∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 ・福田俊介 東京農業大学 地域環境科学部 造園科学科 2 年 参加動機 私は農村の生活を体験してみたいと思い、インターン事業に参加しました。数ある地域の中で川俣町を 選んだ理由は、川俣町が一番、農村の生活のありのままを体験することができると、派遣地決定会で感 じたからです。また、一か月という長い派遣期間にも魅力を感じました。 一押しと付加価値 一押し→ 商工会青年部 付加価値→ 川俣町の、若い人の視点 提案 商工会青年部の方と交流したインターン生は今年が初めてと聞きましたが、これからのインターン生も 交流したほうがいいと思います。なぜなら、山木屋の住民だけでなく川俣町の人たちとも交流すること で、より広い視野で客観的に川俣町を知ることができるからです。また、青年部の方も山木屋の学生と 情報交換することで、川俣町を見る視野が広がるのではないかと思います。 活動を通じての考察・感想など。 当初の私のインターン活動のテーマであった、 「町の暮らしの、ありのままを体感する」事。これは、 当たり前のことのようだが、夏のたった1ヶ月あまりの生活では、そのほんの一部しか体感することが できなかったように思う。 だからこそ、この町に対しては、 「こういうところが良かった」 「ここが問題点だった」など、様ざまな ことに対しての判断をしたくないというのが、今の私の、素直な気持ちである。 なので、40 日間の体験を通して、今、思っていることなどを、思いつくままに書いてみようと思う。 私は、生まれてから現在に至るまで、ずっと、ごく普通の閑静な住宅街で生活を送ってきた。そんな 環境で育った私にとって、今回の農村での暮らしは、非常に刺激的なものだった。 実際に暮らしてみて、とても大切だと感じたことのひとつに、「人と人とのつながり」がある。 私が 40 日間暮らした山木屋地区は、田んぼや菜園を持っている家庭がほとんどだった。1 つの家庭の田 んぼや畑の手入れでも、場合によっては、どうしても人手が必要なときがある。そんな時はご近所の人 が集まって、みんなで、その家庭の畑の手入れをする。もちろん、手伝ってもらった家庭の人も、ほか の家庭で手入れが必要なとき、手伝いに行く。 こういう、助け合いや、自然の中で五感をフルに使っての共同作業の繰り返しの中で、この地域の方々 の間には、しっかり、信頼関係が出来ているのではないかと思った。 それは、いろいろな家庭の農作業のお手伝いに行った際、行く先々で、そこのご近所の方とも一緒に作 業したことや、住民の方のお話の中から、実際に感じることが出来た。 また、ある家庭では、家の鍵はほとんどかけたことがないという。 19 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 それはやはり、ご近所をはじめ、地域の方々との信頼関係ができていることが、要因の一つではないか と思う。 このような地域では、災害などにあっても、すぐにお互い助け合い、暮らしていくことが出来るのでは ないだろうか。 そう考えたとき、私の今住んでいる地域はどうだろう。 普段の生活の中で、自然に助け合いが必要になってくるようなシーンがほとんどないのもあるが、顔を 合わせたら挨拶をする程度で、信頼関係が出来ているとはあまり思えない。 そもそもご近所と信頼関係が出来ていなくても、それなりに生活できるとも思う。 このような意識を無意識のうちに持っていたから、農村の生活では、どこか暖かい雰囲気や人情味が感 じられたのではないかと、今都市に戻ってきて、改めて実感している。 今回の活動で学んだ事はたくさんあるが、それらの経験はきっと、これからの人生の中のどこかで生き てくるのだと思う。期待はしてないが、確信している。 20 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 ・宗永牧子 東京女子大学 文理学部 社会学科 3年 参加動機 現在私は経済学を学んでいますが、これからの研究テーマを日本の農業におくことを考えています。 都市での生活の中に於いて農業は身近な存在ではないため資料室のデータや文献のみがその研究の情 報源でしたが、活字の情報だけでは現実を読み取ることができず、実際の体験を伴わない知識のみの調 査では深くを追及できないことを常日頃感じていました。実際に農村へと足を運び、日本の農業の現状 を知ることはとても意義のあることと思います。村の方々がどんなことを思い、何を目指し、どのよう な日々を送っていられるかを何よりもまず知りたい、そう考え農村とのつながりを求めていました。 ちょうどそのころ受講していた社会調査実習でこのインターン事業の存在を知りました。都会の学生 と農村を結ぶことを目的としたこの地域交流事業は農業の現場を学ぶという私の目的の達成にも最適 でした。いくつかある派遣先の中でも、ありのままを体験し、受け入れ、ありのままの気持ちを伝えて ほしいという川俣町のスタンスに特に感銘を受けたのでこの地域への派遣を希望しました。 自分の一押し 川俣の町、特に山木屋地区を訪れ感じたのは何よりも出会う人出会う人、皆が深い考えを持っている ということです。自分の生き方を語れるということ、それは当り前のようでいて実際はとても難しいこ とであると思います。 派遣期間中何件かの農家さんのお宅に伺い農作業のお手伝いをさせていただきましたがそこでも地 域の皆様の考えに深く感銘を受けました。どの農家さんもみな強い意志と何年も先を見据えた深い考え を持って日々の生活を営まれていました。今回このインターン事業にかかわってくださった方が皆さん 素敵な方であったということもありますが、やはり皆さんの生活環境もそのことに大きく関係している のではないかと思います。山木屋地区では農業を生業とされている方や兼業として農業を営まれている 方が多いのですがそれが地域に根付いた深い考え方を生み出しているのではないかと私は思います。自 分の仕事が自分自身と家族の生活に直結しているということは当然そこには重い責任が生じます。それ を背負い生きている人達だからこそ見えてくる生き方というものがあるのでしょう。山木屋の皆様の力 強い生き様に私自身のこの先の人生も強く影響を受けたよう感じます。 提案 こんな素敵な方々の考えをもっと多くの人、特に若い人たちに知ってほしいと思います。町の皆様の 考えに触れることにより都会の学生は多くのことを学ぶことができることと思います。自分の研究のテ ーマもそこで発見できるかもしれません。学生は時間にゆとりがあるため長い期間をかけての調査も可 能です。その研究の結果、専攻分野の視点を町もてらすこともできるかもしれません。また友人の紹介 など通し町と都市とのつながりも広げていくこともできるでしょう。 21 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 だからこそ地域に入った学生にはその1ヶ所にとどまるのではなく広く地域と関わることを提案した いと思います。地域の皆さまそれぞれが独自の素敵な考えを持っています。そのすべてが学生にとって 新しい道を開拓することの助けとなってくれることと思います。 また、現在の提言を求めないという町のスタンスも重要であると思います。1か月程の活動の中では 学生が地域に何かをもたらすことなどできません。そのことを事業に参加した学生が感じ取ることが今 後の関係をつなぐうえでポイントとなってくるのではないでしょうか。何もできなかった1か月がある からこそ、その先の長いお付き合いを考えていけるのだと思います。たくさんの素敵な経験の場を与え ていただけた町のため何か自分にできることはないかと考えを巡らせるその過程で自分と町を繋ぐテ ーマを見つけ出すことができるのではないでしょうか。実際に私は川俣町を訪れ自分のテーマを見つけ 研究を進めることができました。そして今その研究がまた自分と地域をつなぐ役割も果たしていると感 じます。何よりもこのインターンが学生と地域の方々との出会いの場、長いお付き合いへの入り口とし て在ってほしいと思います。 感想 インターンに参加した 1 か月間は、私にとって自分自身を見つめなおす本当に大切な期間となりまし た。農業体験をしてみたいという一心から参加したこのインターンでしたが、地域の方々との出会いは そういった体験以上に深く心に残るものとなりました。 川俣町の方々の考えに触れ、思考の面に於いても感受性の面に於いても、私自身、根本から大きく変 わったように思います。今後の将来を大きく変えるとても大切なものを与えてくださった川俣町のみな さまに心から感謝しています。 本来ならばこの地域づくりインターンの事業ではその町の産業やまちづくりについて考えていかな ければならないはずですが、私がこの地域に入り見えてきたのは自分自身の姿でした。山木屋の方々の 深さに触れ、自身の狭い視野に気づくことができたように思います。今の自分はいったいどれだけのこ とを把握し、考えることができているか。どれだけ自分とその生きてきた土地を語ることができるのか。 見つめなおせば直すほど、自分の足りない部分に気づきます。 地域の発展を考えるのならばまず自分自身をしっかりと持たなければならないことを痛切に感じま した。そしてそのうえでその土地での自分の生き方を考えることが求められてくるのでしょう。このよ うに一人ひとりの意識を高めていくことが地域の人々の結束とその土地の発展につながっていくのだ と思います。 インターンを終えて今、川俣の町と人々と今後も深く付き合っていきたい、そう強く思います。この 気持ちを大切にして、何らかの行動につなげ、川俣町との関わりを強くしていきたいと思います。 22 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 ・小林春菜 東京海洋大学 海洋科学部 海洋政策文化学科 4年 参加動機 私がこのインターン事業に参加したきっかけは、たまたま学内に掲示されていた国交省主催の地域づく りインターン事業のポスターを見つけたからでした。普段は、掲示物をあまり読まないのですが、その ときは、なにかひきあうものがあったのかもしれませんが、妙に気になったので、実際にこの事業を募 集している国交省にインターネットアクセスして、調べてみてから決めました。そのときに、重視した 点は、まずは、期間がどのくらいか、どんなことを体験できるのか、募集様態はだれかということを調 べていき、私自身にマッチしていて、「ただアルバイト三昧の夏休みを送るよりは、なにかスペシャル なことをしたい。自分が没頭できるような楽しみがなかったので、自分が体験したことのないことをや ってみて新しい楽しみを見つけたい」と思ったので、参加を決意しました。 私以外のみなさんは、「インターンの会」という団体を介して参加したみたいですが、私はそのよう な団体が存在していることすら、ましてや私のような内向的な大学に入っていると、なかなか大学生ど うしの団体の情報には疎い部分もあったので、この事業を通じて、他大学とのつながりができてよかっ たと思います。 次に、川俣町を選んだきっかけは、福島県だからです。それは、福島県主に中通りの地域を主体とし て、卒業論文の調査を行っていたため、数ある候補地の中でも「せっかくなら勉強に結びつく場所を」 と思い、決めました。ほかにも、この事業の候補地には、福島県内だけでも、会津地域や、川内村(中 通りで川俣の下の方にある村)があったのですが、インターンの詳細や町の紹介文を比較した結果、文 章から自分のやりたいこと(農業体験を通じて、そこに生活する人たちの価値観を学ぶ)が一番イメー ジできた川俣を第一希望にしました。また、ほかの地域にはない30日間というロングステイも魅力的 でした。 結果論になるのですが、川俣町を選んだことは、私にとって正解だったと思っています。川俣でのイ ンターンが終わった後も、ほかの地域でのインターンに参加したのですが、ほかの地域は、期間が短い ため半日単位で違うことを体験し、いろんなことを積み込みすぎていたため、なかなか落ち着かなくて 体調を崩したり、あらかじめスケジュールが決まっていたため、自分の興味をもつことにもっと時間、 力を注ぎたくても、都合がきかない不自由さがありました。その点、川俣では、スケジュールの組み立 てが自由で、「夢農園」という自分たちの活動拠点となる場所もあったので、とても行動しやすかった です。そして、あらかじめ計画された中だけの人付き合いではなく、自分の好きなようにふるまえたの で、同世代の地元の子と仲良くなったり、知り合いの知り合いの方を紹介してもらったり、多くの方と 交流ができたのも、川俣のインターンならではだと思います。 自分の一押し、提案、感想 川俣での生活の中で、私の一押しすることは、 「川俣に住む人の誠実さ、あたたかさ」です。これは、 23 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 一押しというよりも、私自身が驚いたことでもあります。川俣で知り合った方は、どの方も私の話を、 真剣にきいてくれ、自分の意見をはっきり言い、アドバイスまでおっしゃってくれます。私はこれまで 「人付き合いというのは、その場のノリ、雰囲気が楽しければそれでいい」と思っており、適当に笑い、 適当にコメントして場もちだけをしてきました。 ところが、ある日、ホストファミリーである夢農園の菅野英夫さんのお宅で、英夫さんに「その作り 笑いやめろ」と言われたことが私の中で衝撃でした。私自身、作り笑いをしていることに気づいてなか ったのです。長年のアルバイトでの接客経験で、人に会ったときは、口角をあげて、目を開けて、とり あえず笑えとたたき込まれてきた私は、いつの日か不自然な笑いばかりだったらしいのです。今までは、 それで支障はなかったので、指摘されたことの意味がはじめはよくわかりませんでした。そして、あま り気にせず川俣での生活を送っていたのですが、毎日お会いする川俣の方々が、どんな話題にも、あま りにも熱く真剣に、私のようにヘラヘラ笑いもせず、お話をしてくださっている姿勢を直に感じて、私 のこの笑い(作り笑いらしい)は、こんなにも真剣に向き合ってくれている川俣の方々に失礼ではない だろうか、不愉快な思いをさせているのではないだろうかと思うようになり、気をつけるようにしまし た。英夫さんの娘さんのあやかちゃんにも「ときどきすごくきれいに笑うんだけど、いつもの笑いはな にか変」と言われ、私の気づかないところを、21年間だれも指摘してくれなかったことを、しっかり 言葉にして伝えてくれることをすごくありがたいと思いました。 しかし、この笑いをやめるためには、相当の労力がかかりました。作り笑いをしないよう心がけた結 果、「自分の人生っていかに笑いのないおもしろくないものなのか。笑わないことによって雰囲気を壊 していないだろうか。そもそも笑うことって何?」しばらくは、気疲れと自問自答の日々で、一緒にイ ンターンに参加しているメンバーのちょっとでも気に障る行動にいらいらしていました。インターンも、 終了間近になったとき、ついに、このことを指摘してくれた、英夫さんとあやかちゃんに自分がもらし ました。私は、自分のことを一人で解決できないことに対して、すごく自分自身が情けない思いだった のにも関わらず、お二人は、快くお話を聞いてくれ、「人生の中で、腹を割ってはなせる友達が多けれ ば多いほど人生は豊かになる。しかし、そんな信頼のおける友達ができるのは、今まで生きてきても、 ごく僅かしかいない。自分のやりたいことを見つけて、自分の意志で人生をつき進む中で、見つけるし かない。そのためには、本音で語り合う、真っ正面から立ち向かう、そういうことが必要なわけだけど、 作り笑いだとそれができない。」とお話してくれたことがとても印象に残っています。そして今まで、 私は、私自身の内面的なことを話したことがなかったので、「心を開いて話してくれてうれしい」とも おっしゃってくれました。今までの苦労がそのあたたかさ、誠実さにすごく救われる思いでした。 川俣での生活は、多くの人と出会い、いろんな話を聞いて、いろんな体験をして、楽しかったり、悩 んだり、苦しんだり、解決したり、それまで平凡な毎日を東京で過ごして来た私にとって、毎日が喜怒 哀楽に富んだカラフルな日々でした。そのように思えたのも、先ほど書いたように、川俣の人々が皆あ たたかくて、誠実で、素敵な人々だからに違いありません。川俣から東京に帰って来た後も、多くの人 に雰囲気よくなったね、成長したねと言われました。もし、川俣に行かなければ、作り笑いは続いてい ただろうし、こんなにも悩んだりすることはなかったでしょう。しかし、川俣生活によって同時に、新 24 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 たなコミュニケーション能力を手に入れ、少し大げさな言い方かもしれませんが、人付き合いがこんな にも自分の人生を支えていることを実感し、大切なものだということを学びました。 川俣での生活で必要なこと、それは、「心を開いて、本音を語ること。誠実に五感をフルに使って川 俣の良さを感じ取ること」に限ると思います。そうすることによって、多くの方の優しさ、温かさにふ れ、大自然の中で、心も身体もデトックスし、まっさらな状態になります。その状況の中で、「自分自 身をゆっくり見つめ直し、自分の人生を考える」、それが、私の川俣生活の提案です。 最後になりましたが、川俣でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。私は、まだ皆さ んから、大事なことを教えてもらったり、受け身ばかりの状況です。川俣で過ごした、濃い生活の中で 学んだことがすべて消化し、自分なりの成果が残せたわけでもありません。いつか、人生の中でご恩が 返せるとき、自分のやりたいことに全うするようになったとき、また近況報告に伺わせてもらいたいと 思います。 25 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 ・荒牧貴彦 明治大学 農学部 農業経済学科 3年 ●参加動機 私がこの事業に参加したのは地域のスバラシさ、農業のスバラシさを伝えたい!そしてその思いをいろ いろな人と共有したいと思ったからです。私は川俣町と同じ福島県の須賀川市というところで生まれ、 大学へ進学する18歳まで暮らしました。家業が農業を営んでいるということもあり、農業に親しんで はきたものの周りのお父さんたちがスーツを着てバリバリ働いているのに、なんでうちはスーツを着な いんだろう?なぜいつも長靴姿なのだろう?という思いがありました。もしかしたら“農業はカッコ悪 い”という考えが心のどこかにあったのかもしれません。そんなことがありながら、“地方はもうイヤ だ!東京の大学へ行こう!”と思い立ち、紆余曲折を経て、農学部に進学しました。そんな私の考えは 大学のある講義を受講したことで一転しました。戦後地方は都市重視の政策に虐げられながらも力強く 生きてきました。しかし今になって、地方に“こんな所に生まれた子どもがかわいそうだ”と、まるで 自分の地域を卑下するような閉塞感が広がってきています。しかし、そうとは考えず、これまでのよう に地方を遅れた地域と見るのではなく、都市も経験してないような課題に取り組める先進的地域と位置 付けて地域を見てみよう!地域には光を当てれば、まだまだ表に現れていない力があるんだ!こんな考 えから地域の生の現場を見てみたいと思い、インターン事業に参加しました。数々あったインターン候 補地の中で川俣町だけは異彩を放っていました。その何とも言えない魅力にとりつかれ、一か月間川俣 町にドップリ浸かってみたいという思いで川俣町を希望しました。もちろん“果たして自分は川俣町の 人に溶け込めるのだろうか?”という不安もありましたが、高揚した気持ちはもう抑えられませんでし た。 ●自分の一押し 私が最も薦めたいことは川俣町で培われる感覚です。目で見ること、耳で聞くこと、肌で感じること、 匂い、食べ物、すべての感覚を使って感じることが新鮮で、自分が忘れかけていたものでした。普段の 大学生活では常に合理的で、ロジカル的なものが求められます。そのため短絡的なデータ収集や自分の 身とならないような知識に飛びつきがちです。私もインターンの初期段階ではデータや知識収集ありき の活動だったように思います。しかしそのような考えでは非常にもったいないと思いました。川俣の生 活に何も取り繕わず、等身大で臨めば、人間の情緒が自然と豊かになります。農業はその重要なファク ターであると感じました。人間は農業なくして生きていくことはできません。そういった意味では人間 の根本の産業なのです。自分で食べるものは自分で栽培する。そうすれば食うには困らず、他に対して 強くなれ、他に屈せず、自分の信じる道を守りながら生きていけます。つまり自給自足が究極的な人間 の在り方であり、本来の姿だと感じました。これは川俣町が都会とは異なる特異な生活を送っているわ けではなく、むしろ都会が何もかもモノに満たされ、作り上げられた夢空間なのだと思いました。私は 実際に畑に出て、収穫し、調理した料理がこれほどまでに自らの感情を高揚させたことはありませんで した。食事とは単なる栄養補給であって、食事に特別なこだわりはありませんでした。こういった感情 26 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 が今までなかったことが非常にもったいないと感じました。川俣町でこういった経験ができたことは本 当によかったと思います。 ●提言 私が一ヶ月間川俣町に滞在した中で強く感じられたのが、“川俣町全体としての結束感に欠けるのでは ないか”という思いでした。インターンは川俣町全土というよりも山木屋地区での活動が大半を占めた ため、市街地のことに関してはよくわかりませんでした。それでも何度かお祭りなどのイベントに参加 させていただく機会があり、その度に感じることが“川俣と山木屋は違うんだな”ということでした。 ある川俣の街の方は“山木屋は行ったことがない。山木屋は近いが遠い存在”とおっしゃっていました。 さらにある山木屋の方も“今の川俣町の中で山木屋だけが安達郡の出身。山木屋は川俣の街とは異なっ た発展をしようと頑張ってきた”という言葉が聞かれました。実際に川俣の街と山木屋はひと山越えな ければ行き来できず、標高差も気候も格段の差があり、地理的に隔てられています。そのような現状が あれば結束感が欠けていると感じてしまうのも仕方がないことだと思ますし、こういったことは川俣町 に限られたことではなく、どの地域にもあることなのかもしれません。しかし近年急速に進む平成の大 合併の時代に川俣町は合併をせず、今の川俣町として生きていくこと選択されました。それには川俣町 としての強い意志が感じられ、住民の気持ちを大事にしている町なのだと思いました。勝手ながらその ように解釈した上で、川俣町全体としての結束を図ってほしいと申し上げたいです。そのためには町の イベントを広範囲に広げることや、学校間の連携の強化など異なる地区の方々が接触する機会を増やし ていくことが求められると思います。経済としては隣の福島市と強い関係を持つ川俣町ですが、気持ち の上では川俣町の住民としての強い誇りを感じました。その気持ちをいつまでも持ち続けてほしいと強 く思います。 ●感想 一か月間のインターンを終えて、楽しかったこと、うれしかったこと、涙したこと、やるせなかったこ と、様々でしたが、今自分の脳裏を走馬灯のように流れています。何が一番印象に残ったかと問われれ ば、川俣町の人々の“誇り”“プライド”です。豊かな自然、澄んだ空気、満天の星空。そこから想像 されるのは“のほほん”といった人を形容するにはあまりに失礼な言葉。しかしそれはむしろ自分に当 てはまるのではないかと思いました。川俣町の人々は非常にやさしく、おおらかで、そして熱かったで す。その熱さ=エネルギーは自らの生業に対するプライド、長年の経験に基づく自信、いくつになって も絶えることのない飽くなき探求心に裏付けされているように感じました。川俣まちに来る前は疲弊し た農村、自信をなくした農業者に田舎のスバラシさ、農業を営むことの重要性を説いて“俺が川俣町を 元気にするんだ!”と意気込んでいったものの、逆に励まされたのは自分でした。今回のインターンで 自分の過去、現在、そしてこれからの将来について考えました。今まで深く考えたこともなかったこと です。これからどういう人生を歩んでいきたいのか結論は出せませんが、その考えるきっかけを下さっ 27 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 たことに感謝したいです。川俣の農業を見てきて感じたことは、多種多様な考えの上に成り立っている ということです。それはどの考えが正解という類のものではありません。酪農ひとつとってもそう思い ます。乳牛を数多く飼い、機械化をして、コストがかかって所得率は低くなるけれども、それをはねの けるくらいに規模を広げる大規模経営と、乳牛の数は少ないけれども、機械化を最小限にとどめ、少な いコストで所得率の上昇を図る小規模経営。これは単にどの経営形体を選択するかという問題にとどま らず、その農業者のライフプランや引退後の過ごし方にも及ぶものだと思いました。農業を引退した後 どういった人生を歩みたいのか、それは人それぞれです。私は川俣町の人々の多種多様な意見、考えに 触れ、自らの人生観をも覆されました。自分が今までどんなにちっぽけな人間であったのか、どんなに 視野が狭かったのか、どんなに掴めるはずのチャンスを逃してきたのか、後悔してもしきれません。今 自分にできることは常に前を見続けることなのだろうと思います。ひと周りでもふた周りでも大きくな って、また川俣町に帰ってきたいです。私は川俣町から元気をもらい、やすらぎをもらい、そして笑顔 をもらいました。川俣町の皆さん、本当にありがとうございます。今度は自分が何か与えられるかな。 28 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 ・阪本 香菜 恵泉女学園大学 人間社会学部 人間環境学科 1 年 <参加動機> 東京生まれ東京育ちの私は、高校三年生のときにコンクリートジャングルの中で飾りでしかない小さく 詰め寄せられてしまった緑からささやかな癒しを感じるところから、自然を知り、自然について考える ようになりました。草花や自然にしかない人を癒す力や脅威はかけがえのないものだと知り、そして少 しでも人の心を癒せたらという想いから、園芸学と心理学の結びついた園芸療法(作業療法の一貫)と、 有機農業(小さな教育農場がある)に取り組んでいる大学に入りました。入学して実際に土にふれる確か な喜びや癒し、自分で食べ物を育み収穫して食べることの確かな素晴らしさや喜びを、その肌と心で実 感しました。自分にとって緑や土の存在は絶対だと確信し、都市の中の一部である自然にふれるのでは なく、その真逆の比率、自然の中にどっぷり浸かるという暮らしをしたい!毎日農業をとことんやりた い!吸収量が絶対に全然違うはず!と思い立ち、いろんな事業を手とり足とり探していました。そして、 5 月に NPO 法人の“筍を掘って古民家に宿泊”という自然体験ツアーに参加したところ、たまたま地域 づくりインターンの会の OG(川俣ではない)がいらっしゃって、この事業を紹介してもらったのがキッカ ケ。そして役場の橋本さんと出会い、その人柄に強く魅かれ、また、「理屈の前にまず心で感じること を大切にしてほしい。川俣のありのままをありのまま(プラスの気持ちもマイナスの気持ちも)で体感し てほしい。そして派遣後そのありのままから活かすことで、ゆるがないものができるから。」という考 えの奥深さに感動し、一ヶ月はとても長くて正直不安だけれど、それだけの期間がなければいく意味が ない。この地域でなければ意味がない。こんな素敵な人が用意する世界の扉を開けてみよう!というこ とで勢いと強い意志で選択しました。 <一押し> ①夢農園 一番お世話になった夢農園。忙しい時期にもかかわらず手伝わさせていただいた。途中参加なのでメン バーの中で一番手伝っていないと思いますが、それでも得るものはたくさんあった。まず、とにかくみ なさんあたたかくて明るくてすてきな人柄。社長は社長なのにスタッフの人たちと分け隔てなく接して いて最初すごく驚いた。10 時と 3 時の休憩は必ずとる、しかもみんなでイスを囲んでコーヒーを飲むア ットホームさ。でもただの仲良しとは全然違う。仕事場である。お互いに全然表立って口に出したりは しないけれど、そこを越えて、信頼関係はその分根強くて深い。そして、作業を懸命にやる人、状況を 判断して人を動かす人、まとめて管理する人・・・それぞれ役割がある。しかもそれぞれの努力だけで は結果につながらない。けれど、各々が自分の持ち場を精一杯がんばる積み重ねが種となり、それを社 長が転換して成果の実るものにする。そうして、一人一人の存在、努力があって、きちんとした関係性 があって、成り立っている夢農園。そんな空間に参加できた自分はしあわせ者だ。それまで企業の仕事 は義務感でやるイメージしかなかったわたしには、ここまで深い想いがあるこの職場に驚きだった。今、 自分や自分の周りにはない関係性だけど、決して忘れてはいけない学んだことである。そして、期間中 29 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 にはなんとシルバー人材派遣の秀子さんに夕飯を誘っていただき、夢農園のパートさん、社長と秀子さ ん宅ですきやきを食べました。十年間のインターンで初めてのことなのだそう。名前の通りの場所だと 思うばかり。本当に感謝しています。 ②草刈り 源勝さん宅で何度かやらせていただきました。広い畑、自分が埋もれるくらい生い茂った草を、汗だく になりながら大手を振って無心で刈りまくる。一息ついて立ってふりかえると、ちゃんと成果が見える。 清々しい風があたる。めちゃくちゃ気持ちいい。一番楽しくてやりがいのある農作業でした!!毎日やり たかった程です。章子さんが「地味で大変な作業だからインターン生にはやってもらわないようになっ たの」と言っていたけれど、わたしはとてもオススメします!こんなことは都会にいたらできないし、 一番「労働した」と思える、役に立てる作業。そして雑草取りは農作業の初めです。 <提案> いたのはたった一ヶ月だけれど・・・僭越ながら、思い浮かんだことを書かせてもらいます。 ①地図の作成 申し訳ないですが・・・正直言って役所からもらった地図はすごく見づらくて使わなかった。 ということで、山木屋の地図をつくりたい。精密な地図というよりも、これからのインターン生のため の探検 MAP という感じで、各受け入れ協力者のイラスト付きの軽い紹介、山木屋の軽い歴史紹介が記載 してあるもの。 ②川俣町の高校生による社会体験 社会調査一日体験みたいなので、川俣町の高校生が山木屋にいくのはどうかな、と思った。川俣の子が 農山村の暮らしに興味を持つかどうかは分からないけれど・・・。 ついこの前まで高三だったわたしの目線からいうと、社会は高校生が自然にふれるきっかけを用意して くれない。非常に困った!!小中学生対象の自然体験はいっくらでもある。社会から言わせれば“緑ない 暮らしを送る子どもたちに、自然豊かな遊びを”という素晴らしいコンセプトなのだろうが・・・なん で子どもばかり待遇がいいの、幼いときの体験なんて忘れていない?と思った。現にわたしも緑にふれ たことがないとか言いながら、幼稚園時に芋掘りをし、小学生で毎年遠足に行き、移動教室もし、中学 30 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 の時も毎年修学旅行で自然を体験した。でも実際、高校生になってそんなこといちいち思いだしたりし ない。大学になればこうしてインターンとか NPO という窓口からふれることができるし、お金のかかる ことが自由にできて行動範囲も自分次第でぐんと広がることができる。しかし高校生はまだやりづらい。 まぁ、行動力は人それぞれではあるのですが・・・。 山木屋と川俣町の溝は、大人同士ではなにかとギシギシしてしまって「仲良くなろう」という風にはな かなかいけないけれど、町の高校生ならどうでしょうか。「あなたたちの町にはこんな場所もあるんだ よ」「こんな暮らしをしている素敵な人たちがいるんだよ」という感じで。地元を知るキッカケにもなり ます。インターンとは全然違うけど、気軽に一日、本当に楽しむ体験で。でもそれが一番大事。深い複 雑な問題云々の前に、まずそのジャンルのよさにふれる機会がなければと思う。例えばわたしは人間の 環境汚染により地球温暖化で北極グマが危ないとか、自給率が低迷している今こそ地産地消だ、とかは 知っていたけれど、本当の野菜の味がこんなに美味しいとは知らなかった。こんな感動の満天の星空が 東京からちょっと行ったところにあるとは知らなかった。あんなに瞳がキラキラしていて、他愛のない ことで屈託のない 200%の笑顔をする人がいるだなんて知らなかった。そんな子がたくさんいることは、 とても虚しいことなんじゃないのかな。高校生は自分で考える力も意思もちゃんとあるし、大きな進路 選択をしなければならない段階なのに、いろんな世界にふれるキッカケがなくてすごくもったいない。 幼いころの将来の夢を変わらずにもっている人はそんなにいないし、高校のときの体験はすごく大事じ ゃないかなと思う。山木屋にくることで、少なからず緑に感動してくれる子が何人かいるかもしれない。 環境学とか農学系の大学にいくキッカケになるかもしれない。もしかしたら、もしかしたら 1,000 人の うち 1 人は大学生になってインターンで来てくれるかもしれない。そんな風に思いました。 <考察> 「癒し」と「力」∼都会(自分の身の回り)と山木屋を比較して∼ 「癒し」 帰京してしばらくたつが、改めて都会は異様だとひしひしと感じる。特に電車内、心にゆとりがなく、 目の前の義務に追われている人々、みんな疲れていて基本的に気だるそう、しかめ面、陰鬱な顔。不審 な人が確実に増えていき、人間で溢れかえっているけど、疎遠で、逆に窮屈。病む人、人身事故が後を 絶たない。とにかく稀薄、混沌としていて、なんだかそういう目に見えないもやもやした薄黒い色々が 混ざり混ざりあっていて、空間(地域?)全体を覆い尽くしているような、あれが悪いとか、これが問題 という簡単なことではなくて、その空気に個人個人がのみこまれている感じ。そしてそんな今、人々は 自然(ありのままの流れで、の意)と癒しを求める傾向にある。具体的には、○○セラピー(アニマルセ ラピー、アロマセラピーなど)、○○療法(音楽療法、園芸療法など)、癒しアイテムなど、ここ二、三 年の間に急激にテレビや雑誌、新聞でも見聞きするようになった。しかし癒しやセラピーという言葉ば かりが一人歩きし、表面上だけで中身は空虚じゃないか、そんな疑念がずっとあった。そして田舎暮ら しや農業もその一環だ(そうではない人達もいるけれど)。自然に囲まれ、ほのぼのゆったりとした時間 の流れと空間、ものづくりや土にふれる楽しさ。田舎や農業はそれとしての厳しさが大いにあるとは思 っていたが、わたしもほのぼのとしたものだと思っていたし、それが大きな楽しみの一つだった。 31 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 「力」 しかし実際の山木屋の人々、その暮らし、真実は、どうだったか。癒しとは程遠く、むしろ、とにかく、 みんな底知れずエネルギッシュだった。わたしよりも全然。存在が、重みと深みがあって土地に根づい ている。みんな驚くほど深いあたたかさと優しさ、すごくいいオーラ。なんでだろう、なんなんだろう …それは基盤の違いだった。 まず、農。いのちをその手で育むということ。とても体力が必要。そして厳しい自然と向き合う忍耐力、 その中で暮らしや生業を開拓させるための試行錯誤、苦難の連続。なにがあっても逃げずに乗り越える しかない、乗り越えていく根性。そして生きる源は、家族を養いたい、地域を守りたいという愛情と、 あたたかい野心と、信念。一家を背負うのは父親、支えるのは母親。それぞれに大きな役割があって、 夫婦はパートナー。長年の信頼関係がある、自分自身とも。心技体、それぞれが深く深く根強い。挑戦 と変化の連続と根本や原点(ゼロのエネルギー)だけがめぐる日々の積み重ねは、無駄、偽り、虚ろ、中 途半端さが無く、その分ものすごい深い愛情とエネルギーのある人になるんだな、と自分なりに分析し た。そしてそのすごさはどのようだったかは、一ヶ月間で身を持って体感した。だからこそ、みんな消 化しきれないいっぱいいっぱいのおもいで帰京するのだ。 少ないもので暮らすことの豊かさは、なつかしい未来だったと思う。 癒しの根幹が山木屋(農山村)にあった。そしてそれは農と愛と力だった。 「中」と「外」 ものすごくびっくりしたことの一つとして、「中」と「外」の境がはっきりとあって、それがものすごく広 範囲だということ。「外」への敷居が高い。これは都会に住んでいるわたしの暮らしとは真逆で、うまく 言えないけれど様々な大変さがあるだろうと思った。「中」にしかいない自分に必然的に劣等感を感じざ るをえないと思う。「外」のことはよくわかんないとか、なんにも無いとこだけど、と山木屋の人々はい うけど、全然そんなことない。むしろなんでもありすぎる。わたしなんかがこんなにもらってしまって いいのか、と思うほどに。都会(?)では見失ってしまう大切なものが、溢れかえっている。また、川俣 と山木屋ははっきりと分かれているけれど、商工会の人達も、山木屋の人達も、「自分が大切にしてい きたいものを自分なりに精一杯大切にしていっている」というあたたかいおもいは同じだった。 だけど実際に暮らして感じること、わかることは全然違うと思う。“素晴らしいよさ”は事実であって も、それとは別に、他人の道とか、ハタから見るとなんでもよく見えるもので。けれど、あ、いいな川 俣、あ、いいな山木屋、とか、地域でなくても、いいな家族、とか、この道いいな、とか、これからの 暮らしの中で、一瞬でも、なんとなくでももしそう思えたら、それを自分として、自分なりに大切にし ていってほしいな、と身勝手ながら、すごく思いました。インターン生にいったり、仕事や社会活動に つなげたりとか、そうやって形にしなくても。 32 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 <問題点> いろんな協力者の方が夕飯などで交流のお誘いをしてくださるのですが、一人の生きてきた壮絶で紆余 曲折な人生や考え方を渾身の想いでぶつけて心に訴えられて、私たち学生へ大きな熱い期待を託す。一 人だけで十二分に衝撃を受けて深く深く考えさせられるのに、それを何人にも立て続けにされてはキャ パシティオーバーにならざるをえません。わずかな時間だからこそ、いえるかぎりできるかぎりのこと をしようという想いはもちろんすごく伝わるのですが、いくら若さがあるといっても、根が深く強く張 った大樹のような山木屋の人々と比べると、わたしたちは若葉です。そして例えばどんなに豪華絢爛で 多国籍の料理がそろっていても、最初はとても美味しくても次第に味がわからなくなり、最後はとにか く平らげることに必死になって満腹を越えて消化不良になります。それと同じことだと思うのです。 <感想> とにかく山木屋の人々はとてつもなく謙虚で、あたたかく、なにより純粋にわたしたちを可愛がってく れた。そして、インターン生ではなく、わたしたち一人一人に、わずかな時間の中で全力で全開で自分 をぶつけてくれた。それぞれにしかあげられないメッセージを、うまく受け取れたかどうかは分からな いけれど、自分なりに受け取りました。とにかく本当におもしろかった。自分が物語の主人公になった かのようで、まさに等身大の冒険だった。どれだけ費用をかけたところでアミューズメントでは絶対に 用意できないおもしろさが、ここには詰まっている。内面的にも外面的にもおおいに旅をした。一ヶ月 暮らすなんて、ぶらり旅ではけっしてできない。夢農園の社長に、本当に感謝しています。そして日本 を知るって、寺を見るとか歴史を勉強するとかではなくて、それもそうなのだけれど、あぁ日本を知る ってこういうことなんだなとすごく実感した。そして海外にいく前にここにきてよかった。「あなたの 国の食べ物はおいしいの?」と聞かれたら、ちゃんと「おいしい」と言えるから。 最後に、みなさん本当にどうもありがとうございました。心の底から感謝しています。一ヶ月、自分は 本当に非力で無力でしたが、これから、自分のペースでなにかできることがあればなと思います。 幸せで尊い 27 日間でした。 33 ∼地域づくりインターンの会∼活動報告書 2010 あっという間のインターンでしたが、何より、みんなが怪我なく、無事に インターンを終える事ができたのを、嬉しく思っています。 一ヶ月の長い間、私たちをサポートし、見守って下さった川俣町の皆様に、 この場を借りて、厚く、お礼申し上げます。 今回の活動で得たたくさんのもの。それをどう生かすかは、自分たち次第 だと考えています。 お世話になった方々への感謝の気持ちを大切にし、誠意を持って、生きて いこうと思います。 34
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