アフリカの高峰 キリマンジャロ登頂

アフリカの高峰
キリマンジャロ登頂
文、写真 =中西嘉尊
企画立案・実行 中西嘉尊
経営学部国際経営学科3年 O型 21歳
日程 1998年7月30日-8月23日(25日間)
場所 タンザニア連合共和国
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「1998年8月7日、AM9時30分、標高5,895mを登り切っ
た。アフリカ大陸で これ以上高い ところはない。」
目的
ネパールでの高所トレッキングを終えた直後、
登山をやっていく上で、色々な楽しみ方があ
現地の旅行社のオフィスへ行き、ある本を読ん
るが、風景を見て感動したり、頂上に登った時の
でいたら「高所順応は半年間もつ」と書かれてい
達成感を味わったりと人それぞれである。また、 た。ネパールトレッキングでは3000m以上に滞
一昔の場合だと、未登峰を登って達成感を味わ
在していたのは10日前後であり体が完全に順応
うという探検的な登山もあった。しかし、現代で
していたとはいいがたいが、少しは順応しやす
は未登峰の山は少なくほとんど登られている。 い体になったのではないかと思い、キリマン
そこでクライマー達はいかにどのようなルート
ジャロに挑戦しようと思い立った。
で頂上を目指すかと言う思考に変わってきた。 その後キリマンジャロ登山に向けて具体的に
つまり、自己への挑戦が重要になってきた今日、 調べだし、治安や予防接種の事なども調べて
僕は登山を追求する上で、さらに上を目指すべ
いった。外務省の海外危険情報や海外医療情報
く、高所登山に挑戦する。
を読んでいると、ナイロビは治安が悪いとかコ
レラの発生があるとか恐くてぞくぞくするよう
はじめに
な事がたくさん書いてあり、一人で行くのをた
8月7日、AM0時頃起床。高山病のため満足に
めらっていた。ネパールにいっしょに行ったや
朝食をとれずギルマンズポイント(5682m)に向
つらを誘ったら鈴木(東吾)が行くような事を
かった。なんとか山頂付近にたどり着き、ギルマ
言っていたので安心していた。しかし出発一ヶ
ンズからウフルピークを目指した。高山病のた
月前くらいに「悪ぃ、行かねえことにした。」
「な
め眠くてふらふらしていたがピークに立ちたい
にー!!」ちょっとショック。結局、一人で行く事
という思いでいっぱいだった。
になりビザを取りに行ったり予防接種を受けに
「1998年8月7日、AM9時30分、標高5,895m
行ったりと準備を進めていった。
を登り切った。アフリカ大陸でこれ以上高いと
プレ合宿として高所順応をするために富士山
ころはない。」
へ登ろうと思い、鈴木(東吾)と御殿場口から登
キリマンジャロの頂上を夢見てから数年、ア
りに行った。夕方に登り始めたのだがそれぞれ
フリカの風はやさしく、遂にその頂上に達する
別々に登っていきその日は別れた。僕はテント
ことができた。
を張り、明日の朝山頂を目指すことにして休ん
だ。次の日、天候が悪化したがそれでも登ってい
出発まで
き八合目で休んでいたところ、鈴木が下ってき
キリマンジャロは赤道直下に位置しているに
た。
(頂上に登ったらしい)さらに天候が悪化し
もかかわらず、山頂には一年中氷河や氷雪をい
てきてやる気がなくなってきたので、いっしょ
ただいているアフリカ最高峰の山である。富士
に下山した。結局、頂上に登らず、プレ合宿失敗
山を大きく平べったくしたような姿をしており、 に終わった。
標高があるわりには登はん技術を必要とせず登
出発の日は朝がはやかったにもかかわらず、
れるので、毎年大勢の登山客をむかえている。
笠木や平塚一年たちが見送りに来てくれて、少
上記のような事を数年前に本を読んで知り、 し不安だったアフリカ行きは楽しく出発するこ
いつかは登ろうと思っていた。そして半年前に
とができた。(見送りに来てくれた方ありがとう)
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いざアフリカへ
エア・インディアで行ったので、ボンベイで一
泊してからナイロビへ向かった。アフリカを一
人で旅する人は、結構いて、その中にザックにト
レッキングポールをさしているおじさんがいた。
(おじさんの名は食堂−じきどう)話しかけてみ
ると、キリマンジャロを登りに来たと言うので、
じゃあ一緒に登りましょうかということになっ
た。
ナイロビに着いたときの印象は、肌寒かった。
日本は夏だが、こっちは南半球なので、冬であ
る。Tシャツ一枚では涼しく、長袖を着ている人
も結構いた。日本人数人でマタトゥ(市内を走る
バン)に乗り込み、市内の安宿へ向かった。空港
から、少し行くとそこには草原の大地が広がっ
ており、いきなり感動。ついにアフリカに来た
ぞ!カメラを手に取り、写真を撮りまくる。市内
に着くと、大勢のアフリカ人がいて、その数に圧
倒される。宿の前がマタトゥ乗り場なので、まる
で新宿アルタ前のように、ごった返していた。そ
れが皆、肌が真っ黒なので凄い迫力である。
安宿(イクバルホテル)にチェックインして、
早速登山について計画。予定としては、大人数で
登ること。その方が入山料も安くなるし、ガイド
に払うチップも割り勘で安くできるからである。
この宿にはメッセージボードがあり、そこには
登山の募集も書いてあったが、今からでは間に
合わない日程だった。そこで、自分たちもボード
に書き込み、パーティーの募集をした。しかしそ
の後、キリマンジャロの登山基地であるモシと
いう町に行った方が人が集まりやすいのではな
いか、という結論に達し、2日後、モシに向かう
ことにした。
初めてのアフリカ料理を食べに近くの安食堂
に数人で行った。ケニアでは、カランガ(肉と芋
のスープ)とウガリ(トウモロコシの粉を練った
もの)が主食らしい。カランガは食欲をそそるピ
リ辛味で、とても美味しかったが、ウガリはハッ
キリ言ってまずかった。
(あとで、ウガリが登山
中にでてきて悩まされることになる)
宿から食堂は近いのだが、町中に街灯がほと
んど無い為、とても怖い感じがする。まだ初日と
言うこともあり、黒人を見慣れていないせいも
あるが、暗い町中に真っ黒な人たちが沢山いる
のは怖い感じがする。
次の日、日本人のいる旅行会社にいき、治安の
ことやキリマンジャロのことなど、詳しく聞い
た。何日か前、キリマンジャロで日本人のおじさ
んが高山病で死んだことを聞かされ、無理して
はいけないと思った。治安の方はやはり悪いら
しく、人通りの少ないところへは行かないこと
など、色々話を聞いてから宿に戻った。
すると、昨日いっしょに夕食を食べに行った
人が腕時計をひったくられてちょうど警察に
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行って帰ってきたところだった。やはり危ない。
夜中には車の防犯ベルが鳴ったりしているし、
早くほかの町に行きたいと思っていた。
3日目。ナイロビからモシに向かう。バスは一
本道をすっ飛ばしていくので、すれ違うときに
は冷や冷やする。国境はすんなりと越えられた。
自分は日本でビザを取っていたが取っていな
かった人も、ここで取れ、すんなり通過してい
た。
この国境の町、ナマンガには装飾品を売るマ
サイ族がいて、あれこれ買わないかとよってく
る。そして、写真を撮ってもいいから5ドルを払
えと言ってくる。
モシに到着し、YMCAにチェクインした。モ
シにはキリマンジャロ登山のツアー会社がいく
つかあるが、YMCA内のツアー会社は利用者
も多く、料金も良心的なのでここで申し込んだ。
ここでは3 人以上のグループだと結構安くなる
(それ以上増えても安くならない)。2日後に何人
か登るというので同伴してもらうよう頼んだ。
あと、ポーターを一人少なくして料金を更に下
げてくれと頼んでいたら、目をほそめていやな
顔をされた。
登山活動開始
8月4日。いよいよ今日からキリマンジャロ登
山。装備をチェックしパッキングをすませYM
CA内のツアーオフィスへ行ったところ、
「予約
した事を忘れていた」と言われ、いきなりでばな
をくじかれた。キリマンジャロはハットの関係
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で入山制限があり、
「今日は登る人が多くマラン
グルートからは登れない。他のルートからだっ
たら登れるよ。」と言われた。しかし、他のルー
トはきつそうで登頂できないかもしれないので、
どうしてもマラングルートから登りたかった。
とりあえずマラングのゲートへ行き、だめだっ
たら他のルートへ行くという事になり、車で向
かった。
マラングのゲートにつくとそこには鉄の門が
あり、軍関係の人がいた。その前にはガイドや
ポーターをやりたくて集まっている人たちがい
た。ゲートの中へ入り、受付の前の広場で自分達
のガイドやポーターが来るのを待っていた。他
の登山隊がどんどんやってきて受付を済ませ
登っていく。自分達のガイドやポーターが来て、
やっと登れると思ったが、ツアー会社からマラ
ングゲートの受付に予約をしていなかったせい
で、結局最後に出発することになった。でもこの
ゲートから登れる事ができひとまず安心した。
今回の登山隊のメンバーはなぜか自分と食堂
さんだけで、他に同伴するはずだった登山客た
ちはこなかった。メンバーはチーフガイドの
フォレスト、アシスタントガイドのアナシオン、
ポーター3人、食堂さんと自分で合計7人。
受付を済ませ許可証をもらい、いざ出発。マラ
ングゲートは標高1860mで今日の目的地マンダ
ラハット(ロッヂ)は2700m。登山道は密林地
帯をゆるやかに登っていくルートで、3∼4時間
程度登っていたらマンダラハットにたどり着い
た。途中、道の脇にサルがいたが他の動物はみな
かった。
マンダラハットはとても整備されていて、
ソーラーパネルのついたロッヂがいくつもある。
水道があり水シャワーもあったが、寒いので
シャワーをしている人はいなかった。ガイドや
ポーターたちが夕食の準備をしている間、自分
の寝場所を確保し、食堂でくつろいでいた。夕食
はとても豪華でフルコースで出てきた。スープ、
パン、肉、パスタ、野菜炒め、紅茶と食べきれな
いほど出てきたが、腹がへっていたので全部食
べた。今日は順調に登ってきたなあと思いなが
ら寝た。
8月5日。朝7時に食事をとり、そこで昼食も
わたされた。ガイドはなぜかはやく出発するよ
うせかすので、急いで準備し出発。今日の目的地
はホロンボハット(3700m)
。密林地帯を抜け低
木地帯となり、ようやく山頂が見え始める。この
後もずっとのぼりで、目標が見えているので気
合いが入る。
昼食はサンドイッチにゆで卵、にんじん、オレン
ジととても少なくしっそなもの。休憩所があり
そこで食べていたのだが、小さなねずみがいた
りカラスが一羽飛んでいたりとのどかな感じ。
低木地帯をどんどん登っていくとやがて雲海
の上にでて、青空が広がっておりとてもすがす
がしい気分になった。途中、あやしい植物などが
はえている。5時間くらい登ってホロンボハット
に到着。ここはすでに雲海の上にあるので眺め
がとてもいい。先に登っていたポーターたちが
紅茶を用意しといてくれて、小屋につくとビス
ケットといっしょに出してくれた。砂糖をたっ
ぷり入れて飲む紅茶は疲れている体にはとても
よかった。
今日のハットは4 人用の小さなハットで、ソー
ラーパネルがついているけど電気はつかなかっ
た。夕食を食べにテーブルのある大きなハット
へ行くと、みんなそれぞれのパーティーでポー
ター達が作ってくれた夕食をたべている。自分
達にはあのおいしくないウガリがでてきたが、
食べないと腹が減るので仕方なく食べた。外に
出ると風が冷たく、ダウンジャケットを着てい
ても寒かった。月が雲海を照らし、とても美し
かった。
8月6日。顔を洗いに洗面台へ行くと下にこぼ
れた水が凍っている。寒い。雪どけ水が小川と
なって流れているので、ホロンボハットまでは
水道があり、この水で料理をしたり顔を洗う事
が出来る。
朝食はテーブルが混んでいるので、寒いけど
外ですわって食べる。紅茶を飲んで温まり、キボ
ハット(4700m)へ向けて出発。
正面に頂上のキボ峰、右側にマウェンジー峰
を見ながら登り出した。ポーターたちは元気よ
く登っていったり、下ってきたりしていて、中に
はラジカセを持っている奴もいる。すれ違うと
き、
「ジャンボ」と声をかければ「ジャンボ」と
かえってくる。スワヒリ語でこんにちはという
意味。
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ガイドは「高山病で頭が痛い。
アスピリンをくれ! 」
と言い出した。
低木地帯を登っていくと、水が湧き出ている
ラストウォーターポイントがある。ここでポー
ター達が水をくみ、キボハットまで持ち上げ夕
食を作る。ここを抜けると砂れき地帯になり、少
し行くと広い砂地の平野が広がっていた。ここ
までくると山頂が近くに見える。このあたり
(4500m)には高山植物の花がまばらに生えてい
る程度で、これより上に植物は見られなかった。
今日は6時間ほどかかりキボハット(4700m)
にたどり着く。ここまで来ると頂上まであと
1000 m。ここまで快調に登ってきたので、明日
は楽に登頂できるだろうと思っていた。しかし、
空気がうすいせいか頭がぼうっとしてきた。毎
日1000mずつ高度を上げてきたので、体が順応
しきれていない。本当はホロンボハット(3700
m)で2泊して高度順応すればいいのだが、そう
すると100 ドルくらい料金が上がってしまうの
で、これはもったいないから出来ない。
キボハットにつくと高山病でへこんでいる外
人がいて、数分後にレスキューの人たちが一輪
車にその人を乗せて駆け下りていった。
登山途中、下りてくる人たちに登頂できたかど
うか聞いていたが、登頂した人は「ゆっくりいけ
ば登頂できる」と言っていた。キリマンジャロの
登頂率は二人に一人とか、三人に一人とか言わ
れており、とにかく日本人の登頂率は低いらし
い。途中、日本からのツアー客に会ったが8人中
2人が登頂したといっていた。
小屋の中で食堂さんと紅茶を飲みながらこの
ような話をしており、
「二人に一人の確率だとど
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ちらか登れないね」と話していた。
(おじさんに
は負けられないと思っていた。)
小屋の前にはちょっとした岩場があり、ポー
ターたちがそこでひなたぼっこをしたり、トラ
ンプをして遊んでいたりしている。風が少し吹
いていて、岩場にねっころがると暖かくて気持
ちよかった。
小屋で休んでいたが時間がたつに連れてだん
だんと頭がふらふらしだした。高山病の初期症
状である。小屋の外に出て気分転換しようと思
い外へ出てみると、近くの丘で座禅をくむ外人
がいた。夕日にむかって瞑想していたのか。格好
よかったのでふらふらになりながら写真をとっ
た。
明日は夜中のAM1:00に出発なので夕食を 18:
00 くらいにとったのだが、食がすすまず少な目
に食べる。その後シュラフに入ったのだが、寝付
けずやけにのどが渇くのでポカリスエットを頻
繁に飲んだ。
頂上アタック
8月7日。頭痛のせいであさい眠りのままAM0:
00に起きる。高山病のためなんか気持ち悪いし、
頭が痛いし、やる気が起きない。疲労感と倦怠感
が入り乱れている。体を起こしシュラフからで
て準備しようと思うのだが、体がだるくて一つ
一つの動作が非常におそくなる。寝ているとき
に通路をはさんで隣の人が二段ベッドの上から
吐いていたので、下に置いといた自分のザック
が気になっていた。準備をし、二段ベッドからお
りザックを見てみると汚れていなかったので安
心した。ポーター達が用意してくれた紅茶とビ
スケットがテーブルの上においてある。寒いの
で紅茶は飲む気になるのだが、どうもビスケッ
トは食う気がしない。紅茶を2杯のみ、とりあえ
ず食べないと後で腹が減るのでビスケットを一
口食べた。するとなんか気持ち悪くなった。
「ぅぅっ」やばい。小屋の外のトイレに向かって
はしった。間に合わず外で嘔吐した。上を見上げ
るとまぶしいくらいの満月が輝いていた。
吐いた後はすっきりしてやる気が出てきた。
しかし外は非常に寒い。他のパーティーがどん
どん出発していき、ヘッドランプの列が頂上に
向かっている。自分と食堂さんもガイドととも
に出発した。頂上までは1000mちょっと。急な
砂利道をゆっくりゆっくり登っていくが、酸素
が少ないせいか眠気がおそってきた。立ち止ま
り休憩すると、風がつめたくてどうしようもな
く寒い。はやく太陽がでてきてほしいとこの時
ばかり思った事はなかった。
ダウンジャケットを小屋においてきたのは失
敗だった。アンダーウェアにフリース、その上に
ジャケットをきてザックを背負い、この状態で
登ればあつくなると思ったのだが大失敗。
ギルマンズポイント(5680 m)で朝日を迎え
る予定だったが、それよりすこし下の方で朝日
を迎えた。美しい夜明け。しかし、寒いし眠いし
感動している場合ではなかった。ギルマンズポ
イントまであと1時間くらいのところで、ガイド
が「ウフルピーク(5895m)までは行けない。こ
の時間から行ったら戻るのに間に合わない」と
言い出した。ここまでせっかく登ってきたと言
うのにどうしてだめなんだ。「ピークまで行く」
と言うと「ダメだ」と。まだ午前6時だから時間
は十分あるはず。登頂して戻ってくる体力もあ
るし、絶対行く気だった。ガイドのくせに何を
言っているんだ!しばらく言い合いをしていたら、
しまいにガイドは「高山病で頭が痛い。アスピリ
ンをくれ!」と言い出した。
ガイドのフォレストは50歳で年をとっている
から大変だろうけど、こっちも大金払って登り
に来ているのだから登頂しなければもったいな
い。山頂には他のパーティーのガイドもいるこ
とだし、食堂さんと話し、とりあえずギルマンズ
ポイントまで、ガイドより先に目指した。ガイド
はその後ついてきていっしょに登った。途中か
ら道のわきに氷河のはしくれが現れ出した。
キリマンジャロの山頂部は巨大なクレーター
で、その上に氷河が積もっている。ギルマンズポ
イントから火口沿いに登っていくとウフルピー
クがある。AM7:00にギルマンズに到着。ここか
らは火口一帯が見渡せ、ウフルピークも見える。
ここで満足した人たちは下山していき、体力の
ある人たちはウフルを目指す。
僕はガイドのフォレストと共にウフルを目指す。
ここから先は氷河の上を登っていくので、ス
トックが必要になる。滑らないように慎重に
登っていく。すべって火口にでも落ちていった
ら大変である。また、山頂付近にある氷河の壁は
ものすごく、高さ5m幅数十メートルの大きさの
ものがいくつもある。
3日目までの登りは楽なトレッキングという感
じだったが、4日目にきて高山病になり、いきな
りきつい登りになった。やはり高所登山をあま
く見てはいけない。眠いのを必至にこらえなが
ら、登っていく。
AM9:30、ウフルピーク 5895 mにたどり着い
た。アフリカの最高峰にたったぞ!しかし、雪が
反射して遠くの大地を見下ろすことが出来ない。
ついでに石碑があるはずなのに雪に埋もれてし
まっていてみることが出来ない。石碑のかわり
に棒きれがたっていただけで、頂上という感じ
がしない。冬に登りに来てしまったのでしかた
がないか。記念写真を撮り下山。その日のうちに
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ホロンボハット(3700m)までかけおりた。
登頂を終えて
とにかくキリマンジャロ登頂という目標を達
成する事が出来よかった。これからもさらなる
目標の山に向かって挑戦していきたいと思う。
マラングゲートの受付で頂上まで登ったと自
高山病について
己申告して証明書をもらった。
(山に登って賞状
をもらったのは、はじめて)
急性高山病には、個人差こそあれ誰でもかか
その後ガイドとポーターたちにチップを渡した
る危険性がある。一般的には標高3000m以上の
のだが、ガイドには50ドル、ポーターには25ド
高さで観察される。最悪の場合は高所肺水腫な
ルずつそれぞれ渡した。他のパーティーでは
どにより危険な状態になることもあるので、決
チップの事でもめているところもあった。ゲート
して軽く考えてはならないが、必ず自覚症状が
でいっしょに登ったガイド達とみんなで登頂を
現れるのでそれを見逃さず、適切な判断をもっ
祝い、キリマンジャロビールで乾杯した。
て行動すれば恐れることはない。
何日かぶりに宿でシャワーをしたとき、顔の (a)症状が軽いようであれば、水分、糖分をとり、
肌がバリバリになっていた。強い日差しと雪焼
暖かくして休むように心がける。
けのせいだろう。登山を終えたという感じがし (b)症状が重いようであれば、とにかく高度を
た。ネパールでもそうだったが、活動を終えるこ
下げること。判断能力の低下も考えられるので、
ろには体はぼろぼろになり、小汚くなっている
ガイドなどまわりの人の注意にも耳を傾ける。
が、満足感があってなんかカッコいい。
(c)予防としては、急がずゆっくり登る。水分
しかし、今回のキリマンジャロ登山では物足
を十分に取り(1日2∼5リットル)、尿量を減ら
りなさを感じた。それは自分の荷物を全部背
さないようにする。アルコール、たばこを控え
負っていなかったからである。ふつうはポー
る。
ターに大きいザックを背負ってもらい、自分は
デイパックで登るというスタイル。このように
日程
かなり観光化されている山なので、そう感じた
7/30
エア・インディアにてボンベイへ
のである。
31
エア・インディアにてナイロビへ
ちなみに僕は80 リットルのザックを背負い、 8/1
市内散策
中身は軽い物だけという一見登山家というスタ
2
バスで移動
イルでのぼっていた。
3
登山の準備
-120-
4
5
6
7
8
9
10∼20
21
22
23
登山
登山
登山
登山
登山
休養
タンザニア散策
エア・インディアにてボンベイへ
エア・インディアにて成田へ
日本着
装備
□ ザック □ウエストバック □登山靴
□ダウンジャケット □雨具(上下)□フリース
□ ズボン □アンダーウェア(上下)□Tシャツ
□靴下×2 □手袋 □帽子×2
□ サングラス □シュラフ □シュラフカバー
□ロールマット □ヘッドランプ
□ ライター □ナイフ □水筒 □粉末清涼飲料 □
常備薬 □マラリアの薬 □蚊取り線香
□ 地図 □カメラ □サンダル □南京錠
予防接種
黄熱病の予防接種証明書が必要である(コレ
ラの予防接種証明書も持っていたほうがよい)。
首都ナイロビおよびその他の高地を除いてマラ
リアが流行しており、ナイロビ以外を訪れる場
合は予防薬(メフロキン)を飲む必要がある。コ
レラが時々発生し、肝炎の流行も見られるので、
生水や生ものは避けたほうがよい。
コレラと黄熱病の予防接種を受けるにはかなり
の時間を要するので、計画的にする必要がある。
今回受けていった予防接種の料金
コレラ
¥1500×2
黄熱病
¥4500
破傷風
¥2800
A型肝炎
¥8700×3
査証(ビザ)
国名
インド(通過)
ケニア
タンザニア
写真
査証料実費
4.5×3.5 2枚
¥700
4.5×3.5 1枚
¥3000
4.5×3.5 2枚
¥3250
費用
$1=¥145
$1=57Ksh(ケニア・シリング)
$1=670Tsh(タンザニア・シリング)
航空券
¥128000
登山費用+チップ
$537+$75
滞在費
$15×21日
査証料
¥6950
予防接種
¥16200
保険
¥4400
空港使用料
¥2040+$20
雑費
¥10000
-121-
キリマンジャロ登山料金表 PRICE=(a)+(b)
Extra day
62$
MARANGU ROUTE(5days4nights)
(a) One Climber
301$
OTHER ROUTES(6days climb)
Two Climbers
254$
(a)
Climbers
362$
Three or more Climbers
227$
Extra day
42$
Extra day
46$
(b) Park Fee
375$
(b) Park Fee
310$
Extra day
62$
-122-