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「校長講話」 「 初のフルマラソン挑戦 」 ~感動と試練

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H.20 .10.1 第3回
「校長講話」
「 初のフルマラソン挑戦
」
~感動と試練~
全校集会での講話も第3回目、最終回となりました。
あと約2週間で第33回目を迎える校内マラソン大会ですね。今年が本校創立35年で
すから、ほぼ学校創立以来続いている伝統ある大会なのです。
諸君は2学期に入り 、体育の授業で相当な走り込みをしていますね。当日が楽しみです。
さて、先日のベルリンマラソンでとうとう2時間3分台の大記録がでましたね。エチオ
ピアのゲブレシラシエ、彼は「陸上競技長距離界で【皇帝】の異名、愛称をもつ絶対的な
チャンピオン、王様なのです。2時間3分59秒、とうとう4分の壁が破られました。し
かし、マラソン界では2分台いや1分台も出るのではないかと言われており、男子マラソ
ンも益々目が離せなくなりますね。
2時間4分を切る、ということはどんな速さか理解できますか?
1kmを3分ちょうど、
すなわち5,000m、5kmを15分ちょうどのペースで42kmを走りきると2時間6分なのです。
新潟県の高校生で、今年は5,000m、15分を切った選手は何名いたでしょうか。残念ながら
毎年数名しかいないんです。そのペースよりはるか速く走り続けないと駄目なのです。
君たちは体育の授業で、男子は3kmを走っているそうですね。体育科にたずねたところ、
今年の最高記録は10分ちょうど、1年生の生徒だということでした。正確には2.8kmとの
ことですので、ゲブレシラシエが走れば9分を切るスピードで帰ってくる、それどころか
そのままのスピードで14倍以上の距離を走りきるということになるのです。想像できます
か?
今の日本人選手では、このペースについていける選手は残念ながら誰ひとりとしていな
いでしょう。彼の記録はまだまだ伸びるでしょうし、またその記録を破れる力のある選手
と言えば、あの北京マラソンの金メダルを獲得したケニア生まれの日本育ちのワンジル選
手が有力でしょう。その他には、やはりエチオピア、ケニヤといったアフリカ勢力が最も
可能性があるのではないでしょうか。
さて、今日の本題は私の「初のフルマラソン挑戦」なのです。世界記録の話から、レベ
ルが随分と下がって申し訳ないのですが、平成元年(1989 )、今から約20年前にな
りますが、フルマラソン、42.195kmのレースに私が挑戦しました。
そのときを振り返ってみたいと思います。場所はハワイ、ホノルル。
「 Congratulations !」
なんと心地よい、全身に染み入るひびきだろう。町の人々、係りの人達そして先にゴー
ルした参加者も、ゴールしてくる栄光のランナー、「 Finisher 」に労いの絶大な声援と
「おめでとう!」を送ってくれるのです。私もそのゴールを駆け抜けた(?)時、何やら
胸に熱いものがこみ上げてきました。自分のものでないような重い、重ーい脚をひきずり
ながら、「本当に Finisher になれたんだ・・・」
­ 1 ­ 42.195km、数字で考えるほど、またテレビでのマラソン中継を眺めているほど生やさし
いものではありません。この長さは途方もない「何か」を秘めているのです。ゴールをし
た瞬間 、「私でもやれた!」というマラソン初挑戦の、38歳の自己満足とともに、とても
晴れ晴れとした、言葉には言い表すことができないほどの快感が全身を覆っていました。
そして、ゴール地点に張られた横断幕が改めて目に飛び込んできました。
そこには、「 Congratulations ! You did it!」
単なる文字が、こんなにも人の心に感動を与えるものなんだろうか。そこには感激のあ
まり泣き崩れる者、仲間、夫婦、恋人同士で抱き合っている光景、そしてもう動けないと
へたりこんでしまう姿など、数え切れない胸を打つシーンが繰り広げられていました。し
かし、これは走りきった人間でしか味わうことのできない、言葉では表現できない実感、
脚本のない体当たりの演技、ノーカット
シーンなのではないだろうか!
私のこの無謀とも言える挑戦は、口から滑ったほんの一言に始まったのです。鳥屋野体
育館でのトレーニング教室で指導をしていた折に、参加者の熱意に誘われてつい出てしま
った言葉 、「私もホノルルマラソンを走りたいと思う」に端を発したのです。しかしその
後数年が経ち、そのことを知る当時の体育科の先輩教師から「おいっ高山、おまえは口ば
っかりだな。ホノルルはやめたのか?」と、我が胸にグサリと刺さる忠言をいただいたの
です。そのような時に、BSNラジオの取材 、「越後人、真打ち登場」という番組に出演し
た際に、そこで鍵冨アナウンサーから「将来の夢」を問われ、ついつい「フルマラソンに
挑戦すること!」と答えてしまったのです。公共放送の電波にのせたわけですから、とう
とう後へ引けなくなってしまったのです。
私も教師の一人として、一つの理念を抱き続けています。それは今も変わりません。中
でも「生徒の個性の伸長への助力 」、要は、生徒が自分達の持ち味を伸ばし、挑戦するこ
とに、我々教師が精一杯支援することなのです。そんな中で逆に、教師自身の夢を子ども
達が叶えてくれることもあります。そんなとき、改めて子ども達の能力に目を見張り、我
が身を振り返ることも多かったのです。生徒を教える、指導する一方で我々も学んでいる
んだということも大切にしていたつもりです。自らも「反省、研鑽、実行」しなければな
らいと考えています。教師としての生活に「マンネリ化があってはならない」とも思って
いましたし、今もそうです。当時は、陸上競技部の顧問でしたが 、「短距離、ハードル」
が専門、どちらかというと長い距離を走ることが嫌いなほうで、マラソンなど思いもよら
なかったことでしたから 、「内心、しまった!」と思いながらも 、「口に出した以上、や
らねばなるまい! 」、自らに鞭打つことも併せて、新たな「挑戦」を決意したのでした。
その年、大会を20日後に控えた11月23日、トレーニングの一環として30km走に挑みまし
た。我が家から10km離れた学校へ、そして鳥屋野潟を一周し、再び家へというコースでし
た。最初は 、「弥彦まで走り、そこで温泉につかって」などと悠長なことも考えていまし
たが、練習を積むにつれ、逆にその距離のもつ恐ろしさを実感するようになりました。だ
から近くの場所でトライアルをしたのでした。
9月半ば頃から少しずつ走り始めたのですが、自分でもまさか30kmを事前に走ろうなど
とは考えてもいませんでした。しかし、走れば走るほど「42km、フルマラソン」への自信
の無さ、恐怖心が出てきたのです。いささか肥り気味の私でしたが、11月には約200kmを
走りました。通常の生活では考えられないことです。これも人間が「目標をもつことの重
­ 2 ­ 要性」を示した端的な例でしょう。
私は、走りに出るときには必ず「110円」を持って行きました。10円は緊急時の電話用、
100円はジュース代金です。使わなかったときは貯金箱へ。おかげで「 ランニング貯金箱」
もだいぶたまり、旅行の小遣いの足しになったものです。
いよいよ大会当日、現地12月10日。
朝3時起床、おにぎりの朝食で、4時30分宿舎を出発です。バスで出発地近くの公園へ
向かいました。そこは異様な熱気と歓声に包まれていました。まだ暗闇の中でしたが、色
とりどりのランニング、レオタードを身につけた、とんでもない数のランナーがW-Upに精
を出し、興奮の坩堝と化していたのです。
5時30分、花火を合図に1万人の人の群れが動き出しました。日の出前の「蠢き(うご
めき )」です。私は、元ラガーマン、当時人気の松尾雄治キャスターと同じ列、すなわち
最後尾からのスタートでした。よく見ると、頭に大きな花飾りをつけたランナー、紋付き
羽織袴の応援団あり、そして世界各国からの参加者達、まさしくこのホノルルマラソンを
物語るにふさわしい光景そのものがそこにはあったのです。
私のレース設計、それは10kmまでは「あせらずユックリズム」、10kmごとに体操を入れ、
とにかく「歩くことだけはすまい」というものでした。一緒のツアーの仲間と高まる心を
押さえながら、敢えて声のトーンを落としながらの会話を交わして、そんな未知への出発
でした。
日の出前だというのに沿道には声援の波 。「えっ、なんでこんな大勢? 」、これには驚
きました。真っ黒な中でのスタート、私たちのところからスタートラインまで3分以上か
かりました。そしてスタートしてから1時間くらいが過ぎたでしょうか、空が、真っ黒な
暗闇から青みを帯びた明るいシルエットに次第に、静かに変貌していくのです。大きな空
のカーテンがゆっくりと色を変えながら開いていくのです。なんともいえないパノラマで
す。見た人、万人が感動するに違いありません。そして沿道の人の数もどんどん増えてい
くのです。3kmごとの給水地点では何十人ものボランテイアがスポンジ、ドリンクを温か
く渡してくれます。そしてその手を通して「優しさと声援」が伝わってくるのです。
「 Take it easy ! 」、「 Relax ! 」「 Looking good ! 」「 You can do it ! 」など
様々な声援が送られてきます。
「 Take it easy ! 」気楽に、「 Relax ! 」、「 Looking good ! 」格好いいよ、「 You
can do it ! 」やれば出来る。それぞれの家庭の前でデッキチェアーを持ち出し、一日
中応援してくれているのです。中には、自前でビール、あれはバドワイザーだったかな、
それを提供している家庭もありました。私も飲みたかったのですが、戻りの38km地点だっ
たので、余力ゼロ、ただうつろな視線が向くだけで、 「 No thank you ! 」と言うのが
精一杯でした。こんなにも一般の人々に支援される、応援されるマラソンがあったのか思
うと、参加したことへの満足感が膨らみ、時には「涙さえ浮かぶシーン」も何度かありま
した。
10km 85分、20km 2時間40分、30km 3時間40分。20km過ぎてから前のランナーが面
白いように抜けるのです。これが「過ちのもと」で、32km地点から大幅にペースダウン。
早め早めと水分を採り、バナナも食べたのに・・・、足取りは、足はどんどん自分のもの
­ 3 ­ でなくなっていくのです。ゴール4km手前からは心臓破りの丘、ダイヤモンドヘッドの2
kmの上り坂が待っていたのです。自分では走っているつもりでも、周りから見ればひょっ
として「歩き」に見えていたかもしれません。声にもならない「嗚咽」、むせび泣きに似
た状態。でも「歩いてはいけない!」ただただ、自分に言い聞かせて!
これが、そのときの「 Tシャツ 」です。ゴールした者だけ、いわゆる「 Finisher 」
にだけ与えられるものなのです。その他に、今は無くしてしまいましたが、首にはお手製
の「貝がらで作られたレイ」がプレゼントされるのです。
「 This is to certify that on December 10 ,1989
Toshihiko Takayama 5;13;05
Placed 5969 th of 9672 Overall 710 th of 910 Males aged 35 to 39 and 4848 th of
7175 Males 」
これは表彰状ならぬ「記録証」に書かれてある内容ですが、これが私のホノルルマラソ
ンを走った「証」なのです。そのとき、人間として、一人の教師として、新たな心の拠り
所、自信の一つをつかめたような気持ちでした。そして、多くの人々の優しさ、温かさに
触れることのできた数日間だったと、いまでも鮮明に記憶に残っています。
この「 Tシャツ 」、「貝がらで作られたレイ」を着て、ぶら下げて買い物に行くと、そ
れぞれのお店では「 Cnongratulations ! 」「 You are Finisher.」と必ず握手で迎えて
くれ、全てのお店で10%のデスカウント、割引になるのです。
そうだ、大事なこと、話題をもう一つ提供します。
ハワイの現地テレビ放送では、ホノルル・マラソンを完走するための
「4つの秘訣、
key points、鍵」というものを何度もオンエアーしていました。皆さん、
「どんな内容か」
想像してみてください。それは、
「 visualization 」「 communication 」「 relaxaion 」「 mind talk 」 というもの
です。皆さんわかりますよね!
visualization、「周りの景色を眺めながら」
communication、ゆっくり走る人は 、「仲間と、周りの外国人とも、楽しく会話しなが
ら 」、そうすれば時間の経つのも、距離が過ぎていくのも早いでしょ
う。
relaxaion
、とにかく「力まない、リラックスしながら」
mind talk
、しかし、最後はやはりきつい戦い、自分との戦いなのです。「自分の
心に問いかけながら」頑張るしかないのです。
もう一度、「 visualization 」「 communication 」「 relaxaion 」「 mind talk 」
いつか、どこかでマラソンに挑戦する時、思い出してください。
いや、これはマラソンばかりでなく 、「人生を歩む、これからを生きていく上でも」大
事にしなければならないことではないでしょうか。
「 visualization 」視野を広く、「 communication 」多くの人々との交流、「 relaxa
ion 」肩肘はらず、「 mind talk 」己との対話、どうか覚えておいてください。
では、17日のマラソン大会、是非とも「練習の成果」を発揮してください。
­ 4 ­ 
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