はこのような動機にもとずくものであった。メデアは云う。「彼(ヤーゾン)は彼の 行為がなまぬるいものであったが故に,正しいと思っている。そして私は,愛し,殺し,裏切ったが 故に罪人なのだ。」この作品の中で断罪されているのは,それ故「自然」を糊塗し見せかけの調和を 作りだすことによってかえって白然を歪めむしばむ文明なのである。二人の子を殺して,ヤーゾンの 苦しみを見たメデアは「それではとうとう情慾ではなくて,愛が勝ったのだ」と云う。ここに云う愛 とは文明の対極にある愛,道徳の俘外にある愛,即ち自然の愛一「悲劇的出来事の根元である愛」⑭ なのである。 以上見てきたように,ヤーンの「メデア」は,すべての登場人物の行動に動かしがたい必然性があ ること,あらゆる異常な出来事の背後に心理的動機づけがなされていること,更には表現の迫力,構 成の緊密さの点で疑いもなくヤーンのドラマでの最高傑作であり,表現主義の遺産をついで産み出さ れたドラマの巾の白眉と云えるのである。 文 献 D Hans Henny Jahnn. Dramen 1. Europaische Verlagsanstalt.1963 2)Walter Muschg・Von Trakl zu Brecht. R. Piper&Co. Verlag.1961 3) 〃 Hans Henny Jahnn. Eine Auswahl aus seinem Werk. Walter Verlag 1959 4)Hans Wolffheim・Hans Henny Jahnn. Der Tragiker der Schδpfung. Europaische Verlagsanstalt 1966 5)Edgar Lohner. Expressionismus. W.Rothe Verlag 1956 6) Paul Fechter・Das Europaische Drama. 皿 Bibliographisches Institut AG. Mannheim 1958 7) Text und Kritik・Zeitschrift fUr Literatur Nr.2/3 H. Ludwig Arnold Verlag 8) Karlheinz Deschner・ Kitsch, Konvention und Kunst. List Verlag 1965 9)Hans Henny Jahnn(ハンブルクのFreie Akademie der Kunsteの委託を受けて,ヤー ンの60才を記念してR・Italiaanderが1954年に編集刊行したもの) 10)Hans Henny Jahnn・Buch der Freunde.(同じく同じ編首によって1960年ヤーンの死を 悼んで刊行されたもの) 1D ギリシャ悲劇全集 第三巻 エウリピデス篇 人文書院 昭和37年9月 12)Euripides. Medea. Reclam. Stugt.]962 一一 nンス ヘンニー ヤーンの悲劇「メデア」について 51 註 ① Oskar Loerke bereitete mir den Weg・Text und Kritik S・2 ②Das Literarische Echo 23Jg・1920/21 ③Deutsche Rundschau Bd・18719211 ④Text und Kritik S.] ⑤ibid. S・3 ⑥ibid. S.51 ⑦ Hans Henny Jahnn. Eine Auswahl aus seinem Werk・S・15 ⑧ Stuttgarter Zeitun9. 17・12. 1964 Nr.292. Die Welt 18.12.1964 Nr.295 ⑨Hans Henny Jahnn. Dramen 1. Die Sagen um Medea und ihr Leben・S.737 ⑩ibid. S.736 ⑪Hans Henny Jahnn. Dramen 1. Zur Medea・S・742 ⑫ ibid. ⑬ Also sprach Zarathustra. Vom bleichen Verbrecher. ⑭Hans Henny Jahnn. Dramen 1・S・742
© Copyright 2024 Paperzz