用意周到に冒険するガチンコ女

用意周到に冒険するガチンコ女
進藤やす子
さん
しんどう・やすこ●イラストレーター。 1974 年香川県生まれ。’
98 年
に武蔵野美術大学卒業後、ライオン株式会社に入社。広告制作部デザ
イン室でパッケージデザイナーとして勤めた後、’
03 年退社しフリー
のイラストレーターに。『MORE』の「イラストレーター進藤やす子の
“さすらいの恋愛修行道”」、『美人百花』の「進藤やす子のミーハーク
ローゼット」
、
『日経ヘルス』の「美人科学研究所」をはじめ、女性誌に
連載多数。等身大の体験ルポやファッションルポに定評がある。著書
『進藤やす子の新東京クルーズ』ほか。
YASUKO SHINDO HOME PAGE ●http://park2.wakwak.com/~yasuko86
ブログ「やす子の B 級図鑑」● http://yasuko86.cocolog-nifty.com/blog
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”
OLからフリーのイラストレーターに転身。
戦略をたてて、ステップアップを重ねることで、
冠記事&自分視点のイラストルポを描けるように
“
武蔵野美術大学在学中に雑誌の懸賞にバンバン応募していたんですよ。当時はネットがなかったから、
ハガキで応募するんですけど。女性誌の編集部でバイトしている同級生の「編集部の人って意外とハガ
生時代から真摯に志したイラストレーターの道、しかしその道のりは平坦ではなかった。
ートでほんわかした画風でありながらユーモアに富み、時流を鋭く捉える嗅覚が人気を呼んでいる。学
いまや女性誌で彼女のイラストを目にしない月はないと言えるほど売れっ子の進藤やす子さん。等身
大のファッションルポや赤裸々に綴った体験記は、共感させられたり、ニヤリと笑わせられたり。キュ
学生時代に棚ぼたで受けたイラストの仕事。
これが自分の天職と、イラストレーターを志す
進藤やす子
キ見てるよ。その号の感想でも絵が描いてあるとよく見てるし、懸賞プレゼントにも選ばれやすいんじ
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ゃない?」という話を聞いてヘエッて思い、その雑誌で人気のモデルの似顔絵など、イラストを必ず描
名さまを当てたのをきっかけに、すっかり味をしめて投稿を重ねました。
くようにしたんです。色もちゃんと塗って。すると当たりやすいんですよ。当時流行っていたエルべの
バッグ
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年、日用品メーカーのライオンに入社。広告制作部デザイン室(当時)にパッケージデザイナーと
ないだろうから、もっと真面目に、とそれぞれの会社に向けた作品のパターンを考えました。
も。もちろん受ける会社によって、アプローチは変えます。老舗百貨店にはそういう雑多のものは受け
やアメコミのキャラクターなど、 〜
代のフックになるモチーフを入れて、クスッと笑わせてみたり
就職活動の作品面接では、近距離で少人数に見てもらう場合と、人数がいて遠目に見てもらう場合、
パターンを用意していました。また決定権を持ってるのは年配の方なので、作品にピンク、レディー
もともと人前で喋るのが苦じゃないんですよ。美大の授業でも代表でプレゼンしたり、予備校講師の
バイトをしたり。どうしたら自分を最大限にアピールできるかを考えるのが好きなんです。
就職活動では受ける会社に合わせて、アピールの仕方を変えた。
実は無類のプレゼン好き。就職の面接でも、
入社してからも、相手をうまく説得する方法を考えた
ききそうなクライアント側の会社を希望しました。
んです。もうひとつ、イラストを描く時間がほしかったので、比較的忙しそうではない、時間に融通の
イラストと関係ない仕事にしよう。パッケージデザインだったら、仕事として割り切れるかなと思った
に合わせて描いたものだとしても、自分の子供みたいな存在で、愛情があるんです。それならまったく
なったら、などと考えると、いたたまれなくなり……。私にとってイラストは、ある程度社会のニーズ
最初は就職先を文具メーカーに絞りました。雑貨が好きなのと、自分のイラストも活かされるかなと。
でも、もし自分が描いたイラストの商品が売れずに店頭で埃をかぶっていたら、あっという間に廃番に
文具メーカーでイラストを活かす道もあったが……。
たほうがいいんじゃないかと、就職先を探し始めました。
ら。イラストレーターにはなりたかったけれど、私、ものすごくワガママだったし、社会に出てもまれ
とおっしゃっていて。私自身も美大にいて、社会に適合しにくい人間だとうっすら自覚していましたか
そのまま大学を卒業して、イラストレーターになるという道もありましたが、お仕事をいただいてい
た編プロの方が「いきなり社会に出たイラストレーターは、マナーを知らない人が多くて頼みにくい」
「社会人を経験した人のほうが仕事を頼みやすい」と言われ、進路を考える。
あ、いいなあと。それで「絶対イラストレーターになる」と心に決めたんです。
んです。全国誌に私のイラストが載って、それは感激しましたよ。また雑誌作りの現場を体験して、あ
』の懸賞に、毎号応募していました。そしたら編集プロダクションの方が「い
創刊して間もない『 caz
』でイラスト描いてみませんか」って、私を見つけてくださった
つも描いてくれますよね。今度『 caz
すると「イラストを描きませんか?」と編集部からオファーが。
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“ 就職の面接では決定権を持つ、40 〜 50 代の男性に
ウケそうな作品で勝負しました”
して勤務。
年じゃものにならないだろうと思い知ったのです。
年目ではメインになる商品は担当させてもらえない。その上予想
も ろ く に 使 え ず に 入 社 し た か ら、 技 術 を 覚 え る
年で辞める計画で。でも私、 Mac
雑多なものが好きなので、美大生憧れの化粧品のきれいなパッケージデザインには興味がありません
でした。その点ライオンは日用品が多いので、自分に合っている気がしたんです。社会勉強のための就
職と割り切って、
のに時間がかかったのと、そもそも
以上に忙しい。これじゃデザイナーとして
社内の人々を説得するために、普通のOLとしての自分を演出。
代の女性代表として「こういうデザインがいいと思います」
商品開発のプレゼンで、自分としては
と主張したつもりなのに、「いや、君はそう思っても、他の 代女性はどうかわからないでしょ」みた
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お正月休みに、偶然出会った星占いの記事。再び、イラストレーターの道を模索し始める。
』は読者モデル&
éf
月でしたが、秋色のニットにファーのバッグと季節感を先取りして。そうしたら「そのバ
』
藤やってくれない?」と。そこでイラストルポを描いたら、美容ライターの山崎多賀子さんに『 LUCi
て話すと、
「今度『MISS』で腸内洗浄のルポするんだけど、他人に見られるのは恥ずかしいから進
つけました。そこで知り合いの編集者を介して連絡をとってみたんです。イラストの仕事がほしいっ
『 éf
』で仕事をいただき始めてすぐに、美容ページにライターとして活躍する高校の同級生の名前を見
『 éf
』をきっかけに、次から次へと仕事の依頼が来るようになった。
本当に嬉しくて。浪人の時の合格発表と同じくらい感激しました。
ック秋っぽくていいね。ファッション好き?」って聞かれたり。その流れで仕事をいただくことになり、
暑さの残る
媒体に絞ったのが勝因だと思います。特に『
ラッキーなことに、どちらからも仕事をいただけたんですよ! 自分の利点を活かすため、OL向けの
』はファッション誌なので、面接に着ていくものに悩み、
éf
読者ライターの募集だったのに対して、「読者イラストレーターになりたいんです」って応募しました。
せて「どんな小さな仕事でもいいからイラストが書きたい」と頼み込みました。『
』に売り込み。
まずはOL向けの地域紙『シティリビング』と女性誌『 éf
『シティリビング』の読者モニターになり、モニター終了時の編集部員との座談会の後、作品集を見
を始めようと決心したんです。その記事を切り抜いてつい最近まで大切に持っていましたよ。
ま1年が過ぎようとしている。あと2年で独立するための足場を作ろう。そのために今年から売り込み
輪の花を咲かせるでしょう」とあり、あれ、私3年で会社を辞めるつもりだったのに、ほわんとしたま
けて。
「今年始めたことは土星の後押しを受け長く続けられます。3年後に成果が出て、5年後には大
電車通勤や定時出勤など、初めてづくしだったOL生活。ところが張り詰めてたものがお正月休みに
プツッと切れて、突然体調を崩してしまったんです。そんな時、それから先5年間の運勢を雑誌で見つ
ていましたね。
に装ったりするうちにだんだん楽しくなり、同期と合コンや旅行にも。OLをコスプレのごとく満喫し
う思って、OLらしく見えるよう努力しました。スパイラルパーマをストレートヘアに変えてキレイ目
いな空気になったことがありました。きっと私が普通のOLらしくないから説得力がないのだろう。そ
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“ 売り込み先は OL 向けの媒体がメイン。
自分がOLである利点を活かせると思ったから”
での連載「極楽ビューティ体験記」のイラストルポを描いてみない? と言っていただき、またその連
載を見た『MORE』の編集部の人が依頼をくださり……と、芋づる式に仕事が増えていきました。
入社 年目。イラストレーターとして売れ始める一方、会社でも着々と責任ある仕事を任されるよう
になり、両立が困難になってくる。
万円のギャラの仕事でバイク便代が
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%全力で仕事したい。
年勤めた会社を
年に退社し、フリーのイラストレーターに。
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できる環境を作ろうと心底思い、
年勤めた会社を辞めたんです。
%の力で仕事
%全力でやっていなか
ったし、心から楽しいとは思っていなかった。これでは仕事に失礼じゃないか。私も
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売り込みをした1年目が約
万円、翌年が約
万 円。 会 社 を 辞 め た の は
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万円になった時。実家だか
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費されるだけで生き残れない。自分の体験や思いを表現できるイラストレーターにならなければ、と痛
ら、辛すぎて。自分の夢見ていたイラストレーター像と違う! と。占い師に相談に行ったら、「誰で
もできる仕事はもう辞めていいんじゃない?」って言われ、ありがたくて泣きました。このままでは消
当時は、
依頼されたらどんな仕事でも受けていました。それこそ誰も見ていなさそうなイラストまで。
ひたすら忙しくて、動かずに描き続けたら、体重も一気に増えてしまい、そんな状態を約2年間続けた
『美的』
『BAIRA』と順調に仕事先を増やしていく。独立して2年、年収は飛躍的に増えたが……。
画だけど、冒険って計画がないとできない。計画はしっかり練りますよ。
ら冒険できたというのもありますね。私は暴走はしないけど冒険は好きなタイプ。多分、暴走って無計
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お金がないと、生活も気持ちもすさんでしまいそうだし。私の場合、イラストレーターとしての年収は、
作業をすればできると思うんです。そうやって仕事を開拓しつつ、お給料はしっかり確保する。実際、
リーランスになりたいという話を聞きます。でもしばらくは会社と両立して、土日や睡眠時間を削って
ーンと仕事が来て、ああ、ちゃんと準備してから辞めてよかったと。よくOLの方が会社を辞めて、フ
フリーランスになるなら、用意周到に足場を固めてから。
「会社辞めるので何でもいいからイラストの仕事ください」っていろんな編集者にお願いしたら、バ
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そのモチベーションの高さに驚いたんです。正直、私はパッケージの仕事を
まだ2足のわらじ生活の頃、デューク更家さんの単行本の仕事で、撮影に立ち合わせていただく機会
がありました。その時、編集者の方に「仕事楽しいですか?」と聞いたら、「楽しいよ!」って即答されて、
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用意周到に準備したおかげで、独立後の仕事は順調。
しかし忙しさが絶頂に達して、方向性を考え直す
父が「会社から辞めろと言われる前に自分から辞めなさい」と独立への背中を押してくれました。
ー本の仕事が来て、会社に行きながらでは無理かもと思っていた矢先、それまで一切口を出さなかった
8000円。3時間くらいの睡眠が続いて、血尿が出て……。ちょうどイラストをメインにしたセラピ
事がアナログだったため、バイク便をバンバン自腹で飛ばし、
雑誌の韓国取材では、深夜に帰国。翌朝9時から会社で会議があったため、自腹で会社のそばのビジ
ネスホテルをとり、トランクを宅配便で送り返して仮眠、出社したこともありました。当時はまだ仕
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“ 生き残るために、自分の体験や思いを描ける
イラストレーターになろうと決心した”
切に感じたのです。
『マンガ美術館
スポットガイド』です。初めて自分のやりたいことで本が作れた。やっぱり自分で発
り上がっていた頃なので、日本中のマンガ関係のスポットをルポしたいと。その企画から作られたのが
最初はパンか和装小物をテーマにしたイラストエッセイという依頼でしたが、興味がなくお断りした
んです。では何が描けるのかと聞かれ、ちょうど水木しげる記念館や青梅赤塚不二夫記念館に行って盛
自分のやりたかったことを本に。 年、自分の名で単行本『マンガ美術館&スポットガイド』を出版。
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年ほどで、やりたいことがやれ
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年からは、
『日経ヘルス』で健康をテーマに、連載が始まりました。今は『MORE』
ページものイラストルポで
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かりやすく読者に伝えるということばかりやってきたので、自分の感情を入
もっと自分を出して!」と何度もダメ出しされました。私はある事柄を、わ
育てていただき、初めて自分の連載を持たせていただいた金井田さんには「
ってくださった方々です。野田さんには、毎月
UR』編集部 は
) 、 私 を 会 社 員 時 代 か ら 知 っ て い て、 ス テ ッ プ ア ッ プ を 見 守
ステップアップできたのは、いい編集者に恵まれてきたから。
『MORE』の野田みのりさん(現文芸編集部)と金井田亜希さん(現『SP
腕のいい編集者の方々が私を育ててくれた。
今はイラストレーターですと自信を持って言える
『美人百花』
『日経ヘルス』の連載3本柱がメイン。『美人百花』の連載はぜひ本にまとめたいですね。
んでいますから。
を買うので、読者のひきがいいそうです。Tシャツなどのプチプラ系など身近で使えるネタを読者は望
『美人百花』ではお買い物ルポを連載しています。私は自分の買える範囲のお金でわりとリアルなもの
今ではすっかりイラストルポの進藤やす子としておなじみに。ここ
るようになった。
ファッションエッセイもやらせていただき、その後もずっと連載させていただいてます。
藤やす子 ”の名前がタイトルにつき、念願の初・冠コーナーとなったのです。翌年、『MORE』では
で描ける! お店のセレクトも任せてもらえて、今までで一番やりたいことを実現できた本になりまし
た。ちょうどこの頃、
『MORE』でルポもののコマ割りマンガの連載が決まったんですよ。それも“進
集長のオファーから『進藤やす子の東京クルーズ』は生まれました。変わりつつある東京を私の切り口
「次は進藤さんのイラストを知ってる女性たちに向けた本を描かない?」というワニブックスの青柳編
『進藤やす子の新東京クルーズ』を出版。女性読者に向けて、自分ならではの切り口で東
その翌年、
京を紹介する。
モデルの人気やファッションありきなのだと思い知らされ、落ち込みもしました。
と り で 描 く の も 大 変 だ っ た の に 増 刷 さ れ る こ と も な い。 い つ も 連 載 し て い る 女 性 誌 が 売 れ て い る の は、
カルチャーコーナーに置かれていましたから、仕方がありません。取材に時間がかかり、丸1冊自分ひ
信するのはいいなぁと感動しました。でもこの本、売れなかったんですよ。男性向けで、書店ではサブ
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“ 編集者のありがたいダメ出しで
鍛えられました”
れることは下手だったんです。そのダメ出しがありがたくて、鍛えられました。そして現在の連載の担
当、
『MORE』の中西恵利さん、『美人百花』の松永裕美さんも、より読者のニーズに応える的確なア
ドバイスをくださいます。皆さん、イラストのことをよくわかっていて、本当に育ててもらったという
代になって気になる人をご飯に誘えるようになった。
感じ。とても感謝しています。
人付き合いは裏表なく。
歳過
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代のデザイン畑の女社長と知って会いたく
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仕事で合コンするも成果ゼロ。そのリアルなダメっぷりが読者の共感を呼び、新たなステージへ。
年の 年間、『MORE』で「イラストレーター進藤やす子の結婚するまで 姫合コン」という
イラストルポをやっていたんですよ。毎月合コンに行って結婚するまでを描く企画で、最初は私も結
ら、早くそういう生活がしたいです。
タ カ ナ 表 と か ひ ら が な 表 な ど を 絵 入 り で 作 っ て く れ ま し た。 イ ラ ス ト レ ー タ ー は 家 で で き る 仕 事 だ か
と思ったらいくらでも面白くできるでしょ。私の母も基本的には専業主婦だったので、子供のためのカ
私、基本的に主婦業は超クリエイティブな仕事だと思ってるんです。主婦業ってキリがなくて、やろう
その時にならないとわからないので、できなくても認めてくれるような人と、めぐり合いたいですね。
憧れは、優雅で楽しいクリエイティブなお母さん。
子供がほしいので、結婚はやっぱりそこそこの年齢でしたいんですよ。でも子供ができるかどうかは
プライベートも仕事のうち。憧れの結婚に向けて、
婚活ルポを連載中。ダメッぷりが人気となり、新境地を開拓
うよ」って言えるようになった時から、人脈も夢もたぐり寄せやすくなった感じがします。
なりました。そこで不動産屋さんに手紙を渡していただき、自分からご飯に誘いました。「会いましょ
屋さんが“出世部屋 ”と呼ぶ部屋で、前に住んでいた方が
ぎて「自分はイラストレーターです」って自信を持って言えるようになってから。今の住まいは不動産
たら、
「今度ご飯食べに行きましょう」って誘います。こんなふうに誘えるようになったのは、
普段の人付き合いは割と閉ざしています。でも、親しくなりたいって思った人には自分から積極的に
アピールしますよ。会いたい人には自分から会いに行くし、仕事でもっとこの人とかかわりたいと思っ
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ます!」……ということで、
年も婚活が続くことに。はい、再びガチンコで勝負します。
年経ち、この連載がやっと終わると思ったら、編集者の方が「進藤さんが合コンに向いてないのは
よくわかりました。でも出会いの連載は続けていただき、何ならシングルスバーとかに行っていただき
残念ながら結婚にはつながりそうもないけど、読者がガチンコ好きだということはよくわかりました。
何と、読者に人気なんですよ。私が本気で合コンに挑んで、ダメッぷりを晒すほど共感を呼ぶみたい。
婚する気満々でした。しかし私が見事に合コン下手で、いつデートできるんだろう? みたいな(笑)。
合コンへ行ってはトイレで「早く帰りたい」とうめく……そんな自分を赤裸々に描いています。それが
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“ 会いたい人をご飯に誘えるようになって、
人脈も夢もたぐり寄せやすくなりました”
進藤やす子さんの 取材後記
~彼女がスパイダーウーマンである理由
『MORE』の「イラストレーター進藤やす子の“さすらいの恋愛修行
道”」をはじめ、体験ルポものや自身のライフスタイルを紹介する雑
誌の連載で活躍中のイラストレーター進藤やす子さん。インタビュー
はご自宅兼仕事場である“出世部屋”のお部屋にて、かわいらしいお
花のアレンジやキレイ色のクッションなど女性らしいインテリアで
リラックスムードの中、たくさんお話ししてくださいました。
確かな実力がある上で、計画的かつ戦略的にコツコツとステップ
を積み上げて“自分のなりたい自分”を実現したお話は、現在フリー
ランスで、またはこれから目指す人にとってリアルに参考になるこ
とばかり。一時、
“誰でもいい仕事で消費されていく虚しさ”を抱い
た頃のエピソードには、お伺いしながら身につまされる思いも。が、
ここでくじけたりあきらめたりしないところが進藤さんのスゴいと
ころ。デキる編集者の方々が育ててくれているというだけでなく、
ご自身の豊かな感性でご両親やお友達との日常会話からも参考にな
る考え方や取り組み方をどんどんキャッチして、とても素直に人生
の糧にされていることもポイントです。また編集者の方にアピール
したい時は年賀状のように大勢に紛れる時期ではなく、残暑見舞い
などのはずれた時期に自分のイラストを描いた葉書を送るなど、プ
チ売り込みは意外と効果的とも。ブログでは親しい方々との交流な
ど楽しい内容が満載で、よい人付き合いを広げていらっしゃること
がよく伝わってきます。
個性とファッション
デニムに仕立てのよいジャケットをさりげなく合わせて、クラス
感あるカジュアルスタイルで。
「Velnica」の小林さん(P133)とお付
き合いがあり、取材時も花モチーフの素敵なルームシューズを履い
ていらっしゃいました。進藤さんのお買い物&コーディネイトは、
女性誌『美人百花』の「進藤やす子のミーハークローゼット」でもお
なじみ。海外の一流メゾンからスポーツブランドまで、シーン毎の
着こなしを参考にしているファンも多数です。
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