「建青」ポスターの発見について 西 村 豪 (『むくげ通信』267 号、2014.11

「建青」ポスターの発見について
(神戸市立博物館での展示)
西 村 豪
(『むくげ通信』267 号、2014.11.30)
(神戸コリア教育文化センターでの集会 2014.10.4)
元町高架下に 1947 年の建青ポスターが発見されたことは、
『むくげ通信』261 号(2013.11.23)に報告しまし
た。このポスターは、JR によって剥離、修復が行われ、神戸市立博物館に寄贈されました。9 月 18 日から 10 月 5
日まで同館において特別展示され、現在は倉庫に保管されています。JR によって精巧なレプリカが二枚つくられ、金
信鏞さん(神戸コリア教育文化センター理事長)と飛田に寄贈されました。文化センターには常設され、飛田のもの
は在日韓人歴史資料館(東京)に委託されています。
10 月 4 日には、文化センターで「元町高架下『建青』ポスターの頃」をテーマに集会が開かれました。宇野田尚
哉さんの講演「1947、8 年の朝鮮半島情勢と建青ポスター」とともにポスターの第一発見者である西村豪さん( 尼
崎市立地域研究史料館 )のお話がありました。その内容を西村さん自身に原稿化していただきました。(飛田)
(発見時のポスター)
街歩きの魅力
尼崎市立地域研究史料館の西村です。尼崎の史料館
という、紙の史料を扱う記録史料の公開施設に勤めて
います。私は昔から紙に印刷されたものに、なぜか心
ひかれるものがあって、個人的に本やパンフレット、
写真などを利用してきましたが、現在はそれを提供す
る側の仕事をしています。
(修復後のポスター)
私は 6 歳から神戸の魚崎に住んでおり、中学生の頃
から都市と建築ということに関心をもって調べてき
ました。
都市はそれが生きている限り、蓄積されるものがあ
りつつも、破壊と更新を繰り返していくものです。
中学生の時はバブル経済のまっただ中で、古い建物
があちこちで解体されており、神戸の京橋にあった旧
神戸商工会議所の解体に際して論争が起きていまし
た。私は変わりゆく街並みを記録にとどめようとカメ
られませんでした。しかし目を凝らしてじっくりと見
ラを持って神戸市内を歩き回りました。この時期にも
ていると、紙の劣化具合やデザイン、色づかいから、
多くの建築が失われましたが、それでも神戸にはたく
相当古いものではないかと考えられたのと、場所が日
さんの魅力的な建築が残っていました。しかしそれも、
射と風雨から守られた空間であること、戦後すぐに存
阪神・淡路大震災でその多くが姿を消すこととなりま
在していた新開地の関西劇場という会場名から当時
した。
のポスターに間違いないと確信しました。
震災が起きたことで、街で得られる古い時代の新発
1947 年に貼られたポスターが高架下の壁の中で 66
見はもうほとんどないだろうと思っていましたが、そ
年間もそのまま残っていたことへの驚きと、大変なも
うではありませんでした。今回発見があった鉄道の高
のを見付けてしまったという気持ちで頭の中がいっ
架橋、道路や橋などの土木構造物は改修を重ねて使い
ぱいになりましたが、このポスターを価値のわかる人
続けられているものがまだまだあります。それらは表
に知ってもらうことと、現地保存は難しいとしても、
層を現代風に繕っていても、何かの拍子に古い時代の
剥離してどこかの施設に収めるための道筋をつける
層が現れてくることがあります。そんな街中に時々現
のが発見した私の責務だと感じました。
れる時代の“裂け目”を注意深く見ていると、今回の
ような発見につながるのです。
すぐに飛田さんに連絡し、その後は飛田さんたちの
ご尽力によって、このようないい形で決着を見ること
発見の経緯
ができました。関係者各位に感謝するとともに、発見
高架下の雰囲気が好きなので、元町から三宮まで歩
者としてそのきっかけを作れたことにたいへん満足
く時などよく高架下を利用します。所用で元町にいた
しています。これからもますますパトロールしなけれ
私は、去年の 10 月 15 日も三宮に戻るためモトコーを
ばと考えている今日この頃です。
歩いていました。モトコーには自分なりのいくつかの
質疑応答から
チェックポイントがあり、
「ここは変化ないな」とか、
こうしてポスターの保存が叶ったわけですが、こう
勝手にパトロールしながら確認しているのですが、よ
いった話はスピードが大事で、発見からうまく連携が
く通っていると以前と変わった部分があればすぐに
とれ、速やかな行動につながったことが成功のカギだ
気が付くもので、その日もモトコー出口の手前まで来
ったと思います。移り変わりの激しい商業スペースで
た時工事用のフェンスで仕切られた区画にすぐに気
すから、そのまま気付かれず放置され、次の店舗の工
付きました。
事が始まれば一瞬で失われていたでしょう。
高架下の店舗というのは、高架橋の構造主体は鉄筋
このポスターは 66 年も経っていることから、その
コンクリート造ですが、内部の造作は木造であること
価値を見出した人たちが行動を起こして保存にいた
が多いものなのです。フェンスの隙間から中を覗いて
ったわけですが、チラシやビラといった商業や広告の
みますと、そうした造作は完全に撤去されていて、コ
史料は基本的に“残らない史料”です。今、駅前で配
ンクリートの柱に囲まれた空間が広がっているだけ
られているイベントや飲食店のビラを誰も保存しよ
でした。しかしコンクリートの表面に残されたボルト
うとは考えないでしょう。しかし今、無価値と思われ
や釘のあと、漆喰塗りのあとを見れば、階段や壁がど
るものでも数十年後には何らかの意味を持っている
こにあったのか、といったかつての内部構造を推測で
かも知れません。現代の我々にはその判断がつかない
きるものです。いつもそうした検証をしていますので、
わけですから、とりあえず残して次の世代につなぐと
さらに細かく見ようとして覗き込んだところ、手前の
いうことは意味のあることではないでしょうか。
柱に張り重ねられたポスターに目がいきました。
一九四七年という文字が見えましたが、戦後すぐの
ポスターがそのまま残っているとはにわかには信じ
非科学的な考え方ですが、ものに魂があると考える
なら、このポスターは時代を超えて残ろうとする生命
力があり、運が良かったといえるでしょう。