前立腺癌発症から勝利 帰還迄の闘病記 2014 年8月 23 日。その日は朝からとても暑い日でした。 毎日冷たい物を飲み続け身体は疲労の極にあったのですが、この日もまた 冷たい飲み物や食べ物をとり続けエアコンの強冷風を体に当て、健康には自信 があったとはいえ恐ろしい事をしていました。その夜、寝ようとしたのですが 寒気がして全く眠れません。更に尿意があるので 30 分~1 時間おきにトイレに 行っても全く小水が出ません。身体が冷えているせいだと思い、もう一度風呂 に入っても鳥肌が立って寒気は抜けません。この時点で少々異常を感じたので すが未だ深刻には考えていませんでした。眠れぬ長い夜が明けとりあえず泌尿 器科に行く事にしました。その頃には寒気もなくなり少しずつ、小水が出始め て苦しさも無くなり一安心でした。肛門の触診で前立腺の右部にシコリが有る と言われたのですがそれは自分の年令を考え肥大は当たり前でそのせいだろう と考えました。更に採血をして4日後にその結果を聞きに再び医院を訪れまし た。その日から自分自身にふり掛かった、人生の今迄に経験した事の無い危機 におののく生活が始まったのです。 検査の結果 PSA 値(前立腺抗原値)が正常の4よりはるかに高い 33.80 と告げ られ癌の疑いが濃厚なので再検査の要有りという説明を受け大病院を紹介され ました。2週間後に(その時はまだ危機感も無くムダに日時が過ぎてしまいま した。)2泊3日の入院をして肛門に何か異様な棒状の物を入れられ 15 ヶ所の 組織を採取しました。 (今迄にこういう経験が無かったのでとても痛くとても不 安でした。その上、部分麻酔の注射のせいか血圧が 60 以下に下がってしまい戻 Z-1 らなくなってしまったのです。 数日後下された診断結果は15ケ所のうち11ケ所が癌細胞だったのです。 更に数日後、今度は骨の検査(骨シンチ)とリンパ検査(CT スキャン)を 受けなんと両足の付け根のリンパ節に大きな転移が発見され最終的な診断結果 は前立腺癌のステージⅢ-C でした。もうかなり進行していて手術は出来ないし 意味がないと言う事だったのです。まさに晴天の霹靂でした。 家に帰り妻には癌だったが初期で手術はせずにホルモン療法で治す事になった とだけ告げました。 いよいよ最後の時が来るまで妻には悲しませたり苦しませたりしたく無いと思 い嘘を付き通す事を決意しました。 ホルモン療法と言うのは腹部に注射と 1 日1回の飲み薬で男性ホルモンを抑制 する療法です。この副作用は女性の更年期障害と同じ症状の (カーツと暑くなり汗が噴き出す状態)②うつ症状 ④無気力化 ⑤肩こり ⑥めまい や更に肝機能障害 ①ホツトフラッシュ ③筋力の低下 等です。 ホルモン療法を始めると同時にどうせもう長くない命ならダメもとで昔から自 分が信じて掌蹠膿疱症を治したアガリクスやキャッツクロー、フコイダン入り のナノ水素水等の民間療法をこの際強烈に進めてみようと決意しました。 しかし、それからの日々は初めて経験する辛く苦しい日々になりました。 毎晩眠ろうとしても突然訪れた自分の人生からの退場命令をどう受け入れるか に困惑し悲しくて涙がとまらなくなるのです。 初めて自分がいかに弱い人間だったのかと思い知らされ愕然としました。 その後3週間ぐらいは何をしても、うわの空で、残りの寿命が分かれば その間にしておくべき事をきちっとやるという人の話を聞きますが、自分には その強さも勇気も無いと言う事が身にしみて分かりました。 Z-2 夜、眠ろうとして電気を消し真っ暗な部屋のベッドの上で色々な事、残された 妻の事、死後の世界の事、今迄先に逝った友人、知人、身内の人々が生前どの 様に悩み苦しみ、そして自分の死を受け入れて逝ったのかという様な事。 沢山たくさん悩み考え、そして、たくさん涙を流しました。 又、そういう時に限って楽しい本より悲しい本に眼がいってしまいそれを読ん では又涙が出て来るのです。 城山三郎著「そうか、もう君はいないのか」 中村航著「100 回泣くこと」などです。本当に辛く悲しい日々でした。 ところが ―――――― 奇跡が起きたのです。 33.80 ⇒ 0.11 3ヶ月目の採血の結果 PSA(前立腺抗原値)が何と 迄下がったのです。しかもアガリクス等のおかげで更年期状 も、急激に発汗するホットフラッシュ以外は殆ど無く比較的楽に生活は出来ま した。(勿論夜は考えてしまい苦しかったですが)更に次の月 PSA 値は何と 0.04 迄下がりました。翌1月23日の CT 検査の結果、リンパ節の転移がどの 程度進行しているかと、おそるおそる先生の前に座ると『今日はあなたに、と ても良い話をプレゼントするよ』と言われ前回の CT の結果と今回の結果をパ ソコン画面で見せて下さり(素人には、はっきりとは分かりませんでしたが) 何と両足のリンパ節の転移がまったく消えて無くなっていたのです。更に前立 腺癌に起因する他の臓器への転移等による発病の恐れは殆ど無く、5年・ 10年のスパンで自分のこれからの生活を考えても良いというありがたい言葉 もいただきました。 検査を受けに行く時のあの憂鬱だった気持ちが病院の帰りには嬉しく久々に 明るい笑顔が戻っていました。 家に帰ると心配顔の妻に、まず、ごめんなさいとあやまり、今迄嘘をついてい Z-3 た事、でも今日でとりあえずは一安心出来た事、又 先生からこれ程、劇的に 良くなった患者は初めてで、もしかしたら貴方の信じている民間療法も効果が 有ったのかも知れないと言われた事など、今迄、言いたくても言えなかった事 すべて告白して二人で抱き合って思い切り本当にたくさん泣き、そして笑い合 いました。もっとも妻は自分が発病以来、本を整理したり写真や手紙を燃やし たり、又、薬を取りに行った薬局の人から『可哀想にもうかなり進行していて 手術ができないのね』と言われたりで、ただならぬ状況だと言う事に気がつい ていたと言っていましたが。 2015/1/23、ちょうど 2014/8/23 から 5 ケ月ぶりの心の底からの笑いと今迄肩に 入っていた力もスット抜け朝までまったく眼が覚めず熟睡できたのです。 その後も相変わらずホルモン療法とアガリクス・キャッツクロー・フコイダン ナノ水素水は続けていますし、今後もずっと欠かさず飲み続けてゆきます。 今は全く以前のような普通の日々を送れている事に、又人生の退場命令が先延 ばしされた幸運にも感謝している日々です。 沢山の人に感謝し、自然の美しさに感動し、生かされている事に感謝し、何よ り自分の中の意地っ張りな、いやな部分が消えてとても優しい部分が表面に出 て来た様に思えるのです。 とても勇気づけられた先生の言葉 覚悟を決めるという言葉 私達素人は癌でステージⅢ-C しかもリンパに転移していると宣告された段階で もう多分駄目なんだろうと思ってしまうのではないでしょうか? 『先生の今迄沢山患者を診てきた経験から自分のケースでは後1年か2年です か?覚悟を決めますから』という質問に対して 『覚悟を決めると言う事は決して男らしくも何とも無いんだよ。それは病気に Z-4 対して白旗を揚げるという事、負けを認めると言う事で其の時点から自己治癒 力、自己免疫力は極端に下がって弱くなってゆく、そうすると本当にその年月 で命の終わりは来てしまう。常に病気と闘う強い気持ちを持っていかなければ いけないんだ』 こ の 言葉 は 気弱 にな っ てい る 患者に と って は 薬 以 上 の 薬 にな り ました 。 もし、あの時自分が覚悟を決めていたら、信じていた民間療法もやっていなか っただろうし病気も、もっと進行し今の自分は居なかっただろうと確信出来る のです。医は仁術という言葉がありますが本当に患者の事を考えてくれる素晴 らしい先生にめぐり会えた幸せを感謝しました。 ㈱ クレオメ・ジャポン 新津 電話 吉政 0463-73-7750 FAX 0463-73-7759 E-mail [email protected] http :// www.creome.co.jp Z-5
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