琵琶湖周辺内湖の機能再生に向けた調査研究-松原内湖を対象として-

琵琶湖周辺内湖の機能再生に向けた調査研究-松原内湖を対象として-
井手研究室
1.背景・論点
滋賀県彦根市松原町にはかつて「松原(まつばら)
内湖」と呼ばれる内湖が存在した.松原町は同市の彦
根城北側に位置し 1),同内湖はその中央を占める形で
広がっていた.内湖とは「本来は琵琶湖の一部であっ
た水域が,砂州や砂嘴,浜堤あるいは川から運ばれた
土砂等によって琵琶湖と隔てられ,独立した水塊とな
ったが,水路等で琵琶湖との水系がつながったままの
水域」2)である.
かつての内湖は,人びとの暮らしと密接に関わって
いた.
「利水」や「浄化」
「水産」
「水上交通」
「レクリ
エーション」
「環境形成」などの多くの機能を果たして
きたと言われる 3).
そのような内湖が昭和の初期まで,
県内には大きなものだけでも 40 数箇所存在していた 4).
しかし,農地確保のため,第 2 次大戦前から始まっ
た食糧増産計画によって,上記の松原内湖を含む多く
の内湖が干拓され 3),戦後まで続く干拓事業により 16
の内湖の一部,またはそのすべてが姿を消した.
これらの干拓工事の中でも,松原内湖の工事は戦時
中の比較的早い時期に始まっている.そのため内湖で
あった当時のことを知る人びとの高齢化が進んでいる.
また同内湖に限らず,戦前あるいは戦後まもなく干拓
された内湖のことを記した公の資料は少なく,このま
までは,かつての松原内湖の様子を知ることがますま
す困難になっていくと予想される.そのため,一刻も
早く記録に残すことが求められている.
一方,内湖に関する先行研究としては,佐野 5), 6), 7)
や本学科の佐野 8)や松尾 9), 10)がおこなったものがある.
しかし,これらはそれぞれ入江内湖と津田内湖,小中
の湖を対象としたものであり,松原内湖を調査対象と
した研究は過去になかった.
2.目的・意義
そこで本研究では,かつての松原内湖について,地
域の古老に対するヒアリング調査や既存資料の調査な
どにより,干拓前の状況や同内湖が果たしていた機能
などを明らかにしたうえで,県内の他の内湖との比較
によって同内湖の特徴を明らかにし,調査結果を資料
として残すことを目的とする.
この目的を達成することができれば,干拓前の同内
湖の様子を知るうえでの貴重な資料になるとともに,
同内湖以外の内湖やその他湿地の機能の再生を進める
うえでも貴重な資料になると考えられる.
3.研究方法
本研究では以下のような方法で調査研究をおこなう.
i
0812031 濵田智章
1)資料と文献の収集:松原内湖の様子が記された文献
や資料,また地形図や写真などの収集を試みる.
2)ヒアリング調査:同内湖の当時の様子をよく知る地
域の古老に対して,ヒアリング調査を実施する.な
お 1)と 2)の調査対象期間は,原則として昭和初期
から同内湖の干拓工事終了までとする.
3)調査項目の整理:上記の調査から明らかになった同
内湖の姿を内湖の機能ごとにまとめたうえで,他の
内湖との比較によって同内湖の特徴を明らかにした
ものを資料として残す.
4.本研究の対象範囲
本研究で対象とする「松原内湖」の範囲を図 1 に示
す.図中右のボックス内の網掛け部分が調査対象範囲
である.なお,彦根城の濠(ほり)については,松原
内湖の一部ではないが,同内湖とつながっており密接
な関係にあったことから本研究の対象範囲に加える.
また,同内湖の北にある「入江内湖」は調査対象とし
ない.なお,これ以降,本論文で使用する松原内湖周
辺地形図は,国土地理院陸地測量部の縮尺 25,000 分 1
の地形図(1920 年測量,1932 年鉄道補入)をトレース
して作成したものである.
5.調査結果
(1)文献資料の収集
松原内湖や同内湖の干拓工事に関する文献資料を収
集した.その結果,
『新修彦根市史』11), 12)や『湖と山を
めぐる考古学』13)など 21 件を,またヒアリング時に対
象者から『松原町概略史』14)や『ふるさと探訪のしお
り』15)の 2 件の文献を収集することができた.また,
松原内湖に関する写真を 4 点と同内湖の干拓直後の様
子を写した空中写真を入手することができた.その内,
干拓前の松原内湖が写されたものを写真 1 に示す.
(2)ヒアリング調査
本研究では松原内湖の周辺集落である旧松原村とそ
図 1 本研究で対象とする範囲
写真 1 彦根城から松原内湖を望む(明治時代)
の南に位置していた旧彦根町に在住の古老 11 人に対
し,資料提示型インタビューの形でヒアリング調査を
実施した.以下,文献調査とヒアリング調査の結果か
ら明らかになったことを,かつての松原内湖の状況と,
同内湖が果たしていた機能ごとに分けて報告する.
(3)干拓前の松原内湖の状況
松原内湖の湖底環境を図 2 に示す.同内湖の湖底は
ほとんどが泥地であった.その中でも,内湖の北東部
にはさらに柔らかい場所があり,そこには「スクモ」
と呼ばれる腐植土が堆積していた.干拓後にこの場所
の土地の分譲を受けた人は,農作業の際に腰の高さま
で沈んでしまったという.また,このスクモ地の土質
は水田にはあまり適していなかった.これに対して,
内湖の中央やや南には水田に適した土質の場所があっ
た.それ以外としては,砂地が西側の集落付近に広が
っていた.
また,同内湖の水深は他の内湖と同様に全体的に浅く,
深い場所でも 2 m であったが,ところによって 3 m ほ
どのさらに深い場所が存在していたと記憶しているヒ
アリング対象者もいる.その特に深かった場所を図 2
に示す.
また,同内湖への流入河川として,内湖の南東に流
れ込んでいた「猿ヶ瀬北川」と「猿ヶ瀬南川」
,それに
北の「矢倉川」があった.それらの位置を図 3 に示す.
なお,図 3 には松原村内にあった水路の位置も示して
いる.
「元一ツ川」などと示している水路は,かつて琵
琶湖と内湖をつないでいた川の名残りである.
図 2 松原内湖の湖底環境
ii
図3
流入河川と水路,ヨシの密集地
(4)松原内湖が果たしていた機能
a)環境形成機能
松原内湖周辺では,さまざまな植物を見ることがで
きた.その中で最も多かったのがヨシである.ヨシは
主に内湖を囲むように生えていた.特にヨシが密集し
ていた場所を図 3 に○で囲って示す.その他,内湖の
湖底には「キンギョモ」などの水草が一面に生えてい
た.
一方,内湖は稚魚の成育場や水鳥の生息地としての
重要な機能を果たしており,松原内湖とその周辺でも
さまざまな魚類や貝類,鳥類を見ることができた.松
原内湖に生息していた魚類としては「フナ」や「ウロ
リ」
「モロコ」など 15 種類,鳥類としては「カモ」や
「キジ」など 5 種類,貝類としては「ドロガイ」や「イ
ケチョウガイ」など 5 種を確認することができた.そ
の中で他の内湖の既存研究で報告されていなかった種
としては,魚類のヌカエビがあった.
b)利水機能
松原内湖周辺に暮らす人びとは当時,湖水を直接使
うことが多く,他の内湖と比べてもその利用頻度は高
かった.各家庭には井戸が掘られていたが,井戸水を
使うのは主に調理用と飲料水としてだけであった.ま
た,使い終わった水は内湖にそのまま流していたよう
である.ただし,糞尿などはそのまま流さずに,各家
庭で田畑の肥料とするために溜められていた.
c)レクリエーション機能
松原内湖は,子どもたちが水泳をしたり,釣りや魚
突き,貝つかみをおこなう場所であった.釣りの道具
としては,手作りの釣竿と糸の代わりにヨシの茎を使
っていた.魚突きは,20 人から 30 人の子どもが橋の
上などに一列に並んで,ヤスで魚を突くという同内湖
周辺でしか見られない遊びであった.
d)水産機能
松原内湖に暮らしていた人びとが同内湖を利用する
ことで果たされていた水産機能の 1 つである漁業につ
いて,同内湖での漁法とそれぞれの漁法で獲られてい
た魚類や貝類,また漁業の大まかな 1 年の流れを確認
することができた.
当時松原村にあった漁業協同組合には,20 軒~30 軒
ほどの漁師が所属していた.なお同漁業組合では,後
述するように,泥藻の採取権の関係で,農家も組合に
所属していたということが明らかになっている.
松原内湖でおこなわれていた漁法としては,
「モンド
リ」や「アンドン」を使った漁が盛んであった.モン
ドリは網製で,湖底に仕掛けておき,朝と夕方に引き
揚げにいくと大量のフナが入っていた.アンドンは竹
製で,主にフナやコイを獲っていた.アンドンは他の
内湖の既存研究では確認されていない漁具であったが,
他地域ではモンドリと区別されず使用されていた可能
性がある.そのアンドンの形状を図 4 に示す.また,
漁師たちは他に「エリ」や「竹筒」などを使った漁を
おこなっていた.エリでの漁がおこなわれていた位置
を図 5 に示す.
漁業の 1 年の流れとしては,1 月は主にコアユやイ
サザなどを獲っていた.また「貝曳き」という方法で
シジミを獲っていた.シジミはこの時期だけでなく,
秋ごろから春先にかけて獲ることができた.3 月から 4
月にかけてはフナが獲れた.なお,松原内湖では毎年
5 月~7 月が禁漁期間になっていた.この 3 ヶ月間はフ
ナなどの産卵期にあたり,琵琶湖から大量の魚が内湖
にやってきた.禁漁期間直前の 4 月には,多い日で 1
日 10 t のフナが獲れたと記憶しているヒアリング対象
者もいる.なお,禁漁期間は,年によっては 4 月~8
月となることもあり,同じく禁漁期間が設けられてい
た入江内湖(6 月~7 月禁漁)に比べて長かった.禁漁
期間が終わると,冬にかけてはウロリやモロコなどを
獲っていた.また,湖底の腐植土を採って燃料の代わ
りとする「スクモ採り」が同内湖ではおこなわれてい
た.しかし,スクモ採りは,干拓工事が始まり,湖底
が見え始めたころに,ごく一部の住民がやっていた程
度であった.
e)水生植物の生産機能
ヨシは当時,一般的には屋根の葺き材や簾などの材
料として利用されていた.しかし,松原内湖周辺に生
育していたヨシは,他の内湖のものに比べ柔らかく,
また細かったため葺き材としての利用価値がなかった.
そのため他の内湖のように,ヨシを専門的に扱う業者
もいなかった.
一方,内湖に生えていた水草は他の内湖周辺集落と
同様に,松原村内でも肥料として利用されていた.そ
の関係から松原内湖周辺の農業の 1 年を表 1 に示す.
まず 1 月~2 月は,畑の除雪作業をおこない,雪の
下に植えられていたキャベツやカブラを収穫する「雪
堀り」をおこなう.
次に田植えの準備が 3 月から始まり,まずは田掘り
がおこなわれる.5 月には「泥藻採り」がおこなわれ
る.この時期に採った水草は夏野菜の栽培のための「囲
い麦」という農法で使用される.囲い麦とは,生育し
たオオムギによって琵琶湖から吹きつける風を遮り,
野菜の苗を寒さから守る農法である.また,植えた苗
の間に水草を積み上げておくことで,苗の周りの土の
乾燥を防ぐとともに,水草を肥料にしていた.田植え
は 6 月 20 日ごろから始めた.7 月に近づき稲が育って
くると,水田の草取りをおこなった.草取りが終わる
頃には,再び「泥藻採り」をおこなう.この時期に採
る水草は,そのまま畑の土にすき込んだ.そこに秋か
ら冬にかけて収穫する野菜を植えていった.11 月上旬
からは稲刈りを始めた.
同内湖でおこなわれていた「泥藻採り」については,
他の内湖での泥藻採りにない特徴がいくつかみられた.
松原内湖での泥藻採りについての詳細を表 2 に示す.
また比較のため,他の内湖の泥藻採りについて表 3 に
まとめる.
表 2 に示すように,採取時期は松原内湖では 5 月中
旬からと,7 月下旬からの 2 回であった.一方,表 3
に示すように,入江と津田では大まかな時期とその回
数は同じであるが,小中の湖では,5 月付近におこな
われたという報告はない.また,松原内湖での水草の
用途は全て畑であり,畑だけに使っていたのは同内湖
だけであった.
水草を採る権利については調査の中で,漁業組合に
表 1 松原内湖周辺の農業の 1 年
月
1~2
3
4
5
6
7
8
10
11
12
畑仕事
雪堀り
ジャガイモ植え付け
夏野菜の苗作り
夏野菜の植付
オオムギ収穫
夏野菜収穫
秋野菜植付
秋野菜収穫
オオムギ植え付け
雪堀り
水田仕事
田堀り
田堀り
田堀り,溝を掘る作業
田植え
草取り
下旬~:稲刈り
~上旬:稲刈り
籾摺り
表 2 松原内湖での泥藻採り
図 4 アンドン
時期
用途
採取範囲
採取権利
図 5 エリの位置
iii
5 月中旬と 7 月下旬~8 月中旬
畑のみ
内湖全面
松原漁協が全権利を持っていた
表 3 他内湖での泥藻採り
時期
用途
採取範囲
採取権利
入江内湖
5 月と 8 月~9 月
水田のみ
内湖全面
ある 1 つの集落
津田内湖
春と夏
水田のみ
?
?
小中の湖
7 月~8 月
水田と畑
内湖の一部
なし
内湖の「使用権」があったことが明らかになった.こ
のため泥藻採りをするには組合の許可が必要であり,
前述したように,泥藻採りをする農家は組合に所属し
なければならなかった.泥藻採りの解禁日は組合が定
め,当日には 200 軒の農家が一斉に内湖に田舟で出か
けた.このような採取権は,他の内湖には見られない
ことであった.
f)水上交通機能
松原内湖周辺の集落では,他の内湖と同様に漁の時
や農地までの移動,水草を採るなどのさまざまな用途
で田舟が使われていた.田舟は 1 軒に 1 艘はあり,農
家では 2 艘所有していたようである.
(5)松原内湖の干拓史
松原内湖の干拓は一般に 1944 年(昭和 19 年)に着
工,1948 年に竣工したと言われているが,文献によっ
て着工や竣工年に若干の相違が見られることがわかっ
た.例えば,
『新修彦根市史』11)では着工が 1944 年 5
月,竣工が 1948 年 3 月となっているのに対して,
『琵
琶湖干拓史』16)では着工が 1944 年 4 月,竣工が 1947
年 3 月とある.また,ヒアリング調査においては,ま
ず着工前の測量が 1943 年におこなわれ,着工は 1944
年 1 月~2 月,
完成は 1948 年 1 月ということであった.
また干拓地での最初の田植えが 1944 年から始められ
たということを確認することができた.
上記を含む文献や資料,新聞記事,ヒアリング調査
などから同内湖干拓の着工と竣工の時期を調査し,調
査の結果,総合的に推察した松原内湖の干拓工事の流
れは次の通りである.
小中の湖と同じく 1942 年に干拓工事の計画が立て
られ,翌年に内湖の測量がおこなわれ,1944 年 2 月に
着工する.そして同年 7 月から早くも干拓地で田植え
が開始され,干拓工事は 1948 年に竣工した.なお,干
拓地での田植えの開始時期としては,県内で初めに干
拓された小中の湖よりも早いことから, 松原内湖の干
拓地での田植えが,県内で最も早くおこなわれた可能
性が高い.同内湖の排水後の様子が写された空中写真
を写真 2 に示す.
写真 2 松原内湖干拓地の空中写真(1946 年 3 月 27 日)
3)滋賀県土木部河港課:琵琶湖周辺湖保全対策基本計画,
p.9(1996)
4)滋賀県:琵琶湖のあらまし
<http://www.pref.shiga.jp/ biwako/koai/handbook/files/>,
2010-12-15
5)佐野静代:琵琶湖岸村落における内湖利用の変容,第 9
回世界湖沼会議,4,pp.602-605(2001)
6)佐野静代:琵琶湖岸内湖周辺地域における伝統的環境利
用システムとその崩壊琵琶湖岸内湖周辺地域における伝
統的環境利用システムとその崩壊,地理学評論,76(1),
pp.19-43(2003)
7)佐野静代:内湖をめぐる歴史的利用形態と民俗文化-そ
の今日的意義-,滋賀県琵琶湖研究所所報,21,pp.131-136
(2004)
8)佐野雄一:
「津田内湖に関する調査研究」-記憶に残る
津田内湖-,滋賀県立大学環境科学部環境計画学科卒業
研究報告書(2002)
9)松尾さかえ,井手慎司:小中の湖の干拓前の状況と機能,
維持管理手法に関する調査研究-弁天内湖を中心として
-,環境システム研究論文集,34,pp.75-82(2006)
10)松尾さかえ,井手慎司:伊庭内湖を中心とする小中の
湖の干拓前の状況と機能,維持管理手法に関する調査研
究,環境システム研究論文集,35,pp.401-407(2007)
11)彦根市史編集委員会:新修彦根市史 第 1 巻~第 3 巻 通
史編(2007~2009)
12)彦根市史編集委員会:新修彦根市史 第 4 巻 景観編,
彦根市(2011)
13)用田政晴:湖と山をめぐる考古学,サンライズ出版(2009)
14)前川与市:松原町概略史(1965)
15)城北青少教家庭教育対策部会:ふるさと探訪のしおり
6.参考文献
(1990)
1)彦根市市史編集委員会:明治の古地図,p.118(2003)
16)琵琶湖干拓史編さん委員会:琵琶湖干拓史,琵琶湖干
2)西野麻知子,浜端悦治:内湖からのメッセージ 琵琶湖
拓史編さん事務局(1970)
周辺の湿地再生と生物多様性保全,p.44,サンライズ出版
(2005)
iv