日治時期台湾文学研究(一) 日付:2010年11月24日 発表者:官黛妮 499126075 コメンテーター:江柏瑩 〈日鮮同祖論〉より〈国体論〉へ ~小熊英二 『単一民族神話の起源―〈日本人〉の自画像の系譜』 第五章、第八章」試論~ 一、 はじめに ●問題意識: 今回は〈日鮮同祖論〉及び〈国体論〉、この二つのテーマに分けられる。先ずは〈日鮮同祖〉とい うのは、可能であろうか。このテキストを読むまで、私はこんな説は聞いたことさえなかった。中国 は歴史を重視する国だといわれるが、隣邦の日本と韓国とはそもそも同じ国だったとすれば、き っとその記述を残すであろう。面白い発想だが、疑問である。次は、〈国体論争〉である。説が雑 すぎて読めば読むほど、一体何を論じたり、論争したりするか、ますます分からなくなってしまう。 それで、先ず〈国体〉という言葉を明らかにしたい。〈国体〉は一体何を指しているか、学者たちの 言論によっても曖昧にしか見られない。しかし、これほど分からないと、小熊英二の立場、いった い〈国体論〉に賛成しているのかどうかさえ検討できない。さらに、〈国体論〉は日本国内において も、日本属植民地においても、何か影響を与えているのか。また、現在の日本社会とは何か繋が りがあるのか、繋がっている可能性はあるのか、以上の点について以下で討論する。 ●小熊英二: 作者の小熊英二は、東京都昭島市出身で、1962年9月6日に生まれた。慶應義塾大学教授で ある。1998年「「日本人」の境界―支配地域との関係において」で学術博士号取得、社会歴史学 者として知られる。特長は厖大な文献を使い、ナショナリズム及び民主主義を中心に政治思想と 歴史を論じることである。著書は1996年の『単一民族神話の起源』(新曜社)、2002年の『〈民主〉 と〈愛国〉』(新曜社)、1998年の『「日本人」の境界』、2010年の『1968』など。1 特に注目したいのは、作者の父親、つまり小熊謙二がシベリア抑留2に遭ったことである。1948 年8月に日本へ帰国したが、その後、元日本兵の朝鮮系中国人が、日本国政府を相手取り、シ ベリア抑留の戦後補償を求める。小熊謙二もその訴訟の共同原告となっている。この事実に作 1 小熊英二、 『 〈日本人〉の境界』 、奥付。 2 第二次大戦終了時、中国東北地方・サハリン・千島でソ連の捕虜となった日本軍兵士・軍属がシベリア地方に 連行され抑留されたこと。(大辞泉) 1 者は何か影響を受けられているか。社会歴史学者になったことと関連があるとすれば興味深い。 一方、作者の記述は全て信じてはいけないかもしれない。客観的にいえない情報を載せてし まうことがあったからである。例えば、『単一民族神話の起源』では三・一独立運動を「半島全土 で朝鮮人が平和的示威行動を行なった。」3としているが、実際には暴力行為は頻繁に行われて いた事件で、決して〈平和〉だといえない事件であった。 二、 日鮮同祖論 星野恒4によると、日本の先祖は半島から渡来し、「「日韓ノ人種言語同一」」5であった。これに ついて、先ず、人種論という疑点を明らかにしたい。 ●東夷 「管、蔡畔周,乃招誘夷狄,周公征之,遂定東夷。」6中国では周朝時代に東部(山東、河南一 帯)に当たる異民族を〈東夷〉と呼ぶ。その後、〈東夷〉は、中原の華夏族と同化し、〈東夷〉を認定 する範囲も変わっていく。代わりに東方に当たる異民族を広義に呼ぶ。秦漢時代、朝鮮半島を 〈東夷〉に入れた。 良甞學禮淮陽。正義曰今陳州也。東見倉海君。如淳曰:「秦郡縣無倉海。或曰東夷君 長。」索隱曰姚察以武帝時東夷穢君降,為倉海郡,或因以名,蓋得其近也。正義曰漢 書武帝紀云「元年,東夷穢君南閭等降,為倉海郡,今貊穢國」,得之。太史公修史時 已降為郡,自書之。括地志云:「穢貊在高麗南,新羅北,東至大海西。」為倉海郡,今 貊穢國」7 それに、『三國志』、「魏書」によると、明らかに日本のことを「東夷傳」の「倭人條」にさらに分類 している一方、朝鮮半島にあたった国々のことを「高句麗傳」、「東沃沮傳」等と分類する。その地 方の民族についても詳しく述べている。それそれの性格像で、同一民族とは考えがたい。8似て いる例として『舊唐書』、「卷一百九十九上‧列傳第一百四十九上 東夷(傳)」にも〈高麗〉、〈百 濟〉、〈新羅〉、〈倭國〉、〈日本〉と分けられている。9〈東夷〉は如何にもただの汎称なので、民族を 指すより、寧ろ方位を指す。それで、同じ〈東夷〉と呼ばれても同一民族とは考えられない。しかも、 時代は変わっていきながら、当時に〈東夷地方〉と定めた範囲にいた人々が、今の人種と絶対に 一緒とはいえない。例えば、今の朝鮮半島には、現代の韓国人は東夷族の一つかもしれない、 という説がある。 ところが、意外にも星野は続いてこう言う。列島・半島統一の状態が長く続かなかったのは、列 3 小熊英二、『単一民族神話の起源』、P.152。 4 明治の歴史学者,漢学者。家が貧しかったため 21歳で主郷,塩谷宕陰の学僕として苦学。1875年大政修史 局に入り『大日本編年史』を編纂,88年帝国大学分科大学教授となり,91年文学博士,97年帝国学士院会員と なった。学風は考証を主とする。主著『竹内式部君事蹟』『史学叢説』『古文書類纂』。(ブリタニカ 国際大百科 事典) 5 テキスト、P.89。 6 『後漢書』、卷八十五‧東夷列傳第七十五。 7 『史記』、卷五十五‧留侯世家第二十五。 8 『三國志』、卷三十‧魏書三十、烏丸鮮卑東夷傳第三十。 9 『舊唐書』、「卷一百九十九上‧列傳第一百四十九上 東夷」。 2 島の王アマテラスと新羅の王スサノヲが仲が悪くなり、「半島側が列島に対して、列島先住民であ る熊襲を支援して反乱をおこさせたのだ。……やがて再び新羅が離反し、唐と連合して白村江 の戦いで日本と百済の連合軍を破り、天智天皇の代にしてついに半島を失うにいたる。」10と。こ れはどう見ても詭弁である。因果を逆にしてしまう。二十四史の『舊唐書』によれば、660年前、朝 鮮半島では高句麗、百濟、新羅との三國が鼎立する。新羅は最初に高句麗と締結し百濟と倭に 対抗したが、高句麗勢力の南下により、新羅は改めて百濟と締結し高句麗を打撃する。その後 唐朝と結び、百濟及び高句麗に対抗する。643年、百濟と高句麗と連合軍を組み、新羅をただ す。それに対し新羅は唐朝の援助を求めた。しかし、当時の唐太宗は三国の問題を解決する気 はなかった。陰でこの機会を利用し、三国を吸収しようとした。660年七月、唐高宗は再び朝鮮半 島を出兵する。とうとう百濟は唐の新連合軍に滅された。百濟は消えたが、百濟将軍武王の甥は 周留城を死守する。同時、日本の援軍を求める11。ここまでは明瞭であった。日本と半島と戦うゆ えは、そもそもこの二つの国の問題が起因したのではなく、中国(唐)と半島上の三国であった。 しかし、国から認可できた学者として星野恒は、こんな大きな〈ミス〉を行ったのは考えられない。 ひいては許されないことだと思う。しかもどう見てもただの〈ミス〉ではなく、むしろわざとしたことで ある。一方、本当に小熊英二の言ったとおり、「星野の意図は明白である。列島と半島はもと一国 で、言語的にも人種的にも同一であり、天皇家は半島の支配者だった」12との目的を果たすため に、星野が学者自身のプライドまで賭けたことなのか。或いは、また客観性の欠いている情報を 使ってしまう小熊英二の仕業だったのか。ともかく筆者は両方とも疑う。 三、 国体論 ●〈国体〉とは: 「天皇を論理的・精神的・政治的中心とする国の在り方。第二次世界大戦前の日本で盛んに 用いられた語。」13国体論は新、旧に分けられる。古い国体論は多民族国に相応しい論調を提 起できず、単一純粋な国民像に固執する。現実に向かないその結果は、現状に対応する能力 を欠いていた。 ●国体論の再編成のきっかけ: 日本は、一国一民族で、全世界におけると珍しい現象だと言われる。物集高見14は1919年に 「一種族のみをもて、国を建てたるは、日本の以外には、未だ、その例を聞かざるなり」15明治以 降、国力強くなった日本は、とうとう軍国主義に向き、侵略国としてアジア諸国を併呑していく。植 民地が増えると、〈外人〉は日本の体制を参加する。一人っ子だったような日本は、急に「長子」 になり、持ってきた過去の体制だけでもう現象を満足できない。日本は改めて新たな管理方法を 考えなければならなくなる。 10 テキスト、P.90。 11 『舊唐書』、卷八十四‧列傳第三十四。 12 テキスト、P.91。 スーパー大辞林 3.0.。 13 14 [1847~1928]国文学者・国語学者。豊後の生まれ。東大教授。「広文庫」「群書索引」を編集し、国文学の発 達に功績を残した。(大辞泉) 15 テキスト、P.138。 3 こうした事態に対処するべく、国体論者たちは大正から昭和初期にかけて、混合民族論 をとりこんだかたちで国体論を再編することを試み、それに成功した。以後国体論は、単 一純粋な血族国家という日本像を放棄し、帝国膨張のニーズに適合したかたちへ変貌 してゆくのである。16 しかしながら、筆者の意見として、〈混合民族論〉に迫られた日本は、結局心を開けず、〈単一 民族〉とのこだわりを持ち、植民地の人々に対し意識すべきものを迷ってしまうのである。 ●国体論者の詭弁: さまざまな見方で、統一した意見はない。ひいては両立に見られる。例えば作者によると、佐 藤鉄太郎はこう言った。「「彼等(朝鮮人・台湾人・満州人等)が日本の恩国体を有難く考へて、 日本国民になつたならば、彼等も立派な日本国民である、その場合に於ては祖先の異同、人種 の如何といふやうなことは問ふところでない」」17と、きわめて広がった心で外来者を受け容れてい るように見えるが、同時に大島正徳18は、「勿論彼等は我々と同一民族といふことは出来ぬけれ ども、我が国本来の国家家族の内に彼等も養子か貰ひ子か拾ひ子の如く取り入れて……」19とし ている。外来者を養子とし、結局そのまま足踏み、外人と指している。この論調に乗り、「集大成」 と作者に呼ばれた亘理章三郎が登場した。「男子でも女子でも、結婚によって、他家に入るなら ば、血統上の祖先は、其の生家の方にあるけれども、家族としての先祖は、体制上から、其の新 に入った家の前代の人々を祖先とするのである。」20しかし、何故この亘理章三郎の言論が〈集 大成〉だといえるのか、先ず証拠が足りないではないかと、筆者は疑う。テキストに紹介される順 序も、作者に都合よくされた可能性があり、作者自分の定義によった結果かもしれない。さらに面 白いのは清原貞雄、「「我帝国の人民は純粋の単一民族では無いと言ふ事」」21という。これにつ いて、作者は注(19)にまた、「ここで重要なのは、「単一民族」という言葉が国体論者によって否 定形で使われていたことであり、この事例以前にこの言葉の用例が存在する可能性を否定する ものではない。」22と記されている。このような状況になるのは、穿鑿を為したとすれば、「国体論 の内部でこうもちがった議論ができたのは、国体という概念がもともとあいまいであったため、論 者の思い入れしだいでどうにでも解釈が可能だったからといってよいだろう。」23が、ともかく、清 原貞雄の発言によると、「家族国家とは観念的なもので、実際の血族関係でなくても同化が完成 していればよいという説明がつけられていた」24。ようやく辻褄を合わせた形である。 四、終わりに ●〈日鮮同祖論者〉、〈国体論者〉について: 人間は自分の利益、或いは目的を果たすために、時々ぬけぬけとでたらめを言うものである。 16 17 18 テキスト、P.136。 テキスト、P.144。 1880−1947 大正-昭和時代の教育家。明治13年11月11日生まれ。母校東京帝大の助教授などをへて,大正 14年東京市教育局長となり,帝国教育会理事などをかねる。(日本人名大辞典) 19 20 21 22 23 24 テキスト、P.145。 テキスト、P.148。 テキスト、P.151。 小熊英二、『単一民族神話の起源』、P.417。 テキスト、P.144。 テキスト、P.151。 4 人間性はそもそもそういうものだと言われそうだが、特に歴史に対してもこんな態度をとるのは許 せないと思う。今回の発表を通じ、さらにこう痛切に感じさせられたのである。 ●作者について: 一方、歴史論者として作者は客観的ではないと批判されるが、その記述に溢れた皮肉とした 口調が面白い。筆者はこの点から見れば好感を持つ。例えば、「日本民族の特殊性という壁に 守れていてこそ、どんな無内容なものでも、万邦無比という形容が可能なのである」25、「たいがい の人間は、自分が悪をなしているという自覚のもとに断固として行動できるほど、強くもなければ 自律的でもない。善をなしているという主観のもとにおいてのみ、人間は相手の痛みに対しかげ りなく無感覚に、無反省になれるのである。帝国内異民族の位置づけとしては、もっとソフトなも のが必要であった」26。しかも、〈日鮮同祖論〉、〈国体論〉に対しあざ笑うふうな口調も、筆者の好 感を呼ぶ。実に面白いテキストであった。 五、延伸 ●いまや日本政界において〈国体論〉の影はまだ存在しているのか? 2010年11月13日に菅直人首相は、 アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に先立って当地で開催されているAPEC 最高経営責任者(CEO)サミットであいさつし、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参 加に向けて「関係国との協議を開始する」と表明した。……(中略)……アジア太平洋地 域を中心に「高いレベルでの経済連携」を進めるため、「平成の開国」を実現すると強調 した。27 黒船来航以来、開港と迫られた日本は明治時代の一連の革新を通し、アジア旧来のリーダー の中国を超え、真っ先に欧米のような列強、先進国に変身したはずである。今さら何故菅直人首 相はこの発言をしたのであろうと、興味深い。菅直人首相は〈開国〉を求めるとすれば、言い換え ると今の日本は〈鎖国〉だと意味するのか。 〈ウチ〉⇔〈ソト〉という概念は、従来日本人の血に流れているといわれる。日本は少子高齢化に より深刻なデフレーション問題に困っている際に、解決できるかもしれない方法の一つとして、ア メリカのような移民社会にも成れなかった。日本はいつか異民族・非日本人を受け容れられるの か。永遠に〈単一民族〉をこだわるのか。この先を注目したいと思う。 六、参考文献 小熊英二、(1995)、『単一民族神話の起源』、新曜社。 小熊英二、(1998)、『〈日本人〉の境界』、新曜社。 25 26 27 テキスト、P.144。 テキスト、P.142‐143。 『YAHOO!JAPAN ニュース』、「TPP「協議開始」を表明、「平成の開国」めざす=菅首相」、11月13日(土)11 時37分配信。 5 司馬遷、前漢、『新校史記三家注』、(1983)、世界出版社。 范曄、宋、『後漢書』、(1997)、中華書局。 劉昫、後晉、『舊唐書』、(2004)、黃永年分史主編、漢語大詞典出版。 陳壽、西晉、『三國志(十)』、民57(1968) 、台灣商務印書。 6
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