写真測量による三次元画像計測/写真学会2004年(pdf

日本写真学会誌2004 年67 巻5 号:463–472
写真測量における三次元画像計測
An Explanation of 3D “Iconometry” on Photogrammetry
小林和夫
近畿測量専門学校
〒546-0023 大阪市東住吉区矢田 1-5-9
Kazuo KOBAYASHI
Survey College of Kinki
1-5-9, Yata, Higashisumiyoshi, Osaka 546-0023, Japan
要旨
写真測量は物体(主に地表面)を撮影したイメージから空間情報(空間データ)を取り出す
一つの手法であり、1849 年ロスダーが写真経緯儀を用いて平板写真測量を始めて行って以
来、今日までずっと測定用カメラや図化機などの発明考案が繰り返されてきた科学技術でも
ある。今やフィルムや印画紙に記録されていた写真は CCD やコンピュータなどに記録され
るデジタル画像に代わり、同様に写真測量においてもデジタル画像が用いられるようになっ
たが、デジタル写真測量であってもその計測法の基礎数学は変わらない。本報は、写真測量
に関連する事項である、エラトステネスらによって定義された地球形状の変遷、写真の発明、
アナログとデジタルの写真測量、GIS(地理情報システム)、そして 76 年前に撮影された大
阪市の空中写真などを用いて実体視した判読結果などを歴史的経緯に触れながら解説するも
のである。
キーワード
写真の発明
写真測量の父
写真測量の計測原理
新技術(GIS)
古い空中写真の判読
Abstract
Photogrammetry is a method of obtaining geospatial information of objects
(generally the surface of earth) from their photographic images. Since the first
attempt of photogrammetry by A.Laussedat in 1849 using Phototheodolite, the
methodology has been continuously improved in both theoretically and engineering
including cameras and stereo plotters. With the progress of digital technology, the
images are taken by digital cameras and stored in computers rather than by
photographic films and printed on photographic papers. The same happens on
photogrammetry and the data acquisition is directly made with digital imaging
devices. Although digital photogrammetry becomes popular, the basic mathematical
theory for digital photogrammetry is unchanged.
This paper describes photogrammetric relevant matters in relation to their
historical circumstances such as the change of globe shape that was initially defined
by Eratosthenes, et al, invention of photography, analog and digital
photogrammetry, and GIS (geographical information system). We also introduce
some interpretation of aerial photographs of Osaka City taken seventy-six years ago.
Keywords
Invention of photography, Father of photogrammetry, Measuring principle of
photogrammetry, New technology (GIS), Interpretation of old aerial photographs
1
日本写真学会誌2004 年67 巻5 号:463–472
ゴ〔Dominique François Jean Arago〕は各
種写真光学器械の開発を行うとともに、1840
年ごろから仏科学アカデミーにおいて
Daguerreotypeの「写真測量」への利用を説
き始めた。そうしたDaguerreotypeの発明か
ら 10 年後の 1849 年に、写真測量による地図
作成が開始されるのである。
1.3 写真測量のはじまり
写真測量の黎明期において、1525 年ドイツ
の画家デューラ〔Albrecht Dürer〕は透視画
法の幾何学的原理を著している。また、
Camera Obscura(暗箱)は BC300 年ごろ
Aristotle によって考案されていたが、1558 年
1 はじめに
1.1 三次元計測のはじまり
三次元計測(3D 計測)
、すなわち測量の起
源は不明とされるが、1924-26 年に発掘され
たエジプト第三王朝の第二王ドーサ
〔Djoser;BC2667 – 2648〕1)の階段式ピラミ
ッドは比較的古い建造物の考古学記録であ
り、ゆえに今から尐なくとも約 4600 年前に
は測量を応用する 3D 計測が実施されたこと
が推測できる。しかし、測量を行って正確な
地図を作るには正確な地球の形が必要とな
る。まず、丸い地球の概念が登場するのは、
球面三角法を表したギリシャのピタゴラス
〔Pythagoras;BC580-500〕やシエネとアレ
キサンドリアで太陽観測をして地球中心角を
求め、地球を球としてその全周を計算したエ
ラトステネス〔Eratosthenes;BC276-195〕
の時代であろうが、ヨーロッパでは宗教的な
関係で地球球体が平面に逆戻りする。球や扁
平楕円体という概念は、中世の地動説を唱え
たコペルニクス〔Nicholaus Copernicus;
1473-1543〕、惑星運動を解明したケプラー
〔Johannes Kepler;1571-1630〕、そして万
有 引 力 を 発 見 し た ニ ュ ー ト ン 〔 Isaac
Newton;1642-1727〕らの偉業を待たねばな
らなかった。したがって、本格的な 3D 計測
による地図作成には、地球を球体(回転楕円
体)とすることの他、経度の発見、地図投影
法の確立及び空中写真を用いた実体写真測量
法などの開発も不可欠であった。
1.2 写真の発明
1727 年ドイツ人で Altdorf大化学の教授で
あったシュルチェ〔Johann Heinrich
Schulze〕2),3)ならびに 18 世紀中期におけ
るイタリア人のTurin大物理学教授ベカリア
〔Giovanni Battista Beccaria〕により硝酸銀
の感光性が発見されたのが 4),5)、銀塩写真のは
じまりとされる。1827 年フランス人ネープス
〔Joseph Nicephone Niépce〕により
“Heliographs(ヘリオグラフ)”が発明され、引き
続きダゲール〔Louis Jacques Mandé
Daguerre〕は 1829 年ネープスに学びはじめ、
間もなく共同研究を開始して、1839 年
Daguerreotypeを発明する 6)。また、1839 年
イギリス人ハーシェル〔John Herschel〕に
よって用語“Photography”が始めて使用され
7)
、さらに 1830 年代フランス測地学者のアラ
Fig. 1 Object A determined by
“Intersection method”, using
corresponding rays of
a1O1 vs.
a1O1
a
a 2 O2 on the two photographs.
2
a2 O2
イタリアの自然科学者デラポルタ〔Giovanni
Battista della Porta〕 はヨーロッパに始めて
それを紹介した。1725 年スイスのカップラー
〔M.A.Cappeler〕はピラタス山地の地図を 2
箇所から作成した。これは Fig.1 に示す前方
交会法と同じである(次節参照)。1759 年フ
ランス生まれのランベルト〔Johan Heinrich
Lambert〕は”Perspectiva Liber”(The Free
Perspective)、つまり物体点を撮影したイメー
ジから後方交会 *1 によってその物体点の位置
を求めるパースペクティブ像の数学原理の解
明を行った 8)。以上のような写真測量以前の
*1
Fig.1 に示す前方交会の逆で、2 台のカメラにお
いて物体点-レンズ中心-像点を結ぶ方向が現地と
一致するように、それぞれのカメラの位置(レン
ズ中心と像点の空間位置)を探し出す方法である。
2
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研究が、写真測量の計測方法の発展に与えた
影響は大きい。
1849 年 フ ラ ン ス 人 ロ ス ダ ー 〔 Aimé
Laussedat〕は、地上写真を用いた平板写真
測量によって始めて地形図を編集し、1851 年
ピレーネ山中で新地図の作成に従事するとと
もに、カメラルシダ *2 によりバンセンス城の
図面を描画し、さらに 1861 年写真経緯儀
(Phototheodolite)によりベルサイユ近くのビ
ュック(Buc)村の縮尺 1:2 000 の地図を作
成した 9) 。彼は当時、ギリシャ語の“Icon”
(イメージ)と〝-metry"(計測)により写真
測量を造語し、”Iconometry”と名づけた。ま
た、1858 年には凧や気球による空中写真など
の撮影をも実験しているが成功はしなかっ
た。しかし、写真技術を地図作成に応用した
ロスダーの業績は評価され、彼は写真測量の
基礎を築いたとして、
「写真測量の父」と呼ば
れ て い る 10 )。 1893 年 メ イ デ ン バ ウ ア ー
〔Albrecht Meydenbauer ;1834 – 1921〕
は、用語「写真測量」"Photogrammetry"を最
初に用い、また建築測量に写真測量を利用し
たことで広く知られている。
1.4 写真測量の基礎数学と光学的解明
写真測量による地図作成の精密化は 2 つの
柱からなる基本的事項の解明によってもたら
された。その 1 つは写真測量の基礎数学、も
う 1 つは写真測量の光学的要素である。
前者の数学的事柄では、当初地球は円盤(平
坦)と考えられたものが球体、そして回転楕
円体があてはめられ、地球形状が正確に表さ
れるようになった。日本では 1841 年ドイツ
の ベ ッ セ ル 〔 Friedrich Wilhelm Bessel ;
1784-1846〕が算出した楕円体が明治初期か
ら採用されてきたが、より正しい値の GRS80
楕円体*3 (Geodetic Reference System 1980)
と呼ばれる人工衛星で求められた世界測地系
に 2001 年 4 月から変更されたことにより一
段と正しい値になり、さらに地図の絶対的位
置が精確に表されることになった。写真測量
では、Fig.1 に示すように地上の 2 方向から撮
影された写真をもとに、1 つのレンズ位置と
像位置とでできる方向ともう一方のレンズ位
置と対応点の像位置と結ぶ方向とが前方で交
わる「前方交会法」を行うことにより、ステ
レオ観測して地点の位置が求められる。一般
に、地上写真測量ならばそれら 2 つのカメラ
の相対位置は実測でき既知となるので、簡単
に前方交会が適用できる。一方、空中写真の
場合にはそれらカメラ位置は測定できないの
で未知となる。したがって、2 枚の写真にお
いて位置のわかった対象点(地点)と像点に
よってできる方向線群からレンズ中心位置を
決める「後方交会法」が必要となる。そのよ
うに撮影カメラの位置を探し出し、ステレオ
モデルを再生する数学的関係が解明されたの
である。つまり、解析法で必要な、写真像・
レンズ中心・物体点が同一直線上にあるとい
う共線条件式、
そして 2 枚 1 組の実体写真*4に
おいて左右の写真像・左右のレンズ中心が同
一平面に存在すればそれらの像による対応光
線は必ず空間上で交会するという共面条件式
が導かれ、また写真と測定対象物との座標関
係は最小二乗法 *5 を適用して求めるなどの理
論式が考え出されたことがあげられる。
後者の光学的な(物理的など)事柄では、
レンズの発明とともに望遠鏡が作られ、続い
て角度を測る装置のセオドライトによる三角
測量法の開発によって一段と精度の高い基準
点が設けられるようになった。そして、精密
な時計クロノメータの発明により経度が求め
られ、光や電波の波長を用いてより正確な距
離が割り出され、最近では VLBI*6 という電波
星(準星)の平面波を数千キロメータ離れた
2 地点で観測し数ミリの精度の距離が、さら
5
*4 一般に物理や写真用語では「立体写真」と言われ
*5
Camera Lucida は 1807 年 William Wollaston
により設計された描画装置である。
*3 赤道半径 a = 6 378 137.000m、
極半径 b = 6 356
752.314 1m
*2
*6
3
ているが、写真測量では実体写真(ステレオ写
真)と呼んでいる。
平面三角形の 3 つの頂点における角の和は 180
度となる。これを、内角の和の条件という。し
かし、これらの角を測定すれば必ず誤差(残差)
が起こる。仮に、3 つの残差(偶然誤差)の和が
18 秒であったとしよう。各々の残差は、「各残
差を 2 乗して重みをかけたものの総和が最小に
なる」という最小二乗の原理から導かれる。厳
密に言えば各角の残差は 6 秒ではない。この数
学的解法はガウス〔 Carl Friedrich Gauss 〕と
ルジャンドル〔Adrien-Marie Legendre〕によっ
て発明された。
Very Long Base-line Interferometry の略。
VLBI 観測によりハワイと日本の距離が毎年
6cm ずつ縮まっていることがわかり、プレート
移動説が実証された。
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に地点の位置が GPS*7 で1ppm の精度により
簡単に求められるようになったことである。
写真測量では、写真及び自動航空カメラ 11 )
(Fig. 2 参照)の発明により地表面が空中から
連続撮影されるようになったが、写真は中心
投影であり、地図のような正射投影とは異な
る投影なので、これを地図にするため様々な
フィルムや印画紙に記録された画像はデジタ
Fig. 3 Data-base of geospatial
information for GIS.
ルに変換され、CCD カメラ、ビデオ、及び衛
星画像はそのままでデジタル写真測量に直接
利用される。その写真測量の原理は従来とほ
ぼ同じであるが、計測結果が従来のような紙
地図でなく、電子情報としてのベクタ及びラ
スタとなり、それを数値地図として GIS*9 で
利用できるようになった。ベクタは三次元地
図としての地形情報をもち、またラスタとし
ては撮影された中心投影画像(空中写真)の
傾きや高さの誤差をなくして、地図と同じよ
Fig. 2 Early type of automatic aerial
camera, K-17b in1927, assembled
by Sherman M. Fairchild.
工夫がなされてきた。撮影した2枚 1 組の空
中実体写真を用いて、左右の写真像に光源を
あてて射出する対光線を空間で交わらせると
地面と相似な光学的ステレオモデルを再現す
ることができる。そのモデルを視覚的、立体
的に観測していけば精確に正射投影された地
図が計測できる。そのような状態を作ること
のできる投射器をもった精密図化機が今から
約 150 年間前から開発され、また改良されな
がら製造されてきた。
1.5 最新の技術
近時、写真測量はコンピュータの著しい発
達と数学的原理に基づく解析法により大きく
変貌した。その原因はデジタル画像の使用で
あり、CRT が画像座標の計測用のコンパレー
タ*8 として使えるようになったことである。
*7
*8
*9
Geographical Information System(地理情報システム)
の略。GIS のデータやソフトを開発するツールを「GIS
エンジン」という。GIS ではコンピュータ上でベクタ
(点、線、ポリゴン等で表す地図)とラスタ(画像地図)
による電子地図(数値地図)を背景として解析する。
その数値地図はレイヤー(階層)に分かれているので、
必要な項目だけを取り出して、線種や線色を変えたり
して表示できる。人口統計データをリンクさせておけ
ば、選択地域における人口密度の分布をディスプレイ
できる。ネットワーク解析を使用すれば、目的地まで
の最短コースを調べることができる。3D-GIS によれ
ば、地形の 3D 表現である鳥瞰図や火星のフライスルー
も作成できる。
最も卑近な GIS の利用例は、GIS と GPS を組み合わ
せたカーナビである。また、携帯電話によるナビゲー
ションもラスタ地図と GPS を組み合わせた、WebGIS の
一種である。WebGIS は、各種の地図や統計データをイ
ンターネットやイントラネットでダウンロードして解
析・分析がなされる GIS であり、「ユビキタス・ネッ
トワーク社会」に必要な手法といえる。
Global Positioning System の略。明治初期から設置さ
れてきた三角点に代わり GPS 点が用いられている。1
ppm とは、1kmの距離を測って1mm の誤差をいう。
写真の像点を数学直角座標系で 1~2μmの精度で測定
する装置である。
4
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また、文化財である絵画、屏風 12)、彫刻な
どの美術品・工芸品のデジタル映像を用いた
デジタルアーカイブ作成が進められている
が、より正確な遺跡、遺構、遺物等の復元 13)、
14)のためには有効な三次元計測法としてデジ
タル写真測量が用いられている。
うに投影されたオルソ画像に変換され電子ベ
ースマップとして利用できる。
ところで、GIS は地球や惑星などにおける
数値地図及び各種のデータ(Fig.3 に示すよう
な空間情報)を用いて、主題に応じた問題を
分析・解析し、解決策を見出し、具体的にデ
ィスプレイ上で視覚的に表現する技術であ
る。したがって、GIS はそのような結果を用
いて、国家的、公共的、又は商業的な事業の
計画の策定や事業推進の意思決定に役立てよ
うとするものである。GIS の解析には、過去・
現在のデータの電子化が必要となり、それら
のデータの蓄積法や利用法が課題となってい
る。なお、そのデータ作成は省力化のため自
2
アナログ写真測量
三次元地形の地図表現目的は、地上の人工
的な物体である地物及び地形を表す地表の状
況を正確に縮小化した平面図を作ることであ
る。単写真は二次元を記録しているだけで、
地形は表せない。三次元位置の決定は実体写
真測量によらなければ解決しない。空中写真
を使用する場合、カメラ位置や姿勢が未知で
あるので、これは地上基準点を用いて後方交
会的に決定される。航空カメラと同等な2台
のプロジェクタをもつ機械をステレオ図化機
(アナログ図化機)といい、この機械に装着し
た2枚の写真を空間に投影し、すべての対光
線を交わらせると、正確なステレオモデルが
再現できる。この概念を最初に示したのはオ
ーストリアのシャインプルーク *11〔Theodor
Scheimpflug 〕 と カ ナ ダ の ド ゥ ビ ル 〔 E.
Deville〕であり、そのモデルは三次元直交座
標と結びついた直径 20~50μm の光点のメス
マーク(測標)を用いて計測できる。オペレ
ータがステレオモデルを見ながら道路縁など
に沿ってメスマークをトレースしていくと描
画ペンがその道路を縮小化して連続的に図面
Fig. 4 3-D view of digital elevation
model (DEM).
動化が望まれている。
衛星画像を用いる RS 技術(非接触物体情
報取得法)によっても GIS データが作成され
ているが、写真測量による三次元計測では空
中実体写真や衛星ステレオ画像により 3D ベ
クタが、また横視差自動相関により数値地形
を表す DEM*10 (Fig.4 参照)や地表面を表す
DSM が作成されている。最近では、航空機に
GPS を搭載し、その姿勢が自動的に求められ
る慣性装置(IMU)及びレーザスキャナが一
体となった装置の、航空レーザスキャナ
(LiDAR)によって地表面標高(DEM)が 15cm
程度の精度で自動的に取得され、同時に CCD
カメラで地上を撮像して、オルソ画像が自動
作成されるようになった。
*11ビューカメラによる平面被写体の斜め写真撮影
の際、又は斜めに撮影した空中写真を鮮明な画
像に引き伸ばす際、「写真面-レンズ面-被写体平
面の3つの平面が1本の直線(ヒンジ線)で交会
していなければならない」という条件が発見さ
れた。これは三面交会の条件、又はシャインプ
ルークの条件として有名であるが、1901年フラ
ンスのカーペンティール〔Monsieur Jules
Carpentier〕はシャインプルークより3年早く、
英国特許をとった。しかし、カーペンティール
の条件は経験法であったため、1904年英国特許
Digital Elevation Model の略。DEM は多くのメ
ッシュ(方眼、格子)の交点において標高で表
したデータである。これに対し、樹木や地物の
高さを含んで表された標高データを、DSM(digital
surface model)という。
*10
としてシャインプルークの条件に改められる。
写真測量において、斜め写真を鉛直写真に投影
しなおすには、この条件のほか、消失点条件と
ニュートン条件の3つを満たす必要がある。
5
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を作る機械投影式の図化機を開発し、1949 年
にはオートグラフ A716)
(Fig. 7)、そして図化
目的に作られた A8、23cm 画面(ネガサイズ)
を半分に縮小して用いる A9、ならびに最終モ
デルの A10 を続けて製造した。
2.2 実体写真の標定
アナログ図化機の標定において、まず写真
上に描画する。そのようにして、地形図を作
成する方法をアナログ実体写真測量という。
2.1 アナログ図化機
ドイツのガッサー〔M.Gasser〕がシャイン
プルークの光学的二重投影の原理に基づいて
Fig. 5 Apparatus of Gasser’s analog
plotter designed and based on
Scheimpflug’s concept of optical double
projections.
Fig. 7 Scheme of “Wild Autograph A7”
最初のアナログ図化機の設計を行い、1920 年
に製造したその模式図 15)を Fig. 5 に示す。
1912 年ドイツのバウアースフェルト〔W.
Bauersfelt〕は光学投影式図化機(ステレオ
プラスト)の特許を取得した。これは後にカ
ールツァイスが 1923 年に製造したステレオ
主点をプロジェクタのレンズ光軸とを一致さ
せ、カメラとプロジェクタの画面距離*12 を同
じにする。それを内部標定というが、これを
行うことによって投影時の光線が撮影時と同
じ状態になる。次に、左右のプロジェクタか
ら射出する対光線はカメラ位置が未定なので
まだ空間では交わっていない。そこで、カメ
ラの回転角と平行移動量を未知数として選ん
だ 5 個の量を解けば対光線は空間で交会す
る。これは 1892 年にドイツのシフナー〔F.
Schiffner〕が見い出した相互標定である。ま
た、1915 年ごろガッサーとドイツのフォング
ルーバ〔Otto von Gruber〕は、その機械法
を解明した 17)。最後に、7個の未知量である
モデルの縮尺とモデルの基準面を決めれば、
そのステレオモデルは地面と相似になり、そ
れを絶対標定という。以上の 3 つの標定が終
了すれば、実際の地面と相似なステレオモデ
Fig. 6 Zeiss “Stereoplanigraph C8”.
プラニグラフの先駆となり、その最後のモデ
ルは C8 と呼ばれている(Fig. 6 参照)
。ウィ
ルド社は 1936 年以来フィルムから射出され
る光線の代わりに、スペースロッドと呼ばれ
る金属の直線棒で対光線を交会させ、モデル
*12
空中写真測量の場合、物体距離(撮影高度)が
無限大なので画面距離と焦点距離とは等しくな
る。画面距離はレンズの後部節点から写真面(主
点)までの距離をいう。主点はレンズ光軸の写
真上の位置であり、光学の主点(節点)と写真
測量の主点とは定義が異なる。
6
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ルが作成されたことになり、このモデルを両
眼で見ることにより三次元モデルを視覚する
ことができる。
像は元画像への復元性がないため、特殊な利
用以外は計測には利用できないことが多い。
3.3 CCD 航空カメラ
Leica*13 は航空機搭載型で後方、直下及び
前方を同時に撮影する 3 つの 12bit/画素のラ
インセンサをもっ
た装置を開発し
た。そのセンサは、
地表面の DEM、
又は DSM を自動
的に取得し、同時
に直下画像からデ
ジタル画像を得る
航 空 セ ン サ
ADS40 である。ま
3
デジタル写真測量
3.1 スキャナ
デジタル写真測量を可能にした最大の要因
は 23cm×23cm サイズの空中写真用スキャナ
の開発である。デュポンは 2540dpi、ベクセ
ル 社 UltraScan5000 は 幾 何 精 度 2μ m
(5080dpi)、アグファ社 ACS100 は 2400dpi、
スクリーン社
DT-S1045AI
は 8000dpi、
Z/I Imaging
社 PhotoScan
は 7μm(幾何
精度 2μm)、
LH Systems
社 DSW600
(Fig. 8 参照)
は 4.5μmなど
の解像度の写
真測量用スキ
Fig. 9 CCD Aerial Camera, Z/I Imaging
“DMC150”.
た、Z/I 社はイメージのぶれ補正 FMC を可能
に し た 12bit/ 画 素 の マ ト リ ッ ク ス 配 列 の
CCD 航空カメラ DMC150(Fig. 9 参照)を、
さらにベクセル社は 12 bit/画素の航空 CCD
カメラの UltraCam-D を製造している。これ
ら航空センサや CCD カメラを用いることで
従来のようなデジタル変換なしに、デジタル
画像が直接取得できるようになった。
3.4 解析図化機とデジタル図化機
アナログ図化機の次に続く図化機は、フィ
ンランド生まれのヘラバ〔Uuno (Uki) Vilho
Helava;1923-94〕により、1957年カナダの
NRC(National Research Council)で発明さ
れた解析図化機(Analytical Plotter)である。
その偉業から、彼は「解析図化機の父」と呼
Fig. 8 Scanner for aerial film,
LH Systems “DSW”.
ャナを製造している。
写真測量用スキャナでは、その画素が正方
形で解像度が高いこと、スキャンするライン
上の画素は直線に並び、各ラインは平行に走
査されることが要求される。その上でスキャ
ナの幾何学的位置誤差をキャリブレーション
し、ミクロン単位で補正の対象にする。
3.2 記録媒体
写真測量で使用される写真は、画面の大き
さが縦横 23cm×23cm であり、仮に 2000dpi
の解像度でその写真をスキャニングしたなら
ば、モノクロで 328Mb、カラーでは 1Gb に
なり、また地図作成では数十枚から数千枚の
画像となるから、大容量の記録媒体が必要に
なる。そこで、磁気ディスクのオーディオ/ビ
デオテープ、フロッピィ、光学・磁気ディス
クの MO、CD-ROM、DVD 及びハードディ
スクなどの内、大容量かつ高速処理ができる
ものが利用されている。もちろん圧縮画像に
することも考えられるが、ほとんどの圧縮画
*13
スイスの Wild
(後 Leica)
は約 200 年前の 1819
年における Kern & Co.が設立母体であり、
Heinrich Wild らは 1921 年 Wild-Heerbrugg を
設立し、航空カメラ B2 に続き C2、また図化機
Autograph を製造した。1986 年 Wild Leitz
Group、1990 年 Leica Group、
また 1997 年 Leica
Geosystems となり、Helava 社と合併し LH
Systems として空中写真用スキャナ及びデジタ
ル図化機 SocetSet を製造した。一方、ドイツの
Zeiss に お い て 1901 年 C.Pulfrich は
Stereocomparator を、1923 年 W. Bauersfeld
は Stereoplanigraph を製造して設立したのが
Carl Zeiss 社の始まりである。その後 1953 年航
空カメラ RMK、1992 年にはデジタル図化機
PHODIS が作られ、東ドイツ Jena は Zeiss に
統合され、現在は Intergraph 社と合併し
Z/I Imaging 社が設立されている 18),19)。
7
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ばれている。解析図化機は、専用のコンピュ
ータにより自動的にステレオモデルが標定さ
れ、イメージと地図との関係をデジタル座標
に変換する画期的なものであった。
解析図化機にはフィルムを、一方1980年代
から開発が始まったデジタル図化機にはデジ
タル画像を使用する。デジタル図化機には、
当初ワークステーションを使用したが、現在
では解析写真測量のソフトコピーをPCにイ
ンストールして解析的に処理するステレオ図
化機とな
ってい
る。デジ
タル図化
機では単
一デジタ
ル画像や
ステレオ
モデルの
になるように次々と地表面を撮影していく。
(2)デジタル画像により地面と同じ形の正し
いステレオモデルにするには、各画像におい
Fig. 11 Operational procedure of
creating orthoimage, using digital
photogrammetry.
て 3 点以上の GCP が必要になる。ところで
実測で求めておいた GCP は各モデルにほと
んどなく、モデルの標定はできないので、各
画像においてパスポイント*14 及び GCP のコ
ンパレータ座標を測定し、それを以下の方法
で地上座標に変換する。測定したすべての隣
同士の画像座標をステレオモデル座標にし、
次にモデルをすべて結合してコース座標とす
る。そして作成した何本ものコースを繋いで
ブロック座標にする。地図を作成する範囲全
体がそのブロックに対応しているから、ブロ
ック上の GCP 座標とその画像座標との数学
的関係が計算される。その求めた関係式を用
いて、すべての画像座標を地上座標に変換す
れば、各モデル上で3点以上のパスポイント
の地上座標が求められる。以上のような変換
計算を、空中三角測量*15 と呼ぶ。(3)パスポイ
ントの画像座標と地上座標との関係がわかれ
ば、カメラの空間位置が解明され、各モデル
はデジタル図化機において標定できる。この
モデルにおいて左右の画像上の対応点に測標
(メスマーク)をおいて地形・地物をトレース
していけば 3D ベクタ計測、すなわち電子地
図が作成される。(4)その 3D ベクタは XYZ 直
Fig. 10 Digital Plotter, Z/I Imaging
“ImageStation”.
自動標定、余色やポラロイド光線によるCRT
上でのステレオ観測、空中三角測量、自動相
関によるDEM取得、及びオルソ画像の作成な
どのメニュが用意されている(次節参照)。デ
ジタル図化機には、Stereo Capture
(DAT/EM社)、SocketSet(LH Systems社)、
DiAP(ISM社)、DVP(DPV GS社)、イメー
ジステーション(Z/I社、Fig. 10参照)
、
SoftPlotter(Vision社)、DMS (R-Wel社)
などがある。
3.5 デジタル写真測量の作業手順
撮影したデジタル画像を計測し、数値地図
の主要なデータとなる 3D ベクタ及びオルソ
画像作成の流れを Fig.11 を用いて説明してみ
よう。(1)では撮影する写真の位置、飛行機の
高度、基準点(GCP)の配置などの撮影計画
を立案する。現地における実測 GCP の設置数
は、極力最小限におさえる。GCP の座標は、
角度と距離を同時に測ることのできるトータ
ルステーション(TS)で測定するか、又は複
数の GPS 衛星の電波を地上のアンテナで受
けて、アンテナと衛星との距離を求め、空間
三角測量を行う GPS 測量によって算出され
る。その後、プラットホームである航空機に
搭載したカメラ、又はセンサでステレオ画像
*14 空中三角測量によって画像座標から地上座標(測地座
標)を求める点をいう。
GPS/IMU を用いた空中三角測量では、GCP な
しにカメラの標定要素を計算することができる。また、
オペレータによる画像点の選点、計測を不要とする自
動空中三角測量もある。
*15 最新の
8
日本写真学会誌2004 年67 巻5 号:463–472
るが、これは DEM によってもそのずれは消
去できない。オルソ画像は、真上から見た建
物や地面の正射投影像であり、高層建物等の
側面の画像は、プログラム又はマニュアルで
除去しないと厳密なツルーオルソにはならな
い。さらに、建物等の側面の画像を除去し建
物屋上部を正射投影しても、それらによって
遮蔽されていたところの画像があるので、作
成したオルソ画像に欠落が生じる問題が残
る。
3.6 衛星画像の概要
リモートセンシングに利用されている衛星
画像は、植生分布の変遷、土地利用状況、火
山活動の変化や海面温度の上昇などの情報を
与えるが、今までの衛星画像は地上解像度(画
素サイズ)が 10~30m程度であり、一般の地
形図作成には余り用いられなかった。最近、
地上解像度 1m又はそれ以下の高解像度画像
が使用できるようになり、その利用の拡大が
期待されている。通常、使用される画像(Fig.
12 参照)は、衛星センサのシステム補正*18
された画像であり、高度 450~800km程度か
ら地上を真下に撮影した直下型と呼ばれる画
像なのでオルソ処理を必要としないことが多
かった。また、数値地図と同じようなジオコ
ード、つまり測地座標をもたせた画像にする
には、GCP(基準点)を用いて1次、又は2
次多項式で幾何補正すればよいのである。さ
らに、起伏が大きく、前述のレリーフひずみ
がある衛星画像の場合には、三次元計測され
角座標値をもった情報であるから、これを一
定間隔の標高値データに変換すれば DEM と
なる。又は、DEM はステレオ画像における対
応画像点の位置を自動的に探し出す方法の、
自動相関法によって取得することもできる。
つまり、高さの違いは画像の水平方向の違い
(横視差という)に相当するので、自動相関に
より横視差を求めれば DEM(標高)データが
生成される。(5)空中から撮影した画像では、
土地の高低差等による偏位と画像の傾きによ
るひずみをもっている。その傾きによるひず
みは、カメラ(画像)の傾きを解析すれば簡
単に除去できる。また、土地の高低差による
偏位は DEM を用い画像内挿法*16 を適用して
*18
直下型センサは、衛星の進行方向に対して直角
に首振り円運動をしながら地上をスキャンする。1
回のスキャンを 1 スキャンライン、又はラインと
いうが、衛星移動、地球の自転・曲率及び大気の
屈折の影響を受けるため、それは直線画像にはな
らない。しかし、それらの影響のメカニズムは既
知なので、静止した中心投影のような画像に補正
される。これを、システム補正という。したがっ
て、ラインの集合である 1 シーンは、あたかも 1
シャッタで撮影された写真のように作成される
(Fig.12 参照)。
なお、衛星画像はモノクロ(1バンド)のほか、
マルチバンドがあり、各バンドはBIL(Band
Interleaved by Line)、又はBSQ(Band Sequential
Binary-coded image file)と呼ばれる画像header
なしのRAWフォーマットで記録されている。
Landsat7 ETM+は8バンドに分光されているので、
カラーにする場合には、バンド3(赤)、2(青)、
1(緑)によって合成される。
Fig. 12 Satellite imagery (Oct. 2001) in
OSAKA Bay area (Landsat7 ETM+,
USGS).
消去できる。しかし、高層建物、高架橋、又
は高塔などの連続的でない人工構造物も画面
の中心*17 から放射状の方向にずれて写ってい
*16
デジタル画像において画像の Resampling
を行う場合、変換後の画像情報のない画素
を周辺の画素から画像情報を推定する方法
をいう。
*17 高低差のある物体は空中写真上、画面の中心から放射
状にずれて写っている。鉛直写真ならば主点、傾斜の
ある写真ならば鉛直点がその中心となる。なお、鉛直
点はレンズ中心を通る鉛直線と写真面との交点であ
る。
9
日本写真学会誌2004 年67 巻5 号:463–472
たデータの DEM を用いてオルソ画像にする
こともある。
また、衛星画像においてステレオペアで利
用できる、フランスの SPOT ステレオ衛星画
像の場合、空中写真のような同一コース内の
隣同士での重複実体写真ではない。左画像は
ある周回軌道において、たとえば撮像角度
(Looking Angle)LA=15 度で撮影しておき、
右画像は違った周回軌道から同一地域を LA=
-15 度で撮影される。そうすれば、これら 2
枚の収束撮影された衛星画像は、ステレオ観
測できることになる。SPOT の場合 1 ライン
(中心投影)は幅が狭くて細長い約 3000 画素
からなる画像であり、1 シーン(多中心投影
の衛星画像)は約 3000 ラインの集まりとな
初飛行を行って今年で101年を迎えるが、この
飛行の成功によって空中写真測量が飛躍的に
進展した。
わ が 国 に お け る 写 真 測 量 は 明 治 40 年
(1907)に中村清二により初めて紹介され、
また空中写真は所沢飛行場が開設された明治
44 年(1911)に伊藤中尉が地上を撮影したの
が嚆矢とされる。大正 11 年(1922)には香
川県善通寺の広範囲の撮影が、大正 12 年には
関東大震災の復興計画のため東京全域が撮影
Fig. 13(b) Mosaic of three aerial photos
(framesize 175.5mm by 228.8mm,
Fairchild or Konishi) taken in and
around Osaka Castle in 1942, scale of
1:8 000, by Asahi Aero Kogyo
Funabashi, Osaka-City specified
assets.
Fig. 13(a) Mosaic of two aerial photos
(framesize 118.11mm by 173.74mm,
Zeiss) taken in and around Osaka
Castle in 1928, scale of 1:8 000, by
Kagamihara Flight Party II Gifu,
Osaka-City specified assets.
された。続いて大正 13 年 1 月名古屋、大阪市
全域と京阪神の撮影が始まった。大阪市及び
京都市では昭和 3 年(Fig.13(a))に補備撮影が、
そして大阪では昭和 17 年(Fig.13(b))に防空計
画の目的で全域撮影が行われた 20),21) 。また、
昭和 5 年(1930)の平壌飛行場における実体
写真の試験撮影、昭和 7 年からは台湾の中央
山脈周辺の地形図 1/5 万が写真測量によって
作成され、さらに南樺太全域の撮影により
1/2.5 万地形図が作られた 22) 。旧満州時代に
は航空機で撮影された空中写真を用いてツァ
イスステレオプラニグラフなどで地形図が作
られていた。第 2 次世界大戦末期(1944 年 9
月 29 日~45 年 3 月 22 日にかけて)
、米軍が
航空カメラフェアチャイルド K-18(画面サイ
る。つまり、そのデジタル画像は、縦 3000
ライン×横 3000 画素で構成されるデジタル
画像となる。ステレオ画像にするためには、
GCP を用いて多項式により標定される。
6)
4
空中写真と衛星画像の歴史
4.1 空中写真の撮影
18世紀半ばに銀塩写真が発明され、1849年
それを用いて地形図を作製する地上写真測量
が開始された。1855年Nadar〔Gaspard Felix
Tournachon〕はナポレオンの命を受け、
Solferinoの戦いで偵察写真を気球により撮
影した。これが空中写真の撮影の最初とされ
る。1903年12月ライト兄弟〔Orville Wright
(1871-1948)/Wilbur Wright (1867-1912)〕が
14 )
10
日本写真学会誌2004 年67 巻5 号:463–472
Landsat6,7 TM(1984-99; Thematic Mapper)
Fig. 14 Stereoimages of Osaka Castle
(original framesize 23cm by 23cm,
Fairchild) in 1947, taken by US Army,
scale of 1:40 000, the GSI possession.
ズ 23cm×46cm、焦点距離 f=610mm)*19 を用
い沖縄地区の判読目的として縮尺 1:15 000
(高度 9000m)のステレオ撮影を実施してい
る 23) 。 K-18 と ス ペ ー ス シ ャ ト ル
(Challenger;1982-86)に搭載されていた
Large Format Camera(LFC;9 inch×18
inch)とは、ほぼ同じフォーマットであった。
その LFC では 1984 年 10 月 5-13 日の 9 日間
で CIR(カラー赤外)、カラー、及び 3 種類
のモノクロフィルムの 2000 枚が撮影された
のみであり、1986 年 1 月 28 日チャレンジャ
は発射 72 秒後ブースタの故障でカメラとと
もに爆発炎上してしまった。終戦直後、米軍
は全国において縮尺 1/4 万 (Fig.14 及び「付
録」参照)及び縮尺 1/15 000 の撮影をフェア
チャイルドで行い、地形図縮尺 1/5 万をムル
チプレックスという光学投影式の図化機で作
成した。この写真は国土地理院に保管され、
閲覧可能となっている。
4.2 EOS 衛星
1957年10月4日に旧ソ連が打ち上げた世界
最初の人工衛星スプートニック1号の成功に
より、衛星画像撮影の扉が開かれた。地球観
測衛星EOS(Earth Observing Satellite)24)
において、第1期1960年代-1972ではフィルム
カメラによる偵察衛星のCORONA(1959年-72;
フィルム幅a=70mm、焦点距離f=610mm)、ARGON
(1961-64;a=127mm、f=76.2mm)及びLANYARD
(1963;a=127mm,f=1.7m)が米国によって打ち
上げられた。第2期の1972-1986では分解能80
mのERTS-1(1972、米国;Earth Resources
Technology Satellite、後改名Landsat1~4)
及びLandsat5 MSS(1972- 79)が、また
15)
Fig.15 Topographic map of North-East
of Osaka (so-called “Jinsokuzu”
created by plane table surveying),
scale of 1:20 000, by
“Rikuchi-Sokuryobu” (Land Survey
Bureau) of Japanese Army in 1911,
GSI possession.
により地上分解能が30mとなり、7バンド波長
に分光した画像が取得された。フランスの
SPOTのモノクロは10m、3バンドのカラーでは
30mの分解能である。第3期1986年-1997にお
いて、SPOTには2つのHRV(High Resolution
Visible)センサが搭載された。1991年
European Space Agency(ESA)はマイクロ波セ
ンサであるSynthetic Aperture Radar (SAR)
を搭載してERS-1を、1992年日本はL-バンドを
追加したSARを積んでJERS-1を打ち上げた。第
4期1997-2010では、モノクロ分解能を0.6-3
m、またセンサの観測幅を4-40kmとし、特に
1999年IKONOS、2001年Quickbird、2001年
Orbimage (Orbview 3,4)、2002年Spot Image
SA (SPOT-5)、2003年MacDonald Dettwiler
(Radarsat-2)、ImageSat (2001年-2003;当
初West Indies Space、後EROS-A,B)などの衛
星では地図作成用の衛星画像として幾何精度
が保障され、そしてセンサ位置は、GPSや
Digital Star Tracker(SPOT-5に搭載)によっ
て求められている。
K-18 では f=900mm も存在し、写真縮尺が上
と同じ 1/15 000 とすれば、対地高度は 13 500m
となり、戦争状態においてより安全な飛行がで
きることになる。
*19
5
11
おわりに
日本写真学会誌2004 年67 巻5 号:463–472
この解説は、地球形状の変遷、銀塩写真の
発明、アナログとデジタルの写真測量、GIS
(地理情報システム)、大正 13 年~昭和 3 年
にかけて撮影された空中写真の一部による大
阪城付近の写真判読、また地球観測衛星の衛
星画像などについて記したものである。
最後に、デジタル写真測量の利点と欠点を
あげておこう。利点は、(1)デジタル画像を
使用するので、従来のような投影装置の図化
機は不要、(2)空中三角測量に用いた画像座
標は、ステレオモデルの標定にそのまま使用
でき、すべて解析法で自動的に標定できる、
(3)ステレオ観測は従来と同様にメスマーク
を用いて 3D ベクタ観測ができ(Fig.16 に一
例を示す)、そのベクタを自動的に DEM に
変換することができる、(4)又は、自動画像
相関法により DEM が取得できる、(5)元画
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/djoser.htm
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11. http://pws.prserv.net/varney/20cms/cam
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7 回近畿地方技術発表会、
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用いたレプリカの製作、写真測量とリモ
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14. http://www.eonet.ne.jp/~downtown
15. Blachut, T.J., R.Brukhardt,”写真測量の
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20. 木全敬蔵,空中写真撮影の歴史,写真測量
とリモートセンシング,36,56-59(1997).
21. http://www.city.osaka.jp/kyouiku/sikum
i/bunkazai/bunkazai03.html
22. 武田通治,”測量学概論(改訂増補)”,山海
堂,1974,pp.23-27.
23. G-2 Tenth Army,”Declassified
Intelligence Monograph restricted
Ryukyus Campaign (Part III Photo
Fig. 16 A Bird’s eye view of 3D digital
map (Hiraoka& Nukata, Osaka),
generated with DEM by a digital plotter.
像と DEM を用いてオルソ画像にすることが
できる、(6)各画像から作成したオルソ画像
を接合してモザイク画像にすることができ
る、(7)デジタル図化機では、中心投影でな
い衛星画像の三次元計測も可能である、など
である。一方、欠点は(1)デジタル画像の解
像度はフィルム画像の最小粒子サイズには及
ばない、(2)デジタル画像の解像度を上げる
と画像サイズが大きくなり、コンピュータの
性能を上げてもスムーズに処理できない場合
がある、(3)デジタル図化機のベクタの精度
は、解析図化機によるものに近づけない、な
どである。
以上参考になれば幸いである。この文を起
稿するにあたり、多くの方々に貴重なご助言
をいただいた。ここに記して感謝の意を表す
次第である。
12
日本写真学会誌2004 年67 巻5 号:463–472
Intelligence Lessons)”,US Official
Document,1945,p.3.
24. http://www.lowdown.com.au/world_link
s.html
「付録:昭和 3 年、昭和 17 年及び昭和 22 年
の空中写真の判読」
Fig.15 に示す明治 44 年陸地測量部印刷の
地形図縮尺1/2万を、ここでは「2万」と呼
び、また陸地測量部昭和 7 年発行の地形図縮
尺 1/5 万も参考にして、以下に示す3種類の
空中写真を比較判読してみよう。
2万において大阪城及びその周辺は軍事施
設等が点在している。天守閣の南向かいに第
四師団司令部、北側に兵器支廠、南側に射撃
場、歩兵営、被服支廠、西南に歩兵営、輜重
(輸送)兵営、西側にも輜重兵営、兵器支廠、
旅団司令部、要塞警備隊司令部、また東側に
大阪砲兵工廠、そして城東線(天王寺-大阪、
現 JR 環状線)を越えたところに城東練兵場
(当初は飛行場、後砲兵工廠として使用)が描
入してある。
まず、2 万と大阪市都市計画課提供の昭和 3
年(Fig.13(a)、昭 3 と呼ぶ)及び昭和 17 年
(Fig.13(b)、昭 17 と呼ぶ)の縮尺約 1/8000
の各写真とを比較することにする。
昭 3 の空中写真は大阪城付近を撮影した 2
枚の写真をモザイクしたものであり、今から
76 年前のものとしては完全に近い形で保存さ
れ、大阪市を撮影したもので現存する最も古
いものとされている。町並み、特に道路の路
線が現在とほぼ同じである。また、上の明治
44 年の2万で確認した軍事施設と思われるも
のは、その昭 3 の写真ではほぼすべてが確認
できる。
大阪城付近を撮影した昭 17 の空中写真に
おいては、上の軍事施設は墨塗りされており、
軍事色が高まったことがわかる。しかしなが
ら、昭 3 と昭 17 の写真において町並みなどは
ほとんど変化はないが、大川との合流部にお
いて寝屋川が改修されて流路が変更され、同
時にその埋めたて地に京阪電車が延長され、
当時終点であった天満橋駅が新設されている
ようである。
一 方 、 昭 和 22 年 米 軍 撮 影 の 実 体 写 真
(Fig.14、国土地理院所有、昭 22 と呼ぶこと
にする)では大阪城を含む町全体が焼け野原
13
の模様であるが、そのように大阪大空襲を受
けたにもかかわらず天守閣、師団司令部(後
大阪市博物館)
、旅団司令部、射撃場、及び輜
重兵営の建物は残存している模様である。大
阪砲兵工廠は、その2万ではいくつもの施設
建物が整然と描画されているのに対し、昭 22
の写真では壊滅状態である。また、城東練兵
場は2万では空白表示に対し、昭 22 の写真で
は大きな建物(6 棟)はほとんど残っている。
昭 17 と同様に、昭 22 においても京阪電車は
寝屋川にかかる「京橋」付近の天満橋駅が、
片町線(木津-片町、現 JR 学研都市線東西線)
は現在の大阪城北詰駅手前付近の片町駅(廃
駅)が終点になっているのが伺える。石山本
願寺跡に築城されたとされる大阪城は上町台
地の北端にあることを、その昭 22 の実体写真
から判読できる。
天守閣付近の三角点標高は 32.8mであり、
天守閣はその石垣から 53m(平成の修復工事
を行った、大林組 Special report Vol.8 大阪
城天守閣より)の高さを加算すると 85.8m の
標高となり、琵琶湖の水面の標高 84.371mと
ほぼ同じである。