輝く “交流の懸け橋”

2
H
カナダには現在︑レス 県人で設立を検討した同
金 会も七五年から八〇年前
仲 移住者が増え︑現在は百
︑ バ ン ク 半にかけて︑沖縄からの
ブリッジ沖縄県人会
城嘉孝会長
主な県人会行事は新年
神 山 吉 洋 会 いる︒
︑ ト ロ ン 二十世帯が会員となって
ーバー沖縄県友愛会
泊兼勇会長
ト球陽会
長 など五つの県人会が
会をはじめバスツアーや
恒例のピクニックで
その中で︑バンクーバ ピクニック︒
ある︒
ー市を中心に活動してい
るのが︑バンクーバー沖 は︑会員が作った沖縄料
縄県友愛会︒第二次世界 理や泡盛などを味わいな
大戦のため︑一時期消滅 がら︑バレーボール大会
していたが︑一九七五年 やゲームなどで子どもか
一八九九年十二月︑県 担する﹁自由移民﹂のみ
当銘貞 人二十七人を乗せて横浜 の渡航だったが︑〇六年
会員数二千人を抱える
北米沖縄県人会
は︑一九〇九年 を 出 発 し た チ ャ イ ナ 号 の九十二人をピークに少
に設立︒ロサンゼルス市 が︑翌一九〇〇年一月に 数ながら沖縄からの移民
夫会長
太平洋戦争中︑大統領
やガーデナ市を拠点に活 ホノルルに到着したのが は続いていた︒
︒以来︑ハワイ移 からの立ち退きを命じら
一人は身体検査で不 令で在留日本人は居留地
動を展開している︒一月 ハワイ移民の始まりだっ
の新年宴会を皮切りに︑ た
ピクニック︑敬老会︑バ 合格
ザーなど毎月︑イベント 民は活発化し︑一九〇六 れ︑または強制収容所に
む県系人は推定で約八万
を開催︒二〇〇九年に設 年には四千四百六十七人 送られた︒現在米国に住
終戦後は沖縄救済運動 九千人︒米国本土はカリ
立百周年を迎えることか がハワイに渡った︒
ら︑同県人会では記念祭
の計画を立てている︒ま が起こり︑四八年には豚 フォルニアの北米沖縄県
動している︒
十三の県人会が活
た︑若い世代の育成や県 五百五十頭を軍用船で沖 人会二千人をはじめ︑三
在ハワイ沖縄連
人会継承が課題となって 縄へ送った︒現
いる︒
ニューヨーク︑ニュー 合会には一万人
ジャージー︑コネティカ が 所 属 し て い
約九万人の県系人が移 する県人会があるのも特 ットなど五州をカバーす る︒
ハワイ移民出
の 一 九 八 三 年 八 月 に 設 立 本土には一八九
だ︒ と三年前︑米国
てい子与那覇 発に先駆けるこ
るのは︑ニューヨーク沖
インターネット県人会 縄県人会
住している米国には︑世 徴だ︒
界各地に六十六ある県人
スペンス育子代表
会の半数を占める三十三 ﹁沖縄県人会パート2﹂ ・トゥーシー会長
の県人会があり︑米本土
各地で活動している︒そ 会員数は若い世代を中心 し︑会員数は約二百八十 六年に比嘉統
の活動内容は多岐にわた に約三百人︒ネット上の 人︒マンハッタンやニュ が︑九八年には
り︑形態も複数の州や地 ﹁ゆんたく掲示板﹂を通 ージャージー北部を活動 西銘徳太や百名
域をカバーするものもあ して︑ウチナーンチュの 拠点に︑新春会やピクニ 朝興らが渡航し
米国本土は契
れば︑都市単位で設立し 輪を広げている︒同掲示 ッ ク な ど を 開 催 し て い ている︒
ているところなどさまざ 板では﹁世界のウチナー る︒また同県人会専用の
ま︒また︑IT社会を反 ンチュ大会﹂への取り組 集合場所がないため︑踊 約移民の入国を
映して︑インターネット みや情報交換などが会員 りや三線などの練習場確 禁止しており︑
で五十人の
カナダに県人が
渡ったのは一九〇
〇年に米国から移
住した牧志安能と
親泊康善だった︒
戦時中は敵国人と
して迫害されるが
六〇年代︑カナダ
政府が移民法を改
正し︑六八年には
戦後初めて十五人
が農業移民として
カナダに渡ってい
る︒現在カナダに
は県系人が約千四
百人住んでいると
いわれ︑バ
ンクーバー
やトロント
などの都市
で五つの県
人会が活動
している︒
県とは留学
生や国際交
流員受け入
れなどで交
流を続けて
いる︒
那嶺昭さん︒一九九八年のアルゼンチ
置に尽力したのが︑国際部委員長の與
県人会や︑ネット上のホ 間で活発にやりとりされ 保に苦労しているのが課 自分で費用を負
題だ︒
演舞大会を開いた琉球國祭り太鼓アルゼンチン支部
ームページに活動報告を ている︒
2001年9月
一九八二年に沖縄市泡瀬で結成︑来
︒エイサーを基
年結成二十五周年を迎える琉球國祭り
照屋辰弘会長
本に空手の形を取り入れ︑ダイナミッ
太鼓
クなばちさばきを見せる独自のスタイ
ルを築く太鼓集団だ︒県内十一支部︑
県外二十三支部︑海外にはアメリカ大
陸を中心に六カ国八支部︑全体で約二
一度
千人ほどの会員を有する︒地域の壁を
超え︑﹁チュバチ
友達を﹂と始まった活動は︑世界中に
大きな輪を広げてきた︒
その活動は同時に︑各国に散らばる
若い三世︑四世の世代の沖縄アイデン
ティティーへの目覚めにも大きな役割
を果たしている︒特に南米での支部設
はボリビア
移民史・北米編年、人超ハワイに
に結成総会を開き︑活動 らお年寄りまで楽しんで
を再開した︒約二十人の いる︒
各クラブでは︑新年宴
米国最大の会員数を誇 たクラブもある︒
るハワイ沖縄連合会
は一九五一年 ツ 大 会 な ど を 年 間 で 企
UOA︑比嘉ラバーンナ 会やピクニック︑スポー
ンス会長
に設立した︒五十のクラ 画︑また︑連合会では沖
ブを傘下に持ち︑総会員 縄まつりやパレードなど
数は約四万人にも上る︒ 文化的行事を通じて︑会
しんぼく
クラブのほとんどは︑那 員 間 の 親睦 を 深 め て い
HUOAの活動拠点と
覇市民会など各市町村・ る︒
字の出身地単位に分かれ
て︑組織化している︒ま なっているのは︑ハワイ
た︑マウイ沖縄県人会や 沖縄移民九十周年を記念
ハワイ系図研究会︑ヤン して開館したハワイ沖縄
グオキナワンハワイなど 会館︒その沖縄会館は︑
住んでいる地域や趣味な クラブ会員のボランティ
どによって立ち上げられ アで成り立っている︒
た日々を通し︑移住者の思い
県人会が與座一家を物心両面
つぎ込んでまで県人会組織を
守ろうとする彼らの使命感に
触発され﹁県人社会の活性化
のため︑持てる能力を最大限
出そう﹂と公私を忘れ働い
た︒
帰国後は︑南米を語る授業
が熱を帯び︑生徒の目は海外
へ︒生徒の発案で地域国際交
流クラブを発足した︒活動の
柱には海外移住沖縄県人社会
支援もあり︑二〇〇三年に
は︑生徒らが舞台に立ち︑ブ
ラジル︑アルゼンチン沖縄県
人移住九十五周年チャリティ
ー公演を県内で開催︒両県人
会に収益金七十万円を贈っ
同公演で生徒が演じた劇
た︒
﹁しあわせの国﹂は與座さん
の作品︒ボリビア移民を題材
に家族愛を描いたもので﹁家
族のきずなや地域力が薄らぐ
中︑移住者のたくましさ︑優
しさから来るメッセージを県
民に発したかった﹂と言う︒
﹁海外移住者との今後の交流
は草の根︒まずは足を運ぶこ
と︒特に若者や教育関係者は
一度南米を訪ねてみて︒沖縄
沖縄市出身
するため教員派遣事業を実施して
いない音楽や体育︑日本語を教育
等に︑現地の学校教育で行われて
ら︑ボリビアの県出身移住者子弟
県教育委員会は一九八六年か
として活躍している︒
がら︑学校や地域で頼られる存在
ボリビアでさまざまな経験をしな
教壇に立っている︒安谷屋さんは
で︑三世の児童四十一人を相手に
のヌエバエスペランサ小中学校
ん
アに赴任している教諭安谷屋仁さ
ュ交流︱︒県の派遣事業でボリビ
ボリビアで教育のウチナーンチ
の原点は南米にある﹂︒
日︑在亜沖縄県人連合会館
を追体験した︒
で支え︑その面倒見の良さに
家族を呼び寄せてからは︑
在アルゼンチン沖縄県人連 き付いていた與座さんは︑三
心打たれた︒同時に︑私財を
合会でのボランティア経験を 十歳でJICA海外開発青年
は︑教え子に移 年までアルゼンチンで県人連
持つ沖縄尚学高校教諭の與座 に応募︒一九九三年から九六
宏章さん
残しての単身赴任︒言葉も十
派遣当初は妻と三人の子を
民史を伝え︑共に足を運びな 合会事務局長を務めた︒
がら海外移住沖縄県人社会と
の交流を続けている︒
琉大在学中に南米の沖縄県 分通じない地で︑家族と離れ
人社会を学んだのが脳裏に焼 て暮らす寂しさと不安を抱え
県内には︑海外から帰国後︑住んでいた国と
の友好・交流に努めている人たちがいる︒県系
人が多い南米への留学を通して相互理解を深め
ている大学や︑米国︑ブラジル︑ペルーなど海
外に支部を置き︑沖縄伝統文化の﹁エイサー﹂
を指導する団体もある︒県内の主な国際交流関
係団体は七十八団体を数える︒十月十二日から
宜野湾市の沖縄コンベンションセンターを主会
まで
主管・県︑県国際交流・人材育成財
場に開催される﹁第四回世界のウチナーンチュ
大会﹂
団︑沖縄観光コンベンションビューロー
四カ月︒海外のウチナーンチュと母県・沖縄を
結ぶ﹁交流の懸け橋﹂になっている人たちや団
第四回世界のウチナーンチュ大会 取材班
体を紹介する︒
ブラジル移民百周年を迎える二
〇〇 八 年 ま で に ︑サ ッ カ ー の 本 場
ブラジルのクラブチームで活躍す
る選手を沖縄から送り出すという
壮大な計画が︑着々と進んでいる︒
恩納村内を拠点に活動する﹁レ
キオスFC﹂︒元ブラジル代表の
アレンデ・カレッカ氏を最高技術
顧問に︑ブラジルのクラブチーム
などとも太いパイプを持つカルロ
ス・ニコトラ総監督の下には︑ビ
ーチサッカーの元ブラジル代表で
得点王にも輝いたカルロス・アル
ニックネ
俊海
も顔をそろえてい
名幸
ベルト・リズボア選手
理 事 長
ーム・ネネン
いる︒二年間の赴任をこれまで十
義隆
る︒
九人が経験︒現在も二カ所に二人
中山
リズボア選手は﹁レキオスとい
を派遣中だ︒
長
う新しいチームでビーチサッカー
教員になった当初から︑ボリビ
アのウチナーンチュに興味があっ
会
をもっと広げるために来た﹂と話
小田切清治
し﹁沖縄にはいい選手がいる︒い
た安谷屋さん︒島尻養護学校︑桜
野養護学校で教員経験を積み︑二
支 所 長
ろんな経験をさせればもっとうま
さんは﹁少しでもプレーにつなげ ジルサッカー界では知る人ぞ知る
〇〇五年にボリビアの大地に立っ
与那覇恵子
伊藝美智子
宜野座朝憲
くなる﹂と県内選手に期待を寄せ
たいので︑ポルトガル語を勉強し 有名人︒
沖縄の田舎を思わせる風景のオ
た︒
長
長
長
ている︒
ニコトラ総監督は﹁こんなにい
元日本代表のラモス瑠偉選手の い海や環境がある沖縄からは︑ピ
始めた﹂と言う︒
会
会
会
W杯
キナワ移住地は︑方言やトートー
アプリラニ・
ソエギアルト
ビーチサッカーの日本代表とし
いとこにも当たるニコトラ総監督 ッチですごい活躍をする選手がも
メー︑清明など沖縄の習慣や風習
長
に出場した大城直也さんは﹁あの
は サッカーの神様 ペレや︑日本 っと出ないといけない︒パルメー
を色濃く残し︑島豆腐やヒージャ
会
ときサインをもらったあこがれの
代表を率いるジーコ監督︑ブラジ ラやサンパウロFCにもどんどん
澄子
喜助
ネネンと一緒に練習ができるなん
大会に向け意欲を見せている︒
の心意気を思い起こしたい﹂と話し︑
もいろいろな人たちに呼び掛け︑先人
人たちが広がり︑頑張っている︒今後
たち︒﹁結果的に地球を舞台に沖縄の
生活のため世界中に散らばった先輩
いる﹂︒
チュ大会の万国 津 梁 の心とも合って
しんりょう
きた﹂同組織の活動は︑﹁ウチナーン
新たな感動を求め︑友人の輪を広げて
﹁伝統を継承しつつも︑新たな時代の
演出を担当する目取真武男さんは︑
さんは振り返る︒
だ︒それが一番大きかった﹂と與那嶺
が流れていることを実感していたよう
の中に日本︑特にウチナーンチュの血
し︑太鼓のけいこを通して﹁自分たち
としての意識が強かった若者ら︒しか
日本人というより︑アルゼンチン人
い﹂という相談だった︒
か芸能活動で日本人の誇りを持たせた
一世から持ち掛けられたのは︑﹁何と
ン移住九十周年のイベントの際︑移民
文化への誇り若者に
スペシャリストの育成に力を注いでいる︒中南
べる中南米コースを開講し︑中南米との交流の
名桜大学では︑県内で唯一ポルトガル語が学
名
桜
大
中
南
米
コ
ー
ス
は﹁
県人会のメン
方言が話せてすごいと思った﹂と沖縄
ナーンチュらしく︑深く考えさせ
は卒業
ちの良い思い出に残るような活動
症児への指導方法の相談なども受 した足跡を残している︒
学校職員へのパソコン指導︑自閉 は︑今日もボリビアでしっかりと
事︑地域での体育行事も任され︑ に 立 ち た い ﹂ と 語 る 安 谷 屋 さ ん
日 本 語 ︑ 体 育 の 授 業 や 学 校 行 をして︑地域のために少しでも役
られる﹂と安谷屋さん︒
残り任期は十カ月︒﹁子どもた
ての誇りを強く持ち︑私よりウチ る存在だ︒
いないため︑あらゆる面で頼られ
ら︑六人いる教員は学校経験者が
ける︒地元の人やJICA職員
ガイドもしたい﹂と目を輝かせる︒
で日系人を案内したいし︑ブラジルで日本人の
就職を目指す︒﹁ポルトガル語を生かして沖縄
後︑通訳ガイドとして現地の日系旅行会社への
地実習にも合流した池宮奈々子さん
州のロンドリーナ州立総合大学で一年学び︑現
名桜大学が学術協定を結ぶブラジル・パラナ
さを語る︒
を始める学生もいる﹂と現地実習の効果の大き
もっと勉強しておけばよかったと帰国後猛勉強
の顔つきや価値観に変化がはっきりと現れる︒
住江助教授は﹁現地実習の前後で︑学生たち
ックを受けた︒
の裏側に今も残る沖縄の文化にカルチャーショ
バーが
に参加した比嘉亘さん
ため県人会との交流会にも参加する︒昨年実習
米移民が多い沖縄との深いかかわりを理解する
中講義を受け︑古代文明の遺跡を探訪する︒南
語る︒学生らは実習で中南米の社会や文化の集
南米の国々に興味を持ってもらうきっかけ﹂と
実習を担当する住江淳司助教授は﹁実習は中
在外公館の職員として派遣された学生もいる︒
度留学する学生や︑卒業後に青年海外協力隊や
も新たに開始した︒現地実習を経験した後︑再
から卒業生対象のブラジルの現地企業研修制度
までに通算五百九十七人を派遣した︒〇六年度
などで三週間の現地実習を行い︑二〇〇五年度
米コースでは三年次にブラジルやアルゼンチン
現地実習でスペシャリスト育成
(財)沖縄県国際交流・人材
理 事 長
山内
彰
育成財団
※以上 団体は、沖縄県国際交流団体連絡協議会加盟団体。
団 体 名
代表者氏名
アンデスセンター
代
表
照屋 聡子
沖縄シンガポール協会
事務局長
嘉手苅孝夫
沖縄タイ友好協会
会
長
上原 正英
沖縄日独協会
会
長
山内 啓邦
沖印友好協会
会
長
新垣 雄久
沖縄アメリカ協会
会
長
比嘉 幹郎
沖縄アルゼンチン友の会
会
長
屋比久孟盛
沖縄オーストラリア協会
会
長
高西 亨一
イタリアンカルチャー倶楽部
代
表
マルコ マッセターニ
代
表
陳
桎 宏
中琉文化経済協会駐琉球弁事処
中琉協会
会
長
仲井真弘多
南米資料館
館
長
照屋 善一
在日本大韓民国民団沖縄県地
地方団長
咸
昌 保
方本部
在日本朝鮮人総聯合会沖縄県
委 員 長
金
珠 燮
本部
琉球華僑總會
理 事 長
新垣 旬子
琉球台湾商工協会
会
長
張
錬 楷
沖縄NGO活動推進協議会
会
長
福地 曠昭
沖縄・中国友好協会
会
長
西田健次郎
日本中国友好協会沖縄県支部
支 部 長
上原 源榮
琉球台湾婦人会
会
長
川木アリス
ー汁なども食べられるという︒
博之
中村
関根
﹁二世の人もウチナーンチュとし
政吉
長
外間
会
移民史伝え草の根支援
ル現代表のロナウジーニョ選手ら 送り込んでいく﹂と意気込んでい
新井
長
長
地域に頼られる存在
館
長
代 表 者
会
長
理 事 長
大城 和喜
真壁 由香
金城 宏幸
松本 行雄
ブースクリ カリン
フランソワ マリー
長
YFU沖縄地域代議員会
(YFU日本国際交流財団)
長
会
会
(財)日本ボーイスカウト沖
縄県連盟
南風原町立南風原文化センター
ヒスパニック文化センター
琉球大学スペイン文化研究会
(財)りゅうぎん国際化振興財団
所
(社)日本青年会議所沖縄地
区協議会
金城 光男
安慶名 力
ビッグネームとも親交があるブラ る︒
恒例のピクニックで披露された北米沖縄県人会芸能部
の琉球舞踊
年
安
谷
屋
仁
さ
ん
ボ
リ
ビ
ア
派
遣
教
諭
長
長
て第一回ワールドカップ
米国本土ネットでゆんたく輪広げる
ブラジルで活躍する夢に向かって練習に余念がないレキオスFCの選手たち
恩納村海浜公園
会
会
小中学生サッカー大会で優勝したヌエバエスペランサ小中学校の児童と
安谷屋仁さん(右端) 4月2日、ボリビア・サンタクルス
ハワイ沖縄会館の増築で実施された起工式
年、オアフ島
喜舎場直子
て︑夢みたいな話︒ウチナーンチ
6
7
8
9
支 部 長
(社)ガールスカウト日本連
盟沖縄県支部
カンボジア沖縄友好の会
宜野湾市国際交流協会
独立行政法人国際協力機構沖
縄国際センター
国際ソロプチミスト沖縄
国際ボランティア相談室
(特活)国際マングローブ生
態系協会(ISME)
名護市国際交流親善委員会
那覇市都市提携市民の会
南洋群島帰還者会
(財)日本国際協力センター
沖縄支所
ュで良かった﹂と興奮︒比嘉健太
5
会
ま
で
4
ヵ
月
本場ブラジルでの活躍が夢
年9月
カチャーシーで盛り上がったメキシコ県人会との交流会
ハワイ沖縄連合会総会員数は4万人
輝く交流の懸け橋
3
4
琉球國祭り太鼓
カナダ世代超えピクニックも
與
座
宏
章
さ
ん
沖
尚
高
教
諭
地域国際交流クラブの生徒を率いたブラジル研修で県出身移住者の製菓工場を
訪れた與座教諭(写真左端、
年3月)
周年を記念し
年
バンクーバー沖縄県友愛会設立
た新年会に集まった会員ら
レ
キ
オ
ス
F 開
C 幕
●●
ひろがるチムグクルつなげるチムチュラサ第4回世界のウチナーンチュ大会月―日
1
(県文化環境部「国際交流関連業務概要」より)
団 体 名
代表者氏名
アジア留学生友の会
会
長
前田 真之
いけばなインターナショナル
支
部
長
ノリコ・シャーリック
沖縄支部
浦添市国際交流協会
会
長
新垣 安二
エスパス・フランス
会
長
上原 博子
(特活)NGO沖縄アジアチ
代表理事
池間 哲郎
ャイルドサポート
沖縄アルゼンチン協会
会
長
松堂
克
沖縄インドネシア友好協会
会
長
西平 守樹
沖縄華僑華人総会
会
長
島袋 雲茜
沖縄カナダ協会
会
長
大山 盛稔
(財)沖縄観光コンベンショ
理 事 長
仲吉 朝信
ンビューロー
沖縄キューバ友好協会
会
長
上原亀一郎
沖縄県・越国協会
会
長
仲田 朝進
沖縄県国際教育研究協議会
会
長
知念 義信
沖縄県国際交流・人材育成財
会
長
野原
繁
団留学生会
会
長
金城 光男
沖縄県JICA帰国専門家連絡会
社 沖縄県青少年育成県民会議
会
長
羽地 和枝
沖縄県青年海外協力協会
会
長
仲間あずみ
沖縄県青年海外協力隊を支援
会
長
稲嶺 惠一
する会
沖縄県日韓親善協会
会
長
濱元 栄吉
沖縄県ボランティア通訳友の会
代
表
上田 尚史
沖縄県ユネスコ協会
会
長
源河 徳博
(社)沖縄産業開発青年協会
理 事 長
松田 憲和
沖縄市国際交流協会
会
長
松堂
克
沖縄市国際交流ボランティア
会
長
久高 將輝
連絡会
沖縄ゾンタクラブ
会
長
神谷 幸枝
沖縄日伊協会
会
長
仲井真弘多
会
長
真喜屋 明
沖縄ハワイ協会
屋宜 恒一
沖縄フィリピン協会
会
長
沖縄ブラジル協会
会
長
西原 篤一
沖縄ブラジル友好協会
会
長
謝敷 宗光
沖縄・ベトナム友好協会
会
長
福地 曠昭
沖縄ペルー協会
会
長
平良 東明
沖縄ベルギー協会
会
長
亀島
靖
沖縄ボリビア協会
会
長
玉木 正邦
沖縄メキシコ協会
会
長
大浦 敬文
沖縄ワシントン協会
会
長
金城 栄喜
沖仏協会
会
長
岩崎セツ子
海外のウチナーンチュ
会
長
比屋根清一
子弟を励ます会
●●
県内の主な国際交流関係団体
集
特
水曜日
日
月
平成18年
年
第3種郵便物認可