『オセロー』における主体と空間形象

23
原
著
『オセロー』における主体と空間形象
服部
鈴鹿医療科学大学
厚子
保健衛生学部
放射線技術科学科
いえない。この仮定において他者を置き換えること
はじめに
で,主体もまた変わり,それが依存する文脈を転覆す
1)
The Arden Shakespeare, Othello(2004) の ペ ー
る可能性がある。
「俺は俺がそうあるものとは違うん
パーバックの表紙には,薄暗い闇のような黒色を背景
だ。
(I am not what I am.)
」
(1幕1場 64 行)は「私は
に,1枚の白っぽいハンカチが宙に舞いながら落ちて
見えるものとは違うんだ。
(I am not what I seem.)」
いく様子が描かれている。Othello の文字は白い。
とは異なる。捉えどころのないイアーゴーの主体に
シェイクスピアの『オセロー』
(Othello, 1603-4)に
よって操られるオセローの主体は,たえず物語の闇に
お い て ヴ ェ ニ ス の 傭 兵 隊 長,ム ー ア 人 の オ セ ロ ー
呑み込まれている。表紙絵の闇はオセローが呑み込ま
(Othello)は,下積みの旗手イアーゴー(Iago)の仕
れていく暗い闇を,ハンカチは彼を翻弄し続ける言葉
組 ん だ 罠 に 嵌 り,白 人 の 美 人 妻 デ ス デ モ ー ナ
を,表しているようでもある。
(Desdemona)の貞節に疑惑を抱くようになり,嫉妬
フィードラー(Leslie Fiedler)は,オセローの癇癪
に狂いはじめる。目に見える証拠として示されたハン
の場面では笑いを誘われるとしながら,次のように論
カチがとどめの一撃となり,彼は妻を殺し,自らも死
じる。
ぬ。シンプルな表紙絵は,単純愚かなオセローの性的
不 安 に 満 ち た 心 象 風 景 の よ う で も,無 垢 で 美 し い
『オセロー』の寓話は信じがたいが,それでもわ
(fair)デスデモーナが翻弄され身を滅ぼしていく様
れわれはそれを信じるし,
『オセロー』の出来事は
子を描いているようにもみえる。
「血なまぐさい笑劇」を構成しているが,それで
オセローのプロットは比較的単純である。イアー
ゴーは劇の冒頭で「仮に俺があのムーアだとしたら,
もわれわれは悲劇にふさわしい身震いを感じなが
ら反応するのだ。
(フィードラー,190-1)
3)
イアーゴーではあるまい。(Were I the Moor, I would
not be Iago.)
(1幕1場 56 行)と語っている。グリー
「血なまぐさい笑劇」とは,かつてライマー(Thomas
ンブラット(Stephen Greenblatt, 235-7)が論じるよ
Rymer)が,A Short History of Tragedy(1693)のな
2)
うに ,この仮定上の自己消去は見かけほど単純とは
かで,
『オセロー』を揶揄した言葉であり,さらに,彼
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は「良き人妻はハンカチをなくすべきではない」とい
イアーゴーは,愚かなロダリーゴー(Roderigo)を
う教訓を引き出している。当時『オセロー』は最も人
けしかけて,元老議員ブラバンショー(Brabantio)の
気のある上演演目であったが,その一方で古典的な悲
娘デスデモーナにしつこく求愛させる。彼は,元老院
劇論と相容れないためやっかいな劇であった
のやり方に不満を抱きながらも善人の仮面を被って,
4)
(Alexander, 67-77) 。いわゆる「ハンカチの悲劇」
他人の財布の管理を行う小賢しい典型的な悪役であ
という揶揄は,今なおこの劇の核心をついている。
る。この二人がブラバンショーの家の前で,その娘が
『オセロー』はシェイクスピアの四大悲劇のうち唯
一の彼の同時代劇であり,オセロー以外の他の悲劇の
出奔しオセローの元に身を寄せたことを,泥棒が馬や
娘や金袋を盗み出したと騒ぎ立てる。
主人公はいずれも,国王や王子など身分が高く,その
デスデモーナは,夜の闇に紛れて水路づたいに逃げ
盛衰没落は国の政治と深く関わっている。また,超自
だした。父の所有物である娘は,金と交換される商品
然的な要素が主人公たちに啓示を与えはするが,結局
とみなされ,家はその保管庫,ヴェニスの水路は流通
は自分自身で行動の決定を下している。ところがオセ
の経路として機能している。
『ヴェニスの商人』にお
ローの葛藤は,男性性と他者性の幻想が引き起こした
いてシャイロックの娘ジェシカが,仮面を被り金袋を
個人的なものにすぎず,物語はほとんど室内など閉ざ
もって駆け落ちしたのと同じパタンであり,どちらの
された空間内で進行する。しかも,劇中の人々は登場
場合も「父」の反対する異人種婚であった。オセロー
しない敵トルコの脅威にさらされている。
はヴェニスに軍事貢献をしたムーア人の傭兵隊長であ
1571 年のレパントの海戦ではカトリック教国連合
る。ヴェニスは勇敢な傭兵隊によって外敵から守られ
軍はオスマントルコを破り,1601-2 年にターバンを巻
ている一方で,ユダヤ資本に貨幣経済を支えられてい
いたムーア人外交官がエリザベス1世の宮廷を訪問し
た。つまり,他者を内に取り入れ同化させながら,同
ている。1603 年に『オセロー』の材源とされるノール
等とはならない / させない空間として描かれている。
ズ(Richard Knolles)の The Generall Historie(1603)
5)
その夜トルコ艦隊集結の知らせに緊急に招集された
が出版され(Bullough. 263) ,さらにレパント海戦を
会議で,怒り狂ったブラバンショーは娘を騙した理由
扱ったジェイムズ1世の長詩が再出版されたという。
でオセローの処分を訴える。彼は娘の結婚を「自然の
当時のイングランドにとってトルコ問題は外交上大問
掟に逆らって(Against all rules of nature)
」(1幕3
題であった。本稿では,
『オセロー』の単純かつ複雑な
場 102 行)いると考え,娘が父に叛いたことと他者で
主体の有り様を内と外の空間形象と関連づけて考察す
あるムーア人と結婚したこととを,オセローの魔法の
る。
せいに帰している。彼は「自然の掟」を持ち出し,家
仮面の都市,ヴェニス
『オセロー』1幕は,
オスマントルコの脅威に怯える,
父長制社会の不安や異人種に対する偏見を隠してい
る。トルコの脅威に怯える元老院は指揮官オセローを
処分するわけにはいかないので,ブラバンショーの言
軍事都市国家ヴェニスの夜の街頭で始まる。イアー
葉だけでは証拠にならないとして,オセローに弁明を
ゴ ー は,机 上 の 空 論 を 振 り 回 す 軍 人 キ ャ シ オ ー
求める。彼は,自分の武勇伝である不毛の砂漠や食人
(Cassio)が副官に選ばれたことに不満を抱いている。
種などの珍しい事柄を盛り込んだ波瀾万丈の貴種流離
ヴェニスでは実績ではなく手づるや目に見える価値観
譚がデスデモーナの心を捉えたと述べる。つまり西洋
が昇進に幅をきかせている,と語られる。また,ヴェ
古典の叙事詩に用いられているレトリックがその魔法
ニスはイスラムの脅威に怯えながら,そこから富を得
であったのだ。貴族ブラバンショーの感情的にまかせ
る東方貿易と貨幣経済によって栄える商業都市でもあ
た言葉は証拠とならず,オセローの格調高い演説が認
る。
められる。この点に,語る主体の属性とレトリックの
『オセロー』における主体と空間形象 25
ねじれ現象を見ることができよう。
した空間で試練に遭いながら愛を獲得したり新しい自
デスデモーナは公爵に向かって,「オセローの顔を
己を発見して再び共同体に戻っていくが,負のエネル
そ の 心 の 中 に 見 た(I saw Othello’ s visage in his
ギーが閾値を超えるとき,共同体の再生・回帰はあり
mind)
」
(1幕3場 253 行)と述べる。美しい内面が有
得ない。
色の外面を凌駕しているので外面はどうでもよいとい
ヴェニスの元老院たちは,サイプラスの軍事要塞が
う理由は,逆に外見に対する不安を隠蔽しているよう
堅牢ではないことを心配していたが,嵐が島をトルコ
に思われる。この説明を受けて公爵は,
「婿殿は黒い
軍の攻撃から守ってくれた。嵐から島へという劇空間
肌よりも美しい / 白人よりも白人らしい(Your son-
の位相の変化は,嵐の場面で始まる『十二夜』や『テ
in-law is far more fair than black)
」
(1幕3場 291 行)
ンペスト』と同じく,サイプラスが囲まれた空間の属
とブラバンショーを慰め,サイプラス島派遣という父
性を持つことを示している。デスデモーナは上陸し,
権社会防衛のために,父親の訴えを斥ける。シェイク
大胆に副官キャシオーのキスの歓待を受け卑猥な会話
スピアは巧妙に他者を内部に取り込み,同国人を排除
を交わす。ほどなくオセローも到着し,戦いの勝利と
するねじれた空間としてヴェニスを描いている。
二人の結婚を祝しての無礼講が始まる。理性を解放さ
『オセロー』は材源としてチンティオー(Giraldi
せるのはワインとどんちゃん騒ぎである。二人の新婚
Cinthio)の『百物語』
(Hecatommithi, 1565)
「37 話」
旅行となるヴェニスからサイプラスへの空間移動は喜
に多くを負っている(Bullough, 241-52)
。そこでは,
劇の空間移動をなぞっており,要塞は洋上楽園の雰囲
登場人物のうちデスデモーナだけがその固有名詞を与
気を呈している。
えられ,他の人物,オセロー・イアーゴー・キャシオー
さて,舞台空間がヴェニスからサイプラス島へと移
などはそれぞれ「ムーア(a Moor)
」
「旗手(the Ensign)
行する直前,イアーゴーは人間の体を「庭」に,
「意志」
「隊長(Corporal)
」と,役職や属性で呼ばれている。
を「庭師」に喩え,庭を楽園にするのも酒池肉林にす
ムーアはデスデモーナの親の反対を押し切って結婚
るのも地獄にするのも自分次第であると語る。『リ
し,ヴェニスで平安に暮らしているときに,徳の高さ
チャード二世』のなかで海に囲まれたイングランドが
が認められサイプラス島派遣の隊長に任命される。ま
庭に,国王が庭師に喩えられたように,自然に人工の
た,この派遣はトルコが攻めてきたという緊急の理由
力を加えて作る庭の空間形象は肉体と政治権力に結び
でなく単なる定期的な任務交代である。
『百物語』で
ついている。
は異人種婚は不幸をもたらすという教訓が強調されて
デスデモーナと同時に上陸したイアーゴーは,酒に
いるが,
『オセロー』に見られるヴェニス社会の巧妙さ
弱い副官のキャシオーを酔わせて不祥事を起こさせ,
や論理のすり替え,他者に対する不安と恐怖の隠蔽は
その任を解かせている。
『百物語』においては,副官は
見られない。シェイクスピアは他の登場人物にも名前
旗手と関係なく勤務中に不祥事を起こし罷免される
を与え,プロットに意図的な変更を加えて,似て非な
が,自らデスデモーナに復職の取りなしを頼むことは
る空間形象をもった物語に書き換えたのである。
ない。シェイクスピアはイアーゴーの悪意を意図的に
囲まれた空間,サイプラス島
描いている。彼は「この毒を彼(オセロー)の耳の中
に注ぎ込んでやる(I’ll pour this pestilence into his
法の支配する都市から庭や森など緑の世界の空間移
ear :」(2幕3場 343-51 行)と,悪巧みを劇の虚構の
動は『お気に召すまま』や『夏の夜の夢』などシェイ
空間を飛び越えて直接観客にうち明ける。彼は中世劇
クスピアの喜劇群に多く見られる。アーデンの森など
の悪役と,
楽園に忍び込んだサタンの役を担っており,
恋人たちの逃げ込む緑の世界は日常から隔離され,父
彼の仕組んだ罠に人々は次々に嵌っていく。サイプラ
の権威が及ばない空間である。若者たちは価値の逆転
スの要塞は堅牢ではなく,善人ぶったサタンが容易に
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侵入でき跋扈する誘惑の庭だったのである。彼はオセ
Of her own clime, complexion and degree,
ローの〈知〉ばかりか観客の〈知〉をも操作して,愚
Whereto we see, in all things, nature tends ―
かなオセローに観客が感情移入するのを阻んでいる。
Foh ! one may smell in such a will most rank,
彼は財布にせよサイプラスにせよ,空間の開閉を司っ
Foul disproportion, thoughts unnatural.
ているのである。
(3幕3場 232-7 行)
3幕3場のいわゆる誘惑の場において,キャシオー
そう,そこなのです,私が申し上げようとしてい
はデスデモーナに復職の取りなしを頼み,彼女がそれ
るのは。
をオセローに頼み込む。オセローがデスデモーナを見
同じ国の,肌の色も身分も同じ男から
て,
「私がおまえを愛さない時が来れば,世界は天地創
たくさんの結婚の申込みがあったのですが,
造 以 前 の 混 沌 に 帰 る だ ろ う。(when I love thee
それになびくのが,自然の情なのですが,
」
(3幕3場 90-1 行)とい
not/Chaos is come again.)
わたしたちから見れば,均整の欠けた,不自然な
う台詞を契機にサタンが動き始める。イアーゴーは鏡
情です。
のように言葉を反復して人々の視線を管理し,混沌の
像を意識化に照射する。
「自然の情」はブラバンショーが語った「自然の掟」
の変奏である。しかし,イアーゴーはデスデモーナの
IAGO
結婚の「不自然さ」を云々しているのではない。同国
Think my lord ?
人と結婚することは自明の理という前提に基づき,こ
OTHELLO
の自然に背く結婚をしたデスデモーナは男にとって脅
Think, my lord ! By heaven, thou echo’st me
威であると結論づけ,彼女を断罪している。彼は前提
As if there were some monster in thy thought
の真偽を問わずに済ませることで女性やムーアに対す
Too hideous to be shown. . . .
る差別や偏見を隠蔽する。
(3幕3場 109-11 行)
イアーゴー
考える,ですか?
オセロー
デスデモーナという名についてチンティオーは「悪
魔(demon)のような女」と説明し,シェイクスピア
はオセローの名に地獄(hell)を内包させている。そ
してイアーゴーが劇空間サイプラスと地獄の連想をよ
考える,ですか? だと。どうして言葉を繰り返
り強めている。彼と情報を半ば共有している観客が,
すのだ。
登場人物の愚かさのみに着目し社会のいかがわしさや
まるで頭の中には怪物がいて怖くて表せないよう
ずるさから目を背けてしまっているとしたら,登場人
だ
物のみならず観客もまたイアーゴーに〈知〉を操られ
たといえよう。
イアーゴーが意味のない言葉を繰り返してオセローの
外見は閉じた空間であるサイプラスは,誘惑の庭で
不安に形を与えると,オセローは「本性が本来の自己
あり,開かれた港を持ち貨幣の流通するヴェニスの陰
に背いて,
(how nature, erring from itself ―)
」と言っ
画となっている。
た後言葉を続けることが出来ない。イアーゴーがその
空白を引き取る。
楽園喪失と地獄
オセローは実態のない浮気に対する目に見える証拠
Ay, there’s the point : as, to be bold with you,
を求め始めるが,嫉妬の証拠とされるのはオセローの
Not to affect many proposed matches
最初の妻への贈りものである苺模様のハンカチであ
『オセロー』における主体と空間形象 27
る。以下,ハンカチとデスデモーナが絞殺される際に
ここで真実を語っていれば『オセロー』は異なる劇に
ベッドに敷かれていたシーツの表象を空間と関連づけ
なっただろうが,恐ろしくて言えなかったにせよ,嘘
て論じる。
をつこうとしたにせよ,失ったハンカチは夫婦の共通
侍女エミリアはデスデモーナがたまたま落としたハ
ンカチを拾い,夫イアーゴーに渡す。イアーゴーが
の言葉の喪失とそれに伴う認識のズレを顕在化させ
る。
キャシオーの部屋に落とすと,それを拾ったキャシ
イアーゴーは,ブラバンショーの「娘を見張ってい
オーは,サイプラスの娼婦ビアンカ(Bianca)に渡し
ろ。父親を欺いたのだ。おまえも欺くぞ。(Look to
ながら模様を写し取るようと命じる。このハンカチの
her, Moor,. . . She has deceived her father, and may
6)
表象について,ダッシュ(Ian Dash) ,ブラスター
7)
(Douglas Bruster, 82-4) ,パ ー カ ー(Patricia
8)
thee.)」
(1幕3場 293-4 行)という警告の言葉をオセ
ローに思い出させて,追いつめる。
「奥様にお気をつ
Parker, 121) など多くの批評家が指摘しているよう
けなさい……。ご自分の父親をだまして結婚なさった
に,
「落とす」
「渡す」
「模様を写し取る」等の行為の繰
かたですよ。
(Look to you wife,. . . She did deceive
り返しは,結婚から出産へと至る女性性の変化の諸相
her father. . . .)
」
(3幕3場 200,209 行)しかしオセロー
となっている。ハンカチが次々と人手に渡っていく様
に彼女の地獄送りを決心させる契機となったのは,問
は,貨幣の流通とパラレルである。つまり,モノとし
題のハンカチを手にしたビアンカの登場である。現地
て流通する女性性を意のままに所有したり消費したり
人である浅黒い肌の娼婦はビアンカ(白)と恣意的に
できるのは,男性性である。イアーゴーはハンカチを
名づけられている。意味のねじれ現象を見て取ること
受け取った後すぐに,キャシオーがそれでひげを拭い
ができるが,暗い劇空間内に虚無と無垢を表す白のイ
ていたと嘘を言い,オセローがそれを聞いてさらに苦
メージが広がりはじめる。
しむ。デスデモーナが男たちに弄ばれ穢されている姿
をオセローは想像しているのである。
ハンカチは『百物語』においても小道具として用い
舞台空間が砦の部屋からさらに奥の寝室へと移動し
ていくのは,オセローの閉塞状況の進行とパラレルに
なっている。オセローは,妻のセクシュアリティに対
られているが,その扱いはかなり異なる。そこでは旗
して幻想を抱き,妻の白い顔を「白い紙」に喩えたり,
手自らが,デスデモーナからハンカチを抜き取り,隊
自分自身を穴蔵に棲むヒキガエルに擬えたりして,地
長は部屋で拾った「ムーア風の模様」のハンカチをデ
獄落ちを口にするようになる。その後登場するエミリ
スデモーナの所有物と知っていて自ら返そうとしてい
アを聖史劇の「地獄の門番」と呼ぶ。オセローは砦の
る。
「ムーア風の模様」の刺繍が施されたハンカチに
奥の空間を地獄と重ねあわせている。
それを失えば夫の愛も失うという,驚異に満ちた物語
さて,デスデモーナとエミリアの女性同士の会話に
を付けたのはシェイクスピアである。ここに彼のムー
おいて,世界全部と引き替えても浮気をしないという
アに対するオリエンタリズム的な視線が見て取れる
デスデモーナに対しエミリアは次のように語る。
が,それが劇中で真実であるにせよ,妻を脅してでも
真実を語らせようとするオセローの作り話であるにせ
Why, the wrong is but a wrong i’th’ world ; and
「特別な秘法」など魔性と聖
よ,
「巫女」
「処女の心臓」
having the world for your labour, ’tis a wrong in
性が強調されていることが重要である。つまり,ハン
your
カチは,掌に入れることの出来る小さな秘密の花園で
own, world, and you might quickly make it right.
あり,それを失うことは愛と楽園を失うことである。
(4幕3場 79-81 行)
デスデモーナはハンカチの話を聞かされてそのあり
かを尋ねられた時,正直に答えていない。もちろん,
でも,間違いはこの世における間違いだわ。
自分で働いて世界を手に入れたら,自分の世界で
28
の
愚かさを暗示していると考えられる。
間違いとなる。だから,すぐさま正しいことにし
てしまえばいい。
黒い悪魔オセローと白い天使デスデモーナが対照さ
れて,非常に哀れで凄惨な場面となるはずである。し
かし,偶像化されたデスデモーナの死は,理想的であ
エミリアは,規範は力関係によって定められるのだか
るにもかかわらず / 理想的であるからかえって,無駄
ら絶対的な世界はあり得ないとして,夫イアーゴーに
死に見え,滑稽ですらある。エミリアからオセローは
従属し,デスデモーナには仕え,ビアンカを見下し馬
真実を知らされ,自分が愚かな殺人を犯したことを知
鹿にする。エミリアは状況に合わせて黒を白と言い換
る。捕えられたイアーゴーが,
「これからは口をきか
えるヴェニスの価値観を身につけている。一方デスデ
ない」と語るのは,もはや地獄の口の開閉も,人々の
モーナは,美しさや白さが潔白性を意味するという伝
財産や知を管理しないということである。オセロー
統的で絶対的な価値観を示す。このデスデモーナは,
は,ヴェニスに連行される前に再び語りを取り戻し,
1幕で「心の中に顔色を見た」り,サイプラス到着時
次のように報告するようにと述べる。
Set you down this,
に放縦に振る舞っていたデスデモーナと異なるように
見える。しかし彼女は4幕3場で突然,ヴェニスの同
And say besides that in Aleppo once,
国人ロドヴィーコー(Lodovico)について「素敵とね」
Where a malignant and turbanned Turk
と,興味を示している。また,恋人に捨てられた「バー
Beat a Venetian and traduced the state,
バリー」という名の,北アフリカ系の小間使いと自分
I took by th’throat the circumcised dog
自身を重ね合わせ,運命を予見しているように語る。
And smote him ― thus !(5幕2場 349-54 行)
デスデモーナの主体は分裂していると言うよりねじれ
こう書いてほしい。
ているといった方が良いと思われる。
それから,言ってほしい。かつてアレッポの町で
その晩,デスデモーナはエミリアに新婚の夜のシー
ターバンを巻いた悪意に満ちたトルコ人が
ツをベッドに敷き,自分が死んだらそれを経帷子にす
ヴェニスの国人を殴り,侮辱しているのを見て
るよう頼む。劇中でそれまで何度も語りの中でのみ存
私はその犬畜生の喉元を引っつかみ
在してきたベッドが最終幕ではじめて舞台上に置かれ
こうして,刺し殺した,と。
る。この新床の白いシーツは,失われた赤い苺模様の
ハンカチとの対照で用いられている。白いシーツは人
オセローは,こうして自らを刺し殺し,メビウスの輪
間が堕落する以前の無垢な世界を思い出させる縁とな
のような主体のねじれを断ち切って,叙事詩を語り終
り,
「正義に捧げる生け贄」の儀式を執り行う祭壇に敷
える。この結末は他の登場人物も観客も誰もあらかじ
くにふさわしい。
『百物語』のデスデモーナが砂袋で
め知らされていない。オセローは最後に知的優位に立
殺された後,事故で死んだように偽装されたのとは異
つことで悲劇のヒーローとなる。カーテンが引かれて
なり,シェイクスピアのデスデモーナは,死の儀式を
地獄が遠景化され,二人は向こう側の世界に追いやら
経て,再び理想的な愛の対象とされる。夫を庇って嘘
れる。
をつきながら死んでいく点に,美化された夫への愛と
ミルトン(John Milton, 1608-74)の Paradise Lost
服従を見て取ることができよう。白い経帷子で覆われ
(1667, 74)においてアダムとイブは手に手を取って
て,彼女の主体のねじれが不可視となる。ディール
楽園を後にするが,その幸いなる堕落は新たな試練と
9)
10)
はデスデモーナの偶像化
なる。オセローは愛の庭を失ったとき,生け贄を捧げ
に反カトリックの文化現象を指摘しているが,この過
て無垢のノスタルジーに浸ろうとした。しかしカト
剰な偶像化はカトリック教徒となっているオセローの
リックとなっている彼にはこの世には救いはなかった
(Huston Diehl)
や末廣
『オセロー』における主体と空間形象 29
のである。
おわりに
寝取られ亭主は,わずかな例外を除き,中世より喜
劇の主題であった。白人女を娶ったムーア人将軍オセ
Shakespeare (The Third Edition) (E. A. J.
Honigman ed), Thomson, London, 2004.
2) Stephen
Greenblatt : Renaissance
Self-
Fashioning : From More to Shakespeare. The
University of Chicago Press, Chicago, 1980.
ローが,嫉妬のあまりハンカチの喪失を楽園の喪失と
3)レスリー・フィードラー:シェイクスピアにおけ
取り違えて妻を殺すに至るドラマは,喜劇的でも悲劇
る異人.川地美子訳,みすず書房,東京,2002.
的でもある。しかも,ハンカチに縫い込まれた異教徒
4)Nigel Alexander : ‘Thomas Rymer and Othello’.
の物語は,人々に驚異と嫌悪を抱かせるものである。
Shakespeare Survey 21. 67-77, 1968.
こうした異教徒に対する差別と異教徒の抵抗の視線を
5)Geoffrey Bullough : Narrative and Dramatic
一身に引き受けさせられていたオセローの主体は,最
Sources of Shakespeare, vol. 7. Routledge and Kegan
後に死によってその呪縛を解こうと試みた。無駄死に
Paul, London, 1973.
であった二人の死がヴェニス社会への報告の中で「悲
しい物語」となり,抵抗と差別の物語は隠蔽される。
6)Ian Dash : Wooing, Wedding and Power.
Columbia University Press, New York, 1981.
1571 年にオスマントルコがサイプラスの要塞を陥
7)Douglas Bruster : Drama and the Market in the
落させた後,ヴェニスはサイプラスを再び取り戻すこ
Age of Shakespeare. Cambridge University Press,
とは出来なかった。当時のヴェニスはロンドンと同程
Cambridge, 1992.
度の 15 万ほどの人口である。シェイクスピアは商業
8)Patricia Parker : Othello and Hamlet : Dilation,
都市ヴェニスとロンドンのイメージを重ねながらも,
Spying, and the “Secret Place” of Women.
距離をとるだけの政治的センスを持ち合わせていたの
Shakespeare Reread : The Texts in New Contexts
だろう。当時イングランドはカトリックの国々と一線
(Russ McDonald ed) , Cornell university Press,
を画しながら,イスラム圏と友好関係を築いていかな
Ithaca, 105-146, 1994.
ければならなかった。メディアとしての演劇は「あま
9)Huston Diehl : Staging Reform, Reforming the
りにも深く愛しすぎた男(one that loved not wisely,
Stage : Protestantism and Popular Theater in
but too well)
」
(5幕2場 342 行)の悲劇を見せる一方
Early modern England, Cornell university Press,
で,イスラムに対する蔑視と脅威が,世界の内部に巣
Ithaca, 1997.
くっていることを示した。アーデン版の表紙絵はそれ
10)末廣幹:イスラム恐怖を超えて.シェイクスピア
が現在もなおあてはまることを気づかせてくれるので
世紀を超えて.
(日本シェイクスピア協会編),研究
ある。
社,東京,109-137,2002。
引用文献
1)William Shakespeare : Othello. The Arden
30
The Subjects of Othello through Space Imageries
Atsuko HATTORI
Department of Radiological Technology, Suzuka University of Medical Science
Key Words: Othello, a garden, the hell, subject, otherness, nature
Abstract
It has been admitted that Othello is a difficult play to act and understand because of its simple plot and topical
interests in others. Othello, the Moor is a general in the service of Venice and is sent to Cyprus to defeat the
Turkish Fleets. While Shakespeare regards them as a threat to Venetian society, the Turks don’t appear on the
stage except in Othello’ s performance of ‘a malignant and a turbannend Turk’ in the last scene. His wife,
Desdemona falls in love with Othello against the nature and her father’s will. We can notice such ideas as sexism,
racism, and especially “Orientalism” throughout the play.
Othello loses his peace of mind in Cyprus, which is described as a type of an enclosed garden with Satanic Iago
working. A handkerchief given to Desdemona by Othello is a representation of femininity. After her loss of it he
is frantic enough to sacrifice his wife for love and chastity. And he killed himself, identifying himself as both
Venetian and Turkish. Generally we are to regard a jealous husband as an object of a comedy but we may find out
the subject of this tragedy in the conflicts between identities and actions, which are easy to be turned inside out.
Othello was not only a provocative play in the seventeenth century but is a suggestive one in our difficult time.