China Through Western Eyes

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資料 No. 9-2014-032 / March 2014
<中国史、東西交流史>
西洋から見た中国
China Through Western Eyes
Manuscript Records of Traders, Travellers, Missionaries and Diplomats
近現代中国の姿を、新たな視点から映し出す貴重なコレクション。
1792 年から第二次世界大戦中の 1942 年にかけて、アメリカ・イギリスから中国に赴いた商人、観光客、
研究者、宣教師、医師、ジャーナリスト、外交官の日記、雑誌、写真、切抜を収録します。ジョージ・
アーネスト・モリソンの日記やアーネスト・サトウの書簡など今まで見ることができなかった貴重な資
料が満載です。
全ての資料は英語で書かれていて、中国の歴史・経済・社会・政治などの研究にご活用頂ける内容です。
香港上海銀行の銀行家 Charles Stewart Addis と、宣教師 Wilson Herbert Geller の日記を提供
Part 9: The Addis and Geller Collections
from the School of Oriental and African Studies, London
Part 9: 14 reels 概価 ¥350,000 〔本体〕
19 世紀・20 世紀の西洋と中国の交流を描く資料を提供。パート 9 は
二つの異なる文献資料を提供します。
一つ目は、香港上海銀行(HSBC)に 1880 年に入社した、Charles
Stewart Addis(1861-1945)の 63 巻に及ぶ日記です。1883 年、彼はシン
ガポールに異動、その後香港で HSBC の支店長になりました。1886 年、
北京に代理店として異動した際、北京在住の西洋人として初めての銀
行員の一人になりました。この間、Chinese Times の編者 Alexander
Michie に誘われ、記事を書くようになります。天津、上海、カルカッタ、ラ
ングーン、漢口を仕事で訪れ、袁世凱の北京政府支持に大きな役割
を果たした、Six Power China Consortium の形成に尽力しました。
二 つ 目 は 、 Wilson Herbert Geller の 日 記 ( 1901-1904,1908,1910-1914,1930 ) と 、 Mabel Love Geller
(1919,1930-1934)の日記 16 巻を提供します。中国における彼らの生活と仕事が記録されています。教会、女性
向け学校、新しい中国語の讃美歌集の設立に尽力しました。
中国滞在中の旅行や、都市の様子が克明に記されている貴重な内容です。
(Adam Matthew, GBR / 日本総代理店:丸善)
《裏面に続きます》
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デューク大学ウィリアム・R・パーキンス図書館に所蔵されている 23 点の記録文書集を収録
Sources from the William R Perkins Library, Duke University
Part 1:15 reels
Part 2:16 reels
概価 ¥375,000〔本体〕
概価 ¥400,000〔本体〕
パート 1 とパート 2 は、デューク大学の所蔵をベースに、上海で活動したアメリカ人宣教師の
7 巻におよぶ日記から、イギリスから中国に初めて派遣された大使の手紙まで、23 点の資料コレ
クションを提供します。
本プロジェクトの刊行に際し、可能な限り中国に関連する資料のみを厳選し、マイクロ化することを心が
けました。中国・香港・台湾に関連する重要資料が網羅されていますが、セイロン・インド・日本・韓国など
の地域に関連した資料も同じに収録されています。Adam Matthew 社の Japan Through Western Eyes に
中国関連の資料が収録されていることと同じです。しかし、Japan Through Western Eyes と China Through
Western Eyes に資料の重複はございません。
貿易商であり教育・福祉分野でも活躍した、ジェームズ・A・トマスの文書集成
The Papers of J. A. Thomas, c1905-1923,
from the William R. Perkins Library, Duke University
Part 3:17 reels
概価 ¥425,000〔本体〕
同じくデューク大学ウィリアム・R・パーキンス図書館に所蔵されているジェームス・A・トマス
(1862-1940)の文書が集成されています。
トマスは中国を拠点にアジア各地で広くタバコ貿易を営みながら、慈善事業や中国研究、中国
人向け銀行や教育機関の設立などにも力を注いだ人物です。
British-American Tobacco Company Ltd と British Cigarette Company を経営し、1905 年から引退する
1922 年まで Mustard and Company Ltd の社長を務めました。1888 年から 1922 年にかけてアメリカ
の煙草を、オーストラリア、タスマニア、ニュージーランド、インド、日本、中国などアジア諸
国に紹介したパイオニアでもあります。
トマスは最初、商業的関心の方が強かったのですが、徐々に中国の教育や福祉に興味を持つようにな
り、様々なプロジェクトに参画しました。例えば Chinese-American Bank of Commerce を組織、中国人のた
めの学校を設立、さらに中国赤十字社でも積極的に活動しました。また、China Child Welfare Inc.の会長、
China Famine Relief USA Inc の会計、China Society of America の会長、American Asiatic Society の主要
委員でもありました。A Pioneer Tobacco Merchant in the Orient (1928)と Trailing Trade a Million Miles
(1931)の執筆もしています。これらの活動から表彰もされ、ダライラマから叙勲されています。
本コレクションは、1905 年から 1923 年までのトマスの書簡を網羅します。
イェール神学校図書館に所蔵されている中国関係資料
Manuscript Diaries and Papers
from the China Records Project at Yale Divinity Library
Part 4:23 reels
Part 5:18 reels
概価 ¥575,000〔本体〕
概価 ¥450,000〔本体〕
1870 年代から 20 世紀半ばまでの期間に中国を訪れた宣教師たちの日誌や手稿などが集成されていま
す。米国 National Council of Churches of Christ による中国関係資料保存プロジェクトを通じて収集され、
イェール神学校図書館に所蔵されているこれらの資料では、広東に女学校を設立した女性宣教師の文
書や、日本占領下の中国人たちの生活を克明に描いた日誌などが含まれています。
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1968 年、アメリカの National Council of Churches of Christ は、China Records Project を発足しました。
このプロジェクトの目的は、中国を訪れた宣教師個人の記録を保存し、これらの重要資料を研究者が利
用できるようにどこか中心となる機関を決めて保管することにありました。1969 年、保管場所としてイェール
神学校図書館が選ばれ、中国関連の資料を積極的に収集しています。
パート 4・5 は、イェール神学校図書館が保存している様々な資料を収録し、中国の歴史・政治・文化・
宗教にとって大変貴重な内容となっています。
パート 4 は、1871 年から 1951 年までの中国での生活を綴った 50 名以上の個人の資料が収録されてい
ます。中国での宣教活動だけでなく、日々の生活に関する雑誌、切抜、メモを提供します。特に、19 世紀
中国における宣教活動、医師の役割、女性宣教師が直面した問題、南京大虐殺、日本支配下の中国で
の生活、蒋介石の統治、1949 年から 1950 年代半ばまで宣教師が体験した共産主義の波に焦点が置か
れています。
パート5は、1880 年から 1951 年にかけてニ代に亘って中国で宣教活動を展開した Campbell 家の資料
から始まります。Campbell 家の構成は、George Campbell(c1860-1927)、妻の Jennie (1863-1939)、2 人の
娘 Louise (1883-1968;Kwong Yit Girls’ School の校長で 40 年間以上 Hakka 部族のために活動しました)
と Dorothy (1898-1972)です。
アーネスト・サトウの中国関係文書
Correspondence and Papers of Sir Ernest Satow (1843-1929)
relating to China from Public Record Office Class PRO 30/33
Part 6:15 reels
概価 ¥375,000〔本体〕
第 6 部では、駐日公使としての長い滞日経験を経て、義和団の乱の直後に駐清公使に着任したア
ーネスト・サトウの中国関係文書を集成しています。これらの文書は英国国立公文書館に所蔵さ
れており、中国各地に滞在する英国領事館員やガスリー総督、あるいは様々な国際機関との間で
交わされた貴重な書簡などが含まれています。
今までサトウの日記は公開されていましたが、彼の往復書簡や報告書が利用可能となったのは
今回が初めてです。
アーネスト・サトウは 1843 年ロンドンで生まれました。Mill Hill School で過ごした日々が彼に
大きな影響を与え、厳格なプロテスタント教育により伝統主義的価値観を持つようになりました。
University College London(UCL)で学んでいるときサトウは東洋への関心に目覚めます。外務省主催
で学生向けインターンシップとして中国と日本の領事館に 3 名を連れて行く機会があり、サトウ
は 1862 年 9 月日本を訪れました。日本で約 30 年間、書記官と全権大使を務めた後、サトウは 1900
年 10 月、義和団の乱で混乱していた北京に転勤となります。
19 世紀後半の中国は勢力が弱まり、経済や貿易の特権を要求する海外からの圧力に抵抗してい
ました。アヘン戦争(1894-1895)と日清戦争(1894-1895)に敗北したことで国内の緊張が高まり、
国内での抵抗勢力への弾圧も激しくなっていました。また、何世紀にも亘り影響力を誇っていた
儒教に代わり、キリスト教勢力が台頭し、1898 年の中国大洪水により農村部で飢饉が起こった際
は、外国の帝国主義が自然にも影響力を及ぼすという信仰が広がりました。
サトウが赴任したのは義和団の乱で混乱していた時期です。東洋の文化・政治・財政・商業を理
解していた彼は、中国との外交関係を構築できる理想的な人材として期待されていました。サトウ
の主な任務は海外列強と友好関係を維持し、中国政府から賠償金を払ってもらい、平和を維持する
ことでした。彼は中国政府に対し 40 年以上に亘る莫大な賠償金の支払いを命じます。長期に亘る交
渉とサトウの努力によって、中国と列強の間で辛丑条約が 1901 年 9 月 7 日に終結しました。
本コレクションに収録される書簡や文書は、これらの出来事に影響を反映し、詳細な情報を提
供します。サトウの目となり耳となったスタッフ、南京・上海・天津などにいる同僚、F Ventris
少将や Alfred Gaselee 少将との書簡が収録されています。
傑出した外交官であったサトウの書簡や文書を通して、当時の出来事について手堅く情報を収
集していた様子がわかります。19 世紀後半から 20 世紀にかけて中国に対しイギリスがどのよう
に対応していたのかがわかる貴重な資料です。
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ジャーナリストでもあり袁世凱の政治顧問を務めた、モリソンの貴重な日記を収録
The Diaries of G E Morrison (1862-1920), Peking correspondent of The
Times from 1897, and political advisor to the President of China, 1912-1920,
from the Mitchell Library, State Library of New South Wales
Part 7:20 reels
概価 ¥500,000〔本体〕
第 7 部は、ジョージ・アーネスト・モリソン(1862-1920)の日記を収録します。モリソンは 1895
年の旅行に関連する資料を残しており、1976 年と 1978 年に HM Lo の編集によって書簡が刊行さ
れました。しかし、プライベートの日記が利用可能となるのは今回が初めてです。
モリソンは 1862 年オーストラリアのジロングで生まれました。1887 年医師の資格を取り、学生時代のモリ
ソンはオーストラリアからスペイン、アメリカ、西インドと世界各国を旅しました。1893 年香港、翌年上海から
ラングーンまで旅行しました。1895 年ロンドンでこの旅行にかんする書籍を出版、その後ロンドン・タイムズ
の特派員となり、15 年間中国中を旅しました。Reel 20 は、モリソンが 1900 年の 1 月から 8 月にかけてタイ
ムズに発表した記事が収録されており、義和団の乱について詳しく報告されています。日露戦争の際は
日本軍に密着し、1905 年のポーツマス会議ではタイムズを代表して取材しました。
1912 年タイムズを退社し、袁世凱の政治顧問となりました。袁世凱は、外国の圧力と国内の腐敗に立ち
向い、官僚制・教育システム・経済の改革に取り組むことで中国の国力強化を目指していました。しかし皇
帝の地位に就くことで権力を強化しようとした試みが失敗し 1916 年に死亡、その後も中国国内は混乱しま
した。モリソンは国内の紛争や、第一次世界大戦期のドイツ、日本からの 1915 年の 21 か条要求のような
圧力などに関連する資料を残しています。1912 年に Jennie Wark Robin と結婚、3 人の子どもを残し、
1920 年 5 月 30 日イギリスで亡くなりました。東京の東洋文庫がモリソン文庫を購入し、1924 年にカタログ
を刊行、さらに 1932 年、オーストラリアの華僑が彼の栄誉を称え講演を行なっています。
本コレクションに収録されている日記は、20 世紀最初の 20 年間における中国の政治や当時の生活に
関する大変貴重な洞察を提供するだけではありません。イギリスの帝国主義の本質を突くような、各国の
政治指導者とどのような交渉を行なっていたのか、経済・財政的圧力をどのように利用していたのか、ジェン
ダーや人種についてどのように認知していたのかといった、イギリスの帝国主義の本質を突くような情報を
提供します。ジャーナリストの先駆けとして、情報と輸送のコミュニケーションの重要性を実証しています。
(モリソンの日記は書き直しが著しく、同じテーマについて違うノートに書いているので、年代
順に並べられていません)
文化大革命で活躍したニュージーランド人、レウィ・アレイの日記・旅行記を収録
Part 8: The Papers of Rewi Alley (1897-1987)
from the Alexander Turnbull Library, Wellington, New Zealand
Part 8:15 reels 概価 ¥375,000〔本体〕
第 8 部は、ニュージーランドの作家・社会事業家で、1927 年から農業改革・文化大革命の時代
まで中国に滞在した Rewi Alley(1897-1988)の日記・旅行記を収録します。
レウィ・アレイはニュージーランド出身の作家であり社会事業家です。1927 年中国を訪れ、文
化大革命、長征、農業改革を経験しました。1927 年から 1987 年までの 60 年間を中国で生活し、
時には参加し、時には観察しながら、当時の激動の政変に関わっていました。
1930 年代は、毛沢東やその他共産党指導者たちと交流を深めていました。1949 年以降、アレイ
は中国共産党政権下の中国において滞在と労働を許された数少ない外国人の一人となり、国際的
な平和活動に従事、中国の外交政策に力を入れ、アメリカの韓国やベトナムへの軍事侵略を批判
しました。日清戦争での避難民労働者の組織である Chinese Industrial Co-operative Movement の設
立に貢献したり、教育・訓練、専門学校の重要性を強調し、若者の教育にも力を注ぎました。
本コレクションは、アレイの中国での活動を網羅しており、特に遠征、1949 年の革命、農業革
命、文化大革命、その後の 1960 年代・1970 年代の中国における文化・経済・社会がわかる貴重
な資料を提供します。アレイは 20 世紀中国の歴史における重要人物であり、彼の日記や書物を通
して中国に対する熱意やエネルギーが感じられます。
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