馬パラチフスの防疫対応について

馬パラチフスの防疫対応について
北海道日高家畜保健衛生所
羽生 英樹
馬パラチフスは Salmonella enterica subsp. enterica serovar Abortusequi (以下馬
パラチフス菌)の感染によって起こる、流産を主徴とした馬科動物の伝染病である。日本
での発生は北海道に集中しており、1987 年からの 20 年間では全国の発生頭数(268 頭)の
9割以上を北海道での発生が占めている。日高管内では 1988 年以降、発生は認められてい
なかったが、今回 19 年ぶりに2牧場で本病による流産が発生した。この発生事例で得られ
た知見とあわせて、馬パラチフスの病態、防疫対応について報告する。
発生状況
発生は 2007 年 12 月から翌年3
表1 2牧場における発生状況
№
月にかけて、2牧場の農用馬2頭、 1
軽種馬6頭に認められた(表1)
。
初発のA牧場は軽種馬生産と
農用馬生産の複合経営で、B牧場
は軽種馬生産専業牧場であった。
2
3
4
5
6
7
8
発生年月日
07/12/25
07/12/25
08/01/20
08/01/21
08/01/29
08/02/01
08/02/07
08/03/04
牧場
A
A
B
A
B
B
B
B
品種
農用馬
農用馬
軽種馬
軽種馬
軽種馬
軽種馬
軽種馬
軽種馬
生年月日
05/03/23
00/04/27
00/03/06
97/05/20
01/03/04
98/04/07
04/01/16
01/03/14
生産地
道東
道東
日高
日高
日高
日高
日高
日高
A牧場は道東地方から農用繁殖馬を導入し、その際には当所の指導のもと馬パラチフス
抗体検査を実施し陰性を確認していた。両牧場間の距離は約4km あり、馬の移動等の疫学
的な関連は認められなかった。
流産馬の臨床症状
馬パラチフスによる流産は妊娠後期に多く、前駆症状(流産1∼2日前の発熱、乳房の
軽度腫脹、膿様の膣分泌物排出等)を示すことは少ないとされている。今回の事例でも発
熱が8頭中1頭に認められたのみであった。また、1頭は難産(胎齢:275 日)となり、切
胎により胎子を娩出していた。
流産時の試験管凝集反応法による凝集抗体価(640 倍未満:陰性、640 倍:疑陽性、1,280
倍以上:陽性)は、80∼5,120 倍(幾何平均 493.5)と個体によりばらつきがあり、640 倍
以上の抗体価を保有していたのは4頭であった。
流産胎子の検査成績
流産時の胎齢は平均 270 日齢(252∼324 日齢)と妊娠後期に集中しており、流産胎子は
胎膜に覆われたまま娩出された例が多く認められた。外貌に著変はなく、解剖所見は血様
の胸・腹水の貯留、心臓・肺の点状出血、臓器の融解等、一般的な細菌性流産と同様であ
った。
細菌分離培養では、全症例で五大臓器および胃内容物から馬パラチフス菌が純粋に分離
された。1症例において各検査材料から分離される菌量について検討したところ、胃内容
物(1.3×1010 cfu/ml)
、肺(7.1×109 cfu/g)
、肝臓(2.9×109 cfu/g)からの分離量が多
い結果となった。
分離菌株の性状
分離した馬パラチフス菌について一濃度ディスク法による薬剤感受性試験(15 薬剤)を
実施したところ、一部の株でストレプトマイシンに耐性を示したが、他の薬剤(アンピシ
リン、カナマイシン、ゲンタマイシン、テトラサイクリン、セファゾリン、セフチオフル
ナトリウム、クロラムフェニコール、ナリジクス酸、エンロフロキサシン、オルビフロキ
サシン、ビコザマイシン、スルファメチゾール、ST合剤、SO合剤)に感受性を示し、
過去の報告とほぼ同様の傾向を示した。
分離された 11 株(流産胎子由来6株、流
産馬由来2株、環境由来3株)について制限
酵素 XbaI、BlnI を用いたパルスフィールド
ゲル電気泳動(PFGE)による分子疫学的
解析を実施した(図1)。全株が同じPFG
Eパターンを示し、既報の国内で分離された
馬パラチフス菌のPFGEパターンと極め
て類似していた。この報告では北海道(1987
1∼11:当所分離株
∼89、95、96 年)
、熊本県(1985 年)、宮崎
M:Lambda DNA Ladders
県(1998 年)での分離株が供試されている
図1
12: S.Abortusequi NCTC5727
PFGEパターン
が、熊本県、宮崎県の分離株は北海道からの
移入馬から分離された株であった。
これらのことから、国内で分離される馬パラチフス菌は、北海道の馬パラチフス発生地
域において流産の流行と若齢感染馬での保菌を繰り返し、ほぼ同一の遺伝子を持つ菌株が
長期間にわたり保持されているものと考えた。
発生牧場での防疫対応
発生牧場では馬の移動を自粛するとともに、飼養馬全頭の抗体検査を約2週間の間隔で
実施し、感染馬の把握に努めた。抗体価の上昇が認められた妊娠馬には抗菌性物質の投与
を実施したが、A牧場では軽種馬1頭が、B牧場では妊娠馬 15 頭中2頭が流産した。なお、
沢沿いに軽種馬牧場が密集して存在する日高地方特有の地理的条件から、他牧場への本病
の伝播を防ぐため、発生当初は両牧場ともに本病と診断された流産馬を直ちにとう汰した。
A牧場1頭、B牧場3頭の軽種馬のとう汰が行われ、これには社団法人全国家畜畜産物衛
生指導協会の実施する「馬パラチフス清浄化対策推進事業」が利用された。
厩舎内の消毒を徹底し、環境の細菌検査により菌分離陰性を確認した。特にB牧場では
流産馬馬房の壁のほか、飼料桶、馬栓棒、ほうき等からも馬パラチフス菌が分離され、す
べての採材箇所で菌分離陰性となるまで最終発生から約3週間を要した。また、交配のた
めの移動の際には抗体検査および細菌検査(分離培養、PCR)で陰性を確認してから移
動させるよう指導した。
流産馬の治療プログラム
本症により流産した軽種馬2頭に対し、表2のプログラムに基づき治療を行った。静脈
内投与にはエンロフロキサシンまたはセファゾリン、子宮内投与にはゲンタマイシンまた
はエンロフロキサシンを用いた。また、オキシトシンを投与し子宮収縮を促した。更に、
悪露による汚染の可能性が高い臀部を中心に馬体消毒を実施した。効果判定は抗菌性物質
の最終投与から4日以上の間隔を空け、膣・陰核スワブ、内股部の体表スワブを採取し、
2回の菌分離陰性で治癒と判断した。今回治療した2頭はともに1クールでは菌分離陰性
とならなかったため、2クール目の投薬を実施し、治癒までに約4週間を要した。
表2 流産馬の治療プログラム
項目
流産日 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 9日目 10日目 11日目 12日目 13日目
抗菌性物質
子宮内
静脈内投与
投与
注入
オキシトシン投与
○
馬体消毒
全身
臀部
効果判定
隔離等
臀部
1回目
2回目 1回目
採材
採材
判定
馬の状況を見て、パドック内で引き運動
(午前・午後、運動後パドックを消毒)
馬房内隔離
2回目
判定
解放
発生時の消毒方法の検討
馬パラチフスによる流産時の消毒方法について検討するため、馬パラチフス菌を懸濁し
た馬の羊水に4種の市販消毒薬を一般的な使用濃度となるよう添加し、その消毒効果につ
いて試験を行った。
25℃の条件下ではすべての消毒薬で消毒効果が認められた(図2)。クレンテは最も短時
間で消毒効果が得られ、低温(4℃)、低濃度(3,000 倍)で行った試験においても十分な
消毒効果が得られたこと
産馬の羊水により汚染さ
れた馬房やパドック等の
消毒に使用するよう指導
した。
生菌数(cfu/ml)
から、発生牧場に対して流
1012
1.E+12
パコマ (500倍)
ビルコンS(500倍)
クレンテ(1,000倍)
消石灰 (100倍)
羊水(対照)
1.E+10
1010
1.E+08
108
1.E+06
106
1.E+04
104
1.E+02
102
1.E+00
1
0
反応時間(分)
図2
羊水中の馬パラチフス菌に対する消毒薬の効果
早期診断の可能性
流産馬の抗体価は、流産前の上昇は認
No.1
No.2
No.3
No.4
No.5
No.6
No.7
No.8
5,120
められたが、640 倍以上となった個体はわ
2,560
間の間に 1,280 倍以上の高い抗体価を示
す個体を多く認めた。
今回の事例では抗体価の上昇が認めら
れた同居馬に対し抗菌性物質の投与を実
施しているため、その影響も考えられる
抗体価(倍)
1,280
ずかであった(図3)
。流産直後から3週
640
320
160
80
40
20
<20
-50 -40 -30 -20 -10
0
10
20
30
40
50
流産からの経過日数(日)
図3
流産馬(8頭)の抗体価の変動
60
が、一旦 320 倍にまで上昇した抗体価が、80 倍まで低下した後に流産した個体もあり、抗
体価およびその変動から流産の発生を予見することは非常に困難であると思われた。
また、保菌馬の摘発方法検討のため、抗菌性物質の投与後も高い抗体価を示し続けた農
用馬5頭(繁殖2頭、当歳3頭)について、当所およびJRA競走馬総合研究所栃木支所
において生前検査後に病理解剖を行い、細菌検査等を実施した。長期保菌部位とされてい
る胸骨骨髄を含め、糞便、血液、主要臓器等を細菌培養検査およびPCR検査に供したが、
いずれの検体からも馬パラチフス菌は分離されなかった。
まとめ
今回我々は農用馬および軽種馬での馬パラチフスによる流産を経験した。軽種馬の事例
では、抗体が陽転する前に流産する例が多く、流産胎子は胎膜に覆われたまま娩出される
等の特徴があった。また、流産した軽種馬2頭について抗菌性物質による治療を行った結
果、排菌を阻止するまで約4週間を要した。また、悪露により臀部体表が汚染され、長期
にわたり馬パラチフス菌が分離されたことから、治療プログラムに体表の消毒を加えるこ
とが重要であると考えられた。
分離菌株についてPFGEによる分子疫学的解析を実施したところ、すべての株が同一
のPFGEパターンを示し、過去の北海道での分離菌株とパターンが一致したことから、
今回の発生は馬パラチフス発生地域から導入された保菌馬が引き金となった可能性が考え
られた。一方で発生地域との疫学的な関連が認められない牧場もあり、馬、人の移動、野
生動物の関与も否定できない。
本病の侵入防止には発生牧場・地域からの馬の導入の自粛が重要であると考えられるが、
やむを得ず導入する際および、清浄化対策実施時に重要となる保菌馬の生前診断方法を確
立するため、高抗体価持続馬の病理解剖等を行ったが、新たな知見は得られなかった。
発生した2牧場では流産馬等の自主とう汰により多大の被害を受けたが、移動の自粛、
効果的な抗菌性物質の使用、環境の徹底的な消毒等の防疫対策により、2008 年3月4日の
最終発生以降、継続発生はなく、他の牧場への伝播も認められていない。これら防疫対策
の徹底により、発生牧場で新たな保菌馬が発生する可能性は低いと思われるが、次の繁殖
シーズン前に抗体検査を実施する等の対策をとっていく必要がある。
馬パラチフスによる流産が発生した場合、流産胎子、羊水等を介して環境中に多量の菌
が排出され、同居馬への感染が急速に拡大することが再確認された。流産による被害の拡
大、また、新たに保菌馬が発生することによる地域への常在化を防ぐためには、これまで
発生のない牧場についても、流産発生時には伝染病が否定されるまで流産馬を隔離し、流
産胎子、胎盤等を適正に処理し、速やかに流産場所の消毒を実施することが重要であると
考えた。