「ウォーヂェ」とジャッキー・ミカエリのコンサート

日本コルシカ協会季刊紙 第2号 CIRCULU CORSU-GHJAPPUNE
NUMALE-DUE,(UTTOBRE:2000)
ウ・ユルナーレ
2000年秋号
「ウォーヂェ」とジャッキー・ミカエリのコンサート
コルシカの音楽「概論」
「コ
ルシカ・ポリフォニー(polyphonie
音楽=ポリフォニーという図式を作り上げたよう
corse)」とは何かは会員皆様はある程度ご存知で
ですが、コルシカにはポリフォニー以外の「ウォ
しょう。コルシカの音楽のことですが、現地コル
ーヂェ」もあります。もちろんコルシカにも「ポ
シカでは「ウォーヂェ(A voce)」あるいは「ウ
リフォニー(pulifunia)」という言葉は有ります
ォーチ(E voci)」と呼ばれることが多いようで
が、これは多種多様なコルシカの音楽の中の一つ
す。(「声」という意味です。「ウォーヂェ」は
のジャンルに過ぎません。「過ぎません」と言っ
単数形、「ウォーヂ」は複数形です。決してイタ
ても、「ポリフォニー」は1974年に結成された
リア語のように「ヴォーチェ」とは発音しませ
「カンタ・ウ・ボーブル・ゴールス(Canta u Po
ん)ポリフォニーとは「混声合唱」のことですが、
pulu Corsu=「歌うコルシカ民族」という意味)」
コルシカの音楽は必ずしも「混声合唱」ではない
以降、70年代後半に産声を上げた「イ・ムヴリー
からです。「イ・ムヴリーニ(I muvrini=「子ヤ
ニ」や「ティアミ・アディアレージ(Chjami Agh
ギの群」という意味)」の世界的成功がコルシカ
jalesi=「空の叫び」の意味)」をはじめとする今
一部の伝統的な「ウォーヂェ」はトスカーナ語で
日にいたる数々の現代コルシカのグループは「ポ
表現されているからです。キリスト教の精神が身
についていないコルシカの人に、教会を建てても
リフォニー」に相当しますから、コルシカの音楽
自動的に集うわけではありませんし、説教しても
理解されません。このため、島に派遣された聖職
的遺産の大きさには驚きます。
ここでコルシカの音楽史について若干(と言っ
てもちょっと長くなってしまいますが)触れてお
者が、島民の日常生活に「ウォーヂェ」があるの
を目に付け、教会の慣習や説教内容を口頭伝承化
させたという訳です。
きましょう。しかし、「ウォーヂェ」は基本的に
歴史的な経緯はこの程度にして、コルシカの
口頭伝承ですから、ほとんど有力な資料は有りま
「ウォーヂェ」の実態が徐々に明らかにされてい
せん。いまでもはっきりした歴史的起源について
ったのが、1960年代に実施されたフェリックス・
は把握されて入ません。ただ、有力な説は幾つか
キリーヂ(Felix Quilici)のいわゆる音楽人類学的
あります。
調査でした。それまではコルシカの「ウォーヂ
それらによると、コルシカにおける「ウォーヂ
ェ」については18世紀末のフランス併合直後に実
ェ」の慣習は紀元前から有ったようです。ヘロド
施されたフランス官僚や聖職者らによる探検によ
トスの『歴史』では「コルシカ」という名称はま
るものでした。メリメは19世紀にコルシカの「ウ
だ使われていませんが、「イタリア南部近海の狭
ォーヂェ」を題材にした小説『コロンバ』を公表
い海峡に隔てられた二つの大きい島(これはコル
していますが、この資料となったのが18世紀末の
シカとサルデーニャであることが確認されていま
調査でした。詩の存在は当時から知られていたの
す)」では、島民どうしで「声を掛け合う」魔可
ですが、これはもちろんメロディーが含まれてい
不思議な慣習があると記述しています。すなわち、
るわけではありません。これに対してキリーヂの
コルシカにおける「ウォーヂェ」の週間は、キリ
調査は録音機材を導入した本格的なものでした。
スト教以前から存在していることが確認されてい
ます。
彼の調査によって、コルシカの音楽の実態が明
らかにされます。それと同時に島民が相当日常生
しかしながら、キリスト教、特に聖歌との関係
活で、特に男性がその習慣を有していたことが分
は間接的ながら認められているようです。コルシ
かるようになりました。例えば道中で友人にばっ
カにキリスト教が布教されたのはローマがコルシ
たり出会ったら「ウォーヂェ」で挨拶を交わす。
カを支配し、島内の反乱勢力であった「コルシ
選挙の際には村人が一列に並んで投票所に向かい
( Corsi = 元か ら コ ル シ カに 居 住 し て いた山岳
「選挙の歌」を唄うなどです。コルシカの多くの
民)」を平定した紀元前200年頃であるが、ロー
「ウォーヂェ」が残っていないのもそのほとんど
マのコルシカ支配は欧州大陸に比べて短く、ロー
が即興で作られるからで、非常に感銘的なものだ
マの東西分割直後からイスラム勢力による破壊、
けが今日まで残っているということも明らかにさ
略奪行為を被ります。キリスト教精神の浸透は中
れました。
途半端で、その後、島にキリスト教が再び広めら
れるのは島がピサ共和国領になった西暦1300年代
以降のことです。
このため、キリスト教化が不十分な島民にキリ
スト教の精神を十分に浸透させるために、いわゆ
る聖歌以外にさまざまな歌が教会勢力によって創
られ日常生活に広められたという説もあります。
「ウォーヂェ」は一般的に次のように分類され
ています。
A.伝統的な「ウォーヂェ」
A-1.聖歌(Canti Sacri)
A-1-1.賛美歌
トスカーナ語版、コルシカ語版
A-1-2.賛美歌以外の聖歌
コルシカ独立時代の国歌(Dio vi salvi
Regina)はここに分類される。
ジャッキー・ミカエリについては私は全然知識
を持ち合わせていません。知りえる情報は1曲だ
け私はCDで持っていること(コルシカのレコー
(一般に聖歌は「ポリフォニー」の形態)
ド会社「ウ・リゴールドゥ」が創立25周年を記念
A-2.非宗教歌(Canti Prufani)
して発行したアンソロジーのCD)と、彼女が後4
A-2-1.「ポリフォニー」形態をとるもの
人の女性とコルシカではじめての女性だけのポリ
パディェーッラ(Paghjella)
フォニー・グループ、「ドニンスラーナ(Donnin
テルツェッタ(Terzetta)など
sulana=「島の女性」という造語)」を結成して
A-2-1.「ポリフォニー」形態でないもの
いることぐらいです。
ラメントゥ(Lamentu)
そのコンサートはギタリストの渡辺香寿美氏と
ウォーヂェル(Voceru)
の共演によるもので、8月18日の夜8時からアース
B.現代の「ウォーヂェ」
B-1.「ポリフォニー」形態をとるもの
セレブレーションのメーン会場である小木町の中
心部にある「ECシアター」で行われることになっ
イ・ムヴリーニ、ティアミ・アディアレー
ていました。宿へはコンサート終了後に行くこと
ジ、ア・ヴィレーッタ、カンタ・ウ・ボーブル・
にしていたので、この日はレンタルサイクルで町
ゴールスら(いわゆるフランス本土や日本で言わ
の周囲を回ったり、温泉に入ったり、会場近くの
れている「ポリフォニー」はこれに相当する)
フリマで珍しい料理を食べたりして夜を待ったの
B-2.ポリフォニー形態をとらないもの
G-P.ボレッティ、P.ゲルフッティ、E.マッテ
でした。
さて、いよいよ始まる時間となってコンサート
イ、A.ヂョージら。
会場についた私は驚愕におそわれました。「シア
C.クントラースティ(Cuntrasti)
ター」というからには何か大きな会場かなと思っ
男女の混声による「ウォーヂェ」
D.器楽―「ウォーヂェ」ではない
ていましたが、そこは町の中のどこにでもある
「バー」を借りただけの「シアター」という文字
カラムーザ(Caramusa)-コルシカ・パグパイプ
の書かれた紙が窓に貼られている建物でした。中
チェーデラ(Cetera)-コルシカ・シタール
に灰ってさらに驚くことに暑い、暑い!。むっと
など。
する暑さでした。私の自宅よりも狭い会場に数十
人が入ってくるわけですから。そりゃまあ、非常
という風にコルシカの音楽は非常に多様であり、
に暑いわけです。ミカエリの前のサックス奏者は
「ポリフォニー」とはそのごく一部でしかないこ
汗にまみれ、口を滑らせて演奏を間違えるほどで
とが分かります。
した。
8時から始まったコンサートで、ミカエリが出
佐渡島に来たジャッキー・ミカエリ
てくるのは何と10時半頃。バラで鑑賞券が買えず、
このコンサートとおしで3000円払わなければなら
この8月、私が佐渡島に訪れることになったの
なかったのでした。渡辺氏のソロギターの演奏が
は、ジャッキー・ミカエリがここでコンサートを
9時半に始まりましたが、ジャッキーが出てこず、
開くからです。彼女はここで毎年夏に開催される
少しいらいらしました。
アース・セレブレーションという佐渡の和太鼓集
団、「鼓童」が開く国際音楽祭に招かれたからで
す。
ジャッキー・ミカエリ
いよいよコンサートも残る4分の1になって、や
カの伝統歌などを披露しました。
っとジャッキー・ミカエリの登場です。写真では
コンサート終了は夜11時20分。狭い蒸し暑い会
結構若く見えますが、実際は50歳くらいの非常に
場の中で、彼女は汗まみれになっていました。私
華奢な人物で、果たしてこれでウォーヂェができ
は直接コルシカの歌をそれもわずか1m前で聴くの
るのかと若干気になっていたのですが、非常にし
は始めてだったので、非常に感激しました。一つ
っかりとした声で、さらに右手を耳に当てるあの
言えば、ギターとの共演でなく、ソロの本当の意
コルシカの独特のポーズで歌い始めました。全て
味でのウォーヂェだったらなおよかっただろうと
で5曲ほどでした。まず最初に、コルシカ人なら
思いました。
(会長
誰でも歌えるという独立時代の国歌(Dio vi salvi,
長谷川秀樹)
Regina下のほうにムービークリップがあるので、
この音楽を聴きたい人はクリックして見てくださ
次号ではアーティストを紹介します。
い。ただし、歌っているのはジャッキーではあり
お楽しみに。
ません。)からはじまり、自分の持ち歌やコルシ
コルシカこの季間での出来事(2000年7月〜9月)
7月:マティニョン協定(続)
フ
枠組で行う改革である。具体的には①CTC(Colle
ランスのジョスパン首相は、昨年の9月か
ctivite territoriale de Corse、コルシカ全島を包括
する行政単位、フランス本土の「レジオン」に相
ら懸案になっていたコルシカの将来的解決のため
当するが、CTCは「レジオン」に比べて幾つかの
分野で特別な権限が認められている)と島に二つ
の改革案を21日ついに公表した。それはコルシカ
の地位を大幅に改革するものであり、どちらかと
あるオート・コルス(県庁バスティア)、コル
ス・デュ・スュッド(県庁アジャクシオ)の県と
いう島の「二重行政」の改革である。自治主義側
言えば島の自治主義の要求に応えたものであると
はCTCと2つの県という構造は人口25万人程度の
島では無駄で、財政功率の悪化につながり、政治
言えるだろう。したがって、島の内外を問わず、
的硬直の原因でもあると非難し、県を全廃すべき
と主張していた。一方、島の伝統的政治支配層で
フランス政府の改革案に対して、フランスの共和
構成されるコルシカの共和主義勢力は、県の廃止
に真っ向から反対していた。これは、県の廃止は
主義の防衛者からの反発が相次いだ。
その具体的な改革は2000年から2004年の期間に
及ぶもので、大きくは2000年から2002年までの第
一段階、2002年から2004年までの第二段階に分け
られる。
まず、第一段階ではフランスの憲法改革やコル
シカの地位法の制定を伴わない小規模な、現行の
コルシカに島レベルでの中央集権と開発の地域的
偏りをもたらしかねないという理由からであるが、
もちろん本音は県議会の廃止によって彼らの政治
的地位が失われることであろう。
首相は第一段階ではまず二つの県を合併し、一
つの県にすることを提案した。つまり、CTCと一
つの県というわけである。県の合併については特
段法律を新たに制定する必要はないので、首相は
ンが設置されることが規定されているので、県を
これはすぐさまできると判断した。
廃止するには憲法改正が必要であるという。タヒ
第二段階ではコルシカに大幅な自治権を付与す
チやニューカレドニアには県は置かれていないが、
る。まずコルシカ地域議会(ATC)に立法権を付
これは憲法にタヒチとニューカレドニアの特別条
与することである。フランスの地方議会、本土の
項が設けられているからだ。したがって、首相は
レジオンの議会にはあるのは審議権だけであって、
これをコルシカにも適用することを念頭において
法律を制定する立法権は認められていない。これ
いるのである。
はフランスの中央集権主義、あるいは単一主義を
「コルシカ民族(peuple corse,コルシカ語ではp
反映したものである。もちろん、タヒチやニュー
opulu corsu)」の政府による何らかの形態での承
カレドニアなどの例外はあるが、フランスの地方
認を自治主義側は求めていたが、首相は前回の91
議会は審議案を議決することはできても、法律を
年の地位改革でコルシカ民族の法的規定が憲法院
作成し、議決することはできない。その立法権を
に違憲と審査されたために、これを困難として拒
首相はコルシカに認めようとしているのである。
否したが、コルシカは歴史・文化・言語などの面
で特別な共同体であることは認めるようだ。
しかしこれには当然、現行のフランス共和国憲
その一つがコルシカ語である。1994年のバラデ
法の改正が必要になる。タヒチやニューカレドニ
ュール首相時代にコルシカ語は全ての学校教育機
アの自治権は憲法によって規定されているが、コ
関で週あたり3時間授業することが目標とされて
ルシカについては一切の記述がないためである。
いる。まだこの目標は達成していないが、今回の
改革では小学校ではコルシカ語の授業は原則とし
さらに首相はその準備として第一段階の期間に
て全ての児童が受けることとなった。フランス語
現行のコルシカ議会に「部分的法制定権」を付与
以外の言語の教育を義務とすることは1999年の憲
することも提案した。これは特定の条件の下に、
法院判決で違憲とされてはいる。このため首相は
コルシカ議会がコルシカに関する特定の分野での
「義務」という表現はいっさいもりこまず、児童
法案を作成制定できるというものである。そして
の保護者がコルシカ語教育を望まない場合は、こ
首相はこれの法的根拠を、大学の自治を認めた19
れを拒否できるとしている。
93年の憲法院(フランスの憲法裁判機関)判決の
それ以外にはフランス併合以来続けられてきた
拡大解釈を示唆した。つまり、コルシカを大学と
相続税の免除などの特別税制措置が改革によって
同等の特別な公共団体と認定しようというのであ
段階的に撤廃されること、現在、スペイン領カナ
る。
リア諸島やポルトガル領マデイラ島などが享受し
と、同時に第二段階では第一段階で一つに統合
ているPOSEI制度(EUの共通政策を大陸と同様に
された県が全廃され、コルシカは拡大した権限を
適用するのではなく、島嶼社会の特殊性を考慮し、
もつCTCとコミューンだけで構成されることにな
この適用を部分的、段階的にすること)に類似の
る。しかし、フランス共和国憲法には、フランス
EU政策を要求することなどがあげられている。
の地方公共団体としてレジオン(現在のCTCは便
宜上「レジオン」とされている)、県、コミュー
8月:シュヴェーヌマン内務大臣辞任
政
府改革案は7月下旬、コルシカ議会で承認
されたが、肝心のジョスパン内閣の足並みが乱れ
る)ⅳ)個人主義、ということになろう。つまり、
た。シュヴェーヌマン内務大臣がコルシカの自治
政府が進めているコルシカ改革は自治主義を認め
るものであり、コルシカに特権を与えることで、
改革に猛然と反対したからである。現在のジョス
ⅰ)フランス共和国の不可分性、フランス国民の
単一性を揺るがす、ⅱ)コルシカと他のフランス
パン内閣は社会党、共産党、緑の党の他に、かつ
ては社会党の一部であった「市民運動(MDC)」
国民との間に差別を導入する、ⅲ)コルシカの民
族性を認める、ⅳ)コルシカという集合的権利を
個人的権利に優先させる、という意味で共和主義
から構成されるいわゆる「多元的左翼」である。
に反するというのが彼らの主張である。
ジョスパン政権はコルシカの改革こそが島に平
シュヴェーヌマン内務大臣はこのMDCの代表であ
和と安定をもたらし、またこの改革は共和主義を
逸脱するものではなく、またコルシカに関わる国
家行政機関の同意なしには行わないことを強調し、
る。
MDCはEUの統合を批判し、フランス共和国と
そのナショナル・アイデンティティを防衛する立
場を取っている。もとは社会党のシュヴェーヌマ
ン派であったが、社会党がさらにヨーロッパ統合
を推し進めるのに反発して離党し、新たにMDCを
結成したのである。
シュヴェーヌマン大臣やMDCのメンバーはジョ
同意を求めたが、シュヴェーヌマン内務大臣はこ
れを拒否し、8月末、内閣を辞任した。
コルシカの改革はフランスで大きく反響を呼ん
でいる。これに賛成する側も反対する側もこの改
革は近代以降のフランスの政治理念である共和主
義を大きく変えるものであることだけは同意して
いるようだ。
スパン内閣が進めているコルシカ自治改革はフラ
ンス革命以来の理念である共和主義を否定し、フ
ランスをバラバラにしてしまうものだと厳しくこ
ジョスパン首相(写真左)とシュヴェーヌマン内務大臣
(8月23日『リベラシオン』紙)
れを批判した。共和主義とは一般に、ⅰ)フラン
ス共和国の不可分性・フランス国民の単一性、
ⅱ)平等主義、ⅲ)ライシテ(公共空間での非宗
教性―日本で言う「政教分離」とは少しことな
9月:続く火災
今
年5月頃から続いた異常な乾燥と暑さは、コルシカ島をはじめ、地中海沿岸では深刻な火災被害
をもたらしている。9月になってもこの傾向には歯止めがかからず、島内各地で大規模な森林火災が相次
いでいる。(長谷川秀樹)
会員動向
(現地旅行など)
長谷川秀樹…パリ12区の「エスパス・シルネア」
再訪。10月27日。
す。寒さに耐え、年を越すのに温かい暖炉(フゴ
ーネFucone)のまわりでクリ料理に舌づつみする
(出版など)
のも格別でしょう。この日は、「エスパス・シル
長谷川秀樹「島嶼地域における自治の問題―フラ
ネア」の広間でクリ料理のソワレを行います(暖
ンス・コルシカを事例に」日本島嶼学会編『島嶼
炉はありませんが、きっと素晴らしい夜になるで
研究』創刊号
しょう―長谷川談)。
(講演・研究会など)
11月18日アントワーヌとジェローム・ヂオージ
現代フランス研究会(GEFCO)
(Antoine et Jerome Ciosi)のミニコンサート
長谷川秀樹が「コルシカ―歴史・言語・政治
CD発売を記念して同じく「エスパス」の午後8
(仮)」という題目で発表します。GEFCOは中央
時30分より始まります。アントワーヌは「ポリフ
大学三浦信孝氏が代表を務める現代フランスの
ォニー」がコルシカで流行る前から「オヤジ」と
様々な問題を研究するグループです。11月18日午
してコルシカで親しまれています。彼の歌は「ポ
前11時より東京・恵比寿の日仏会館で開催。研究
リフォニー」とは違い、イタリアのカンツォーネ、
者以外の参加も可能ですので(ただし、事前に協
あるいは日本の演歌に似ているのが特徴です。
会までご連絡下さい)、是非いらして下さい。
注)上記二つのイベントには参加費が必要です。
動向がありましたら協会までご連絡下さい。なお、
それぞれ170フラン、180フランです。詳しくはエ
会員で、住所や電話、勤務・所属先が変更された
スパス・シルネアまで連絡して下さい(下記参
場合にもご連絡ください。
照)。
イベント
パ
また、2月には恒例の「スコーントリ(Scontr
i)」が開催されます。スコーントリとはコルシカ
リのコルシカ出身者で組織されている文化
語で「出会い(フランス語のrencontreに相当)」
という意味です。今年は3、4日に「エスパス」を
交流団体「エスパス・シルネア」(ピエール=ジ
始めとしてその近隣のルイイー街を舞台にして行
われます。歌あり、料理あり、物産展あり、さら
ャン・アンドレイ会長)より、パリでのイベント
には有名人の講演もあります。また、今年はゲス
ト国にルーマニアを迎え、画家の展示会なども予
について紹介してくれるように依頼がありました
ので、お伝えします。この時期にパリを訪れる人
定されています。
注)スコーントリ2001への参加には事前に予約
受付が必要です。所定の申し込み用紙に必要事項
はもしよかったらご参加ください。
を記入し、エスパス・シルネアまで郵送してくだ
さい。なお、締めきりは今年12月15日です。
(パリ市内・および郊外)
11月11日「クリ祭」FESTA DI CASTAGNA
コルシカではクリを使った本格的な(?)料理
が出されるようになるときが冬の始まりだそうで
用紙を希望の方は協会またはエスパス・シルネ
アまで連絡してください。エスパス・シルネアの
住所、電話、ファックスは以下の通り。
htmを参照。)
Les Amis de Cyrnea
38 Allee Vivaldi 75012 Paris
01-4340-1343 (Tel)
(日本国内)
01-4340-2652 (Fax)
近々、「ポリフォニー」のビデオ(「リゴール
エスパス・シルネアに行くには…。
ドゥ」が96年に制作した「カンタ・ゴールシガ
メトロ6、8ドムニル(Daumesnil)駅から
ドムニル大通り(Avenue Daumesnil)を下り
(Canta Corsica)」を上映することを企画してい
(少し坂になっています)、しばらくすると国鉄
ます。上映時間は約80分。「イ・ムヴリーニ」を
の旧ルイイー駅があります(20年くらい前に廃止
始めとして島を代表するグループ、個人からなる
されたバスティーユ駅を始発とする線の駅です。
オムニバス。
建物だけ残っていて、今は公民館として利用され
後日詳しい日程などを連絡致しますので、ご希望
ています)。その駅の手前にブラームス通り(Ru
の方は協会までご連絡下さい。
e Brahms)があるので、この通りに入って下さい。
するとヴィヴァルディ通りにすぐさしかかります。
(画面をクリックして下さいDio vi salvi, Regina
(地図は HYPERLINK http://perso.wanadoo.fr/d.au
が聴けます)
bin/cyrnea.htm http://perso.wanadoo.fr/d.aubin/cyrnea.
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編集後記
9月、10月とカナダ、アメリカ、デンマーク、スコットランド、ジャージー島、フランスを訪れ(もち
ろん観光ではありません)、この期間日本にいたのはわずかに2週間でした。またも予定した発行日に間
に合わず大変申し訳ありません。さて今、自宅にアジアサット2(海外衛星放送)を置こうかと検討中で
す。いま自宅にはNHKのBSはあり、これはフランスのテレビを見るためなのですが、何分朝早くのフラ
ンス2チャンネルのニュース、しかも半分くらいに編集されたものだけなので、物足りません。アジアサ
ットにはTV5というフランスやケベックのニュースだけでなく、ドラマやバラエティ、映画などが見られ
るフランス語だけのチャンネルがあります。やっぱり、テレビ番組はそのまま見ることが肝心ですね。私
はフランスの3チャンネルにやっているクイズ番組(確かQuestionnaires pour les championsとかいうタイ
トル)が非常に好きで、フランスにいるときは欠かさず見ていました。
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『ウ・ユルナーレ』第2号
日本コルシカ協会
〒263-8522
千葉大学社会文化科学研究科
長谷川秀樹研究室内
電話・FAX 043-290-3704
メール
[email protected]