201008時報(1.81M)

1日 サロフの克肖神父聖セラフィム
︶
︵ 1903
2日 聖預言者イリヤ︵前
︶
9C
︶
3日 聖預言者イエゼキイリ︵前 6C
4日 聖携香女マリヤ﹁マグダリナ﹂、シ
︶
ノプの致命者主教聖フォカ︵ 403
5日 聖預言者サムイルの母、義なる聖ア
ンナ
︶、聖致命者ボリス及びグレブ
3C
6日 ティルの聖致命女ハリスティナ
︵
ィモン、パルメン
日 アンティオケの聖致命女セラフィマ
︶
︵ 2C
日 聖使徒シラ、シルアン、クリスケン
ト、エペネト、アンドロニク︵七十
門徒︶、オプティマの聖致命者アナ
︶
トル 世2︵ 1922
日 カッパドキヤのケサリヤの聖致命女
︶
イウリタ︵ 304
日 聖致命者祭司マッカウェイ及びその
︶
母聖ソロモニヤほか数名︵前 166
︶
日 初致命者首輔祭聖ステファン︵ 428
日 アンティオケの遁世者克肖聖コスマ
︶、克肖者聖アンドレイリュブ
362
︶
︵ 6C
日 ペルシャの聖致命女エウドキヤ
︵
ロフ
︶
日 ロマの聖致命者ポンティイ︵ 257
日 チェルニゴフの主教フェオクティト
︶
︵ 1123
日 ペルシャの聖致命者ドメティ︵ ︶
363
︶
日 クリトの克肖者主教聖ミロン︵ 350
日 ロマの聖致命者首輔祭ラウレンティ
日 聖使徒マトフェイ
と神品聖致命者﹁パパ﹂シクスト、
およびロマにおいて共に致命せしフ
︶
︵ 258
日 聖致命女スサンナ︵
︶、カタニヤ
295
︶
の聖大致命者エウプル︵ 304
日 ニコミデヤの聖致命者アニキタ、フ
︶
662
︶と
1550
︶
ォテ ィ︵ 305
日 克肖者聖神父表神者マクシムス
︵
︶
日 聖預言者ミヘイ︵前 8C
日 ロマの修道院長聖マカリイ︵
聖ハリトン
︶
日 聖致命者医師デオミド︵ 298
︶
3C
日 イリリヤの聖致命者フロル及びラウル
︶
2C
日 キジクの聖致命者ミロン︵
︵
発 行 所 正 教 時 報 社 〒 東 京 都 千 代 田 区 神 田 駿 河 台 四 丁 目 一 の 三
電 話 ︵ 代 表 ︶︵ 〇 三 ︶ 三 二 九 一 ¦ 一 八 八 五 番 ︵ 毎 月 一 回 二 十 日 発 行 ︶
振替 〇〇一六〇¦六¦三七二〇五 年¥二四〇〇
ィリキシム、アガピト、ロマン
発行人 山 口 義 人
編集人 松 井 貢 治
24
25
26
28 27
31 30 29
11
12
13
14
16 15
17
19 18
23 22 21 20
︶
︵ 1015
7日 至聖生神女の母聖アンナ、コンスタ
︶
410
ンティノポリの克肖女性オリンピア
ダ︵
︶
8日 ロマの聖致命女パラスケワ︵ 2C
9日 聖大致命者廉施者パンテレイモン
︶、マンティネヤの修道院長克
︵ 305
肖女アンフーサおよびその姉妹
人
90
︶ ︵ 8C
日 聖使徒輔祭プロホル、ニカノル、テ
正 教 時 報
昭和四十五年二月十九日︵第三種郵便物認可︶
平成二十二年八月二十日発行︵第 一 四 三 九 号︶
August
8
2010
10
正教時報
1010062
8 月の聖人暦
昭和45年 2 月19日 第 3 種郵便物認可 平成22年8月20日発行(毎月 1 回 20日 発行)正教時報 1439号
─
祭─
ウ─
エル
及川
信
西日本主教教区 ─────────司─
─
─ ─
─ ─
パ
─
全国公会 ───────────
─ ─
─
─桑─
─建─
司祭
ス─
テフ
ァ─
ン 原 夫
─
5
3
目 次
─
7
グリ
ゴ─
リイ
水野
宏
東京大主教教区 ────────司
─祭─
─
─ ─
─ ─
─
祭─
ヤ─
コフ
篠永
眞
東日本主教教区 ─────────司─
─
─ ─
─ ─
イ
府─
主─
教 ニ─
イル
「ニコライの手紙」──
────────────
─ダ─
伝道会シリーズ
─
─ム─
─ェ─
─
修─
道司
祭─
ゲ─
ラシ
(ツ
フツ
ォ─
フ)
旧約聖書 詩篇(2)─
────
訳 ゲオルギイ・トロイツキイ
今月の奉事式 ────────────────
─
表紙の写真 《 生神女就寝 》
イイススの受難と復活の後、母である生神女マリヤは
聖使徒イオアンが引き取って扶養していた。福音書に
「其時より此の門徒彼を己の家に取れり」(イオアン
十九・二七)と記されているとおりである。そして「彼
等(使徒たち)皆心を一にして、婦等と、イイススの母
マリヤと、彼の兄弟と偕に祈祷祈願を務めたり」(行実
一・十四)とあるように、マリヤは聖使徒たちと共に祈
りの日々を送っていた。
聖書はその後のマリヤの消息を記していないが、教会
の伝承はその最期の様子を次のように伝えている。
高齢になったマリヤがエレオン山で祈っている時、天
使ガヴリイルが現れ、三日後にこの世を去って天国に迎
え入れられることを彼女に告げた。これを聞いた聖使徒
イオアンは皆に知らせて、マリヤの天国への凱旋の準備
をした。そしていよいよその日、臨終を迎えようとして
いるマリヤの周りに、集結した聖使徒たちが祈りを献げ
ていると、にわかに室内が明るくなり、ハリストスが天
使らを従えて天から降ってきた。マリヤが「我が心は主
を崇め、我が霊は我が救主を喜ぶ」と主を讃えて言う
と、主はマリヤのたましいを抱き、天使たちが「恩寵を
満ち被る者よ、喜べよ。主は爾と偕にす。爾は女の中に
て讃美たり」と歌う中、再び天に昇っていったという。
生神女就寝のイコンは、まさにこの場面を描いたもの
である。通常はハリストスが赤子のようなものを抱いて
□
いるところが描かれているが、これはマリヤのたましい
を示すものである。 されました。全国公会は全国の神品と各主教区から選出さ
活大聖堂教会境内の教団施設であるニコライ会館にて開催
スによって与えられたことはこの上ない悦びであり、今後、
降り掛かっている今、2つの新しい聖(会)堂がハリスト
報告されました。少子超高齢社会の波が教会にも例外なく
現聖堂」の成聖式、北九州福岡伝道所の新築成聖式なども
年度全国公会
祝・ダニイル府主教座下着座 周年
平成
日(日)まで、全国公会が東京復
れた代議員、また、各地の教会からの参祷者が一堂に会し、
新聖堂建設を計画している教会にとっても大きな励みとな
全国宣教企画委員会の報告はダヴィド水口神父様。名称
会議だけではなく祈りと交わりの時間を過ごす、数少ない
年は例年よりも過ごしやすい全国公会だったと感じまし
が宣教「企画」委員会に変更されたこと。活動として「主
ることでしよう。そして、何よりも「日本正教会の底力」
た。…でも、その裏側では大雨による被害の発生しつつあ
日奉事式」の改定出版、子供向け教材レインボーシリーズ
改めて聖ニコライを「意識しましょう」という、府主教座
う印刷物に依るもので、聖ニコライ記念祭が始まる今年、
府主教ダニイル座下のご訓示は「ニコライの手紙」とい
全国献金委員会のグリゴリイ小川神父様。諸規則検討委員
にするため、東京大主教教区に増額願った」という報告は、
たい等の内容でした。「3 教区からの教団納付金を目標値
んでいること、「正教会の手引き」改定版を年内に刊行し
3冊目となる「私たちのイイススさま」の出版の準備が進
下のお気持ちが伝わるものでした。教会全体の1年間の動
月9
会の報告では「文化庁担当者の改定意見に基づいた改定と
周年記念」が
きは宗務総局からの報告としてイオアン小野神父様から。
40
10
日まで、大阪ハリストス正教会と京都ハリストス
年記念祭・日本正教会聖自治
調整確認作業を継続している状態」とロマン大川神父様。
列聖
宣教会議や教会学校の教師会、教会子供会活動、聖歌研修
等、3主教区がそれぞれ活動していることが分かります。
日から
今年は教団主催の大きな行事として「亜使徒聖ニコライ
また、移転新築した名古屋ハリストス正教会の新聖堂「神
40
会、教区主体の勉強会や交流会、聖歌の指導者の養成講座
れてはなりません。
る地域から参集した神品や信徒代議員が居られることも忘
貴重な時間でもあります。この時期の公会では毎年、肌に
日(土)から
11
12
を目の当たりにし、勇気づけられた時でもありました。
7月
22
纏わり付くような湿った異常な暑さに悩まされますが、今
11
23
2010年度 三主教教区「教区会議」開催
11
2
3
9
10
8月
主降生2010年
10
た。最後は府主教座下から「誰もがいちばんが関心が深い」
と全国公会を7月に函館教会で開催する旨案内がありまし
ター等が送達されている旨、企画担当教区である西日本教
人事について発表されました。今年は釧路教会のミハイル
正教会を会場として行われる。既に各教会に掲示用のポス
区宗務局長代行パウエル及川神父様からの報告と連絡。尚、
対中神父様が盛岡へ。盛岡教会のステファン内田神父様が
横浜教会臨時管轄にグリゴリイ水野神父様という異動が発
釧路へ。横浜のディミトリィ田中神父様が小田原に常駐。
神品以外の出席者の宿泊は各自で手配下さいとのこと。
主日の聖体礼儀はペトル・パワェル祭も併せて行われま
周年
表されました。更に、現在の状態を緩和するため、年度の
した。聖体礼儀に続いてダニイル府主教座下の着座
記念式が行われました。セラフィム主教座下は、教団を代
途中で2~3名の自給輔祭を自給司祭として叙聖する計画
復活大聖堂教会からは祝辞とお祝と花束が贈られ、全員で
二月の訪ロに際して選定された権杖(ジェーズル)、東京
聖 ニ コ ラ イ へ の モ レ ー ベ ン。 イ
し、大聖堂での閉会祈祷は亜使徒
神恩により議事は無事に終了
があることも添えられました。
府主教座下に「幾年も」をお祈り致しました。この日は聖
オアン釜谷輔祭様による記念の写
ました。ミハイル対中神父様の金十字架佩用の祝福も含め、
年という時間の過ぎる速さ実感しました。
第2日目の本会議の議事は教団財務部長のパウエル小島
兄の決算報告から。監査報告並びに予算案ともに承認され
ました。会計監事の選任は府主教座下の指名によりイリヤ
近藤兄(静岡)とパウエル鈴木兄(山手)が再任となりま
した。その他の項では教勢報告書のフォーマットの検討の
依頼と全国公会議事録の発行について等の意見が提示され
ました。また、東日本主教教区宗務局長のマルコ小池神父
周年記念祭」
150
六月二○日 大阪ハリストス正教会
様から、来年は「亜使徒聖ニコライ渡来
西日本主教教区
教区会議
(報告者 司祭ステファン 桑原 建夫)
発に活動していることに注目。名古屋のような大都市に立
派な聖堂が建設され、信仰の灯が輝いていることをたいへ
ん喜んでいる。また名古屋ばかりでなく福岡にも伝道所が
開設され、共にいずれはさらに大きく成長するであろう事
府主教座下はほかには、教団の諸規則検討委員会が取り
をロシアの人々に語られた。
さる六月二○日(日)ダニイル府主教座下ご臨席のもと、
わたしたちの教区の主教でもあられる府主教座下のこの
座下着座一○周年を祝賀し、教区一同より御祝を贈呈した。
において執り行われた。十字架接吻前に、ダニイル府主教
晩祷と二○日(日)主日聖体礼儀は大阪生神女庇護聖堂
晩祷と主日聖体礼儀
同の賛同のもと、教区本会議に上程されることが決まった。
について説明・協議が行われ、府主教座下の祝福、理事一
された九州北部地域正教会(福岡伝道所)への還付の請願
さいごに「旧小倉正教会基金」をさる五月二三日に成聖
おり本会議にかける事が決議された。
務部長から決算報告・予算案の説明があり、すべて原案ど
○年・聖自治教会四○年記念祭の説明(水口師)。佐藤財
川師)報告。一○月に開催される亜使徒聖ニコライ列聖四
川)、全国宣教企画委員会(水口師)、全国献金委員会(小
さて理事会では、過年度と新年度の業務報告・計画(及
うに努めていることを、資料をもとに理事に解説された。
影響は非常に大きいので、慎重に規則の文言を選定するよ
本の全正教会を包括する宗教法人であり、その規則制定の
組んでいる教団規則の改訂について説明された。教団は日
一五○年経った現代において日本で活
の 尽 力 に よ っ て 宣 教 さ れ た 正 教 会 が、
ロシアでは幕末、亜使徒聖ニコライ
あったという。
ア 国 内 に 放 映 さ れ、 た い へ ん 好 評 で
の特別な取材があり、その映像がロシ
現聖堂成聖式後に、ロシアのテレビ局
一月一一日に執り行われた名古屋神
た。
題を取り上げ、わかりやすく説明され
理事会と教区会議において、広範な話
一時半~理事会。府主教座下は、この
一九日(土)、午後一時から会計監査、
座下の祝福を得て、司祭会議を開催。
午後二時~七時まで、ダニイル府主教
教区会議開催に向けて、一八日(金)
司祭会議・教区理事会(一八日・一九日)
神女庇護聖堂・信徒会館を会場に開催された。
西日本主教教区「教区会議」が大阪ハリストス正教会、生
司祭 パウエル 及川 信
た。
体礼儀の小聖入に於いて、ミハイル対中神父様が金十字架
周年記念の晩餐会では西日本教区神品有志
真撮影を以って慰労会となりまし
教座下の着座
佩用の祝福を受けられました。別に行われたダニイル府主
贈られました。教団からのお祝いとしてセラフィム座下が
表してお祝いを述べられ、主教品の象徴であるパナギアを
10
から記念の鞄、東日本教区神品有志からはお祝いが贈られ
10
4
5
10
新年度教区活動と懇親会
一○月に開催される亜使徒聖ニコライ列聖四○年・聖自
治教会四○周年記念祭は、大阪と京都で開催。
冬季セミナーは新春二月一一日名古屋正教会で開催。講
師に酒井師と池田雅史氏を予定。教区学びの会は、一月京
都・小川師、三月神戸・及川、四月福岡・水口師、五月大
阪・松島師を予定。日時・テー
マは後日ご案内する。
出版物では、西日本正教は八
に留意され、また西日本の教区の司祭・信徒をこれからも
十年の御心労を思い、くれぐれも心身をいたわって御健康
正教信仰の基礎を学ぶ『正教要
語拾穂』は秋の記念祭前に発行、
プ」と家庭祈祷集の第二弾『聖
月末発行。新「西日本正教会マッ
温かく見守り末永く御導き下さいますようにとの心をこ
理』は編集中。
教区会計監査の選任、七月の
め、小川神父様から御祝を贈呈、みなで「幾歳も」を斉唱
した。
全国公会代議員が選任され、夕
昼食をはさみ、午後一時半から本会議。議長ダニイル座
がなごやかに行われた。大阪婦
信徒会館での夕食懇談・慰労会
四 時 に 会 議 終 了。 記 念 写 真 後、
下のもと副議長に松島師、佐藤孝雄兄、書記に水口師、松
人会の皆様の心のこもった食事
教区本会議
田輔祭が選任され、議事が進行された。過年度と新年度の
ら参集した信徒の談笑のうち
を堪能し、広大な西日本各地か
一○月に開催される記念祭の説明。財務部長から決算報
に、 会 議 の 全 日 程 は 無 事 完 了。
業務報告・計画、全国宣教企画委・献金委員会の報告。
告・予算案の説明があり、すべて原案どおり承認された。「旧
皆様、ありがとうございました。
参照下さい。
宛ご連絡ください。詳細は、各教会配布の別紙案内を
ます。申込みが必要です。八月中に所属教会管轄司祭
聖ニコライの偉業の内、『翻訳活動』に焦点を当て
京都で海外来賓を招聘して開催します。
聖四十年記念祭」は、十月九~十一日(土~日)大阪・
三カ年に渡る『聖ニコライ記念祭』--初年度「列
聖ニコライ列聖四十年記念祭 受付開始
小倉正教会基金」還付請願を全会一致で承認、九州北部地
域正教会(福岡伝道所)は旧小倉教会の後継教会として、
東京復活大聖堂教会
司祭 グリゴリイ 水野 宏
六月二十七日
健全運営を成していくことが改めて確認された。
東京大主教教区
教区会議
六月二七日(日)午後一時三〇分より、東京・ニコライ
会館ホールにおいて二〇一〇年度・東京大主教教区会議が
開催された。
開会祈祷と定足数の確認に引き続き、議長であるダニイ
ル府主教座下の指名により副議長にサワ大浪神父とイオナ
近藤孝邦兄(東京)、書記にグリゴリイ水野神父とパウェ
ル松井輔祭が選出され、議事が執り行われた。
冒頭、ダニイル府主教座下は「『霊』寸観」と題して訓
示された。この中で座下は、およそ宗教を考えるときに「た
ましい」という概念を抜きにして語ることはできない、と
述べられた。そして、中井木菟麿が「霊」と書いて「たま
しい」と読ませたことに触れられ、その概念の意味および、
「霊」(たましい)と「神」(しん)との相違について訓示
された。
続いて二〇〇九年度の教区業務報告が宗務局長のイオア
ン小野神父より行われた。この中で、府主教座下は昨年度、
教区内の諸教会を巡回(十二月に山手、高崎、前橋)され
たのみならず、北海道(六月に釧路、上武佐、斜里、十月
に札幌、苫小牧、小樽)にも赴かれ、今年一月には新築さ
れた名古屋教会の聖堂を成聖されるなど、例年にもまして
積極的に巡回された旨が報告された。また、教区関連の人
6
7
ら に は「 新 約 聖 書 」
教 会 の 手 引 き 」、 さ
として昨年九月に小野神父が教区宗務局長に正式に選任さ
そのものの再編集・
事として、二〇〇八年に永眠された大窪前宗務局長の後任
れたこと、及び山手教会所属のワシリイ飯島健司兄が昨年
再出版について桝
続いて教区財務
あった。
田神父より説明が
十二月に輔祭叙聖されたことが報告された。
さらに毎年定例の各種教区行事が滞りなく行われたこと
も報告された。これらの教区行事とは次の通りである。
(教
区理事会等の諸会議は除く)
ン 斎 藤 行 兄( 横 浜 )
担当理事のシメオ
① 神品と各教会の代表者が集まって意見交換を行うた
めの「執事長会」
報告と今年度の予
承 認 さ れ た。 な お、
算 案 上 程 が 行 わ れ、
より、前年度の決算
② 信徒聖歌者養成の一環としての「聖歌リーダー養成
講座」
③ 信徒の学びを目的とした「信徒研修会」
前年度据え置きで
④ 誦経奉仕者の養成のための「誦経者研修会」
いて総額前年対比八一万円を引き上げることが決定した。
あった教区分担金
るものとし、さらにこれに加えて、教区専従教役者全員参
会計監査を執行する教区会計監事には前年と同じく、ペ
⑤ 各教会単位での聖歌歌唱力向上のための「聖歌研修
会」
加のもとでの「教役者研修会」と、引き続いてゲラシム修
トル須永靖夫兄(東京)とシメオン町田誠兄(山手)の二
は、今年度予算にお
道司祭による「特別講演会」を二月に実施することが上程
人が、さらには全国公会代議員として神品十名、信徒十名
なお、今年度についてもこれらの行事は継続して実施す
され、それら諸行事の日程案が承認された。
最後に小野宗務局長より、十月に大阪と京都で行われる
がそれぞれ議長指名により選出された。
スタンチン桝田神父、献金委員のステファン桑原神父、諸
「亜使徒聖ニコライ列聖・聖自治四十周年記念式典」につ
また、教団設置委員会報告として、宣教企画委員のコン
規則検討委員のロマン大川神父の各神品委員より全国公会
いて詳細な内容説明が行われた。
く終了した。
・
日、平成
年度東日本主教教区会議が、異例
以上の議事をもって、午後四時すぎに教区会議は滞りな
を先取りする形で活動報告が行われた。特に現在は亜使徒
聖ニコライ記念祭準備期間ということもあり、これに向け
司祭 イヤコフ 篠永 眞
時から午後
年度業務計画と予算につい
時まで教区理事会が開催され
年度業務と決算報告、
日午前
■教区理事会
た。
■教区会議
日午前
冒頭にセラフィム主教座下のご訓示があり、主教叙聖
催された。
時からの主日聖体礼儀終了後、教区会議が開
翌日の教区会議に備えた。
て説明がなされ、過年度の総括と新年度計画を審議確認し、
22
4
と述べられ、励まされた。
導ける聖職者と信者になることを目標に、努力して欲しい」
会行事を通して、よい地に落ちた種のようによい地に人を
今までの考え方、方法に新た
に導かなければならない ・・・
な視点から光を当てて、アプローチすることが必要で、教
してのあるべき姿、幸せ、目標を言葉と行動で教える教会
また司祭は、一人一人
出さなければならないかが問題 ・・・
と十分に話し合い、教え、諭す教会、ハリスティアニンと
今年は人と人との交わりをいかに生み出すか、また、生み
に“来てみてごらん”という招きであるという話をしたが、
徒たちが始めた宣教とは、ごく身近なところにいる人たち
ことが出来るかが、私たちの最大の主眼である。昨年は使
年を振り返られながら「福音宣教をいかに人に述べ伝える
10
ての宣教企画委員会の取り組みとして「主日奉事式」や「正
月
22
の猛暑の中、札幌正教会で開催された。
六月二十七日 札
: 幌ハリストス正教会
27
11
9
東日本主教教区
教区会議
26
8
9
6
26
21
27
年度業務報告は、全国と教区の活動を詳しく報告
例年は全体会議形
式 だ が、 今 年 は 神
平成
された。特に、ダニイル府主教座下が初めてセラフィム主
品、 信 者 を
つの
教座下と共に、札幌・釧路管轄区をご巡回されたこと。また、
周年祝賀会が開催され、教区活
話 し 合 い、 こ れ が
グループに分けて
動の大きな節目となったこと。その他、継続的業務、研修
功を奏して積極的
討 議 後、 各 グ ル ー
会などが報告され、最後に教団憲法および規則の改定に伴
年度決算が説明され、監査報告が行われ承
続いて来年度の業務計画がそれぞれの目的を明らかにし
まとめて参加者に
後 日、 レ ポ ー ト に
プから報告を受け、
ながら詳細に説明された。また来年の聖ニコライ記念行事
配布することにし
その他、全国公会議事録が、公会終了後速やかに作成配
して集まる代議員
う か。 教 会 代 表 と
何 を 求 め、 何 を 行
について、日本宣教の第一歩を記した函館正教会で開催し、
年度予算が承認された。
布されるようにとの要望があった。来年の会計監事を留任
の熱心な意見交換は、教区活動を積極的に支えている。今
月
日、主日聖体礼儀において、アキラ吉川昭副輔祭
■輔祭叙聖
会が充実することを願っている。
とし、全国公会代議員の選出が行われ、最後に、セラフィ
年に始まり回を重ねているが、教区の活
聖堂での記念撮影後、宣教懇談会が開催された。この宣
教懇談会も平成
(函館)が、セラフィム主教座下により輔祭に叙聖された。
彼らはリベラリズム ヒ
・ ューマニズムを語り、神――仁
愛についてはシニシズムで正教信仰者の心に挑みかかって
インテリゲンチャのドロップアウトたちが溢れていた。
に狂い、奇抜な服装の人々や手前勝手なテオリーに狂った
全
・ ての終わりなどどこに。代わって人への理由なき怖れ
は色々な驚くべき事件となったりした。町にはアルコール
覚の連中が良心――「神への畏れ」を失わせた。神の審判
全て、聖人に手向かう言動となっていた。無法者――恥感
与えていた。教会思潮の対座・無神論の嵐は、聖なるもの
世紀の前半、ロシア社会は一面、希望もない暗との印象を
か!真の正教会の信から何と滑り落ちていることか!十九
年、雑誌、
の文は 1914
)。
三十年先だとしても、注意せよと告げる( こ教 会指針に発表された
我々ロシアの信仰は何と貧しく、貧弱となっていること
り、すでに近くではない‥‥少なくとも、これから二十~
吉川昭輔祭の活躍を期待したい。
動を省み、教区全体の宣教の可能性を探ることを目的に教
今回のテーマは「我家の信仰と参祷」。日常の信仰生活
を省み、その中で今後充実を図るべきことを話し合った。
「ニコライの手紙」
府主教 ダニイル
―― 世の終わりについて ――
大主教ニーコン、ロジデストウエンスキーの日記から「ロ
シアの近づく裁き」について
―― 序 ――
カテキズムには「‥‥神の言はハリストスの
福音書 ——
第二到来の近くのある徴を啓かしている‥‥①信の落下 ②人々の愛の欠如 ③悪徳・悪行・貧困の増加 ④福音の
きつね
いた。語りは真の愛など消しかかっていた。でもなお、無
法の指揮官は「愛」を口にしていた。心の狐ぶりは、自分
イ
の巧みな操作に終始する。「誰が
への愛――自己愛( ズエゴム)
益あるか」 「
・誰が反対か」、ひたすら騙すこと・嘘をいう
ことが「愛すること」とすり替えられて行った。誰が真理
全民族化 ⑤アンチハリストスの到来‥‥」などに言及し
ている。カテキズムの問いと答えはどうか。
てきますか。
を 求 め て い る か、 愛 と 援 助 に 仕 え る な ど 遠 の く ば か り で
問い:イイスス
答え:分からない。この心がけで生きねばならない。私た
‥‥。かかる社会の中で、欠けた人々は増すばかりで、ど
次
・ の時
な貧困(精神の)が続く。この実例は語る必要もないほど、
も出来るような小さな善行 兄
・ 弟姉妹 同
・ 僚を助けたりす
る真心は、特別行為の徴にすらなった。気力喪失は、大き
無気力 敗
・ 北感は明らかに人々の中に現れていた。誰で
のグループにも暗い風潮は生のあらゆる面に表れていた。
ちはいつも準備してきた。
恐るべき裁き
いが廻らされている。一方では、この世の神の審判 神
・の
世
・ 界の次の日‥‥はとの問いがあ
めぐ
―― ニーコン大主教のロシア教会観( 二 十世紀初
)――
ハリストス教会の審判と子たちの救いは畏れをもって思
十 九 世 紀 末 ――
ハ
・ リストスは、まもなく審判の為にやっ
幾年も!
仕事を持ちながら奉仕されることは大変であるが、アキラ
27
区会議に併せて、開かれている。
6
■宣教懇談会
後とも、教区一丸となった活動に結び付くよう、この懇談
22
ム主教座下の閉会の言葉、閉会祈祷で終了した。
らの計画に基づく平成
た。 教 区 の 活 動 に
認された。
また、平成
意見交換が出来た。
セラフィム主教座下叙聖
3
う教区運営要綱の改定が説明された。
10
聖ニコライのモザイクイコンの設置など説明された。これ
21
18
10
11
21
し わ ざ
つ
ひ
にするだけで‥‥また一方では、時に、神に確かに近く住
人々はハリストスの預言性 姿
・ 型
・ がど9ん9な9ものか、直接
に・率直に詰め寄ったり、告げられていない。福音書の教
その
人類史に表れている。誰も、意識的にも 無
・ 意識的にも、
この重圧に気を配る。福音書の説教はどこに?全ての民に
おほぞら
えは全ての人にまでであろうと、ただ語られる‥‥ただ口
つた
聞こえていたはずではないか。
よ
よ
ち
その
げんぎよ
み、確かによく従う群となってもいる。この人々は単に神
の
はて
「諸天は神の光栄を傳へ、穹蒼は其手の作為を誥ぐ。日
ことば
そ の ことば
の教会を愛するだけではなく、自分の生の中で、神に加わっ
ひ
つた
は日に言を宣べ、夜は夜に智を施す。其聲の聞えざる言語
その
す ま ひ
)
2–5
ヤの素朴な漁夫たちであった。しかし、彼らは教えを未知
正教会の二千年間の思いは何処に。聖使徒たちは、ガリレ
公 使徒の唯一の信徒としての我々は、どうであろうか
・
・
十 九 世 紀 末 の)
ロ。 一 見 し た だ け で、 こ の 預 言 者 の 言 葉 の 実 現 は
( シア
正教
徒
麻痺化されている姿を至るところで目にする。ハリストス
べた。これらは教会危機の脅威感についてであった。つま
シア正教の原動力について自分の悲嘆感を彼(
本の大主教は、使徒と等しい人である。私は送信の中でロ
ニコライと新たに文通の機会をもっていた。尊貴なる故日
いがある。
婿として目前に現れる。ここに内部的な思いと終末観の匂
しての言葉が、露わとされている。また、他方では天の花
ている。この時、ある者に頭として至高者の用具・武具と
はうげん
その
ひ
なく、方言なし。其聲は全地に傳はり、其言は地の極に至
かみ
る。神は其中に日の住所を建てたり。」(聖詠
:
18
正教会はハリストス――使徒の中にあり、皆、この言葉
のところ(世界)まで報せるほど拡げた。彼らの言葉を聞
ここに彼(
を自分に修得しているはずである。しかし、二千年後の聖
いて、高慢なファリセイ人 ギ
・ リシャ賢者 哲
・ 学者が事の
真理を解し、この漁夫たちの言葉を語り出す代言者となり
書簡がある。
ニコライ
)が一九〇九年十一月十日から書き送った
り、ロシア内の牧会的心情の痛みの言葉を綴った。‥‥」。
ニコライ
)に述
―― ニーコンとニコライ ――
ン は三十年以上、我々の同時代の大主教日本の
「私( ニーコ)
得ただろうか。彼らは確かに「信」の上によき音づれの報
知者――偉大なイデヤの直結的な接ぎ木者であった。間も
煙の中で血を見る。もし、この兵士が「ここにただ血があ
考えにもっと突き進み、支え切れなかった。兵士は会戦の
類がハリストスに目を向ける日も近いと思われる。しかし、
確かに、ハリストスについて耳にするだけとしても全人
は、心の深くまで福音書に触れただろうか。いや、福音書
その真味特質に至りついたのであろうか。西欧の国民たち
人も福音書の王国を聞いていなかったし、聞いた者も一体
ていない”などなどとの文章である。私の悲しみは色々な
くの人々は、訳もなく世界の終わりが近づいていると思っ
なく神は拡く知られ、今や、世界の救世主ハリストスにつ
る」と語るなら、すでに平和ではない。世界を壊している。
は未だ彼らの霊の上方にある。西欧の人々は福音を聞いて
―― ニコライ書簡 ――
『私は大主教座下の手紙の暗い部分を読んで大変悲しく
あなたは真ん中に立ち、交戦に真っ赤な火を立てている。
はいるが、ロマ教やプロテスタントの中からで、ぼかした
いて聞いたこともない国民など一つとしてないほどであ
自分で傷を受けなさい。どうして自分が苦しまないように
暗い影を映している。ロシアは至高な光輝の中でもなく、
なった。“雷雲が貧しいロシアの上にやって来ている。多
自分の心臓から血が出ないようにするか。痛みから悲鳴の
る。地球上の隅まで「言葉」は運ばれている。
声を出さないようにするか。だが、アダムから今日までの
光り輝いている福音を聞いている。ロシアは未だ無知 無
・
学の中にあり、知(ウム)は未完熟、心は深まってはいな
長い世界史をしっかり眺めまわしなさい。「一体、完全な
こんな状況の中で貴重な福音
い( (の言葉)を耳にしている!)為に、神は地に降り、人々に金言の教
えを自身で語った。まもなく、カトリックやプロテスタン
る安心の時があっただろうか」。ハリストス教世界の出現
まで(人々は)同時代のより良い次の安心として、自殺に
どんな人間性の成長にあるのか。おお、これは確かに未だ
トの光景が闇の中で現れた。そこでは己独自の光を十分輝
かせ‥‥(中略)各々の民の新しい生命に生まれた目は、今、
アトムス
走った。ここまで光のない悪い社会風気( フ )の中で息
ェル
を切らしていた。天の光だけが地で輝き、人々に安心の飲
・
ガ に
若造の期間にある。二千年間とは己の大きな機器( ニオスル)
ム
とって、全く何でもない年月である。この機関の全機構部
み物を渡した。この光の延長戦の地域に入って来た人々
を 見 な が ら、 自 分 た ち の 時 代 が 世 の 終 わ り と 読 み 込 む ま
にハリストスの真理の教え、聖神の生命を賜う恩寵が全面
杯 を 受 け た 人 々、 そ こ に あ っ て 彼 ら の 外 側 に 暗 黒 の 囲 い
で 苦 闘 し た。 使 徒 パ ワ ェ ル が、 ど の よ う に し て ソ ル ン 人
に触れ行き渡る時は、まだ数千年が行き過ぎる。全国民の
しん
を 納 得 さ せ た か 思 い 起 こ し な さ い。「 爾 等 或 は 神 に 由 り、
中の個別的関係の上にハリストスの教えが特色づけられ、
おく
或 は 言 に 由 り、 或 は 我 等 の 遺 れ る に 似 た る 書 に 由 り て、
人々の行為に恩寵がしっかり身に着けられる時期まで、ま
たやす
ハ リ ス ト ス の 日 今 已 に 至 る と 云 ふ を 以 て、 輒 く 心 を 動 か
ならない。その時、人間性の成人の視界がやってくるだけ
ばならない。(この時)自分の言動に十分湧き啓かせねば
真理、聖神の恩寵は人間性の全面に全力で浸透して行かね
だ数千年‥‥神の正義はこれを求めている。ハリストスの
し、且怖るゝなからんことを。」(フェサロニカ後 :
2 )
2
。。 無 法 な 奥 密 が す で
( 神(しん) ——言葉 ——書簡に対して注意深い見渡しを呼び掛けている)
ハ リス トス の日 は今す
でに
至る
。怖
れる
なか れ。 の二 重性 と意 味
では
に行われていても、しかし、終わりは今ではない ——
あまね
何時?「又此の天國の福音は偏く天下に傳へられん、萬民
)は、大いなる成長のう
である。この大いなる肢体(
ちに立っている。善――善意――善行のうちだけに多く取
オルガン
に 証 を 為 さ ん 為 な り、 然 る 後 末 期 至 ら ん。」( マ ト フ ェ イ
り組めば組むほど、創造者としての神と共に、建てかけに
お わ り
:
)。澄明化され、上方に登るにつれ、この指示(言葉)
24 14
は、ますます慰むるものとなる。未だ、全地の半分の異邦
12
13
感の漂う中で見取り図を見ていた。その「時」不浄な道は
ている。昔の諸預言者たちは、この「時」を、未だ、恍惚
イースト菌が人々の真ん中に立ち、自分の務めが成った時
言動として外に呼び出す為には「時」が必要である。この
たちの方に神の王国と恩寵 自
・ 分たちの素性発酵物――ザ
クワスカとして置かれている時を見る。この素因が自分の
適応する才にある。人類の救世主、神の実りのうちに立っ
ないであろう。淫乱なる人間はいないであろう。ライオン
いにしえ
――野獣はいないであろう。狼と羔は共に牧会されるであ
参照
イサイ
世
・ 界の終わりを待ってはならない‥‥その時まで‥‥」。
の救いの仕方が届かない間は、ハリストスの到来(末の日)
ヨー
る。神の王国とは、イウデヤ人 エ
パ
・ ルリン人 西
・ 欧( ロッ)
人 ア
・ ジア人との「同一場」を見ている。聖隠者フェオファ
ンは記す。「‥‥神の恩寵が地上の全地にある全民族から
ある。かしこの状況は神の王国の使命的な務めを待ってい
た、 す で に 己 の 歴 史 的 召 命 は 終 わ り で あ る。 私 た ち の
( なならっ)
中に未だこの召命 呼
・ び掛けは充満ではない。大量人口を
抱えるインドや中国は未だ己の呼び掛けを待っているので
ろう( ヤ : )。その「時」一つの動物群と一人の牧者があ
35 9
るだろう。真理の成熟 実
・ 入り 厳
・ 粛なる言葉に沿ってい
参照 イオア
るであろう( ン 10: 16)。人類の人間性は、未だ、この高所ま
でにほど遠い、ほど遠い。類の流れは下流に行って、悪の
深淵まで犯しかかっている‥‥光と善の生命の力は、人間
性の衰え 老
・ 衰化の中で、まさに終わりを迎え消されてい
る‥‥この時は早くない。世の終わりがやってくる――始
まる。ここにあなたへの手紙で私の心の吹きかけに安息を
この時同時に、主はいつも人間の解放 自
・ 由を奪い去って
はいないということに注意しなければならない。主の恩寵
見る思念がある。この件は平和にあっては、あなたほど深
刻ではないが、この件(終わり)が確かにあなたの頭から心
は、何事でも
べき審判を芸術家的な見取り図を描くような言葉で表し
―― 大主教ニーコンの感想 ――
9 9 9
このように日本の聖職者は私を慰めた。彼は人類の来る
を自分の身に着せ、自分の活動で恩寵に付すのである(触
自分の中で個別的関係・言動において、ハリストスの教え
彼(
準
・備
まで注がれ切っている。あなたの霊の痛みを軽くする為に
た。この人類図は、未だ、これからの喜びの光景を見渡ら
自分の・
何
・ 時でも「救い」の中で助けの支度
勤めていると共感にある。確かに戦闘の荒野から幾年か外
にある。対して、私たち人間はいつも己の( 私 )意思の
の
自由を片隅に移している分けではない。知恵にある助けの
せ、希望的ですらあった。ハリストスの務め(仕事)は、
れる)‥‥」というところである( 一 ――三者の映しで、ポイント
)。この
言葉は条件なしで、ほとんど解されない。歴史はこのよう
刈りいれに支度していない。
未だ、地で完全実現されている分けではなかった。未だ、
に思う仕方も権も与えていない。歴史は多くの民を知って
に霊の痛みを
)。』
に立たないなら、このような厳しい情感で‥‥( 感共 じてい
る‥‥
人々の少数者が並んで、次の自分の番を待っている。自分
ニコライ
ここはリーチノスチと共通物の
)の手紙の基本思念は、「全てのナロード(庶民)が、
日本の使徒の描き出しは、美事なまたとない図面である。
いるし、多くの民は偉大でもある。今は子孫も残っていな
: 45
)天
美 き 真 珠 を 求 む る 商 売 の 如 し、」( マ ト フ ェ イ 13
の王国は、何に等しいか、無意識的に失われた宝石を探し
い民もいる。あるいは同情を誘うような残物に無為に暮ら
中で「個人的関係全面において、ハリストスの教えを身に
(彼
に?ギリシャ ロ
・ マ――この世の当時の君はいづこに。
らは)己の務めを終えていないか。しかし、彼ら(民)の
務めを完全とする。しかし、ハリストスの言葉によって、
す作業を供にする。神の王国は植えられ、人間の中で己の
め、ハリストスの力で神の王国の子たちに、この貴石を渡
まわる姿を重ねる。神の恩寵の力は、全ての民 人
・ 々に降
り注がれている。人間の貴石を探している。救いへの自由
着けていた」と言えるだろうか。殊更、尊貴なる教職者で
これは隠されている創り物である。終わりにある時、その
と は、 何 時、 ど の よ う か? 人 々 に は 分 か ら な い ま ま で
5
なる動向と生産――己の小部屋で、この貴石を選別し、清
ある日本のニコライの思念は、明らかに修正や改正条件を
「時」が世界の終わりである。とりわけ、知られていない
している。例えば、シロカリ コ
・ プト シ
・ リイ人たちであ
る。古代エギペト カ
・ ルファゲン フ
・ ィニキの光栄はどこ
求めていると思われる。確かに全ての個別的関係 仕
・ 方は
救いの恩寵を受け育まれ、この民の所属物となり、神の王
国の子たちとして身に入って働き完全を目指した。しかし、
忠順なもの 不
・ 浄なものを知っていた。七千人以上の信徒
を見たとは、各民族の中にを知っていたことで、多くの選
者だけであった。イリヤの故事などに例を見る。神は己に
の芳香の中での選民意識=聖書の聖師父の解釈は告げる
いる。旧 約 聖 書 の 預 言 の 諸 面 に 触 れ る 。 メ シ ア 王 国 の 光
見
入り得ない
・ 守りを超えているからである( に )。ここでの唯
一の導き手は、心――肝の実体験的鼓動を見る。唯一の心
―― ニコライの返簡 ――
私は自分の考えを日本のニコライ師に書き送っり、彼か
=新しい天の上に頂上(目的地)を見つめる。かしこには
の引導者は全てを知っており、素早く全てを堅に立たせて
あるいはその「場」
良者を己の永遠の国の中で救ったのである。時の以前――
‥‥。しかし、神の務めの正確 堅
・ 実な登頂(進展)の中
でさえ不明にある。まさしく、ここでの動きは周りの監視
以後を見渡し、教会史を両眼で見つめる時、日本の教職者
こはリーチノスチと共通物の
( 一こ )。 人 間 の 完 全 な る 頂 点 頂
―― 三者の
映し
で、
ポイ
ント
・ 上 は、 こ の
罪に溢れた地上では至りつく「場」はない。新しい地の上
一民族でもハリストスの教えの完全なる目標地に十分触れ
ニコライの思想は、まさに歴史的遠近感のただ中に立って
正義に生きている。これがハリストスの使徒の言葉に見ら
切ったといえる民はない。ただ、恩寵の一部の反映の選良
いる。充満 充
・ 実はどこか啓かされる。
終末――充満とは、ただ単に一般の交わりの中でも、人
れる。
たしか
間的な重ね合いが全面に渡る中だけのみではなく、「段々、
ステップの中で」を教えている。体の各部、部分の係わり、
民、人々の関係の仕方 度
・ 合いの中にある。ここはハリス
トスの例えの言葉を文字通り思い起こさせる。「又天国は
14
15
念は、神の言葉の上に礎石を置いている。これはつまり、
言っていないし思ってもいない。私の思いと揺るぎない信
老化したロシアの組織の上に落ちて――。墓の中で弱めて
の全身力で傷は癒える。神はその後、多くの世紀に亘って
教信仰者・セクト・無
)。しかし、時の経過と共に、彼
るであろう( 神異 論者 群を 指し ている
らは脱ぎ捨てられるであろう。体は清められ、ついには己
がり、蝕み、穴をあけ、悩まし、柔らかく脆い体を苦しめ
世界の中の全ての民と各々の民は、絶えざる関係 係
・ わり
の中にあり、福音を聞かねばならない。これはその人の特
いなる溢れと警醒である。主教閣下が私の手紙の中に何か
ら次のような返答を受け取った。『私は“全ての民がハリ
質・特色から運びもたらされる。(各自の)性格 特
・ 色か
ら拡がったり、狭められたりしながら、神の恩寵を受け入
刊行するに相応しいものを見つけるなら、私はその為にひ
ストス教徒性の至高なるステップに至らねばならない”と
れ、解するために自分の心を開いているのである。しかし、
たすら座下に感謝するだけです』。
いる。このようなことが私の強固な確信で、私の生気の大
報せを持ってきている。その間に墓の大きな虫は、すでに
聖者の係わり具合は特異的である。ハリストス教徒性の至
高場の頂点は、いつも各々の民に与えられねばならない。
例え、民が大衆の中にあり、神の前の至高場に至っていな
―― 結び ――
日本の大主教の書簡文は、続いてロシアの人民の生活に
‥‥』。我々は一体、遠くを見られないではないか。ある
触れている。ニコライは記している。『‥‥ロシアは、こ
ル( ― )の賜物などの豊かな恩寵にくまなく頂点場に
アフ リカ
住んでいないかのようである。我々ロシアの民の同朋に敬
はないか。はたして、神が多くの民を創ったのは、このよ
る。昆虫は柔らかくふくよかな体の上に落ちることを好む。
痘 猩
・ 紅熱、しかし、生まれながら病弱の身でなかったな
ら病など首尾よく渡し切り、体の成長を拡げ、花を見させ
以外の考えは、神の思念に対して冒涜であった。若い器官
古い器官の壁の上に、ますます身丈を伸ばしている。これ
あらゆる兆候を見ても、ロシアは若々しい歴史的体の主で、
いは、極言すればロシアの来るべき光を空想していないで
れからの光を待っている‥‥ロシアは未だ老衰していない
全ての民は正教と見るが、各自は極地に至)
っ。私は同朋の
愛と共有を見ている( ては
、い
なく
ても
正教
徒と して 同類 感を見る
民――彼はすでに歴史的生命の敷居=玄関――境(パログ)
うな教会の果てしない体と共に、虫の共食に付されるため
いつも啓かさ
かったとしても( ねばならない)。この件は丁度、私たちはエフレ
ト の賜物
パ
ム(シリヤ)の賜物 ア
・ ントニイ( エギペ)
・ ワェ
の上にいると確信している。民は己のこれからを疑ってお
フィウェン―
り、この為にますます絶望的になっている。これは素朴な
だったのだろうか。一体、ロシアは全ての力 才
・ 能を成長
ガ てムの中で
させただろうか。一体、ロシアの組み立( ニオズル)
生かさせただろうか。いや、そうではない。あらゆる面の
虫が一時的に落ちてくる時、体は強健となり、筋肉はます
の特質は、多くの病気と共であった。麻疹・天然痘、目に
罪だ。青年の体には色々な病気が降りかかる。麻疹 天
・然
ます硬くなる‥‥。だが、またまた他の多くの虫たちが群
見えない腐った果実から宝物を立てることや怪我 傷
・ など
二十世
の 特色である。これらは今日のロシアである(
)。
は( この期)
紀初
こんな姿は以前にはなかっただろうか。あるいは、目立た
ないほど少なかったのか。だらけだ!他の世代にも多く残
地主は農奴をしごき、
念にも大規模な代物があった( 搾 )。今一度、賦役
り取 って いた 制度の時代が私たちのすぐ近くにやってくることを思い起
このオルガ
)冷酷 不
こせ。( ン の下で
・ 徳義 休
・ みなしの生産に追いまく
られる。視界を遠くまで投げよ。この時、犬がパトリアル
フと呼ばれた。さらに遠くを見ると、暗黒なるタタールの
軛時代――飽くことを知らない公爵のエゴイズムの拡散ま
善
・ 行を並べる時、今、神の光の下に恩寵を与え
で見る。「いつかよりよい時があったか」――一度もない。
善 善
・意
よ、ロシアのあらゆる世界に 諸
・ 方に流れ注ぐ。善の統計
は前時代の期間統計と並んでいる。この件は確かに今、特
別なる測り直しを語りかけている。今は機関の成長におい
て勝っていると思われる。アミン。
注:原 文 は ア ル ヒ マ ン ド リ ト イ オ ア ン( ク レ ス チ ャ ン キ ン †
16
17
年 月
年、スレチェンスキー
2006
2 日
5 )の説教集・諸念集( 2003
修道院 発行)の「霊の不死」についての論集から、抜粋訳を
試みたものである。源意が私たち日本人に伝われば幸いと思い
ます。府主教ダニイル
編者 イオアン掌院 1910 年 4 月 11 日~† 2006 年 2 月 5 日 95 歳