第五章 近世における「巡礼」の旅の本質

第五章
近世における「巡礼」の旅の本質
近世における旅を参勤や修業など仕事に関連する「公的な旅」と、寺社参詣・
湯治など「私的な旅」の二種類に分けることができる。一般民衆にもっとも関連
が深いのは寺社参詣、特に伊勢参宮や西国巡礼を目的とした旅である。
西国巡礼が成立した当初は修験関係の僧侶や山伏が行なっていた修行の一種で
あるが、一般民衆が巡礼を参加するようになった室町時代にすでに巡礼の制服と
して「笈摺」があり、
「札納め」という札所での作法も出現した。江戸時代に入る
と、
「笈摺」が一層進化し、本来の「袖なしに上に布を貼る」という形式から色ま
で定められた一着の袖なしになった。さらに、巡礼歌という札所を参拝した際詠
唱した和歌が巡礼の作法としても、死者供養のための新たな回向文としても定着
してきた。
巡礼作法の成熟とともに、より便利な巡礼環境が整ったことは西国巡礼が近世
に最盛期を迎えたもっとも重要な要因であると考えられる。ほとんどの巡礼者に
とって旅のため、かなり金額の資金を用意しなければならないことは巡礼の旅の
最初の難関と言える。江戸時代でははっきりした代参講のような組織がなくても、
村人から餞別金という金がもらえる。そのかわりに、代参講と同じように巡拝し
た寺社の御守や村人たちがほしがる他国の名物土産を買い求め、帰村したら村人
に配る。巡礼の旅に行かなかった村人にとって、こうした金品の提供によって霊
験寺社の御守を手に入れ、御利益を受けることができる。要するに、代参の名義
がはっきりしていなくても、実質上の代参が近世の西国巡礼に一般的に行なわれ
ていた。
長距離且つ長期間の西国巡礼の旅は少なくとも一ヶ月以上の時間がかかる。こ
の期間に「精進」をはじめ、いろいろな生活上制約と不便があると思われる。ト
ラブルもしばしば起きた。道に慣れない巡礼者にとって、江戸時代に多く出回っ
た巡礼案内書は心強い味方とも言えるであろう。宿屋を中心に巡礼者に提供した
便利なサービスも旅の厳しさを減軽した。また、信仰の旅として、食物の施行や
接待を受けられることも道中の種々の障碍や不快を軽減することができる。施行
と接待を提供する側にとっても僧侶供養と同じような功徳を得ることができる行
動であると考えられる。
しかしながら、近世の巡礼者が道中での物見遊山を重視し、信仰の旅というよ
りただの遊楽であるとよく指摘されている。巡礼者自身も旅の楽しさを増やすた
め、精進の食制約を緩めた例が見られる。それは近世において、現世的・即時的
な利益が強く求められる傾向の中で、苦行に対する期待が失われていったため、
巡礼は必ずしもストイックな旅ではないと考えるようになったと推論される。ま
た、西国巡礼以外、女性の旅が禁止されていた若狭国の番所がある。それは巡礼
が信仰行動として認められて、公的な規制が緩和されると考えられる。すなわち、
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近世における巡礼の旅は一見して信仰の色が薄く、行動文化としての遊楽の性質
が強調されているのは、それが宗教行為であることが認められたからこそはじめ
て成立したと考えられる。
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