第 4葦 転換期の銀行像を求めて

3
8
2
- 第 2部 躍進 の時代
第 4葦 転換期の銀行像 を求めて
- コスモプランと60周年-
第 1節
安定成長- の道
1 国際協調 の高 ま り
変動相場制 の定着
昭和48
年 2月の ドル1
0%切 下げを契機 として諸外国の主要通貨は次 々と変動相
場制 に移行 し,わが 国 もフロー ト体制 に移 り, ドルを中心 とす る戦後の IM F通
貨体制 は事実上崩壊 した。
しか し,こ うした世界的な フロー ト制 の もとでは,投機的な要 因な どか ら相場 が
乱 高下す る ことに よって,世界貿易の円滑な拡大ひいては世界経済の安定的発展
をそ こな うことが懸念 され,そ のため新 しい通貨制度 の確立をめ ぐりさまざまな
た
で50年 11
月, フランス の
なか
ルデス タン大統領の提唱 ジスカー
日本 ・アメ リカ ・西 ドイ によ り,
ンス ・イギ リス ・イタ リツ ・フラ
国首脳が フランスの ランアの 6か
集 ま り,主要先進 国 首脳 ブイエに
催 された。会議 の 目的 は会議が開
済の展望,不況か らの脱 ,世界経
を話合 うほか,新 しい通 出の万策
主要先進 国首脳会議開催
.1
6付
(
昭和 50.ll
日本経済新聞)
議論が行なわれた。そ うし
第 4茸
転換期の銀行像を求めて-
383
間視す る見方 もあ ったが,不安定な通貨制度 に対す る共通の危機感が 協調気運を
生み, これを受けて翌年 1月 にジャマイカで開催 された IMF暫定委員会 で,変
動相場制が正式 に認知 された。
ランブイエ会議 の成功か ら,先進 国首脳が一堂 に会 して世界経済 の重要な懸案
について意見を交換 し,先進諸 国が協調 してそれぞれの役割を果た してい く意義
が認め られ,主要先進国首脳会議は以後 カナダを含め 7か国で毎年開催 され るこ
とにな った。
国際通貨安定への努力
昭和5
3年 に入 って,先進 国間で国際収支の黒字 ・赤字 の不均衡が拡 大 し た た
め,基軸通貨である ドル相場 の大幅下落を招 き,各国の為替市場 は大 きく揺れ動
いた。そ して 2月の OECD経済政策委員会 , 4月の IM F暫定委員会な どで,
世界経済 の安定的な発展 に各国が協調 して当た るべ きであるとい う考え方が展開
された。
こ うした情勢 のなかで, 7月にボ ンで開催 された第 4回 目の主要先進 国首脳会
3年度の実質経済成長率を 7% にす ること,西 ドイツは GN Pの
議で,わが国は5
1%に相当す る景気刺激策 を講ず ることをそれぞれ約束 し, アメ リカな どはイン
フレ抑制を重視 して財政支 出の削減を表明す るな ど, 国別 の役割や 目標が具体的
な数字で組込 まれた。 この会議 は相互補強的な効果を もつ総合戦略 として `
協̀調
行動 プログラム'
'が合意 に達 した点で大 きな意義があ った。
こ うした国際協調の合意を基礎 に,その後い くつかの国際会議で も各国間の協
議が進み,国際間の努力が結実 して,53年秋か ら54年の春 にかけて国際収支 の不
均衡 は縮小傾 向に向かい, これ に伴 って為替市場 も安定の気配をみせた。
次いで54年 6月東京で第 5回主要先進 国首脳会議が開催 されたが, この会議で
はOPECに よる石油価格 の大幅引上げ とそれ に伴 う世界的インフレーシ ョンの
激化のなかで,石油 の消費抑制問題が中心的議題 とな り,昭利60年 までの石油輸
入の各 国別上限 目標 について合 意が得 られた。
こ うして50年代前半の世界経済 は,通貨 ・石油問題な どによって深刻な影響 ・
384-
第 2部 躍進の時代
変動を受 けたが,先進諸 国の協調的行動がその打開に大 きな役割を果た した。
円高 と貿易摩擦
昭和52年 9月,政府 は景気 の回復が遅れている との判断か ら総合経済対策を決
定 し, また 日本銀行 も第 7次 の公定歩合引下げに踏切 るな ど,財政 ・金融 の両面
か ら景気刺激 のための諸対策が実施 された。 こ うした対策が打 出され た 直 後 か
64円5
0銭であった
ら,為替市場 には顕著 な円高傾 向があ らわれ,52年 9月末 に 2
対 ドル円 レー トは年末 には 240円 とな った。 さらに翌53
年 に入 って円高は急速に
0月 には 1
75円5
0銭 に達 した。 これは前年比約 8
0円,45% の急騰であ り,
進み,1
固定相場 時代の360円に比較すれ ば 2倍以上の円高であ った。
この急激かつ大幅 な円高 は, 国内の輸 出産業 ことに輸出依存度の高い中小企業
に対 して重大な影響 を及 ぼ し,一方 円高 による輸入価格の著 しい低下は,輸入関
連産業 に大幅な円高差益を もた らしてその還元問題が起
外国為替相場の推移
表
4
1
月
資料山所
(1 ドル一 円)
末
こるな ど, 国内の経済は大 き く揺れ動 いた。 この急激な
円高 は,ア メ リカの国際収支が大幅 に悪化 し,
世界各地で
為替相場
「
経済統計月報
」
注 インターバ ソク相場直物
円相場史上最高値を記録
第 4革
転換期の銀行像を求めて-
3
85
ドルが全面的に売 られて ドル安傾 向 とな った ことが最 も大 きな要因であ ったが,
わが国の貿易収支 の黒字幅が拡大を続けていた ことも原因のひ とつであ った。
しか しこの よ うな急激な円高傾 向にもかかわ らず,貿易収支 に対す る調整効果
はなかなか現われず,5
2年後半か らわが国に対す る国際的な風当 りは急速 に強 ま
った。その具体的なあ らわれが "
機関車国"論であ り,わが国をはじめ経済的に
"
強 い国'
'が内需拡大 によ り経済成長率を高め, 世界経済回復の牽引力 とな るべ
きだ, とい う主張が盛んに行なわれた。 とくに対 日貿易 において赤字幅の拡大 に
悩む アメ リカでは,輸出の 自主規制 ・閉鎖 的市場 の開放な どを要求す る声が強 ま
って貿易摩擦が深刻化 し,5
2年 9月以降一連 の協議が両国間で行なわれた。続い
て翌年 には ECとの経済協議 も行なわれ るな ど,各国それぞれの立場 で打開への
努力が続け られた。
その結果53年末 には, 円高による貿易収支 の調整効果が出始めた こと, 日本の
内需が徐 々に盛上が り,輸入 も増加傾 向がみえた ことな どによ り,わが国の貿易動
向にもかな り基調的な変化がみ られ るよ うにな った。53年の前半は月間1
0
億 ドル
を超えていた アメ リカの対 日貿易赤字 も, 11月には 7億 ドル,翌54年 3月 には 4
億 ドル- と縮小 した。 この間わが国の製品輸入 も5
3年秋以降かな り顕著 に伸び,
5
2年 の後半か ら生 じた貿易不均衡 は,53年秋 ごろか ら改善 の徴候が現われ,貿易
摩擦 もやや鎮静化をみせた。 しか し55
年 に入 って 自動車を中心 にふたたび摩擦が
表面化 し,その打開へ
の努力が引続 き行なわ
れてい る。
外貨準備高
表
4
2(単位 :百万 ドル)
『
アメリカおよび日本の貿易収支
表
4
3
(
単位:
億ド
ル)
㌃ 「蒜 ㌃
資料出所「
sur
r
v
経済統計年報」
e
yo
fCu
資料出所
「経済統計月報」
暦
年 匿
G 蔓 r 昌晶
芸
38
6
-
第 2部
躍進の時代
2 国債大量発行下 の経済
揺れ動 く財政 ・金融政策
0年 1- 3月に底を打 ったが,その回復の足 どりは きわめて緩慢で
景気 は昭和5
あ り, こ うした状況 に対 して政府 は財政主導 による景気回復を図 って,公共事業
の推進 ・住宅建設 の促進 な どを内容 とす る 4次 に及ぶ景気対策を実施 した。 この
政策は翌年以降 も引継がれ,相次 ぐ国債 の増発 によって補正予算,財政投融資 の
0年 に引続いて5
2
追加な ど景気回復を促進す る諸施策が実施 された。 日本銀行 も5
年 3 ・4月 にも公定歩合を合計 1
.5% 引下げ,5.
0% の水準 とした。
こ うした財政 ・金融両面の対策 に もかかわ らず最終需要 の回復は期待 どお りに
進 まず, このため政府 は52年 9月 に総合経済対策を決定 し,引続いて財政 に よる
景気回復 に大 きな期待を寄せた。 また公定歩合 もさらに引下げ られ4.
25% とな っ
た
。
一方輸出は5
0年後半以降好調 に推移 し,不振の民需 に代わ って景気回復を リー
ドす る役割を果た した。 しか し輸 出の増大 に伴 って国際収支の黒字幅拡大が明白
2年碁か ら5
3年 にかけての円 レー ト
になるにつれて円高傾 向が現われた。 とくに5
の上昇 は急激であ り,輸 出産業 にシ ョックを与 えるとともに経済へのデフレ的影
3
行 は53
日本銀
年 された。そのため
5月公定歩合 引下げを実
施 して 3.
% の水準 としたが, こ
の水準
ば戦
は終戦直後の混乱期を除け
この
後最低 の水準であ った。
て大企業
間設備投資の不振を反映 し
し,市中金
を中心 に資金需要 は沈滞
歩合の引下 利は数次 にわた る公定
国
を続け,全 げに呼応
して終始低下
公定歩合 3
.
5% に (
昭和 53.
3.1
6付
R本経済新聞)
聾が懸念
第 4章
転換期の銀行像を求めて-
387
公定歩合 の推移
4
4
l
t
(単位 :%〕
暦 年
メ
長
l
成
率
6.
5
5.4
L
L
」
%
5
4
8
9
i
7
昭和 51
年 l
52
6
5
.
0
9
J
.
I
]
1L
53 1 J
5
4 1
資料出所
計算年報 」(
「国民経折
5
5
年)
表実質経済成長 率
5
5
9.
402% か ら急激 に低下 し,53年 3月には前回のボ トム (
48年 2 注
下回 り, さ らに1
2月には 6% を割込 んで 5
45年価格に よる
月) の6.
7
07%を
長期間 にわた って低迷を続けた民間需要.
も
94
,5
5%3
年秋
とな ごろ
った。
を示 し,それ まで財政が支えていた景気を リー ドす る役割 か ら白律的な回復基調
しか しそれ までの景気回復 の過程では,製造業を中心 としを取戻 しつつあ った0
高下での輸出の伸展 ・財政 に よる刺激策な どか ら短期的なた設備投資の停滞 ・円
構造の変化が相 まって,産業間の業績回復 にはかな り
景気変動 の要素 と産業
5
4年 に入 って石油価格の引上げ, アメ リカの ドル防衛策
の披行性がみ られた。
な どを反映 して,卸売物価が急 ピッチな上昇を示 したためを契機 とす る円の反落
4年 4月以降,,経済 ・金融政策は物
価抑制を重点 とす る方 向に転 じた。そ して5
2
され,公定歩合 は 3回 にわた って引上げ られて11月には6.
金融引締め政策が強化
55
年 に入 って海外金利 の高騰か ら円安傾 向が強 ま り,輸入 5% とな った。 さ らに
したため, 3月には公定歩合 も過去最高の 9.
イソフレの懸念が増大
0・
% にまで上昇
半 に入 って景気の先行 きにややかげ りが出た ことか ら, 8 した。 しか し5
5
年後
下げが行なわれ,金融政策 に変化がみえ始めた。
月に公定歩合の調整引
国債増発
石油危機を契機
と金融機関
とす る景気の低迷を財政面か ら打開す るた
予算か ら赤字 国債が発行 されたが, これを契機 に国債 の大
0
年度補正
め,昭和5
第 2部 躍進の時代
388-
新規国債発行額
表
4
5
(単位 :億円)
そ
ライ
して5
2年度 には国債依存度が補正予算後で節度
30% を超え3
2.
9% に達 し,そ
ンといわれた
後 も毎年 3
0% ライ ンを超えた まま推移 した。
の
こ うした状況 のなかでの予算編成 に際 し,財政
制度審議会 は 「現在 の よ うな巨額 の公債 に依存す
る財政体質を放置す ることは,財政本来 の機能を
果た しえな くなるばか りでな く,結局はインフレ
資料出所
注
交付公債を除
「国債統計年報」
く
年度を財政再建 の初年度 とす
を通
し じて国民生活 を破壊す ることになる」 と指摘
て,政府 ・国民 ともに従来の視 点を転換 し,55
前年度当初予算比 1兆円減額す
る決意を求めた。
る
これを受けて当局は国債発行額を
当初予算 におけ る国債発行額は1
4兆
ことを基本
に歳
出の伸びの圧縮
に努め,55
年度
2,
700億 円
とな
ったが, うち赤字国債は
4,8
こ
50
うした国債の大量発行
億 円 とな り建設国債を上回
は
った。
7兆
止めや圧縮方策な ど財政再建財政の均衡 を崩す との懸念が もたれ,大量発行の歯
た。 当局 は51
年 に中期財政収支
絡みの問題 については早 くか ら強い関心が寄せ られ
政再建元年 '
'としたが,結果的試算を作成 し,その初年度 にあた る5
2年度を "
財
るをえなか った。その後 も毎
には5
2年度ですでに試算の基礎が崩れ,改訂せ ざ
スの回復 には相当の期間が必要
年度 この収支試算が作成 されたが,財政収支バ ラン
見通 しとな り,
であ り, 国債の大量発行が続か ざるをえない との
一方大量 に発行
された国債 はきわめてけわ しい ことが示 された。
財政再建の道
た。 これ に対処す るため, 当局
は市場
は の需給バ ランスを崩 し,市況 は大 き く低落 し
債管理政策を打 出し, 当面の
54年 5月に 7項 目,翌55年 5月に も 5項 目の国
額 ・シ団引受 の減碇 ・中期債 対処方針 と考え方を明 らか にした。 これは発行の減
却 の弾力化 ・整理基金の活用な
の公募発行
どを内容 の定着
とした ものであったが,私
・私募形式 による国債 の発行 ・売
ど実現
こ うして急増
に至 らない
した国債
もの もあ
は,
った。
募債の発行な
関によって引受け られたが,そ
その大部分がシンジケー ト団を組成す る民間金融機
第 4葺
転換期の銀行像を求めて-
38
9
関の保有額は加速度的 に累増 し,流動性
に問題が出る一方,大幅な国債価格の下
落 によって多額 の評価損を計上す る状況
を生 じ,経理上 の問題 も発生 した。 この
2月, 当局 は統一経理基準の一
ため54年 1
部を改正 し,それ まで一律 に低価法を義
務づけていた国債な ど上場債券 の評価方
法 に,原価法 と低価法の選択を認 めるこ
とにした。その結果原価法を選択す るこ
とに よ り,期末一時点の市況 によって多
額の評価損を計上す る必要がな くな り,
期間損益を正 し く表示す ることがで きる
よ うにな った。 この措置 は55
され,当行
(
昭和 54もこれ
,1
2.
1
3付 日本経済新聞)
年 3月期か ら実施国債評価を選択制に
3
競争の激化
過剰流動性が発
変化 すと経営効率
る経営環境
の悪化
4
9
年 に入 る
時的 に持
を採用 した。
生 した昭和4
6-4
7
年 には顕著であ った銀行預金 の伸びは,4
8-
0年 にな って一
とその反動 と不況の浸透か ら大 き く鈍化 した。そ して5
に法人預 直 しをみせた ものの,それ以降は頭打ち とな り逓減傾 向が続いた。 とく
響 して, 金は,減速経済が進展す るなかで各企業 とも効率経営 に徹 した ことも影
上 に個人著 しい鈍化を余儀 な くされた。その結果,預金増強の重点はそれ まで以
もに,競合
預金
に集中す ることにな
り,銀行
の大衆化の動 きが一段 と進展す るとと
は一層激化
した。 さらにこ
うした個人預金獲得
拍車をかけたのが,郵便貯金
郵便貯金
の進 出であ った。
をめ ぐる厳 しい競合 に
,
調な推移をみせ
は商品の有利性
・
税制面の優遇措置 。
全 国に及ぶ店舗網な どを武器 に順
預金の1
3.
2% を
51-5
3年度末 までの最近 3年間 に年平均22.
4% と全 国銀行個人
390-
第 2部
躍進の時代
5
個人預金の業態別 シェアの推移
(単位
%〕
切り3
年 か ら神奈 川 県 を 皮
郵1
59
貯
郵
貯
1
8.
9
郵 貯
22.
5
郵 貯
2と
)
.
取組む
に全
な国
ど,
オ銀
ン行
ライ
に ン化
とって
に
強 力 な競争 相 手 とな った。
都
2一
.
5
紙
地
放
1
9.
5
和
紙
都
20.
7
餌
他
8
都
t
8.
5
$
l
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i
都 銑
1
6
.
9
紙
1
7.
2
地
銀
1
6.
a
相 銀
地
叙
l
t
)
.
l
相
9.
9
相8.
5
銀
信 金
1
3.
0
信 金
信 金
8.
2
鋭
3.
2
1
1
2.
9
信 金
農.
漁協
磨.
漁協
ー
5.
2
1
4.
8
1
4
.
3
農.
漁
協
信 組4.
8ノ
その他
昭和 4
0
年度末
信 組5.
0 ノ
その他
45年度末
8.
4
信 組4.
8,
%C
7
)
他
50年度末
銀行局金融年報」
資料川所 「
一 方,企 業 の減量経 営 ・
銀 行 依存 度 の低 下 は, 大 企
業 を 中心 に資金需 要 の鈍化
を もた らし,銀行 の融資 推
進 は中小企業 を 中心 に展 開
1
2.
3
漁協
農.
3.
g
信l
組4.
3
53年度莱
優 遇 な どに よる取 引獲 得競 争 は燐 烈 を きわ め る
た。
され,優
る競
合
さ の激化
らに企
良 中小企
業
を の金利
引業起をこ
めし
ぐ
また
の動 き も一層 拡大 し, 選
金利
好
N CD) 状 態 とな った。 また優 良企業 ほ ど
現先 市場 で の資金 運用 や譲 渡性預 金 (
め る動 きが活 発化 した。 この譲 渡性 預金 は満 の購 入 な ど, 余 裕資 金 の高金利 を求
5億 円 ・期 間 3- 6か 月 とい う, 従 来 の預 金 期
に前 の譲 渡 可 能 ・金利 自由 ・最低 額
で あ り, 現 先 市場 な どか ら大 口の資 金 を 吸収 す はみ られ な い特異性 を もった商 品
5月 に実 現 した もので あ った が, 大企
る意 図か ら都 市銀 行 の主 張 で54年
第 4章
預貸金利斡
表 4
-7
期
中 )当 行
(単位 :%)
r全国銀行
資料出所
よ
注 54年上期「全国銀行財務諸表分析」
転換期の銀行像を求めて-
391
39
2
-
第 2部 躍進の時代
一方収益源の多様化 の動 き として国際業務の伸展を図ることも重要な柱であ っ
た。 とくに都市銀行 に比べて国際業務部門の収益水準の低 い地 方 銀 行 に とって
ほ, この分 野の拡充 は急務 とな った. また新 たな収益源を求めて顧客のニーズに
対応 したサ ー ビスの開発 も活発 とな り,業績 に寄与す る商品開発 ・業務開発が進
ち, また銀行 のサ ー ビスについて も適正な対価 を求め る動 きが拡大 し,適正な手
数料 の受入れが各分野で具体化 した。
一方, この間銀行 に対す る社会 の要請はます ます多様化 した。それは個人や公
共団体の資金需要 に対す る資金配分や低利 の資金供給,正確 ・迅速な事務処理 は
もとよ り,顧客の利便 に対す るサー ビスの提供,地域社会 に対す る貢献,業務内
容の公開 とい った公共性 ・社会性の発揮 にまで拡大 した。 こ うした動 きは金融行
政の うえで も明確 に打 出され,具体的な展開をみせ るよ うにな った。
新金融効率化行政 の展開
昭和50年代 に入 って,わが国は石油な どの資源制約の もとで低成長の時代を迎
えたが,それに伴 ってマネーフローの面で も大 きな変化を生 じた。金融機関の経
0年前半 に金融効率化が打 出された時 よ りもさ らに資金面 ・経理面 と
営環境は,4
もに厳 しい状況 とな り,一層徹底 した経営の効率化が要請 された。のみな らず金
融機関のあ り方 につ いて社会か らの批判や要請 も高 ま り,金融機関は経営の効率
化 と同時 に社会的 ・公共的立場 に立 った効率性 に も配慮す ることが必 要 と な っ
2
年 ごろか ら 「新金融効率化」 と呼ばれ る行政指
た。 この よ うな情勢を反映 して5
導 の方針が打 出された。
この新金融効率化 の内容 は①従来の過保護的 ・護送船団的 といわれ る行政を排
し,適正な競争を推進す る,②不必要な行政介入は抑制 し,金融機関の 自主的経
営努力,創造性を生かす よ うにす る,③合併 ・提携等 には前 向きに対処す る,④
経営 内容の公開 (デ ィス クロージャー)を行な うことによ り,金融機関に対す る
国民の理解を深め,公共性 についての 自己規制 の効果を期待す る, とい った もの
であ った。
この よ うな考え方の もとに国民の理解を求めるデ ィス クロージャーや新 しい個
第 4葺 転換期の銀行像を求めて-
3
93
人 ローンの開発が進 め られ る一方, きめ細かな金融サー ビスの裏付け としての手
数料体系の整備や譲渡性預金 の創設 も行なわれた。
第 2節
コスモ プ ランの実現 め ざ して
1 コ ス モ プ ラ ンの策 定 地固めか ら新 たな飛躍へ
昭和5
0
年1
2月 に伊原会長 ・吉固頭取 の経営体制を確立 した当行 は,5
0
年下期末
総預金 2兆 円の達成 に向か って穀後の追込み に遷進 した。4
8-49
年を境 にわが国
経済 は大 きな変化 を遂 げ,低成長が定着 して各企業 とも厳 しい減量経営 に徹す る
な ど経営環境 は決 して明 るい もので はなか ったo Lか しこの大 きな 目標を達成す
ることに よって新体制 の門出を飾 ろ うとす る全行あげての努力が結実 し,51
年3
月には計画 どお り総預金 2兆 円を達成す るに至 った。
こ うして念願 の大 目標 に到達 した 当行 は,続 く51
年度を 「地固 め」の 年 と し
て,次 の新 しい飛躍 に向か う体制 づ くりを進 めることにな った。それは,業容面
では達成 した 2兆 円の内容をゆ る ぎない もの とす ることであ り, また,そのため
に取 引基盤を よ り強固な ものにす る ことを狙 い としていた。同時 に業務展開の万
策や事務のあ り方を見直 し, あわせ てそれまで進めてきた経営効率化の諸施策の
定着を意図す るものであ った。
とくに51
年 に強力 に進 め られたのは,預金計画におけ る平残主義の徹底 と営業
店 自主経営 の推進 であ った。平残預金の重要性 については従来か ら認識 されてき
た ものの, なお末残 を重視す る風潮が残 ってお り, これが平残増強の制約 となる
実態 もみ られた。 この底固めの時期を とらえて預金は平残の積み重ね による質の
高い ものでなければな らない とい う意識の徹底が強力にかつ繰返 し推進 され, し
だいに定着をみせ るよ うにな った。
394-
第 2部 躍進の時代
また営業店の 自主経営 とい う考 え方 もこの間強力に展開された。伊原会長は5
1
年 4月の総部店長会議で 「営業店は運営方針を本部へ フ ィー ドバ ックし,木部 と
コン トラク トして これを推進す る形を とってゆ きたい と考 えます」 と述べ,支店
長 の 自覚 と責任を求めた。
1
年 には実質預金 2兆円の早期達成,個人定
こ うした考え方を織込みなが ら,5
期預金増強運動の展開,盾別方針 にそ った営業店 自主経営の推進,戦略的資金配
分な どが強力 に推進 された。 この間吉囲頭取 は全店の巡回を行な って営業店の実
状をつぶ さに視察 したのち, 6月の総部店長会議 に臨み 「今後の経営を進めるに
は変化す る情勢を十分み きわめなが ら, 中 ・長期的な展望を もつ ことが葺要であ
る と考えます」 と述べ, 中期経営計画の策定を示唆 した。その背景 には,今後の
業績進展を図 る うえか らも, また効率化を進め る うえか らも,長期的な展望 に立
って体質強化を図 ってお くことが将来のいかな る事態 に も対処 し うる基盤 とな る
とい う認識があ った。
こ うして 2兆円の地固めは業容の面だけでな く,経営全般 にわたる体制整備 ま
で含めた形で進め られた。 同時に次の中期経営計画を前提 とした実態把握 と分析
調査が進め られ,本部ベ ースの論議が重ね られてい った。
その矢先の 9月2
4日, 当行 は伊原会長の死去 とい う突然の不幸 に見舞われた。
伊原会長は昭和3
7年1
1月当行頭取 に就任以来1
4年 にわた ってす ぐれた リーダーシ
ップを発揮 し, 当行 の飛躍的発展を実現 したのであ り,その指導者を失 った痛手
は大 きか った。
しか しその衝撃を乗越えて,吉園頭取 の もとに一致団結の気運が全行 に盛上が
り,個人預金 1兆円,実質預金 2兆円を達成 し,次の飛躍-向か っての決意を新
たにしたのである。
コスモ プラン策定の背景
1
年後半, 当行 は新 しい経営指針を確立す るための準備 ・検討を進め, こ
昭和 5
れ に基づいて中期計画の策定 に入 った。
これまでの中期計画は,高度成長経折を背景 に業容のめ どとな る主要 な指標を
第 4章 転換期の銀行像を求めて-
395
骨格 として, これを実現す るための諸施策で肉付けす る形 で作成 され,経営を進
め るにあた っての中期的展望のガイ ドライ ン的役割を果たすのが一般 的 で あ っ
た。 1兆円達成後の ビジ ョンとして,4
7年 にスター トした中期経営計画 も51
年3
月の 2兆円突破を 目標 とした ものであ り, いわばこのパ ターンを掩襲 した もので
あ った。
この47年 の中期計画は石油危機 ・国際通貨不安 の渦 [
恒こ巻込 まれなが らも推進
され,全行 の努力に よ り新体制 の もとで 目標を達成 して終了 した。 しか し計画策
定後 に経済 の基調が大 き く変化 したため,その途次 にはかな り苦 しい局面 に立 っ
た ことも事実であった。
このため新 しい中期計画の策定 にあた っては,経営計画のあ り方やその性格づ
げ について徹底 した討議が重ね られた。そ して経済情勢 の変化が激 し い 時 期 に
は,計数を中心 とした経営計画 はその変化 に柔軟 に対処 しに くく, また 目標数字
の実現 に関心が集中す る結果,経営計画の基本が見失われやすい とい った問題点
も指摘 された。 さらに転換期 に生ず る経済 ・社会の質的変化 に的確 に対応 してゆ
くためには, 当行の体質を安定成長 に適応す るよ う構造改革を行な ってゆ くこと
が必要であるとの認識 も高 まった。
当時は,経済の動 向をはじめ先行 きを的確 に展望す ることは難 しい時期であ っ
たが, 日本経済 は安定成長-移行 し, これに伴 って金融機関の競合 は一層激化す
るであろ うと予測 された。 また `
`
地方の時代" といわれ るよ うに経済 ・社会 ・文
化な ど多 くの画で しだいに地方の比重が高まる動 きもみえ始めた ことか ら,地域
銀行 としての当行の役割 はます ます増大す ると考え られた。
こ うした背景 と認識の うえに立 って中期経営計画 (コスモプラン)の策定 に至
ったが, この コスモプラソは52年度か ら創立60周年 にあた る5
5
年度の 4年間にわ
たる経営計画 として,経営の構造改革を意図 し, これを計画的に推進 してい こ う
とい うものであ った。
コスモ プランの概要
コスモプラソの発表にあた って,吉圃頭取 は, この計画は新 しい飛躍を 口指す
39
6
-
第 2部 躍進の時代
ために長期的な展望 に立 って, 当行 の特色や優れた点を生かす とともに,弱点や
欠点を改善す る絶 えまない 自己改革を意図 した ものであることを明 らか にし, さ
らに行員一人一人がその担 い手 とな って初めて計画は完成す るものであることを
強調 した。
計画を構成す る二本柱 として 「業容拡大 と基盤強化」 と 「経営体質の強化」を
0項 目の戦略課題を設定 し, これを実現す るこ
掲げ, さらに この二本 柱 の もとに1
とに よって当行 の構造改革を進 め よ うとい うものであ った。
(1) 店舗網 の拡充
すべての店舗がその特性を フル に発揮で きるよ う店舗網を見直 し,一層の強化
を図 る。 同時 に神奈川 と東京の密接 な結びつ きや,首都圏に拡大 している取 引先
の経済活動 に対応 して,広域的な店舗展開を図 り,店舗網を拡充す る。
(2) 取 引基盤の強化
法人取引先, とくに中堅 ・中小企業 との取 引を積極的に拡大す る とともに,紘
COSMO について
COSMO とは
宇宙,調和,秩序 とい う意味を も ち,`
無̀限の広が り
とバ ランスの とれた完全体系 "をあ らわ すO 同 時 に
Cos
mopol
i
t
an(
世界人)
,Cos
mopol
l
s(国際都市)な
どと使われ, 当行 の特色 ・性格 にふ さわ しい意義を も
っている。
rcosMOの内容.
COSMO それ 自体 に`
`
未来-の限 りない発展 と調和の
とれた経営'
'を こめ,それぞれの文字 にも当行 の次の
よ うな銀行像を示す。
Communi
t
y
地域 と一体 にな って発展 し,
Ove
r
s
e
as-
海外への雄飛をはか り,
Se
r
vi
c
e・
信頼 され るサ ー ビスを提供す る。
Ma
npowe
r-
質の高い人材 と,
Or
ga
ni
z
at
i
on
血 のか よった活力あふれ る組織がそれを実現す る。
第 4葺
転換期 の銀行像を求めて-
397
合的な取引を展開 し,地域 に密着 した強い取引基盤の確立を 目指す。
(3) 個人取引の拡充
個人取引は当行の業容拡大を支える大 きな柱であ り,その重要性 は一層大であ
る。個人取引の基盤を固めるとともに,給振 ・財形 ・年金 ・住宅 ローン ・消費者
金融な どライフサイ クルの観点 に立 った取引 メイン化 を推進す る。
(4) 国際業務の拡大
経済の国際化 に伴 い国際業務 はきわめて重要な分野 とな った。外為取扱高の増
強 ・外為収益の拡大を 目指 して,全行あげて国内業務 と一体 とな った推進策を展
開す る とともに,業績 ・体制両面で確固た る地位 の確立を 目指す。
(5) 新商品の開発 ・業務分野の拡充
銀行 のサー ビスに対す る社会の要請 に積極的に対応す る とともに,今後の業容
拡大を支え る機能面の強化を図 るため,新商品の開発や新規業務 ・周辺業務 の開
拓な ど新 しい機能の開発 と業務 の多様化を推進す る。
(6) 収益管理の徹底
当行のゆ るぎない基盤を築 き,社会的使命を遂行す るため,収益の確保 は不可
欠の命題である。厳 しい収益環境 に対処す るため,収益管理の徹底 と収益源の多
様化を推進す る。
(7) 業務 の効率化
新 しい飛躍を図るためには新 しい観点か ら業務全般を見直す ことが 必 要 で あ
る。 このため銀行全体の立場か ら抜本的な効率化策を推進 し, 日常業務や事務 の
見直 し ・改善を進め る。
(8) 組織 の整備拡充
社会環境 の変化や新 しい事態 に機敏 に対応 して効果的な施策を展開す るため,
組織体制 の整備拡充 と機能強化を図る。 同時 に権限の委譲 を積極的に行ない,逮
い決断 ・速い実行を実践 して活力ある組織づ くりを進め る。
(9) 計画的な人事運用
企業 を発展 させ る原動力は人の力であ る。 このため長期的観点 に立 った人材育
成計画を推進す る とともに, その能力を十分発揮で きるよ う公正公平な人事運用
398-
第 2部 躍進の時代
によ り適材適所 の人材配置を行な う。
(1
0) 信頼 され る銀行づ くり
銀行の金融サー ビスは企業や個人 と密接 に結びついてお り, この機能を正確 に
果たす ことが社会的責任 の基本であ る。 このため行員一人一人が信頼 され る浜銀
マ ンとなるよ う自己研磨を積む とともに,顧客のニーズに的確 に対応 し,全 力を
あげて信頼の基本である完壁な事務を実現す る。
以 上の戦略課題 について,行員一人一人が担 当す る業務 を通 じて着実 に実現す
るため,それぞれの部門で最重点項 目が設定 された。
コスモ プランのスター ト
昭和5
2年 4月 9日,神奈川県立音楽堂 に全役員お よび部店長以下管 理 役 職 者
720余名が参集 し, コスモプラン推進大会が盛大 に行なわれた。 大会 の席上吾囲
頭取 は コスモ プラソの内容を発表す る とともに, 同 プラン策定の意義 を明 らか に
し,その実現 に向けての固い決意を呼びかけた。
「当行はみなさんの ご努力で昨年 3月 に総預金 2兆 円を達成 し,ゆ るぎない基
盤を築 きました。その後昭和 5
1
年度を "
地固め"の年 として次の新 しい飛躍を期
し,体制づ く りに努めてきましたが,昭和5
2年度はそれを土台 に 2兆円後の新 し
し
新 しい飛躍 に向,い よい よ
ー トを切 る年 でか ってスタ
これか らの
あ ります。
りま く経営環 金融機関を と
しさを増 してき
境 は一段 と厳
経済-の静行, ます。減速
構造変化や,
これに伴 う
競争 の激化な利鞘の縮小,
コスモプラン推進大会 (
昭和 52.49)
い経営を展望
第 4章
転換朋の銀行像を求めて-
399
を迎えます 。
それだけ に, これか らの経営は こ うした経営環境の変化 に適切 に対応 し,金融
機関や金融制度 の新 しい方 向にそ った業務運営が重要であ り,そのために強い競
争力,ゆ る ぎない経営体質を築 くことが,経営 に とっての大 きな命題 とな ってき
ます。
この意味か ら昭和5
2年度を初年度 とし,創立60周年 にあた る昭利55
年度を 口標
年次 とす る中期経営計画を策定 し, これか ら迎える 4年間の経営の指針 とす るこ
とにいた しま した。 また この計画 には,将来を的確 に見通 した うえで,長期的な
展望 に立 って当行 の特色や優 れた点を生か し, 同時に弱点や欠点を改善す る絶え
まない 自己改革を進 めてい こ うとい う意図を こめています。みなさん一人一人 に
とって, この中期経営計画が身近 な もの となるよ う当行の特色 と未来像を象徴す
る意味を こめ て `
`コスモ プラン" と呼ぶ ことにいた しました。
みなさんが "コスモ プラン"の意図す る内容を十分理解 し認識 されて, この計
画を 自分 自身 の問題 として受 け とめ, それぞれの持場で責任を もって業務を遂行
し, その業務 が "コスモ プラゾ 'の全 体 につなが っているとい う強い意識を持 っ
て,一人一人が実現 の担 い手 とな って くれ ることを期待 しています。
"コスモ プラン'
'の もとに,み んなで手を とりあい力を合わせ て, 当行 の限 り
ない発展 と調和 の とれた繁栄を 銅 旨して,力強 くスター トいた しまし ょう」
こ うして当行 は安定成長- の移行 とい う転換期 におけ る銀行像を コスモプラン
に描き,この プランの実現を 目指 して絶えまない 自己改革を進め ることにな った。
コスモ プランの発表 とともに, 同 プラソを推進す る
ための体制牽僻が図 られた。 まず5
2年 4月に同 プラン
推進 の核 とな る中期経営計画 (コスモプラン)推進委
員会が設置 され, 6月か ら論文 ・提 言 ・シンボルマー
クの募集を中心 に コスモキ ャンペ ーンが実施 された。
一万, コスモプラン 目標年次 の55年度 までの各年度
の具体的な 目標 は,毎年 の業務運営方針で定め ること
にし, この指針 として5
3
年 4月, 5部門か らなる コス
n
400-
第 2部
躍進の時代
モプラン部門計画が策定 された。
さらに, 同年 6月には全体計画を受けて,各営業店の特性をふ まえた 「営業店
コスモプラン」 も作成 された。 これは各営業店がそれぞれの営業地盤に適応 した
形で 自主的経営 と構造改革を進 め るための新 しい施策展開を 目指 した ものであ っ
た
。
こ うして コスモプランス ター ト以来ほぼ 1年 のあいだ に同 プランを推進す るた
めの内部体制が整備 された。
コスモ プランの中間点にあたる54年 5月,本店 において第 2回 口の コスモプラ
ン推進大会が開催 され,席上吾囲頭取 は 「コスモプランも 2年を経過 し,い よい
よ後半 に入 って今年度 は "
実効をあげ る年 "であ ります。経営環境 は一段 と厳 し
さを増 していますが,私 は全行員の熱意 と総力を もってすればいかなる事態 も必
ず克服で きると確信 しています。 2年後 には,全行員が胸をはって立派な創立 60
周年を迎え ることがで きるよ う,今後の 2年間に向か って着極果敢な取組みを皆
で誓い合 いたい と思います」 と述べ,全行員の コスモプラン実現への不動の決意
を求めた。
2 業容拡大 と基盤強化 の諸施策
コスモ プランがスター トしてか らの 3年間, 当行 は基盤強化を進め,質を重視
した着実な業容拡大を図 ってきたが, これを実現す るための経営戦略 として多 く
の施策を実施 した。
取引基盤の強化
(1) 法人取引の強化 ・拡充
安定成長- の移行 に伴 いわが国のマネーフローは大 き く変化 し,法人企業部門
の資金不足が大幅 に減少す る一方,政府お よび公社 ・公団 ・地方公共団体 な どの
公共部門が法人企業部門に代わ って大幅な資金不足を示す よ うにな った。 この結
果,法人企業の資金需要 は急速 に鎮静化 し, とくに大企業 は 自己金融力を高めて
第 4章 転換期の銀行像を求めて- -401
資金の運用 ・調達 の両面において多様化を図 り,一段 と効率化を進めるよ うにな
った。 こ うして5
0年代に入 る と,法人企業 は金融取 引の面 において,40年代 とは
まさに様変 りの行動をみせ, この結果金融環境 は大 きく変化 して,法人企業取 引
をめ ぐる銀行間の競争 は激化 した。
当行 は コスモプランに軍いて,優良で安定 した取 引先数を数多 く確保す ること
が法人取引の強化 に とって不可欠の要素である との認識の もとに, 中堅 ・中小企
業を中心 に新規取引を推進 して取引先数の増加を図 り, 中墜 ・中小企業 向け融資
比率を高めること, お よび総合取引を強化 して取 引 メイン化を図ること, な どの
戦略課題を掲げた。
しか し,その後法人取 引をめ ぐる競争 はしだいに煩烈 とな り, このため この よ
うな厳 しい金融情勢 に的確 に対応 してい くために, まず53
年 7月融資推進状況 の
実態調査を行 なった。 この調査の結果,融資推進上の諸問題が明 らか にされ. そ
れ らの問題点をふ まえて,53年 9月 に 「融資推進力の強化」の方針が 打 出 さ れ
た
。
この方針は 「
今後の当行の成長力は融資力によって決 まる」 との認識 に立ち,
融資推進力の強化が当行経営上 の最重点課題であると位置づけ,①融資業務の見
直 し,②法人渉外活動 の強化,③人材育成, の 3点を主要施策 として強力に展開
した。
とくに融資業務 の見直 しは融資推進力強化のための基盤である との考え方 に立
って積極的に推進 された。そ して これをベ ースに新規取引先 の開拓 ・既取引先 と
の取引密度の向上 な ど,法人渉外活動の強化が図 られた。 こ うした営業店 の融資
推進をバ ックア ップす るため,本部 において も決済権限の変更 ・クレジ ッ トライ
ンの導入な どの施策があわせ て実施 された。
一方, こ うした諸施策を展開す るため には,融資係一人一人の能力向上 が急務
であるとの認識 に立 ち,人材育成 の面で も強化策が講 じられた。その基本 とされ
たのは自己研輩 によるレベル ア ップであったが,その体制づ くりの一環 として融
資 トレーニーの増員 ・融資 セ ミナーの増設を行な う一方,本部 において も積極的
に外部研修- の派遣を進めた。
4
0
2
第 2部
躍進の時代
こ うした諸施策をほぼ 1年 にわた って推進 した結果,新規取引先数の増加 ・融
資係の外訪活動 の活発化な どの面ではかな りの成果がみ られ るよ うにな ったが,
最 も基本 とす る融資業務 の見直 しの面は必ず しも十分な進展がみ られなか った。
そ こで5
4年1
0月,その徹底を図 って,融資推進力の強化を一段 と進め るため,融
資業務改善運動を融資 ABC運動 と称 して展開す ることにな った。
この運動 は,基本 に立返 って業務の見直 しを行な うとともに,顧客の立場 に立
って仕事を進 め ることに よって 自らの仕事の仕方を律 し, これを反復す ることに
よって融資係の意識改革を行ない,融資業務の体質改善を実現す るとい うもので
あ った。そ して この運動 の徹底を期す るため,54年下期 には回答 日の 設定 な ど
A ・B ・C3項 目にわた る全行統一 テーマが設定 され, 同時 に各営業店 におけ る
自主 テーマが設定 された。
こ うして当行 は融資業務改善運動 に全行あげて取組む ことにな り, この運動 を
通 じて法人取 引基盤の強化 とい うコスモ プランの戦略課題 は, 当行の融資体質を
安定成長 にマ ッチ した ものに変え るとい う構造改革 にまで発展 し,当行 の融資業
務 は大 きな変革 の時期を迎えたのである。
、
こ うした融資推進力強化のための諸施策 とともに法人取 引におけるサー ビス機
能強化の施策 も次 々 と実施 された。 これは,取引先 の多様化す るニーズに的確 に
応えて十分 な金融サー ビスを提供す ることを 目的 とした ものであ ったが, とくに
当行が主力銀行 として取引先 に対 して提供 し うる新 しい機能を備 えるための体制
づ くりが積極的に進 め られた。有価証券業務 において5
2年1
2月の私募事業債代表
受託や さらに55
年 2月の転換社債の代表受託行の実現はその具体的なあ らわれで
あった。
この間総合取引を強化 して取 引密度の向上を図る諸施策 も着 々 と実施 した。54
年 には 「はまぎん集中会計サ ー ビス」を開発 し, また55
年 には店舗 ネ ッ トとオ ン
ラインシステムを活用 した商品であ る 「はま ぎん 自動送金サー ビス」を開発す る
な ど法人取 引におけ るサ ー ビス機能は一段 と拡充 した。
預金面では54年 5月新たに創設 された譲渡性預金を発行 し, また中小企業を対
象 とす る 「ロイヤル プラン稽立」 も54
年1
0月か ら発売 した。
第 4章 転換期の銀行像を求めて-
403
(2) 個人取 引の強化
個人取 引につ いては, コ ミュニテ ィバ ンクとしての優位性を確保 し, さらにこ
れを高め るために,取 引層の拡大 と総合取 引の推進 による個人 メイン化を 目指 し
て, さまざまな施策を展開 した。個人取引は当行 の業容拡大を支える大 きな柱 と
して意欲的な大衆化戦略を展開 したが,各金融機関 ともこの分野を戦略 目標 とし
て積極的な対応をみせた。 さらに最近 の実質所得の伸び悩み も加わ って競争条件
は一段 と激化 し, これ らの競争 に打勝つために当行 は多大の経営努力 を 傾 注 し
た。その意味 で当行 に来店す る 1日20万人を超え る顧客を大 きな資産 として,何
よ りもその信頼 に応 えることが当行の大衆化路線を万全 な もの とす る基本であ る
との考えに立ち,顧客第一主義の方針を掲げた。そ して これを 日常業務のなかで
具体的に展開 してい くために,正確 な事務処理 と機械化 による事務 の迅速化,心
の こもった店頭サ ー ビスな どを 目指す諸施策を実施 した。
とくにサー ビスの基本であるお待たせ しない窓 口づ くりのために店頭混雑の緩
和策の検討が重ね られ,単純事務 と複雑事務 とを別 の窓 口とし,省力機器を装備
して事務の迅速化 を図 る新店頭体制を実施す るな ど,積極的な具体 策 を 展 開 し
た。
こ うして店頭体制 の強化が進む一方,新商品の開発 も行なわれ,サ ー ビス機能
の拡充が図 られた。53年 3月住宅 ローン機能を備 えた新型 の積立定期預金 「芽 ば
え」を発売 し,次 いで54年 5月,時代のニーズを先取 りした年金型定期預金 「み
の り」を発売 した。 この商品は提案制度か ら生 まれた ものでいわば行員のアイデ
イアを結集 した当行独 自の
開発商品であ り, この種の
定期預金 の発売は当行が最
初であ った。 さらにすでに
発売 した 「芽はえ」の機能
を単純化 し省力化 した 自動
継続積立預金 「リレーつみ
たてく芽 はえ)」 も55年 4月
開
4
0
4
-
第 2部
躍進の時代
か ら取扱いを開始 した。
こ うした新種預金の開発 に加え,5
3
年 1月には ローン機能を強化 した カー ドロ
ーンも開発 し, パー ソナル ローンの強化 にも努めた。
(3) 業務分野 の拡充
法人 ・個人 ともに銀行のサ ー ビスに対す る要請はます ます増大 しかつ多様化 し
つつあ ったが, こ うした要請 に対応す るため業務分野の拡充,周辺業務の開拓 も
横浜信用保証株式会社」が
活発 に行なわれた。52年 12月当行 の関連会社 として 「
設立 され, 当行の住宅 ローンにかかわ る信用保証を取扱 うことにな った。 また54
年 9月法人取引上不可欠な機能 にな りつつある リース分野 に進 出し 「横浜 ファイ
ナンス株式会社」を設立 した。 同社 は将来 ファクタ リング業務 の取扱い-の進 出
も予定す るな ど, 当行の周辺業務 としての機能拡大は コスモプランにそ って着 々
と進 んだ。
(4) 財政資金等 の把握
財政主導型経済-の移行 に伴い,県下各地方公共団体をはじめ,中央諸官庁,
政府系特殊法人 との取引拡大の重要性が高ま り,財政資金の トレースは従来以上
に業容拡大のための不可欠の要素 となった。 こ うした情勢 に対応 して木部 の渉外
機能, とくに東京 におけ る渉外機能 の拡充を図 り財政資金 トレース情報 の早期入
辛,財政資金の獲得を積極 的に推進 した。 また地方公共 団体やその外郭団体 に対
しては財形貯蓄や給与振込獲得 の働 きかけ もこの時期 に活発 に行 なわれた。
一方金融界が激動の時期を迎えた ことか ら,県下 の リーダーバ ンクとして地域
金融機関 との緊密な関係 を深め,相互 の信折関係 を高め る努力を続け る と と も
に,業務面 において も, 当行 の機能や ノウ- ウの提供な ど新 しい協力関係の確立
に努めた。
国際化施策の進展
国際業務 の推進 は コスモプランにおけ る重要 な戦略課題のひ とつであ り, また
地域社会 の国際化 の進展 に伴 い,高度化 Lかつ多様化す る取 引先企業のニーズに
的確 に応 えるためにも,業務の拡充 を 目指 して多 くの施策が実行 された。
第 4葺 転換期の銀行像を求めて- 405
まず体制面では, 日
鋼ロ
51
年11月 にニ ュー ヨー ク駐在員事務所 が開設 され,次 い
2年 6月 には ロン ドン支店 が新店舗-移転 し,5
4年 3月 には事務所 開設か ら 2
で5
年 4か月 とい う早 さで ニ ュー ヨー ク支店が誕生 したD また同年 6月 には香港駐在
員事務所 が開設 され,急速 に海外拠点網 が拡充 した。
5
4年 7月),鶴見 (
55年 2月),厚木 (
55年 3月) の 3か
一方, 国内では新橋 (
9か店 とな った。 さ らに外貨
店が新 た に外為取扱店 とな り, 当行 の外為取扱店 は1
6か店増設 し,33か店 とな った。
両替 店 もこの 3年 間 に1
年下期末欧州 297か店,北米 221か店, アジア 1
40
また海外 コル レス網 は,51
か店,そ の他地域 21
4か店 に拡大 し,合計で260行 872か店であ ったが,5
2年 6月
以降, 中長期現地貸規制 の緩和 に伴 う投融資業務 の活発化 に よ り, 中長期 資金調
4年下期末の海
達 の戦略 の一環 として欧州 の銀行を中心 に コル レス網 を拡大 し,5
60行 1
,1
00か店 とな り, ほぼ全世 界を網羅す るネ ッ トワークをつ
外 コル レス先 は3
く りあげた。
この時期 に当行 の国際業務 の飛躍的拡大を支 えた要 因は,活発 な国際投融資 に
2年 4月外 国証券 の取得 ・処分 にかかわ る包括許可 を
よるものであ った。 当行 は5
取得 し, まず海外証券投資 に乗 出す足 がか りをつか んだ。そ して53年 7月中長期
現地貸付包括許可を取得 し,以降 シ ンジケー トローン-積極的 に参加 し, 当行 の
中長期現地貨 は急速 に増加 した。
2年 6月 の中長期現地貸規制緩和時 に
一 万5
導 入 された中長期運用 ・調達規制 に よ り,運
用 を拡大す るにはその資金 の調達 が重視 され
るよ うにな った。 こ うした状況 に対応 して当
行 は53
年 4凡
書
初 めての変動利付譲渡預金証
(FRCD)を ロン ドン支店 で発行 し, 普
た欧州各 国の銀行訪問を定例化 して長期資金
の調達手段 の多様化 と調達資金 の安定化を進
めた。 また ニュー ヨー ク支店 では54年 9月 に
cD発行 の許可を取得 し,55年 2月 には連邦
ニ
40占
-
第 2部
躍進 の時代
準備銀行か ら当行 の引受手形 について再割適格性を取得す るな ど調達窓 口の拡大
に努めた。 また同時期 に,初めて外国系現地企業 に対す る単独 ローン を 開 始 し
た。 これはシンジケー トローンに比べて収益性が高 く,加えて将来 当行がシソジ
ケ- I
.ロ-ソ組成 の中心 となるために必要な ノウ- ウの蓄積 にも資す るものであ
り, 当行 の国際投融資業務 は新 たな発展期 を迎 えた。
戦略的な店舗展開
勺な展開をみせ,
業容拡大を支え る柱であ る店舗 については, この 3年間戦略白
この結果当行の店舗網 は一段 と拡充 した。 まず第一 は海外拠点網 の充実であ り,
すでに述べた よ うに,51
年 にニュー ヨーク事務所 を開設 し,5
2年 に ロン ドン支店
を新店舗 に移転 させ,次いで54年 3月にはニューヨ-クの支店昇格を実現 した。
これ に よって世界の二大金融市場 に店舗を配置す るとともに,同年 6月には香港
事務所を設 匡しアジアでの活動拠点を設けて国際業務 は一段 と多角化 した。 さら
に香港 の現地法人の設立, メキシ コ ・シンガポール駐在員事務所 の開設な ど一段
と拡充 され る予定である。
一方国内店舗 については,都心店舗網を強化 して法人取引の拠点 とす る ととも
に,県 内店舗網 との連携を強め る考 え方 は40年代か ら引継がれていたが, コスモ
プランのなかで も戦略課題 として位 匿づけ られ, これにそ って5
2年 に渋谷支店,
53
年 には青 山支店がそれぞれ新店舗 に移転 し, そ して54年 7月には新橋支店を開
の
宿新都心支店, 11
月
谷支店の開設 と一
新
の市 ヶ
策が実行 された。東
連の拡充
部で も神奈川 と東京を
京西南
とす る面 としての地
一体
を囲 って玉川 支 店 を
盤強化
し, また人 口増加の著新 設
55年 8月に開店した新宿新都心支店
設,55年 に入 って 8月
第 4章
表
転換期 の銀行像 を求めて-
407
他 行
庫
市
銀
地
方
銀
行
巨
の
他
2
3
2
4
8
県下の銀行店舗数
行
22
5
度増加数
レ-54
年
1
0 §
0
4
34
6 】
0
23
50
資料出所 「金融銀行諸統計」
注 1 出張所を含む
2
0.
0
して府中分倍河原 ・調布の両支店を相
2 その他は信託銀行 ・長期信用銀行
また この時期 も引続 き他行 の進 出が激
次いで新設
しい県 内で
して地盤の拡大を図 った。
住民の利便 向上 な どを考慮 して店舗網の整備を進め,
は, 当行の競争力強化,地域
あいだ に馬堀 ・鷺沼 ・大根 ・綾瀬 ・金沢 シー
51
年度か ら55
年1
2月までの
サイ ド・横浜東 口な ど11
支 店 8出張
所 を新設
改築を積極
し, よ りきめ細かい店舗網を張 りめ ぐらす とともに既設店舗の新築 ・増
また この間店舗外
的 に行な CD
って質
の向上を進めた。
について
も顧客の利便を考慮 し
51
年度以降1
2か所 を新設 した
て積極的に増設を進め,
内 3か所,その他 4か所 の計1
。その結果5
5
年1
2月にはスーパー内1
0か所,市役所
7か所 の設 置
とな
った。
表 4
9
ス
忠
実
〟
ー
パ
ー
等店舗外 CD
l 市の設置状況
役 所
屋
・ そ
平
塚
店
〟
さがみ野店
〟
鴨
イ I- ヨーカ堂
〟
〝
〟
宮
店
相模 原店
相
橋 模本原 店
店
大
和
店
茅 ヶ崎 店
ダイエ ー藤 沢 シ ョツパ ーズ プ ラ
伊勢原東急
5
年1
2
月ま
江 5
ス トア
駅
ザ
の 他
408
-
第 2部
躍進の時代
表
店舗 の新設等
4
-1
0
設
j支店昇格 r 廃
新 築 ・移 転
止
港南台,長後,大師
大阪, (
左近山),(
二宮北)
安
浦
,
生
麦
渋
谷
,
鶴
見
,
三
ツ
境
光
台
,
ま
プ
ラ
ザ
南
海
老
名
浅
草
橋青
山
,
衣
笠
,
高
崎
(
汐見台) (
鶴川西)
、
∴
、 -
.
洋
た
ロン ドン
、
大根,府中分倍河原,愛川
ニューヨー ク,調布
(
横浜若葉台), (
香港),新橋
羽 乱 半原 l藤沢,大島,二宮
湘南桂台,湘南 ライフタウン
(
京王若葉台), (
本場内),綾瀬
金沢 シーサイ ド,新宿新都心,市 ヶ
局,成瀬,市 ヶ谷,横浜東 口, (ド
茅 ヶ崎,葉山,中野
町田,蒲 田,さがみ野
つ くし野
リームラン ド), (
霧が丘),東戸塚
駅前
28(
9)a
.l
6i
27(
4)
注1 ( )は うち出張所。ただ し香港は駐在員事務所
2 55
年度には1
2月までの設置予定を含む
3 経営体質強化 の諸施策
活力 ある組織づ くり
経営環境 の変化 に対応 し,効果的な施策を展開 して, コスモプランに措かれた
構造改革を実現 してい くためには,組織 の機能強化を図 り活力ある組織づ くりを
進め ることが急務であった。 この問題 は コスモプランの機略課題 の重要 な柱 とし
て計画期間中に段階的に整備す る方針が とられた。
2年 4月各部 におかれていた室 ・所 の整備を図 り,主計室 ・研修所 な
まず昭和 5
ど 5室 2所が独立 し経営 に直結す る組織 に改め られたほか,統合 ・廃止 も行 なわ
れた。 さらに52年 中に本部機構全般の見直 しを行ない, コスモプランの もとでの
本部機構改革 の大綱 をま とめ, これ に基づいて順次機構改革が進め られた。
3年 1月には営業推進 にかかわ る部門の整備強化を重点 とした改革が行
そ して5
第 4章 転換期の銀行像を求めて- 4
0
9
なわれ,業務企画部の設置 ・地区本部長制 の廃止 ・個人融資部門の業務推進部の移管な どが実施 された。
次いで 4月にも企画部門 ・営業推進体制 ・内部管理体制の機能強化を意図 した
幅広 い組織整備が行 なわれた。その主な ものは,東京企画部を企画部 に統合す る
一方,新たに企画部 内に協会担 当部長を設けた こと,融資企画部 ・融資業務部両
部を再編成 し,融資企画 ・推進 ・資金管理な ど融資全般を統括す るとともに,県
内支店を担 当す る融資第 1部 と主 として県外支店を担 当す る融資第 2部を設けた
こと,事務企画部 ・新 システム開発室 ・事務推進部 の 3部を事務管理部 ・システ
ム部 ・事務集中部の 3部 に再編成 した こと, な どであ った。
4
年 1月には主計部 と資金部の統合が行 なわれ,経理部が設置 された。
また,5
これ は経営環境が厳 しさを増すなかで,適正 ・的確 な資金運用,収益管理機能の
強化を意図 して,主計部門を企画部か ら独立 させた ものであ り, この考え方 にそ
って主計室 ・主計部 ・経理部 と順次組織変更が行 なわれた。 またあわせて地公事
4
年 7月東京業務渉外室が業務
務局 の業務渉外部- の移管が行なわれた。 さらに5
渉外部か ら独立 した。
この間東京 におけ る情報機能の強化を意図 して53年 7月,業務企画部 ・融資第
2部な ど本部機構 の一部を東京支店 ビルに移転 した。同時に丸 の内にあ って業容
拡大 に大 きな役割を果た してきた国際業務部門な どもここに統合 されて,東京で
の本部機能 の強化 とその一体的活動が図 られ ることにな った。 こうして当行 は,
精力的に組織の整備を遂 げ,コスモプランで想定 した組織づ くりをはば実現 した。
第 2次総合オ ンライ ンへ の移行
昭和4
8年 1月の第 1次総合 オ ンラインの完成 によ り当行 の事務処理能力は飛躍
的に高まったが,その後の業容拡大,サ ー ビスの多様化 な どに伴 う業務量 の急速
な増大か ら, よ り高性能の第 2次総合 オ ンライン-の移行 は必至の 情 勢 に あ っ
た。 このため49年 6月第 2次オ ンライン-の移行を展望 して新 システム開発委員
会が設け られ, 50年 8月 には組織整備を行 な って事務企画部 に新 システム開発室
が設置 され,新 システムの基本設計 に入 った。
41
0
- 第 2部 陸運の時代
一方 この間取引データの増加ペ ースは
の処理能力が限界に近づ
51
年 ごろか らしだいにオンライン
き,取引
急激で
への
す
る状況す
る特定 ら生
日には一時的に処理能力を超え
じ,第 2次オソライン
が集中
早
期移行が強
こ うした全行の期待を担
く望 まれ るよって,移行作
うにな った。
ら られ, また総合 テス トが
業が懸命
に進め
5
3年 7月か
第 2次
総合 オ ンライ ンス ター ト
れた。 また移行前研修
1
0月にかけで陰茎に繰返
もかつて例がない
さ
大規模な形 で行
クラスの機械研修設備 を フルに駆使 して,参加人員約 3なわれ,全 国で も トップ
んだ。
一 万5
3年 7月第 2次オ ンライン移行 に
,800人,延 7,000人 に及
ク トチ ームも発足 し,改訂作業が精力的に進
伴 う事務取扱要領改訂のための プロジ ェ
4年
こ うして,5
め られた。
ム-移行 した。
万 1月 1
6日全営業店全科 目が一斉 に第 2次総合 オンラインシスチ
行 はきわめて順調で
全 の準備を整えた うえでの移行であ ったため,
新 システム-の移
算機 に比べ処理ス ピあ った。 この第 2次オンラインシステムには第 1次の電子計
型電子計算機が使
年 6月には全
ー ド・記憶容量な ど総合能力で 3倍 ア ップといわれ る J2
0
75
用 され, また端末機 も一段 と能力の高い ものに切換 え られ,55
とともに,CDお よび AT
第 2次オ ンライン-の移行
店切換えを完了 した。
テ ラーズマシン-現金 自動入 出金機)の増設
M (オー トマテ ィック 9
第 4章 転換期の銀行像を求めて-
411
計画的人事運用の展開
当行 は これ まで人材 の育成 と適材適所 を基本 に人事施策を展 開 してきたが,厳
しい経営環境 の時代を迎 えて人事施策は計画的運用を 目指 して新 しい段階に入 っ
た。
1
年,長期的観 点に立 った 「人材育成計画」を策定 し, コスモ プランの戦
昭和 5
略課題を具体的に進展 させ るため,その計画的実行を図 った。個別面接制度を通
じて一人一人の適性 と能力を把握 し, さらに OJTや集合研修の成果を具体的に
人事運用 に反映 させ る施策が とられ,一方行員の能力向上 は 自己啓発 にあるとの
観点か ら,各種資格取得の奨励,通信講座 ・夜間講座の充実な どを通 じて職場 内
におけ る自己啓発 の雰囲気を高めて 自己研贋意欲の向上を図 り,高い資質 と活力
ある人材 の育成 に努めた。
なかで も融資推進力強化の方針 に基づ く融資渉外要員の育成 については一段 と
強化が図 られ,階層別研修 ・業務別研修 ・特別 コースに体系整備が行 なわれて,
融資力は大 きく向上 した。 また新入行員の基礎事務習得制度のなかで も融資経験
を必須 として融資要員の拡大を図 った。
一方急速な業容の拡大が続 く国際業務部門では,要員の確保 ・人材 の育成が急
務 とな った。そのため国際業務経験者の増加を図 って海外派遣選抜 テス トの実施
を定例化 して人材 の発掘 に努め,計画的な育成 に乗 出し, 日米英会話学院 ・海外
トレーニー ・海外留学 な どの諸制度を充実 した。なかで もビジネスス クール修士
課程- の 2年間の長期留学
制度は, 国際業務要員の養
成 のためだけでな く,豊か
な国際感覚 と高度な専門知
識をそなえた人材 を育成す
ることが, 当行の将来 に と
って不可欠である との認識
に立 って設け られた もので
あ った。
海
41
2
-
第 2部 躍進の時代
こ うして人材育成 のための諸施策を計画的に推進す る一方,機械化の進展 に よ
る業務効率化 の成果を具体的に人事管理面に反映 させ るため,総労働時間の管理
の徹底,店別 内部事務基準人員制 の定着化な どの施策が推進 された。 さらに こ ラ
した人材育成計画の推進や効率化の展開な どによって生み出された成果を活用 し
て戦略的な人事配置を進めフ新設店や国際業務部門-の重点配置,融資渉外力強
化のための人材配置が行なわれた。 また人事情報 システムの完成 によ り適性 の把
握が容易 とな り,人事運用 におけ る適材適所主義が一段 と進め られ る ことになっ
た。
また人事 に関す る新 しい制度 として55年 4月か ら再雇用制度が導入 された。 こ
れは急速な高齢化社会への移行 に伴い,高齢者 向けの雇用機会を創出して企業の
社会的責任を果たす とともに, あわせて行員の生涯設計を保障 し,生 きがいのあ
る職場づ くりを意図 した ものであった。 さらに身体障害者の雇用 について も, 当
行 は社会的要請 に応 えて これを積極的 に進 めた。
同時 に福利厚生面で も充実が図 られたが,厚生制度では,希望 グル ープ保険が
A ・B グル ープともそれぞれ大幅 に改訂 されたほか,53
年11月には従業員財形貯
蓄制度が発足 した。
厚生施設では52年 7月綱島に次 ぐ 2番 目の グラン ドとして 大 和 総 合 グラン ド
(2万 8,1
39平方 メー トル)がオープンし,翌 8月 には旧逗子寮を全 面改装 し新た
に逗子 シーサイ ドクラブとしてオープンす るな ど一段 と充実 した。 また同年1
2月
て鶴 中継 ぎ用厚生住宅 とし
さらに
川西住宅が完成 した。
工
口指 して仙石山荘の
55
年中のオープンを
逗子 シーサイ ドクラブ
には
第 4章
転換期の銀行像を求めて-
41
3
収益管理の強化
年度 は銀行 の収益が急速 に悪化 した時期で
コスモプラソがスター トした昭和52
あった。 これ は相次 ぐ公定歩合 の引下げに よ り貸 出金利が急速 に低下す る一方,
2年下期 には都市銀行
預金金利 の引下げが小幅 に とどまった ことに よるもので,5
平均で戦後初めて預貸金利鞘がマイナスに転 じるとい う異常 な事態 となった。 当
行 は この よ うな預貸金利鞘 マイナス とい う事態 は避 けえた ものの,利鞘の急速な
46%が下期 には0.1
8% と大幅 に悪
悪化 をまぬがれ ることはで きず,52年上期 の0.
% まで低下 した。
化 し, さらに53年上期 には0.11
こ うした利鞘 の悪化 に加えて,53年下期か ら国債の市場価格が大幅 に下落 し始
め, これ に伴 う有価証券償却旗が急増 して収益の大 きな圧迫要因 となったO
この よ うなかつてない厳 しい収益環境 に直面 して, 当行は基本的には コスモプ
ランにそ った業容拡大 と体質強化を推進 して収益力の増強をほか るとともに,収
益管理体制を強化す るための諸施策を実施 した。総合予算制度の改訂,経費予算
統制 の強化
4年 1
0月か
積極的投資や経費-の傾斜配分 な どの施策を と り, また5
らほ営業店月次決算 システムを導入 した。
こ うした努力 によって当行 の経常利益は, この 3年間,半期 ほぼ 1
1
0億 円前後
か ら1
3
0億 円の水準を確保 し安定 した収益力を維持 しえたのである0
地域社会への貢献
コスモプランス ター ト後当行 は コ ミュニテ ィバ ンクとしての経営姿勢をさ らに
強め,地域社会 におけ る真 に役立つ銀行を 目指 してさまざまな施策を実施 した。
昭和5
2年 6月,地元企業 に対す る知的サ ー ビス として,第 1回の取 引先企業の
新入社員研修会を開催 した。 これは新入社員が少な く体系的な研修が困難な中小
4年か らは中堅社員を対象 とし
企業 に好評を博 し,以降定例的 に開催 し, さらに5
た研修会 も開いた。 また53年 9月横浜駅前支店 に貿易投資相談所 を開設 し,地元
業者 の輸出入貿易 ・海外投資 ・海外進 出 ・外資導入な どに関す る相談 に応える体
制を整 えた。 さらに54年 6月には藤沢中央 ・横須賀の両支店 に経営相談窓 口を増
設 し, 出張相談 も行 な った。
41
4
第 2部
躍進 の時代
ぎん>年金教室がス
また54年11月か ら<はま
ター
岡
を
皮
・相模台の各支店
切 りに,
1回 目の和泉支店
上帯 ・上大
した。第
ト
来か
こら行なわれてい
うして この時期 で相次
には従
いで開かれ好評を博
した 。
る諸施
地元企業- の知的サー ビス として開催 の新入社員研修会
を よ り充実す る諸施策が
授員の異動
昭
と増資
功
策の うえに,知的サー ビス
新 たに加わ り,地域社会 との連帯は一段 と深 まった。
和51
年 4月,国際業務の発展 に貢献 した専務取締役与 田信一, 当行 の躍進に
幡な役
2月 には大
績 のあ った常務取締役金子達雄がそれぞれ辞任 した。そ して翌 52年 1
締役秋 員の異動が行 なわれた。副頭取吉村四郎が取締役相談役 に就任 し,専務取
山英夫が副頭取
に昇格,4
した。吉村副頭取
し, 40年
6年入行以来菓 職 を 歴
任
に常務取締役 に就任
6年 には副頭取 は昭和
に昇格 2
して当行を飛躍的発展
に導
き輝か しい功績を残 した。 同時 に常務取締役金子家啓が専務取締役 に昇格 し,助
川鼠
役 に 黒沢昭雄, 山 口光男,河野和夫,丸 山勉,森西洋,岸本和之の 7名が取締
木 田,伊藤辰男が監査役 にそれぞれ新たに就任 した。 また53年 4月に上野豊重,
経営 和男の各取締役がそれぞれ常務取締役
に昇格 し,常務取締役が 6名 とな り,
陣の強化が図 られた。
らに同年 1
2月,常務取締役 54年 6月 には布川昭蔵が新 たに監査役 に就任 した。 さ
新 たに取締役 に就任 した。なお
相原三郎が専務取締役 に昇格 し, 中嶋-司,松村鮫が
遇の相談役
また当行 の
とな った。
吉村四郎は取締役相談役を辞任 し,役付取締役待
第 4章 転換期の銀行像を求めて-
41
5
4 コスモ プ ラ ン下 の当行 の業容
コスモプランのス ター ト以来, 当行 は全行 あげて同 プランの実現を 目指 して努
力を積み重ね,業績伸展 と経営基盤 の強化を進めて経営の構造改革を推進 した。
最終年度を迎 えてその足 ど りを振返 るとき, 当行が コスモプランを通 じて計画経
営を展開 し,新 しい時代 に生 きる銀行像 の実現を着実 に進めて きた とい うことが
で きよ う。
総預金 3兆 円を突破
当行 は昭和51
年 3月末総預金 2兆円を達成 し,51
年度を "地固め"の年 として
2兆円の早期実質化を図 り, その実績をふ まえて コスモプランを策定 し,52年度
か ら新たな飛躍- の挑戦 に向け てス ター トを切 った。
この時期 の経営環境 はか
ってないほ ど厳 し く, この
ため預金増強 には従来以上
に多大の経営努力が傾注 さ
れた。当行 の総預金 は5
0年
下期未の 2兆 911億 円か ら
54年上期末 には 3兆 円を超
え,同下期末 には 3兆2,392
億 円 とな り, この 4年間 に
表 4
-l
l
コスモ推進得意先係大
預金残高比較
会 (単位 一億 円,
41
6
- 十
第 2部
躍進の時代
約 1兆円を超す預 金増加 を実現 して, ほぼ都市銀行並みの増加率を維持 したが,
その内容 は4
0年代 とはかな り異な るものであ った。
まず第一 は海外預金の急増 であ った。 当行 の海外預金は50年下期末360億 円で,
総預金に占め る割合 は 1
.
7%であ ったが,その後 ロン ドン支店の業容拡大, ニュ
ーヨー ク支店の新設 な どに よ り5
4年下期末 には 2,64
4億 円に達 し,総預金に占め
る割合 も 8
.
2%まで高 ま った。 この結果, 5
1年か ら 54年 に至 る 4年間の総預金
0
%に達 し,個人預金に次 ぐ寄与を示 し
増加額 に占め る海外預金増加額 の割合 は2
た。
預金者別預金残高
表 4
-1
2
第二 は個人預金中心の業容拡大傾 向が一層強
(
単位 二億円)
昭和50下
まった ことであ った。4
0
年代 に入 って本格化 し
54下
国内預金
た大衆化 は,後半に入 ると一段 と進展 し, また
一般法人
個
人
当行が積極的に地域社会 との結びつ きを強めた
そ の他
36
0
海外預金
,O9
,
9
ことを反映 して,個人預金は預金増加額の約半
2
′84
4
分 を占め るよ うにな った。 さ らに5
0年代に入 る
i 3√ 議
と, 自動振替 ・給与振込 ・総合 口座 ・CDの普
注 国内預金は未達整現前,その他は金
融依関 と政府 ・公金預金の合計
及 な どを通 じて家計 との結びつ きを一層強め,
また住宅 .
,-ソを中心 に各種 のパー ソナル ローンの利用 も高 まって,地域社会 に
おいて, よ り `
`
身近 な銀行 " とな り, ます ます個人 との取 引密着化が進む と同時
に取引層を拡大 した。
一方安定成長- の移行 に伴 い,法人企業 は積廠的 に減量経営を進めて金融収支
の改善 に強 い意欲を示す な ど,金融取引の面で も4
0年代 とは様変 りの行動をみせ
国内預金増加額の預金者別内訳
(
昭和50
年下期 -5
4年下期)
当
預金 増 加額
(
一般法人)
三
笠 の 志三 日
資料出所
行
都
市 銀 行
(
単位 :億 円,浴)
一地 方
銀 行
加額 構成比 訂蒜哀1
元成比「
嘉盲
福「
高諒主
ヒ
r
、十
;
3
.; ‖
「
経済統計月報」
.
‖ ∴
∴
三:
;l l
…
9
,
I
,…
3
8
…
'
2
0
L
-
第 4章 転換期の銀行像を求めて-
41
7
るよ うにな り,法人預金の増強を図 る ことは きわめて困難 な環境 とな った。
0年下期末か ら5
4年下期天 に至 る 4年間の当
こ うした環境 の変化を反映 して,5
行 の国内預金増加額 9
,1
45億 円の うち約65%が個人預金で占め られ,一般法人預
8% に とどまった。 この間都市銀行 では個人預金が約43%,法人預金
金の割合 は1
が42% とほぼ半 々,地方銀行ではそれぞれ54%,28% であ り, 当行の個人預金の依存 は非常 に大 きい ものであ った。
こ うして コスモ プランの もとにおける当行の預金増強は経営環境 の変化 に対応
しつつ40年代 とは質的相違を示 し,地域社会- の密着化 と国際業務の拡大 とい う
基盤強化を通 じて 3兆 円を達成 したのである。
資金運用の変貌
安定成長への移行 に伴 う金融環境 の変化や,県経済 の変貌 に対応 して, 当行の
資金運用 もこの時期 には昭和40年代後半 に比べ企業融資の比重低下,海外融資の
急増,公共 向け与信 におけ る国債引受の急増な どによって大幅な構造変化を示 し
た。50年下期末か ら5
4年下期末 までの 4
年間に融資残高は, 9
,59
7億 円増加 した
融資増加額の内訳
-1
4
表4
(
単位:
億円,潔)
昭和50下-54下
が, この うち 国内法人企業 には 60% ・
5,788億 円,海外融資 には23% ・2,22
0億
表7R壷 両
総
融
業
資
融
額
9% ・1
,83
7億
円, さらに個人融資 に は1
企
円がそれぞれ向け られた。
地方公共団体等融資
個 人 融 資
海 外 融 資
融資残高比較
資
資
ヒ
41
8-
第 2部 躍進の時代
これをそれ以前 の 4年間の国内法人企業 向け約7
2%,個人向け1
9%,海外向け
2% と比べ るとかな りの変化であ った。
この よ うに この時期 の資金配分 の変化は, 国内法人企業の資金需要の低迷 と当
行 の国際業務の充実 とい う経営環境を反映 した ものであ った。
さ らに国内法人企業- の融資 については,40年代に比べ中堅 ・中小企業への融
資が大 きな比重を 占め るとともに,非製造業-の融資の比重 も一段 と高 まるとい
5%
う質的変化を示 した。 この 4年間の企業融資の増加額の うち大企業 向けは約 2
に とどま り,残 りの7
5% が中堅 ・中小企業 に向け られた。 これは この時期 とくに
金
企業規模別融資残高
表
(
単位.
億円)
4
-1
6
座不
ロ
5
0
下 l5
4下 座 -
借入れ-
融収支改善を図 り,銀行
金調達 のの依存を低下 させ, また資
勢 に対応 多様化を進める とい った情
江 規模別区分は当行基準による(
資本
金.
大企業
0
億
円以上,中堅企業1
0
億円以上,中小企業
1
0
億円
未7
満)
,
外貨建をのぞく
相対的に資金需要 が弱
資
を通
に取組
じて積極的に中堅
んだ
して,新規取引な
・中小企業融
どの開拓
大企業が
の時期 には非製造業
結果であった。
に比べ製造業
また は
こ
この 4 年間では企 業融資増加額の
く,そのため非製造業等の融資の比重が一段
うち約77%が非製造業等
に向け ら と高ま り,
果企業融資残高 に占め る非製造業等融資残高の割合 は,5
0年下
年 一方個
下期末 人融
には6
資は住
0% まで高 まった。
種
れた。 この結
期末 の51%か ら5
4
宅 ローンを中心 に,多様化す る個人 の資金需要 に対応 した各
の ローンを開発 し,その
っ た結果, 着実 なペ ースで増大
した に応えるための体制整備 と資金配分を行な
需要 に的確
で 国内融 資残高の1
2.
7%
3,6
30億 円 とな り,
。5
0年下期末の個人融 資 残 高 は 1
,
793億 円
であ ったが,54年下期末 までの 4年間 に約 2倍増加 して
また海外融資は海外店舗網
の充実に加えて,5
国内融資残高
に占め る割合 も1
.9
% まで高 まった。
26
年
6月以降の中長期現地貸規
の 緩 和 に伴
4
う投融資業務の活発化を反映 し,5
0年下期天 の 1
04億 円が5
制
第 4章
転換期 の銀行像 を求めて-
41
9
融資の推進,個人融資の着実 な増加,海外融資の積極化な ど多面的な融資戦略を
展開 し,都市銀行を上回る融資の伸びを実現 した。
一方公共 向けの与信 も40年代 に比べ大 き く変貌 した。40年代の後半 には県をは
じめ県下各地方公共 団体 の資金需要が急増 し,その対応 に苦慮 した時期があ った
が,各地方公共団体お よび関係金融機関の理解 と協力を得て,地方債 についての
シンジケー ト団を組成 し,地元銀行 としての役割を果た しつつ この事態を乗切 っ
た。
5
0年代初めの公共 向け与信 は地方
公共 団体等- の与信 (
地方債 と融資
表
の合計)が中心であ り,その与信額
4
1
7
期
公共向け与信残高
座 和4
8
下 1 5.
末
下
(
単位 :
億円〕
l 54 下
は国債をは るかに上回 っていたが,
その後状況 は大 き く変化 し, 国債引
受額が倍増す る一方,地方債の引受
額はほぼ横 ばいで推移 したため,
国
債
1
41
公
共 向け与信の重点は国債 に移 った。
この よ うな国債引受の大幅な増加 に
よ り,実質預金増加額 に占め る公共
表
4
1
8
2年度6
4,
2%,53
債引受額の割合 は5
公共債引受額
国 債座方可合
l
昭和
年度 5
1
.
6%,5
4
年度 5
6
.
6% と連続 し
(単位 :億円)
49′
-51
年度(
A)
52-54
年度(
B)
て5
0% を超えるに至 り,資金運用面
B/A (
倍率)
に大 きな影響を及ぼ した。
飛躍する国際業務
当行の昭和 40年代 におけ る国際業務 は,都市銀行の水準 に追いっ くことが最大
の課題 とされ,業容拡大 とともに内部体制 の整備 ・拡充 に全力をあげた。 この時
0年代 に入 ると,
期 の地道な努力の積み束ね と着実 な業容拡大が基礎 とな って,5
当行の国際業務部門はまさに飛躍の時期を迎えた。
この時期 におけ る当行の国際業務 は,海外拠点網 の拡充 ・外国為替取扱高の大
420-
第 2部
躍進 の時代
外国為替
表
4
1
9 取
(単位
扱 取扱高
:
勘
百万増
ドル加
,潔
率)
幅増加
中長期現 を外為店 に流す デ ィ- 1
刻 々集・
まる相場状況
)ングル ーム
どあ らゆ る面で
地貸 の増大 に よる外貨建資産 の急激な増大 ・海外預金の急増 な
本取引や投資業 そ の業容が大 き く拡大 した。 また同時 に,業務 内容 について も資
な った。海外預金
務が拡充
も51
年下
されて, よ り質の高い金融サ ー ビスを提供 し うるよ うに
出の 61
増 とな り, 同期 間の海外貸期
4億 円か ら54
年下期 には 2
,644億 円- と 4.
3倍
た。 また外国為替
も1
35億 円か ら 2,3
2
4億円- と1
7.
2
倍 の急増を示 し
に
の外国為替取扱高は
68億 もこの
7,700万
3年
間の伸びはきわめて高
く, この結果5
4年度中
取扱高
ドル
模 に達
この よ
した。
うな急速 な業容拡大 と業務 内容 達
し,51
年度車の取扱高の約
の拡充を反映
して, 当行 の 3.5倍 の規
海外預金の残高と
総預金に占める割
合
割
期 可 残高】
(単位 ・億合
円,%)
表4
2
0
下
外貨建資産 も
3
期末 には5
,082億 円 とな り, この間約 5
.
とな った。 この結果,総資産 に占め る 倍 の増加
大幅 に増大 し,51
年下期末の 96
0億 円か ら5
4年
の割合 は54年下期末 には約 1
3% を
外貨建資産
こ うしため ざましい発展 によって,
占めた
国。
門は今や
際業務部
第 4章
第 3節
転換期の銀行像を求めて-
421
60周年 を迎 えた当行
1 当行 を支 え る60年 の歴史
大正 9年,七十 四銀行 の整理 とい う重荷 を負 ってスター トした当行は,その後
の関東大震災,金融恐慌 とい う苦難 に耐えなが らも整理の重責を果た し, さらに
県下 の銀行合 同の中心 とな って著 しい発展を遂げ,終戦時 には全 国普通銀行 中12
位 の地位を築 くに至 った。
しか し戦後 の混乱期 には,地域経済の不振をはじめ環境の悪化 も加わ って,莱
容は思わ しい伸展を示 さず,む しろ繊維恐慌 を契機 にかつてない停 滞 局 面 を迎
え,苦 しい事態 とな った。 しか し行 内に醸成 された強い一体感 と経営施策の積極
策への転換 によって, こ うした苦境 を打開 した当行 は,昭和32年 に行名変更を断
行す ることによって心機一転を図 り,長い試練 の時代 に終わ りを告げたのであ っ
た。ただ, この時の当行 の地位 は,地方銀行中 9位,普通銀行中22位 にす ぎず,
業界のなかでスター トに遅れを とった ことは否 めなか った。
新生横浜銀行 として新 しいス ター トを切 った当行 は,時代の変化 に即応 した経
営施策を次 々 と打出し, お りしも技術革新 を軸 として高度成長期 に入 った環境 を
的確 に とらえて,め ざましい躍進 の時代を迎えた。 この間の業容の伸展 は, まさ
00億 円,4
0年 3
,0
00億
に躍進 と呼ぶにふ さわ しい ものであ り,総預金 は37年 1,5
円,43年 5,000億 円を記録 した。そ して,44年 4月 には地方銀行第 1位 の預金高
とな り, 5月 には伊原頭取が全 国地方銀行協会会長 に推 されて,業界 において重
責を担 うことにな った。そ して銀行 に対す る社会的要請が高まるな か で,"
新し
いふ るさ とづ くり"を提唱 して地方銀行 のあ り方を示唆す るな ど,業界 において
もその責務を果たす一方,行 内では コ ミュニテ ィバ ンクの経営理念を掲げて,地
域貢献の諸施策を展開 し,47年 には 1兆円銀行を実現 した。
この間, 国際経済 は激動が相次 ぎ,引続いて起 こった石油危機 とともにわが国
9
年を境 に深刻 な不況 に見舞われた。その後景気 は
経済 に多大な影響を及ぼ し,4
徐 々に回復 に向か った ものの,かつての高度成長か ら大 き く転換 して,安定成長
42
2
- 虜 2郡
躍進の時代
の時代を迎 えたのである。 こ うした経済 の大 きな変化は,銀行経営に も多大の影
響を及ぼ し,競合 の激化,利鞘 の縮小な ど,経営環境 は極度 に悪化 した。
しか し当行 は, こ うした苦 しい環境 のなかで も着実 な業容拡大を図ると同時 に
業務 の効率化を進めて,51
年 には 2兆円を達成 し, さらに52
年か らス ター トした
コスモプランの もとで5
4年 に 3兆円を実現,業容 ・体質 ともにゆ るぎない地位を
確立 したのである。
この よ うに当行 60年の歴史は,前半の苦 しい試練,後半 の著 しい躍進 と, きわ
めて対照的な影 と光を もつ激動 の歴史であった。 当行が現在の地位を確立 した背
景は,苦境 の時にあって も創立以来 の地域貢献 の精神を貫 き,地域 とともに生 き
る経営理念を実践 し,それが地域か ら高い評価 と信頼を うることがで きたか らに
他 な らず,現在 の当行を支 えるものは この60年 の歴史である とい うことが強 く実
感 され るのである。
そ して業界において現在の地位を確立 した当行 には,近年 とみ に業界の リーダ
ー として強い役割が期待 されてお り, また事実,そ うした声 に応えて頭取 はじめ
首脳陣は縦横 の活動を展開 している。5
2
年11月,書囲頭取 は全 国地方銀行協会会
長 に就任 したが,銀行経営 に とって厳 しい環境であった時期だけ に,業界 として
の課題 も山積 していた。 こ うしたなかで当行は期待 に応えて業界 リーダーとして
の活動を活発 に展開 し,金融制度全般 にかかわ る諸問題 について,行 内での十分
な検討を もとに将来 のあるべ き姿を追求 して多 くの提 言を行な うな ど,地方銀行
協会 内の意思統一 と協調 にその役割を果た している。その具体的な例 としてあげ
3
行 によるオンライン
られ るのが銀行間の CDオ ンライ ン提携問題であ り,地銀 6
ネ ッ トワークを55
年1
0月か ら実施 し,一段 と強い協調体制を確立 した。
9
年 1月か らの総合課税移行を控 えて, グ リー
また最近 の主要問題 としては,5
ンカー ド制度 の導入 にかかわ る問題や,新種預金創設問題, さらには これ らの問
題 ともか らんで郵便貯金 とのイ コール フッテ ィングの問題な どがあるが,いずれ
も銀行業界の存立基盤をゆ るがす もの として業界あげての真剣 な論議 と折衝活動
が続け られ, このなかで当行 の果た してい る役割 は大 きい。 これ らの問題はいず
れ も今後の大 きな課題 として,一段 と熱の こもった検討が続け られ よ うが,そ う
第 4章
転換期の銀行像を求めて-
423
したなかで当行-の期待 は大 き く, またそれに応 える過程で当行の役割はさらに
高 まってい くもの と思われ る。
2 ㍍Bi
gJ
ump 運動 "の展開
コスモプランの最終年度を迎 えた昭和55年 4月29日,創立60周年記念 コスモ推
進大会が綱 島体育館 において 1
,5
0
0名の参集を得て盛大 に挙行 された。当行 6
0年
,5
00名に も及ぶ役職員が一堂 に会 し推進大会を行 なった例 は
の歴史において, 1
な く,歴 史に残 る大会である とともに, コスモプラン実現にかけ る全行員の不動
の決意を示す ものであ った。
大会の始釧 こあた り, コスモプラン推進委員長 として秋 山副頭取が開会 の言葉
を 述べ,「本 日は 頭取か ら今年度の業務運営方針の基本的考え方 について直接お
話を伺い, さ らにまた,渉外 ・事務 ・融資 ・国際業務 の各部門 についてそれぞれ
第-線 の若い人たちか ら施策発表を予定 していますが, いっ も申しあげ るよ うに
銀行 の営業 には奇手奇策はあ りません。最 も大切 な ことは,皆 さん一人一人が 自
主的に毎 日毎 日の仕事 に最善を尽 くし,創意工夫を続けてい くことだ と思 い ま
す。ひ ごろ皆 さんそれぞれいろいろ努力 されてい ることと思いますが,本 日の大
会 の意義を十分かみ しめ,頭取 の訓示を深 く心 に とどめ,僚店の人たちの活躍ぶ
りを学 んで新 たな意欲を燃や し, 明 日か らの営業活動 に漬極果敢 に取 阻 ん で い
ただ きたい と思います」 と
この大会 の意 義 を 強 調 し
た
。
続いて吉囲頭取が訓示 に
立ち, コスモプランの 3年
間を 振 返 って,「コスモプ
ラソの基本的考え方はひ と
つ は業容の拡大 にあ り,今
ひ とつは旨業基盤の強化い
創
424
-
第 2部 躍進の時代
わ は体質の強化 にあ ったわけであ ります。 この よ うに,外 に向か っては拡大, 内
に向か ってほ効率化を中心 にす る体質の強化, この両面が じつは新 しい事態-の
当行 の対応 の基本であ ります。安定成長時代 にな って,いまさ ら業容拡大をい う
のはおか しい とい う意見 もあ りますが, 当行 は一方 において都銀的性格を持ち,
他方 において地銀的性格を持 ち, しか も当行の立場が将来 にわた り日本の産業 ・
社会 の中心 とな る地域 にあるだけに,た とえ安定成長の時代 にな って も当行 の任
務 は決 して縮小 しない と考えるのであ ります。そ うい う意味では業容 の拡大を図
る とともに,他行 との新 しい競争 に対応 し うる経営体質を固める ことが当行 の将
来 に とって不可欠の要件 であ り,それが コスモプランの基礎をなす考え方であ り
ます」 と述べ, コスモプラソの基本精神を再確認 した うえで, 3年間のさまざま
な施策展開 と業績 にふれた。
5
年度の業務運営方針 について 「今年 の業務運営方針 は,従来の よ うに
続 いて5
展開すべ き施策を通達す るのではな く, いわば,今 まで展開された施策を今後い
かなる意欲を もって実現す るか とい うことに力点をおいた ものであ ります。 この
3年間になすべ き施策はすべて展開 し終わ っているといえます。残 されているの
は, これを徹底 して実行 し,実行を通 じて当行の体質 にま とめあげ るとい うこと
だけであ ります。
Bi
gJ
ump 運動'
'を展開
したが って今年 は施策の実行 に全 力をあげ る意味で "
いた します。そ して この運動を通 じ大飛躍を遂 げ,強い体質を実現す ることが最
大の眼 目であ ります。その内容 はまず第一 に "それぞれの支店が ランクア ップし
よ う" とい うことであ ります。それぞれの支店が業務 内容 において,他行 と比べ
て グレー ドが違 う, ひ とつ ランクが上である とい うよ うに体質を高め よ うとい う
ことであ ります。 これを店 ごとに実行 しよ うではないか, さ らに一人一人の行動
において も一人一人が ランクを上げてい くつ もりでや ってい こ うでほないか, と
い うことであ りますO第二 ば ぉ̀客 さまにサ ービスア ップしよ う"とい うことであ
ります。い うまで もな くサ ー ビス業 の原点は顧客に対す る奉仕 とい うことであ り
ます。銀行業務 も本来サ ー ビス業であ り, したが ってわれわれの仕事の根本は,
お客 さま とのつなが りである, とい うことを十分 に認識 して仕事をす る こ と が
第 4章 転換期の銀行像を求めて-
425
必要であ り,それが本当にお客 さま と, あるいは地域 と一体 とな って当行の主体
性を確立す る ことになるわけであ ります。第三 に "
全行 あげてパ ワーア ップしよ
ラ" とい うことであ ります。 コスモプランは掲げた数字だけが 目標ではな く,そ
れを果た し うる体質をつ くりあげ る ところに本当の 目標があ ります。 したが って
一人一人の行員が,そ うい う方向に向か って進 んで もら うこと, これが コスモ プ
ランの最終的な 目標 なのであ ります。
一人一人がパ ワーア ップし,そのパ ワーア ップの上 にチーム ワークとしての支
店全体 のパ ワーア ップが行 なわれ,それが全行のパ ワーア ップにつなが る, これ
が とりもなお さず コスモプランの総仕上げであ ります。極端 にいえば最終年庭は
一人一人 の コスモプラソをつ くりあげ ることだ といえると思います。全行 あげて
のパ ワーア ップを心か ら期待す るものであ ります」 と参加者-呼びかけた。
こ うして当行 は創立60周年, コスモプランの完成 とい う歴史的な年度を ここに
B̀i
gJ
ump 運動 '
'の展開に全行の力を結集 して適進 している。
迎え,今 `
3 60周年記念事業 と行事
昭和55
年1
2月に迎 える創立60周年 に備 えて, 当行 は54年 3月秋山副頭取を委員
長 とす る創立6
0周年記念事業委員会を設置 した。そ して以後同委員会 において,
意義 ある60周年を飾 り, あわせ て コ ミュニテ ィバ ンクの経営理念を具現化す るた
めの記念事業や記念行事 についで院重な検討を重ね, この結果,次の よ うな内容
の計画が決定 されて逐次実行 に移 されている。
創立60周年を記念す る事業 として,地域社会 の暖かい支援 に対 して謝恩 の意を
あ らわすために,新財団の設立 ・行員の善意 に よる募金運動, な どが 決 定 さ れ
た
。
(1) 「
横浜銀行産業文化財団」 の設立
当行 は創立5
0周年 に際 し, 2つめ財団,す なわち神奈川経済研究所 と横浜銀行
中小企業従業員福祉事業基金を全額出資で設立 し, これ らの財団の事業活動を通
4
2占
-
第 2部 躍進の時代
じて地域社会- の貢献 に努めてきたが,今回の創立60周年 にあた って も地域社会
に対す る知的サー ビスの提供 とい う観点か ら,新 しい事業活動を 目的 とした財団
法人を設立 した。
新財 団法人 は 「横浜銀行産業文化財団」 と命名 され, 当行か らの寄付 による基
,000万 円を もって55
年 9月3
0日に設立 された。初代会長には吉囲二郎当
金 1億 5
行頭取,初代理事長 には秋山英夫 当行副頭取がそれぞれ就任 した。
同財 団は将来地域 の産業 ・文化 の情報 センターとなることを展望 しつつ,地域
住民の一般教義 に対す るニーズに応 える各種公開講座 の開設,地元企業の新入社
員や中堅社員を対象 とす る研修会 の開催,広報紙の発行な どを当面の主要事業 と
して発足 した。
(2) 行員の善意 による募金運動
募金運動 については従来か らも適宜実施 してきたが,今回は創立 6
0周年記念事
年1
0月か ら1
2月までの 3か月間 にわた り全行的な募金運動を展
業の一環 として55
開す ることにな った。集め られた募金は神奈川県が推進 し て い る "ともしび運
動" に寄贈 して地域社会-の謝恩の意をあ らわす こともあわせて決定 された。
創立60周年を意義 あ らしめるための行 内外 におけ る各種 の記念行事 も多彩 に く
りひろげ られている。 まず対外的な行事 としては, これ までの当行-の支援 に感
謝 の意をあ らわすため,取 引先 との懇談会や,役員に よる取 引先訪問な ども行 な
われてお り, また記念品やサ ー ビス品の贈呈な ども予定 されている。
0周年を機会 に当行 の経営姿勢-の よ り一層 の理解を求めるため 「コ ミ
さらに6
ュニテ ィバ ソク」記念号が刊行 された。
年 4月29
一方行 内におけ る行事 としては,創立60周年記念 コスモ推進大会が55
日当行綱島体育館 において盛大 に挙行 された。 1
0月 25日には鶴見総持寺 におい
5日には行友会 ・
て,遺族お よび銀行関係者 の参列を得 て物故者慰霊祭が,11月 1
はまゆ う会合 同祝賀会 が開催 され,60周年を迎えてます ます発展す る当行の姿 に
ともに喜 びをわかち合 う機会が持たれた。
さらに創立記念 日にあた る1
2月1
6日には, ビデオによる吉固頭取 のあいさつが
第 4章
転換期の銀行像を求めて-
427
全店で放映 され るとともに,本店 において記念式典が とり行なわれ る 予 定 で あ
る。
この よ うな行事 に加えて,60周年を記念 して ビデオシステムの導入,記念文庫
の全店設置,記念論文 ・提言の募集な ども行 なわれた。 さらに60
年史の刊行,行
員アルバ ム,浜銀 ニュース特別号の発刊な ども予定 されている。
4 創立 60周年 を迎 えて
創立60周年 とコスモ プランの最終期を迎えた,記念すべ き昭和55
年下期 の期初
にあた って,1
0月 8日定例 の総部店長会議が開催 されたO席上吉囲頭取 は55
年下
期 の業務運営方針を訓示す るとともに,創立 60周年 の意義 について次の よ うに訓
示 した。
「当行60年 の歴史は前半は厳 しい試練 の連続,後半 は著 しい発展期 と, まさに
激動 の歴史であ った と思います。当行は,大正 9年 の金融恐慌 で倒れた七十四銀
行 の影響か ら横浜市民を救済す るため, 同行 の債務を整理す る機関 として設立 さ
れたわけであ り, それだけに設立 当初か ら,厳 しく,つ らい苦難 の道をた どらざ
るをえなか ったのであ ります。 しか し,当行設立 の経緯を見 ると,経営者 は もち
ろん,株 宝も,預金者 もそれぞれの立場で犠牲を甘受 し, いわば横浜の財界や一
般市民が こぞ って当行を支援す るとい う本当の地域銀行 の姿をそ こに見 ることが
できるのであ ります。
その後の道の りも決 して平坦な ものではあ りませんで したが,全行員の努力で
これを乗切 り,昭和 30年代以降は試練 の時代 と訣別 し,一転 して発展期を迎える
ことにな りました。そ して現在, 当行は銀行業界の中で高い地位を築 くまでに発
展で きたわけであ りますが, これ も決 して偶然ではな く, これまで苦難 の過程 の
なかで,諸先輩が耐え忍び,力を蓄えてきた努力の結果であ ります。創立60周年
を迎 えて今,私たちほ この よ うな諸先輩 の血 と汗 のに じむ歴史を 自分 自身の もの
としてしっか り受け とめ ることが重要であ ります。
同時 に, この60年 の歴史を振返 るとき, 当行が これか らもコ ミュニテ ィバンク
42
8
- 第 2部 躍進の時代
として生 きてい くことは,私たち歴史を引継 ぐ者 の責務であ ることを痛感す るの
であ ります。私たちはこれまでの60年 の伝統 の上 に立ち,この基本を守 りなが ら,
新 しい事態 に的確 に対応 して, これをさらに育 ててい くとい う大 きな使命を持 っ
ている と考えます。
その意味で も私たちは,創立 60周年 とい う記念すべ き時期 に向か って推進 して
00年 とい うこれか らの新 しい
きた コスモプランを見事 に完成 させ,次の 50年 ,1
歴史 の出発点を飾 りたい と思います。
私たち一人一人 は,今 こそ当行 の原点,創立 の精神 に立返 り, 60年 の歴史 に限
りない誇 りを持 ち, 当行 に働 くことに大 きな 自信 と喜 びを もって力強 く遇進 して
いきたい と考えます。それが何 にもまして,先人たちの労苦 に報いる道であ り,
また今後 の当行 の一層 の発展を約束す るもので もあ ると確信す るのであ ります」。