第 5 節 詐欺の罪

第4章
財産に対する罪
第5節
詐欺の罪
詐欺の罪は、人を欺いて財物を交付させ、または財産上不法の利益を得、もしくは他
人にこれを得させる犯罪である。相手方の瑕疵ある意思に基づくという特徴があり、こ
れは知能犯の典型である。
刑法第 246 条(詐欺)
Ⅰ
人を欺いて財物を交付させた者は、10 年以下の懲役に処する。
Ⅱ
前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、
同項と同様とする。
1 .詐欺罪総説
(1) 意義
ア 詐欺の罪は、人を欺いて財物を交付させ、または財産上不法の利益を得、もしくは他
人にこれを得させ、およびこれに準ずる犯罪である。
イ 詐欺の罪と窃盗罪・強盗罪
詐欺の罪は被害者のある意思に基づいて財物または財産上の利益を領得するのに対
して、窃盗罪・強盗罪は被害者の意思に基づかないで財物等を領得する点で異なる。
ウ 詐欺の罪と恐喝罪
詐欺の罪は瑕疵ある意思を生ずる原因が欺罔による錯誤であるのに対して、恐喝罪
は瑕疵ある意思を生ずる原因が脅迫による畏怖である点で異なる。
(2) 保護法益
ア 詐欺の罪の保護法益は、個人の財産である(通説)
。
これに対して、個人の財産だけでなく、財産取引における信義誠実の維持をも含むと
する見解がある。しかし、詐欺罪の構成要件が観念化し、また、財産罪としての性格を
失ってしまうから、この見解は妥当でない。
イ 詐欺罪は個人の財産を保護法益とするから、詐欺的手段による結婚(詐欺結婚)はこ
れにあたらない。これに対して、結婚すると欺いて財物を騙取する行為(結婚詐欺)は
当然に詐欺罪にあたる。
ウ 国家的法益と詐欺罪
国家的法益に向けられた詐欺罪は成立するか。とくに不正受給について争われた。不
正受給とは、不正に公務員を欺いて、統制物資を法令で受給しうる割合を超えて給付を
受けることをいう。
〔事例〕公務員を騙して、配給物資を法令で受給しうる割当量以上に受給したとき、
詐欺罪が成立するか。
(ア) 団藤説・大塚説
たしかに、不正受給は、外観的には財物の騙取にみえても、欺罔によって国家の経
済的統制を乱す行為である。しかし、詐欺罪は個人的法益としての財産的法益に対す
る罪であるが、国家的法益に向けられた詐欺行為は詐欺罪の定型性を欠く。したがっ
て、不正受給は詐欺罪を構成しないと解する。むしろ、特別刑罰法規によって国家の
経済的統制作用の格別の保護を図るべきである。
(イ) 大谷説
国家的法益に向けられた詐欺行為は、詐欺罪の定型性を欠くから、詐欺罪は成立し
ないとする見解がある。しかし、国家が被害者だからといって詐欺罪を免れることは
不当である。
思うに、国家も財産権の主体となりうるのであり、その財産的利益も詐欺罪の保護
法益に含まれるべきである。とすれば、国家の財産権を侵害する場合には、詐欺罪が
成立すると解すべきである。
したがって、不正受給は、欺罔によって国家の統制作用を乱す行為であるが、同時
に国家の財産権を侵害する以上、詐欺罪を構成するものと考える。
(ウ) 前田説
たしかに、不正受給の被害者は国であり、国家の統制作用を侵害しているにすぎな
いとも思える。しかし、①詐欺罪の保護法益たる財産権は当然、国家が主体の場合も
含むのであるから、国が被害者だからといって不成立とするのは妥当でない。また、
②配給詐欺は、その騙取行為は、社会的に一定の経済的価値をもつものと評価し直せ
るのであり、財産的侵害と無関係の国家作用を害したと評価することはできない。し
たがって、不正受給も詐欺罪を構成するものと解する。
(問) 不正受給
→ ○(判例)
(問) 脱税
→ ×(判例)
(問) 簡易生命保険証書→ ○(最決平 12.3.27)
解説
A
国家的法益に対する詐欺罪
否定説(団藤・大塚・福田)
脱税・証明書の交付だけでなく、統制物資の不正受給についても、詐欺罪の成立を
否定する。
(理由)
①
詐欺罪、恐喝罪は個人的法益のうちの財産に対する罪であり、本来の国家的・
社会的法益の侵害に向けられた詐欺的・恐喝的行為は、財産権を侵害する行為と
はいえず、詐欺罪・恐喝罪の定型性を欠く。
②
旅券の不正取得の場合、旅券法が特別規定を設けて詐欺罪よりも軽い法定刑を
規定している。
B
肯定説(最判昭 23.6.9、藤木・大谷・平野・前田)
統制物資の不正受給のように国または地方公共団体の財産的利益を侵害するもの
であれば、詐欺罪の成立を認める。
(理由)
①
行為者は、正当な対価を払ったとはいえ、通常の方法では入手することのでき
ない財物を欺罔手段を用いて入手したという意味で、金銭的な計算上の損得とは
別個の財産上の利得をしており、また、それによって、被害者には財物に対する
支配関係が不当に害されたという意味で被害が存在する。
②
たまたま国家が被害者だからといって詐欺罪を免れることは不当である。
詐
欺
罪
が
否
定
さ
れ
た
も
の
・脱税(大判大 4.10.28) ・・・ 国が強制徴収権を有しており、税金の支払免除と
いった処分行為を予想することができない。
・証明書の不正取得(大判大 12.7.14) ・・・ 一定の資格を官庁が証明したにすぎ
ず、財産上の利益を侵害するものでない。
・旅券の不正取得(大判昭 9.12.10、最判昭 27.12.25)・・・ 海外渡航の資格証明
文書を取得したにすぎず、財産上の利益を侵害するものでない。また、免状等
不実記載罪(157 条 2 項)によって評価しつくされているからである。
・罰金支払の免除(水戸地判昭 42.6.6)
・配給物資の不正受給(最判昭 23.6.9)・・・ 配給物資という財物を取得している。
肯
定
さ
れ
た
も
の
詐
欺
罪
が
・封鎖預金の不正払戻し(最判昭 26.1.17)
・生活保護費の不正受給(東京高判昭 31.12.27)
・国の所有する未墾地の不正買受け(最決昭 51.4.1)
・国民健康保険被保険者証(大阪高判昭 59.5.23)
・虚偽申告により簡易生命保険証書の交付を受けた(最決平 12.3.27)
判例
大判大 4.10.28
判旨:
「関税法第75条には単に「関税の逋脱を図り又は関税を通脱したる者は…」と
あれども詐欺の手段を以て関税を脱したるときは犯人が其結果として自己の財
産上に不法の利益を得るは当然のことなれば法律が斯る場合をも予想し之を包
括して一罪と為し同法条を以て処罰するの趣旨なること毫も疑を容るべから
ず。
」
コメント:脱税について刑法の詐欺罪が成立しない理由は、税金の支払免除という処分
行為を予定することができないから、結果として納税を免れたにすぎないから、
各種税法に罰則(特別法)があるから(大谷)などの説明がある。
判例
最決昭 51.4.1
事案:被告人らは、国から、国有地を開墾しかつ利用する意思がないにもかかわらず、
農地法 61 条による国有地の払下げを受けた。
判旨:
「欺罔行為によって国家的法益を侵害する場合でも、それが同時に、詐欺罪の保
護法益である財産権を侵害するものである以上、当該行政刑罰法規が特別法と
して詐欺罪の適用を排除する趣旨のものと認められない限り、詐欺罪の成立を
認めることは、大審院時代から確立された判例であり、当裁判所もその見解をう
けついで今日に至っているのである。また、行政刑罰法規のなかには、刑法に正
条あるものは刑法による旨の規定をおくものもあるが、そのような規定がない
場合であっても、刑法犯成立の有雛は、その行為の犯罪構成要件該当性を刑法独
自の観点から判定すれば足りるのである。」として詐欺罪の成立を肯定した。
判例
最決平 12.3.27(原審福岡高判平 8.11.21)
事案:簡易生命保険契約の募集等に従事していた被告人が、傷病により入院中などの理
由で保険契約を締結することができない被保険者と共謀のうえ、これらを秘し
て、簡易生命保険契約を締結させ簡易生命保険証書の交付を受けた。
判旨:
「246 条 1 項の詐欺罪の成立を認めた原判決の判断は、正当である。
」原判決は「簡
易生命保険は、国が行う営利を目的としない事業であり、簡易に利用できる生命
保険を、確実な経営により、なるべく安い保険料で提供することによって、国民
の経済生活の安定を図り、その福祉を増進することを目的とするものであって、
被告人の、欺罔的手段を用いて簡易生命保険を締結したうえその保険証書を騙
取するという行為が、右のような行政目的を内容とする国家的法益の侵害に向
けられた側面があることは否定できないとしても、そのことから直ちに、刑法の
詐欺罪の成立が否定されるものではなく、それが同時に、詐欺罪の保護法益であ
る財産権を侵害し、その行為が詐欺罪の構成要件に充足するものである場合に
は、詐欺罪の成立を認めることができるものと解される。」とした。
コメント:本判決は、簡易生命保健証言の騙取につき詐欺罪の成立を認めた。なお、下
級審判例には、健康保険被保険者証の騙取について、健康保険法 87 条の犯罪成
立を理由として、刑法上の詐欺罪の成立を否定したもの(大阪高判昭 60.6.26)
、
国民健康保険証の騙取について、国民健康保険法に罰則規定がなく、詐欺罪の成
立を肯定したもの(大阪高判昭 59.5.23)がある。
(3) 親族相盗例の準用
詐欺の罪には、親族相盗例(244 条)が準用される(251 条)。
判例
犯人との間に 244 条所定の親族関係を必要とする被害者は、詐欺罪によって財産上
の損害を被った者であることを要する(大判大 13.8.4)
。
2 .狭義の詐欺罪(1 項詐欺罪)(246 条 1 項、250 条)
(1) 客体
詐欺罪の客体は、他人の占有する他人の財物である。自己の財物であっても、他人が占
有し、または公務所の命令により他人が看守するものであるときは、他人の財物とみなさ
れ、本罪の客体となる(251 条、242 条)。
「財物」は、窃盗罪・強盗罪の場合と異なり、
不動産も含まれる。本罪では、不動産についても、被害者の任意の処分行為に基づいて事
実上占有の移転が可能だからである。
(2) 行為
詐欺罪の行為は、人を欺いて財物を騙取することである。
詐欺罪が成立するためには、①相手方を欺いて、②相手方に錯誤を生ぜし
め、③この錯誤に基づく財産的処分行為により、④財物を交付させる(1 項)、
もしくは財産上不法の利益を得る(2 項)ものでなければならない(246 条)。
*
詐欺罪は、①欺罔行為→②相手方の錯誤→③財産的処分行為→④財物の領得(騙取)があり、こ
れらが⑤相当因果関係にあるときに既遂に達する。⑥被害者の財産的損害も必要である。
ア 欺いて(欺く行為、欺罔行為、詐欺行為)
(ア) 意義
「欺いて」とは、人を錯誤に陥らせる行為をいう。欺罔の手段・方法に制限はない。
言語によると動作によると、作為によると不作為によるとを問わない。
(イ) 内容
「欺いて」とは、具体的状況の下で、相手方を錯誤に陥れ、それに基づいて財産的処
分行為をなさしめるような現実的危険性ある行為でなければならない。なぜなら、246
条は騙取行為を禁じているのであって、単に人を欺く行為を禁じているのではないか
らである。このように財産的処分行為をなさしめるような欺罔行為がなければ、そもそ
も詐欺罪の実行の着手も認められない。
例えば、自動販売機に硬貨以外の物を入れて財物を取り出した場合は、人に向けら
れた行為ではなく、人を錯誤に陥らせること、すなわち真実に合致しない観念を生ぜ
しめることはありえないから、
「欺いて」とはいえない(窃盗罪にすぎない)
。他人のキ
ャッシュカードを拾い、これを用いて銀行の現金自動支払機から現金を引き出す場合
も同様である(窃盗罪)
。また、留守番をしている母親に、子どもが通りで車にひかれ
たと告げて、母親があわてて外に飛び出した隙に屋内の財物を盗んだ場合は、偽った
ことが財産的処分行為をなさしめる危険性をもつものではないから、
「欺いて」とはい
えない(窃盗罪)
。
(ウ) 程度
取引の慣行上許容されているかけ引きの範囲内においては、多少の誇張や事実の歪
曲があっても、信義則に反しないので、
「欺いて」とはいえない。しかし、程度を超え、
取引上重要な事項について具体的事実を虚構したときは、欺罔行為といえる。
イ 相手方の錯誤
欺罔行為によって人を「錯誤」に陥れることが必要である。錯誤とは、真実と観念と
の不一致をいい、それは、財物を交付するように動機づけられるものであることを要する。
被欺罔者の錯誤に「基づいて」交付がなされたこと(錯誤→交付の因果関係)が必要であ
る。これを欠くときは、たとえ財物の占有が移転しても未遂となる。
ウ 財物の交付(騙取)
「財物を交付させた」とは、欺く行為(欺罔行為)の結果、錯誤に陥った相手方の財
産的処分行為に基づいて、行為者またはそれと一定の関係の第三者が財物の占有を取得
することをいう。
エ 被欺罔者と処分行為者の関係
(ア) 大塚説
原則として被欺罔者(相手方)と処分行為者(交付者)は同一人でなければならな
い。もっとも、処分行為者が被欺罔者の意思支配の下にある場合には、例外的に被欺
罔者と処分行為者(交付者)は別人であってもよいと解する。なぜなら、このような関
係があれば、被欺罔者の錯誤によって財産的処分行為がなされたという詐欺罪の因果
関係を認めることができるからである。
(イ) 大谷説・前田説
被欺罔者と処分行為者(交付者)は同一人である必要があると解する。なぜなら、詐
欺罪においては、欺罔行為により錯誤に陥って財産的処分をするという因果関係が重
視される以上、原則として錯誤に陥った者が処分しなければならないからである。
解説
被欺罔者と交付者
欺罔行為の相手方(被欺罔者)と処分行為者(交付者)は同一人である必要があるかに
ついて争いがある。
A
不要説(大塚など通説)
処分行為者が被欺罔者の意思支配の下にある場合には、被欺罔者と処分行為者(交
付者)は別人であってもよい。
B
必要説(平野・前田・山口・大谷)
被欺罔者と処分行為者(交付者)は同一人である必要がある。
オ 被欺罔者と被害者の関係
被欺罔者と被害者は同一人である必要はないが、被欺罔者と被害者とが同一人でな
い場合には、被欺罔者において被害者のため、その財産を処分しうる機能または地位が
あることが必要であると解する(通説)
。なぜなら、詐欺罪が成立するためには、被欺
罔者が錯誤によって財産的処分行為をすることを要するからである。
解説
三角詐欺
被欺罔者と被害者が同一人でない場合(三角詐欺)にも、詐欺罪が成立するか。欺罔行
為の相手方は、必ずしも財物の所有者または占有者であることを要しないが、財物につい
ての財産的処分行為をなしうる権限ないし地位を有する者でなければならない(最判昭
45.3.26、通説)
。詐欺罪は、欺罔行為により錯誤に陥って財産的処分をすることに本質が
あるから、被欺罔者が処分する財産が他人の財産であってもかまわない。例えば、銀行員
を欺罔して預金の払戻しを受ける場合は、銀行員は預金の払戻手続をする権限を有する
から、詐欺罪となる(大判明 44.5.29)。登記官吏を欺罔して他人の不動産を自己名義に
する所有権移転登記をさせる場合は、登記官吏は不動産を処分しうる権限を有しないか
ら、詐欺罪とならない(最決昭 42.12.21)
。
カ 着手時期・既遂時期
(ア) 詐欺罪の着手時期は、行為者が財物を交付させる意思で欺罔行為を開始した時で
ある。
判例
① 保険金詐欺においては、失火や不可抗力を装って保険会社に保険金の支払を請
求した時にはじめて着手が認められる(大判昭 7.6.15)
。人に対して欺罔行為を
開始した時だから。
②
訴訟詐欺の場合は、裁判所に訴えを提起した時に着手が認められる(大判大
3.3.24)
。
③
商品先物取引に関し、客殺し商法により顧客にことさら損失を与え、向かい玉
を建てて顧客の損失に見合う利益を得る意図で、顧客から委託証拠金名目で現金
の交付を受けたとき詐欺罪が成立する(最決平 4.2.18)
。
判例
最決平 4.2.18
事案:客殺し商法による先物取引において委託証拠金を騙取した「客殺し商法」は詐欺
罪にあたるか。
判旨:
「被告人らは…いわゆる「客殺し商法」により、先物取引において顧客にことさ
ら損失等を与えるとともに、向かい玉を建てることにより顧客の損失に見合う
利益を同和商品に帰属させる意図であるのに、自分達の勧めるとおりに取引す
れば必ずもうかるなどと強調し、同和商品が顧客の利益のために受託業務を行
う商品取引員であるかのように装って、取引の委託方を勧誘し、その旨信用した
被害者らから委託証拠金名義で現金等の交付を受けたものということができる
から、被告人らの本件行為が刑法 246 条 1 項の詐欺罪を構成するとした原判断
は、正当である。
」
(イ) 詐欺罪の既遂時期は、被欺罔者の交付によって財物の占有が行為者または第三者
に移転した時である。
判例
保険金詐欺においては、保険契約の締結時ではなく、保険証券の交付を受けた時に
はじめて既遂に達する(大判大 11.3.11、通説)
。
キ 財産的損害
詐欺罪は財産罪の一類型であるから、被害者に何らかの財産的損害が発生すること
が必要である。詐欺罪は個人の財産に対する罪だから、財産上の損害が発生しないとき
は、詐欺未遂である(判例・通説)
。
判例
最判平 13.7.19
事案:代金支払を欺いて繰り上げさせた場合、詐欺罪が成立するためにはどの程度の期
間支払時期を早めたことが必要かが争われた。
判旨:
「請負代金を欺罔手段を用いて不当に早く受領した場合には、その代金全額につ
いて刑法 246 条 1 項の詐欺罪が成立することがあるが、本来受領する権利を有
する請負代金を不当に早く受領したことをもって詐欺罪が成立するというため
には、欺罔手段を用いなかった場合に得られたであろう請負代金の支払とは社
会通念上別個の支払に当たるといい得る程度の期間支払時期を早めたものであ
ることを要すると解するのが相当である。」
(3) 具体的事例の検討
ア つり銭詐欺
つり銭詐欺は不作為による詐欺の典型例である。作為義務の存否をいくつかの事例
で検討する。
〔事例①〕Aはレジ係Bが錯誤によって余分のつり銭を支払おうとしているの
を知りながら、Bの錯誤を奇貨として、そのまま黙ってつり銭を受領した。
<犯意先行型>
Aには 1 項詐欺罪が成立する。なぜなら、この場合、Aには信義則上つり銭が余分に
あることをBに告知する法律上の義務があり、黙ってつり銭を受領することは、不作為
による欺罔によって財物を取得したものといえるからである。
〔事例②〕Aはレジ係Bからつり銭を受領し、しばらくしてつり銭が余分にある
ことに気づいたが、そのまま黙って持ち帰った。
<受領先行型>
(ア) まず、余分のつり銭の返還請求を免れたという点で、2 項詐欺罪が成立しないか。
この点、Aには信義則上つり銭が余分にあることをBに告知する法律上の義務が
あるかは疑問である。また、Bがつり銭の返還請求をしないことは処分行為とはい
えず、そもそもAに処分行為をなさしめるような欺罔行為はないから、2 項詐欺罪
は成立しないと解する。
(イ) では、Aには窃盗罪または占有離脱物横領罪が成立しないか。
この点、占有離脱物横領罪が成立する。なぜなら、余分のつり銭は、すでにBの
手を離れAの占有へ移転しており、占有離脱物といえるからである。
〔事例③〕Aはレジ係Bからつり銭を受領し、家に持ち帰って勘定したところ、
つり銭が余分にあることに気づいたが、そのまま黙っていた。<受領先行型>
(ア) まず、余分のつり銭の返還請求を免れたという点で、2 項詐欺罪が成立しないか。
この点、Aはつり銭を家に持ち去った以上、つり銭が余分にあることをBに告知
する法律上の義務もないから、不作為による欺罔もありえない。
(イ) では、Aには窃盗罪または占有離脱物横領罪が成立しないか。この点、Aには占
有離脱物横領罪が成立する。なぜなら、余分のつり銭は、すでにBの手を離れA
の占有へ移転しており、占有離脱物といえるからである。
解説
不作為による詐欺罪
不作為による欺罔行為(欺く行為)といえるためには、その事実を告知すべき法律上の
義務がなければならない。法律上の告知義務は、法令、契約、慣習、条理等を根拠とする。
例えば、被保佐人が、被保佐人であることを黙秘して金銭を借り受ける(大判大 7.7.17)
。
生命保険契約を締結する際に疾患があることを黙秘する(大判昭 7.2.19)
。抵当権が設定
され登記のある不動産を、その事実を秘して売却する(大判大 13.3.18)。-などは告知
義務があるといえ、詐欺罪が成立しうる。
解説
つり銭詐欺
上記〔事例①〕相手方が錯誤によって余分のつり銭を支払うのを知りながら、その事実
を告げないで受領する場合(つり銭詐欺)、信義則上、法律上の告知義務があるから、不
作為による詐欺罪となる。余分のつり銭の交付を受けたのであり、1 項詐欺罪にいう財物
の騙取があったものといえる(大塚・大谷・前田など通説)
。
これに対して、
〔事例③〕つり銭を家に帰ってから勘定したところ、余分であったが返
還しないときは、占有離脱物横領罪となる(大谷・前田など通説)。この点、余分のつり
銭を交付した者が、後でそのことに気づいて受領者に尋ねたが、受領者がこれを否定した
ときは、詐欺利得罪になるとする見解(藤木・大塚)もある。しかし、同一の財物につい
て二重の刑法的評価を与えることになるから、否定した行為は不可罰的事後行為と考え
るべきである(大谷)
。むしろ受領者の否定の弁明は、すでに成立した占有離脱物横領罪
の違法状態を維持するものとみるべきである(前田)。
〔事例②〕については、占有離脱物横領罪説(藤木・前田)、1 項詐欺罪説、2 項詐欺罪
説が考えられる。
イ 無銭飲食・無銭宿泊
〔事例①〕Aは所持金もなく支払の意思もないのに、B旅館で飲食物を注文
して飲食した後、そのまま宿泊した。
<犯意先行型>
(ア) まず、Aが代金支払の意思も能力もなく飲食物を注文する行為は、作為による欺罔
行為であると解する。これに対し、支払意思のないことを告知しないという不作為
とみる見解があるが、妥当でない。支払意思がないことの黙秘は注文行為と一体と
なって積極的な欺罔行為となっているからである。
(イ) 次に、相手方を代金を支払ってくれるとの錯誤に陥れ、飲食物という財物を提供さ
せたという点については、1 項詐欺罪が成立する。また、宿泊という財産上の利益
を取得したという点については、2 項詐欺罪が成立する。
(ウ) 最後に、両罪の関係は、1 個の欺罔行為によって包括的に成立しているのであるか
ら、Aには 246 条にあたる詐欺罪一罪が成立するものと考える。
解説
無銭飲食・ 無銭宿泊
代金がないのを秘して飲食物を注文したり宿泊したりする場合(無銭飲食・無銭宿泊)
、
支払意思がないことを黙秘しているが、積極的に飲食物を注文したり、宿泊を申し入れる
行為そのものに着眼すれば、作為による欺罔を認めるべきである(通説)
。これに対して、
不作為による欺罔とする説もあるが、この説も法律上の告知義務を肯定するから詐欺罪
が成立することは争いない。
厳密には、無銭飲食の場合は、飲食物という財物の取得について 1 項詐欺罪が成立する
が、無銭宿泊の場合は、通常、宿泊という財産上の利益の取得について 2 項詐欺罪が成立
する。
食事つきで宿泊させる無銭宿泊の場合は、
1 項詐欺罪と 2 項詐欺罪とが成立するが、
包括して 246 条の詐欺罪一罪として扱えばよい(包括的一罪)。
解説
無銭飲食後に暴行によって支払を免れたケース
無銭飲食をした者が、店主の代金請求に対して暴行を加えてその代金支払債務を免れ
た場合の罪責はどうなるか。
A
1 項詐欺罪と暴行罪との併合罪とする説(神戸地判昭 34.9.25)
(理由)
すでに詐欺罪が成立している以上、重ねて財産上の利益について 2 項強盗罪は
考慮する必要はない。
[批判]
はじめから騙取の意思があれば詐欺罪と暴行罪となるのに、代金支払の時点
で騙取の意思が生じた場合は 2 項強盗罪となり、法定刑の均衡を失する。
B
1 項詐欺罪と 2 項強盗罪との併合罪とする説(札幌高判昭 32.6.25、東京高判昭
52.11.9、大塚)
(理由)
詐欺罪が成立した後も、代金を支払うべき債務があり、刑法上別個に評価すべき
である。したがって、暴行により新たな法益侵害があったといってよい。
[批判]
実質的には同一の財産的法益を二重に評価している。
c
2 項強盗罪のみ成立するとする説(最決昭 61.11.18、大阪地判昭 57.7.9、大谷・
前田)
(理由)
①
強盗罪は財産のほか生命・身体を保護するので、財産保護につきる詐欺罪はこ
れに吸収される。
②
事後強盗罪と同様に、詐欺で得られた利得を暴行によって守る。
[批判]
①
欺罔行為があったという点が評価されていない。
②
罪質および客体を異にする 1 項詐欺罪と 2 項強盗罪に吸収関係を認めるのは
妥当でない。
〔事例②〕AはB店で飲食した後、所持金がないのに気がつき、隙をみて逃走した。
<飲食先行型>
まず、Aは飲食後に代金支払を免れる意思を生じているから、飲食物の提供について、
1 項詐欺罪は成立しない。次に、隙をみて逃走したことによって、Aは飲食代金債務の
支払猶予という財産上の利益を取得するが、AにB店において支払猶予という意識的な
処分行為をなさしめるような欺罔行為はないから、2 項詐欺罪も成立しない。
結局、Aは財産上の利益を窃取したものと考えるほかないが、現行法上利益窃盗を処
罰する規定がない以上、Aの行為は不可罰である。
〔事例③〕AはB店で飲食した後、所持金がないのに気がつき、店の主人に「金を借り
てくる」と偽って逃走した。
<飲食先行型>
Aが代金支払の意思もなく、金を借りてくると偽っている点で欺罔行為があり、Aの申
し出を許した主人の行為は、明示の支払猶予の意思表示であり、作為による意識的な処分
行為と認められる。したがって、欺罔行為も処分行為もあるから、2 項詐欺罪が成立する。
〔事例④〕AはB旅館で宿泊した後、所持金がないのに気がつき、B旅館の主人Cに
「知人を見送ってくる」と偽って旅館から外出してそのまま逃走した。
主人Cは明確に債務免除の意思表示をしていないため、詐欺罪の成立要件とし
ての処分行為が認められるか。処分行為のために処分意思が必要か。
(ア) 従来の通説
偽って逃走したのがチェック・アウトの時刻であれば、Aには 2 項詐欺罪が成立す
る。宿泊代金の支払時期が到来している場合は、Aが代金支払もなく、知人を見送っ
てくると偽っている点で欺罔行為があり、Aの申し出を許した主人の行為は、少なく
とも支払を一時猶予する黙示の意思表示であり、不作為による意識的な処分行為と
認められるからである。
偽って逃走したのが未だチェック・アウトの時刻でなければ、Aの行為は利益窃盗
であり、現行法上不可罰である。偽って逃走したことにより、Aは宿泊代金債務の支
払猶予という財産上の利益を取得するが、AにB旅館において意識的な処分行為を
なさしめるような欺罔行為はないから、2 項詐欺罪も成立しないと解する。
すなわち、詐欺罪は騙取罪であり、相手方の意思を基礎として犯される犯罪である
から、記載されざる構成要件要素として、詐欺罪の成立には被害者の意識的な処分行
為が必要であると解されるが、Aと主人との間には未だ宿泊代金の支払ということ
が問題となっておらず、Aの申し出を許した主人の行為はただ漫然と無意識になさ
れたものというべきであり、それに向けられたAの詐言は、詐欺罪の実行行為である
欺罔行為とはいえないのである。
(イ) 大谷説
宿泊客Aが「知人を見送ってくる」と偽って旅館の外へ出ていくのを、旅館主が間
もなく戻るものと誤信して見送った場合、2 項詐欺罪が成立すると解する。なぜなら、
旅館主には宿泊料の請求を猶予するという利益の処分をもたらす処分行為が認めら
れるからである。
これに対して、詐欺罪には相手方の意識的な処分行為が必要であるとして、処分行
為を認めず詐欺利得罪の成立を否定する見解がある。しかし、この処分行為は必ずし
も意識的な作為でなくとも、無意識的な不作為による処分行為でもよいと解すべき
である。なぜなら、詐欺罪は、利得が被欺罔者の瑕疵ある意思に基づいて財産上の利
益が自己または一定の第三者のもとに移転すれば足りる犯罪であるから、処分行為
を厳格に解すべきではないからである。
(ウ) 前田説
詐欺罪は瑕疵ある意思に基づき処分させる罪であり、その点で意思に反して奪取
する窃盗罪と区別されるのであるから、処分(交付)行為は処分意思に基づくことを
要すると解する。しかし、個別具体的な債務を認識し、それを明確に免除する旨意思
表示する必要はない。むしろ、処分意思の内容を実質的に考察していくことが重要で
あり、無銭飲食の場合、支払免除はしないが明示・黙示に一定期間猶予したり、錯誤
により支払がなされない危険の発生を容認した場合は処分意思があると解する。な
ぜなら、このような場合も意識的な関与があれば、利益窃盗との区別はなしうるし、
処分の必要性・合理性からみて、国民の納得も認めうるからである。
本件では、すでに宿泊代金債務が発生しており、主人は請求権者である以上、主人
には少なくとも錯誤により支払がなされない危険の発生の容認は認められる。した
がって、処分行為に向けられた欺罔行為があり、2 項詐欺罪が成立する。
解説
旅館の主人に単に「知人を見送ってくる」と言って逃走した場合、旅館の主人は、
明確に債務免除の意思表示をしていない。そこで、詐欺罪の成立のために、意識的な
処分行為が必要か。すなわち、被欺罔者に処分意思が必要かが問題となっている。
a
相手方の意識的な処分行為が必要であるとする立場(大判大 9.5.8)
処分意思がないから詐欺罪は成立しない(利益窃盗=不可罰である)
。
b
処分意思の内容を緩和する立場(大塚・大谷・前田)
逃走の意思を秘めた宿泊客が「ちょっと散歩してくる」と言って外出するのを、旅
館主らが、間もなく戻ってくるものと誤信して送り出した場合はもちろん、宿泊客が
散歩に出るふうに装って無言で旅館主らの面前を通り、旅館の外へ出て立ち去るの
を旅館主らが、間もなく戻るものと誤信して見送った場合にも、欺罔行為に基づく自
己の不作為によって宿泊客が宿泊代金の支払債務を免れるという事態が生じること
を一般的には意識していたのであり、このような場合には旅館主の一般的な意識を
基礎にして、宿泊代金の支払を猶予したという財産的処分行為があったものと評価
しうる。したがって、2 項詐欺罪が成立する。もっとも、
「知人を見送ってくる」と偽
って玄関先に出て逃走した場合は、旅館主は外出を許可したわけでなく、自らの意思
で旅館主の支配から脱して支払を免れたのだから、利益窃盗(不可罰)にあたる(大
谷)
。
c
処分意思を不要とする立場(平野)
無意識の処分行為であっても、被害者の行為に基づいて利益が欺罔者に移転した
とみられる関係があればよく、宿泊代金の支払を事実上免れたという利益は、旅館主
の外出許可という処分行為に由来しているものと評価しうるので、2 項詐欺罪が成立
する。
<研究>
【交付行為】
「瑕疵ある意思表示」に基づく、
「交付行為(処分行為)」により、「物・財産上の利益」
が移転することが必要。
→ 「意思に基づく移転」要件により、詐欺罪は交付罪とされ、窃盗罪と区別される。
交付行為により、物・財産上の利益は直接移転しなければならない(「直接性の要件」と
言う)
。したがって、占有取得のために相手方が更に占有移転行為を行うことが必要とな
る場合では足りない。このような場合、
「占有の移転」はなく、
「占有の弛緩」が生じたに
過ぎない。占有移転行為が被欺罔者の意思に反している場合には、窃盗罪が成立する。
<問題は、
「交付意思」の具体的中身である>
交付意思の内容については、①交付の対象となる物自体には錯誤が無い場合、②交付の対
象となる物自体に錯誤がある場合、の2つの場面が問題になる。
①に関しては、物・財産上の利益を「移転する」認識が被欺罔者に必要であり、
「占有移
転」の認識ではなく、
「占有の弛緩」の認識があるだけでは足りない(山口)
。最判昭和 26
年 12 月 14 日の事例では、占有移転までの認識が被欺罔者にあるとは言えないので、結
論は疑問であるとする。判例は、財物の交付がなくとも、財物を被告人が「事実上自由に
支配できる状態」に置くことで足りる、としたことになる。
「自由に支配できる状態」と
は占有の移転が未だ無い状態であり、このような「占有の弛緩」が認められるに過ぎない
場合にまで、詐欺罪の成立を認めるべきではない。被害者になお残っている占有を移転さ
せる行為によって窃盗罪が成立する、とすべきではないか(山口)。
最決昭和 30 年7月7日は、料亭に無銭飲食・宿泊後、知人を見送ると欺いて店先に出て
逃走した事案について、詐欺罪で得た財産上の利益が債務の支払いを免れたことである
とするには、債務免除の意思表示を行わせる事が必要であるとして、詐欺罪に成立を否定
した(但し、欺いて宿泊・飲食したことにより詐欺罪は既遂に達している、としているの
で注意)
。被欺罔者には、欺罔行為者が店先に出ることの認識、すなわち「占有を弛緩さ
せる」認識しかなく、詐欺罪の成立は否定すべきであろう。
これに対し、旅館の宿泊客が今晩必ず帰るからと欺いて逃走した事案では、支払いを一時
猶予する旨の黙示の意思表示があったとして、詐欺罪の成立を肯定した(東京高裁昭和 33
年7月7日)
。被欺罔者は、戻って支払いを行うか否かが欺もう行為者の意思にかかる状
態を知りながら生じさせている以上、利益の移転があったとみることができる。
②に関しては、移転する物・財産上の利益の価値・存在について、完全な意識が無い場合
が問題となる。移転する物・利益の価値に錯誤がある場合は、詐欺罪の成立を肯定しうる。
問題は、移転する物・利益の存在に錯誤がある場合である。
この点につき、移転する物・利益の認識を交付行為の要件とする見解(意識的交付行為説)
と、それを不要とする見解(無意識的交付行為説)が対立している。
被欺罔者の移転意思に基づいて物・財産上の利益が移転した場合には、移転する物・財産
上の利益の価値・内容・数量について錯誤があっても、
「意思に基づく占有移転」を認め、
交付行為の存在、ひいては詐欺罪の成立を肯定することが妥当であろう(山口)
。したが
って、占有移転意思に担われた場合であれば、具体的に移転する物・利益の存在が認識さ
れていなくても良いと言う事になろう。
判例
最決昭 30.7.7
事案:所持金も代金支払の意思もないのにあるかのように装い、料亭に宿泊、飲食した
後に、知人を見送ると偽り店先に出たまま逃走した。
判旨:
「刑法 246 条 2 項にいわゆる『財産上不法の利益を得』とは、同法 236 条 2 項の
それとはその趣を異にし、すべて相手方の意思によって財産上不法の利益を得
る場合をいうものである。従って、詐欺罪で得た財産上不法の利益が、債務の支
払を免れたことであるとするには、相手方たる債権者を欺罔して債務免除の意
思表示をなさしめることを要するものであって、単に逃走して事実上支払をし
なかっただけで足りるものではないと解すべきである。されば、原判決が『原判
示のような飲食、宿泊をなした後、自動車で帰宅する知人を見送ると申欺いて被
害者方の店先に立出でたまま逃走したこと』をもって代金支払を免れた詐欺罪
の既遂と解したことは失当であるといわなければならない。しかし、…逃亡前す
でにAを欺罔して、代金 32290 円に相当する宿泊、飲食等をしたときに刑法 246
条の詐欺罪が既遂に達したと判示したものと認めることができる。」
コメント:本判決は、詐欺罪は相手方の意思によって財産上の利益を得ることが必要で
あり、単に逃走して事実上支払をしなかっただけで足りるものではないとし、逃
走時点における処分行為がないとした。しかし、逃亡前の宿泊・飲食につき、詐
欺罪を認めた。