第3号 - ODN

ウ・ユルナーレ
U GHJURNALE Nu.3
日本コルシカ協会季刊紙 第 3 号 CIRCULU CORSU-GHJAPPUNE
NUMALE-TRE,(GHJENNAGHJU 2001-INVERNU)
ウ
レ
ーレ
ナー
ルナ
ユル
・ユ
ウ・
22000011 年
号
冬号
年冬
●目次
ポリフォニーのアーティスト紹介(1)・・・・・1
ポリフォニー歌詞(P.ゲルフッチ/思い描いた島)・・・・・・4
コルシカ語入門(0)・・・・・6
その他・諸連絡・・・・・8
ポ
ポリ
リフ
フォ
ォニ
ニー
ーの
のア
アー
ーテ
ティ
ィス
スト
ト紹
紹介
介((1
1))
秋号でコルシカ・ポリフォニーの歴史やジャン
ルについて「概論」という形で紹介しました。今号か
ら数回にわたり、ポリフォニーのアーティストを紹介
したいと思います。
●カンター・ウ・ボーブル・ゴールス(Canta u
Populu Corsu)
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ウ・ユルナーレ
U GHJURNALE Nu.3
の歌のテーマはあくまでもコルシカにこだわったもので、
その歌声は「風貌に似合わず(失礼!)」とてもソフト
で素朴かつメランコリックである。
サルテーヌ男性合唱聖歌団の唯一のアルバム。ポレーッティのソロ曲と
併せて是非とも聞きたい独特の音楽である(協会所蔵)。
「リゴールドゥ」から出された 1989 年のアルバム「イン・カントゥ (In
●ぺトル・ゲルフッチ(Petru Guelfucci)
Cantu)」(協会所蔵)
コルシカ語で「歌うコルシカ人」という意味。「リア
ーッキストゥ」の時代に誕生した「ポリフォニー」の先
駆け。声だけでなく、楽器を用いるのが特徴で、コルシ
カの伝統歌を再生したもの、ウェスタン調の軽快な作品、
「スレーラ・イルランダ(Surella Irlanda=アイルランド
の蜂起)」などコルシカ以外の民族的悲劇など幅広い内
容をテーマにしている。コルシカ文化の再生だけでなく、
CD「コルシカ」(Olivi Music)より。(協会所蔵)
コルシカと他の文化との「インターフェイス」の役割も
果たしている。1983 年以降はぺトル・ゲルフッチ、デュ
地域によっては「ペーヂュル」とも呼ばれる。フラン
ワンパウール・ボレーッティらのソロ活動が中心になる
ス名ピエール(Pierre)。ポレーッティとともに「カンタ
が、いまでもコルシカ島民に絶大な人気を誇る。彼らな
ー…」を支え、ソロ活動も盛んにこなしている。しかし
くしては「ポリフォニー」はありえなかったのである。
その風貌や歌声、テーマはポレーッティとは大きく異な
る。彼の声は非常に繊細かつハスキーでデリケートさを
●デュワンパウール・ボレーッティ
(Ghjuvanpaulu Poletti)
感じさせ、彼のそのスマートな体と頬がこけた「哲学者
風」の外見をそのまま反映させたようだ。どちらかとい
フランス名ジャン=ポール・ポレッティ(Jean-Paul
えば明るくて気さくなポレーッティに比べて、陰のある
Poletti)。「カンター…」での作詞作曲を担当していた。
気難し屋である。しかし、音楽への情熱はポレーッティ
ソロ活動が中心になった 80 年代以降、島南部のサルテー
に勝るとも劣らない。彼の歌のテーマはコルシカはもち
ヌに「ポリフォニー学校」を建て、若手の育成に努める
ろんスペインやルーマニアなど地中海世界であり、海外
など、島の文化活動の発展に大きく貢献している。写真
公演も精力的にこなしている。カナダでゴールデン・デ
はその教え子たちとの聖歌隊である「サルテーヌ男性合
ィスク賞を受賞する本格派歌手で、ギターの演奏も得意
唱聖歌団」である。ポレーッティは右から 3 人目。ソロ
とする。
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●ティアミ・アディアレージ(Chjami
Aghjalesi)
コルシカではかつて行われていた「引き割麦」を打つ
時にこだまする音、というのがティアミ・アディアレー
ジの名の由来。コルシカ語で「空のこだま」。コルシカ
の伝統音楽と地中海を始めとする世界各地の音楽との融
CD「ア・ウォーヂェ・リウォールタ」(AGFB ポリグラム)より(協会所蔵)。
合を図る。「カンター…」についで古いコルシカ・ポリ
恐らくコルシカ好きの人は知っているであろう。コ
フォニーの代表格で、コルシカでその人気は「イ・ムヴリ
ルシカを代表するグループである。その人気はフランス
ーニ」以上といわれている。
本土でも凄く、ジャン=ジャック・ゴールドマン、パトリ
ック・ブリュエルやジョニー・アリディ(ちょっと古い)
も顔負けである。フランスの「武道館」とも言えるパリ
のベルシー体育館(因みに大相撲パリ公演はここで行わ
れた)で開催された 1996 年のコンサートでは 3 万人の超
満員だったとか。海外ツアーも盛んにこなし、日本でも
北海道で 1999 年にラジオで放送されたとか(未確認情
報)。因みに 1999 年 6 月には『朝日新聞』で彼らについ
ての記事があるので参照されたい(若干不正確な部分も
あるが)。
「ムヴリーニ」とは「子ヤギの群」という意味。シン
セサイザーなど他のポリフォニー・グループには見られ
CD「ナンタ・ウ・ゾールク・ヤ・ストーリャ」「エッセ」(u Ricordu)より(協会所
ない楽器を駆使することが特徴であるが、ムヴリーニ・
蔵)。
ファンが惹かれるのは何にましてもジャン=フランソワ
とアランのベルナルディーニ兄弟が発する何とも言えな
楽器を盛んにとり入れ、創作性に富んでいる点では「カ
い「ウォーヂェ」であろう。
ンター…」に類似しているが、「カンター…」はカント
リーや南米の音楽を意識しているのに対して、ティア
彼らの父、ジュール(Jules、コルシカ名ユーリュ
ミ・アディアレージは地中海世界を意識している。また、
Ghjuliu)ベルナルディーニはコルシカで最も有名な「歌
「カンター…」がどちらか言えば「軽快さ」が売りであ
い手」であった。ユーリュの特異とする歌は、伝統的「ウ
るが、こちらでは「力強さ」が特徴で、その点対照的で
ォーヂェ」の中でも最も芸能が要る「パディエーッラ」
ある。現役のグループとしてはコルシカで最もキャリア
だった。「パディエーッラ」とは 2 連 8 音節を 1 組とし、
が長い。
3 つの組で構成される即興定型詩のことである。つまり、
瞬時に上の構成をもとにした詩を考え、韻を合わせ、声
●イ・ムヴリーニ(I Muvrini)
に出して歌うという「離れ業」である。単に「歌がうま
い」だけでは、ウォーヂェの名手にはなれないのである。
そしてユーリュは詩才、歌声いずれの面から見ても非の
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ウ・ユルナーレ
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打ち所がない「天才」だったのである。そして彼が歌っ
まりである。当時のメンバーのうち、ベルナルディーニ
ていた「ターリュ村(ベルナルディーニが生まれ育った
兄弟以外のほとんどは去ってしまっているが、新たなメ
村)のパディエーッラ」は、コルシカを代表する「ウォ
ンバーを加えて大成功を収めている。大人の中には彼ら
ーヂェ」である。
がコルシカから離れてしまったと嘆くものもいるが、若
者や子供たちの間では絶大な人気を誇っている。
そうした父を持ったベルナルディーニ兄弟はお祭りや
(次号につづく)
村の集会では一緒に歌を歌ったという。まさに父の天才
を受け継いだのがジャン=フランソワとアランの兄弟な
なお、本記事の内容は協会ホームページの
のだ。しかし、60 年代、彼らは人前で「ウォーヂェ」を
内容に同一です。ご了承ください。
歌うことを極力避けた。当時のコルシカではこうした伝
統を身につけることは「田舎者」、「ダサいやつ」とい
(長谷川秀樹)
うレッテルを貼られるからであった。
そうした彼らが「ウォーヂェ」を顧みたのが、父ユー
リュが死んだ 1975 年であった。父に捧げる歌集を集めた
「ティ・リングラヅィアーヌ(Ti ringrazianu、父さんあ
りがとう)」を発売したのが、「イ・ムヴリーニ」の始
ポリフォニー歌詞
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した。ポリフォニーはコルシカ語で歌われていま
月半ばの会合でポリフォニーのビデオ上映
すので、これの日本語訳は、コルシカ語―日本語
会を行いました。使用したビデオはコルシカのポ
辞典がないため、これを訳すのは大変な作業です。
リフォニーのプロデュースで知られる「ウ・リゴ
本号では、とりあえずビデオの一番最初に出演し
ールドゥ」が 1996 年に制作した「カンター・ゴー
ていたぺトル・ゲルフッチの「イズーラ・イウェ
ルシガ(Canta Corsica)」というオムニバス作品で
ーア」の邦訳を紹介したいと思います。この歌は
す。ポリフォニー・ビデオのオムニバス作品とし
私、長谷川がコルシカ研究滞在中に様々な面から
てはこれは史上初のもので、当時はフランス本土
援助くださったコルシカ大学のデャグム・フジー
でもコルシカ音楽がブームだったこともあり、フ
ナ(Ghjacumu Fusina)教授が作詞したもので、彼
ランスのテレビ CM でもこのビデオが紹介されて
に頼んでフランス語訳を送ってもらいました。今
いました。ビデオは一言で言えば「金がかかって
回の日本語訳はこのフランス語を訳したものです。
いない」、特撮も何もないもので、映像技術は如何
フジナ教授は「リアーッキストゥ」時代(コル
ともしがたいのですが、それだけ歌声に注目が行
シカ語やコルシカ文化の再生が叫ばれた 1960 年代
く、いかにも素朴な作りです。
後半〜70 年代前半の時代を指す)に詩人、作家と
この上映会の後、各会員から歌の内容について
して活躍しました。コルシカ語教育論、コルシカ
知りたい、日本語訳が欲しいという要望がありま
言語学分野でも第一人者で、パリ大学で教育学博
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士を取得しています。近年はコルシカ大学文学部
に作詞しています。つまり、フジナ氏がポリフォ
で教鞭を執る傍ら、ほとんどのポリフォニー歌手
ニーの存在に大きく貢献しているのです。
ISULA IDEA
(思い描いた島)
Isula idea di la mio alba
子供のころに思い描いた島
rosula altea é la vitalba
咲き乱れる立葵と昼顔
fiore chì sbuccia è chì mi chjama
語りかけるように咲き乱れる花
fiore chì s’apre è dà la brama
希望が叶うように咲き乱れる花
Isula
島
Isula radica di a mio vita
生のなかに根付いた島
rispiru d’una acqua salita
海のなかから深く息をつく
basgiu lampatu da i zitelli
海に飛び込み水面に接吻する子供たち
basgiu cascatu da i battelli
小舟から飛び込んだのだろう
Isula
島
Isula idea di u viaghju
旅の中で思い描いた島
di l’odissea ch’io feraghju
僕が経験した冒険での島
mandile spartu di li mio sogni
夢の中で広げたハンカチ
mandile crosciu: ùn ti vergogni
感情に濡れたハンカチ
Isula
島
Isula celu tintu di sole
色つきの光で満ちた島
ancu quandì un nulu dole
たとえ雲が出てこようとも
chì a frasca s’alza è ci balla
葉が舞いあがり踊る
cum’é un penseru di farfalla
憂える蝶のごとく
Isula
島
コルシカ語入門
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ウ・ユルナーレ
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言語学的にはフランス語と同じロマンス語派印
0:コルシカ語概論
欧語族であるが、フランス語やオイル(北仏)諸
方言、英仏海峡のジャージー島で話されているジ
フ
ェリー語などガロ・ロマンス系ではなく、イタリ
ランスの「地域語」とされているコルシ
ア語やサルデーニャ語などイタロ・ロマンス系に
カ語は、地中海のコルシカ島およびコルシ・ダル
分類されることが多い。古くからイタリア語の方
トロ(corsi d'altro)と呼ばれているコルシカ出身者、
言として位置付けられることが多く、標準イタリ
ならびにその子弟が多く居住している首都圏パリ
ア語のフィレンツェ、トスカーナ方言同様、中部
(特に 12 区・セーヌ・サンドニ県)と地中海沿岸
イタリア方言群の一つとされている。このため、
主要都市(マルセイユのジュリエット街、ニース、
フランス語よりはイタリア語に近似している。
トゥーロンなど)などを含めて約 17 万人の会話可
能人口がいると推計されている。
的音韻体系(régiolecte, regiolectu)があることであ
現代コルシカ語の最大の特徴は、「多規範的言
る。次のコルシカ言語地図を見れば分かるように
語(langue polynomique, lingua pulinomica)」と呼
南部・中部・北部からなる 3 つの地域的音韻体系
ばれるように、単一の正書法に 3 つの異なる地域
にコルシカ語は分類される。音韻体系区分は方言
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ウ・ユルナーレ
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区分とはことなり、語彙それ自体のちがいではな
である。
く、音韻の組み合わせ・パターンのちがいのこと
コルシカ語の最大の音韻論的特徴は、1)「スク
しかし、どの子音が有声化するのかは上記の 3
ンスナドゥーラ(scunsunatura)」と呼ばれる子音
地域で大きく異なる。一般に北部では有声化が著
音声変化、2)非長母音の数、である。1)は日本
しく、南へ行くほどあまり有声化が起こらなくな
語でも(例えば「月(つき)」が「三日月(みか
る。また北部は有声音が無声化あるいは半母音化
づき)」になるように)見られ、無声子音で始ま
する現象も著しい(例えば「新聞(ghjurnale)」は
る単語の前に非アクセント母音を語尾に持つ単語
北部では「デュルナーレ」であるが、特定の新聞 u
が来た場合、子音が有声化する現象である。例え
ghjurnale(u は男性定冠詞)は「ウユルナーレ」と
ば、「コルシカ人(u populu corsu)」の populu や
なる。同様に「喉(gola)」は「ゴーラ」と発音す
corsu はそれ自体の音韻は〔po:bulu〕、〔ko:rsu〕
るが、女性定冠詞 a がつくと(a gola)、「アオー
であるが、「コルシカ人」として発音すると
ラ」または「アウォーラ」になる。)
〔ubo:bulugo:rsu〕と p や k が有声化するわけであ
もう一つの地域による音韻体系の大きな違いは
る(日本語と違って表記は変わらない)。
非長母音の数である。北部や中部では 5 つである
が、南部では 3 つしかない。北中部ではヨーロッ
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ウ・ユルナーレ
U GHJURNALE Nu.3
パ(Europa)は「エウローバ」と発音するが、南
しかし、南部音韻体系とされる地域の言語は語
部は「アウローバ」、草(erbà)は北中部では「エ
彙それ自体も北中部とは異なる事が多く、音韻体
ルバー」南部は「アルバー」となる。
系も大きく違うので、独自の言語ではないかと主
張する人々もいる。このような立場をとる人は北
一般に言語学では母音数が少ない言語ほど古い
中部が「コルシカ語」、南部を「ボニファシオ語」
形態をとどめている傾向が見られるとされている。
このため、南部音韻体系にはラテン語が諸ロマン
と別々の言語とし、ボニファシオ語独自の正書法
を持っている。ボニファシオ地方の言語は対岸の
ス語に分化する過程での最も古い要素があるので
イタリア領サルデーニャ島のガルーラ地方の言語
はないという関心が高まり、研究の対象になった
に極めて近いと言われている。(つづく)
ことがあった。
必ず使用 OS と(ワープロの場合は機種名)ソフト
会
会員
員動
動向
向・・そ
その
の他
他
名を記入してください。
できあがり原稿は当方で印刷し、業者に製本を
(現地旅行など)
齋藤香子…パリ 12 区の「エスパス・シルネア」な
依頼します。今のところ皆さんに負担をお願いす
ど訪問。12 月 29 日〜1 月 1 日
る予定はありませんが(仮にあったとしても少額
(テレビ放送)
です)、販売を目的とした冊子ではありませんので、
2000 年 12 月 17 日に NHK の BS 放送でミュージシ
その点ご了承ください。80 部作成の予定で、各会
ャンのクロード・チアリ氏が主演の 1 時間の番組
員には 5〜10 部をお配り致します。
(長谷川秀樹)
『コルシカ心の旅』が放送されました。
********************************************
会
会員
員連
連絡
絡
『ウ・ユルナーレ』第 3 号
以
〒263-8522
目標にコルシカ協会年報『テスタ・モーラ』の原
長谷川秀樹研究室内
稿を皆様から募っております。年報の発行は将来
電話・FAX 043-290-3704
のポリフォニー誘致のための助成金獲得のために
メール [email protected]
日本コルシカ協会
前からお伝えしているのですが、今年度末を
千葉大学社会文化科学研究科
は必要不可欠な活動ですので、この点ご理解をた
まわり、ご協力をお願いします。論文、エッセー、
翻訳、詩など形式やコルシカをテーマにしたもの
であれば、歴史、文学、言語、政治、旅行・紀行
何でも構いません。とりあえず 400 字原稿用紙詰
め 10 枚程度以上でお願いします。
「打ち出し原稿」
一部とフロッピー以下の住所までお送りください。
フロッピーはテキスト化しなくても構いませんが、
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