創造都市における現代アートと美術品市場

セッション2
創造都市における芸術家の役割
創造都市における現代アートと美術品市場
河島 伸子 同志社大学経済学部教授
Nobuko Kawashima
東京大学教養学部卒業。ロンドン大学社会政策研究科修士課程修了(MSC取得)後、
英国ウォーリック大学博士号(文化政策)取得。電通総研研究員、英国ウォーリック大学文化政策研究
センターリサーチフェローを経て現職。専門は文化政策学、文化産業論。主な著作は、『アーツ・マネ
ジメント』(共著 放送大学教育振興会 2006)、“Global Culture: Media, Arts, Policy, and
Globalization”(編著 Routledge 2002)、『文化政策学』(共著 有斐閣 2001)、『企業の社会
貢献 ─ 個人・企業・社会の共生』(電通総研編 日本経済新聞社 1991)
、『NPOとは何か』
(電通総
研編 日本経済新聞社 1996)など。
文化芸術による都市の活性化
私はこの会議に参加させていただくのは2回目です。毎
回、特に海外の、今回いらっしゃっている方、前回もそう
ですけれども、非常に都市問題や創造都市ということに関
する研究の最前線の方々に交じって議論の機会をいただい
て本当にありがたく思っています。いまのアン・マークセ
ン先生のご講演も非常に刺激的でした。
一言お断りしなくてはいけないのは、私の専門は文化政
策でして、文化芸術にとっての創造性をつくる環境はどう
あるべきか、それからつくられた創造的な作品をいかに多
くの人に楽しんでもらうか、アクセスしてもらうかという、
この2点に問題意識があります。ですから、ここで大きく
本日の会議の話題となっている「創造都市のあり方」に関
しては、個人的には研究に根ざした知見というものをもっ
ているわけではありません。あくまで文化はどうなのかと
いうところが一番気になっていて、その結果として都市が
活性化するとか、まちづくりに役立つということもあるか
とは思います。それはそれで結構なのですが、都市の観点
から文化を見ているわけではないので、そこの部分だけお
断りしたいと思います。
ここにいらっしゃっているみなさんに共通の理解かとは
思いますが、文化芸術活動のなかでも特に現代アートが、
都市開発やまちづくりのうえで大きな役割を果たすように
なってきているということは、世界中のいろいろな事例で
もう周知の事実かと思います。もともとはニューヨークや
ロンドンといった大都市でひとつのパターンとして確立さ
れているものかと思いますけれども、非常に荒れはてた地
域に使われなくなった倉庫があって、天井も高い非常にひ
ろいスペースで安いということで、アーティストたちがそ
こに住むようになり、そして仕事をはじめる。
それによって周りに何となくレストランとかブティック
やバーなどができていき、ボヘミアンな感じのする非常に
おもしろい地域になる。そして、だんだん人も来るように
なり、そうこうするうちにそのロフトであった、ほとんど
捨てられていた、タダみたいだった物件が、いつの間にか
非常に値段が高くなってしまって、地域としてはきれいな
50
まちになってしまう。それによって、もともとの住人であ
ったアーティストたちはそこで暮らすことができないくら
い物価があがってしまい、次に移る。でも、その地域はそ
れで一応、活性化したというサクセスストーリーがいくつ
も、サクセスと言えるかどうかはわかりませんが、その手
の都市開発のパターンというのはよく世界でも見られるも
のです。
あるいは、2番目の現象としては、例えばロンドンのテ
ート・モダン(Tate Modern)という美術館を中心とする
地域開発プロジェクトがこれにあたると思いますが、かな
り現代アートに特化した特殊なアートギャラリーみたいな
ものをいきなりボンとつくる。ビルバオなどもその例にあ
たるかと思います。そしてそこに、先ほどはロフトが核と
なってまちがだんだん活性化いくというストーリーだと申
しあげましたが、この場合は美術館やギャラリーを、公的
なお金を使った都市政策として意識的につくり、それによ
ってその地域を活性化していくという。これも文化を使っ
たまちづくりというものが世界中で発達していく第2期に
おける重要なパターンのひとつとして、世界にはいくつも
例があるかと思います。
3番目の現象としては、特に文化施設ということにはこ
だわらずに、むしろ公共の場である地下鉄の駅や、公共的
な建物の前のプラザのような部分にアート作品を設置する
ことによって、建造物関係に限らず、例えば山のなかなど、
場所はどこでもよくて、そこに特有のアート作品がつくら
れることによってまちの風景がかわり、そこを通り過ぎる
人たちが、たいてい変な作品なので「あれは何だろう」と
会話をしながら考えていく。それによってまちのなかにコ
ミュニケーションが生まれていき、まちの風景もかわり、
一種の活性化がなされていく。人々の会話とかネットワー
クみたいなものが生まれる。これも文化を使った、なかで
も特に現代アートを使ったまちづくり、都市開発のひとつ
のパターンかと思います。
こうして見ていきますと、私自身は文化のために文化を
大切に考えたいと思うタイプなのですが、まちづくりにと
って、あるいは都市政策、創造都市というものの考え方に
立ったときに、コンテンポラリーアートというものが果た
す役割が実は非常に大きい。それはすでにいくつもの事例
で実証されているという事実があります。そうすれば、創
造都市をつくっていくためには、現代アートというもの、
コンテンポラリーアートを振興していくことが重要なひと
つの施策であると言えると思います。これだけではもちろ
んありませんが、現代アートの場合は特に目に見えるかた
ちですし、第3の事例として申しあげたように、「あれは何
分にあたると思いますが、何らかのコンセプトを伝えるこ
だろう」と考えさせて会話のきっかけとなるようなものが
とが目的で、写実ではない。あるいは上手に描くことが目
多いので、そういう意味では現代アートを振興することが
的でないアートというのは先端の一部分でしかなくて、残
創造都市にとっても大切であるという理論を導くことは可
りの9割以上は、従来から私たちが普通に思う美術館に飾
能であると思われます。
られているような作品であることが実は多いのです。
あるいは、美術品市場で売られているような作品をつく
文化政策を考えるうえでのカギ:美術品市場と著作権制度
ることを軽蔑して、拒否するアーティストもいます。特に、
先鋭的なアバンギャルドの最先端にいる人たちで、コンセ
ここからが文化政策の考え方になってくるのですが、で
プチュアルアートみたいなことをやっている人は、サイ
は、どのようにしたらコンテンポラリーアートをまちのな
ト・スペシフィックといいますが、その場所限定・時期限
かで活性化させていけるのか。どのようにしたらより創造
定で何かを組み立てて見せて、終わったら捨ててしまう。
的な作品がつくられるような環境になって、しかもそれだ
そういうタイプのアートもあります。
けではなく、それを見る人が増えるのかということが、文
例えば、作家の名前で言うと、クリスト(Christo)とい
化政策の研究のなかでは非常に大きい課題なのです。私の
う人が一番わかりやすい例かと思います。例えば、パリの
研究もこのあたりを中心としています。
橋に布を掛けて、パリ全体の空間、セーヌ川付近の空間を
例えば個人アーティストに対する個人的な助成金の制度
一種のアート作品にして、2週間なら2週間、見せるけれ
を設けたり、留学していろいろ勉強してこいとか、ゆっく
どもそれで終わり。こんなのは美術品市場とは関係ないと
り仕事から離れていろいろなものに触れて、自分のアート
みなさんも思われると思うのですけれども、実はそうでは
にいかせるような素材をもって帰ってきなさいといった奨
ないのです。そういうものをインスタレーションと言いま
学金のシステムをつくるとか、いろいろなものが考えられ
すが、クリストはインスタレーションのアートが中心の作
ると思います。これについてはもうすでにアン・マークセ
家で、自分の計画を、スケッチとデザインとコンセプトを
ン先生がたくさん、特に最後に挙げておられた事項のなか
描いたものに残しています。そして、これを美術品市場で
にほぼすべてつくされていると思いますので、あえてもう
売っていて、実はすごく高い値段がついています。そのイ
一度列挙する必要はないと思います。
ンスタレーションそのものはいわばパフォーマンスであっ
ただ、ここで本日、私が発表したいのは、従来の文化政
て、作品自体は立派な美術品市場のなかでどんどん転売で
策の研究でみんなが注目していたこととは少し違って、美
きるような価値をもつものに転化しているということもあ
術品市場そのもののあり方と著作権制度の関係です。どう
り、美術品市場がどうなっていくかは、究極的にはコンテ
いうことかと言いますと、現代アートをやっている人たち
ンポラリーアーティストにとって大事なものです。これが、
にとって、マークセン先生がおっしゃったように、発表の
まずひとつ理解としておさえておきたいことです。
機会をどうするか、アーティスト同士のネットワークをど
この理解を前提に、では美術品市場をどうしようかとい
うするか、アーティストに対する助成金をどうするかとい
うことなのですが、美術品市場というのは意外にわかりに
ったことが、これはこれでどれも大切なサポートの一種で
くい世界なのですが、基本的には政策の対象ではありませ
あることは間違いないのですが、究極はアート、作品が市
ん。市場ですから、取引があって、買いたい人と売りたい
場で売れることなのではないかと、私はビジュアルアーテ
人がいて値段が決まっていき、従来からほとんど国の規制
ィストの研究をしているうちに思うようになったのです。
とは関係のないところで動いている。だからこそよい面も
それはないだろうと思う人もけっこう多いかと思います。
例えば、他の報告者の方々が使用されていたスライドのな
あります。文化政策という考え方からもはずれたところに
あるというのが本来の姿です。
かにもいくつものアート作品がスナップショットで紹介さ
れていましたが、そのなかには会社なり個人なりが購入す
るようなタイプの作品はあまり見せられなかったと思いま
追求権 ─ 美術品市場の新たな模索
す。例えばチャールズ・ランドリーさんが見せてくださっ
ところが、この発表においてとりあげる追求権という権
たスライドに、ペンキの缶にメッセージが書いたものがあ
利が問題になります。追求権というのは、ある種の国では
りましたが、それはポリティカルなメッセージであったり
著作権法の一部に従来から存在していたものです。これが
するわけです。そのペンキの缶がこの舞台に匹敵するくら
EUのなかで全体の歩調をそろえましょうということで、
いの空間に積みたててあるというもので、これが市場で売
もともとはフランス、ドイツ、イタリアなどEU内のごく
れるとは思いませんね。
一部の国にしかなかった制度を、ヨーロッパ全体でやりま
国
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芸
術
家
の
役
割
しょうと、統一化するという政策がとられて、いまヨーロ
コンテンポラリーアーティストと美術品市場の関係
市場で売れる作品というのはいわゆるペインティングで、
ッパはすべての国でこの権利を著作権法のなかにとりいれ
ることが義務づけられています。一番反対していたのはイ
ギリスなのですが、イギリスももちろんこれに従わなけれ
版画なり、油絵なりで何号サイズというのがあり、枠には
ばならないという事態になりました。ヨーロッパ以外の国
いった絵です。それはもういまの現代アートのなかでは古
でも世界中にあるのですが、先進国のなかではアメリカに
くて、それは20世紀の前半まででしょうと私自身も思って
もありませんし、日本にもありません。ただ、アメリカの
いたのですが、実はそうでもないのです。コンテンポラリ
なかで実はカリフォルニアが例外でして、カリフォルニア
ーアートの作品が山ほどあるなかで、スペースを非常にひ
の州法のなかには追求権が保障されています。あるけれど
ろく使って、しかもコンセプチュアルアートといわれる部
も使われていないだけです。
51
これは実にヨーロッパ的な考え方から根ざした権利なの
ですが、どういうものか簡単に言うと、自分が作家だった
その地域の価値が上がるだろうということで目をつけたの
として、立派な絵の作品をつくりました。もちろん展覧会
は自分たちだし、売った後もメンテナンスなどを一所懸命
にだして評価されたいということもあるのですが、基本は
やった、だからそれが高くなったのは自分たちの努力のお
売って誰かに買ってもらいたいわけです。それで、そのと
かげであるのに、転売利益の1%をよこしなさいという話
きの収入をえたい。さらに言えば、売りたい場所は、まず
です。それはどう考えてもおかしいし、ありえないのです。
は画商にもっていき、そこで預かってもらう。もしくは画
物の所有から生じる権利は原則そのとき限りで、売った
商自体がそれを買いとる場合もあります。それは場合によ
らそれは次の人にそっくり移って、次の人はそこから収益
りますが、まずは売りたい。これが第1次セールです。
を得ていく。利用もでき、収益もえることができるという
そして、うまくいけば画商に買ってもらえて、次に画商
のが物権の考え方だと思います。それを否定しているのが、
がそこにマージンを加えてお客さんに売る。お客さんはそ
この追求権なのです。いつまでたっても、何度転売されて
れを買って10年くらい楽しんだけれど、もういいやという
いっても、オリジナルの著作者に何かつながりのようなも
ことでオークションにかける。サザビーズとかクリスティ
のが残っていて、そこに収益をもたらす仕組みをつくって
ーズといった世界的に有名なオークション会社がいくつも
もよいのではないかという、法学の立場からいうとおかし
あります。もちろん個人的に売ってもかまいませんが、自
い話です。ところが、これが1920年代のフランスにおいて
分のもっている絵の財産的価値が非常に高まったと思えば
は導入されました。その当時のパリの美術市場から考える
オークションにもっていって、少しでも高く売りたいとい
と、おそらく若いアーティストにお金をだすという意味で
うのがバイヤーの心情です。
は何らかの意味はあったのかもしれないのですが、今日、
そうこうするうちに非常に有名な、優秀な、国際的な賞
それがはたして本当にアーティストにとって必要なのかと
もとったりするようなスター級のアーティスト、日本人で
いうことになると、これはまた現代的な観点から見直して
言えば、いまだと村上隆クラスの人でないとそこまでいけ
いく必要が、本来はあるだろうと思います。
ませんが、彼らのようになるとその絵が1回目に売ったと
それから、経済学者の視点で見るとまったく話にならな
きは1,000ドルだったかもしれないのが、いつの間にか何十
い制度です。彼らはどのように考えるかと言うと、二人目
万ドルになって、次々とサザビーズなどを渡り歩いて、知
の転得者が、最初から次のマーケットで売るつもりでいた
らないうちにどんどん高い値段になっていく。自分の手を
とします。そうだとしたら、売ったときに売った価格の一
離れた先からです。これが不公平ではないかというのがも
部、売った価格もしくは転売利益の例えば1%をアーティ
ともとの考え方なのです。
ストに返さなければならない。これは法律で決まっている
つまり、もともと自分があんなに苦労して描いた1,000ド
のだから、絶対アーティストに払ってあげなければならな
ルの絵が、いつの間にか50万ドルになって売られ、最初に
いということは頭にインプットしているはずなのです。と
買った人は転売利益をえている。それは自分が努力した結
いうことは、自分が買うときにだせる価格は1%というコ
果、その絵の価値があがった。1回目に売った後で賞をと
ストを計算にいれたうえで買っていくわけです。
ったり、どこどこで展覧会をやったことによって自分の画
これは一種の税金のようなものです。売ったら税金がか
家としての名声があがっていったために、いまや20万ドル、
かるので、その税金分は最初から見積もりしておこうとい
50万ドルの絵になった。そしてそれを買った人たちはどん
うのが当然の行動です。税金さえなければ、1%分はもっ
どん転売してお金儲けをしているのに、自分には1回目の
と高い値段の絵を買えるのに、実際にはその1%分を節約
1,000ドルしかない。これは不公平だというのが基本的な考
しなければいけない。これはもとをたどれば、そのアーテ
え方です。
ィストをプロモートしていたギャラリーにまで響いてきま
ここまで聞くとそのとおりだ、確かに不公平ではないか
す。画商の人たちは、本来は自分たちがかかえている若手
と思うでしょう。アーティストは非常に苦労して、特に若
のアーティストをマーケットに売りこんでいくことが仕事
いときにはお金がないというのが普通ですから、1,000ドル
なのですが、彼らから作品を買ってマーケットに売ったと
しかないというのは不公平で、せめて50万ドルが70万ドル
きには1%とられる。いままでにない税金が生まれてしま
になったのなら、そこで20万ドルの転売利益がでています
ったということで、そのプロモーションの費用も、例えば
から、その1%でも自分が分け前をあずかってもいいので
ポスターやチラシをつくっていたのを節減しようという方
はないかということなのです。
向に、1%分は少なくとも動くだろうというのが経済学者
このような法律は1920年代のフランスでできて、著作権
52
マンション業者が返せと言っているということなのです。
の計算なのです。これはおそらく正しいと思います。
法の一部として考えられています。心情的には納得できる
ですから、もともとこの制度の趣旨は本当に善意で、若
ものはあるかもしれないのですけれども、いかがでしょう
いアーティストが背に腹はかえられずに安く売ってしまっ
か。それはもっともだと思われるか、あるいはヘンだと思
た絵が、いつの間にか非常に高くなっていく。この時系列
われるか。みなさん、あまり深く考えずに瞬間的に受けと
的な不公平をどうにかしおうと思って、本当に善意からつ
っていただきたいのですが、法律的に言っても、経済学的
くったはずの制度が、実は一番大事なギャラリーによって
に言っても結構おかしい制度なのです。
プロモートしてもらっていた自分たちの首を絞めることに
どうしてかと言うと、まず物権という考え方からいきま
なるのです。つまり何もアーティストに利益をもたらさな
すと、絵ではなくてマンションだったとします。マンショ
いばかりか、逆に害ですらあるというのが経済学者の考え
ンの住宅販売業者がマンションを建てて、1室を1,000万円
方です。
で売ったとします。それがいつの間にか不動産市場が活況
そんなことはないだろうという人もいます。結局、誰か
となって高くなっていく。その値上がりするたびに一部を
が1%なら1%の利益をとっていくことができるので、ア
ーティストにとってマイナスばかりではもちろんありませ
オークションそのものの伝統も含めて、すべてにおいてロ
ん。ただ、それで誰がプラスなのかというと、ここからは
ンドンが勝っています。昔はパリに中心がありましたけれ
もう少し詳細なデータの検討が必要な部分になってきます
ども、いまはロンドンなのです。このような追求権という
が、一部の人が主張してきたことは、そのような利益を受
のが設けられたことは、バイヤーとセラーにとっては一種
けるのはごく一部の、フランスに10人しかいないような、
の税金として認識されるので、だったらそれがないニュー
あるいはイギリスで言えばトップテンにはいる世界級のス
ヨークにもっていこう、ニューヨークで売ろうと考えるの
ターアーティストだけであるという議論が展開されていた
が実に自然なことです。
あるいはスイスという手もあります。スイスはEUでは
のです。
つまり、先ほど村上隆という名前をだしましたが、イギ
ないので追求権をもっていませんから、支払いをしなくて
リスで言えばダミアン・ハースト(Damien Hist)とか、ホ
いいということになります。ですから、スイスも可能性と
ックニー(David Hockney)、聞けば誰でも知っているよう
してはありますが、やはり何と言ってもニューヨークです。
な名前の人にとっては本当においしい制度です。何度も、
特に、例えば日本のお金持ちが絵を売ろうと考えたら、ロ
何度も美術品市場で売買がくりかえされればされるたびに、
ンドンにもっていってコストを払うよりは、ニューヨーク
1%なり3%なりがはいってくる。自分は何もしなくても
にはお金持ちもたくさんいますし、ニューヨークで売れば
いいわけです。あるいは著作権の一部としてこれは確立さ
いいということになります。そういうことで、おそらくコ
れている制度ですから、生きている間はこの権利はずっと
ンテンポラリーアートのマーケットは、ロンドンからニュ
続き、それから死後70年にわたって遺族がその便益を受け
ーヨークに、近い将来だんだんと時間をかけて移っていく
ることができます。
ことが、かなりの確率で予想されています。したがって、
つまり、いまの制度で言うと、印象派の画家の遺族もま
イギリス政府およびロンドンのアートマーケットの事業者
だ、70年ぎりぎりでお金がもらえる計算になります。当然、
たちは非常にこれに反対していたのですが、ロビーイング
ピカソなどの遺族はすでに超大金持ちにもかかわらず、ま
で負けてしまったので、ヨーロッパとしては善意ではじめ
だまだあと何十年かはこの制度によって便益を受けること
たことでありながら、皮肉なことにヨーロッパ全体の沈没
ができます。これはまちがっているのではないか。しかも、
になるという結果にならざるをえないと思います。
大多数の無名のアーティストはオークションまでたどりつ
もうひとつ問題なのは、その結果として、アートの取引
くことすらできません。1回売ったらそれっきりなのに、
がロンドンからニューヨークに移るだけであればそれで仕
オークションまでたどり着けるようなごく一部のアーティ
方がないかと思えなくもないかもしれませんが、先ほどの
ストの、金持ちアーティストのための制度はおかしいとい
アン・マークセンさんのプレゼンテーションにもありまし
うのが反対議論の多くの主張でした。
たように、アート業界というのはもっとエコロジカルな世
界なのです。アーティストと批評家と画廊をやっている人
追求権のよし悪し:美術市場への影響
たちと、公的なミュージアムなどで働いている人たち、鑑
賞者、そしてコレクターといったさまざまな人たちの利害
これを聞くと、そうだろうなと思われる方も多いかと思
関係と、もうひとつ大事なのは、例えばインスタレーショ
いますが、私がいろいろデータを調べた限りではこの議論
ンへの修復などでちょっとしたことをおこなう技術者の存
には少しまちがっているところがあります。どういうこと
在です。こういうものが多重的に重なってマーケットの強
かというと、ニューヨークのマーケットでは確かにそうな
さというのがでてくるのです。
のです。ニューヨークはかなり高額なハイエンドの美術品
ですから、私が予想しているようにもしロンドンからニ
が売買される市場なので、ニューヨークでは確かにそうい
ューヨークに売買の拠点の比重が移るとしたら、こういっ
う現象がおきがちなのですが、これが議論されているヨー
たプロフェッショナルな人たちまでが、ロンドンからニュ
ロッパの市場はもっと小ぶりなものですので、実は意外に
ーヨークに移るということは容易に考えられる事態です。
小さいお金、8万円や10万円くらいのお金が、数多くのア
ということはアーティストも移っていくかもしれないとい
ーティストに少しずつばらまかれていくであろうというデ
うことです。現代アートの拠点というのが、いま、いくつ
ータがでてきたのです。
か世界にあるとすると、ニューヨークのひとり勝ちになっ
この手の文化政策の議論によくありがちなのは、こうい
った実証的な研究や調査をせずに、感情論や人の目をひく
ていき、ロンドンはかなり落ちていくだろうということが
予想されるわけです。
ようなところにワーッと話をもりあげていって、実証的な
データと照らし合わせないまま、政策が突っ走ってしまう
ということがあります。実際のところ、私はこの制度によ
結論
ってかなり数多くのアーティストがヨーロッパでも、ある
そろそろ結論にはいりますが、私の専門である文化政策
いはヨーロッパで売買されるアーティストたちも、この便
の領域では、アーティストに対する支援はどうしたらいい
益を受けていくことができると考えています。ですから、
のか。助成金だろうか、それともスペースだろうか、ネッ
スターアーティストのためだけの制度では決してない。そ
トワークをつくることだろうか。これらはどれも大事なも
の点においてはよいだろうと思っています。
のですけれども、思わぬところで著作権制度という、美術
ただ、問題なのは、ヨーロッパのなかで実はロンドンが
家の人にはあまり縁のないものにも大きく影響を受けるこ
コンテンポラリーアートの売買という点ではダントツなの
とがわかりました。以前は模倣されたとか、自分の絵が勝
です。パリや他の都市ではほとんど話にならないくらい大
手にコピーされてポスターになっていて腹を立てるといっ
きく差があります。それは売買の量や、もちこまれる作品、
た程度の話だったのが、いつの間にか著作権や知財という
国
際
シ
ン
ポ
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都
市
の
時
代
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創
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都
市
の
発
展
と
連
携
を
求
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創
造
都
市
に
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け
る
芸
術
家
の
役
割
53
大きな戦略のなかに組みこまれていき、そのなかで都市間
の競争としてグローバルな競争の力関係もいつの間にか、
大切なのではないかと私は思います。
そのように、著作権という考え方が、今後は、経済取引
ものすごく大きくかわってしまう。ある意味ではおそろし
のなかで混合物としてではなくて、法律や経済的な価格の
いけれども、見方によっては非常にエキサイティングな力
なかに著作権料として含まれていることが、社会における
学があるのだということをとりあえずお話ししたかったの
芸術や文化の創造性の可能性を発展させていくうえで大切
です。
だと思います。そういう芸術や文化の社会的な承認に対す
る代価として考えていきますと、最初は取引などがEUか
討論 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
アート団体と行政のリレーションシップ
(佐々木)
らニューヨークに流れていってしまう可能性もあるかもし
れませんが、逆に創作者側からすると、自分の作品が将来
高く売れた場合には、還元される部分がでてくるというこ
午前中の討論でもいくつかの論点がありました
とが制度で保障されている環境の方が、創作に専念しやす
し、今回また新しい論点がでてくると思いますが、まずパ
いのではないかと思います。その意味で、著作権なり追求
ネリストのみなさん、あるいはフロアのみなさん、先ほど
権というのは、もう少し積極的に考えてみる必要があるの
のふたりの発表に対して質問、ご意見、感想などありまし
ではないでしょうか。
たらどなたでも結構ですので、手を挙げてください。
(フロア質問:角)
アートと医療の融合
フェスティバルゲートという、いまは
廃園になってしまった遊園地のなかで、4つのアート系N
(フロア質問:今田) 大阪市立大学で学ぶ今田と申します。
POの活動のお世話している者で、角と申します。アン・
アン・マークセン先生に質問させていただきたいと思いま
マークセンさんのお話にはたくさんのジャンルのアートセ
す。医療の現場において、人工透析やMRIの療法室にア
ンターがでてきて、とてもステキだなあと思って聞いてい
ートをとりいれながら、癒しの現場をつくっているという
ました。残念ながらフェスティバルゲートでの活動は、そ
事例紹介がありました。ミネソタ州全体におけるアートと
のフェスティバルゲート自体が売却することになって、5
医療の融合について、および、日本中のドクターの垂涎の
年間で活動を中止してしまい、この後どういう展開をする
的であるメイヨー・クリニック(Mayo Clinic)における具
のか、家主さんである大阪市さんといろいろお話をさせて
体的なアートと医療の融合について、何かお話をお聞かせ
いただいているところです。
いただけないでしょうか。
本日のお話のなかで気になった点は、アーティストと、
アートNPOをはじめとするアートの団体、そして行政の
(佐々木)
ここでいったん発表者の方からお答えいただい
リレーションシップというのはどのようなかたちになって
て、また続けたいと思います。まずアン・マークセンさん
いるのかということです。もう少し詳しく聞かせていただ
お願いします。
ければと思います。
(マークセン) 角さんのご質問は非常に複雑な話ですので、
(佐々木)
フェスティバルゲートとは、大阪の創造都市や
少し簡単にしましょう。アーティストセンターと、アーテ
文化政策にとってひとつの試金石となるような場所であっ
ィストのリビングスペース、パフォーミングアートのスペ
て、そこで活動し続けてきたコンテンポラリーアートの集
ースはNPOベースになっています。正式には市の行政の
団は、ひきつづき活動が存続できるのかどうかというたい
担当ではないのですが、政府からは特権をえて免税対象に
へん危機的な状況にあるということをふまえて、いまの質
なっているため、運営費がはるかに安くなっています。固
問があったのだと思います。午前中、トレランス(寛容)
定資産税がかからないからです。そのため、自分たちがお
とコンフリクト(対立・軋轢)の話がありましたけれども、
こなっていることに公益性があることを示したうえで、会
行政との間の軋轢とか、あるいは新しいそれをのりこえた
計をハッキリさせる必要があります。
文化政策のあり方というようなことが、おそらくご質問者
の意図のなかにはあったのだろうと思います。
それ以外でいかがですか。
さらに複雑なのは、ある程度の営利的な活動もおこなっ
ているということです。オープン・ブックの場合には営利
企業にスペースを貸しだしているので、その部分に関して
は課税されます。そこで制作された作品を収入目的で売る
(フロア質問:中谷)
54
京都橘大学の中谷と申します。特に
ことは免税対象です。本来、それらは課税の対象なのです
河島先生におうかがいしたいのですが、私も文化産業など
が、政府は助成の仕方として免税にしているということで
を考えているなかで、著作権問題の重要性に到達していて、
す。ここが重要です。
おもしろくお話を聞かせていただきました。普通の経済的
多くの市で、アーティストセンターを助ける便宜をはか
な財とは違って知的財産は、転売された後でも、所有権と
っています。ガラーンと空いた市の所有の建物、例えば、
は違う何らかの権利が創作者の手元に残り、その権利を制
税金を払えなくなったため物納された建物があるとしたら、
作者の財産として保護するという趣旨をもった法律が、著
それを市の方からその組織に対して提供したり、貸出をお
作権法だと思います。ですから、所有権が手放された後も、
こないます。そして、何年か経ってからお金を払い戻して
その絵のアイディアについては創造者がその権利をもって
もらいます。ただし、コミュニティサービスをしている場
いるということを保障しているわけですので、それが転売
合には返済しなくてよいことになっています。20万ドルく
された後も、その評価されたものを、知的財産の評価の一
らいの規模のものだと、コミュニティサービスを10年間お
部として、創作者に還元していく追求権という考え方は、
こなうことによってその返済をしなくてすむようになりま
す。
ネイバーフッドファンドというものもあります。アーテ
いたときには出版社と交渉します。ナショナルライターズ
ユニオンに所属しておりますので、出版社に著作権が渡る
ィストの団体が何かする場合、近隣住民を説得して、アー
ような文書には一切サインしないようにと言われています。
ティストセンターを建てることがその地域社会に貢献する
また、次の作品の専売権を彼らに渡すようなものにも一切
ことになるのだということを納得してもらう。また、市の
サインしてはならないと言われております。ですからアメ
方からインフラを整備してもらう、例えば、駐車場をつく
リカではそれはハッキリしており、作家も将来の売上に対
ってもらうとかです。そのほかいろいろあるかと思います
する権利を有しています。このことは音楽家にも共通して
が、正式な関係はありません。エージェンシー形式をとっ
います。
ているので、正式な意味で市の行政との関係はありません
が、いろいろな意味で助けてもらっているということです。
最後に結論としておっしゃったことについて一言申しま
すと、確かにいろいろなシステムがあって、そのどれが勝
また、ロサンゼルス、サンフランシスコにはアートファ
ち残るかはいろいろ問題があると思いますが、ビジュアル
ンドというものがあります。これはホテル税の一部が基金
アートの権利と、そしてその作品に対して将来的にも権利
としてアートファンドにはいっていきます。私の市には重
をえることができるということに関しては非常に興味深く
要な非営利の財団があります。この財団には、例えば3M
聞かせていただきました。
社、ピルズバリーカンパニー、そして鉄道会社などからお
金がでていて、非営利・ファミリー運営で運営されていま
著作権法の問題
す。これに関しては非営利で、運営費やプロジェクトのコ
ストを払っています。しかし、コンペで基金から資金がお
(河島)
著作権法というのは、保護しようとしている法益
りているため、財団がお金をだすかどうかは、申請ベース
や権利がいくつも多重的に重なっているので、なかなか簡
で決めていきます。
単には理解しづらいところもあるかと思います。中谷先生
アメリカの場合には、一般的に市は文化政策をあまりお
がおっしゃっていた話は本当にごもっともで、アイディア
こなっていないということで、われわれにとっては重要な
自体は保護の対象ではありませんから、アイディアが何ら
フロンティアであります。私のところの市長は、「創造都市
かの表現形態をとったときにはじめて著作権法の保護の対
にもっとお金をください」と言えば、「私はもっと警官を雇
象となるわけです。それが、私の本日の発表だと、あまり
いたいから、そんなことにまわすお金はない」と言われて
保護されるべきではないのではないかという方向に聞こえ
しまいます。ですから、そういった問題がいろいろありま
た部分があったかもしれませんが、そういう意味では決し
す。
てありません。
ふたつ目の質問にも答えておきましょう。先ほどの質問
それは追求権ということとは少し違う話なのです。どう
にも答えるかたちになると思いますが、例えばヒーリング
違うかと言いますと、もちろん美術作品のアイディアを表
(癒し)のためのアートという運動がアメリカにはあります。
現したということ自体は、当然、著作権法のなかできちん
これは、いろいろな人たちが主導しておこなわれています
と保護されるわけです。ですから自分のつくった作品を誰
が、いまは、地に足のついた活動になっております。そし
かがまねをして、それを大量にコピーして偽物をつくった
てヘルスケア、医療の分野でとりくんでいる人たちがいま
となると、それは自分の表現を模倣しているということで
す。ミネソタではインディアン居留地のひとつにすばらし
ストップはかけられます。ですから著作権の保護というの
いクリニックがあります。これにお金を付与しているのは
は、いま言われたようなミュージシャンや作家にあるのと
カジノで、カジノ経営者たちは毎年、売上の1%を先住民
同様、自分の表現物に対して、表現物を勝手に盗むなとい
のアートを買うことに投資して、その絵を飾っています。
うことは美術家であっても、当然、言えるわけです。
自分たちでアーティストを後援していて、アーティストは
ところが、この追求権に関しては、その表現がうんぬん
新しい作品ができたら見せにやって来て、経営者は気にい
ではなくて、美術作品という「物」と考えた方がいいわけ
れば買うというかたちのシステムが見られます。
です。これが転売されていったときに、すでに売って自分
アメリカでは、ヘルスケアや医療に膨大なお金をつぎこ
の所有権を離れたものに対してまだ何らかの所有に基づく
んでおり、病院のなかには非常に積極的にアートを購入し
権利を主張していくことができるというのは、なかなか一
ているところもありますし、地元のアーティストを後援し
般の物権の考え方とはあいにくいのではないかというとこ
ているところもありますが、これは医療における独占的な
ろが、問題の原因になってくるわけです。ですから、近代
利益をベースにしたものですので、非常に複雑な状況であ
経済学のある種の人たちの分析だと、「これは耐久財の中古
ります。ただ、その重要性は増していると思います。メイ
品市場と考える」みたいな分析があるわけです。つまり古
ヨー・クリニックには行ったことがないので詳しいことは
い冷蔵庫が転売されていったときに、それをどうするかと
わかりませんが、おそらく美術品も飾ってあると思います。
いったような話のアナロジーで、そこで使われている理論
ロチェスター市もたぶん、いろいろなことをおこなってい
がここでも使われていて、私も最初見たときは愕然と「古
るでしょう。ただ、病院で非常に豪勢な家具などを見たと
い冷蔵庫と絵か」などと思ったのですけれども、ひらたく
きに、誰がこれのお金を払っているのかと思ってしまうこ
言うとそういうふうにここでは考えざるをえないというこ
とがときどきあります。
とが一方ではあるわけです。
3つ目に、河島先生のご質問にもお答えしておきたいと
それとマークセンさんがおっしゃった話と少し関係があ
思います。とても興味深い観点でした。ビジュアルアーテ
るのですが、だったらパフォーミングアーツの人たちと同
ィストをライターや音楽家と比べると、アメリカの場合に
様に、美術家の権利として自分の作品が何か利用されるた
は、著作権は両方とももっています。例えば、私が本を書
びにお金をもらいたい、つまり、自分の作品をパフォーム
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家
の
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割
55
するたびに、その一部は自分に利益があってもいいのでは
ないかと考えるのであれば、展示権というものを考えた方
がいいのではないかという議論があります。つまりその絵
を転売するとなると、どうしても物としての話になってし
まいます。そうではなくて展覧会をして、自分の作品がそ
こに飾られたということは、音楽家が作曲した曲が1回演
奏されたに匹敵する話なのです。むしろ著作権の自分の表
現物を保護する、表現物が生みだす何らかの活動に対する
利益を請求していくという路線で考えると、論理的なので
す。こういうものをつくったらどうかということも、追求
権の議論のなかでは話されていたのですが、結局、現実化
はしていません。何だかんだと言って、「難しいので」とい
う実務的な理由なのですが、この話と追求権の話はやはり
別だろうと考えています。
もうひとつ、興味深い話をご紹介します。美術品では自
分の美術作品が、追求権の話のなかで、先ほどから言って
いたように、いったん自分の手を離れたらあとは物として
勝手に流通して、そこには自分は何もかかわれないという
のが本来の姿ではないかと申しあげてきました。では、い
ったん自分が売った作品に、買った人が大きく傷をつけた
とします。これは許されるのかという問題があります。先
ほどの冷蔵庫であれば、それを蹴飛ばそうが何をしようが
買った人の勝手ですから、特に問題はないと思います。け
れども美術作品の場合に、売ってしまって転売されていく
なかで、ある取得者がそれを壊した。あるいは、分割して
違う作品にしてしまった場合、これをどう考えたらいいの
かということも著作権法のなかでよく議論される問題のひ
とつです。
アメリカやイギリスの著作権法では、そういうことに対
する著作者の権利は限定的にしか認められていません。あ
くまで物としての財産価値はそれを転売することによって
勝手に動いていく。物は物だというふうに美術品に対して
は考えるのが英米法の基本なのですけれども、日本および
ヨーロッパ大陸の法律では、そうではなくて、著作物とい
うのはただの物ではなくて、そこには著作者と対象となる
作品との間に、ボンディング(つながり)があるとされて
います。自分の子どものようなもので、どこに行こうと自
分の子どもは自分の子どもで、それを勝手にかえてもらっ
ては困るということなのです。同一性保持権というもので
すけれども、もともと自分が意図したとおりのかたちをず
っと保持してくれなくては困ると言える権利が、大陸ヨー
ロッパや日本の著作権法にはあります。これが英米法では
限定的なので非常に大きく違うところで、美術界において
これも問題となりうるのです。
これはお答えになっているかどうかわかりませんが、本
当に、何回か転売されて買ったものを壊していいのだろう
かというのは、哲学的にはおもしろい問題だと思いますの
で、みなさん、もち帰っていただけたらと思います。
(佐々木)
どうもありがとうございました。さらにここか
ら質問がある、あるいは新しい論点がある方がおられたら
どうぞ。
56
著作権はどうあるべきなのか
(フロア質問:嶋田)
朝日放送に勤めております嶋田と申
します。本日は先生方のお話を聞かせていただいて、たい
へんに参考になったところが多々ありました。特にランド
リー先生の経済的価値と倫理的価値という問題は、非常に
大切なことだと思いました。私の理解では、この倫理的価
値を生みだすのは文化や芸術の力ではないか、ここをしっ
かりとしないとうまくいかないと実感いたしました。
それからもう1点、ランドリー先生がおっしゃった都市
を情緒的経験として感じようという言葉ですけれども、こ
れはおそらく都市のなかに住む市民としてリアリティをも
って、これから考えていけということだろうと理解しまし
た。そこで1点だけ質問させていただきます。マークセン
先生が先ほどおっしゃいましたが、むしろ芸術を支援する
よりも警官を増やせというような主張があるというのは、
私たちが都市に住んでいてリアリティを感じることだと思
います。私は7月にちょうどイギリスを旅行していたとき
に、例のテロに遭遇しました。グラスゴーの空港に車が突
っ込んだ翌日に私はグラスゴーに入ったのですが、そのイ
ギリス市民のヒリヒリとした感覚を本当に痛感いたしまし
た。そういった意味で9.11以降、セキュリティに関する意
識が非常に高くなっています。この日本でもそうです。加
古川で幼児が殺された事件もあり、メディアも大きくとり
あげています。それから、東京の世田谷では住民たちが監
視カメラを自分たちのお金でたくさん設置するというよう
な状況になっています。そのようなセキュリティを非常に
強化するという要請があるなかで、それらが創造都市に与
える影響をどう考えていったらいいのでしょうか。
(フロア質問:飯田)
札幌市役所から参りました飯田と申
します。私の方からは1点、河島先生に著作権の関係でご
質問というか、ご意見をおうかがいしたいと思います。
著作権に関連して、札幌市は来年、国際会議をおこなう
ことになっておりまして、そのご紹介からまずさせていた
だきます。クリエイティブ・コモンズの活動というのは、
ご存じでない方も多くいらっしゃると思いますが、著作権
に関係するものです。いまインターネットにおいて非常に
映像・画像・音楽が多く流れているなかで、現実問題とし
て、ウェブ上で簡単にコピーして転用することができると
いう状況にあります。クリエイティブ・コモンズの活動と
は、ルールづけをすることによって流動的に著作権を活用
できないかというものです。例えば営利目的はダメだけれ
ども、この映像、画像は自由に使ってもいいとか、あるい
は、営利目的で使用してもいいし、改変してもいいし自由
に使っていいといったルールづけをすることによって、使
いたい人にとって創作活動の自由が増すという活動です。
これはまだ運動の段階で、まだ各国同士の著作権法の枠組
みのなかでやっているというもので、来年7月、その国際
的な著作権法の枠組みについて議論する国際会議が札幌で
開催されます。興味のある方はぜひ来てください。
このような国際会議を札幌市が支援していくというのは、
札幌市としても市長が創造都市宣言をしており、札幌市内
に住むクリエーターたちに自由な創作活動をしていただく
ことで、札幌市のイメージをうちだしていきたいという部
分もあって、そうした活動を行政として支援していくとい
うことがまずひとつの目的となっております。そうしたな
かで河島先生に1点おうかがいしたいのは、文化政策を推
センテージがけずられてきています。
また、ルイジアナ州には非常におもしろい副知事がいて、
進するうえで、著作権というものはどうあるべきなのかと
現在、この副知事が非常に大きなビジョンのもとで、クリ
いう問題です。著作権の枠組みのなかでということではあ
エイティブエコノミーというものを推進しています。彼は
ると思うのですが、ある程度、著作権というのも守らなけ
文化産業を重視し、そして非営利分野として文化芸術活動
ればいけない部分は当然あります。ただクリエーターによ
を重視しています。このように芸術を重要視してくれる
っては、お金も著作権も要らないけれど、とにかく自分の
人々がいる一方、アメリカでは、ニューヨークは別かもし
つくった作品を多くの人に見てもらいたいという方もいら
れませんが、どんな都市においても、アートにあまり関心
っしゃると思います。こうしたなかで、文化そのもの、あ
のない人たちがいます。例えばシンフォニーや古典音楽だ
るいはクリエーターたちがどんどん育っていくという側面
けが芸術協会からお金を受けるべきだと考えている人たち
もあると思いますが、この点について、河島先生におうか
がいます。そうしたものは大きな組織なのでお金がかかる
がいしたいと思います。
けれども、ジャズやフォークやロックなどはお金があまり
かからないし、公共資金を投ずる必要はないと考える人た
ホテル税=アートファンド
(佐々木)
ちがいます。これがふたつ目の問題です。
3つ目の問題は、都市のさまざまな機関、文化芸術に影
主にアーティストの役割や文化政策の問題、ク
響をおよぼす省庁の組織がバラバラだということです。例
リエーターにとっての著作権の問題という質問がありまし
えば教育省というものがあります。それから、都市計画局
た。私もマークセンさんに質問したいのですが、先ほどホ
は環境とか区画整理というようなゾーニングに意思決定を
テル税の話がありました。このホテル税というのは日本で
もっています。また、経済開発局は土地開発、一方で、文
はあまりなじみがないのでわかかりにくいのですが、数年
化省はパブリックアートというふうに、ほとんどの都市が
前、東京都がホテル税に近い税金を導入しました。少し高
縦割りでぜんぜん協調がとれていません。その調整をする
めのホテルに泊まったら税金がかかり、その税金は東京都
のが非常に大きな仕事になってくるわけです。コミュニテ
の場合は一般財源にくりいれられ、都の財源不足を補うと
ィ全体で文化産業としてひとまとまりにならないと、なか
いうようなものです。サンフランシスコなどではホテルに
なか大きな動きにはならないし、政治家たちのリーダーシ
泊まられたお客さんに税金がかかり、その税収はほとんど
ップもえられないのです。
アートファンドにまわります。つまり芸術分野の活動を支
さて、芸術協会は州政府が、連邦政府からわずかなお金
援するために、ホテルに泊まった方から税金をとるという
をもらうためにつくったのです。結局、私たちミネソタ州
もので、ホテル税というのは別名アート支援税金と言って
では地域芸術協会というのが生まれました。これは大都市
もいいわけです。そのアートファンドの使い道は、おそら
圏全体を管轄しているのですが、非常にわずかな予算しか
く芸術協会(Arts Council)や、あるいは行政、つまり市長
使えません。私たちの芸術協会の主導者たちは非常に優秀
の部局と独立したセクションで、方向性を決められている
な人たちで、さまざまな芸術団体に助成金を申請して努力
のではないかと思います。
はしているのですが、いまのところその助成をえられた団
ミネアポリスでさまざまな活動を支援している芸術協会
体は限られています。
というものがあります。これはマークセンさんが書いた論
文のなかには、芸術協会の支援の実例がたくさんあげられ
ていますが、その芸術協会の活動というものは、イギリス
やアメリカでは“アームスレングス”、つまり市長や知事の
著作物への人々のアクセスをいかに確保するか
(河島)
先ほど私の発表の最初に、文化政策には、ふたつ
直接影響がおよぼない、いわば独立した芸術協会と専門家
目標があると申しあげました。ひとつはいかに創造性を高
の判断で文化政策がおこなわれているように思います。先
めていくことができるか、もうひとつの文化政策の基本的
ほどの嶋田さんの質問とあせて、そのあたりもお聞きかせ
目標は、その創作物をいかに多くの人々に享受してもらう
ください。
ようにできるかということです。著作権法は本来、まさに
このふたつをめざしている法律だと思います。
(マークセン)
まずより大きなお話からはじめて、佐々木
ところが最近の傾向では、ひとつ目のアーティストの権
先生のお話にふれたいと思います。まず、嶋田さんからの
利をいかに守るか、アーティストなり著作権者の権利をい
ご質問ですが、アメリカにおいてはほとんどの都市で、創
かに守るかという方に全体的に傾いています。それはそれ
造的な人々が小規模でさらに細分化されているという問題
で結構な気がするのですが、もうひとつ大事なのは、著作
があります。したがって、例えばセキュリティとか一般の
物である知的な生産物に対する人々のアクセスをいかに確
健康ということになりますと、なかなか公共の財源をえる
保するかということです。これも著作権法における、本来
うえではアーティストが弱い立場にあります。
の重要な目標のはずなのに、いまは横へおいやられつつあ
もうひとつの問題は、リーダーシップの欠如です。ひと
るので、クリエイティブ・コモンズという、特にアメリカ
りの政治家がいて芸術と文化を大切にすると言ってくれる
の著作権法学者の人たちが懸念している文化的な財産に対
わけではありません。こういったリーダーがいるいくつか
する人々のアクセスの問題に応えようという運動がおきて
の都市、例えばロサンゼルスの芸術協会は、20年前にある
いるのだと思います。
ひとりの有力な政治家が芸術税をやろうと言いだして、導
アメリカの著作権法だとそのあたりはかなりはっきりし
入されたのです。ただ、ホテル税のうちどれだけをアート
ています。著作権法の目標として最初の方に、
「表現の自由」
ファンドにまわすかは決めなかったので、徐々にそのパー
という憲法上の非常に重要な価値観とリンクさせるかたち
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芸
術
家
の
役
割
57
で、著作権法が位置づけられています。「表現の自由」とい
としているというお話がありました。これはとても重要な
うのは一方では「表現者の自由」ですが、知る権利という
ことですが、忘れてはいけないのは、こういうさまざまな
のも表現の自由の一形態ですから、そのふたつが本来はア
ことに関する研究、つまり都市の感覚とか、都市の感触と
メリカの憲法上できちんと保障されている大事な権利なの
いうのはリスク政策にも関連するということです。そして、
だということが、著作権法の上位概念としてあるわけです。
こうしたリスク政策に関しては保険業界の絡みもあり、ア
それは非常によいことだと思います。
ーティストの活躍の分野にも影響を与えます。
日本の場合だと、民法の契約や物権の特別法のような位
一例をあげると、アメリカ、オーストラリア、カナダ、
置づけになっていて、知る権利とのかねあいという観点が
英国において道路の幅は研究によって決まります。保険業
弱いという弱点があると思います。ですから、ご質問にダ
界が大学にお金を与えてよくわからない研究をさせるわけ
イレクトにお答えしようとすれば、そちらの方をどう考え
です。例えば1本の木は1.5メートルの間隔で道路の角から
ているのかというふうに、今後はもう少し憲法上の価値と
植えなくてはならないとか、なぜ900万人の人々が木にぶつ
知る権利、表現の自由といったこととあわせて、著作権者
かって死ぬのかといった研究をやったり、あるいはロータ
の保護というものをもう少しとらえ直していく必要がある
リーの入口には、芸術的なもの、つまり注意散漫になるよ
のではないかということだと思います。
うな要素を置いてはならないとか、そのコスト換算をした
りするわけです。
(佐々木)
アメリカでも日本と類似の問題点があります。
その一方で、計算しようという関心をもつ業界がないた
つまり文化政策を支援する側の縦割り行政のなかで、例え
めに見逃されているところがあります。例えば私たちがつ
ば、都市開発の部局、文化部局、経済部局でそれぞれバラ
くってしまっているこの醜い景観が、どのような影響を与
バラに予算が使われているということで、それたをどう統
えているのか、犯罪やそのほかさまざまな種類の悪影響に
合していけるのかということです。これは日本でもそうで
関連しているかというようなことに関心をもってお金をで
すし、アメリカでもそうですし、おそらくイギリスもそう
してくれて、研究をするような業界はありません。先ほど、
なのだろうと思います。このような、創造都市をつくって
芸術部門は脆弱で小さな分野で、それほどお金がないとい
いくうえで、芸術文化を支援するシステムの問題がひとつ
うお話がありました。このような研究をしようと思えばと
あります。
てもお金がかかるのです。しかし、いろいろな場所を見て
もうひとつは、それの法律的な枠組みの問題として、新
みると、さらにまた犯罪が多発する場所、あるいは殺人事
しくでてきている追求権も含めまして、創造者にとって創
件がおこるような場所などを見れば、こういった場所は技
造活動が生みだす知的財産はかけがえのない意味をもって
術的な論議によってきちんと顧みられてはいません。そし
いますし、それを生みだした個人にとってのみならず、場
て、保険業界のようなところからの予算がつかないところ
合によると、優れた芸術作品というのは全人類普遍の価値
なのです。
があると思います。そういった意味でいくと、これは単に
こうした分野の研究はまったく手がつけられていないと
創造者の権利を保護して、それが生活を支えるということ
思います。例えば、醜さ。直感的にわかることだと思いま
をこえて、より普遍的な価値が拡大するというか、そうい
すが、醜い場所では、例えば店舗はうまくいかないし、倒
ったかたちで使われていくことにも、当然、道を開かなけ
産するといったようなことが頻発します。私たちが生活す
ればいけないし、ひろい視野でこれから権利の問題を整理
る場所をより美しくする、美しくするというのも定義しに
していく必要がおそらくあるのだろうと思います。 こうい
くい難しい言葉ですけれども、それほどイヤだと思うよう
う問題を議論していくうえで、パネリストのみなさん方が
な場所にしないようにすることが必要だと思います。
どのような考え方をおもちなのか、順にうかがいたいと思
います。
知財の世界環境にどう対応するのか
まずランドリーさん、これまでの議論をお聞きになって、
それから先ほどフロアからランドリーさんに対する質問も
(佐々木)
それではまた別のかたちで、アンディ・プラッ
ありましたので、ここで一度意見をうかがってみたいと思
トさんに聞きたいのですが、文化産業や創造産業を発展さ
います。
せていくために、著作権というのはとても大事なポジショ
ンをとるように思います。特に、創造産業が海外に輸出さ
リスク政策に関する保険業界の絡み
(ランドリー)
アーティストや芸術コミュニティにとって
の大きな問題は、なぜ自分たちがそれほど特別なのかとい
58
れて外貨を稼いでくる産業として位置づけられるためには、
映画やアニメーションなどさまざまな作品の著作権が相手
国においてもきちんと守られていないと、当然、たくさん
海賊版がでまわってしまいます。
うことを主張することが簡単ではないということです。例
したがって、著作権という問題はアーティスト個人にと
えば警察官や医者にくらべていったいどれだけ特殊なのか
っても大事ですけれども、創造産業や文化産業にとっても、
ということです。その正当性を裏づけるのはかなり難しい
それが安定的な発展をするためにはとても大事な要素にな
と思います。ただ、まだこの討議にあがっていない要素が
るのだろうと思います。とりわけ、これから先にアジア全
あるように、私は思います。それはアーティストに直接関
体がそうしたマーケットになっていった場合に、とても大
連するというよりも、間接的に関連するものですが、保険
きい問題を生じると思うのですが、これらのことについて
業界に関するものです。昨日、少し討議にでてきたこと、
は、おそらく明日、セッション3でお話があるかとは思い
たとえばサンタフェとかモントリオールなどが証拠を積み
ますけれども、著作権とのかかわりでプラット先生はどの
あげて、なぜアートや創造経済が重要なのかを実証しよう
ようにお考えなのか、少しご意見を聞かせてください。
(プラット)
知財権というのは非常に重要であると私も思
財権が何なのかということを理解することが重要です。
っています。そして、明らかに誰であれ何らかの作品を制
なぜ私がWTO、WIPOに対して否定的であるかとい
作した人に対しては、ある意味でのコントロール権を保つ
うと、新しくでてくる協定について、アーティストに関す
ことが重要です。その作品を貸与するのか、販売するのか、
るところに希望が見えないからです。追求権等に関しても
そうしたことをコントロールできる権利が必要だと思いま
そうなのですが、WTO、WIPOはその人を雇っている
す。そうでなければ館単にコピーされてしまうことは明白
組織に著作権を従属、帰属させるようです。例えば私が何
ですから、これは重要な問題です。
かを書いたとしたら、それは大学の帰属になってしまって、
そこで生まれるのが、アーティストという職業です。ア
私に帰属しないことになってしまいます。例えば製薬業界
ーティストであることにはそういった経済性も伴うわけで
で働いている場合には、仕事で何か業績をあげてもそれは
す。例えば、私は西アフリカのセネガルで研究したことが
会社に帰属してしまうということですから、そこから恩恵
あるのですが、その国で重要な問題となっていたのは、音
をえることもできません。大きな化学会社や大きな製薬会
楽産業において知財権が十分尊重されていないということ
社にとってはそれでもいいのかしれませんが、ほとんどの
でした。それが何を意味するかというと、基本的に作詞や
アーティストは副業をもたざるをえません。ですからいろ
作曲で生計を立てることができないということです。私が
いろ法律、制度の問題があって、知財の世界環境がかわっ
話をした人はワールドカップの歌を作曲した人でした。セ
ていることにどう対応していくのかということ、そしてま
ネガルがワールドカップで勝ったときのためにつくったの
た南北の間の平等、多様性をどう扱っていくのかというこ
ですが、それでお金をえることができなかったと話してお
とだと思います。
りました。これはすなわち知財権がいかに重要であるのか
ということ、そして生計を立てるにあたって、それがいか
(マークセン)
一言少しつけくわえたいと思います。とて
に重要であるのかを示していますが、ものごとはそれほど
もすばらしい視点だと思いますが、別のかたちで知財に対
単純ではありません。
してアクセスさせることはできると思います。例えばライ
ここで必要なことは、ひとつは法律をもつということ、
ターであれば図書館というものがあります。すなわち図書
もうひとつはその法律が運用できるような制度をつくると
館という場をつうじて、ライターは多くの人に自分の書い
いうことです。われわれがしばしば見過ごしているのが回
たものを提供することができるわけです。ラジオ、テレビ
収機構のようなもので、すなわちユーザーから回収した使
も放送という手段もあります。音楽を放送する、映画を放
用料を著作者に戻すというルートが必要なわけです。しか
送する、その他のプログラムを、宣伝広告を広告会社のス
し、この回収機構そのものにもその運営のためには財源が
ポンサーをえることによってほとんど無料で提供できます。
必要です。著作権料の一部を補填して運営されている場合
また、ヨーロッパの都市ではオペラに助成金をだしていま
もあるのですが、うまくお金がまわらなくて、堂々巡りな
すし、ニューヨーク市にもシェイクスピアパークのような
ってしまってうまくいかないところもあります。
ものもあり、シェイクスピアの劇が公園で上演されている
そこでもう一度セネガルの音楽業界の例をだしますと、
WIPO(世界知的所有権機関)が「あそこは著作権を尊
ようなこともあります。いろいろなやり方があると思いま
す。
重しないから、西アフリカを対象としない。セネガルを対
象としない」ということを決定すると、海賊版がどんどん
アーティストに対する支援
生まれてしまうことになります。ですから、そうしたこと
は何の助けにもならないわけです。
(佐々木)
いまお聞きのように、この著作権問題をめぐっ
何が必要とされているかというと、第一に、どの種の知
ても、まずアーティスト個人といわゆる創造産業や文化産
財権を採用するのかということです。もともとここでは、
業という会社との関係のどちらの権利を優先的に保護して
アボリジニー文化同様、実は所有権という概念がありませ
いくかという問題があります。その一方で、アーティスト
んでした。そのこと自体も問題なのですが、それがあった
の活動自体が多面的ですから、コマーシャルベースで副業
としてもやはりそこには財源が必要であって、著作権を守
している場合、本来、最も創造的な仕事だけれどもコマー
るような制度が必要です。例えば北半球では海賊版をつく
シャルベースではない仕事があって、それは非営利の領域
ると、それがぜんぜん利益にならないような状況もできて
でおこなわれてきています。いわば非営利で創造的な仕事
います。まずは概念として著作権という概念をもつという
がある、あるいは非営利の文化施設が、個々のアーティス
こと、そして多様性を認めたいのならばいろいろなかたち
トや一般市民の創造活動を支えるという側面があるわけで
の制度をつくることが重要だと思います。普遍的なひとつ
す。それぞれをどのように融合しながら、トータルに都市
の法だけで、すべてカバーできるようなものではないと思
や地域の一般市民の創造活動を支え、直接的にはアーティ
います。
スト個人を多面的に支えるかといったことが、おそらく創
WTO(世界貿易機構)という世界で普遍的な役割を果
造都市政策のなかにあって、非常に重要な領域としてでて
たしているところでも、いまはうまく対応できていません。
くるのです。これについては、みなさん了解できるであろ
そこでも多様性をどう認めるのかということが問題になっ
うと思います。
て、まずは法律をつくることに参加するだけではなく、そ
今回、例えば日本の創造都市を考えるうえで、まだまだ
れを実施すること、単に違反があったからといって起訴を
いろいろな課題があると思いますが、文化政策という観点
するといったことだけでなく、むしろその法律の運用が可
から見た場合に日本の創造都市というのは、もっとこうい
能となるような環境をつくりだすことは、教育にもかかわ
う分野でアーティストに対する支援が必要なのではないか、
る問題であります。公の場で教育をほどこし、いったい知
あるいは一般的な法律、枠組みを含めて、さらにつっこん
国
際
シ
ン
ポ
ジ
ウ
ム
﹁
新
・
都
市
の
時
代
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創
造
都
市
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発
展
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携
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め
て
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2
︱
創
造
都
市
に
お
け
る
芸
術
家
の
役
割
59
でお話があれば順番にうかがいたいと思います。
は参加してはいけないといった不利益も用意されています。
それから、法律だけではなく、それを実行に移す、それを
(川崎)
特定の都市の話はありませんが、いままでの話の
なかで少し気になった点が2点ありました。
ひとつは、河島さんが発表してくださった興味深い発表
のなかで、結局オリジナルなコンテンツをつくる、作品を
つくる作者に追求権を認める話と、作品をもっている所有
守らせる仕組みをもたないといけません。そのふたつも含
めて、かたちだけ法律をつくるだけではダメで、実際に動
かすということは、整備が進んでいる領域だと思います。
ですから、結構、ガチガチになってきています。
それでいいのか。これは著作権法の、特にアメリカでは
者との間にある権利の問題で、先ほどの例と逆のパターン、
もっと本当にリアルな心配事になっていまして、確かにマ
つまり所有者に損害を与えた場合の損害権という考え方は
ークセンさんが言っていたように図書館とかそのようなと
ありえるのでしょうか。要するに、例えばアーティストが
ころで見られるというのは、従来からそうなのですが、い
存命中は政治力があって、すごく有名な作家だったとして、
まは、もっとデジタル化された情報を利用することの方が
死んでしまってしばらくすると作品がどんどん安くなって
重要になってきています。図書館に行ってアナログのデー
いく。そうすると最初500万で売れたものが、次は300万に
タを見ることはもちろんできますが、デジタルでどうやっ
なり、100万になり、最後は30万くらいになったとしたら、
て流通させるかという方が、いま現実的には非常に重要な
目減りしていくお金は本人が補償しなくてはいけないとい
産業になっています。
う考え方は、追求権のなかには含まれていないと思います
ところが、それをガチガチにしていくことで、音楽産業
が、法律的にはおそらくありうる考え方だと思います。普
など、デジタル情報に対するプロテクションを技術的にか
通の経済の考え方からすれば、得をすれば損をするという
けることも簡単にできます。Digital Rights Management
のは当然あるわけです。そのバランスから言うと、そうい
(DRM)と言われる技術が発達していて、つくっている側
う考え方というのはおかしいのかどうかというようなこと
が、例えば音楽データであれば、5回聞いたらそのファイ
です。
ルが自然に壊れるようにするとか、その著作権者が許して
もうひとつは、これも河島先生に関係があるのですけれ
いる以上に何かコピーしようとしたら、機械も壊れてしま
ども、結局、オリジナルコンテンツ、つまり世界にひとつ
うような意地悪なシステムをつくることが本当にできるよ
しかない作品に関してはそのとおりだと思いますし、基本
うになってきています。
的に著作権が保護される方向で法律はつくられるべきだし、
そもそもオリジナルとは、既存のものをいろいろ組みあ
拡大していくべきだと個人的には思っています。ただ、実
わせていって自分のものをつくることです。私たちの研究
際問題として、デジタルコンテンツの場合、アーティステ
の世界はまさにそうです。先行研究があって、そのうえに
ィックなものと区別できにくいものもでてきます。例えば
何かをつけたすということによって、十分オリジナルであ
YouTube(http://jp.youtube.com/)でつくったデジタルの
って、何か天才的なアイディアがでてくるということはめ
作品はどうなのかというとき、結局、デジタルコンテンツ
ったにないわけです。ところが、その既存の知的財産をう
の場合だと、ソフトウエアとコンテンツを切りはなすこと
まく使いこなすことに対して、ガチガチの規制をくわえて
がかなり難しいケースもでてきます。これはオリジナルコ
いくと、かえってオリジナルな力が衰えていくのではない
ンテンツの場合だと、はっきりと著作権は決まると思うの
かというのが、先ほどご紹介のあったクリエイティブ・コ
ですが、そうでない場合は、先ほど申しあげたようにスタ
モンズを推奨している、アメリカのレッシグ(Lawrence
ンダーダイゼーション(規格統一化)と著作権という、相
Lessig)という学者たちの考え方です。それはとてもリア
反する、普通では考えられないような組みあわせを同時に
ルな恐怖感にとらわれていて、しかも私たちの知らない、
考えて、どこまでがスタンダードとしてただで使えて、ど
目につきにくいところでジワジワとおきている現象なので
こまでが作品なのかという議論は、非常に本質的なもので
す。これはこれとしてやはり目を光らせていくべきことで
はないかと思います。
はないかなと思います。
共通認識がよい景観をつくる
デジタル情報をいかに流通させるか
(河島)
いま、川崎先生が最初におっしゃった部分の価格
(佐々木)
瀬田さん、明日、ご発表いただくのですけれど
がさがっていった場合どうなのかというのは、確かに追求
も、ずっと聞いておられて、ここで何かコメントがあれば
権の議論のなかでも指摘されていた問題で、必ずしも値段
お願いします。
があがっていくわけではないでしょう。しかし、さがった
からといって、アーティストに損害を請求できるかという
60
(瀬田)
私は都市計画が専門なので知的財産権という話を
と、現実にはできないわけです。そうすると、この追求権
聞くと、知財というよりは権利全体を考えます。先ほどラ
の論理は弱いのではないかと、ずっと言われています。ま
ンドリーさんは、景観が醜いと人々の心も荒れるとおっし
ずそれが簡単な答えです。
ゃいました。あるいは、創造的でなくなるということでし
著作権は世界的に整備されていて、先ほどプラットさん
ょうか。そういった景観の問題には当然、都市計画がかか
も言っていたように、WTOの枠組みのなかで、意外に世
わってくるのですが、都市計画のうえで景観をよくするに
界的に、国際的に整備はされている領域だとは思います。
は、権利、具体的に言えば土地の権利をどうにかしなけれ
しかもWTOの枠組みに、いま知的財産権は全部のなかで
ばならないわけです。
はいっていますから、同じような特許や商標権も含めた知
特に日本のまち並みというのは、ごく一部を除けば、全
的財産権を保護する法律をもたない国は、世界的な貿易に
体的に見るとヨーロッパにも、アメリカにも、正直言って、
ぜんぜんかなわないというのが、われわれプランナーの一
に関係してくるかという議論があろうかと思います。ラン
般認識です。それをよくしようと思って、ランドリーさん
ドリーさんが少しコメントをしたいということですが、も
が進めるような景観の研究などにも取り組んでいるのです
う時間も限られていますので、ランドリーさんからはうー
が、それも十分ではありません。また、仮にそれが十分で
んと短いコメントをいただいて、最後に総括として、発表
あったとしてもかえることができないのです。なぜなら土
者のおふたりにご意見をいただいて終わりたいと思います。
地の権利が非常に絶対的で、土地の持主が自由に建物を建
てられるからです。ですから本当は景観問題、都市全体で
(ランドリー)
著作権についてまだ討議にあがっていない
いろいろな人がいろいろな土地をもっている場合に、例え
側面を少し思いだしました。タイムズスクエアでも42番通
ば隣にあわせるとか、あるいは文化的なつくりで、みんな
りでもかまいませんが、都市に行って例えば写真を撮ると、
でつくりをあわせようといったことが、ある程度、合意で
「自分たちは建物に関して著作権をもっている」とディズニ
きていないと、非常に醜い景観になってしまうことが多い
ーは言ってきます。ですから、公共の道路であっても写真
のです。
を撮ってはいけないということになってしまうわけです。
ただ、日本の都市でもまさに佐々木先生が創造都市とし
同じようなことですが、どうも公共のスペースのように
てあげられている、京都・金沢・横浜といった都市は、相
見えるところにセキュリティガードが立っていたりするわ
対的ではありますが、非常に景観的にはいい部類にはいり
けです。これは企業の所有物だというわけです。そして、
ます。それは創造都市としてのとらえ方かどうかは別とし
「企業の場所の外にいるのだから、写真を撮ってもいいだろ
て、京都であれば、金沢であれば、あるいは横浜であれば
う」と行くと、
「ダメだ」と言われてケンカになるわけです。
こういう景観でなくてはいけないという、ある程度の共通
アメリカに行きますと、理屈上は写真を撮ってはいけない
認識があるから、土地の権利者が「守らなければ」と思う
ことになっている場所がますます多くなっています。公共
わけです。そのあたりが、特に、私は都市計画にかかわっ
の場所に立ってはいるけれども、その側にある私的な建築
てきて、創造的な景観というのがどういうものかはわかり
物の写真は撮るなというようなことが言われます。これも
ませんが、いい景観をつくっていく意味では重要な権利問
少し懸念されるところです。
題だと考えています。
つまり、視覚的な景観に対しても、自分自身が所有して
いる建物に対しては著作権を有していると言ったりするわ
(矢作)
私も著作権などの問題には疎いのですが、感想め
けです。そうすると視覚的な景観のイメージをかたちづく
いたことをふたつお話しします。まず、グーテンベルク以
る人間の責任はどうなるのか。50年、100年間も汚い、醜い
降、反復量産がおきたわけです。つまり、印刷技術の飛躍
建築物をそのままにしておくという持主の責任はどうなる
的発展がおこるなかで、著作権という概念が近代の法概念
のかという問題もあると思います。それも新しい領域の問
のなかででてきたのだと思うのですが、ところが技術革新
題ではないでしょうか。
が早すぎて法律の方がなかなか追いついてないのではない
かという印象をもちました。
移民が育む多様な文化的景観
それから、佐々木先生がこれからはアジアの創造都市と
いう話をされて、プラットさんからアボリジニーの話もで
(マークセン)
ふたつ申しあげたい点があります。まず第
てきましたが、「太平洋の創造的島(Creative Island in
一点目としてひろい意味を含めて強調したい点があります。
Pacific Ocean)」というのか、あるいはアジアの少数民族の
それは文化的な政策を公共部門でおこなうことはとてもた
もっているフォークロアとしての文化的表現とか文化的知
いへんで、市のレベルでおこなうのはとても難しいことで
識というものが、この著作権の概念ではなかなか守りきれ
す。私の友人は、文化環境の政策分野で上の立場にいるの
ないのです。それらの文化的知識とか、文化的表現という
ですが、芸術文化に関してはお金を自由にすることはでき
ものは、幾世代もこえてコミュニティで共有されてきてい
ないと言っていました。つまり、公共部門でお金がでると、
て、そのコミュニティの共有価値というのは近代的な著作
それによって活動が制限されてしまうのです。
権という概念ではカバーできません。例えば、ある小さな
例えば、映画分野では、映画をテキサスでつくってもい
島の宗教行為がビデオに撮られて商業市場で売られて価値
いけれども、テキサス人やテキサスに関して映画では悪い
を生んだ場合に、そのマネーをどういうふうに配分するか
ことを言うなと言うわけです。マイアミで何か映画を撮る
というルールは、普通の著作権の概念からは生まれてこな
と、ワイオミングというような掲示板が映画のなかで1コ
いのです。なかなかこれも厄介な問題で、著作権という概
マでもでてきてはいけないと言うわけです。では醜いとは
念はなかなか難しいと思います。
いったい何なのか、これは大きな問題です。醜いというこ
もうひとつ景観との関係なのですが、最近サンパウロが
とに関してはみなの意見が同じだと思うかもしれませんが、
野外広告をなくしました。しかし一方で、表現の自由との
ほかの人が見ると「これは醜くない」という人もいるわけ
関係でたいへん激しい議論もあって、野外ボードがなくな
で、主観的な評価の問題になるわけです。建築家一世代を
って景観がきれいになることと表現の自由とが衝突してい
見てみると、非常に残酷な建築を残して、それがすばらし
るという厄介な問題があって、解決がなかなか難しいなと
いと言う人もいるわけです。
思いながら聞いていました。
国
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創
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都
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携
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求
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都
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芸
術
家
の
役
割
もうひとつ、日本の方がおっしゃっていた多様性の点で
す。最近は、韓国系の方やブラジル系の方も日本に在住し
どうもありがとうございました。アーティスト
ています。日系ブラジル人あるいはラテンの日系人のみな
とコミュニティの関係、それからコミュニティの共通の文
さんは、とても文化的な可能性が豊かだと思います。その
化的資源、あるいは文化的資産にも著作権問題がどのよう
あたりの創造性はどうなのでしょうか。
(佐々木)
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それから移民という問題です。文化的な景観がアメリカ
お話になりました。創造都市においてアーティストが単に
でこれほど多様性に富んでいるのは、相対的に言って非常
経済的・文化的な役割のみならず、社会的な意味、多面的
に移民政策がリベラルであるという背景があるからです。
な役割を果たすことについては見事にお話しになったと思
もちろん問題もあります。確かに苦難の道のりもありまし
います。
たし、移民政策に関しては問題も残っています。しかしな
そのアーティストがどのように、さらに自由に活動でき
がら、文化的な景観という点では非常な多様性を生みだし
るのか、あるいはもっと創造性をのばしていけるのか、そ
てくれています。いろいろな会話や対話についても豊かに
れがこのグローバルな環境のなかでどういう状況が生まれ
してくれたし、都市環境も活発にしてくれています。です
るのかについて考えると、たちまちさまざまな問題が生じ
から日本についてはどうなのか、在日韓国人の方々、ある
てきます。例えば著作権問題、土地的所有権の新しい展開
いはラテンアメリカから来られた移民の方々の貢献につい
やグローバル・コモンズの問題、さまざまな世界的なひと
て、お話をうかがいたいと思います。
つの枠組みをどのようにつくっていくかという問題が一方
ではあるでしょう。これは法律的な問題もあれば、法律を
(河島)
著作権の話についてはだいたい言いたいことは言
こえたもっと普遍的なシステムの問題もあるだろうと思い
わせていただけたので、特にフォローすることはありませ
ます。また他方で、ナショナルな文化政策の枠組みや、都
ん。いままでの私の研究領域において自分にとっては、こ
市自体の文化政策や文化的な支援のあり方も含めて議論が
れは新しい話なのですが、みなさんからの反応がありまし
でたように思います。
たので、もうそれだけで本日は満足できました。
午前中のセッションで少し言いたかった本当に短いコメ
は大阪のアーティストは場合によればすでにトランスカル
ントは、いまマークセンさんが言ったことにも関係あるの
チュラルな活動をしていると思います。非常に先端的なア
ですけれども、プラットさんと川崎先生がトランスという
ーティストがいて、代表グループのひとつが、先ほど話の
言葉を使って、トランスフォーマー、トランスカルチャー
ありましたフェスティバルゲートという、倒産した遊園地
とおっしゃっていましたが、もともとはインターナショナ
の跡地で活動してきた現代音楽のグループや、コンテンポ
ルからはじまっていると思います。ただ、私のイメージで
ラリーダンスのグループであって、この人たちはまさに大
は、インターナショナルというのはA国とB国とその国そ
阪にあって、トランスカルチュラルな活動をしています。
れぞれの文化があって、それを紹介しあうという感じで、
それから、大阪にある有名なコリアンタウンにも新しいカ
それぞれ固有性は失われません。あくまで国民国家という、
ルチャーセンターがあらわれてきています。そういうもの
18世紀くらいからある概念に位置づけられたうえで、違っ
について、もっと大阪市あるいは大阪市民が共通に支援を
た文化を紹介してお互い理解するというのが、インターナ
していける枠組みが必要なのではと私は思います。そうし
ショナルというもののイメージかと思います。私は学部生
た意味でまた明日、今度は創造的クラスターをテーマにし
のときに、インターナショナルリレーションズ(国際関係
て別の視覚から議論を続けていきたいと思います。
論)を勉強していたのですが、そのときの話でもだいたい
「国民国家とは」ということからはじまっていました。
明日の午前中のセッションで、アンディ・プラットさん
と瀬田史彦さんのおふたり、今回の発表者のなかでは比較
しかし、いま、都市の問題だとか、文化との関係とはと
的若い世代に属する研究者からお話をいただいて、そして
考えて、今日論を進めてくるとそれはもう古い感じがしま
午後には総括的な討論をおこなう予定です。昨日の「創造
す。その次の段階というのがマルチカルチャーのようなも
都市連携フォーラム」からひきつづく発表と討論全体をと
のですが、それもあくまでひとつの囲まれた領域のなかに
おして、あるひとつの共通のコンセンサスが生まれれば、
たくさんのものが共存しています。しかし別にまじりあっ
これからの創造都市、特に日本やアジアでどのように発展
たりするわけではなくて、単に共存しているという感じで
させていくかというようなアジェンダを提案できればと考
す。
えております。
その次の段階が、本日話題になっていたトランスカルチ
ャーというもので、本当に違った文化と違った文化とが違
和感なくまじりあって、あるときには対立しながら、ぶつ
かりあいながら何か違うエネルギーを生みだしていく。お
そらく創造都市の文化というのは、世界的な傾向を言えば、
そういうステージに向かっているのではないかと思います。
日本はおそらく第一段階で、本日の会場もインターナショ
ナルで、大阪国際交流センターというけっこう古い名前だ
ったと思います。これがいつかトランスカルチュラルとい
うようになったら、それはたいしたものだと思います。そ
んなことを雑感として思いました。
(佐々木)
どうもありがとうございました。午前中のセッ
ションからひきつづいて議論を重ねてきたわけですが、今
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例えば、創造都市というものを大阪で考えるときに、実
回、この午後のセッションでは、特に「アーティストが創
造都市において果たす役割について」、アン・マークセンさ
んがアメリカの事例を豊富なデータに基づいて、説得的に