すてきミステリーツアー①(上矢作編)

地域のお宝発見プロジェクト
すてきミステリーツアー①(上矢作編)
一宮町北野呂にある市営青楓美術館の駐車場に車を止め、ちょっとお洒落な楓の
レリーフを見上げながら北に向かいます。タイルでデザインされた楓は、浅黄色と
薄い緑のコントラストがさりげなく主張していますが、目指すのは道の先に見える、
少し背の高い欅らしい大木を中心とした深い緑の塊です。
よく手入れされた立派な庭屋敷に目を奪われながら、その家の裏には道路改修で
生じたであろう、一方だけ拡幅された妙にアンバランスな十字路を進みます。
水路を跨ぐクランクの道から、なぜか神社の隣の墓地との間をさらに北に入り、
目的の欅の大木を見上げます。突き当たりは日川の堤防ですが、欅の脇から堤防に
沿って回り込んだ小竹の生垣は、「矢つくり竹」と言われ、秋の例大祭には子供た
ちが作る破魔矢に使われているそうです。「上矢作」の地名の由来とも言われてい
ますが、弓矢をはじめとする武具製造を生業とした集落であったと言う事です。
生垣が切れると神社の西側のゲートボール場に出ます。「唐土神社」は生垣に囲
まれた意外に狭い敷地に南を向いて立てられています。参道は西から檜の林を抜け
て神社前の欅に突き当たり、直角に左折して神社に向かい、石造りの鳥居をくぐる
形です。狭いながらも鳥居、石灯籠、狛犬が配置されています。特に気になるのは
鳥居に掲げられた石造りの社名額です。
「唐土神社」と書かれているのでしょうが、
「●土神社」の●にはなにやら左右対称な象形文字のような…?
最初のミステリーは「唐土神社の鳥居の文字」。この文字に秘められた曰く因縁
を誰か解明してもらえませんかね。
唐土神社からは参道を出て左へ、上矢作の集落に向かいます。路地から水路沿い
の道に出て右へ、道路わきの水路の水は集落に向かって東から西に流れています。
少し歩くと右から日川の土手への道に続いて、左に立派な板塀が現れます。板塀
に瓦屋根(軒瓦)を乗せたもので、角には今にも空に飛び出しそうな子猫ほどの獅
子がのっています。獅子の姿を左右、正面からじっくり観察してから塀の手前を左
折する路地を見ると、塀の先、右には立派な住宅と蔵が、左には道路からきれいに
積み上げられた石垣が続きます。先はT字路になっているようですが、路地には入
らずに板塀伝いに進みます。右の畑の向こうには、こちらから見るとさほど高さも
ない日川の土手が見えています。先ほどの水路はいつの間にか暗渠(あんきょ)と
なっていて、水音が聞こえるだけです。
道は、程なく左曲がりのクランクになります。曲がると直ぐに右に曲がる道と、
真っ直ぐに集落内へと進む道のT字路になります。右へ下る道を見てみると、その
先は民家を避けて曲がっていてその先まで見通すことはできません。右折せずに真
っ直ぐに集落の中に進みもうとすると左にも小道が、さっきの板塀の路地を進んだ
T字路の道を下がってくるとここに出てくるのです。ここは交差点でしょうか。少
しずれていますが…。
南北の通りは案外真っ直ぐに通っていて、集落を抜けた先の畑の緑も見えていま
す。右に昔ながらの火の見やぐらと、その下にはそれとは思えないような古びた消
防小屋があります。向かいのスズラン酒造の蔵やそれに続く醸造施設は、県内数箇
所の専用葡萄農園のワイン専用品種にこだわった極上のワインが作りだされてい
るそうです。見せる施設ではないのですが、試飲や見学にも応じていただけるよう
です。レンガ造りの倉庫やお蔵は味わい深いものがあるだけに、もっとウェルカム
な雰囲気がほしいものです。こちらには男嫌いな犬がいますから、女性の皆さんは
安心して見学を申し出てください。
スズラン酒造を出るとすぐに交差点がありますが、この交差点はなぜか東西の通
りが直線ではありません。先ほどのクランクからT字路(交差点)ほどではありませ
んが、明らかに意図的に通りがずれているのではないかと思われます。
こうした変則交差点を「当て曲げの辻」と呼ぶそうです。「当て曲げ」は、防衛
上の意図的な街づくりに用いられ、城下町などに多く見られるクランクも同じよう
な目的で作られていたようです。果たして、この地域に当て曲げが必要とされたの
はなぜでしょうか。これが 2 つ目のミステリーです。
このスズラン酒造の前を通る道が旧道(往来)であったということと、当て曲げは
関係あるのでしょうか。「矢作」が武具製造の集落であったことと関係あるのでし
ょうか。妄想は膨らむばかりです。
交差点をさらに南へ、左右に蔵や大屋根の家が続きます。換気を意識した造りか
らは、この地域の産業が養蚕であったことが想像できます。もっと民家の考証に詳
しい人の解説がほしいところですが、詳しい話は家の方に聞いてみましょう。
このお宅は、築 100 年を超えているのかもしれません。柱のない軒の迫り出しは
迫力があります。縁側先の藤棚は春には見事な藤の花が下がります。
敷地を囲む交差点は、これも見事に当て曲げの辻です。辻には歌碑が立てられて
いて、文化人の生家であることが伺えます。この地域には山梨では有名な俳人の廣
瀬さんがお住まいということです。地域が育む文化と言うことでしょうか。そうい
えば、笛吹市には境川町に飯田蛇笏さん、龍太さんという俳人がありましたね。
この当て曲げの辻をさらに南に、葡萄畑の中を歩きます。上矢作のある一宮町は、
昔から皇室献上桃が作られるなど桃の産地として有名です。笛吹市の桃の生産量は
日本一を誇っています。一宮町は、御坂町、春日居町などと共にそれを支えている
のですが、この上矢作を含む一宮の北地区では、葡萄の産地である甲州市勝沼に近
いせいか葡萄栽培の畑が多く見られます。葡萄の畑は、生食用の葡萄ではぶどう棚
で栽培しています。春から夏には葉が茂って涼しげな日陰を作りますが、秋には紅
葉し、程なく葉を散らします。ぶどう棚の下の作業は、制約された高さの中で意外
に大変なものですが、収穫時のたわわに育ち、棚から下がった葡萄の色には心を躍
らせるものがあります。
畑を進んで最初の交差点を右に下ると少し広い道に出ます。県道 303 号(市之
蔵・山梨線)です。南に進むと相興交差点から一宮浅間神社に続いています。少し
狭い歩道を南に歩くと、腹ごしらえにちょうど良い蕎麦どころ「沢」のある店舗が
見えてきます。
この貸し店舗の斜向かいに、古びた蔵の白壁に趣を感じる矢作洋酒があります。
道沿いの白壁には葡萄の枝で「YAHAGI」とサインがあります。有機栽培にこ
だわったワイン製造が行われていて、矢作ワインのファンも多いそうです。敷地内
にある住宅はとても重厚な日本家屋ですが、一部洋風建築が取り入れられていて、
ハイカラな施主の趣向を感じられます。敷地を囲む塀や蔵にも、家族中心でのこだ
わりのワイン作りが守り続けられていることが伺えます。
矢作洋酒からは県道を逆戻りします。車の往来があるので十分気をつけながら歩
きます。しばらく歩き、集荷場の大屋根の奥にある上矢作公民館の前を通りすぎ、
日川に架かる矢作橋の手前で県道を横断し、真新しい白壁の立派な門の屋敷の裏を
右折すると突き当たりに秋葉山の社祠が見えます。秋葉山は火を治める神様、そう
いえば唐土神社にもありました。
先ほどの立派な門の家は、リフォームされた築 100 年の日本家屋で、新築住宅と
見まがう家の前に手入れの行き届いた立派な松があり、露払いに鶴と亀の植木が植
えられています。何より目を引くのは大屋根の上にすえられた鍾馗(しょうき)人
形(瓦製)です。避雷針のようにも見えますがリフォーム前からあったそうで、ご
主人も何なのかわからないけれど、家の守り神として再び屋根に乗せたそうです。
秋葉山から白壁の塀に沿って県道に向けて、東から西に側溝に水が流れています。
県道に突き当たると水の流れは南に、県道に沿って流れを変えますが、そこで一部
が深く掘りこまれた県道の下をくぐる暗渠に落ち込んでいます。よく見ると秋葉山
から県道に向かって南の折れる側溝は、水量が多くなったときには直接下の暗渠に
落とし込むように設計されており、不思議なことに側溝の下からも別の水が流れ込
んでいます。水を使う工夫がここにあるのです。この水の流れが3つ目のミステリ
ーです。
さて、県道に戻り南に白壁を進み隣の家の敷地を過ぎたところで左折し、再び集
落内へ入っていきます。左折して直ぐの蔵は堂々として現在も使用されているよう
です。こうした蔵は集落内に点在していますが、土壁の蔵や白壁のもの、なまこ壁
のものなど、その後のリフォームも含めて様々な形態が見られます。この地域には
蔵を持つほどの財力を持った家が多かったことを感じます。
この道の突き当りには、先ほど通ったスズラン酒造が見えますが、進むほどに道
路を横切る水路の水の流れが気になります。小さな水路は縦に横に流れていますが、
今右から左に流れていたのに、その先では左から右の流れになっています。この水
の流れは、どこからどこに、どのように流れているのでしょうか。水路には川の水
を使っていたことを想像できる一段下がった場所が見受けられます。この上矢作地
区の北を流れる日川では昔、氾濫により神社や集落に大きな爪あとを残したことが
あるようです。水の有効利用とお蔵の瓦に記された「水」の文字、水への畏敬の念
を感じさせられます。
川に気をとられていると、道角に3面地蔵が祀られていました。その道を入り込
むと少し入った地域の放送用スピーカーの塔の下に道祖神がありました。丸石信仰
は山梨県の特徴でもあるそうですが、急流によって削られ自然に丸められた石に特
別な力を感じていたのでしょう。
蔵のある道に戻り、スズラン酒造への道を進み、突き当たると先ほどの当て曲げ
の辻です。こちらからの進行では、辻の先はまったく見えません。辻をクランクし
て壁伝いに進みます。壁には古いワイン醸造樽の大きなふた?が立て掛けられてい
ます。その隣は古びた長屋門が続いていますが、門の奥には住家はありません。門
と一体の土蔵は既に漆喰がはがれて土がボロボロになっています。中の竹の骨組み
が見えている部分もあります。大きな家であったのでしょう。門の奥には大木の松、
土蔵の扉は重厚な観音開きのようですが、蔵が生き返ることはなさそうです。
さらにその土蔵の隣も空き家のようです。空き家の前にある家の脇の細道を入る
と聖天尊のお堂に出ます。お堂自体は改修されて新しくされていますが、周辺の石
造物や屋根の鯱、武田菱の家紋瓦などは以前のものを使っているそうです。お堂に
は小さく開くガラスの賽銭窓があり、願掛けに来た人への配慮が伺えます。
その小窓から中をのぞくと、天井や壁に色鮮やかな絵や文字が書かれています。
いかにも年代を感じさせるそれらの装飾は、よく見ると歌がつづられているようで
す。この地域の人の文化水準をも物語っているといえるでしょうか。こうした文化
に触発されたのか、どちらが先かも判りませんが、俳人廣瀬さんの家の直ぐ近くに
こうした文化的な地域のシンボルがあると言うことは、またまたミステリーと言え
るのではないでしょうか。
聖天尊は、地域信仰のシンボル的存在で「しょうてんさん」と呼ばれ、地域に親
しまれ、毎年 3 月 21 日にはお祭りが行われているそうです。どうして聖天尊が祀
られているのか、地域のつながりや生活とのかかわりはもっと地域の皆さんとお近
づきになってお聞きしなければ判りませんが、貴重な地域遺産であると感じました。
さあ、ウォーキングツアーもラストスパートです。聖天さんの裏へ抜け、桃畑を
左折すると出発した青楓美術館に登る道に出ます。青楓美術館の楓のレリーフが、
背景に浮かぶ勝沼の大善寺の山々と真っ青な空に映えて見えます。
この空の、この山々に囲まれた扇状地の真ん中で、昔の人たちは何を想い、どん
なことを考え、この地に人の営みを作り上げたのでしょうか。想像すればするほど
楽しくなるような妄想の迷宮への入り口を、先人たちはこの地域にいくつも残して
くれています。
青楓美術館にたどり着きようやくここでゴールを迎えます。
上矢作のすてきなツアーは、様々な好奇心を掻き立ててくれました。様々なミス
テリーも時間や空間、生活や家々の輪郭によって地域の形となって浮かび上がって
くるような気がします。
また歩きたい、もっと知りたいと思えた 70 分でした。
今度は、あなたが、今を生きる人たちと触れ合いながら歩いてみませんか。
2011 年 8 月
笛吹市職員市民活動支援サークルらふらふ
(文責)風間