102 - 長岡工業高等専門学校

「哲学カフェ」の実践から判明した効用について
―市民と学生の交流による相乗効果―
(徳山工業高等専門学校)○小川仁志
することで、相乗効果によって意外な効用が生じ
ることが明らかになった。
そこで、本報告では哲学カフェの概要及び実績
を今一度整理することで、その効用について検討
をしてみたい。そのうえで、今後どのように哲学
カフェを展開していくのが高専における人材育成
教育にとってプラスとなるのか、提言を試みる。
1.はじめに―研究の趣旨
本報告は、
「哲学カフェ」の実践を通じて得られ
た意外な効用を分析することで、今後の高専にお
ける人材育成教育にそのノウハウを活用すること
を提案するものである。
哲学カフェとは、誰でも入ることのできるカフ
ェを舞台に、気軽に哲学を楽しもうという企画で
あり、もともとはフランスのマルク・ソーテとい
う人物が、パリのカフェにおいて始めたものであ
るとされている。
哲学という一見難しく硬い学問を、カフェとい
う日常の地平にもってくることで、広く市民に門
戸を開こうとする試みであるといえる。
わが国では大阪大学の「カフェフィロ」をはじ
め、佐世保高専のものなどすでにいくつかの先行
事例があるが、筆者の試みは、これを高専におけ
る教育の一環として、また市民に対する地域貢献
の一環として明確に位置づけている点に特徴があ
る。
平成 20 年 5 月 13 日に第 1 回目を開催してから、
現時点(平成 22 年 4 月 1 日時点)で合計 35 回の
カフェを実施してきた(内 4 回は 21 年度に実施し
た特別開催分)。
幸いその間、新聞や雑誌をはじめ、実に様々な
メディアで取り上げてもらうことができた。面白
いのは、新聞のような硬いメディアだけでなく、
主婦向けの雑誌などでも紹介されたことである。
実はこの点に、哲学カフェの重要な特徴が表れて
いる。
つまり、必ずしもアカデミックな空間ではなく、
あくまでも市民のための敷居の低い場として認識
されているということである。
たしかに、参加者として、当初から学生のほか
一応一般市民も想定してはいた。したがって効用
についても、学生にとっての効用と、市民にとっ
ての効用を予め分けて設定していたのである。と
ころが、この両者が同じ空間で哲学カフェに参加
2.哲学カフェの概要
2.1 趣旨
はじめに、哲学カフェの趣旨について再度確認
しておきたい。経緯から説明すると、当初は学生
のための課外活動として、部活動や同好会よりも
緩やかな形式で、誰もが任意に参加できる語りの
場を提供することが主たる目的であった。
この時点では、どちらかというと市民の参加に
ついては、副次的な位置づけをしていたにすぎな
かった。
というのも、私の担当する「倫理」という科目
を補足する狙いもあったからである。この科目は
全学生が 2 年生の時に履修する必須科目であり、
本来は自ら考え、語る機会をできるだけたくさん
設けることが理想である。しかし、カリキュラム
の都合上、どうしても講義形式を取らざるを得な
いという実情が存していた。
そのため、カフェを立ち上げた平成 20 年度の前
期に関しては、開催場所も学生の参加の便宜に配
慮し、学内のゼミ室を利用した。ただ、学校のホ
ームページに案内を出していたため、わずかでは
あるが、一部市民の参加もあった。
また、平成 20 年度については、現代GP「自主
自立誘導型キャリア教育システム」(平成 18~20
年度)の一環として位置づけられたため、哲学カ
フェに参加した学生について、一定の要件(年度
を通じて 10 回以上参加し、かつ主体的に活動の運
営に貢献する)を満たした者については、キャリ
ア学習単位の基礎となる「マイレージ」が付与さ
1
れることとなった。
その後、キャリア教育支援室が、引き続き「キ
ャリPi」というマイレージ制度を継続しており、
哲学カフェも対象になっている。
さらに平成 20 年度の後期からは、学内のサテラ
イト運営委員会の事業の一つとして位置づけられ
た。これによって、毎回ではないものの、駅前の
サテライトキャンパス「徳山高専夢広場」に場所
を移し、想定される参加者として積極的に市民も
対象にするようになった。
なお、サテライトキャンパスでの活動は、現代
GP「まちなかサテライトを活用した創造教育」
(平成 18~20 年度)にも位置づけられていたため、
平成 20 年度の後期に関しては、哲学カフェの活動
も自動的にその一環として組み込まれた。
平成 21 年度も引き続きサテライト運営委員会の
事業として位置づけられ、場所を完全に「徳山高
専夢広場」に移した。さらに、英語関係の他の企
画と共に地元周南市の「ひと・輝きプロジェクト
(周南コミュニケーション力向上ワーキング)
」に
採択され、日頃とは異なる場所で哲学カフェを特
別に開催するための費用が予算化された。この予
算を活用して、平成 21 年度は大津島という近くの
島で、島おこしをしている人達との合同イベント
を実施した。テーマは「どうして人は島に憧れる
のか?」であった。
なお、先ほど平成 21 年度には 4 回特別開催を実
施したと書いたが、そのうちの 1 回がこの大津島
でのイベントである。後は、私が実行委員長を務
めたまちおこしの映画祭の場で、「映画とは何
か?」をテーマに、スクリーンを前に映画監督を
交えて行ったものが一件ある。
そして、年末に「希望とは何か?」をテーマに
小学校にて小学生たちを相手に行ったもの、及び
同じテーマでデイケアセンターにて高齢者を相手
に行ったものが二件ある。
ニックネームでも可としている。これは、お互い
に肩書や素性を意識せず、いいたいことがいえる
ようにするためである。これによって、中学生か
ら年配の参加者まで、自由な発言をすることが可
能になっている。
このように全員が平等な立場で参加できるよう
工夫しているわけだが、これを実効性あるものに
するため、ファシリテーターを置き、予め役割を
明確にしている。これまでのところ、主宰者であ
る筆者自身がファシリテーターを務め、進行役を
担っている。
最後に、1 時間の思考のプロセスとその成果を、
まとめとして学校のホームページ内に設置したブ
ログに掲載している。これによって、参加者はも
とより、参加することができなかった人も、議論
の概要を知ることができる。
テーマの設定については、基本的には年度当初
に世の中の動向を見ながら私が決めている。ただ、
日頃参加者からの要望も聞いているので、できる
だけその意見を取り入れるようにはしている。
3.開催実績について
これまでに開催した哲学カフェの主な概要は次
のとおりである。
総開催数:35 回(内 4 回は 21 年度に実施した特
別開催分)※平成 22 年 4 月 1 日時点
平均参加人数:12 人程度
年齢層:10 代から 70 代まで幅広いが、10 代後
半の学生と 40 代~60 代の主婦が多い。
所属:中学生、高校生、高専生、大学生、主婦、
サラリーマン。なお、各回ごとの学生の割合は平
均すると 3~4 割程度である。
各回の具体的な開催日程、参加人数及びテーマ
は次のとおりである(特別開催分は一部データを
とっていないため除く)
。
それぞれが貴重な思考の記録であるため、例示
ではなく、あえてすべての回について紹介してお
く。議論の概要については、残念ながら紙幅の都
合上、前述の学校ホームページに設置したブログ
( http://w3.tu.tokuyama.ac.jp/japanese/satel
sate/tetugaku.html)を参照していただきたい。
2.2 進め方
平成 20 年度の前期及び後期の一部を除き、駅前
商店街の空き店舗を利用したサテライトキャンパ
スにおいて、
毎月水曜日の 17:30~18:30 の 1 時間、
隔週で開催している。お菓子や飲み物を用意し、
リラックスするための音楽もかけている。
開始に当たって毎回次のようなルール説明をし
ている。①人の話をよく聞く、②他人の意見を全
否定しない、③難しい言葉を使うときは説明する
といったものである。後はできるだけ自然な会話
になるように、心がけている。
例えば、名簿と名札を用意しているが、記載は
【平成 20 年度】
第 1 回 5 月 13 日(火) 14 人
どうして自由には責任を伴うのか?
第 2 回 5 月 20 日(火)13 人
どうして締切り間際までやらないのか?
2
第 3 回 5 月 27 日(火)14 人
どうしてライバルに負けると悔しいのか?
第 4 回 6 月 17 日(火)12 人
正しいことって一体誰が決めるの?
第 5 回 6 月 24 日(火)15 人
心と体の境界はどこなのか?
第 6 回 7 月 8 日(火)13 人
どうして人と違うことをすると嫌われるのか?
第 7 回 7 月 15 日(火)15 人
愛と恋はどう違うのか?
第 8 回 8 月 5 日(火)13 人
どうして人によって幸せの基準は違うのか?
第 9 回 10 月 15 日(水)10 人
人はどうやって死を受け入れるのか?
第 10 回 10 月 29 日(水)16 人
どうして他人のことが気になるのか?
第 11 回 11 月 12 日(水)16 人
どうして仕事より遊びのほうが楽しいのか?
第 12 回 12 月 10 日(水)12 人
どうして家族のことを好きになったり、嫌いにな
ったりするのか?
第 13 回 1 月 14 日(水)9 人
どうして新興宗教にはまるのか?
第 14 回 1 月 28 日(水)12 人
どうして人は戦争を繰り返すのか?
第 15 回 2 月 18 日(水)12 人
どうしてミス・ユニバースを選べるのか?
第 26 回 10 月 28 日(水)17 人
どうして暴力はなくならないのか?
第 27 回 11 月 18 日(水)15 人
どうして人は孤独に耐えられないのか?
第 28 回 12 月 9 日(水)11 人
友達と恋人どっちが大事?
第 29 回 1 月 13 日(水)12 人
歴史は進歩しているのか?
第 30 回 1 月 27 日(水)9 人
どうして人は映画にのめり込むのか?
第 31 回 2 月 17 日(水)13 人
人間とはいったい何なのか?
なお、平成 22 年度に関しても、これまでと同様
のやり方で、通常開催 16 回及び特別開催 3~4 回
を予定している。ただし、後述するように、この 2
年間の実践で明らかとなった課題を克服するよう
に努めていきたいと考えている。
4.哲学カフェの効用
元々の狙いは、思考力の向上、プレゼンテーシ
ョン能力の向上、コミュニケーション能力の向上、
哲学に関連する知識の習得、純粋に哲学を楽しむ
といったものであった。
2の概要でも触れたが、そもそも哲学カフェを
始めたきっかけが、「倫理」の授業で十分に展開で
きないことの補足であり、それを市民にまで広げ
たものであった。
したがって、まずは哲学の本来の意義である自
分の頭を使ってじっくりと考えるという経験をも
ってもらいたかった。これが思考力の向上である。
プレゼンテーション能力の向上については、考
えた内容を言葉にしないことには、哲学にならな
い。そこで、思考の結果を相手に伝わる明確な言
葉にまとめ上げて、表現するための訓練をしても
らうことにした。
コミュニケーション能力の向上については、対
話である限りその効果は容易に想定できよう。た
だし、本来哲学は一人でするものではないのかと
の疑問をもたれる方もいるかもしれない。
これについては、ソクラテスの問答法がそうで
あったように、他者との問答を繰り返すことで、
あるいは他者の考えを聞くことで、より思考の幅
が広がり、深みを増すことが経験的にも実証され
ている。
さらに、哲学に関連する知識を習得することに
ついては、学習効果として期待されるものであり、
【平成 21 年度】
第 16 回 4 月 15 日(水)13 人
理想と現実のどちらを優先すべきか?
第 17 回 5 月 13 日(水)10 人
インターネットは頭の敵か味方か?
第 18 回 5 月 29 日(金)9 人
権力は悪か?
第 19 回 6 月 10 日(水)9 人
人は結婚すべきなのか?
第 20 回 6 月 24 日(水)10 人
技術と芸術は両立するか?
第 21 回 7 月 8 日(水)9 人
話せばわかるのか?
第 22 回 7 月 22 日(水)10 人
時間を操ることはできるか?
第 23 回 8 月 5 日(水)9 人
どうして人は考えることを止められないのか?
第 24 回 9 月 30 日(水)17 人
言葉が先にあるのか、モノが先にあるのか?
第 25 回 10 月 14 日(水)13 人
どうして環境問題は解決しないのか?
3
純粋に哲学を楽しむという点については、哲学を
専攻する者としての切なる願いであるといえる。
当初は以上のような効果を想定していただけで
あったが、学生と市民が同じ土俵で哲学的対話を
繰り広げる中で、意外な相乗効果が生じているこ
とが次第に明らかになっていった。
まず、学生にとっての意外な効用は、彼らが哲
学カフェを就職の際の面接練習や集団討論の場と
して活用し始めた点である。つまり、大人が混じ
っていることで、面接の本番さながらの緊張感を
味わいつつ、自分の考えを表明することができる
のである。
集団討論の練習という面ではさらに実践的であ
る。大人が意見をいう中に割って入るタイミング
をつかんだり、議論をリードしたりするというの
は、本番以上の訓練になるのだ。
これらは連続して参加してくれていた学生の変
化を見ていて気づいたものである。目に見えて意
見をいうタイミングがうまくなったり、時に議論
をリードし始めたのである。
そして、実際に公務員試験を受けてきた学生か
ら、哲学カフェでの練習が、本番での集団討論に
役立ったとの声を聞くことができた。
これに対して、市民にとっての意外な効用は、
まちづくりと交流である。どうして哲学カフェが
まちづくりになるかというと、第一に社会の課題
について考えるきっかけになるという点である。
また、人々が集まって語り合うという行為自体が、
まちを活性化していることにもなる。
もちろん、市民だけであっても、まちづくりを
することは可能である。しかし、市民らは若い学
生たちと意見を交わし、彼らの将来を思うことで、
より社会の課題に対峙する必要性を感じるように
なるという。
まちの活性化という意味でも、若い人が混じる
ことで、より活力が増す。
交流についても同じことがいえる。市民相互の
交流はどこでもありうる。公民館で行われている
ような生涯学習の場でも、少なからぬ人たちが、
交流を目的の一つとしている。
ところが、若い学生たちと様々な市民の交流は、
めったにないのが現実である。その意味で、市民
らはこの空間を新鮮に感じ、世代を越えた交流そ
のものを楽しんでいる。そして学生たちがしっか
りとした意見をもっていることに感動し、社会の
将来に明るい希望を抱くようである。
ここで再度強調しておきたいのは、これらの意
外な効用が、学生と市民の相互交流によってはじ
めて可能になったという点である。
5.今後の課題と展望
さて、これまで紹介してきたように、哲学カフ
ェには色々な効用があることが判明した。とくに
当初想定していなかった、学生、市民相互にとっ
ての意外な効用は、今後意識的に高めていく必要
があると感じている。
具体的には、学生であれば、就職活動期にさし
かかる前の学生に、面接や集団討論の練習として
参加を呼び掛け、キャリア支援システムの中によ
り積極的に位置づけていくことが考えられる。
市民との関係では、まちづくりに際して、若者
の声を聞く貴重な場として活用してもらうため、
積極的に呼び掛けると同時に、それにふさわしい
テーマを盛り込んでいくことが考えられる。
さらに、世代間交流という面でも、今孤独な高
齢者が増えている現状に鑑み、地域の「居場所」
として位置づけていく必要があるとも考えられる。
このように、哲学カフェはさらなる発展を目指
して、今後も回を重ねていくことになるであろう。
とはいえ、その未来は決してバラ色ではない。こ
の 2 年間の実践を通じて、課題も見えてきた。
それは、どうしても参加者が同質のメンバーに
限定されることである。本来は哲学など興味がな
いという人にこそ参加してもらいたいのだが、強
制するのも趣旨に反する。誰にとってもより魅力
的な時空間を提供できるよう、一層の工夫を模索
したい。
参考文献
小川仁志『人生が変わる哲学の教室』、中経出版、
2010 年
クリストファー・フィリップス『ソクラテス・カ
フェにようこそ』森丘道訳、光文社、2003 年
マルク・ソーテ『ソクラテスのカフェ』堀内ゆか
り訳、紀伊國屋書店、1996 年
マルク・ソーテ『ソクラテスのカフェⅡ』堀内ゆ
かり訳、紀伊國屋書店、1998 年
現代GP「自主自立誘導型キャリア教育システム」
成果報告書、徳山工業高等専門学校、2009 年
現代GP「まちなかサテライトを活用した創造教
育」成果報告書、徳山工業高等専門学校、2009 年
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