稲葉大樹氏

(東京外国語大学外国語学部ポルトガル語学科
東京外国語大学外国語学部ポルトガル語学科卒/
在ブラジル日本国大使館 外交官補)
外交官補)
一念通天
2008年3月
稲葉
卒業
大樹(高60)
外国語を駆使して交渉している自分。国際会議の準備に奔走している自分。高校時代に漠然と思い描
いていた将来像に少し近づくことができたとほくそ笑みながら、本稿を執筆している自分。立高の古惚
けた教室の中で、ぼんやりと授業を聞いていた自分には想像できなかった光景が、眼前に広がっている。
中学生の時から、将来は外国語を使ってグローバルな舞台で仕事をすることを望んでいましたが、ま
さか自分が外務省に入省してブラジルで仕事をすることになるとは夢にも思いませんでした。今振り返
ると、あの頃胸に宿した一つの抽象的な思いが、ここまで自分を導いてくれました。思いが起点となり、
人生の要所要所でその時々の目標が打ち立てられ、その目標を達成するための努力が生じる。たった一
つの思いから人生が拓かれました。
申し遅れましたが、私は2008年に立高を卒業し、東京外国語大学(以下、外語大)外国語学部ポ
ルトガル語学科に進学しました。その後、在学中に外務省の入省試験に合格し、2013年の大学卒業
と同時に、外務省に入省しました。外務省員には、一人一人研修語が割り当てられるのですが、私は大
学時代から学んでいたポルトガル語を拝命しました。霞ヶ関にある外務本省では、日本の国連政策を扱
う部署と国際協力に関連する部署に配属され実務研修に励みました。現在は在ブラジル日本国大使館所
属の外交官補として、研修語の習熟及び外交官に求められる知見の深化のため在外研修に励んでおりま
す。研修後は、書記官(いわゆる、外交官)として我が国の在外公館で実務に就くことになっています。
実際、本稿の執筆依頼を頂戴した際、社会人経験の浅い自分が執筆者として望ましいのか甚だ疑問に
思いましたが、高校生の皆さんと年齢が近いということでより親近感をもっていただけると思い至り、
執筆させていただくことにしました。ただ、若輩者故、日本外交や外交官について語る身分にないとこ
ろ、皆様より少し人生経験が長い一社会人として、自戒の意味も込めながら、これまでの経験に基づい
て、皆さんへのアドバイスを少しばかり書き記したいと思います。
まず、皆さんに一番身近な話題として、大学受験が挙げられると考えます。先述した通り、将来は世
界を相手にする職業に就きたいと考えていたので、そのためにはまずは外国語をマスターしなければと
思い至り、自然と高校1年時から高校卒業後は外語大に進学することを念頭に置いていました。では、
なぜポルトガル語を選択したかという問いが浮かんでくるかと思われますが、その質問を受ける度に窮
します。普段は、急速な経済成長が期待できる新興国の雄として注目されていたブラジルの公用語であ
るポルトガル語は将来的に役立つと考えたためなどと答えるのですが、実際は外語大出願時の倍率を見
て、ポルトガル語学科の倍率が相対的に低かったので、ここでいいや!といった感じで、選択しました
(笑)。まさか、あの時の熟慮を欠いた決断が、その後の人生に多大な影響をもたらすとは微塵たりとも
思いませんでした。ただ、大学受験勉強は、二度と繰り返したくないほど、骨の折れるものでした。情
報処理能力の如何を測る知識偏重型の試験形態に沿う勉強で得られたもののほとんどは悉く記憶の闇に
葬り去られましたが、受験の過程で得た、粉骨精神とも言うべき姿勢は、今でも役に立っています。受
験勉強の中で何度も挫折に見舞われましたが、その度に気持ちを入れ替えて、自分が打ち立てた最終目
的を達成するため、必死に最後まで努力し続けました。また、それと同時に、自分を支えてくれている
家族や友達等の周囲の方々への感謝の気持ちが芽生えました。大学受験を通して自然と培ったこの姿勢
や気持ちは、試験用紙には表現できませんでしたが、その後の人生のあらゆる場面で、前に進み続ける
糧となっています。少し話が変わりますが、今思うに、高校生の時からもっと視野を広げて物事を考え
れば良かったと後悔しています。社会の潮流に導かれるままに、知らぬ間に進学先の候補は日本の大学
に絞られていて、その時点での目標は海外で働くことであったにも拘らず、海外に目を向けられません
でした。高校生の時から社会の流れに拘泥せず、自身の目的を達成する上でどのような手段が最も効率
的且つ実用的か柔軟に考えていれば、また違った未来が待ち受けていたのではないかと思われます。
そうはいっても、外語大時代はかけがえのない日々となりました。ポルトガル語の習得に加えて、法
律、経済、ブラジル地域研究や国際関係等様々な分野を横断的に学びました。人生の転機が訪れたのは、
大学2年時の夏。とある国の在京大使館主催の同国独立記念レセプションに参加させていただいた際、
その場に居合わせた一人の日本の外交官の方とお話させていただきました。その時に、外交官という職
業こそが、正に自分が思い描いていた将来像を体現していると思い、同職業に憧憬の念を持ち始めまし
た。そして、その年の夏休みに旅行で行ったオランダにて、思いは固まりました。同国のハーレムとい
う都市にある公園のベンチに腰掛けて、巨大な樹をぼんやりと眺めていた時に、びびっと「外交官にな
るしかない」と決意しました。その時、どうしてそのような思いに至ったのか不明ですが、あの時の光
景は今でも鮮明に覚えています。先ほども述べましたが、この時の熟慮を欠いた決断がその後の人生に
多大な影響をもたらすとは到底思いませんでした。ただ、外務省入省への道は、大学受験を遥かに凌駕
するほど壮絶極まりないものでした。勉強量もさることながら、周囲の同級生が順当に進路を決め、大
学生活を満喫しているのを傍目に、先の見えない暗いトンネルの中をただひたすら愚直に進み続けるこ
とが、精神的に非常に辛かったです。しかし、何百回も諦めそうになりましたが、ここで挫けたら、自
分の夢を応援してくれている友人や家族、そして何よりも外交官になることを決断した過去の自分を裏
切ることになると思い、最後まで踏ん張りました。結果的に外務省試験に合格することが出来ましたが、
その事実よりもその過程で死ぬほど苦しんだ経験こそが何よりの財産となりました。先述した話と関係
しますが、大学受験を一生懸命取り組んだからこそ、外務省入省への茨の道を乗り越えれたのだと思い
ます。大学受験である必要はないですが、十代の内にある目標に向かって必死に努力し続けることがそ
の後の人生に大きな違いをもたらすと思います。
さて、外務省に入省してからはといいますと、それまでテレビや新聞で見聞きするだけであった事柄
が日常と化し、はじめは違和感を覚えました。当初は、実務研修員として霞ヶ関で働いていたのですが、
そんな身分でも国連総会等の大きな国際舞台での仕事に携わらさせていただきました。実務研修後は、
現居住地であるブラジルに研修名目で来ました。現在は、研修の一環として現地の大学院で国際関係学
を学んでいます。これまで海外生活をしたことがなかったので、文化・慣習等、日本とまるで違う当地
ブラジルでの生活に何度も当惑しました。今思い返してみれば、これまで少なからず自分にとって臭い
ものには蓋をしていました。しかしながら、その行為こそが自分の可能性を縮小させている事に気がつ
きました。従前使用していた日本的価値観に基づく杓子定規をしまい、ゼロベースで物事を観察すると
新しい世界が開けてきます。日々の生活の中で、私たちは多くの出来事に遭遇し、その度に所与の観念
に基づき価値判断を行います。今まで培ってきた経験、知識、文化、慣習その他様々な要素から生じる
考えは正しいものなのでしょうか。一面的な価値観に基づく考え方によって人生を無駄にしていないで
しょうか。今までの価値観を捨て違った面から眺めてみると、それまで異物であった事柄は異なる言葉
で形容されます。その行為を通して、得られるはずのなかった新しい世界が見え、人生がより豊かにな
るのではないでしょうか。
ところで、日本とブラジルの二国間関係にとり、2015年はどのような年であったかご存知の方は
いらっしゃるでしょうか。実は、同年は、両国の外交関係樹立120周年に当たり、その節目の年に合
わせて、秋篠宮同妃両殿下がブラジルを公式的に御訪問なされました。その際に、御一行の受け入れ業
務のお手伝いをさせていただいたのですが、同業務が終わり一つ思うことは、やったこと全て立高祭と
類似しているということです。皇族御訪問の準備と文化祭の準備、規模は違うかもしれませんが、一つ
の目標に向かって各人が各役割をこなし、力を合わせて努力すること、それ自体何ら違いはありません。
勉強に部活と日々お忙しいかと思われますが、学友とともに楽しみながらも苦しみ、時には喧嘩をしな
がら、行事の成功に向けて直走ることは様々な意味でその後の人生での大きな財産になると確信します。
私自身、立高での行事を通して、社会で生きることのエッセンスを学んだように思います。
冗長な文章となってしまいましたが、結びとして、皆さんに一つお伝えしたいことがあります。
「灼熱
の高速道路で、まだ10歳にも満たない子供が、上半身裸で食べ物を歩き売りしている」、皆さんはこの
ような光景を日本で見たことはありますか。おそらく、ほとんどの方のお答えは NO でしょう。これま
での海外生活を通して思うことは、今皆さんが何不自由なく暮らしている日本の環境は、世界的に見て
異常であるということです。何の心配もなく、日々勉強ができる、部活や行事に打ち込める。家に帰れ
ば、ご飯が待っていて、雨に濡れることなく寝れる。交通機関が機能している、夜一人でコンビニに行
ける。皆さんが何気なく過ごしてる日常は、世界人口の大部分の方々にとっては、稀有且つ非常に有り
難い環境です。だからこそ、私たちは、自分達が置かれている環境の中で怠惰にならず精一杯生きる責
務を負っていると考えます。人間関係や進路等、日々悩むこともあるかと思われますが、皆さんが抱く
大抵の悩み事は、相対的に見れば贅沢な悩み事です。どんなことがあろうとも、弛むことなく、歩み続
ける。このことが、日本人として果たすべき一つの社会的義務なのではないでしょうか。
上から目線の文章となってしまい恐縮ですが、私の経験や考えが、少しでも皆さんのお役に立てれば
幸甚です。磨穿鉄硯、皆さんに負けぬよう、私も立ち止まることなく日々精進いたします。最後に、皆
さんが、有意義な高校生活を過ごし、そして納得のいく将来を手に入れることを心より願っております。