目次 ○詩 かなしみまみれの、なんでやねん⋮⋮高畑耕治 1 思い出になってしまったあなたへ⋮⋮山下佳恵 4 お手をどうぞ⋮⋮神谷 恵 5 千年杉/自然のいとなみ⋮⋮田川紀久雄 7 タケニグサ⋮︰坂井のぶこ m Sエッセイ タケニグサ⋮⋮坂井のぶこ 陀 詩人 尼崎安四⋮⋮高畑耕治 14 高畑耕治 かなしみまみれの、なんでやねん かなしいかなしいかなしい て 飽きるまで疲れ切るまでわめけば ええやん かなしいねん ほんま どうにもならん たまらん ︵うつとは何? − 正気であること︶ なんでこんなにかなしいねん なんでここにおんねん ︵そんなもんわかるか︶ 死にたい生きたいゆうてんねん l ︵いつも近くにいてほしい ひ と ︶ 悲しい哀しい 愛しい て ︵生きていてほしい ひ と ︶ ゆえるうちはまだ 死なん 生きてんねん 愛してくれへん ︵そやからやろか? あなたを︶ 愛してまうんや 同反歌 生きものの ひとの かなしみ ︵このつかのま︶ 歌うんや ねておきて悲しい哀しい愛しい ゆうて ねておきてねておきて いやでも 眠るんや ︵えいえんに︶ かなしみまみれ 生まれたまんま えんえんえんえん 響かせるんや ︵泣いてるだけやて?︶ そやで ひとやもん このまま死んでもたら 卵のときから 食べてきたみんなに 恥かしやろ ︵生きたいのに生きられない 生きもの︶ なんでおまえなんかになってもたんや て 救われようもないやろ 捨てたら あかん ︵生きたいのに生きられない ひ と ︶ なんでやねん ほんま なんでやねん て かなしいかなしいかなしい て な ︵泣いたらええやん︶ 涙のひかりで 微笑も 高畑新治講集 死と生の交わり一九八八年 批評社 二〇一二年 イープニーックス 海にゆれる一九九一年 土曜美術社出版販売 愛︵かな︶ 一九九三年 土曜美術杜出版販売 愛のうたの絵ぽん一九九四年土曜美術杜出版販売 さようなら一九九五年 土曜美術社出版販売 こころうだ こころ絵ぽん 3 思い出になってしまったあなたへ プールに行って笑っている写真 笑いあって ほお寄せあった写真 幸せそうに ははえむ写真の中のあなた 無くなってしまった 消えてしまった 止まってしまった 奪われてしまった あなたの明日 あなたの夢 あなたの時計 あなたの命 いい子だった あなた 伝わっていることを心から願う お母さんの思い お母さんの涙 次から次へと熱くこみ上げてくる 山下任意 その時間を 確かに過ごした写真の中のあなた あなたの遺影の前で いまは天国にいますか? いい子が天国に早く行ってしまうのなら 思い出になってしまった あなたを思う それとも まだこの世をさまよって いい子じゃなければよかった と泣くお母さん いまはもう話せない お手をどうぞ とろけてしまいそうに柔らかく 真っ白な雪の色をして それなのに おひさまのようにあたたかい あなたのその右の手のひら あかざれで あかるい方へと歩きだす がさがさしたわたしの手を取って 神谷恵 きっと心配しているよね 優しかったあなただから そんなお母さんをみたら 泣いているお母さんを心配していますか? あなたが亡くなってから出てきた何枚かの写真 まるで忘れないでとでも言うかのように出てきた写真 綿あめをおいしそうにほおばっている写真 いまはもう笑いあうことができない 思い出になってしまった あなたへ 忘れない 忘れないよ 決して あなたの思い出を心に抱いて いま を生きる 明日を迎えられなかったあなたの代わりに 明日をあなたに 伝えられるように 山下佳恵詩集 四つ葉のクローバー二〇二年 潮流出版社 さあ こっちよ ここに石ころがあるわ あ、そっちはとんぼがお休みしてるから そっと通り過ぎましょ 大丈夫 私がついてるから まかせておいて きっと大丈夫 遺体がみつかりました 略奪されました 放火されました 原発が再稼働しました 空母が進水しました もうすぐ大きな道に出るからね 少女は歌うようにわたしの手を引いている その瞳に映っているものには お手をどうぞ もう世界のどこにもない現実 お手をどうぞ そう言ってくれたあの神の声が きっと 美も魂も 善も悪もないのだろう 彼女はいまもそう言って 言葉は鋭い刃物に姿を変え 変わってしまった街並みが遠くなるように ほほ笑んでいるだろうか わたしの胸に突き刺さったまま走り続けている その声も手も もう引っ込めて ゆっくりとバスが停まる 降車ボタンを押す 田川紀久態 彼女の両親は 見て見ぬふりをして 降りようとして立ち上がったとき ぶっそうな時代だから 黙って急いで通り過ぎなさい 不意に目まいに襲われたわたしに 千年杉 年若い運転手が言った そう教えていないだろうか 破壊されました お手をどうぞ 失ったはずの現実の在りかをみつけた わたしはそんな気がして いのちを視つめるのはいのちしかない 見えなくなるまでバスの行方を見守った 変わらないで 風が闇の中から吹き寄せる 雪が樹を榎って眠りの世界へと諺っ 雨が樹を濡らす 風が小枝を揺らす ひかりと戯れている 永久の中で時が停止しているかのように 杉は数千年も仔んでいても いのちは永遠に続くいのちのことしか考察しない 死を襟視していても そう祈りながら 神谷恵詩集 ﹁風の冬寮﹂一九八九年﹁知性壷匹講社 ﹁てがみ﹂一九九三年本多企画 ﹁彩人点景﹂一九九五年自家版 果てしなく繰り返される 季節との戯れ いつかは果てると知りながらも 悠然と未来に向けて立ち続ける まざれもなくいのちかこうこうと湧き出ている 宇宙の中を走り回っていたのかも いのちは光よりも早い速度で \ いのちを祝つづける時でもある 宇宙ステーションから望遠鏡で見ると 今は過去でもなく未来でもない それは時空を超えた今なのだ 眠りはいのちを遙かな場所に連れていく 眠りの中で見る夢は過去も未来も今の中で輝いている あれがいのちの故郷なのかもしれない 宇宙は万華鏡のように美しく輝いている 過去から未来の世界へと案内する 自分と同じ人間がこの世に何度も現れるという インドの世界では 記憶には残らない 静かに受け入れながら待つしかない 燃え尽き果てて消えてゆく蝋燭のように 視つめることは決して寂しいものではない 燃え尽きようとするいのちを でも目覚めるとそのような世界など 輪廻の世界は今の私達には信じがたいが 千年杉も大地に横たわる日がくる 自然のいとなみ 千年杉を見ていると 何倍光年の間にはそのようなことがあったのかとも思 えてくる そのような形跡はどこにも残っていないが 宮澤賢治の四次元の世界を考えると まんざら嘘の話でないかのように思えてくる 森の中では千年杉が大空に向ってそそりたっている 何事もなかったかのように 時の流れの中で大地に溶け込んでいく もう何万年前から少しも変わることがない 森の静けさは相変わらず保たれている 人間の生命はせいぜい七十年前後 そのような問いは意味をなさない 永遠の時の中では なぜ生まれてきたのか 輪廻の巡り合わせとでもいうのか この世での生き方が変わってくる 誰にも知られずに千年杉は倒れていった 風が吹く その中で答えを兄いだせるものではない いのちは太陽のように輝いていた時もあるかもしれな 雨が降る そして太陽が燦々と輝く 生きたいという願いは 永遠の中で生きているとしかいいようがない 一つの森を形成するだけのもの 生まれたばかりの杉も この森の中では千年杉も たった今が永遠の中に溶け込む・ 私の魂を揺さぶる そのいのちの響きは 倒れた樹から地霊が湧き上がってくる それよって衷しみも歓びも生まれて来る 森の中の動物たちは忙しげに動き回っている 生も死もここには存在していない 朽ち果てていったはずの樹が 愛のひかりによって活性化される いのちは個性を持つ事がない 私の愛する者たちの周囲をひかりの摸となって取り 何事に対しても哀しむことはない 囲んでいる 人のいのちも永遠の時の流れに身をまかせているだ ←ノ ー . L − − 葛 ただ運命の悪戯によって それは永遠の愛の証だからだ 生きている この地上に生まれたことに感謝をして ただ千年杉が停んでいるように・ じっと闇のひかりと 太陽の光の中で愛する者たちに微笑んでいればよい なぜ生きているのかなど忘れて この荒涼とした景色は人が作った タケニグサ 怖いのは死ではなく 坂井のぶこ よく生きる事ができなかったという 無念さなのだ タケニグサに花が咲いた 猶どもは一生懸命生きている タケニグサに花が咲いた 苦瓜にも花が咲いている 早すぎる 浜川崎にも歴史がある ここは息をのむような美しいところではない しかし それなりの風情を持っている 宮澤賢治が﹁病床﹂で タヌキ顔の猶よ タケニグサの問から青い眼をのぞかせている 賢治さんよ そこにはどんな音が聴こえていたのだろう と うたったとき ﹁たけにぐさの詳落にも風が吹いてゐる﹂ お前はもしかしたらコロポックルではないのかい あなたにとって﹁たけにぐさ﹂は美しいだけのもので 私はその美しきをなんとか書きだそうとしている みえないところに物語はひそんでいる はなかったはず 痩せ地に生きる人々の切なさが タケニグサよ 教えておくれ タケニグサを渡る風を通してあなたの胸に 二〇一二年の浜川崎 私に空をとぶすべを おまえの茎から出る汁を 産業道路沿いの小さな緑地では 響いていたのではなかろうか 脹脛に塗ると足が速くなると子供達はいっていた タケニグサの群れがタヌキ顔の野良猫の おまえはそれを知っているようにみえる おまえは空を飛ぶ術を知っているようにわたしには思 風が吹くたびに葉裏の白が光をうける ゆらり ゆらり ひらり ひら 痩せ地に生えるタケニグサ 本当によく生きるというのは 人が生きる 美しいものとしてうつっている そして私の眼にはすらりとしたクケニグサが 隠れ場所になっている 大人の背丈より高いおまえの茎は中空で いったいどういうことなのだろう える オレンジ色のアルカロイドを秘めている 10 11 ここのベンチではよく大きな荷物を 脇に置いた人がすわっている みなどこか荘洋として あてのない眼つきをしている しかし 不思議なことに 同じ人はいない タケニグサ 坂井のぶこ タケニグサには、不気味なところがある。粉を吹いたよう 風に吹かれると白い棄裏がみえる。ゆらり、ゆらり、ひらひ な薄縁すらりとした姿大きな葉の形は南国を連想させる。 レンジ色の汁がでる。みるからに毒々しい。図鑑でみるとや ら・独特の風情があり、美しい。しかし、折り取ると強いオ どこからきてどこへゆくのだろう この人達の眼にタケニグサほどうみえるのか る。 タケニグサは豊かな土地には生えてこない。痩せて荒れ果 はり﹁アルカロイドが含まれていて有毒である﹂と善いてあ 猫の顔は変わらない 今日もヒスイ色の薬の蔭から 碧い眼をのぞかせている てた寂しい場所で丈高く旺盛に育つ。だからなのだろうか。 せない気持ちになる。 私はタケニグサをみると悲しいような、切ないような、やる 大きなお腹をして あとひと月もすれば新しいいのちが 風景があった。ある日、そこは工事用のフェンスで囲われ、 いるoここは数年前までなんの整備もされていない空き地だ ったoキミがヨランやツキミソウが花を咲かせ、それなりの このあたりでも産業通り沿いの公園にタケニグサが生えて 生まれ出るのだろう 坂井のぶ こ詩集 革とキミガヨランは引き抜かれた。ベンチが置かれ、中心に ない。何かのきっかけがあり、印象に強くきざみつけられる。 桂の木が植えられた。周りには植え込みが作られ、ビヨウヤ ナギやウツギ、チンチョウゲといった低木が植えられた。雑 る。そして忘れられないものになる。そのものに触れ、にお そういうことがあってはじめてそれは感覚の中にはいってく 浜川崎から 二〇一二年 波琳善房 浜川崎から・Ⅱ 二〇一二年 波構書房 草が生えないようにとのことだろうか。公園一面に砂が厚く に直接訴えかけるなにかがなくては、けして自分のものには いをかぎ、味わう。それだけではなくそのときの感情や状態 敷かれた。その次の年辺りからタケニグサが生えだした。荒 のだから皮肉だ。砂が荒地と同じ環境を作り出したのだろう タケニグサは私にとってそれほど馴染みというほどではな ならない。 地に生えるタケニグサが公園化したあとの地面に生えだした 宮沢賢治もタケニグサの詩を奮いている。 かった。インパクトがとても強い革であることは確かなのだ けれど。 けれど宮沢賢治の詩を諮り始めた頃から、それは急に近し いものとなっていった。どうして彼は病床でタケニグサのこ けして豊かな世界ではない。虚無感に近いものが伝わってく 痩せた裸の地を好むタケニグサ。その群落を吹き渡る風。 。 か 病床 たけにぐさに 風が吹いてゐるといふことである 脳裡に浮かんでくるタケニグサの群落、それは無音のまま賢 となど思い浮かべたのだろうか。なすべもなく床の中にいて、 たけにぐさの群落にも 治にせまってきたのだろうか。白い菜裏をいっせいにひるが 人前で初めて宮沢賢治の作品をよんだとき、﹁銀河鉄道の えして。 風が吹いてゐるといふことである 夜﹂や﹁雨こモ負ケズ﹂と一緒に私はこの詩を選んだ。どう してこの詩を選んだのか、自分でもはっきりとした理由は解 わってくる。 人はタケニグサと一緒に生きてゆくことはできるのだろう る。しかし、それとは別に自然の持つ強さ。神秘的な力も伝 。 か からない。けれどこの詩を読んだときに白い棄裏をひるかえ して風に揺れているタケニグサの姿がはっきりと眼にうつっ っ た 。 てきた。そのころからタケニグサは私にとって特別な草とな 樹物はただ知っているだけではけして自分のものにはなら 12 13 詩人 尼崎安四 詩はいのちの生き様 高畑耕治 詩人・尼崎安四︵あまさき・やすし︶ の、とても心に響く 詩人ではなかったからだと思っています。この尼崎安四のよ えません。 うな優れた詩人を埋もれさせて平気な人たちを私は詩人と思 森英介や廓民雷、峠三士早作品が詩そのものだと私が感じ 敬愛し評価する詩人については、これまでブログでとりあげ てきましたので、読み返していただけたら嬉しく思います。 尼崎安四は、まだあまり知られていませんので、最初に出 典の本から彼の年譜を引用します。蛾争でフィリピン沖で戦 ︵私は祖父への想いから育まれる詩を今書いていて近日公開 死し会うことができなかった私の母方の祖父と同年齢です。 作家の野間宏の戦後すぐの小説﹃顔の中の赤い月﹄や﹃崩 したいと考えています。︶ の同人誌に尼崎安四が詩を寄せていたことを知り、時の流れ 壊感覚﹂に、私は20歳の頃強い影響を受けました。野間宏ら 彼のような本当の詩人が忘れられ埋もれてしまうことは、 詩を紹介します。出典は﹃定本 尼崎安四壁︵一九七九年、 蒲生︵やよい︶書房︶です。 の本を出版された出版社の方、そして尽力された詩人や友人 一九二二年・大正2年、大阪市生まれ。 尼崎安四︵あまさき・やすし︶年譜 と出会いを想わずにいられません。 詩を愛する者にとってとても不幸なことです。それだけにこ の方を尊欲します。その方々、高橋新士ユ富士正晴、諌川正 自らが附録に寄せている文章はどれも熱い真心が込められて いて感動せずにいられません。 一九三四年・昭和9年、21歳、同人誌﹁三人﹂七号に詩を掲 し中退。 一九三一年・昭和6年、18歳、僧になろうと龍谷大学、失望 彼らの弟子、迎合者ばかりが評価されています。もちろん、 載。富士正晴、野間宏ら。 敗戦後の現代詩は、﹁荒地﹂や﹁列島﹂によった詩人たちや 作品は多くありません。ジャーナリストであっても、本当の 私も読み理解しようと努めました。でも心を打たれ感動する 一九三七年・昭和12年、24歳、京大文学部入学。 私も彼の作品をー篇選ぶなら、この作品を選びます。 ご覧になれます︶。 一九三八年・昭和13年、25歳、高橋涼香と結婚、長女諾子出 裸の姿で歌われています。とても強い詩です。 彼のいのち、生き様そのものが、母への愛に洗われながら 一九四一年・昭和16年、28歳、将校を望まず二等兵として出 インが大きな波のようにゆれ、波頭では言葉の音色がなめら 。 生 一九四〇年・昭和15年、27歳、京大卒業を放棄。 。 征 満洲、パラオ、フィリピン、ボルネオ、ジャワ、ニューギニ かに繋がりささめき輝いています。︵カッコ内のふりがなは、 t−お母さん泣くのはよして下さい あゝ お母さん 泣くのはよして下さい 尼崎安四 そして、言葉の調べが美しい歌です。くりかえしのリフレ ア、ランクールを転戦。 私が加えました。︶ 一九四六年・昭和21年、統裁、帰国、要の郷里の愛媛県西条 軍事郵便に詩を雷いては妻や友人に送る。 市に居住。 同人誌﹁地の塩﹂を藤川正臣らと始める。過去の日記・ノー ト類の殆どを焼却す。 一九五〇年・昭和25年、37歳、詩集﹁徴笑みと絶望﹂を自ら 一九四七年・昭和22年、紬歳、長男形出生。 編 む 。 一生孤独を求めながら得られないで そんな惨︵いた︶ましい声はあげないで下さい さりとてなりはひのすべも覚えず ● 一九五一年・昭和26年、鎚歳、﹃微塵詩集﹂を編む。 一九五二年・昭和27年、38歳、骨髄挫白血病で残す。 詩﹁お母さん泣くのはよして下さい﹂を紹介します。 それでもお母さん 泣くのはよして下さい 真実 阿呆︵あほう︶のままのこのみすぼらしい私の姿 詩誌﹁たぶの木 5号﹂に詩人の田川紀久雄さんが選ばれ掲 人間の世界に通用しなくても 私には私の生き方があると思ってゐます 今回は、出典の中で、私がいちばん好きな、いいと感じる 載しています。︵私のホームページ﹁愛のうだの絵はん﹄でも、 14 15 もしかしたらげだものの世界に通用するかも知れない します。尼崎安四にも、仏教をテーマとした詩、いのちと死 だから一人の詩人が、豊かな個性をもつ、子どもを生み出 詩は人間としての魅力が潜みでる文学だと、改めて思いま 愛するひとへ呼びかける歌、愛するひとを想う歌、トワエ せてくれます。 モア ︵あなたとわたし︶ の愛の詩は心を揺らし心に花を咲か 。 す 私は強く打たれます。 淵を歩みながらも、愛の詩を残してくれました。そのことに の過酷な時代に病死した彼は、絶えず死を意識し、絶望の崖 戦争にあえて二等兵としてたぶん死ぬ覚悟で出征し、戦後 介するのは、愛の詩です。 彼の作品群のなかで、私がいちばん好きだと感じ、今回紹 感します。 を見つめる詩、象徴詩、それぞれの輝きと深まりがちり、共 あなたの子供ははんだうに正直に生き抜いてきました だからお母さん 泣くのはよして下さい 神様がきつとお許し下さるに違ひありません 人間の姿に伴︵いつわ︶りが多いなら 四つ邁ひになって森に住むのもいいでせう 何万何倍といふはつばや枝が一様︵いちょう︶に静かな歌を 唄ってゐます あ、 お母さん 泣くのはよして下さい 私の心は非常に静かなのです 少しは生きる姿がぶざまであつても だから お母さん 泣くのはほんとによして下さい あなたの子供は今 狐︵きつね︶ のやうに幸福なんですよ 詩は愛 これら三籍の詩も、言葉の調べがとても美しいです。音色 きをとても大切に作品としていると感じます。抒情歌と呼ん リズムの緩急の変奏、間︵ま︶ の置き方にも、彼が言葉の響 は子音、母音がやわらかに繕びつき流れ木魂しあっています。 行き、鉱がり、高み、深み、過去、未来、瞬間、そのさまざ 聖︵とお︶とい何かに触れてゐるかのやう でいいと思います。 詩人・尼崎安四の詩を今回もみつめます。詩人はこころの奥 まな表情に輝く個性を作品に結晶化します。 敗戦後の現代詩は歌を捨て断絶を傲慢に宣言して干からび てしまいましたが、同じ時期にこのように優れた詩歌が生ま 美しい結晶ばかりキラキラ光る 頑︵かたくな︶なものはみんな消え のふりがなは、私が加えました。︶ 私の心は希望で楽しい どこかに美しいものがあると信じてゐると きよ れていたことを、私は心から嬉しく感じています。︵カッコ内 きよに たとへわたしに要︵い︶らない幸福であつても あなたの円盤になってかがやけは わたしの道はあかりで飾られるのだ 尼崎安四 きよ この世のものならぬあなたの眼差︵まなざし︶ てゐるのだらう 私があなたを求めれば求めるほど きよ 私は離れてゆく 雲は殻を脱いだ揖︵せみ︶ のやうだ 愛を羞︵ほじ︶らふやうに遠くへと私は離れてゆく 尼崎安国. わたしの道はどんな﹁窄︵せま︶き門﹂に通じ ﹂めなたの夢 あなたの愛する朝焼雲が 村街道から遠く離れて 海の向ふの空の中に 今冷えびえとめざめてくる まだ夢みる瞼︵まぶた︶を開きあへず あんなにも悲しくはぢらつて 冷たい蒼空︵あおそら︶ の中へ身を埋めてゆく きよ じっと優しく陽を吸うて あのほとりの何といふ静かなこと 鳴き声なんかは何もしない 16 17 痛苦︵つうく︶が私の魂を引き裂いてしまふのを見守るため そして距︵へだ︶てられた深淵︵しんえん︶ の彼方で このことを信じ あのことを信じ 私の袖につかまって 然︵しか︶しあなたは私をあてに生きてゐる 私は自分がどこにもつながってゐないのを知ってゐる あなたが星のやうに優しく何かに向つて光るのを仰ぐために たしかに露だつて棄末︵はすえ︶ に生きてゐることがある に きよ 陰鬱な私のそばでなぜかあなたは輝いてゐる あなた自身が陥︵お︶ちてゆくもののやうに あなたの美しきは水盤︵すいはん︶を盗れる水のやうに 白 く拡がつてくる 私の心はそのしぶきを避けるやうに寂︵しず︶かさの深みで 詩を愛する方の心に、尼崎安四の作品が響き、愛の花が咲く 瞼︵まぶた︶をとざすのだ 閉された験の外では いつも遠くでのやうに ことを、私は願ってやみません。 いつからか 私のものでなくなってしまった不思議なあの幸 いのちのひかり 慈 惑 いのちとの対話 愛するものへ 鎮魂歌 神話の崩擾 祈り いのちの馨 斑猫書房 本体二〇〇〇円 見果てぬ夢 生命の旅だち 生命の尊厳 生命の歓び 未来への旅 田川紀久離詩集 末期ガンの宣告を受けてからの詩集 霜劇中翌甜宝l割融国 のちを語ろう﹂がユーチューブで観られます。 *尼崎安四詩集より。田川紀久雄・詩諮りライブ﹁第日固い *これは高畑耕治さんのブログからです 幸福が想ひ出の水音をだててゐる 福 トワエモア 尼崎安四 世界のどこかにつながってゐたものが切れてしまった 私はいつ地球の外へおちてゆくかも知れない 私の一歩一歩 私の一言ひとことはみんな偶然だ奇蹟だ 私が一番自分を信じてゐない 詩語りの出揃を行っています 田川紀久雄・坂井のぶこ 宮沢賢治・中原中也・村上昭夫・尼崎安四・ 金子みずゞ・林芙美子・自作講・その他 費用は、ご相談の上で決めさせて頂きます。 田川紀久態は、末期ガンを宣告されていらい、 いのちについて語りをおこなっています。手 術もせずに五年近くも生きています。より語 りの深みを目指して活動を行っています。皆 様の温かいご支援のほどをよろしくお願いい たします。 漉林書房本体二〇〇〇円 18 あとがき 今回のゲストは神谷恵︵本名・略本恵︶ さんである。詩集 に ﹁てがみ﹂がある。高畑新治さんの紹介で載せることがで 安倍政権いらい、世の中が変化してきている。憲法改正が きた。 行われるかも知れない。詩で世の中が変わるとは思えないが、 人の心の支えに幾らかでも役立てるのではないかと思ってい る。詩人だけが愛︵かな︶ しみを大聾で叫べるのではなかろ ﹁たぶの木﹂ で活かしていきたい。 うか。高畑耕治さんが愛にかなしいとルビをつける心をこの 田川紀久雄 『いのちのひかり』 次号のメ切は八月二十日です。 ﹁たぶの木﹂は高畑耕治さんのホームページでも 見れます。 20 私と坂井さん、野間さんの﹁いのちをかたろう﹂ の詩語り ライブは五月でいったん取りやめになった。これは会場の都 合で致し方がない。また新たな会場が決まれば再開したいと 思っている。この﹁たぶの木﹂はそこで配るために作り始め たのだが、これからもライブがなくてもこの詩誌﹁たぶの木﹂ 剛II紀久櫨 は続けて発刊してゆきたい。 ︵田川記︶ くノ′ノ辛目 いのちのひかり
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