アイガー登頂 ハナミズキ 2003,8,20 村田 スイスのグリンデルワルト村へは、今年で3回目の訪問になる。グリンデルワルト村から、一気に 3 0 0 0 m 近 い 高 度 差 で 黒 々 と 聳 え る ア イ ガ ー 北 壁 の 偉 容 は 、一 度 見 た ら 忘 れ ら れ な い フ ォ ル ム だ 。 1969年8月15日、今井道子さんたちのパーティがこの北壁に、取り付きから頂上までほぼ一 直線のルートを拓いた。「ジャパン・ダイレクト」ルートである。また、村から見える左側の 稜線:ミッテルレギ稜(東陵)は、1921年に日本人の槇有恒氏が初登攀を果たした。 日本人にゆかりの深い山、アイガー。 夜の帳が村を包み込むと、ミッテルレギ稜線上の1点がチカチカと瞬き出す。星の輝きと見まごう そ の 灯 り が ミ ッ テ ル レ ギ ヒ ュ ッ テ だ と 知 っ た の は 、数 年 前 モ ン ブ ラ ン 登 頂 の 帰 路 、立 ち 寄 っ た 時 だ 。 あそこに立ちたい、あの向こうに展開する山々の連なりを見たい、頂上からグリンデルワルト村 の美しいたたずまいを俯瞰したい。しかし、50も半ばを越え、体力の衰えは、いかんともしがた い。今、行かなければ・・・。 1,期 間 2003,8,6 2,登山形態 5月末、私は、旅行社に個人手配を依頼した。 ∼ 2003,8,15 雪稜登攀と岩稜登攀による縦走 (10日間) 現地アルパインガイド雇用 アイガー登頂を目的にするが、天候や体力等の条件がうまくクリア出来れば、予備日を使っ て 、 ベ ル ナ ー オ ー バ ラ ン ト 三 山 ( ア イ ガ ー 3970m 、 メ ン ヒ 4099m 、 ユ ン グ フ ラ ウ 4158m ) への登山を予定。 3,日 程 6日 出国:成田→チューリッヒ→グリンデルワルト 7日 午前:ガイド協会に出向き、メンヒとアイガーの予約確認書をもらう。予約確認書には、 登 頂 に 要 す る 日 数・月 日 ・ル ー ト 名 ・ク ラ イ ア ン ト 名( つ ま り 私 の 名 前 )・待 ち 合 わせの場所と時刻・ガイドの名前 等が印刷されている。 午後:ナイフエッジのミッテルレギ稜がよく見渡せるグローセシャイディッグまで、ハ イキング(ホテル→フィルスト→グローセシャイディック)。 8日 メンヒ登頂 (高所順応訓練を兼ねる) 9日 アイガー:ミッテルレギヒュッテに登り上げ、1泊する。 10日 アイガー登頂。下山。 11日 予備日:静養、洗濯等 12日 予備日:シーニゲプラッテまでロングトレッキング 13日 予備日:シュティーレッグまでトレッキング 14日∼15日 帰国準備 帰国:グリンデルワルト→チューリッヒ→成田 4,滞在日記・登攀記録 出国前の日本は、気温が低く日照時間も例年を下回る異常気象であった。ところが、欧州も又異 常気象。こちらは熱波だ。チューリッヒ空港に降り立つと、なんと気温30度。グリンデルワルト 村も鉄道駅のある辺りで標高1000mほどだが、日中気温は連日30度、快晴が続いた。ヨーロ ッパアルプスの山々は、この異常熱波で岩盤が緩み、ルートの崩壊や落石で登攀不可能になったル ートが多いと伝え聞いた。モンブランのグーテ稜は登攀禁止。マッターホルンのヘルンリ稜は崩れ た ル ー ト の 迂 回 ル ー ト を 作 り 、 や っ と OKと の こ と 。 この異常気象の影響が私にも襲いかかろうとしていたとは、もちろん知る由もなかった。 〔8月6日 水 快晴〕 10:50 成田発のスイスエアラインでチューリッヒに直行。 16:15 着(日本時間23:15) 実質12時間のフライト。 ・ 空 港 の 両 替 所 で 円 を ス イ ス フ ラ ン に 両 替 。 成 田 で 1 CHF= 9 7 円 。 こ ち ら で は 9 3 円 。 ず っ と レ ー ト が 良 い 。空 港 地 下 の 鉄 道 駅 の 両 替 所 な ら 手 数 料 が 無 料 だ が 、運 転 手 を 待 た せ る の で あきらめる。 ・手配して置いたタクシーに乗り、ホテルへ直行。運転手はスージーという女性。 19:00:2時間40分で、グリンデルワルトのホテル到着。 ・今晩はストリートフェスティバルの日だった。荷を部屋に置いてから、ホテルの通りに張り 出されたカフェテラスでビールと野菜のピザを頼み、美しいヨーデル合唱団の歌声に耳を傾 ける。 ミッテルレギヒュッテの灯りが手招きをするかのように瞬いている。 21:30:就寝。 ・時差と疲れで頭がボーッとしているのに、ピザがお腹にもたれているのと神経が覚醒して いてなかなか寝付けない。 〔8月7日 木 快晴〕 6:30起床。 8:00朝食。 ・ホテルはシャワーさえ付いていればよいという条件で、出来るだけ安いシングルを手配して も ら っ た 。し か し 、朝 食 も 又 値 段 の 内 。ゆ で 卵・2 ∼ 3 種 類 の パ ン と ハ ム と チ ー ズ と ヨ ー グ ル ト ・ シ リ ア ル 類 や 飲 み 物 が 数 種・パ ン に 付 け る ジ ャ ム 類 数 種 。こ れ が 毎 朝 続 く の で あ る 。ビ ュ ッ フ ェ ス タ イ ル と は い え 、8 日 も 続 け ば 選 択 肢 も 尽 き る 。果 物 や 野 菜 が 無 い の だ 。2 日 目 以 降 、ゆ で 卵 の大皿に 敷いてあるレタスを引き抜いて食べるのが日課となった。 9:00・駅前のスポーツセンターの中にあるガイド組合へ出向く。 ・メ ン ヒ と ア イ ガ ー 登 攀 の 予 約 確 認 書 を も ら う 。カ タ コ ト の 日 本 語 を 話 せ る 受 付 の 女 の 子 が 居 て 、 助 か る 。ガ イ ド の 名 前 の 読 み 方 を 教 え て も ら い 、つ い で に 若 い 子 か と 聞 く と 、「 若 い よ 。か っ こ いいよー。」とのこと。ラッキー!(ガイドにとってはアンラッキー!) ・ 駅 で 、 パ ス ポ ー ト を 提 示 し 、 1 ヶ 月 有 効 の 「 ハ ー フ プ ラ イ ス カ ド 」 を 9 9 CHFで 購 入 。 全 て の 乗 り 物 が こ の カ ー ド を 提 示 す れ ば 半 額 に な る 。登 頂 の た め だ け で も 、グ リ ン デ ル ト ワ ル ト 駅 か ら ユ ン グ フ ラ ウ ヨ ッ ホ ま で 少 な く て も 2 往 復 す る が 、1 往 復 で 1 5 0 CHFも す る の だ 。黒 部 ア ル ペ ンルート並の高額運賃、利用しない手は無い。 ・ 帰 り に 、 COOPで 、 ハ イ キ ン グ 用 ラ ン チ と 今 晩 の お か ず を 買 い 、 ホ テ ル へ 。 1 1:0 0・身 支 度 を 整 え 、ホ テ ル 横 の ゴ ン ド ラ 駅 か ら ゴ ン ド ラ に 乗 り 、フ ィ ル ス ト( 2168m )へ 。 ・ ホ テ ル の 標 高 が 1100m 。 一 気 に 1000m を ゴ ン ド ラ で 登 る の だ 。 登 る に つ れ 、 ア イ ガ ー の 巨 大 な 垂壁も天高くそびえ立ってくる。 ・フィルストからのんびりハイキングをしながらグローセシャイディッグへ。つまりアイガーの 北 面 か ら 東 面 へ 回 り 込 ん だ こ と に な る 。ア イ ガ ー は 全 く 形 を 変 え て い る 。北 面 と 南 面 を そ ぎ 落 と さ れ 、か み そ り の 刃 の よ う な 鋭 い 稜 線 が 頂 上 ま で 突 き 上 げ て い る 。特 に 大 き な ギ ャ ッ プ の 上 に 連 な る 、赤 茶 色 の 巨 大 な 垂 壁 が グ ロ ッ サ ー テ ュ ル ム( 大 き な タ ワ ー の 意 )だ 。核 心 部 だ 。不 安 が 頭 をかすめる。 ・満足行くまで見て、駅行きのバスの切符売り場へ行くと昨日のスージーがいる。そういえば、 グ リ ン デ ル ワ ル ト・バ ス 会 社 の タ ク シ ー だ っ た っ け 。再 会 を 喜 び 、励 ま し て も ら っ て 、ホ テ ル へ 帰る。 ・明日のメンヒ登頂に備え、睡眠をきちんととらねばならない。夕食は持参のご飯とおみそ汁、 COOPで 買 っ た お か ず に す る 事 に し た 。一 番 小 さ い ガ ス カ ー ト リ ッ ジ を 駅 前 の ス ポ ー ツ 店 で 買 い 、 持参の ガスヘッドを着けて、クッキング。日本食でないと力が出ないのだ。 ・夜、フロントに「明日は7:19発の一番電車に乗るので、7:00∼の朝食では間に合わ ない。」といったら、特別に6:30∼にしてくれた。お礼を言って明日の準備をして就寝。 〔8月8日 金 快晴〕 メンヒ登頂日 6:00 起床 6:30 朝食 7:19 始発の登山電車に乗る。 8:53 ユングフラウヨッホ(3454m)着 9:00 ・カフェ・バーの前で、ガイドと落ち合う。日本人の登山スタイルの者は私だけだったのです ぐ 分 か っ た ら し く 、声 を か け て 来 て く れ る 。こ こ は ド イ ツ 語 圏 な の で 、ガ イ ド の 英 語 も ド イ ツ 訛 、 も っ と も 私 の 英 語 も 日 本 訛 で し か も 非 常 に ブ ロ ー ク ン な 英 語 。ガ イ ド の 名 は 、「 ユ ッ ル ッ ク・ア ンデレック」 1 8 5 c m 位 の 長 身 で ま だ 3 0 に は な っ て い な い だ ろ う 。丁 度 私 の 次 男 ぐ ら い の 年だ。ハンサムで親切な青年だ。互いに挨拶を交わし、簡単な打ち合わせ後、行動開始。 ・ユングフラフヨッホのスフィンクスのトンネルを抜け、ユングフラウヒルンの大雪原に出る。 ブ ル で 圧 雪 さ れ た 観 光 客 用 の 水 平 道 を 行 く と 、メ ン ヒ ヨ ッ ホ ヒ ュ ッ テ が 見 え て く る 。そ の 手 前 で 南東稜の取り付き点へ左折。 9:57 取り付き。 ・岩屑の急斜面を登ると平坦な場所。要らない物はここにデポ。装備を装着し、アンザイレン し て 登 攀 開 始 。岩 稜 と 雪 稜 が 交 互 に 4 回 ほ ど 出 て く る が 傾 斜 も さ ほ ど で な く 易 し い 。コ ン テ で 進 む。 12:21 最後の長い雪稜の最高部が山頂だった。 ・360度、遮る物無し。前方には、これから登るアイガーが、山頂から手前に南陵をのばし、 東 に 急 傾 斜 で ミ ッ テ ル レ ギ 稜 を 落 と し て い る 。南 陵 と 東 陵( ミ ッ テ ル レ ギ 稜 )の あ い だ の 岸 壁 も ま た 、そ ぎ 落 と さ れ て 絶 壁 と な り 1 0 0 0 m 位 下 部 に 氷 河 の 最 上 部 が あ る 。ク レ バ ス が 口 を 開 け ている。 ミ ッ テ ル レ ギ ヒ ュ ッ テ へ は 、こ の 最 上 部 氷 河 を ト ラ バ ー ス し 東 陵 の 岸 壁 を 南 側 か ら 斜 上 し て い く の だ と ガ イ ド か ら 教 え ら れ る 。ガ イ ド の 指 先 を 見 る と 、ミ ッ テ ル レ ギ ヒ ュ ッ テ が か み そ り の 刃 の 上 に か ろ う じ て 水 平 を 保 つ よ う に 建 っ て い る の が 遠 望 さ れ る 。後 方 を 振 り 返 る と 、ユ ン グ フ ラ ウ が そ び え 、間 に 、フ ィ ン ス テ ア ー ル ホ ル ン( 4 2 7 4 m こ の 地 方 で 最 高 )や シ ュ ッ レ ク ホ ル ン が シ ャ ー プ に そ の 山 頂 を そ び え 立 た せ て い る 。そ し て 、遙 か 遠 方 に 強 大 な 山 塊 が 。モ ン テ ロ ー ザ やマッターホルンのある、ヴァリスアルプスの山々だ。 12:40 下山開始 ・これから登ってくるパーティもあり、ナイフエッジの雪稜では待ち時間がある。 14;20 取り付き着 ・アルプスのガイド登山は、ルートによってタイム設定があり、この時間で登れないと途中でも お ろ さ れ て し ま う 。メ ン ヒ は 登 り 3 H、下 山 3 H 。ク リ ア 出 来 た よ う だ 。ク ラ イ ア ン ト に と っ て は 、 本チャンの体慣らしだが、ガイドはクライアントの技術や体力を判断しているのだ。 ・ ユ ル ッ ク が 、 ア イ ガ ー は 極 力 荷 を 軽 く す る こ と 。 エ イ ト 環 も ETCも 、 オ ー バ ー ズ ボ ン も ス ト ッ ク も持ってくるなと言う。 ・ユングフラウヨッホの展望レストランで昼食兼夕食をユルックととり、クライネシャイディッ クまで一緒に登山鉄道で帰る。彼はインターラーケンに住んでいるこの土地のガイドだ。 冬はスキーやボード、アイスクライミングのガイドもするという。 ・登山鉄道の中で、明日の時刻や場所を確認し、分かれる。 ・夕食は持参の赤飯(前祝い!)と、たっぷりの野菜や果物を食べ、早めに就寝。 グリンデルワルト村からみたアイガー(北面) ミッテルレギヒュッテ 概念図 グロッサー・テュルム アイガー ▲ メンヒ ミッテルレギヒュッテ ○ ▲ ○ メンヒヨッホヒュッテ ユンフラウヨッホ 〔8月9日 8:00 土 快晴〕 アイガー登頂 ○ 第1日目 起床 13:49 グリンデルワルト発に乗る。 15:30に ア イ ス メ ー ア 駅 で ユ ル ッ ク と 待 ち 合 わ せ 。 15:10 アイスメーア駅 着 (3160m ) 。 駅 は ア イ ガ ー の 腹 の 中 。 岩 盤 を く り ぬ い て 作 っ て あ る 。 ・ホームで待っていると、車掌がガイドとの待ち合わせは№4へ行けと教えてくれる。 その場所へ 行 く と 小 柄 な 日 本 人 女 性 Sさ ん が い た 。 や は り 個 人 手 配 で ア イ ガ ー に 登 り に 来 、 こ の後、マッターホルンに登って帰国予定とのこと。私より3歳若い。 ・ 時 間 に な る と 、 ガ イ ド や ク ラ イ ア ン ト が 次 々 と 到 着 し 、 互 い に 挨 拶 を 交 わ し て い る 。 Sさ ん の ガイドは‘金髪の貴公子’だ。緩やかにカールした金髪を後ろでひとまとめに結んだ美青年。 ・装 備 を 装 着 し ユ ル ッ ク と ア ン ザ イ レ ン し て 、ホ ー ム 端 の 金 網 の 戸 を 開 け 、さ ら に 小 さ な 戸 を 開 け る と 、人 一 人 が 通 れ る 位 の 洞 窟 通 路 に な っ て い る 。強 い 風 が 吹 き 上 げ て く る 。通 路 は か ち か ち に 凍り付いて滑る。手すりに捕まり通路を下ると、突然断崖の端に出て終わる。カリフィルンだ。 こ こ は ア イ ガ ー の 頂 上 直 下 800m 位 に 位 置 す る 。 左 上 部 は 絶 壁 、 足 下 は 氷 河 の 最 上 部 と な り 、 青 く口を開けたクレバスへ急傾斜でなぎ落ちている。北壁の丁度反対側に当たる。 16:06 カリフィルンへの出口 ・私たちを含め4パーティ8人が、出口から左手の岩壁の小バンドを伝って雪面へ下り始めた 時だ。ガラガラッと突然不気味な音。「コーメン! コーメン!」ユルックがドイツ語で叫ぶ。 ク レ バ ス 近 く ま で 走 り 下 り 、急 斜 面 を 走 り 登 る 。私 と ユ ル ッ ク を 結 ぶ ザ イ ル の 間 を 、落 石 が 猛 ス ピ ー ド で 落 ち て い く 。ほ と ん ど ユ ル ッ ク に 引 き ず ら れ る よ う に し て 安 全 地 帯 に 避 難 。荒 い 息 を 整 え 、振 り 返 る と 、ガ イ ド が 倒 れ て い る 。み る み る 頭 部 付 近 の 雪 が 赤 く 広 が り だ し た 。側 に は 両 手 こ ぶ し を 合 わ せ た 位 の 石 。 ‘ 金 髪 の 貴 公 子 ’ が 落 石 に や ら れ た の だ 。 側 に Sさ ん が 呆 然 と 立 っ て い る 。「 早 く 助 け て ー 。」と 叫 ん だ が 言 葉 に な ら な い 。安 全 地 帯 に 避 難 で き た ガ イ ド 3 人 が 駆 け 下 り て い く 。両 脇 を 抱 え 安 全 地 帯 に 引 き ず り 上 げ た 。首 筋 か ら シ ャ ツ ま で 赤 く 染 ま り う め い て い る 。手 伝 う と 申 し 出 た が 、危 険 だ か ら ク ラ イ ア ン ト は そ の 場 を 動 く な と い う 。2 人 の ガ イ ド が 無 線 で 救 助 要 請 や 介 抱 を し て い る 間 に 、 ユ ル ッ ク が Sさ ん を ア イ ス メ ー ア 駅 に 送 り 届 け る こ と に な っ た 。 私 の ヘ ル メ ッ ト を 借 り 、 Sさ ん と ア ン ザ イ レ ン す る と 危 険 地 帯 を 駆 け 下 り て い っ た 。 ( 後 で Sさ ん か ら 聞 い た 話 : ユ ル ッ ク は Sさ ん を 駅 に 送 り 届 け る と 、 「 貴 女 で な く て 良 か っ た 」 と 何 度 も 言 い 、車 掌 に 事 情 を 話 し て 村 ま で 運 賃 無 料 で 下 れ る よ う 交 渉 し て く れ た と の こ と 。ガ イ ド 組合にすぐ行くように助言してくれて別れたという。) ・ユルックが、危険地帯を走り抜けて戻ってきた。救助ヘリの音が近づいてきた。3人の中で 一 番 年 嵩 の ガ イ ド が‘ 金 髪 の 貴 公 子 ’に 付 き 添 い 、2 パ ー テ ィ は 先 に 行 く こ と に な っ た 。私 が「 彼 が 心 配 だ 。」と 言 う と 、ユ ル ッ ク は「 彼 は 僕 の 親 友 な ん だ 。で も 僕 は プ ロ だ か ら 。」と 言 っ て ヘ ルメットを返してくれ、元気づけてくれる。 16:30 再スタート ・40分ほど氷河の最上部をトラバースしていき、ミッテルレギ稜の南面の岩壁に取り付く。 ・いきなり、斜上クラックのアンダーホールド。ガイドがランニングビレイを取りながらする す る と 登 っ て 向 こ う 側 へ 回 り 込 ん で い く 。ク ラ イ ア ン ト は 半 マ ス ト ビ レ イ( 以 後 全 て 、こ の ビ レ イ の 仕 方 )。先 発 の 男 性 ク ラ イ ア ン ト が 登 り 始 め る が 、早 く も 滑 り 落 ち て テ ン シ ョ ン を か け て い る 。小 さ な ス タ ン ス に 登 山 靴 で 立 ち な が ら ギ ア 類 を 回 収 し て 行 か な け れ ば な ら な い の で 非 常 に 不 安定だ。 ・次は20m位のギャップ。ガイドがザイルを繰り出して降ろす。クライアントは振られない よ う 靴 を 壁 面 に 密 着 さ せ な が ら ガ イ ド の 繰 り 出 す ス ピ ー ド に 乗 っ て 下 り る の が コ ツ 。以 後 、ギ ャ ップの下降は全てロアーダウン) ・ギャップを登り返すとすっぱりと切れ落ちた岩壁のトラバースとなる。この岩壁の上部がミッテ リレギ稜だ。行く手の左手上部の稜線上にミッテルレギヒュッテが見える。 17:55 ヒュッテ着(3355m) ・ 無事、ここまで来られたことを感謝し、握手。 ・ ミ ッ テ ル レ ギ ヒ ュ ッ テ は 、私 の 足 で 5 ∼ 6 歩 ほ ど の 幅 の 稜 線 上 に 左 右 の バ ラ ン ス を 取 る か の よ う に 建 て ら れ て い る 。バ ル コ ニ ー や ト イ レ は 勿 論 、居 住 部 分 の 一 部 は 空 に あ る 。最 近 立 て 替 え られたようで木の香も新しい。[写真①] ・小屋のバルコニーを山頂側に回り込み、山頂方面を見上げてしばし言葉を失う。小屋からは、 文 字 通 り の ナ イ フ エ ッ ジ の 稜 線 が 、急 傾 斜 で せ り 上 が っ て い る 。6 0 度 位 上 部 に 、ひ と き わ 赤 茶 け た 垂 直 の 岩 。グ ロ ッ サ ー・テ ュ ル ム( 大 き な 塔 の 意 味 )。核 心 部 だ 。何 ピ ッ チ 位 あ る の だ ろ う 。 ・事故のショックと威圧的な壁に少々不安になる。ユルックが察して小屋の中で何か飲もうと声 を か け て く れ る 。小 屋 は 、大 き な テ ー ブ ル と 薪 ス ト ー ブ の あ る ダ イ ニ ン グ 、2 段 ベ ッ ド の 寝 室( 日 本 の 山 小 屋 と 同 じ )の 間 取 り だ 。自 家 発 電 で 灯 火 も あ る 。程 な く 夕 食 と な る 。こ の 日 は 3 0 名 を 越え、2回に分けて食事となる。 18:30 夕食 シュパイゼ・カルテ(いわゆるメニューのこと。こちらでメニューは定食を意味する) クリームスープ(エンドウマメ・麦・にんじん) パン 紫キャベツとグリーンキャベツの千切りサラダ マッシュポテトの牛肉ソースかけ デザート(缶詰洋なしのチョコソースかけ) ・おいしいが、量が食べられない。ガイドも西洋人のクライアント達もよく食べる。骨格の様に 胃袋も大きいに違いない。 ・ユルックになぜ若いガイドはヘルメットをつけないのか聞いてみたが、それは難しい質問だと い っ て 、詳 し く は 答 え な か っ た 。要 す る に か っ こ わ る い の だ ろ う 。ガ イ ド は 皆 若 い が 、そ れ で も 3 0 半 ば を 過 ぎ た ガ イ ド 達 は 着 用 し て い た 。今 日 の ク ラ イ ア ン ト の 中 に 女 性 は 5 人 。日 本 人 は 私 一 人 。ド イ ツ 語 が 多 く 、つ い で フ ラ ン ス 語 。皆 で 話 す 時 は 英 語 に 切 り 替 わ る 。オ ー ス ト リ ア や フ ランスのガイドもいる。 20:00 明朝は4:50出発。 就寝 23:30 隣のいびきがひどく、結局、寝付けない。私は、いびき部屋やいびきテントを作る べ し と い う 意 見 の 持 ち 主 だ 。ト イ レ に 起 き 、医 者 に 処 方 し て も ら っ て き た 睡 眠 誘 導 剤 を 飲 ん で や っと寝る。真夜中に見下ろした村の明かりがなんと美しかったことか。ここは天空の城だ。 ミッテルレギヒュッテ 〔8月10日 4:00 日 快晴〕 登頂2日目 起床 朝食(何を食べたか、全く覚えていない) 身支度(ズボン・クライミングシャツ・フリースシャツ・オーバージャケット・手袋・ハ ーネス・ヘルメット・ヘッドランプ) 4:47 ユルックとアンザイレンして出発。 ・ヘッドランプをつけて小屋前から続くナイフエッジを進む。どちらに足を踏み外しても、 何千mかは落ちるわけだ。が、不安も恐怖も感じない。今日は意欲いっぱい。 ・夜が明け始める。ユルックが立ち止まり後ろを指さす。見事なモルゲンロート(これはドイツ 語 な の で 、ユ ル ッ ク と 意 が よ く 通 じ 合 う )。ヴ ェ ッ タ ー ホ ル ン や シ ュ レ ッ ク ホ ル ン が 、オ レ ン ジ や紫に染まり始めた空に黒くシルエットになって浮かび始める。写真を撮って歩き始める。 ・幾つのピークを過ぎただろうか、そのほとんどをスタカットで進む。大きなギャップも幾つも 超えた。相変わらずナイフエッジの稜線が続く。 ・急登・急降下を繰り返し、ひときわ急なピークに登り上げると、目前に グロッサー・テュルム の 大 障 壁 が 朝 日 を 浴 び て 赤 く 立 ち は だ か っ て い た 。先 行 パ ー テ ィ が 2 ピ ッ チ 目 を ク ラ イ ミ ン グ 中 。 二 人 と も‘ 垂 直 に 立 っ て い る ’。そ の 障 壁 の 下 側 に 私 た ち の 立 っ て い る ピ − ク の 影 が 映 り 私 た ち 二人の影もちゃんとその上に乗っているではないか。時間をもらって写真を写す。 [写真②] ・ グロッサー・テュルムとの狭いコルに下降する。コルから見上げるとほとんど垂直だ。まさに 名前の通りの「大きな塔」だ。太めのフィックスロープが張られている。 ・ガイドが1ピッチ目を先に登り、クライアントをビレイする。私の腕力では、両手でフィッ ク ス ロ ー プ を た ぐ り 、両 足 で 岩 壁 を 押 し つ け な が ら 登 る 方 法 は 無 理 。そ こ で 、左 手 で フ ィ ッ ク ス ロ ー プ を 掴 み 、空 い た 3 本 の 手 足 で 通 常 の ク ラ イ ミ ン グ を す る こ と に し た 。3 ピ ッ チ ま で は 記 憶 に 残 っ て い る が 、果 た し て こ の 怪 物 を 登 り 上 げ る の に 何 ピ ッ チ 要 し た の か 覚 え て い な い 。( 3 6 92m) ・グロッサー・テュルムを無事登り上げると、また、急登。 ・や が て 薄 い 雪 稜 。ア イ ゼ ン を つ け て 慎 重 に 進 む 。雪 稜 が 終 わ り 、又 岩 稜 。少 し な だ ら か に な る 。 8:57 ついに山頂に立つ。(3970m) ・「おめでとう」とユルックが祝福してくれる。 北・・・足下にグリンデルワルトの村、左前方にツーン湖が青く横たわる。村の背後壁のよう な山並みが続いている。見えないが、その山並みに向こうがブリエンツ湖だ。 西・・・西稜がアイガーグレッチャーめがけて切れ落ちている。 南・・・アイガーの南陵がメンヒとのコルまでゴジラの背の様に続く。コルの向こうに真っ白 に雪をつけたメンヒ。おととい登った山。その先にユングフラウ(4158m)。 東・・・南東にこの地方最高峰のフィンステアールホルン(4273m)。 東は登ってきたミ ッテルレギ稜、しかし山頂からは見えない。その先に雪を残したヴェッターホルン。 景色を堪能し、少しの休憩。 9:1 5 下 山 開 始 。ア イ ガ ー グ レ ッ チ ャ ー へ 西 陵 を 下 り る ル ー ト は 危 険 と の こ と で 、南 陵 を 下 る 。 ・下山ルート 山頂より南稜 ① → ② メンヒとのコル ③ → メンヒ東面下の雪原 → メンヒヨッホヒュッテ ①まさにゴジラの背びれの様に、激しくクライムアップとクライムダウンを繰り返す。間に 凍 っ た 雪 稜 が 出 て く る 。ユ ル ッ ク は 一 つ 一 つ ス テ ッ プ を カ ッ テ ィ ン グ し て 行 く 。ア イ ゼ ン は 着 け な い で 登 る 。メ ン ヒ へ と の コ ル へ は 長 い ナ イ フ エ ッ ジ の 雪 稜 が 続 く 。こ こ は ア イ ゼ ン を 着 け て 1歩1歩慎重に渡る。 ②広大な雪原。クレバスに突き当たり、上部に迂回して、クレバスを飛び越える。やがて急傾 斜の斜面。ユルックはグリセード、私は尻セードで滑り降りる。 ③フラットな雪原から、メンヒヨッホヒュッテの建つメンヒの枝尾根に傾斜のきつくなった 斜 面 を 登 り 返 す 。今 回 、一 番 つ ら か っ た 所 だ 。疲 れ で 息 は 上 が り 、重 い 足 を 引 き ず る よ う に し て やっとの事で登った。 13:50 終了 ・メ ン ヒ ヨ ッ ホ ヒ ュ ッ テ 前 の 、一 般 観 光 客 用 ル ー ト に 出 て 、フ ィ ニ ッ シ ュ 。ユ ル ッ ク と 固 い 握 手 。 お 礼 を 述 べ て こ こ で 別 れ る 。全 て の 緊 張 か ら 解 き 放 た れ 、脱 力 感 に 襲 わ れ る 。急 に 空 腹 を 覚 え る 。 ・ア イ ガ ー の タ イ ム 設 定 は 、こ の ル ー ト で 、登 頂 5 時 間 + 下 山 5 時 間 。登 頂 時 は 休 憩 無 し だ っ た が 、 下山途中に15分の昼食タイムを取ったので、どちらも4時間10分ほどかかったことになる。 ○こうして、55歳7か月の挑戦は、終わった。 〔8月11日 月 快晴〕 ・ひたすら眠る。 ・ 夕 刻 、 Sさ ん が 訪 ね て く れ る 。 ‘ そ の 時 ’ ‘ そ の 後 ’ の 話 を 聞 く 。 結 局 、 ア イ ガ ー の 代 替 え ガ イ ド は 居 な い の で 、帰 国 後 エ ー ジ ェ ン ト を 通 し て ガ イ ド 料 の 払 い 戻 し に な る だ ろ う と 言 う こ と だった。 ・5時半頃からレストランのテラスで一緒に夕食。1皿のディッシュとビールで3時間ぐらい おしゃべり。まさにおばさんパワー全開。久々に日本語を使えるので互いに話が弾む。 ・ガイドの手配は可能だが、疲れがひどく、私はユングフラウへの登頂は止めることにした。 〔8月12日 火 快晴〕 ・弁当を持って、シーニゲプラッテまでロングハイキング 駅→ブスアルプ→ファウルホルン→→ヴィダルースヴィル→駅 ・シーニゲプラッテからのブリエンツ湖が美しい。 〔8月13日 ・午前 水 快晴〕 軽くトレッキング ホテル→教会→プフィンシュテーク→シュティーレッグ→シュルックホルンへの登山道途中 まで ・午後 ガイド組合へ挨拶。‘金髪の貴公子’はインターラーケンの病院に運ばれたが、大事 無 く て 済 み 、退 院 し 自 宅 静 養 中 だ と 聞 い た 。ユ ル ッ ク の 緊 急 に 際 し て の 動 き と 、素 晴 ら し い ガ イドぶりを話し、改めてお礼を伝えてくれるよう依頼する。 ・帰国準備 〔8月14日 木 晴・雷雨 ∼ 15日 金 快晴〕 8:00 タクシーで空港へ。 帰国。 ・チューリッヒ空港に着く頃、雷雨。 ・臨席が空いていて、なんとか足を伸ばせた。 ・11時間20分のフライト。日本に着くと、日本の方が涼しかった!
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