剣 と 禅

剣
と
小
―
川
忠
人間禅叢書
禅
太
郎
第8編
宗教法人 人 間 禅
述
-
昭和 62 年 宏道会にて
目
次
正しい剣道とは ・・・・・・・・・・・・・・・1
幼少年に望む ・・・・・・・・・・・・・・1
父兄の方々に ・・・・・・・・・・・・・・5
村雲さんを偲ぶ ・・・・・・・・・・・・15
剣道の理念について ・・・・・・・・・・・・16
剣道理念の成立 ・・・・・・・・・・・・16
剣道の沿革 ・・・・・・・・・・・・・・16
剣道の理念 - 本論 ・・・・・・・・・35
剣道と人間形成 ・・・・・・・・・・・・・・76
相討ちを語る ・・・・・・・・・・・・・・・89
剣と禅 ・・・・・・・・・・・・・・・・・115
改訂版の発刊に当たって ・・・・・・155
付録
人間禅教団の沿革 ・・・・・・156
教団の出版物 ・・・・・・・・159
人間禅教団の連絡先 ・・・・・160
正しい剣道とは
幼少年に望む
私がただ今紹介にあずかりました小川です。村雲先生は,私が国
士舘専門学校の教授をしていたときの学生であった。だから皆さん
は私の孫弟子です。
ところで,剣道を皆さんが一生懸命やっておるが,剣道で大事な
ところが二つある。
し な い
その一つは皆さんが持っている竹刀を日本刀であるという考え
で使うこと。これが大事なこと。四つ割りの竹刀で当てさえすれば
よいという考え方では駄目です。今試合がはやっているもんだから,
そういう考え方の人がだんだん出始ってきた。昨日,電車の中で国
士舘の第 1 回の卒業生に会った。自分の子供と稽古をやった。その
お父さんだって 60 いくつかです。そして子供が面を打ってきた。
そこでお父さんは胴を抜いた。そしたら子供さんが,お父さんのそ
の胴では試合では 1 本にならないと言った。そこで,お父さんが相
手が打ってきたのを,体をかわしてこうやったのであるから,立派
1
に斬れている。だから立派な 1 本なんだと子供さんに教えたという
ことです。今は試合が流行しているから,試合で 1 本になるという
ことを目標にして稽古している者がかなりあるが,試合というもの
は,剣道の奨励法で,剣道の最後の目的ではない。
それで,大事なことは「持った竹刀は刀だ」という考えでやると
いうこと。そういう考え方が皆さんのような小さいうちに,頭の中
に入ることが大事なのです。持った竹刀は刀だという考えでやる。
そうすると剣道は本当のものになる。刀だという考えでやると,で
たらめは出来ない。
刃筋を立てて,
真剣にやる。これが一つの要点,
大事なところです。
それから,もう一つ大事なのは,剣は道なんだから「剣道」,む
つかしい言葉で言うと皆さんには分からんかも知れないが,全日本
剣道連盟から出している理念では「人間形成」
,そういう道なので
す。つまり,皆さんなら,「竹刀を刀という考えで使って立派な日
本人になる」ということです。それが目標だ。立派な人間になる,
立派な自己になる,これが目標であることを忘れちゃいけない。二
つある。剣道で持っている竹刀は,
刀ということ。
それにもう一つ,
それで何をやるかというと「人間形成」
,人間になる。人間とは何
か。日本人になる。日本人とは何かというと,それはほんとうの自
分であります。それが目標ですから, それを一つ忘れないで,そう
2
いう目標で修行する。
目標が決まったら次は実行です。道場でやる稽古と日常生活とが
一致する修行をする。毎日毎日の。剣道で自分をつくるのですから,
朝眠いと思っても,起きるときは起きてしまう。これが剣道なんだ。
5 時に起きようと思ったときは,5 時に起きる。そして起きたらす
ふ と ん
ぐに蒲団でもなんでも身のまわりのものをちゃんちゃんとする。こ
れが剣道なんだ。いちいちお母さんに,ああやこうや言われないで
ちゃんとする。そして勉強するときは勉強する,これが剣道です。
勉強ばかりする訳ではなく遊びもする。遊ぶときは,よく遊ぶ。つ
まり皆さんの 1 日の生活が剣道なんだ。その土台を道具をつけて,
竹刀を持ってやる,真剣にやる。分かるでしょう。
それで道具をつけて持った竹刀を刀という考えで真剣にやると,
その人が,簡単な言葉で言うと,ビクビクしない人間ができ上がる。
ビクビクしないでやることをやっていると,そのしまいにはどうな
るかというと,やっていることが楽しみになってくる。剣道でもそ
うですよ。刀という考えで,人間をつくるという考えでやっている
と,初めは苦しいが,しまいには,剣道が楽しくなる。遊んでいる
ようになる。その代りその遊んでいるような状態でやっている人が
一番強い。強いという人は遊んでいる。弱い人はこうしている,一
3
生懸命に肩が凝っている。
皆さん!!
稽古は数をかけるということ,続けることが大事です。
続けてゆきさえすれば,だんだんそうなる。この続けるということ
が誰にも出来ない。刀という考えと立派な日本人になるという考え
は分かっても,この続けるという実行が欠けてはものにならない。
実行するには勇気がいる。この勇気は皆さんのときにも,20 才ぐ
らいになっても大事です。50 才になっても大事です。私みたいに,
もう 80 才近くになっても大事なんだ。人間が生きるという根本と
いうものはこの勇気なんだ。この勇気で修行が続くのであり,この
続けるということが,道の極意なのであります。どうか,私が今言
った三つのことを憶えておいてください。
①
持った竹刀は刀である。
②
自分をつくる,立派な日本人になる。自分のため世の中の
ためになるまことの人になる。
③
修行は一生涯続けること。
この三つが大事だから,今日みなさんにその三つだけを話して
おきますから,それはみんな,皆さん,実行できることですよ。
それを実行して剣道で立派な人間になってもらいたい。それを難
しく言うと,全剣連で,「剣道とは,剣の理法の修錬による人間
形成の道である」こういうことになる。それを私はなるべく皆さ
4
んに判りやすいように,全剣連の理念をお話したのであります。
父兄の方々に
私がただ今紹介にあずかりました小川です。御父兄の方に,これ
から 30 分お話しましょう。それで,小中学生で出来る人は,足の
親指を軽く重ねて膝頭をこぶし一握り半位あけて坐って下さい。そ
の上背骨をまっすぐ伸ばしなさい。出来る人は,話は判っても判ら
なくてもいいから,その姿勢で聞いて下さい。出来ない人は,途中
で足が痛くなった人は,くずしてもいいですよ。まえにそれだけ。
父兄の方は楽な姿勢で聞いてください。
ゆ いまきょう
ちょっと小学生には難しいけれども『維摩経』というお経の中で,
じき しん これ どうじょう
「直心是 道 場」というのがある。皆さんは道場というのは,こう
いう決められた場所で,このように神様を祭って,そしてちゃんと
掃除をした,こういう場所を道場と思っているでしょう。これも道
場なんです。この道場で立派な人間になる。これも道場なんだけれ
ども、本当の道場は,こういう形のある道場ばかりではなく,直心
というのは正直な心,すなおな心,皆さんが生まれたときに持って
いる心,これが道場なんです。この直心さえ見失わなければ,どん
な所へ行っても道場,便所へ行っても道場,食事のときも道場,ど
5
んなに騒がしい所へ行っても道場,道場でないところはない。これ
が本当の意味の道場。それを頭に入れる。
それは修行してそうなるんじゃない。修行なんかしなくても生ま
れたときにもう持っている。赤ちゃんのときに持っている。だから
赤ちゃんのときに意思表示するでしょう。あなた方が赤ちゃんなら
誰だってそうですよ。意思表示するのは,オギャ,オギャと泣き叫
ぶ。その理由はそれで意思表示している。直心から。そうするとお
母さんは直心から,アハハーン,これはオッパイだなということ,
オギャ,オギャからそれが判る。またオギャ,オギャといったら,
アハハーン眠いんだなということが判る。オギャ,オギャからこれ
はオムツだなと,同じ泣き声で聞き分ける。それは何故かというと,
お母さんも生まれながらに持っている直心で聞くから判る。子供と
お母さんが一枚になってしまっている。これは修行してからじゃな
い。人間は生まれながらに持っている証拠です。これが大事なんだ。
それでこれをなくさないように,持っているんだから,人からもら
うんじゃない,教わるんじゃない,持っているんだから,そのもの
をなくさないように育てて行くのが人間の一生涯の仕事。それを孟
子という人は,この直心,これを【直を以って養うて害するなくん
ば,天地の間にふさがる】と言っている。天地の間というのは、ま
ず自分がおさまる。小学生なら小学生,先生が見ても,親が見ても
6
友達が見ても「ああいい生徒だなあ!」と,それで大きくなって家
庭を持てば家庭がおさまる。もっと出世して重要な地位につけば,
どの場所でもおさまる。先ず身をおさめ,家庭をおさめ,国をおさ
め,世界もおさめる。これが天地の間にふさがるという意味です。
ただ直心を養ってゆきさえすればよい。それなら自分は持っている
んだから修行なんかしなくてもよいとそう思う。
ところがそうじゃない。直心に雲をかけるようにまわりが仕掛け
てくる。そこで修行がいるんですよ。今天地の間にふさがると言っ
た孟子という人のお母さんは,孟子が生まれてから,3 回住居を変
えている。お寺のそばに住んだら,子供がもう坊さんの葬式のまね
あきな
ばかりしている。こりゃ大変だと,こんどは商 いのところへ行っ
たら,こんどは子供は物の売り買いのまねばかりしている。ここも
駄目だと,しまいには学校のそばへ行ったら,こんどは子供が勉強
をするようになった。3 回変えている。それで賢人として後世に残
るような立派な人になる土台ができたのです。周りで悪くなる。皆
さんもそうですよ。小さいときも,悪い友達と付き合っていると悪
くなる。そういうもんだから,そこに修行がいる。修行もただ修行
しろ修行しろでは駄目なんです。その直心がそのまま育つように自
分で工夫して生活していくことが大切です。それを五つに分けて五
つの戒としてお話しましょう。
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五戒
一
うそ
嘘を ついては いけない
一
怠けては いけない
一
やりっぱなしに しては いけない
一
一
わ がまま
我儘しては いけない
ひとに 迷惑をかけては いけない
(この 五戒は私が最 高師範をしてい る千葉県市川市 にある人間禅 教団附属
剣道場宏道会の道場訓です。)
その第一は,正直,嘘をついてはいけない。人をだましたり,そ
ういうことをしちゃ駄目。正直,そうするともう上級生の大きい者
なら,正直をすると馬鹿をみる。大人が言っているじゃないか,
「正
直者は馬鹿を見る」
,大人が言っているだろう。それは言っている
大人が間違っています。嘘でやってごらんなさい,剣道を。ごまか
し稽古,はじめは当たる。こんなことやって,こんなことやってれ
ば当たる。すぐ止まっちゃう。それでもう頭打ち。一人前にはなれ
いろ
ない。剣道ではそれを色という。色を使うな。これが嘘をついては
いけないということ。正しい稽古をする,嘘をつかないとどうなる
かというと,相手にだまされなくなる。相手がだまそうとしても,
自分にはちゃんと持って生まれた直心があるのだから,だまされな
くなる。だから相手が何か言ったってそれは嘘だろうというと,相
8
手は“アー”と引込んでしまう。剣道の場合,それは嘘だよと,ポ
はら
ンと打ちさえすればよい。だから嘘をついてはいけない。これを肚
もと
によく入れておいて下さい。これが個人としても,社会に立つ本で
あり,国もこれが本なのです。人間もこれが本なんで,これを「信」
もと
ともいう。だからこの本に背いては駄目。嘘をついてはいけないと
はこういうことであります。
その次に直心を育てるためには,
「怠けては いけない」。先生が
これを勉強しなさいと言われたらそのとおりに勉強する。うちのお
父さんお母さんがこういうことをやりなさいと言われると,直心,
すなおな気持でやる。怠けない。まあ小学生には判らないけど,中
学生なら判るだろうと思う。天才というものは努力なんだ。あの人
は天才だというのは,怠けないで一つのことをやり抜く人なんだ。
私の県(埼玉)に本多静六という林学博士がおった。この人は中学
3 年のとき数学で落第した。それで悲観して,死んじゃおうと思っ
て井戸に入った。ところが井戸のふちで手が離れないで死にきれな
いで出てきて,それからもう数学を一生懸命にやった。そしたら、
ある年数が経つと,先生が“本多は数学の天才だ”と言われるよう
になった。そこで本多さんは天才というものは努力だと思ったと。
それは皆さんが学校でできない科目があったら,これを怠けないで
本多式にそれをやるんです。できなかったらできるまでやる。剣道
9
だったら,正しい技をくり返し・くり返しやる。そうするとひらけ
てくる。これが大事なんだ。社会で落伍して悪いことをする人は,
はじめは嘘を云うんだ。その嘘をいうことは,何かというと怠けか
ら来るんだ。怠けているから嘘を云わなければならないようになっ
ちゃう。それで嘘つきで怠け者ならば,もう皆さんが大きくなって
からは,人として通用しなくなる。人間社会というものは信用で出
来ている。社会には通用しない。こういうことが皆さんの耳にちょ
っとでも今入ったら大したものですが、なかなか入らんけどね。小
さい時に,こういうことが入らなくちゃいけない。弘法大師は,7
つのとき,人間として生まれてきてつまらなく死んでも馬鹿馬鹿し
いから,立派な人間になれなきゃ死んじゃおう,なれるかなれない
かの運だめしだと,山から下へ跳び下りた。そしたら途中で帯が木
にひっかかって死ななかった。これは俺はほんとうの人になれると,
7 つの時から努力した。それで一世を教化するような弘法大師にな
った。だから皆さんが,
「なるほど、怠けてはいけない,天才とは
努力である」ということが本当に判ったら偉い人になる。“怠けち
ゃいけない,俺は怠けない”,こういう風なことがよく判ると,大
したもんだ。なるべく早くがよい。おそくとも 12・3 才でこれが判
ったら何事でも大成する。12・3 のところが人間の変わり目です。
満でね。そこで,パッと決まれば後はお父さんお母さんにああだこ
10
うだと心配をかけないで自分でちゃんと出来る。「嘘をつかない」,
「怠けない」
。
それから「やりっぱなしに しては いけない」。これが大事な
んです。道場に入るとき靴を脱ぎっぱなしにしておかないこと。帰
るとき道具なんかも元のところにかけておくこと。これが出来る人
は,社会に出て個人としては立派なんです。難しい言葉で言えば,
責任を持つということです。やりっぱなしにしない,言ったことは
実行する。そうでしょう。剣道でもここが大事なんだ。一本打つ,
打ちっぱなしにしちゃいけない。その後は残心という,打った後油
断しない。もうすぐ次のものに備える。この項目を欠いた人は剣道
は上達しない。やりっぱなしにしない。これをよく頭に入れといて
ね。毎日の皆さんの生活の上にもそれをやる。戸をあけたらしめる,
あけっぱなしは駄目だ。今日の学校の授業のときも,一生懸命に先
生の話を聞く。うちへ帰ったら,後で復習するんだ,これが「やり
っぱなしにしない」です。そうするとすっかり頭に入っちゃう。
「嘘
をつかない」
,「怠けない」
,「やりっぱなしにしない」
。この 3 つが
できれば,個人としては幸せな生活が一生涯できます。運が良かろ
うが悪かろうが,この 3 項目でずぅっと貫いていけば生活が楽しく
なるのです。人間はどんな境遇でも毎日毎日が楽しいということで
あれば,一個人としては大成功者です。この気持を「日々是好日」
11
といい,剣と禅で修錬した山岡鉄舟居士は〖晴れてよし曇りてもよ
し富士の山 元の姿はかわらざりけり〗と歌っておられるのであ
ります。ここまで修錬すれば人間個人としては完成されたと申せま
しょう。
次の 2 カ条は社会的なもの,今のところは覚えておいて,だん
だんに心掛けていっていただきたい。
「我儘しては いけない」
。
これは難しいですよ。我儘をしないとは,つまり友達を,相手を
立ててやること,相手を尊敬することです。この心が社会人とな
もと
る本です。これで人間が大きく育つ。家庭でもそうですよ。皆さ
んがわがままをしない,そうなると,そういう子供をみると親が
教育されちゃう。親をたてる,親を大切にする,社会的には相手
を尊敬する。これはなかなかできるものではないけれども,こう
いう項目で修錬しないと人間の幅が広くならない。「我儘をしな
い」
,判るでしょう。言葉は。
「ひとに 迷惑をかけては いけない」
,言葉をかえて言うと,
これは人を愛するということ,人に親切をつくすということ。これ
が大和魂の根本だ。
「大和魂とは人に親切をつくす心なり」。ここま
で行った人は世界に敵はない,ここが剣道の極意です。人に迷惑を
かけない,人を愛するという気持でずぅーと構えられると,もうそ
の人の前に行くと頭が下がっちゃう。ということはどういうことで
12
あるかというと,そういう愛情の前に行くと,自分の持って生まれ
たこの直心・愛情が出てくる。だから打合はいらなくなる。剣道も
これが極意,人間の極意もここなのです。「ひとに 迷惑をかけて
は
いけない」
。憶えておいて出来ることからやることですよ。お
互い友達同士で交わる場合に,ひとに親切にしてやる。そうすると
その人間がグングン大きくなっていく。この反対が世間によくある
「人を泣かせる」。こういう者がある。皆さん小学生で親を泣かせ
るようなことでは駄目ですよ。またいくら言っても朝も起きない。
ホラホラ・・・といちいち親に心配をかける。それは駄目なんです。
この五戒は自分と社会をつくる一番大事なことだから,この 5 つを
皆さん,最初は言葉でおぼえて,毎日一ぺんか二度,もっと多けれ
ばなお結構,これを言うんですよ。そうすると言葉でおぼえている
と,今度は実際のときに,“ああ,そうだったなあ,俺はあれをや
りっぱなしだったなあ ! 言ったことをやらなかったので,これは
嘘だったなあ! ”と。言葉でおぼえていると日常生活で反省がで
き,そしてどんどん伸びていく。一番皆さん小学生時代は大事なと
きですから,まず前の 3 カ条をしっかりやって下さい。「嘘を つ
いては いけない」こと,
「怠けては いけない」,それから「やり
っぱなしに しては いけない」。
剣道は何をやるかというと,剣道は人間をつくることです。どう
13
いう人間であるかというと,この 5 カ条が出来るような人間になる。
この 5 カ条は,つめればどこにゆくかと言うと直心にきちゃう。こ
の 5 つを守っていけば,生まれた時に持ったままの人間の本心とい
うものが,ずぅーっとこの 5 カ条によって養われてゆく。この 5
カ条をよく養えば,何をやっても出来ないことはない。学者の素質
があると思う人は,小学生時代から本当に怠けずにやったら,大学
者になっちゃう。だから皆さん,この 5 カ条をよーく肚に入れてほ
たね
しい。この 5 カ条の種は直心,直心というものは皆自分で生まれな
がらに持っている。先生から教わるものではなく,持っている。持
っているのだから育てなくちゃつまらない。難しいものじゃない。
持っている,それであの人も人間なら俺も人間じゃないかという勇
気を出して,剣道をとおして誠の人間になってもらいたいと思う。
省みて,私も 77 才になりましたが,まだこの五戒は恥ずかしな
がら完全には実行できません。出来ないからこそ一生懸命に,今に
修行しておるのです。小学生の皆さん一日一日新たになって一歩一
歩踏み外さないように全力でお互いに修行を続けて参りましょう。
合掌
(淩雲館において)
14
村雲さんを偲ぶ
私が淩雲館に招かれて,小中学生に「五戒」の話をしたのは昭和
53 年 10 月 14 日であった。
村雲さんは五戒の真意を御会得なされ,之を淩雲館の道場訓にし
たいと申されたので書いて差し上げた。
村雲さんが淩雲館を建設され漸く土台が出来上がり,青少年を剣
道で教育する大志を行うのはこれからであるという時に,人生無常
翌月 23 日に悲しくも御逝去とは噫呼。
村雲さんは御臨終に際し何回もこの五戒を繰り返し唱えられた
とのこと。村雲さんの末期の一念は五戒なのであります。ほんとう
に頭が下がります。
この五戒の帰するところは直心であり,誠であります。
【誠者天
や
之道也】春夏秋冬循環して息まないものであります。
村雲さんの身は死すとも魂は五戒と化して,御遺族並びに御門人
の皆々様に伝わり淩雲館を護るばかりではなく,正しい日本剣道の
礎となって永遠に尽きることのない事を信じて疑いません。
村雲さんのご冥福をお祈り致します。
昭和 53 年 11 月 24 日
合掌
小川忠太郎
15
剣道の理念について
剣道理念の成立
全日本剣道連盟の剣道の理念は,どうしてもこれを作らねばなら
ない情勢になったので,制定せられたのです。
その発案者は当時の理事長であった大谷一雄先生であり,松本敏
夫先生を委員長とする 10 名の委員がこれに当たりました。
剣道の沿革 - 剣道は真剣勝負から始まった
剣道の理念に入る前に,順序として,先ず剣道の沿革から話を起
こそうと思います。
剣道は最初は剣術であり,武術であった。
素面素小手で,刀を持っての斬り合い。これが剣道の起源です。
剣道の理念が出来る前に,剣道の審判についての委員会が開催さ
16
れたことがある。私も委員の一員でしたが,私が言おうとしたこと
を奇しくも三橋秀三先生が言ってしまった。即ち,
“そもそも剣道
は素面素小手での真剣勝負である”と。或る委員が,それでは今の
時代では余り強過ぎはしないか,と言ったところ,三橋先生は,そ
れを抜きにしては剣道はあり得ないと言われた。
素面素小手の真剣勝負を除いては剣道はない。ここから出発しな
いことには,あとのことは皆目わからないことになる。
しからば,武術としての剣術とはどういうものであるのか。平易
に言えば,命のやりとり,息の根の止め合いであります。
我々が生きているこの世の社会は生きている人の社会であるか
ら「生きる」ということは根本の問題であり,この「生きる」とい
うことを除いては,何もないのであります。
「生きる」これが武術なのです。
生命のやりとり,息の根の止め合い,生きる,これがしっかり肚
に入らなければならないのですが,それがなかなかそう簡単には行
かないものでする。殊に現在の若い人たちには入りにくい。
戦前は,満 20 才になると徴兵検査を受け,甲種合格というこ
ゆ
とになると,戦地に赴かなくてはならない。
戦場では,誰でも生死ということに直面する。
ところが現在では,運のよい人は生涯これに直面しないで,フ
17
ワーッと過ごしてしまう。それでは本当の生き甲斐というものを,
肚の底から理解することはむつかしい。死に直面して,始めて本
当に生きる!! 生の肯定ということが決まるのです。
生きるということは,人間が造ったものではなく,人間の根本の
生命力に端を発するものであり,武術というものは,我々が生きる
上での根本です,何が何でも生きなければならないということに端
を発しているのですから,
「俺は生きる!!」これがしっかり肚に入ら
なければ,武術はわからない。
宮本武蔵が弟子を取るときに,人間は本来無生の身である。負け
たら斬り死にせよと言い渡し,その旨を書いて血判させたというこ
とですが,負けたら斬り死にをする。本来無生の身であると悟るこ
とが大事なところです。
先般国体が開催せられた島根県には,歴史上有名な山中鹿之助と
いう人がいる。この人は 34 才で毛利のために毒殺されたが、滅亡
した主家の尼子家を再興しようとして,何度でも毛利の大軍に向っ
て行く。幾度捕われの身になっても,又刃向って行く。殺されるま
で立ち向かっていく。これが武術の精神です。
勝海舟は,
「日本の武士は何かというと,すぐに腹を切りたがる
が,それだけではいけない。山中鹿之助の精神が大切である」と大
18
きく彼を評価していますが,武術の根幹をなすものは,この,生き
る,ということなのです。
現代の我々の生活においても,根本は,この生きる,ということ
であって,理屈ではなく,「俺は生きておる」という事実をしっか
りと把握することが大切です。
さて,話を又前に戻しますが,人間というものは極めて理想の高
いものですから,何が何でも相手の息を根を止めればよい,生命を
取ればよい,という武術を、骨身を削る思いで修行し続けても,こ
の生きる,ということだけで満足できるかというと,それができな
いのです。
その恰好の例が,宮本武蔵です。
武蔵は 28 才までに,60 何回かの真剣勝負をやった。
生きる,ということが根本になっているから,生きるためには嘘
も言う。佐々木巌流と時間の約束をしておきながら,平気で破る。
相手の精神を攪乱するためです。
これについて,内藤高治先生(京都武道専門学校主任教授)は,
“若い頃の武蔵は駄目である。あれは武士ではない”と武専で話さ
れたということを,黒住竜四郎先生から聞いたことがある。
武術ならば,何が何でも相手に勝ちさえすればよいのであるが,
19
それでは,敵に勝つことは出来ても,自分の内心が承知をしない。
それ故,武蔵は,30 才の頃から,今まで自分は数々の試合に勝っ
てきたが,何故勝てたのか,その理由が分からない。
自分の兵法が天理に合しておったのか又は相手が弱かったのか,
不思議である,と考えるようになった。武蔵の見識の高いのは天理
に合すると思惟する点です。
そういう疑問を懐きつつ,なおも修行すること 20 有余年。遂に
天理に合するという所に到達した。今まで闘ったうちで,権謀術数
で勝ちを得たのは,武術の勝ちであって,これは本当の勝ちではな
い。ということから,本当に生きるということは,正しく生きると
いうことであると悟った。
ここが武蔵の偉大なところで,
『五輪之書』には,〖我兵法を学
よこしま
ばんと思う人は道を行う法有り〗と,その冒頭に,
「思い 邪 なし」
ということを挙げている。この正しく生きる,ということは,人生
の根幹であり,これによって他人の信頼も得られるのです。
武蔵は,又,
『獨行道』の中で,
【世々の道に背くことなし】と言
すがた
っている。道の本体は一つだけれども道の相 は千変万化である。
之を世々の道という。昨日は昨日,今日は今日,昨日と今日と同じ
ことをやっていたのでは世々の道に外れる。日々新たでなければな
らない,という意味です。
20
この境地に達すると,刀などは要らなくなるので,武蔵は,晩年
は刀を差さなかったのですが,人間の本心に従って,ぐんぐんと修
行を掘り下げていった。
30 才前の武蔵は,生命のやりとり,相手の息の根を断つ,勝て
ばよい,という武術をやって来たのですが,50 才以後の武蔵の修
行したのは,武道であって,彼は,独りでこの境地まで到達した。
社会的に見ても,日本の武術は,戦国の末期から,次第に,この
ように武道の方向に進む傾向になって来たのです。
沢庵和尚が柳生但馬守に与えた『不動智神妙録』も,武術ではな
く,武道を説いている。
剣道を道という面で説いている文献の中で,私は,
『不動智神妙
録』と『猫の妙術』の二つは優れたものであると思うが,前者は沢
庵和尚の禅,即ち仏教に由来しており,後者は老荘思想から発して
いるが,ともに,非常に深い内容をもっているもので,剣道を道と
いうところまで昂揚させている。
『不動智神妙録』には,人間の心が説かれているが,それには,
次の二つのものが述べられている。
一つは迷いであり,
これを,無明住地煩悩といっている。つまり,
惜しい,欲しい,憎い,可愛いに執着する心の迷いであり,他の一
21
つは悟りであって,これを諸仏不動智といっている。
従って,この両者の関係を明確に把握してかからないと,これを
読んでも,正しく理解出来ない。人間には迷いの心もあり,また,
悟りの心もある。心が二つあるのではないかという疑問も起こるわ
けです。
中国の朱子という大学者は,これを,人心と道心に分けて,この
二つのものは別のものであると説いているが,これは別ではない。
人心が即道心であり,無明住地煩悩が即不動智なのです。
憎い,可愛いい,惜しい,欲しい,の一念に執着すれば煩悩とな
る。剣道で言えば,カーッと上がって来た気持,打ちたい,勝ちた
い,負けるものかという気持ちは,すべて,この煩悩です。
しかし,それをどこかへ片付けてしまうことが出来るかと言うと,
そういうことは不可能であって,その煩悩も,頭から下へ降ろしさ
えすればよいのです。即ち,そういう気持ちを,気海丹田へ,更に
は踵の方へ,ズーッと下げると,煩悩は,そのまま不動智になるの
です。
渋柿は,
吊しておいて,
白い粉がふいて来れば,
自然に甘くなる。
田の雑草は,稲の害であり,これを放置しておくと,稗などが稲よ
り大きくなって,稲が負けてしまうが,これを田に踏み込んでしま
うと,稲の肥料となる。これと同様に,煩悩もグーッと踏み込むと
22
肥やしになる。煩悩即菩提であり、無明住地煩悩即諸仏不動智とい
うわけです。
これを水と氷に例えれば,煩悩というものは,水が凍って氷にな
ったようなものです。剣道でいえば,コチコチに固くなっているこ
とです。ところが,その氷を融かすと水になる。このように,水と
氷は,本来,別物でないにも拘わらず,水は融通無碍であるのに、
凍ってしまうと氷になって動けなくなる。これも,再びサーッと融
かしてしまうと,自由自在に動く。
つまりは,迷いと悟りとは二つではない。不二である,というこ
とを悟ることが大切なのです。自分で凍らなければよい。生まれた
ままの天心そのものであれば,それが即ち悟りであり,不動智であ
ります。
それ故,修行というものは,その諸仏不動智に悪い癖をつけない
ということであるのに,人間は,ともすれば,生活している中に,
後天的な悪い癖がつき易いものなのです。
人間にとって,名誉・利益は大切なものですが,名利に執着して
凝ってしまうと,動きがとれなくなって,苦しくなってしまう。 執
着しなければ,名利は邪魔にならないのですから,邪魔にならない
23
名利は大きい方がよい。その方が,より多く社会のために,役立つ
ことが出来る。
よく剣道の段などは要らないという人があるが,そうではない。
又その反対に,段が欲しくてしようのない人もいる。何が何でも上
がりたいという人もいるが,私は,そのどちらもいけないと思う。
何事にもこだわってはいけないのであって,スラーッとして執着し
ないという修行が必要なわけです。
『不動智神妙録』に述べられている根本原理は,このように,万
人が生まれながらに持っているものであるから,これに執着しない
修行さえして行けばよいのです。
このように『不動智神妙録』は大変優れたものであって,鈴木大
拙博士が英訳して,外国でも,哲学書として有名なものです。熟読
玩味して,よく分かるところを実際にやって見るのがよいと思う。
技の例でいうと,相手が打って来るのを,見るから打たれる。つ
まり執着です。相手が打って来るのを見ても,見なければよい。相
手の打ちにとらわれなければよいのである。打って来れば,スーッ
と入ればよい。そうすると,相手の刀を取って打つようになる。こ
ちらが,執着しないで,スラーッと行きさえすればよいのです。
しかし,これが話を聞いただけで,すぐに実行出来るかというと,
24
人にはそれぞれ癖があるから,なかなか,そうはいかないものです。
い
打って来る,スーッと入り身になって入る。これが小太刀です。
誰でも足があるから,すぐに入れそうなものですが,それが入れな
いのは,心が,氷になって,コチコチになってしまっているからで
す。相手が打って来たところを,サーッとこだわりなく入ることを、
実際にやって見ればよい。
『不動智神妙録』は,これを言葉で説明すると,大変むつかしい
が,技の上では,ただそれだけのことです。
攻められて,これに執着すれば,心に臆するところとなるが,執
着しないで,攻めてくるところを,反対に,こちらからグーッと出
て行けば勇気になる。同じ心でも,このように,或いは臆心にもな
り、或いは勇気にもなるのですから,これを修行して行くことが大
切です。
このようにして,剣術は,徳川の初期辺りから,武道といわなく
ても,実際には,道の方に入っていた。宮本武蔵の晩年とか,沢庵
の『不動智神妙録』辺りから,剣術は剣道になって来たのです。
前述のように,真剣勝負ならすぐに結果が分かるが,徳川時代に
なって,世が太平になり,真剣勝負のない時代になると,その原理
かた
を,形によって稽古するようになって来た。
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形では,相手の打って来たのを,避けるというようなものはない。
雲弘流の形などは,3 間も離れたところから,双方が,駆け足で
パーッと面を打って,体当りをしたり,3 間の間合から,真直ぐ行
って,ザーッと突いて出てしまう。
一刀流の形では,互に 1 歩ずつ出たところで,相手が斬ってくる
のを,
受けたりなどせずに,こちらの方も出て,切り落してしまう。
こういうのが不動智であって,そういうものを形に残したのです。
こういう形は,心に迷いがあっては出来ない。ああしようか,こ
うしようか,心が二つになって迷っていては出来ない。心が一つに
ならないことにはいけない。心が一つになって,始めてできるので,
之を一心一刀というのです。
ところが,人間とは弱いもので,実際には,なかなか一心という
ことにはなれない。
かたちだけ真似てやって,あとは,
理論だとか,
気合いだとか,理屈に走ってしまう。これでは,悪く言えば,木剣
体操であって,人間の精神を作ることにはならないのです。
江戸時代の中期になると,その弊害を補うために,道具を着けて,
実際に打ち合うことが始まった。実際に打ち合うので,事実,形稽
古の欠点を補うことが出来た。
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このように,本来は,形が元で,形稽古の弊を補うために,道具
を着けた稽古が始まったのですから,この両方の稽古を並行してや
って行くと,剣道の本当の道に就く修行が出来るのです。
ところが,道具を着けた稽古をやってみると,この方が面白いの
で,形をやる者が,次第に,道具の稽古の方へ傾いて来た。そのう
ちに,本来の,形稽古の足りないところを補うというところを離れ
て,次第に,当てればよいではないかという風に,堕落して来たの
です。
筑後柳川の大石進という剣士は,当てればよいということで,二
つる
階に閉じ籠って,マリを吊して,片手突きを研究した。2 年もする
と,動くマリでも,百発百中全部突けるようになった。5 尺以上の
長い竹刀で,片手突きを得意としたのですが,実際には,このよう
な長い刀がある筈はないし,又古流の形で,片手突きなどというも
のも,
ありはしない。
ともに,本筋から離れてしまっているのです。
ところが,実際に稽古をしてみると,誰彼なしに,皆勝ってしま
うので,江戸へ出て来て,当時の有名な剣客千葉周作に試合を申し
込んだ。千葉周作は,相手が違法な長い竹刀であるから,自分も四
斗樽の鏡を鍔にしてやったという話がある。真剣を忘れてしまうと,
27
堕落すれば,ここまで行ってしまう。
大勢の人が真似をして,そういう長い竹刀を使うようになって来
たところで,又行き詰ってしまった。
その頃,徳川幕府は,武道奨励のために,講武所というものをつ
くり,男谷下総守という偉人をその長に任じた。
彼は、多くの人が長竹刀だとか何だとか言っているときに,長竹
刀と真剣との中間をとって,講武所の竹刀の長さを,3尺8寸に制
定した。現在我々が使っている竹刀の長さは,彼によって制定せら
れたのである。
御自身は,3尺3寸の竹刀で,稽古したのですが,竹刀は3尺3
寸でないといけないと強要すれば,一般で剣道をやらなくなってし
まう。大勢の人にやらせるために,中間を採って,3尺8寸に制定
したところに,彼の人間の幅の広さが感ぜられ,私は偉い人だと思
っている。
ところが,それでもまだ,大石進の弊害が,後々までも尾を引い
て残ったのも事実です。
長い竹刀で,上段から片手打ちで,面などをポンポンと打つとい
28
うようなことは,本当の剣道にはないのですが,明治 28 年に武徳
会が出来た後でも,真剣では出来ない片手打ちの技を実際の稽古で
やっていた。
武徳会の副会長で,武道専門学校の校長である西久保弘道先生が,
大正9年の京都大会の際に,内藤先生・門奈先生その他全国の先生
を集めて,これからの剣道は,竹刀は3尺8寸で,目方は 150 匁以
上とし,片手の面打ちは禁ずるというお布令を出した。諸先生の中
には,これに腹を立てて,来年はもう武徳祭などには行かないと蔭
で言った先生もあったほど反対もあったが,西久保先生はこれを実
行してしまった。
その時に,剣道界全体が,真剣という立場から,本気で片手打ち
を禁ずる積りになったら,禁じられたと,今でも私は思っている。
兎も角,そういうことをやらねばならないほど,当時の武徳会の
稽古も,試合稽古に堕してしまっていたと言うことが出来る。
しかし,武徳会には一方で秀れた点もあった。
当時,
武徳会には,楠正位という,先見の明のある方がおられて,
これからの武徳会では,専門家を養成しなければならないというこ
とで,武術教員養成所の主席師範に,内藤高治先生を据えられた。
29
技倆という点からだけ見れば,他にも秀れた先生が沢山あるが,
内藤先生こそ,本当に武士的な先生であるということで,白羽の矢
が立てられたわけです。
内藤先生は,ここで,独特の精神教育をやられた。
小川金之助・持田盛二・斎村五郎・中野宗助・大島治喜太などの
諸先生は,内藤先生の,この薫陶を受けて,大体 10 年くらいは,
ここで修行した。これらの諸先生は,その間に,徹底的に懸り稽古
をやらされた。
助教になってからでも,寒稽古のときには,切り返しばかりをや
ったということです。そして,剣道は当てっこではないという教育
を徹底して受けた。
そこで,本当に剣道を修行するためには,京都の武徳会本部へ行
と お ま
お おわざ
け,ということになって,広い道場で,遠間からの大技の打ちに徹
する,いわゆる武徳会流の剣道を,ここで徹底して教育せられたの
です。
これらの先生方の流れが,今日までの剣道を支えて来たと言って
も過言ではない。
30
このようにして,剣道は次第に盛んになって来ていたのですが,
戦争を境にして,武道としての剣道が禁止されてしまった。
竹刀競技が始められて,それなりに剣道の命脈をつないだという
功はあったものの,反面,そのために,剣道が混乱したという面も
あった。
昭和 27 年に,全剣連という組織が出来上がったが,剣道が,全
国的に正しく普及発展してゆくためには,組織のほかに,確乎たる
理念がなければならないし,又,この理念を実行する熱意が必要で
す。この三者がうまく噛み合って,剣道が本当に盛んになってゆく
のです。
理念が確立していないと,審判に関する会議などをやっても,議
論百出で一向にまとまりがつかない。
で
例えば,一方が面を打ってくるのに対して,片方が出小手を打っ
たとする。
小手は十分ではないにしても,七分通りの打ちで,一方,
後の面打ちが 1 本に値する打ちであったと仮定する。武道という見
地からすれば,小手をとるような場合でも,スポーツの観点からす
あと
れば,後打ちの面を取るというようなことになる。相手が面を打っ
てくるのに対して,こちらが構えからそのままスーッと突く。武道
なら突きが勝ちの場合でも,スポーツの観点からすれば,後打ちの
31
面を取ることになる。このように,観点が違っていると,どうして
も納まりがつかないことになる。
審判法のことを一つ例に挙げても,このような次第ですから,ど
うしても,統一した理念に基いて,剣道を考えて行かなければなら
ないという情勢になったのです。
当時の大谷理事長も,これはどうしても確立しなければならない
という決心をされて,前述のように,数年がかりで,現在の理念が
出来上がった次第です。
全剣連の組織が確立し,統一した理念のもとに,会員が熱意をも
ってやりさえすれば,日本の剣道は,今後必ず発展の一途を辿って
ゆくものと信じます。
そういう意味で,今,
大切なことは,
この理念を正しく理解して,
よく肚に入れた上で,自分が身に着けるばかりでなく,これによっ
て,次の時代を担う青少年を指導し,又,彼等にも,この理念を体
得させる方向に行くことです。
今年が全剣連創立 30 周年であるから,40 周年くらいを目標にし
て,理念を実際化するという風に行ってもらいたいものです。
32
沿革を話す上で,もう一つ大事なことがあるので,これについて
述べて置きたい。
それは試合についてです。
昭和 4 年に天覧試合が行われた。
これに反対せられたのが,内藤高治先生です。先生は,
“剣道は
打った,打たれたではない。初心のうちはそれでもよいが,高段者
の剣道は,そういうところにとどまっていてはならない。それにも
拘わらず,範士クラスの人を 3 本勝負で試合させることは,剣道の
正しい発展のためにならない”と言って反対された。
ところが,西園寺八郎さんが,
“内藤先生,天覧試合は勅命です”
と言ったので,内藤先生も“勅命とあれば致し方ありません”と引
き下がられた。納得したわけではないが,致し方なく,京都へ帰ら
れたということです。私は,この場の状況を佐藤貞先生から聞いた
のです。
又,佐藤忠三先生から聞いたことですが,“このように,日本の
代表的な高段者を 3 本勝負で試合させて,勝敗を決めるというよう
なことが行われるのでは,日本の剣道も,もうこれで潰れた。ガッ
なげ
カリした”といって嘆かれたということです。
私は,ここのところが大切なところであって,内藤先生が,そう
いう風に,当てっこでない,試合目標でない剣道を指導して来られ
33
たから,前述のような大家が輩出したのであると思っている。
天覧試合は,昭和 4 年の 5 月に行われたのですが,内藤先生は,
その年の 4 月に亡くなった。私などから見れば,
“これで日本の剣
道は滅びた”と余りにも日本の剣道の将来を心配されたので,その
心労が,発病の引き金になったのではないかと思う。
又、次のようなこともあった。
天覧試合が行われてから 6 年後の昭和 10 年に,右武会の会長で
あった荒木大将が,高野先生や中山先生をはじめ,在京の大先生方
が集まった席上で話されたことがある。
荒木大将は内藤先生と同様に,日本の剣道の現状を深く憂慮して
おられたが,今の剣道界を見るときに,学生は優勝旗の争奪に終始
し,専門家は剣道の職業化に堕してしまっている。このような状態
で推移すれば,今に剣道は世間から顧みられなくなる。剣道を正し
い方向に発展させるために,明治維新後の廃刀令が出て剣道が衰微
したときに,先輩方が歯をくいしばってやって来た,あの精神でや
ってもらいたいという趣旨のことを言われたことがある。
剣道をこのような状態に追い込んだ最大の原因は昭和 4 年の天
覧試合であった。その後,日本は昭和 12 年に日支事変に突入した
34
ので,剣道がドカーッと転落の一途を辿ってしまったが,事変に入
る前に,既にそこまで行ってしまっていたのです。
この,日本の剣道を何とかしなければならないという時期に,現
在の剣道理念が出来ていればよかったのですが,そういう訳にも行
かず,全剣連創立 20 数年を経て,ようやく出来上がったのです。
このように,剣道理念は非常に大切なものであり,且つ,その必
要な所以をよく理解してもらいたいので理念に入る前に,剣道の沿
革の大略を話したわけです。
剣道の理念
-
本論
「剣道の理念」には【剣の理法の修錬による人間形成の道である】
と謳っている。
最初に「剣」の一字を置いている。お茶を離れた茶道はなく,書
を離れた書道はないのと同じように,剣を離れては,剣道はないの
です。剣道は単なる「道」ではない。
「剣!!」これが大事なところで
35
す。
何故に,
刀を差さない現代に「剣」
という字を用いるかというと,
この「剣」の中には,剣道の特色である一番大切なものが入ってい
るからです。真剣であるからやり直しがきかないという気持ちが入
っている。たとえ,それが小手であっても,斬られたら,もうおし
まいです。単なる練習ではないのだという厳粛な気持ちが入ってい
るのです。
我々が仕事をする上に於いても,その精神でやれば,全力が出せ
る。
又,この「剣」の中には,同じことは二度ない,どう来るか分か
らないものに対して,いつも新たな気持ちで対応しなくてはいけな
い,という気持ちが入っている。本当に,自分が素裸でないと,そ
ういうものに対せられないという気持が入っているのです。
繰り返して言うが,「剣」の中には,そういう精神が入っている
ので,刀を差さない時代になっても,そういう精神を残していこう
しない
という意味で「剣」の一字が入れられたのです。従って,撓 競技
の袋撓いとは次元が異なっているのです。
この点が,単なるスポーツ剣道とは次元が違うところです。
このように,
「剣」というものは大事なものですが,今回の審判
36
法の改正で,“弦の反対側で打つ”という表現を廃止してしまった
ことについて,日本武道新聞などで,弦の反対側は刃筋ではないか,
刃筋を無視することは剣を無視することであって,剣道の命取りで
あるという風に採り上げている。これは大事なところであり,全く
その通りであって,誰もこの意見に異論を唱える者はないと思う。
それにも拘わらず,敢えて,弦の反対側という表現を削除したの
は,刃筋のない日本刀はないのであり,剣という字が入っている以
上,当然刃筋は入っているのであるから,入れる必要がないという
ことで,削除したのです。
弦の反対側などというと,廻りくどくなって却って,竹刀という
ことを連想して,真剣という気持にならない。そこで,この改正規
則が出来たときに,私は,或る委員に,
“弦の反対側で打つという
ことを削除したのはよかった”と言ったのであるが,深い考えのな
い人は,あちらこちらで突つかれると,弦の反対側ということを註
に入れてしまった。このような定見のないことをするので,註に入
れるくらいなら,なぜ本文に入れないかと,余計なところで突っこ
まれることになるのです。
信念を持って事に当たらないから,このようなことになるのであ
って,追求して来たら,
「これは剣道の理念によって削除したので
ある」と言えば,それで解決するものであると,私は思っている。
37
16 割の袋撓いではない。
「剣」なのです。このことを,しっかり
肚に納めてやってもらいたい。
しかも,剣道は,単なる剣の術ではなく,剣の道であるというこ
とは,前にも述べた通りです。
この「道」の道たる所以は後で述べるとして,次に「理法」につ
いて述べる。
理
法
り あ い
理法というのは,意味合いの似たものに理合という言葉もあり,
いろいろな考え方があるが,理念委員長の松本敏夫先生が,理合よ
り,理法の方が,
大きく,深い意味があるということを唱導されて,
全員がこれに賛成して,この言葉になったという経緯があるが,こ
の理法は人間のつくった理法ではなく,天地自然の理法です。自然
の二字を上に置くと理法がはっきりする。自然の理法は,人間が居
っても居らなくても,厳然として存在するものであり、過去から,
現在を通じて,永遠の未来まで,時間を超越して存在する。
空間も,すべて自然の理法に従って,在るべきところに所在する。
山は高く,川は流れる。これも自然の理法であって,人間の存在
38
に関りなく,この理法が厳存する。
このように,自然の理法は,時空を超越したものであり,その理
法に従って行くのが「道」であります。
理
と
事
理法は一つであって,分けられるものではないが,二つに分けて
話す方が理解し易いと思うので,仮りに,理と事(わざ)とに分け
て,話を進めて行くことにする。
沢庵禅師は,
『不動智神妙録』の中で,この理の修行と事の修行
ということを採り上げている。
ぼ んのう
人間には迷いがあり煩悩がある。この無明住地煩悩のあるのが凡
夫であります。
その凡夫が,次第に修行を積み重ねて,自分の迷いの雲を取り除
いてゆき,
最後に,本当に雲を取りきってしまったときには,再び,
凡夫と同じところまで来る。一番高いということは,一番低いとい
うことと同じである。修行して完全無欠になった人は,何も修行し
ない人と全く同じであり,少しでも,物を知っているということが
39
見えるのは,まだ中途半端であります。
つまり,凡夫即不動智であり,不動智即凡夫であります。之を悟
了同未悟という。
この循環のことわりが肚の底から分かっていなくてはいけない。
ところが,いくらこの理法が肚に納まっていても,剣道では,手
足が言うことを聞かなくては,何も出来ない。この,手足や体が自
由自在に働くようになるということが事の修行,即ち,わざの修行
です。
この理の修行と事の修行は車の両輪であって,両々相俟って始め
て用をなすものであり,この二つのものは,一つのものになるのが
本来の相(すがた)なのです。これが一つのものになるように修行
するのが大切であるということが,
『不動智神妙録』の中で説かれ
ているのです。しかし,それは余りにも大まかに過ぎるので,もう
少し詳細に話したいと思う。
理と事の 4 段階
山岡鉄舟先生は,剣と禅とを究めた上で,理と事を,理の修行・
40
事の修行・事理一致の修行・事理相忘の修行と 4 段階に分けて,
【撃
剣の方術は事理の二つを錬磨するに在り,事は技なり,理は心なり,
而して錬磨功つむときは事理一致妙所に至る。猶又錬磨究尽して事
理共に相忘ずる時,一剣倚天寒如是妙術の奥義を得るは自ら錬り自
ら鍛へ刻苦工夫心身を打失して年月を経る時,自然に其の甚深の妙
理に投着す。譬へば水を呑んで冷暖自知するが如し。是れを以心伝
心無刀流の剣術と云也】と。
この修行の 4 段階を述べていくが,まず理の修行。
理の修行
理は心です。心とは自己です。この自己は彼我対立の我ではなく
絶対の我であります。人間形成のための剣道修行に於いては先ず心
を把握することが先決です。
それには昔から打ち込み 3 年と申しているが,切り返し懸り稽古
三昧になりきり,機熟して大死一番絶後に再蘇する以外に術はない。
明治の初期には,この打ち込み 3 年式の捨身稽古が実際に行われ
ていた。
明治 10 年の西南の役以来,剣道の真価が見直されて,警視庁で
41
は,剣道を正課にした。
当時の警視庁には,榊原健吉先生をはじめ,天下の大先生方が居
られ,若手が世話係(教師)として入った。その中に,三三郎(サ
きゅう
ンサブロウ)として有名な,神戸の高橋赳 太郎,高知の川崎善三
郎,秩父の高野佐三郎の 3 人の先生も居られた。当時は,三人とも
22・3 才くらいの若手剣士であった。
これは,その中の 1 人である川崎善三郎先生から伺った話です。
若手の人々が大先生方に懸ってゆくのですが,先生の方が数が多い。
1 人の先生が終わると,次の先生に懸る。済むと懸る,済むと懸る
で一息つく暇もない。強い先生に次々に懸るので,皆,ヘトヘトに
なってしまう。クルクル廻って一生懸命にやっているうちに,何時
の間にか,相手の先生を取り違えてしまって,初めにお願いしたの
とは違った先生に懸っている。先生の方はご存知だが,こちらはフ
ラフラになってしまっているので,それに気が付かない。
このように,物凄い稽古をやった。上手に打とうとか,どうしよ
うとか,俺が・・・という我を立てる余裕がない。本当の捨て身に
ならざるを得ない。これでこそ,理の修行ができるのであって,こ
ういう稽古を 2, 3 年もやれば,理の修行が大体出来る。
それ故,当時,そうした修行をなさった先生方のお稽古を拝見す
ると,剣風が違う。構えがずっしりしていて,ビクビクしない。高
42
野先生でも内藤先生でもそうです。それは,
本当の理の修行,即ち,
捨て身の修行をやったからです。
このような修行は,その後もう一度行われたことがある。それは,
小川・持田・斎村といった先生方の修行時代の武徳会における稽古
です。
明治 38 年に武術教員養成所が出来たときも,先生の方が多かっ
たそうです。それ故,斎村先生でも、持田先生でも,フラフラにな
って相手にくらいついたり,へどを吐いたりするほどの激しい稽古
であった。
そんな稽古をやって来られたから,その当時修行した先生方には,
風格がある。ズッシリした構えで,32 才くらいの時に,すでに大
家の風格があった。これは 18,9 才から 2, 3 年間を,武術教員養
成所で,このような稽古をやり抜いたから,そういう風格の基礎が
できたのです。
こうした土台があるから,やればやるほど大物になる。この時代
に共通のものは,捨て身でやったということです。それで,剣道の
土台ばかりでなく,人間の土台が出来たのです。どんな問題が惹起
しても,ビクビクなどしない。サア来いという肚が出来ているので
43
す。
その最も典型的なものが山岡鉄舟先生のところの稽古です。それ
は全く猛烈なものであって,この稽古を 3 年もやれば,構えが出来
る。それが剣道の基礎になり,人間の基礎になるわけです。現代の
剣道でも,ここが一番大切です。
これについて,次のようなエピソードがある。
大阪に布井という大金持ちが居て,無刀流を学んでいた。明治
35 年と 6年に,無刀流の先生方を自分の道場に招いて暑中稽古を 1
ヶ月間やった。その中に,香川善治郎,小南易知といった先生も居
られた。政治家の故緒方竹虎さんも,幾岡という先生に連れられて,
これに参加して,その猛烈な稽古にびっくりしてしまったというこ
とです。緒方さんは当時 17,8 才の中学生であった。
そもそも,山岡鉄舟先生の道場では,1 日の立ち切りというのが
あった。二百面の稽古です。打ち込みを 3 年間やった後で,自分で
やろうと思うものは申し出てやるわけですが,二百面というと 10
たれ
時間かかる。それを立ち切ると,青い垂と十二カ条の初目録がもら
えるということです。
加賀出身の,大鋸助三郎という,きかん気のけんか好きの男が,
人にやれて俺に出来ない筈がないというので,申し込んでやること
44
になった。
懸る方は,緒方竹虎さんを先鋒にして,20 人が次々と懸ってゆ
く。二廻り目になると,苦しくなってくるし,緒方さんの番になる
と,子供だと思って休むそうです。三廻り目になると,もう,前に
ヒョロリ,後にヒョロリと倒れる。仕方がないから,起こして面を
はな
外してやる。洟をぬぐってやり,顔を拭いてやった上で,面をつけ
てやって,腰を叩いて立たせるが,又,ヒョロヒョロになって,と
うとう六十面―60 人で伸びてしまった。意識朦朧としているのを,
井戸端へ連れて行って,稽古着を脱がすと,体は紫色になっており,
本人は,殆んど失神状態になってしまっている。水をかけて,意識
を回復させて,何日間か休ませた上,介添人が付き添って,汽車で
加賀まで送って行ったが,汽車の中でも,まだ,意識がはっきりし
なかったということです。
こういう稽古を,緒方さんは,二夏やっている。
「自分は,福岡で剣道をやっていたときには,剣道とはどういう
ものか分からなかったが,立ち切り稽古をやって,これこそ本当の
剣道であったとしみじみ悟り,この時に体験した剣道の精神が,そ
れ以降の人生で,自分のバックボーンになった」と,或るとき述懐
したそうです。
つまり,最初の打ち込みと,この立ち切りで,捨て身ということ
45
が会得出来るのです。さきの大鋸助三郎さんはどうして参ってしま
ったかというと,最初に生命を投げ出していないからです。他の人
に出来て,俺に出来ない筈はないという,客気から出発している。
客気は本物には通じないのです。
香川善治郎先生などは,これに反して,1 週間の立ち切りをやっ
た。
3 日目になると,やはり朦朧となって来る。山岡先生もそれを見
て,わざと平生意地の悪いのを選んで,懸らせたそうです。そうす
ると,香川先生はハッとした瞬間,
「自分の命はもう是れまで」と
かまえ
観念した。途端,全身がシャンと緊張し,構 が急転,正しい正眼
に一変し, 勇気凛々猛然相手に迫り大上段に振りかぶり渾身の力
を揮って一撃せんとした。その時この様子をじっと見ておられた山
岡先生は急に大声にて“善し善し止めよ止めよ”と制止された。
先生がやめろと言われるので止めたが,香川先生には,何故,山
岡先生が止められたか分からない。
香川先生は,捨て身でやっているから,死に直面すると,身体を
せ い き
忘れてしまって,物凄い正気が出たのです。山岡先生はここを看破
して“止めろ”と言われた。これが本当の剣道の捨て身ですが,大
鋸さんにはそれがなかったから,朦朧として失神状態になってしま
ったのです。
46
ここが,人間がこの世に生きていく上で,勝負の分かれ目の大事
なところなのです。
人間は,ギリギリの線になると,そういうものであって,香川善
治郎先生の 7 日間の立ち切り,大鋸助三郎さんの 60 人でのお手上
げ。同じ人間でありながら,どこからその差が出て来るのか。そこ
を錬るのが打ち込みの稽古,捨身稽古なのです。
緒方さんは,前後 2 回の立ち切りで,捨て身を悟っていたので,
政界のゴタゴタに直面しても,毅然としていた。或る政界の大物が,
「緒方さんがもう少し長生きをしていたら,今の政情はもう少し違
ったものになっていたろう」と評したということです。
獅子の気合
これが,修行の土台になる理の修行です。大鋸助三郎さんはグー
ッと伸びてしまったが,伸びるのではなくて,グーッと自分に引き
付けるのです。自己に取って返すのです。これを獅子の気合という。
百獣の王たる獅子は,自分より大きい象と闘うときにも,グーッと
引き付けておいて跳びかかる。小さな兎に対しても,侮らないで,
47
グーッと引き付けておいて,ウォーッと気合を入れてパーッと捕え
うずく
こ
ぢ
る。獅子が踞 まっている。踞地獅子。これが理の修行です。手で
示せばグーッと拳を握りしめたところです。
せ い き
藤田東湖は,正気の歌で,凝っては百錬の鉄となり云々,と謳っ
ているが,同じ鉄でも,百たび鍛錬すれば,正宗の名刀となる。こ
れです。
そ んきょ
剣道でも,相手に礼をして蹲踞する―ここが大切なのであって,
ヒョロヒョロ立ち上がって,すぐに面を打ってゆくというのなどは
本当の剣道ではない。持田盛二先生は剣道で一番大事な所は,試合
にしろ稽古にしろ,蹲踞であると申しておられるが,その通りです。
蹲踞とは何ぞ。自己であります。自己とは何ぞ。心であります。こ
の心を把握するのは,前述,香川先生の立ち切りの如く,大死一番
絶後に再蘇する以外,術はない。これが理の修行です。これは頓悟
で,修行期間の長短には関係ない。勇猛の士には悟りは一念に在り,
肉を斬らせて骨を斬り,骨を斬らせて髄を斬る。生半可の修行では,
この悟りは得られない。
この関を透過しなくては,如何なる巧妙な技も砂上楼閣であり剣
道では救われない。
48
すく
か いじゃくし
〖身を捨てて 又身を掬う 貝杓子〗
事の修行
第二番目は,事(わざ)の修行です。
理を頓悟しただけでは実際の場に当たって働けない。そこで悟後
と お ま
の修行が必要です。事の修行は先ず遠間大技の捨身稽古に全力を尽
す事です。更に進んでは竹刀稽古と併せて古人が真剣勝負で体得し
た宝珠が秘められている古流の形とで間合活殺の技を真剣に鍛錬
工夫する事,特に気の相続,正念相続に命を懸ける事が秘訣です。
この正念相続こそ正しい剣道の根幹であり,人間形成の嶮関であり
ます。事の段階は悟りは易く相続は難しと申す所です。剣道の修行
は事の修行迄が基礎で,少なくとも 10 年はかかり,この「黙々10
年」の苦行によく堪え抜くことが大切なのです。
事の修行で大事な点は,蹲踞から獅子の気合で立ち上がる。立ち
上がって相手と竹刀を交えたときは,自分が先になっていなければ
いけない。ここが大事なところです。
下腹にうんと力を入れて蹲踞し,立ち上がると,立ち上がったと
きには,抜けている。それぐらい人間の一心とか正念とかいうもの
しょ
は続かないものです。昔から初太刀は必ずとれとは,この大事なも
49
のが抜けない修行です。
事の修行の 3 段階
1 本の事には,はじめから終りまで 3 段階がある。
遠間,一足一刀の間,残心,この三つを貫ぬくものは一刀,その
一刀は至誠です。
(イ)遠 間
今の稽古は,竹刀の振れ合うところで蹲踞しているが,これでは
駄目である。剣先の触れ合うところは,切るか切られるかのギリギ
リの間合であって,そこから始まるのではない。これは審判規則も
いけない。改めるべきだと思う。
剣道は,
正式には,
形のように遠間が始まりです。三間の間合で,
ひら
例えば,相手が上段ならば,こちらは平正眼という風に,相手に応
じた構えをする。
遠間から始まって,剣先が触れ合ったときには,先になっていな
ければいけない。打ち間に入ってから,ゴソゴソやっているような
ことでは駄目です。
戦前,国士舘専門学校での教育が武徳会流でした。遠間から攻め
て,剣先が触れたときは,先となっておりボクーンと面を打てと教
50
えた。遠間から始まる。これが事(わざ)で大事な所です。それ故,
間に入ってチョコチョコ,ネチネチするのは駄目であって、切先が
触れたときには先になっている。若し遠間で打てなければ,気合だ
けでも先に出ることが大事である,と学生に教えた。
遠間は〖敵をただ打つと思うな身を守れ,おのずから洩る賤ヶ家
の月〗というところです。この間合は,在るのは自分一人であって,
相手は居ない。乾坤只一人です。
(ロ)一足一刀
遠間から一足一刀生死の間に入る。ここのところで先になってい
なければならない。しかしながら,この,先にならなければいけな
いところで,気が弱くなってしまう。相手も来るから。そこのとこ
ろで,グッと出てしまう修行をすることである。
〖振りかざす(切り結ぶ)太刀の下こそ地獄なれ,ぐっと踏み込め
あとは極楽〗で,ぐっと踏み込むことです。
一刀流でいえば,上からザップリ浴びるとも,突き破って勝て,
というところです。この精神が大事なのであって,ここで勝負がつ
くのです。
それ故,山岡鉄舟先生の師匠の浅利又七郎先生は,ここで一寸入
られると,打たれなくても“参った”と言ったそうです。それくら
51
い,ここのところは大事なところです。
これが一足一刀の生死の間合です。
(ハ)残 心
だ と つ
打突で勝負がついても気を抜いてはいけない。すぐに元の心に返
る。打って打たざる以前に戻る。これを残心という。
それ故,古流の形では,小手などを打っても,気を抜かずに切り
落して突くという技に変わる。
遠間・一足一刀の間・残心,この三つをよく心にとどめておいて,
自分はどこに欠陥があるかということを,常に反省することが大切
です。
触刃と交刃
だ と つ
打突というものは,むやみやたらに,跳び込んで出来るものでは
ない。一足一刀の間を二つに分けると触刃と交刃となる。互の切先
が僅かに触れるところが触刃である。ここで先になる事が大切です。
一刀流には「切先がカチッと触れるところに勝がある」との教えが
あります。触刃のところで相手の起りを制して先をとる。
〖降ると見ば 積らぬさきに払えかし,雪には折れじ青柳の枝〗
52
というのがそれです。
持田先生はこれをよくやられた。相手が出ようとすれば,ジリジ
リとこの切先のジリジリの攻めで機先を制してしまった。“私は,
このジリジリの攻めで勝つ”と言っておられた。
打ち間に入るまでに,そういう細かいところがある。私は,これ
を「小さい間」といったらよいと思っている。
1本の技というものは,そういうもので構成されているのですか
ら,自分の方から,この三つのところが完全なら相手を打てるし,
不完全なら相手に打たれる。それ故、打たれるということは,相手
から自分の欠点を教えてもらうということです。これを有難いと思
って工夫するところに修行の上達がある。
反省と上達
持田先生は相手から1本打たれると,二度目にはそこは打たせな
い。そういう稽古をされたから,いくつになっても稽古がグングン
と上がっていかれた。自分の非を教えてもらったのですから感謝し
てその欠点をなおして,完全なものに近づいてゆくというのが正し
い修行です。非を知ることをヒジリという。
漢字で書けば聖と書くのは聖人のことであって,自分の非を知っ
53
て,その非をなおして完全な人になってゆくのが聖人です。
その反対に,自分のことは棚に上げておいて,相手の欠点ばかり
を挙げつらっていれば,自分が駄目になるのは当然のことです。
このように,剣道は打たれて修行せよといわれる所以をよく玩味
して,打たれるのは,自分の非を指摘してもらったのだと反省して,
自分の非をなくすよう修行することが大切です。これが事(わざ)
の修行のポイントです。
それ故,事をやる上において大事なことは,反省であって,稽古
のやりっぱなしではいけないのです。打たれれば,どういう機会で,
どういう間合,どういう気分のところを打たれたのかを反省し,よ
い技が出たときは,どういう機会で,どういう間合であったかなど
をよく反省することが大切です。
そういう風な心掛けで稽古をやれば,ある程度までやった人は,
下(した)手だけを相手にしても,稽古は上がるものです。持田先
生は,30 才以後は,稽古相手に上(うえ)がなかった。それにも
拘わらず,あそこまで行かれたのは,打たれたところを反省して,
「非知り」の稽古をされたから,84 才まで停滞することなく進歩
されたのです。
このようにして,遠間・一足一刀の間・打った後の 3 つの大事な
ところをよく肚に納めて,どういう風に打たれたかということを反
54
省して稽古することがポイントです。
一足一刀の間を原則とする
事の修行でもう一つの大事なことは,一足一刀の間を守るという
ことを原則とするということです。相手は弱いからといって,そば
へ入って叩くというようなゴチャゴチャ稽古をしたら,相手のため
にもならぬし,自分の稽古にもならぬのです。一足一刀!! この原
則でやると,相手から打たれるが,そこを嫌がらずに,この原則を
守ることが大切です。
山岡鉄舟先生はこの一足一刀生死の間に徹して無刀流を発明し
もち
たのです。ここを「両刃交鋒避くることを須ひず」という。
形
稽
古
この時代に,事の助けになるのが形です。形の中には気合と間合
がある。それ故,稽古と併行して,形をやることが大切ですが,形
は日本剣道形だけでは不十分であって,古流の形を研究し,修錬す
ることが大切です。古流の形は正しい定規です。事の修行の時代に,
そういうことをよく研究しておくと,正しい定規が肚に納まってい
55
るから,本筋を誤らないのです。
そ
正しい定規がないと,脇道へ逸れては又本筋に戻り,また脇道へ
逸れるという風に,遠廻りをするから,正しい地図によって,真直
ぐにズーッと行くことが大事です。古流の形には,このように,か
たちのほかに,古人が真剣勝負で体得したところの勝つべき心理が
秘められているので,古流の形をよく修錬することが大事です。
直心影流の形
私は,その中でも,直心影流の形には,剣道の本体たる充実した
気分があると信じている。有名な男谷下総守も直心影流であり,内
藤先生も若い頃に上京せられた折に,当流の榊原健吉先生の薫陶を
半年ばかり受けられたのではないかと思う。
呼吸を下げること
この流儀の特徴は努力呼吸であって,最初は,アーッと口を開い
て胸と腹一杯に息を吸い込み,そこでウーンと息を止めておいて,
それを足の方へグーンと降ろす修錬をする。それ故,百万言を費や
さずとも,息は下がる。踵まで下がる。そこで構えが熟してくるの
56
です。そういう教えが形の中にある。
名人白井亨
千葉周作から名人と評された白井亨という人はもっと念が入っ
ていた。34,5 才のとき,荒修行に行き詰って,体が参ってしまい,
死の一歩手前まで行った。
これは大変だと思って,
荒修行を中止したが,たまたま本屋で『夜
船閑話』という本を見付け,これによって自己流の坐禅をやった。
2か月で健康体を恢復し,腹がマリのように弾力性を持って来て,
全身に気力が充実するようになった。或る日,お寺で坊さんが木魚
を叩きながら経文を唱えているのを見ていると,手を振るのと木魚
がポコポコというのと,口から出る経文の三つが,一つのところか
ら出ているようだなと感じた。そこで,今までの迷いがスカーッと
吹き切れたような感じがして,いざ剣と執って見ると,剣先から火
の輪が出るような感じで,誰も相手になる者がなかった。そういう
ことで,この人のことを,千葉周作は名人と称している。
これは,僅か2ヶ月の坐禅によって呼吸を下げたのですが,自分
も真似をして坐禅をするというのでは駄目であって,要は呼吸を下
げることです。自分の気持ちをズーンと肚に納めるのが早道なので
57
です。その反対に,技ばかりをやっていると,余りに熱心にやり過
ぎれば過労になってしまう。そうすると,次第に稽古が落ちてきて,
ついには若死にした先生が実際にある。それ故,技も大切ですが,
技が出る精神はそれ以上に大切ですから,そこにしっかり目を付け
てやることが「事」のところのポイントです。
この「事」のところで,遠間・近間・大技・小技・連続技など,
あらゆる技を修行することが大切です。
一刀流の切り落し
ここでは,その代表として,一刀流の切り落しについて話そうと
思う。
切り落しというのは,中段に構えて後ろの足をしっかり固める。
ズーッ・ズーッ・ズーッと進み,一歩も退かない。この構えになる
と,懸中待・待中懸となる。懸るうちに待つ,待つうちに懸る。構
えはこれでなくてはいけないのであって,ただワァーワァー懸った
り,ただ待ってばかりいるのではいけないのです。
懸中待・待中懸の気分でいるから,相手が打って来るところをポ
クッと真直ぐに打てる。
58
車 輪 前 転
この打つときに車輪前転といって,車輪がゴロゴロと前に転がっ
て行くように,打って行った先が突きになるのです。
一本技が連続技になる
それでも足りなければ,二の技が出る。一本技が連続技になる。
技というものはこのようなもので,一本打っただけではない。一本
の技が二の太刀三の太刀になる。これが本当の技です。
こういう技を事の時代に体得することが大切ですが,こういう修
行をするには,普段が,又,大事なのです。気分を下へ下げるのも,
平生から常に心掛けておらなくては,なかなか出来るものではない。
下へ下げるのには,常日頃の歩き方が大切であるということの例と
して,次のような話がある。
斎村先生が 30 才くらいのときに,仙台に行かれたことがある。
と みやままどか
直心影流の大家である富山 円 先生の所へ伺ったところ,富山先生
は“斎村さん,ちょっと下駄を持って来て見せなさい”といわれる
ので,持って行ったところが,下駄が片ちびになっている。
“斎村
59
さん,剣道家がこういう下駄の減り方ではいけない。下駄は平らに
減らなければ駄目です”といわれたということです。さすが斎村先
生だけあって,この一言でハッと感じて,そのためには,足だけで
歩くのではなく,腹・腰で歩くことが大切であるということを悟ら
れ,その後は,平生からそのように心掛けられたということです。
日常がこれだから,構えがズーッと下に落ち着くのであって,呼
吸を下に下げるのは,稽古のときだけでは駄目で,日常生活のあら
ゆる面で,一工夫も二工夫もしてゆかないことには出来ないことで
す。こういう風に心掛けてやって,約 10 年はかかると思う。
理の修行は 3 年,事の修行は 10 年
理の修行は 3 年。理の修行は悟りであり、身を捨てて本当の自己
を悟るのですが,悟りだけでは駄目で,そのあとの事の修行が 10
年。事の修行とは悟後の修行です。事の修行には相手がある。相手
は十人十色であるから,技も千差万別である。したがって,1 本技
だけでは駄目であって,千変万化に対するには,それに処せるだけ
の修行をしなければならない。これが悟後の修行で,約 10 年はか
かる。これが一番苦しい時であって,いやになってしまうことがあ
る。そこで,安易に陥る人は,相手のそばへ行って,ホラコイ,ホ
60
ラコイと自己流になってしまうのですが,それは堕落です。
如何に苦しくとも悟後の正しい修行を歯をくいしばって,不退転
の精進が秘訣です。ここは儒教で言えば克己のところです。ここで
苦しみに負けて挫折する者は多い。
事
理 一 致
ここを乗り越えると,あとは楽になる。最初の「理」,次の「事」
が一つになってしまう。
世間には,剣道は理である,と心のみ主張して技を軽視する人,
又技のみを主張して心を軽視する人がよくあるが,之は心と技とは
独立した二つの別物と見ているのです。心と技とは別ではない。理
即事,事即理,不二一如です。この関係を明らかにして錬磨功積む
時は事理一致の妙処に到達できる。ここまで来ればしめたもので,
ひとことで表現すれば「妙」といえばよいと思う。
妙という字については,誰であったか,面白いことを言ったこと
がある。
〖妙の字は若き女の乱れ髪 結う(云う)に結われず 梳く(説
く)に梳かれず〗とか。妙は説明できない。
【説似一物即不中】,そ
あた
の物に似ているがなんと説いても中らない。
61
事理一致,自由自在の境涯は説けないのです。自得の外はないの
であります。山岡鉄舟先生は,
〖右を打てば,
左へツルリつるぎ山,
目をふさぐとも当たらざりけり〗と言われたが,これは自得した上
での歌であります。妙自体は説けないが,説けるところまで説いて
みましょう。この境地は老荘思想であり,高い。
妙。ここは遊戯三昧平常心是道の境涯です。ここまで来れば,剣
道は遊びです。骨を折ってやっては駄目です。骨を折っては続かな
い。遊びにならなくては未だ途中です。
小太刀半七という小太刀の名人の門人が,徳川二代将軍秀忠から
つか
小太刀はどう遣うのかと尋ねられたのに対して,
“何となく面白く
遣うばかりに候”と答えたということですが,この「面白く遣う」
というのが,妙であり,遊戯三昧,事理一致です。ここまで来れば
しめたものであり,こうなると楽しくなる。
山岡鉄舟先生は,最後は癌で倒れられたが,健康でも結構,癌で
も結構と,病気を苦にしないで,あまりニコニコしているので,医
師が,“先生,癌という病気は,この世の中で一番苦しいものなの
に,先生はどうしてそうニコニコしていられるのですか”と聞くと,
山岡先生は,
“胃癌胃癌(イカンイカン)というけれども,胃癌(イ
カン)じゃなくてニコリだ”といわれたということですが,ここま
62
で徹底すれば,健康でも結構,不治の病でも結構,生でも結構,死
でも結構,任運自在の自然の境涯になる。
一刀流でいえば,夢想剣。人生は畢竟夢!! 事理一致して正しく
錬った結果が,ここまでゆけるのです。
逆境がいやだというのは,苦しいからいやなのであって,逆境が
楽しかったら,いやではないのです。
黒住教という教えには「難有り,有り難し」というのがあるが,
難があっても,難は有り難しとスラーッとしていれば,難が寄り付
けない。剣道でいえば事理一致の境地であり,剣道によって,この
境地まで到達することができるのです。
山岡鉄舟先生がこれは危険だからと言って門人に見せなかった
『猫の妙術』に出てくる最後の眠り猫の境地は,事理一致の妙所で
あり,人間個人としての悟了同未悟のところです。これを睡虎の気
と申すが,
「虎は眠っていても百歩内に他の獣類を寄せ付けない」
という,それです。
眠り猫の基は荘子の「木鶏」から出ているから,木鶏の話をしま
す。
き せ い し
王様が紀渻子という闘鶏飼に,強い闘鶏を作れと命じた。10 日
きょぎょう
程経って“もう良いだろう”と王がたずねると“未だし,方に虚 憍
63
にして気をたのむ”相手もいないのに,1人で力んで頑張っている。
始めはそうです。が,これでは駄目です。
それから又 10 日経ち“もう良いだろう”と聞くと“未だし,猶,
響影に応ず”1人で力んではいないけれども,相手がくると,いき
り立つ。これでは外部に支配されているから未だ使えない。
それから又 10 日経ち“今度はもう良いだろう”ところが“未だ
しっ し
し,猶,疾視して気を盛んにす”これは相当なものです。疾視する
とは,直視することで,外へ散っていた心が内に収まったところで
す。これで気分が一杯,気を盛んにす。この程度は良いけれども,
剣道で言えば,狙って打つというところ,狙って打っても百発百中,
ここまで行く人はない。然し百戦百勝善の善なるものに非ず。ある
禅僧が剣士が書を頼むと即座に「百発百中,賞するに非ず。胴の坐
りこそ賞すなり」と書いてくれた。ここが大事なところです。
これで思い出すのが持田先生。先生が某八段範士をたいへん可愛
がって指導しておられたが,どうしても剣道の大事なところが分か
らない。“君の稽古は,技はもう良いんだ。剣道はここだよ”と胸
から腹へ両手を当てて言われる。ところがこれが分からない。これ
で分かる位なら誰でもすぐに名人になる。
さて話を元に戻して,又それから 10 日経ち“もう良いだろう”
王がたずねると,
“今度は大丈夫 これを望むに木鶏に似たり”まる
64
で木で作った闘鶏みたいで「その徳,全し」,これで個人形成が出
来た。木で作った闘鶏は,眼も無ければ耳も無く何も無い。剣道な
ら刀を忘れた無刀の境涯です。
この木鶏の話を名力士双葉山が安岡正篤から聞いて肝に銘じ 69
連勝した。70 戦目に安芸の海に負けた。その時安岡に電報を打ち
「吾れ,未だ木鶏に至らず」。当時の双葉山は未だ 20 才代,未だ木
鶏に至らなくとも双葉山の求道心は若き修行者の範となる。
剣道修行も木鶏の境涯に到達できたら,ここを自利上の悟了同未
悟と言い,自分一個の人間は剣道で形成されたと言っても過言では
ない。然し乍ら社会は自分だけではない。他がある。真の人間形成
とは人間社会の形成という所まで発展せねば止まる所を知らない。
事
理 相 忘
人間社会の形成,即ち事理相忘自他不二,之が剣道修行の大目的
であります。
山岡鉄舟先生は,ここを「一剣天に倚って寒し」と言っておられ
るが,これは事理一致のところであって,事理相忘はそんな程度の
ものではない。事理相忘というのは,修行をし抜いて,一切をやり
切って,修行していない人と全く同じになる。これを利他上の悟了
65
同未悟という。人間の社会生活に於いては人間と人間が自然につな
がるものがある。この人間と人間をつなぐもの,これを一点無縁の
慈悲という。
合
掌
こうなれば,親と子は別ではない。
親子一如。
夫婦も別ではない。
夫婦不二。
他とは自他不二。この自他不二の形を示せば,合掌です。
自分の人格を拝み,同時に相手の人格も拝む。そこまで行けば,剣
道でも,自分もなく,相手もなくなってしまう。
話しというものは,自分がその境涯に達していなくては話す資格
がないのですが,私は,みずから省みて,事理一致のところまでは
話す資格があるが,事理相忘は話す資格がない。資格がないが,そ
ういう理を,肚に納めておいて,それを理想として未在!!未在 !!と
修行してゆくことは大事です。
しん けん
禅に「瞋拳笑面を打せず」という句があるが,これは合掌の精神
です。
いか
瞋って握り拳を固めて赤ちゃんを撲ろうと思っても,赤ちゃんが
ニコニコ笑っていると,振り上げた拳を降ろせない。
この話を曽て持田先生にしたら“小川さん,剣道でそこへ行ける
66
かも知れない”
と。先生のご心境は高い。
ここが最高の十段位です。
観音経では,相手が斬ろうと思っても,観音ということを念ずれ
ば,刀が折れてしまうとあるが,これは,刀が折れるわけではなく
て,こちらが本当に慈悲の心になりきっておれば,相手も慈悲の心
を起こして,斬れなくなってしまうということを言っているのです。
剣道でも,本当にそういう構えで対すれば,相手が打てなくなっ
てしまう。これが最高の修行ですから,平素から,この心掛けで修
行することが肝要です。
或る人が,
「自分は三段までの人には打たせるが,四段以上をつ
かうときには,初太刀 1 本を取って,あとは絶対に打たせない」と
言っていたのを,持田先生が傍らで聞いておられて,「私は初段の
人が来たら 初段と同じように,五段の人と願うときは 五段と同じ
ように,又九段の人となら,九段と同じようにつかいたいと思って
いる」と言われたことがある。
これが相手を拝む稽古ぶりであって,事理相忘のつかい方です。
初段の人が来たら,自分も初段になって拝む。五段の人となら自
分も五段になって,九段の人となら自分も九段になって,相手に合
掌することです。
これを不二
(ふに)という。
自分と相手とは二つであるけれども,
67
二にして一です。
これが事理相忘ですが,これはむつかしいと言えば実にむつか
しくなる。それは外に求めるからです。易しいと言えば易しい。誰
や およろずの かみ
でも生まれながらに待っている神の心です。古神道では八百万神と
言い,『坐禅和讃』では【衆生本来仏なり】と言う。俺が俺がとつ
っぱらず,氷になりさえしなければよいのです。この理を知ること
は難しくないが,自得することは難中の難です。
先ずこういう理合を知っていて修行をやることが大切であって,
私は修行の順序を,理の修行,事の修行,事理一致の修行,事理相
忘の修行の 4 段階に分けて話したが,こういうことを知っていると,
脇道にそれないで,真直ぐにゆけるのです。
修
錬
剣道の理念が出来たときに,全剣連会長の石田和外先生が,特に
修錬という言葉を強調されて,剣の理法の修錬云々ということにな
ったが,修錬して身につけなければ,画にかいた餅と同じであって,
腹の足しにはならない。修錬するということが大切な所以です。
修錬はこのように大切であって、剣道は一に修錬,二に修錬,三
68
に修錬で,すべてが稽古の中にある。稽古が土台であって,稽古を
とっては何もないと言っても過言ではないが,ここで大切なことは,
よい師匠につくことです。
試合で当てることだけを教える先生についたら,芽を潰されてし
まう。当てさえすればよいということは,大石進の流儀であって,
それでは駄目なことは前述の通りです。
正しい教えと工夫と鍛錬
本当の師匠を選び,その先生の正しい教えを自分がいろいろと工
夫することが大切です。教わったきりや,話の聞きっぱなしでは駄
目で,自分で工夫をしなければならない。工夫するとはっきりする。
はっきりするとやってみたくなる。この順序です。その後は稽古で
す。鍛錬あるのみ。
この三つが大切であって,この三つのうち一つが欠けても,本当
の修錬にはならない。あとは錬って錬って,最後は百錬自得です。
この自得というものにもいろいろ程度があって,人間が本当に自分
で自分に納得がいけるという所に至るのは容易なことではない。
前述した宮本武蔵がそうであって,普通の人なら,30 才で道場
を出して,天下一宮本武蔵と名乗るところを,理想が高いから,そ
69
れでは満足しないで,50 才まで工夫に工夫を重ねている。このよ
うに自得というものは大変なものです。
千葉周作が名人と評した寺田五郎右衛門は,形だけしか稽古しな
かった。道具をつけた稽古は邪道である,と言ってやらない。形稽
古に徹して,54 才で一刀流の道統を継いでいるが,ここまで行け
ば最高です。それでも満足せず,更に修錬を重ねて,70 才を越し
てから,東嶺和尚に縁があって参禅し,徹底した。その結果自得出
来たのです。
名人と言われた白井亨が,師匠の寺田先生に対すると,脇の下か
ら汗が出て,体がすくんだ,と自身で書いたものが残っているが,
その寺田先生にして,70 才を越して自得出来たというのですから,
自得にもピンからキリまであって,なかなか大変なものです。
人間の理想というものはそれほど高いものであり,又道は無限で
すから,まだ足りない,まだ足りないで,あくまで自分が納得のゆ
くところまで修錬していかなければならないと思う。
人 間 形 成
次に人間形成ですが,人間というものにはピンからキリまであっ
て,最低の人と最高の人とでは,これが同じ人間であるかと思うほ
70
どの差がある。
しゃく
さ
隣がちょっと騒がしいのが癪 に障わったといって,5 人の人を
殺したという事件が,さきごろ報道されたが,これなどは,自分さ
えよければ,他人などどうでもよいという,生存欲のかたまりだけ
であって,動物にも劣る最低の部類ですが,之は「人類」に属する。
このようなのは例外としても,人間というものは,生活ができるよ
うになると名利が欲しくなるというのが通例です。しかし,これも
至極当たり前のことで,それはそれで決して悪いことではなく,立
派なことなのですが,そればかりでゆくと,おかしなものになって
しまう。
さきに理の修行のところで話したように,本当に自分を捨てない
と,どこかに自分というものがあって,いつまで経っても人と競争
していることになる。
今の剣道には,特にその傾向が強くて,試合に勝てば,その内容
などにおかまいなく,ただ手放しで喜んでいる。負けて喜ぶ人はあ
まりないと思うが,負けて喜ぶ人があれば,これは本物です。
たとえ審判では負けても自分の肚が動かなければ,負けではない。
たとえ審判では勝っても自分の肚が動けば,負けです。
今の試合はそうではなくて,ひどいのになると,あんなのを取っ
71
たなどと,審判に文句をつけている。これは競争です。名利はよい
けれども,競争になってはいけない。我(が)になってはいけない
のです。
この競争の姿を,現在の世界情勢に当てはめてみて,米ソの首脳
が競争したらどうなるか。結果は,明らかに人類の破滅です。
松下幸之助氏が,アメリカで,“実業界は過当競争をしてはいけ
ない”と話したところ,或るアメリカ人は“過当競争は人類の本能
である。もしこれがなくなれば,自分は日本へ行って,
靴を脱いで,
あなたにお辞儀をする”と言ったということですが,これは恐ろし
い思想であると私は思う。
道にはそれがない。柔道では「善力善用,共存共栄」という,こ
れで柔道が道になる。
剣道では人間形成という。この「人間」は,単なる人間ではなく,
道の人,
「道人」である。これには対立・競争はない。
私は,人間を大別すると,3種類になると思う。
ちょっとしたことで,人殺しでもやってしまう動物なみの「人類」
。
次に,他人と競争していく「人間」
,さらに競争を超越して,共存
共栄でゆこうという,人間形成をめざす「道人」
。
全剣連の理念にいう人間形成は,つきつめてゆくと,人間が「道
72
人」のところまで高められてゆくことを目指しているのですから,
これでもうよいというところはなく,無限のものです。そこで完成
といわず,形成という言葉が使われているのです。
「形成」の2字
に深い意味があるのです。
人間形成は先ず「自己形成」です。理を頓悟し,悟後の修行で事
理一致の日々是好日の境涯,剣道によって猫の妙術の眠り猫,睡虎
の気の心境に至ったら自己形成は出来たと申してもよいでしょう。
然し人間は自己形成が出来ても,そこには止まれない。之が人間
自然の情です。そこで更に自分の家も国家も社会もよくなって欲し
いという次の「社会形成」へと進むのです。この社会形成は完成で
はない。完成では止まってしまう。形成です。「日々新」です。
道
道を離れて剣道はない。剣道とは剣の道です。道を失った剣,即
ちスポーツ,剣術の域では浅いものになる。吾々の先祖は真剣勝負
を経て,
今から 300 年も前に剣術を道というところ迄昇華させて深
いものにした。それは柳生流の極意,『不動智神妙録』等です。こ
れは哲学ではなく禅であり,道です。この道が日本に現われれば古
神道になり,中国では儒教,老荘とになり,印度では仏教となる。
73
道は一を以って之を貫ぬく,古今東西一貫底であります。
したが
中庸に【天命之を性といい,性に率 う之を道という】と大道を
定義している。大道を天命・性・道の三つに分けてあるが,これは
体・相・用であり近代語で表わせば生命力・調和・変化となり,剣
道に当てれば心法・身法・刀法の三つの位となる。ここでは剣の道
を心法・身法・刀法としてお話する。
(一)本体たる心法は宇宙の一切の現象の根本にある唯一絶対のも
のです。孟子はこれを名付けて浩然の気といい,山岡鉄舟は【浩然
の気は天地の間に塞ると云は則ち無敵の至極である】と言っている。
この本体を悟得してはじめて剣は道に通じ剣禅一如となり,人間形
成の道となるのです。
すがた
(二)相 なる身法は構えです。即ち十人十色に表われる相手の構
えと自己との多年修錬の結果,自他の畔が切れ,二にして一,一に
して二,即ち不二一如になったところの無構えの構えです。
はたらき
(三) 用 たる刀法は,「応無所住而生其心」まさに住する(執着
する)所なくして其の心を生ずるというように,心はどこにも止ま
わざ
らず相手の変化に応じて活殺自在,千変万化に働く事です。
この体・相・用の三つは別々のものではなく三即一,
一即三です。
この三つを平易な言葉に代えれば,本体たる心法は「正しく」,相
たり身法は「仲よく」,用たる刀法は「楽しく」となる。正しく・
74
楽しく・仲よくは,合掌の精神であり,人の道である。
この人の道によって人間社会の形成,世界楽土の建設をする。之
が人間の大目的です。そのことを全剣連の剣道理念は「剣道は剣の
理法の修錬による人間形成の道である」と表わしている。私はそう
理解しております。
長時間の御静聴を感謝します。
合掌
(昭和 57 年 10 月・兵庫県剣道連盟創立 30 周年記念講話)
75
剣 道 と 人 間 形 成
「剣道と人間形成」という題で,30 分と限られた時間でお話し
ます。
先ず,剣道ということについて。剣道といっても色々あります。
・
私のいう剣道は,まず剣という最初の一字について,この剣を除い
ては剣道はない。この剣ということは,現代の 4 つ割りの竹刀,こ
・
・
・
・
れは竹だが,これを刀・日本刀という観念で使うこと。これが私の
いう剣であります。それを今でも竹刀は 4 つ割りの竹ではないか。
そうであれば,結論は当っこでよいではないかと主張される先生も
おられる。
竹ならばそういうことになる。スポーツでよい。然し持った竹刀
を日本刀という観念で使うことになれば,之は命のやり取り,息の
・
・
・
・
・
・
・
根の止めあいであり,生死の問題であり、修行目標としては,生死
・
・
・
・
・
を明らめることになる。この心が人生の土台であり,刀を差さない
現代でも役に立つのです。
・
次に道について。道を離れて剣道はない。ところが「剣道は道で
76
はない,哲学だ」という説を唱える人がある。哲学としての論文を
出せば,それだけで範士に推薦する資格があるという。その人に因
・
・
れば,剣道は哲学であって道ではない。道だというと,道の中には
・
・
禅も入るし,色々のものが入って来るからいけない。哲学であると。
・
・
・
まあ考え方は自由であるから・・・。それはそれとして,剣道は剣
・
の道であります。道を離れた剣即ちスポーツ,剣術の域では浅いも
のになる。吾々の先祖が真剣勝負を経て,今から 300 年も前に,剣
・
・
・
・
・
・
術を道というところ迄昇華させて,深いものにした。それは柳生流
・
・
・
・
・
・
・
・
の極意『不動智神妙録』です。是は哲学ではなく,禅であり道であ
ります。この道が日本に現れれば古神道となり,中国では儒教・老
荘となり,印度では仏教となる。道は古今東西一貫底であります。
吾々は剣道を通して,この人間の道を修行するのです。人間の道と
は,どういうことかというと,当り前のことを当たり前にやる。こ
れが人間の道なのです。これを修行する。こういうことは,言うは
ことは易いが,一生涯修行しても完全に出来得るものではない。
お釈迦様は,
【我思うが如くに言い,言うが如くに行う】と。こ
れが規範であります。吾々の未熟な分際で,思ったとおりに言った
ら支離滅裂になってしまう。思ったとおりにやったら脱線してしま
ととの
う。一家だって斉 えることは出来ない。自分の一身すら修まらな
い。つまり,当り前のことを当り前にやる等ということは,人間の
77
理想であって,できないことですよ。できないけれどもね,それを
理想に置いて,剣を通してこれを学ぶ。これが剣道ということなの
です。
剣を通して道を修行するということは,試合に勝つことでも段を
貰うことでもない。剣を通して人間形成をする。これが剣道の目的
であります。
では,何故当り前のことが当たり前にできないかというと,人間
・
本来の心は,明鏡のようなものであるが,それに雲がかかってしま
・
う。
雲がかかると,
無明となり迷いとなる。
どういう雲かというと,
が
が
大雑把にいうと,「我」という雲がかかる。この無縄自縛の我とい
たとえ
う雲を無くせばよい。面白い譬 話がある。
が
神様の前で,鏡の前で頭を下げる。「我」というものを取ってし
まう。「カガミ」の前で「ガ」を取れば,残るものは「カミ」であ
が
が
る。それが神なのです。
「我」さえ取ればよい。
「我」をくっ着けて
が
いるから駄目なのです。この無縄自縛の我という雲を,体と心にか
けて,苦しんでいるのが人間です。この雲を無くす。空ずるのが剣
道修行の基本であり,眼目です。これから,この雲を細かく 5 つに
分けて,お話致します。
・
・
・
・
・
・
・
・
第一は,構えに雲がかかる。心が生ずるから,妄りに構えが有る
と執着し,自分に構えがあるから相手にも構えが有ると見て,そこ
78
・
・
・
で対立となり,
争いとなる。之を構えに雲がかかったという。
一刀流
では,「あづち矢を招く」という。そこで,その自分の構えという
ものを,雲を取って本当の構えにしなくてはいけない。それが最初
・
・ ・ ・
の修行である打込3年というものです。然し,現代では,これをや
っていない。昔はここをやったのです。打込 3 年,ここで懸り稽古
が
をやる。我を許さない。タッタタッタと懸って懸って懸り抜く。そ
・
・
の内に,懸り稽古三昧に入る。これを儒教では,己に克つという。
剣道の打込 3 年では,己に克つ修行をやる。当てっこの修行ではな
・
・
・
・
・
い。全身全霊でやる。是を獅子の気合という。それは禅では,もっ
・
・
・
・
・
・
と積極的です。己を殺すと言う。之が三昧。殺すから大きな自己が
・
・
・
・
・
・
・
・
・
生まれて来る。それが大死一番,絶後に再蘇すると言う。これを最
初の打込 3 年でやらなければいけない。
剣道を打ち込み 3 年,本気でやり三昧力を養えば,そこから自然
・
・
・
・
・
・
に本当の構えが生まれる。山岡鉄舟先生は,これを三角矩の構えと
言い,苦修 3 年にして本体(構え)が得られると,入門規則で言い
切っている。そこには雑念が入っていない。俺がというものが入っ
ていない。自分が無いから相手がない。自分と相手が一つである。
・
・
・
・
自他不二。これが構えです。自分の構えの中に,相手が入っていな
くてはいけない。相手の構えの中に自分がある。一つなのです。一
如である。ここが剣道の第一基本です。ここを悟らなければ駄目で
79
す。これが私の話しているところの人間形成の土台になります。
とく た ろ う
木村篤太郎先生が 90 才を過ぎて,
“私は人間形成を若い時から心
がけて来たけれども,まだまだ十分ではない。90 を過ぎても。ど
うか,これからの若い剣道をやる人達に,若い時から人間形成の為
の剣道を教えてやってほしいと思う。処が実際には,小学生から試
合をやっている。自分があって相手があって当っこです。是は日本
が いたん
本来の剣道ではないと思う。困ったことだ”と慨歎されている。そ
の通りであります。どうか,木村先生のご配慮を無にしないで,全
国の青少年及び指導に当たられる先生方が,一丸となって,人間形
成の為の剣道修行に邁進して頂きたいと念願する次第です。
第二は,相手からの働きかけに対する心構えですが,剣道では,
互いに一足一刀に剣を交えた場合,未熟の者は此所に雲がかかって
いろ
迷う。相手から色を仕懸けられると色に迷わされる。少し上達した
者は,色には着かないが,無念無想の穴倉に入り,働きがない。恐
ろしい境涯である。この雲を取るには,どうしたらよいか。それは
第一の構え即ち自他不二の本体に立てば,在りの儘が写る。写った
儘で二念を継がなければよい。その働きは,相手と対した時に面と
思う。思った時に面を打てばよい。小手と思う。思った時に小手を
打てばよい。思った時に体は,そこに出てしまっている。自然の技
というものです。それを思ってから打つのでは,人為的であり,後
80
れてしまう。面と思ってから打つのでは遅い。小手と思ってから打
つのでも然り,そこで出て来たら応じようと思うと後れてしまう。
それでは駄目なのです。思っても駄目なのですから,思わずにやっ
・
・
・
・
ては尚更駄目です。
それは出鱈目です。
思ったら打つ。
之を一念不生
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
という。二念以下をぶち切ってしまう。処世法もこれで行けばよい。
自分でこれは赤だと思ったら誰が何と言っても赤は赤。白と思った
ら誰が何と言っても白。これで行けばよい。それが剣道ですよ。そ
れを赤だから赤と言いたいけれど周囲を見て,白と言った方がよい
のではなどと考えて,二念を継ぐから駄目です。愚図愚図してはだ
め。善いことは善い,
悪いことは悪い。それで解決して行けばよい。
・
・
・
・
之が道の上に立ったはたらきです。
げん
まあ,古い例で恐縮ですが,北条時宗は,二念を継がない。元か
ら使者が 3 人来た。戦争すれば負けることは判っている。然し向う
の言うことは道でないので斬ってしまった。これを斬った後には,
・
・
・
・
大変だろうなどと考えてはいない。これを一刀両断という。時宗に
は時宗という自己がない。雲をかけていない。只至道あるのみ。
・
・
・
・
剣道で大事な処は,この一刀両断です。さむらい(武士)のこの
二念を継がない精神は,剣道と儒教と禅で修行したのであります。
以上第一と第二は,外部からの働きかけに対する心構えですが,
次の第三,第四,第五の三つは,内部即ち自身の心の中に生ずる雲
81
に対する心構えです。
・
・
・
・
第三は想像紛飛の念,意馬心猿,之が五つの雲の中で一番激しい
荒い念慮である。時には蜂の巣をつっ突いたように,妄念が紛起し
て収拾がつかないことがある。これをどう始末するか。ここで昔の
人は,実に骨を折ったものです。神に祈ったり,水を浴びたり,難
行苦行したりしたが,それでは荒れる意馬心猿には歯が立たない。
・
・
・
然し,ここに古徳の教えが残されている。それは数息観であります。
ズーッと息を吸う。吸う息の中に雑念を交えない。息をグーッと吐
・
・
・
・
・
・
・
・
いて行く。
吐く息の中に雑念を交えない。
一念・一念を正念化する。
数息観こそが念々正念に入る秘訣なのです。元円覚寺管長宗演老師
は,数息観は禅の初歩であるが,又終極であるといわれております。
処が,そういう修行が有るということに気の付かない人が多いので
はないですか。第一の三角矩本体は,苦修 3 年頓悟でもいけるが,
第三の念々正念が本当に自分のものになるには,20 年 30 年,否,
一生かかっても難しい。それは,剣道では技や理念が邪魔するから
です。
持田盛二先生が 70 才を過ぎてから“もう剣道は嫌になった。難
しい。構えていると内からヒョッと考えが浮かんで来る。どうしよ
うもない。この世の中に,剣道ほど難しいものはないであろう。嫌
になった”
と言われたことがある。先生は 70 才を過ぎてもこの念々
82
正念には徹していないと反省され乍らこの修行に全力をかけてお
られたのです。この真剣味に頭が下がる。世間で問題にしている段
位などは,先生の念頭にはない。先生は十段授与式の時,式場は妙
義道場で,全剣連の渡辺敏雄さんが事務局長で,先生の前へ証書を
持って行き,先生が受けられた時に,合図としてお祝いの拍手をし
ようと,望月正房さんが段取りをしておいた。ところが,渡辺敏雄
さんが証書を持って行ったら先生は,その証書をポーンと放り投げ
てしまった。そして,“わしは、こんなものはいらない。実力がな
くて,こういうものがどうして受けられるか。わしには,こういう
ものを戴く資格がない”と言われた。そして列席の人々に“皆さん
は若い。私は日暮れて道遠しだ。剣道は深いんだからしっかりやっ
て下さい”と言われた。これが十段を受けられなかった時の先生の
挨拶であった。先生は十段位を辞退されて,後輩に「剣道修行の目
的は段位ではない。人間形成です。人間形成の真髄は,念々正念相
続にあり」という秘訣を教えられたのです。念々正念の修行は,道
場内だけではない。日常生活の上で正念の工夫を絶やさない。これ
が本当の剣道です。
50 才以後の宮本武蔵は,日常この工夫をしていた。
『五輪之書』
地の巻に,我が兵法を学ばんと思う人は,道を行う法ありとして,
よこしま
9 カ条を挙げ,その第 1 条は, 邪 なき事を思う所とある。うそを
83
ついてはいけない。之が武蔵の全体です。汚い着物でね。風呂にも
入らない。そこで弟子達が,先生はどうして風呂に入らないかと尋
あか
ねると,“身体の垢は桶一杯の水でとることができるが,心の垢は
取る暇がない”とね。雑念を正念化する。一念,一念を正念化する。
此所まで行ったら本物です。我は古今の名人に候と自認し,常に
念々正念の工夫を絶やさず,二天道楽と号して,道を楽しみ,本当
の人生を味わい得た道人です。
・
・
・
・
・
第四は,細かい念慮,之は連想です。人間は,この細かい念慮に
悩まされる。どうしようもない。過去の事にぐずついたり,現在に
こだわったり,又一寸先は闇の将来を気にしたりして,自分で自分
さば
を苦しめている。こういう厄介な雲をどう捌いたらよいか。それに
は,この細かい念慮は,畢竟夢・幻・空華のようなものであるとい
わずら
うことを,見破っておくことです。空中の華とは,目を煩 った時
あたか
に,恰 も空中に在るが如くに見えるモヤモヤした華のようなもの
のことをいう。此れといって拠り処のない,取るに足らないもので
ある。雲弘流では,ここを〖あと先のいらぬ処を思うなよ,只中程
の自由自在を〗と過去も未来もいらぬ。只現在になり切れと示して
おり,一刀流では,夢想剣として秘している。ここは理屈では通れ
ない悟りであります。これを参考までに世間の事例で話すと,私の
知人の奥さんが,立派な子供を 20 才位で交通事故で亡くした。ど
84
あきら
うしても,何年経っても諦 められない。或る日,
“先生,何とか諦
める方法はないでしょうか”と尋ねられた。大変ですよ,親として
は。 そこで私は,
“奥さん〖とんぼつり 今日は何処までいったや
ら〗(加賀の千代女のね)。この気持で諦められませんか“と言っ
てやったところが,奥さんは,よーく考えてね,まあ,それならば
諦められると言いました。吾が子を亡くしたんですからね。そうい
うものなんですよ。力では駄目なのです。ここは,人生は夢也と悟
ることです。
・
・
第五は,一念であります。第三は荒い念,第四は細かい念,第五
もと
は一念と,こう,心が幾つもあるのではない。第五の一念が本にな
っているのです。澄んだ所からヒョッと一念が生ずる。普通ここを
自己と思っているのであるが,ここは迷雲の本です。しかし、修行
もここまで行くと容易ではない。ここは心の澄み切った所,明鏡止
水・無念夢想,死人と同じく,ここは危険なところ,ここを悟りと
思い,修行を止める人はいくらでもいる。そこでもう一歩,薄紙 1
枚破る。百尺竿頭一歩進める。それで生き返る。これは,その人の
勇猛心に依るの外はない。死に切れば生きる。そこで死に切らない
のと死に切ったのとでは,どこが違うか。死に切らない前には二つ
の眼で見る。死に切った後で生まれた見方は,一つの眼で見る。之
・
・
・
・
・
・
・
・
・
を一隻眼が開けたといい,見性と言う。又一刀流では切り落しと言
85
い んきょ
う。この切り落しを発明すれば,今日入門しても免許皆伝を允許さ
れる。
7 日間の立ち切り稽古
・
・
・
これは山岡鉄舟先生が工夫したものであります。それは,俺がと
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ ・
・
・
・
・
・
・
いう一念を取るには,死ななければ駄目ではないかとね。死ぬのは
理屈ではない。それで所謂立ち切りをやったのです。1 週間ですよ。
1 日に 200 人,時間にして 11 時間。朝の 6 時から晩の 5 時過ぎま
がら
ででね。もう,打つ突く,足搦み,投げる,組打ちする。懸る方は
交代だから楽だ。どんな勢いでも出る。然し立つ方は 1 人きりです
よ。
香川善治郎先生は,1 日目は漸く立ち切った。2 日目になると,
山岡先生から使いが来て,あんな立ち方では駄目だと言って来た。
そして懸る人々にも,あれでは手ぬるい,もっと徹底的に懸れとハ
ッパをかけた。そこで,どちらも 2 日目は張り切ってやった。香川
先生は,非常に参ったらしい。昼食は食欲がなくて卵 2,3 個。も
う便所へ行けば足腰も曲がらず,痛みを忍んで家に帰り,3 日目は
どうして行こうかと窮した。然し,どうせ死を誓ってやったのであ
ようや
しづ
るから今日もやろうとね。朝も漸 く徐かに起ち道場へ行く。昼に
86
あた
なって食す能はず。午後は疲労も甚だしく,争う勇気もなく,目は
くら
眩み,死ぬということはこんなものかと。もう受け身になって,ヒ
ョロヒョロヒョロとしていた。どうにもしようがない。そうしたら
山岡先生が,誰か香川先生と普段仲の悪い某を懸らせた。処が,そ
れ程までに行き詰っていても,相手を見ると自分は殺されると思っ
た。その刹那目が覚めたように,元気一杯,身体の苦痛も忘れ,た
だ敵を倒すの一心となり,遂に我身を忘れて,大上段に振りかざし,
正に某の頭蓋を打ち割ろうとした時に,山岡先生が“もう止めろも
う止めろ”と留めてしまいました。どういう意味か分からないが,
師匠が止めろというので止めた。その時間では,まだ立ち切りは足
りない。然し 3 日目はそれで終わった事になった。けれど,もう家
に帰るにもどうにもしようがない。疲れ果てていた。そして,4 日
目の朝になった。外は雨が降っていた。傘をさすにも手が腫れてい
てさすことが出来ない。下駄を履くにも足が腫れていて履くことが
はだし
かぶ
できない。止むなく跣 で毛布を冠って道場へ行った。死ぬ気でね。
そうしたら山岡先生が“香川やるか”と尋ねられた。“やります”
と答えた処が,山岡先生が“香川,もうよろしい”と言われて立ち
切りは終了した。7 日間立つのが,4 日目の朝で終わってしまった。
そこが山岡先生は偉い。根限りになっても人間の生きるという生命
・
・
・
・
・
力は尽きない。これが人間の本心です。本心を徹見する為に,立ち
87
切りという行をやったのです。香川先生の不生不滅の本心を見たか
ら 3 日間で,7 日間の立ち切りの証明を与えたのです。立ち切りは
難行苦行に耐えるというが,そんな肉体苦ではないのであって,
・
・
・
・
・
・ つか ・
・
・
・
・
人間の本心を摑む為の修行です。一刀流なら切り落しを体得する手
段です。
吾々は剣道の修錬によって,誠を尽くして小我の雲の根源に徹し
て,本心を覚り人間形成をする。これが剣道の眼目であり,又立ち
切りの主眼でもあります。
時間が参りましたので,大雑把ではありますが,筋道だけお話し
て終りといたします。
(昭和 56 年 3 月・養心館創立 10 周年記念講話)
88
相 討 ち を 語 る
相討ちの段階を知ること
かつて剣道の流派は 300 以上もあったが,
本当にいい流派の根本
は,みな相討ちです。しかし相討ちということばを使っていない。
うん こう
が ったい
雲弘流は「相討合体」ということばを使っているし,柳生(新陰)
流では「一拍子の打ち」といっている。私が国士舘の専門学校に勤
めていた頃,柳生流の正統を継いだ柳生厳長先生から聞きましたが,
柳生流では相手が「イチ」と来たのに対し,こちらも「イチ」でい
ってしまう。「イチ」で来たのを「ニ」で受けて「サン」で打つの
わざ
ではない。この技は「一刀両断」というんです。これは相討ち。
一刀流にも相討ちという言葉はない。が,「切り落し」というの
がある。これも相討ち。同じです。だから,言葉は違っても,中身
はみな同じなんです。
ただ,一刀流はね,「切り落し」に始まって「切り落し」に終わ
る。同じ「切り落し」でも,最初と最後では段階が違うんです。細
かく言うとね,
「一刀流高上極意五点」という形で整理してある。
89
「切り落し」を五段階に分けてあり,最後の「切り落し」が本当の
極意なんです。これは鐘捲自斎が伊藤一刀斎に伝えたものですが,
もっと前からあったんじゃないかな。最初は僧慈恩から来ています
からね。曹洞宗の坊さんですよ。曹洞宗に「洞山五位」というのが
ある。これを剣道に配列したんじゃないかな。禅が根底になってい
るけど,仏教の教理は程度が高いからね。
けんしょう
禅のほうでは「切り落し」とはいわない。
「見 性」という。自分
の本心,本性を見るということ。だから「五点」は一から五まで見
性だが,見性にも浅い見性から深い見性まである。五が深い見性。
これが最後なんです。ここのところを沢庵が『不動智神妙録』で書
いている。
【ずっと高きは,ずっと低きと同じものに成り申し候】
ってね。初心者と同じになる。むずかしいでしょ。ここまでいった
人はいませんよ。剣道が始まって以来。
山岡鉄舟先生が,第四番目にいっている。これは有名な話だ。
【五
位兼中至の頌 ― 両刃鉾を交えて避くることを須いず。好手還って
え んぜん
火裡の蓮に同じ,宛然自ら衝天の気あり】という高い公案に徹して,
45 才のとき「無刀流」を開いた。あまり程度が高くて世間には分
かりません,無刀流は。たいていの流派は五点なら一か二までの段
階。自己形成の段階です。各段階の内容について簡単に説明すると,
一,二は自分一箇の修行。三,四,五は自分とともに社会を良くす
90
る修行。
だから「切り落し」には浅いところと深いところがある。そうい
うものがあるということを知らないと,相討ちの全体は分からない。
雲弘流に影響を与えたと思われる針ヶ谷夕雲は,自分の流儀に無
住心剣と名付けた。無住心剣では相討ちと相抜けということを言っ
ている。名前は違うが,同じものだ。相討ちの熟したところが相抜
けです。相抜けになると,一刀流の五点でいう三から五のまでに相
当する。つまり,社会との関係ができてくる。相討ちの段階では,
相手を倒して自分が生きるということだから,これは自己形成の剣
道。五点の一,二はここです。
武術と武道
「肉を切らせて骨を切る,骨を切らせて髄を切る」
命のやりとり,互いの息の根の止め合い―これは武術。相討ちに
は,こういう面もあります。生きるということが前提になっている
から,これがなければ剣道の元は分からない。しかし,これだけで
修養を加えないと,社会全体が弱肉強食の生存競争になってしまう。
現代の世相はこれです。
例えば米ソで,一方に「これなら必ず勝てる」という自信があれ
91
ば,戦争やるね。しかし「核」という同格の武器を持っているから,
相手をやれば自分もやられる。ニラミ合いだな,あれは。武術です
よ。
それに対し,洗練された相討ちは,人間性を根幹としている。人
間性は「誠」です。これなら自他が通ずる。相手と自分が一体とな
る。ここです。こういう相討ちなら武道になる。
だから武術と武道の違いがあることを知らなければいけない。
武術だけなら現代,原子力のある時代に学ぶ必要はない。ところ
が相手と自分 彼我を一体につなぐところの武道であれば,原子力
時代の不安を救うこともできる。山岡鉄舟先生の相討ちはこれだ。
針ヶ谷夕雲の相抜けもそうだ。
“自分の相抜けは,虎伯和尚につい
て参禅を行い,程度の高い公案を 18 も透って,そこから出ている
釈尊の精神だ”と夕雲は言っている。釈尊の精神は慈悲でしょ。そ
こがちがう,根底が。
ただ,手段として,その相抜けに入る前は,相討ちから入ってい
あばら
かなければならない。柳生流でも「肋 一寸」という教えがある。
「アバラ一寸切らせて切れ」と。しかし夕雲の相抜けまでいってい
れば,相手の闘志がなくなってしまう。その一例が今の陛下でしょ
う。敗戦で日本人がクターッとしているところへ,マッカーサーが
やってきた。マッカーサーは「陛下は助命嘆願する」くらいに思っ
92
ていたろうが,
“自分はどうなってもいいから,国民は助けてくれ”
と陛下がおっしゃった。軍部の責任にはされなかった。
マッカーサーはビックリしたらしい。陛下が御身を捧げられたわ
けだからね。これは相抜けだな。釈迦と同じ。
「衆生は我が子なり」
だ。これにはマッカーサーも太刀打ちできなかったという。もっと
も,マッカーサーはクリスチャンだからね,こういう精神がよく分
かる人だったんだ。
・
・
・
・
・
つまり,剣道にもそのような精神があるから,学ぶ価値が
・
・
・
・
ありますよ,ということ。
しかし,前後するようだけれど,
「肉を切らせて骨を切る」も大
事だ。この相討ちが実際生活でも肚に入っていなければダメ。ここ
から入る。それから一刀流の「五点」など程度の高いところに進ん
でいかなければならない。奥はまだあるということだ。
出発点が捨て身,到着点が相討ち
世間の人は,相討ちを簡単にできると思っている。しかし実際と
なると,そう簡単にはいかないものですよ。
まず相手と構えたとき,剣先が触れるか触れないかのところ,つ
まり触刃の間,このとき先を取れば勝つ。先をとるために,相手の
93
構えを崩す。相手の体勢を崩すために攻めを行なうわけでしょ。こ
のときは出てもいい,引いてもいい,左右に変わったりしてもいい
んだ。打つ準備の動作だな。ところが,剣先が合わさって一,二寸
入ったところ,つまり交刃の間だね。ここからはもう,崩すために
出たり引いたりはできないんだ。一足一刀生死の間だよ。
き ょうく
ここでヒョッと雑念が入るものなんだ,誰でもね。それが恐戄疑
惑さ。おそれ,おどろき,うたがい,まどう。これがなければ相討
ちができるわけだ。固くなるんだね,未熟な人は。固くなればなる
ほど不利だ。だんだん腰がひけてくる。本来ならば,ここで彼我一
体でなければいけない。だから相討ちは,やさしいようで実にむず
かしいんです。
わざ
これを『中西機運書』では,
「技は早くてもいけない,遅くても
いけない,要は敵の兆を打つにあり」と言っている。【ここに剣道
に四戒あり。恐戄疑惑これなり】これを去らねばならぬと。そこで
さらに,
【進んで死ぬのを潔しとなし,退いて生くるを恥となす】
とあるが,ここがむずかしいんだ。前に出て「死ぬ」ということが
ね,なかなかできない。これは相討ちのポイントなんです。一刀流
の「切り落し」の場合は,「まず自分の欲を切り落す」というとこ
ろから入る。自分の命を捧げる,というとこ。それではじめて相討
94
ちができる。
小出切一雲の『天真独露』の一節に,
いえど
【相討に安んずる者は,近浅容易の事に似たりと雖 も彼我一体万
すなわ
いささ
物平生生死一路の見に処せざれば則 ち聊 かも安んず可からず。吾
流の学者行ひに顧みて相討を容易にすることなかれ】
とある。一雲が相討ちの容易ならざることを戒めて,彼我対立では
相討ちはできない,合体すなわち彼我一体の見地に立って初めて相
も ののふ
討ちは可能と言っているんだ。塚原卜伝の歌でいえば,〖武士は生
死の二つ振り捨てて,進む心にしくものはなし〗だ。
捨て身になりきること。相討ちは「出発点が捨て身,到着点が相
討ち」と,こう覚えておけばいいでしょう。さらに相討ちの熟した
ところが相抜けですが,ここまでいったのは山岡鉄舟と針ヶ谷夕雲
ぐらいのもので,とうてい思慮分別の及ばないところ。あえていえ
ば,
「非思量の境涯」だ。頭を使っていて使っていない状態。
「合理
的」でありながら,合理を超越している境涯です。
『猫の妙術』
出発点が捨て身で到着点が相討ち。これが大事なところで,捨て
身になりきるということは,実にむずかしい。観念では及ばない。
95
話というのは,なるべく遠まわりしないで目的に向かって近づく
ためにするのであって,話自体が目的ではない。だから話ばかり聞
いている人は,そのことばかりに気をとられ,そのものに入り込め
ない。観念の遊戯になってしまう。
そうかといって話がいらないかというと,稽古ばかりやっている
と,ともすると方向(方角)が違ってしまうこともある。だから話
というものは正しい方向を示す指針です。
まず「相討ち」があるということを知ればいい。古流の形では,
あ と み
所作で教えている。たとえば「切り落し」では「後身を固めて一歩
もひくな」とあり,ここから「切り落し」が生まれる。しかし,そ
の体勢を体得するのは稽古です。
わざ
さらに技を教える深いところに入るわけです。たとえば,柳生流
に「三学円之太刀」という 5 本から成る最初の形がある。その一本
目が「一刀両断」。この「一刀両断」は「身を殺して仁を成す」つ
まり,
「自分が死んで相手を生かす」
「身を殺して社会のために尽す」
ということです。ここまでいったら,剣道は程度が高い。
それを,ただ気合いで圧し抜いて勝つなんていうのは,程度が低
い。剣は奥が深く,入れば入る程深い。
それは『猫の妙術』という話で分かるでしょ。あまりに有名な話
だし,長くなるので詳しくは言わないけれど,一匹の大鼠がいるわ
96
けだが,こいつを捕まえられる猫がなかなかいない。最初の猫は技
が早いだけで失敗する。2 番目の猫は気勢はあるけれど,死を覚悟
う わ て
した大鼠にはかなわない。3番目の猫は,それまでの 2匹よりは上手
だ。心の和でやってみたが,自己の思慮分別から出た「和」だから,
これも失敗。
それで結局,大鼠をつかまえたのは,大したこともないと思われ
た 1 匹の古猫だ。この猫は 3 匹の猫の力を否定はしない。それぞれ
の段階を認めてはいるが,3匹とちがうのは「無心」で行なったこ
と。この無心とは捨て身である。これは孟子のいう「浩然の気」。
そして古猫はこう言うんだ。
“自分よりもっと上の猫がいる”って。
それはかつて古猫のとなり村にいて,サッパリ気勢が上がらず朝
から晩まで居眠りしている猫だと。本当に己れを忘れた猫だ。「大
丈夫に先立って心の祖となる」という禅語があるが,始めの「心」
が古猫で,終りの「祖」というのが眠り猫の境涯であります。
これは,程度が高い。つまり無心の相討ちが熟してくると,そこ
へいくわけだ,究極は。
しかし,世間では最初の無心まで行っている人は本当に少ないね。
なぜかというと,道具をつけた長竹刀の打ち合いなら,ここまで行
かなくても当てればいいから「技」で済む。昔の素面・素小手の真
97
剣勝負は,それでは済まない。その稽古法で極意に達していなけれ
ばならないから各流祖は苦心した結果,それこそ言い方はちがうが
「相討ち」までいった。自分を捧げるところまでいった。
山岡先生は,そこをこう話している。
“誰でも刀と刀を合わせれば打ちたくなる。それはそのとおりだ。
が,それではいけない。その打ちたくなるとき,我が体を敵に任せ
ろ”
。
き ょうく
任せれば恐懼疑惑はない。そして相手の出方によって臨機応変に
いけよという。これが自然の勝ち。自分を任せるということは,自
分が死ぬということ。ここが関門,次元がちがうんだ。心の問題に
なる。ここは技ではない。
だから,幕末の剣豪・島田虎之助が言っている。
【それ剣は心なり。心正しからざれば剣又正しからず。すべからく
剣を学ばんと欲する者は,まず心より学ぶべし】と。
心だよ,剣道は。しかし昨今では「剣は技なり」という人が多い
ね。
交刃,火裡の蓮
打つか打たれるかの交刃の間,いわゆる生死の間で,固くならず
98
に平常心を失わないでいられたら,それは剣道の極意です。未熟だ
と,どうしても固くなる。負けまいと思うから,勝とうとするから
打つ気が出るから固くなるんだけれど,そう思ったときは,相手と
の対立の状態でしょ,すでに負けている。これを克服するんです。
私が 50 代の頃持田先生に願ったときは,いつまでたっても先生
は技を出してこない。こちらも技を出さずに構えている。交刃の間
で。私は,持田先生が何か技を出したら裏へ突っ込むつもりでいた。
打とうとする「う」の字にね。しかし,なかなか技を出さないから
突っ込めない。持田先生は,私が面にいこうとしたら小手を打とう
と思っている。やはり,こちらがいかないから技を出さなかったん
でしょう。
“その間,何をしているんですか”後で,こう聞いてみ
た。
“息を数えていた。ひとおつ,ふたあつ,みいっつ”って。
そうしていると,平常でいられるっておっしゃったんだ。こちらは
打つ気が出るから固くなる、そういう間ですよ。だから相当に程度
が高くなければできないな,あんなことは。本当に磨いた人だけで
す。
このような状態を山岡鉄舟は,こういっている。
か
り
れん
「火裡の蓮」と。
炎々と燃えさかる火の中では,どんな植物も燃えてしまうんです
99
よ。しかしね―,蓮の花だけは燃えないってさ。匂いがますますよ
くなるんだそうだ。逆境に立てば立つほど意気軒昂という意味です。
一足一刀の間で火裡の蓮。相討ちもここまでくれば程度が高い。
人生には逆境があるからね,どんな逆境にあっても順境と同じよ
うにいける心境だな。それなら逆境はない。
順境結構,
逆境結構さ。
剣道の相討ちを目指して鍛錬していくとそこへいけると思えば,
稽古する熱の入れ方もちがうでしょう。だから,相討ちというもの
があるということを若い人が知っておくことは大事だ。人生の根本
問題になってくる。
剣豪と坐禅
島田虎之助は,こんなことを言っている。
“・・・・物と争わず,相手の精神を奪って我が剣上におけば,敵
は自然に畏縮して自由に打つことができる。それなのに精力を勝敗
などの争闘の間において,利不利を念とするようでは,到底本当の
術を体得することはできない。されば剣道には君子の剣と小人の剣
とがある”。
・
・
・
・
単なる打ち合いは,若いときはいいが年をとると使えなくなって
しまうと山岡鉄舟も言っている。これは事実。しかし君子の剣とい
100
うのは,年をとればとるほど熟す。
これはいい例だが,中西派一刀流から出て天真一刀流と称した寺
田五郎右衛門だ。
この人は“竹刀打ちは邪道だ”と言って形だけを稽古した。それ
で,年をとればとるほど熟した,81 才まで。そして同じ中西派の
人間が,
“寺田先生はあんなことばかりやっているけど,本当は道具をつけ
たらダメなんだろう”
こう言うと,それじゃやろうか,ということになった。ところが
相手が面を打とうとすると,
“面を打つと,すり上げて打つ”
と,五郎右衛門は先に言う。
それで相手が小手を打とうと思うと,
「小手を打てば,切り落して突く」
と,また先に言ってしまう。だから,相手は打ちようがない。相手
が何人代わっても,結果はみな同じだった。
要は相手の機を打つにあり,打とうと思う「う」の字を打てばい
き ょうく
い。自分の心に恐戄疑惑がなければ,相手が映る,つまり彼我一体
ということなんだ。
もう一つの例は,白井亨。
101
白井亨は禅によって修めた。千葉周作が,これも相当な先生だが
“寺田五郎右衛門,白井亨,高柳又四郎,この 3 人は名人だ”と言
っている。
白井亨は 28 才のとき,現在と同じような剣道をやっていて,道
場に門人が 300 人もいた。ところが,よく考えてみると,若いとき
いい者が,例外なく 40 才ぐらいからだんだんと腕が落ちてくるこ
とに気がついた。それでいやになり,ガッカリして剣道をやめよう
と思った。そこでたまたま運良く寺田(五郎右衛門)先生に出会っ
たんだね。
寺田先生は,こう言ったそうだ。
“あなたは今まで邪道をやっていた。だから,からだ中に妄念がい
っぱいたまっている。それを取り除かなければダメだ。そのために
は剣道をやめなさい。そして毎日水をかぶり,食べ物も精進料理だ
けにしなさい”と。
白井亨も真面目だったんだね,そのとおりにした。しかし 5 年間
もこれをやったら,さすがにからだがやせて,もう少しつづけたら
死ぬところまでいったらしい。親兄弟,親戚が心配して,自分でも
自信がなくなったという。そこでやめて,本屋へ行ったら,たまた
ま運よく白隠禅師の『夜船閑話』に出会うんだな。
それから自己流で坐禅を組むようになる。すると,2ヶ月ぐらい
102
でグングンからだが回復した。回復したところで剣を取ってみると,
ちがう,と言うんだ。
“そこまでいったら,寺へ行って坊さんの念仏を聞いてみなさい”
寺田先生がこう言った。で,寺へ行って上人の念仏を聞いている
と,
“念仏の声と木魚の手と天機と一致したるに気付き会得ができた”
と言うのだ。そこで剣を手にすると,
“自分の剣先から輪が出る”
こう言った。【後世の剣客のごとき,夢にだに知る能はざるところ
なり】とね。方角がちがうということです。
勝海舟も坐禅で開けたんだ。
“君は普通の人とはちがうから,本当の剣道をやれ”
と,島田虎之助に言われ,17 才から 20 才まで 4 年間,氷川神社に
いって,夜,素振りをした。寒 30 日,寒いですよ。それを 4 年間
もつづけたという。そして“剣道は精神だから坐禅をやれ”という
ので,広福寺に行って坐禅もした。
この二つが明治維新のときに役に立った,と『氷川清話』で言っ
ているね。20 才前後にやったことが,40 才で役立った。それも,
実際には刀を抜かなかったんだ。
だから昔から,ある程度までいって禅で開けた人は非常に多い。
103
宮本武蔵は春山和尚,柳生但馬守は沢庵和尚,針ヶ谷夕雲は虎伯和
尚,寺田五郎右衛門は東嶺和尚だ。白井亨は言っている。
“現在,自分があるのは寺田五郎右衛門先生のおかげ,寺田五郎右
衛門先生があるのは東嶺和尚のおかげ。その東嶺和尚があるのは白
隠禅師のおかげ”ってね。
だから剣は心なり,禅も心なり。究極は剣禅一致ということにな
る。
私の相討ち体験
私の相討ち? これはね,稽古のときに「これが相討ちかな」と
思ったことがあるんです。かぞえで 27・8 才のときでした。
その頃,私の後輩に強いのができちゃってね,乳井義博っていう
んです。あれは強かった。
私が軍隊から帰ったのが 22 でしょ,それから 6 年間,そりゃ稽
古しました。稽古ばかりでした。それで乳井君というのは,向こう
がやめるまで稽古につき合っていると,1 時間もかかる相手なんだ。
その 1 時間のうちに,捨て身の技が 3 本出せるかどうか―。
私が 19 のとき彼は 14,私より 5 才若かった。その頃は大人と子
供でしょ,何でもなかったんです。それが 22・3 になったら腕をあ
104
げてね,こちらがどこを打っていっても突くんだなあ。面を打てば
突く,小手を打っても突く。それも意地の悪い突きで,手を返して
突くからね,こちらは打つところがなくなった。そこで考えた。遠
間に間を切るんです。
そして合わせないでジーッと攻めているとね,相手が緊張すると
きがあるんです。その刹那,思いきり振りかぶって二足一刀から面
を打ち込んだ―。
若いからできましたよ,突きなんか外れて面が打てた。
「ああ,ここか」
そう思いました。それと同時に,中段の構えを覚えました。で,
本を見たら,山岡鉄舟は「三角矩」と書いていましたね。目と剣先
と腹の一致ですよ。ここを悟った。
か ら だ
そんな稽古をしてたから,おかげで 28 才のときは,すっかり身体
をこわしました。身体をこわしたが,乳井君のおかげで,こいつが
悟れた。ありがたいことだ。
彼も 22,3 才までだったなあ,強かったのは。乱暴ざかりさ。そ
れから 28,9 才になってからは,だんだん大人になったから,無茶
しなくなって,凄味がなくなった。
ちなみに相討ちは突きでもいいんですね。相手が面に来るとき,
同じようにグッと前へ出て突くと,相手はひっくり返りますよ。面
105
の
ど
を切らして咽喉を突くわけだ。
一刀流で教えている。
「上からざっぷり浴びるとも,突き破って勝て」と。
こういう状態は,命がけの最後の一本という感じ。切羽詰まった
ときに真剣になると,見えるんだな,相手も最高潮だなって。そこ
を行くんですよ。
今にして思えば,結局,あの面 1 本だった。それも 19 で東京に
出てきて 10 年近くかかった。だから私の剣道は,あれで土台がで
きて,結局,その 1 本を今日でも練っているが,まだ本当に納得で
きていない。相討ちの精神は無限です。
「古流の形」と「武徳会流」
今から,およそ 20 年前のことです。
「これからの剣道は大変になる,真面目な人が戸惑う時代がくる」
私はこう思いました。剣道の生命は捨て身ですからね。相討ちを体
得するためにも,いかにしてこの捨て身になり切るか,ということ
が問題になるわけです。連綿と伝えられてきたその流れが途絶えつ
つあったんですね。
相討ちを身につけるためには,大きく 2 つの方法が考えられます。
106
一つは古流の形と伝書で,もう一つは武徳会流の教え方です。
まず古流の形ですが,先ほどのような理由で,私は今は亡き小野
派一刀流の宗家笹森順造先生に形を教えていただきに上がった。こ
れが今,警視庁に残っているし,あれから全国にも広まっているよ
うだね。一刀流はいいし,
柳生流もいい。
そして直心影流もいいよ。
今,私はこの直心影流を広めている。だから警視庁の武道始めなど
でもずい分行なわれるようになった。相討ち刺しちがいだからね,
直心影流は。
【正師を得ざれば学ばざるにしかず】
と道元禅師は申されているが,やはりここで問題だ,正師が。
私は一刀流を笹森順造先生に,直心影流を加藤完治先生に教わっ
た。正師にめぐり会えたのは幸せだった。
柳生流もいい。警視庁の永池晃一郎さんのところで柳生流をやっ
ているが,あそこは柳生厳長先生の息子さんの延春さんが教えてい
る。この間,形を見たが,さすがに厳長先生に鍛えられただけあっ
て本物だね。
剣道をやっている人の古流の形もいい。その例が,この前亡くな
った会津の和田普先生だ。九段範士だったが,まったく残念だ。
形はね,
「稽古だけしかできない」と昔からいわれている。笹森
先生の著書にもあるが,小野派一刀流などは形だけできた。ただ,
107
形だけだと実際に打てない。止めている。そこに技として少し物足
りないところがある。それで一刀流では,道具を工夫して実際に打
つ稽古を工夫したわけです。だから形は元,つまり定石ですが,こ
れで足りないところを補なうために,竹刀稽古を行なうようになっ
た。
ところが今は,形を行なわずに竹刀稽古ばかり。竹刀剣道の稽古
は千変万化でしょ。定石を知らないで竹刀剣道ばかりやっていると
乱れてしまうこともあるんです。
だから,形稽古と竹刀剣道とを併せて行なうことが,捨て身の技
を身につける一つの方法といえる。
竹刀剣道で,捨て身相討ちを体得する方法として「武徳会流」が
あげられる。
かつて内藤高治という先生がいたが,この方は古武士,さむらい
の風格を備えた人物だった。この先生が明治 38 年から京都の武徳
会の主任教授で,同じ年の 10 月に開校した武術教員養成所(のち
の武専)では「内藤流」で生徒を鍛え上げた。ここには京都の小川
金之助,九州の中野宗助,東京の斎村五郎,大島治喜太,持田盛二
など,あとで十段になる方たちが入学しているが,当時の稽古とい
うのはね,懸り稽古と切り返しだけ。講習生は 12・3 人で先生の方
が多いくらいだったが,それだけに徹底した教え方だったんだね。
108
とにかく猛烈な稽古で,わずか 3 年間で基礎ができたというわけだ。
懸り稽古は互角稽古ではない。約束のない切り返しだから,徹底
的に行うことにより,
「自分が」という意識をなくすことができる。
そして,「遠間,大技,一本技」を心がけた。
小川金之助先生がおしゃったね。
“三段までは内藤先生にシッカリ鍛えてもらえ,そして相討ちがで
きたら,それ以上は門奈(正)先生に習え”と。
これが世にいう「武徳会流」だが,要するに竹刀稽古だけでも相
討ちは体得できるわけだ。斎村先生,大島先生がこのようにして内
藤先生から教わったから,昭和 4 年に国士舘専門学校ができたとき
も,この流儀だった。いわゆる「武徳会流」さ。かなり厳しい稽古
だけど,たった 3 年間で土台ができるんだからね。
1 年生は切り返しばかり,2 年生は懸り稽古だけ。それで 3 年生
になれば,捨て身ができる。
徹底して行う期間は,やはり 20 才前後がいい。そのぐらいは純
真だし,からだが柔らかい。どんなに厳しい稽古しても,一晩寝れ
ば治る。今,大学へ入るのは 18 才ぐらいでしょ。4 年もやれば立
派な土台ができるんだがなあ。
ところは武専は廃校になり,戦前の国士舘専門学校の相討ち主義
の懸り稽古はなくなった。持田先生が亡くなって 10 年近くなるが,
109
今では武徳会流の教えの流れが切れつつある。非常に残念ですね。
竹刀で人間は作れる
“形でなければ本当の剣道は分からない”
かつて寺田五郎右衛門が言った。意味があるね。
じゃ,竹刀剣道ではダメかというと,そうは言い切れないだろう。
さ ん く
たしかに今みたいに三九(三尺九寸)の竹刀の打ち合いだけではい
けないと思う。技で跳び込むだけだもの。
・
・
・
・
・
・
しかし,
山岡鉄舟の無刀流,
三尺二寸竹刀の打ち込み 3 年は凄い。
た ち き
誓願者は 3 年間 1 日も休まず,満期に立切り二百面の試合,さら
に数年修行ののち 3 日間の立切り六百面の試合,さらにその上は,
よほどの稽古を積んで 7 日間立切り千四百面の試合。これでやっと
目録皆伝だ。技を磨くのが本来の目的じゃないね。これなら竹刀で
本当の相討ちができるよ。
「我が体を敵に任せる―」
でも,程度が高すぎる。いまではむずかしいかな。ヘタすりゃ本
当に殺しちゃう。のちにあとを継いだ香川善治郎だって,山岡鉄舟
が止めたから助かった。いくら「自分が死ななければ分からない」
といっても,死ぬことが目的ではない。夕雲のいうように,自分の
110
どん
じん
ち
中の貪・瞋・痴,つまり人間がもって生まれた本性に雲がかかった
状態だな。これを取り除くことが目的だ。
それで,無刀流では木剣による試合もあるでしょ。誰も申し込ま
なかったが,ただ一人いたってね。松崎浪四郎だ。この先生が香川
善治郎と交えたそうだ。今みたいに何本を打って当たるなんてこと
は,実際の場にはありゃしない。互いに勝負がなかったという。
まあ,無刀流のようにとは言わないまでも,最初は今のやり方で
いいんだから,早く相討ちを体得できるような方向にもっていかな
いとねえ。
私はその時期について,本人が一所懸命にやって気づくのが 30
おご
才前後だと思う。20 代で選手権とって,それに奢らずにもっと本
物の剣道があると気づくのは,そのぐらいじゃないかな。宮本武蔵
が 30 才ということだし,白井亨も 28 才。今の人だって同じ名人
になる素質はあるんだから,その辺で気づいて修行すれば,これは
古人に勝る剣士が出ますよ。
相討ちの実践と日常
こんな話があるんです。
国士舘専門学校第 2 回生の卒業生に勝谷春助という人がいた。八
111
段で 55・6 才で亡くなったかな。
埼玉県警の師範をしていましたよ。
真面目な人で稽古は強いのだが,試合をすると,ここ(交刃の間)
まで入るとモタモタして,わざわざ骨を折って負けてしまうんだ。
責任のある立場でしょ,県警の師範なんだから。それで,あまり
気の毒になったから,ある試合の帰りに言ってあげたんです。“勝
て
谷君,剣道には負けるという術はないんだよ”ってね。“最悪の場
合,相討ちだよ。よく研究してくれ”と。悩んでいたときだったか
はら
ら,よほど肚にこたえたらしい。いくら考えても分からなかったよ
うだ。
その後、悪いことに,片方の目が白内障を起こしてしまうのです
よ。で,慈恵医大病院に入院しました。そして1人静かになると,
いつも国士舘の学生時代のことを考えていたというんだね。そこで
私から聞いた話を思い出したという。いつか私は,学生に言ったこ
とがあるんです。
“目なんかなくてもいいんだ,つぶれでもいい”
。
そのとき,
“容態が悪ければ,もう片方の目にもうつる心配があ
・
・
・
・
・
・ ・
・
・
ったが,
“両目つぶれてもいいと思いました”と,こう言うんだよ。
落ちついてきて,肚がすわったようだね。捨て身になれた。そして
相討ちが分ったんですね。
そのあと結局,目も治ってしまいました。
112
それからの彼の試合は見ちがえるようだった。こう構えると,グ
ッグッと相手を追い込んでしまう。ほとんど負け知らずでした。そ
れまで打とう,打たれまいという気があったのが,フッ切れたんで
すね。「死んでもいい」という気持ちが徹底すればね,分かるでし
ょ。
だから,病気してその病気をあるがままに受け入れて,それにと
らわれない。そこで悟ったんですよ。病気から捨て身を悟った人も
いる,ということです。
もと
生活の本は相討ちです。話は少しそれますが,国士舘専門学校第
1回卒業生 H 君が,
“先生,就職の心構えを教えてください”
と私にたずねるから,
“そのときはな,辞令もらって左のポケットに入れたら,右のポケ
ットには辞職願い書いて入れておけ,それで一所懸命やってみろ”
(笑)
こう答えたんです。
これだと成績あがるんですね。恐いものなしだから,いざとなっ
たら辞めてしまえばいい。もっとも,こんな人間を辞めさせる上役
はいません。私自身,どこへ勤めても長く続いた。
「今日,辞めて
う こ さ べ ん
もいい」というつもりで働いたもの。右顧左眄する必要がないんで
113
す。その気持ちでいれば全力が入るでしょう。相討ちというのは,
十ある力を十出すことに他ならない。
(談・小川範士宅にて・昭和 60 年新春・『剣道日本』収録)
114
剣
と
禅
「剣と禅」という題でお話します。剣は剣 禅は禅 で表われた
・
・
・
・
形は違います。しかしその本体においては剣禅一如であります。山
岡鉄舟は【余の剣法や,ひたすら其の技をこれ重んずるに非ざるな
り,その心理の極致に悟入せんことを欲するにあるのみ。換言すれ
ば,天道の発源を極め,併せて其の用法を弁ぜんことを願うにあり。
猶切言すれば見性悟道なるのみ】と,剣禅一如の実境涯に体達し,
かく申されております。
次に日本剣道の沿革を簡単にお話しします。古い歴史を持つ剣道
の源は武術であります。武術は素面素籠手の真剣勝負,命のやり取
り,息の根の止め合いであります。この中には,人間の根本的なも
のが入っている。何と言っても吾々は先ず生きなければならない。
武術は〝絶対生の肯定〟であります。
戦国時代末期になって武術を更に掘り下げて研究してくると,生
きるところの根源に行きついた。それに影響を与えたのが仏教・儒
かん ながら
教・道教・日本の惟 神 の道であります。一二例をあげますと,柳
115
生流の極意は,沢庵禅師の『不動智神妙録』
,これは 300 年前のも
のであります。
一刀流は,
鐘捲自斎より伊藤一刀斎に伝えられた『一
刀流高上極意五点』
,これらはいずれも禅が根底になっております。
・
・
ですから剣術もだんだん昇華して剣道になった。ここが日本の武道
の本当の所であります。
・
・
柳生流,一刀流ばかりでなく,宮本武蔵は春山和尚について二天
・
・
・
・
・
・
・
一流を,針ヶ谷夕雲は虎伯和尚に参じて相ぬけ剣法を,寺田五郎右
・
・
・
・
・
衛門は東嶺和尚の印可を得て天真一刀流を発明しております。皆剣
禅一如の剣道です。
かた
それが徳川時代中期ごろまでは形として伝わってきました。です
からこの形の中には武道の真髄があります。形から武道に入れる。
ところが形に少し足りないところがある。形は,木剣又は真剣です
から実際に相手を切る所までやらないで止めなければならない。そ
の点が技としては不十分なので,徳川中期に,実際に打つところま
た す け
でやらせようということで,形の補助として今の竹刀の稽古を始め
た。ですからその当時は形が相当に出来ないと竹刀稽古はやらせな
た す け
かった。形が本体で,竹刀稽古は形の補助なのであります。
ところが実際になると竹刀稽古の方がおもしろい。これが流行す
ると,ただ当てることを研究するようになる。これは本末転倒であ
ります。
116
男谷下総守という儒教で鍛え上げた立派な剣道の先生が出て,竹
刀の長さを三尺八寸に矯正します。しかしその位じゃ止まらない。
現在行なわれている試合で,片手打は皆ここから出ている。上段に
構えて,こう片手で打てばその方がよく当る。突でも片手突の方が
有利です。しかしこれは剣道ではない。こういう流れが今日まで残
っている。
そこで日本古来の正しい剣道に返すべく,昭和 50 年に全日本剣
道連盟の総力で剣道の指導理念を作った。剣道は試合が目的ではな
い,又,段が目的でもない。段よりも実力が上である,実力よりも
真実・誠の方が上である。こういう見地から【剣道は,剣の理法の
修錬による人間形成の道である】という剣道理念を作りました。
これで行けば沢庵和尚の『不動智神妙録』もここであり,一刀流
い
の五点もこれを出でません。剣も禅も同じく人間形成の道であり,
剣禅一如であります。
外国人は日本剣道をどう見ているか
剣道は今や世界的になっておりますが,外国の人々は日本剣道を
どう見ているかということについてお話します。
昭和 46 年 12 月号の『日本武道』にヨーロッパ剣道連盟会長ロ
117
ーベルト・サンドル伯爵が『私が剣道に求めること ― フェンシン
グと対比して ―』と題し次のように書いております。
【私は剣道の背景にある哲学と,西洋で中世より行なわれている
西洋のフェンシングの背景,との比較という点で考えてみたいと思
います。フェンシングは元来,若い貴族たちが騎士の生活の礼儀作
法を学ぶために行なわれました。その哲学は西洋では非常に古いも
のです。既に古代ギリシャにおいてフェンシングはただ単なる武術
の修行というだけでなく,より以上の思慮分別を修得するために行
なわれていました。フェンシングの修行により,修行者の性格,窮
地に陥った場合の冷静さ,臨機応変,早急な決断力,礼儀作法,そ
して迷うことのない敏速な行動などを形成発達させることができ
るということがわかったのです。
西洋では千年以上もの間,フェンシングの技術を高度に修行した
人たちは,刀を手にする必要のない日常の生活の中でさえ,役に立
つような兵法としてのフェンシングを練習してきました。言い換え
れば,西洋のフェンシングの指導者は単に武器の使い方のみならず,
それを正しく効果的に使って,生きる術を指導する人間養育者とし
てみなされているのです。
高度なフェンシングの技術を修行した騎士は,同時に不必要な迷
い,考え,あるいは畏怖のない早い決断力などを修得したのです。
118
彼等はあらゆる面で正しい実践家となるように修行し,そしてどん
な状態にあっても戦略的に正統な方法をとったのです。こうしたこ
とは別に手に刀を持つ必要はなかった訳です。かくしてフェンシン
グが,西洋で青年貴族たちを自然に教育するということになった意
義がおわかりになったと思います。
人々がフェンシングを子供のころから練習し始めるようになっ
たのは,騎士時代の終りごろからで,それは中世末まで続きました。
フェンシングはこのように単に武器を上手に使うということのみ
ならず,自己修行および生活の一方法だったわけです。このことは
従って西洋にとって価値あることでした。
それならなぜ西洋人が自分たち自身のフェンシングを続ける代
りに,剣道を始めたかという疑問を抱く人がいるかもしれません。
それは,西洋のフェンシングが 1800 年代末から全く単純な形式
に落ちてしまったからです。残念なことですが,精神的な裏付けの
ないスポーツになってしまったのです。
精神的な修行は真の戦いでのみ得られるものです。生か死かの戦
いにおいて他の者より優位に立つことを目的とする方法手段で修
行した場合と,単にスポーツとして競技大会で勝利を得るために練
習をした場合とでは,結果は当然違ってきます。
この西洋のフェンシングは,電気のコードとランプ,そしてスポ
119
ーツを行なう場所でのみ通用するが,真実性のない架空の試合状況
と規則などのお陰で人工的なものになってしまいました。
フェンシングが日常生活の苦難に向って修行する者を育てあげ
るものだとしたら,技術は真実性がなくてはなりません。今のよう
なやり方では,フェンシング場の壁を一歩出たら何の効果もなくな
ってしまいます。他の言葉で言い換えれば,それは真の戦いに対し
ての包括的な修行に欠けています。人々は実際的な状態のもとで技
術を修得しなければならないという精神的な要求から,包括的な修
行を求めます。
しかし残念なことに,西洋の今日のフェンシングは,このような
真実性を失ってしまいました。そして幸いなことに日本の剣道の中
にそれがまだ残っているのです。
これでなぜ,私共がスウェーデンで剣道の修行をしているかとい
う,最も重要な理由がおわかりになったと思います。この考え方は
表現の仕方は違うかもしれませんが,日本の剣道哲学でも同じこと
を言っていると思います。その直覚的行為の原理は言うまでもなく
禅です。
自分の行動行為を兵法の中で生かせるように,道徳的かつ技術的
に修行したというのも,侍の古い修行原理です。刀は死ぬための武
器以上のものであるという考え方もまた古い原理で,それは日本の
120
剣道の大家により強調されてきました。
ここに“太陽のもとには,何物も新ならず”というギリシャ人の
言葉があります。
「剣道は宇宙的な思考なのです」】と結んでおりま
す。
ローベルト伯爵は日本剣道の背景にある原理は武士道であり,禅
であると申されております。
剣
禅
一
如
「剣禅一如」の修行について話を進めます。柳生流では,大成す
・
・
・
・
るには三つの要素がいると申しております。それを三摩の位と言い
ます。日本の剣道は各流派それぞれ自分の流儀を秘密にしたので他
流にはわからない。柳生流の三摩の位というのは,柳生流『始終不
捨書』の第一番に,円を描いて○点がポンポンポンと三つ打ってあ
り,
「三摩の位」
【右重々口伝有之】としてある。これなら外に漏れ
てもわからない。私は柳生流 14 代に当る柳生厳長氏に教わった。
・
三摩の位の摩は「磨」です。三つの点の一つは「習うこと」即ち正
・
・
・
脈の師家につくということです。禅門の大信根です。これが大事で
す。次の点は「工夫するということ」。大きな疑いを抱いてそれを
・
・
・
工夫する。即ち禅門の大疑団に相当する。三番目の点が何かという
121
・
・
・
・
と「錬る」鍛錬するということで,これは修行の大勇猛心に相当す
る。
この三つの中,どの一つが欠けても修行は大成しない。柳生流三
摩の位は禅門の修道の三則と一致するのであります。
人間一生の間に正脈の師を得るということは,まことに至難なこ
とだが,私は幸いにも道縁有って,昭和 5 年,29 才の時,両忘禅
協会両忘庵釈宗活老師に入門を許され,その後,両忘庵釈宗活老師
の法嗣耕雲庵英山老師創立の人間禅教団に入門・入団,耕雲庵英山
老師より報じても報じ難い法恩を受けたものであります。
守
破
離
次に修行の段階として「守破離」について申し上げます。
たず
もと
いかで
か
『普勧坐禅儀』に【原ぬるに夫れ,道本円通争 か修証を仮らん】
かなめ
とある。第一義から見ればこうであります。ここが肝心要 のとこ
ご じ ん
ろです。吾人の本心本性,明徳なるものは本来完全無欠なものであ
る。生れながらに備えている。何も修行して悟りを開くなぞは余計
なことだと。まさにその通り。しかしこれを理解することはできる
ご う り
が,体得することは難中の難であります。毫厘も道とズレを生ずれ
ば白雲万里の隔てが生じてしまう。われわれ一般は修行して悟りを
122
開き,更に悟後の修行に骨折って,あたかも階段を昇るように一歩
一歩進んでゆくことが無難なやり方であります。一刀流では守・
破・離という三段階が設けてある。守る・破る・離れる,この三段
階を経て大成する。「守る」ということは,師匠に絶対服従,師匠
の教えを守っていくことです。そして守るギリギリまでいくと次は
「破る」
,そこにほんとうの自分というものが誕生する。この破る
という時機は修行も骨が折れるし時間も長くかかる。これを修錬し
とど
ていくと最後は「離れる」,離というのは停まるなということです。
沢庵禅師は『不動智神妙録』の中でここを書いている,停まるな。
こういうふうに修行の段階が三つに分けてある。
禅の修行も同じで,最初,守るという所に徹底しその極地に行っ
・
・
・
・
たところを見性という。これは最初の見性入理である。次に破ると
・
・
・
・
いうところに相当するのが見性悟道である。離即ち停まるなは,
・
・
・
・
・
見性了々底である。階段は三つに分けても五つに分けてもよい,五
つに分ければ五位となる。剣道も禅も低い所から高い所へと順序を
経て修行していく,それは全く同じであります。
無
刀
流
正
五
点
今日は山岡先生の「無刀流正五点」のお話をします。一刀流に伊
123
藤一刀斎が鐘捲自斎から許された高上極意五点があるが,山岡先生
は『洞山五位』の公案を透過して,無刀流五点を作った。ですから
無刀流の正五点は五位の公案を透過しない者には真意は分からな
い。発憤して山岡鉄舟と同じ修行をする以外に道はないのですが,
まあ十義以下に下って弁をつけてみましょう。
これは剣禅一如であります。こういう高上極意は,昔は門外不出
であり道統を継ぐ者はこの掟を厳守してきたのでありますが,柳生
流においては柳生石舟斎より数えて第 14 代に当る柳生厳長氏が,
その門外不出の『伝書』を公開,解説し『正伝・新陰流』を昭和
32 年に発行され,一刀流では伊藤一刀斎景久より数えて第 14 代笹
森順造師が,時勢を見て『一刀流極意』を昭和 40 年に発行されて
おります。一刀流高上極意五点の秘伝もこの中にあります。私は,
柳生流,一刀流等で剣道極意が既に公開されているということと,
現代剣道は試合,段位称号等の手段に捕らわれて剣道の第一義,人
間形成の道が見失われている傾向があるので,正しい剣の理法を知
るために,禁を破って五点の理のお話をいたします。
『洞山五位』は,正中偏・偏中正・正中来・兼中至・兼中到の五
つであります。五位は正と偏に分けてあるが,これは人間が分けた
のであり,真理は正・偏に分かれてはいない。故に正位と言えばそ
の裏には必ず偏位が含まれている。正は,平等・空・暗。偏は,差
124
別・色・明と言っても同じ。
・
・
・
・
・
無刀流では,最初の正中偏を妙剣,第二の偏中正を絶妙剣,第三
・
・
・
・
・
・
・
・
・
の正中来を真剣,第四の兼中至を金翅鳥王剣,第五の兼中到を独妙
・
剣とこういう名称にしております。五点は,大道を低い所から高い
所,浅い所から深い所へと五つの段階に分けて道の深遠さを示して
いるのです。
第一
妙
剣
第一の妙剣の書き入れには,
【妙は万物くうなる所則妙也。仏法
の妙の心も同じ】とあります。妙剣とは本体のことであり,道に入
る第一関門であります。
この本体は観念では得られません。道の本体たる「空」は絶対で
あり,考えること,哲学は相対であり,相対で絶対を把握すること
の出来ないことは理の当然であります。道は行より入って自得する
て
より外に術はありません。剣道は剣道の稽古という行から道に進む,
禅は坐禅という行から道に進むのであります。この行をやる上にお
いて肝心要なものは三昧であります。これが修行の基本となります。
三昧とは,古代インドに語源を有し,辞書によれば,
(Samādhi)
定・正定・正受・等持等と義訳せられ,三昧・三摩地は音訳であり
125
とど
ます。心を一境(一対象)に住めて散乱させぬことを言う,とある。
この程度の三昧なら剣では眼・腹・剣頭の一致,一心一刀であり浅
・
・
・
・
い。無刀流では一心一刀を切り落しという。切り落しには深浅があ
る。剣にせよ禅にせよ先ず単調無味な基本の行を,十分鍛錬し三昧
力を養っておかないと大成は期せられないのであります。
夏目漱石の小説『門』の終りのほうに,漱石は悩みを持って鎌倉
円覚寺に行き,老師より「父母未生以前における本来の面目」とい
う公案を授かり,これを頭で考えたために,結局悟りを開くことが
出来ず空しく退山したという場面が書いてあるが,「父母未生以前
における本来の面目」とは,本体のことであります。絶対である本
体を自己に対立させ,相対的に考えていたのでは悟れるはずはあり
ません。悟にはまず数息観の行で三昧力を十分に養い,公案と自己
と不二一如となることです。漱石は基本であるところの数息観の実
習によって三昧力を養成していないので,ついに観念の世界から出
ることが出来なかったのであります。
剣で行き詰まり坐禅で三昧力を養って開悟し,剣禅一如の境涯に
体達したのは幕末の名人白井亨であります。
この白井曰く“白隠の専修練丹は修行の近道にして,潅水の難行
苦行はその功が少ない”と体験を記している。白井は【一刀流の一
刀とは技ではない,「父母未生以前における本来の面目」である】
126
と,その著書『剣道みちしるべ』に書いている。又【かかる絶対の
大道であるから,勝敗を争う後世の剣客等の如き夢にだも知ること
は出来ない】と。この白井の言に対し,人間禅教団第一世総裁耕雲
庵老大師は“そう言わないで,わしは坐禅で悟ったから後世の剣客
も坐禅をやりなさいと言った方がよい”と訂正された。まことに仰
せの通りであります。
白井はわずか2ヶ月の捨身坐禅で妙剣の本体「空」を悟り,将来
名人と言われる基礎が確立したのであります。
山岡鉄舟は,『無刀流入門規則』に【初心の者予が門に入り勇悍
不退の志を励まし苦修鍛錬する時は三年にして流儀の体を備へん,
其体を備へざるに即今流行の演武場に行て猥りに試合するを禁ず,
何となれば将に其体を備へんとせしを破ればなり】と。流儀の体と
は何か? 剣法三角矩即ち眼・腹・剣頭の一致である。
三昧であり,
一心一刀です。
第一関門の妙剣の位に至るには,打ち込み三年,懸り稽古,捨身
稽古に成り切ることです。捨てて捨てて捨てきった所に機熟し大死
一番絶後に再蘇,大きな自己,剣法三角矩が生まれる。ここが妙剣
すく
か いじゃくし
であります。〖身を捨てて,又身を掬う 貝杓子〗この本体が得ら
れないと,剣道では一生涯救われない。
これを無刀流の形では,お互いに三間の間合で脇構えに構える。
127
この脇構えに構えるということは,自分を全部相手に与えるという
ことです。そこから互いに駆け足で進みポツンと相討ちしてそれで
終わり,ゴテゴテした細かいものはない。出発点が捨身,到着点が
相討ち,これが修行なんです。
・
・
・
・
この遠間大技の捨身技を無刀流では切り落しといい,柳生流では
け んこんただ い ちにん
「直立之身」
(つっ立ったる身)という。乾坤只一人と立ち上った
ところです。押せども引かず,引けども至らず,ここが妙剣の位,
正中偏の境涯であります。まことに雄大な気位であるが,ここに執
着すると他を殺してしまい,差別の世界では働けない。そこで更に
悟後の修行へと進むのであります。それが絶妙剣の段階であります。
第二
絶
妙
剣
絶妙剣の書き入れに,
【これは妙にはたらき付たるもの也。則ち
無心なる中よりはたらき出るなり,妙を絶したるはたらき也。
】と
わざ
あります。はたらきとは事です。本体たる理を頓悟しただけでは,
十人十色の実際の場に当っては,はたらけません。そこで,絶妙剣
の悟後の修行が必要なのです。
心境一如・物我不二,剣道なら間合とわざ。妙剣は平等の中に差
別あり,絶妙剣は差別の中に平等あり,この二位で人間個人の形成
128
は出来るのであります。この絶妙剣は,浅い所と深い所,第一段階・
第二段階の二つに分けてお話いたします。
まず,第一段階。この時代が修行で最も苦しく且つ長くかかる難
場です。この段階は,悟りは易く相続は難しと申す所です。ここま
でが基礎で,少なくとも十年はかかり,この「黙々十年」の行によ
く堪え抜くことが大切です。
・
・
・
・
禅ならまず坐ること即ち蒲団上の工夫・実参実証・日常の工夫の
・
・
・
・
三つで修錬すること。剣なら古流の形で理法を学び,現代行なわれ
・
・
・
・
・
・
・
・
ている竹刀稽古で形の理法を活用して事理一致の修錬をし,もって
そく
剣道即生活・生活即剣道の工夫を相続することです。
古流の形の中には,古人が命をかけて体得した剣道の理法が秘め
られています。現代の剣道で古流の形が顧みられないのは,まこと
すなわ
にもったいないことであり,遺憾であります。古流の形即 ち剣の
理法を無視した修行は,血気盛んな時は力を得たと思っても,血気
が衰えると思うようにいかず,これではいけない,修行をやり直そ
うと思った時は,身体が言うことをきかず,どうにもならなくなっ
てしまう。若い元気なうちから古流の形と竹刀稽古とで,事理一致
の修行をすることが肝要であります。
ひ け つ
古流の形を修行する上で根本となる秘訣があります。それは,古
流の形を真剣勝負の体験から作った流祖と同じ精神状態になると
129
いうことです。そうではない形は,木剣体操に堕落してしまいます。
そく
竹刀稽古で大事な点は,持った刀を日本刀という観念で理法に即
して使う。そうでなければ剣道ではなく,竹刀競技であります。そ
れでは人間形成とは関係がありません。
すなわ
次ははたらき即 ちわざについてお話しいたします。一本の完全
・
・
・
・
・
・
・
・
なわざには,
目付・切り落し・残心の三つの要素が含まれています。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
平常の言葉で申せば,段取り・真剣・締めくくりです。剣道ならま
にん
ず遠間に構える。ここは浩然の気,自分一人であります。〖敵を只
打つと思うな身を守れ 自から洩る賤が家の月〗という所であり
ます。遠間で敵を観見してジリジリと一足一刀生死の間を詰める,
・
・
・
そこまでが段取り。一足一刀の間に入ると,ここは両刃交鋒生死の
・
・
間であります。この間を真剣という〖振りかざす太刀の下こそ地獄
なれ一足進め先は極楽〗の間であります。
この一足一刀の間は,こちらの太刀も一足出れば相手に届くが,
相手の太刀も又こちらに届く。そこで未熟の者は,一足一刀の間に
執着して青菜に塩で決断と実行が出来ないのです。それは相手(切
先)見てしまう。意をはたらかせるから対立となってしまうのです。
きょう く
そこで恐 懼疑惑即ち迷が生まれる。沢庵禅師は,ここを『不動智
神妙録』で,
【向ふより切る太刀を一目見て,其儘そこにて合はん
と思へば,向ふより斬る太刀に其儘心に留まり候て,手前の働が脱
130
け候て向の人に切られ候。是を留まると申すべく候。仏法にはこの
留まる心を迷と申候】と述べていますが,まことにその通りです。
千鍛百錬の上士は,生死の間に入ってもそこに執着しません。両
鏡相照す。沢庵禅師は、ここを【向ふより打太刀を見る事は見れど
もそこに心をとどめず,向ふの打太刀の拍子に合わせて打たうとも
思案分別にも染めず,ふりあぐる太刀を見るや否や,心を卒度も留
めず其儘つけ入て向の太刀にとりつかば,我を斬らんとする刀を我
方へ押取って還て向を切る刀と可成候。禅宗にては是を還て把槍頭
倒刺人来と申候。槍はほこにて候。人の持たる刀を我方へ逐取て還
て相手を切ると申す心にて候。貴殿の無刀と被仰事にて候】と『不
動智神妙録』の悟りを述べております。
「人の持たる刀を我方へ逐取て還て相手を切ると申す心」とは,
・
・
・
・
・
柳生流では,西江水の位という。これは,禅宗の公案ですから思慮
て
ほう
分別では届きません。悟るよりほか術はありません。「龐居士 馬
すなわ
とも
祖に参じ,便 ち問う,
“万法と侶たらざる者,是れ誰人ぞ?”祖云
い っ く
い
く,
“汝が一口に西江の水を吸尽せんを待って,即ち汝に向って道わ
わざ
ん ! ”」この西江水を剣道の事で説明すれば,一足一刀の間に両鏡
相照し対峙する時,相手が突込んできたらそれに乗って突き返す,
捨身の戦法です。一足一刀生死の間は,乗るか乗られるかでありま
す。〖振りかざす太刀の下こそ地獄なれ,一足進め先は極楽〗これ
131
が真剣。
次は,一本打ち込んだあとの心構え・身構えですが,これを剣道
・
・
では残心という。
「残心」とは,心を残さず打て,残るぞというこ
・
・
・
・
・
とです。日常生活なら締めくくりです。これがあって次の働きに備
よう
え,一円の環となって尽きることがない。一葉木枯らしに落ちて天
下の秋を知った時,新芽が生まれる所であります。一本のわざは,
段取り,真剣,締めくくりの三つが完備して始めて完全なものとな
るのです。
剣道の一本の技は,日常生活の指導原理にも一致します。勝海舟
は,青年時代4年間,真剣に剣道と禅を修錬し,その基礎の上に立
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
ち,多年風雪で鍛え上げたその体験を,段取り・真剣・締めくくり
の三つに整理して坐右の銘とし,これを常に青年たちに教えていた
とのことです。
【一,事の未だならざるときは小心翼々
一,
事の将に成さんとするときは大胆不敵
一,
事の既に成るときは油断大敵 】と。
そうしてこの三つを貫くものは「一」であり,その「一」は至誠
であります。剣道のわざは,一本一本が至誠の源から発してこそ,
ほんとうに自分に納得がいけるのであります。
・
・
・
・
一刀流では,この「一」を切り落しと言います。切り落しができ
132
れば,その日に免許皆伝を与えると言われております。一刀流,無
刀流は,切り落しに始まって切り落しに終るのであります。
切り落しには深浅があります。妙剣の位では,
「至大至剛の浩然
之気」を修行したのですが,絶妙剣の前期では,細かくして「応無
所住而生其心」の修行をするのです。妙剣の技は,遠間捨身の一本
技の体得ですが,絶妙剣では,一心一刀の技がすらすらと連続して
ゆく修行です。これは容易なものではありません。技が連続すれば,
一心はお留守になりがちですし,一心になれば,技は生じないし,
ここの工夫が苦心のいる所です。
ざ
が
日常生活なら,行住坐臥・語黙動静の上において一心になると,
硬直状態に入ったり,力みが出たり,やりたいようにやると,乱れ
てしまう。所作をやる上において一ヵ所に住せず,朝から晩までそ
の所作三昧で,すらすらと日暮しするということは,理では分かっ
ていても実行は至難であります。
ここで大事な点は,反省です。反省して自己の非を知る。その非
ひじり
を治すと,又新しい非が生まれる。非を知り非を治す「聖 」の修
行をする。
剣道において,非知りの修行の基本となるものは,形です。
「直
心影流法定之形」は,優れております。まず,努力呼吸,一呼吸の
間に雑念を交えない修行をする。一挙手一投足,気合いを抜かない。
133
ズーッと入れた気合いが足の指先まで及ぶ。全体全用の修錬です。
真剣にやる人は,この行で倒れます。「銅皿裏満盛油」というたと
え話がありますが,「法定の形」は正にこの修行です。
昔,
地獄で死刑になる者に対し,
鬼が“お前は死刑になるのだが,
銅の皿に油が一杯盛ってある。この皿を持って一滴もこぼさず,向
う側まで行けたら命を助けてやる”という。死刑囚は,油の一杯入
った皿を持ってジーッと歩く。鬼は,その後から刀を振り冠って一
滴でもこぼしたら,一刀両断にするつもりでついていく。死刑囚は,
命懸けで一滴の油もこぼさず向う側に至り,命が助かったという話
があります。油断しない,気を抜かない,この正念相続の修行が法
定の形であります。法定の形は,剣禅一味の剣道であります。
竹刀打ちの剣道においては,相手から打たれた所は自分の非を打
たれたのであり,非を教えてもらったのです。感謝して反省して二
度と同じ非を打たれぬように工夫することが大切であります。反省
ぜ ん じ
しつつ修行を続けてゆくと,漸次力みがなくなって柔らかくなって
くる。柔らかになってくると,こちらの気が相手に通ずるようにな
る。力みがあるうちは,自分一人だけ張っていて,その気が相手に
は通じないのであります。柔らかになり気が相手に通ずるようにな
れば,相手に一念が生じた時,そこをポンと切先を張っただけで,
機先を制することができるのであります。
134
妙剣の一刀は,大きく立ち上がった所の一刀,
「一刀万刀を生ず」
の一刀であり,絶妙剣の一刀は,
「万刀一刀に納まる」
・
「万法帰一」
という一刀であり,この一は一瞬であり境涯が高いのであります。
千葉周作は,ここを【夫れ剣は瞬息也。心気力の一致也】と言い,
これ
【我が剣は之に尽きる】と申しております。
ここまでが絶妙剣の第一段階でありますが,ここでもう一つ大事
・
・
な点は,この時代に道力を養うということです。
「応無所住而生其
心」の実行は,道力が十分に養われていないとできません。道力を
養うには,大いに坐ること,稽古すること,〝人一度すれば己十度
する″という量の問題であります。
次の後期は程度が高い。人間の心には段階があります。孔夫子は,
【吾,
十有五にして学に志し,
三十にして立つ。四十にして惑わず,
五十にして天命を知る】と,ぐっぐっぐっと修行して六十になると
したが
コロリッと変って【六十にして耳順 ふ。七十にして心の欲する所
のり
こ
に従って矩を踰えず】と。後期は,この七十の心境であります。
ここは,「遊戯三昧」
,「平常心是道」の境涯であります。ここま
で行くと,剣道が深く入って,もう楽しみになってきます。日常生
活の上でも役に立ち,剣道即生活となってくる。前期の所は苦しい。
その苦しい所を通り抜けて,楽しみになってくる。楽しみながら自
己形成をやる。「後期のギリギリの所はどこか?」と申しますと,
135
山岡先生が“これは危険だから”と言って,皆に見せなかった『猫
の妙術』の最後,眠り猫であります。虎は眠っていても,百歩以内
に他の動物を近づけない。これを「睡虎の気」と申しますが,こう
いう所であります。
剣道修行者も,絶妙剣の第二のギリギリのところ,即ち,帰家穏
お おびま
・
・
・
・
・
坐の大閑のあいた,刀を忘れた無刀の境涯に到達できたら,ここを
自利上の見性了々底と言います。自分一個の人間は剣道で形成され
た,と申しても過言ではありません。自分一個の修行ならここまで
でよいのであります。その上で,社会のそれぞれの地位について,
やっていけばよいのであります。
第三
真
剣
五点なら,妙剣・絶妙剣の二位は,自利であり,真剣・金翅鳥王
剣・独妙剣の三位は,利他であります。五点は,境涯であって説明
では届きません。説けば説く程,そのもの自体からは遠ざかってし
・
・
まいます。一刀流の教えに,目心というのがありますが,これは目
で見るな心で見よ,耳で聞くな心で聞け,という教えです。
真剣とは,五位なら正中来です。正位より偏位に,自利より利他
に出る準備時代です。この境涯は高い。
136
山岡鉄舟は,
『剣道悟入覚書』に,
【自己なければ敵なし】と書い
ていますが,これが真剣の位です。
「自己なし」とは,本当の「空」
に徹することです。当てるをもって足れりとする現代試合剣道は,
自己が有り,他が有り,対立があります。これは「道」ではない。
競技であります。又,自己は無いものと頭で考え,無念夢想を「道」
と思っている者が稀にあります。かつて京都・北野・武徳殿におい
て稽古の折,某先生が相手から打たれた。そこで,打った相手のそ
ばへ行き,“わしが無念無想に構えているのに君はなぜ打ってきた
か?”と言った。この先生は,昭和天覧試合に二度も出場し,著書
・
・
もある有名人であるが,
この先生の言う「無念無想」は頑空であり,
・
・
・
・
邪道です。正脈の師につかないと,恐ろしい野狐の穴にはまり込む
のであります。
五点の妙剣は頑空ではない。
「空」であります。白井亨は2ヶ月
か く き
の坐禅でここを悟り,
“我が剣は真空赫機に尽きる”と言っている
が,この「真空」では,正中来の「空」には届かない。更に,絶妙
剣の後期,自利の見性了々底でも届かない。
おそ
「自己なければ敵なし」とは,打たれまいとする畏れもなく(我
・
・
なし),打とうとする欲もない(彼なし)
。我も彼も共に「空」じて
しまったところ,いわゆる「能所両忘」
「施無畏」の剣であります。
祖元禅師が元の軍に捕えられ,まさに首を斬られようとした時に,
137
こ こ う
し ゃ き
【乾坤孤筇を卓するに地なし,且喜すらくは人空 法また空なるこ
とを,珍重す大元三尺の剣,電光影裏春風を斬る】という頌を作っ
た。元の軍の中に学問のある人がいたとみえて,この坊さんは善知
識であると見抜いて助けた。この頌の境涯が真剣(正中来)の位で
・
・
あります。
「人空法亦空」,
「人」とは我,
「法」とは彼,我も「空」,
彼も「空」,この「空」こそ本当の「空」であります。
沢庵禅師は,
『不動智神妙録』で,ここのところを【切る人も空,
太刀も空,打たれる我も空なれば一切止らぬなり】と申されていま
す。
「一切止らぬ」すなわち「空」にも止らないのであります。
我も「空」
,彼も「空」
,
「能所両忘」では,利他行のやりようは
ないのでありますが,どうしてもこの関門を透過せねばなりません。
この関門を透過し,最後に,捨てても捨ててもどうしても捨てるこ
・
・
・
・
・
とのできない人間自然の情,一点無縁の慈悲が残る。これが真剣,
正中来の一位であり,五点の骨子となります。真剣の位を透過して
・
・
・
・
・
・
・
はじめて,最後の独妙剣のはたらきに出られる準備段階ができたの
であります。
第四
金翅鳥王剣
最後の独妙剣の位,利他に打って出る前にもう一つ透過せねばな
138
らぬ関門があります。それが金翅鳥王剣であり,五位なら兼中至で
あります。
兼中至は,【両刃鋒を交えて避くることを須ひず,好手却って火
裡の蓮に同じ。宛然自ら冲天の気あり】というのであります。この
境涯は「変」であり,これをわがものにするのは容易なものではあ
りません。これを法理で申すと,兼中至とは明暗不二というところ
です。
「両刃鋒を交えて避くることを須ひず」両刃鋒を交えとは,剣の
名人と名人同士,真剣の切先と切先とが触れているどころか,更に
・
・
・
・
・
・
・
・
一寸入って交わっているところ,即ち一足一刀生死の間,ギリギリ
の間であります。出るも引くも出来ない。ここで意をはたらかせな
い。そこを「避くることを須ひず」と言ったのであります。ここは
生もなく死もなく自もなく他も無い。自他不二,それを利他上の正
え
ご
偏回互三昧と言います。
「好手却って火裡の蓮に同じ」 ここまで鍛え上げた大力量の者
は,紅塵中に在って灰頭土面,
“どこからでも見よ”と火裡の蓮華
お
の火に逢ふて色香転た鮮明なるが如し。「宛然自ら冲天の気あり」
・
・
・
ここは前とは趣が異なり,ここがあって初めて最後の兼中到につな
がるのであります。
山岡鉄舟先生の無刀流剣法は,この兼中到から出ているので,こ
139
こに先生の剣禅一如に至った道程を,参考までに,先生の手記『剣
法と禅理』によってお話し致します。
(ィ) 剣
先生は9才より撃剣に志し,刻苦精励すること 20 年,しかし一
つの安心の地位に至れなかった。そこで剣道明眼の師を四方に求め
るに,一刀流浅利又七郎は上達の人であると聞き,喜び行いて試合
じ ら い
を乞い,遠く及ばざるを知り師事した。爾来修行を怠らなかったが,
浅利に勝つべき法なく,日々諸人と試合後,独り浅利に対する想を
なすと,浅利たちまち剣の前に現れ,山に対するようでどうするこ
とも出来なかったのであります。
(ロ) 禅
禅においては 20 才のころ,芝村長徳寺の願翁和尚に参じ,
「本来
無一物」の五字を授かり,苦修 10 年,迷いの境涯から抜けきらず,
更に江戸より 30 里ある三島竜沢寺の星定和尚に参じたが,
【我が誠
の足らざるが為に猶ほ未だ豁然たらず】と手記されております。
最後に滴水和尚に参じた。滴水曰く“要は唯,無!!の一字のみ”
と。先生はこの公案を受けて日夜精考すること約 10 年に近かった
が,なお釈然たらざるものがあり,二度 滴水に参じて所存を述べ
た。滴水 又更に公案を挙げて曰く「両刃鋒を交えて避くることを
須ひず,好手却って火裡の蓮に同じ。宛然自ら冲天の気あり」
。先
140
おび
生はこの句のすこぶる興味あるを感じ,紳に私書してもって考察,
つぶさに至ること約 3 年の久しきにわたる。
たまたま豪商某が来て,自分の経歴を語ったが,談中すこぶる神
妙の言があった。それは“青年のころ,四,五百円ばかり金が出来
た時,商品を仕入れたが,相場が下がり気味だとの世評故,早く売
りたいと思うと,同僚が弱みに付け込んで安値に落そうとするので,
自分の心はドキドキ胸騒ぎがし,世間の相場がわからなくなって困
った。そこで自分は断念してほうっておいたら,また商人が来て原
価の一割高なら買うと言う。今度は強気になって一割の利では売ら
ないと答えると,さらに五分高く買うと言う。そこで売ればよかっ
たのを,自分が欲に目がくらんで,高く売ろう高く売ろうと思うう
ちに,結局二割以上も損をして売った。この時,初めて商売の気合
いを悟った。もし踏み込んで大商いをしようと思えば,勝敗や損得
にビクビクしては駄目だということです。勝利を得んと思えば胸が
ドキドキするし,損をすると思えば身が縮まる。そんなことを心配
しておってはとても大事業は出来ない。それからはまず我が心の明
き
らかな時にしっかりと思いを極め,仕事に着手したら,決して是非
や
に執着せず,ずんずん遣ることにした。その後は損得にかかわらず,
本当の商人になったのである。
”と。
この談話は,前の滴水の「両刃交鋒不須避云々」の語句と相対照
141
し,
【余の剣道と交へ考ふる時は,其の妙味言ふべからざるものあ
り】時に明治 13 年 3 月 25 日であります。
剣においては文久 3 年より明治 13 年まで,浅利に師事すること
17 年間,禅においては,20 才にして願翁に参禅して 45 才に至る
25 年間,不惜身命の修行により,ようやく機縁が熟したと申すべ
きか。
その翌日は昼よりこれを剣法に試み,夜は坐禅で沈思精考するこ
と約五日,同月 29 日の夜,従前の如く専念呼吸を凝らし,寂然と
して天地物無き心境に入っていた。時既に夜を徹し,30 日の払暁
になっていた。此時,鉄舟は坐ったまま浅利に対し剣を振りて試合
をなす形をしていた。しかるに従前と異なり,剣前更に浅利の幻身
が現れない。喜びが湧き上がり,
【我れ,無敵の極処を得たり】と。
こ
て
だ や すさだ
門人籠手田安定を招き試合すると,安定は鉄舟が木剣を構えてい
る前に立っただけで,
“先生許して下さい”と叫んだ。鉄舟はその
由を問う。“私は先生に多年ついてきましたが,今日のような刀勢
の恐ろしいことはありません。到底先生の身前に立つことはできま
せん。”
剣師浅利義昭を招いて試合を請う。浅利は喜んで承諾して,木刀
を持って互いに対す。鉄舟の電光石火の勢いに,浅利刀を捨てて容
142
を正して曰く“子既に達せり矣。到底前日の比にあらず余亦及ぶ所
にあらず”と,一刀斎がいわゆる夢想剣の極致を伝えられた。明治
13 年 3 月 30 日のことであります。
滴水に参禅すると,室に入っただけで許されたとある。ほんとう
の兼中至が我がものとなったのです。
【然れども余猶ほ安ずる所能はず,愈々拡充精究して,聊か感ず
る所あれば未熟を顧みず今玆に無刀流の一派を開きて以て有志に
授く】と記し最後に,
【以上記するが如く,余の剣法や只管其技を重んずるにあらざる
なり。其心理の極地に悟入せんことを欲するにあるのみ。換言すれ
ば,天道の発源を極め,併せて其用法を弁ぜんことを願ふにあり,
猶ほ切言すれば,見性悟道なるのみ。以下不可言。】
・
・
・
山岡先生は,兼中至をわがものにした上で,
「剣法と禅理の関係
・
・
・
・
は,表われた形は違うが本体において剣禅一如である」と説いてい
るのであります。
金翅鳥王剣の形
・
無刀流金翅鳥王剣の形は,打太刀正眼,仕太刀右上段,打は正眼
・
にて進み出る,仕は天地を覆う気魄の大上段のまま打に殺到し,上
より下まで真二つに切り落とす。打は上段となる,仕は打のあげ小
手を打ち,すーっと引いて元に帰り上段に納まる。
143
・
金翅鳥王剣は,機を見て進み,機を見て引く,どっちが主でどっ
・
・
・
・
ちが客とも言えない。自由自在の乱れであり,変であります。向上
向下相兼ねたる大菩薩の道であります。
因に大東亜戦争の時,真珠湾攻撃の参謀長草鹿竜之介海軍中将は,
禅を修行し、剣は無刀流の香川善治郎に学び,その法を嗣いでいる
のですが,真珠湾攻撃の戦法は「一刀正伝無刀流」の金翅鳥王剣で
行ったと申されております。すなわち天地を覆う気魄をもって真珠
湾に殺到して,これを全滅し,その場にとどまらず,機を見てさー
っと引きあげたのであると。
その時の体験談を私は剣友たちと聞いたのですが,
“大海戦とな
ると始まる前に震えてくる。昔の日本の武将(武将とは川中島で有
名な謙信,信玄等を指すと思う。両将共,禅を深く修めている)は
偉い。しかし私は震えが止まらない。そこで坐禅を組む,それで定
まる。軍人だから自分の命は国に捧げておるのだが,煩悩が承知し
ない。それで震える。坐禅で心を坐らせ総指揮をとった”と。
“私
の体験からして,剣道修行者は若い時から坐禅の修行をするよう勧
める”と話された。
『剣法邪正弁』
山岡先生は明治 13 年 3 月,兼中至の境涯に体達し,明治 15 年 1
月,兼中至を根幹として後進のために『剣法邪正弁』を表しており
144
ますから,それについて話を進めます。
【夫れ剣法正伝真の極意は別に法なし。敵の好む処に随ひて勝を
得るにあり。敵の好む処とは何ぞや。両刃相対すれば必ず敵を打た
んと思ふ念あらざるはなし。故に我体を敵に任せ,敵の好む処に来
はこ
るに随い勝つを真正の勝と云う。譬へば筐の中にある品を出すに,
先づ其蓋を去り,細に其中を見て品を知るが如し,是則ち自然の勝
にして別に法なき所似なり。】
「夫れ剣法正伝真の極意は別に法なし」これで尽きている。無刀
流剣法極意は,自然の勝にして別に法もなく別に工夫もない。
「敵の好む処に随ひて勝を得るにあり。敵の好む処とは何ぞや。
両刃相対すれば必ず敵を打たんと思ふ念あらざるはなし。
」両刃相
対し敵を打たんと思ふ念のあるのはよい。勝負だから勝つという念
があることはよい。これは初一念であります。但し勝敗に対して余
計なものが付くことはいけない。打たれずに打とうとしたり,大勢
が見ているからと周囲を気にしたり,二念三念と継ぐことはいけな
い。これ等は雑念であり,妄念である。初一念だけでゆき,二念以
・
・
下をぶち切ってしまう。これがなかなかできないのです。この一念
・
・
・
・
・
・
不生に体達すればここは悟りであります。但し悟りにはピンから
キリまである。
五点の第一番目,妙剣の空,一念不生はピンであり,
一隻眼であります。
145
「故に我体を敵に任せ,敵の好む処に来るに随い勝つを真正の勝
はこ
と云う。譬へば筐の中にある品を出すに,先ず其蓋を去り,細に其
中を見て品を知るが如し,是則ち自然の勝にして別に法なき所似な
り。
」
「我体を敵に任せ」とは,無敵の極処〝自己なければ敵なし〟の
ところであります。両刃鋒を交えたまま,我もなく敵もない自他不
・
・
・
・
・
二の境涯,兼中至の位であり,この悟りは キリ であり慈眼であ
ります。
剣の名人と名人同士が,真剣の切先と切先とが触れているどころ
か,更に一寸入って交わっているところ〝一足一刀生死の間ギリギ
リの間〟で,出るも引くも出来ない。ここで意をはたらかせない。
ここは自発的でなく,無作の作,無功用,労して功無きゾッとする
りゅうぢょ
きょう
境涯であります。
【風柳 絮を吹けば毛毬走り,雨梨花を打てば蛺
ちょう
蝶 飛ぶ】というところ,自然の妙用であります。ここまで鍛え上
げればどんな難敵,難関に対しても遊戯三昧で自由に勝つことが出
来る。観音の三十三応身,これを「敵の好む処に来るに随ひ勝つを
真正の勝」と言っているのであります。
はこ
「譬へば筐の中にある品を出すに,先ず其蓋を去り。
」蓋とは自
あぜ
他を対立させる畦である。自他の畦が切れれば相手は自然に写る。
相手が写れば,敵の好む処に随って自由に勝つことが出来る。これ
146
を「自然の勝」と山岡先生は言われるが,その通りであります。
【然りと雖も此術や易きことは甚だ易し,難きことは甚だ難し,
学者容易のことに観ること勿れ】
別に法無き自然の勝は「易きことは甚だ易し」とは【衆生本来仏
なり】で,誰でもが生まれながらに持っているのであるから易しい
のであります。志を立て正脈の師につき努力さえすれば,誰でも得
られるのであります。
「難きことは甚だ難し」
とは,
これを哲学的に相対的に求めても,
あるいは当てるを以て足れりとする勝負を争う剣道,又は難行苦行
の荒行でも絶対に得られない。だから難きことは甚だ難しでありま
おし
す。
「学者容易のことを観ること勿れ」とは,山岡先生の心からの訓
えであります。
以上は正法の弁,以下は邪法の弁であります。
【即今諸流の剣法を学ぶ者を見るに是に異なり,敵に対するや直
に勝気を先んじ,妄りに血気の力を以て進み勝たんと欲するが如し。
之を邪法といふ。如上の修行は,一旦血気盛なる時は少しく力を得
たりと思へども,中年過ぎ或は病に罹りし時は,身体自由ならず,
力衰え技にぶれて,剣法を学ばざる者にも及ばず,無益の力を尽く
せしものとなる。是れ邪法を不省所以と云ふべし。学者深く此理を
覚り,修行鍛錬あるべし。
】
147
勝気と血気で末の身法と刀法だけに頼り,根本の心法の修錬を怠
った者は,中年を過ぎると衰える。結局無駄な力を労したことにな
・
・
・
・
り,一生を棒に振ることになる。剣を学ぶ者はまず正脈の師につい
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
て剣禅一如の正法を学び,まず正しく楽しい人間個人の形成,更に
・
仲良き人間社会の形成を目的として修行鍛錬あるべしと,山岡先生
の老婆心であります。
【附して言ふ,此法は単に剣法の極意のみならず,人間処世の万
事一つも此規定を失すべからず。此呼吸を得て以て軍陣に臨み,之
を得て以て大政に参与し,之を得て以て教育宗教に施し,之を得て
以て商工農作に従事せば,往くとして善ならざるはなし。是れ余が
所謂,剣法の秘は,万物太極の理を究むると云う所以なり。
明治 15 年 1 月 山岡鉄太郎誌】
・
・
・
・
兼中至の関門は,正念相続によくよく骨を折る一方,活社会で実
わざ
際の事を身につけ,その上利他の必要な資格をつけてゆく段階であ
・
・
ります。この段階で多年磨きに磨き抜き,アク抜きが出来て,悟了
・
・
・
・
・
・
同未悟の凡夫にまで人間形成された山岡先生にして始めて「此法は
単に剣法の極意のみならず,人間処世の万事一つも此規定を失すべ
からず。此呼吸を得て以て云々」と言い得るのであり,又遊戯して
いるうちに自然に人を化するのであります。
因に山岡先生の『剣法邪正弁』は,全日本剣道連盟において昭和
148
50 年 3 月 20 日に制定された「剣道理念」即ち【剣道は剣の理法の
修錬による人間形成の道である】と内容は同じであります。道は古
今東西一貫底であります。
五位兼中至は,法理を知っただけ,即ち公案学なぞでは役に立た
・
・
・
・
ない。願わくば鉄舟のようにわがものにしたいものであります。わ
し ゃ り
がものにしても更に上がある。白隠の五位の頌に【這裡猶ほ之を穏
坐地と為すことを許さず・・・・・須く知るべし更に兼中到の一位
あることを】と。
第五
独
妙
剣
独妙剣とは,前の四位を兼ね,更に穏坐地に到ったところ,
「悟
・
・
・
了同未悟」の境涯であり,五位なら兼中到であります。
五点は二つあります。一は洞山五位から出ている「一刀正伝無刀
流五点」であり,一は鐘捲自斎が伊藤一刀斎に伝え,一刀斎はこれ
を一刀流の最高位に置いた『一刀流高上極意五点』であります。
この二つの五点の独妙剣は,同じ悟了同未悟の境涯であるが,強
・
・
いて分ければ,「無刀流独妙剣」は自利ということに重きを置き,
・
・
「一刀流独妙剣」は利他ということに重きを置いています。
・
・
・
・
しかし自他不二であって実際には分けられません。利他といって
149
も利他の念なぞが有るうちは,ほんとうの利他のはたらきはできま
せん。自利の修行をやり抜いてゆくと,そのカオリが自然に利他と
なるのであります。自分からチョコチョコと出るのではなく、自然
にカオリが出て,人から引っ張り出されるのであります。
一刀正伝無刀流独妙剣の形
「一刀正伝無刀流独妙剣」を形によって法理でお話し致します。
いん とう
打太刀陰刀,仕太刀正眼,互いに一足一刀の間に進み,打は陰刀
・
より仕の正面を乾坤一擲と打ち下ろしてくる。それに対し仕は正眼
に構えたまま不動,打たせっ放し。打は引いて正眼にとなり終わる。
打太刀・仕太刀とあるが,独妙剣の位では,打太刀とか仕太刀と
・
・
・
・
・
かいうことは念頭に無い。
独妙剣は,打が陰刀から仕の正面を乾坤一擲と打ち下ろしてくる
のに対し,仕は正眼に構えたまま不動,打たせっ放し,形の上から
見ると,これでは仕はでぐの坊に見えます。第三真剣,第四金翅鳥
王剣と多年聖胎長養の結果,アク抜きができ,悟り了って,実社会
に現われた姿は,なんと未だ悟らざる者と同じ,平々凡々,元の木
阿弥,これでは労して功無しであります。
持田盛二剣道十段が円熟した 75 才のころ,妙義道場の朝稽古後,
・
・
ニコニコしながら独り言を言った。
“剣道はまず技に習熟し,次に気
・
・
・
・
・
を練り上げ,更に間合が明るくなり,最後は案山子の様に只独り立
150
っているだけでよいのだが,このただ独り立っているだけの所まで
ゆく修行は容易なものではない”と。
この案山子の様にただ独り立っている境涯が,独妙剣の形で,打
たせっ放しの仕の位,悟了同未悟の境涯であります。但し初めから
・
・
・
・
修行もしないで案山子の様に立っているのと,技・気・間合を修錬
・
・
・
し究め尽し,最後は初心者の田地に帰り来って案山子の様に立って
いるのとでは,同じく,案山子でも雲泥の差があります。
『証道歌』にも【絶学無為の閑道人】というのがあります。「絶
学」とは,学ぶべきものは学び尽して更に今は学ぶべきものもない,
なすべき事はなし果てて今更なすべき事もない「悟了同未悟」の境
涯を「閑道人」と申すのであり,初めから何もしないでうすぼんや
りしているのが閑道人ではありません。
まと
「一刀正伝無刀流独妙剣」の要点は,ただ独りボロを纏って秋風
に立っている案山子であり,ここを強いて分ければ,自利に重きを
置いております。
一刀流高上極意独妙剣の形
打方は正眼にて間合に入ると,仕方は穏剣にて間合に入り,左肩
打てと与えると,打方が仕方の肩越に面を打ちにくるから,仕方は
少しも引かずその場にて右足を踏み出し,右膝を立てて折り敷きな
しのぎ
もっ
がら仕太刀の左鎬 を以て打太刀を右から左に張り破る。仕方が立
151
ち上がり,打方の咽喉を仕太刀で突き攻めると,打方は二歩去るの
で,仕方は本覚にとると打方から進んで切先を合わせ,機をはかっ
て仕方の右小手を打ちにゆくと,仕方は仕太刀を以て打太刀を右に
鎬ぎ摺り上げはずす。続いて左膝をつき右膝を立て折り敷きつつ,
刃を返して直ちに打方の右小手を低く打ち抑えて勝つ。立ち上がっ
て打方の咽喉に突きつけてくるから打方は引去る。
かたど
一刀流高上極意独妙剣は水に象 る。打方・仕方間合に入るとは
「水高源より出ず」
,水は自然に高きより低きに流れる。即ち自利
より利他に打って出たのであります。
おん
仕方は穏剣で左肩打てと与える。ここは「どこからでも見よ」と
いう金翅鳥王剣の位であります。打方が面に来たから左に張り破り,
立ち上がり突きに攻めると打方は二歩去る。仕方はそれに付け入ら
ずに,
引身の本覚に構える。この引身本覚が独妙剣,兼中到の位で,
見性了々底,悟了同未悟の境涯であります。
仕方が本覚にとると打方から進んで切先を合わせてくる。仕方は
何でも知っていて知らん顔をして本覚の構えに居る。これが容易に
出来ないのであるが,この大力量がなければ利他は出来ないのであ
ります。
打方が機をはかって仕方の右小手を打ちにゆくと,仕方はこれに
応じ打方の右小手を折り敷いて打ち立ち上がる。打方は引き去り終
152
わざ
る。この仕方の応じ小手が独妙剣の事,自然の妙用であり,ここが
形の上では「一刀正伝無刀流独妙剣」と違うところです。
これを無作の作,無功用とも言い,労して功無きゾッとする境涯
のぞ
であります。ここは他からは覗き見ることは出来ない。ここを一刀
流独妙剣の書き入れには【我の霊妙我れ独り知るのみ,敵逐に能く
察知すること莫し】とあります。ここは正念相続のところで,その
上から働き出すから自然の妙用となるのです。
剣道ではこれを応じ技と言い,仏教では三身仏,即ち法身・報身・
応身の応身仏であり,利他のはたらきであります。
「一刀流高上極意独妙剣」の要点は,引身本覚の構えから自然に
働き出す,労して功無き応じ技であり,強いて分ければ利他に重点
を置いております。労して功無しとは「衆生本来仏なり」で,この
立場から見れば衆生済度と言ってはみても,度すべき衆生は一人も
うず
ないのであります。それはあたかも雪を担うて井戸を塡めるような
無駄骨折りであり,お恥ずかしい次第であります。
しかし,こういう真人によってこそ,ほんとうの道は伝わるので
あります。
「一刀正伝無刀流独妙剣」の大道の本源に徹せんとせば,
まず「一
わざ
刀流高上極意五点独妙剣」無功用の利他の事を参得すべきでありま
す。五位兼中到は,洞山の頌と白隠の著語だけにとどめておきます。
153
有無に落ちず誰か敢て和せん
人々尽く常流を出でんと欲す
折合還って炭裡に帰して坐す
〔師著語して曰く〕
徳雲の閑古錐,幾たびか妙峯頂を下る
他の痴聖人を傭ふて雪を担ふて共に井を塡む
道流!! 若し洞山兼中到の一位を透得せんと欲せば
先ず須くこの頌に参ずべし
最後に一言付け加えたいのは,
「釈迦弥陀も今に修行最中」
・
「日々
新」ということです。これは修行事はどこまで行っても終りはない
ということであります。
以上,余計なことを申し上げてお恥ずかしい次第でありますが,
つたな
これをもちまして,私の「剣と禅」と題した拙 い講演を終らせて
頂きます。
どうもご静聴ありがとうございました。
合掌
(昭和 58 年 10 月
154
人間禅教団講演会)
人間禅叢書第 8 編
『剣
禅』
昭和 60 年 8 月 15 日
初
昭和 61 年 8 月 1 日
第 三 版 発 行
平成 20 年 11 月 1 日
頒価
著
と
発
行
改訂第一版発行
2,000 円
者
発行所
版
小
宗教法人
川
忠
太
郎
人間禅出版部
〒272-0827 千葉県市川市国府台 6- 1-16
郵便振替
印刷所
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