文献レポート 2004.6.7 01439 吉元康二 BORN TO SYNTHESIZE TODD RUNDGREN 全能の人 トッド・ラングレン 著者:サエキけんぞう 本書は、ミュージシャンとしてのみならず、プロデューサー、エンジニア、コンピュータ・プログ ラマー、CG アーティストとして、常にカルトな人気を保ち続けるマルチ・コンポーザー、トッド・ ラングレンについて、彼の過去・現在・未来を探るものである。 CHAPTER1:THERE GOES THE CYBER-TROUBADOUR! 電脳空間に飛び込んだロック・スター ◇コンピュータへの飽くなき興味 「ミュージシャンになっていなければコンピュータ・プログラマー になっていたかもしれない」 ◇シンセサイザー&シーケンサーの可能性を追求 「ミュージシャンがあまりにも容易にシーケンサーに飛びついて、 それを音楽に取り入れることは問題だと私は考えている」 ◇コンピュータ映像分野への好奇心 「メディアとしてのビデオに強く惹かれた」 「音楽の抽象的な表現に興味があった」 ◇インタラクティブ音楽の創始者 「それまでコンピュータでしてきたことを何とか音楽に結びつけ、人々の音楽 に対する認識を変えられたらと考えたのが始まりだった」 「音楽をいろんなバリエーションでパーツごとに録音し、聴き手が好きなよう にコンピュータに組み立てさせるコンセプトを思いついた」 「私が作った『ノー・ワールド・オーダー TR-I 』は殆ど自動的に流れるよう にデザインされている。流れの方向は変えられるけど、ユーザーが何もしない からといって作品の方はストップされないようになっている。人はときには受 動的でありたいものだ。 」 キーワード:エンハンスド CD、CD−I、 『ノー・ワールド・オーダー TR-I 』 ◇サイバー空間から新曲がリリースされる時代 「ただ CD という商品を買うのではなくミュージシャンとの関係を作っていくこと」 ◇パトロネットで変わる音楽生活 「パトロネットのような試みがうまくいけば、ミュージシャンのネーム・バリューやキャリアにもか かわらず生活できるだけのファンは付くと思うし、どんな嗜好を持ったリスナーでも援助したいアー ティストを見つけられるはず。そうなればレコード・ショップのあるセクションからだけレコードが 売れて、それで流行が測られることはなくなる。 」 補足: 1.インタラクティブ音楽 アップルが推進する新たなメディア、「インタラクティブ音楽」つまり INTERACTIVE MUSIC は以 下 2 つの意味を含んでいる。 まず、オーディオ CD プレーヤとコンピュータ用 CD-ROM ドライブの両方で楽しむことができる Enhanced CD(エンハンスド CD) である。これは、通常のオーディオ CD にマルチメディア コ ンテンツを加えたもので、オーディオ CD プレーヤでは音楽を、CD-ROM ドライブでは音楽に加えて ビデオクリップや歌詞、インタビューなどの様々なデータを組み合わせて作成されたマルチメディア 作品を楽しむことができる。もうひとつは On-Line Music(オンライン ミュージック) で、これ は、アップルが開設したインターネットの WWW(ワールドワイド ウェブ)サーバを通じて、アー ティストの作品をオンラインで入手できるようにするものである。 2.エンハンスド CD インタラクティブ音楽の一つで、音楽と映像を一枚の光ディスクに記録し、CD プレーヤと PC の両方 で再生可能にしたソフト。1995 年にソニーとフィリップスがマルチセッション方式を取り入れた最 終規格 CD-EXTRA を発表してから、国内でも普及が加速された。 3.CD−I Compact Disk Interactive の略称。マルチメディアの新規格としてフィリップスがホーム・エンタ ーテイメント向けに売り込んだものの、専用ハードウェアの不振と発売タイトルの魅力不足がたたっ て失敗。PC の CD-ROM ドライブの普及とともに姿を消す。 4.ノー・ワールド・オーダー TR−I CD−Iを採用してトッド・ラングレンが制作した作品。CD−Iを聴きながら、リスナーがさまざま な選択肢やシーケンスを選べるというものだ。TR−I とは Todd Rundgren Interactive の略称と思わ れる。彼自身のホームページも「TR−I」と名付けられていることから、彼のインタラクティブミュ ージックへの傾倒ぶりがわかる。CD−Iは姿を消したが、CD-ROM バージョンが発売されている。 5.パトロネット リスナーにパトロンになってもらい、アーティストをサポートするという発想から命名された。 ファンが自分の好きなアーティストの音楽に対して出資するかわりに、曲作りの場に参加できるよう になるというもので、ウェブ上の出資者は、ミュージシャンが音楽を作るのを見、最初にそれを聴く ことができる。トッド・ラングレンはこのシステムによってミュージシャンは、プロモート活動より 音楽作りに重点を置いた生活ができるよう になるだろう、と主張し、また、インター ネットを通じて音楽が拡がることによって、 子供たちがコンピュータと音楽を結びつけ る助けになればいいと考えている。学校に コンピュータを導入しようという動きはあ るが、コンピュータと音楽の結びつきはほ とんど作られていない。 パトロネットは、2004 年現在でも稼働し ている。 CHAPTER2:HIS INTERACTIVE STORY 現在進化形アーティスト トッド・ラングレンの軌跡 トッド・ラングレンはその活動の中で、シンガー、ソングライター、ギタリスト、キーボーディス ト、レコーディング・エンジニア、プロデューサー、コンサート・アーティスト、ラジオ番組ホスト、 そして技術開発者など、様々な立場でその才能を示してきた。自分自身のアルバムを 30 枚以上も作 っているのに加えて、三本の映画のサウンドトラック、四つのテレビ・シリーズ、さらにはビートル ズの映画脚本を舞台化したニューヨークのステージ『アップ・アゲインスト・イット』にも音楽を提 供している。自分自身の作品以外で彼が製作に関わったものは 80 作以上にものぼる。 その上、彼は映像やテクノロジーの進歩にも大きく貢献しており、その才能とエネルギーの大きさ は計り知れない。ラングレンがアメリカのテレビと自身のロックンロール・バンド、ユートピアのツ アーにおいて、初めてコンピュータによる電子音楽とビデオ映像とロックン・ロールをドッキングさ せたのは、ほとんどのミュージシャンがそれを思いつくより遥か以前の 1974 年のことだった。 TODD RUNDGREN’S BIOGRAPHY ●1946 年 6 月 22 日、ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれ、フィラデルフィアにほど近い中流階級が 多く住む郊外、アッパー・ダービーに育つ。幼少から父親のギターをおもちゃに、ギターをバイオリンのよう に弾いたりする。高校在学中にテクノロジー全般に興味を持つ。 ●1966 年、高校卒業後、ニュージャージーの海側、ワイルドウッドというリゾート地に住む。バンド活動を するものの絶えずメンバーが入れ替わり、このバンドを断念し新しいバンドのナッズを結成。サイケデリック・ サウンドを志す。 ●1967 年 7 月、フィラデルフィアでドアーズの前座を務める。 ●1969 年、性格の不一致によりバンド内に摩擦が生じ、脱退。脱退後はプロ デュースとエンジニアリングを学ぶようになる。そして、自分自身のアルバム 制作や他のミュージシャンのエンジニアリング、プロデュースに没頭する。 ●1972 年、『サムシング/エニシング(Something/Anything)』を発表。トッ ド・ラングレンは全楽器を演奏し、全てのヴォーカルのパートも自分で歌い、 さらにはアルバム全体をプロデュースし、批評家にも絶賛された。 図 1:『サムシング/エニシング』 ●1973 年、『魔法使いは真実のスター(A Wizard, A True Star)』によって、 すぐその一般評を覆す。本人曰く、 「自分が聴きたいものという意味において、 個人的な姿勢を初めてまともに反映させたもの」。批評家から、過激、変異、 雑然といったレッテルが貼られる。この頃から髪を虹色に染め、ユートピアと いう演劇的要素の濃いバンドを組んで活動を重ねる。また、プロデュースした バンド、グランド・ファンクがゴールド・ディスクを獲得する。 図 2:『魔法使いは真実のスター』 ●1974 年末、虹色の髪の毛をやめる。 ●1977 年、巨漢のテキサス男、ミートローフのデビュー・アルバム『地獄のロック・ライダー』をプロデュ ース。バカ売れし、ゴールド・ディスクを、さらにはプラチナ・ディスクを何度も重ねる。 ●1979 年、ベトナムのボート・ピープル救済のため、ニューヨークのインターナショナル・リリーフ・コミ ッティ(IRC)コンサートで演奏。その後 12 年間にわたり環境保護や投票者登録を呼びかけたり、人道的な 問題に関するチャリティに数多く参加することとなる。 ●1981 年、アルバム『ヒーリング トッドの音楽療法(Healing)』を制作。キリスト教的要素が論争の種にな る。コンピュータ映像と実写を組み合わせたミュージックビデオを作り、MTV で何度も放映される。また、 この年には自伝的ビデオ作品である『The Ever Popular Tortured Artist Effect』を制作している。 ●1985 年、コンピュータのリズムと人間の声を利用した『アカペラ(A Cappella)』を発表。 ●1991 年、 『セカンド・ウィンド(Second Wind)』でライブ・レコーディングによるアプローチに立ち戻る。 ●1992 年、ラップ、ハード・ロック、リズミックなエレクトリック・サウンドのモチーフを組み合わせたイ ンタラクティブ CD『ノー・ワールド・オーダー(No World Order)』を発表する。また『ノー・ワールド・オ ーダー』のインタラクティブ CD-I バージョンを制作。 ●1994 年 8 月、ニューヨークで開かれた野外イベント、ウッドストック 94 に〈トッド・ポッド〉と名付け たインタラクティブ・テクノロジーのテントを設ける。 ●1995 年、『ジ・インディヴィジュアリスト(The Indivisualist)』を発表。エンハンスド CD としても発表さ れ、リスナーが曲のビデオ・バージョンを楽しむことや、別のバージョンやシーケンスを選ぶことができる。 またインタネート上にホームページをいち早く開設し、米 CATV で「トッド・ラングレン・チャンネル」を実 験的に開局する。 トッド・ラングレンは、自身のライフスタイルについて次のように述べている。 「私が関わっていること、私のやっていること、そして私の持っているアイディアというのは、ほか の人の音楽にあるものと同じぐらいとっつきやすく、魅力的なものだと思っている。誰もそれをわか っていないとしても、それは私にとって損失なんかじゃない。私は常にそんな生き方をしている。私 にはもっと重要な優先事項がある。私がいる場所を皆が発見、もしそんなことがあればだけど、する 頃には、私はもうどこか別の場所に行っているだろう。つまり私にとっては、みんなが「ああそうか、 やっとわかったよ」というくらいにそれを具体的なものにするよりも、自分が進化することの方が大 切なのだ。もし私が皆に理解できるよう具体的なものを作ったとしたら、それは私がすでに重要な何 かを失っているってことだろう。 」 (「NME」誌 1982 年 4 月 24 日号) そういった前衛的な思想の表れか、1995 年以降彼は「自分のレコードを世に出さない!」と宣言 するのだが.. .しかし!今年 2004 年に普通に新しいレコードを出してしまった。やはりパトロ ネットは難しい試みだったのであろうか。それとも、今度はパトロネットに固執するのに嫌になった のであろうか。 真相はわからないが、ホームページを覗いてみる限り、只々遊び心のような気にもさせられる。
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