『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱

関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
福 圓 容 子
要 旨:
シェイクスピアの第一・四部作の全てに登場する唯一の人物は、ヘンリー六
世の后マーガレットである。王妃という立場上、王権にまつわる闘争を描いた
『ヘンリー六世』三部作において彼女が中心的な位置を占めるのは当然である
が、シェイクスピアは劇のプロットの進行上必要性が無いにもかかわらず、史
実を枉げて彼女を『リチャード三世』に登場させた。彼女に与えられたのは、
アクションに関わらない部外者として他の人物に対し呪いの言葉を投げかける
という役割である。本稿では、
『ヘンリー六世』三部作において描かれるマーガ
レットの言動が、近代初期の父権制社会の中でどのような意味を持つのかを詳
細に検討する。その結果を踏まえた上で、シェイクスピアが『リチャード三世』
においてマーガレットを再登場させた理由と彼女に託した呪詛という役割の意
味を考察する。
キーワード:
Shakespeare
history
kingship
patriarchy
female roles
1 .序論
ああ、女の皮をかぶった虎の心よ!
一体どうすれば幼子の生き血を絞りとった
そのハンカチで涙を拭えと父親に命じ、
それでいて女の顔をしていられるものなのか。
(3 Henry 6, 1. 4. 137−140)1 )
ロバート・グリーンが『三文の知恵』
(Greenes Groats-worth of Witte)の中
で、この台詞の一部を捩ってシェイクスピアを揶揄したことからあまりに
も有名になった台詞であるが、実際には『ヘンリー六世・第三部』の中、
― ―
89
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
ヨーク公リチャード・プランタジネットがヘンリー六世の后マーガレット
に対して吐いた台詞である。正当な王位継承権を主張して挙兵したヨーク
公は、ウェイクフィールドの戦いで敗走し捕らえられる。王妃マーガレッ
トは、夫の王位簒奪を狙ったこの男にモグラ塚の上で紙の王冠をかぶせ散々
嬲った挙句に、斬殺した彼の幼い息子ラットランドの血で染まったハンカ
チで涙を拭けと命じる。
シェイクスピアが劇作家として成功するきっかけとなったと言われる『ヘ
ンリー六世』三部作および『リチャード三世』
(第一・四部作)の中、唯一
全作品に登場するのがこの「虎の心」を持った女性、アンジューのマーガ
レットなのである。ヘンリー六世の后となるいきさつから始まり、その統
治の期間、王位継承権をめぐる内乱、いわゆるバラ戦争の勃発からヘンリ
ー六世側の敗北に至るまで、王妃という立場にある彼女の存在が劇中大き
な位置を占めるのは当然であろう。
しかし、史実ではヘンリー六世が王権争いに敗れ1471年に殺害された後、
1476年に故郷フランスに帰国し1482年に死亡するまで、彼女が再びイング
ランドの地を踏むことはなかったのだ。ところが、プロットの展開上の必
要性がないにもかかわらず、シェイクスピアはこの史実を枉げて第一・四
部作を締めくくる『リチャード三世』の中でマーガレットを再登場させる。
『リチャード三世』において、彼女は劇のアクションに全く関わらない部外
者である。
『ヘンリー六世・第三部』の終わりに追放され、フランスへ送り
返されたはずのマーガレットは、いつの間にかイングランドに舞い戻って
きて宮殿に闖入し、王とその世継ぎをはじめとして、その場に居合わせた人
物に対して次々と呪いの言葉を投げつける。さらに、劇の終盤近くに再び
登場し、悲しみに打ちひしがれる王妃エリザベスとヨーク公爵夫人を前に
自分の呪いが半ば成就したことを満足げに語り、フランスへと去っていく。
『リチャード三世』の中でマーガレットはある種の神性を与えられており、
『ヘンリー六世』三部作とこの劇を四部作として繋ぐ役割をしている。2 )な
ぜマーガレットだけがそういった特別な役割を担わされることになったの
だろうか。彼女が『ヘンリー六世』三部作全てに登場する唯一の人物であ
ったことは大きな要因であろうが、それだけでは『リチャード三世』にお
ける彼女の圧倒的な影響力は説明できない。本論では、マーガレットが『ヘ
ンリー六世』三部作においてどのように描かれ、それが劇のアクションに
とってどのような意味を持つのかを考察したい。そうすることによって、
― ―
90
関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
シェイクスピアが第一・四部作を締めくくる作品『リチャード三世』にお
いて、マーガレットを再登場させた理由を明らかにしたいと思う。
2 .ジャンヌ・ダルクとマーガレット
アンジューのマーガレットが最初に登場するのは『ヘンリー六世・第一
部』の五幕三場である。彼女の登場に先立ち、この場面ではまず英仏百年
戦争でフランス側の救世主として軍を率いてきた乙女ジャンヌ(Joan de
Pucelle)の正体が暴かれる。一般に聖女として描かれることの多いジャン
ヌ・ダルクであるが、シェイクスピアは終始彼女を魔女として描いた。こ
の作品の中では実際に悪霊たちを舞台上に呼び出させ、助けを求めさせて
いる。その直後、フランス軍はヨーク公率いるイングランド軍に敗北し、
ジャンヌはヨーク公に捕らえられて退場する。彼らと入れ替わりにサフォ
ーク伯ウィリアム・ド・ラ・ポールに捕らえられたマーガレットが登場す
る。しばしば指摘されるように、この場面では、『ヘンリー六世・第一部』
で圧倒的な存在感を示している乙女ジャンヌの役割をもう一人のフランス
女性、アンジューのマーガレットが引き継ぐことが舞台上で視覚的に示唆
されていると考えられる。3 )
乙女ジャンヌとマーガレットには、共通する性質が見てとれる。まず、
イングランドに敵対するフランスの女性であり、どちらも戦場で自ら軍隊
を指揮し敵と戦うことである。フィリス・ラッキンが指摘するように、シ
ェイクスピアはフランス軍を指揮しているのが女性であることを繰り返し
強調し、イングランドとフランスの争いを男性的な価値観と女性的な価値
4)
観の葛藤として定義している。
イングランドの英雄トールボットを姦計に
より捕らえようとしたオーヴェルニュ伯爵夫人とともに、乙女ジャンヌと
マーガレットの三人のフランス女性は、
『ヘンリー六世・第一部』において
5)
イングランドのリーダーたちにとっての脅威となる存在である。
さらに、ジャンヌもマーガレットも貞節の美徳からは逸脱した女性であ
る。乙女ジャンヌは、登場するや否や性的なあてこすりの対象となる。皇
太子シャルルが熱心にジャンヌに耳を傾ける様子をアランソンは「間違い
なく下着の中まであの女の懺悔を聞いているんだろう、そうでなければこ
んなに話が長引くはずがない」(“Doubtless he shrives this woman to her
smock; / Else ne’
er could he so long protract his speech.” 1Henry 6 ,
― ―
91
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
1. 2. 119−120)と揶揄する。その後もシャルルとの性的関係を仄めかす台詞
が語られる(1Henry 6, 2. 1. 22−24; 49, etc.)
。火刑を宣告されたジャンヌは、
自分が妊娠していることを口実に処刑を逃れようとし、シャルル、アラン
ソン、レニエと相手の名前を次々と挙げる。
「聖なる乙女」の正体が容赦な
く舞台上で曝け出されるのである。一方、後で詳述するように、マーガレ
ットとサフォークの愛人関係は、
『ヘンリー六世・第二部』の中心として描
6)
かれる。
父権制社会を維持するためには、女性の性を管理することが不可
欠であり、女性の性的逸脱は制度そのものへの脅威となることは言うまで
もない。
こうして、劇中で乙女ジャンヌが行使する力が終息するのと同時にアン
ジューのマーガレットが登場することで、イングランドの男性的価値観へ
の脅威としての役割が二人の女性の間で象徴的に引き継がれるのだとする
と、終幕近くになって現れるマーガレットが体現する脅威というものは、
そもそも『ヘンリー六世・第一部』の第一幕ジャンヌの登場から劇中に存
在していたと言えるのではないか。
3 .サフォークとマーガレット
マーガレットを捕虜にしたサフォーク伯は一目で彼女の美しさに心を奪
われる。妻帯者である彼は、何とか彼女を自分の傍に置く方法はないもの
かと考え、ヘンリー王の后にすることを思いつく。うまくいけば自分の恋
心も満足させられるかもしれない(“Yet so my fancy may be satisfied”,
1Henry 6, 5. 3. 91)、という期待を抱きながら急ぎ帰国をし、すでにアルマ
ニャック伯の息女と婚約をしていたヘンリー王を説き伏せてマーガレット
との結婚に同意させるのである。
こうしてサフォークはうまく事を運び、旅立つのだ
かつて若きパリスがギリシャへと旅立ったように。
あのトロイの王子と同じく恋でも良い結果を得、
しかも、彼よりもっと大きな成功を収めるために。
マーガレットは今に王妃になり、王を支配するだろう
だが俺はあの女も、王も、それに王国も支配してやろう。
(1Henry 6, 5. 5. 103−108)
― ―
92
関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
サフォークはここで自分をトロイの王子パリスに擬える。パリスがスパル
タの王メネレーアスの妻ヘレンを略奪したことがトロイ戦争の引き金にな
ったことは周知の通りである。サフォークはすでにイングランド王の妻マ
ーガレットとの不義の関係を思い描き、そればかりか彼女を通じて王と王
国を自分の支配下に置くという大胆不敵な野心を語っている。しかし、自
分とマーガレットをパリスとヘレンに喩えた瞬間に、彼らの未来にはトロ
イ戦争の陰惨さが影を落とすことになるのである。この言葉どおり、
『ヘン
リー六世・第二部』の幕開きでは、王の代理としてフランスでマーガレッ
トとの婚礼の儀式を終えたサフォークが、彼女とともにロンドンの王宮に
現れ、その功績によって初代サフォーク公爵に叙される。
ヘンリー六世とアンジューのマーガレットの結婚は、イングランドの宮
廷内での新たな火種となる。ヘンリー六世の叔父で摂政でもあるグロスタ
ー公ハンフリーは、次のようにこの結婚を嘆く。
この結婚は破滅だ、あなた方の名声を帳消しにし
記憶の帳簿からあなた方の名を塗りつぶし
あなた方の功績の記録を削り取り
フランス征服を記した記録を汚して台無しにし
未だかつて無いほどに全てを破壊し尽くすにちがいない!
(2Henry 6, 1. 1. 99−103)
この結婚に伴い、トゥールで締結された英仏間の協定の文書が舞台上で読
み上げられ、グロスターはイングランド側に一方的に不利な内容に愕然と
する。つまり、アンジュー公爵領、メーヌ伯爵領を解放しマーガレットの
父レニエに引き渡すことと、マーガレットは持参金を一切持たず、結婚に
伴う費用は全てイングランド王の負担となることが明記されていたのであ
る(2Henry 6, 1. 1. 43−52, 57−62)。この二つの領土がいかに大切なもので
あったかは、ソールズベリーの「ノルマンディーを守る要衝」(“the keys
of Normandy”
, 1. 1. 114)という言葉やウォリックの「私が手傷を負いなが
ら手に入れた町が、和平という言葉でもって明け渡されなければならない
のか?」
(
“the cities that I got with wounds / Deliver’
d up again with peaceful
words?”1. 1. 121−2)7 )という台詞からも窺うことができる。この結婚がき
― ―
93
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
っかけとなって、イングランドの貴族間の対立が一気に表面化し、マーガ
レットとヘンリー王の結婚に否定的なグロスターに対して、サフォークと
手を組んだサマセットやバッキンガム、枢機卿ボーフォートが共謀して追
落しを謀ることとなる。
マーガレットにとって、ヘンリー王との結婚は失望そのものであった。
マーガレットは、次に登場する場面ですでにその失望を口にする。
ねぇ、ポール、トゥールの町で
あなたが私への愛を示すために槍試合に出て
フランスの貴婦人たちの心を攫ってしまった時、
ヘンリー王はあなたのような人だと思ったのよ
勇気においても、物腰においても、容姿においても。
でもあの人の心ときたら神様のことしか考えていない。
(2Henry 6, 1. 3. 50−55)
マーガレットは、結婚の交渉に始まりフランスでの代理結婚式を経てイン
グランドに渡るまで、サフォークの言葉を通してのみヘンリーを思い描い
てきた。マーガレットに思いを寄せるサフォークがヘンリーの名を介しな
8)
がら自分の思いを伝えたということは想像に難くない。
そうであれば彼女
がサフォークの姿に未だ見ぬ夫のイメージを重ねたとしても不思議ではな
い。彼女を王妃として喜んで迎えたのはサフォークとヘンリーだけであり、
異国の地でマーガレットが心を許せるのはサフォークだけである。ヘンリ
ーは、王とは名ばかりの「気難しいグロスターに指図される生徒」
(
“a pupil
still / Under the surly Gloucester’
s governance”
, 2Henry 6, 1. 3. 46−47)にす
ぎない。そして、マーガレットがグロスター以上に敵視するのは、宮廷で
女帝のごとく振舞うグロスターの妻エリナーである。彼女は事実、自分が
王妃の座に就くという野心を抱いており、ヘンリー六世の王冠を手に入れ
るよう夫グロスターを唆す。だが、高潔なグロスターは妻の邪な心をたし
なめるだけである。マーガレットがイングランドに到着して二度目のこの
シーンで、すでに二人の女性の熾烈な対立が舞台上で演じられる。
イングランド王と王妃、その称号だけではなく実体を手に入れることを
マーガレットは望み、サフォークはさらに実体となった王妃を通して国を
支配する実権を握りたいと思う。彼はすでにグロスターの妻に罠を仕掛け
― ―
94
関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
てあることを明かす。
「こうして一本ずつ雑草を残らず抜き取ってしまいま
しょう、そうすれば、あなた自身が幸福な王国の舵を取ることになりまし
ょう。
」(
“So one by one we’
ll weed them all at last, / And you yourself shall
steer the happy helm.”2Henry 6, 1. 3. 99−100)――グロスター夫妻は、引き
抜くべき最初の雑草である、とサフォークは考える。雑草を根絶やしにす
れば、国の舵を取るのは王妃であるマーガレットであり、実質的には自分
であるという自信が、
“shall”という助動詞からは見え隠れする。王として
のヘンリーの存在は、彼らの思考からは除外されているのである。
彼の計画通り、エリナーは館で怪しげな交霊術の会を催しているところ
を取り押さえられ、裁判の末、三日間公然に晒された上でマン島に追放さ
れる。この機に乗じて、グロスターを快く思わない王妃と貴族たちが結託
し、グロスターは摂政の職を解かれ、程なく大逆罪の廉で逮捕される。さ
らに王妃と枢機卿ボーフォート、ヨークらの同意の下、サフォークはグロ
スター暗殺の計画を実行に移す。
ここまでは、サフォークは国家の実権を掌握するため計画通り事を進め
ているようであるが、思いもかけず計画は水泡に帰してしまうことになる。
グロスターを慕う平民たちがその死の真相を求めて暴徒化し、ウォリック
とソールズベリーが彼らの代弁をする形で舞台に現れるのである。
おそれながら陛下、平民たちはこう伝えてくれと申しています
サフォーク卿を今すぐ死刑にするか
美しいイングランドの領土から追放するかしない限り
彼らは力ずくでも彼を城から引きずり出し
散々苦しめた挙句嬲り殺しにしてやると。
彼らは言っています、あの男が善良なハンフリー公爵を殺したのだと、
またこうも言っています、あの男が陛下の死を狙っているのではないかと。
ただ陛下への愛と忠誠の心から…
彼の追放を願って、こうして差し出た真似をしているのです。
(2Henry 6, 3. 2. 243−253)
アナベル・パターソンはグロスター公ハンフリーを「民衆の代弁者」
(
“the
people’
s spokesman”
)と見做し、ソールズベリーはここで一時的にグロスタ
ーの代理を務めているのだという。この抗議の声は道義的に信頼すべきも
― ―
95
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
のであり、また、この劇において人々があげる抗議の声にシェイクスピア
自身が条件付き――つまり正しい動機から出ており、基本的には王に忠実
であり、正しい代弁者に基づいたものであるという条件――で賛同してい
ることを伝えている、と論じる。9 )
ヘンリー六世はこの民衆の声を聞くと、極めて意外なことに、突如とし
て国王の大権を発動する――「彼に三日間以上この国の空気を穢させはし
ない、背けば死刑にする」(
“He shall not breathe infection in this air / But
three days longer, on the pain of death.”2Henry 6, 3. 2. 287−288)
。これまで
ヘンリーは何事につけても側近に判断を任せ、自ら決断をするということ
10)
そのヘンリーが国王大権を行使するとは、予期せぬことで
を避けていた。
ある。最も手強い敵、グロスターさえ片づければ後は思いのままだと考え
ていたマーガレットとサフォークにとっては、まさに晴天の霹靂である。
后の嘆願に耳を貸そうとせず、宣告を繰り返してその場を去るヘンリーに、
マーガレットの呪いの言葉が向けられる――「災いと悲しみがつきまとう
がいい!満たされない心と辛い苦悩が親しく付き合う友となるがいい!」
(
“Mischance and sorrow go along with you! / Heart’
s discontent and sour
affliction / Be playfellows to keep you company!”2Henry 6, 3. 2. 300−302)。
これは『リチャード三世』で呪いの女として登場するマーガレットが第一・
四部作の中で初めて吐く呪いの台詞である。観客は、劇のクライマックス
であるこのシーンで、舞台上でキスと抱擁を交わし百行以上に渡って別れ
を惜しむこの恋人同士の台詞を耳にする。
王妃マーガレットとサフォークの関係は、公然の秘密となっている。身
分を隠してイングランドから出国しようとしたサフォークは、出帆直後に
巻き込まれた海賊との海戦で捕虜となり、ケント州の海岸に連れ戻される。
身代金を取って全ての捕虜を解放するよう支持していた海賊船の指揮官は、
サフォークが身分を明かした途端態度を変え、次のように言う。
「王妃にキ
スをしたその唇には地面を舐めさせてやろう」(“Thy lips that kiss’
d the
Queen shall sweep the ground”
, 2Henry 6, 4. 1. 75)。11)このように、シェイク
スピアは王妃と彼の愛人関係を一般に広く知れ渡った事実として描き、サ
フォークを人々の敵意の対象として作り上げているのである。
サフォークは殺害され、その遺体は自由になった捕虜の手で王妃の元へ
届けられる。次に観客が目にするマーガレットは、サフォークの生首を胸
に抱いて嘆く衝撃的な姿である。ケント州で蜂起したジャック・ケードの
― ―
96
関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
反乱の対応に追われるヘンリー王とバッキンガム公、セイ卿と対照的に、
マーガレットの発する言葉はほとんどが傍白であり、観客以外の誰からも
注目されることはない。夫であるヘンリーから一度だけ声をかけられるが、
それも極めて冷淡な皮肉に満ちた言葉である(“if that I had been dead, /
Thou wouldst not have mourn’
d so much for me.”2Henry 6, 4. 4. 23−24)。
国の緊急時にあって、明らかに彼女は部外者であり、サフォークを失った
今となっては全くの孤立無援である。
悲嘆にくれるマーガレットが心を向けるのは、「復讐」である。
悲しみは心を弱くし、
恐怖に怯えさせ判断力を鈍らせると言うわ、
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
だから復讐することだけを考えて泣くのはやめよう。
(2Henry 6, 4. 4. 1−3 ; 傍点筆者)
だが、マーガレットが考える「復讐」とは何だろうか。サフォークを追放
したヘンリーに対してなのか。それとも二人が目指していた権力の座を遠
ざけるもの全てに対してなのか。彼女の復讐心がどこに向けられているの
か、彼女自身が明確に語ることはない。というのも、サフォークを失った
後のマーガレットは、それ以前の雄弁さをしばらく失うからである。ケニ
ルワース城で暴徒たちと対峙する場面では彼女は一言も話さず、ただ王と
ともに城壁に立つだけであるし、挙兵してアイルランドより戻ったヨーク
公に対して敵意を顕にするものの、ほんの短い台詞で応酬するだけである。
もしかすると、彼女自身、自分の復讐心をどこにぶつけてよいのかわから
ないのかもしれない。彼女が再び自分の立場を雄弁に主張するようになる
のは『ヘンリー六世・第三部』においてである。
4 .女戦士としてのマーガレット
『ヘンリー六世・第三部』において、マーガレットが最も激しい敵意を向
けるのはヨーク公であり、その死後はヨークの息子たちである。これは、
ヨークがヘンリー王と皇太子エドワードの地位を脅かす暴挙に出たからで
あるが、同時に夫ヘンリーの王としての不適格性を彼が露呈させたからで
もあるのではないだろうか。
― ―
97
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
ロンドンの議事堂を占拠したヨークは、自分がヘンリー四世によって王
位簒奪されたリチャード二世の正式な王位継承者の末裔であると主張する。
ヨークの主張が正当なものであることは、ヘンリー六世も認めざるを得な
い(
“I know not what to say, my title’
s weak”
, 3Henry 6, 1. 1. 134)
。王側に付
くエクセター公までもが自分の立場を忘れてその主張の正しさを認めてし
まう(“My conscience tells me he[York]is lawful king”
, 3Henry 6 ,
1. 1. 150)。兵力にものを言わせてでもヨークを王位に就かせようとするウ
ォリック伯に対し、ヘンリーは姑息とも言える取引を申し出る。
王ヘンリー
ウォリック卿、ひと言だけ聞いてくれ、
私の存命中は王でいさせてほしいのだ。
ヨーク
私と私の後継者に王位を譲ると確約すれば
生きている間は王として平和に治められるようにしよう。
王ヘンリー
それで結構だ。リチャード・プランタジネットよ
私の死後、この王国は君のものだ。
(3Henry 6, 1. 1. 170−175)
ヨーク側にとっては王座に就くことが先延ばしにされただけであり、王位
継承権の正当性が認められたことになる。しかし、ヘンリーは自分が退位
させられる不名誉を回避するために、自分の後継者である皇太子エドワー
ドを廃嫡したことになる。つまり、父から息子へと受け継がれるはずの既
得の継承権を自分勝手に他人に与えたのであり、彼の行為は父権制度その
ものへの侵害を意味する。ジーン・E・ハワードとラッキンが論じるよう
に、この行為はヘンリーの家長としての地位にとっても、一国の王として
の地位にとっても致命的なものとなり、この劇の随所に見られる裏切り行
12)
為のパラダイムともなるのである。
当然のことながら、ヘンリーはこの不
当な取り決めによって、彼に付いていた有力な貴族たちや王妃の信頼を失
い孤立することになる。クリフォード卿、ノーサンバランド伯、ウェスト
モアランド伯は、捨て台詞を残して王妃のもとへ向う。
続いて現れた王妃マーガレットは烈火のごとくヘンリーを責め立てるが、
わけても彼女に我慢ならなかったのは、国の頂点に君臨し大権を行使する
立場のヘンリー王が、臣下であるはずのヨークとウォリックに「無理強い
された」
(
“enforc’
d”
, 3Henry 6, 1. 1. 229)という言葉である。正式な結婚で生
まれた後継者である息子の権利を守る義務があるにもかかわらず、無理強
― ―
98
関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
いされたからといって戦うこともせず安易に譲り渡してしまったという事
実は、国王として、家長として、彼が不適格者であることを如実に示して
いる。このことが、息子を廃嫡した法案が取り消されるまではヘンリーと
食事もベッドも共にしない(“I here divorce myself / Both from thy table,
Henry, and thy bed”
, 3Henry 6, 1. 1. 247−248)とマーガレットに誓わせる。つ
まり、ヘンリーの家長としての地位を認めない、ということである。そし
て、自ら軍を率いてヨーク軍と戦うことを宣言する。
あなたの軍旗を見捨てた北方の貴族たちも
私の軍旗が翻るのを見れば、それに従ってくれるでしょう。
必ず翻らせてみせる、あなたの不名誉となり
ヨーク家の破滅となるように。
(3Henry 6, 1. 1. 251−254)
ここでマーガレットは、夫ヘンリーの戦場における無能ぶりを印象付け、
彼よりも自分の方が男としての役割をうまく果たせると主張している。自
分が夫の地位にとって代わると言っているのである。マーガレットの主張
は、明らかに彼女が当時の父権制度の社会規範から逸脱した女性であるこ
とを示している。しかし、同時に彼女が要求しているのが父権制度の保証
する父から息子への権利の継承であるという点で彼女の立場は逆説的であ
る。
マーガレットは、自分と息子エドワードとの絆が父親であるヘンリーと
彼のそれよりも強いことを強調する(3Henry 6, 1. 1. 220−225)
。近代初期の
社会において、子供は父親のものであり、父親からその気質を受け継ぐと
信じられていた。また、母親の身体は子供を世に送り出すために通過する
13)
器官に過ぎないと考えられていた。
そのため、正式の結婚により生まれた
嫡子に「父親の子」という属性が与えられるのに対して、庶子は母親と結
14)
びつけて語られることが多い。
従って、ことさら母親と息子の絆を強調す
ることは、それ自体危険をはらんでいると言えるだろう。
皇太子エドワードの気質は明らかに母親譲りである。マーガレットとサ
フォークの愛人関係は既知の事実であり、皇太子の嫡出性に疑問が投げか
けられても不思議ではない。劇の中でこの問題が正面切って浮上すること
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
はないが、リチャードが皇太子エドワードに向けた「お前の父親が誰であれ、
そこに立っているのが母親であることには違いない。母親と同じような口
― ―
99
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
をきくからな」(“Whoever got thee, there thy mother stands, / For well I
wot, thou hast thy mother’
s tongue.”3Henry 6, 2. 2. 133−134 ; 傍点筆者)と
いった台詞や、ヨークの長男エドワードがヘンリー王をメネレーアスに喩
えた台詞(3Henry 6, 2. 2. 146−149)は、皇太子の正当性の問題に一瞬であ
れ観客の目を向けさせるのだ。
マーガレットがヨークに見せる残忍さは、彼が自分と息子の権力の基盤
であるべき王の実体を露呈させ、将来の権利までも侵害したことへの怒り
15)
の大きさを示している。
モグラ塚の上に立ち、紙の王冠を戴いた王の姿に
ヨークを戯画化することは、ヘンリー王の不適格性を暴いたヨークを貶め、
彼もまた王座には不釣合いなちっぽけな存在にすぎないことを見せつける
ための手段にちがいない。さらにマーガレットは、ヨークの幼い息子ラッ
トランドの血で染まったハンカチを差し出し、涙を拭いてみろと迫る。
抵抗する術を持たない幼児の殺害を舞台上で演じることが、観客に強い
衝撃を与え、激しい感情を引き出すのは言うまでもない。クリフォードに
よる幼児ラットランドの殺害は、それ自体衝撃的であり復讐の野蛮さを印
象付けるのに十分であるが、シェイクスピアは、その血で染まったハンカ
チをマーガレットに出させることで、ラットランド殺害の衝撃を蘇らせ、
彼女の残忍さを観客の脳裡に焼きつける。この仕打ちはマーガレットの味
方であるノーサンバランドにとってすら酷すぎるものに感じられ、同情の
涙を誘い出すことになる。
ヘンリーの王位と皇太子の王位継承権を守るための戦いは、ヨークの死
後、彼の三人の息子たちを相手に続けられることになる。ランカスター軍
の指揮をとるのは、やはり王妃マーガレットである。ヘンリーの王権を守
ることが大儀であるにもかかわらず、彼はヨーク軍との戦闘においては足
手まといでしかない。戦闘が始まると、王妃もクリフォードも声をそろえ
て王に戦場を離れるように勧める。本来ならば、自分の権利を主張して先
頭に立って戦うべき王は、戦場から爪弾きにされ、ひとりモグラ塚の上で
思索にふける(3Henry 6, 2. 5)
。ヨーク殺害の場面で、モグラ塚が彼の手に
入れようとした王座の戯画であったように、ここでもモグラ塚に腰掛ける
ヘンリーは、王の称号を持っていながら何の権威も持たない空ろな王が玉
座についている姿の戯画である。
その目の前で繰り広げられるのは、無名の二組の親子の悲劇である。二
組とも父と息子がヨーク側とランカスター側に別々に徴集され、一方は知
― ―
100
関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
らずに父親を殺してしまった息子が、もう一方では知らずに息子を殺して
しまった父親が、それぞれの肉親の死体を前にして自分たちの運命を嘆く
のである。その嘆きに形骸化した王ヘンリーが加わり、自分が悲劇を引き
起こした原因であることを嘆く(3Henry 6, 2. 5. 103−112)
。様式化された台
詞はまるで戦争の悲惨さを歌う三重唱のような響きを持ち、観客の心に訴
える。
ランカスター側が敗走し、エドワードが王として即位してからは、貴族
たちの裏切りの連続となる。エドワードとフランス王の妹ボーナ姫との結
婚話を進める使命を持ってフランスに渡ったウォリックの元には、エドワ
ードがグレイ卿の未亡人エリザベスと結婚したとの知らせが届く。ウォリ
ックはこの王の裏切りを知ると、フランス王の助力を頼みにフランスに渡
っていた王妃マーガレットと和解し、ランカスター側に寝返る。エドワー
ドの弟クラレンス公ジョージも、一旦エドワード側に寝返ったサマセット
16)
と共にランカスター側に付く。
ウォリックの兄にあたるモンタギューは四
幕一場ではエドワードに忠誠を誓いながら、次に登場する四幕六場ではラ
ンカスター側として登場する。エドワードのもう一人の弟グロスター公リ
チャード(後のリチャード三世)は、表面上兄王に従いながら、長い独白
の中で王座への野心を抱いていることを明かす(3Henry 6, 3. 2. 124−195)。
ヘンリー王がかつて国家の利益よりも自分の欲望を優先し、マーガレット
と結婚したのと同じことをエドワードは繰り返し、同じように混乱を招く
ことになるのだ。エドワードの宮廷では、王妃となったエリザベスの近親
の者たちが王によって優遇され、貴族たちの反感を買っている。こうして、
エドワードもまた為政者としての資質を欠いた人物として描かれているの
である。
「国王製造人」との異名を持つウォリックの働きにより、ヘンリーは一度
は王位に返り咲くが、ウォリックの死後、再びマーガレットの指揮の下、
テュークスベリーでヨーク側と対決することになる。戦いに先立ち、マー
ガレットは修辞疑問を繰り返す巧みなレトリックを駆使して、有力な戦士
パイロット
を失って意気消沈する味方の貴族や兵士たちの勇気を鼓舞する。
「
[舵手が]
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
舵とりをやめて、恐怖に怯えた少年よろしく(
“like a fearful lad”)溢れる
涙で海水を増やすようなまねをするのが立派な行いでしょうか」(3Henry
6, 5. 4. 6−8 ; 傍点筆者)や、「さぁ、勇気を出しなさい!避けられないもの
>
>
>
>
>
を嘆いたり恐れたりするのはか弱い子供のすること(
“childish weakness”
)
― ―
101
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
です」(3Henry 6, 5. 4. 37−38 ; 傍点筆者)という台詞から明らかなように、
彼女が訴えかけるのは、ランカスター軍の男たちが誇りにすべき「男らし
さ」である。さらに「少年」、「子供」といった言葉で常にその若さを強調
される皇太子は、「臆病者」(“a coward”)でもマーガレットのように「勇
敢な心を持つ女性」
(
“a woman of this valiant spirit”
)の言葉を聞けば不屈の
。マーガレ
精神を吹き込まれることだろう、と言う(3Henry 6, 5. 4. 39−41)
ットと皇太子は、本来は弱く無力なものとされる女と子供についての規範
を自ら逸脱して見せることで男たちのプライドに働きかける。
次の場面で、捕虜となったマーガレットはすでに死の覚悟を決めており、
もはや彼女が全てを賭けて戦ってきたランカスター家の王位継承権につい
て語ることはない。この点で、最後まで王位継承者として語ることをやめ
なかった息子エドワードとは対照的である。今や意気消沈した無力な女性
17)
にすぎないマーガレットの目の前で、息子エドワードは刺し殺される。
「あ
あ、ネッド、かわいいネッド、お母さんに話しかけておくれ、坊や」――
マーガレットの叫びは、王妃でも女戦士でもなく、一人の母親の悲痛な叫
びである。
彼[シーザー]は大人だった、でもこの子はまだほんの子供。
子供相手に狂暴な怒りをぶつける大人はいないはず。
・・・・
お前たちには子供がいないのだろう、屠殺人。もしいたら、
その子のことを考えて憐れみの情をかき立てられただろうに。
(3Henry 6, 5. 5. 56−57, 63−64)
大人であるシーザーの暗殺は、今行われた非道な子供殺しに比べれば非難
に値しない、また人の親であればこれほど酷いことはできない、とマーガ
レットは言う。この台詞に含まれるアイロニーは明らかである。観客はす
でに復讐心に駆られたクリフォードが幼いラットランドを容赦なく刺し殺
すのを目撃している。一幕でラットランドの血で染まったハンカチを父親
ヨークに突きつけたマーガレットの残酷さが、五幕での母親の目の前で若
い息子が刺し殺されるという残酷な場面と対応するよう意図されているの
ネ
メ
シ
ス
は明らかであろう。観客は因果応報の厳しい原理を目の前に見せつけられ
るのである。
― ―
102
関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
サフォークの死に際して復讐を誓った時のように、またヨークの王位簒
奪の企みに対して自ら復讐を果たした時のように、マーガレットが息子の
死に対して新たな復讐心を燃やすことはない。彼女が切望するのは、ネメ
シスのサイクルから身を引いて死ぬことだけであるが、その望みが叶えら
れることはない。絶望したマーガレットが最後に残すのは、息子を殺害し
た者とその子供達に息子と同じ運命が降りかかることを願う呪いの言葉
(3Henry 6, 5. 5. 82)のみである。こうして、父権制度の約束する権利を守
ろうとしてその規範を逸脱し、本来男性の役割である戦士というペルソナ
を身につけたマーガレットは、王妃という地位だけでなく妻、母親という
立場をも奪われて生きることを余儀なくされる。
『リチャード三世』の中で、
年老いたマーガレットは王妃エリザベスに対して「お前が死ぬずっと前に
お前の幸せな日々は死に絶え、悲しみの時間がずるずると引き伸ばされた
後で、母でもなく妻でもなくイングランドの王妃でもないものとして死ぬ
がいい!」
(Richard III, 1. 3. 206−208)という呪いの言葉を吐くが、その言葉
はそのままマーガレットの人生を要約しているように思われる。
5 .結論
『ヘンリー六世』三部作において、マーガレットは娘から妻、愛人、母親、
そして夫も子供も失った未亡人、と女としての人生の様々な相を経験する。
その大半が、歴史における重大なテーマである王権をめぐる闘争に関わる
ものであった。その闘争に敗れ、全てを失った女として『リチャード三世』
の劇世界に舞い戻ってきたマーガレットは、ひたすら自らが王権と関わっ
てきた過去を語る。語ることによって登場人物一人一人を過去と結びつけ、
さらに呪いという形で彼らの未来に起こることを予言する。彼女の人生そ
のものが「長い歴史のアクション」を体現しているかのようである。18)『ヘ
ンリー六世』三部作でマーガレットの辿った軌跡と『リチャード三世』で
彼女が語る内容を考えると、彼女が時代の生き証人として過去を語り、未
来を予言することで『リチャード三世』の世界に過去から未来――観客に
とっては、同時に過去の長い時間の経過――を通観する歴史の視点が導入
されるのである。
マーガレットは、その娘時代を除いて――ジャンヌ・ダルクがその時代
の彼女の役割を肩代わりしているのかもしれないが――近代初期の父権制
― ―
103
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
度の規範からは逸脱した女であった。サフォークとの愛人関係は、結婚制
度が支える父権社会そのものを覆す危険性をはらんでいた。また、父権制
度が保証する父から息子への権利の継承を守るためであったとはいえ、自
ら軍隊を指揮し男性の位置に取って代わるマーガレットは、当時の社会規
19)
範で理想とされる寡黙で目立たない女性とは対極に位置する。
そういった
女性が男性優位の社会において、常に男性にとっての脅威となることは言
うまでもない。マーガレットの役割を特徴づける呪いとは、抵抗の手段を
全て奪われ、全く無力な状態で吐かれるものであり、彼女の呪いは、その
実質的力の欠如の裏返しともいえる。それでもマーガレットの呪いの言葉
が聞く者の精神を揺るがす力を持つのは、その言葉が男性優位の社会に対
する彼女の脅威に裏打ちされたものであるからに他ならない。シェイクス
ピアは、あらかじめ成就されることがわかっている呪いをマーガレットに
語らせることで、彼女に単なる登場人物としての役割を超えた神性を与え
ているのである。
注
1 )William Shakespeareの作品の引用は、全てG. Blakemore Evans, ed., The
Riverside Shakespeare, 2nd ed.(Boston: Houghton Mifflin Company, 1997)に
依る。日本語による訳は拙訳。
2 )Marie−Helene Besnault and Michel Bitot,“Historical legacy and fiction: the
poetical reinvention of King Richard III”
, Michael Hattaway, ed., The
Cambridge Companion to Shakespeare ’
s History Plays ( Cambridge:
Cambridge UP, 2002), pp. 118 −119; Phyllis Rackin, Stages of History:
Shakespeare’
s English Chronicles(Ithaca, NY: Cornell UP, 1990),p. 176.
3 )E. M. W. Tillyard, Shakespeare’
s History Plays(London: Chatto & Windus,
s roles in the Elizabethan history
1951), pp. 168−169; Phyllis Rackin,“Women’
s
plays”
, Michael Hattaway, ed., The Cambridge Companion to Shakespeare’
History Plays , p. 72. Adrian Noble演出のRSCによる‘The Plantagenets’
(1988年 9 月29日初演)では、この関係をさらに強調するためにアンジュー
のマーガレットの登場シーンをジャンヌ・ダルクの火刑の直後に置いている。
, Russell
Penny Downie,“Queen Margaret in Henry VI and Richard III ”
Jackson and Robert Smallwood, edd., Players of Shakespeare 3(Cambridge:
Cambridge UP, 1993)
, p. 120.
4 )Rackinによれば「男性的な価値観と女性的な価値観の葛藤」とは、具体的には
― ―
104
関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
「騎士道的な美徳に対する実用的な奸知、歴史的な名声に対する物理的な現
実、父権制度を守る古い世代に対しそれを覆す若い世代、社会的高い地位に
対する低い地位、自己に対する他者」といった対立に見てとれるという。
Rackin(1990),p. 151.
5 )Rackin(2002),p. 78.
6 )マーガレットとサフォークの愛人関係はシェイクスピアの独創である。シェ
イクスピアは、材源の一つであるEdward Hall の年代記 The Union of the Two
Noble and Illustre Famelies of Lancastre and Yorke(1548)の記述から着想
を得たと考えられる。また、サフォークがマーガレットを捕虜にするという二
人の出会いのシーンも史実ではない。Gwyn Williams,“Suffolk and Margaret:
A Study of Some Sections of Shakespeare’
s Henry VI”Shakespeare Quarterly
25(1974),p. 310.
7 )実際にはウォリック伯がアンジュー、メーヌを勝ち取ったというのは史実で
はない。The Riverside Shakespeare, p. 670, note to 1. 1. 119. シェイクスピア
は、これまでイングランドが払った犠牲をウォリックに代弁させているので
あろう。
8 )例えば『ヘンリー六世・第一部』五幕三場では、サフォークは「ヘンリー王
の恋人になってくれるなら」と言うべきところをつい口をすべらせて「私の
恋人に…」と言いかける。
Suffolk: I’
ll undertake to make thee Henry’
s queen, . . .
If thou wilt condescend to be my―
Margaret:
What?
(1Henry 6, 5. 3. 117−121)
Suffolk: His love.
9 )Annabel Patterson, Shakespeare and the Popular Voice(Cambridge, MA:
Basil Blackwell, 1989),p. 48.
10)2Henry 6, 1. 3. 101−102; 3. 1. 195−196.
11)驚くことに、この名前も与えられていない指揮官は、宮廷で起こったことに
関する正確な知識を基にさらにサフォークを糾弾する。その中で、グロスタ
ー殺害や、イングランド王を肩書きばかり立派で実際には何の力も持たぬ王
(レニエ)の娘マーガレットと結婚させたこと、そのためにアンジューとメー
ヌを手放さざるを得なくなったことにまで言及し、彼の罪を告発している
。ここで、彼は一登場人物の立場を超えた役割、つまり
(2Henry 6, 4. 1. 76−86)
Annabel Patterson がグロスターについて言った「民衆の代弁者」(“the people’
s spokesman”
)と同じような役割を与えられている。指揮官の匿名性が、
一般の声の代弁者としての彼の役割を一層強調していると思われる。注 9 参
照。
12)Jean E. Howard and Phyllis Rackin, Engengering a Nation: A feminist account
― ―
105
『ヘンリー六世』三部作における王権と女の逸脱
of Shakespeare’
s English histories(London: Routledge, 1997),p. 84.
13)Howard and Rackin, pp. 85−87.
14)例えば『リア王』では、グロスター伯爵の庶子エドマンドが常に母親と結び
つけて語られるのに対し、嫡男エドガーの方は「父の子」という属性を与え
られている。エドガーがエドマンドに自分の身分を明かす時「私はお前の父
の息子だ」(King Lear, 5. 3. 170)と名乗る。
15)シェイクスピアは、この場面で生きているヨークとマーガレットを対面させ、
マーガレットの残忍さを印象付けているが、Hall の年代記では、クリフォー
ドがヨークの死体から首を切り落とし、紙の王冠を被せ棒に突き刺してマー
ガレットに献上したことになっている。Hall(1548)in Geoffrey Bullough,
ed., Narrative and Dramatic Sources of Shakespeare , vol. 3(London:
Routledge, 1966)
, p. 178.
16)クラレンスはウォリックの下の娘イザベルと結婚するが、五幕一場で義父を
裏切って再びヨーク側に寝返る。
17)史実では、テュークスベリーの戦いが終わった時マーガレットは義理の娘ア
ン・ネヴィル(ウォリックの長女)等とともに近くの宗教施設に避難してお
り、ヨーク家の人間に息子エドワードが殺害されたことをそこで知ったとい
う。息子が母親の目の前で殺害されるという場面は、シェイクスピアの独創
である。“Margaret[Margaret of Anjou]”
, Oxford Dictionary of National
Biography.
s Political Drama: The History Plays and the
18)Alexander Leggatt, Shakespeare’
Roman Plays(London: Routledge, 1988),p. 42.
19)Rackin(1990)
, p. 178.
参考文献
Besnault, Marie−Helene, and Michel Bitot.“Historical legacy and fiction: the
poetical reinvention of King Richard III”
. The Cambridge Companion to
s History Plays. Ed. Michael Hattaway. Cambridge: Cambridge
Shakespeare’
UP, 2002. 106−125.
Geoffrey Bullough, ed. Narrative and Dramatic Sources of Shakespeare. Vol. 3.
London: Routledge, 1966.
Downie, Penny.“Queen Margaret in Henry VI and Richard III”
. Players of
Shakespeare 3. Edd. Russell Jackson and Robert Smallwood. Cambridge:
Cambridge UP, 1993. 114−139.
Howard, Jean E., and Phyllis Rackin. Engendering A Nation: A feminist account of
s English histories. London: Routledge, 1997.
Shakespeare’
― ―
106
関東学院大学文学部 紀要 第114号(2008)
Leggatt, Alexander. Shakespeare’
s Political Drama: The History Plays and the
Roman Plays. London: Routledge, 1988.
Patterson, Annabel. Shakespeare and the Popular Voice. Cambridge, MA: Basil
Blackwell, 1989.
s English Chronicles. Ithaca, NY:
Rackin, Phyllis. Stages of History: Shakespeare’
Cornell UP, 1990.
−−−.“Women’
s roles in the Elizabethan history plays”
. The Cambridge
s History Plays . Ed. Michael Hattaway.
Companion to Shakespeare ’
Cambridge: Cambridge UP, 2002. 71−85.
Tillyard, E. M. W. Shakespeare’
s History Plays. 1944. London: Chatto & Windus,
1951.
Williams, Gwyn.“ Suffolk and Margaret: A Study of Some Sections of
Shakespeare's Henry VI”
. Shakespeare Quarterly 25(1974):310−322.
― ―
107