種 参 ¥ 日川 一 A門 A門 REGIONECAMPANIA 図 M川 RU Z﹄ G園 、川パ︼ E ︿一 ON 出 町 TO Rm vr lhnk G E R mFEVErtAT c I l l 1 l ﹄到 場 町 AS Yo 削可/ REGIONELAZIO REGrONEVENETO 円EGIONES r C IL lA 一 ・ ・ , 一 一 一 一 一 ー ・・ 一 一 一 一 ー E 偉大なる 芸術都市 旅のガイド 偉大な芸術都市の 史跡を巡る おすすめ観光コース │ 必│ 監修発行: ENIT (EnteN a z i o n a l eI t a l i a n o perl iTurismo 、 イタリア政府観光局) Vi a Marghera,2 ・ 00185Roma および ヴヱネ卜州、トスカーナ州、ラ ツィオ州、カンパーニア州、シ チリア州 著作権所有 校正: 目次 イタリア政府観光局 情報、出版、視聴覚システム部 の 都 ち た 家宝 術の 芸川 1 ..ノー エル 、ノ ツア イ 印刷: G r a f i c h eFoverS r l F o l i g n o ( P G ) GraficheMazzuccnelliS. p . A . $ e r i a t e レ 写真平版; S c r o iS o c .Cop.ar . 1 . ローマ:芸術の都 歴史の息づく街 4 フ 編集長: OsvaldoB e v i l a c q u a 編集 A n t i g o n e M u l t i m e d i a S r l -Roma 著者: P i e r G i o r gi o M o n t i 図版企画及び劃り付け; Umbert d: appadocia C r i s t i n aF a n t i n i 写真 ; F a b r i z io P e r i l l i ヴェネツィア:水土に建つ奇跡の町 水面に映える輝き 17 ナポリ:地中海の母 ナポり湾の魅力 23 バレルモ:魔法の地 オリエントの香り 29 ~ ローマ:芸術の都 歴史の息づく街 一 世 「f- 7 引帽 E二 1 1 : ' : i, ;1. _ ~ ¥ i' ... l = . , ; , ' . ,~ 主←一一ニ""""""'哩[..~ ・ 1 1 •••••••••••••••••••••••• •••••••••••••••• • 41 J ・ンオ ンナア ・ク 'A ロ ンサが a--a ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ -f サ k. 会場ス段丘・会口会.会.会殿の場 り岨吻 料ト措休明刈刈岬時間。ゅ恥矧寸却の明暗浦市浴 リィ-可、,ヴイ・トコ.ヱ真--方一.コ一ヌ 一フオの.ルペラエニァヴピフ ヴつァネスアピヤリテサ リミ・ジチス・ロレェヴイ ピイナ 4 ンデマ〆ェラタ切ピクレ ヵド.ザチトン ボタ 抗ンタ カサンサデ ンンヨ イ・・イジ ンン・ツ ゼイイニマ 殿湯一滅・・会ン盆・氷 室広エロレロ 富島ア教ア盤ア娩 A アゼニ泉ヱエト教ナリン場ヴ大リの イ一ア会ンの場ジヴヱオ一マイ浴ヨノマ盆ネ ツネ・教オイ広ンテピリリ・デラジ一・塗一 リネルタネテヴロタス・トベタメカ・ラタ大ト 才ヱアンゴンレポンランンインスランテンレリ フヴフサアパトボサトサモテサコカサラサ一ト . .・パラティーノの丘 チルコ・マッシモ・ ' 巡る観光コースは、 “永遣の 都'のそれぞれの時代に人々 か株わった芸術的雰囲気をわ れわれにも感じさせる。 歴史の中心となるパラ ティーノの丘 (C o l l e P a l a t i n o ) から散策を始める ことにしよう。ここは鉄器時 代の小屋の遺跡で織成された 掛刀の人類の居住地の跡であ る 。 伝説によると、ロムルス ¢療がここにあり、アウグス トゥス帝がローマの創始者と フォロ・ロマーノの入り口 右手には、エミリアのパシリ カの遺跡がある。紀元前 17 9年に建設され、色大理石の 床と柱の基礎が残っている。 ここは裁判所や会合の嶋所と して利用された。その先に 1 本クーリア ( Curi a ) とよ I 諒1る元老院の跡が見える。 正面にはラピス・ニジエール ( L ap i s Niger) とよばれる 黒大理石の緩があり、伝説上 ローマを建国したとして崇拝 上;フォ白地区から見たコ ローマは壮大で見事な芸術 ロッセオ の中心であり、美術館がある だけではなく街全体が芸術創 魯η地である.ここは世界中 下;フ::tロ・ロマーノのパ i ノラマ から集まった芸術のすべての 漏問消化し扱収してきた。 この街の歴史はギリシ 7 ・ ローマの美術史とさらに現代 苗竿文化の美術史と共に歩ん できた。ウルベ(ローマ)を 上:シーザーのフ::t口、 ヴィーナスの縛民主 ::tr::マクセンティヌスのパ シリカ 下:トライアヌス事のフ::t ロ.ウルビアのパシリカ して、自身もこ ζ に住居を建されるロムルスの墓を覆って てた。その他の皇帝もそれにいる。 ならったため、 “パラッ その織は 203年に建てら ツォ.. (“パラティーノ"かれえセッティモ・セヴェルス ら派生)は皇帝の邸宅と同義務の凱旋門 (Arcod iS e t t i m o になった。 Severo)である。その左手は この丘からは、 2額立てやロストリ C R o s t r i ) とよばれ 4頭立ての馬車鍛授が行われる演壇で、アンツィオの戦い たチルコ・マッシモ ( C i rcoで奪取した船首(ロストリ) Massimo) を見下るす穆がでで飾られた ζ とからこの名が きる。丘のもう一方の斜面についた。後方は、国康保管所 {志、フォリ・インペリアーりでも.t>ったサトゥルノの神殿 〈 向r i I m p e r i a l i ) と共に (Tempiod iSaturno) の基 フォロ・ロマーノ ( Foro壇である。 Romano)が広がる。市内の 広場の東側には、ジュリア 大半の古代遺跡がこの地識にス・シーザーによって建てら 集中しており、まさにここでれたユリウスのパシリカ 務時生活が行われていたこと ( B a s i l i c a I u l i a )の遺跡が がわかる。 ある。 4 5 その向こうには、ディオス クリの神殿( Tempio d e i D i o s c u r i ) の、残存する 3本 の柱が自宅を引く。その織には 墨女たちが絶え間なく燃やし 続けた聖火を守るヴヱスタの 神殿 (Tempiod iVesta) が ある。 正面はアントニウス・ピウ ス帯と妻ファウスティーナの 神殿 ( Te m p i od e l l' 1 m問 ra t c re A n t o n i n oP i oed i s u am o g l i e F a u s t i n a ) で、のちにバロッ ク様式のサン・ロレンツォ・ イン・ミランダ教会 ( C h i e s a b a r∞c ad iS,LorenzoinMir a n d a ) の一部になった。 ヨ Eなる道(Via Sa c r a )を 行くと、巨大なマクセンティ ウス帝のパシリカ ( B a s i l i c a d i Ma s s e n z i o ) に着くが、 残念ながら現在は側廊の一部 しか残っていない。 サンタ・フランチェスカ・ ロマーナ教会( Chiesa d i SantaFrancescaRomana) の前を過ぎると、ユダヤ人と の戦いでの勝利を記念して 8 1年に建てられた優雅なティ トゥス宇野の凱旋門 (Arco d i T i t o ) に着く。 少し灘れたところに、トライ アヌス宇野のフォロ (Foro d i さて 、ナヴォ ーナ広場 ( 円 az zadiSpagn a ) の方向 (Piazza Navona) へ向かへさらに進み、フ ェッ りーニ おう。こ こは ドミツイアーノ 監督の映画 f甘い生活 J に 帯の競技場の跡であ る.ここ よっても紹介されたトレヴィ には 3つの有名な噴水があ の 泉 ( 向ntanad iTr e v i ) る。北側には 19 1 世紀のネに立ち寄るう。このすばらし プチューンの噴水 いバ ロ ック様式 の「水の劇 ( F∞t a n a da Nett u n o )、 場j では、二頭立ての馬車に 南にはベルニ一二の設計によ引かれる海神が華麗な海の神 るムーア人の噴水 (Fontana 話を語っ ている。伝説による d e l Mo r o ) 、中心には 4っ と、この泉にコイ ンを投げ入 の河の噴水( Fontanad e i れれば、 ローマ に戻って来 ら Fiumi) で、これもペルニーれると言われている. ニによるものである ( 1. 65 スペイン広爆は、映画 1年). r ローマの休日」で有名に 正面はサンタ・アニェーなった ところである.こ の付 ゼ ・ イ ン ・ ア ゴ ネ 教 会 近ではショッピングに丸ー日 ( C h i e s ad iS .Agnese i n 費やすであろう .広場の中心 Agone) で 、 16 57年にには美しい舟の噴水 ( F o n t a阻 ポッロミーニが完成した. d e l l a B ar c a c c i a ) がある. この近 くの ロトンダ広場 絵のように美しい階段の上 ( P iazzadel l aRotonda) にには、 1502年にフランス !本古代ロ ーマ の保存状態の国王ルイ 12世によ って造 ら よ い 神 殿、 パ ンテオン れたトリニタ・デイ・モン f lantheon) がある.紀元前ティ教会 (Cn e s ad e l laTr i n it き 27年にマルコ・ヴィプサニ d e i MCl1t i ) がそびえ立ってい オ・アグリッパにより 建築さ る. 才、ハドリ ニアヌス帝によっ パプイ ーノ通り を行くと、 て現在の盗 にな り、“すべて広々としたポポロ広場に出 こ様げられた。内部る.中心にはエジプト のオベ ¢綿々.. I !こは数人のイタリア王と画家リスクがそびえ、両脇には双 ラッファエッロの墓がある. 子の教会J サンタ ・マリア ・ 近くにあるミネルヴァ広場ディ・モンテサント (Santa ( Pi a z z ad e l laMinerva) 1 こ Mari adiMontesanto) とサ f ;t,ゴシ ック 機式の同名の教 ンタ・ マりア・デイ・ ミラ コ 会がある。内部の、ミケランリ . ( S antaMariadeiMir-a ジェ口によ る「十字架を持つ co l i ) がある.広場の反対側 キりスト J (1521年)が には、 ルネサンス微式の教会 有名 である.教会の前には、 サンタ・マリア・デル・ポポ ベルニーヱの設計による、愛口 (SMa巾 delPopolo) が らしい小象に支えられたオペある.内部には、カラヴアツ リスクがある 。スペイン広得 ジョの 「聖パオ口 の改宗 (Co nversione d i San pao l 0 ) J と「逆さはりつけ 前頁よ :カンピドー リオの の聖ピヱトロ ( C r o c i f i s s i o n e 階段 d i $anP i e t r o )J. f . )fcl>る.注 目すべきなのはラッファ工ツ 前頁下:力ンピドーリオ広 場 口のキジ家礼拝堂 (Cappella Ch i g i ) である。 上;パンテオ ン 、 すべての ルンゴテヴヱレ・イン・ア 神々 に縛げた 神殿 ウグスタ通りでは 、まさに ローマ彫刻の代表作品であ る、紀元 9年にアウグストゥ 下;ナヴォーナ. 広場、 4つ の河の噴水 ス帝が造ったアラ・パチス (AraPacis). r 平和の祭 壇J を見ることができる。 Traiano) がある.巨大な ヴォ宮 (PalazzoNuovo) と ローマ都市建築の最もよい例 右手のコンセルパトーリ宮 P a la z z od e iC∞s e r v at o r i ) である.もともとこの場所 ( があり、カピトりーノ美術館 は、トライアヌス帝の市場 a p i t o l i n i ) になっ (Me rc a t i Tra ia n e i ) と呼 (Musei C ている.ふたつの宮殿のあい ばれた大きな広場であった が、現在では中世にその上に だには‘古代 ローマの国立文 建てられたミリツィエの塔 書館 (タブラリウム Tabularium) のょに建造され (T o r r e d e l l e M i l izi e ) が自 た、セナトリオ宮 (Palazzo を引いている . S e n a t o r ; 0 ) がある .丘のも そのほかの この地区で貴重 うひとつの頂には、サンタ・ 3 日 l の柱のあるウ な遺跡は、 4 ルピアのバシリカ (Basilica マリア・イン・ アラコエ リ教 ( C h i e s adi S .Ma r i ai n U l p i a ) と、戦いの1 易面 t J f 彫 会 c o e lりがある。, 3世紀 刻されているトライアヌス帝 Ara の記念往 ( CoICl1n aT r a i a n a ) の建築で、ひとびとの言い伝 えによると、この場所でアウ である。 フォリ・イ ンペリアリ 通り グストゥス帝の前に聖母子が の 先 に は 、 コ ロッ セ オ 現われたとされている。 ヴェネツィア広場にむかつ (Colos5eo)の雄大な姿が 浮き上がる.古代ローマの娯 て広い階段を降りると、ヴヱ 楽のうちもっと も人気のあっ ネツィア宮殿が見える。 14 た剣闘士同士の戦い、貧J I 闘士 51年にのちの法皇パオロ 2 と猛獣の戦いなどが繰り広 1 1 世によって建てられた中世の れらた場所である。コロッセ 要塞建築で、その後数世紀 に オの隣には、ミルヴィオ橋で わたってヴヱネツィア共和国 コンスタ ンティヌ ス帝がマク の大使邸となった。 この宮殿の裏手を進むと古 センティヌス帝に勝利したの を祝って 315年に建てられ 代神殿の遺跡が見えるアル た、魅惑的なコ ンスタンティ ジェンティーナ広場 (L ヌスの凱旋門( Arco d i argo Argentina) を通り過 C o s t a n t i n o )がある. ぎ、さらに行くと庶民的な建 サン・クレメンテ大聖堂 物の多いカンポ・デイ・フィ ( B a s i l i c adiS.Clemente) オーり広場 ( P i a z z a Cam問 d e i F i o r i ) に着く。現在 の方ヘ行ってみよう.遺跡の 上に遺跡が積み重なってい では、絵になりそうな個性的 る、感嘆すべき代表的な建築 な市i 暑があるが、中世には 数々の催しが行われたところ 物のひとつである。バロッタ 様式の外観をもっ 12世紀の である. 教会が、初期キりスト教の大 ここに隣接するファ ルネー 聖堂の上に建っている。地下 ゼ広場 (Piazza Farnese) 層には聖チ リッ ロの墓があ は、厩厳に満ちたファルネー P a l a z z oFa r n e s e ) が る。彼はサロニ ッコ、 旧テツ ゼ宮殿 ( サリア出身で、 9世紀にスラ 建つ。この宮殿!ま、ロー マに ブ人にアルファペットをもた おける最後の大きなルネサン らし、 聖書を彼 らの言葉に翻 ス建築であり、現在はフラン ス大使館になっている . 15 訳した人物である. 14年にアントニオ・ダ・サ フォ口地区からの帰りは、 ミケランジェロが設計した坂 ンガッロ・イル・ジョヴァネ をのぼり、古代ロ ーマの宗教 が若手し、ミケランジ エロに と政治の中心であ り、現在も 引き継がれ、デッラ・ ボルタ 市庁舎があるカンピドーリオ が完成した。広場の花こう岩 o ) ヘ出 でできたふたつの壮大な噴水 の丘 (Campidogli I~. カラカラ浴場(T erme る。 d a c a l l a ) から持って 広場の両側には、同じよう i Car な外観をもっ左手のヌオー 来られたものである. 6 7 教会 ( C h i e s a d iS.Mariain Trastevere ) は、法皇イノ ケンティウス 2世によって現 在の姿に再築された。モザイ クで装飾された美しい正面を もち、織にはロマネスク織式 の鐘楼がある.内部にある聖 母マリアの生涯を描いたモザ イクはすばらしく、ピザンチ ンの影響を受けている. トラステヴェレを見下ろす . のジャ二コロの丘はロマン テックな散策にふさわしい 所。こから望む衡のパノラマ はすばらしい。ルネサンス様 式のサン・ピエトロ・イン・ モントリオ教会 ( C h i e s ad i SanPi e t r oi n Montorio) の右手にある中庭には、プラ マンテのテンピエット (Tempietto) (1 50 2 年)がある。使徒ピエトロが 十字架に鋳けられたとされる 場所に造られた。 古い街並みの小道を下る と、古代ローマの建造物の上 ハドりアヌス帝によって建 造され‘ 166 9年にペル ニーこが彫像を付け足して装 飾 し た サ ン タ ン ジェ ロ 橋 (Pon t e S a n t 'Ang e l o )を 遭ってテヴェレ ) 11 の対岸へ行 くと、サンタンジェロ織 ( C a s t e l Sa n t 'A n g e l0) I こ 着く.ハドリ アヌス帝とその 一族の霊廟だが、後にアウレ リアヌス帝 (2 7 1年)に よって要盆として改築され、 歴代の法皇も利用 した. そしていよいよ世界中のキ リスト教の総本山 、サン ・ピ ヱトロ寺院の建 つサン ・ピヱ トロ広場 (P i a z z a San Pietro )に到着する.聖ピ ヱトロが埋ま撃されたと伝えら れる場所に建てられたサ ン ・ ピエトロ寺院は、 1626年 にウルパノ 8世によって献堂 された.建設の監督には、ブ ラマンテや ミケ ランジエロを はじめ、数多くの建築家があ たった. 広場にある両手をひろげた 格好の堂々たる柱廊は、ベル ヱー=の作であ る.大聖堂の 内部には多くの芸術作品があ り‘ペル二一二の天蓋、ミケ ランジエロのピヱタ等が有名 である。また高 さ 132メー トル、直径 42メー トルの巨 大な丸天井にも上が ってみた よ :春のト リニタ・デイ・ モンティ教会 下:トレヴィの泉 に 5世紀に建てられ、さらに 9世紀に改築されたサンタ・ チェテリア・イン・トラステ ヴェレ教会 ( C h i e s adSanta C e c i l i ai n Trastevere) に 着く.この近くには男性が出 入り禁制の女子修道院があ . カヴアツリー=作の り 、 P r f t 後の審判 (1 3世紀) J のフレスコ画がある。 ( 1 5 0 1 a ティベりーナ島 Ti b e r i n a ) には、 テヴェレ川 の左岸に旧市街でもっとも古 いファプリ ーチョ橋 ( Ponte Fabri c i o ) (紀元前 62 年) 、右岸にチェスティオ橋 ( Ponte Cestio ) ( 紀元前 46年)がかかり、この島に は古代には医学の神エスクラ ピウスの神殿があった. 真実の口広場 ( P i a z z ad e l l aBoccad e l l aV e r i t a )は 古代口{マにはフォロ・ポ アーりオ ( ForoB o a r i o )で (Mu s e i バチカン美術館 V a t i c a n i ) も必見で、ここの 見学には数日を要するだろ う。時聞が十分に取れない場 合 で も 、 す ば ら しいシス ティーナ礼拝堂 ( C a p p e l l a Si s t in a ) は見逃せない.内 部の壁画はミケランジエロの 傑作『儀後の審判Jをはじめ とする世界的価値のフレスコ 画で埋め尽くされている. トラステヴェレ(Tra s tevere)地区(テヴェレ川の 向こう岸の意)は、普のロー マの面影がそのままに残って いる.今日では観光と結び付 いて独特の下町情緒あふれる 地域として親しまれている . 4世紀にできたサンタ・マ りア・イン・ト ラステヴェ レ 8 Caraca"a) は 、 古代から多 くの人々に好まれており、 1 600人以上を収容すること ができた。ここは入浴施設で あるだけでなく社交場として も親しまれた所である o i 旦 . あり、サンタ・マリア・イ ン ・コスメディアン教会 ( C h i e s ad i S. Maria i n Cosmedin) に面している。 6世紀に、当骨すで にあった フラヴィウス附t の建物の土 に建設された。前廊、ロマネ スク様式の鍾織、内部の美し い床、ゴシック様式の天蓋な どは一見の価働fある.前廊 には、うそつきが口のなかに 手を入れると切られるという 有 名 な 伝 説 の “真 実 の 口 (Boccade l laVeri t a). . が ある.実際には、河神を形 どった帝政時代の 石板であ る 。 正面の広場には、共和政時 代にできたふたつの神殿が保 存状態よく残っている.円形 の神殿は勝利者ヘラクレス ( E r c o l eV i n c i t o r e ) に篠げ られた紀元前 2世紀のもの で、もうひとつは港の神ボル トゥヌス (Portunus) に捧 げられたものだと考えられて いる. 同じ地峨に、 7世紀に さか のぼる‘前廊とロマネスク棟 式の鐘棲 ( 12世紀)をもっ サン・ジョルジョ・アル・ ヴェラブロ教会 ( C h i e s ad i S .G i o r g i oalvelabro)が ある.その機は ジャ ーノ門 (Arco G i a n o ) とよばれ、 古代ローマのもっとも交通量 の多い交差点に建っていた。 閑静なアヴェンティーノの 丘 (Co l l e Aventino) で は、ローマの涼風を楽しむこ 水、冷水浴室、運動箱、マッ サージ室、図書室、庭園な ど リラ ックスするために必要な ものが設けられていた. 次に、オスティエンセ通り にあるサン・ パオロ・フオー とができる。サンタ・サピー C h i e s ad i Santa ナ教会 ( 、 5世紀のキ リ Sabina) は スト教会のよい例である.前 場面 室には新約、旧約聖書のt が彫刻された木製の扉が見ら れる。 紀元 216年にカラカラ帝 によって完成された雄大なカ ラカラ浴場 (Terme d i 左上 サン・ピヱトロ広崎 と寺院の外観 右上.サ ンタ ・マリア・ マッジョーレ大宮盆 下・サンタンジェ口減 1 ) .レ・ムーラ教会 ( C h i e s a u o r ;1 eMu ra ) dS. Pa o l0 f を訪ねること にしよう。この 教会は、使徒パオロが埋稼さ れ止とされる場所 に建てられ ている。 中心街にも どると、 “ロー マと世界の司教座大聖堂"と して知られるサン・ ジョヴァ ンニ・イン・ラテラーノ 大聖 堂 ( 匝s i l i cad iS .Giovann i i n La t e r a n o ) が見える.こ この土地はコンスタンテ ィヌ ス帝 がメルキアデ法皇に寄進 したもので、そこに建てられ た教会には、 1300年初め まで 法皇庁が置かれた。正面 にある巨大な 15の彫像は 1 8世紀のものである 。 内部は 17世紀に再築 され、ポロ ミ一二美術の 形跡が見ら れ る 。 14世紀の回廊っき中庭 はすばらしい。 9 一』可 1 i ::真実のロ 下:サン・パオロ大聖堂 ( P i a z z a B a r b e r i n i ) へ向か うことにしよう.広場の中心 には、法皇ウルパノ 8世のた めにベルニーニfJ f 造ったトリ トーネの頃氷 ( F o n t a n ad e l Tritone) がひときわ目を引 - ~一一一一一ーー ー一一一 ー ー 一 ー フ ィ レ ン ツ ェ :芸術家たちの都 く。そしてここからテルミニ 駅 ( S t a z i o n e Termin i)方 面へ向かうと、マッシミアー ノ帝の命令で造られた、 3千 人を収容できるディオクレ ツィアヌス帝の浴場 (Terme d iD i o c l e z i a n o ) がある. 1 アルノ川の宝 観光コース 566 年にミケランジェロ tJ~ 造ったサンタ・マリア・デ リ・アンジェリ教会 ( C h i e s a d iS.Mariad e g l iA n g e l i ) は、現在で 6浴場跡の一部を 占めている. - ・ドヮオーモ ジヨットの鎗機・ . . t tン・ジョヴァンニ洗礼. シニョーりア広渇・ ' ・ ・1 1 )1 -ジェッロ宮殿 品 オッピオの丘 (C l > l IeO このほかに勤ねてみたい所 p p i o ) のふもとにあるサン・のひとつに、もちろんクイリ ピエトロ・イン・ヴインコリナーレ ( T a l a z z o d e lQ u i r i 教会(Chi e s a di SanPi e t r on a l e ) 宮殿がある。ローマで i n V i n c o l i ) は、聖ピヱトロもっとも高い民の上に、夏を カ鴇獄 Z されたときに繋がれて過ごす宮臓として 15 74年 いた鱗を保管するために S世 I C 去皇グレゴリオ 8世が構想 紀に建てられた。内部には有して造らせた.広織の正面に 名なミケランジエロの傑作、 はアウグストゥス廟から持つ モーゼ像(9:. atua de l M慌 て き た 3ナベリスクがそびえ、 討がある. そ切両 のディオスクリの彫 回大聖堂のうちで、サン表1 J!:t..コンスタンティヌス帯 タ・マリア・マッジョーレ大¢治生事付近で発見されたもの 聖堂{志、唯一、初期キリストである。宮殿は、 1870年 教美術機遣を残している。 3 から 1946年のあいだはイ 56年 8月 5自の張、奇蹟がタリア王宮として利用され‘ 起って雪が降ったという伝鋭貌在では大統領官邸になって にもとづいてこの場所に建設いる。 された。 さて、パルペリーニ広場 サンタ・クローチ~級会・ . a ・ウフィッツィ美術館 ヴェッキオ栂・ ' ・ ・サン・トリニタ調書 ストロッツィ吉敏・ . . . . ・新市i 畿のロッジア サンタ・マリア・・ ' ノヴヱツラ教会 ・ ・サン・ロレンツョr 級会 メディチ・リッカルディ宮殿・ ・ m ラツィ*州の皇帝と法皇 息 宣 史1 ご.要な足跡唱を残したローマの賢人たちは、州会体にすぼ らしいモニュメントを媛した.そのいくつかの例を鯵げてみよ う. a ・鎗て子.官官除 雪ナンティッシマ・アヌンツィ・ ' アータ事長会 ・ ・t オン・マルコ美術館 ダヴァンツアーティ宮殿・ ・ a ・ォJ ! -' ! tンミケーレ ピッティ宮殿・ 干 ・ .ボ*リ庭@ ベJレヴ%デーレ婁 ・・ . ・ミケランジエロ広島傷 j,'.サン・ミミニア『ト・ア J モンテ教会 . .'!ナント・スピリト教会 , f' .. サンタ・マリア・デJ カルミネ教会 s アナー二:中世には、しばしば法皇の居住地となった.多くの 魅カ的なモニュメントや怠殿のなかでも、 3つの後陣、壮大な .績を~つカテドラ J!- , ( 1 ' "12世紀)r : t . J ! J I .tIでおる.内 o r ま 地下事L 斧2 訟がすばらしく、そのフレスコ函は.. 13世紀のシス ティーナ礼争奪盆"と呼ぶにふさわしい. ティヴォリ:ローマから東ヘティヴォリヘ向かう遜を行くと‘ 州のなかで令もっと、 Tぼらしいハドリアヌス宇野の別荘(Vi1 1 8 A d r i a n a )の遺書容がある.ハドリアヌス傷によって簸量役されたも ヴィテルポ:織鍵に園~れたヴィテ)J,-r-の町は絵のような町並み ので{紀元 2t陸銀)、帝国中 ~a慢した際にもっとも媛勤した渇所 の残るサン・ペレグリーノ地区 ( Q u a代i e r ed iS .P e l l e g r i n o )を や毛ニュメントをここに再現しようとした.ティヴォリの町の中 はじめ中世の面彫の.い係市でおる.見どこるは、ロッジアのす 心には、 16世紀に枢機卿イッポリト・デステが建てたエステ家 ばらしい法皇宮殿 ( P a l a z z od e iP a p i ) ( 13t 信紀}、町の噴水 l ad ' E st 叫があり、噴水がすばらしい.グレゴリオ のなかでももっとも突しい大噴水 (Fm の別君主(Vil 匂n aG r a l 鴫)、サンタ・ I J &、 (l i l l aGrega"i a n a ) もやはり 2 たが主役となるが、こ マリア・デラ・ヴェリタ級会 ( C凶e s ad i Santa M a r ia d e l l a 法.のJ! こではアニエネJ I If:*混とする大小の男置が印象的だ。 V e r i t a )、市立得物館 (Mωeo C i v i c o )でみる."マッキナ・ ディ・サンタ・ローザ"とよばれる、高<.いイルミネーション カステル・ガンドルフ耳t :法皇の遜・地で、アルパノ湖の潟 をほどこした縫をかついで市内を練り歩く祭りもある. 嫌にk>る策織の美しいI J . プレピシ}ト広繍 (Piazza d e f P l e b i s c i t o ) にある、ペルニーニ作のサン・トンマーゾ家主会 (Cnesad S .Tommaso) と噴水がすぼらしい. 17世紀の法 宮殿が館主主している. a 10 冒 " フィレンツェは、古代ロー マ以前から輸送路として刺用 されていたアルノ川河僻に開 花した、芸術と文化の都であ る 。 フィレンツェは紀元前約 5 9年、食代ローマの循民地と して建般された。 "フロレンティア(開 白"と名付けられたのは、 おそらく容に建設されたため であろう。アルノ川!こ港を持 ち、古代ローマの勝線道路、 カッシア街還にも近いという 好議件が、経済の発展のため に大きな役割を果たした。 ロ『マ宇野聞時代の終わり、 フィレンツェも 1000年ま では急速に衰退時期に入つ 丸しかし、その後は、新し い城壁の建設や近代的な都市 構造計画を取り入れて、政 治、宗教の中心として生まれ 翻わた。また商業活動にも カを入れ、 14世紀から 15 世紀にかけて最盛期を迎え る。その当時、政治家と軍隊 t J 轡突し、教皇派と皇帝派に 分かれて対立した。フィレン ツヱの芸術t s 開花するのもこ r 1 1 上:パノラマ 下:ヴヱツキオ機の夜祭 の時期である。有力なファミ リーが住んでいた宮殿の建設 もこのころ始まった。多くの 貴族のなかでも、メディチ象 はもっとも有名で、 18世紀 半頃まで中心になってフィレ ンツェの政治を動かした。 この約 4 0 0年のあいだ に、フィレンツェ人の才能や 多くの芸楠家の名が世界中に 広まった。 フィレンツェは、世界的な 艶箭品をちりばめた文字通り 花の都である。 芸術、美術作品の多くは、 かなり集中しており、歩いて 鑑賞できるほどの地織であ る 。 まずはドヮオモ広場 ( 円a zzade l Duomo) から 案内しよう. フィレンツェでもっとも置 要な建造物と、いえるドゥ オーモ、サンタ・マリア・デ のブロンズ騎馬像が立ってい る 。 ヴェッキオ宮殿の裏側にあ るのはパルジェッロ宮殿 ( P a l a z z o d e I B a r g e l l o )で おる o 13世紀半ばに、もと もとは執政長官 (Capitano d e lPo p o l o ) の館 ( P a l a z z o d e l Podest 会}として建てら れ、 1 6世紀 i こ警察署長 ( C a p i t a n o d iG i u s t i z i泊、 パルジェッロとも言う)の役 所となる。この一角の、狭間 のある厳裕な塔はヴォロ ニャータ塔 n ( Torre d e l l a V o l o g n a t a ) と呼ばれ、得世 紀の禾に 1度だけ鐘が鳴る。 内部には柱廊で飾られた回 廊があり、 14世紀に造られ た美しい階段が、上踏のロッ ジアへ続いている。この建物 内にあるパルジヱツロ目立美 多少疲れるが、二重構造の 3廊に区切られ色とりどりの モザイクやフレスコ画、彫刻 盤のなかについた階段を丸天 で飾られている。多くの美術 井へよってみるのもおもしろ 品のなかでも、丸天井内の い。途中、丸天井の疹廊から ヴァザ リとズッカりによる は、天井のフレスコ函や教会 フレスコ画「最後の審判 j 内部が見遣せるし、頂上から ( 1 5 7 2 . . . . . . . 7 9年)は、た 見る街全体のながめもすばら いへん見応えがある。そのほ しい。 かにも、霊異室入り口の半円 ドゥオモの繍にそびえるの はジヨットの鍾機 形ガラス窓のテラコッタは、 (Campanile d i G i o t t o ) ルッカ・デラ・ロッピアによ 。 1334年にジヨットが 1450年)で、旧 だ るもの ( 聖具室の扉の上には「キリス 着手し、 1359年にフラン トの昇天』、ミサ整具室の扉 チェスコ・タレンティが完成 の上には f キリストの復活J した。鐘楼の蹟よヘ階段で上 がり、洗礼堂や街全体をなが がある。 めることができる。 サン・ジョヴァンニ洗礼堂 ( B a t t i s t e r od iS .G i o v a n n i ) 上:ドゥオモ、プルネッレ は、フィレンツェでももっと スキの丸夫弁 も古い建築物のひとつで、 フィレンツェ商人らの出資で 下:ウフィッツィ宮殿、 2 建てられた。八角形の設計 隊部分、ミケランジヱロの で、白色と緑色の大理石でで ダピデ像 きている。外部は幾何学機嫌 で 、 3ヵ所にブロンズ製の扉 F 術館 (Mu seoNa z io n a l ed e l B a r g e l l o ) には中世とルネサ ンス期の彫刻j のすばらしいコ レクションがある。ミケラン ジェ口、 ドナテッ口、チヱ り一二、ヴェロッキオ、デツ ラ・ロッピアなどの傑作ぞろ いである。 サンタ・クローチ.l:教会 がある。東の扉はギペルティ所蔵されており、必見の傑作 上:シ二ョーリア広tI 天閣の扉 ( d e JP a r a d iーである。この美術館には 13 作 f ヴェッキオ宮殿 50) J ( 1425年)で、旧 -1 9世紀のフィレンツヱ絵 約聖書の場面を 10のレリ一面とミケランジエロの彫刻が フに鎗いたものであ、北側の展示されている.パンディ 下:メディチ・リッカル 扉もギベルティの装飾ネツリの大理石彫刻 r ( B a s i l i c ad iS a n t aC r o c e ) ディ宮殿 ベノッツォ・ (1403-24年)によレスとカークス ( E r c o l e e ゴッツォりのフレスコ函の l : t 、 1 2 9 5若手にアルノル る。一方、南側の扉はアンド Caco) J ( 1 534~手)も有 みる礼鍔盆都分 フォ・ディ・カンピオ1J f 創設 レア・ピサーノ作で、 28枚名である。 したもので、イタリ?の著名 のブロンズレリーフでできて 広場にあるシニョーリアの な文化人の栄嘗ある墓と記念 いる (133 0年) 0 洗礼堂ロッジア(またはランツィの 鳴がある。ダンテ、ミケラン の内部は厳療な雰闘気に包~ロッジア) ( L o g g ia de l la れている。 S i g n o r i a ) は、当時フィレン フィレンツェ市民の憩の場ツヱの人々の集会所として使 といえるシニヨ『リア広場用されていたため、この名が ( P i a z z a d e l l a S i g n o r i a ) に ついた。内部には、テエツ は、高さ 94メートルの塔をリーこによる傑作、ブロンズ もつ有名なヴヱツキオ宮殿製のペルセウス像 ( P e r s e o ) 1 554年)をはじめ、大 ( P a l a z z oV e c c h i o ) がそび ( えている。これはアルノル理石でできたジャンポロー フォ・ディ・カンピオの設計ニャ作「サピーネの時窓 である ( 1299-1 314 ( R a t t od e l l eSabine) Jや 年).1565年まではメそのほか一連の古代ローマの ディチ家の住居として使用さ像が並んでFる 。 れていたが、現在は市庁舎に 広場にはネプチューンの噴 F o n t a n ad e lNettuno) なっている。正面玄関の前に水 ( は、ミケランジエロのダヴィ ( 1 575年)があり、海神 デ像(David) (1 50 4 が大理石で道られ、海の伝鋭 年)の複製が立っている。オが主題になっている@近〈に リジナルはアカデミア美術館は、強大な~カを宅〉ったメ ( G a l l 母r i 3d e l l ' A c c a d e m i a ) {こディチ象の祖先、コジモ 1世 ル・フィオーレ大聖堂 (San t aM a r i ad e lF i o r e ) l <t古代ローマの住居の上に 建てられた古いカテドラル、 サンタ・レパラータ教会 (San t a Re p a ra t a ) のさら に上に、 1296年かもアル ノルフォ・ディ・カンピオに よって建設が始まり、 188 7年に完成した教会である. 後陣と丸天井の一部分は、 フランチェスコ・タレンティ が、また丸天井は 1418年 から 1436年にかけてフィ リッポ・ブルネッレスキが設 計した。 正面部分は、オリジナルが 158 7年に倒壊したため、 デ・ファプリスが再建した。 3万人を収容できる広大な大 聖堂内部は、まるで"屋根っ さの広場"だと言われる。側 面にある扉のうちもっとも興 味深いのが、左手にある美し いアーモンド形装飾の扉 ( P o r t ad e l l a Mandorla) (15世紀)で、聖母マリア の彫刻がほどこされたゴシッ ク綴式のものである。 内部全体は十字架の形で、 ヘ ラ ク 1 2 1 3 ジェ口、アルフィエーリ、マ キャペリ、ロッシ一二、フォ スコロ.ガりレオなどのもの である.ここには、 14世紀 の絵画やルネサンス期の彫刻 など莫大な量の美術品が所蔵 されている。ブルネッレスキ が造ったパッツィ家の礼拝堂 (C 叩向lIad e iP a z z i ) も見 学してみよう。 ウフィヅツィ宮殿 ( P a l a z z od e g l i U f f i zi ) (;t.フィレンツヱの行政事務 局を 1ヵ所に集める目的で造 られた(ウフィツィの名はオ フィス=穆務所からつけられ た)が、現在は有名なウ フィッツィ美術館 ( G a l l e ri a a g l i U f f i z i ) になってい る。ここには世界中の美術品 カ司所蔵されており、 13-1 8世紀のイタりア絵画の傑作 や、フランドル派、 ドイツ絵 画、フランス絵画、オランダ 縦揺覇、また有名な自画像のコ レクションがある。ここのす く近くに有名なヴヱツキオ橋 ( P o n t eV e c c h i o ) がある。 この橋はフィレンツェで最も 古い橋で今で、使用されてい る。フィレンツェのもっとも 鞍徴的なモヱュメントのひと つで、機の上には賞金属庖な どが並び、 15世紀の強り出 し部のある古い作業場もあ る。中央の屋根のない部分か らは、美しいアルノ沿岸が見 である。両開き、式の窓は建物 ことができるという伝説があ 伐汐ト観をバランスのよい洗練る。ロッジアの中央に鋸えら 渡せる。 れている大理石の円は、ここ Ponte されたものにしている。 サンタトりニタ橋 ( SantaTri n i t a ) I 、 . t < 194 共和国広場 (Razzadella で悪い商人そさらしものにし c a ) は、古代ローた場所をしるしている。 4年に倒壊したが残った、オ Repubbli マのフォロ(政治、経済の中 サンタ・マリア・ノヴェツ リジナルの材料を再利用し ( C h i e s a d i$ .Maria 心広場)と、中世の│日市場ラ教会 て 、 1952年!こアンマン 〈 怜 r c a t o V e c c h i o ) が N o v e l l a ) は、中央駅を出た ナーティの設計によって再建 . すぐの湯所にあり、L. s された。彼はおそらくミケラ あった場所である。 近くにある新市吻のロッジアルベルティの設計による美 ンジエロのデザインからヒン ω99ia d e l Mercato しい外観をもっ。内部の芸術 トを得たと思われる" 3つの ア ( o v o ) は 、 1547 年から品の中で主なものとしては、 N . J 小アーチ:伏の関口部があり、 1 5 5 1 年 に か け て 建 設さフィレンツェ美術の巨匠マ 匹摩を表現した 4つの彫刻で れ、高価な織物などが売られサッチォのフレスコ面、 「 三 装 飾 さ れ て い る (16 04 ( I a T r i n i ぬ)ム ていた所。現在でもフィレン位一体 年)。 (1427~手ごろ)ブルネツ この近くのストロッツィ宮 ツェ独特の手工芸品を買うこ とができる。ここでも、ロー レスキの木製の『十字禦のキ a z z oS t r o z z i )1 まス 路〈向l C ro c i f i5S0) J、 トロッツィ家の邸宅だったと マにあるトレヴィの泉のよう リスト ( F o n t a n ad i ジヨットの『十字袈像 考えられ、とくに独特の 浮 に、子豚の吸水 ( o r c e l l i n o ) にコインを接げ ( C r o c e ) Jなど。 き彫りの石積み"の壁と突き P サン・ロレンツォ教会 出た軒蛇腹で建築学的に有名 入れるとフィレンツェに戻る H 14 ( C h i e s adi S .Lorenzo) は Moderna) である。ここに ブルネッレスキの設計による もので、 15世紀の建築の傑 作のひとつである。内部の謂 和はすばらしく、コリント式 の 2列の円柱で、 3邸に仕切 はほかに、銀器博物館 (MuseodegliA r g e n t i )、 Museodelle 馬恵美術館 ( Carrozze) 、衣装美術鰭 (Museod e i Costumi ) 、 磁器博物館 (Museod e l l e Po rce1ane)、コンティー ニ・ボナコッシ・コレクショ サンタ・クローチェ教会 ン (Collezione Contini Bonacossi) がある。建物の 裏に広がるボボリ庭園は、 1 549~ に設計された真の平 られている。ここでもフィレ ンツェのほかの教会と同機 に、数多くの美術品がある。 内部の多くの美術品のうちド ナテッロ作のふたつのブロン ズ製説教壇とブルネッレスキ grestia 作の│日聖具室($a V e c c h i a ) が見もの。 教会の後ろには、ミケラン ジエロの彫刻がすばらしいメ C a p p e l l e ディチ家の礼拝堂 ( M e d i c e e ) がある。 メディチ・リッカルテ.ィ宮 殿 ( P a l a z z oMe d i c i Ricca r d i )は 、 1540年までメ ディテ家の住居であり、ルネ サンスの上流社会の住まい象 徴であった。 1444年から 1462年にかけてコジモ 1 也のために造られた。外壁は 下の部分が浮き彫りの石積み で上にいくほど完成度が高く 分の なっている。また 1階部1 張り出した窓が特徴的であ る。内部にはすばらしい中庭 ( C a p p e l l a がマジの礼揮堂 d e iMa 9 i ) へ続いている.こ こはミケロッツォ・ディ・バ ルトロメオとベノッツォ・ ゴッツォリが設計し造ったも のである。 ($p edale 捨て子養育院 d e g li1 n n o c e n t i )は 、 141 9年にブルネッレスキが設計 した捨て子を受け入れる施設 で、裕福な絹商人たちが出演 した。広大な中庭を囲み、美 しい柱廊は次元と幾何学的に ブルネッレスキの新しい考え に基づくもので、アーチの広 さと桂の長さ、柱廊の奥行き が同じになっている。柱の上 には、 10個のうわぐすりを 和のオアシスで、常に芸術と 自然の調和によって育まれて きた湯所である。 丘の頂上にはベルヴェデー F o r t ed iB e l v e d e r e ) レ要釜 ( がある.観光客やフィレン ツヱ市民にとっても、有名な 場所で、ここからはすばらし い、パノラマが楽しめる。要 塞 ( 1S95年)はブオンタ レンティによる星形の設計 で、しばしば魅力ある芸術的 催しが行われる. かけたテラコッタがあり、こされており、一方、二階には れはアンドレア・デッラ・ すばらしい『受胎告知 Jがあ ロッピアの作である。 閉じる。付属図会館では、 2列の 広湯に、サンティッシマ・ア洗練された柱が並び、ルネサ C h i e s a ンスの美術品とよく調和して ヌンツィアータ教会 ( d e l l aS a n t i s s i m aAn則 n z ia t a ) いる。 があり、この教会で重要なの ダヴァンツアーティ宮 は ‘ 18世紀のなか i ままで、 ( P a l a z z oDavanzati)は 1 3月 25自の受給告知の日そ 4世紀に建てられたもので、 元日として祝っていたことでフィレンツェ邸宅傷物館 ある。正門から入るとヴオ (Museod e l l aCasaFiorティ回廊 ( C h i o s t ri n od e i e n t i n a A n t i c a ) になって V o t i ) で、ここにはフィレンいる。宮殿内には 14世紀か ツ ヱ ・ ル ネ サ ン ス に お け る ら 18世紀にかけての置物や もっとも重要なフレスコ画と調度品が保存されている。 絵画のいくつかが見られる。 オルサンミケーレ通りに建 (Palazzo サン・マルコ美術館つ毛織物美櫛舘 (MuseodiSanMarco) は d e l l冶 r t ed e l l al a n a ) はt t サン・マルコ修道院と周じ敷ってその同業組合が置かれて 地内に怠る、 15世紀のものいた所である。中也独特の績 である。ベアト・アンジェリのある建物で、陸矯で上階の コの数々の重要なフレスコやオルサンミケ『レとつながっ 絵画、 「リナイオ』リの祭壊 ている。 1337年に小麦市 (Tabernacolo dei 場の真ん中に建てられた。L in a i0 1i ) J や「最後の審陪は礼拝所として、ほかの階 判」を所蔵している。フレスは小衰の倉庫として、ふたつ コ画の大作である『十字禦のの役目を併せもっていた。 C rc むi f i s s i o n e ) J アルノ川を渡ると、かの有 キリスト ( 覧会員室名なピッティ宮 (Palazzo は司教座聖堂参Z ( S a l a C a p i t o l a r e ) に保存 P i t t i ) が見える。これはブ jレネッレスキがある絡福な商 人のために建てたものであ る。二階はパラティーナ美術 館 ( G a l l e r i a P a l a t i n a )、 またはピッティ美術館と呼ば れ、ラッファエッロやティ ツィアーノの作品が多く所蔵 されている。三階は近代美術 館 ( Galleria 1 5 d'Arte 左:サンタ・マリア・ノ ヴェッラ教会 省:ザン・ミニアート・ア ル・モンテ教会、後陣 ヴエネ ポボリ庭園 yィア:水上の奇跡の町 水面に映える輝き 飾と をひ 時的 [KF 岬の 拾保 事も ので E ンゆ y中 イ絵 レ直 フるつ 観光 ••••• ••• ••• アレッツォ:この郷市も、毎年聞かれるサラセン人の馬上信鼠 合 ( G i o s t r a d e l S a r a c ino) が有名だが、どの隼節に訪れて も‘市中心部の多くの美術品に魅了される.サン・フランチェ スコ級会 (Cnesad iS .F r a n c e s∞)では、ピエロ・デッラ・ フランチェスカのフレスコ画(' 5世紀}がすばらしい.これ はイタリア絵画の大傑作のうちのひとつである.サンタ・マリ ieved iS . Ma r i a )l i .透かし彫りのロッ ア・敏区教会〈凶 P ジアと下都の浮き彫りが特徴的. 1 6 け ソ 、 : ) E ! カ P a l a z z oPub凶i ∞ , ) (14世綻)が シエナ:プッブリ コ宮殿 ( 薗するカンポ広喝 ( P i a z z ad e lCampo)で行われる伝統行事、 パリオ鱗設が有名である.町の歴史約中心地にあるドゥオモ l i、イタリア ・ゴシ ックのなかでもっともすばらしいものの一 つである.その内部は名高い芸術品がある.感鳴させられるの は洗礼盆で、ドヲオモの後障に鋸えられている.ドゥオモ美術 館 ( M u s e o d e l l r aMe t r o p o l lt a n a ) はすぼらしい絵画を所 蔵している.また国立絵画繍 ( P in a c o t e c a Comunale) も訪れ たい見どころ. 才 トスカーナの地に根づいた"特性"は‘そこに住む人々の特 殊な才能を古くから示してきた.鐙かな創造性の生み出した敵 え切れない芸術作品のいくつかを紹介しよう. ) !.-ッカ:ここのドゥオモはも っとも有名なモニュメントのひと つで.ロマネスク様式の正面を持ち見事なレりーフで飾られて いる.内却には有名な美しいイラリア・デル・カレットの墓 ( , .408年)がある.サン・ミケーレ・イン・フォ口敏会 ( C t i e s a 'd iS .Mi c h e l ei nFσ0) はすばらしく.そのよには大 きな犬天使像が縫えられている .サン・フレディアーノ教会 ( C h i e s ad iS .F e d e r i a n o ) も見逃せない.正面に 1200年代 の光湖くモザイクがほどこされている. ピサ ・ :観畿の中心はアツリ ; : p世の事(14世紀)のある ドゥオモ (1'':''';2世紀)が建つカンポ・デイ・ミラコリ (Cam同由iMi r a c di ) .ピサーノの鋭敏値 (14世紀)、後 鱒のドームにある, 3世紀のモザイクなど.前にはロマネス ク ιゴシック美術の傑作である洗礼盆(' 2 . . . . . .14世紀}があ る.ドゥオモの後るには優雅な 6層のロッジアが美しい有名な 斜繕( T α ,re P朋 C島n t e )がある.となりはカンポサント (Camposanto)で、まさに 14世紀のトスカーナ絵画の美術館 . 1 ニ .なっている. ス . ・パラッツ才・パパドポリ フォスカーリ邸・ 畠 ー .パラッツォ・グラッシ レッツォニコ邸・ . ・ ・サ ンタ・マリア ・デッラ・ ドガナ仰・ 畠 サ)1;ーテ教会 ヴェネツィアは島々と運河上:市のパノラマ から成る町である。長大の運 河「大運河J( C a n a lGrande) 下 :海よ から見たサン・マル 1 J f ,都市を二分し、最も美し コ広湯 い建物の大半がこれに面して ・サ ン・マルコ大聖堂 サン・マルコ美術館・ ・ ・ ・パラッツォ・ドワカーレ 娼機・ a .1 1 : 寺 針 縫 ため息の橋. ・ ・ ・スキャヴォ一二海岸iIり サンタ・マリア・デイ・. ..邑 ミラコリ 教会 ' ・ラ・ フェニーチェ劇場 サンタ・マリア・・ ' グロリオーザ・テ'イ ・ ・ ・スクオーラ ・ディ・サン・ フラーリ教会 . ロッコ 4 トスカーナ、芸術に生きる州 フ 口十ラ融 ﹂ツプ人 ・シ 13 UF ラルイ ドァ橋 -J ・・副川け,、 一一フ い力 川 日グス尻 町サペリ デ E カ p i r i t o ) とサンタ・マ ン が 完 全 で 謂 和 し た 表 現 に d S.S リア・デル・カルミネ教会 なっている。 ( 0 1 i e s ad i S. Ma r i ad e l 内部の聖具室には、聖ベネ ディクトの物語を表現したス Carmine) も見学したい。後 ピネッロ・アレティーノの有 者には、プランカッチ礼拝堂 p e l la Brancacci)の 名 な フ レ ス コ 画 (13 8 7 (Cap なかに、マサッチヨによるす 年)がある。 まらしいフレスコ画(アダム 広場から下ヘ降り、プル l ネッレスキの設計によるサン とイヴの楽園追敏、聖ピエト ト・スピリト教会 (Chiesa ロの物語)がある。この絵は 噌伺吋,, W ン フポ r 景観を楽しむのに、必ず訪 れJ といもうひとつの場所はミ ケランジエロ広場 ( P i a z z a l e Michelangel0 ) である.こ こからは、ロマネスク建築の 傑作サン・ミニアート・ア ル・モンテ教会((ni e s ad i SanM i n i a t oa l Mo n t e )が 買える。正面は、色彩のコン トラストと幾何学的なデザイ ヵパ乳 パラツツォ・ヴエンドラミン . . .力レ l レジ . ・トルコ人商館 ペザロ邸・ サン・ジヨルジ ョ島・ ・ ・トルチヱツロ島 ブラノ島 ・・ ・ムラノ島 いる。この都市 r ; t . 紀 元5 . . . . . 6 邸宅が建ち並んでいる。 世紀 l こ 、.外国の侵略による破 パラツツォ ・ヴェン .ドラミ 鴻から逃れて来たアクイレイン・カレルジ { P a l ア ( A q u i le i a ) と近隣都市の Vendramin ・ C a l e r g i )は 、 1 住民により建設された。 82 504年から 1509~手のð1> 8年には、福音賓の著者であいだに建てられたもので、ニ るマルコの遺体がここに移さ段の両開き式窓を持つ、調和 才、これによってサン・マルのとれた外観を呈している a コ大聖堂 ( 白s i l i c a d iここはリヒャル卜・ワータ Marco) は重要な意味を持つナーが住み、 1883年に亡 ことになった. くな った屋数である.現在、 その後何世紀にもわたっ市営カジノとなっている白 て、ヴヱネツィアは大陸を背 トルコ人商館 (Fonda 後 に 控 え た の 自 然 の 港 と し ai Turchi) は 7 . . . . . 8世紀に て、東地中海諸国等との貿易建てられ、その後数々の硲福 に常に名を馳せた。また、第泡清人一族の所有となり、 1 一 次 十 字 軍 (1096年)に 621年から 1838年のあ 動日していた軍隊への援助にいだにはヴエネツィアにあっ より、ヴェネツィア商業基地たトルコ商業共同体の倉庫と はパレスチナに進出した. して利用された. 1 5世紀と, 6世紀は、 ペ ザ 口 邸 (Ca'Pesar0) ヴエネツ ィアの華麗な文化がは、口ンゲーナ ( Longhena) 花聞き始めた時期である。 使犠計で、ペザ口家のために 大運河の沿岸には、建築学建てられた。バロック建築と 的に最も軍要な多くの貴族のして興味深い一例で、現在は 17 上:サン・マルコ広湯とサ ン・マルコ図書館 下:リアルト橋 ツィア・バロックの傑作のひ とつである。ヴェネツィア 1 8世紀美術館 (Museo d e l Settecento Veneziano) に なっているが.この美締舘は 興味深いもので‘この世紀の 華やかな文化が再現されてい る 。 その先にあるのがアカデミ ア美術館 ( G a l l e r i ed e l l、 F Accademia) で ‘ 14世紀 から 18世紀にかけてのヴェ ネト絵画の最も軍要なコレク ションがある。サンタ・マリ ア・デッラ・モナルーテ教会 ( C h i e s ad i Sa n t aMa r i a d e l l a , $a l u t e ) は、ヴェネ ツィアがペスト禍から逃れた ことを感謝して建てられた。 B . ロンゲーナによるバロッ ク建築の傑作で、その内部と 聖具室にはティツィアーノと ティントレットによる絵画が ある。この教会のすぐ先、大 運河とジュデッカ運河 ( C a n a lde l l aGiudecca) の エジプトのアレキサンドリア から盗み出さ才し埋葬された 場所にそびえている。教会は 今日見られるように、 11世 紀から 17世紀のさまざまな 建築学的技法の集大成であ クで飾られている。中央祭壇 後方のパラ・ドーロ ( P a l a d'Oro) は、ヴェネ ツィア式およびピザンチン式 の金細工によるたいへん貴盆 な傑作で、 2子を越える宝石 w a o M d d a 、 れた。小アーチ状の開口部が ひとつだけ<ff>り、 19世紀ま では大運河にかかる唯一の織 であった。以前は木製のはね 橋で、鉛が商館の前で直鎗積 み荷をおろすために利用され 苫が集まっている為、 た。商l 人々がよく訪れる場所であ る 。 パラッツォ・パパドポリ (Palazzo Pa p a d o p o li )は ルネサンスの美しい建築物の ひとつで、小さな梼円形の窓 があり、下部が総鰻で上部に ふたつのオベリスクが見られ る. フォスカリ邸 (Ca' Fosc a r i)は、大運河 沿いに面する他の建物と問機 に代表的な役割を果たしてい るよい例である。 この建築物は 1423苦 手t t ' 2 >1457年のあいだに、フ ランチェスコ・フォスカり統 管のために建てられた。ヴヱ ネツィア・ゴシック機式のず ば抜けた例のひとつで、ふた つの見事なロッジアと八つの 装飾アーケードがある。 すばらしい建築物がつらな り、すべてを紹介するのは不 可能だが、ここでパラッ ツォ・グラッシ ( Palazzo Grassi) にたどり渚く。こ の荘厳な 18世紀の建築は二 列の惑をもっ。近年修複さ ま重要な展覧会や文 れ‘続在i 化的な催しの会場として利用 されている。 レッツォニコ郡 ( C a、R e z z o n i c o ) はヴェネ ‘肝可 近 代 美 術 館 (G剖 I eria d'Arte Moderna) と東洋美 術 館 (Museo d 'Arte O r i e n t a l e ) になっている。 カ・ドーロ (Ca、 ' d 'O r0 ) l 玄、おそらくヴェネツィアに おけるゴシック機式の最もよ い例でおろう。 1424年か ら 1430年のあいだに建て られ.その名のとおり、かつ てその外観は金で装飾されて いた。現在では、ジョル ジョ・フランケッティ美術館 ( G a l l e r i a GiorgIo Franけになっていて、マン chett テーニヤ、ティツィアーノ、 ティントレットらの絵画など 多くの芸柿品を所蔵してい る 。 船で大運河を行くと次々に すばらしい館を見物すること ができる。続いて現われるの は 、 14世紀の終わりに建て られた美しいパラッツォ・モ ロシ一二・サグレード ( Palazzo Mo r o s i n i 、 3本柱で 4つ Sagredo) で の開口部に分かれた優雅な窓 で飾られ、その窓はビザンチ ン織式の帯状装飾で取り巻か れている。 次に見えるのは小さな宝 石、パラッツォ・フ;tスカー リ・デル・プラ( P a lazzo 、 15 F o s c a r id e lP r a ' )で 世紀に建てられ、かつてマン トヴァの大使の在所であっ た 。 続く新ゴシック練式の建築 ) で、現在 物は (Pescaria は魚市場である。それに隣接 する (Campo d e l l a Pescari a ) は市場として朝 からにぎわい、一部が ( F a b b r i c h e Nuove d i R i a l t o ) の建物になっている が、ここは 16世紀には、市 の商業を管理監視していた行 政官の役所で<ff>った。そのタE のドイツ入荷館 (Fondaco d e i Tedeschi)は、ヴェネ ツィアのドイツ商人の重要な 交易の場であった所である。 隣 I~ リアルト橋 (Ponte d i 、 1588年から Ri a l t o )で 1592年のあいだに建てら でできている (10-14世 紀)。 洗礼室 (Battister0 ) (14世紀)にはルネサンス の有名な建築家のひとりであ るジャコポ・サンソヴィーノ の墓石がある.地下の埋葬室 には聖マルコの遺骨が納めら れ、一方、寓即の右手には、 コスタンチノープルからもた もされた聖なる品々の、他 l こ 例のない貴重なコレクション を有するサン・'::(')レ=宝物蹄 (Tesorodi SanMarco) を 見ることができる.サン・マ ルコ美術館〈はJ s e o d i SanMarco) には、モザイク やつづれ織り、古いペルシア じゅうたんとともに、金を 塗ったブロンズ製の、省名な 4頭の馬像がある。この馬像 f~ 第 4 次十字軍の戦事IJ 品と して, 204年にコンスタン チノープルより持ち帰られ た。古代ギリシアあるいは ローマ時代の作品とされ‘も ~:サンタ・マリア・デラ・ サルーテ教会 下;サン・マルコ大量E盆 合流点はドガナ岬 ( Punta d e l l aDogana)で、かつて東 地中海地方から来た船が商品 をおろすために繍付けしたと ころである。ちょうどこの岬 にある白い建築物は、金色の 縁体を支えるこ人の奴錬像で できた小繕で.かつて 17世 紀に浩られた幸運の女神像の 土台であった。この女神像は 片足で立ち‘風向きの変化に よって回るようになってい て、とくに商業にたずさわる 人々の運命のうつろいやすさ を指し示している。 サン・マルコ大聖堂 ( B a s i l i c ad iSanMarc o ) は、福音書の著者聖マルコの 遺体が、 828年にニ人の ヴヱネツィア人船員によって る 。 正面はアーチ状の 5つの入 り口、 5つの東洋風のドーム をそれぞれ頂いている。正門 に 4頭のブロンズ製馬像の複 製が見られるが、これは 12 04年にコスタンチノープル から持って来られた(オリジ ナルはサン・マルコ美術館 (MuseodiSanMarco) I こ ある) .中庭には, 1-1 2 世紀にさかのぼる赤大理石の 級があり、伝説によると、そ こで 1177年に法皇アレッ ザンドロ 3世とフェデリコ・ バルパロッサ皇帝が会見した と言われている。内部の設計 はギリシア十字め形でおる。 ピザンチン風とルネザンス様 式のまばゆいばかりのモザイ 1 9 g g e t t a del Redentore)のあるジュデッ ロジェッタ(しo Gi udecca) と近くのサ Sansovin o ) がある 。広場を カ ( 北と南 に 分 け て い る の が ン・ジ ョルジョ島 ( 1 5Ol ad iS 行 政 長 官 官 邸 ( procu- a n G i α go)がー望できる. で 、 2人の この海岸通りには、現在のダ ra t ie) ムーア人が鐘をついて時を告 ルマチアであるスキャヴォニ げる 16世紀末期の時計塔 アの人々が商業活動を展開し ( T o r r e d e l l、 ' Or 0 1o g i0 ) がt t > ていた。近くには船を造った る. り修理したりするアルセナー パラッツ ォ・ドつカーレの レ (Ar5ena le ) (造船所) 後方が名高いため息の橋 があり、ヴ ェネ ツィアでの生 (Ponte d e i Sospiri )で 、 活に欠かせないものであっ 牢獄 ( P 同g ionNuove) へつ た。総督はここを外国の大使 。ながっている o 1602年に たちに視察させたが、それは 建敵され、囚人が牢獄から裁 その能力が、ヴェネツィア共 判所へむかう通り道になって 和国の戦力の強大さに尊敬 と ともとはコンスタンテノープ バの賎馬場にあったものであ る 。 J ' (ラッツ ォ・ドゥカ ーレ ( P a l a z z oD u c a l e )は、共和 国政庁と統督の官邸であっ た.外観は大部分がゴシック 機式で、一階部分の柱廊の上 にロッジアが続き、さら によ 割め壁は幾何学援機で飾られ ている.内部は火災によって 樹聾されたため 16世紀に再 築された.洗練された装飾が 貝Z 露である.中庭へは布告門 ( P o r t a d e l l a Carta) を 通って入るが、ここには官庁 似亙違が掲示されたのでこの ような 名でよばれたの だろ う 。 総督の中庭 (Cortile ai Dogi) にはいくつもの見 どころがある.ブロンズのふ 5 ・ たつの井戸、 巨人の 階 段 ( 国 l adeiG i g a n t i)、もうひ とつは見事な均衡を持 つガレ リア ( G a l同ri a ) の柱廊であ る 。 上 :パラッツォ・ドゥカーレ から見たサン・マルコの 獅子像 左:ため 息の繍 右 :パラッツ ォ ・ドゥカ ーレ と巨人の 階段 下:ス カルツィ僑 サン・マルコ広場 ( 円a zzaSanMa rc o ) に戻 ると‘堂々たる鐘様 (Campanile ) に目を奪われ る。古い物見櫓の土 に造られ た塔は、 16世紀に現在の姿 に建てられ、倒壊したすぐあ との 1912年に元どおりに 再築された。 この基部 に 、 1 6世紀のサンソヴィーノの いた。囚人が嘆いたことから 感嘆を抱かせるからであっ おそらくこの名がついたので た。入り口は 1460年のル あろう. ネサンス式で彫刻で装飾され サン・マルコ湾のスキ ャ た凱旋門になっており、これ ヴォ一三海岸通り (Riva らの彫刻のいくつかは戦利品 として東地中海地方からもた d e g li Sc h iavo n i)からは、 ドガナ岬 ( Punta d e l l a らされた。ダンテのブロンズ Dogana)、パッ ラーディオの 胸像は、ダ ・ポ レンタ家の使 レデントーレ教会 ( C h i e s a d el 節としてここを訪れた際の記 念に設置された。 市内の数多くの教会、や建 築物の中でも忘れられないの がピエトロ・ロンパルドの建 てたルネサンスの小さな宝 石、サンタ・マリア・デイ・ ミラコリ教会 ( C h i e s a d i SantaMa r i a d e iMi r a c o l i) である。 フェニーチェ劇場 (Teat r01aFeni c e ) は、世 20 界でも有数のオペラ劇場であ る 。 1790年から 1792 年のあいだに建てられたもの で、有名な音楽 家の作品がた びたび上演された。火災で破 犠されたあと 1836年に再 建され、現在は 900人の観 客を収容できる。 サンタ ・マリア・グロリ オーザ・デイ・ フラーリ教会 ( Chiesad iSa n t aMa r i a G l o r i o s ad e iF r a r i ) は 13 世紀にフランシスコ修道士の ために建設が始まり、 14世 紀から 15世紀のあいだ に完 成したも ので、 3つの部分に 区切られた正面と高い鐘棲そ 持つ。荘厳な内部には、絵画 ではティツィアーノ作「聖母 被 昇 天J ( 1 5 18年)、 「ペザロ家のマドン ナJ ( 1 526年)、ペツリ ーニ 作 f玉座の聖母子と聖人 j (1 488年)などの有名な 絵画やドナテッ口による木製 の『洗礼者ヨハネJ (およそ 1450年)などの彫刻が所 蔵されている。教会のなかに は、ティ ツィアーノ と音楽家 のクラウテ.ィオ・モンテヴェ ルディの菖もある。 サンロッコ教会とスクオー ラ・グランデ・ディ・サン ロッコ ( C h i e s ae Scuola 、 granded iSanRocco) は 16世紀の偉大な画家である ティントレ ットの作品を豊富 に所蔵しているこ とから、彼 の名と結び付いている。 サン・ジョルジョ島 l (5 0 1 ad i SanG i o r g i o )は サン・マルコの岸を前にし、 ジュデッカ島の脇に位置して いる. ここにそびえる サン・ジョ ルジョ・マッジョーレ教会 ( C h i e s ad i SanGiorgio Maggiore) は、アンドレ ア・パ ッラーディ オの傑作の ひとつで、 1566年に建設 が始ま った.内部にはティン トレットによる重要なふたつ の作品、 「最後の晩餐 J と 「マナの姶集Jがある。隣接 する修道院にも美術品が所蔵 されており 、 チ ー ニ 財 団 ( Fondazione Ci n i ) があ る。この財団は数々の文化的 活動に利用されている。 トルチェッロ島 Osola d i T o r c e l l o ) は、ヴェネツィア の潟のなかでも大変興味深い 所で、まだ本来の特徴をよく 残している . ,3世紀ごろま では人口が密集していたが、 その後マラリアによってほと んどすべての人々がここを灘 れた. ともかく 古い建築物が 多く残っており、 1000年 のサンタ・フォスカ教会 (Ch i e s ad iS a n t 3Fc 湾問)、 ピザンチン・ラヴェンナ線式 のサンタ・マり ア・ア ッスン タのカテドラル ( c a t t e d r a l ed iSantaMa r i aAssunta) 、サン・マルコ礼拝堂 (Ca開 e l l ad iSanMarco)、 2 1 上:パラッツォ・ジュスティ ニアン 下:歴史のあるカ フェ・フロ リアンのショーケース Pa la z z i 古文書館と議事堂 ( d e iConsig l i o ed e l l'Archivi0) などがO)る. トルチェッロ島の近くにあ るブラノ島 050la d i Burano) は、レース製品が 有名だが、この伝統が根付い たのは, 6世紀である。現在 e l レース美術館 (Museo d Me r le t t o ) の隣には、職人 ' 技の泌缶を伝える学校があ る.ブラノの家々はカラフル な色で塗られていて、その色 で持ち主がわかるようになっ ている. ム ラ ノ 島 (1501a d i Mu ra n o ) はガラスの芸術品 が世界的 に有名だが、 こζ で の製造は 1291年にさかの ぼり、当時ヴェネツィアの政 府が火災の危険を避けるた め、すべてのガラス膿人にこ の島に移るよう命じたのであ T← よ大運河に浮かぶゴンドラ 下;スキャヴォーニ海岸通り る。パラッツォ・ジュスティ ニアンにおるガラス博 物 館 (Museo d i Arte Vetra ri a ) を見学するのは 興味深い。そこには古代ロー マのガラス細工や地元の職人 による重要な作品が多く所施 されている。特筆すべきは 『バロヴィエール盃 (coppa Barovier) Jで ; , 1400 年のガラス芸術の傑作であ る。この島でのもうひとつの 見どころはサンティ・マリ ア・エ・ドナート教会 ( C h i e s a d e iSa n t iMariae Donato) で 、 12世紀に再 建され、ビザンチン様式の影 響を強く受けた建築物の重要 な例である。すばらしいモザ イクで飾られた内部の床 ( 1 140年)と、後陣の聖 母像は見逃せない。 ヴェネツィアにでさらに見 学してみたい観光ポイントを 撃げてみよう。すばらしいサ ンティ・ジョヴァンニ・エ・ ( C h i e s a d e i パオロ教会 S a n t iGiovannieP a o l o ) は 1246年から 1430年 のあいだに建設され、内部は 絵画と彫刻を所蔵する独特えよ 美術館になっている。ゴシッ ク様式とルネサンス様式によ る (Cl i e s ad iS . Z a c c a r ia ) は、近くのスクオーラ・ ディ・サン・ジョルジョ・デ リ・スキャヴォーニ ( S c u o l ad iS .G i o r g i od e g l i S c h ia v o n i ) とともに、カル パッチョの絵画君事で有名であ る。ヴエロネーゼの埋葬され ているサン・セパスティアー e s a d i San ノ教会(白i S e b a s t i a n o ) には、被の見積 な絵画が収められている。震 後に古いゲットー 匂hetto) へ足を向けサン・ i トロヴァゾ健康〈匂uero d SanTrovaso) を見学するこ とをお勧めしたい。 ζ ζ は現 在も穣働している最古の造船 所で、小さなボート、とくに ゴンドラを独特の方法で製 造、修理している。ゴンドラ はヴェネツィアの象徴として 世界的に有名である。伝統を 受けつぎ、 7世紀にすでに存 在し 1094年の公文書に記 されているものと、現在の也 のとでは殆ど違いがない。 1562年まで I ふさまざま な色に塗られ、たくさんの摸 織で飾られていた。その後元 老院の通達により、この独特 でぜいたくな表現は終わりを 告げ、黒一色に義務付けられ た。現在では当時より少ない t J ' ' . 約 500藩程度残ってい る 。 水の都の景観の一部を成す このゴンドラのおかげで、私 溜ま比額のないヴェネツィア の町を環境をおかすことなく ゆったりとりラックスして観 光できるのである。 ヴェネト.貧会の三角地事停 B ' t i 也のうち代表的な この地主義の益事告的に価!iIの高い量I ジョーレ教会 ( C h i e s ad iS . ZenoMa g g i o r e ) 、ピサ 3つの都市に注息してみよう. ネッロによる~ジョルジョのフレスコ itl織があるサン・ パ ド ヴ 7:かつての文化の中心地として織かしい主主術遺 産を有する宙1 .援も有名なのが、ジォットによるフレス 7ディジ.xl l lの尽には中也の貴族がt 主んでいた量産、カス アナスタシア事究会 ( C h i e s ad iS .Anasta 宮i a ) である. コ函の~るスクロヴェーヱ札t草堂 (Cappella C a s t e l v牢c c h i o ) がそびえ立ち.堂々 テルヴェッキオ ( d e g l i としたスカリジエロ橋 ( P o n t e Sc a l i g e r o )がかかって Scrovegnil ( 1 305年}で、彼の才官官がすべて宛鯵 穫が訪れるサンタントヱ されている.世界@からの巡礼 i オ大法裳 ( B a s i l i c ad iS .An t o n i o ) ( 12- 14世紀) には所蔵する策術品のなかには、ドナテッロの美しいブ S !1 まザント広士事 ( P ロンズ{患で費揺られた中央軍寺境がある. i i azzade lSa n t o l にあるガッタメラータ記念事寄付 45 3年}の作者でもある. ヴェローナ:ロメオとジ 2 リヱットの白マンティックな 1 書官で、巨大な円形. J I I1 J 知られている.涯の野外オペラ 公演は世界的に各!;い.鏡婆なモニ 2 メントとしては、 離のあるロマネスク車種主主の督署作、サン・ゼ j . 美しい旬Z マッ 22 いる. "とよばれ ヴ ィ チ ェ ン ツ 7 ・・パッラーディオの曽T る.パッラーディオl まパドヴァ出身の建築療で、ここで l l o 1した.代表的な作品としては 彼は芸芸術活動の大半を雇i 揖( P i a z z ad e i Si g n o r I ) のロッジア・デ シニョーリ広t ル・カビタノ ( L o g g i ad e lC a p i t a n o ) { 1 571年}な 直するのは‘ ドゥオモ (14どの建築物.他に注目にf 16 世紀)とオリンピコ~1I ( T e a t r oO l i m p i c o ) であ る. ナポリ:地中海の母 ナポリ湾の魅力 観光コース - ・ドゥ~-モ モナン・ロレンツォ・・ . マッジョーレ教会 守 ・サン・ドメニコ・マッジ 惨 ョーレ敏会 サンタンジエロ・ァ.. 4 ニ一口事長会 ・ ・サンタ・キアーラ級会 サンタ・マリア・ラ・・ 畠 ノ ヴア教会 ' ・サンタ・マリア・ドンナレご カボディモンテ・ ・ Jーナ教会 ・ ・マスキオ・アンジョイーノ プレピシト広1 ・王室 サン・フランチェスコ・.・ ディ・パ~ラ教会 ・ .'!tン・フヱ J レディナンド 敏会 サン・カルロ F . ・ . ' 1 . . .. • o械 サンテルモ織. ・ ・ ・サン・マルティーノ修道院 , ・ . カプアーナr ・サンタ・ : hテリーナ・ア・ サン・ジョヴァンニ・ァ. フ:t)"~ミエッロ教会 カルボナーラ事長会 ・ ・零宮司ド1 笥物館 . ・ ナポリ(語混ネアポリスは上;ドゥオーモ E商 新都市という意味)は、ギリ J t 建設した町で、紀元前下:マスキ:;t.アンジョイシャ t 5世紀、現在ドヮオーモのあ ノ る場所が発緯の地である。 その後、様々な歴史的変遣 を経て、 13世紀アンジュ一 家の支配のもと、徐々に確実 浴溌展を遂げ、地中海沿岸で も最も人口の多い文化的な活イン人総督の政策によって、 気に満ちた都市のーっとなっ一層深刻化した。 16世紀に た 。 はペストや地震、反スペイン 16世紀に封建領主たちが暴動など事件が相次ぎ、 17 市内に強制移動させられたた世紀に至って漸くナポリは め‘ナポりは人口密集によるヨーロッパの強固支配から、 開 Eに常に悩まされることとブルポン家のシャルルの治世 なった。この問題は、市内をに移行し、カゼルタ Caserta) やカーポテ.ィモ 広く占領する無数の修道院や ( e ) の宮 市盤の外に建築を禁ずるスペンテ (Capodim∞t 23 鳳貧民収容施設 ( Albergo首の刑に処せられたベネヴエ d e i Pover i)、サン ・ カルロ ン ト の司 教サン ・ジ ェンナー eatroSanC a r l o ) な口の信仰は遥か昔から続いて 劇場 ( r ど大規模で社会的にも有意義いる. 685年のヴェスヴィ 怠建設事業が実現されるようオス噴火の際もナポリ人たち になった。この世紀にナポりはこの聖人に救いを求めて はヨーロッパの都市として押祈ったものである。聖堂内に しも押されもせぬ地位を築はこのほか、ペルジーノの き、今日なお世界的な観光地 「 被昇天」や 14世紀の機々 となっている 。 なモザイクや ポリプテイク ナポリのドゥ オー モ ( 多翼祭壇画)がある。 Jomo) は市民生活 と宗教 サン・ ロ レンツォ・マッ i の中篠をなす建築物である. ジョーレ教会 (Chiesa d 12世紀に 創建され、 ファ SanLorenzoMaggiore) も サードなど建物全体に各世紀又多くの歴史的恩い出の残る 教会である.ここで、ボ ッ カッチオはフィアメッ . タを見 初め、隣接の修道院にはペト ラルカが滞在した。単一の身 邸と後陣で備成された内部に は 、 14世紀の美しい木製十 字架像とカ テリーナ ・ダアウ スリアのゴシック様式の1 1 が ある.教会の地下ではギリ シャ、ロ ーマ時代のネアポリ スの遺跡が見られる。 サン・ドメニコ・マッ ジ ョェ サンタンジエロ・ア・ニーロ 教会内観 。 に施された改築の跡が見られ る.右の身廊にはブロンズの 格子 l こ固まれた, 600年代 のサン・ジェンナーロ礼拝堂 (Cappel l a d i San Gennaro )がある。堂内には ドメヱキーノやランフランコ f 供乃フレスコ画のほかに、 1 6世紀フランス製の聖遺物置 に入った殉教者サン・ジェン ナ」 口の血と頭蓋を収めた奇 跡の小瓶が保管されている 。 毎年、 5月と 9月にナポ札市 民は聖人の血が液化すること を願って教会に馳せ多ずる。 f 実現しなければ、 この奇跡fJ 町全体に凶事がもたされると 信じ られてい るからだ。 305年ポッツオーりで斬 よ: 代表的な建築のひとつ で レ教会 (Chiesa d i San あるウンベルト 1世のギャラ Domenico Maggiore) は 1 リーのステンド・グラス 283年から 1324年の聞 に建てられた。数多くの作品 の中で、 1300年代のカ 左;卵織 ヴァりーニの フレス コ面、十 字架像のカッペッローネ、 下 M. ナッケリーノと P. J レーヴォの漏酒なカ ラファ礼 ペルニーニによるインマコラ 拝堂 (C a p p e l l a Carafa) 、 テッラ の噴水 (1 60 1年} バロック機式の聖具室などが 注 呂に値する. サンタンジェロ・ア・二一口 敏会 (Chiesa d i Sant' Angelo a N i l o ) はプラン カ ッ テ ョ 礼 拝 堂 (Cap 問 I la Brancaccio) とも呼ばれ、 ,300年に創建され、 17 00年に改築されて、外側も 内部も 18世紀の繊細を示し ている.中でも、 ドナテ ッロ とミケロッツオがピサで制作 した 1400年織式のりナル トプランカッチョの墓碑は ゴシック芸捕からルネサンス に移行する過程を表す見事な 作品である。 サンタ・キアーラ教会 ( C h i e sadiSantaC h i a r a ) は 1310年に建てられ、第 二次世界大戦中甚大な鍋傷を 24 被ったが、 もとのゴシック機 式に修寵された。所議されて いる傑作の肉、 14世紀のマ リア・ディ・ヴ ァロアの基とア ンジュ 一家のロベルト 一世の 墓が重要である。 聖歌離席と 18世紀のクラリッセの回廊 も見事である。 サンタ・マリア・ラ・ノー C h i e s ad i Santa ヴァ教会 ( Maria l a Nova) は 1297 年1 こ建てられ 16世紀の末に 改築 されたが、美しい 天 井 と、多くの喜岡のなかでもア ラゴン家の女王ジョヴァンナ 3世の墓砲銘が有名。 サンタ ・マリ ア・ドンナレ ジ ー ナ 教 会 (Chiesa d i Santa , Ma r i a Donnaregi n a ) は近代の修復 を経て、 「 二 重の」教会と なった.事実、新しい教会は パロック様式、古い教会は 1 礼世紀の機式という具合に二 分され、古い方では女王マ リ 1 4世 ア・ドゥンゲリーア ( 紀)の墓や数多くの 1400 年代フレスコ画が見られる。 カ ーボディモン テ の 王 宮 (Palazzo Reale d i Gap吋 im∞t e ) は, 8世紀 にエリザベッタ・ファルネー ゼが息子のナポリ王プルポン 家のシャルルに贈った美術品 の数々を保管するために建て られた.今日、王 宮内 には カーポテ' ィモンテ国立美術館 (MuseoeG a l l e r i eN a z i o n a l i d iC a p o d i m o n t e ) があり、イ タリアでも重要な絵画や陶磁 器のコレク ションが収められ ている.王家居住室内には、 ナポリ王宮で使われた磁器や マジョリカ焼き一式が展示さ れている. 市の反対側にある海岸には 1 3世 もとアンジュ一家 ( 紀)に属し、後に 15世紀に アラゴン家によって再建され たマスキオ・アンジョイーノ (又はヌオ ー ヴ ォ 城 ) (Maschio Angioino Castel Nuovo)の雄大な姿 が眺められる.四隅に円柱形 の塔が付いた台形の土台の上 に後えるその外観は重厚であ る.アルフォンソの勝利を摘 25 。 , いた浮き彫 りの施されたこ本 の塔が協に建つ 15世紀の凱 戦門 (Arco dì ~rionfo) は 有名である。この門はゴシッ クからルネサンスに移る文化 の過渡期を代表しており、南 イタリアの美術史の中で重要 な過程を表わしている。中庭 から 15世紀に造られた階段 をよが って有名なパローニの 広間 (Sal ad e iB a r o n i )に 出る こと ができる。同じ中庭 から械内に僅かに残されたア ンジュ一家時代の名残りであ るパラティーナ礼拝堂 ( Cappella P a l a t i n a)に入 ると、ジヨットーが制作した (1330年)フレスコ画の 一 部 が 見 ら れ る。 プレピシート広場 (Piazza d e lP l e b i s c i t o ) は市の 繁華街のーっとなっている。 18世紀末に壮大な王宮が建 設 された時、この広喝も再設 計された。広場のまわりには 町の最も 宣要な建築物のいく つかが建っている. 1 7世紀始め、 ドメニコ ・ フォンターナによっ て最初の 中核部が建設された王宮 (PalazzoR e a l e ) は 174 3年から 1748年にかけて 改増築された。 1734年か ら 1860年までプルポン王 家の館となっていた.入り口 を通過して中央中庭に達 し 、 そこから濠葦な装蹄の階段を 上がると、フ ーガの設計した di 宮廷劇編(Teatro Corte) (1768) に出 る 。 閉じ中庭か ら王宮の居住室 1 噂物館 (Museo dell'Appartamento S t o r i c od iP a l a zzoR e a l e ) に行くことができる。 そこ に は 、 18"'19世紀の家具、 フレスコ画‘ 17 ' " "18世紀 のナポリ派の絵画、タペスト リー、陶器などが保腎されて u c u l l o ) の遺跡の土に、卵雌 越している。毎年聖金曜日に San C a r l o ) がある o 173 L いる。 C a s t e l d e l l ' O v o ) が獲え 王宮内には丸 「ヴィッ ト この教会で、ジョヴァンヱ・ 7年ブルポン家のシャルルに ( リオ・エマヌエーレ 3世J国 パッティスタ・ベルゴレージよって開股されたこの劇場で ている.これは、始めはノル 立 図 書 館 (Bi b1 i oteca (1710-1736) の有は‘ガヱターノ・ド二ゼッテ マン人の、後にはアンジュ一 Nazionale “ Vittorio 名な「スタパートゥ・マーテイ、ジョアッキーノ・ロッ 家 の 館 で あ っ た。 o l l i n ad e l ヴォメロの丘 C Emanuele 3 " ) があり、二 ル Stabat Mater) Jが潰シー二、ヴインチェンツォ・ 百万冊の書籍、五千冊の初期 奏 さ れ る . ペッりー=等のオペラの傑作 Vomero) には、 1537年 から 1546年にかけて築滅 刊本のほか、 1752年エル 王宮に隣接して世界でも量が上演された. コラーノのピゾーニ荘 ( V i l・ も重要なオペラ tIの一つ、 俸に隣接した小さな島にあ された荘厳なサンテルモ栂 C a s t e lS a n t ' E Imo) 1 J fあ i l l a d i ( l ad e iP i s o n i ) から発掘され サン・カル目劇場(Teatr0 る古いルクッロ荘 ν た千八百のパピルス古文書が よ;ジェズ・ヌオーヴォ教会 保管されている. 正面入り口上のテインパヌ サ ン ・フランチヱスコ・ ム細部 ディ・パオラ教会 Chiesad i SanFrancescod iP a o l a )も 下:サン・セヴェーロ礼拝~ この広場に面している.この 内部 18世紀の多色大理石 教会は、約百年間フランスの の装飾が有名 支配下にあったナポリ王国を 奪い返した後、念願成就を感 謝してフェルデイナンド一世 によって建てられたものであ る.すぐ下にはサンマル る.建築織式はネオクラッ ティーノ修道院 (Certosad i シックで、その大きなクーポ S a n M a r t i n o ) があり、町の ラはローマのパンテオンを思 すばらしいパノラマが一望で い起こさせる。 きる.修道院とそれに付属す 広織の近くには 17世紀の るサン・マルティーノ国立1 毒 サン・フェルディナンド教会 物 館 料 u s e o N a z i o n a l e d i ( Chi esa di San S a n M a r t i n o ) は 17 世紀か F e r d i n a n d o ) があり、フレス ら今日に至るまでナポリの文 コ画や彫刻の貴重な作品を所 明を知る輝かしい貴重な資料 1 J i l 収められている。壮麗な教 会内部には、多くの芸術品が 保管されており、回廊も庭園 も見逃せない. 博物館の見どころは、ナポ リ王国の歴史に関する部門、 船舶、演劇部門、華麗な伝統 行事と民族衣装の展示であ る.芸術的にも歴史的にも興 味深いのは、見事なプレゼピ オのコレクションで、何百点 にものぼる 18t!:t紀のプレゼ ピオや 15世紀の木製のプレ ゼピオが展示されている. ポルタ・カプアーナ (Port a Capuana) はアラゴン家 の峨聾の中央円である。, 4 84年ジュリアーノ・ダ・マイ アーノによって建立され、織 に挟まれた大理石のアーチで 編成されている。ボルタ・カ プアーナの近くにあるサンタ .カテリーナ・ア・フォルミ C h i e s ad i Santa エッロ ( C a t e r i n aaF o r m i e l l o ) 教会 は , 510年に着工され‘ 1 a C a r b o n a r a ) があるが、こ 人で彼女に殺されたジャンニ 593年に完成した.内部に こへ上る階段は 18世紀のも . カ ラ ッチ ョロの基がある。 は主に 16 " " "1 7世紀の作品 のである。 時聞があれば訪れてみたい と 、 16世紀末に制作された 近くにあるカラ ッチョ・デ のが‘美しいサンタ・アンナ・ C a p p e l l a デイ・ロンパルデイ教会 芸術的な 6つの基がある. ル・ソーレ礼拝堂 ( a r a c c i o l od e lS o l e )は 1 ( ナポリでも最も古い地区に C C h i e s ad iSantaAnnad e i 1343年から 14 18年に 427年の建造で、 15世紀 Lαnbardi) で、中はまさに かけて建てられたサン・ジョ のフレスコ画で装飾され、マ ルネッサンスの彫刻]1尊物館と ヴァンニ・ア・カルボナーラ教 ジョりカタイルが床に張つで なっている。また、クオーモ 会 ( C h i e s ad iSanG i o v a n n i ある。女王ジョヴァンナの霊 宮殿 ( P a l a z z o Cuomo) に J . 26 上・サンマルティーノの修 道院 下・サンタ・キアーラ、マ ジョリカ装飾を施したクラ リッセ回廊の邸分 1 騨 毒 はフイランジェーヴィ市立 1 物館 (Museo Civico F i l a n g i e ri ) があり、応用美 術や絵画のコレクションが豊 富である.美 しい公園に固ま れた眺めもよいフロリディ ア ー ナ 荘 (V iIj a F l o r i d i a n a ) にはドゥーカ・ ディ・マルティーナ国立陶器 azionale 練物館 (Museo N d e l l a Ceramica Duca d i Martina) がある.ここには ヨーロッパやオリエントのあ らゆる種額の磁器、マジョリ カ醗きのほか、家具、象牙細 工、宝石額、彫刻、絵画が展 示されている。 ナポリの歴史と芸術を代表 する作品を見学するこの行程 の最後は国立考古学博物館 27 バレルモ:魔法の地 オリエントの香り (Museo Archeologico Na zi o n a l e ) で締めたい.こ れは着のブルポン家のコレク ションのほか、ポン ペイやエ ルコラーノの遺跡からの発揺 品の大部分を収めている世界 でも霞も重要な博物館の一つ である.所蔵品を列挙するこ とは避けて、ここでは見事な 大理石の彫刻や無数のモザイ ク及びボンベイ、エルコラー ノ、スタルピアで発掘された 壁画が見られると いうこと だ け一言付け加えておこう 。貴 重なア ッティ力、エトルリ ア、カンパーニア、アプリ ア、ルカーニアの壷のコレク ション、古い妓術、機械部門 も一見に値する。 王宮 カテドラル・ ・ . ・パラッツォ・デイ・ パラティーナ礼拝袋・ ' ノルマンニ ・ .プレトリアの痕 サン・ジヨヴァンニ... デッリ・ エレミーティ教会 . ・ラ・マルトラーナ サン・カタルド教会・ 一 ・ .考古学博物館 ジサ・ ・ . ・クパ サン・フランチヱスコ・.ー デ・アッシジ教会 ・ .パラツツォ・キアラモンテ シチリア州立美術館・ ・ . ・ピトレ民俗揚物館 国際マりオネット鱒物館・ ' . ・ヴィラ・タスカ パイダ修道院・ ・ . ・サンタ・マリア・デル・ モンレアーレ・ ー ジェス級会 . ・モンレアーレのドワオ『モ ベネディクト修道院の回廊・ . j,、丸天井のモ 紀元前 8世紀にカルタゴの上カテドラ J 笥聞として建陵されたバレル ザイク議飾 カンパーニア、古代より聾された優雅な別荘地 台からの景観が訪問者に比類のない感動を与える。近在 のアマルフィまで足を伸ばせば、独特のファサードを持 つ大聖堂とそのアラブ風の「天国の回廊Jが見られる . カンパ一二ア地方の特に海浜、島々は温暖な気候、風光 明婦な自然環境に恵まれ古くから多くの有名人の別荘地 として好まれてきた. カプリ:ティベリウス帝もこの島を愛した訪問客のひと りである.彼が何年かこの畠に住み由緒ある史跡を残し た。今日ではその美しい風景と温暖な気候で世界中の旅 行者を魅惑している。 エルコラーノとボンベイ:考古学的にあまりに重要な この二つの古代の町は、ヱルコラーノのチエルヴィの家 やボンベイのヴェッテイの家、秘儀荘など繁沢な住居の 例を幾つも見せてくれる。 ラヴエツ口:アマルフィの岬の上に位置し、ここから海 を舞台にした絶景が望まれる .~士圃なルフ;t口荘の庭園 内では、夏の間ワーグナー音楽祭が催される。この庭園 を訪れたワーグナーはその美しさに感激し‘ 「これこそ パルシファルにあるクリングソースの神秘の庭だJ と叫 んだと言われている。彼のイメージはやがて作品として 実現されることになった.チンプローネ荘は、その展望 カゼルタ: 18世紀中頃プルポン家のシャルルによっ て、王の夏の住居として建てられた王宮は、棋に広大で ま優穏なネオクラツ 衰華である.絢燭たる宮殿の内部l シック調の造り。滝や彫刻、噴水を配した広々とした庭 園がその美しさに花を添えている. 28 モi~ ,紀元前 254 年にロー マ人によ って征服された. 下 :カテドラル内部 紀元 5世紀には外国に占舗 され‘ 53 5年にはピザン ティン帝国に従属し、約 3世後有利な特権のー部を失い始 紀にわたってその領土となつめた.つぎつぎに変わった続 た 。 治者による圧政の姿鈴もその アラブによる占領で、すぱ理由のひとつである。しかし らしい首都となり、ここで取ながらこの都は、独自の芸術 り引きしようとする世界中か的歴史的特徴を常に保ってき らやって来た商人たちを魅了た。 した.その荘厳さと巨大さ この活気に満ちた都の感嘆 I まイスラムのコルドヴアやすべき代表的なモニュメント Cattカイロと並び称された。 のうち、カテドラル ( ノルマンの征服とスワビア剖 r a l e ) は 1184年に建設 人による統治のあとも、パレカ始まり 、数世紀にわたって 7 加え ルモは繁栄を続けたが、そのさまざまな建築物が付 1 29 られた。その壮大な外観は、 ぶ£つの高い塔があり、その 上には見事な 15世紀の正門 がある。左の側面は鍛冠の ( l D g g ia de l l : ' ロッジア I n c o r o n a t a ) ( 12世紀) で、国王はここで賎冠をすま せたあと、民衆の前に援を現 わした。右の側面はカタロニ ア・ゴシック機式で 15世紀 {司垂られたすばらしい柱廊で ある。内部にはさまざまな王 や皇帝の墓があり、このなか にはスワピア王朝のフェデリ コ2世のものもある。サン タ・ロザリアの礼拝堂 ( U lp p e l l adiS .R o s a l i a ) {持良製の壷(1631年〉を 砂耐震しており、市の守護聖人 ¢漣骨が入れられている。一 方宝物館 ( T e s o r o ) には、 1 4世紀1 J )ら 18世紀にかけて の貴重な霊異が収められてい る 。 壮大なノルマン宮殿 シチリアにおけるノルマン美 術のもっともすばらしい一例 で‘古典、アラブ、ピザンチ ン芸術の起源も見ることがで きる。内部は見事なピザンチ ン緩式のモザイクがほどこさ れている。後陣全体にクリス ト・パントクラトーレ ( C r i s t o Pa n t o c r a t o r e ) (全能神)の像があり、この 像は丸天井のモザイクにも表 現されている。上階は王族の 住居 ( a p p a r t a m e n t i r e a l i ) である。ノルマン建築のすば らしいもうひとつの例で、ア ラブ職人によって造られたサ ン・ジョヴァンニ・テ"ッり・ Ch ie s a エレミーティ教会 ( d i Sa n G i o v a n n id e g l i E r e m i t i )は屋棋の上にある 小さな丸天井で特徴づけられ る。この丸天井は、ノルマン の典型的な簡素さをもつにも かかわらず、独特な東洋の痕 跡をこのモニュメントに与え ている。回廊はアーチのつい ( P a l a z z od e iN o r m a n n i ) はもともとアラブによって建上;プレトリア広島属 てられたもので、 11世 紀 か 右 ..カテドラル 一 一 らはノルマンとスワビアの君 主の王宮となった。その後 1 下:サン・ジヨヴアンニ・デ 6 世紀にはスペインの総督1J~ 官邸として利用した。二階は 見事なパラティーナ礼拝堂 ( C a p 問I l aP a l a t i n a )で¥ 1130年に国王ルッジェー t 監が造らせた。おそらく ロ2 上:パラティーナ礼拝堂内部 左下:ノルマン宮殿 イ・レップロ・働シ教会 ( C h i e s ad iS a nG i o v a n n i j).アラブ織 d e i l e b b r o s 右下;マルトラーナ教会内部 人によってノルマン時代に建 設され (1 0 7 1年〉、ヤシ が植えられている. 30 31 た美しい柱廊が見られる. プレトりア広場 ( P i a z z a P r e t o r i a ) は町の中心のひと つで、独特な趣の大きなプレ F o n t a n aPreトリアの泉 ( t o ri a)がある.これは 16 世紀にフィレンツェ出身のカ ミッりアーこが造ったもので ある. その近くにそびえるのがマ ルトラーナ教会 ( C h iesa d e l l a Ma r t o r a n a )別名サン タ・マリア・デル・アミラリ オ教会 ( SantaMa r i ad e l l ' Ammira g l i0 )で ‘ 114 3 年にルッジェ 一 口 2世の提督 ジョルジョ・ダンティオキア が建てたものである o 16世 紀と 17世紀に 一部が改装さ れたが、鍾機と教会本体そし て半疎形の天井はもとのまま の形で、正面はパロック織式 になっている.この教会の内 部も見事な多色のモザイクで おふれ、このなかに、キリス トから魁冠を受けるルッ Jnternazionale delle Mari onette) では、この島 の大衆文化の典型的な登場 人物、有名な"プーピ (pupi ) "目を引く. バ レルモ 18世紀の貴族の 邸宅のよい一例は、ヴィラ・ タスカ(ViI J a Tas c a ) で. 草花の生い茂る庭園に囲濠れ ている.この庭園は 19世紀 に、希有な客人リヒャルト・ ワーグナーの賞貨を受けた. 市近郊の見晴らしのいい場所 に 、 14世紀にもとはアラブ の村だったところに造られた i パイダ修道院 (Conventod B aida) がある。モンレアー レのものをまねた回廊が興味 深い。グリフォーネ山のふも とに 15世紀のサンタ・マリ ア・デル・ジェス教会 ( C h i e s ad i S.Ma ri ad e l Gesu、 )があり、ここから見 る市のパノラマには心を奪わ れる.美しい大理石の正門と すばらしい回廊が見もの. 上:サン・ジョヴァンニ・ デッリ・ヱレミーティ教会 上:モンレアーレのドゥオ モ、後陣 下:サン・フランチェスコ教 会 下:モンレアーレのドゥオ ジェーロ 2世と、・聖母マりア の足元にいるジョルジョ・ダ ンティオキアの姿も描かれて いる. ここに温いサン・カ タルド教会 ( c h i e s ad i San Cataldo) は、ノルマン期の もうひとつの典型的な芸術作 晶である。 11 60年に建て られ‘今もなお当時のままの おごそかな姿、東洋風の 3つ の半球形天井を頂いている. 州立考古学博物館 (Museo Arc h e o l0 9 ico Re g io n a le ) は、その所班する展示品の多 さとバラエティーに富んでい ることから、イタリアで最も 興味深い博物館のひとつに数 えられる。実際ここには、海 底で発見された考古学コレク ション‘つまりフェニキア. エジプト、ギりシア、ヘレニ ズム、口一マの彫刻がある. 興味深いのは、セリヌンテ (Selinunte) 神殿の彫刻 32 モ.正面 と、シチりアのさまざまな地たサン・フランチヱスコ・ 方から来たブロンズ彫刻であディ・アッシジ教会 ( c h i e s a る 。 d i$ .Francescod 'A s s i s i )、 市の中心からそう遠くない 15世紀に勢力をも った封建 ところにジサの館 (Zisa) 君主が住んだパラッツォ・キ z i z “、" アラモンテ ( P a l a z z o C h i aー (アラブ語で"a すばらしい..の意)がある。 ramonte) 、 15世紀のパ P aー ノルマン国王の避暑地で悦楽ラッツォ・アパテリス ( の喝所とされ、 一時期は広大 l a z z o A b a t e l l i s ) にあるシ な公園のなかに埋もれていチリア州立美術館 たo 12世紀にグりエルモ 1 ( G a l l e r i aR e g i o n a l ed e l l a 世と 2世によって建てられ、 S i c il i a ) 、ここにはすばらし あきらかにアラブ職人によるい傑作の数々が展示されてい 文化的痕跡を見せている。 る。さらにファヴォり ータ公 よく似た特徴を持つ建物園 ( p a r c o F a v o r i t a ) にあ が、グリヱルモ 2世が 118 る興味深いピトレ民俗情物館 。年に建てたクパ (Cuba) (Museo E t n o g r a f i c o の館である。 P it re、)、世界中のマリオ 町の他の見どころを挙げてネットを集めた国際マリオ (Museo みよう。 13世 紀 に 建 て ら れ ネ ッ ト 簿 物 館 33 イタリア政府観光局 モンレアーレ、ドウ;tモの回 廊 I T A L I A NS T A T ET O U R I S TBOARD ViaMaゆe~a, 2 ・∞185 Roma・ 1 忌 1 .0 6 / 4 9 . 7 1 1-Fax0 6 / 4 4 . 6 3 . 3 7 9・ 1 ぬ! x 6 2 . 1 3 . 1 4・ 6 1 . 2 3 . 1 8 イタリア政府鍛光局海外代袋鶴; ト・パンクラトーレ ( C r i s t o Pancratore) (全能神)の 像が織かれている。隣接する ベネディクト修道践の回廊 ( C h i ω t r od e i Be 時~ttjnj) を訪れるときでおる。回廊は 尖頭形アーチのあるさまざま な彫刻がほどこ 2 されたニ置の 円柱が並ぶ桧廊で固まれてい る.その一角には四角形の固 いの中にシュロの木の形の泉 がある。 / E .N. l . T .REPRESENTATIVESABROAD: アルゼンチン・プエノスアイレス O r g s n i s m oO l i c i a JI t a J i a l l op a r ae lT u n s m o( E . N. 1 . T . ) 1 0 5 4B u e n o s刈r e s・ A v e n i d aC o r d o b a , 3 4 5 . ll n . l0 0 5 4閃 1 1・ 3 5 4 2F a x 3 1 2 ・ π ' 9 5 T c -ミュンヘン S t a a t l i c h悶 f t a l i e r 向c h e sFrem~ellvef1<eh 目am! ( E . N . . I T . ) 8 0 3 3 6M u n c h 朋・G 帽tI閣I r a 8 e 2 0 o . lI n l .0 0 4 9 . S 智5 3 0 3 6 0 /9u n . 5 3 1 3 1 7 T F融 5 3 4 5 2 7 オーストリア・ウィーン S t a a t l i c h e sI l a l 陪n i s c h e sF r e m d e n v e r l < e h r s a m l( 巳 凡 I . T . ) A.1 0 1 0W i e n 'K a r n l 陪 r r i n g . 4 5 1 6 3 9un . 5 0 5 1 6 3 T e lI n l0 0 4 3的 0 F a x5 0 5 0 2 4 8 ギリシア・アテネ E1 h o i k o sItali~田Organismos J o u r i s m o u ( E . N . I. 1 . ) 11526A 肋i n a .OdosV e n t i r i .5 い0 1 . 0 0 3 0 1 1 7 2 9 2 2 8 1F凱 花9 2 2 8 2 T 9 アメリカ・ニ 2 ーヨーク I t a l i a nG o v e r n m e n tT r s 制 O l l i c e( E . N. I . T . ) o r k . f I lY.l 0 1 1 1・ 6 3 0F I 向hA v e f l l J e N側 Y S u i t e1 5 6 5 T 札 1 1 1 1 . 0 0 1 2 1 2 1 2 4 5 4 8 2 2 un . 2 4 5 5 0 9 5F a x5 8 6 9 2 4 9 ベルギー・プリュッセル o n i c e N 説 。 I ¥ 3 . l l t 訓e nd uT o u r i s m e ( E. NI . . T . ) 凶伯V e r 陥e r 地Jr e a υ ( E . NI . . T . ) N a t i o n a a l l t a l e l l e s1 ( ) S O・ 1 7 6 , A v e n u el . O V i S 6 B山 x T e l . l n f . 0 0 3 2 2 1 6 4 7 1 1 5 4U f f . 6 4 7 1 7 4 1 F卸 6 4 0 5 6 0 3 目 スペイン・マドリッド O r g a n i s m o α i c i a lf t a l i a n op a 団 e l τ u r i s m o( E . N .l T . ) 2 8 0 1 4M a d r i d• C e l l eA I 国 l a 6 3 T e LI n l .0 ω 4 1 1 5 7 6 8 0 0 8un5 7 6 7 8 9 9 F a x5 7 6 9 3 6 8 カナダ・モントリオール o n i c cNatio"alltali~n d uT o u r i s m o( E . N . I . T . ) ねl i a n G o 略 的m a n tT r a v e lo n i 団 ( E . N. I . T . ) M o n l 時a l . Q υ e b e cH3B2C3・ 1P l a c eV i l l eM a r i e . S u i 栂 1 9 1 4 T e l . l n l . 0 ( ) 1 S 1 4 / S 6 6 7 6 6 7un . 8 6 6 7 6 6 9 F a x3 9 2 1 4 2 9 目 フランス・パり O l l i c eNationalll.li~1I d υ T u r i s m e ( E . N . I : T . ) 7 5 0 0 2P~ris • 2 3 .Rυed ol aP a i . 討 粉3 9 6 T e l .I n l0 0 3 3 1 1 4 2 6 G S S G aU f f .4 F a x 4 7 4 2 1 9 7 4 デンマーク・コペンハーゲン OenI taJiens~e S泊也 T u r i s l b u r e a u( E. N. I . T . ) OK1 0 1 8K o 出o h a v nK. 白S I ' 軒g a d e2 4C. 2 .p ,叫I b o l 唱2 2 0 4 . ll n 1 . ∞4 5 1 3 3 1 2 3 4 3 3un . 3 3 1 1 0 3 2 0 T e F a x3 3 1 5 3 8 7 3 目 , スウ}ーデン・ストックホルム , I l a l i e n s k aS t a t e n sT ui s l b y r a( E .N. I . T . ) 1 0 4 4 0S~田kholm 1 4・ S l r a n d ' / 勾e n 7 / A B o x1 4 0 4 0 .S T e l l n f 4 6 町6 6 7 9 9 3 0 U f f . 6 6 3 3 8 4 1 F副 6 6 7 1 1 0 7 ∞ 日本・東京 t I a r i aS e i f uK 訓 k OK y o k A J( E . N .l T . l 時r n m e n tTOll,l~t O H i 時 ( E . N .l T . ) l t a l i a n G o T o k y o1 0 7・ 2 . 7 . 1 4 .M I 崎m iAo 開m a.Mina~。仰 T e l .I n . l0 0 8 1 3 1 . 3 4 7 8 2 0 5 1 F a x3 4 7 9 9 3 5 6 -デュッセルドルフ S t . 拍世i 曲目I t a l i e n i s c h e sF r e 耐 e n 糊 附 田 町t ( E . N .I . T . ) 4 0 2 1 2O u s s e l d o r t・ B e r l i n 割 削l e e 2 6 T e l . l n f . 0 0 4 9 . 2 1 1 / 1 3 2 2 3 1un .1 3 2 2 3 2 f a x1 3 4 0 9 4 l t a l i a n G o 咽 r n m e n tT r a v e lO f f i o e( E .N. l T . ) 国9 01 .I I l i o o i s6 0 6 1 1・ 4 0 1 .N o r t hM i c h i g a nA v e . C h i S u i t e3 0 3 0 T e l .1 0 1 . 0 0 1 3 1 2 刷 4 0 9 9 6 Fax6 制3 0 1 9 -ロサンゼルス l 同i l 叩 G o v c r n m c n lT 市 川1 O f f i c o( E . NI . . T . ) l . Q sA n g o l 開 . CA90 似S . 1 2 4 0 0W i l s h i r eB l v d S O υ S陶 S T e t1 0 .0 1 0 1 3 1 0 1 8 2 0 1 8 9 8・ 8 2 0 1 9 5 9 F a . 8 2 ( ) S 3 5 7 イギリス.ロンドン I t t 拍 陥 刷 凶 a 訓 刷 副 凶 i l 刷 a 創制 刷 o創 S t 剖蜘 of . 而 。υ 閃 柑t 8 伺 叫 f d l E . f I ll . T . ) l o n d o nWlR8AY• 1 .Pi n c e sS信e e t T~l lnt 0 0 4 4 1 7 1 1 4 0 8 1 2 5 4 . 3 5 5 1 4 3 8 hx493G695 ドイツ・フランクフ J レト S l a a t l i c h 尉 l I a J 剛 、i s c h e sF r e m d e n 時 r l < e h r s a m!( E . N .L T . ) ~0329 F r a n k l o r t l M a i o .K a i s e r s l r a s e , 6 5 . ll n . l0049691237~0 U f f . 2 5 9 1 2 6 1 e F a . 2 3 2 6 9 4 '‘シカゴ ス イ ス ・ チaーリッヒ S拍剖l i c h e $ ;I l a l i e l l 叩市町F 町m dcn 町r k c h r s a 巾t ( E . N I . . T . ) 8 0 0 1Z断 Ch'U刷 i a s l r a s 鵠 . 3 2 T e l l n f . ω4 1 1 / 2 1 1 3 6 3 3 U I I . 2 1 1 7 9 1 7F a < 2 1 1 3 8 S 5 オランダ・アムステルダL > N a l i o n a a J1 凶i a a n sV e r l < e e r s b u r e a u( E .N. . 1 T . ) 1 0 5 4ESA m s l e r d a m• S l a d h o u d e r s k a d e .6 T e l . l o l . O ω 1 2 0 1 6 1 6 8 2 4 4 1 5 un . 6 1 6 0 2 4 6f ,副 6 1 8 8 5 1 5 N .. I T .BORDEROFFICES: イタリア政府観光局面焼オフィス/E. パレルモヘ近郊にも見どこ ろがたくさんある。見事な ドゥオーモのあるモンレアー レは、パノラマの素晴しさで も知られている. 1174年にグリエルモ 2 世が創設したドゥ庁ーモは、 すでに記した他の建築物と同 織に、アラブ、ピザンチン、 ロマネスク織式の建築と装飾 が見事に銅和している。内部 l 立、広々とした空間とき事現な モザイクが印象的でるる.こ のモザイクは 12世紀から 1 3世紀のあいだに造られたも ので、広い平面を覆い光締く 日約聖書のさまざま 金地に新 l な場面が翁かれている。後陣 のドームには巨大なクリス シテリア、古典文化の地 たぐいまれ忽古代交化遺措置は.この地方に保存され受 け継がれた.壮大で美し〈、絶妙なt 調和のセンス i ま古典 芸術家逮にインスピレーシヨンを与えた. ア グ リ ジ ヱ ン ト : こ の 町 は 給 先 制 ふ 5世紀の神聖な 縫築物の主主つ扮般の谷 ( V a l l ed e i Templi) をF 毛織らす 大きなパルコヱーのようである.これらのうち、荘厳さ と保存技態のよさで知られているのがユノの神殿 ( Tempio d i Giun e )とコンコルディアの縛鮫 (Concordia) とよばれるものである.州立考古学1 噂物 館 (Mu$章 。 ArcheologicoRegionalel には宮代発:Iilol'l. の貧富な 3 レクションがおり興味深い. シラクーサ:シテリア島愚大の観光ポイントのひとつ. ここにあるバロック感築のドゥオるは、アテネのギりシ ∞ ア神殿(紀元前 5 也*~l を土台にして建設された.考古 書群発銀地峨 (parcoArcheologicodellaNecropoli) 1 ま 古代郡市を 3 4 訪れるR 慢の中心的な晃どころで.今も古代の怒' I.dt上演 される俊太なギリシア劇場(T eatroGreco) .天国の石 切i 轟 (latomiadelParadiso) 、古代ローマの円形II1 l t 島 (Anfit 告書 t r0 )f J ! 1 重っている.持│立織物餓 (Museo R e g i o n a l e ) はイタりアでも-H量生の師事物館で.島全体の会 代史を研究するうえで.棄なむのである. タオルミーナ:経聖書約なf 翼線で世界的に名古書い郎市.エ トナ火山のふもとにある古代ギリシアII1 J I 轟 (Teatro greco) から見事な銚窪が楽しめる. タオルミーナには海71<浴織もあり、海岸の美しさは有 名。また音3臣、映画、~のフェスティパル. jタオルミー e ) 奇が包線的な主主術祭とし ナ・アルテ (Taormina Art て知られている. イタリア/オーストリア B r e n n e r o.Lupo ( B o l z a n o . B o z e n )V a ) i c os t r a d a l ed e l . l0472/61162 B r e n n e r o.Te CAP39041 V a l i c oa u l o s l r a d a l eLupod iB r e n n e r o・ イタリア/スイス PonleC h i a s s o• Brogeaa(ComO): . l031/540460. Te C a s e l l aP o s t a l e1067 CAP22100 T e ).047 2/ 61216 Fax61216 イタリア/フランス P o n l eS . ι u d o v i c o.La t 1 ed iV e n t i m i g l i a ( I m p e r i a )CAP18030 C a s e l l oA u l o s l r a d ad e iF i o r i.V e n t i m i g l i a • Te . l01841357262V a ) i c os t r a a a l ed i . l0184138021・ P o n l eS .L u d o v i c Q 'Te T e l e x283114.fax36270 V a l i c os t r a d a l ed iP o n t eS.L u i g i Te . l018 仰3 6051 ミラノ E . N . I. T.A e r o p o r l OC i v i l eF o r l a n i n i( l i n a . 同). T e l .0 2 1 7 3 3 0 9 1T e l 剖 3 10847Fax 7560310.CAP20090( c h i u s u r atempo. r a n e a ) ナポり E .N. . )T.Aeroponod iC a p o d i c h i n o Te . l081/7803050. fax7803050 CAP80144 ローマ E. N. ) . T.A e r o p o r t oLeonardodaV i n c i ( F i u m i C i n o )・Te . l06/65010238 CAP00050 “復*-なる主主術鶴市"プロジ zク 卜 に 毒事加する州; ヴェネト州 AsseS$oratoRegionale• Oipartimentoperl i Turismo PalazzoSceriman• Cannareggio,168 30100Venezia . l(041)792651. " 1 92644 Te Fax792601 トスカーナ併│ ラツィオ州 AssessoratoRegionalea l Turismo VOCPromozioneTlJrismo Viad iN o v O l i .26 ロ@ 50127F i r e r T e l.( 0 5 5 )4383680 , lr ismo Assessoratoa lTl ViaRosaRail l 10 ndiG a r i b a l d i, 7 ・ 00145Roma Te . l( 0 6 )51684129/41301 4132/5560 Fax51684220 Fax ( 0 5 5 ) 4383064 司 カンパニア剣│ Assessoratoa lTurismo ViaSanlaLucia 81 80132N a p o l i Te l .(081)7961111.7962039 目 Fax7962027 シチリア州 AssessoraloRegめnalea l Turismo.Comunicazionie T r a s p o r t i V .EmanueleNotarba r 1 o l o,9 90141Palermo . l(091)6961111 Te Fax(091)6968135.6968123
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