020318 40年体制からの脱却と小泉改革の行方

経団連クラブ例会(H14.3.18.)講演聴講メモ
文責:永井
1940 年体制からの脱却と小泉改革のゆくえ
講師: 野口悠紀雄(のぐちゆきお)氏: 青山学院大学大学院教授
(1940 年東京都生れ。東京大学工学部卒。64 年大蔵省入省。
72 年エール大学経済学博士。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現職)
「1940 年体制」という言葉は、私の造語です。
本日は、(1)この「体制」が出来た原因、(2)この「体制」が日本の構造改革の邪魔
をしている、(3)構造改革の実現にはどうしたら良いか、の三点について「小泉内閣の評
価」も含めてお話をしたい。
私は、今まで講義で緊張したことはないが、今日だけは緊張している。
それは、経団連が 1940 年体制の申し子であることに起因している。但し、私個人は 1940
年体制の人間であり、センチメントとしては 1940 年体制は良いものと考えている。
(そして)今日の話は、
「客観的に観てその考えを変えるべき」というのが結論である。
(皆さんは経営者であり経団連の方々であるので)
、感情的にならないで私の話を聞いて欲
しい。
今の日本にはいろいろな問題がある。では、その原因は一体どこにあるのだろうか?
(私は)、
「日本経済が条件の変化に対応していない」ことが基本的な問題と考えている。
「条件の変化」としては,次の2点が重要である。
(1) アジア諸国、とくに中国の工業化
皆様は、(このことに)仕事を通じて毎日対面していると思う。
アジアの工業化は、外資の導入によるもので、日本が主導してきた歴史がある。日本だけ
ではないが、工場をアジアの国へ移してきた。
(だからアジア諸国の)彼等がやっているこ
とは、日本がやっていることと基本的には同じである。同じ技術で、同じ生産活動。違う
のは、アジア諸国の土地と賃金が安いことである。
我々日本が世界を追い抜いてきたのは、製造業の輸出産業に負うところが大きい。
それを、アジア諸国、とくに中国が同じことを始めたことが重要な意味をもっている。
最近までは、我々の生活にそれほどの影響はなかった。日本製品との競争にはならなかっ
たが、中国製品の品質がここ数年急激に良くなってきた。中国には、日本の 10 倍の労働力
1
があるので、同じことをやっていては(日本は)競争に勝てない。日本にとって厄介なこ
とになってきた。過去、毛沢東が鎖国をしていたことにむしろ感謝すべきである。
では、対応策は如何? 我々が、中国と違う生産関数を持ち、中国と競合しなければ(日
本は生き残れない)。しかし、それをやれるであろうか? 「日本の中核産業を変えないと
いけない」ことを意味する。それは、(日本で)成功したものが機能しなくなり、それを変
えることであるから難しい問題である。
(2) IT の登場
もう一つは IT である。IT はここ数年言われ過ぎたので、バブルのように見られているが
違う。IT は単純にコンピュータを使うことではない。それは、めちゃくちゃに安くなった
ことから違ってきた。従来は、コンピュータは数億円もし中小企業では使えなかった。大
企業と中小企業とでは差が大であったが、1980 年代から変革が起こった。
「パソコンとインターネットの組合せ。安くて誰にも使える情報通信技術、即ち IT の登
場。」である。パソコンは安くなり、私も 10 台くらいは持っている。零細企業もパソコン
を持てるようになった。(大型コンピュータが無くても)、分散的処理が出来るようになっ
た。しかし、この IT は信頼性の低い技術、でも安く誰でも使えるという特徴がある。
情報処理に限らず、軍事面でも IT の活用で変化が出ているが、時間の関係で今日は省略す
る。
IT の登場により、大企業の有利性が明らかに減退し、情報処理と通信に関しては差が無
くなった。大企業中心の経済体制から、中小企業、個人中心のものになるべき時代が来た。
(歴史をたどると)
、産業革命が起こった時、動力を使った工場での集中、大企業中心の経
済体制に世の中が(それまでの大航海時代から)変わった。大企業は益々大きく、都市に
集中するという変化が起こった。(それが現代まで続いてきたが)、今、逆転し始めた。大
航海時代の再現とも言える。
1990 年代、米国は大企業経済から中小、個人へ主体が移った。大組織(大企業、政府)
中心の集中的経済構造から小組織(中小零細企業、ベンチャー、個人)中心の分散的経済
構造への変化である。
10 年前の株式時価総額のトップは、IBM や AT&T であった。それが、現在のトップは、
マイクロソフト、インテル(パソコンの CPU),シスコ(インターネットのルータ)…
などパソコンとインターネット関連の企業に代わった。現在の株式時価総額のトップ企業
は、生産額ではそれほど大きくなく、決して大企業ではない。しかし、これらの会社は、
中国でも日本でも供給できないことをやっている。つまり、アジアの工業化に対応した国、
それが米国である。1990 年代において、日本経済が停滞している間に米国は伸びた。
経済構造が(日本とは)違う。
2
日本の経済構造はどこが違うのか?
1940 年(昭和 15 年)、第二次世界大戦の準備中に日本の経済構造が大変化した。
その特徴は 4 点ある。
(1) 組織間の労働の流動性の欠如。終身雇用、年功序列で、経営者は会社の内部から昇
進する。1940 年体制の規制が、組織間の自由な取引きを阻害し、このようなことに
なった。
(2) 間接金融、銀行によるコーポレイトガバナンス。間接金融は、資本市場からの直接
金融に対比されるもの。1930 年代の日本は、アングロサクソン型で株式や債券市場
から資金を調達していた。それを日本興業銀行を中心にした間接金融に移行させた。
コーポレイトガバナンスが銀行により行われるようになり、企業の命運を銀行が握
っている。金融を変えない限り、(監査役強化や社外取締役導入などの企業監視を幾
ら唱えても)コーポレイトガバナンスは変わらない。
(3) 経済活動への政府の関与、中央集権的な政府構造
(4) 給与所得の源泉徴収によるサラリーマン層の政治的無関心、事業所得、農業所得へ
の懐柔的徴税による保守化。源泉徴収は、ドイツと並んで世界で最初に導入された。
その他、土地問題も同じで、法律で土地利用が制限されている。
上記の体制は、元々は日本にあったものでなく、1930 年代のアングロサクソン方式を強
制的に変えたものである。(この体制が)、日本の歴史的、文化的構造によっていると言う
人がいるが、経済構造は違う。それは、戦争に備えて導入されたものである。
これは改革し得るもの(と私は考える)。つまり、日本人の特性に基づいているものではな
い(から)。
もう 1 点申し添えたい。戦時体制として導入された社会主義的傾向をもつ構造は、ドイ
ツ(ナチ)やロシアでも同じであった。日本では、それが戦後も残り、高度経済成長に貢
献した。では、何故(日本ではその体制が)残ったのか?
戦後、間接金融を元の直接金融に占領軍は戻そうとした。財閥は解体したが、しかし経
済構造は変えなかった。何故か。それが良く研究されていない。
(もっと、研究をすべきだ。)
ドイツは、戦後変化している。日本だけに特異な体制が残り、それが高度経済成長に大き
な役割を果した。
オイルショックの時も、日本はうまく対応したと(海外から)言われている。
1940 年体制がそれを可能にした(と私は考える)。経営者と労働者が運命共同体(同じ船)
であると考えていたので、対応が出来た。米国や欧州では、物価上昇で経済が苦境に陥っ
たが、労働者は経営者に対し大幅な賃金上昇を要求した。
3
1940 年体制は戦時体制であるから、敵が来た時(オイルショックでピンチになった時)に
何をやれば良いかがはっきり分かるから、皆でそれに対応が出来る。高度経済成長も目的
が明確であったから、この体制が良い方向に寄与した。
1980 年代の初めまでは、1940 年体制は優れた結果をもたらした。そして、1980 年代に
は、日本のやり方、日本の仕組みが優れていると世界の各国が評価した。世界に冠たる経
済組織を持っていると日本は(自分自身を)考えた。この頃、IT の考え方が出始めていた
が、日本は(自分が)一番と考え、バブルへ突入して行った。大きな組織の中で、メンバ
ーは家族のように機能する。(この日本の仕組みは)、社会主義とも言えず、日本独自の仕
組みである。
今、IT が市場を変えている。B to B、部品をマーケットから調達している。
通信コストが安いからではない。オープンな取引きになるため、安く買えるようになる。
果たして、昔からの商売慣習がある日本でこれが出来るであろうか。1940 年体制を壊せる
か。取引き慣行を壊せるか。ここに日本の経済体制の問題がある。経済構造を変えられる
か?
小泉改革の評価。金融緩和は古い仕組みを温存するためのものである。金融緩和をして
いる限り改革はやれない。金融緩和を止めるかどうかが小泉改革の原点になるべきで、(小
泉内閣は)それをやれていない。リアル(実物的)な問題には、リアルな変化でないと対
応できない。つまり、現在の日本が抱える問題は、(金融緩和などの)マネタリーな手段で
は解決できない。問題は、政府の政策ではなく、民間企業の構造改革である。
新しい条件に基づいた新しいビジネスモデルを造るしかない。
条件の変化は、新しいビジネスを始めるチャンスの到来を意味する。例えば、中国の工業
化は、安い労働力を利用できるチャンス。IT の登場は、小組織、地方にとってのチャンス。
現在、日本は未曾有のチャンスに直面している。それを活かせないのは、従来の経済構造
を維持しようとするからだ。
一体、何をやれば良いのか。それは皆様(経営者)が考えるしかない。
(私は)、講演会で「その新しいビジネスチャンスは何か」と聞かれることが多い。
(しかし、それは)
、皆さん一人一人が考えることである。私は、答えを知らない。もし知
っていれば、自分で商売をやる。
個々の企業が、新しい時代に対応する新しい企業に変化する必要がある。そのための必
要条件は、経営者の考えが変わることだ。
4
最後に、ある会社が新しい時代に適応しているかどうかを判断するヒントを述べる。
昔は、本社ビルや受付の印象などで判断したが、今は、HPを見れば一目瞭然である。
特定の企業で比較すると差し障りがあるので、大学の例を話す。
ハーバード大学のHPでは、FAQ(照会頻度の高い質問)に対応している。
「ハーバード
大学はどこにあるか?」という設問に対して、高校生の(照会という)立場に応答する情
報発信をしている。(常識人の大人であれば、有名な)ハーバード大学がどこにあるかなど
は常識レベルの話で質問などしない。
皆様の会社のHPは如何であろうか。会社がどこにあるか、住所、地図、電話番号など
が掲載されているであろうか。これは、一例に過ぎないが。
ハーバード大学型になるためには、経営者(社長)の考えが変わらないと出来ない。
そういう変化こそ、日本経済蘇生の出発点であると言いたい。
Q&Aから
(Q)
オイルショックを 1940 年体制で乗り切ったという話があったが、日本でもインフ
レと 30%の賃上げがあった。農耕民族としての、皆で頑張る日本人の DNA で乗り切った
と思うが如何?
(A) 欧米に対し日本のパーフォーマンスが良く見えたことを話したもの。
日本では、労働組合が過激な賃上げを要求しなかった。農耕民族だからではなく、1940 年
体制のメンタリテイーがそうさせたというのが私の主張である。
(Q)
取引き関係に今までの人間関係を無くすとドライになり過ぎないか。
(A) 1940 年体制は、メンタリテイーには住みやすい世界を提供するが、米国が B to B
をやっているのに(日本が)対抗出来るであろうか。
(Q)規制緩和との関連は?
(A)規制緩和は、ミクロの対策である。マクロの対策は、金融緩和を止めて(金融を)
引き締めることである。(企業倒産などの)痛みは伴う。それが嫌なら、鎖国すれば日本は
生き残れる。しかし、世界的な変化に対応しようと思えば、(機能しなくなった)現体制を
破壊し脱却するしかない。
以上
5