語る者と語られる者 ——『失われた時を求めて』とその日本語訳について

語る者と語られる者
——『失われた時を求めて』とその日本語訳について (3)
中山眞彦
本論考が扱う範囲は、第一篇『スワン家のほうへ』の「コンブレー」である。原書ではプ
レイアード版の第一巻 184 頁まで。取り扱う日本語訳は次に掲げる最新の三点である。
鈴木道彦訳『失われた時を求めて 1』集英社文庫、2006 年 (以下 S と印す)
高遠弘美訳『失われた時を求めて 1』光文社古典新訳文庫、2010 年 (以下 T と印す)
吉川一義訳『失われた時を求めて 1』岩波文庫、 2010 年 (以下 Y と印す)
小説の発話構造について
『失われた時を求めて』は一人称作品である。「わたし」を名乗る者がテクストを綴る。
さらに自伝風の作品である。現在の「わたし」が昔の自分のことを語る。
書くことと語ることは別ではない、という活字文化においては自明なことに念押しをし
よう。書き手「わたし」は同時に語り手である。これが印刷術発明前であれば事情が違っ
て、書き手と語り手は別人であることが少なくなかったと推測できる。語り手 (朗読者) は
他者が書いた作品を聴衆に音声でもって伝達したはずである。現代では活字が音声の代わ
りをしている。したがって書き手はそのまま直ちに語り手になる。
小説作品の書き手を「作者」と呼ぶ向きがあるが、これには従わない。
「書き手」と「作
者」は別であると主張する。
「作者」マルセル・プルーストは実在の人間であり、これに対
し『失われた時を求めて』の「書き手」は、プルーストが長年にわたり考案し、自ら演じ
た一つの役割である。書き手は、極小は単語の組合わせのレベルから、極大は筋書の起承
転結に至るまで、小説作品を構築するための工夫を凝らす。作者はそのための材料を書き
手に提供する存在である。
材料は小説テクストのなかで往々にして変形をこうむる。プルーストが暮したことのあ
る二つの家 (オートゥイユの母方の縁者の家とイリエの父方の縁者の家) が組み合わされ
て「コンブレー」の「レオニ叔母さん」の家になった経緯についてはすでに触れた。いず
れ主人公「私」が馬車でドライブした印象を作文に綴るくだりに言及するはずであるが、
この作文は三十六歳のプルーストが書いた「自動車旅行の印象」なる新聞記事をほとんど
そのまま十歳台の少年が綴る馬車散策の印象記に転用したものである。このような作者と
書き手の関係はまさにプルースト研究の花道であり、尽きせぬ話題があるはずだが、本論
はこれには立ち入らない。むしろプルーストのテクストそのものが、書き手と作者を切り
離すよう配慮していることを、後に指摘したいと考えている。
なお「作者」にはもう一つの定義があって、読者は読書をとおして書物の「仮定的な作
者像」を想い描く、と言う (1)。「テクスト群を輪郭づけて、その存在容態を性格づける」
中山眞彦「語る者と語られるもの」
(2)
とも。この場合の「作者」は作品の総合的な評価の産物であって、小説テクストを大小
さまざまな単位で分析することを志す本論にはなじまないのでこれも採らない。
(1) Umberto Eco, Lector in fabula. Traduit de l’italien par M. Bouzaher. Grasset, 1985 年. 80 頁
(2)ミシェル・フーコー『作者とは何か ?』清水徹訳、哲学書房、1990 年、24 頁 Michel Foucault,
Qu’est-ce qu’un auteur ? Bulletin de la Société française de Philosophie, 1969 年
さて書き手が活字テクストを織り上げた時点で、そこに語り手が立ち現われている。書
き手「わたし」は語る者であり、作中人物「私」は語られる者である (以下はこの意味で
「わたし」/「私」と表記を区別する)。単なる自伝なら、この程度の構造分析で事が足り
るかもしれない。ところが『失われた時を求めて』はこれでは手不足だ。作中人物「私」
は、単に語られるだけではなく、自分でも語っているのではないかという印象を打ち消す
ことができないのである。
これは次によって一応の説明がつく。
『失われた時を求めて』は、単に「私」の行動を描
写するのではなく、主として「私」の心の内側を記述しようとする作品である。ゆえに「本
式の自叙伝が語り手 (書き手) の声により大きな力点を置く」のに対して「疑似自叙伝とし
てのフィクションは《作中人物の体験を焦点化》しようとする」(1)。問題は「作中人物の
体験を焦点化」するとはどういうことか。そのためにどのような手立てが講じられている
かということであろう。
(1) Gérard Genette, Fiction et diction. Seuil, 1991 年. 78 頁
鍵となるのは第一に、
『失われた時を求めて』の動詞活用の大部分を占める半過去時制が
発生させる意味合いである。同じ過去の出来事を述べるにしても、Elle vit la lune.「彼女
は月を眺めた」と単純過去形を用いれば、
「出来事を客観的に報告する」に止まるのに対し
て、Elle voyait la lune.「彼女は月を眺め (てい) た」と半過去形で言えば、「その出来事
が誰かによって生きられた (体験された)」のである (1)。「誰か」は「彼女」自身であるかも
しれないし、あるいは「彼女」のかたわらにいる人物であってもよい。問題はそこに「月
が出ている」という認識の体験があり、この体験のなかから「月が出ている」の発話行為
が発生するということである。
(1) Ann Banfield, Phrases sans parole. Théorie du récit et du style indirect libre. Traduit de
l’anglais par Cyril Veken. Seuil, 1995 年. 241 頁。 Inspeakable Sentences. Narration and
Representation in the Language of Fiction. 1982 年
これに引き続いて第二の要点は、この半過去形が「いま・ここ」という語に結び付くこ
とである。言い換えれば認識の体験が発話行為を生んでいることを宣言する。
『失われた時
を求めて』は、
「なるほど、今はもう私もはっきりめざめていた」(S 39) Certes, j’étais bien
éveillé maintenant.〔引用の下線強調や活字落としはすべて中山による〕 の一文でもって
助走部分を終了したのだった。ベッドの上でまどろみながら過去の体験を極めて断片的に
思い浮かべていた「私」に、いまや自分の半生を一連の出来事として物語る姿勢が整った
のである。この宣言文のすぐ後に「私」の物語の本当の書き出しというべき「コンブレー
では、毎日夕暮れどきになると (...)」(S 40) がくることもすでに指摘した〔引用文中の (...)
は原文を省略していることを示す〕。
ところがここに問題が生じる。
「今はもう私もはっきりめざめていた」の文の発話者はあ
くまでも書き手「わたし」なのだ。であればこそ過去を振り返って、
「めざめていた」と (半)
2
中山眞彦「語る者と語られるもの」
過去形を用いている。この動詞過去形と「いま」、および「いま」を基点とする「昨日」
「明
日」などは、いたって折り合いが悪い。これもやはり前に挙げた例であるが、(...) puis
demain soir était encore lointain. (直訳風には「それに明日の晩はまだ先だった」S 105) は、
「それに、明日の夜はまだずっと先だ」(T 112) と書き直したほうが文としてはなめらかで
ある。しかしそうすれば、文の発話者はまるで作中人物「私」になってしまい、過去形を
用いる原文にそぐわなくなる。
この難題を解決するために、というよりは折り合いの悪さをそれとして認識するために、
一つの提案を試みたい。
「発話者」 locuteur に対して「原発話者」énonciateur を立てる
のである。例文をこしらえてみよう。A なる人物が B に向って「天気が良くなるのならド
ライブに出かけよう」と言うとする。文全体の発話者は A である。しかし下線部分の「天
気が良くなる」は、もとは B の発話であり、それが A の発話に取り込まれていることが考
えられる。B は必ずしも「天気が良くなる」と述べたのではなく、同じ意味を別の語句で
表現したかもしれない。とにかく B の何らかの発話を踏まえてはじめて A の発話があると
考えられる。このように「もとの発話を通して自分の意見を表現していると見なされるが、
といってその表現にこれと決まった語句が当てはめられるわけではない」(1) ような人物が
「原発話者」である。
(1) Oswald Ducrot, Le dire et le dit. Minuit, 1984 年. 204 頁
『失われた時を求めて』の書き手「わたし」と作中人物「私」の関係は、上の例の A と
B の関係と相似的であると言うことができるだろう。
「明日の晩はまだ先だった」の下線部
分には B すなわち「私」の原発話の痕跡が残っているのである。あるいは原発話が再現さ
れていると言うべきかもしれない。再現はかならずしも原型の反復である必要はない。上
のドライブの例文では、そもそも B は天気に関して言葉を発していなかったかもしれない。
それでもある種の顔付きや、あるいは空を指差す仕種などから、きっと天気は良くなるよ、
という意志を表示することができる。A はそれを汲み取って「君が天気は良くなると言う
のなら」と述べることも十分あり得る。
「思考はそれ自体が言語の形をなしているとは限ら
ない」(1)。
「反省意識は内面の言葉の形をなしていると見なすこと、また、意識は自らを命
題化して論理的な内容を作ると考えることは、人が陥りがちな二重の罠である」(2)。作中
人物「私」のそういった形なき原発話までもが、書き手「わたし」によってテクスト化さ
れていると言うこともできるだろう。
(1) Banfeild, Phrases sans parole, 137 頁 (2) Ibid., 217 頁
ここで自ずと無意志的記憶の問題が浮上する。これを正面から論じるためには稿を改め
る機会を待つとして、とりあえず二つの書物から引用する。一つは文学の言語一般を論じ
た書物である。
「詩は世界を語るというよりはむしろ自らを語る。体験を報告するというよ
りは体験を構築する。対象を指示するというよりもむしろ、詩によって名づけられる前は
存在を欠いていたものを存在させる」(1)。もう一つは『失われた時を求めて』の、例の小
さなマドレーヌ菓子のくだりそのものからである。紅茶に浸した菓子の味が「想い出とい
う巨大な建造物」を出現させたことをなぞらえて言う。
「そして日本人の遊びで、それまで
何なのか判然としなかった紙片が、陶器の鉢に充たした水に浸したとたん、伸び広がり、
輪郭がはっきりし、色づき、ほかと区別され、確かにまぎれもない花や、家や、人物にな
る (...) (Y 117)」(Marcel Proust, À la recherche du temps perdu. Edition de la Pléiade. Tome 1. 47 頁。以
3
中山眞彦「語る者と語られるもの」
下 Recherche I と略記する)
(1) Paul Zumthor, Babel ou l’inachèvement. Seuil, 1997 年. 197 頁
「確かにまぎれもない」表現を完成する者は書き手「わたし」である。
「わたし」は『失
われた時を求めて』の全テクストの発話者であり語り手である。作中人物「私」は語り手
によって語られる存在だ。ところがこの「私」が、原発話者として、語られながらも同時
に自らが有声無声の形で語っている。これが小説あるいはフィクションと呼ばれるテクス
トの特徴である。
「歴史書は、過去の出来事を、その出来事に立ち会った人物の目を通して
提示することはできない。もっぱら歴史家 = 語り手の目を通して語るのであって、その
目はひたすら過去に向けられている」(1)。
「ただフィクションだけが、歴史的出来事を、そ
れが生じる瞬間において提示する印象を作り出すことができる」(2)。
(1)Dorrit Cohn, Le propre de la fiction. Seuil, 2001 年. 184 頁 The Distinction of Fiction, 1999
年.
(2) Ibid., 229 頁
小説の発話の両義性
上の引用はさらに続いて「ただフィクションだけが、事後処置の歪曲なしに、出来事を ”
生の、生き生きとした素材のままで ” 甦らせることができる」と述べる。これまた無意志
的記憶と関連するプルースト論の焦点であるが、論議を深めるのは今後の課題として、い
まは次のことに論点を絞りたい。すなわち、書き手「わたし」の発話によって掻き消され
がちな、過去の出来事の目撃者 (原発話者)「私」がテクスト上に突出する印が、半過去形
+ 「いま maintenant」だということだ。これは日常言語では行われない、フィクション
のテクストに特有の語法である。この語法が日本語訳ではどのように処理されているか、
すでにその一端を覗いた問題をさらに追いかけてみたい。
念を押すまでもなく文全体の発話者は書き手「わたし」である。ゆえに「いま」という
語は、普通のテクストなら書き手が専有すべきであるが、小説 (フィクション) は発話行
為の両義性 (原発話者を潜在させる) によって、
「いま」を原発話者である作中人物に譲渡
するのである。したがって「読者は語り手と同じ時間軸の中にあり、ゆえに出来事を過去
のこととして把握する。と同時に、物語の作中人物の時間軸の中にもいるのであって、人
物の振舞いを現在のこととして受け止める」(1)。この両義性を一つの文中に畳み込むのは
容易な業ではないはずだ。
(1) Marcel Vuillaume, Grammaire temporelle des récits. Minuit, 1990 年. 11 頁
音楽家ヴァントゥイユの一人娘が同性愛に耽る様を「私」が覗き見する場面がある。ヴ
ァントゥイユ家のすぐ横が崖になっていて、その上から室内を見ることができるのだ。父
ヴァントゥイユ氏はすでに死去しており、カーテンを開いた窓越しに、室内に故人の写真
が飾られているのが見える。その室内での同性愛カップルの仕種や会話を詳しく記して四
頁余り。最後には故人の写真を冒涜する振舞いに及ぶところでカーテンが閉められた。し
かし「私」はいまや、ヴァントゥイユ氏が父親としての労苦にいかなる報いを得たかが分
かった、ということを原文は次の様に綴る。
(...), mais je savais maintenant, pour toutes les souffrances que pendant sa
vie M. Vinteuil avait supportées à cause de sa fille, ce qu’après la mort il
4
中山眞彦「語る者と語られるもの」
avait reçu d’elle en salaire. (Recherche I, 161 頁)
訳文には次がある。
しかし、私はいまわかった。ヴァントゥイユ氏が生涯を通じて、娘のために耐
え忍んできた苦しみの代償として、死後に当の娘から受けとったものがこれで
あると。(T 382)
「ここ・いま」は人が己の発話場を強く意識したときに口に出す語である。上の「いま
maintenant」は、四頁にわたってヴァントゥイユ嬢の行状を観察してきた作中人物「私」
が、観察の結論に至ったことを意識しつつ発する語だ。ところが原文ではそれに書き手 (語
り手)「わたし」の声が重なり、動詞時制が半過去になっている (je savais ...。)。いっぽ
う上の訳文では書き手「わたし」は介入せず、作中人物「私」の原発話がそのままテクス
トになった恰好である。
「私はいまわかった」の「た」は原文の半過去形に対応するような
過去を表すのではないことを押さえておきたい。つまり「ちょうど今終わった事態である
ことを示す」(1) 完了の助動詞であり、むしろ現在の圏内である。ここで現在とは作中人物
「私」が同性愛の現場を目撃しているいまであって、この場面を語り直している書き手「わ
たし」がペンを握っている現在ではない。
(1)『詳解国語辞典』旺文社、1985
もっとも書き手「わたし」の側でも、ちょうど窓にカーテンが引かれて一連の情景が終
了すると言う点では完了の様相を共有するが、しかし上の訳文ではあくまでも覗き見をし
ている作中人物「私」の視線が主であることは、「(ヴァントゥイユ氏が) 死後に当の娘から受
けとったものがこれであると」の「これ」にもうかがえる。眼前の光景を指して「これ」
と言っているのである。いっぽう原文のほうは、
「死後に娘から報いとして受けとったもの
(がなにであるか) がわかった」であって、作中人物がじかに受けた衝撃を時間の隔たりを
通して書き手「わたし」が受け止め直した形である。以上を総じて言えば、T 訳は作中人
物「私」の原発話に引き戻して訳す姿勢である。
他の訳に目を移せば、
だが今や私には分かったのだ、ヴァントゥイユ氏が (...) 死後、娘から何を与え
られたかということが。(S 347)
は書き手の発話 (語り直し) に引き寄せている感じであるし、
しかしいまや私にも、ヴァントゥイユ氏が (...) 死後、その娘からどのような扱
いを受けたかは一目瞭然だった。(Y 351)
では「私」の体験と「わたし」の語りの間の距離がますます開いている。
一般に「コンブレー」の巻は少年「私」の体験をかなりの歳月を経て語り直したテクス
トだ。とはいえ「私」の思い出が強く滲み出るところでは、かつての「ここ・いま」がテ
5
中山眞彦「語る者と語られるもの」
クスト表面に噴出する。次に引用するのはレオニ叔母に仕える女中フランソワーズに関す
るひとつのエゾソードである。台所の下働きの女中が臨月の腹を抱えていたが、とうとう
夜中に産気づいた。大変な難産らしく、家中の者が心配している。ところがフランソワー
ズだけは平然としていて、こんなのはみなお芝居だ、皆に構ってもらいたいだけだ、と冷
淡である。
「私」の「母」は、医学書のなかに応急処置の指示があり、医師の助言でそこに
栞を挟んでいたのを思い出して、フランソワーズにその書物を本棚から取って来るように
命じる。ところがフランソワーズはいくら待っても戻って来ない。業を煮やした「母」は
「私」に見に行かせる。書斎で「私」が見たものは原文では次の通り。
J’y (dans la bibliothèque) trouvai Françoise qui, ayant voulu regarder ce que le
signet marquait,
lisait la description clinique de la crise et poussait des
sanglots maintenant qu’il s’agissait d’une malade-type qu’elle ne connaissait
pas. (Recherche I, 121 頁)
訳の一つは次である。
フランソワーズは書斎にいた。栞が挟まっているページを見ようとして発作の
臨床例の記述を読みながら、自分の知らない典型的な病人の症例に嗚咽を洩ら
しているではないか。(T 293)
この訳文に間違いはないが、肝心な「いまは maintenant que」が欠落しているように思
える。生身の人間の苦痛を前にしてさっきは平然としていた者が、書物のなかのいわば抽
象的な存在に対しては、いま惜しみなく涙を流しているという対照の、冷酷さと同時に滑
稽さが原文の狙いであるはずだ。だからせめて、
(...) 発作の臨床的記述を読んで泣きじゃくっていた。それは相手が、自分の知
らない典型としての病人だったからである。(Y 273)
としなければならない。”maintenant que 〜 ”は “ 〜 なので ” の意であると辞書は説明
する。しかしただの “parce que 〜 “ とは違って、”que 〜 “ の「いま」性をにじませて
いるはずだ。これを訳文に生かせば、向かい合う「相手」がさっきの生身の人間とは違っ
て、いまは観念的な像であるからこそ、人は容易に心を動かされる、という人間観の辛辣
さがより直裁に表れるのではなかろうか。なお、
(...) そこに典型的な症例として引かれている病人と知り合いでもないのに、涙
にくれていたのだ。(S 266)
は原文の意とむしろ反対であるように思える。
「知り合いでもない」からこそ涙を流すのだ。
博愛と隣人愛は同調しないことを原文は突いている。
上の例とは逆に、原文にはない「いま」が訳文に浮上することもある。上のお産の一件
6
中山眞彦「語る者と語られるもの」
で家中は大騒ぎ。二階で病床に臥しているレオニ叔母さんはどうしているか見てくるよう
に、と「母」が「私」に頼む。「私」が近づく気配を感じたのか、「叔母」は目を覚まして
顔を「私」の方に向けた。
(...); il (son visage) exprimait une sorte de terreur; elle (ma tante) venait
évidemment d’avoir un rêve affreux; elle ne pouvait me voir de la façon dont
elle était placée, et je restais là ne sachant si je devais m’avancer ou me
retirer; (...) (Recherche I, 108 頁)
動詞時制はすべて半過去であることを確認しよう。また “je restais là” の là は、
「私」の
居る場所を、どちらかと言えば「ここ」に対する「あそこ」に指定すると言ってよい。要
するに「私」を語られる作中人物として過去に据え置いている。 さて訳文の一つは次の様である。
明らかに恐ろしい夢を見ていたのだ。いまの叔母の姿勢では私のことは視界に
入らない。前に進むべきか引き下がるべきかわからなくて私は立ちつくした。
(T 264)
動詞時制が字面では過去形 (「夢を見ていた」) → 現在形 (「入らない」) → 過去形 (「立
ちつくした」) と入れ違いになっている点が原文と著しく異なる。ただしここの現在形は
現在時を表すのではなく、日本語の物語叙述の一つの修辞法であり、過去の事を物語る際
に、「た」(「タ型」) が単調に連続するのを嫌って、適宜、動詞の終止形(「ル型」) や形
容詞の基本形、助動詞「ない」などを代用する (1)。上の訳文の「視野に入らない」も、理
屈では「視野に入らなかった」と過去形にすべきところだろう。それを修辞法とはいえ現
在形に書き換えた際に、それに引きずられてと言うべきか、原文ではいわば半過去形の下
に埋もれていた「いま」が文面に浮上したのである。と同時に、原文の “là (そこに) ” が
上の訳文では消されている。この二点について、いわゆる忠実な翻訳は次のようになるべ
きだろう。フランス語原文にない「いま」はここには出てこない。
(1) 拙稿 (1) で青柳悦子「日本近代小説の成立と語りの遠近法 —『地の文』における『タ型』と『ル
型』の交替システム」を紹介した。
むろんなにか怖ろしい夢を見たのである。叔母の位置からは私の姿が見えない
はずだった。前に進むべきか退くべきか、私は途方にくれてその場に立ちすく
んだ。(S 239)。 (Y 248 も要点はほぼ同じなので引用を割愛する)
忠実な訳に対するやや自由な訳が証明するのは、書き手「わたし」の発話であるテクス
トの水面直下に、作中人物「私」の原発話としての体験談が潜んでいて、他言語への移し
替えなどの機をうかがっては文面に浮上するということである。もともと「私」の体験と
それを語る「わたし」の言葉を区別することは難しい。
「情報的内容を記述する部分と、そ
れを解釈する部分をはっきり区別することは不可能である」(1)。これは、
『失われた時を求
7
中山眞彦「語る者と語られるもの」
めて』がその時代において前衛的位置を占めていた、西欧の言語による近代小説の一般的
傾向だとも言える。
「近代の小説家たちは次のような技法を発揮している。すなわち大々的
に作中人物の直接話法文を間接話法文に、さらには自由間接話法文に置き換えて、これら
構文的には異質の文体を一つの語りの文脈のなかで溶け合わせることを美事に成し遂げた
のである」(2)。
(1) Käte Hamburger, Logique des genres littéraires. Seuil, 1977 年. 153 頁 Die Logik der
Dichtung, 1957 年.
(2) Harald Weinrich, Les temps et les personnages. Poétique, No 39.
Septembre 1979 年
実際に『失われた時を求めて』では、
「コンブレー」の巻に限っても、作中人物「私」の
直接話法文 (会話文) は極度に少ない。就寝前に母親がおやすみなさいのキスをしに来て
くれるのを長時間待ち続けた気持を爆発させて「おやすみを言いにきて」と繰り返したり
(S 91)、大女優ベルマの演技を見たことがありますかとのスワン氏の質問に、「いいえ、両
親が芝居に行くのを許してくれませんから」(S 214) と答えたり、さしたる意味はない受け
答え程度の発言である。もちろん「私」に思想や感情が欠けているからではなく、書き手
「わたし」が、
「私」の原発話としての思想・感情を逐次語り直しているからだ。だから異
言語への翻訳などで語り口がいささかでも変化すると、原発話としての直接話法が再生さ
れるのである。例を重ねる。コンブレーの教会で結婚式が挙げられ、
「私」の憧れのゲルマ
ント公爵夫人が出席するとの情報を得た。期待に胸を膨らませて会堂内を見回すと、一人
の貴婦人の姿が目に入った。
(...); il ne pouvait vraisemblablement y avoir qu’une seule femme
ressemblant au portrait de Mme de Guermantes, qui fût ce jour-là, jour où
elle devait justement venir dans cette chapelle: c’était-elle !
(Recherche I, 172
頁)
動詞時制 (例によって半過去形) や “ce jour-là (「その日」)” などから、書き手による叙
述であると読める。ただ下線部分だけが口調が違う。原発話を可能な限り活かした、自由
間接話法に相当する構文だ。
訳の一つは、
この日、つまりまさしくゲルマント夫人がそこに来ることになっていた当日に、
この礼拝堂のなかにいて、夫人の肖像に似ている人というのは、どうも一人し
かいそうに思われない。つまり、これがあの人なのだ ! (S 369) (T 407 も下線個
所はほぼ同じ)
最後の下線部分 (「これがあの人なのだ」) について言えば、フランス語原文では書き手
によって語り直されていた「私」のモノローグ (心内語) が、訳文では原発話の形に直さ
れて、フランス語原文の口調の変化に対して、より敏感に対応している。問題があるとす
ればその前の部分だ。
「この (日)」と「(来ることになって) いた当日」がしっくりしない。
8
中山眞彦「語る者と語られるもの」
つまり原文では裏に隠れている原発話点 (「私」にとっての「ここ・いま」) がいきなり
浮上して、文全体の発話点 (「当日」を過去の事と見る) と食違っている。
「(思われ) ない」
は物語叙述の修辞法としての「ル型」なのか、あるいはすでに「私」のモノローグ (心内
語)なのかが不分明だ。このぎくしゃくした感じは全体を「私」のモノローグにするとすっ
きりする。すなわち原発話をそっくり表に引き出すのである。
ゲルマント夫人の肖像写真にそっくりで、夫人が訪れるはずの日にこの小礼拝
堂にいるのだから、これはもう人違いのはずがない、本人なんだ ! (Y 374)
『失われた時を求めて』の、半過去時制をベースとする地の文は自由間接話法 (作中人
物の原発話を活かした語り方) の一種である。一般に日本語では自由間接話法と自由直接
話法 (直接話法の手続きをとらずに作中人物が発話する) の区別が曖昧であると言われる (1)。たとえ
作中人物が三人称に設定されていても、感情表現は一人称的に受けとられる傾向がある。
ましてや『失われた時を求めて』では主人公は「私」なのだ。この「私」と書き手「わた
し」の間の敷居は日本語訳では極めて低くなる。このような日本語訳の一人称性について
は後に再び取り上げる予定である。
(1) 野村眞木夫『日本語のテクスト —— 関係・効果・様相』ひつじ書房、2000 年. 271 頁
書き手「わたし」の位置
以上は少年時代の「私」のことを成年の「わたし」が語る文について述べた。一方、
『失
われた時を求めて』には、
「私」について語った事に関して書き手「わたし」が感想を述べ
たり、説明を加えたりする発話がはなはだ多い。語りの文の動詞時制が過去形であるのに
対して、これらの発話は主として現在時制である。両者は、バンヴニストによる「物語
récit」と「談話 discours (ワインリッヒではコメント commentaire)」の対照関係にある。
「談話 (コメント)」においては「発話者はなんらかの形で聞き手に影響を及ぼそうとする
意図を持つ」(1)。
「影響を及ぼそうとする」とは、小説の場合、作中人物の言動について読
者の理解と共感を求めることであろう。そのための「なんらかの形」が『失われた時を求
めて』の実際において何であったかは以下の論考の主題であるが、それに立ち入る前に次
のことを指摘しておきたい。
(1) Émile Benveniste, Problèmes de linguistique générale I. Gallimard, 1966 年. 242 頁
いま述べたように書き手「わたし」は、少年時代の「私」の立場に身を置いて語る一方
では、成人して小説の筆をとりつつある「わたし」の立場から多弁に発話するが、しかし
「わたし」自身について語っているとは言えない。実際に読者は、この「わたし」なる人
間についてほとんど情報を与えられないのだ。なるほど、各地の教会建築の美しさに目を
奪われた体験に筆を尽くす。ノルマンディの小さな街で、二つの美しい館の間にそそり立
つゴシック式尖塔。パリでは屋根が幾重にも重なるさらのその背後にひかえる大教会堂の
円屋根。いずれも版画のように美しい景観である。しかし「これらの版画はどれ一つとし
て、コンブレーの教会の背後にある通りから見たあの鐘塔の姿の思い出のように、私の生
命の深い部分全体を支配してはいないのだ」(S 151) が一切の結論である。あるいは別の個
所には、「—— その時刻に私の心に目覚めた不安は、のちに恋愛のなかに移り住み、永久
9
中山眞彦「語る者と語られるもの」
に恋愛と切り離せなくなるが ——」(Y 392) とあり、おやと思わせるが、
「わたし」の「恋
愛」に関してはこれだけの尻切れとんぼであって、前後をダッシュ (——) で囲む上の引
用全体が、
「その時刻に私の心に目覚めた不安」つまり母親のおやすみなさいのキッスを待
つ少年の心理を叙述する文の中に挿入されている。要するに、断片的なほのめかしにもか
かわらず、書き手「わたし」がどういう生活をしているかはまったく分からない。
『失われた時を求めて』の書き手は作者ブルーストが長年の工夫の末に考案した小説テ
クストの発話者であり、生身の人間マルセル・プルーストと同一ではない。しかし両者は
テクストを綴るペンを持つ手で接続している。作者は書き手に小説の材料を提供し、書き
手はそれを取捨選択し、加工しながらテクストを織り上げてゆく。上に見たように、書き
手がペンを持ついまの自分について黙して語らないのは、生身の作者から自分を切り離す
姿勢ではなかろうか。書き手が何時ペンを取っているのか不分明だということは、もしこ
れが生身の (現実の) 人間なら「その人が位置している時間が問える」(1) ということの逆
である。なるほどプルーストが『失われた時を求めて』の各々の頁を書いた年月について
は調査することができる。しかしテクストの上で書き手が位置する時間を特定する手掛か
りはない。位置する時間を問うことができないのは虚構の証拠である。
(1) Hamburger, Logique des genres littéraires. 56 頁
虚構の「わたし」は虚構の「私」を作り出す。実在の町イリエのプルーストの少年時代
を材料にして、これに手を加え、架空の町コンブレーにおける少年「私」の日々を綴るの
だ。虚構テクストは日常現実の生活における価値とは別個の価値を主張することができる。
現実の各地に存在する教会建築物のあれこれがいかに美しかろうと、いかに壮麗であろう
と、それらはコンブレーの教会の鐘塔のように「私の生命の深い部分」を支配することは
決してないのだ。この指摘を行っているのが、書き手「わたし」のコメント文 (動詞時制
は現在) であることを再確認しよう。作中人物「私」(について) の語りに加わる書き手「わ
たし」のコメントは、語りを如何に読むべきか、いかなる価値をそこに見出すべきかを指
示する働きをする。語りとコメントのこの関係は、作中人物「私」がコンブレーの楽園を
離れて大人になり、
「わたし」との年齢の差が縮まっても、すなわち『失われた時を求めて』
の後の方の巻においても、基本的には変わらないはずである。
文法の違いを越えて
幾度も述べたように、語りとコメントはまずは動詞時制によって区別される。ところで
動詞時制は文法の事項であって、フランス語の文法の仕組みは日本語のそれとパラレルで
はない。たとえばフランス語では過去の出来事を表すのに単純過去と複合過去があるが、
この区別に対応する文法組織は現代日本語にはない。単純過去は過去に起きてすでに終了
してしまっている事を表し、いっぽう複合過去では「出来事はたしかに過去に属するが、
しかしその結果がいまも続いている事を示す。話者は自分の昔の行動が現在にも影響を及
ぼしていることを強調する」(1)。単純過去は語り (récit) の時制であり、複合過去はコメ
ント (discours) の時制である。
(1) Sébastien Humier,littérature intime. Arman Colin, 2003 年. 22 頁
例を挙げる。初めが単純過去、次が複合過去である。
10
中山眞彦「語る者と語られるもの」
(...), je me rappelle que c’est, cet automne-là, (...), que je fus frappé pour la
première fois de ce désaccord entre nos impressions et leur expression
habituelle. (Recherche I, 153 頁)
(...) 想い出すのは、その秋、(...) われわれの印象とその慣習的な表現との食い
違いにはじめて気づいたことである。(Y, 337)
C’est du côté de Méséglise que j’ai remarqué pour la première fois l’ombre
ronde que les pommiers font sur la terre ensoleillée, (...) (Recherche I, 144)
私は、メゼグリーズのほうではじめてリンゴの木が陽のあたる地面につくる丸
い影に気づいた (...) (Y, 318)
訳文は両者とも「はじめて気づいた」である。
「はじめて」があれば「次に」があり、さ
らに「次の次に」があるだろう。前者 (単純過去形) ではこのサイクルが終了している。
具体的に言えば、ここは「私」がはじめて物書きになることを意識する場面だ。なるほど、
「われわれの印象とその習慣的な表現」が食違っているのに気づくことは、文学修行のス
タートにふさわしい。しかしこれは修行のほんの初歩の段階であって、いまの書き手「わ
たし」はもっと進んだ段階、たとえば「印象」と合致する表現は何かに工夫を凝らすよう
なレベルに達しているはずである。
「はじめて」はすでに終了を迎えている。これに対して
後者 (複合過去形) にはまだ終わりがない。
「リンゴの木が陽のあたる地面につくまる丸い
影」を珍しく思う気持はいまもなお続いている。作中人物「私」が「はじめて」抱いた感
想を、書き手「わたし」は保ち続けているのである。
単純過去と複合過去の違いは日本語訳では表しにくいとしても、上の二例のようにそれ
ぞれが単独で出ている場合はまず支障はない。しかし両者が同じ時に生じた物事を述べて
相並ぶ場合はどうか。次がそれである。
コンブレーの教会堂、とくにその鐘塔と尖塔をこよなく愛でる「私」であったが、その
後陣 (abside) だけは気に入らなかった。三つの道の交差点に突っ立っている荒削りの壁
は、教会というよりは牢獄の壁を思わせた。ところがある日、それは少年時代のずっと後
のことだと思えるが、次のような再評価があった。とある地方の町で見た教会の後陣が、
ふとコンブレーの教会のそれを思い起こさせる。この同一時に生じた物事に、一つは単純
過去形、他は複合過去形が用いられていることに注目したい。
Seulement, un jour, au détour d’une petite rue provinciale, j’aperçus, en face
du croisement de trois ruelles, une muraille fruste et surélevée, avec des
verrières percées en haut et offrant le même aspect asymétrique que l’abside
de Combray. Alors je ne me suis pas demandé comme à Chartres ou à Reims
avec quelle puissance y était exprimé le sentiment religieux, mais je me suis
involontairement écrié:《L’Église !》(Recherche I, 61 頁)
日本語訳の一つは次のとおり、
11
中山眞彦「語る者と語られるもの」
ただ、ある日のこと、地方の町の狭い道を曲がったところで、私は三本の小径
の交わる地点に向きあってそびえているざらさらした壁を認めた。上の方には
ステンドグラスの窓が開けられており、コンブレーの後陣と同様に均整のとれ
ない姿を示している。そのとき私は、シャルトルやランスでしたように、どん
なに力強く宗教的感情がそこに表現されているか、といったことなど考えもし
なかったが、しかし思わずこう叫んだ、「教会だ !」と。(S 144)
訳文の動詞時制はすべて「た (だ)」で言い切りの形である。原文の単純過去と複合過去
の区別が消えている。それでも何事があったかを報告するには事足りるかもしれないが、
しかしそこにこめられている感情を充分に伝えるためには、やはり原文の区別を尊重する
必要がある。同じ出来事にわざわざ二種類の動詞時制を用いるのにはやはりそれなりの動
機があるはずだ。
他の訳に目を転じると、
ある日のこと、さる田舎の細い道を曲がった際に、三本の道が交差する地点に
面している壁が目に飛び込んできた。(...) シャルトルやランスの大聖堂を見た
ときには、そこにどれほど強い力で宗教的な感情がこめられているか考えてみ
たものだが、このときはそうではなくて、ただ思わず知らず叫んでしまったの
である。「教会だ !」と。(T 156)
(...) 無骨な高い外壁があらわれ、その高みにステンドグラスの窓があるのを見
たとき (...) 無意識のうちに「教会だ !」と大声を挙げたのである。(Y 148)
両訳ともに単純過去形と複合過去形を区別しようとする苦心の跡が感じられる。原文の
単純過去形 (j’aperçus) の訳は「た」で閉じているが、複合過去形 (とくに je me suis écrié)
の訳は「(た) のである」と助動詞を重ねる。読者に働きかけ、自分の気持を積極的に説明
しようとしている。これこそまさに「語り (récit)」に対する「コメント または談話
(discours)」の特徴であり、「語りは情報を伝えるだけで、聞き手または読み手からいかな
る反動も反応も待ち受けない」のに対して、
「コメントは聞き手または読み手を反応する存
在とみなすのである」(1)。
(1) Weinrich, Les temps et les personnes. 340 頁
言い換えるなら、読者に字面だけではなく、語り手「わたし」の生の声を伝えたいとい
う気持だ。その声は、
「私」がある日田舎の教会後陣を見て叫んだ声の余韻として、いまの
わたし」の思い出のなかに残っている。その声を、一旦は声が消えたはずの活字テクスト
に甦らせて、読者に直接思いを手渡そうとする。
「思わず知らず叫んでしまった」とあるよ
うに、まるで文の体裁をかなぐり捨てて、一言、「教会だ ! 」と声を挙げるのだ。
コンブレー教会堂の鐘塔を讃美する数頁はこの声でもって始まる。「教会 ! 慣れ親しん
だ教会。それはサン・ティレール街に面した北扉の両隣 (...)」(T 156) 「私」の領域と「わたし」の領域
12
中山眞彦「語る者と語られるもの」
「私」(について) の語りの主要時制は半過去であり、「わたし」のコメントの時制は現
在である (複合過去も現在時制のうち)。『失われた時を求めて』は語りとコメントの組合
わせで成立っているから、訳文も個々の文がどちらに属しているかを示さなければならな
い。示し方が曖昧では、読者を誤った読解に導きかねない。
「私」の散歩道には「メゼグリーズの方 (あるいはスワン家の方)」と「ゲルマントの方」
の二つの方角があった。
Car il y avait autour de Combray deux《côtés》pour les promenades, (...). De
Méséglise-la-Vineuse, à vrai dire, je n’ai jamais connu que le《côté》et des
gens étrangers qui venaient le dimanche se promener à Combray. (Recherche I.
132 頁)
それというのも、実際コンブレーのまわりには散歩のために二つの「方」があ
って、(...)。メゼグリーズ=ラ=ヴィヌーズについては、正直なところわずかに
そういう「方」があることと、日曜日にはそこから見知らぬ人びとがコンブレ
ーに散歩にやってくることしか、私は知らなかった。(S 289)
下線部分は間違いとは言えないが、しかし、当時は「知らなかった」として、いまはどう
か、と理屈をこねたくなるのが、これを原文と対比した読者の気持であろう。もちろんい
まも知らない。原文の下線部分 (複合過去形) はいまの「わたし」のことを述べている。
散歩道の終点たるべきメゼグリーズ=ラ=ヴィヌーズはついに訪れることがないのである。
だから訳文もはっきりそう書くか、あるいは次のような仕方で理屈をこねられるのを避け
たほうがよかろう。
(...) メゼグリーズ=ラ=ヴィヌーズについて私が知っていたのは、実を言えばそ
ちらの「ほう」があるということ、日曜日になると、見知らぬ人たちがそちら
からコンブレーへやってくるということだった。(T 319) (Y 297 も下線部分はほ
ぼ同じ)
これにこだわるのは「二つの方」は、
「コンブレー」の巻のみならず『失われた時を求め
て』を一貫して対比関係に置かれていて、ここの出だしからして、
「ゲルマントにかんして
は、いずれ多くのことを知るようになるのだが」(S 289) と対照を際立たせているのである。
次の例に移る。散歩の途中、ほんのちょっとしたこと、たとえば太陽に照らされた石や、
道に漂う匂いなどが、「私」に大きな快感を与える。「私」はそこに何か大事なものが秘め
られていると予感して、立ち止まって思索に耽ろうとするが、同行の祖父たちがそれを許
さない。せめて快感の記憶を家に持ち帰ってじっくり吟味しようと願う。ところが、
Une fois à la maison je songeais à autre chose et ainsi s’entassaient dans
mon esprit (...) bien des images différentes sous lesquelles il y a longtemps
qu’est morte la réalité pressentie que je n’ai pas eu assez de volonté pour
13
中山眞彦「語る者と語られるもの」
arriver à découvrir. (Recherche I. 177 頁)
ところがいったん帰宅すると別なことを考えてしまい、こうして心のなかには
(...) さまざまなイメージが積み重ねられることになり、そのイメージの下では
予感された現実が、私に充分な意志の力がなかったために、発見するまでに至
らずにずっと以前から死んでいるのだった。(S 378) (下線部分は Y 383 も同じ)。
(T 417 も下線部分をまったくの過去にしている点は同じ)
下線部分が複合過去であることに注意。訳文は「私」のことを語っているようだが、原文
は「わたし」について述べている。
「現実」は以前に死んだし、いまもなお死んでいるので
ある。以前に意志の力がなかったし、いまもないのだ。文学開眼のずっと手前にいる少年
「私」がそう述べるならともかく、現に『失われた時を求めて』を書いている書き手「わ
たし」がこのような頼りない物言いをすることは不自然といえば不自然である。これを説
明する仕方はいろいろあるのだろう。たとえば、作中人物「私」の文学修行に並行して、
書き手「わたし」の文学思想も進展するのであり、両者の流れは上の引用文が活字化され
た時点ですでに執筆すみであった (とプルーストが力説する) 最終巻『見出された時』で
合流するのだ、などなど。
「私」の文学修行に大きな影響を与える芸術家のうちの一人、作曲家ヴァントゥイユに
関する文章を次に引く。パリの文化人の間や社交界ではこの未知の音楽家の名が囁かれて
いるが、まさか片田舎の音楽教師ヴァントゥイユがその人であろうとは、社交界に通じた
文化人スワン氏 (コンブレーに別荘を持っている) にとってさえ思いもよらないことだ。
ましてや「私」の家族にとってはただのピアノ教師にすぎない。そのヴァントゥイユが亡
くなり、五線譜の束があとに残される。やがて「私」に絶大な感銘を与える「七重奏曲」
もそこに含まれているはずだ。
(...), pauvres morceaux d’un vieux professeur de piano, d’un ancien organiste
de village dont nous imaginions bien qu’ils n’avaient guère de valeur en
eux-mêmes, (...) (Recherche I, 158 頁)
「私たち」の「想像」は、老いぼれて孤独な音楽教師の外見だけに基づく先入観にほかな
らない。この偏見は「私」の物語の行く先で打ち消されてしまうだろう。ところが次の二
訳は「私たち」の誤った判断がまるで客観的に真であるかのように読ませかねない。
(...) 年老いたピアノ教師にして村の以前のオルガン奏者の残した哀れな楽曲
—— 想像するに、それ自体はたいして価値がないとはいえ、(...) (T 374)
(...) それ自体としてあまり価値のないことは私たちにも充分想像がついたが、
(...) (S 340)
誤解を避けるためには、評価を下す者が「私たち」というまったくの素人であることを強
14
中山眞彦「語る者と語られるもの」
調したほうがよい。
(...) 私たちからするとそれ自体に大した価値があるとは思えなかったが、 (...)
(Y 345)
『失われた時を求めて』のような「自伝風一人称小説の形式で語られる物語は、言うな
らば《体験する私》と《物語る私 (わたし)》が心理的統合を成就するまでのプロセスを、歩
一歩、得心のいく形で描く物語である」(1)。
「心理的統合」に重ねて「知の統合」と言おう。
「自分を語るタイプの物語では、昔は盲目であった主体が至高の見識をもつ語り手によっ
て《啓蒙》される」(2)。しかしまだ上の引用の段階では、書き手 (語り手)「わたし」は体
験する「私」の蒙昧な原発話をなぞるに止まっている。両者の間に知的接触が行われるた
めには、「私」が実際にヴァントゥイユの音楽に耳を傾ける機会を待たなければならない。
そのときはとりわけ書き手「わたし」のコメントが、芸術的知への導き役となるであろう。
(1)シュタンツェル『物語の構造 —— 語りの理論とテキスト分析』前田彰一訳、岩波書院, 1989 年.
217 頁 (Franz K. Stanzel, Theorie des Erzählens. 1982 年)
(2) Dorrit Cohn, La transparence
intérieure. Modes de représentation de la vie psychique dans le roman. Traduit de l’anglais par
Alain Bony. Seuil, 1981 年. 171 頁 (Transparent Minds. 1978 年) 比喩表現について
『失われた時を求めて』において書き手のコメントは物語に付随するアクセサリーにす
ぎないのではない。第一にその圧倒的な分量が従の位置には納まらない。第二にコメント
は物語の主人公の体験を解明し、これを一段と高い知的水準に引き上げる積極的な働きを
している。
比喩もコメントのうちの一つだと見なすことができる。A comme B では、B が A につ
いてのコメントの働きをしている。さっそく例を挙げるなら、コンブレーで騎馬隊の行進
があるときは、人びとは道端に出している椅子などを急いで内に仕舞いこむ。
(...), car quand les cuirassiers défilaient rue Sainte-Hildegarde, ils en
remplissaient toute la largeur, et le galop des chevaux rasait les maisons,
couvrant les trottoires submergés comme des berges qui offrent un lit trop
étroit à un torrent déchaîné. (Recherche I. 87 頁)
下線部分の動詞時制が現在であることを確認しよう。したがってこの部分は作中人物「私」
の見聞ではなく、書き手「わたし」独自の発話である。さて日本語訳の一つは次の通り。
胸甲騎兵たちがサン=ティルドガルド街を行進するときは、道幅いっぱいに広が
ってしまうし、家すれすれに過ぎる馬のギャロップが歩道を覆い、あたかも川
床があまりに狭くて、堰を切って流れる急流が両岸の縁を隠してしまうように、
歩道はたちまちその下に見えなくなってしまうからだ。(S 195)
15
中山眞彦「語る者と語られるもの」
下線部分 (A comme B の B) は A を形容するという考え方である。たしかに語学の授業
では「B のような (ように) A」と訳させる。しかしこれでは騎兵の行進を見物する作中人
物自身が川岸に溢れ出す急流をイメージしたことになり、原文の言わんとすることとは違
ってくる。急流のイメージは、作中人物「私」の眼に映ったことを叙述する書き手「わた
し」の連想でなければならない。次の訳文もイメージを抱いたのがどちらかがはっきりし
ない。
(...) 家並みをかすめてギャロップで駆けてゆく騎兵が歩道を覆いつくし、まる
で狭い河床をあふれて奔流が荒れ狂うときの堤防と化するからである。(Y 202)
原文の趣旨を生かすためには、下線部分をはっきり独立させた方が良い。
駆歩で駆け抜ける軍馬は家々をかすめて、歩道を見えなくしてしまうからだ。
それはちょうど、あまりに狭い川床に激流が堰を切ったように流れ込んで、左
右の堤も沈んで見えなくなるのと似ていただろうか。(T 215)
A comme B の B は、たんに A を形容する以上の役割をもっている。「特殊な出来事を、
すでに皆が知っているような情況に伴う、より広い地平のなかに置き直す」(1)。田舎町の
狭い道を怒濤のように疾駆する騎馬隊という特殊な情景を、川に溢れる洪水という誰でも
思い浮かべることができるような例でもって敷衍している。したがって発話のポジション
が異なり、特殊な出来事を目撃する作中人物「私」とそれを一般化する書き手「わたし」
に分かれる。原文が両者を書き分けているのにそのまま従ったほうが訳文もわかりやすい。
(1) Éric Bordas, Balzac, discours et détours. Pour une stylistique de l’énonciation romanesque.
Presses Universitaires du Mirail, 1997 年. 206 頁
A comme B (A は B のようだ。B のような A) を直喩と呼び、「A は B だ」と直裁
に言うのを隠喩と呼ぶ慣習があるが、両者に本質的な違いがあるわけではない。ともに A
と B に共通な要素を取り出し、持ち寄って、新しい存在 C をイメージする。この意味で
の隠喩の例を次に挙げる。メゼグリーズの方への散歩で「私」の眼に映った風景でもって
始まる。
Je poursuivais jusque sur le talus (...) quelque coquelicot perdu, quelques
bluets restés paresseusement en arrière, qui le (le talus) décoraient çà et là de
leurs fleurs comme la bordure d’une tapisserie où apparaît clairsemé le
motif agreste qui triomphera sur le panneau; (...) (Recherche I. 137 頁)
最初に引く訳文は、下線部分と非下線部分の動詞時制の違いを無視して、B をもっぱら
A の修辞として読んでいる。したがって全体が作中人物「私」の眼に映ったことになって
しまう。
私は (...) 坂を、(...) ひなげしや後ろにのんびりと残って生えている矢車菊を追
16
中山眞彦「語る者と語られるもの」
いながらたどった。ひなげしや矢車菊はあちらこちらで野原を彩っていたが、
それは、画面全体を決定づける鄙びた田園風景のモチーフがそこかしこに鏤め
られたタペストリーの縁飾りのように見えた。(T 329)
「〜 のように見えた」とあるからには、
「〜 」は坂道を辿っている作中人物「私」が見た
ものでなければならないが、原文の「私」の眼にそのようなものは映っていない。タペス
トリーは、「私」の眼に映った風景を叙述する「わたし」が思い浮かべるものである。
隠 (直) 喩は A と B を重ね合わせ溶け合わせることを目ざす。次の訳文は、これをテ
クスト紙面上で実践しようとする果敢な企てだと言えるのではあるまいか。
私は (...) 斜面にまでよじ登り、そこに (...) のんびりとうしろの方に残ってい
る数本の矢車菊を探し求めた。それらは、田園ふうのモチーフがまばらにあら
われているタピスリーの縁のように、その花で斜面のあちこちを飾っていたが、
いずれそのモチーフが壁の羽目板の上に勝ち誇って展開されるのであろう。(S
298)
しかし結果は極めて難解な文章である。どこに焦点を合わせて読めばいいのかわからない。
その原因は、A と B をともに分解しているために、A、B がそれぞれ何であるかが不分
明になってしまったからであろう。
「comme という語は、事物と事物を繋ぎ、その間に生じる情報提示の相互作用 (la
mutualité informante)
を演出する手法である」(1)。繋がれた A と B が意味を交換し合うた
めには、まずは A と B がはっきりと独立していることが必要である。ここで A (野に咲
く花) は作中人物「私」の立場からの記述であり、一方 B (タビスリーの絵柄) はこれを記
述する書き手「わたし」の感想であることを明らかにしなければならない。すなわち原文
の発話構造をそのまま訳出しなければならない。
(1) Michel Colot, La poésie moderne et la structure d‘horizon. PUF, 1989 年. 231 頁
私が (...) 土手のうえに追い求めたのは、ぽつんととり残されたヒナゲシや、怠
けて後方に遅れたヤグルマギクたちである。その花が土手のあちこちを飾りつ
けるさまはタピスリーの縁を想わせ、そこにまばらに現われた鄙びた田舎のモ
チーフはやがてタピスリーの全面に広がるのだ。(Y 304)
この訳文においてはじめて次のことが言える。なぞらえることは一方を他方が吸収する
ことではない。A を B で置き換えることではない。
「隠喩が意味を持つのは、それが置き
換え的ではなく加算的な知の道具だからだ」(1)。花が飾る野と壁板に掛けられる綴れ織り
を加算すれば、その和はいかに言葉を尽くしても届かないようなものになるだろう。その
ようなものが「やがて全面に広がるのだ」としたら、その場はどこか。
「広がるのだ」の原
語は (qui) triomphera。小説は読者の想像力の加勢を得て勝ち誇る。
(1) Umberto Eco, Sémiotique et philosophie du langage. Traduit de l’italien par Myrem
Bouzaber. PUF, 1988 年. 141 頁 (Semiotica e filosofia del lingaggio, 1984 年)
17
中山眞彦「語る者と語られるもの」
コメント一般について
比喩は書き手「わたし」のコメントの一部であるが、もちろん一部にすぎず、その他の
形が圧倒的な量でもって紙面を占める。次にそのほんの一端を示す。問題となるのはやは
り「私」と「わたし」の区別だ。ルグランダン氏なる人物は、コンブレーに別荘を持つパ
リ在住のエンジニアであり、
「私」一家と親しくしている。ところがある日のこと、氏がと
ある女性と一緒に歩いているのに出会った「私」の父が挨拶をしても、氏はほとんど知ら
ぬ顔である。引用がかさばるが、しかしこの種のコメントとしてはむしろ短い方だと言え
る。『失われた時を求めて』の紙面の多くはじつに書き手「わたし」の談話 (discours) で
もって占められている。
(...); M. Legrandin avait à peine répondu, d’un air étonné, comme s’il ne nous
reconnaissait pas, et avec cette perspective du regard particulière aux
personnes qui ne veulent pas être aimables et qui, du fond subitement
prolongé de leurs yeux, ont l’air de vous apercevoir comme au bout d’une
route interminable et à une si grande distance qu’elles se contentent de vous
adresser un signe de tête minuscule pour le proportionner à vos dimensions
de marionnette. (Recherche I. 118 頁)
ルグランダン氏について「私」が見たこと (半過去時制) は最初の一行あまりだけであっ
て、et の後は動詞はすべて現在時制、すなわち書き手「わたし」が思うことである。とこ
ろが訳文でこの後に「(ルグランダン氏は ...して) いるかのようだった」という文言を置け
ば、全体が作中人物「私」の思惟に変わってしまう。
氏は、知らない人から挨拶されたかのように驚いた様子で、ほとんど挨拶を返
さなかった。そのときの眼差しは、自分が愛想がいいと思われたくない人間に
特有なもので、あたかも、急に目の奥が引っ込んだために、はるか遠くの道の
先にいるのと同じで、かろうじてある人の姿に気づいたものの、あまりに遠く
離れて操り人形くらいの大きさにしか見えないその人物の動きに合わせて自分
もほんの少しだけ顔を動かすだけでいいとでも考えているかのようだった。(T
285)
次の訳文も、
「わたし」のコメントにとどまるべきところを、
「(ルグラン氏は) そんな目
つきだった」としめくくって、一般論をルグラン氏個別例のなかに閉じこめている。最後
の部分のみを引用する。
(相手が)
操り人形のように小さいので、その大きさに見合うように小さく顔を動
かすだけにする、そんな目つきだった。(Y 266)
以上の二訳例に対して次の訳文は、原文引用に施した下線部分をはっきりと独立させて
18
中山眞彦「語る者と語られるもの」
いる。そうしてはじめて「わたし」のコメントが、
「私」の体験談に付随する修辞や補足説
明に止まらずに、それ自体で独立した論説であることが明瞭になる。
ところがルグラン氏は驚いた様子でろくに挨拶も返さず、まるで私たちがだれ
だか分からないように見えたし、またその遠くの方を見る目つきは、愛想よく
振舞う気のない人びとに特有のもので、そのような人たちは (...) 操り人形程度
の相手の大きさに合わせてほんの微かに頭を動かすだけですませてしまうので
ある。(S 259)
コメントの問題の最後に、小説テクストにおけるコメントの働きについて一言触れたい。
作中人物「私」の個別的体験と、それに関する書き手「わたし」の論説 (コメント) の間
には当然、知の質的な差がある。
「語り手 (書き手) は作中人物の言動や思考をコメントする
が、それは虚構世界内に止まらず、人生一般について述べるのであって、その時語り手は
一般的知の言語を語っているのである」(1)。ただし虚構作品における知の言語は、一般性
の装いを凝らしたにしても、あくまで一方通行的である。読者は、作中人物があれこれの
言動をしたことを疑わないのと同様に、書き手のコメントの一言一句に異議を差し挟むこ
とをしない。
「愛想よく振舞う気のない人」の目には、本当にこちらが「操り人形のように」
小さく映るものなのか、など問い返したりはしない。読者はただテクストに書いてあるこ
とをそのまま受けとるのであり、小説の叙述を「わたしが背後に背負っている、わたしの
人生の現実へと送り返してはならないという、美的コミュニケーションの慣習」(2) に従っ
ている。それは小説の読者がすでに現実の人生を離れて、自らを虚構化しているからであ
ろう。虚構としての読者が、虚構作品『失われた時を求めて』のなかに深く入り込んでゆ
く。
(1) Bordas, Balzac, discours et détours. 155 頁 (2) 西村清和『フィクションの美学』勁草書房
1993 , 71 頁
19
中山眞彦「語る者と語られるもの」
20