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偉大なる
芸術都市
旅のガイド
偉大な芸術都市の
史跡を巡る
おすすめ観光コース
│
必│
監修発行:
ENIT (EnteN
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perl
iTurismo
、
イタリア政府観光局)
Vi
a Marghera,2
・ 00185Roma
および
ヴヱネ卜州、トスカーナ州、ラ
ツィオ州、カンパーニア州、シ
チリア州
著作権所有
校正:
目次
イタリア政府観光局
情報、出版、視聴覚システム部
の
都
ち
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家宝
術の
芸川 1
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印刷:
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GraficheMazzuccnelliS.
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写真平版;
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ローマ:芸術の都
歴史の息づく街
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編集長:
OsvaldoB
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編集
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-Roma
著者:
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図版企画及び劃り付け;
Umbert
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写真 ;
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ヴェネツィア:水土に建つ奇跡の町
水面に映える輝き
17
ナポリ:地中海の母
ナポり湾の魅力
23
バレルモ:魔法の地
オリエントの香り
29
~
ローマ:芸術の都
歴史の息づく街
一
世
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引帽
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k. 会場ス段丘・会口会.会.会殿の場
り岨吻
料ト措休明刈刈岬時間。ゅ恥矧寸却の明暗浦市浴
リィ-可、,ヴイ・トコ.ヱ真--方一.コ一ヌ
一フオの.ルペラエニァヴピフ
ヴつァネスアピヤリテサ
リミ・ジチス・ロレェヴイ
ピイナ
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ンデマ〆ェラタ切ピクレ
ヵド.ザチトン
ボタ
抗ンタ
カサンサデ
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ンン・ツ
ゼイイニマ
殿湯一滅・・会ン盆・氷
室広エロレロ
富島ア教ア盤ア娩
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アゼニ泉ヱエト教ナリン場ヴ大リの
イ一ア会ンの場ジヴヱオ一マイ浴ヨノマ盆ネ
ツネ・教オイ広ンテピリリ・デラジ一・塗一
リネルタネテヴロタス・トベタメカ・ラタ大ト
才ヱアンゴンレポンランンインスランテンレリ
フヴフサアパトボサトサモテサコカサラサ一ト
.
.・パラティーノの丘
チルコ・マッシモ・ '
巡る観光コースは、 “永遣の
都'のそれぞれの時代に人々
か株わった芸術的雰囲気をわ
れわれにも感じさせる。
歴史の中心となるパラ
ティーノの丘
(C
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o
) から散策を始める
ことにしよう。ここは鉄器時
代の小屋の遺跡で織成された
掛刀の人類の居住地の跡であ
る
。 伝説によると、ロムルス
¢療がここにあり、アウグス
トゥス帝がローマの創始者と
フォロ・ロマーノの入り口
右手には、エミリアのパシリ
カの遺跡がある。紀元前 17
9年に建設され、色大理石の
床と柱の基礎が残っている。
ここは裁判所や会合の嶋所と
して利用された。その先に
1
本クーリア (
Curi
a
) とよ
I
諒1る元老院の跡が見える。
正面にはラピス・ニジエール
(
L
ap
i
s Niger) とよばれる
黒大理石の緩があり、伝説上
ローマを建国したとして崇拝
上;フォ白地区から見たコ ローマは壮大で見事な芸術
ロッセオ
の中心であり、美術館がある
だけではなく街全体が芸術創
魯η地である.ここは世界中
下;フ::tロ・ロマーノのパ i
ノラマ
から集まった芸術のすべての
漏問消化し扱収してきた。
この街の歴史はギリシ 7 ・
ローマの美術史とさらに現代
苗竿文化の美術史と共に歩ん
できた。ウルベ(ローマ)を
上:シーザーのフ::t口、
ヴィーナスの縛民主
::tr::マクセンティヌスのパ
シリカ
下:トライアヌス事のフ::t
ロ.ウルビアのパシリカ
して、自身もこ ζ に住居を建されるロムルスの墓を覆って
てた。その他の皇帝もそれにいる。
ならったため、 “パラッ
その織は 203年に建てら
ツォ.. (“パラティーノ"かれえセッティモ・セヴェルス
ら派生)は皇帝の邸宅と同義務の凱旋門 (Arcod
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になった。
Severo)である。その左手は
この丘からは、 2額立てやロストリ C
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) とよばれ
4頭立ての馬車鍛授が行われる演壇で、アンツィオの戦い
たチルコ・マッシモ (
C
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rcoで奪取した船首(ロストリ)
Massimo) を見下るす穆がでで飾られた ζ とからこの名が
きる。丘のもう一方の斜面についた。後方は、国康保管所
{志、フォリ・インペリアーりでも.t>ったサトゥルノの神殿
〈
向r
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i
) と共に (Tempiod
iSaturno) の基
フォロ・ロマーノ
( Foro壇である。
Romano)が広がる。市内の
広場の東側には、ジュリア
大半の古代遺跡がこの地識にス・シーザーによって建てら
集中しており、まさにここでれたユリウスのパシリカ
務時生活が行われていたこと (
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)の遺跡が
がわかる。
ある。
4
5
その向こうには、ディオス
クリの神殿( Tempio d
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) の、残存する 3本
の柱が自宅を引く。その織には
墨女たちが絶え間なく燃やし
続けた聖火を守るヴヱスタの
神殿 (Tempiod
iVesta) が
ある。
正面はアントニウス・ピウ
ス帯と妻ファウスティーナの
神殿 (
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) で、のちにバロッ
ク様式のサン・ロレンツォ・
イン・ミランダ教会 (
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iS,LorenzoinMir
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) の一部になった。
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Eなる道(Via Sa
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)を
行くと、巨大なマクセンティ
ウス帝のパシリカ (
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i Ma
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) に着くが、
残念ながら現在は側廊の一部
しか残っていない。
サンタ・フランチェスカ・
ロマーナ教会( Chiesa d
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SantaFrancescaRomana)
の前を過ぎると、ユダヤ人と
の戦いでの勝利を記念して 8
1年に建てられた優雅なティ
トゥス宇野の凱旋門 (Arco d
i
T
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o
) に着く。
少し灘れたところに、トライ
アヌス宇野のフォロ (Foro d
i
さて 、ナヴォ ーナ広場
(
円 az
zadiSpagn
a
) の方向
(Piazza Navona) へ向かへさらに進み、フ ェッ りーニ
おう。こ こは ドミツイアーノ 監督の映画 f甘い生活 J に
帯の競技場の跡であ る.ここ よっても紹介されたトレヴィ
には 3つの有名な噴水があ の 泉 ( 向ntanad
iTr
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)
る。北側には 19
1
世紀のネに立ち寄るう。このすばらし
プチューンの噴水
いバ ロ ック様式 の「水の劇
(
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a da Nett
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)、 場j では、二頭立ての馬車に
南にはベルニ一二の設計によ引かれる海神が華麗な海の神
るムーア人の噴水 (Fontana 話を語っ ている。伝説による
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l Mo
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) 、中心には 4っ と、この泉にコイ ンを投げ入
の河の噴水( Fontanad
e
i れれば、 ローマ に戻って来 ら
Fiumi) で、これもペルニーれると言われている.
ニによるものである (
1.
65
スペイン広爆は、映画
1年).
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ローマの休日」で有名に
正面はサンタ・アニェーなった ところである.こ の付
ゼ ・ イ ン ・ ア ゴ ネ 教 会 近ではショッピングに丸ー日
(
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.Agnese i
n 費やすであろう .広場の中心
Agone) で
、 16 57年にには美しい舟の噴水 (
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ポッロミーニが完成した.
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) がある.
この近 くの ロトンダ広場
絵のように美しい階段の上
(
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iazzadel
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aRotonda) にには、 1502年にフランス
!本古代ロ ーマ の保存状態の国王ルイ 12世によ って造 ら
よ い 神 殿、 パ ンテオン
れたトリニタ・デイ・モン
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lantheon) がある.紀元前ティ教会 (Cn
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き
27年にマルコ・ヴィプサニ d
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i MCl1t
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) がそびえ立ってい
オ・アグリッパにより 建築さ る.
才、ハドリ ニアヌス帝によっ
パプイ ーノ通り を行くと、
て現在の盗 にな り、“すべて広々としたポポロ広場に出
こ様げられた。内部る.中心にはエジプト のオベ
¢綿々.. I
!こは数人のイタリア王と画家リスクがそびえ、両脇には双
ラッファエッロの墓がある. 子の教会J サンタ ・マリア ・
近くにあるミネルヴァ広場ディ・モンテサント (Santa
(
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laMinerva) 1
こ Mari
adiMontesanto) とサ
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;t,ゴシ ック 機式の同名の教 ンタ・ マりア・デイ・ ミラ コ
会がある。内部の、ミケランリ .
(
S
antaMariadeiMir-a
ジェ口によ る「十字架を持つ co
l
i
) がある.広場の反対側
キりスト J (1521年)が には、 ルネサンス微式の教会
有名 である.教会の前には、 サンタ・マリア・デル・ポポ
ベルニーヱの設計による、愛口 (SMa巾 delPopolo) が
らしい小象に支えられたオペある.内部には、カラヴアツ
リスクがある 。スペイン広得 ジョの 「聖パオ口 の改宗
(Co
nversione d
i San
pao
l
0
) J と「逆さはりつけ
前頁よ :カンピドー リオの
の聖ピヱトロ (
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階段
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)J.
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.
)fcl>る.注
目すべきなのはラッファ工ツ
前頁下:力ンピドーリオ広
場
口のキジ家礼拝堂 (Cappella
Ch
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i
) である。
上;パンテオ ン
、 すべての
ルンゴテヴヱレ・イン・ア
神々 に縛げた 神殿
ウグスタ通りでは 、まさに
ローマ彫刻の代表作品であ
る、紀元 9年にアウグストゥ
下;ナヴォーナ.
広場、 4つ
の河の噴水
ス帝が造ったアラ・パチス
(AraPacis). r
平和の祭
壇J を見ることができる。
Traiano) がある.巨大な ヴォ宮 (PalazzoNuovo) と
ローマ都市建築の最もよい例 右手のコンセルパトーリ宮
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)
である.もともとこの場所 (
があり、カピトりーノ美術館
は、トライアヌス帝の市場
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) になっ
(Me
rc
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i Tra
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) と呼 (Musei C
ている.ふたつの宮殿のあい
ばれた大きな広場であった
が、現在では中世にその上に だには‘古代 ローマの国立文
建てられたミリツィエの塔 書館 (タブラリウム Tabularium) のょに建造され
(T
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izi
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) が自
た、セナトリオ宮
(Palazzo
を引いている .
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0
)
がある
.丘のも
そのほかの この地区で貴重
うひとつの頂には、サンタ・
3
日
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の柱のあるウ
な遺跡は、 4
ルピアのバシリカ (Basilica マリア・イン・ アラコエ リ教
(
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) と、戦いの1
易面 t
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彫 会
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lりがある。, 3世紀
刻されているトライアヌス帝 Ara
の記念往 (
CoICl1n
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) の建築で、ひとびとの言い伝
えによると、この場所でアウ
である。
フォリ・イ ンペリアリ 通り グストゥス帝の前に聖母子が
の 先 に は 、 コ ロッ セ オ 現われたとされている。
ヴェネツィア広場にむかつ
(Colos5eo)の雄大な姿が
浮き上がる.古代ローマの娯 て広い階段を降りると、ヴヱ
楽のうちもっと も人気のあっ ネツィア宮殿が見える。 14
た剣闘士同士の戦い、貧J
I
闘士 51年にのちの法皇パオロ 2
と猛獣の戦いなどが繰り広 1
1 世によって建てられた中世の
れらた場所である。コロッセ 要塞建築で、その後数世紀 に
オの隣には、ミルヴィオ橋で わたってヴヱネツィア共和国
コンスタ ンティヌ ス帝がマク の大使邸となった。
この宮殿の裏手を進むと古
センティヌス帝に勝利したの
を祝って 315年に建てられ 代神殿の遺跡が見えるアル
た、魅惑的なコ ンスタンティ ジェンティーナ広場
(L
ヌスの凱旋門( Arco d
i argo Argentina) を通り過
C
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o )がある.
ぎ、さらに行くと庶民的な建
サン・クレメンテ大聖堂 物の多いカンポ・デイ・フィ
(
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adiS.Clemente) オーり広場 (
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a Cam問
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) に着く。現在
の方ヘ行ってみよう.遺跡の
上に遺跡が積み重なってい では、絵になりそうな個性的
る、感嘆すべき代表的な建築 な市i
暑があるが、中世には
数々の催しが行われたところ
物のひとつである。バロッタ
様式の外観をもっ 12世紀の である.
教会が、初期キりスト教の大
ここに隣接するファ ルネー
聖堂の上に建っている。地下 ゼ広場 (Piazza Farnese)
層には聖チ リッ ロの墓があ は、厩厳に満ちたファルネー
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oFa
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) が
る。彼はサロニ ッコ、 旧テツ ゼ宮殿 (
サリア出身で、 9世紀にスラ 建つ。この宮殿!ま、ロー マに
ブ人にアルファペットをもた おける最後の大きなルネサン
らし、 聖書を彼 らの言葉に翻 ス建築であり、現在はフラン
ス大使館になっている . 15
訳した人物である.
14年にアントニオ・ダ・サ
フォ口地区からの帰りは、
ミケランジェロが設計した坂 ンガッロ・イル・ジョヴァネ
をのぼり、古代ロ ーマの宗教 が若手し、ミケランジ エロに
と政治の中心であ り、現在も 引き継がれ、デッラ・ ボルタ
市庁舎があるカンピドーリオ が完成した。広場の花こう岩
o
) ヘ出 でできたふたつの壮大な噴水
の丘 (Campidogli
I~. カラカラ浴場(T erme
る。
d
a
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) から持って
広場の両側には、同じよう i Car
な外観をもっ左手のヌオー 来られたものである.
6
7
教会 (
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iS.Mariain
Trastevere
) は、法皇イノ
ケンティウス 2世によって現
在の姿に再築された。モザイ
クで装飾された美しい正面を
もち、織にはロマネスク織式
の鐘楼がある.内部にある聖
母マリアの生涯を描いたモザ
イクはすばらしく、ピザンチ
ンの影響を受けている.
トラステヴェレを見下ろす
.
のジャ二コロの丘はロマン
テックな散策にふさわしい
所。こから望む衡のパノラマ
はすばらしい。ルネサンス様
式のサン・ピエトロ・イン・
モントリオ教会 (
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SanPi
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n Montorio)
の右手にある中庭には、プラ
マンテのテンピエット
(Tempietto) (1 50 2
年)がある。使徒ピエトロが
十字架に鋳けられたとされる
場所に造られた。
古い街並みの小道を下る
と、古代ローマの建造物の上
ハドりアヌス帝によって建
造され‘ 166 9年にペル
ニーこが彫像を付け足して装
飾 し た サ ン タ ン ジェ ロ 橋
(Pon
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e S
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'Ang
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)を
遭ってテヴェレ )
11
の対岸へ行
くと、サンタンジェロ織
(
C
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l Sa
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'A
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g
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l0) I
こ
着く.ハドリ アヌス帝とその
一族の霊廟だが、後にアウレ
リアヌス帝 (2 7 1年)に
よって要盆として改築され、
歴代の法皇も利用 した.
そしていよいよ世界中のキ
リスト教の総本山 、サン ・ピ
ヱトロ寺院の建 つサン ・ピヱ
トロ広場
(P
i
a
z
z
a San
Pietro )に到着する.聖ピ
ヱトロが埋ま撃されたと伝えら
れる場所に建てられたサ ン ・
ピエトロ寺院は、 1626年
にウルパノ 8世によって献堂
された.建設の監督には、ブ
ラマンテや ミケ ランジエロを
はじめ、数多くの建築家があ
たった.
広場にある両手をひろげた
格好の堂々たる柱廊は、ベル
ヱー=の作であ る.大聖堂の
内部には多くの芸術作品があ
り‘ペル二一二の天蓋、ミケ
ランジエロのピヱタ等が有名
である。また高 さ 132メー
トル、直径 42メー トルの巨
大な丸天井にも上が ってみた
よ :春のト リニタ・デイ・
モンティ教会
下:トレヴィの泉
に 5世紀に建てられ、さらに
9世紀に改築されたサンタ・
チェテリア・イン・トラステ
ヴェレ教会 (
C
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s
adSanta
C
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i
ai
n Trastevere) に
着く.この近くには男性が出
入り禁制の女子修道院があ
. カヴアツリー=作の
り
、 P
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後の審判 (1 3世紀) J
のフレスコ画がある。
(
1
5
0
1
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ティベりーナ島
Ti
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) には、 テヴェレ川
の左岸に旧市街でもっとも古
いファプリ ーチョ橋 (
Ponte
Fabri
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) (紀元前 62
年) 、右岸にチェスティオ橋
(
Ponte Cestio
) (
紀元前
46年)がかかり、この島に
は古代には医学の神エスクラ
ピウスの神殿があった.
真実の口広場 (
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aBoccad
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)は
古代口{マにはフォロ・ポ
アーりオ (
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)で
(Mu
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バチカン美術館
V
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i
) も必見で、ここの
見学には数日を要するだろ
う。時聞が十分に取れない場
合 で も 、 す ば ら しいシス
ティーナ礼拝堂
(
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p
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Si
s
t
in
a
) は見逃せない.内
部の壁画はミケランジエロの
傑作『儀後の審判Jをはじめ
とする世界的価値のフレスコ
画で埋め尽くされている.
トラステヴェレ(Tra
s
tevere)地区(テヴェレ川の
向こう岸の意)は、普のロー
マの面影がそのままに残って
いる.今日では観光と結び付
いて独特の下町情緒あふれる
地域として親しまれている .
4世紀にできたサンタ・マ
りア・イン・ト ラステヴェ レ
8
Caraca"a) は
、 古代から多
くの人々に好まれており、 1
600人以上を収容すること
ができた。ここは入浴施設で
あるだけでなく社交場として
も親しまれた所である o i
旦
.
あり、サンタ・マリア・イ
ン ・コスメディアン教会
(
C
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e
s
ad
i S. Maria i
n
Cosmedin) に面している。
6世紀に、当骨すで にあった
フラヴィウス附t
の建物の土
に建設された。前廊、ロマネ
スク様式の鍾織、内部の美し
い床、ゴシック様式の天蓋な
どは一見の価働fある.前廊
には、うそつきが口のなかに
手を入れると切られるという
有 名 な 伝 説 の “真 実 の 口
(Boccade
l
laVeri
t
a).
.
が
ある.実際には、河神を形
どった帝政時代の 石板であ
る
。
正面の広場には、共和政時
代にできたふたつの神殿が保
存状態よく残っている.円形
の神殿は勝利者ヘラクレス
(
E
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eV
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r
e
) に篠げ
られた紀元前 2世紀のもの
で、もうひとつは港の神ボル
トゥヌス (Portunus) に捧
げられたものだと考えられて
いる.
同じ地峨に、 7世紀に さか
のぼる‘前廊とロマネスク棟
式の鐘棲 (
12世紀)をもっ
サン・ジョルジョ・アル・
ヴェラブロ教会 (
C
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s
ad
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S
.G
i
o
r
g
i
oalvelabro)が
ある.その機は ジャ ーノ門
(Arco G
i
a
n
o
) とよばれ、
古代ローマのもっとも交通量
の多い交差点に建っていた。
閑静なアヴェンティーノの
丘 (Co
l
l
e Aventino) で
は、ローマの涼風を楽しむこ
水、冷水浴室、運動箱、マッ
サージ室、図書室、庭園な ど
リラ ックスするために必要な
ものが設けられていた.
次に、オスティエンセ通り
にあるサン・ パオロ・フオー
とができる。サンタ・サピー
C
h
i
e
s
ad
i Santa
ナ教会 (
、 5世紀のキ リ
Sabina) は
スト教会のよい例である.前
場面
室には新約、旧約聖書のt
が彫刻された木製の扉が見ら
れる。
紀元 216年にカラカラ帝
によって完成された雄大なカ
ラカラ浴場 (Terme d
i
左上
サン・ピヱトロ広崎
と寺院の外観
右上.サ ンタ ・マリア・
マッジョーレ大宮盆
下・サンタンジェ口減
1
) .レ・ムーラ教会 (
C
h
i
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s
a
u
o
r
;1
eMu
ra
)
dS.
Pa
o
l0 f
を訪ねること にしよう。この
教会は、使徒パオロが埋稼さ
れ止とされる場所 に建てられ
ている。
中心街にも どると、 “ロー
マと世界の司教座大聖堂"と
して知られるサン・ ジョヴァ
ンニ・イン・ラテラーノ 大聖
堂 (
匝s
i
l
i
cad
iS
.Giovann
i
i
n La
t
e
r
a
n
o
) が見える.こ
この土地はコンスタンテ ィヌ
ス帝 がメルキアデ法皇に寄進
したもので、そこに建てられ
た教会には、 1300年初め
まで 法皇庁が置かれた。正面
にある巨大な 15の彫像は 1
8世紀のものである 。 内部は
17世紀に再築 され、ポロ
ミ一二美術の 形跡が見ら れ
る
。 14世紀の回廊っき中庭
はすばらしい。
9
一』可
1
i
::真実のロ
下:サン・パオロ大聖堂
(
P
i
a
z
z
a
B
a
r
b
e
r
i
n
i
) へ向か
うことにしよう.広場の中心
には、法皇ウルパノ 8世のた
めにベルニーニfJ
f
造ったトリ
トーネの頃氷 (
F
o
n
t
a
n
ad
e
l
Tritone) がひときわ目を引
-
~一一一一一ーー ー一一一
ー
ー
一
ー
フ ィ レ ン ツ ェ :芸術家たちの都
く。そしてここからテルミニ
駅 (
S
t
a
z
i
o
n
e Termin
i)方
面へ向かうと、マッシミアー
ノ帝の命令で造られた、 3千
人を収容できるディオクレ
ツィアヌス帝の浴場 (Terme
d
iD
i
o
c
l
e
z
i
a
n
o
) がある. 1
アルノ川の宝
観光コース
566 年にミケランジェロ tJ~
造ったサンタ・マリア・デ
リ・アンジェリ教会 (
C
h
i
e
s
a
d
iS.Mariad
e
g
l
iA
n
g
e
l
i
)
は、現在で 6浴場跡の一部を
占めている.
- ・ドヮオーモ
ジヨットの鎗機・ .
.
t
tン・ジョヴァンニ洗礼.
シニョーりア広渇・ '
・ ・1
1
)1
-ジェッロ宮殿
品
オッピオの丘
(C
l
>
l
IeO このほかに勤ねてみたい所
p
p
i
o
) のふもとにあるサン・のひとつに、もちろんクイリ
ピエトロ・イン・ヴインコリナーレ (
T
a
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z
o
d
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lQ
u
i
r
i
教会(Chi
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s
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di
SanPi
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on
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) 宮殿がある。ローマで
i
n V
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c
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l
i
) は、聖ピヱトロもっとも高い民の上に、夏を
カ鴇獄 Z
されたときに繋がれて過ごす宮臓として 15 74年
いた鱗を保管するために S世 I
C
去皇グレゴリオ 8世が構想
紀に建てられた。内部には有して造らせた.広織の正面に
名なミケランジエロの傑作、 はアウグストゥス廟から持つ
モーゼ像(9:.
atua de
l M慌 て き た 3ナベリスクがそびえ、
討がある.
そ切両 のディオスクリの彫
回大聖堂のうちで、サン表1
J!:t..コンスタンティヌス帯
タ・マリア・マッジョーレ大¢治生事付近で発見されたもの
聖堂{志、唯一、初期キリストである。宮殿は、 1870年
教美術機遣を残している。 3 から 1946年のあいだはイ
56年 8月 5自の張、奇蹟がタリア王宮として利用され‘
起って雪が降ったという伝鋭貌在では大統領官邸になって
にもとづいてこの場所に建設いる。
された。
さて、パルペリーニ広場
サンタ・クローチ~級会・ .
a
・ウフィッツィ美術館
ヴェッキオ栂・ '
・ ・サン・トリニタ調書
ストロッツィ吉敏・ .
.
.
. ・新市i
畿のロッジア
サンタ・マリア・・ '
ノヴヱツラ教会
・ ・サン・ロレンツョr
級会
メディチ・リッカルディ宮殿・ ・
m
ラツィ*州の皇帝と法皇
息
宣
史1
ご.要な足跡唱を残したローマの賢人たちは、州会体にすぼ
らしいモニュメントを媛した.そのいくつかの例を鯵げてみよ
う.
a ・鎗て子.官官除
雪ナンティッシマ・アヌンツィ・ '
アータ事長会 ・ ・t
オン・マルコ美術館
ダヴァンツアーティ宮殿・ ・
a ・ォJ
!
-'
!
tンミケーレ
ピッティ宮殿・ 干
・ .ボ*リ庭@
ベJレヴ%デーレ婁 ・・
. ・ミケランジエロ広島傷
j,'.サン・ミミニア『ト・ア J
モンテ教会 .
.'!ナント・スピリト教会
,
f'
..
サンタ・マリア・デJ
カルミネ教会
s
アナー二:中世には、しばしば法皇の居住地となった.多くの
魅カ的なモニュメントや怠殿のなかでも、 3つの後陣、壮大な
.績を~つカテドラ J!- ,
( 1
'
"12世紀)r
:
t
.
J
!
J
I
.tIでおる.内 o
r
ま
地下事L
斧2
訟がすばらしく、そのフレスコ函は.. 13世紀のシス
ティーナ礼争奪盆"と呼ぶにふさわしい.
ティヴォリ:ローマから東ヘティヴォリヘ向かう遜を行くと‘
州のなかで令もっと、 Tぼらしいハドリアヌス宇野の別荘(Vi1
1
8
A
d
r
i
a
n
a
)の遺書容がある.ハドリアヌス傷によって簸量役されたも
ヴィテルポ:織鍵に園~れたヴィテ)J,-r-の町は絵のような町並み
ので{紀元 2t陸銀)、帝国中 ~a慢した際にもっとも媛勤した渇所
の残るサン・ペレグリーノ地区 (
Q
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a代i
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.P
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n
o
)を
や毛ニュメントをここに再現しようとした.ティヴォリの町の中 はじめ中世の面彫の.い係市でおる.見どこるは、ロッジアのす
心には、 16世紀に枢機卿イッポリト・デステが建てたエステ家 ばらしい法皇宮殿 (
P
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od
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i
) (
13t
信紀}、町の噴水
l
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'
E
st
叫があり、噴水がすばらしい.グレゴリオ のなかでももっとも突しい大噴水 (Fm
の別君主(Vil
匂n
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鴫)、サンタ・
I
J
&、
(l
i
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l
aGrega"i
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n
a
) もやはり 2
たが主役となるが、こ マリア・デラ・ヴェリタ級会 (
C凶e
s
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i Santa M
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法.のJ!
こではアニエネJ
I
If:*混とする大小の男置が印象的だ。
V
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)、市立得物館 (Mωeo C
i
v
i
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o
)でみる."マッキナ・
ディ・サンタ・ローザ"とよばれる、高<.いイルミネーション
カステル・ガンドルフ耳t :法皇の遜・地で、アルパノ湖の潟 をほどこした縫をかついで市内を練り歩く祭りもある.
嫌にk>る策織の美しいI
J
. プレピシ}ト広繍 (Piazza
d
e
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P
l
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c
i
t
o
) にある、ペルニーニ作のサン・トンマーゾ家主会
(Cnesad S
.Tommaso) と噴水がすぼらしい. 17世紀の法
宮殿が館主主している.
a
10
冒
"
フィレンツェは、古代ロー
マ以前から輸送路として刺用
されていたアルノ川河僻に開
花した、芸術と文化の都であ
る
。
フィレンツェは紀元前約 5
9年、食代ローマの循民地と
して建般された。
"フロレンティア(開
白"と名付けられたのは、
おそらく容に建設されたため
であろう。アルノ川!こ港を持
ち、古代ローマの勝線道路、
カッシア街還にも近いという
好議件が、経済の発展のため
に大きな役割を果たした。
ロ『マ宇野聞時代の終わり、
フィレンツェも 1000年ま
では急速に衰退時期に入つ
丸しかし、その後は、新し
い城壁の建設や近代的な都市
構造計画を取り入れて、政
治、宗教の中心として生まれ
翻わた。また商業活動にも
カを入れ、 14世紀から 15
世紀にかけて最盛期を迎え
る。その当時、政治家と軍隊
t
J
轡突し、教皇派と皇帝派に
分かれて対立した。フィレン
ツヱの芸術t
s
開花するのもこ
r
1
1
上:パノラマ
下:ヴヱツキオ機の夜祭
の時期である。有力なファミ
リーが住んでいた宮殿の建設
もこのころ始まった。多くの
貴族のなかでも、メディチ象
はもっとも有名で、 18世紀
半頃まで中心になってフィレ
ンツェの政治を動かした。
この約 4 0 0年のあいだ
に、フィレンツェ人の才能や
多くの芸楠家の名が世界中に
広まった。
フィレンツェは、世界的な
艶箭品をちりばめた文字通り
花の都である。
芸術、美術作品の多くは、
かなり集中しており、歩いて
鑑賞できるほどの地織であ
る
。
まずはドヮオモ広場
(
円a
zzade
l Duomo) から
案内しよう.
フィレンツェでもっとも置
要な建造物と、いえるドゥ
オーモ、サンタ・マリア・デ
のブロンズ騎馬像が立ってい
る
。
ヴェッキオ宮殿の裏側にあ
るのはパルジェッロ宮殿
(
P
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d
e
I
B
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l
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)で
おる o 13世紀半ばに、もと
もとは執政長官 (Capitano
d
e
lPo
p
o
l
o
) の館 (
P
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l
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z
o
d
e
l Podest
会}として建てら
れ、 1 6世紀 i
こ警察署長
(
C
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n
o
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iG
i
u
s
t
i
z
i泊、
パルジェッロとも言う)の役
所となる。この一角の、狭間
のある厳裕な塔はヴォロ
ニャータ塔 n (
Torre d
e
l
l
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V
o
l
o
g
n
a
t
a
) と呼ばれ、得世
紀の禾に 1度だけ鐘が鳴る。
内部には柱廊で飾られた回
廊があり、 14世紀に造られ
た美しい階段が、上踏のロッ
ジアへ続いている。この建物
内にあるパルジヱツロ目立美
多少疲れるが、二重構造の
3廊に区切られ色とりどりの
モザイクやフレスコ画、彫刻 盤のなかについた階段を丸天
で飾られている。多くの美術 井へよってみるのもおもしろ
品のなかでも、丸天井内の い。途中、丸天井の疹廊から
ヴァザ リとズッカりによる は、天井のフレスコ函や教会
フレスコ画「最後の審判 j 内部が見遣せるし、頂上から
(
1
5
7
2
.
.
.
.
.
.
.
7
9年)は、た 見る街全体のながめもすばら
いへん見応えがある。そのほ しい。
かにも、霊異室入り口の半円
ドゥオモの繍にそびえるの
はジヨットの鍾機
形ガラス窓のテラコッタは、
(Campanile d
i G
i
o
t
t
o
)
ルッカ・デラ・ロッピアによ
。 1334年にジヨットが
1450年)で、旧 だ
るもの (
聖具室の扉の上には「キリス 着手し、 1359年にフラン
トの昇天』、ミサ整具室の扉 チェスコ・タレンティが完成
の上には f
キリストの復活J した。鐘楼の蹟よヘ階段で上
がり、洗礼堂や街全体をなが
がある。
めることができる。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
(
B
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t
i
s
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.G
i
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n
n
i
)
上:ドゥオモ、プルネッレ
は、フィレンツェでももっと
スキの丸夫弁
も古い建築物のひとつで、
フィレンツェ商人らの出資で
下:ウフィッツィ宮殿、 2
建てられた。八角形の設計
隊部分、ミケランジヱロの
で、白色と緑色の大理石でで
ダピデ像
きている。外部は幾何学機嫌
で
、 3ヵ所にブロンズ製の扉
F
術館 (Mu
seoNa
z
io
n
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l
ed
e
l
B
a
r
g
e
l
l
o
) には中世とルネサ
ンス期の彫刻j
のすばらしいコ
レクションがある。ミケラン
ジェ口、 ドナテッ口、チヱ
り一二、ヴェロッキオ、デツ
ラ・ロッピアなどの傑作ぞろ
いである。
サンタ・クローチ.l:教会
がある。東の扉はギペルティ所蔵されており、必見の傑作 上:シ二ョーリア広tI
天閣の扉 (
d
e
JP
a
r
a
d
iーである。この美術館には 13
作 f
ヴェッキオ宮殿
50) J (
1425年)で、旧 -1 9世紀のフィレンツヱ絵
約聖書の場面を 10のレリ一面とミケランジエロの彫刻が
フに鎗いたものであ、北側の展示されている.パンディ
下:メディチ・リッカル
扉もギベルティの装飾ネツリの大理石彫刻 r
(
B
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l
i
c
ad
iS
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t
aC
r
o
c
e
)
ディ宮殿 ベノッツォ・
(1403-24年)によレスとカークス (
E
r
c
o
l
e e ゴッツォりのフレスコ函の l
:
t
、 1 2 9 5若手にアルノル
る。一方、南側の扉はアンド Caco) J (
1 534~手)も有 みる礼鍔盆都分
フォ・ディ・カンピオ1J
f
創設
レア・ピサーノ作で、 28枚名である。
したもので、イタリ?の著名
のブロンズレリーフでできて 広場にあるシニョーリアの
な文化人の栄嘗ある墓と記念
いる (133 0年) 0 洗礼堂ロッジア(またはランツィの
鳴がある。ダンテ、ミケラン
の内部は厳療な雰闘気に包~ロッジア) (
L
o
g
g
ia de
l
la
れている。
S
i
g
n
o
r
i
a
) は、当時フィレン
フィレンツェ市民の憩の場ツヱの人々の集会所として使
といえるシニヨ『リア広場用されていたため、この名が
(
P
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a
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e
l
l
a
S
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g
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o
r
i
a
) に ついた。内部には、テエツ
は、高さ 94メートルの塔をリーこによる傑作、ブロンズ
もつ有名なヴヱツキオ宮殿製のペルセウス像 (
P
e
r
s
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o
)
1 554年)をはじめ、大
(
P
a
l
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z
oV
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c
c
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i
o
) がそび (
えている。これはアルノル理石でできたジャンポロー
フォ・ディ・カンピオの設計ニャ作「サピーネの時窓
である (
1299-1 314 (
R
a
t
t
od
e
l
l
eSabine) Jや
年).1565年まではメそのほか一連の古代ローマの
ディチ家の住居として使用さ像が並んでFる
。
れていたが、現在は市庁舎に
広場にはネプチューンの噴
F
o
n
t
a
n
ad
e
lNettuno)
なっている。正面玄関の前に水 (
は、ミケランジエロのダヴィ (
1 575年)があり、海神
デ像(David) (1 50 4 が大理石で道られ、海の伝鋭
年)の複製が立っている。オが主題になっている@近〈に
リジナルはアカデミア美術館は、強大な~カを宅〉ったメ
(
G
a
l
l
母r
i
3d
e
l
l
'
A
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e
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i
a
) {こディチ象の祖先、コジモ 1世
ル・フィオーレ大聖堂
(San
t
aM a
r
i
ad
e
lF
i
o
r
e
)
l
<t古代ローマの住居の上に
建てられた古いカテドラル、
サンタ・レパラータ教会
(San
t
a Re
p
a
ra
t
a
) のさら
に上に、 1296年かもアル
ノルフォ・ディ・カンピオに
よって建設が始まり、 188
7年に完成した教会である.
後陣と丸天井の一部分は、
フランチェスコ・タレンティ
が、また丸天井は 1418年
から 1436年にかけてフィ
リッポ・ブルネッレスキが設
計した。
正面部分は、オリジナルが
158 7年に倒壊したため、
デ・ファプリスが再建した。
3万人を収容できる広大な大
聖堂内部は、まるで"屋根っ
さの広場"だと言われる。側
面にある扉のうちもっとも興
味深いのが、左手にある美し
いアーモンド形装飾の扉
(
P
o
r
t
ad
e
l
l
a Mandorla)
(15世紀)で、聖母マリア
の彫刻がほどこされたゴシッ
ク綴式のものである。
内部全体は十字架の形で、
ヘ
ラ
ク
1
2
1
3
ジェ口、アルフィエーリ、マ
キャペリ、ロッシ一二、フォ
スコロ.ガりレオなどのもの
である.ここには、 14世紀
の絵画やルネサンス期の彫刻
など莫大な量の美術品が所蔵
されている。ブルネッレスキ
が造ったパッツィ家の礼拝堂
(C
叩向lIad
e
iP
a
z
z
i
) も見
学してみよう。
ウフィヅツィ宮殿
(
P
a
l
a
z
z
od
e
g
l
i U
f
f
i
zi
)
(;t.フィレンツヱの行政事務
局を 1ヵ所に集める目的で造
られた(ウフィツィの名はオ
フィス=穆務所からつけられ
た)が、現在は有名なウ
フィッツィ美術館 (
G
a
l
l
e
ri
a
a
g
l
i U
f
f
i
z
i
) になってい
る。ここには世界中の美術品
カ司所蔵されており、 13-1
8世紀のイタりア絵画の傑作
や、フランドル派、 ドイツ絵
画、フランス絵画、オランダ
縦揺覇、また有名な自画像のコ
レクションがある。ここのす
く近くに有名なヴヱツキオ橋
(
P
o
n
t
eV
e
c
c
h
i
o
) がある。
この橋はフィレンツェで最も
古い橋で今で、使用されてい
る。フィレンツェのもっとも
鞍徴的なモヱュメントのひと
つで、機の上には賞金属庖な
どが並び、 15世紀の強り出
し部のある古い作業場もあ
る。中央の屋根のない部分か
らは、美しいアルノ沿岸が見 である。両開き、式の窓は建物 ことができるという伝説があ
伐汐ト観をバランスのよい洗練る。ロッジアの中央に鋸えら
渡せる。
れている大理石の円は、ここ
Ponte されたものにしている。
サンタトりニタ橋 (
SantaTri
n
i
t
a
) I
、
.
t
< 194 共和国広場 (Razzadella で悪い商人そさらしものにし
c
a
) は、古代ローた場所をしるしている。
4年に倒壊したが残った、オ Repubbli
マのフォロ(政治、経済の中
サンタ・マリア・ノヴェツ
リジナルの材料を再利用し
(
C
h
i
e
s
a
d
i$
.Maria
心広場)と、中世の│日市場ラ教会
て
、 1952年!こアンマン
〈
怜
r
c
a
t
o
V
e
c
c
h
i
o
)
が
N
o
v
e
l
l
a
)
は、中央駅を出た
ナーティの設計によって再建
.
すぐの湯所にあり、L. s
された。彼はおそらくミケラ あった場所である。
近くにある新市吻のロッジアルベルティの設計による美
ンジエロのデザインからヒン
ω99ia d
e
l Mercato しい外観をもっ。内部の芸術
トを得たと思われる" 3つの ア (
o
v
o
)
は
、
1547
年から品の中で主なものとしては、
N
.
J
小アーチ:伏の関口部があり、
1
5
5
1
年
に
か
け
て
建
設さフィレンツェ美術の巨匠マ
匹摩を表現した 4つの彫刻で
れ、高価な織物などが売られサッチォのフレスコ面、
「
三
装 飾 さ れ て い る (16 04
(
I
a
T
r
i
n
i
ぬ)ム
ていた所。現在でもフィレン位一体
年)。
(1427~手ごろ)ブルネツ
この近くのストロッツィ宮 ツェ独特の手工芸品を買うこ
とができる。ここでも、ロー
レスキの木製の『十字禦のキ
a
z
z
oS
t
r
o
z
z
i
)1
まス
路〈向l
C
ro
c
i
f
i5S0) J、
トロッツィ家の邸宅だったと マにあるトレヴィの泉のよう リスト (
F
o
n
t
a
n
ad
i ジヨットの『十字袈像
考えられ、とくに独特の 浮 に、子豚の吸水 (
o
r
c
e
l
l
i
n
o
) にコインを接げ (
C
r
o
c
e
) Jなど。
き彫りの石積み"の壁と突き P
サン・ロレンツォ教会
出た軒蛇腹で建築学的に有名 入れるとフィレンツェに戻る
H
14
(
C
h
i
e
s
adi
S
.Lorenzo) は
Moderna) である。ここに
ブルネッレスキの設計による
もので、 15世紀の建築の傑
作のひとつである。内部の謂
和はすばらしく、コリント式
の 2列の円柱で、 3邸に仕切
はほかに、銀器博物館
(MuseodegliA
r
g
e
n
t
i
)、
Museodelle
馬恵美術館 (
Carrozze) 、衣装美術鰭
(Museod
e
i Costumi
)
、
磁器博物館
(Museod
e
l
l
e
Po
rce1ane)、コンティー
ニ・ボナコッシ・コレクショ
サンタ・クローチェ教会
ン (Collezione Contini
Bonacossi) がある。建物の
裏に広がるボボリ庭園は、 1
549~ に設計された真の平
られている。ここでもフィレ
ンツェのほかの教会と同機
に、数多くの美術品がある。
内部の多くの美術品のうちド
ナテッロ作のふたつのブロン
ズ製説教壇とブルネッレスキ
grestia
作の│日聖具室($a
V
e
c
c
h
i
a
) が見もの。
教会の後ろには、ミケラン
ジエロの彫刻がすばらしいメ
C
a
p
p
e
l
l
e
ディチ家の礼拝堂 (
M
e
d
i
c
e
e
) がある。
メディチ・リッカルテ.ィ宮
殿 (
P
a
l
a
z
z
oMe
d
i
c
i
Ricca
r
d
i
)は
、 1540年までメ
ディテ家の住居であり、ルネ
サンスの上流社会の住まい象
徴であった。 1444年から
1462年にかけてコジモ 1
也のために造られた。外壁は
下の部分が浮き彫りの石積み
で上にいくほど完成度が高く
分の
なっている。また 1階部1
張り出した窓が特徴的であ
る。内部にはすばらしい中庭
(
C
a
p
p
e
l
l
a
がマジの礼揮堂
d
e
iMa
9
i
) へ続いている.こ
こはミケロッツォ・ディ・バ
ルトロメオとベノッツォ・
ゴッツォリが設計し造ったも
のである。
($p
edale
捨て子養育院
d
e
g
li1
n
n
o
c
e
n
t
i
)は
、 141
9年にブルネッレスキが設計
した捨て子を受け入れる施設
で、裕福な絹商人たちが出演
した。広大な中庭を囲み、美
しい柱廊は次元と幾何学的に
ブルネッレスキの新しい考え
に基づくもので、アーチの広
さと桂の長さ、柱廊の奥行き
が同じになっている。柱の上
には、 10個のうわぐすりを
和のオアシスで、常に芸術と
自然の調和によって育まれて
きた湯所である。
丘の頂上にはベルヴェデー
F
o
r
t
ed
iB
e
l
v
e
d
e
r
e
)
レ要釜 (
がある.観光客やフィレン
ツヱ市民にとっても、有名な
場所で、ここからはすばらし
い、パノラマが楽しめる。要
塞 (
1S95年)はブオンタ
レンティによる星形の設計
で、しばしば魅力ある芸術的
催しが行われる.
かけたテラコッタがあり、こされており、一方、二階には
れはアンドレア・デッラ・ すばらしい『受胎告知 Jがあ
ロッピアの作である。
閉じる。付属図会館では、 2列の
広湯に、サンティッシマ・ア洗練された柱が並び、ルネサ
C
h
i
e
s
a ンスの美術品とよく調和して
ヌンツィアータ教会 (
d
e
l
l
aS
a
n
t
i
s
s
i
m
aAn則 n
z
ia
t
a
) いる。
があり、この教会で重要なの
ダヴァンツアーティ宮
は
‘ 18世紀のなか i
ままで、
(
P
a
l
a
z
z
oDavanzati)は 1
3月 25自の受給告知の日そ 4世紀に建てられたもので、
元日として祝っていたことでフィレンツェ邸宅傷物館
ある。正門から入るとヴオ (Museod
e
l
l
aCasaFiorティ回廊
(
C
h
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ri
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od
e
i e
n
t
i
n
a A
n
t
i
c
a
) になって
V
o
t
i
) で、ここにはフィレンいる。宮殿内には 14世紀か
ツ ヱ ・ ル ネ サ ン ス に お け る ら 18世紀にかけての置物や
もっとも重要なフレスコ画と調度品が保存されている。
絵画のいくつかが見られる。
オルサンミケーレ通りに建
(Palazzo
サン・マルコ美術館つ毛織物美櫛舘
(MuseodiSanMarco) は d
e
l
l冶 r
t
ed
e
l
l
al
a
n
a
) はt
t
サン・マルコ修道院と周じ敷ってその同業組合が置かれて
地内に怠る、 15世紀のものいた所である。中也独特の績
である。ベアト・アンジェリのある建物で、陸矯で上階の
コの数々の重要なフレスコやオルサンミケ『レとつながっ
絵画、 「リナイオ』リの祭壊 ている。 1337年に小麦市
(Tabernacolo dei 場の真ん中に建てられた。L
in
a
i0
1i
) J や「最後の審陪は礼拝所として、ほかの階
判」を所蔵している。フレスは小衰の倉庫として、ふたつ
コ画の大作である『十字禦のの役目を併せもっていた。
C
rc
むi
f
i
s
s
i
o
n
e
) J アルノ川を渡ると、かの有
キリスト (
覧会員室名なピッティ宮
(Palazzo
は司教座聖堂参Z
(
S
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l
a C
a
p
i
t
o
l
a
r
e
) に保存 P
i
t
t
i
) が見える。これはブ
jレネッレスキがある絡福な商
人のために建てたものであ
る。二階はパラティーナ美術
館 (
G
a
l
l
e
r
i
a P
a
l
a
t
i
n
a
)、
またはピッティ美術館と呼ば
れ、ラッファエッロやティ
ツィアーノの作品が多く所蔵
されている。三階は近代美術
館 (
Galleria
1
5
d'Arte
左:サンタ・マリア・ノ
ヴェッラ教会
省:ザン・ミニアート・ア
ル・モンテ教会、後陣
ヴエネ
ポボリ庭園
yィア:水上の奇跡の町
水面に映える輝き
飾と
をひ
時的
[KF
岬の
拾保
事も
ので
E
ンゆ
y中
イ絵
レ直
フるつ
観光
•••••
•••
•••
アレッツォ:この郷市も、毎年聞かれるサラセン人の馬上信鼠
合 (
G
i
o
s
t
r
a d
e
l S
a
r
a
c
ino) が有名だが、どの隼節に訪れて
も‘市中心部の多くの美術品に魅了される.サン・フランチェ
スコ級会 (Cnesad
iS
.F
r
a
n
c
e
s∞)では、ピエロ・デッラ・
フランチェスカのフレスコ画(' 5世紀}がすばらしい.これ
はイタリア絵画の大傑作のうちのひとつである.サンタ・マリ
ieved
iS
. Ma
r
i
a
)l
i
.透かし彫りのロッ
ア・敏区教会〈凶 P
ジアと下都の浮き彫りが特徴的.
1
6
け
ソ
、
:
)
E
!
カ
P
a
l
a
z
z
oPub凶i
∞
,
) (14世綻)が
シエナ:プッブリ コ宮殿 (
薗するカンポ広喝 (
P
i
a
z
z
ad
e
lCampo)で行われる伝統行事、
パリオ鱗設が有名である.町の歴史約中心地にあるドゥオモ
l
i、イタリア ・ゴシ ックのなかでもっともすばらしいものの一
つである.その内部は名高い芸術品がある.感鳴させられるの
は洗礼盆で、ドヲオモの後障に鋸えられている.ドゥオモ美術
館 (
M
u
s
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o
d
e
l
l
r
aMe
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r
o
p
o
l
lt
a
n
a
) はすぼらしい絵画を所
蔵している.また国立絵画繍 (
P
in
a
c
o
t
e
c
a Comunale) も訪れ
たい見どころ.
才
トスカーナの地に根づいた"特性"は‘そこに住む人々の特
殊な才能を古くから示してきた.鐙かな創造性の生み出した敵
え切れない芸術作品のいくつかを紹介しよう.
)
!.-ッカ:ここのドゥオモはも っとも有名なモニュメントのひと
つで.ロマネスク様式の正面を持ち見事なレりーフで飾られて
いる.内却には有名な美しいイラリア・デル・カレットの墓
(
,
.408年)がある.サン・ミケーレ・イン・フォ口敏会
(
C
t
i
e
s
a
'd
iS
.Mi
c
h
e
l
ei
nFσ0) はすばらしく.そのよには大
きな犬天使像が縫えられている .サン・フレディアーノ教会
(
C
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s
ad
iS
.F
e
d
e
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i
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n
o
) も見逃せない.正面に 1200年代
の光湖くモザイクがほどこされている.
ピサ ・
:観畿の中心はアツリ ;
:
p世の事(14世紀)のある
ドゥオモ (1'':''';2世紀)が建つカンポ・デイ・ミラコリ
(Cam同由iMi
r
a
c
di
) .ピサーノの鋭敏値 (14世紀)、後
鱒のドームにある, 3世紀のモザイクなど.前にはロマネス
ク ιゴシック美術の傑作である洗礼盆(' 2
.
.
.
.
.
.14世紀}があ
る.ドゥオモの後るには優雅な 6層のロッジアが美しい有名な
斜繕( T
α
,re P朋 C島n
t
e )がある.となりはカンポサント
(Camposanto)で、まさに 14世紀のトスカーナ絵画の美術館
.
1
ニ
.なっている.
ス
. ・パラッツ才・パパドポリ
フォスカーリ邸・ 畠
ー .パラッツォ・グラッシ
レッツォニコ邸・ .
・ ・サ ンタ・マリア ・デッラ・
ドガナ仰・ 畠 サ)1;ーテ教会
ヴェネツィアは島々と運河上:市のパノラマ
から成る町である。長大の運
河「大運河J(
C
a
n
a
lGrande) 下 :海よ から見たサン・マル
1
J
f
,都市を二分し、最も美し
コ広湯
い建物の大半がこれに面して
・サ ン・マルコ大聖堂
サン・マルコ美術館・ ・
・ ・パラッツォ・ドワカーレ
娼機・ a
.1
1
:
寺
針
縫
ため息の橋. ・
・ ・スキャヴォ一二海岸iIり
サンタ・マリア・デイ・. ..邑
ミラコリ 教会
'
・ラ・ フェニーチェ劇場
サンタ・マリア・・ '
グロリオーザ・テ'イ ・ ・ ・スクオーラ ・ディ・サン・
フラーリ教会
. ロッコ
4
トスカーナ、芸術に生きる州
フ
口十ラ融
﹂ツプ人
・シ
13
UF
ラルイ
ドァ橋
-J
・・副川け,、
一一フ
い力
川
日グス尻
町サペリ
デ
E
カ
p
i
r
i
t
o
) とサンタ・マ
ン が 完 全 で 謂 和 し た 表 現 に d S.S
リア・デル・カルミネ教会
なっている。
(
0
1
i
e
s
ad
i S. Ma
r
i
ad
e
l
内部の聖具室には、聖ベネ
ディクトの物語を表現したス Carmine) も見学したい。後
ピネッロ・アレティーノの有 者には、プランカッチ礼拝堂
p
e
l
la Brancacci)の
名 な フ レ ス コ 画 (13 8 7 (Cap
なかに、マサッチヨによるす
年)がある。
まらしいフレスコ画(アダム
広場から下ヘ降り、プル l
ネッレスキの設計によるサン とイヴの楽園追敏、聖ピエト
ト・スピリト教会 (Chiesa ロの物語)がある。この絵は
噌伺吋,,
W
ン
フポ
r
景観を楽しむのに、必ず訪
れJ
といもうひとつの場所はミ
ケランジエロ広場 (
P
i
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z
a
l
e
Michelangel0
) である.こ
こからは、ロマネスク建築の
傑作サン・ミニアート・ア
ル・モンテ教会((ni
e
s
ad
i
SanM i
n
i
a
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oa
l Mo
n
t
e
)が
買える。正面は、色彩のコン
トラストと幾何学的なデザイ
ヵパ乳
パラツツォ・ヴエンドラミン . .
.力レ l
レジ
. ・トルコ人商館
ペザロ邸・
サン・ジヨルジ ョ島・ ・
・トルチヱツロ島
ブラノ島 ・・ ・ムラノ島
いる。この都市 r
;
t
.
紀
元5
.
.
.
.
.
6 邸宅が建ち並んでいる。
世紀 l
こ
、.外国の侵略による破 パラツツォ ・ヴェン .ドラミ
鴻から逃れて来たアクイレイン・カレルジ
{ P
a
l
ア (
A
q
u
i
le
i
a
) と近隣都市の Vendramin
・
C
a
l
e
r
g
i
)は
、 1
住民により建設された。 82 504年から 1509~手のð1>
8年には、福音賓の著者であいだに建てられたもので、ニ
るマルコの遺体がここに移さ段の両開き式窓を持つ、調和
才、これによってサン・マルのとれた外観を呈している a
コ大聖堂
( 白s
i
l
i
c
a d
iここはリヒャル卜・ワータ
Marco) は重要な意味を持つナーが住み、 1883年に亡
ことになった.
くな った屋数である.現在、
その後何世紀にもわたっ市営カジノとなっている白
て、ヴヱネツィアは大陸を背
トルコ人商館 (Fonda
後 に 控 え た の 自 然 の 港 と し ai Turchi) は 7
.
.
.
.
.
8世紀に
て、東地中海諸国等との貿易建てられ、その後数々の硲福
に常に名を馳せた。また、第泡清人一族の所有となり、 1
一 次 十 字 軍 (1096年)に 621年から 1838年のあ
動日していた軍隊への援助にいだにはヴエネツィアにあっ
より、ヴェネツィア商業基地たトルコ商業共同体の倉庫と
はパレスチナに進出した.
して利用された.
1 5世紀と, 6世紀は、
ペ ザ 口 邸 (Ca'Pesar0)
ヴエネツ ィアの華麗な文化がは、口ンゲーナ (
Longhena)
花聞き始めた時期である。
使犠計で、ペザ口家のために
大運河の沿岸には、建築学建てられた。バロック建築と
的に最も軍要な多くの貴族のして興味深い一例で、現在は
17
上:サン・マルコ広湯とサ
ン・マルコ図書館
下:リアルト橋
ツィア・バロックの傑作のひ
とつである。ヴェネツィア 1
8世紀美術館 (Museo d
e
l
Settecento Veneziano) に
なっているが.この美締舘は
興味深いもので‘この世紀の
華やかな文化が再現されてい
る
。
その先にあるのがアカデミ
ア美術館
(
G
a
l
l
e
r
i
ed
e
l
l、
F
Accademia) で
‘ 14世紀
から 18世紀にかけてのヴェ
ネト絵画の最も軍要なコレク
ションがある。サンタ・マリ
ア・デッラ・モナルーテ教会
(
C
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i
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s
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i Sa
n
t
aMa
r
i
a
d
e
l
l
a ,
$a
l
u
t
e
) は、ヴェネ
ツィアがペスト禍から逃れた
ことを感謝して建てられた。
B
. ロンゲーナによるバロッ
ク建築の傑作で、その内部と
聖具室にはティツィアーノと
ティントレットによる絵画が
ある。この教会のすぐ先、大
運河とジュデッカ運河
(
C
a
n
a
lde
l
l
aGiudecca) の
エジプトのアレキサンドリア
から盗み出さ才し埋葬された
場所にそびえている。教会は
今日見られるように、 11世
紀から 17世紀のさまざまな
建築学的技法の集大成であ
クで飾られている。中央祭壇
後方のパラ・ドーロ
(
P
a
l
a d'Oro) は、ヴェネ
ツィア式およびピザンチン式
の金細工によるたいへん貴盆
な傑作で、 2子を越える宝石
w
a
o
M
d
d
a
、
れた。小アーチ状の開口部が
ひとつだけ<ff>り、 19世紀ま
では大運河にかかる唯一の織
であった。以前は木製のはね
橋で、鉛が商館の前で直鎗積
み荷をおろすために利用され
苫が集まっている為、
た。商l
人々がよく訪れる場所であ
る
。
パラッツォ・パパドポリ
(Palazzo Pa
p
a
d
o
p
o
li
)は
ルネサンスの美しい建築物の
ひとつで、小さな梼円形の窓
があり、下部が総鰻で上部に
ふたつのオベリスクが見られ
る.
フォスカリ邸
(Ca'
Fosc
a
r
i)は、大運河
沿いに面する他の建物と問機
に代表的な役割を果たしてい
るよい例である。
この建築物は 1423苦
手t
t
'
2
>1457年のあいだに、フ
ランチェスコ・フォスカり統
管のために建てられた。ヴヱ
ネツィア・ゴシック機式のず
ば抜けた例のひとつで、ふた
つの見事なロッジアと八つの
装飾アーケードがある。
すばらしい建築物がつらな
り、すべてを紹介するのは不
可能だが、ここでパラッ
ツォ・グラッシ
(
Palazzo
Grassi) にたどり渚く。こ
の荘厳な 18世紀の建築は二
列の惑をもっ。近年修複さ
ま重要な展覧会や文
れ‘続在i
化的な催しの会場として利用
されている。
レッツォニコ郡
(
C
a、R
e
z
z
o
n
i
c
o
) はヴェネ
‘肝可
近 代 美 術 館 (G剖 I
eria
d'Arte Moderna) と東洋美
術 館 (Museo d
'Arte
O
r
i
e
n
t
a
l
e
) になっている。
カ・ドーロ (Ca、
'
d
'O
r0
)
l
玄、おそらくヴェネツィアに
おけるゴシック機式の最もよ
い例でおろう。 1424年か
ら 1430年のあいだに建て
られ.その名のとおり、かつ
てその外観は金で装飾されて
いた。現在では、ジョル
ジョ・フランケッティ美術館
(
G
a
l
l
e
r
i
a GiorgIo Franけになっていて、マン
chett
テーニヤ、ティツィアーノ、
ティントレットらの絵画など
多くの芸柿品を所蔵してい
る
。
船で大運河を行くと次々に
すばらしい館を見物すること
ができる。続いて現われるの
は
、 14世紀の終わりに建て
られた美しいパラッツォ・モ
ロシ一二・サグレード
( Palazzo Mo
r
o
s
i
n
i
、 3本柱で 4つ
Sagredo) で
の開口部に分かれた優雅な窓
で飾られ、その窓はビザンチ
ン織式の帯状装飾で取り巻か
れている。
次に見えるのは小さな宝
石、パラッツォ・フ;tスカー
リ・デル・プラ( P
a
lazzo
、 15
F
o
s
c
a
r
id
e
lP
r
a
'
)で
世紀に建てられ、かつてマン
トヴァの大使の在所であっ
た
。
続く新ゴシック練式の建築
) で、現在
物は (Pescaria
は魚市場である。それに隣接
する
(Campo
d
e
l
l
a
Pescari
a
) は市場として朝
からにぎわい、一部が
(
F
a
b
b
r
i
c
h
e Nuove d
i
R
i
a
l
t
o
) の建物になっている
が、ここは 16世紀には、市
の商業を管理監視していた行
政官の役所で<ff>った。そのタE
のドイツ入荷館 (Fondaco
d
e
i Tedeschi)は、ヴェネ
ツィアのドイツ商人の重要な
交易の場であった所である。
隣 I~ リアルト橋 (Ponte
d
i
、 1588年から
Ri
a
l
t
o
)で
1592年のあいだに建てら
でできている (10-14世
紀)。
洗礼室
(Battister0
)
(14世紀)にはルネサンス
の有名な建築家のひとりであ
るジャコポ・サンソヴィーノ
の墓石がある.地下の埋葬室
には聖マルコの遺骨が納めら
れ、一方、寓即の右手には、
コスタンチノープルからもた
もされた聖なる品々の、他 l
こ
例のない貴重なコレクション
を有するサン・'::(')レ=宝物蹄
(Tesorodi
SanMarco) を
見ることができる.サン・マ
ルコ美術館〈はJ
s
e
o
d
i
SanMarco) には、モザイク
やつづれ織り、古いペルシア
じゅうたんとともに、金を
塗ったブロンズ製の、省名な
4頭の馬像がある。この馬像
f~ 第 4 次十字軍の戦事IJ 品と
して, 204年にコンスタン
チノープルより持ち帰られ
た。古代ギリシアあるいは
ローマ時代の作品とされ‘も
~:サンタ・マリア・デラ・
サルーテ教会
下;サン・マルコ大量E盆
合流点はドガナ岬
(
Punta
d
e
l
l
aDogana)で、かつて東
地中海地方から来た船が商品
をおろすために繍付けしたと
ころである。ちょうどこの岬
にある白い建築物は、金色の
縁体を支えるこ人の奴錬像で
できた小繕で.かつて 17世
紀に浩られた幸運の女神像の
土台であった。この女神像は
片足で立ち‘風向きの変化に
よって回るようになってい
て、とくに商業にたずさわる
人々の運命のうつろいやすさ
を指し示している。
サン・マルコ大聖堂
(
B
a
s
i
l
i
c
ad
iSanMarc
o
)
は、福音書の著者聖マルコの
遺体が、 828年にニ人の
ヴヱネツィア人船員によって
る
。
正面はアーチ状の 5つの入
り口、 5つの東洋風のドーム
をそれぞれ頂いている。正門
に 4頭のブロンズ製馬像の複
製が見られるが、これは 12
04年にコスタンチノープル
から持って来られた(オリジ
ナルはサン・マルコ美術館
(MuseodiSanMarco) I
こ
ある) .中庭には, 1-1 2
世紀にさかのぼる赤大理石の
級があり、伝説によると、そ
こで 1177年に法皇アレッ
ザンドロ 3世とフェデリコ・
バルパロッサ皇帝が会見した
と言われている。内部の設計
はギリシア十字め形でおる。
ピザンチン風とルネザンス様
式のまばゆいばかりのモザイ
1
9
g
g
e
t
t
a del Redentore)のあるジュデッ
ロジェッタ(しo
Gi
udecca) と近くのサ
Sansovin
o
) がある 。広場を カ (
北と南 に 分 け て い る の が ン・ジ ョルジョ島 (
1
5Ol
ad
iS
行 政 長 官 官 邸 ( procu- a
n G
i
α go)がー望できる.
で
、 2人の この海岸通りには、現在のダ
ra
t
ie)
ムーア人が鐘をついて時を告 ルマチアであるスキャヴォニ
げる 16世紀末期の時計塔 アの人々が商業活動を展開し
(
T
o
r
r
e
d
e
l
l、
'
Or
0
1o
g
i0
) がt
t
> ていた。近くには船を造った
る.
り修理したりするアルセナー
パラッツ ォ・ドつカーレの レ (Ar5ena
le
) (造船所)
後方が名高いため息の橋
があり、ヴ ェネ ツィアでの生
(Ponte d
e
i Sospiri
)で
、
活に欠かせないものであっ
牢獄 (
P
同g
ionNuove) へつ
た。総督はここを外国の大使
。ながっている o 1602年に たちに視察させたが、それは
建敵され、囚人が牢獄から裁 その能力が、ヴェネツィア共
判所へむかう通り道になって 和国の戦力の強大さに尊敬 と
ともとはコンスタンテノープ
バの賎馬場にあったものであ
る
。
J
'
(ラッツ ォ・ドゥカ ーレ
(
P
a
l
a
z
z
oD
u
c
a
l
e
)は、共和
国政庁と統督の官邸であっ
た.外観は大部分がゴシック
機式で、一階部分の柱廊の上
にロッジアが続き、さら によ
割め壁は幾何学援機で飾られ
ている.内部は火災によって
樹聾されたため 16世紀に再
築された.洗練された装飾が
貝Z
露である.中庭へは布告門
(
P
o
r
t
a d
e
l
l
a Carta) を
通って入るが、ここには官庁
似亙違が掲示されたのでこの
ような 名でよばれたの だろ
う
。
総督の中庭 (Cortile
ai Dogi) にはいくつもの見
どころがある.ブロンズのふ
5
・
たつの井戸、 巨人の 階 段 (
国 l
adeiG
i
g
a
n
t
i)、もうひ
とつは見事な均衡を持 つガレ
リア (
G
a
l同ri
a
) の柱廊であ
る
。
上 :パラッツォ・ドゥカーレ
から見たサン・マルコの
獅子像
左:ため 息の繍
右 :パラッツ ォ ・ドゥカ ーレ
と巨人の 階段
下:ス カルツィ僑
サン・マルコ広場
(
円a
zzaSanMa
rc
o
) に戻
ると‘堂々たる鐘様
(Campanile
) に目を奪われ
る。古い物見櫓の土 に造られ
た塔は、 16世紀に現在の姿
に建てられ、倒壊したすぐあ
との 1912年に元どおりに
再築された。 この基部 に
、 1
6世紀のサンソヴィーノの
いた。囚人が嘆いたことから 感嘆を抱かせるからであっ
おそらくこの名がついたので た。入り口は 1460年のル
あろう.
ネサンス式で彫刻で装飾され
サン・マルコ湾のスキ ャ た凱旋門になっており、これ
ヴォ一三海岸通り
(Riva らの彫刻のいくつかは戦利品
として東地中海地方からもた
d
e
g
li Sc
h
iavo
n
i)からは、
ドガナ岬
(
Punta d
e
l
l
a らされた。ダンテのブロンズ
Dogana)、パッ ラーディオの 胸像は、ダ ・ポ レンタ家の使
レデントーレ教会 (
C
h
i
e
s
a
d
el 節としてここを訪れた際の記
念に設置された。
市内の数多くの教会、や建
築物の中でも忘れられないの
がピエトロ・ロンパルドの建
てたルネサンスの小さな宝
石、サンタ・マリア・デイ・
ミラコリ教会
(
C
h
i
e
s
a d
i
SantaMa
r
i
a
d
e
iMi
r
a
c
o
l
i)
である。
フェニーチェ劇場
(Teat
r01aFeni
c
e
) は、世
20
界でも有数のオペラ劇場であ
る
。 1790年から 1792
年のあいだに建てられたもの
で、有名な音楽 家の作品がた
びたび上演された。火災で破
犠されたあと 1836年に再
建され、現在は 900人の観
客を収容できる。
サンタ ・マリア・グロリ
オーザ・デイ・ フラーリ教会
( Chiesad
iSa
n
t
aMa
r
i
a
G
l
o
r
i
o
s
ad
e
iF
r
a
r
i
) は 13
世紀にフランシスコ修道士の
ために建設が始まり、 14世
紀から 15世紀のあいだ に完
成したも ので、 3つの部分に
区切られた正面と高い鐘棲そ
持つ。荘厳な内部には、絵画
ではティツィアーノ作「聖母
被 昇 天J (
1 5 18年)、
「ペザロ家のマドン ナJ
(
1 526年)、ペツリ ーニ
作 f玉座の聖母子と聖人 j
(1 488年)などの有名な
絵画やドナテッ口による木製
の『洗礼者ヨハネJ (およそ
1450年)などの彫刻が所
蔵されている。教会のなかに
は、ティ ツィアーノ と音楽家
のクラウテ.ィオ・モンテヴェ
ルディの菖もある。
サンロッコ教会とスクオー
ラ・グランデ・ディ・サン
ロッコ
(
C
h
i
e
s
ae Scuola
、
granded
iSanRocco) は
16世紀の偉大な画家である
ティントレ ットの作品を豊富
に所蔵しているこ とから、彼
の名と結び付いている。
サン・ジョルジョ島
l
(5
0
1
ad
i SanG
i
o
r
g
i
o
)は
サン・マルコの岸を前にし、
ジュデッカ島の脇に位置して
いる.
ここにそびえる サン・ジョ
ルジョ・マッジョーレ教会
(
C
h
i
e
s
ad
i SanGiorgio
Maggiore) は、アンドレ
ア・パ ッラーディ オの傑作の
ひとつで、 1566年に建設
が始ま った.内部にはティン
トレットによる重要なふたつ
の作品、 「最後の晩餐 J と
「マナの姶集Jがある。隣接
する修道院にも美術品が所蔵
されており 、 チ ー ニ 財 団
(
Fondazione Ci
n
i
) があ
る。この財団は数々の文化的
活動に利用されている。
トルチェッロ島 Osola d
i
T
o
r
c
e
l
l
o
) は、ヴェネツィア
の潟のなかでも大変興味深い
所で、まだ本来の特徴をよく
残している . ,3世紀ごろま
では人口が密集していたが、
その後マラリアによってほと
んどすべての人々がここを灘
れた. ともかく 古い建築物が
多く残っており、 1000年
のサンタ・フォスカ教会
(Ch
i
e
s
ad
iS
a
n
t
3Fc
湾問)、
ピザンチン・ラヴェンナ線式
のサンタ・マり ア・ア ッスン
タのカテドラル (
c
a
t
t
e
d
r
a
l
ed
iSantaMa
r
i
aAssunta) 、サン・マルコ礼拝堂
(Ca開 e
l
l
ad
iSanMarco)、
2
1
上:パラッツォ・ジュスティ
ニアン
下:歴史のあるカ フェ・フロ
リアンのショーケース
Pa
la
z
z
i
古文書館と議事堂 (
d
e
iConsig
l
i
o
ed
e
l
l'Archivi0) などがO)る.
トルチェッロ島の近くにあ
るブラノ島 050la
d
i
Burano) は、レース製品が
有名だが、この伝統が根付い
たのは, 6世紀である。現在
e
l
レース美術館 (Museo d
Me
r
le
t
t
o
) の隣には、職人
' 技の泌缶を伝える学校があ
る.ブラノの家々はカラフル
な色で塗られていて、その色
で持ち主がわかるようになっ
ている.
ム ラ ノ 島 (1501a d
i
Mu
ra
n
o
) はガラスの芸術品
が世界的 に有名だが、 こζ で
の製造は 1291年にさかの
ぼり、当時ヴェネツィアの政
府が火災の危険を避けるた
め、すべてのガラス膿人にこ
の島に移るよう命じたのであ
T←
よ大運河に浮かぶゴンドラ
下;スキャヴォーニ海岸通り
る。パラッツォ・ジュスティ
ニアンにおるガラス博
物 館 (Museo d
i Arte
Vetra
ri
a
) を見学するのは
興味深い。そこには古代ロー
マのガラス細工や地元の職人
による重要な作品が多く所施
されている。特筆すべきは
『バロヴィエール盃 (coppa
Barovier) Jで
;
, 1400
年のガラス芸術の傑作であ
る。この島でのもうひとつの
見どころはサンティ・マリ
ア・エ・ドナート教会
(
C
h
i
e
s
a
d
e
iSa
n
t
iMariae
Donato) で
、 12世紀に再
建され、ビザンチン様式の影
響を強く受けた建築物の重要
な例である。すばらしいモザ
イクで飾られた内部の床
(
1 140年)と、後陣の聖
母像は見逃せない。
ヴェネツィアにでさらに見
学してみたい観光ポイントを
撃げてみよう。すばらしいサ
ンティ・ジョヴァンニ・エ・
(
C
h
i
e
s
a
d
e
i
パオロ教会
S
a
n
t
iGiovannieP
a
o
l
o
)
は 1246年から 1430年
のあいだに建設され、内部は
絵画と彫刻を所蔵する独特えよ
美術館になっている。ゴシッ
ク様式とルネサンス様式によ
る (Cl
i
e
s
ad
iS
.
Z
a
c
c
a
r
ia
)
は、近くのスクオーラ・
ディ・サン・ジョルジョ・デ
リ・スキャヴォーニ
(
S
c
u
o
l
ad
iS
.G
i
o
r
g
i
od
e
g
l
i
S
c
h
ia
v
o
n
i
) とともに、カル
パッチョの絵画君事で有名であ
る。ヴエロネーゼの埋葬され
ているサン・セパスティアー
e
s
a d
i San
ノ教会(白i
S
e
b
a
s
t
i
a
n
o
) には、被の見積
な絵画が収められている。震
後に古いゲットー
匂hetto) へ足を向けサン・
i
トロヴァゾ健康〈匂uero d
SanTrovaso) を見学するこ
とをお勧めしたい。 ζ ζ は現
在も穣働している最古の造船
所で、小さなボート、とくに
ゴンドラを独特の方法で製
造、修理している。ゴンドラ
はヴェネツィアの象徴として
世界的に有名である。伝統を
受けつぎ、 7世紀にすでに存
在し 1094年の公文書に記
されているものと、現在の也
のとでは殆ど違いがない。
1562年まで I
ふさまざま
な色に塗られ、たくさんの摸
織で飾られていた。その後元
老院の通達により、この独特
でぜいたくな表現は終わりを
告げ、黒一色に義務付けられ
た。現在では当時より少ない
t
J
'
'
. 約 500藩程度残ってい
る
。
水の都の景観の一部を成す
このゴンドラのおかげで、私
溜ま比額のないヴェネツィア
の町を環境をおかすことなく
ゆったりとりラックスして観
光できるのである。
ヴェネト.貧会の三角地事停
B
'
t
i
也のうち代表的な
この地主義の益事告的に価!iIの高い量I
ジョーレ教会 (
C
h
i
e
s
ad
iS
. ZenoMa
g
g
i
o
r
e
) 、ピサ
3つの都市に注息してみよう.
ネッロによる~ジョルジョのフレスコ itl織があるサン・
パ ド ヴ 7:かつての文化の中心地として織かしい主主術遺
産を有する宙1
.援も有名なのが、ジォットによるフレス
7ディジ.xl
l
lの尽には中也の貴族がt
主んでいた量産、カス
アナスタシア事究会 (
C
h
i
e
s
ad
iS
.Anasta
宮i
a
) である.
コ函の~るスクロヴェーヱ札t草堂 (Cappella
C
a
s
t
e
l v牢c
c
h
i
o
) がそびえ立ち.堂々
テルヴェッキオ (
d
e
g
l
i としたスカリジエロ橋 (
P
o
n
t
e Sc
a
l
i
g
e
r
o
)がかかって
Scrovegnil (
1 305年}で、彼の才官官がすべて宛鯵
穫が訪れるサンタントヱ
されている.世界@からの巡礼 i
オ大法裳 (
B
a
s
i
l
i
c
ad
iS
.An
t
o
n
i
o
) (
12- 14世紀)
には所蔵する策術品のなかには、ドナテッロの美しいブ
S
!1
まザント広士事 (
P
ロンズ{患で費揺られた中央軍寺境がある. i
i
azzade
lSa
n
t
o
l にあるガッタメラータ記念事寄付 45
3年}の作者でもある.
ヴェローナ:ロメオとジ 2 リヱットの白マンティックな
1
書官で、巨大な円形.
J
I
I1
J
知られている.涯の野外オペラ
公演は世界的に各!;い.鏡婆なモニ 2 メントとしては、
離のあるロマネスク車種主主の督署作、サン・ゼ j .
美しい旬Z
マッ
22
いる.
"とよばれ
ヴ ィ チ ェ ン ツ 7 ・・パッラーディオの曽T
る.パッラーディオl
まパドヴァ出身の建築療で、ここで
l
l
o
1した.代表的な作品としては
彼は芸芸術活動の大半を雇i
揖(
P
i
a
z
z
ad
e
i Si
g
n
o
r
I
) のロッジア・デ
シニョーリ広t
ル・カビタノ (
L
o
g
g
i
ad
e
lC
a
p
i
t
a
n
o
) {
1 571年}な
直するのは‘ ドゥオモ (14どの建築物.他に注目にf
16 世紀)とオリンピコ~1I (
T
e
a
t
r
oO
l
i
m
p
i
c
o
) であ
る.
ナポリ:地中海の母
ナポリ湾の魅力
観光コース
- ・ドゥ~-モ
モナン・ロレンツォ・・ .
マッジョーレ教会 守 ・サン・ドメニコ・マッジ
惨 ョーレ敏会
サンタンジエロ・ァ.. 4
ニ一口事長会 ・ ・サンタ・キアーラ級会
サンタ・マリア・ラ・・ 畠
ノ ヴア教会 ' ・サンタ・マリア・ドンナレご
カボディモンテ・ ・ Jーナ教会
・ ・マスキオ・アンジョイーノ
プレピシト広1
・王室
サン・フランチェスコ・.・
ディ・パ~ラ教会 ・ .'!tン・フヱ J
レディナンド
敏会
サン・カルロ
F
.
・
.
'
1
.
.
..
• o械
サンテルモ織. ・
・ ・サン・マルティーノ修道院
,
・ .
カプアーナr
・サンタ・ :
hテリーナ・ア・
サン・ジョヴァンニ・ァ.
フ:t)"~ミエッロ教会
カルボナーラ事長会 ・ ・零宮司ド1
笥物館
.
・
ナポリ(語混ネアポリスは上;ドゥオーモ E商
新都市という意味)は、ギリ
J
t
建設した町で、紀元前下:マスキ:;t.アンジョイシャ t
5世紀、現在ドヮオーモのあ
ノ
る場所が発緯の地である。
その後、様々な歴史的変遣
を経て、 13世紀アンジュ一
家の支配のもと、徐々に確実
浴溌展を遂げ、地中海沿岸で
も最も人口の多い文化的な活イン人総督の政策によって、
気に満ちた都市のーっとなっ一層深刻化した。 16世紀に
た
。
はペストや地震、反スペイン
16世紀に封建領主たちが暴動など事件が相次ぎ、 17
市内に強制移動させられたた世紀に至って漸くナポリは
め‘ナポりは人口密集によるヨーロッパの強固支配から、
開 Eに常に悩まされることとブルポン家のシャルルの治世
なった。この問題は、市内をに移行し、カゼルタ
Caserta) やカーポテ.ィモ
広く占領する無数の修道院や (
e
) の宮
市盤の外に建築を禁ずるスペンテ (Capodim∞t
23
鳳貧民収容施設 (
Albergo首の刑に処せられたベネヴエ
d
e
i Pover
i)、サン
・ カルロ ン ト の司 教サン ・ジ ェンナー
eatroSanC
a
r
l
o
) な口の信仰は遥か昔から続いて
劇場 (
r
ど大規模で社会的にも有意義いる. 685年のヴェスヴィ
怠建設事業が実現されるようオス噴火の際もナポリ人たち
になった。この世紀にナポりはこの聖人に救いを求めて
はヨーロッパの都市として押祈ったものである。聖堂内に
しも押されもせぬ地位を築はこのほか、ペルジーノの
き、今日なお世界的な観光地 「
被昇天」や 14世紀の機々
となっている
。
なモザイクや ポリプテイク
ナポリのドゥ オー モ (
多翼祭壇画)がある。
Jomo) は市民生活 と宗教
サン・ ロ レンツォ・マッ
i
の中篠をなす建築物である. ジョーレ教会 (Chiesa d
12世紀に 創建され、 ファ SanLorenzoMaggiore) も
サードなど建物全体に各世紀又多くの歴史的恩い出の残る
教会である.ここで、ボ ッ
カッチオはフィアメッ
. タを見
初め、隣接の修道院にはペト
ラルカが滞在した。単一の身
邸と後陣で備成された内部に
は
、 14世紀の美しい木製十
字架像とカ テリーナ ・ダアウ
スリアのゴシック様式の1
1
が
ある.教会の地下ではギリ
シャ、ロ ーマ時代のネアポリ
スの遺跡が見られる。
サン・ドメニコ・マッ ジ ョェ
サンタンジエロ・ア・ニーロ
教会内観
。
に施された改築の跡が見られ
る.右の身廊にはブロンズの
格子 l
こ固まれた, 600年代
のサン・ジェンナーロ礼拝堂
(Cappel
l
a
d
i
San
Gennaro
)がある。堂内には
ドメヱキーノやランフランコ
f
供乃フレスコ画のほかに、 1
6世紀フランス製の聖遺物置
に入った殉教者サン・ジェン
ナ」 口の血と頭蓋を収めた奇
跡の小瓶が保管されている 。
毎年、 5月と 9月にナポ札市
民は聖人の血が液化すること
を願って教会に馳せ多ずる。
f
実現しなければ、
この奇跡fJ
町全体に凶事がもたされると
信じ られてい るからだ。
305年ポッツオーりで斬
よ: 代表的な建築のひとつ で レ教会 (Chiesa d
i San
あるウンベルト 1世のギャラ Domenico Maggiore) は 1
リーのステンド・グラス
283年から 1324年の聞
に建てられた。数多くの作品
の中で、 1300年代のカ
左;卵織
ヴァりーニの フレス コ面、十
字架像のカッペッローネ、
下
M. ナッケリーノと P. J
レーヴォの漏酒なカ ラファ礼
ペルニーニによるインマコラ 拝堂 (C
a
p
p
e
l
l
a Carafa) 、
テッラ の噴水 (1 60 1年}
バロック機式の聖具室などが
注 呂に値する.
サンタンジェロ・ア・二一口
敏会 (Chiesa d
i Sant'
Angelo a N
i
l
o
) はプラン
カ ッ テ ョ 礼 拝 堂 (Cap
問 I
la
Brancaccio) とも呼ばれ、
,300年に創建され、 17
00年に改築されて、外側も
内部も 18世紀の繊細を示し
ている.中でも、 ドナテ ッロ
とミケロッツオがピサで制作
した 1400年織式のりナル
トプランカッチョの墓碑は
ゴシック芸捕からルネサンス
に移行する過程を表す見事な
作品である。
サンタ・キアーラ教会
(
C
h
i
e
sadiSantaC
h
i
a
r
a
)
は 1310年に建てられ、第
二次世界大戦中甚大な鍋傷を
24
被ったが、 もとのゴシック機
式に修寵された。所議されて
いる傑作の肉、 14世紀のマ
リア・ディ・ヴ ァロアの基とア
ンジュ 一家のロベルト 一世の
墓が重要である。 聖歌離席と
18世紀のクラリッセの回廊
も見事である。
サンタ・マリア・ラ・ノー
C
h
i
e
s
ad
i Santa
ヴァ教会 (
Maria l
a Nova) は 1297
年1
こ建てられ 16世紀の末に
改築 されたが、美しい 天 井
と、多くの喜岡のなかでもア
ラゴン家の女王ジョヴァンナ
3世の墓砲銘が有名。
サンタ ・マリ ア・ドンナレ
ジ ー ナ 教 会 (Chiesa
d
i
Santa
,
Ma
r
i
a
Donnaregi
n
a
) は近代の修復
を経て、 「
二 重の」教会と
なった.事実、新しい教会は
パロック様式、古い教会は 1
礼世紀の機式という具合に二
分され、古い方では女王マ リ
1 4世
ア・ドゥンゲリーア (
紀)の墓や数多くの 1400
年代フレスコ画が見られる。
カ ーボディモン テ の 王 宮
(Palazzo Reale d
i
Gap吋 im∞t
e
) は, 8世紀
にエリザベッタ・ファルネー
ゼが息子のナポリ王プルポン
家のシャルルに贈った美術品
の数々を保管するために建て
られた.今日、王 宮内 には
カーポテ'
ィモンテ国立美術館
(MuseoeG
a
l
l
e
r
i
eN
a
z
i
o
n
a
l
i
d
iC
a
p
o
d
i
m
o
n
t
e
) があり、イ
タリアでも重要な絵画や陶磁
器のコレク ションが収められ
ている.王家居住室内には、
ナポリ王宮で使われた磁器や
マジョリカ焼き一式が展示さ
れている.
市の反対側にある海岸には
1 3世
もとアンジュ一家 (
紀)に属し、後に 15世紀に
アラゴン家によって再建され
たマスキオ・アンジョイーノ
(又はヌオ ー ヴ ォ 城 )
(Maschio Angioino
Castel Nuovo)の雄大な姿
が眺められる.四隅に円柱形
の塔が付いた台形の土台の上
に後えるその外観は重厚であ
る.アルフォンソの勝利を摘
25
。
,
いた浮き彫 りの施されたこ本
の塔が協に建つ 15世紀の凱
戦門 (Arco dì ~rionfo) は
有名である。この門はゴシッ
クからルネサンスに移る文化
の過渡期を代表しており、南
イタリアの美術史の中で重要
な過程を表わしている。中庭
から 15世紀に造られた階段
をよが って有名なパローニの
広間 (Sal
ad
e
iB
a
r
o
n
i
)に
出る こと ができる。同じ中庭
から械内に僅かに残されたア
ンジュ一家時代の名残りであ
るパラティーナ礼拝堂
(
Cappella P
a
l
a
t
i
n
a)に入
ると、ジヨットーが制作した
(1330年)フレスコ画の
一 部 が 見 ら れ る。
プレピシート広場 (Piazza d
e
lP
l
e
b
i
s
c
i
t
o
) は市の
繁華街のーっとなっている。
18世紀末に壮大な王宮が建
設 された時、この広喝も再設
計された。広場のまわりには
町の最も 宣要な建築物のいく
つかが建っている.
1 7世紀始め、 ドメニコ ・
フォンターナによっ て最初の
中核部が建設された王宮
(PalazzoR
e
a
l
e
) は 174
3年から 1748年にかけて
改増築された。 1734年か
ら 1860年までプルポン王
家の館となっていた.入り口
を通過して中央中庭に達 し
、
そこから濠葦な装蹄の階段を
上がると、フ ーガの設計した
di
宮廷劇編(Teatro
Corte) (1768) に出
る
。
閉じ中庭か ら王宮の居住室
1
噂物館 (Museo
dell'Appartamento
S
t
o
r
i
c
od
iP
a
l
a
zzoR
e
a
l
e
)
に行くことができる。 そこ に
は
、 18"'19世紀の家具、
フレスコ画‘ 17
'
"
"18世紀
のナポリ派の絵画、タペスト
リー、陶器などが保腎されて
u
c
u
l
l
o
) の遺跡の土に、卵雌
越している。毎年聖金曜日に San C
a
r
l
o
) がある o 173 L
いる。
C
a
s
t
e
l d
e
l
l
'
O
v
o
) が獲え
王宮内には丸 「ヴィッ ト この教会で、ジョヴァンヱ・ 7年ブルポン家のシャルルに (
リオ・エマヌエーレ 3世J国 パッティスタ・ベルゴレージよって開股されたこの劇場で ている.これは、始めはノル
立 図 書 館 (Bi
b1
i
oteca (1710-1736) の有は‘ガヱターノ・ド二ゼッテ マン人の、後にはアンジュ一
Nazionale “
Vittorio 名な「スタパートゥ・マーテイ、ジョアッキーノ・ロッ 家 の 館 で あ っ た。
o
l
l
i
n
ad
e
l
ヴォメロの丘 C
Emanuele 3
"
) があり、二 ル Stabat Mater) Jが潰シー二、ヴインチェンツォ・
百万冊の書籍、五千冊の初期 奏 さ れ る .
ペッりー=等のオペラの傑作 Vomero) には、 1537年
から 1546年にかけて築滅
刊本のほか、 1752年エル
王宮に隣接して世界でも量が上演された.
コラーノのピゾーニ荘 (
V
i
l・ も重要なオペラ tIの一つ、
俸に隣接した小さな島にあ された荘厳なサンテルモ栂
C
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) から発掘され サン・カル目劇場(Teatr0 る古いルクッロ荘 ν
た千八百のパピルス古文書が
よ;ジェズ・ヌオーヴォ教会
保管されている.
正面入り口上のテインパヌ
サ ン ・フランチヱスコ・
ム細部
ディ・パオラ教会 Chiesad
i
SanFrancescod
iP
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)も
下:サン・セヴェーロ礼拝~
この広場に面している.この
内部 18世紀の多色大理石
教会は、約百年間フランスの
の装飾が有名
支配下にあったナポリ王国を
奪い返した後、念願成就を感
謝してフェルデイナンド一世
によって建てられたものであ
る.すぐ下にはサンマル
る.建築織式はネオクラッ
ティーノ修道院
(Certosad
i
シックで、その大きなクーポ
S
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n
M
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t
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n
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)
があり、町の
ラはローマのパンテオンを思
すばらしいパノラマが一望で
い起こさせる。
きる.修道院とそれに付属す
広織の近くには 17世紀の
るサン・マルティーノ国立1
毒
サン・フェルディナンド教会
物
館
料
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)
は
17
世紀か
F
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) があり、フレス
ら今日に至るまでナポリの文
コ画や彫刻の貴重な作品を所
明を知る輝かしい貴重な資料
1
J
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l
収められている。壮麗な教
会内部には、多くの芸術品が
保管されており、回廊も庭園
も見逃せない.
博物館の見どころは、ナポ
リ王国の歴史に関する部門、
船舶、演劇部門、華麗な伝統
行事と民族衣装の展示であ
る.芸術的にも歴史的にも興
味深いのは、見事なプレゼピ
オのコレクションで、何百点
にものぼる 18t!:t紀のプレゼ
ピオや 15世紀の木製のプレ
ゼピオが展示されている.
ポルタ・カプアーナ (Port
a Capuana) はアラゴン家
の峨聾の中央円である。, 4
84年ジュリアーノ・ダ・マイ
アーノによって建立され、織
に挟まれた大理石のアーチで
編成されている。ボルタ・カ
プアーナの近くにあるサンタ
.カテリーナ・ア・フォルミ
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i Santa
エッロ (
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) 教会
は
, 510年に着工され‘ 1 a C
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) があるが、こ 人で彼女に殺されたジャンニ
593年に完成した.内部に こへ上る階段は 18世紀のも .
カ ラ ッチ ョロの基がある。
は主に 16
"
"
"1 7世紀の作品 のである。
時聞があれば訪れてみたい
と
、 16世紀末に制作された
近くにあるカラ ッチョ・デ のが‘美しいサンタ・アンナ・
C
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a デイ・ロンパルデイ教会
芸術的な 6つの基がある. ル・ソーレ礼拝堂 (
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)は 1 (
ナポリでも最も古い地区に C
C
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iSantaAnnad
e
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1343年から 14 18年に 427年の建造で、 15世紀 Lαnbardi) で、中はまさに
かけて建てられたサン・ジョ のフレスコ画で装飾され、マ ルネッサンスの彫刻]1尊物館と
ヴァンニ・ア・カルボナーラ教 ジョりカタイルが床に張つで なっている。また、クオーモ
会 (
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iSanG
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i ある。女王ジョヴァンナの霊 宮殿 (
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o Cuomo) に
J
.
26
上・サンマルティーノの修
道院
下・サンタ・キアーラ、マ
ジョリカ装飾を施したクラ
リッセ回廊の邸分
1
騨
毒
はフイランジェーヴィ市立 1
物館 (Museo
Civico
F
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g
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ri
) があり、応用美
術や絵画のコレクションが豊
富である.美 しい公園に固ま
れた眺めもよいフロリディ
ア ー ナ 荘 (V iIj a
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) にはドゥーカ・
ディ・マルティーナ国立陶器
azionale
練物館 (Museo N
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a Ceramica Duca d
i
Martina) がある.ここには
ヨーロッパやオリエントのあ
らゆる種額の磁器、マジョリ
カ醗きのほか、家具、象牙細
工、宝石額、彫刻、絵画が展
示されている。
ナポリの歴史と芸術を代表
する作品を見学するこの行程
の最後は国立考古学博物館
27
バレルモ:魔法の地
オリエントの香り
(Museo Archeologico
Na
zi
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) で締めたい.こ
れは着のブルポン家のコレク
ションのほか、ポン ペイやエ
ルコラーノの遺跡からの発揺
品の大部分を収めている世界
でも霞も重要な博物館の一つ
である.所蔵品を列挙するこ
とは避けて、ここでは見事な
大理石の彫刻や無数のモザイ
ク及びボンベイ、エルコラー
ノ、スタルピアで発掘された
壁画が見られると いうこと だ
け一言付け加えておこう 。貴
重なア ッティ力、エトルリ
ア、カンパーニア、アプリ
ア、ルカーニアの壷のコレク
ション、古い妓術、機械部門
も一見に値する。
王宮
カテドラル・ ・
. ・パラッツォ・デイ・
パラティーナ礼拝袋・ ' ノルマンニ
・ .プレトリアの痕
サン・ジヨヴァンニ...
デッリ・ エレミーティ教会 . ・ラ・マルトラーナ
サン・カタルド教会・ 一
・ .考古学博物館
ジサ・ ・
. ・クパ
サン・フランチヱスコ・.ー
デ・アッシジ教会 ・ .パラツツォ・キアラモンテ
シチリア州立美術館・ ・
. ・ピトレ民俗揚物館
国際マりオネット鱒物館・ '
. ・ヴィラ・タスカ
パイダ修道院・ ・
. ・サンタ・マリア・デル・
モンレアーレ・ ー ジェス級会
. ・モンレアーレのドワオ『モ
ベネディクト修道院の回廊・ .
j,、丸天井のモ
紀元前 8世紀にカルタゴの上カテドラ J
笥聞として建陵されたバレル
ザイク議飾
カンパーニア、古代より聾された優雅な別荘地
台からの景観が訪問者に比類のない感動を与える。近在
のアマルフィまで足を伸ばせば、独特のファサードを持
つ大聖堂とそのアラブ風の「天国の回廊Jが見られる .
カンパ一二ア地方の特に海浜、島々は温暖な気候、風光
明婦な自然環境に恵まれ古くから多くの有名人の別荘地
として好まれてきた.
カプリ:ティベリウス帝もこの島を愛した訪問客のひと
りである.彼が何年かこの畠に住み由緒ある史跡を残し
た。今日ではその美しい風景と温暖な気候で世界中の旅
行者を魅惑している。
エルコラーノとボンベイ:考古学的にあまりに重要な
この二つの古代の町は、ヱルコラーノのチエルヴィの家
やボンベイのヴェッテイの家、秘儀荘など繁沢な住居の
例を幾つも見せてくれる。
ラヴエツ口:アマルフィの岬の上に位置し、ここから海
を舞台にした絶景が望まれる .~士圃なルフ;t口荘の庭園
内では、夏の間ワーグナー音楽祭が催される。この庭園
を訪れたワーグナーはその美しさに感激し‘ 「これこそ
パルシファルにあるクリングソースの神秘の庭だJ と叫
んだと言われている。彼のイメージはやがて作品として
実現されることになった.チンプローネ荘は、その展望
カゼルタ: 18世紀中頃プルポン家のシャルルによっ
て、王の夏の住居として建てられた王宮は、棋に広大で
ま優穏なネオクラツ
衰華である.絢燭たる宮殿の内部l
シック調の造り。滝や彫刻、噴水を配した広々とした庭
園がその美しさに花を添えている.
28
モi~ ,紀元前 254 年にロー
マ人によ って征服された.
下 :カテドラル内部
紀元 5世紀には外国に占舗
され‘ 53 5年にはピザン
ティン帝国に従属し、約 3世後有利な特権のー部を失い始
紀にわたってその領土となつめた.つぎつぎに変わった続
た
。
治者による圧政の姿鈴もその
アラブによる占領で、すぱ理由のひとつである。しかし
らしい首都となり、ここで取ながらこの都は、独自の芸術
り引きしようとする世界中か的歴史的特徴を常に保ってき
らやって来た商人たちを魅了た。
した.その荘厳さと巨大さ
この活気に満ちた都の感嘆
I
まイスラムのコルドヴアやすべき代表的なモニュメント
Cattカイロと並び称された。
のうち、カテドラル (
ノルマンの征服とスワビア剖 r
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) は 1184年に建設
人による統治のあとも、パレカ始まり 、数世紀にわたって
7
加え
ルモは繁栄を続けたが、そのさまざまな建築物が付 1
29
られた。その壮大な外観は、
ぶ£つの高い塔があり、その
上には見事な 15世紀の正門
がある。左の側面は鍛冠の
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ロッジア
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) (
12世紀)
で、国王はここで賎冠をすま
せたあと、民衆の前に援を現
わした。右の側面はカタロニ
ア・ゴシック機式で 15世紀
{司垂られたすばらしい柱廊で
ある。内部にはさまざまな王
や皇帝の墓があり、このなか
にはスワピア王朝のフェデリ
コ2世のものもある。サン
タ・ロザリアの礼拝堂
(
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)
{持良製の壷(1631年〉を
砂耐震しており、市の守護聖人
¢漣骨が入れられている。一
方宝物館 (
T
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o
) には、 1
4世紀1
J
)ら 18世紀にかけて
の貴重な霊異が収められてい
る
。
壮大なノルマン宮殿
シチリアにおけるノルマン美
術のもっともすばらしい一例
で‘古典、アラブ、ピザンチ
ン芸術の起源も見ることがで
きる。内部は見事なピザンチ
ン緩式のモザイクがほどこさ
れている。後陣全体にクリス
ト・パントクラトーレ
(
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)
(全能神)の像があり、この
像は丸天井のモザイクにも表
現されている。上階は王族の
住居 (
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)
である。ノルマン建築のすば
らしいもうひとつの例で、ア
ラブ職人によって造られたサ
ン・ジョヴァンニ・テ"ッり・
Ch
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エレミーティ教会 (
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)は屋棋の上にある
小さな丸天井で特徴づけられ
る。この丸天井は、ノルマン
の典型的な簡素さをもつにも
かかわらず、独特な東洋の痕
跡をこのモニュメントに与え
ている。回廊はアーチのつい
(
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)
はもともとアラブによって建上;プレトリア広島属
てられたもので、 11世 紀 か 右 ..カテドラル
一
一
らはノルマンとスワビアの君
主の王宮となった。その後 1 下:サン・ジヨヴアンニ・デ
6 世紀にはスペインの総督1J~
官邸として利用した。二階は
見事なパラティーナ礼拝堂
(
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問I
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)で¥
1130年に国王ルッジェー
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監が造らせた。おそらく
ロ2
上:パラティーナ礼拝堂内部
左下:ノルマン宮殿
イ・レップロ・働シ教会
(
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j).アラブ織
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右下;マルトラーナ教会内部
人によってノルマン時代に建
設され (1 0 7 1年〉、ヤシ
が植えられている.
30
31
た美しい柱廊が見られる.
プレトりア広場
(
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) は町の中心のひと
つで、独特な趣の大きなプレ
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aPreトリアの泉 (
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a)がある.これは 16
世紀にフィレンツェ出身のカ
ミッりアーこが造ったもので
ある.
その近くにそびえるのがマ
ルトラーナ教会
(
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)別名サン
タ・マリア・デル・アミラリ
オ教会 (
SantaMa
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Ammira
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)で
‘ 114 3
年にルッジェ 一 口 2世の提督
ジョルジョ・ダンティオキア
が建てたものである o 16世
紀と 17世紀に 一部が改装さ
れたが、鍾機と教会本体そし
て半疎形の天井はもとのまま
の形で、正面はパロック織式
になっている.この教会の内
部も見事な多色のモザイクで
おふれ、このなかに、キリス
トから魁冠を受けるルッ
Jnternazionale delle
Mari
onette) では、この島
の大衆文化の典型的な登場
人物、有名な"プーピ
(pupi
) "目を引く.
バ レルモ 18世紀の貴族の
邸宅のよい一例は、ヴィラ・
タスカ(ViI
J
a Tas
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a
) で.
草花の生い茂る庭園に囲濠れ
ている.この庭園は 19世紀
に、希有な客人リヒャルト・
ワーグナーの賞貨を受けた.
市近郊の見晴らしのいい場所
に
、 14世紀にもとはアラブ
の村だったところに造られた
i
パイダ修道院 (Conventod
B
aida) がある。モンレアー
レのものをまねた回廊が興味
深い。グリフォーネ山のふも
とに 15世紀のサンタ・マリ
ア・デル・ジェス教会
(
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i S.Ma
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Gesu、
)があり、ここから見
る市のパノラマには心を奪わ
れる.美しい大理石の正門と
すばらしい回廊が見もの.
上:サン・ジョヴァンニ・
デッリ・ヱレミーティ教会
上:モンレアーレのドゥオ
モ、後陣
下:サン・フランチェスコ教
会
下:モンレアーレのドゥオ
ジェーロ 2世と、・聖母マりア
の足元にいるジョルジョ・ダ
ンティオキアの姿も描かれて
いる. ここに温いサン・カ
タルド教会 (
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i San
Cataldo) は、ノルマン期の
もうひとつの典型的な芸術作
晶である。 11 60年に建て
られ‘今もなお当時のままの
おごそかな姿、東洋風の 3つ
の半球形天井を頂いている.
州立考古学博物館 (Museo
Arc
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ico Re
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)
は、その所班する展示品の多
さとバラエティーに富んでい
ることから、イタリアで最も
興味深い博物館のひとつに数
えられる。実際ここには、海
底で発見された考古学コレク
ション‘つまりフェニキア.
エジプト、ギりシア、ヘレニ
ズム、口一マの彫刻がある.
興味深いのは、セリヌンテ
(Selinunte) 神殿の彫刻
32
モ.正面
と、シチりアのさまざまな地たサン・フランチヱスコ・
方から来たブロンズ彫刻であディ・アッシジ教会 (
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る
。
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.Francescod
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)、
市の中心からそう遠くない 15世紀に勢力をも った封建
ところにジサの館 (Zisa) 君主が住んだパラッツォ・キ
z
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z “、" アラモンテ (
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(アラブ語で"a
すばらしい..の意)がある。 ramonte) 、 15世紀のパ
P
aー
ノルマン国王の避暑地で悦楽ラッツォ・アパテリス (
の喝所とされ、 一時期は広大 l
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) にあるシ
な公園のなかに埋もれていチリア州立美術館
たo 12世紀にグりエルモ 1 (
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世と 2世によって建てられ、 S
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) 、ここにはすばらし
あきらかにアラブ職人によるい傑作の数々が展示されてい
文化的痕跡を見せている。
る。さらにファヴォり ータ公
よく似た特徴を持つ建物園 (
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) にあ
が、グリヱルモ 2世が 118 る興味深いピトレ民俗情物館
。年に建てたクパ (Cuba)
(Museo
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の館である。
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re、)、世界中のマリオ
町の他の見どころを挙げてネットを集めた国際マリオ
(Museo
みよう。 13世 紀 に 建 て ら れ ネ ッ ト 簿 物 館
33
イタリア政府観光局
モンレアーレ、ドウ;tモの回
廊
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ト・パンクラトーレ (
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Pancratore) (全能神)の
像が織かれている。隣接する
ベネディクト修道践の回廊
(
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i Be 時~ttjnj)
を訪れるときでおる。回廊は
尖頭形アーチのあるさまざま
な彫刻がほどこ 2
されたニ置の
円柱が並ぶ桧廊で固まれてい
る.その一角には四角形の固
いの中にシュロの木の形の泉
がある。
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アルゼンチン・プエノスアイレス
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も知られている.
1174年にグリエルモ 2
世が創設したドゥ庁ーモは、
すでに記した他の建築物と同
織に、アラブ、ピザンチン、
ロマネスク織式の建築と装飾
が見事に銅和している。内部
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立、広々とした空間とき事現な
モザイクが印象的でるる.こ
のモザイクは 12世紀から 1
3世紀のあいだに造られたも
ので、広い平面を覆い光締く
日約聖書のさまざま
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な場面が翁かれている。後陣
のドームには巨大なクリス
シテリア、古典文化の地
たぐいまれ忽古代交化遺措置は.この地方に保存され受
け継がれた.壮大で美し〈、絶妙なt
調和のセンス i
ま古典
芸術家逮にインスピレーシヨンを与えた.
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縫築物の主主つ扮般の谷 (
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大きなパルコヱーのようである.これらのうち、荘厳さ
と保存技態のよさで知られているのがユノの神殿
( Tempio d
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(Concordia) とよばれるものである.州立考古学1
噂物
館 (Mu$章
。 ArcheologicoRegionalel には宮代発:Iilol'l.
の貧富な 3 レクションがおり興味深い.
シラクーサ:シテリア島愚大の観光ポイントのひとつ.
ここにあるバロック感築のドゥオるは、アテネのギりシ
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ア神殿(紀元前 5 也*~l を土台にして建設された.考古
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慢の中心的な晃どころで.今も古代の怒'
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代史を研究するうえで.棄なむのである.
タオルミーナ:経聖書約なf
翼線で世界的に名古書い郎市.エ
トナ火山のふもとにある古代ギリシアII1
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タオルミーナには海71<浴織もあり、海岸の美しさは有
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て知られている.
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