情報提供資料 2016/3/22 SMAM ロンドンレポート 三井住友アセットマネジメント シニアエコノミスト 西垣 秀樹 ユーロ圏のマイナス金利政策の現状評価と見通し 【ポイント】 ① ECB のマイナス金利政策の主な狙いは貸出金利の低下を通じた貸出の増加にある。これまでの ところ、ユーロ圏の銀行貸出は住宅ローンを中心に増加しており、マイナス金利政策がユー ロ圏の銀行収益を大きく下押ししていない。ユーロ圏のマイナス金利政策は、貸出金利の水 準や銀行の収益構造などを考慮すると、日本よりはプラスの効果が期待できるとみられる。 ② ECB のマイナス金利政策は均衡実質金利の低下に沿ったものであり、物価の下振れリスクを考 慮すると、当面継続するとみられる。 ③ マイナス金利政策が長期化すれば、銀行収益への懸念が高まるだろう。ユーロ圏諸国がマイ ナス金利政策から脱却するためには構造改革の加速を通じて投資の活発化や潜在成長率の引 き上げなどを急ぐ必要があるだろう。 日銀が 1 月にマイナス金利政策の導入を発表したことで先行的に導入している欧州に関心が集 まった。 ECB の最近の金融政策を振り返ると、預金ファシリティ金利(政策金利の下限)は 14 年 6 月 に 0.0%から▲0.1%に引き下げられた後、追加の緩和によって現在▲0.4%である。一方、15 年 3 月に ECB は民間資産に加えて国債等の公的資産を買い取る政策を開始しており、今日までマイ ナス金利と量的緩和を中心とした金融政策を続けている。 ユーロ圏ではマイナス金利政策が導入されてから1年半以上経過したが、これまでの欧州の当 局者や市場関係者等への取材によれば、マイナス金利政策は(先行きへの懸念はあるものの)当 初の想定以上に機能しているという評価が一般的だ。日本ではマイナス金利政策に否定的な見方 が多いが、日本と欧州ではその評価が微妙に異なっている点が興味深い。 マイナス金利の主な狙いは貸出の増加 マイナス金利政策の主な狙いは、民間銀行が抱える過剰流動性にコストを求めることで貸出の インセンティブを高め、市場金利の低下や資産価格の押し上げを通じて民間支出を拡大させるこ とであると考えられる。それによって GDP ギャップを縮小させ、インフレ率を浮揚させること が期待されている。預金ファシリティ金利を引き下げると短期的にはユーロ安要因になるものの、 持続的な効果は見込めない。一方、貸出金利の低下によって時間はかかるものの銀行借入の需要 を促進する効果が期待できる。 1 ユーロシステムのバランスシートと預金ファシリティ金利 (10億ユーロ) 3,500 (%) 0.3 3,000 0.2 2,500 2,000 1,500 1,000 500 0 12 13 14 15 16 0.1 預金ファシリティ(左軸) 0.0 当座預金(左軸) -0.1 銀行券(左軸) -0.2 総資産(左軸) -0.3 マネタリーベース(左軸) -0.4 預金ファシリティ金利(右軸) -0.5 (年) (注)データ期間は2012年1月6日から2016年3月18日の週(週末ベース) (出所)ECB、Datastreamのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 マイナス金利でも短期金融市場の取引は成立するが、取引は低調 3 月 20 日現在、ユーロ圏の民間銀行の過剰流動性は約 6,700 億ユーロであり、これに 0.4%の 金利負担がかかっている。銀行が1年間保有した場合の金利負担は約 27 億ユーロと計算される が、これは銀行総資産の 0.01%相当であり、マクロ的には金利負担は大きくない。銀行が流動性 を引き上げないのは、現金通貨の保有や搬送にコストがかかることもある。現金通貨のコストに ついては1ユーロを使用することにコスト(単位あたり社会コスト)が 2.3 セント(2.3%)とい う ECB の試算がある。 過剰流動性については、全く動いていないわけではなく、その一部は短期金融市場の資金貸借 に回っており、短期金融市場が機能不全に陥っているということではない。ユーロ圏の場合、コ リドーシステムによって民間銀行の中銀からの借入金利(MRO 金利)と民間銀行が中銀に余剰 資金を預ける預金ファシリティの金利の間には差があるため、資金貸借取引のインセンティブが 存在する。例えば過剰流動性を抱える銀行は中銀預金に対して 0.4%の金利を支払うよりは、 (マ イナスであっても)インターバンク市場で運用した方が相対的に収益は改善するため、インター バンク市場に資金を供給する誘因がある。一方で資金が不足する銀行は中銀から 0.0%の金利 (MRO 金利)で借りるよりもさらに低い金利でインターバンク市場から資金を調達する方が効 率的である。このため、マイナス金利であっても資金貸借取引は成立する。ただし、過剰流動性 の増加とともにインターバンクでの借入需要が減少し、EONIA(マネーマーケットの翌日物金利) は預金ファシリティ金利(=市場金利の理論上の下限値)に接近しており、EONIA の取引数量 は 15 年後半以降、減少傾向にある。 2 ECBの政策金利、EONIA、EONIA取引数量 (%) 1.20 (10億ユーロ) 40 EONIA数量(20日移動平均、右軸) MRO金利(左軸) EONIA(マネーマーケット翌日物金利、左軸) 預金ファシリティ金利(左軸) 1.00 0.80 0.60 35 30 25 0.40 20 0.20 15 0.00 ▲ 0.20 10 ▲ 0.40 5 ▲ 0.60 12 13 14 15 0 16 (注)データ期間は2012年1月1日から2016年3月20日 (出所)ECB, Bloombergのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 (年) 貸出は増加しているが、企業向けは低調 ECB は過剰流動性のもとで預金ファシリティ金利を引き下げることで EONIA の金利を低く誘 導し、市中金利(貸出金利)の低下を促したこともあり、ユーロ圏の銀行貸出フローは足元で増 加傾向にある。ただし、企業向け貸出は依然として低調であり、住宅ローンが中心である。貸出 が増加しているのは、マイナス金利による住宅ローン金利の低下だけでなく、景気回復に伴う所 得の増加やバランスシート調整の一巡、ECB の包括的な資産査定によって資本が安定したことな ども影響している。過剰流動性と貸出フローを比較してみると、貸出の増加ペースは企業の信用 リスクや資金需要の弱さも影響して非常に緩慢である。また域外資産は 15 年後半以降、減少傾 向となっており、ポートフォリオリバランス効果が十分に発揮されているとは言い難い。 ユーロ圏銀行部門の資産フロー ユーロ圏の域内民間貸出の伸び(要因分解) (前年比、%) 12 (10億ユーロ) 600 10 その他 400 消費者信用 8 中銀預金 住宅ローン 貸出(企業、家計) 200 非金融法人 6 域内株式 全体 4 0 2 ▲ 200 政府債 銀行債等 域外資産 0 ▲ 400 -2 ▲ 600 -4 07 08 09 10 11 12 13 (注)データ期間は2007年1月から2016年1月 (出所)ECBのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 14 15 16 (年) 3 12 13 14 15 16 (注)12カ月合計値(ローリング)。データ期間は2012年1月から2016年1月 (出所)ECB, Datastreamのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 (年) ユーロ圏と日本の異なる点 日本では日銀のマイナス金利政策について銀行収益を圧迫し、その効果を懐疑的にみる見方が 多い。一方、欧州では、マイナス金利政策を長期間続けると、銀行収益が悪化するとの懸念の声 が度々聞かれるものの、少なくともこれまでのところは、ECB のマイナス金利政策が銀行収益に 対して大きな圧迫要因になっていないという認識が一般的である。日本と欧州のマイナス金利政 策の効果についてみられる認識ギャップはユーロ圏と日本の銀行システムの違いが影響している 可能性がある。 第 1 に、ユーロ圏の貸出金利はフローでみてもストックでみても日本に比べてかなり高い水準 にある。預金金利を差し引いた預貸スプレッドもユーロ圏の場合、日本を大きく上回っている。 こうしたなか、ユーロ圏(特に金利が高い周辺国)では貸出金利の低下による追加的な需要刺激 効果は日本よりもなお期待できると考えられる。 ユーロ圏と日本の貸出金利(新規取引ベース) (%) 7 7 ユーロ圏(長期) 6 ユーロ圏(短期) 5 日本(長期) (%) ユーロ圏(長期、家計向け) 6 ユーロ圏(長期、企業向け) 5 日本(短期) 4 4 3 3 2 2 1 1 ユーロ圏と日本の貸出金利(残高ベース) 日本(長期) 0 0 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 (年) (注)データ期間は2003年1月から2015年12月 (出所)ECB、日本銀行、Datastreamのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 (年) (注)データ期間は2003年1月から2015年12月 (出所)ECB、日本銀行、Datastreamのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 ところで預金金利は欧州でも既に低下しており、一段の低下余地は小さくなっている。一般に 家計は企業や機関投資家に比べて預金から現金に換えるコストが小さいと考えられるためリテー ル預金の金利をマイナスにすれば、預金流出の懸念が強まり、銀行としては預金金利をマイナス にすることは難しい。こうしたなか、今後、ECB の預金ファシリティ金利(政策金利)が一段と 低下していく中で、銀行の純利息マージンの縮小を懸念する声があるのは当然である。ただし、 純利息マージンは貸出や名目 GDP などが増加すれば上昇する。これまでのところはユーロ圏の 貸出が増加していることや銀行の資金調達コストが低下しているため、銀行収益に大きなマイナ スの影響は出ていないとみられる。 4 欧州の大手銀行の純利息マージン (Net Interest Margin) (%) 3.5 サンタンデール(西) BBVA(西) 3.0 ドイツ銀行(独) 2.5 コメルツ(独) 2.0 BNPパリバ(仏) 1.5 ソシエテジェネラル(仏) ウニクレジット(伊) 1.0 インテササンパオロ(伊) 0.5 クレディスイス(スイス) 0.0 10 11 12 13 14 15 UBS(スイス) (年) (注)NIM=受取利息純額(税額調整含む)/平均収益性資産残高 データ期間は2010年第1四半期から2015年第4四半期。データの制約によりフランスの銀行は 各四半期ではなく、第4四半期(年末)のみ表示。ドイツ銀行の直近値は2015年第3四半期 (出所)Bl oombergのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 クレディアグリコル(仏) 第 2 に、ユーロ圏は日本に比べて銀行収益に占める純金利収入の割合が低く(特にフランス)、 逆に非金利収入の割合が高いという違いがある。仮に純金利収入が減少しても、非金利収入(手 数料やトレーディング)が増加すれば、銀行収益の落ち込みを一部相殺できる。例えば銀行が中 銀に対して値上がりした国債を売却してキャピタルゲインを実現すれば、銀行収益の押し上げ要 因になる。また株価が上昇すれば、プライベートバンキングやアセットマネジメント部門での収 益押し上げが期待できるだろう。当方が最近実施した ECB などへのヒアリングでも、こうした 資産サイドの値動きも重要であり、マイナス金利政策は銀行部門(特に周辺国)には依然として ネットでプラスであるという強気の見方が示されている。 (%) 欧州と日本の銀行の金利マージンの所得に占める割合 80 70 60 50 40 30 20 10 0 デンマーク (15Q3) 日本 (15Q1) スウェーデン (14Q2) ユーロ圏 (合成) スイス (14年) (注)ユーロ圏は主要4か国の平均値(13Q3~15Q3の直近値) (出所)IMFデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 第 3 に、第 2 の点とも関連するが、ユーロ圏の家計部門のリスク資産の割合は日本に比べて高 いという特徴がある。例えば株式・出資金の構成比はユーロ圏が 17%、日本が 10%であり、投 資信託の構成比はユーロ圏が 9%、日本が 5%程度である。 5 ユーロ圏では 14 年のマイナス金利導入以降、家計部門は投資ファンドなどリスク資産への投 資フローを増加させており、リスクテイクがある程度おこなわれたとみられる。 家計部門の総資産に占めるリスク性資産のシェア 65(%) 60 55 50 ユーロ圏 45 日本 40 35 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 (注)リスク性資産=株式・出資金+投資信託+保険・年金準備金とした データ期間は2005年第1四半期から2015年第3四半期 (出所)ECB、日本銀行のデータから三井住友アセットマネジメント作成 15 (年) 日本の家計部門の資産、負債フロー ユーロ圏家計部門の資産、負債フロー (10億ユーロ) 500 (兆円) 30 25 400 300 純資産 200 現預金(資産) 株式・出資金(資産) 100 0 20 純資産 15 現預金(資産) 10 株式・出資金(資産) 投資信託(資産) 5 保険年金(資産) 保険年金(資産) 0 ローン(負債) ▲ 100 ローン(負債) ▲5 ▲ 200 債券等(資産) ▲ 10 ▲ 300 債券(資産) 投資信託(資産) ▲ 15 07 08 09 10 11 12 13 14 15 07 (年) 08 09 10 11 12 13 14 15 (年) (注)過去4四半期合計値。データ期間は2007年第1四半期から2015年第3四半期 (出所)日本銀行, Datastreamのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 (注)過去4四半期合計値。データ期間は2007年第1四半期から2015年第3四半期 (出所)ECB, Datastreamのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 均衡実質金利の低下に沿って預金ファシリティ金利が低下 ユーロ圏の物価の下振れリスクが依然として大きい点を踏まえると、ECB は今後も、マイナス 金利政策と量的緩和政策を継続せざるを得ないだろう。ECB は金融緩和が過剰なリスクテイク (高い利回りを求める動き)や不動産バブルを引き起こすリスク(金融システム不安定化リスク) にも当然注意を払っている。欧州諸国の不動産価格の動向をみると、ドイツなどで上昇傾向がみ られるが、 これまでの当局への取材によれば、 近い将来のバブルへの懸念は意外と限定的である。 不動産バブルのリスクに対してはマクロプルーデンス政策で対応するのが基本であり、金融政策 として不動産バブルを未然に防ぐために追加緩和をためらうという視点はあまりないという印象 である。 マイナス金利政策が正当化される理論的根拠の一つとして、金融危機後に均衡実質金利がグロ ーバルレベルで低下した可能性が指摘できる。ちなみに BOE は昨年 12 月に発表したワーキング ペーパーで世界の長期の実質金利は過去 30 年で約 450 ベーシス低下したが、このうち(トレン ド)成長率の鈍化によって 100 ベーシス低下、貯蓄投資バランスの構造変化で 300 ベーシス低下 6 したとの見解を示している。 ユーロ圏の均衡実質金利も人口成長率や生産性の鈍化、デレバレッジ(貯蓄超過)などによっ て低下した可能性が高い。例えば、ユーロ圏の潜在成長率は金融危機前には 2%近傍だったが、 足元は 1%程度まで低下したとみられる。また貯蓄投資バランスの面でも、金融危機前はほぼ均 衡していたが、最近はドイツを中心に大幅な貯蓄超過となっており、金利の下押し圧力が強まっ ている。ECB からすれば、均衡実質金利がマイナスまで低下したのであれば、それに沿って政策 金利を下げていかなくてはならないということになるだろう。 マイナス金利政策の本当の評価はこれから、異常事態を防ぐための成長政策が不可欠 ユーロ圏のマイナス金利政策は導入以来、1年半以上経過したが、その弊害が大きくなるとす ればこれからであり、今後の政策評価が一段と重要になる。マイナス金利政策という異常な世界 が長期化するほど金融機関の収益への懸念が高まり、ビジネスモデルの転換が求められるだけで なく、現金や、現金と預金の交換に対する課税の議論が活発になるかもしれない。こうしたなか で金融システムや社会構造が混乱を伴いながら大きく変わっていく可能性もある。さらにユーロ 圏の場合には貯蓄が相対的に多いドイツから借金が相対的に多い南欧諸国への実質的な所得移転 という性質も伴うことで一段と複雑な政治問題になっていくシナリオも無視できない。 ECB の預金ファシリティ金利がさらに低下していく状況を防ぐためには、ユーロ圏諸国がグロ ーバル経済や輸出環境の改善を待つのではなく、構造改革を加速させ、投資環境の改善や潜在成 長率の引き上げを急ぐ必要があるだろう。現状の欧州では財政政策に一定の縛りがある上に、構 造改革を加速させるためのポリティカルキャピタルが脆弱とみられ、ユーロ圏のマイナス金利政 策が早期に終了する見通しは残念ながら立たないといわざるを得ない。現時点では、ユーロ圏の マイナス金利政策は日本よりもプラス効果をもつとみられるが、欧州の日本化を回避するために 欧州諸国に残された時間はあまりないと思われる。 ユーロ圏の潜在GDP成長率 (%) 2.5 2.0 1.5 1.0 0.5 0.0 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 (注)データ期間は1999年から2015年 (出所)欧州委員会のデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 7 11 12 13 14 (年) 15 (GDP比、%) 8 ユーロ圏のISバランス 貯蓄>投資 6 4 2 企業 家計 政府 金融 経済全体 0 -2 -4 -6 貯蓄<投資 -8 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 (注)データ期間は2000年第1四半期から2015年第3四半期 (出所)欧州委員会、Datastreamのデータをもとに三井住友アセットマネジメント作成 13 14 15 (年) 以 上 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