増毛・送毛・濃昼の山道を初めて越えた陸軍屯田騎兵行軍演習の快挙

増毛・送毛・濃昼の山道を初めて越えた陸軍屯田騎兵行軍演習の快挙
◎明治29年10月19日、美唄を出発した陸軍屯田騎兵隊の行軍演習は、空知太を経て新道に出て雨竜より増毛へ向かった。20日の夜は
ニナラというところに野営。連日、雨が降り続き河川は出水し架橋は流失する有り様であった。雨のなか川を渡って行進。水が深いため全身
水浸しとなった。21日夜、増毛へ到着し滞泊した。演習に参加したのは将校5名、下士卒155名、馬150頭。10月22日は増毛山道
の手前で演習、終わってから山道へ進行した。そのとき、天候が急に変わり激しい雨と風が横殴りに吹き荒れた。山嶺に達するところまで来
ると雪混じりになり、山頂に来ると積雪が2寸余りあった。この増毛山道は、増毛ポンナイ浜から浜益村幌までの全長9里余りで道幅は2~
3間、安政5年7月に竣工した。晴天の時でさえ、難所の山道で知られた所だが、数カ月前から連日霧雨で道路は泥濘。騎兵は銃を背負い装
具して行軍。騎馬通行さえ出来ない状況であったから、全隊徒歩で馬匹を曳き、ようやく群別村字幌にたどり着いたときは夕陽が沈んでいた。
さらに沿海を2里歩いて夜9時に茂生村に到着。
翌23日は、前日の疲労を慰労するために茂生村に滞在。村民は全隊に酒や鮮魚、ハンカチーフ、軍用マッチを贈った。夜には将校を金光
亭に招待し歓迎慰労、散会したのは午前2時であった。24日茂生村から厚田へ向けて出発。送毛山道、濃昼山道を越えて厚田村に到着した
のは午後4時であった。送毛山道は、運上屋のある茂生村より毘砂別を通り送毛まで全長1里19町、安政4年9月に竣工した。濃昼山道は
浜益村濃昼から厚田村安瀬まで全長2里24町。安政5年7月に竣工した山道である。天候が良く道路も乾いていたので、騎行も困難ではな
かった。厚田では小学生が安瀬村まで、歓迎事務所が濃昼山道まで出迎えた。本部には有志家より大阪酒1挺とスルメ半紙などが贈られ、将
校は酒楼に招待して慰労、散会したのは午前3時を過ぎていた。
25日午前7時に厚田村を出発。石狩八幡町より山道当別を経て、帰る予定である。
増毛山道・送毛山道・濃昼山道を越えた軍隊の行軍は、初めてのことであった。
(参考資料-「北海道毎日新聞」・『浜益村史』)
◎10月27日 厚田【社会・文化】屯田騎兵行軍の演習報告がなされた。それによれば、24日に将校5名、下士卒155名、馬150頭
が浜益地方から来着、1泊して25日午前7時に当別へ向けて出発した。
(北海道毎日新聞2778号)
明治29年10月28日付
編著者
北海道毎日新聞記事より
石狩市郷土研究会会員
鈴 木
ト ミ ヱ