わが国における音楽教育の課題

椙山女学園大学教育学部紀要(Journal of the School of Education, Sugiyama Jogakuen University)5:241〜250(2012)
特集
(Special feature)
わが国における音楽教育の課題
Short history and recent problems of music
education in Japan
畠澤 郎
Tsukasa Hatazawa
1.はじめに
子どもは歌うことが好きである。とりわけ、幼児期から小学校下学年頃までの子ど
も達は、知っている曲の前奏が始まるやいなや歌い出す。まるで音楽は彼らの生活の
一部であるとも思えるほどである。ところが、進級していくごとに“音楽の授業は嫌
いだ”という子どもが増えてくる傾向が見え、教育界では“学校音楽校門を出でず”
といわれてきた。実際に私がこれまで接してきた学生や社会人の多くからは、“音痴
で音符が読めない”とか“音楽は特殊な人間のすることである”等、音楽は自分の生
活に無関係だというような声を耳にしてきた。しかし、私が体験してきた学校現場で
の指導を振り返ると、子ども達は嬉々として音楽活動をしていたように思う。中には
音楽方面の道に進み、専門家として活躍している教え子もいる。
音楽は人間生活に潤いや活力をもたらすものであり、また教育課程に位置づけられ
ている科目でもあるが、不得意にさせるのは小・中学校のどの段階で、何がその起因
となっているのであろうか。
本稿では、わが国の音楽教育を史的に概観するとともに、教育界が抱える問題を提
起したい。
2.わが国の音楽教育
⑴ 黎明期の音楽教育
わが国の近代学校教育制度は明治 5(1872)年の学制発布によって確立された。音
楽は小学校の教科課程の一科目に“唱歌”として設けられたものの、長い鎖国政策の
間に築かれてきた伝統音楽ではなく欧米音楽を移入することにしたのであった。その
ために具体的な教材はおろか指導できる教師もいないことから「当分之ヲ欠ク」の但
し書きのもとに、当初は実際の指導が行われなかった。しかし、“読み書き算盤がで
きればよい”という当時の社会通念から考えると、音楽が教科課程の科目として位置
づけられたことは画期的なことであったといえよう。
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畠澤郎/わが国における音楽教育の課題
このような中、文部省は明治 8 年に伊澤修二ら 3 名を「師範学科取調」のために派
遣生としてアメリカに留学させた 1)。帰国した伊澤らの「唱歌法取調書」や「音楽取
調掛設置の上申書」の提出により、文部省は明治 12 年に音楽取調掛を設置し、伝修
生に洋楽中心の音楽訓練を始めた。この音楽取調の事業では、第一「東西二洋ノ音楽
ヲ折衷シテ新曲ヲ作ルコト」
、
第二「将来国楽ヲ興スベキ人物ヲ養成スル事」、第三「諸
学校ニ音楽ヲ実施スル事」が掲げられた。そして、明治 14 年にわが国初の音楽教科
書「小學唱歌集」が第一編として出版された。その楽曲の選定はむやみに欧米の音楽
を集めたのではなく、わが国の伝統的な音律に合うような楽曲が多いスコットランド
やイギリス民謡等から採用された。中には今日でも歌われている「蛍の光」、「むすん
で ひらいて」
、
「ちょうちょ」などの曲が掲載されている。その後、明治 16 年に第
二編、明治 17 年に第三編と相次いで出版された。
このような教材のもとに、
「唱歌」教育は明治 20 年頃から音楽取調掛(明治 20 年に
東京音楽学校に改称)
で教育を受けた教師達の赴任によって漸次地方でも行われ始め、
全国の学校でも実施されるようになった。
⑵ 軍国主義時代の音楽と教育
このような経緯を辿りながら唱歌教育は徐々に学校教育制度の中に定着していった
が、
小學唱歌は難解な文語体の歌詞によるものであった。その間に日清戦争(明治27年)
や日露戦争(明治 37 年)が勃発し、民間においては軍歌が流行し始めた。また、田
村虎蔵・納所弁二郎らによる「幼年唱歌」や東くめ・滝廉太郎による「幼稚園唱歌」
等が出版された。すなわち“言文一致唱歌”の出現である。話し言葉風の歌詞内容が
理解しやすい言文一致唱歌は、子どもたちや一般庶民にも親しまれた。これらの言文
一致による唱歌について、当初は文部省や教育当局者たちから反発もあったが、その
後の小学唱歌の改革に大きな影響を与えることになった。また、この頃には5音音階
のいわゆる“ヨナ抜き”旋法による唱歌調が完成し、この音階による滝廉太郎の「お
正月」や「鳩ポッポ」等は現代まで歌い継がれている。
第一次世界大戦終了後、大正ロマン・デモクラシーといわれる風潮の中で生まれた
のが“童謡運動 2)”である。これは鈴木三重吉による童話雑誌「赤い鳥」の刊行(大
正 7 年)に始まり、北原白秋、三木露風、西条八十、野口雨情らが参画した。さらに、
作曲家の山田耕筰、成田為三、近衛秀麿たちの協力によって詩に旋律を付した童謡へ
発展した。
昭和年代に入ると、世相の動向は軍国主義化の傾向が強まり、それにつれて学校音
楽はその方向に組み込まれていくことになる。特に昭和 12(1937)年の日中戦争突
入後は学校にも全面的な協力が強く求められるようになり、学校行事や儀式の場では
「愛国行進曲」
、
「愛馬進軍歌」
、
「海ゆかば」等が国民歌として歌われるようになった。
そして、
昭和 16 年にはさらに戦時体制傾向が強化され、学校は制度改革によって「国
民学校」となった。それとともに「唱歌」は「芸能科音楽」と科目名が変わり、従来
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椙山女学園大学教育学部紀要 Vol. 5 2012 年
の唱歌に器楽や楽典、鑑賞等が加えられた。このように音楽の学習領域が広げられた
ものの、国定教科書によって進められる教育であり、しかもその内容は国策上の徳性
の涵養、聴覚訓練としての絶対音感教育等であった。すなわち、潜水艦の機械音や飛
行機の爆撃音の聞き分けなど、国家防衛の目的も含めて行われたのである。このよう
に、第二次大戦時の学校音楽は軍国主義国家の手段として利用され、芸術としての音
楽教育とは程遠いものであったといえよう。
⑶ 学習指導要領による音楽教育
戦後の教育は、民主的・平和的な国家建設をめざす憲法の理念のもとに、六三制の
新体系と学習指導要領による教育に転換されることになるが、終戦直後はアメリカ
GHQ の「民間情報教育局」
(CIE)の監督下に置かれた。そして、国民学校時の芸能
科音楽は「音楽科」と科目名が改められ、軍部の強い圧力のもとに採用された音名唱
法(ハニホヘトイロ)も階名唱法(ドレミファソラシ)に復活した。
学習指導要領・音楽編の作成には作曲家の諸井三郎がその任にあたることになった
が、諸井は、『~従来の考え方のうちには音楽教育を情操教育の手段として取り扱う
傾きがはなはだ強かった。
(略)しかし音楽は本来芸術であるから、目的であって手
段となり得るものではない。
』として、音楽教育の目標を「音楽美の理解・感得」に
おいた。つまり、芸術としての音楽による教育を強調したのである。その一方で『音
楽教育が情操教育であるという意味は、音楽教育即情操教育ということで、音楽美の
理解・感得が直ちに美的情操の養成となる。3)』という記述がみられる。しかし《美
的情操》の説明がなく、教科目標としてめざす「情操」の概念が曖昧なままに以後の
学習指導要領に使われることになった。
この学習指導要領では音楽の学習領域を歌唱、
器楽、鑑賞、創作に設定し、昭和 22 年 6 月に音楽編が試案として刊行されたが、昭和
26 年には改訂された第二次学習指導要領がやはり試案として刊行された。その後は
時代や社会背景の変化とともに目標・内容の改訂が行われ、およそ 10 年ごとに告示
されてきている。平成 20 年に告示された第八次の小学校学習指導要領<音楽>の目
標は「表現及び鑑賞の活動を通して、音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育て
るとともに、音楽活動の基礎的な能力を培い、豊かな情操を養う」と示され、移行期
を経て平成 23 年度から実施されている。
以上、黎明期からこれまでの音楽教育の歩みを見たが、子どもの音楽のために取り
組んだ先人達の苦労や努力が窺がえるものの、現場教育は全国的に好転しない状況が
続いている。
3.指導体験から音楽教育を考える
ここで、私がこれまで教師として勤務した学校現場や教員養成大学における指導を
振り返ってみたい。
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畠澤郎/わが国における音楽教育の課題
⑴ 現場での指導体験から
私が現場教員としての勤務は高校から中学校、そして小学校でり、子どもの発達段
階とは逆の場面から現場を体験することによって問題点を鮮明にすることができた。
すなわち、高校生の問題はその前段階である中学校教育にあり、中学生の問題は小学
校教育にある、ということである。
最初の勤務は女子高校の非常勤講師であった。選択音楽のクラスは歌うことが好き
な生徒達だったが、その多くは読譜力に乏しく、新曲教材の学習ではフレーズごとに
模唱させる方法をとらざるを得なかった。当時の学習指導要領では、小学校において
既に♯や♭のついた調子までの学習が指導内容として示されていたのにも関わらず、
彼女たちは身に付けることができなかったということになる。もし読譜に堪能であっ
たならば、生徒は自主的に音楽を楽しむことができたはずである。
次の勤務校は中学校であった。成長過程からみられる中学生の時期は、一般に情緒
不安定な子どもが多いことに加え、高校受験に課せられない教科に対する取り組み姿
勢は低いといわれる。勤務した附属中学校生の音楽知識や技能に関する能力には問題
はなかったものの、当初は音楽に対して醒めた感じの授業態度であった。しかし、興
味や関心を示す教材内容には意欲的にそして主体的に取り組む様子がみられた。すな
わち、基礎的な能力を身に付けておけば自主的な学習ができるということであり、彼
らの音楽嗜好をとらえた教材開発研究が必要であることに気づかされた。
小学校の勤務はやはり附属校であった。小学生への指導は、まっさらなキャンバス
に絵を描くような、まさに“打てば響く”という具合で、子どもたちは興味を示すと
何事にも積極的に取り組む様子が見られた。この時期こそ基礎的な事項をしっかりと
学ばせることが大切であることをこれまでの勤務を通して痛切に思ったことである。
小学校学習指導要領に示された事項を理解できれば、ほとんどの音楽表現に困ること
はない。教科書ではそれらについて理解しやすいように工夫されており、授業の中で
子どもにそれを意識させるかどうかによって定着の程度が決まってしまうように思
う。つまり、理解事項は歌唱や器楽等の学習内容と関連付けながら進める授業展開を
工夫することが大事になるのである。
⑵ 教員養成学部での指導体験から
私がこれまで勤務してきた教員養成系の大学学部では、小・中学校音楽の教科教育
法、音楽科教材研究、音楽実技等を担当したが、ここでは小学校及び幼稚園教員をめ
ざす学生への指導に関する問題について述べる。
小学校の音楽教育に関する指導法や実技の授業では、音楽に対するコンプレックス
のためか授業に臨む学生の姿勢は消極的であり、授業展開に戸惑うことが度々であっ
た。しかも音楽的な能力が乏しく、その実態を捉えるために小学校で学ぶべき知識・
理解事項の音符、
休符、
諸記号(約 40 事項)の音楽用語について調査をした。その結果、
すべての用語名や意味を理解している学生は 3 割ほどで、中でも女子学生に比べて男
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椙山女学園大学教育学部紀要 Vol. 5 2012 年
子学生の理解程度が特に低かった。この調査は勤務した各大学で実施したがどこでも
似たような実態であり、講義では小学校で学ぶべき学習内容の復習から始めなければ
ならなかった。ほとんどの受講生は何とか授業内容をクリアしたものの、生煮え的な
知識や鍵盤技能の状態のままで現場教育に携わる彼らの姿を想像すると背筋が寒くな
るような思いであった。
この指導体験からも小学校における基礎的な学習の重要さとともに、音楽専科の必
要性を感じている。都市部の大規模小学校では音楽のほかに図画工作、理科等の専科
教員をおくことが多いが、それもほとんどの学校では高学年クラスの担当である。し
かも予算面の都合から削減される傾向にある。子どもの音楽的成長のためには、音楽
だけでも全国のすべての小学校に低学年から担当する専科教員を配置してほしいもの
である。
4.音楽教育界が抱える問題
わが国の学校教育に欧米音楽導入による教育が始まってから 140 年になろうとして
いる。その間の演奏技術面の進歩はめざましく、今日では世界的に活躍する数多くの
音楽家が生み出されている。しかし、そのほとんどは学校音楽とはまったく別の養成
機関や専門家によって育てられたものである。
戦後の新しい教育理念に基づく教育も既に 60 年以上の歳月が過ぎた。学習指導要
領は、時代の変化に即してこれまで数回にわたって改訂が行われてきた。しかし、先
に述べたように音楽教科については一向に改善されない状況が続いている。
これに関して考えられる一つに、前項に挙げた第一次学習指導要領に設定された音
楽科の目標《美的情操》の概念について曖昧なままにされてきたことが考えられる。
美的情操について、音楽は芸術であるから“音楽美を追求する”考え方と、人格形成
の上から“美的感性を培う”考え方と、捉え方に違いがある。前者の考えにたつ教育
は、知識や技術偏重の指導になりがちとなり、訓練的な学習によって音楽嫌いの子ど
もを生み出してしまうことが考えられる。
このような教育について、昭和 30 年代後半頃から音楽評論家や作曲家たちから音
楽教育批判が見られた。たとえば、芥川也寸志は『一般的にいって小・中学校の音楽
教師諸氏は、音楽を教えようと努力するのあまり、音楽から学ぶことを忘れている。』
と指摘、
『ここがリズム、
ここがハーモニー、
この部分がメロディという具合に、~(略)
~音楽的知識を与えようとしているかに見えるがどうだろうか』と、疑問を投げかけ
た。また、評論家の宇野功芳は『真の教育は教科を通しての人格完成であるにもかか
わらず、事実は知識の切り売りと何ら変わるところはない』と批判した。4)
第五次学習指導要領(昭和 52 年)以降の目標からは「~豊かな情操を養う」と示
されるようになった。しかし、現場教員の中には目に見えるような指導成果をあげよ
うとするためなのか、相変わらず技能中心の教育に取り組んでいる指導者は少なくな
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畠澤郎/わが国における音楽教育の課題
いように思われる。
次に考えられるのは教員養成における問題である。中・高校課程の教科免許を取得
する学生は別として、小学校の全科免許取得希望者には多くの教科指導法に関する科
目の履修が課せられる。また、実技教科としての音楽の場合、技能習得のための練
習時間が充分に確保できないという現実的な問題がある。特に音楽の不得意な学生に
とっては苦労する様子が見られ、単位は何とか取得することができても授業内容につ
いては未消化のままに卒業して現場へ赴くことになる。そのことが音楽指導に対する
苦手意識となり、消極的な取り組みとなってしまう。そのような指導姿勢は、それを
敏感に捉えた子どももまたそのような取り組みとなり、音楽の授業はつまらなくて嫌
いという子どもにしてしまうのである。つまり“子どもは教師(担任)の姿を映し出
す鏡”ということである。
また、教員採用に関する問題も挙げられる。各都道府県の教員採用は、校種ごとに
行われており、採用後の異動は小学校採用であれば小学校のみで、中・高等学校も同
様である。このようなことから、中学校の教員は小学校現場を、また小学校教員は中
学校の現場の様子が分からないのである。鹿児島県の場合は島嶼にともなう小・中併
置校が多いことから両免許を取得することを推奨しているが、原則は採用時の校種内
の異動である。校種間の人事異動が実施されるようになれば、教師の子どもに対する
教育観や指導方法が大きく変わるように思われるが、これについては教育行政上の問
題であり、また免許に関する法改正も必要となろう。
ほかに課外の部活動に関し、予算がともなう問題がある。音楽科は他の教科に比べ
て楽器の購入やその維持のために多大な費用を必要とする。申請した予算を獲得する
ことができても、それに見合うような活動の成果をあげることが期待されることが多
い。そのために技能中心の指導になってしまうことになる。
そしてもっとも大きな問題は、部活動の吹奏楽や合唱コンクール等で良い成績をお
さめた指導者は、優秀な先生として評価されることは周知の通り通りである。またそ
のような教師は早く出世することも事実のようである。ある都市の中学校で『午前中
は度々休暇をとって午後に出勤する音楽の先生がいる』ということを耳打ちされたこ
とがあるが、本末転倒な話で耳を疑ったほどである。授業こそが教師の本務であるべ
きであるが、授業を休まれた子ども達は普段どのような気持ちで音楽授業に向き合っ
ていたのであろうか。
学校音楽は、表現(歌唱・器楽・創作)と鑑賞の 2 領域の学習活動によって展開さ
れることになっている。しかし、学生達への聞き取り調査によると学習のほとんどは
歌唱または器楽であり、創作学習の経験は皆無であったようである。また鑑賞学習に
関しては、鑑賞後の感想文提出が課せられることから、つまらない授業と回答した学
生が多かった。しかし、鑑賞こそが音楽的な感性を育むために最も重要な学習活動で
ある。感動するような素晴らしい演奏を聴くことが学習への取り組み意欲を喚起させ
るために最も重要な学習活動であるのである。
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椙山女学園大学教育学部紀要 Vol. 5 2012 年
J.L. マーセルは『音楽の知識や技術は樹でいえば枝であって、幹ではない』こと、
そして『音楽の学習が本当に子どもの心を引く活動であったら、強制されなくても、
その活動は学校の外で自然に行われるようになるだろう。それは、生徒の心の中に、
他から強いられたものでない本当の目的意識が喚起されたしるしである。
』5)と述べ
ている。
音楽の教育は、歌唱や器楽の技術面についての指導や訓練ができても、表現の工夫
に関する感性面についての指導は不可能であり、指導者がどんなに力んでも子どもの
心の中に取り組もうとする気持ちが働かなければ授業として成立しないのである。
5.おわりに
本論では、わが国の音楽教育界が抱える多くの問題を挙げたが、このような中でも、
地道ながらも子どもの音楽的な成長を願いながら指導に取り組んでいる教師は多い。
すなわち、
「教わる側に立場にたつ」ような教育観による指導姿勢こそが、音楽教育
界の問題解決とともに教育行政改革にも繋がることになるのである。
■注――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1) 上沼八郎「伊澤修二」pp.55~pp.56 日本歴史学会編 昭和 37 年
2) 上 笙一郎 日本童謡事典 p.262 東京堂出版 2005 年
3) 木村信之 昭和戦後音楽教育史 pp.44~45 音楽之友社 1993 年
4) 木村信之 昭和戦後音楽教育史 p.226 音楽之友社 1993 年
5) ジェームス・L・マーセル / 美田節子訳 音楽的成長のための教育 p.42、p.83 音楽之友社
1992 年
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畠澤郎/わが国における音楽教育の課題
畠澤郎 先生 業績目録
List of Publications of Professor Tsukasa HATAZAWA
2008 年(平成 20 年)3 月
鹿児島大学教育学部定年退職
2008 年(平成 20 年)4 月
椙山女学園大学教育学部教授
2011 年(平成 23 年)3 月
椙山女学園大学教育学部退職
2011 年(平成 23 年)4 月
鹿児島国際大学国際文化学部音楽学科教授
業績目録
畠澤郎 先生(2011 年 12 月)
1.著書
1) 発展的学習能力の評価(共著).1973 年(昭
畠澤郎先生 略歴
和 48 年)11 月,明治図書,共著者:渡辺孝三・
1963 年(昭和 38 年)4 月
柘植厚了・畠澤郎 他 30 名,本人担当部分:
東京学芸大学教育学部
第二部Ⅴ音楽科共同執筆,p.143 ~ p.151 特別教科教員養成課程音楽科入学
p.157 ~ p.159.
1967 年(昭和 42 年)3 月
2) 豊かな人間の育成をめざす教育課程「学校
東京学芸大学教育学部
教育目標の再検討と具現化」(共著).1976
特別教科教員養成課程音楽科卒業
年(昭和 51 年)11 月,明治図書,共著者:
教育学士
菊池光秋・柘植厚了・畠澤郎 他 32 名,本
1968 年(昭和 43 年)4 月
人担当部分:第二部Ⅴ.音楽科共同執筆,
東京学芸大学教育学部附属竹早中学校
教諭「音楽」
p.122 ~ p.127 p.131 ~ p.132.
3) 豊かな人間を育てる実際指導「指導内容の
1973 年(昭和 48 年)4 月
重点化・構造化と授業改善」(共著).1979
東京学芸大学教育学部附属小金井小学校
年(昭和 54 年)10 月,表現研究所,共著
教諭
者:伊津野朋弘・畠澤郎・島崎篤子 他 32 名,
1989 年(平成元年)4 月
本人担当部分:第二部Ⅴ.音楽科共同執筆,
北海道教育大学教育学部旭川分校助教授
1992 年(平成 4 年)10 月
p.183 ~ p.184 p.194 ~ p.198.
4) 豊かな人間を育てる指導と評価「教育課程
奈良教育大学教育学部助教授
の改善をめざして」
(共著).1982 年(昭和
同大学院教育学研究科音楽教育専攻担当
57 年)11 月,表現社,共著者:伊津野朋弘・
1994 年(平成 6 年)4 月
畠澤郎・島崎篤子 他 32 名,本人担当部分:
日本女子大学人間社会学部助教授
第二部Ⅴ.音楽科共同執筆,p.173 ~ p.176
1996 年(平成 8 年)10 月
鹿児島大学教育学部教授
p.180 ~ p.183 p.193 ~ p.194.
5) 小学校各教科・道徳学習指導案の作り方「音
1998 年(平成 10 年)4 月
楽」(共著).1985 年(昭和 60 年)9 月,一
鹿児島大学大学院教育学研究科教授
ツ橋書店,共著者:次山信男・田中延男・
2001 年(平成 13 年)4 月
畠澤郎 他 7 名,本人担当部分:音楽科編
鹿児島大学教育学部附属小学校校長
鹿児島大学教育学部附属幼稚園園長
執筆,まとめ p.139 ~ p.164.
6) 自ら学ぶ力が育つ学習(共著).1986 年(昭
2006 年(平成 18 年)4 月
和 61 年)9 月,東洋館,共著者:小林弘・
鹿児島大学教育学部附属養護学校校長
畠澤郎・島崎篤子 他 30 名,本人担当部分:
第二部Ⅴ.音楽科共同執筆,p.121 ~ p.123
248
椙山女学園大学教育学部紀要 Vol. 5 2012 年
p.137 ~ p.140.
7) 自己学習能力を育てる理論と実践「高学年
章の一「附属学校」を分担執筆,p.632 ~
p.646.
編 」( 共 著 ).1987 年( 昭 和 62 年 )11 月,
16)新編 音楽科教育法(共著),2009 年(平
ぎょうせい,共著者:藤原喜悦・下山剛・
成 21 年)3 月.音楽教育研究協会,共著者:
成田國英・畠澤郎 他 11 名,本人担当部分:
大山美和子・小原光一・畠澤郎・宮野モモ
第 2 部音楽執筆 p.160 ~ p.171.
子 他 10 名,本人担当部分:企画・構成、
8) 幼児と音楽教育
(共著).1991 年(平成 3 年)
4 月,大空社,共著者:赤津裕子・井口太・
Ⅰの 1 ~ 4,Ⅱの 3 を執筆 p.6 ~ p.49、p.81
~ p.83.
畠澤郎 他 16 名,p.36 ~ p.39 p.68 ~ p.69
p.77 ~ p.80 p.119 ~ p.127.
9) SONARE 音楽科教育実践講座 6(共著).
1992 年(平成 4 年)2 月,ニチブン,共著
者:中江真由美・石上則子・畠澤郎 他 39 名,
本人担当部分:第 6 章「ふしをつくる学習
指導」分担執筆 p.270 ~ p.284.
10)小規模校の音楽指導-複式・複々式を中心
に -( 共 著 ),1992 年( 平 成 4 年 )10 月,
ぎょうせい,共著者:野村公・畠澤郎・篠
原秀夫,本人担当部分:Ⅱ部実際編,Ⅲ部
活用編第 1 章執筆 p.127 ~ p.195.
11)教員養成大学小学校課程用 新編 音楽科教
育法(共著).1994 年(平成 6 年)1 月,音
楽之友社,教員養成大学音楽教育研究会
2.論文
1) 畠澤郎(1983)器楽教育の現状と課題.季
刊 音楽教育研究 36:66-73.
2) 畠澤郎(1985)教育実習生による音楽指導
の現状と問題点.季刊 音楽教育研究 46:
134-140.
3) 畠澤郎(1988)教育実地研究における研究
生の意識に関する研究.東京学芸大学教育
実習指導センター紀要 134-140.
4) 畠澤郎(1988)音楽の自己学習能力の育
成について.季刊 音楽教育研究 57:186191.
5) 畠澤郎(1990)聴き取ることと感じ取るこ
と.季刊音楽教育研究 62:25-32.
(編),共著者:石沢真紀夫・泉靖彦・畠澤
6) 畠澤郎(1992)生涯学習社会における音楽
郎 他 29 名,本人担当部分:第 2 章器楽指
教育について.北海道教育大学旭川分校生
導の 2 執筆,p.126 ~ p.128.
12)新しい授業学への展望(共著).1994 年(平
成 6 年)10 月,渓水社,共著者:伊東治己・
岩本廣美・畠澤郎 他 17 名,本人担当部分:
第 6 章音楽の授業分担執筆 p.71 ~ p.81.
13)新版 初等科音楽教育法(共著).2000年(平
涯学習叢書 1:133-143.
7) 畠澤郎(1993)音楽活動と動きについて.
季刊音楽教育研究 74: 24-31.
8) 畠澤郎ほか(1994)教員養成大学における
授業研究と教授スキル能力の育成の研究.
奈良教育大学特定研究報告書 42-45.
成 12 年)4 月,音楽之友社,初等科音楽教
9) 畠澤郎(1995)初等科教育における教材開
育研究会(編),共著者:泉靖彦・伊藤栄
発研究(その 1)「音楽教育に対する学生
一・畠澤郎 他 39 名,本人担当部分:第 2
の意識」.日本女子大学人間社会学部紀要
部 第 2 章Ⅳ.アンサンブル・器楽合奏執
筆 p.129 ~ p.131.
14)音楽と近代教育「青少年の音楽活動」(共
著).2005 年(平成 17 年)12 月,開成出版,
河口道朗監修「音楽教育史論叢」第Ⅱ巻,
第 5:285-292.
10)畠澤郎(1996)初等科教育における教材開
発研究(その 2)「音楽教育の目標と内容
の検討」.日本女子大学人間社会学部紀要
第 6:109-116.
共著者:河口道朗・山口文子・畠澤郎 他
11)杉江正美・畠澤郎・笹井邦彦・大串和久・
12 名,本人担当部分:第四章の二「吹奏
原田文夫(2001)ミュージック・ラボラト
楽の興隆」を分担執筆 p.242 ~ p.255.
リー・システムによる音楽教育白書.本
15)音楽教育の内容と方法「授業研究の成果」
人担当部分:全日本電子楽器教育研究会
(共著).2005 年(平成 17 年)12 月,開成
出版,河口道朗監修「音楽教育史論叢」第
M.L. システム部会における「研究の歩み」
執筆 9-15.
Ⅲ巻(下),共著者:河口道朗・加藤富美
12)畠澤郎・宮原真紀・美園美和(2006)日
子・畠澤郎 他 15 名,本人担当部分:第九
本と海外における音楽教育の比較研究~
249
畠澤郎/わが国における音楽教育の課題
よりよい学校音楽のあり方をめざして~.
鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要 16:
1-18.
13)畠澤郎(2008)学校音楽の課題と展望.鹿
児島大学教育学部研究紀要 59:1-10.
14)畠澤郎(2008)小規模校における音楽授業
の方法.鹿児島大学教育学部教育実践研究
紀要,特別号 4:59-62.
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