北海道南西沖地震 - 消防防災博物館

2.2 北海道南西沖地震
(1)災害の概要
1993 年(平成 5 年)7 月 12 日午後 10 時 17 分、北海道南西沖で発生したマグニチュー
ド 7.8 の巨大地震は、奥尻島を中心とした渡島半島西岸の地域に大きな被害をもたらし
た。地震直後、大津波が襲来し、沿岸の多くの住民が逃げる間もなく町を飲み込んだ。さ
らに、奥尻島青苗地区では火災が発生し多くの犠牲者を出した。北海道本土、青森そし
て奥尻島の死亡・行方不明者は 230 名となる大惨事となった。
北海道南西沖地震の被害状況は表 2.2.1 のとおりである。
表 2.2.1 北海道南西沖地震の被害状況
(2)ボランティア活動及び行政機関の対応の概要
北海道南西沖地震時に活躍した主な団体のボランティア活動の実態及び行政機関の
対応を以下に示す。
※出典:・「平成五年北海道南西沖地震救護・救援活動記録集」、日本赤十字社北海道支
部、平成 6 年 3 月 30 日発行
・「大規模災害における民間団体等の協力のあり方に関する調査研究報告書」、
財団法人消防科学総合センター、平成 6 年 3 月
・「防災ボランティアに関する調査研究報告書」、社団法人日本損害保険協会・株
式会社まちづくり計画研究所、1994 年 3 月
ア 日本赤十字社の活動
1)日本赤十字社の初動体制
a.本社の体制
日本赤十字社(以下「日赤」という。)本社(東京)では、地震後の午後 11 時 05
分に救護課職員 3 名が情報収集を開始し、救護班の出動等初動活動について指
示を行った。その後、14 日には職員 2 人を奥尻町へ派遣し、日赤北海道支部が
設置した檜山支庁赤十字災害対策本部(江差町)及び奥尻町の日赤現地対策本
部と連携し、現地における救護活動の立ち上がりを支援するなど積極的な対応を
図った。
b.日赤北海道支部
日赤北海道支部(札幌市)では、地震当日職員 7 人が非常召集し、道内管下施
設及び被災地の被害情報の収集に当たるとともに、道内赤十字病院(旭川、函館、
釧路、伊達)に対し緊急患者受入れ体制要請、救護班待機命令等を出し、さらに
救護物資(毛布、日用品セット等)の緊急輸送の手配に努めた。被害情報の収集
にあたっては、北海道本庁に職員を派遣したり、支部無線室で札幌市無線赤十
字奉仕団がアマチュア無線の交信を行った(こうした取組みにも関わらず、当初
被害情報の把握は困難を極めたという)。
13 日には、職員を自衛隊のヘリコプターにより奥尻町に派遣し本格的な救護活
動を開始した。その後、奥尻町には青苗地区に日赤現地対策本部(常時 5−6 人
駐在)を、北海道檜山支庁(江差町)には檜山支庁赤十字災害対策本部を設置し
て、これらを基点に道内各赤十字病院、血液センター、社会福祉施設、道外日赤
職員の応援を受け各種救護活動を展開していった。日赤北海道支部、檜山支庁
赤十字災害対策本部、日赤現地対策本部での主な活動は以下のとおりである。
○日赤支部:被害情報収集
各防災機関との連絡調整
救護班の派遣調整
赤十字救援物資及び民間団体からの救援物資調整
各赤十字奉仕団への協力要請
義援金募集、配分
義援金に係る受領書(礼状)の発行
受領書(礼状)の発行に係る協力ボランティアとの連絡調整
その他災害救護業務
○檜山支庁赤十字災害対策本部:檜山支庁災害対策本部との連絡調整
日赤北海道支部との連絡調整
檜山管内の被害状況把握
檜山管内各奉仕団への協力要請
人員や物資輸送の連絡調整
(民間協力ヘリコプターの運行調整等)
その他災害救護業務
○日赤現地対策本部:医療救護活動
日赤北海道支部、檜山支庁赤十字災害対策本部との連絡調整
町災害対策本部との連絡調整
人員や物資の受入れ
被災者に対する救援物資の配付、仕分け作業
仮設住宅入居者に対する電化製品(3 点セット)の搬入
急病人の緊急搬送
地域住民に対しての聞き取り調査
その他救援活動
2)防災ボランティアの活動
この災害で、多くの防災ボランティア(赤十字奉仕団、民間企業、一般ボランティ
ア)が初期から自発的に日赤北海道支部の指揮下に入り、機動力を生かした救援
活動を長期間にわたり展開した。
防災ボランティアの主な活動は、炊き出し、救助物資の輸送・配布、救援物資の仕
分け・配布、避難所でのお世話、島内の被害状況調査、救護要員の輸送、その他
災害救護業務、義援金の受付・整理等であった。
a.地域奉仕団の活動
・炊き出し
江差町において、平成 5 年 7 月に結成されたばかりの江差町赤十字奉仕団が、
奥尻町から避難してきた被災者に対して炊き出しを行ったのをはじめ、避難生活
が続いた奥尻町の被災者に温かい食事をとってもらおうと日赤に無償供与のあっ
たヘリコプターを利用して炊き出しした豚汁等を空輸し被災者に届けた。
函館市赤十字奉仕団も食料不足の奥尻町に対して、7 月 15 日早朝から函館大
手町会館で炊き出しを行い、約 1 時間ほどでおにぎり 1,500 パックを作り、函館の
業者から提供のあった「かまぼこ」1,800 枚と合わせて奥尻町に緊急空輸し被災
者に配布した。
また、厚沢部町、釧路市の各赤十字奉仕団も奥尻町に入り、日赤現地対策本
部のある青苗中学校において炊き出しを実施した。地元の婦人たちは疲労が重
なっており、赤十字奉仕団の炊き出し応援は大きな手助けになった。
・救援物資の仕分け
江差町等南部檜山 4 町で赤十字奉仕団と地元婦人会などが、江差、上ノ国、厚
沢部、乙部の 4 町の体育館や倉庫等に保管してある救援物資の仕分け作業にあ
たった。各町には全国から寄せられた義援品が約 6 万個あり、8 割ほどが古着等
の衣料で、他に食料品や学用品、食器等があった。仕分け作業は、開封して分類
し梱包し直すほか、腐ってしまった食料やいたみや汚れの激しい衣料を除くという
手間のかかるものであった。
知内町赤十字奉仕団と知内町無線赤十字奉仕団は、町内から集めた救援物資
をフェリーで奥尻町へ運び、仮設住宅の被災者に配布した。この救援物資は町内
に呼びかけ、衣服や台所用品等新品のものを段ボール箱に入れ、衣服について
は年齢やサイズ別に梱包し、被災者の方に選んでもらう工夫をしたものであり、
現地では、奉仕団員と町職員で仮設住宅に入居した被災者に配布した。
b.特殊奉仕団の活動
日赤北海道支部の現地での救援活動では道南地方を中心に多くの特殊奉仕
団が多彩な救援活動を長期間にわたり展開した。
函館地区の特殊奉仕団(スキーパトロール・無線・救急法・水上安全法)は、相
互連絡、調整を図り、奥尻町への計画的派遣に努め、長期間にわたる現地での
ボランティア活動が確保された。その他、現地に集結した知内町無線赤十字奉仕
団、札幌市の無線・水上安全法・青年各赤十字奉仕団及び苫小牧市、長万部無
線奉仕団も、奥尻町において日赤現地対策本部の指揮の下で島内の被害状況
調査、救援物資の輸送・配布作業、救援物資の仕分けと配布作業、仮設風呂の
設置と点検修理、仮設住宅入居者の引っ越しの手伝い、被災者に対する聞き取
り調査、炊き出し作業班への応援等を行った。
また、北海道飛行赤十字奉仕団は、道内の本社飛行隊と連携して、救援班の
輸送等にあたり、救護班移動の迅速化を図るほか、空からの被害状況をいち早く
支部災対本部へ提供した。
札幌市無線赤十字奉仕団は、災害発生から被害状況収集のため支部無線室
において被害状況収集にあたる一方、夜間における連絡要員として協力した。
さらに、札幌市水上安全法赤十字奉仕団は、札幌からの救助物資の積み込み
作業や夜間の連絡要員として活動した。
イ 立正佼成会等宗教団体の活動
北海道南西沖地震災害において、立正佼成会をはじめとしたいくつかの宗教団体が
ボランティア活動を行った。
立正佼成会は、地震発生数日後、函館にある函館教会と北海道内の他の 8 教会が
支援活動を開始した。函館教会では、会員に対しボランティア活動を呼びかけ、「救援
ボランティア隊」(隊長:函館教会長)を結成した。7 月 16 日、江差町に 100 万円を寄付
し、その翌日の 7 月 17 日には奥尻町へ 1,000 万円、渡島半島側の 4 町村へ各 100 万
円を寄付するとともに、檜山支庁へ 700 万円(米 10 トン分)の追加支援を決定した。7
月 21 日には、檜山支庁より救援物資の搬入作業依頼を受け、翌日の 7 月 22 日に 50
人体制で江差町の体育館等、周辺 8 カ所で救援物資運搬を開始した。
地震発生から 11 日過ぎた 7 月 23 日に、「救援ボランティア隊」の 20 人が、テント、ト
ラック、食糧とともに奥尻島に入り、檜山支庁長の指示で高台の「うにまる公園」に野
営テントを設営した。しかし、ボランティア隊が到着したものの、町役場からは以前に起
きた他の宗教団体とのトラブルにより「宗教団体の協力は控えてほしい」と言われた。
救援ボランティア隊長の函館教会長は、奥尻町の信頼を得るために「必要になった時
だけで結構ですから、声をかけて下さい」と役場の依頼を待つ姿勢をとった。
7 月 26 日に役場から作業依頼の一報が入り、島内での救援ボランティア隊の活動が
始まった。その後、救援物資の仕分・運搬を中心に被災者への精神相談や火葬場で
の作業等を手伝った。8 月上旬には、台風対策として野営キャンプ地にプレハブ 2 棟、
仮設トイレ 2 基が設置され、札幌北教会や帯広教会からのボランティアが合流した。8
月 13 日に奥尻町から、台風上陸の対策として町の児童館を救援ボランティア隊の拠
点として解放したいとの申し入れがあり、8 月 21 日に児童館へ移動し、長いテント生活
が終わった。この段階で、1 日 100 人を越える救援ボランティア隊の規模になった。
9 月に入ると、救援ボランティア隊の撤退に関する議論が始まった。撤退に関しては
次の 2 点が主な判断要素となった。1.被災者の自立への期待と、島民に笑顔が戻り、
作業はまだあったがボランティアとしての任務は終わったと感じたこと、2.2 ケ月にわ
たる島内活動の結果、全国からのボランティアは毎日のように入れ替わっていたが事
務局の人々や隊長等、立正佼成会の職員らは 2 カ月間ほとんど休まずに活動を行っ
たため、かなりの疲労が目立ち始めたことが撤収の決め手となった。
奥尻町での救援ボランティア隊には、北海道 9 教会をはじあ東京、埼玉等の教会か
ら延べ 3,100 人余りが参加し、北海道本土の檜山支庁(江差町)での救援物資の仕分
作業に延べ 1,300 人余りが参加したのを合わせると、奥尻側・檜山支庁の両方で延べ
4,400 人余りがボランティア活動に従事した。
立正佼成会以外の他の宗教団体の活動人数は明らかでないが、天理教は延べ約
1,000 人程度が奥尻島で活動したようである。
こうした宗教団体の活動は、テントや食料等を自らが用意するなど、島民に迷惑をか
けない自立した形でなされたものだった。立正佼成会のボランティア隊長は、町に対し
て「静かに来て、静かに去っていきたい」と希望した。こうした宗教団体のボランティア
活動に対する島民の評価は高いものがあった。
また、立正佼成会や天理教が離島後、両団体に対し町から再度派遣要請を行い、
大々的な活動は行わなかったが再来したボランティアは残骸整理等の活動を行った。
ウ ジャパン・エマージェンシー・チームの活動
学生や会社員で構成されるボランティアグループであり、電気配線、土木作業、食事
の準備、物資の仕分・運搬等の活動を行った。
登録されていた 400 人のメンバーから 20 人が参加した。
ジャパン・エマージェンシー・チーム(本部:東京)は、アガペハウスの下部組織であり、
雲仙普賢岳災害やノースリッジ地震でもボランティアを派遣している。
エ 地元ボランテイアの活動
数はつかみ切れていないが、被災者以外の多くの町民が避難場所での炊き出しや
片付けを行った。
奥尻町社会福祉協議会が地元ボランティアの窓口になり、オペレーションを行ってい
る。
島外からのボランティアや復旧事業の人々に対する昼食支給も地元ボランティアの
仕事であり、10 月末ごろまで活動していた。
オ 行政の対応
1)北海道本庁の対応
北海道本庁へのボランティアの申し出の電話は、一旦災害対策本部(防災消防
課)に回され、そこから特定の業務の申し出については各担当部局へ、労力奉仕等
の一般的な申し出は生活福祉部総務課企画係(以下、「生活福祉部」という)につな
がれた。
地震後、生活福祉部へは個人や団体からボランティアの申し出が相当あったが、
現地のニーズがつかめなかったため、檜山支庁又は奥尻町へ直接連絡するように
伝えたという。特に、個人からの申し出については、体制が十分整っていないことか
ら受け入れは困難であることを話しておいたという。
上記のように、生活福祉部で直接民間団体を受け入れたことはなかったが、同部
では、檜山支庁、奥尻町を通じて表 2.2.2 のとおり奥尻町及び江差町で活動したボ
ランティアの状況を把握している。いずれも、地震後大量に到着した救援物資関連
の業務に携わったようである。
表 2.2.2 北海道本庁が把握しているボランティア活動
2)檜山支庁の対応
江差町にある檜山支庁では、民間団体を含め一般のボランティアの受付を社会福
祉課が担当した。ただ、事前に窓口、受諾の判断基準等が決められていなかったた
め、災害発生当初は、協力申し出の電話が電話交換手の判断で、振興課等他の部
局に回されることもあったという。数等は確認できないが、申し出は多数あり、特に
個人ボランティアからの問い合わせが殺到し困惑したという。また、救援物資の申
込も多かった。
民間団体からの申し出を受付けた社会福祉課では、申し出を受入れるかどうかを
夜の打合せで検討し、その結果を申し出のあった民間団体に連絡した。そして、作
業内容やスケジュールについて了解が得られれば、それに沿って活動してもらった。
独自に食事、宿泊施設、移動手段、作業に必要な物資や車両を確保することが困
難な民間団体もあり、申し出はあったものの受入れができないケースが相当あった
ということである。了解を得られた団体には、主として救援物資の搬入・搬出・仕分
に当たってもらった。
結果的に北海道檜山支庁で受入れ、活動した民間団体は、表 2.2.3 のとおりで
ある。これらの団体は指示命令系統も明確で、また、特に運送業者の場合物資の
取扱等の経験が豊富で、そのノウハウを生かしてスムーズな対応ができたというこ
とである。
なお、奥尻町との間で奥尻町内で活動する民間団体の受入れについて調整したこ
とはなかったということであった。
表 2.2.3 檜山支庁が協力を受けた民間団体の状況
3)奥尻町の対応
奥尻町役場へは、地震の翌日の 13 日からボランティア活動に関する問い合わせ
が入り始めた。しかし、食事、宿泊等の支援を役場で行うことは不可能な状況であり、
また役場では行方不明者の捜索等でボランティア活動を指揮する余力もなく、さら
には報道関係者等で庁舎内部も大混乱しており、個人も民間団体も全て断らざるを
得なかった。(日赤関係団体は、独自に活動する能力があるため例外)
しかし、フェリー航路が復旧すると、独自に島へ入りボランティア活動を行う個人や
団体がみられるようになった。その中には、役場にやってきて申し出を行ったところ
もあったが、前述のような状況から断らざるをえない状況だった。その際、申し出者
が断られたのは初めてと憤慨する者もあったという。
天理教や立正佼成会といった宗教団体も来島したが、食事、宿泊等を自前で確保
できたため、救援物資の仕分等に協力してもらった。テントを持参していたが、危険
地域にテントを張らないよう場所を指定した。こうした自活能力のある民間団体の協
力は非常に頼りになったということだった。
また、ボランティア団体と称してやってきて、治安を乱すような行動をとったところも
あったという。事前の連絡もなく島へ入り、役場へ宿泊場所の確保を求めた団体に
対し、宿泊所として公民館を世話すると、そこの備品がいつの間にか紛失してしまっ
たり、青苗地区の火災・津波災害現場での瓦礫除去と称して、金銭等を探っていた
者もあったらしいということだった。