膜電位とシナプスの生物物理 平成 19 年 6 月 5 日 Page 1 膜電位とシナプスの生物物理 A. 膜電位の生物物理 膜の受動特性 形質膜は電気容量としての性質を持っている。単位面積当たりの形質膜の容量(膜 比抵抗 specific membrane capacitance)はほぼ一定で約 1µF/cm2 である。すなわち形 質膜は抵抗 R と容量 C の並列回路として電気的に近似できる。このような並列回路 にパルス状の電流 i を流したときに電位がどのように変化するのかを求めてみよう。 i = iR + iC = V/R + C dV/dt -C dV/dt = (V - iR)/R y = V - iR, τ=CR とおくと dy/dt = - y / τ ゆえに y = y0 e-t/τ pulse on: t=0, V=0 (y0=-iR) pulse off (i=0): t=0, V=Voff V = iR (1 - e- t / τ ) V = Vo f f e- t / τ すなわち、抵抗と容量の並列回路では、パルス電流の立ち上がりの成分が容量に流 れるので、電位は徐々に指数関数的に V=iR に近づく。反対にパルスを切ったとき は容量が放電するために、電位は指数関数的に 0 に近づく(電気緊張電位 electrotonic potential)。ここで、τ = RC = Rm Cm は時定数と呼ばれ、パルスの立ち上がりからτ 時間に最大値の 63%の電位に到達する。ザリガニの軸索ではτ = 2000Ωcm2×1 µF/cm2 = 2 ms という値が得られる。ここで、Rm, Cm はそれぞれ単位面積当たりの膜抵抗(膜 比抵抗)と単位面積当たりの膜容量(膜比容量)のことである。 軸索のように円筒状の組織では、一点に与えた電流は形質膜を横切る成分と細胞 内を長軸方向に流れる成分の和で表される。したがって、電流を与えた場所からの 距離の関数として電位変化の大きさが減衰する。電流を与えた点から離れた点では 電位変動の大きさが距離とともに減衰する。径が一定で無限長の理想的な軸索では、 距離とともに指数関数的に減衰する。 すなわち、rm , ri をそれぞれ単位長さあたりの膜容量、膜抵抗、細胞内抵抗、Rm, Ri をそれぞれ単位面積当たりの膜抵抗(膜比抵抗)と細胞内液単位立方体の抵抗とす ると、 rm = Rm /2πa; ri = Ri /πa2 膜電位とシナプスの生物物理 平成 19 年 6 月 5 日 Page 2 Vx = V0 e- x / λ λ = sqrt( rm / ri ) = sqrt( aRm / 2Ri ) λは length constant と呼ばれる定数である。x=λの部位では、x=0 で与えた定常的な 膜電位は、37%に減少する。髄鞘 myeline を有しない細い軸索においては、λ = 100 µm であることが知られている。すなわち、軸索の一端に生じた電位変化は、局所的な 膜電位の変化にとどまり、軸索の他の一端に到達し得ない。 膜電位固定法と活動電位の定量的解析 活動電位の発生に際して、膜電位の変化そのものが Na+の透過性 PNa の変化を引 き起こしたのではないかと考えられる。すなわち、PNa は,膜電位 E と時間 t の関数 として記述できるのではないか。透過性が変化するのは Na+だけなのだろうか?こ のような問題を解決するには、イオン透過性の定量的な解析が必要になる。 ここで、微少な時間∆t の間に膜を介する電荷の移動は、Na+、 K+、 Cl-それぞれ の移動∆QNa, ∆QK, ∆QCl の総和であらわされる。言い換えれば、それぞれのイオンに より担われる電流の総和であらわされる。すなわち、形質膜を横切るイオンにより 運ばれる電流を Iion とすると、 INa = dQNa/dt IK = dQK/dt ICl = dQCl/dt Iion = INa + IK + ICl 静止膜電位においては、Iion = 0 である。ここで、外部から細胞内に電荷を移動させ たとする。その電流を I とすると、Im = I - Iion ≠ 0 となり、膜電位 Em は、+または側へ変化する。活動電位の上昇期においては、Im > 0 となり、膜電位は+へシフトす る。活動電位の下降期においては、Im < 0 となり、膜電位は-側へシフトする。すな わち、 dEm/dt = Cm-1 I m = Cm-1(I - I i o n ) ここで,Cm は膜の電気容量である。ゆえに、イオン電流が膜電位を変化させ、膜電 位がさらにイオン電流を変化させる。このことが活動電位の定量的解析を困難にし ている。しかし、IN a , IK , IC l が 膜 電 位 の ど の よ う な 関 数 で 表 さ れ る か が わ 膜電位とシナプスの生物物理 平成 19 年 6 月 5 日 Page 3 か れ ば 、活 動 電 位 を 定 量 的 に 解 析 す る こ と が で き る 。こ こ で 、外 部 か ら 電 流 I を 流 し て 、 活動電位が起こるときの膜電位の変化をフィードバック的 に押さえることにより、dEm/dt=0 となり、 I = Ii o n = IN a + IK + IC l A-1 の簡単な関係が得られ、イオン電流を直接 測定することができる。A-1 はこのような 電位固定回路である。膜を横切るイオン電流と絶対値が等しく極性が反対の電流を 電気回路から与えることにより、膜電位の変化を抑え、コマンド電位に維持するこ とができる。このとき回路に流した電流がイオン電流の測定値を与える。 静止膜電位付近の-65mV では、形質膜 分極させると大きな電流が流れる。細胞 外から細胞内に流れる内向き電流はマイ ナスで、細胞内から細胞外へ流れる外向 膜電流 (mA/cm2) を横切る電流はわずかだが、膜電位を脱 3 -65 2 A-2 -35 0 1 26 52 0 0 5 10 65 -1 き電流はプラスで表される。このとき測 時間 (ms) 定される電流は、早い内向き電流と遅い 外向き電流の2つの成分からなっている。ステップ状に与える電位を徐々に大きく すると、A-2 のように早い成分は+52mV では認められなくなり、それよりプラス側 では外向きに反転する。これに対して遅い成分は常に外向きである。A-3 は横軸に ステップで与えたコマンド電位を縦軸に電流の大きさ をプロットした結果である。早い成分が反転する +52mV はイカ巨大軸索の ENa の+55mV にきわめて近い。 ここで Na+により運ばれる電流 INa は次の式で表される。 INa = gNa ( Em - ENa ) ここで gNa は Na+コンダクタンス(抵抗の逆数)と呼ば れる。すなわち、膜電位 Em が ENa よりも小さいときは マイナスの値を、ENa を越えるとプラスの値をとる。こ のことから早い電流成分は Na+電流を表していると考えられる。遅い成分は常に外 向きなことから K+電流 IK と考えられる。すなわち、 A-3 膜電位とシナプスの生物物理 平成 19 年 6 月 5 日 Page 4 IK = gK ( Em - EK ) gK は K+コンダクタンスである。 膜電位固定法で求められた Na+コンダクタンスや K+コンダクタンス以外に、膜電 位に依存しないコンダクタンスが存在する。このコンダクタンスは、静止膜電位に おける Na+、K+、Cl-の透過性に依存している。これを総称して、リーク(漏れ)コ ンダクタンス gL という。コンダクタンスを用いて、膜電位は一般に次の式で表され る。 d Em / d t = Cm-1 ( I – IL – INa – IK ) = Cm-1 { I - gL ( Em – EL ) - gNa ( Em – ENa ) - gK ( Em – EK ) } 静止膜電位では定常状態にあるので EL は静止膜電位に等しい。ここでは gNa, gK は 膜電位に依存するもののみを表す。ゆえに、静止膜電位およびその近傍では gNa = gK = 0 である。活動電位が起きているときは、INa,IKが大きいので、 d Em / d t ≈ –Cm-1 (INa + IK ) と近似的に表される。すなわち,INa+IK<0 の時は膜電位は脱分極し続けるが、INa+IK>0 になると膜電位は静止膜電位に引き戻される。活動電位はこのように INa と IK の膜 電位と時間に対する依存性により説明される。 INa、IK が膜電位と時間に依存するということは gNa、gK が膜電位と時間の関数で あると言い換えることができる。コンダクタンスは permeability とは異なる概念だ が、permeability が大きいとコンダクタンスも大きくなる。Hodgkin と Huxley により、 gNa、gK が Em および t のどのような関数になっているか詳細に解析された。A-4 は gNa、gK の時間依存性を表したものである。脱分極の時間が短いと gNa、gK はそれぞ れ指数関数的に 0 になるが、その速さは gNa の方 が gK よりも早い。このため、活動電位がそのピー クから下がりかけると急速に静止膜電位に戻るこ とが説明される。このような時間依存性は、次節 に述べるようにイオンを選択的に透過させるチャ ネルを仮定することにより説明され(チャネル仮 A-4 膜電位とシナプスの生物物理 平成 19 年 6 月 5 日 Page 5 説)、次のようにあらわされる。 gN a = (gN a )m a x m3 h, m = 1 - exp( -t / τm ), h = exp( -t / τh ) gK = (gK )m a x n4 , n = 1 - exp ( -t / τn ) τm , τh , τn がそれぞれ膜電位の関数になるが、τm はτh , τn に比べ1桁ほど小さい値を とる。A-5 は(gN a )m a x 、(gK )m a x の膜電位依存性をあらわしているが、この関係は、 以下のようにチャネルが閉状態と開状態を確率的に遷移するという仮定により導出 される。 チャネルが開(O)と閉(C)の2つの状態を取るとき、状態遷移の速度定数をそれぞ れα, βとすると、 α(Ε) C → O ← β(Ε) 閉→開確率が高ければマクロではαが大きくなる。逆に開→閉確率が高ければβが大 きくなる。電位依存性チャネルの場合、α, βは膜電位 E の関数である。 Na+チャネルのように不活性化があるものではチャネルは3つの状態をとる。 α γ C → O → I ← β イカ巨大軸索の K+チャネルのように不活性化を持たないものについて、ある膜電位 E で、開状態にある確率を n とすると、閉状態にある確率は 1-n となるので、以下 の関係が導かれる。 dn/dt = αn (1-n) – βn n = αn – (αn+βn) n A-5 膜電位とシナプスの生物物理 平成 19 年 6 月 5 日 Page 6 t = 0 のとき n = 0 とすると、τn = (αn + βn)-1 として、 n = n∞ (1 – exp(-t/τn)) となり、Hodgikin-Huxley の関係が導かれる。 活動電位の発生 すでに解説したように、神経細胞の膜は、次の式に対応している。 d Em / d t = Cm-1 ( I – IL – INa – IK ) = Cm-1 { I - gL ( Em – EL ) - gNa ( Em – ENa ) - gK ( Em – EK ) } 静止膜電位およびその近傍では gNa = gK = 0 とみなせるので、 d Em / d t = Cm-1 ( I – IL ) = Cm-1 { I - gL ( Em – EL )} となる。外部から与えた微小な電流 I が I > IL のとき,膜電位は脱分極する。しかし, 脱分極の結果 IL がオームの法則に従って増加し、I = IL となり,新たな定常状態にな る。ここで,外部から流す電流が 0 になると指数関数的に静止膜電位に戻る。 外部から与える電流がさらに大きくなり、それにともなう脱分極が大きくなると gNa ≠ 0 になる。しかし,gK の活性化は遅いので、gK = 0 とみなせる。すなわち、 d Em / d t = Cm-1 ( I – IL – INa ) = Cm-1 { I - gL ( Em – EL ) - gNa ( Em – ENa ) } IL と INa の符号は反対なので,外部から流す電流が 0 になっても,IL + INa = 0 となる膜電位で INa と IL が 釣り合う。このような脱分極電位は新たな定常状態 となる。しかし、時間とともに gNa が減少し gK が大 きくなるので、この定常状態は一時的でやがて静止 膜電位に戻る。さらに脱分極が大きくなると INa が IK や IL を上回り、イオン電流の総和は内向きとなり、 A-6 膜電位とシナプスの生物物理 平成 19 年 6 月 5 日 Page 7 さらに膜電位を脱分極させる。 A-6 は活動電位にともなう gNa、gK の時間経過を示したものである。gNa に比べ gK の戻りが遅いため活動電位の下降相において、静止膜電位を越えてさらに過分極す る後過分極電位が説明される。 膜電位とシナプスの生物物理 B. 平成 19 年 6 月 5 日 Page 8 伝達物質放出の素量仮説 軸索を伝播してきた活動電位がシナプス前終末に到達することにより伝達物質が放 出される.伝達物質の放出はどのようなメカニ ズムで起こるのだろうか? 運動神経終末近傍の骨格筋膜電位を測定する と,B-1 のような電位が自発的に観察される. B-1 この微小終盤電位 miniature EPSP の大きさはほ ぼ一定であるが,発生はランダムである.B-2 は,微小終盤電位の大きさの分布のヒストグラ ムである.この電位変化は,伝達物質アセチルコリンにより 引き起こされる膜電位変化であると考えられる.すなわち, このような電気的変化を引き起こすのに必要なアセチルコリ ンの量は,ほぼ均一で,10,000 分子かそれ以下と推測されて B-2 いる. 神経刺激にともなう EPSP は通常,閾値を超えるが,細胞 外の Ca2+を減らし,Mg2+を増やすことにより小さくなる.B-3 はそのような EPSP である.EPSP の大きさは一定ではなく,不連続にステップ状に変動する.ときど き無反応の欠落応答 failure が認められ B-3 る.このステップの間隔はほぼ一定で, 最小の EPSP の大きさにほぼ等しい.ま た,最小の EPSP は,自発的に認められ る微小終盤電位と,大きさ,形とも, ほぼ一致する.B-4 は,神経刺激にと もなう EPSP の大きさの分布を表すヒ ストグラムである.神経刺激による EPSP は自発的な微小終盤電位の 0, 1, 2, ....倍にピークを持つような分布をす る.このような性質の説明として以下 の仮説が提出される. 仮説1 仮説1 「自発性の微小終盤電位のおのおのが単一の素量である」 仮説2 仮説2 「EPSP には,単位になる量(素量)があり,活動電位にともなって同時に開口放 出される素量の数が EPSP の大きさを決定づけている」 B-4 膜電位とシナプスの生物物理 平成 19 年 6 月 5 日 Page 9 ここで,おのおのの開口放出が独立に起こると仮定する.小胞の総数を n, 1個の 小胞が放出される確率を p とすると,N 回のトライアルの内で,x 個の小胞が同時 に放出される確率は,次の2項分布で表される. nx / N = nCx px (1-p)n-x ここで,n が非常に大きいとき,あるいは p が非常に小さいときは,近似的に,m = np として,次のポアッソン Poisson 分布に従う. nx / N = (mx / x!) e-m 倍数 m は平均素量放出数と呼ばれる. 微小終盤電位の大きさの平均値を q,刺激誘発性 EPSP の大きさの平均を E とすると,仮説1,2か ら m=E/q の関係がある.B-4 の実験で,N=198,刺激誘発性 EPSP の平均は 0.933mV,微小終盤電位の平均は 0.4mV なので, n0 n1 n2 n3 n4 n5 n6 n7 n8 n9 予測値 -2.33 198 e 19 m n0 44 (m/2) n 1 52 (m/3) n 2 40 (m/4) n 3 24 (m/5) n 4 11 (m/6) n 5 5 (m/7) n 6 2 (m/8) n 7 1 (m/9) n 8 0 観測値 B-5 18 44 55 36 25 12 5 2 1 0 m = 0.4mV/0.933mV = 2.33 となる.ポアッソン分布にこの値を代入した予測値のゼロ応答の数は,19 になる. 実測値は 18 なので,とよい一致を示している.また,単位量の 1, 2, 3, ….倍の伝達 が起こる確率についても,予測値と実測値は良い一致を示す(B-5).この予測値にも とづいた EPSP の分布は,B-4 の曲線のようになり,EPSP の大きさの変動を説明す る.したがって,EPSP が素量の集まりであること,各素量の放出は,独立に,確 率的に起こることが明らかになった.1個の素量は,シナプス小胞1個の開口放出 に対応していると考えられている.シナプス小胞に含まれているアセチルコリンが, シナプス後膜の複数の受容体を同時に活性化することにより引き起こされる膜電位 の変化が素量である.すなわち,活動電位がシナプス前終末に到達したときに,何 個のシナプス小胞が同時に開口放出するかが確率的である.また,活動電位に依存 しない自発的な開口放出が微小終盤電位の原因である. 膜電位とシナプスの生物物理 平成 19 年 6 月 5 日 Page 10 話題 「重症筋無力症 myasthenia gravis とランバート・イートン Lambert-Eaton 筋無力症候群」 重症筋無力症は筋力の低下と疲労し易さを主症状とする疾患である.特に顔面の筋肉に症状 が強く現れ,眼瞼下垂,2重視,咀嚼・発声困難が初期に認められる.症状が強いときは呼吸 困難に陥る.このような症状は,クラーレ curare などによりアセチルコリン受容体を抑制した ときに見られる所見に類似している.事実,重症筋無力症患者の骨格筋終盤のアセチルコリン 受容体密度は,正常人に比べ減少している.重症筋無力症の患者の血中には,アセチルコリン 受容体に対する自己抗体が見いだされる.MG 患者の血清から得られた IgG を慢性的に投与し たマウスでは,正常人の IgG を投与したものに比べ,自発性の EPSP の大きさが小さくなる. これはアセチルコリン受容体に対する自己抗体が受容体に結合することにより,受容体が筋細 胞に取り込まれて分解されるためである.シナプス前終末から放出されたアセチルコリンは, アセチルコリンエステラーゼにより,速やかに加水分解されて,その活性を失う.重症筋無力 症では,シナプス前終末は正常なので,アセチルコリンエステラーゼの阻害薬を与えると,ア セチルコリンの作用が持続し,EPSP が大きくなる.アセチルコリンエステラーゼの阻害薬は 重症筋無力症の診断,治療に用いられる. ランバート・イートン筋無力症候群(Lambert-Eaton myasthenic syndrom LEMS)は,重症筋無力 症と同様に筋力の低下を主症状とする自己免疫疾患である.LEMS では,シナプス後膜のアセ チルコリン受容体に異常は認められないが,シナプス前終末からの素量放出が低下している. B-6 は,LEMS 患者由来の IgG を慢性的に投与されたマウス骨格筋 EPSP の平均素量放出数を 比較したものである.このような伝達物質放出の低下はシナプス前終末への Ca2+流入が低下し たことに起因していると考えられている. LEMS 患者血清には,シナプス前終末の Ca2+ チャネルあるいは Ca2+チャネルと共存する 膜蛋白に対する自己抗体が存在しているの で,これが,Ca2+チャネルを減少させる一次 的な原因になっていると考えられる. B-6
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